話し方は、人の印象を大きく変えます。
きれいな日本語を使った言葉は、しっかりした印象を受けます。
「どうもありがとうございます」
語尾を伸ばす話し方は、印象の悪くなる話し方です。
軽い人だと思われる話し方です。
ばかな人に共通する話し方です。
相手の話を遮り、自分の話ばかりを押し進めようとする人がいます。
あなたにも、心当たり、ありませんか。
「しかし」「でも」「だけど」から始まる否定語を使っていませんか。
「あいつは、ばかだ!」
「ばかだからできない」
「ばかだから仕方ない」
「そうかもしれない」
「そうだと思う」
日本語には、曖昧な表現が数多く登場します。
抽象的な表現をするときに「たとえ」を使って話をすることがあります。
「たとえ話」ということです。
少しでも具体的に想像しやすく相手に伝えるために、ほかの事柄や事象に例えて、話を進めます。
話をするときは、声のトーンも大切なポイントです。
声が低いことにも、メリットがあります。
トーンの低い声は、言葉に重みが加わり、説得力が出やすくなります。
「超」
「絶対に」
「どんなことがあっても」
私の職場には、町田さんという話の要約の達人がいます。
町田さんは、会議の最後で必ず「では、今日話したことをまとめます」と言って、会議を締めくくります。
特に話し合いは、長ければ長いほど忘れやすくなり、印象にも残りません。
話をしようとする冒頭で「ええと」「あのー」という言葉にならない言葉から入る人がいます。
考える時間を設けるための、都合の良い言葉です。
「どういえばいいのかすぐ出てこない。だからとはいえ何も言わないのは気まずい沈黙になるし」
話し上手は、共通して「一つひとつの話が短い」という特徴があります。
「話し上手と言うくらいだから、話が長いはずではないか?」
そう思っているのではないでしょうか。
頭の良い人だと思われるような会話では、とりわけ失敗をしないことが大切です。
会話の中で大きな間違いを知らないうちに口にしてしまうことがあります。
気づいていないのは本人だけだと、周りの人から「こんなことも知らないの」と思われかねません。
「ちょっと手伝ってよ」
「これ、調べてくれないかな」
「お願いがあるんだけど」
メールの返事。
手紙の返事。
お世話になったときの感謝の返事。
自分の主張を話すとき、ただやみくもに話をするのでは説得力がありません。
唐突に主張だけを述べられると、説得力がないばかりか、反感さえ買いかねません。
「理由はないけれど、こっちのほうがいい気はする」
あなたにちょっとテストです。
次のうち、どちらが正しい表現か、わかりますか。
「的を得た話」
「では、何か質問のある方いますか?」
話し合いの最後の質疑応答は、ありふれた光景です。
学校でも、ミーティングの最後に「何か質問ありますか」という言葉は決まり文句になっています。
全否定は、話し合いでは厳禁です。
してはいけないことです。
話し合いで討論になったとき、相手の話をすべて否定すると、こちらの話も否定されるようになります。
声の大きさとは、自信の大きさの表れです。
自信があれば、自然と声も大きくなります。
自信がないときには、自然と声も小さくなります。
私が以前、勤めていた職場に変わった上司がいました。
優しくて、面倒見の良い上司でしたが、ちょっと癖が強かった。
その上司には「要は」という口癖があったのです。
学生時代には、文章をわかりやすくするために5W1Hを習いましたよね。
5W1Hとは、何かをきちんと覚えていますか。
もう一度思い出すために、以下に挙げます。
相手を見下した言い方が口癖になっていませんか。
「俺のほうができる」
「君なんかにできるわけがない」
「自慢話」と「自己アピール」を一緒にしていませんか。
話の内容は、どちらもほとんどが同じです。
どちらも、自分の素晴らしい点をアピールすることです。
敬語は、相手を敬う言葉です。
相手を立てながら、自分の言いたいことを述べることは、なかなか難しいものです。
相手に失礼になってはいけないし、とはいえ自分にも言いたいことがある。
「らしいよ」「だそうです」という言葉は、また聞きのときに出てくる言葉です。
また聞きの言葉は、悪くはないのですが、説得力に欠けてしまいます。
自分が経験したことではなく、人からの言葉を借りて話をしていると、会話が軽くなります。
話の中に、人からの評価を気にしている言葉があると、その人は自分に自信がないように映ります。
「この携帯、どう思う?」
「この映画、面白いと思う?」
差別発言は、常に慎まなければならないことです。
年齢、身長、性別、障害、病気、生まれ、国籍は、自分の力で変えようとしても、変えられることではありません。
生まれ持っている素質であり、特徴です。
知的な話し方のマナーとして「口数を減らす」というポイントは欠かせません。
口数が少ないと、それだけ一言の重みが増して、相手にストレートに伝わります。
いまや日本の名役者の1人である高倉健さんは、口数が少ないことでも有名です。
口数が多ければ多いほど、言葉が軽くなり、人格そのものも軽い存在へと変わってしまいます。
学校の人気者は口数が多いけれど、人気者という評価から見た場合です。
知的な話し方というマナーでは、口数が多すぎることはタブーになります。
興味のある話には、自分から積極的に身を乗り出して聞いてしまいます。
自然と質問したいことも浮かんできたり、会話も弾んだりと、コミュニケーションは難しくありません。
いつの間にか楽しい会話ができてしまいます。
話し方は、人の印象を大きく変えます。
きれいな日本語を使った言葉は、しっかりした印象を受けます。
「どうもありがとうございます」
「いつもお世話になっています」
「今後ともよろしくお願いいたします」
教養と品格がある印象を受け、育ちのよさを感じます。
こうした人には信用されやすく、仕事や人間関係もうまくいきそうです。
その一方で、乱暴でがさつな言葉もあります。
「まじ!」
「っていうか」
「~みたいな」
「知らねえよー」
「まじ、やばい」
聞く人の印象は「軽い人」となり、信用できない人に映るばかりか、知的レベルの低さまでうかがえます。
成績も過去も行いも、見たわけではありません。
しかし、話し方だけで「きっとあまり勉強してこなかった人なんだろうな」「なんだか信用できないな」と感じます。
これほど悪い印象に映ってしまう現実があるのです。
こうした軽い人にうっかり自分の秘密を打ち明けたら、すぐ他人に話してしまいそうです。
当然、自分の悩みを打ち明ける人になるわけでもなく、大切な話をする相手でもありません。
仕事関係も友人関係も、うまくいきそうにありません。
「人間関係に悩んでいます。周りの友人が私をばかにします。まじ、なんとかしたいんだけど」
荒っぽい話し方で、相談をされたことがあります。
「こんな軽い話し方だから侮辱されるんだよ」と即座に思いました。
軽い話し方をしているから、接するほうも軽く見てしまうのです。
軽く考え、軽く接して、大切にされません。
「良い印象を持ってもらいたい!」というなら、話し方は重要です。
人間関係を大切にしたい人も同じです。
話し方1つで、あなたの品位が決まり、人間関係が決まり、印象までが変わってしまいます。
品位のある言葉を身につけましょう。
話し方を磨きましょう。
まず心がけることは「学生言葉」をやめることです。
学生が使うから学生言葉ではありません。
場をわきまえず、世間を知らず、マナーも知らない人が使う言葉のことを「学生言葉」というのです。
あなたが今、学生でも、マナーを知っている人なら、学生言葉を早くに卒業することです。
いずれ社会に出てからは、学生言葉は通用しなくなります。
学生言葉を卒業する時期は、早ければ早いほどいいのです。
語尾を伸ばす話し方は、印象の悪くなる話し方です。
軽い人だと思われる話し方です。
ばかな人に共通する話し方です。
あなたの話し方を1つチェックしましょう。
「語尾が伸びていないか」を、徹底的にチェックです。
「わかんないんだけどー」
「そうなんだー」
「冗談だよねー」
「はあー?」
語尾を伸ばして話をすると、それだけで頭が悪そうに感じます。
だらだらした軽い印象になります。
では、語尾を短くするとどうでしょうか。
短くするだけで、知的な印象が上がります。
先ほどの言葉の語尾を短く切ってみましょう。
「わからないのですが」
「そうなんですか」
「本当ですか」
「はい?」
どうでしょうか。
言葉は同じでも、語尾が伸びているか否かで、これほど受ける印象が大きく変わってしまいます。
不思議なことですが、話し方だけで印象はいかようにも変えることができるのです。
どうせ話をするなら、語尾を短くして、知的な印象を持ってもらうほうが得です。
いくらきれいな日本語を使っていても、語尾が伸びれば台無しです。
きれいな日本語を身につける以前に、語尾を短くするほうが重要な課題です。
きちんとした話し方は、あなたにとってプラスになります。
学生は、みんなが使っているからという理由から、自分もはやりに乗って使おうとします。
「はやりの言葉だから。みんなが使っているから。こんな言葉を使うとかっこいいから」
自分で自分の印象を悪くしているのです。
軽い人に思われているのではなく、軽い人に思ってもらうようなことをしている。
軽い人に思われたら、もっと言葉が軽くなり、さらに人間関係も軽くなります。
付き合っている関係も軽くなり、友人関係も軽くなり、自分の印象も軽くなってしまうのです。
相手の話を遮り、自分の話ばかりを押し進めようとする人がいます。
あなたにも、心当たり、ありませんか。
「しかし」「でも」「だけど」から始まる否定語を使っていませんか。
ちょっと例を挙げてみましょう。
「こうした計画について考えています」
「しかし、お金がかかると思います」
「私、家でペットを飼おうと思うんだけどどう思う?」
「でも、世話は大変だと思うから、やめたほうがいいよ」
「フルーツは体にいいんだよ」
「だけど、フルーツってカロリーがあるでしょ」
「しかし」「でも」「だけど」の後に続く言葉は、必ず否定的な言葉です。
否定語を使う話し方は、反感を抱かれる話し方です。
相手の話を遮り、自分の話だけを押し進めようとする強引な話し方です。
「しかし」「でも」「だけど」と、何でもかんでも相手の話を否定する人は、良い印象を持たれません。
「この人にいっても理解されない」「わかってくれない」ということになり、いずれ誰からも話しかけられなくなります。
こんな人が、人間関係から孤立して、1人きりになってしまうのです。
「しかし」「でも」「だけど」を、使ってはいけないわけではありません。
コミュニケーションの中では、相手に賛同できないこともあるでしょう。
では、否定をしたいときは、どうすればいいのか。
一度受け止める話し方をすればいいのです。
初めからすべてを否定するのではなく、相手の考えを尊重して受け止めてから、自分の話をすれば印象はよくなります。
「たしかにそういうこともあるかもしれないね。でも~」
「それはそうだね。だけど~」
「その考えも一理あるけど~」
「あなたの気持ちもわかるけど~」
このように一度相手の考えを受け止めてから話し始めると、否定語を使っても柔らかい印象に変わります。
いきなり「しかし」「でも」「だけど」と返されると、強く否定された印象を持ってしまいます。
「そうだね」と一度受け止めてから始まる話し方のほうが、まだ印象はよくなります。
一度考えを受け止めて、理解したうえで答えてくれているということがわかるからです。
言葉1つとはいえ、正しい使い方があるのです。
「あいつは、ばかだ!」
「ばかだからできない」
「ばかだから仕方ない」
相手を否定することが、癖になっている人がいます。
「ばか」が口癖の人には、注意が必要です。
ばかという言葉を使う人こそが、ばかだからです。
どんなに学歴が高くても外見が整っていても、相手を否定する言葉を口にする人は、その人こそがばかなのです。
次の過程を見てみましょう。
「相手がばかに見える」
↓
「なぜなら自分は相手を理解できるほど、賢く教養も理解力もないから」
↓
「つまり、本当のばかは私なんです」
自分の知的レベルが低いことになりましたね。
ばかという人がばかであるとは、こういうことです。
相手を否定する人は、同時に自分も否定しています。
本人は「相手を否定するほうが、自分のレベルが高くなる」と思っています。
自分は偉い、と勘違いしています。
たしかに相手を否定する人は、それだけ身分が高いような印象を受けます。
しかし、見る人が見れば、人を否定する人ほど教養がなく、理解力がないことをしっかり見抜きます。
ばかという言葉は、子どもたちが好んで使います。
否定的な言葉を覚えて、刺激的なのでしょう。
相手のことをしっかり理解できるほどの余裕もなければ、それ相応の教養もないからです。
しかし、子どもたちも成長をして大人になり、相手のことが理解できるようになれば、必ず「ばか」という言葉を使わなくなります。
相手のことを理解できる人が、相手を否定するはずがないからです。
大人になっても、いまだにばかという言葉を使う人がいます。
30代だけでなく、40代や50代の人でも、相手を否定する言葉が口癖になっている人がいます。
相手のことを理解できるほど経験を積んでいなくて愚かだから、いまだに「ばかばか」とののしっているのです。
「ばか」を言うような大人にならないように、注意しましょう。
「そうかもしれない」
「そうだと思う」
日本語には、曖昧な表現が数多く登場します。
柔らかい印象こそは受けますが「結局あなたはどう思っているの」とはっきりした考えが伝わってきません。
曖昧な言葉を使っている人は、自分に責任が返ってくるのが嫌だから、言い方をごまかしています。
「かもしれない」「だと思う」は、柔らかい表現ですが、心に響きません。
濁した言葉ばかりを使っていると、頼りなく映ります。
誰でも告白のときに「あなたのことが好きかもしれない」と言われれば、不安になります。
しっかり相手に思いが伝わりません。
「なぜはっきり好きって言えないの? 本当に好きなら、好きって言い切ってよ!」
誰もが、そう思いますね。
そうなのです。
本当に気持ちがあるなら、自然と言い切る言葉が出るはずなのです。
言い切る言葉が出なくて「かもしれない」と表現を濁していることは、何か気になっていることがあるということ。
相手に失礼です。
中途半端な表現は、自分のためになりません。
私もHAPPY LIFESTYLEで言葉を述べるときにはこうした点に注意して話をするようにしています。
はっきり言葉一つひとつを言い切るようにしています。
そうしなければ、はっきり読者に伝わらないからです。
「かもしれない」「だと思う」という表現は、たしかに言いやすい言葉です。
私も使おうと思えば、いくらでも使えます。
しかし、言葉を伝える作家として、逃げた表現を使うことは、同時に責任逃避となります。
何かあったときに少しでも可能性を残した表現は、逃げやすいですが、相手に伝わりにくくなります。
メッセージ性が低くなります。
私は本当に伝えたいことは、言い切る形で伝えたい。
読者の方から「言いすぎだ!」とクレームをいただくこともあります。
一方で「その言葉を聞きたかった!」と感謝の言葉をいただくこともあります。
私は「その言葉を聞きたかった」という、ほんのわずか数%の人のために、言い切りたいのです。
リスクを背負って、言葉を発信しています。
細木和子さんは、言い切る人です。
なぜ細木さんが、あれほど人気が出ているのかというと、言い切っているからです。
占いが当たるから人気が出たのではありません。
とげのある言葉をはっきり言い切るから、人気が出ています。
「あんたのそこがいけないのよ!」
誰もが心の中で思っても口にしないことを、細木さんは曖昧な言葉は使わず、はっきり言います。
だからほかの人も注目します。
細木さんが、ほかの人たちと違うところは、100%言い切るスタイルです。
言葉にはとげがありますが、一方で、ためになる言葉です。
本当は誰もが聞きたいが、誰も言ってくれない言葉。
責任が重いから怖くて、誰も言えないのです。
言葉を言い切る表現とは、それほどリスクがありますが、人の心に残り、ためになる言葉になるのです。
人生を変える力があるのです。
抽象的な表現をするときに「たとえ」を使って話をすることがあります。
「たとえ話」ということです。
少しでも具体的に想像しやすく相手に伝えるために、ほかの事柄や事象に例えて、話を進めます。
「子どもの成長には、さまざまな出会いが大切だ」と言われても「わかっているけど、ぴんとこないな」と思いますね。
抽象的な表現は、相手にとってもイメージを浮かべにくい。
そんなときには、例えを使いましょう。
「子どもの成長は、花の成長と同じだ」という、例えを使って話をすると、急に説得力が生まれます。
「花は水や日光などさまざまな出会いがあって、大きく育つ。子どもの成長もさまざまな友人、恩師との出会いによって大きくなる」
このように言われると「なるほど」と深く理解ができ、イメージも浮かべやすくなります。
言葉に説得力が生まれ「なかなか賢いことを言う人だな」と思われるようになります。
知的な人だと思われるために「たとえ話」を使って話しましょう。
たとえ話は、自分のためだけでなく、相手の理解促進のためにもなる話なのです。
話をするときは、声のトーンも大切なポイントです。
声が低いことにも、メリットがあります。
トーンの低い声は、言葉に重みが加わり、説得力が出やすくなります。
また落ち着いた印象も与え、言葉を聞きやすくなる特徴もあります。
ニュースキャスターがニュースを読み上げるとき、いつもより声のトーンを下げて話をしているのも同じ理由です。
トーンを下げることで言葉に重みがついて、大切なことを真面目に話している印象に変わります。
あなたが普段高い声で話しているなら、大事な場面では声のトーンを下げて話をしてみましょう。
もちろん大げさにトーンを下げるのではなく、わずかに下げる程度で十分です。
説得力のある響きに聞こえ、相手を魅了しやすくなるでしょう。
「超」
「絶対に」
「どんなことがあっても」
「死にそうなくらい」
「命を懸けても」
オーバーな表現があります。
オーバーな表現を使う人は、自分の言葉に説得力をつけたいと思って口にして言います。
こういう言葉を口にする人は「これだけ強い言葉を使っているのだから、相手に伝わっているだろう」と思っています。
しかし、オーバーな表現を使うほど、効力は失われます。
むしろ軽い言葉になるため、要注意です。
オーバーな表現は、本当に大事な場面だけに使い、普段は口にしないほうがいいのです。
スーパーの大安売りの広告では「世界一の安さに挑戦!」「激安!」という大げさな表現を使った宣伝をときどき目にします。
大げさな宣伝で紹介されている商品は、どれも安っぽく見えます。
「安さしか魅力がないの?」
「よほどの売れ残りなのかな?」
「誰も買ってくれないから安くしているんでしょ」
思いつくことは悪いことばかりです。
人の言葉にも同じようなことが言えるのです。
普段から「超」「絶対に」と言っていると、この人は大げさに言う傾向があると思われ、誰も真剣に話を聞いてくれなくなります。
軽い人に思われ、話も冗談として片付けられてしまいがちです。
物事を真剣に考えて、熟慮を重ねたうえで、口にしているわけではないと思われるようになります。
話を真剣に聞いてくれない人が悪いのではなく、話をオーバーに表現しているから、誰も真剣に聞いてくれなくなったのです。
大げさな表現は、一時的な効果はあっても、長期に見れば、価値を下げる表現です。
オーバーな表現を多用するのは、簡単ですが、一方で幼稚なのです。
私の職場には、町田さんという話の要約の達人がいます。
町田さんは、会議の最後で必ず「では、今日話したことをまとめます」と言って、会議を締めくくります。
特に話し合いは、長ければ長いほど忘れやすくなり、印象にも残りません。
たまるのは、疲ればかり。
疲れがたまると、さらに話が耳に入らなくなります。
話し合いが長いほど、理解しにくくなります。
そんなとき、町田さんは最後にまとめとして「では今日話し合ったことをまとめます」と言って、きちんと整理して話をするのです。
「今日はこういうことを話し合いました。こんなことが決まりましたよ」と最後に話をまとめてくれる人がいると、賢く映ります。
まとめ役がいると、助かります。
「今こういうことを話し合って、これが決まったんだな」と再認識でき、大勢の人の認識を1つにする効果も持ちます。
要約は、かなりの集中力がないとできません。
中途半端に聞いていたり、理解が乏しかったりすると、うまくまとめられません。
長い話の中から大切なことだけを抜き出して、まとめることができる人は知的な人でなければできませんし、知的な印象も受けます。
きちんと話を聞いて、理解しなければ、要約はできないことなのです。
要約ができる人は、きちんと話を聞いて、理解しているということです。
あなたが話をして、しっかりそれが理解できたかどうかを確かめるときには、要約してみましょう。
友人の話を要約できますか。
自分の言いたいことを、一言でまとめられますか。
会議で話し合った内容を要約できますか。
きちんと要約できるということは、しっかり話を聞いて、理解できたということです。
要約ができないということは、話を中途半端にしか聞いていない証拠なのです。
話をしようとする冒頭で「ええと」「あのー」という言葉にならない言葉から入る人がいます。
考える時間を設けるための、都合の良い言葉です。
「どういえばいいのかすぐ出てこない。だからとはいえ何も言わないのは気まずい沈黙になるし」
というときに、話のつなぎに「ええと」「あのー」と言い、時間をつぶします。
しかし、口癖にするくらいなら、やめたほうが良い言葉です。
聞く人から見れば「話す内容がまとまっていないのかな」「話に自信がないのかな」と心配になってくるからです。
聞くからに、自信がないようです。
私は以前、アパートの契約のときに仲介屋さんが「ええと」「あのー」という言葉を多用するので、不安になったことがあります。
「この人に契約の話を任せて大丈夫かな」「なんだかうっかりミスをしそうな人だな」と不安になってしまいました。
途中で契約を取りやめようかと思ったくらいです。
口にしている人には、当たり前のように口癖になっているようでした。
とりわけ気に留めていないようです。
しかし、聞く人には、不安になります。
「ええと」「あのー」を多用していると、信頼関係が失われ、相手を不安にさせます。
仲良くなったり安心させたりすることはありません。
口癖になっている人には、やめることは難しいと思いますが、なくても問題ない言葉ですからやめたほうがいいのです。
あるより、ないほうが、円滑なコミュニケーションができます。
話し上手は、共通して「一つひとつの話が短い」という特徴があります。
「話し上手と言うくらいだから、話が長いはずではないか?」
そう思っているのではないでしょうか。
しかし、現実では、逆なのです。
本当の話し上手は、必ず短いことが特徴です。
だらだらせず、1つの会話が短く、歯切れよく話が進みます。
日本のお笑い芸人として有名な明石家さんまさんは、会話の達人です。
さんまさんの話は、1回が短い。
いつまでも自分の話ばかりせず、切りのいいところで会話を切って、相手にふります。
全体としてコミュニケーションの時間は長くても、不思議とだらだらした雰囲気は流れません。
1つの会話が短いからです。
話が短いということは、それだけで聞きやすく、理解しやすく、そのうえ疲れさせません。
同時に会話のテンポもよくなります。
話し上手は、話を長く続けられる人と思われがちです。
たくさん話をして、長く話せる人という認識が強い。
結婚式の仲人も、言葉が長いと会場の雰囲気が悪くなります。
聞く人はみな「早く終わってくれよ」と思っています。
話している仲人は「たくさん話しているんだから、いい話だと思うに違いない。話がうまいと思うに違いない」と勘違いしています。
本当の話し上手は、必ず話が短いのです。
話がうまくなるために、とりわけ上手な会話の練習をしなくても「まず1回の会話を短くしよう」と心がけましょう。
そうするだけで、不思議と会話のセンスが上がります。
頭の良い人だと思われるような会話では、とりわけ失敗をしないことが大切です。
会話の中で大きな間違いを知らないうちに口にしてしまうことがあります。
気づいていないのは本人だけだと、周りの人から「こんなことも知らないの」と思われかねません。
とはいえ人間ですから、知らない言葉や表現もあります。
そのための対策として「自分から進んで、知らない言葉は使わない」ということを意識しましょう。
使い方のわからない言葉や表現は、無難に使うことを避けたほうがいいのです。
「閑話休題」という言葉があります。
「ところで」「それはさておいて」という言葉です。
知っている人は知っている言葉ですが、知らない人は知らない言葉です。
この言葉を聞いたことはあるけれど、どのような意味か、どういう使い方をするのか、自信がなければ使うのを避けたほうがいい。
かっこつけて、難しい言葉やかっこいい表現を使おうとすると、使い方を間違えてしまい、恥ずかしい姿をさらしてしまいます。
そういえば、今使った「恥ずかしい姿」も、難しい言葉では「痴態」と言います。
「痴態をさらす」とよく言います。
私には聞き慣れた言葉ですが、小学生や中学生には「なんだろう?」と思ってしまうでしょう。
難しい言葉は、相手のためにも使わないほうが無難なのです。
自分は知っていても、相手が知らないために、意味が伝わらないこともあります。
私はよく、自分の言いたいことを簡単な言葉に言い換えて表現しています。
知らない言葉を使わないことは、自分のためだけでなく、相手のためにもなるポイントなのです。
「ちょっと手伝ってよ」
「これ、調べてくれないかな」
「お願いがあるんだけど」
相手からのせっかくの誘いは、なかなか断れないものです。
特にお願いは、せっかく話しかけてもらっていることもあり、断りにくい。
優しい人は、つい「イエス」と答えます。
何でもOKを出す人は、たしかに優しい人に見えます。
しかし、何でもかんでも「イエス」とばかり答えてしまう人は、本当に優しい人ではありません。
優しいから「イエス」と言っているのではなく、実は断れなくて「ノー」が言えないだけです。
「優しい人」ではなく「断れない人」というほうが正しい。
「あの人にお願いすれば、何でもOKしてくれる」と、甘く見られます。
イエスと言う本人は、何でも仕事を引き受けて、すごい人優しい人と思われるに違いないと、胸を膨らませています。
しかし「イエス」ばかりを答える人が行き着くところは、最終的に「利用される人」になってしまうのです。
頼りがいのある人どころではないのです。
本当に頼りがいのある知的な人は、難しいと思ったことは「ノー」ときっぱり断ります。
何でも受け入れる人より、ときどき断る人のほうが「強い信念を持っている人」として、プラスに映ります。
断ることでプラスに働くとは不思議な話ですね。
イエスとノーを両方使える人のほうが、頼りがいがあり、知的に映るのです。
メールの返事。
手紙の返事。
お世話になったときの感謝の返事。
返事が速いだけで、不思議と相手の印象がアップしてしまいます。
人間は単純なものですね。
メールを出してすぐ返事が返ってくると「すごい!」と思います。
片思いしている人にメールを出してすぐ返事が返ってくると「私のこと、好きなのかな」と考えます。
「私のことが好きだから返事が速いのかな」と、思わぬ想像も膨らませてしまいます。
返事が速い人は、頭がいい人のようにも感じます。
返事が速い様子は、頭の回転も速い印象を受けるからです。
相手からの返事が速いと、それだけ仲良くなるのも速くなります。
こちらもすぐ返事を出せば、仲良くなるのもあっという間です。
返事の速さは、ビジネスの世界でも重要です。
出したメールがすぐ返ってくると「この会社は信頼できる」と思います。
メールの返事が遅かったり、あるいは返ってこなかったりすると「この会社の管理体制は大丈夫かな」と不安になります。
すぐ返事ができることは、友人関係のみならず、ビジネスでも重要なのです。
自分の主張を話すとき、ただやみくもに話をするのでは説得力がありません。
唐突に主張だけを述べられると、説得力がないばかりか、反感さえ買いかねません。
「理由はないけれど、こっちのほうがいい気はする」
「なんとなく、こう思う」
理由なしの会話もいいのですが、それとなく感情に振り回されている印象を受けます。
理由なしの会話は、そのときの感情に踊らされて話をしていると思われかねません。
「本屋に行きたい」と、一言ぽつんと言われると「面倒だなあ」と思います。
しかし「見たい本があるから本屋に行きたい!」と言われると「じゃあ行こうか」と思います。
告白のときにも同じです。
理由もなく「好きです!」と言うと「そんな突然言われても……」と相手を驚かせてしまいます。
しかし「かっこいいから好き! 付き合って!」と言うと「そう言われると断りにくいな。まあいいか」とOKしてしまいます。
自分が述べる主張には「理由」をつけると、説得力が高まります。
自分の主張を通すためには、理由はつけたほうがいい。
理由をつけて話をすると、急に説得力のある会話に変わります。
私はいつも話をするときに「~だからです」という理由をつけて話をするようにしています。
自分が主張をするからには、何か決定的な理由があることは当然です。
また会話の説得力を高めるためにも必要なポイントだからです。
理由をつけるから会話に芯が通り、知的な内容へと変わります。
説得力のある会話にするために「主張」と「理由」はセットにして話をするようにしているのです。
あなたにちょっとテストです。
次のうち、どちらが正しい表現か、わかりますか。
「的を得た話」
「的を射た話」
「とりつく暇もない」
「とりつく島もない」
答えは「的を射た話」と「とりつく島もない」が正解です。
特に「とりつく暇もない」と間違えて覚えてしまっている人は、多いようです。
簡単なようで、難しいテストですね。
こうした表現は、日常でもよく登場するありふれた表現です。
新聞や雑誌だけでなく、普段の会話でも当たり前のようによく使います。
登場回数が多いだけに、こんな基本的なところで間違っていると「この人、こんな単純なところで間違っている」と、笑われます。
基本的な日本語や表現がなっていない人の話は、急に説得力がなくなり、話す内容が信用できなくなります。
いくら正しい話をしていても、話している日本語が間違っていては台無しですね。
正しい日本語を使って、初めて正しい会話ができるようになるのです。
「では、何か質問のある方いますか?」
話し合いの最後の質疑応答は、ありふれた光景です。
学校でも、ミーティングの最後に「何か質問ありますか」という言葉は決まり文句になっています。
こんなときに協調性を大切にする日本人は、つい、控えめになります。
本当はちょっと気になっていることがあっても、恥ずかしいという理由から、なかなか手を挙げられません。
協調性を乱したくないからです。
その一方で「はい」と堂々と手を挙げて質問する人もいます。
手を挙げて質問する人は、不思議と頭がよさそうに見えるものです。
質問をするくらいだから、話の内容を深く理解し、疑問が湧いているということが感じられます。
ぼうっと話を聞いている人は、深く考えていませんから、疑問が湧いてくることすらありません。
疑問が湧いて質問をする人は、それだけ話し合いに参加できている証拠であり、深く理解している証拠にもなるのです。
質問は、しないより、したほうがいい。
自分の知的さや頭がいいと思われるためには、質問はしたほうが得なのです。
全否定は、話し合いでは厳禁です。
してはいけないことです。
話し合いで討論になったとき、相手の話をすべて否定すると、こちらの話も否定されるようになります。
相手に反感を抱かれると、嫌いな人からの話は、すべてが悪く聞こえるようになります。
テレビの討論会では、知的な討論者が自分の主張を言い争います。
誰もが自分の主張に自信を持っていますから、白熱した議論になりがちです。
自分の主張に自信を持つのはいいですが、ただ相手の話を全否定して、自分の話ばかりを主張する人の話は、誰も聞いてくれません。
そんな討論会では、ときおり、上手に自分の主張を通す人を見かけ、感心することがあります。
相手の話を、一部肯定する人です。
話をすべて否定せず「あなたの話は、たしかに~では正しいと思うが」という「一部肯定」を加えて話を進めようとする人です。
こうした言い方は「私もあなたの意見に一部は賛成していますよ」というニュアンスが感じられます。
「全否定」では鋭いとげがありますが「一部肯定」なら、相手の主張を一度受け止めています。
一部肯定をしてから、自分の主張を話し始める人は、聞いてもらいやすくなります。
また相手の話を受け止められる器量がある、理解力があるというアピールをするうえでも重要です。
相手の話を一部肯定するほうが、知的に映ります。
何でもダメだと否定する人は、理解するだけの器がないと判断されかねません。
一部肯定は、相手に有利になってしまいそうですが、実はこちらのほうが有利に立てる反論の仕方なのです。
声の大きさとは、自信の大きさの表れです。
自信があれば、自然と声も大きくなります。
自信がないときには、自然と声も小さくなります。
声の大きさによって、相手に与える心理的影響は、大きいものです。
言葉では、情報をそのまま伝えることができます。
では、一方で、精神的な部分はどうやって伝えるのかというと「声の大きさ」です。
精神的な部分、とりわけ「自信」という面に関しては、声の大小によって相手へ伝えることができます。
声が小さいと、それだけ「自信がないのかな」と感じます。
相手の心が見えるわけではありませんが、声が小さいと、相手の心が見えてくるようです。
「(小さな声で)ちょっと聞いてもらいたいことがあるんだけど……」
ひそひそした声で話しかけられると、深刻な悩みがあるのかと思います。
大きな声では言えない理由があるのだろうなと思ってしまうからです。
一方、堂々とはきはき話す人には、大きな自信が感じられます。
「(大きな声で)私は自分の政治に自信があります!」
政治家たちの演説は、常に大きな声です。
聞く人たちの心理を操作したいからです。
大きな声で堂々と話していると「この人は自分に自信があるな。この人なら日本を変えてくれるかもしれない」と期待します。
大きな声で話すと、周りに聞こえます。
遠くの人にまで聞こえます。
それだけ大きな声で話すということは、自分の言っていることに嘘はなく、自信があるからということになります。
堂々と話す姿によって、相手に自信の大きさをアピールできるのです。
私が以前、勤めていた職場に変わった上司がいました。
優しくて、面倒見の良い上司でしたが、ちょっと癖が強かった。
その上司には「要は」という口癖があったのです。
この言葉は通常、話をまとめるときに使う言葉です。
言いたいことを一言で表現するときに「要は」という言葉を使います。
しかし、その上司は、何度も繰り返し、口にします。
しかも「要は」と言っているにもかかわらず、話はまとまっていません。
「要はここをこうすればよくて、つまりだな、要は、まとまらないときには仲間に手伝ってもらう方法でもいいし、実際にやってみると、要はなかなかうまくまとまらないことがすぐわかるんだ。要は、君の力だけではうまくやっていくことはできないし、職場のチームワークでは要は協力が大切ということ。要は……(話はまだ続く)」
私はいつも、笑いをこらえるのに必死だった。
「要は」と何度も言っていても、話の要点は曖昧です。
本人は、それに気づいていない様子です。
上司ですから、なかなか言い返せません。
わからないから質問したにもかかわらず、いつまでもまとまらない話を聞いて、余計に混乱する私がいました。
言いたいことを懸命に伝えているようでしたが「要は」と言ってまとめようとすればするほど、話がこじれていました。
どうやら、こうしたタイプの人は「話をまとめようとするためには『要は』と何度も言えばいいのだ」と思っているようです。
「要は」を会話の中に入れれば、大切な部分が強調され、相手にわかりやすくなると思っています。
話は長く、いつまでもまとまらないのです。
あなたは、話をまとめたいとき、どうしていますか。
「要は」「つまり」「だから」を何度も口にしていませんか。
本当にわかりやすくまとまっている話というのは、常に「一言」です。
日本の野球界では有名な長嶋茂雄さんの説明は、いつも一言です。
「どうすればホームランを打てますか」と質問をすれば「ここをね、こう握って、パーンと振ればいいんですよ」と一言です。
「たったそれだけ?」と驚いてしまいます。
説明ができないから、一言なのではありません。
完全に体に染み付いているから、一言で表現できるのです。
本当に理解している人は、言葉を短くできます。
「要約」は、常に短い文章です。
要約ができる人は、長い文章全体を完全に理解していないとできないことです。
完全に理解できれば、大切なところだけ抜き出せます。
学生時代には、文章をわかりやすくするために5W1Hを習いましたよね。
5W1Hとは、何かをきちんと覚えていますか。
もう一度思い出すために、以下に挙げます。
これらは、わかりやすい文章を書くときには必要となる5大要素です。
5大要素がはっきりしている文章は、読みやすく理解しやすい。
しかし、文章だけではありません。
普段の会話でも、この5大要素はなくてはならないポイントです。
ときどき5W1Hが抜け落ちた話をする人がいます。
「俺だけど。そういえば、あれはどうなった?」
こんな一言からいきなり話しかけてくる人がいて驚きます。
オレオレ詐欺と間違えてしまいそうです。
俺と言われても、誰かわかりません。
「あれはどうなった」と言われても、何でしょうか。
口にする本人は十分にわかっていることでも、聞く人にはわからないことが多い。
場合によっては、誤解を招く恐れさえあります。
5W1Hを省略した会話は、危険です。
こういう話し方をするから、すれ違いが生じたり、誤解を招いたり、つまらないことで揉めることになるのです。
こういうことをいう人に限って「あのとき、言っただろ!」と偉そうなことを言い始めます。
5W1Hを省略したから、相互に認識のずれが生じてしまうのです。
言葉は省略しないことです。
伝えるのが面倒だと思うときほど、省略をしない話し方にすればいい。
たしかに少し時間はかかることでしょう。
しかし、結果として相手にしっかり伝わるため、長期で見て時間節約になるのです。
相手を見下した言い方が口癖になっていませんか。
「俺のほうができる」
「君なんかにできるわけがない」
「そんなこともできないの」
相手を見下した言い方が口癖になっている人は、コミュニケーションの下手な人です。
本当にコミュニケーションを円滑に進めたければ、見下した言い方はタブー中のタブーです。
見下した言い方をされると、誰でも気分が悪くなります。
もう話もしたくなくなります。
気持ちがふさいでしまいます。
特に男性は自分の威厳や権力を示そうとして、女性に対して見下した言い方をする人が多く見受けられます。
かっこつけようとする言葉は、往々にして偉そうな言葉です。
見下した言い方や乱暴な言葉遣いをする男性は、女性同士の話で笑いのネタにされています。
見下した言い方をする人が、見下されることになる。
言葉は目には見えませんが、相手に与える心理的影響は大きい。
言葉は道具ですから、使い方しだいで価値も変わります。
言葉で人を癒やして助けることもできますが、刃物として人を傷つけてしまうこともある。
言葉の扱い方がうまくなっていないと、人間関係の扱いもうまくならないのです。
「自慢話」と「自己アピール」を一緒にしていませんか。
話の内容は、どちらもほとんどが同じです。
どちらも、自分の素晴らしい点をアピールすることです。
しかし、似ているような両者ですが、受ける印象はまったく異なります。
自慢話は、横柄に聞こえます。
自己アピールは、爽やかに聞こえます。
自慢話をする人は嫌われ、自己アピールをする人は尊敬されます。
自慢話と自己アピールの違いは、どこから生まれるのでしょうか。
この違いです。
面接で自分のことをアピールしようと、過去の栄光や所持している資格、功績などを自ら口にすることがあります。
面接では、自分の話は自慢話にはなりません。
面接官から「あなたのことについて教えてください」と聞かれるからです。
聞かれているから、堂々と自分のできることや取得している資格などを話してもかまいません。
どれだけ話しても自慢話にはなりません。
きちんとした自己アピールになります。
一方、自分の学歴を突然話す人がいます。
これは自己アピールではなく、自慢話になります。
聞かれていないからです。
聞かれてもいないのに「俺はこれができる、こんな資格を持っている、こんなにすごい」と話してしまうと、自慢話に聞こえます。
話す内容は同じでも、聞いてから話をするのか、聞いてもいないのに話をするのかの違いによって、印象はまったく変わるのです。
自分の話は、聞かれてから話をすることです。
聞かれてもいないのに話をすると、自己アピールではなく、すべて自慢話になってしまうのです。
「聞いてもいないのに話をする」「聞いたから話をする」この違いをしっかり心に留めておきましょう。
自分のことを誇示したがる人は、特に気をつけましょう。
自分の話は、聞かれてからすればいいのです。
敬語は、相手を敬う言葉です。
相手を立てながら、自分の言いたいことを述べることは、なかなか難しいものです。
相手に失礼になってはいけないし、とはいえ自分にも言いたいことがある。
敬語は、難しい。
そんな難しい敬語を自然と口にできる人は、知的に見えてきます。
「ご覧になってください」という敬語も、普通の言葉に直せば「見てください」という命令口調になります。
命令をするともちろん相手に失礼になり、気分を悪くさせることになるでしょう。
命令のニュアンスを含めながら、相手に失礼にならない表現をどう言えばいいのか。
考えただけでも難しいですね。
そのために、敬語が存在しているのです。
「こちらにお越しください」
「お電話、お待ちしております」
「お忙しいところ、恐れ入ります」
「どうぞ召し上がってください」
どの表現も相手に「こうしてください」という命令でありながら、不思議と失礼な印象は受けません。
これが、敬語の素晴らしい点です。
年上の人とのコミュニケーションを円滑に進めるために、敬語はなくてはならない言葉です。
敬語を使える人は、もちろん知的に見えますし、頭も良さそうに見えます。
「敬語がなくても生きていける」と言う人がいます。
しかし、敬語があったほうがすてきに生きていけるのです。
年上の人とうまく会話ができるようになりますから、交友関係の幅が広がります。
言いたいこともうまく表現できるようになるからです。
敬語を侮辱する人は、人付き合いも同世代の固まった人たちばかりで、バリエーションがありません。
交友関係の幅を広げたければ、敬語をきちんと勉強すればいいのです。
敬語が話せるようになると、自然と交友関係が広がります。
たくさんの人たちと仲良く付き合っていくために、いま一度敬語の練習をしましょう。
「らしいよ」「だそうです」という言葉は、また聞きのときに出てくる言葉です。
また聞きの言葉は、悪くはないのですが、説得力に欠けてしまいます。
自分が経験したことではなく、人からの言葉を借りて話をしていると、会話が軽くなります。
「他人の話はいいから、あなたの話を聞かせてよ」と思います。
話をするくらいですから、話をしている本人の体験談がいちばん強いアピールになります。
海外旅行へ行くときのアドバイスは、経験者からの話がいちばん参考になります。
それでいて、心に残るものです。
経験している人は、本だけでは得られない具体的な情報を持っているからです。
生の海外旅行では、本の情報より、経験者の体験談を聞くほうがよほど参考になります。
私は仕事をやりながら、HAPPY LIFESTYLEをつくっています。
その理由は、自分の体験量を少しでも増やすためです。
「~らしい」「だそうです」という言葉は極力減らし、自分が実際に受けた経験を元に書きたいのです。
いちばん説得力があり、熱くて具体的で面白く、そのうえ書きやすい内容になります。
会話の中にも自分の体験談を含めて話をすると、聞く人の態度が変わります。
話を面白くするためには、体験談を含めればいいのです。
実際に自分が経験した体験談を話の中に盛り込むと、急に会話が活性化されます。
話が面白くなり、人から真剣に聞いてもらえるようになるのです。
話の中に、人からの評価を気にしている言葉があると、その人は自分に自信がないように映ります。
「この携帯、どう思う?」
「この映画、面白いと思う?」
「私を見て、おかしくない?」
「大丈夫かな?」
人からの評価ばかりを気にする言葉が多いと「この人こそ、大丈夫かな」と心配になります。
第三者からの評価を気にするのは、自分を中心に生きている人ではありません。
はやりに流され、他人からの評価を中心に生きている人です。
本当に自分が中心になって生きている人は、自分がどう思うかをいちばん大切にします。
他人の評価より、自分の評価を第一に考えるのです。
「この映画、面白そうだから見たい」
「この携帯、かわいいからほしい」
「これで大丈夫!」
自分の価値観を中心に生きると、自分らしい人生が歩めるようになります。
人がどう思うかより、あなたがどう思うかを大切にしましょう。
あなたの会話に「~は、どう思う?」という言葉を排除しましょう。
代わりに「私はこれが欲しい」という自分の評価を第一にしている言葉を含めるようにしましょう。
会話の中に、自分の感じた言葉が含まれていると「この人は、自分の人生を歩んでいるな」と思うのです。
差別発言は、常に慎まなければならないことです。
年齢、身長、性別、障害、病気、生まれ、国籍は、自分の力で変えようとしても、変えられることではありません。
生まれ持っている素質であり、特徴です。
あとから変えようと思っても、変えられることではありません。
しかし、ときどき、相手の弱みに付け込み、話を有利に進めようとする人がいます。
「年下のくせに」
「ちびのくせに」
「女のくせに」
こうしたことを言う人は、嫌われます。
必ず知的レベルが低い。
なぜ知的レベルが低いのかというと、頭が悪いからこうした言い返ししか思い浮かばないのです。
相手も言い返しようがありません。
つまらないけんかに発展してしまいがちです。
解決策はたくさんあります。
しかし、教養や知恵がないために、お互いにとってプラスとなるような解決策を見い出せません。
また努力もせず、相手にとってどうしようもない欠点に付け込むことでしか攻撃できないのです。
差別発言を口にする人の姿は、常に愚者として映ります。
差別による発言は、してはならない会話のマナーなのです。
知的な話し方のマナーとして「口数を減らす」というポイントは欠かせません。
口数が少ないと、それだけ一言の重みが増して、相手にストレートに伝わります。
いまや日本の名役者の1人である高倉健さんは、口数が少ないことでも有名です。
高倉さんは、普段からなかなか自分から話そうとしません。
テレビに出てマイクを向けられても、必要最低限の言葉しか話しません。
しかし、口数が少ないだけに、耳を傾ける私たちはその一言に集中ができます。
じっくり考えたうえで口にしている言葉だということが感じられ、こちらも真剣に聞こうとします。
だらだらした説教のような長話より、シンプルで短い言葉のほうが、心にすっと入ってきます。
かっこよく響きます。
日本のことわざや世界の格言は、常に「一言」です。
一言のほうが、人の記憶に残り、忘れにくく、心に響くからです。
無駄な言葉をそぎとった格言のように、口数も無駄を減らせば、相手の心に響くようになります。
賢者は多く語りません。
仏像は、一言も話しません。
ですが、仏像と向かい合って手を合わせていると、さまざまな声が聞こえてくるような気がします。
相手に伝えたいことがあるなら、言葉の数を減らすことなのです。
口数が多ければ多いほど、言葉が軽くなり、人格そのものも軽い存在へと変わってしまいます。
学校の人気者は口数が多いけれど、人気者という評価から見た場合です。
知的な話し方というマナーでは、口数が多すぎることはタブーになります。
お笑い芸人が軽く見られるのは、口数が多いからです。
たくさん話しているから、言葉一言の重みが軽くなります。
新人のお笑い芸人は、少しでも長くテレビに映りたいため、カメラが向けられたときには勢いよく話します。
息をつく暇もないほど、次々に話をしてしまいます。
相手に自分のことをたくさん知ってもらおうと、一度にたくさんのことを早口で話します。
自己アピールだと思っているのです。
聞いている側がうんざりしていることに、気づいていません。
聞く側は、一度にたくさん聞くことはできない。
早口なら、なおさら記憶に残りにくくなります。
口数が多くなると、言葉が軽くなるだけでなく、人間性までも軽く見られるのです。
本当に伝えたいメッセージがあるときは、言葉を短くすればいいのです。
たくさん伝えたいからたくさんの言葉を並べるのではなく、一言に言葉をカットするほうが、相手に伝わりやすくなるのです。
興味のある話には、自分から積極的に身を乗り出して聞いてしまいます。
自然と質問したいことも浮かんできたり、会話も弾んだりと、コミュニケーションは難しくありません。
いつの間にか楽しい会話ができてしまいます。
難しいのは、興味のない話が出てきたときです。
興味のない話は、聞いても「はあ、そうですか」という、つまらない返事しかできません。
別にわざと冷たい返事をしているわけではないのですが、興味がない話題のため、気の利いた返事すら浮かんできません。
質問したい気持ちはあっても、興味がない話題は、質問すら浮かんできません。
興味のない話だからとはいえ、相手の話を遮るわけにもいきません。
こうしたときにはどうすればいいのでしょうか。
教養として聞くように心がければいいのです。
興味がなければ、せめて教養として身につけようという意識を改めましょう。
意識を変えることで、態度を変えることができます。
興味がないと思って聞いていると、だらだらした態度になりますが、教養として聞くなら前向きに話を聞けるようになります。
「自分の知識の一部にしよう」
「生活に生かせる要素はないかな」
「何かの参考になるかもしれないな」
教養として意識すると、自然と相手の話を聞けるようになります。
態度を改めるためには、意識を改めることです。
意識が変われば、自然とコミュニケーションの態度も変わります。