私は思春期のころ、両親との会話が少なくなった時期がありました。
水口貴博は昔から両親と仲がいいと思っている読者がいるかもしれませんが、そうではありません。
関係がよくない時期がありました。
多くの人から愛される小さな言葉の習慣は、まず「ありがとうございます」という一言です。
これに勝る素晴らしく温かい言葉はありません。
だからこそ、強調しておきたい内容です。
うまく言葉に表現できないメッセージがあります。
失恋したときの複雑な心情。
受験勉強のプレッシャー。
「資料作成を手伝ってください!」
いきなり友人が、用件をあなたに言います。
いきなり「資料作成を手伝ってください!」と強い口調で言われると、少し構えます。
言いにくい言葉を伝えるときには、言いにくいからこそ後回しにしようとしてしまいがちです。
謝罪の言葉はその代表です。
自分の仕方ない状況を相手に理解してもらい、情状酌量してもらいたい気持ちが強いため、言い訳から始めてしまいがちです。
話しかけられたらすぐ返事をする人は、人から愛される人です。
反応がいいと話しかけやすくなり、話しかけたくなります。
電話で「もしもし」と言った後、すぐ「はい」と返ってくると、後の言葉も言いやすくなります。
新鮮な会話は、昔の話より、最近に起こった出来事です。
1年前に失恋した話も面白いですが、昨日失恋したばかりの話のほうが、なぜか断然興味をそそられます。
最近の話であるほど、面白い。
誰にでも興味を抱いていることが1つはあります。
関心を抱いていることがあるはずです。
しかし、何に興味・関心を抱いているかは、人それぞれ千差万別です。
困っている人を見つけたとき「手伝いましょうか」と言うのは、ありきたりな表現です。
もちろん嬉しいです。
感謝します。
「あなたは変ですね」
そう言われて、急に落ち込む人がいます。
自分はほかの人とずれている部分があるのだとわかると、仲間外れにされたような気分になります。
「料理中に包丁で手を切ったことがあります」と友人が告白しました。
ふと、自分にも同じ経験があることを思い出しました。
そのとき「自分も経験がある」と言おうかどうしようかと、迷う瞬間があります。
私は先日、銭湯で叱られました。
湯船に浸かっているとき、湯の気持ちよさにかまけて、湯船に顔をうずめていました。
すると、ちょうどそれを見ていた銭湯の番台さんが、すごい勢いで私のところにやってきて「こら!」と言いました。
先日、朝の仕事中のことです。
職場の先輩から「今日はなんだか嬉しそうだね」と話しかけられました。
私は驚きました。
「一度も失敗したことがありません」
ときどき、仕事や恋愛など、自分には失敗経験が一度もない人がいます。
大勢の人が、そういう発言ができるような人間を目指そうとします。
レストランでコーヒーを注文するときに「これでいいです」と注文するお客さんがいます。
私は聞いていてもどかしい気持ちになります。
「これでいいです」は「本当は別のものがいいけど、いいメニューがないから、コーヒーで勘弁してやる」という意味です。
もったいぶって話をする人がいます。
「すごいことを知っている」「面白いネタを知っている」と匂わせつつ、話すのじらします。
話しそうで話さない。
ある日のことです。
友人が、私を見て言いました。
「どうせ暇だろ。助けてくれ」
私が話を進めるうえで、いつも「誰にでもわかる話し方」を心がけています。
誰にでもわかる内容と、誰にでもわかる言葉を使う話し方は、常に夢です。
今もできていない部分があり、現在も修行中です。
「世間知らず」という言葉があります。
知識や経験が乏しくて、自分の知識や経験がすべてだと思い込んでいる状態のことです。
外の世界を知らないということです。
無理とは「可能性がゼロ」を意味する言葉です。
無理という言葉は使わないことです。
使うたびに、あらゆる可能性が低下してしまいます。
私はときどき読者のかたから「考えが間違っています」というお便りをいただくことがあります。
いえ、ときどきというより、しょっちゅうです。
なかば、お怒り気味の内容になっていることも少なくありません。
日常では、予想を裏切られることがあります。
・注文したケーキが、思ったより小さくてがっかりした
・楽しみにしていた映画が、期待外れだった
学生時代のある日のこと、友人を誘ったことがありました。
「今度、飲み会があるんだけど一緒に行かない」
すると、友人は残念そうな表情でこう言いました。
私が小学生のころ、理科の先生に「K先生」という年配の男性教師がいました。
年配にもかかわらず、熱血の先生でした。
K先生は、必ず明るい授業をする先生でした。
私が高校3年生のときの担任は、40代後半の女性教師でした。
先生には、授業を始めるとき、必ず口にする言葉がありました。
「はい。では始めます」という一言です。
高校1年のころ、国語の先生に「豆ちゃん」というあだ名の先生がいました。
もうおじいさんに近い年齢の、ベテランの男性教師でした。
いつもにこにこしている、温和な先生でした。
アメリカでは「飛び級制度」はすでに浸透しています。
学力がある人は、どんどん飛び級したほうがいい。
同じ年齢でも、ほかの人より行動が早くて実力もあるなら、飛び級をして人類のためになるような仕事に就けばいい。
ときどき読者のかたから「HAPPY LIFESTYLEに出会えて良かったです」というお便りをいただくことがあります。
私にとって、これ以上ない褒め言葉です。
嬉しくなります。
祖父は、私が18歳のころ、亡くなりました。
祖父が生前入院していたころ、ときどき病院にお見舞いに行っていました。
そのとき主治医の先生から、ある貴重なアドバイスをいただいたことがあります。
嘘には、2種類あります。
ついてはいけない「悪い嘘」と、ついてもいい「良い嘘」です。
悪い嘘は、お金を奪ったり、相手を失望や落胆させたりする嘘です。
私は思春期のころ、両親との会話が少なくなった時期がありました。
水口貴博は昔から両親と仲がいいと思っている読者がいるかもしれませんが、そうではありません。
関係がよくない時期がありました。
12歳から13歳にかけて、急激に両親との関係が薄くなりました。
人目を気にする思春期ということもあり、古い考えや干渉をしてくる両親に対して苦手意識が働き始めました。
自分から両親に対して壁をつくっていました。
両親と溝をつくることがかっこいいと勘違いをしていた時期がありました。
両親に挨拶をすることもなければ、父の日や母の日に何かを贈るということもありませんでした。
考えもしませんでした。
両親との関係が悪くなったその時期から、普段の友人関係も同時に悪くなり始めました。
いちばん基本的な両親との関係が悪くなると、その悪いオーラのようなものがほかの人間関係へと知らない間に飛び火します。
あらゆる人間関係の原点は、両親との関係です。
家庭が安定しないのに、外でつながる人間関係が安定するはずがありません。
なかなか友人との関係がうまくいかなくて原因を探しました。
その根本的原因は、私と両親との関係が発端でした。
私は19歳のころから1人で親元を離れ、アメリカに留学するようになりました。
事情とはいえ、いきなり海外で一人暮らしです。
自炊・掃除・洗濯・買い物などあらゆることを、自分一人でしなければなりません。
文化も違うし、言葉も知らないし、完全に見知らぬ土地です。
これには本当に参りました。
たった1人で生活をするようになり、初めて両親からどれほど世話を受けていたのかに気づきました。
そのころからです。
私はとんだ勘違いをしていたことに気づき始めました。
一度、両親の元を離れて生活すると、目が覚めます。
自分の非力さに気づかざるを得ないと同時に、どれだけ両親から大きな恩恵を受けていたのかに気づきます。
今まではあまりに身近すぎる存在だったので、大きすぎて見えませんでした。
その時期から、私の両親への態度が少しずつ丸くなっていきました。
思春期のころは口にしなかった「ありがとう」という言葉を、少しずつではありますが、言えるようになりました。
また、父の日や母の日なんて気にもしなかったのが、気になるようになりました。
そういうものです。
自分の力のなさに気づくことで、他者への感謝が自然と湧き起こってくるようになります。
両親との関係が良くなれば、そのほかの友人関係、恩師との関係も向上します。
基本は両親です。
両親を乗り越えられれば、誰とでもうまくやっていけます。
今回は「言葉の習慣」をテーマにした内容です。
にもかかわらず、なぜ両親との話が出るのかというと、まさに人間関係の原点だからです。
言葉の問題は、まず両親との関係が良くならないと根本的に直りにくい。
それは自分が体験したので、痛いほどよくわかります。
自分の言葉を正す前に、まず両親との関係を正しましょう。
往々にして思春期あたりから関係が悪くなり、悪くなったままになっています。
その両親との関係が良くなれば、普段の言葉遣いも自然とよくなります。
両親に当たり前の感謝の言葉を口にできるようになれば、後はすべての人間関係がうまく行き始めるのです。
多くの人から愛される小さな言葉の習慣は、まず「ありがとうございます」という一言です。
これに勝る素晴らしく温かい言葉はありません。
だからこそ、強調しておきたい内容です。
あなたが困っているときに、知人や友人が助けてくれることがあります。
そのとき、当たり前の感謝の言葉を伝えているでしょうか。
人によっては「ありがとうございます」という一言をいうのが恥ずかしいと思っている人がいます。
「別に感謝を言うことのほどでもない」
「面倒」
「恥ずかしい」
たしかにささいなことなら、そのまま無言で流してしまいそうになります。
気持ちは理解できます。
しかし、大切な言葉を伝えるチャンスを逃しています。
ささいなことまで素直に「ありがとうございます」という感謝の言葉を伝える習慣を、いま一度、再確認しましょう。
これは慣れが必要です。
普段から「ありがとう」と言い慣れていないと、余計に言いにくくなります。
普段から「これくらい感謝を伝えるほどでもない」と思っていると、だんだんその考えがエスカレートします。
その結果、お礼を言うタイミングや行動力が乏しくなってしまいます。
無口な人は無口でかまいませんが、感謝の言葉だけは必ず伝えることです。
どんなに無口でも印象が悪くなることはありません。
いま一度、お世話になったときに「ありがとうございます」という気持ちのいい言葉を伝えましょう。
口にしなくて関係が悪くなることはあっても、口にして関係が悪くなることはありません。
誰でも自分のしたことに「ありがとうございます」という言葉が返ってくると「助けて良かったな。
また困ったときは助けてあげよう」と思います。
そこで人間関係の絆が1つ深まっています。
難しく考えすぎないことです。
お世話になったときや助けてもらったときには、素直に「ありがとうございます」という言葉です。
特に両親へ口にすることです。
両親ほど言うのが恥ずかしい相手はいません。
両親に感謝を口にできるようになれば、誰にでも口にできるはずです。
単純なその一言で、人付き合いの運は広がるのです。
うまく言葉に表現できないメッセージがあります。
失恋したときの複雑な心情。
受験勉強のプレッシャー。
懐かしい気持ちや恋しい気持ち。
そもそも言葉でうまく伝えにくいことがありますね。
説明するとき、適当な言葉や表現が思い浮かばないときもあります。
そういうときにどう伝えようかと、言葉に詰まってしまうことがあります。
難しく考える必要はありません。
うまく言えないときは「うまく言えないんだけど」と言えばいい。
それで話を聞いている相手は理解してくれます。
「うまく言えないくらい複雑な気持ちを抱いているのだ」とわかります。
それだけのことです。
「うまく言えない」という言葉ほど、うまい表現はないのです。
「資料作成を手伝ってください!」
いきなり友人が、用件をあなたに言います。
いきなり「資料作成を手伝ってください!」と強い口調で言われると、少し構えます。
なんだか困っているという雰囲気は理解できますが、いきなり用件から言い始めるのはとげがあります。
「なんだよ。いきなり。どういう意味があるんだ」
いきなりの命令ですから、誰でもためらいます。
人によっては、むっとする人や不快と感じる人もいるでしょう。
本人の頭の中では、次のようになっています。
プロセス1と2を飛ばして、プロセス3をいきなり口にしてしまっています。
焦っているときには、ついそうなります。
そういうときに良い表現があります。
「困っているんです」と言えばいい。
「困っているんです」と言われれば、困っている状態がストレートに相手に伝わります。
相手は「助けが必要な状態なのだな」と状況を予感でき「どうしたんですか」と聞き返してくることでしょう。
「資料作成が間に合いそうにない。困っている。だから手伝ってほしい」というスムーズな話をすすめることができます。
そういうスムーズな話ができれば「それはたしかに大変だ。助けてあげよう」という気持ちが湧き起こります。
スムーズに会話が進みます。
ポイントは、素直に自分の気持ちを表現することです。
悲しいときには「悲しいんです」から始め、怒っているときには「怒っています」から始めます。
その人の喜怒哀楽が理解できることで、どのような話が展開されるのか、聞く姿勢を整えることができるのです。
言いにくい言葉を伝えるときには、言いにくいからこそ後回しにしようとしてしまいがちです。
謝罪の言葉はその代表です。
自分の仕方ない状況を相手に理解してもらい、情状酌量してもらいたい気持ちが強いため、言い訳から始めてしまいがちです。
謝るときに、言い訳から始めるのはよくない。
たとえば、会社に遅刻したときです。
「電車がトラブルで遅延していて、そのうえ、雨も降っていたから足元も悪くて……」
最後に、言いにくい謝罪の言葉をようやく口にします。
「そういう事情があって遅れました。すみません」
言い訳から始めて、最後に謝るのは良くありません。
もじもじした部分は余分です。
まず真っ先に「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ございません」から言い始めることです。
素直に謝ることです。
余分な言い訳をしてしまうと、それだけ反省しようとする気持ちの表現が弱くなります。
いちばん言いにくい言葉こそ、最初に言うことです。
それがいちばん相手にわかってもらう方法です。
会話の中で最も印象に残りやすいのは、最初に交わす会話です。
出会いでもファーストインプレッションがいちばん強いように、会話でも最初に口にする言葉がいちばん印象深くなるのです。
話しかけられたらすぐ返事をする人は、人から愛される人です。
反応がいいと話しかけやすくなり、話しかけたくなります。
電話で「もしもし」と言った後、すぐ「はい」と返ってくると、後の言葉も言いやすくなります。
「もしもし」と言った後、変な沈黙の時間があるとテンションが下がり、雰囲気が悪くなります。
それは会話でも同じです。
あなたに誰かが話しかけてきたときには、まず返事のスピードを上げてください。
ときどき話しかけられたことをよく考えて、理解して、言葉を選んでから返事をしようとする人がいます。
もちろん政治家のように発言に気をつける場合は別ですが、普段の会話ではまず「返事のスピード」が大切です。
もし返事が遅くなると、電話のように変な雰囲気になります。
具体的な言葉を言う必要はありません。
「これ知っている」と言われたときに、この具体的な言葉が出てこなくてもいい。
「これね」と抽象的な言葉で十分。
その言葉を聞いた相手は「知っているんだな」とわかり、続きの会話を交わしやすくなります。
最初から具体的な単語が出ていなくても、とりあえず返事をしてくれれば安心できます。
とりあえず、質問の返事があれば「きちんと話を聞いてくれているな」と安心します。
そこでキャッチボールが成立します。
もちろん最初から具体的で気の利いた返事ができれば理想的ですが、できる必要はありません。
大切なことは、抽象的でも良いので、すぐ返事ができる反射神経です。
「これね」と言うだけで、会話のキャッチボールが成立するのです。
新鮮な会話は、昔の話より、最近に起こった出来事です。
1年前に失恋した話も面白いですが、昨日失恋したばかりの話のほうが、なぜか断然興味をそそられます。
最近の話であるほど、面白い。
なぜニュースが面白く感じられるかというと、最近起こったばかりの話だからです。
新鮮さが感じられる話題は、すべての人の好奇心をあおり、興味をそそられます。
地震速報は、たった今の出来事なので、釘付けになります。
さて、あなたの会話に魔法の一言があります。
「最近、何か変わったことあった?」という言葉です。
友人と会話するとき「最近、何か変わったことあった?」という言葉から始めてみましょう。
今の相手の状況がわかったり、日常の変化がわかったりするので、受け入れやすいです。
「最近」というのは、会話を始めやすいキーワードです。
いつでも使えるからです。
昨日でも、今日でも、明日でも、あさってでも使えます。
「最近、何かあった?」はいつでも使えます。
日が変われば「最近」の意味も変わりますね。
「そういえば、昨日ね」「そういえば今日ね」と最近の話題が持ち上がることでしょう。
それが、面白い会話を始めるコツです。
「変わったこと」とはいえ、別に変わったことでなくてもいい。
日常のありふれたことでもいい。
大切なことは、最近起こった何かを話すことです。
起こったばかりの出来事なら、理想的です。
そういう会話のきっかけをつくるためには絶好の切り口です。
「特に変わったことはない。平凡な毎日だよ」と言う人がいても「どんな平凡な毎日なの」と聞けば、必ず変わった話が聞けます。
1日たりとも完全に同じ日はないはずです。
毎日何か変わったことがあるはずです。
平凡であろうと、最近あった話は何でも面白いのです。
誰にでも興味を抱いていることが1つはあります。
関心を抱いていることがあるはずです。
しかし、何に興味・関心を抱いているかは、人それぞれ千差万別です。
たしかなことは「興味・関心のある話題は盛り上がりやすい」ということです。
さあ、冒険家になりましょう。
何を発見するのかというと、相手と交わす雑談の中から、相手が抱いている興味・関心を発見します。
ある特定の話題になると急に笑顔が増えたり、積極的になったりする話題があることでしょう。
相手とさらに仲良くなるためには、相手の興味・関心を刺激すればいい。
それは、会話を盛り上げるポイントです。
発見できた興味・関心は、会話を盛り上げるための「キーワード」になります。
会話に相手が好きなキーワードを盛り込めば、会話は自然に盛り上がりを見せます。
もちろん直接「何が好きなの?」「興味・関心のあることは何?」と聞くのも良い方法です。
たとえば、お笑いが好きな人がいたとします。
相手と交わす会話の中で、お笑い芸人の話題になったとたんに笑顔が増えれば、間違いなしです。
その人のキーワードは「お笑い」です。
その友人と会話を交わすときに「お笑い」というキーワードを盛り込みます。
「最近、誰か面白いお笑い芸人を見つけた?」
「お気に入りの芸人さんは誰?」
「面白い冗談が思いついたよ」
瞬く間に話題に食いついて、話を始めることでしょう。
興味や関心がありますから、当然です。
一方、料理が好きな友人がいたとします。
キーワードはもちろん「料理」です。
「昨日はどんな料理を作ったの?」
「料理でけがとかしない?」
「私もときどき料理をするよ」
相手が興味・関心を抱いているキーワードを会話に盛り込むと、相手が反応しやすくなります。
話に乗ってきてくれたり、積極的に質問してきたりなど、話が盛り上がりやすいです。
話の流れに沿って楽しむ雑談もいいですが、時には相手が反応しやすいキーワードをさりげなく会話にちりばめることも大切です。
キーワードは、会話を盛り上げるスパイスなのです。
困っている人を見つけたとき「手伝いましょうか」と言うのは、ありきたりな表現です。
もちろん嬉しいです。
感謝します。
しかし、コミュニケーションの達人は、もう少しひねった表現を使います。
「手伝わせてください」という言葉です。
「手伝いましょうか」と「手伝わせてください」は、似ている表現ですが、天と地の差があります。
積極性がまったく違います。
「手伝いましょうか」は質問です。
「手伝わせてください」という言葉には「あなたを助けたい」という強い積極性が感じられます。
人の温かみが強く込められている一言です。
「手伝いましょうか」という言葉ももちろん嬉しい。
しかし「手伝わせてください」と言われるほうが、はるかに嬉しく感じます。
「気にされている。助けてくれようとしている。愛されている」とわかりますね。
ダイレクトに人の温かみが感じられます。
そういうとき「人間とは素晴らしいな」と思うのです。
「あなたは変ですね」
そう言われて、急に落ち込む人がいます。
自分はほかの人とずれている部分があるのだとわかると、仲間外れにされたような気分になります。
しかし、落ち込む必要はありません。
私は「水口さん、変わっていますね」と言われるのが好きです。
私はこれを最高の褒め言葉だと思っています。
往々にして、これを聞いて落ち込んだり元気をなくしたりする人がいますが、勘違いです。
完全に褒められています。
今付き合っている彼女には「あなたみたいな人は見たことがない。本当に変わっている」とよく言われます。
それは、小躍りするくらい嬉しい褒め言葉です。
「変わりはほかにいない。オンリーワン」ということだからです。
逆に「普通ですね」と言われるのがいちばん悲しい。
言い換えると「これといった特徴もないですね」と言われているのと同じだからです。
「あなたの代わりならいくらでもいます」と言われている気さえします。
その他大勢と同じというのは、悲しくなります。
急に力が抜けます。
仕事中に「君の変わりならいくらでもいる」と言われる感覚に似ています。
別に自分でなくてもほかの人でも大丈夫だろうと思うと、かなりへこみます。
変と言われる部分こそ、特徴です。
「変ですね」と言われたら「あなたには珍しくて貴重な個性が輝いている」という意味です。
「変わりはいない」ということです。
落ち込むのではなく、むしろ喜ぶべきことなのです。
「料理中に包丁で手を切ったことがあります」と友人が告白しました。
ふと、自分にも同じ経験があることを思い出しました。
そのとき「自分も経験がある」と言おうかどうしようかと、迷う瞬間があります。
自分にも同じ失敗経験があると答えてしまうと、自分も相手と同じレベルということになります。
特に失敗談ほど、言いたくない気持ちが強くなります。
自分もばかだと思われてしまうからです。
かっこつけたい人は往々にして、ここで自分も同じ失敗経験があっても隠そうとします。
しかし、そういう共通体験があるときは、どんどん口にしたほうがいい。
「私も同じ経験があるよ」と言えば、友人は心から救われます。
「自分だけではなかったのか。あなたも同じなのね」と安心します。
そのときに心が通じ合い、仲間意識がさらに芽生えます。
共通の体験があると、意見や感情も共有しやすくなり、さらに親しくなれます。
コミュニケーションの達人ほど「私も同じ経験がある」と言います。
いろいろな経験をしている大人になるほど「同じ経験がある」という言葉は頻繁になるはずです。
どんどん口にしましょう。
失敗した体験なら、なおのこと、どんどん披露して自分の恥をさらしたほうがいい。
それはかっこ悪いことではなく、かっこいいことです。
たくさんの経験をしている事実もさることながら、素直に自分の失敗体験を披露できる潔さに、人間らしい魅力を感じるのです。
私は先日、銭湯で叱られました。
湯船に浸かっているとき、湯の気持ちよさにかまけて、湯船に顔をうずめていました。
すると、ちょうどそれを見ていた銭湯の番台さんが、すごい勢いで私のところにやってきて「こら!」と言いました。
リラックスしているときに急に叱られることほど、度肝を抜かれることはありません。
一瞬、何があったのかと頭が真っ白になりました。
話を聞くところによると「銭湯では湯船に顔を浸けてはいけない」というルールがあるそうです。
私はそれを知りませんでした。
「ルールがあるなら、きちんと書いて壁に貼ってくれ」と言おうかと思いましたが、やめました。
素直に受け止めて謝りました。
叱られるのは、久々でなんだか嬉しく思いました。
本当にどうでもいい人は、叱ることはありません。
関係ないし、興味もないし、どうでもいい人は別に自分に関係ないため、叱ろうとも思いません。
「どうにでもなってくれ」と無視します。
叱ってもらえるだけ、まだいい。
ありがたいことです。
「こら!」というのは愛の言葉です。
世間では「叱っている」と言うようですが、実は「愛している」とも言います。
「あなたに正しい道を歩んでもらいたい」という気持ちの表れです。
そういう気持ちがあるから、わざわざ叱ってくれています。
相手からの愛が感じられると、素直に謝れるはずです。
ましてや、叱ることは面倒なことです。
「叱ることで相手から嫌われるかもしれない」というリスクを背負いながら、思いきって声を大にして教えてくれています。
愛の言葉以外の、何物でもありません。
そんな面倒なことをわざわざしてくれる相手に対しては、素直に謝罪しましょう。
すぐ過ちを改めることです。
それで間に合います。
反応したくなる気持ちがあっても、素直に受け止めることです。
ぐんぐん成長できるのです。
先日、朝の仕事中のことです。
職場の先輩から「今日はなんだか嬉しそうだね」と話しかけられました。
私は驚きました。
嬉しいどころか、実は元気のないタイミングだったからです。
むしろ大きな仕事を抱えているときであり、私は険しい表情をしていたはずです。
先輩は嘘で言ったのかもしれません。
もしくは「大変だけど今日も頑張ろう」と意気込んで一瞬見せた私の表情が、嬉しそうに見えたのかもしれません。
いずれにせよ「嬉しそうだね」と言われると、本当に嬉しくなってきました。
明るい言葉をかけてもらえると、なぜか元気が出てきます。
「表情が暗いね」「元気ないね」と言われると「他人からは元気がないように見える」と思い、余計に落ち込みます。
そう思うと、余計にそうなります。
しかし「嬉しそうだね」と言われると「他人から嬉しそうに見えているのだな」と思い、本当に嬉しくなります。
嘘で言った言葉ですら、力があるから言葉は大事です。
あなたが誰かに話しかけるときに「嬉しそうだね」と話しかけてください。
ちょっとした一言でも、相手を元気づける力は十分ある。
嘘でもOKです。
嘘で暗い言葉をかけるのはよくありませんが、明るい言葉をかけるならOKです。
その言葉がきっかけで、元気がなかった心に火がつくかもしれません。
「一度も失敗したことがありません」
ときどき、仕事や恋愛など、自分には失敗経験が一度もない人がいます。
大勢の人が、そういう発言ができるような人間を目指そうとします。
たしかに「一度も失敗したことがありません」という発言は素晴らしい。
完璧であるに超したことはありません。
ですが、どことなく「嫌み」が感じられませんか。
「私は完璧なんです。あなたとは違うんです」というニュアンスが伝わってきます。
言葉として表現はしていませんが、そういう意味やニュアンスが伝わってくるから、言葉とは難しいです。
そういう人に限って、一度でも失敗をしてしまうと、急に隠したがろうとします。
本当は隠す必要はありません。
堂々と「何度も失敗したことがあります」と言えばいい。
人間ですから失敗はあって当然です。
「何度でも失敗があります」と言えるほうが、はるかに人間味があり、魅力的です。
数多くの失敗を経験している人のほうが、人の気持ちを理解できたり、話に共感できたりすることでしょう。
1つも傷がついていない侍より、体にところどころ傷痕がある侍のほうが強そうに見えます。
それだけたくさんの修羅場をくぐり抜けてきていることがわかるからです。
傷がないつるつるの肌の人は、修羅場そのものをくぐり抜けてきたより、避けてきたのではないかと思います。
傷があるほうが、貫禄があり強くてかっこよく見えます。
「何度も失敗したことがあります」とは自分で傷を見せる行為です。
それは自分を下げるどころか、逆に高めているのです。
レストランでコーヒーを注文するときに「これでいいです」と注文するお客さんがいます。
私は聞いていてもどかしい気持ちになります。
「これでいいです」は「本当は別のものがいいけど、いいメニューがないから、コーヒーで勘弁してやる」という意味です。
注文される側としては、かなり気持ちがへこみます。
お客さんが不満足であることが、はっきり感じられるからです。
何か我慢をしながら希望をしているという息苦しさがあるので、サービスを提供する側も、堂々とサービスを提供できません。
そもそも、仕方なくコーヒーを注文していますから、出したコーヒーも嫌がりながら飲むのだろうと直感します。
「これでいいです」と注文されると「コーヒーを持ってきました。こんなのでいいですか」と濁った返事をしてしまいそうになります。
「これでいいです」という口癖があるなら、今日から卒業です。
これからは「これがいいです」とはっきり言い切ることです。
自分のためにも、相手のためにもなります。
「これがいいです」と言い切ることで、自分の希望を明確にできます。
そう言い切ってしまえば、心の区切りがつきます。
注文して出てきたコーヒーもおいしく味わえることでしょう。
また、相手にとっても「これがいいです」という注文はストレートでわかりやすい。
お客さんが希望しているということがわかるからです。
希望しているコーヒーを出せば、満足していただけるだろうと思います。
サービスを喜んで提供したくなります。
たとえ不満があったとしても、それを相手に伝えるのは良くありません。
「これでいいです」と「これがいいです」は、響きはそっくりですが意味はまったく異なります。
「これがいいです」と言えるようになることです。
必ずあなたのためになります。
もったいぶって話をする人がいます。
「すごいことを知っている」「面白いネタを知っている」と匂わせつつ、話すのじらします。
話しそうで話さない。
話すそぶりを見せつつ、なかなかそれを言おうとしない。
「もったいぶらずに早く話してくれよ」と思いますが、話を引き延ばしてなかなか話そうとしません。
本人はにやにやしていますが、じらされるほうはストレスがたまります。
こういうとき、たいていパターンが決まっています。
いざ話を聞いてみたところ「なんだ、そんなことか」と失笑するのです。
「もったいぶった割に大した話ではなかったね」となって終了です。
もったいぶった話し方は、がっかりされるのがオチです。
なぜもったいぶった話は失笑されるのか。
相手の期待値を上げてしまうからです。
もったいぶった話し方をすればするほど、相手の期待値をぐいぐい上げてしまいます。
「もったいぶるということはすごい話なのだろう。どんな内容なのだろう? どれだけすごい話なのだろう?」
じらされるほうは、どんどん期待値が上がります。
期待値が高すぎると、たいてい期待値を下回ることになります。
いざ実際に話したとき、期待していたほどの内容ではなく、相手を落胆させることになります。
もったいぶるからいけないのです。
せっかく面白いネタでも、わざともったいぶることで面白さが半減します。
もったいぶってしまえばしまうほど、がっかりされるものだと相場が決まっています。
もったいぶる話し方に心当たりがあるなら、今すぐやめておくのが賢明です。
面白いネタを仕入れたとき、すぐ話してしまうのがもったいない気持ちもあるでしょう。
相手を驚かせたい気持ちがあるのかもしれませんが、それは自分本位であって相手のためになっていません。
相手から「回りくどい」と思われ、いらいらさせてしまいます。
話したところで「なんだそんなことか」とがっかりされ、いいことはありません。
もったいぶった話し方は感じが悪い。
ついもったいぶった話し方をしたい衝動に駆られますが、ぐっとこらえることです。
もったいぶる話し方をしていると、いずれ人間関係に悪影響を及ぼすことになるでしょう。
もったいぶって話をする癖があるなら注意しましょう。
大切なことであればあるほど、簡潔でわかりやすい話し方を心がけましょう。
プロのスピーカーでもないかぎり、もったいぶった話し方はたいていスベります。
もったいぶらず、さっと話してしまうことです。
大切な内容であれば、なおさら最初に話すのが得策です。
ビジネスでは結論から話すのが基本であるように、私生活でも結論から話すほうが好印象です。
ある日のことです。
友人が、私を見て言いました。
「どうせ暇だろ。助けてくれ」
私はむっとしてしまいました。
友人は忙しくて、少しでも協力がほしいという状況のようです。
1人の力では解決できないことなので、ほかの人の手を借りたいようです。
それは、見てすぐ理解できました。
たしかに私は時間に余裕がありました。
しかし、なかなか気が進まない。
偉そうで乱暴な言い方が、頭に引っかかっているからです。
「助けよう」という気持ちが急に冷めてしまいます。
偉そうな言い方をされると、不機嫌になる人もいるでしょう。
普段は丁寧な言葉遣いをする友人ですが、そのときは珍しく乱暴な言い方でした。
おそらく余裕がない状況のため、乱暴な言葉遣いになってしまったのでしょう。
困っているのはわかりますが、とげのある言い方をされると「助けよう」という気持ちもなくなります。
助けを求めた結果、偉そうな言い方だったためにいざこざになり、逆にトラブルを増やしてしまうかもしれません。
問題は、言い方です。
こういうときは「今、大丈夫ですか」「時間は空いていますか」と丁寧に相手の状況を尋ねる言葉から始めることです。
「時間なら空いていますよ」と返事が来れば「困っているので助けてもらえませんか」という流れになります。
摩擦がないので、スムーズに応じることができます。
丁寧な言い方だからこそ「助けよう」という気持ちも出てくるでしょう。
余裕がないときほど、乱暴な言葉遣いに注意です。
私が話を進めるうえで、いつも「誰にでもわかる話し方」を心がけています。
誰にでもわかる内容と、誰にでもわかる言葉を使う話し方は、常に夢です。
今もできていない部分があり、現在も修行中です。
その理想は死ぬまで追いかけています。
しかし、これがなかなか難しいです。
自分が知っていることですから、話をするときについ専門的な用語で話をしてしまいがちです。
たとえば、ニュースで「A」という出来事を知ったとします。
ニュースになるくらい大々的になっていることだから、ほかの人も当然知っているだろうと思います。
つい、当たり前のように話しがちになります。
ほかの人が「A」というニュースを知っているとは限りません。
常に自分と相手とのギャップを埋めるのが、スムーズなコミュニケーション術です。
ニュースに限らず何でもそうです。
IT業界の人は、いつもITに接しているので、ハードウエアやサーバーのような専門知識が、基礎知識だと勘違いしてしまいます。
ほかの誰もが知っていると思い込んでしまいます。
医療関係に勤めている人は、医学や病院の状況など当たり前に目にしているので、誰もが知っていると思い込んでしまいがちです。
スポーツ関係の仕事をしている人は、どこの国はどんなスポーツが強いのかも一般常識だと決め付けてしまいがちです。
自分が知っていることは、誰もが知っているだろうと勘違いをしてしまいます。
専門的な知識を、さも当たり前のように口にしてしまいます。
相手が話についてこられなくて、場が白けるときがあります。
専門的な用語で専門的な内容では、相手も話についてこられるはずがありません。
これは口で言うのは簡単ですが、難しいです。
私の場合は、校正を担当している方に「意味のわかる内容ですか。わからなければ言ってください」とお願いをしています。
自分以外の他者に読んでもらうというのは大切です。
専門的な話になっていないか。
著者にしかわからない話になっていないか。
わかりにくい話し方になっていないか。
他人に見てもらうようにしています。
自分が話を始めるときに「自分が今しようとしている会話は、相手にわかる内容かな」と考えるだけでも違います。
ワンクッションを置いて、考えてから話し始めるだけでも、だいぶわかりやすい内容になるでしょう。
「世間知らず」という言葉があります。
知識や経験が乏しくて、自分の知識や経験がすべてだと思い込んでいる状態のことです。
外の世界を知らないということです。
世間知らずは、自分が井の中にいることになかなか気づきにくい。
そもそも知識や見識が限られているので、自分が狭い世界にいることを認識しにくいです。
誰しも「世間知らずにはなりたくない」と思います。
しかし、あらためて考えると「世間知らず」というのは、実は誰しも必ず通る道です。
生まれたときは、みんな、知識も体験もゼロの状態だからです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、知識も体験もゼロです。
常識はもちろん、話が通じるはずもありません。
当然、世間知らずです。
知識や体験がなくて、外の世界を知らない。
成長をするにつれ、親や友人、先生からたくさんの知識や常識を学びます。
大人になるにつれて、2種類の人にわかれます。
「世間知らずのままの人」と「井の中から抜け出している人」でわかれます。
両者のわかれ目や違いは、どこになるのでしょうか。
それは「謙虚になるかどうか」です。
知識が乏しくて見識が狭ければ、失敗や過ち、勘違いは必ず起こります。
起こるべくして起こることです。
そのとき、他人から指摘を受けることでしょう。
思い込みや勘違いから、過ちを犯すこともあるでしょう。
そういうとき、横柄な態度になっていると、人の話を聞かなくなるため、知識を拒否してしまいます。
殻に閉じこもったままになり、新しい知識や見識を広めることができず、なかなか井の中から脱出しにくい。
「知りません」という発言に恥ずかしさを感じていることもあるでしょう。
最初は誰でも世間知らずですから、世間知らずであることに恥ずかしさを感じる必要はありません。
本当に恥ずかしさを感じるべきところは「謙虚を忘れ、横柄になっていること」です。
しかし、謙虚になれば大丈夫です。
謙虚ならその人は救われます。
人の知識がどんどん吸収できるようになるからです。
新しい知識を吸収し、見識を広めるチャンスになり、井の中から脱出できます。
井の中から抜け出すためには、他人に引っ張りあげてもらう必要があります。
「助けの手なんていらないぜ」と意地を張ったり横柄になったりしている人は、いつまでも井の中から抜け出せないのです。
無理とは「可能性がゼロ」を意味する言葉です。
無理という言葉は使わないことです。
使うたびに、あらゆる可能性が低下してしまいます。
たとえそれが事実でもです。
無理という言葉を使った時点で、事実、進歩は止まります。
「エイズの治療薬を開発できますか」という問いかけに、医者が「無理です」と答えるのは悲しいです。
完全否定です。
そう言ってしまうと話が完全に止まります。
「無理」が前提なので、新薬を開発しようとする研究や努力もすべて放棄してしまうことになります。
無理という言葉は、進歩を止める言葉です。
せめて「現時点では難しい」という言い方にしましょう。
わずかに可能性がある言い方です。
「今は難しいが、将来はもしかしたら」という意味です。
なんとか希望の光を見つけようとする意気込みがあります。
たしかに現時点で実現が難しいのはわかります。
しかし、明日はどうでしょうか。
あさってはどうでしょうか。
1年後、10年後、100年後はどうでしょうか。
これからの努力によって、可能性が広がることがあります。
可能性は広げることが大切です。
不可能を可能にする研究や努力をする余地を残すために、初めから「無理」という言葉は使わないほうがいい。
ゆえに、人生全体において可能性をゼロにする言葉は、一切不要です。
言いたくても言わないほうがいい。
人生において「無理」という言葉は、もはや禁句です。
私たちの進化は「無理」を「可能」にしていく連続です。
ノーベル賞を受賞する偉人たちは、最初から「無理」と考えていません。
「もしかしたらできるかも」と思い続けて実行してきたからこそ、実現できました。
無理という言葉を使わなかったから、希望の光を見いだすことができたのです。
私はときどき読者のかたから「考えが間違っています」というお便りをいただくことがあります。
いえ、ときどきというより、しょっちゅうです。
なかば、お怒り気味の内容になっていることも少なくありません。
そういうときには「たしかにそうですね」と返事をすることにしています。
それ以上意見が対立することはありません。
どちらかが譲歩すれば、それで終わりです。
指摘のとおり、間違っている内容があれば、私も文章を修正できるチャンスです。
今まで自分が知らなかったり勘違いをしたりすることがあります。
そういう文章に限って、自分ではなかなか気づきにくい。
他人から客観的なチェックを無料で受けることができています。
もし、自分にとって新しい考え方なら「ネタができた」と喜びます。
どちらにしろプラスです。
普段の会話でもそうです。
考え方がぶつかりそうになったら「たしかにそうですね」と言います。
すると、けんかをすることはありません。
これがけんかをしないコツです。
人によって状況は異なります。
その人がそう思えば、そうです。
むしろ私は新しい考え方や価値観を学ばせてもらっていると思っています。
「たしかにそうですね」という言葉は、トラブルをなくし、成長できる素晴らしい一言だと思っています。
あなたも「たしかにそうですね」という言葉を使ってみましょう。
人とぶつかることが極端に少なくなります。
しかもあなたの成長も早くなるはずです。
たくさんの人からたくさんの意見・考え方・価値観を吸収できる素晴らしいチャンスです。
自分の殻を破ることができるのです。
日常では、予想を裏切られることがあります。
どれもささいなことです。
しかし、ささいなことでも悔しさが忘れられず、いつまでも恨み続けてしまいます。
そういうとき「期待外れだった」と口にしないことです。
「期待外れ」と言った瞬間に、期待が外れたことを認めてしまうことになります。
体全身の力が抜けてしまいます。
そこには、何も得るものがない。
たとえ、期待外れだったと思っても口にせず、期待外れにならないような何かを見つけましょう。
思ったより小さなケーキでも、味は上等かもしれません。
楽しみにしていた映画がつまらなくても、別の楽しみ方があるかもしれません。
遠足がつまらなくても、素晴らしい思い出ができているはずです。
単純に期待していたこととは別の事情が起こっているだけです。
「期待が外れた」というのは「想定外が発生した」ということです。
期待が外れても「想定外」を楽しめばいい。
それに気づくことです。
想定外の出来事から何かを感じ取れば、期待外れでも収穫になります。
「期待外れを楽しもう」と考えるようにしましょう。
期待外れが楽しくなります。
想定外という楽しみ方があります。
あなたしだいです。
期待外れということは、あなたに新しいものを見つける力がなかったということになります。
何かを見つけられるか否かです。
期待外れだったとしても口にせず、期待外れにならないように別の視点から見たり感じ取ったりしましょう。
実りがあるはずです。
学生時代のある日のこと、友人を誘ったことがありました。
「今度、飲み会があるんだけど一緒に行かない」
すると、友人は残念そうな表情でこう言いました。
「ごめん。ちょうど勉強で忙しい時期だからダメなんだ」
たしかに友人はとても忙しそうでした。
学校の試験日が迫っていて余裕がないとのことでした。
無理に誘うわけにもいきません。
少しがっかりしていたとき、友人が嬉しい言葉をかけてくれました。
にこりと笑って「誘ってくれてありがとう。また誘ってね」という一言です。
その瞬間「誘って良かったな。また機会があれば誘おう」と思いました。
これが人間関係をつなげる言葉です。
断られても「ありがとう」と言われると嬉しくなります。
もちろん断られたことは残念でしたが、やはりどうしても都合のつかないときは当然あります。
そうしたときに「誘ってくれてありがとう」という言葉を使うと、お互いの気持ちがすっきりします。
気持ちよく断ることができ、断られてもショックが和らぎます。
「また誘おう」と思うのです。
私が小学生のころ、理科の先生に「K先生」という年配の男性教師がいました。
年配にもかかわらず、熱血の先生でした。
K先生は、必ず明るい授業をする先生でした。
そういう雰囲気ができるようにある方法を実践していたからです。
先生は教室に入るとき、わざとらしくドアを大きく開けた後、大きな声で「おはよう」と言います。
教室の中にいる生徒の中には、突然の大きな声に驚いている人もいれば「おはようございます」と返事をする人もまばらにいます。
挨拶の返事が小さければ、K先生は面白いことをします。
「声が小さい! やり直し!」
先生はまた廊下に出て、初めからやり直します。
「テイク2」です。
一度目と同じように、わざとらしくドアを大きく開けた後、大きな声で「おはよう」と言います。
さすがに2回目ですから、生徒の全員がK先生の大声に負けないように「おはようございます」と言い返します。
生徒全員の声が合わさると、逆にK先生の声より大きくなり、先生が押されるほどです。
その瞬間、元気のスイッチが入ります。
だらりとしていたクラスの雰囲気が、ぱっと明るくなります。
もし2回目の返事も元気がなければ、先生は3回でも4回でも繰り返します。
クラスの元気が出るまで、授業を始めませんでした。
これが先生の素晴らしい授業の方法でした。
うまいスタートダッシュです。
明るい雰囲気から始めると、授業中も明るい雰囲気が続きます。
だからK先生の授業はいつも明るくて元気がいっぱいだったのです。
私が高校3年生のときの担任は、40代後半の女性教師でした。
先生には、授業を始めるとき、必ず口にする言葉がありました。
「はい。では始めます」という一言です。
ときどき言うのではありません。
どんなときでも必ず言います。
これは先生が実践していた、やる気のスイッチを入れる言葉でした。
「はい。では始めます」と言われると、先生が元気になります。
声を聞いた生徒も「これから授業が始まるぞ」という活気にあふれます。
一言で、緊張感のある雰囲気が出来上がります。
いつも授業の際は必ず口にするので、生徒の中にも面白おかしく先生の真似をする人が何人もいたくらいです。
私も、先生の口癖を真似てする生徒の1人でした。
私の口癖で「よしやるぞ」という言葉があります。
先生の真似をしているうちに、癖になってしまいました。
掛け声を出すと、たしかに活力と緊張感があふれます。
自分が自分に向けて発する、励ましの言葉です。
やる気のスイッチが入り、そういう気分になります。
何かを始めるときには、無言で始めていませんか。
無言で始めることはできますが、のろのろしたスタートになります。
何かを始めるときには、無言ではなく声を口に出していったほうがいい。
「始めるぞ」という言葉でもいいですし「頑張るぞ!」「やるぞ!」という気合の言葉でもいいでしょう。
声を出せば覇気が出ます。
最初に気合を入れれば、良いスタートダッシュを切れます。
その声が元気へと変わるのです。
高校1年のころ、国語の先生に「豆ちゃん」というあだ名の先生がいました。
もうおじいさんに近い年齢の、ベテランの男性教師でした。
いつもにこにこしている、温和な先生でした。
髪の毛は1本もなく、つるつるの頭が豆のようだったので、自然とそういうあだ名がつきました。
先生には、授業中、口癖がありました。
生徒に「わかるかな」と質問を投げた後「最初からこれができたら天才だ」という口癖がありました。
必ず口にするので、今でも耳に残っています。
それは先生にとって「間違いは誰にでもある。間違ってもいいから勇気を持って発言しなさい」という意味でした。
間違いに対して寛大でした。
「誰でも最初は間違える。勇気を持って自分なりの発言をしなさい。それができれば天才だ」という意味でした。
人間ですから、過ちは必ずあって当然だということでした。
これが先生の優しさでした。
事実、温和な先生で、怒っているところを見たことがありません。
生徒から豆ちゃんと呼ばれても怒らないくらいです。
今思えば、なんという失礼な発言かと思いますが、それを受け入れられるくらい、器の大きな先生でした。
先生は、生徒がどんな場違いな間違いをしても、にこにこしています。
普段からにこにこしていますが、生徒が間違って答えてもにこにこします。
さすが、生徒の扱いに慣れたベテラン教師といった感じでした。
先生の授業は、不思議とリラックスした雰囲気が出ていました。
「間違えてはいけない」ではなく「間違えてもいい」という雰囲気があったため、生徒の発言が多い授業でした。
むしろ先生より、生徒の発言のほうが多いくらいでした。
「間違えてもいい」と考えるとき、人は活発化します。
国語の授業を通して、人生哲学を教えてくれていたのです。
アメリカでは「飛び級制度」はすでに浸透しています。
学力がある人は、どんどん飛び級したほうがいい。
同じ年齢でも、ほかの人より行動が早くて実力もあるなら、飛び級をして人類のためになるような仕事に就けばいい。
それが、人の才能を最も生かす生き方です。
飛び級制度は英才教育の1つですが、そもそもその人には普通のペースです。
飲み込みや記憶力がよくて、成長が早いです。
運動会でおなじみの掛け声「用意、どん」も同じです。
どんと言われるまで待つ必要はありません。
「用意」と言われれば、用意ができしだい、スタートすればいい。
用意がほかの人より速いですから、その時点で実力がほかの人よりあるということです。
そういう人は早くスタートしていいし、したほうがいい。
用意が速いですから、それも実力です。
実力のある人は飛び級したほうが、最も才能を生かせます。
準備は十分できているのに「どん」と言われるまで、ぼうっとしているのは時間がもったいない。
人生は有限です。
短い人生を少しでも早く効率よく進むためには「待つ」というのは浪費行為です。
人それぞれの才能があり、成長の早さもばらばらです。
個人の成長に合わせて進めばいい。
遅い人は遅くていいし、早い人は早くていい。
遅い人には遅いなりの仕事ができるはずです。
早い人には早い人なりの仕事ができます。
それが最も才能を伸ばす生き方です。
そういう人がほかの人より成長が早く、歴史を動かしていきます。
「用意、どん」でフライングスタートする人が、歴史を変えるのです。
ときどき読者のかたから「HAPPY LIFESTYLEに出会えて良かったです」というお便りをいただくことがあります。
私にとって、これ以上ない褒め言葉です。
嬉しくなります。
そのとき「続けて良かったな。もっと長く続けたいな」と思います。
元気が出るのはもちろん、サイトを運営していこうとする気持ちがさらに大きくなります。
存在に感謝する言葉は、誰が聞いても嬉しく感じます。
もちろん人間関係でも同じです。
あなたには「出会えて良かったな」と思う人はいますか。
人生を変えてくれた友人。
受験の力になってくれた先生。
育ててくれた両親。
そのほか、さまざまいることでしょう。
そうした人に恥ずかしがらず「出会えて良かったです」と伝えれば、必ず喜ばれます。
存在を認め、感謝する言葉です。
褒められた相手は「ああ生きていて良かったな。もっと力になってあげたいな」と前向きになってくれるに違いありません。
恥ずかしい言葉ですが、これ以上素晴らしく嬉しい言葉はありません。
出会えて良かった人には、気の利いた難しい言葉を考える必要はありません。
「出会えて良かった」と、ありのまま伝えるだけで喜ばれるのです。
祖父は、私が18歳のころ、亡くなりました。
祖父が生前入院していたころ、ときどき病院にお見舞いに行っていました。
そのとき主治医の先生から、ある貴重なアドバイスをいただいたことがあります。
私が感銘を受けた素晴らしい言葉でした。
そのとき言われたアドバイスは「できるだけ明るい未来の話をしてくださいね」と言われました。
患者には、いちばんいいのだといいます。
その主治医の先生は「どんな薬より効き目があります」と断言していました。
これはどういうことでしょうか。
もし、病で寝込んでいる年配者に、過去の話をすればどうなるでしょうか。
「あのころは良かったね。昔は体が丈夫だったのにね」
「昔は良かったな」
「あのころがいちばん元気だった」
誰でも年を取れば、衰えます。
人間だからです。
昔と今とを比べれば、若いころのほうが元気で活動的です。
そのため、昔の話をすると、結果として元気をなくしてしまう場合が多いです。
若くて体力のあった若いころと年老いた今とを比較されるような話し方をされれば、誰でも元気がなくなるに決まっています。
では、どんな話をするのかというと「明るい未来の話」です。
「病気が治ったら、また温泉に行こうね」
「リハビリで動けるようになったら、また犬と一緒に散歩しようね」
「家では孫が待っているよ。元気になった姿を孫に見せないとね」
そういう明るい話をします。
すると患者はぱっと明るくなり、元気を取り戻します。
患者を「早く回復したい」という気持ちにさせることです。
明るい未来を思い描かせることが大切です。
明るければ明るいほどいい。
「早く活動を再開したい」という明るい未来が動機になり、けがや病の回復が早くなります。
「病は気から」と言います。
病は気から治していきます。
本人がそういう気持ちになれば、そういう力が発揮されます。
事実として過去には、末期のがん患者が明るい未来の希望を持つことで奇跡的な回復を見せた例が、いくつもあります。
「明るい未来の話には、薬では治せない病を治すほどの力がある」ということです。
主治医の医者は、私に「どんな薬より効き目がある」と断言しました。
患者に話しかけるときには「過去の話」はできるだけ避けて、明るい未来の話をしましょう。
ぜひ、あなたにも知ってもらいたいアドバイスです。
嘘には、2種類あります。
ついてはいけない「悪い嘘」と、ついてもいい「良い嘘」です。
悪い嘘は、お金を奪ったり、相手を失望や落胆させたりする嘘です。
未来を奪い、精神的に傷つけたりするような嘘は、絶対についてはいけない。
言うまでもありませんね。
だからと言って、すべて嘘がいけないのかというと、そうでもない。
例外的ですが、ついてもいい「良い嘘」があります。
たとえば、相手が元気になるような嘘は許されます。
明るい未来を描き、笑わせたり、元気にさせたりするような嘘はOKです。
一から十まですべてが嘘ばかりではマナー違反ですが、円滑な人間関係を構築するうえでは、時にはそういう嘘も必要です。
そんな「良い嘘」を、私たちはいつの間にか実践しています。
典型的な例は「服を着ること」です。
本当にありのままの自分を見せるなら、裸です。
偽りは一切ありません。
まさに正直な姿です。
しかし、社会では裸でというわけにはいきませんね。
裸だと寒いし、着るものが必要です。
洋服を着ざるを得ないので、自分の好みやTPOに合った服を着ます。
服を着ざるを得ない状況で、嘘をつかざるを得ない状況になります。
普段着なら、ラフな格好でそういう自分を演出できます。
これも良い嘘です。
自分が明るく元気になり、周りもハッピーにさせているからです。
また、ビジネススーツも同じです。
スーツを着るだけで、さも仕事ができそうなビジネスマンに見えてくるから不思議です。
それはスーツのおかげで、交渉や取引がうまくいっています。
偽薬も、嘘の薬です。
「車酔いにすごく効き目あるよ」と言って手渡されたのが、実は単なる小麦粉だとしても、本物だと思い込めば、効き目があります。
「効き目がある」と本人が思えば、本当にそうなります。
「そうだそうだ」と思っていると、プラシーボ効果で、本当にそうさせる力があります。
悪いことを思い込ませるのはいけませんが、相手の体力が回復したり、希望を抱いたり、人を助けるような嘘は、OKです。
末期の病で入院している患者に「あと余命3カ月です。もうダメですね」と、正直な発言をすれば、誰でも絶望します。
もしかしたら、余命をもっと縮めてしまうかもしれない。
しかし、嘘でもいいから「あと少しで回復しますよ」という明るい未来の話をすれば、一転します。
たとえ嘘だったとしても、そういう明るい希望を抱いていれば、冗談が現実になります。
事実、それで末期のがん患者が奇跡的な回復をした例がいくつもあります。
そういう嘘は、神様も許してくれるのです。