子どもがこれから、小学校・中学校へと進学し、社会人へと大きくなります。
勉強・人間関係・恋愛・仕事など、数多くの山場が待ち構えています。
どのステージであろうと、その難局を乗り越えるためには、なにより自分に自信がないといけません。
父親は、育児を母親に任せがちになります。
「育児は母に任せている。自分には関係ない」
おや、それではいけません。
私がコンピューターに慣れ親しんだのは、特に父からの影響が大きいと思います。
実は、父から一度も「機械の勉強をしろ」と言われたことはありません。
しかし、こうやって今、自分でサーバーを組み立てたり、プログラムを組んだり、自分のウェブページを公開するようになりました。
父は仕事の関係で、さまざまな部品を家に持ち帰りました。
最初に興味を持ったのは「磁石」でした。
見た目は単なる石です。
テレビの中には人が入っていない。
ラジオの中にも人が入っていない。
父のやっていることを真似ているうちに、こうした衝撃の事実を知ることになりました。
私が小学4年のとき、水口家にパソコンが登場しました。
父の仕事でパソコンが必要になったことがきっかけです。
なんと当時は50万円ほどした「PC9801」というタイプのパソコンです。
父親として気をつけたい言葉があります。
「家族サービス」という言葉です。
家事や子育てをしている父親が、つい口にしてしまう言葉です。
父親が休日にやりたい代表は、おおむね2つしかありません。
「のんびりしたい」か「趣味を楽しみたい」かのどちらかです。
家族のために、家事や育児の手伝いなどできればいいですが、なかなか思うようにいかないことがあります。
子どものころを思い出しましょう。
父と母のどちらと接する時間のほうが多かったでしょうか。
特殊なケースもありますが、一般的にはやはり「母親」と答える人が大多数のはずです。
もちろん父親も育児に参加です。
母から「手伝ってよ」と言われてからでは遅い。
むしろ父から「今日は子どもの面倒は自分が見るよ」と言うくらいがちょうどいいでしょう。
父親としては、仕事で忙しくなるほど帰宅する時間も遅くなります。
早くは帰りたいが、仕事の関係で遅くなるという家庭も多いことでしょう。
子どもが起きる前に家を出て、子どもが寝てから家に帰る。
子どものころ、父の帰りは、いつも深夜でした。
私が寝た後に父が帰ってくる、という日も少なくありませんでした。
しかし、普段は夜中に帰宅する父でも、夕食に間に合う時間に帰る日もありました。
どうしても疲れて育児に参加できないときがあります。
仕事で疲れて、育児まで回る力が出ない。
家に帰って育児とはいえ、すでに子どもたちは眠ってしまっている。
「こら! ダメじゃないか!」
叱ると言えばどのようなイメージを持っていますか。
欠点をとがめたり、怒鳴ったりすることだと思っている人が多いのではないでしょうか。
叱るといえば、父の仕事です。
大事な場面では、叱るのは父の役目です。
礼儀や作法を教えるだけでなく、子どものことを本気で心配している気持ちを伝えるという役目もあるからです。
「ねえ、聞いてよ。今日も大変だったのよ。あの子ったら……(あれやこれや)」
育児に疲れた母親は父親に対して、1つや2つの愚痴をこぼします。
そういうとき、母の育児の悩みに対して、男性はまず「解決策」から言ってしまいがちです。
父親は子どもに言います。
「自分のことは自分でしなさい!」と。
何でもかんでも親に頼らず、自分でできる範囲のことは自分でするようにしなさいという言葉です。
水口家には、大きな座敷があります。
子どものころ、その大きな座敷は遊び場になっていました。
柔らかい緑色のじゅうたんが敷かれてあったので、けがをする心配もありません。
父は仕事でストレスがいっぱい。
ストレス発散と言えば、やはり運動ですね。
休日には軽いジョギングなどをして、ストレスを発散させようとします。
子どもが悪いことをしたとき、父親は心がけたいことがあります。
「叱るのはいいが、暴力はいけない」ということです。
たった一言ではありますが、深い意味があります。
「父親が仕事をしている」とはいえ、子どもたちは抽象的な想像しかわきません。
子どもなりの父の働く姿を想像しますが、必ずしもそのとおりとは限りませんね。
そういうときこそ、父の職場を子どもたちに見せてあげましょう。
仕事が速く切り上げることができ、夕食前に早く家に帰られそうなときがあります。
週に1回くらいは、そういうタイミングのいい日もあることでしょう。
さて、そんなときです。
子どもがいちばん喜ぶのは、やはりスキンシップです。
わんわんと泣いているなら、抱っこをしてみましょう。
すぐ泣きやむはずです。
男性の特徴の1つといえば「力」です。
男の子のお子さんがいる場合、しつけておきたいことがあります。
「力の使い方について」です。
子どもは、幼いころがいちばんかわいいと言います。
10歳くらいまでは、何でも「はい」「ありがとう」と言って素直に言うことを聞く年齢です。
お人形さんのようにかわいいですが、10歳くらいを過ぎると、急変します。
夫婦でよく話すのは、父親より母親のケースが多いのではないでしょうか。
もちろん父親でおしゃべりの人もいますが、そういうケースはまれです。
おしゃべりは女性の得意技であり、主導権を握っています。
夫婦仲がいいと、子育てにもいい影響を与えます。
「いつもお仕事、大変ね。お疲れさま」と父の仕事に感謝する母。
「いつも育児ありがとう。本当に助かっているよ」と母の育児をねぎらう父。
あなたが、新しいことに挑戦しようとするときはどのようなときですか。
・成長を求めているとき
・向上しようと心がけているとき
心理学から言えば、人が誰かに話しかける目的の大半は「共感してもらいたいから」とのことです。
話を聞いて、納得してもらったり、一緒に気持ちをわかち合ったりしたい。
あなたにも当てはまるのではないでしょうか。
私の実家は、兼業農家です。
週末の朝は「おい、貴博。今日も手伝ってくれ」という父の一声で、叩き起こされていました。
夏場の週末には、ミカンもぎの手伝いが慣例でした。
子どもがこれから、小学校・中学校へと進学し、社会人へと大きくなります。
勉強・人間関係・恋愛・仕事など、数多くの山場が待ち構えています。
どのステージであろうと、その難局を乗り越えるためには、なにより自分に自信がないといけません。
「自分に自信を持つこと」
これはあらゆるところで必要になる土台です。
自分に自信がないと、あらゆるところで弱気になり、うまくいきません。
消極的で、行動しなくなり、何かあっても「どうせ自分なんて」と弱気になります。
では、どう子どもたちは最初の自信を持ち始めるのでしょうか。
それが「両親の存在」です。
まず子どもは、両親の存在を土台にして、自分に自信をつけていきます。
さて、両親には父親と母親がいますが、とりわけ母親は問題ありません。
母親は育児を通して、抱っこをしたりあやしたりなど、十二分に子どもと触れ合っています。
問題なのは、父親です。
育児は、すべて母親に任せるというケースが少なくありません。
育児を完全に母親に任せきりになり、子どもと触れ合う時間が短いことがあります。
父親も育児に参加です。
父親が育児をすると、子どもは自分に自信を持ちます。
母親からだけでなく、父親からも気にされているというのは大きな自己肯定へとつながります。
父親が子どものために絵本を読んだりすると「大切にされている」と実感できます。
叱ってくれると「自分は大切にされている」と実感できます。
学校でつらいことがあっても「自分にはお父さんという力強い味方がいる」と思います。
こうして子どもは父親からも母親からも面倒を見られることで「愛されている」と実感でき、自分に自信をつけていきます。
この自信が土台になり、子どもは強くなります。
子育ては、母親に任せきりにしないことです。
子どものためにも、父親こそ育児への参加が必要なのです。
父親は、育児を母親に任せがちになります。
「育児は母に任せている。自分には関係ない」
おや、それではいけません。
育児を母にすべて任せるのは、特別な理由がないかぎり、良くありません。
子育てを母にすべて任せようとしている時点で「父親」という仕事を放棄しています。
父親こそ、育児に参加です。
「男性が育児をする」というのは特別なことではありません。
母乳が出なくても関係ありません。
男性なりに、子どもをあやしたり、触れ合ったりできるはずです。
子どもから見る両親を想像しましょう。
絵本を読んだり、一緒にお風呂に入ったり、ご飯をつくってくれたりなど、母がすべて対応しているとどう思うでしょうか。
「自分の面倒や世話をしてくれる人がいつも母ばかりだ」
「お父さんは平日いつも家にいない。休日は家にいても、寝てばかり。父の存在とは、何だろうか」
母が親だと思うようになり、父の存在が薄れます。
まったく育児に参加しない人は「父」でも「父親」ではありません。
子どもが生まれたら自然と父親になるのではありません。
戸籍上は父でも、まったく育児に参加しない父を「親」として見てくれなくなります。
子どもから「父親」として認めてもらうためにも、育児に参加しましょう。
子育てに参加してこそ「父」は「父親」になれます。
子どもが生まれ、育児に参加して初めて父親になれます。
法律上から見た父になるのではない。
子どもから見た父親になることが大切なのです。
私がコンピューターに慣れ親しんだのは、特に父からの影響が大きいと思います。
実は、父から一度も「機械の勉強をしろ」と言われたことはありません。
しかし、こうやって今、自分でサーバーを組み立てたり、プログラムを組んだり、自分のウェブページを公開するようになりました。
私から興味を抱いて、自分から進んでしたことです。
そうなるようになったきっかけは、はるか幼いころです。
まだ私が幼い、小学1年生くらいのころまでさかのぼります。
父は、工業系の仕事をしていました。
まさに「仕事虫」という言葉が似合う人です。
仕事を家でもするタイプで、いろいろと会社から部品を持ち帰っていました。
持ち帰る部品の数々は、子どもには単なるがらくたにしか見えません。
「なぜごみばかりを持ち帰るのだろうか」と不思議に思っていました。
ねじやボルトはもちろん、磁石やなんとも言えない変な形の鉄の塊など、持ち帰っていました。
がらくたにしか見えないはずですが、不思議なものです。
父が楽しそうにがらくたをいじっていると「何だろう」と気になります。
父は変わった人です。
何が変わっているのかというと、そういう部品の組み合わせや設計書を、にやにやしながら考える人でした。
楽しそうに仕事をしているのが、見てすぐわかりました。
父が楽しそうに仕事をしているので、何をしているのかが気になり始めました。
父が触っている部品に対して「これ何?」と質問したり、変な設計書を見せてもらったりしました。
がらくた集めではなく、なにやら会社の開発に関わる大切なことをしているのだとわかりました。
父の仕事の内容がわかり始めます。
開発や設計を楽しんでいました。
それからです。
私は父のやっていることを真似るかのように、同じく部品をいじったり組み合わせたりするようになりました。
大した話ではありません。
父の持ち帰る部品を使って、積み木にしたり、並べたりしていただけです。
しかし、そんな小さな行為の中にも、何か「組み合わせる楽しさ」や「開発の喜び」が感じられました。
本当に小さな喜びでしたが、何か父のやっている楽しさを理解できました。
これが、理系に足を踏み入れる第一歩でした。
父は仕事の関係で、さまざまな部品を家に持ち帰りました。
最初に興味を持ったのは「磁石」でした。
見た目は単なる石です。
しかし、なぜか引き付け合ったり、反発し合ったりする見えない力があります。
「なんだろう。目に見えないけど、強い力を感じる」
感動して、好奇心を刺激されたことを覚えています。
「へえ、面白いなあ」と思い、さらに追求が始まりました。
次に興味を持ったのは「モーター」でした。
電気が流れることで磁力が発生し、それを利用して、回転する力へと応用していました。
「すごい、すごい!」と騒いだことを覚えています。
見えない力が、回転する力へと応用されています。
モーターに夢中の小学生になっていました。
父がなぜ仕事に夢中になっているのかが、次第にわかり始めました。
父は機械関係の仕事をしていたせいで、ほかにもさまざまな部品を持ち帰りました。
音が発せられるスピーカー。
電気を蓄積するコンデンサー。
回路に電気抵抗を与えるための抵抗器。
プログラムを蓄積する集積回路。
それら単体では役立ちません。
しかし、芸術のような組み合わせにより、素晴らしい働きをする1つの製品ができ上がっていることを知ります。
父は、そうした部品を組み合わせて、製品をつくる仕事に携わっていました。
見方を変えれば、芸術家です。
すごいなあと思い、尊敬でした。
そんなある日、衝撃の事実を知ります。
テレビやラジオも、そうした精密部品から成り立っていることを知ってしまいました。
笑えるような話ですが、妙に衝撃的でした。
まだ幼い私は、テレビやラジオの中には、てっきり人がいるものだと思っていました。
小さい人がいて、スイッチを入れると話し始めるのだろうと思っていた。
あらためて考えると、あり得ない事実だとすぐわかりますが、子どもはそういうものです。
トナカイに引っ張られたソリに乗ったサンタクロースが、空を飛んでやってくるのも、無条件に信じ込んでいた時期があります。
本当かどうか確かめようと、私は手当たりしだいにテレビやラジオを分解しました。
たしかに中に人は入っていなかった。
あるのは、父が持ち帰る、あの精密部品の固まりだけでした。
テレビやラジオは、精密部品の芸術的な組み合わせによって実現されている家電製品だと、初めて知ります。
頭をがんと殴られたような衝撃だったのです。
テレビの中には人が入っていない。
ラジオの中にも人が入っていない。
父のやっていることを真似ているうちに、こうした衝撃の事実を知ることになりました。
精密部品の塊です。
小さな役目を持った部品が、芸術的な組み合わせによって、大きな役割を発揮しています。
そういう現実を知ってしまいました。
私は、家にある物を片っ端から分解しました。
それが本当かどうか、自分の目で確かめてみたかった。
今まで自分が夢を見ていた反動でした。
「事実を知りたい!」「現実を見たい!」という強い欲求でした。
電球を割ってみたり、電卓を分解したり、電動のマッサージ器を分解したりしました。
これだけではありません。
ラジオカセット、ビデオデッキも分解です。
せっかく親に買ってもらった「ゲームボーイ」というゲーム機も分解しました。
今、思えばとんでもないことをしていたと思います。
水口家の家電製品を、片っ端から壊していきました。
破壊行為もいいとこです。
水口家のどら息子のせいで、水口家の被害総額はかなりのものになっていたと思います。
しかし、それに動じない父がいました。
本来なら、当然叱られるはずですが、父は「まあいいか、勉強になるだろう」と許してくれました。
父は機械系の仕事をしていたので、そうしたことに寛大でした。
さすがに子どもの手で分解ができない物もありました。
自動車・エレベーター・エスカレーター・ダンプカー・ブルドーザー・自動販売機などです。
そんなとき、父はある本を差し出しました。
『機械の図解』という学習本です。
A4サイズの大きな本です。
機械の中の状態が、子どもにもわかるように、カラーの立体的な絵で解説されていました。
これには参りました。
本に穴が開くほど、むさぼるように読みふけりました。
理系に火がつき、どんどんとのめり込んでいきました。
機械に対する抵抗はなくなり、着実に得意分野へ変わっていきました。
父は、学びとはまず「興味・関心」から始まることを悟っていました。
子どもが興味や関心を抱いたことを、できるだけ邪魔せず、伸ばそうとしていました。
時には破壊行為に見えても、子どもにはいい勉強になっている。
それを許せる親かどうかです。
それで子どもの一生が決まるくらいですから。
私が小学4年のとき、水口家にパソコンが登場しました。
父の仕事でパソコンが必要になったことがきっかけです。
なんと当時は50万円ほどした「PC9801」というタイプのパソコンです。
父は仕事に使っていましたが、時間があるときにはゲーム機として使わせてくれました。
パソコンには、ゲームソフトが付属でついていました。
父は、よくパソコンを使って遊びを教えてくれました。
パソコンゲームがうまくなるためには、キーボードを早く打たなければなりません。
その結果、知らぬ間にタイピングの勉強をしていました。
必死にキーボードの配置を覚え、1秒でも速く打てるように慣れていきました。
中学生になったある日のことです。
パソコンゲームというのは「プログラム言語」によってできていることを知ります。
当時私が手をつけたのは「BASIC」という簡易プログラム言語でした。
比較的、わかりやすいプログラミング言語だったので、自分も少し挑戦してみようかなと思い、ゲームをつくりました。
本当に初歩的なロールプレーイングゲームを作ったこともありました。
その後、時は経ち、20歳の誕生日のことです。
父から誕生日プレゼントとして、30万円ほどのノートパソコンを買ってもらいました。
OSは、Windows98。
当時としては高性能のノートパソコンを買ってもらいました。
自分専用のパソコンを手に入れてから、一気に勉強が加速しました。
インターネットという技術を知ります。
ホームページをつくるHTMLを覚えます。
まだ学生でしたが、サーバーを立てて、独自ドメインを取得して、自分のウェブページを一般公開するようになりました。
それが今、あなたの目の前にある、HAPPY LIFESTYLEです。
これらすべての始まりは「面白い」です。
面白いがきっかけで追求が始まりました。
磁石から始まった興味は、次第に膨らみ、機械の分解・タイピング・コンピュータープログラミングへと発展です。
HTMLというホームページを作成する言語を学び、自宅にサーバーを立ててしまうようになりました。
もし、これらのことを「勉強をしろ」と言われていたなら、現在の私はなかったはずです。
父から「機械の勉強をしろ」と強制されなかったからこそ、自分から勉強しようとする気持ちが大きくなったのかもしれません。
当時の私は、勉強とは思わず、単に遊んでいる感覚でした。
遊びのつもりでしたが結果として勉強になっていた。
まんまと父のうまい教育に乗せられた結果、今の自分がいるような気がします。
勉強の入り口は、遊びでいい。
むしろ遊びのほうが長続きしますし、一生懸命になれます。
まず、楽しさから教えます。
楽しさがわかるから、勉強も好きになります。
「遊んでいたら、勉強だった」
この繰り返しです。
どんな遊びも、突き詰めれば、勉強なのです。
父親として気をつけたい言葉があります。
「家族サービス」という言葉です。
家事や子育てをしている父親が、つい口にしてしまう言葉です。
「たまには家族サービスをしてやらないといけないなあ」
「家族サービスで週末は、家族で温泉に行こう」
「家族サービスで、子育てを手伝おう」
優しいお父さんというイメージがありますが、よくない表現です。
父親の心の内が見えてきませんか。
「家族サービスで家事や育児を手伝おう」という父親の発言に、母親はひそかに傷ついています。
家族サービスといっている時点で「家事や子育ては母親がするもの」という意識が感じられるからです。
「本当は面倒くさくてやりたくない。仕方ないやってやるか」という高慢さが感じ取れます。
家事や子育てを、一緒に協力して進めていこうとする気持ちが薄い。
サービスでやろうという意識が事務的です。
たしかに家事や育児は、母が主担当になるケースが多くあるでしょう。
しかし、主担当とはいえ、母専属の仕事という意味ではありません。
父親はサブ担当です。
時間があるときには協力して当然であり、手伝って当然です。
そこに「サービス」という言葉は存在しません。
本当にいい父親は、そんな失礼な言葉を使ったりしないのです。
父親が休日にやりたい代表は、おおむね2つしかありません。
「のんびりしたい」か「趣味を楽しみたい」かのどちらかです。
家族のために、家事や育児の手伝いなどできればいいですが、なかなか思うようにいかないことがあります。
普段の仕事疲れのため、そういう体力が残っていない場合です。
だからとはいえ、父親として家事や育児をほうっておくのは良くありません。
何かいいアイデアはないのでしょうか。
もちろんあります。
父の趣味に、子どもを誘えばいい。
私がよく小学生のころに連れて行ってもらったのは「ゴルフの練習場」でした。
父はゴルフが趣味です。
車で5分くらいの近場に、ゴルフの練習場があり、週末はよくそこへ出かけていました。
ある日「貴博も一緒にゴルフを打ちに行こう」と誘われてついていきました。
父は趣味のゴルフを楽しんでストレス発散ができるし、私も慣れないゴルフが新鮮で、楽しかった。
父のストレス発散と、子どもの世話が同時にできる一石二鳥のアイデアですね。
子どもには興味がないだろうと、先入観を持たないでください。
子どもはこういうことが好きです。
意外なところでは「外食」もそうです。
父や子どもはおいしいものが食べられる。
母は料理の手間が省ける。
親子の会話が楽しめる時間になる。
いいアイデアですね。
映画館に母や子どもと一緒に行くのも、いいアイデアです。
疲れを取りたければ温泉が最適ですね。
家族で温泉に行くと、父としては癒やされますし、子どもとしては遊びが楽しめます。
温泉が大げさなら、銭湯でもOKです。
母には、お湯を沸かす手間や湯船を掃除する手間などが省け、助かります。
そうした効率のいい余暇の過ごし方を考えてみましょう。
考えようによってはたくさんあるはずです。
2つのことを別々にやろうとするのではなく、一緒にすればいいのです。
子どものころを思い出しましょう。
父と母のどちらと接する時間のほうが多かったでしょうか。
特殊なケースもありますが、一般的にはやはり「母親」と答える人が大多数のはずです。
男性は、生まれつき女性より、力も体力もあります。
そのため、家計を支える大黒柱が父である家族構成は、まだまだ主流です。
その仕事があるために、父は平日、家にいる時間が少ない。
母に比べて、子どもと触れ合う機会が少ないです。
ひどい場合なら、子どもが起きる前に家を出て、子どもが寝た後、家に帰ってくるというケースさえあります。
子どもと触れ合う時間を増やしたいが、なかなか思うようにいかない。
するとです。
子どもにとって身近な存在は、母側に偏りがちになります。
一方、父親という存在がだんだん遠ざかって感じられるようになります。
その結果、父というと「母より遠い存在」という印象が強くなります。
父は、子どもと触れ合う時間を意図的に増やしていかないと、どんどん母親寄りになります。
母の言うことは聞くけど、父の言うことは聞かなくなってしまいます。
休日、子どもと一緒にお風呂に入ろうとしても「お父さんよりお母さんのほうがいい」と、わがままを言う。
子どものために絵本を読んでやろうとしても「お母さんのほうがいい」と言われてしまう。
触れ合う機会が母のほうが多いので、こうなるケースは多い。
しかし、ここで諦めてはいけません。
触れ合う時間が少ない父親だからこそ、時間のある休日には、母親以上に触れ合う機会を増やすことです。
最初は子どもが嫌がることもありますが、めげずに一緒に触れ合う時間を増やしましょう。
「お父さんと一緒にいても楽しいよ」ということを、きちんと体感させることです。
仕事があるから仕方ないで終わらせるのではなく、意図的に増やすことが大切なのです。
もちろん父親も育児に参加です。
母から「手伝ってよ」と言われてからでは遅い。
むしろ父から「今日は子どもの面倒は自分が見るよ」と言うくらいがちょうどいいでしょう。
父と母との仲がいいから、育児を手伝うのではありません。
父が育児を手伝うから、母との仲が良くなります。
母の育児の大変さを、身をもって理解できるようになるからです。
単なる手助け以上の意味があります。
時間のある週末は、父が完全に母代わりの役を演じてみてはどうでしょうか。
子どもの遊び相手になる。
子どもの食事をつくる。
子どものために、絵本を読む。
子どもと一緒にお風呂に入る。
短い時間でも、この時間はとても意義があります。
子どもは、手がかかります。
面倒なことばかりの連続です。
「育児は本当に大変だなあ。自分も仕事で大変だけど、お母さんも頑張っているんだな。偉いなあ」
母の大変さを理解できるようになり、自然と母への態度が優しくなります。
母の大変さを理解するには、やはり父も育児に参加するのがいちばんです。
育児とは、父と母のチームプレーです。
父と母との仲が良いと、子どもへの影響もよくなります。
2人の仲の笑顔が増えたり助け合ったりしているのは、子どもでもわかります。
父と母とがお互いに協力し合うために、母に任せがちな育児を、父も積極的に参加しましょう。
父親としては、仕事で忙しくなるほど帰宅する時間も遅くなります。
早くは帰りたいが、仕事の関係で遅くなるという家庭も多いことでしょう。
子どもが起きる前に家を出て、子どもが寝てから家に帰る。
こんなケースもあると言います。
仕方ない事情とはいえ、なんとかしたいものです。
もちろん毎日早く帰宅するのは、仕事の関係でどうしても難しいこともあるでしょう。
毎日早く帰ることができなくても、週に1回くらいならどうでしょうか。
週に1回くらいは早く帰られるように、仕事の調整をしてみましょう。
夏休みの宿題と同じ感覚です。
明日しようと思っていた仕事を、今日のうちに仕上げておけば、次の日が楽になりますね。
スケジュール調整すれば、仕事を早く切り上げられる日をつくることができることでしょう。
早く退社できるときは、もちろん寄り道をせずに家へ直行です。
子どもたちと一緒に食事ができるようになります。
やはり家族全員がそろった夕食がいちばんです。
これに勝る温かさはありません。
家族そろって食事をすることで、子どもの学校の話を聞くことができたり、子どもたちの様子を確認できたりします。
子どもは父と話をする機会が増えるので、いいことずくめです。
子どもたちと一緒にお風呂に入ることもできるでしょう。
子どもたちに体を洗ってもらったり、逆に洗ってあげたりなど、スキンシップも増えます。
週に1回だけでも夕食に間に合うよう早く帰宅するだけで、父親としての印象が良くなります。
誕生日のような特別な日に限らず、普段から早く帰られる日は早く帰るよう心がけましょう。
子どものころ、父の帰りは、いつも深夜でした。
私が寝た後に父が帰ってくる、という日も少なくありませんでした。
しかし、普段は夜中に帰宅する父でも、夕食に間に合う時間に帰る日もありました。
家族の誕生日です。
家族の誕生日のような特別の日には、必ず夕食前に家に帰ってきたのを覚えています。
いつもは遅く帰ってくる父が、そういう日に限って早く帰ってくると、子どもは「おや」と思います。
父親には少し早めに仕事を切り上げて、家に帰るだけのことでしょう。
しかし、子どもたちには、かなり印象は変わります。
「家族のために気を使っているんだ」と伝わってきます。
特別な日に、特別に気を使っている父は、子どもたちからの評価も大幅にアップです。
そのうえ、誕生日プレゼントまであれば、言うことなしです。
絶対、子どもたちは大喜びします。
父が会社でどのようなやりとりをしていたのかわかりませんが、早く退社できるようにスケジュールの調整をしていたのでしょう。
そういう場面を直接見たわけではありませんが、目に浮かんできます。
自然と子どもにはわかります。
大切なことは、そういう調整です。
父親としては、大切な日くらいは早く帰宅ができるようあらかじめスケジュール調整をしておきましょう。
可能なら「息子の誕生日で早めに帰宅したい日がある」と、あらかじめ上司に伝えておきましょう。
息子の誕生日は年に1回。
温厚な上司なら、それくらいは理解してくれるはずです。
もし、あからさまに言うのが難しければ「子どものために誕生日プレゼントを買ってあげた」という話を社内でするだけでもいい。
それとなく、周りに伝えます。
職場にいる仲間たちは「子どもの誕生日が近づいているんだな」と気づきます。
周囲からの理解が得られ、早めに帰宅しやすい雰囲気をあらかじめつくっておきます。
これも父親としての大事な仕事です。
どうしても疲れて育児に参加できないときがあります。
仕事で疲れて、育児まで回る力が出ない。
家に帰って育児とはいえ、すでに子どもたちは眠ってしまっている。
そういうときは、せめて母親に次の言葉をかけてあげましょう。
「いつもありがとう。おかげで助かっているよ」
母親に育児をねぎらう言葉です。
どんなに疲れていても、この一言くらいは言えるはずです。
たった一言ですが、この言葉があるかないかは、全然違います。
たとえ、父親が十分に育児に参加してくれなくても、この言葉を言われると母は救われます。
きちんと自分の努力や苦労を評価してくれていると感じることができるからです。
むしろ、家族のために朝から夜遅くまで一生懸命に仕事をしてくれる父にも感謝してくれることでしょう。
そういう事情は、いくらかわかってくれるはずです。
お互いに思いやる気持ち、姿勢です。
間違っても「もっとしっかり育児をしろ」なんていう冷たい言葉は言わないことです。
母は頭に来て、夫婦げんかの元になります。
母の気持ちを察して、優しい言葉をかけることで、育児は円滑に進んでいくのです。
「こら! ダメじゃないか!」
叱ると言えばどのようなイメージを持っていますか。
欠点をとがめたり、怒鳴ったりすることだと思っている人が多いのではないでしょうか。
たしかにそういう一面もありますが、それだけではない。
叱るというのは、礼儀や作法を教えるためだけのものではありません。
「愛しているよ」という気持ちを伝えるという側面も持っています。
「叱る」と「愛する」は対義語のようですが、実は同義語です。
子どもが悪さをしたとき、父親は「子どもから嫌われるのは嫌だな」と思います。
そう思う必要はまったくありません。
叱るべきときには、叱ることです。
たとえば、思春期の子どもが門限を破って、深夜に帰ってきたとします。
「どこへ行っていたんだ!」
叱るのは「門限を守りなさい」という意味だけではありません。
「お父さんは本当に心の底から心配しているんだ」という気持ちを伝えるためです。
もちろん単に「こら!」と叱るばかりではなく、子どもを案じる言葉も含めましょう。
「本気で心配していたんだぞ」
「万が一のことがあれば、お父さんは生きていけない」
「お前のためを思って怒っているんだ」
鬼のような表情の中に、温かい愛が感じられます。
叱るのは愛を伝えるものです。
反抗期の子どもともなれば「うるさいなあ」と口答えしてくるでしょう。
しかし、自分のことを心配してくれているという愛は、少しずつ伝わっています。
表面的には反抗していても、きちんと伝わっているものです。
叱るといえば、父の仕事です。
大事な場面では、叱るのは父の役目です。
礼儀や作法を教えるだけでなく、子どものことを本気で心配している気持ちを伝えるという役目もあるからです。
ときどき「叱らない父親」がいます。
世間一般からすると「優しいお父さんですねえ」という評価を得られることでしょう。
それは世間の評価はそうでも、子どもにはどうでしょうか。
ここです。
「世間からの評価」と「子どもからの評価」のずれがあります。
往々にして、ここで勘違いをします。
実は違います。
まったく叱らない父親は、優しいどころか、冷たい父親です。
子どもには、叱らない父親ほど悲しいことはありません。
どんなことをしても叱ってくれないのは、愛されていないと感じてしまうからです。
無関心であり、無視と同じです。
それは、子どもにも伝わってしまいます。
どんなに悪いことをしても叱ってくれない父親に、子どもは失望します。
「自分には興味がないんだな」
「愛されていない」
「お父さんは、私のこと嫌いなのかな」
悪い印象を抱いてしまいます。
厳しいことを言いますが、子育てを完全に放棄している最低の父親です。
優しさを演出しているのではなく、単に自分が楽をしたいだけです。
単に子どもに無関心なのは、いちばんよくないパターンです。
子どもは「悪いことをしたときはきちんと叱ってほしい」と、心のどこかで願っています。
叱るばかりではいけませんが、まったく叱らないのは、もっといけません。
叱るべき場面では、きちんと叱れる親になりましょう。
子どもは「うるさい!」と反抗しながらも、心のどこかでは嬉しく思っているのです。
「ねえ、聞いてよ。今日も大変だったのよ。あの子ったら……(あれやこれや)」
育児に疲れた母親は父親に対して、1つや2つの愚痴をこぼします。
そういうとき、母の育児の悩みに対して、男性はまず「解決策」から言ってしまいがちです。
「そんなことは、こうすればいいだろう」
一言で済ませます。
悩みを言っているのだから解決につながるようなアドバイスをするのは、一見すれば当然のことのように思えます。
しかし、解決策から返事をするのは良くありません。
母親の本音としては、まず話を聞いてもらいたいと思っています。
共感してもらいたい。
悩みを聞いて「大変だね」と共感を得たいと思っています。
自分の大変さをわかってもらい、努力を認めてもらいたい。
もちろんすべての母親に共通するとは限りませんが、そういう傾向が強いのはたしかです。
父親が母親にかける言葉は「解決策」の前に「共感」です。
「そうか。それは大変だったね」
「本当によく頑張っていると思うよ」
「そういうことがあれば、いらいらするのも無理はないね」
母の育児の苦労をねぎらい、大変さに共感する言葉をかけてあげましょう。
それだけで癒やされます。
解決策を言うなら、その後です。
自分の気持ちをわかってくれて共感した人の話は、その後も受け入れやすくなります。
子どもは母親に甘えますが、母親も父親に甘えたいのです。
父親は子どもに言います。
「自分のことは自分でしなさい!」と。
何でもかんでも親に頼らず、自分でできる範囲のことは自分でするようにしなさいという言葉です。
いつまでも親に甘えてばかりではいけないということです。
まったくもってそのとおりですね。
反論の余地もありません。
しかし、です。
面白い現象が家庭内で起こっています。
会社に向かおうとしている父親が、母親に話しかけます。
「お母さん、靴下どこにあるの?」
「ご飯まだ?」
「クリーニングに出したシャツはどれ?」
おや、おかしいと思いませんか。
父親が、もう1人の子どもになっています。
母親からすれば「自分のことくらい自分でしてよ」と思います。
大人であるはずの父親が、子どものように母親の負担になっている。
母親からすれば、面倒のかかる子どもがもう1人、家の中にいるようなものです。
あなたにそういう心当たりはありませんか。
頼りがいのある母親がいると、つい頼りがちになります。
育児に忙しい母親の余計な負担にならないために、父親こそ「自分のことはできるだけ自分でする」という当たり前をすることです。
育児で大変な時期だからこそ、母の負担を軽減するように心がけましょう。
水口家には、大きな座敷があります。
子どものころ、その大きな座敷は遊び場になっていました。
柔らかい緑色のじゅうたんが敷かれてあったので、けがをする心配もありません。
比較的、体を使った激しい遊びは座敷でするものと決まっていました。
特に父と座敷で遊んだ記憶は、今でもよく覚えています。
どんな遊びかというと、何のことはない「跳び箱」です。
跳び箱をわざわざ準備するのではなく、父が座敷の真ん中で四つん這いになり、跳び箱の代わりになります。
私は、助走をつけて、父の背中を飛び越えていました。
初めは跳び箱の高さも低いですが、飛び越えるたびに、父が少しずつ腰を上げて高さを上げていきます。
飛び越えるたびに、父が褒めてくれます。
「おっ。すごいなあ。じゃあもう少し高くするぞ」
次第に跳び箱が高くなります。
まさに「人間跳び箱」です。
単純な遊びですが、面白くてたまりませんでした。
本物の跳び箱があって、一人で飛び越えるだけでは面白くないですが、なぜか父親が跳び箱になると、面白くなります。
自分だけではなく、父と遊んでいるという家族意識。
「跳び箱が跳べた!」という嬉しさ。
父に見られているという安心感。
飛び越えるたびに父に褒められるという快感。
もっと父に褒められたいと思い、やる気を出す。
どんなおもちゃで遊ぶより楽しく感じました。
おもちゃで遊んだ記憶より、はっきり記憶に残っています。
父と遊んだ跳び箱の記憶は、昨日の出来事であるかのように覚えています。
子どもにおもちゃさえ買い与えればいい、という問題ではありません。
たしかにおもちゃも楽しくて面白いですが、何か人の温かさに欠ける部分があります。
子どもにとっていちばんの遊び相手は、やはり両親です。
とりわけ、力の強い父親は、子どもの遊び相手にはうってつけなのです。
父は仕事でストレスがいっぱい。
ストレス発散と言えば、やはり運動ですね。
休日には軽いジョギングなどをして、ストレスを発散させようとします。
ちょっと待ってください。
どうせストレスを発散させるなら、いい方法があります。
子どもの遊び相手になります。
男性である父親は、母より「力」と「スピード」があります。
その利点を生かして、父だからこそできる遊び相手になります。
育児では「力」や「スピード」が必要とされる場面があります。
そんなときこそ、男性である父親の出番です。
どれも力が必要であったり、スピードが必要であったりしますね。
こういう遊びを通して、子どもは父を尊敬し始めます。
遊びを通して、父親は男らしい「力」と「スピード」をアピールできるようになるからです。
自分より強くて、自分より早い父親と接しながら「やっぱりお父さんはすごいなあ」と尊敬します。
もちろん体をいっぱい動かして父親と遊ぶことで、健全な発育が促され、体が丈夫になります。
父親には「ストレス発散」になり、子どもには「体が丈夫になる機会」です。
いいアイデアですね。
さっそく今日から始めましょう。
子どもが悪いことをしたとき、父親は心がけたいことがあります。
「叱るのはいいが、暴力はいけない」ということです。
たった一言ではありますが、深い意味があります。
往々にして父親は、自分の大切なわが子だからこそ、熱心な教育をしようとします。
その結果、叩いたり殴ったりなど体罰でわからせようとするときがあります。
「自分の子どもだから」と思って、つい叩いてしまいます。
これは絶対に良くありません。
子どものためにと思って叩いているのでしょうが、実は子どものためになっていません。
むしろ子どもへ悪影響です。
悪いことをして父親から叩かれた子どもは、どう思うでしょうか。
「悪い人は叩くものなんだ」
「悪いことをする人は叩いていいんだな」
「抑えきれない感情は、吐き出してもいいんだな」
子どもが「暴力」を覚えてしまいます。
すると、子どもが学校で悪いことをした友人を見て、いきなり叩いたり殴ったりします。
自分の父親がそうしているから「そうするものだ」と思っているからです。
悪いことをした人を叩く父を見ているので、子どもも同じようなことをしてしまう。
本人は正義のつもりですが、客観的に見れば、単なる暴力です。
まだ子どものころならいいでしょう。
その子が大人になって社会に出て同じことをすれば、ただでは済まされません。
理性を抑えることができない癖がついて、気に入らないことがあれば、暴力事件を起こしてしまうようになります。
父親がそうしてきた場面が思い浮かび、真似をしてしまいます。
いえいえ、まだそれだけではない。
本当の問題は、いずれその子が父親になったときです。
結婚して、わが子が生まれたとき、同じように体罰でしつけるようになります。
自分がそういうふうに育てられてきたので、生まれてきたわが子にも、そういうふうに育てるものだと思ってしまうからです。
「自分が苦しい経験をして育ってきたから、あとから生まれるわが子にも同じ苦しみを与えてやる」という悪い連鎖です。
殴られることが常識になると、殴ることが常識になります。
親子代々、暴力の連鎖の始まりです。
子どものためにと思って、つい手を出してしまいがちですが、ぐっとこらえることです。
悪い連鎖が始まるかどうかのわかれ目です。
父親の教育に「体罰があるかどうか」が鍵を握っています。
痛みや恐怖でわからせようとする教育は、絶対によくないのです。
「父親が仕事をしている」とはいえ、子どもたちは抽象的な想像しかわきません。
子どもなりの父の働く姿を想像しますが、必ずしもそのとおりとは限りませんね。
そういうときこそ、父の職場を子どもたちに見せてあげましょう。
実際の仕事現場を、生で見させてあげます。
会社からの許可・機密事項・個人情報など注意を払う必要がありますが、会社によっては許してくれるところもあるでしょう。
職場の雰囲気、実際に父が座っているデスクなどを見ると、子どもたちは父親の仕事のイメージが湧きます。
父が仕事をしている内容などを見せてあげれば「お父さんはここでこんなふうに仕事をしているんだ」と理解できます。
もし会社が許してくれなければ、会社の外観だけでもいい。
子どもに父の働いているビルまで連れて行き「ここがお父さんの勤めている会社だよ」と教えてあげましょう。
「大きなビルだなあ。あのビルの中で、いつもお父さんは仕事をしているのか」
それがわかるだけでも意味があります。
なんとなくぼやけていた父の仕事ぶりを、想像できるようになります。
「行ってきます」と家を出ていった後、父はどこへ行き、何をしているのかがわかるだけでも違います。
子どもたちとの間に共通の話題ができて、話が弾みやすくなるのです。
仕事が速く切り上げることができ、夕食前に早く家に帰られそうなときがあります。
週に1回くらいは、そういうタイミングのいい日もあることでしょう。
さて、そんなときです。
もちろん早く家に帰って家族そろって夕食ですが、たまにはちょっと変化を持たせてみましょう。
気の利く父親になるためのポイントがあります。
父が早く帰れるとわかった日には、家に電話して母親に「今日は早く帰れそうだよ」と伝えます。
そのとき、次のどちらかも一緒に伝えましょう。
どちらでもOKです。
夕食を買って帰るなら「今日はお弁当やおかずを買って帰るから、夕食の準備はいらないよ」と伝えます。
帰りにスーパーによって、夕食のお弁当やおかずなどを買って帰りましょう。
重い荷物でも、男なら持てるはずです。
家族で外食をするなら「食事に出かけるから準備をしていてね」と伝えます。
家族は外出するための身支度の準備ができます。
いずれにせよ、普段と違った夕食が食べられるので、子どもは大喜びです。
しかも母親は、夕食をつくる手間がなくなるので楽になります。
父が早く帰られ、母の夕食づくりの手間が省け、家族全員と食事ができます。
父からすれば大したことはないと感じますが、母親には大助かりです。
ささいな気配りで、父親としての好感度が上がります。
子どもがいちばん喜ぶのは、やはりスキンシップです。
わんわんと泣いているなら、抱っこをしてみましょう。
すぐ泣きやむはずです。
お父さんと手をつなぐだけで、子どもはにっこりすることでしょう。
おんぶをしていると安心して、そのまま寝てしまいます。
そのくらい子どもには嬉しいことです。
心から落ち着くことはありません。
ただし、スキンシップが大切だからとはいえ、いつもべたべた触れ合うばかりではいけません。
大切なことは「愛の伝わるスキンシップ」をすることです。
たとえば、あなたが幼いころを思い出しましょう。
父や母から、おんぶされたり抱っこされたりした記憶があるはずです。
幼いころに母から抱っこされたり、手をつないだり、おんぶされた記憶は残っていることでしょう。
よくよく考えて見れば、はるか昔の記憶です。
なぜそれほど印象に残っているのでしょうか。
愛がきちんと伝わるスキンシップがあったからです。
「大好きだよ」
「愛しているよ」
「大切にしているよ」
そうした愛が伝わるスキンシップを心がけましょう。
父親は、母親よりスキンシップが少なくなりがちです。
仕事の関係で、子どもと接する時間が短くなるのは仕方ないことです。
大丈夫です。
その分、愛情たっぷりのスキンシップを心がければいい。
愛のあふれるスキンシップがあれば、回数は少なくても、ずっと記憶に残ります。
手をつなぐとき、抱くとき、おでこをなでるとき。
きちんと気持ちが伝わるようなスキンシップなら、子どもには必ず伝わります。
昔のスキンシップの記憶が残っている理由は、そうした理由からです。
男性の特徴の1つといえば「力」です。
男の子のお子さんがいる場合、しつけておきたいことがあります。
「力の使い方について」です。
男の子に「力の使い方」について教えていない家庭が多いので驚きます。
子どもとはいえ、やはり女の子より男の子のほうが強いです。
力の強い男の子は、力でけんかをしたり女の子をいじめたりすることもあるでしょう。
男の子にきちんと力の使い方を教えてあげないと、人を困らせたり叩いたりなど、悪いことに使ってしまいます。
そうした力の使い方は間違っています。
まだ幼い子どもだからこそ、早い時期に「力の使い方」を教えるべきです。
力の正しい使い方を教えるのは、早ければ早いほどいい。
あなたは子どもに力の使い方について、きちんと説明ができますか。
本当の力の使い方とは「大切な人を守るため」です。
男の子どもがいれば、きちんと力の使い方を教えることが大切です。
特に男性である父親は、それを子どもにしっかり伝えましょう。
また、そういう手本となるよう心がけましょう。
人を困らせたり泣かせたりするための力の使い方は間違っていると、真っ正面から教えてあげることです。
「なぜお父さんの力が強いのかというと、家族を守るためなんだよ」と教えてあげましょう。
「力は、人を困らせるためではない。人を助けるためにあるんだ。大切な人を守るために力を使いなさい」
母親や子どもに暴力を振るわず、むしろ家族を助けるために力を使う。
そういうところを見て、子どもは力の使い方を覚えます。
子どもは、幼いころがいちばんかわいいと言います。
10歳くらいまでは、何でも「はい」「ありがとう」と言って素直に言うことを聞く年齢です。
お人形さんのようにかわいいですが、10歳くらいを過ぎると、急変します。
悪い言葉を覚え、使い始めます。
「ばか」
「あほ」
「間抜け」
友人の影響や漫画の影響などを受け、汚くて下品な言葉を使い始めます。
子どもには、こうした下品な言葉が大変新鮮です。
使うだけならまだしも、親に向かっても、こうした汚い言葉を言ってからかい始めます。
こうなると厄介です。
急に子どもが憎たらしくなり、叱ることも急に増えてきます。
生まれたばかりのころはけがをしないように手がかかり、手がかからなくなったと思えば次は汚い言葉で親をからかい始める。
はあ、なんと子育てとは大変なのでしょう。
こういう言葉に対して、どう対処していますか。
無理やり言わせないように、叩いたり殴ったりなど、暴力でしつけようとするのは良くありません。
「叩いてはいけません」と言っている親が暴力を振るうのは、見本になりません。
難しくはありません。
子どもの下品な言葉に、いちいち本気にならないことです。
「そういう言葉を使うのはやめなさい」と忠告だけして、後は聞き流すだけでいい。
こういう言葉に親が本気で反応するのも、大人らしくない。
結局、子どもの言葉です。
心から本気で言っている言葉ではありません。
ただ面白半分、興味本位で口にしているだけです。
親も大人ですから、軽い冗談だと思い、聞き流せばいい。
精神年齢の高い親が、精神年齢が低い子どもを包み込めるくらいの度量が欲しいところです。
いちいち本気で付き合っていたら、親は身も心も持ちません。
こうした言葉を子どもがいつまでも使い続けるわけではありません。
もうしばらく成長をすれば、すぐ飽きて、言わなくなります。
物珍しい言葉を覚えて、使ってみたいだけなのです。
夫婦でよく話すのは、父親より母親のケースが多いのではないでしょうか。
もちろん父親でおしゃべりの人もいますが、そういうケースはまれです。
おしゃべりは女性の得意技であり、主導権を握っています。
平日、父親は仕事で家にいないため、日中にあった子どもの出来事や心配など、細かく連絡しようとします。
「最近、あの子なんだか元気がないみたい。心配だわ」
「あの子、今日テストで悪い点取ったの。塾に通わせたほうがいいのかしら」
「最近私の言うことを聞かなくなった。あなたからもなんとか言ってよ」
言わんとしていることはわかりますが、往々にして、話の量が多くなりがちです。
わが子のことで、話の量も力が入り、長々と話してしまいがちです。
母親の話を聞くだけで疲れてしまい、父親としては、中途半端な返事をしてしまいがちです。
「うん」
「ああ」
「まあなあ」
「はあ」
「へえ」
イエスでもない。
だからとはいえ、ノーでもない。
こうした曖昧な態度を、母親は嫌がります。
曖昧な返事をするから、母親は「きちんと聞いているの!」とヒステリックになります。
まだ返事をするだけ、いいほうです。
いちばんいけないのは、無言になることです。
母親の話に対して何の反応もなくなるのは、いちばんいけません。
無関心ということです。
女性にとって無言は、無視されたと感じます。
冷めた夫婦はここから始まります。
「夫婦の終わり」さえ、予感させてしまいます。
父親としては、面倒でも母親の話に対して、きちんと返事を返すことです。
父親がしっかり返事をし「わかったよ」と言えば、済む話です。
もし1人にさせてもらいたければ「少し疲れているから、静かにしてくれないか」と言うだけでもOKです。
「次の週末に、俺から子どもに言っておくよ」
「週末には、子どもの相手をするよ」
何か、きちんとした返事をすることです。
はっきりした返事で、妻は安心するのです。
夫婦仲がいいと、子育てにもいい影響を与えます。
「いつもお仕事、大変ね。お疲れさま」と父の仕事に感謝する母。
「いつも育児ありがとう。本当に助かっているよ」と母の育児をねぎらう父。
父が母を思いやり、母も父を思いやります。
見るからに、夫婦が愛し合っているのがわかります。
一見すると、仲がいいのは父と母の間だけです。
子どもに対して、直接何かをしているわけではありません。
しかし、仲のいい夫婦は、それだけで子育てにとても良い影響を与えます。
いい影響を与えるポイントは、3つあります。
第1のポイントは「思いやる言葉や態度を、子どもも真似すること」です。
夫婦が助け合っているところを子どもが見ることで「助け合うのはいいこと。人が喜んでいる顔を見たい」気持ちが芽生えてきます。
両親が協力したり愛し合ったりしている姿を見て、子どもも憧れを抱くようになります。
子どもの生き方にも影響を与えます。
第2は「子どもへの態度も優しくなり、愛情が注がれること」です。
子どもを育てるのは、両親です。
その両親の仲がうまくいっていると、子どもへの態度も自然と穏やかになり、愛情あふれる態度になります。
子どもには、やはりいつも優しいお父さんとお母さんでいてほしいです。
子どもへ注がれる愛情は、父親や母親からですが、その父親や母親こそ愛情が必要です。
川の上流から下流へ向かって、水が流れていくイメージです。
上流である父親・母親こそ、たっぷりの愛を抱いてほしい。
夫婦が愛し合っているからこそ、結果として子どもへも愛情がたっぷり伝わります。
第3の理由は「子どもの情緒が安定すること」です。
両親がいつもけんかをしていると、子どもも不安になります。
自分の家なのに落ち着くことができません。
不安や恐怖を感じる時間が増えて、心に悪い影響を与えます。
しかし、いつも両親が穏やかなら、子どもも安心します。
夫婦が笑顔で喜びをわかち合っていると、それを見て子どもも笑顔になります。
喜びや嬉しさを感じる時間が増え、心にいい影響を与えます。
自分の家が落ち着くようになれば、勉強にも集中する時間が増え、成績の伸びもよくなるのです。
あなたが、新しいことに挑戦しようとするときはどのようなときですか。
やはり人が挑戦しようとするときが大変ですよね。
今までとは違った新しい自分になりたい。
自分の殻を破りたいから、今まで経験のない新しいことをしようとします。
新しいことに挑戦すれば、うまくいくときもありますが、時には失敗するときもあります。
大人ですら、新しいことに挑戦するときには勇気が必要です。
時には失敗もします。
子どもなら、なおさらです。
子どもも大人同様に、新しいことに挑戦しようとするのは、成長しようとしている証拠です。
「初体験」ということです。
初めてのお使い。
初めての留守番。
初めての食器洗い。
新しいことに挑戦すれば、失敗することもあるでしょう。
いえ、大人よりうまくいかない確率は大きいはずです。
初めてのお使いで、頼んだ物と違う物を買ってきてしまう。
初めての留守番で怖くなり、泣き出してしまう。
家の手伝いで、食器洗いをしていたときに、うっかり手を滑らせて皿を割ってしまう。
そんな失敗を、怒鳴ったり叱ったりする親では良くありません。
男らしい父親なら、子どもの失敗を褒めるくらいは必要です。
「よく頑張ったね。偉い」
「今回はうまくいかなかったけど、次からはうまくいくよ」
「大丈夫? 勇気があるね!」
力強い言葉をかけて、失敗を褒めたたえてあげます。
すると子どもは「うまくいかなかったけれど、これで良かったんだ」と思い、落ち込みから立ち直ります。
「失敗を褒めたたえる」というのがポイントです。
挑戦したからこそできる失敗です。
きちんと子どもが成長しようとしている姿ですから、思いきり喜ぶのです。
心理学から言えば、人が誰かに話しかける目的の大半は「共感してもらいたいから」とのことです。
話を聞いて、納得してもらったり、一緒に気持ちをわかち合ったりしたい。
あなたにも当てはまるのではないでしょうか。
仕事のような特別な用事がある場合を除いて、考えてみましょう。
普段の日常生活の中、何気なく友人に話しかけたり電話したりするとき、どのような心理状態ですか。
「自分の話を聞いてもらいたい。わかってもらいたい」という気持ちがあるはずです。
明確に「私の話をわかって」と言葉を口にすることはありません。
それとなく「聞いてよ。今日こんなことがあってね」という話をしていることでしょう。
共感をしてもらいたいから、話しかけています。
幼い子どもでも同じです。
子どもが親に話しかける理由の大半も「共感してもらいたいから」です。
「今日、学校でこんなことがあったんだよ」
「友人とこんな遊びをしたよ」
「道端で、こんな物を見つけた」
そういうとき、親は子どもたちの話を聞いて、評価や感想をいうのではありません。
単に、共感する言葉をかけてあげればいい。
「それは大変だったね」
「つらかったね」
「そうだね、なるほど」
すると、子どもは自分の気持ちを理解してくれたと感じ、ぱっと笑顔になります。
特に男性である父親は、子どもからの話に難しく身構えて考えてしまいがちです。
「何か気の利いた返事をしてやろう」と、力を込めすぎていませんか。
アドバイスや感想を、無理に考える必要はありません。
単純に「そうか、なるほど」と共感すればいいのです。
私の実家は、兼業農家です。
週末の朝は「おい、貴博。今日も手伝ってくれ」という父の一声で、叩き起こされていました。
夏場の週末には、ミカンもぎの手伝いが慣例でした。
ミカン1個は片手で持てるほどの軽さです。
しかし、大きな籠に何十個ものミカンを詰めると、相当な重さになります。
籠を持ち上げて運びますが、まだ小学校低学年だった私には、1人では持ちきれない重さでした。
そういうとき、父はある行動に出ました。
2つある「取っ手」のうち、一方を父が持ち、もう一方を私が持つようにしました。
1つの荷物を、父と子の2人で運ぶイメージです。
重さは2分の1になります。
重さが2分の1になれば、小学生の私でもなんとか持てる重さになりました。
しかし、です。
当時、この手伝いが不思議でなりませんでした。
作業効率が悪いです。
父は力があるので、1人で荷物を持て、しかも仕事が速い。
一方、私1人では荷物が持てず、父からの協力が必要だった。
父1人がやったほうが速い仕事なのに、なぜ私にわざわざ手伝わせるのかと思います。
子どもに手伝わせることで、仕事がはかどるどころか、効率が悪くなっていました。
幼い子どもでも、その効率の悪さはよくわかるほど明らかでした。
往々にして、仕事の現場でもそういう現象が起こります。
部下に任せるより、熟練した上司が1人で仕事をしたほうが、質もスピードも速いことがあります。
では、なぜ父は仕事の効率を下げてまで、私を手伝わせたのか。
それは家の手伝いを通して、子どもの健全な発育を促すのが目的でした。
「手伝い」という名前がついていながらも、その実態は「体育の授業」です。
成長盛りの子どもは、学校の体育の時間では全然足りません。
足りない分は、家庭内で補う必要があります。
父は、力の必要な家の手伝いを通して、子どもの健全な発育を促そうとしていました。
手伝いとしての作業効率は下がりますが、子どもには体育の授業の一環になり、力をつけます。
すべての「手伝い」はそうです。
私の場合は農家だったので、特に力のある手伝いを任される機会が多かったですが、ほかの家庭でも通じる話です。
手伝いはすべて子どもの発育を促す機会になります。
犬の散歩・庭の掃除・食器洗い・布団干し。
布団は結構重いですから、いい運動になるでしょう。
すべて手伝いという名前がついていながら、体育の授業になります。
子どもが体を動かす機会になり、どんどん成長が促されるのです。