旅行には大きく分けて、2種類あります。
「国内旅行」と「海外旅行」です。
人の好みにもよりますが、国内にいるなら国内旅行のほうが旅しやすく、頻度も多いことでしょう。
昔に比べ、現代ほど海外旅行がしやすい時代はありません。
一昔前なら、航空技術が未発達だったため、遠くへ旅行をしようにも限界がありました。
船で移動するにも長期にわたる天候の予想が難しく、難破する可能性が大きい時代がありました。
私が高校3年のとき、国語の授業は稲田先生という熱血の男性教師が担当でした。
年齢は50代前半。
髪の毛は少なく、いつも忙しそうでした。
私が初めて海外旅行に行ったのは、高校の卒業旅行でした。
高校時代、最も仲の良かった男友達と一緒に、ロサンゼルスとハワイを立て続けに行きました。
卒業旅行に海外へ行こうと思った理由は、3つあります。
「高校の卒業旅行として、海外旅行をしたい」
突然の息子の主張に、親は当然、驚いた表情をしました。
当時の私はすでに大学受験に失敗し、浪人することが決定していました。
学生は、基本的にお金がありません。
学生が海外旅行に行こうとすると、親に資金面の援助をしてもらうことが大半になるはずです。
そのとき、社会人と学生とでは大きく扱われ方が異なります。
もし海外旅行が初心者なら、できるだけ敷居が低いほうがいいでしょう。
初めての海外旅行を、いきなり自分一人で宿を探して予約をしたり、行程も決めて行動したりするのは、大きな負担があります。
海外旅行に慣れた人ならわかりますが、初めての海外を経験するなら、やはり安全面を優先するほうがいいでしょう。
自分の国ばかりで生活をしていると、自国民の顔ばかりに見慣れます。
これはどこの国でも、おおむね事情は同じです。
もちろん国によって異なる人種が共存しているところもありますが、やはり母国にはその国の人がいちばんたくさん住んでいます。
海外旅行に行けば、やはりその国の料理を食べるのが楽しみの1つです。
先進国の主要都市なら、国内にいながら各国の料理を口にできます。
「海外に行く必要ないね」
現地で食べる本場料理には、期待はずれが多いことに驚かされます。
本場でも、必ずおいしいとは限らない。
国によって文化が大きく異なるため、本場の料理が自分の口に合わないことは、よくあります。
初めてグランドキャニオンに行ったとき、全然期待はしていませんでした。
行くきっかけは、ささいなことでした。
留学していたロサンゼルスで、友人が誘ってきました。
海外旅行のデビューは、いつでもOKです。
比較的に学生のころのほうが、親から資金援助も得やすく時間にも余裕がありますが、社会人でも行こうと思えば行けます。
やはり行きたいと思ったときに行きます。
海外の体験は、海外でしかできません。
そんなの当たり前だろうと思います。
たしかにそうですが、軽く考えている場合が多い。
海外旅行をしていると自然としてしまうのは「母国との比較」です。
あらゆることを比べてしまいます。
現地に着いて、母国より気温が暑い・寒いと感じる。
私はこれまでラスベガスは、何度か行ったことがあります。
今のところ3回、行ったことがあります。
「今のところ」という表現をするのは、もしかしたら今後また行く可能性が高いからです。
ロサンゼルスのサンタモニカは、ロサンゼルスの西に位置する大変有名な観光都市です。
ここは「誰と一緒に行くか」で、雰囲気がまったく変わります。
私は海外留学をしていた関係で、サンタモニカにいろいろな人と遊びに行ったことがあります。
海外旅行は、お金も時間もかかります。
時間とお金ができてからと思うと、なかなかできない。
いい方法があります。
私は海外旅行に行ってから、母国である日本のことが頭に入ってくるようになりました。
海外にいると、母国についてよく勉強できる。
国内生まれの国内育ちという生粋は、母国のことなら何でも理解して知っているような感じがします。
海外旅行をすれば、国内では経験できないような数々の体験ができます。
風習や文化など、母国とは大きく異なります。
「へえ、こういう文化があるのか」
余裕ができてから、海外旅行に行こうと思います。
余裕があるときの、海外旅行もいいですが、余裕がないときの海外旅行も、大きな意義があります。
本当に余裕がないときは、気分転換をする余裕もないはずです。
私は留学時代、バックパッカーに2人、出会ったことがあります。
1人は「ヒロユキ」という日本人男性です。
アトピー性皮膚炎で体全身が炎症でしたが、それにもめげず世界各国を旅していました。
初めてタイに行って、ホテルの1階にあるレストランで食事をしているときのことです。
ホテルのフロントスタッフの1人であるタイ人の男性から、急に話しかけられました。
「1週間後、ホテルで水道の工事を行うのだが、日本人客向けに日本語でどう書けばいいのか教えてほしい」
人間は「自己限界」のようなものを、勝手に設けています。
自分の中には「この辺りが限界」という境界線のようなものが頭の中にあり、それを超えないよう無難な生活を送っています。
日常生活では、その一線を越えない程度に、行動したり発想したりする自分がいます。
「絶対音感」という言葉を聞いたことがありますか。
ある楽音の高さを、正確に識別できる能力です。
卵を割るときに、卵を軽くぶつけますが、その音の音階を正確に識別できます。
私が留学中に思ったことがあります。
「留学をする学生の多くは恋愛を経験している」ということです。
長期の留学生のみならず、短期でやってくる海外旅行者でも、その傾向は多く見られました。
「人生はこんなもんだろう」
人間は不思議なもので、長く生きていると、すべてを見聞きしたような気になります。
長く生きると、毎日が繰り返しになり、新しい情報が入ってこなくなります。
ときどき海外旅行に行って、現地で常に写真ばかりを撮っている人がいます。
名所旧跡は、やはり写真に収めて、あとから振り返りたいと思うのでしょう。
私も昔、そういう時期があったので、気持ちはよくわかります。
2003年の1月1日。
タイムズ・スクエアのカウントダウンを最後に、私は写真を一切撮らなくなりました。
タイムズ・スクエアのカウントダウンは、世界でも最も有名なイベントの1つです。
テレビや雑誌などのメディアでは、外国での出来事を報道することがあります。
そのときのあなたの感覚は、どんなものですか。
テレビでほかの国の事件があっても「自分には関係ない」というくらいにしか思わない自分がいるのではないでしょうか。
「おや。ここに行ったことがあるぞ!」
国内旅行をしていると、行ったことのある街並みがときどきテレビに登場することがあります。
ただその風景が映っただけで、テレビに釘付けになる。
旅行には大きく分けて、2種類あります。
「国内旅行」と「海外旅行」です。
人の好みにもよりますが、国内にいるなら国内旅行のほうが旅しやすく、頻度も多いことでしょう。
その点、海外旅行は違います。
海外旅行と国内旅行とは、同じ「旅行」という文字がついていますが、まったく別の次元のものと考えましょう。
それくらい両者には、大きな違いや隔たりがあります。
海外旅行は国内旅行と比べ、一気に敷居が高くなります。
国内旅行をする以上に、時間・お金・度胸・勇気などが必要になるからです。
国内旅行なら、言葉や文化など、すでに慣れ親しんでいる部分が多いですが、海外となれば、そうはいきません。
何から何まで、母国とは大きく異なることが多いでしょう。
母国語は一切通じなくなり、見慣れない人種に動揺し、初めて触れる文化に緊張する。
見たこともない通貨で買い物をしたり、おいしいのかまずいのかわからない食事を体験したりする。
度肝を抜かれることの連続です。
そういう意味で海外旅行は、旅行という名の「勉強」です。
何の勉強かというと、教科書や人の話を聞いただけでは学べない、貴重な見識を広める勉強です。
海外旅行に行く前と後では、あなたは別人になっていることでしょう。
度胸がついて堂々となります。
話に活力と緊張感があふれて、話題が豊かになるでしょう。
それくらい衝撃的な光景を見たり、未知なる体験をしたりするからです。
ぜひとも、人生に一度は、海外旅行を経験していただきたい。
海外旅行をすると、見識が一気に広がります。
昔に比べ、現代ほど海外旅行がしやすい時代はありません。
一昔前なら、航空技術が未発達だったため、遠くへ旅行をしようにも限界がありました。
船で移動するにも長期にわたる天候の予想が難しく、難破する可能性が大きい時代がありました。
飛行機や自動車ができたのも、人類の歴史から見るとまだ最近です。
昔は、便利な移動手段がありませんでした。
しかし、今、その時代に大きな変化が訪れています。
19世紀に飛行機ができ、ほんの数十年の間に、目覚ましい航空技術の発達がありました。
安定して飛行機が飛び、また飛行機代も一般庶民に手の届く価格にまで下がりました。
価格は今も下がり続けています。
気象観測技術も発達したため、悪天候を避けられるようになりました。
移動手段になる乗り物にはさまざまあります。
自転車・車・電車・バス・飛行機。
この中で最も事故の確率が低いのは、飛行機です。
そのくらい安全面に配慮されているということです。
人類史上、現代ほど海外旅行がしやすい時代はありません。
一昔前なら、実現が不可能だった海外旅行が、今なら手の届く価格で実現できます。
これはチャンスです。
この時代に生きているなら、この人類の科学技術の恩恵を素直に受け止めるべきです。
一昔前の時代では絶対に体験できなかったことが、体験できる時代なのです。
私が高校3年のとき、国語の授業は稲田先生という熱血の男性教師が担当でした。
年齢は50代前半。
髪の毛は少なく、いつも忙しそうでした。
いちばんの特徴は、怒ったら怖いことです。
先生は、熱血であるゆえに、授業も常に本気でした。
「やる気がなければ授業を受けなくてもいい。今すぐ帰れ!」
厳しい言葉をかけられることもしばしばでしたが、それだけ生徒のことを本気で考えていました。
最も怖かった先生でもありましたが、最もわかりやすくて丁寧な授業を進めていました。
厳しい先生ほど印象に残るとは、まさに稲田先生のことでした。
生徒から嫌われることもありましたが、一方で先生を慕う生徒も多くいました。
私もその1人でした。
卒業間近になった、ある日のことです。
稲田先生は、私たちが大学生になってからのことをアドバイスしました。
「一生懸命に勉強しなさい」というお決まりの話から始まりましたが、意外な話もありました。
急に柔和な表情になってこう言います。
「学生時代こそ、たくさん海外旅行をしなさい」と。
「なぜだろう」と思って、生徒が一斉に耳を傾けます。
「社会人になってからでは時間がなかなか取れない。海外旅行は一気に見識が広まる」
「時間の余裕がある学生時代こそたくさん経験を積んでから社会人になれ。学生時代は、海外旅行もいい勉強だ」
「なるほど」と思いました。
私は今、社会人です。
社会人として仕事を始めてからよくわかりますが、社会人のほうが余裕はありません。
大人になってからのほうが、時間やお金の余裕ができそうな気がしますが、そうとも限らない。
平日は仕事があるので、朝から晩まで会社に縛られることになります。
結婚すれば、親戚付き合いに忙しくなります。
出産すれば子育てに忙しくなり、家計や子育てに回す出費が急増します。
また、冠婚葬祭のため、急な出費もあることでしょう。
人や仕事のタイプにもよりますが、多くの社会人は、お金も時間も余裕はありません。
もしかしたら、学生時代より社会人のほうが、いろいろな意味で余裕がないのかもしれません。
学生が海外旅行は贅沢と思える一面もあることでしょう。
しかし、人生全体から見て、海外旅行を経験するなら、学生時代が最適です。
稲田先生は、その事情を知ってのアドバイスをしていたのです。
私が初めて海外旅行に行ったのは、高校の卒業旅行でした。
高校時代、最も仲の良かった男友達と一緒に、ロサンゼルスとハワイを立て続けに行きました。
卒業旅行に海外へ行こうと思った理由は、3つあります。
高校3年のとき、国語の担当教師である稲田先生から「学生時代こそ、海外旅行をするベストタイミング」と言われました。
「社会人になったら仕事で忙しく、旅行に行く時間もお金もない」と言われた私は「そうだ。今がチャンスだ」と意気込みました。
尊敬する先生からのアドバイスでしたから、余計に強く影響を受けたこともあります。
そのとき、いちばん仲の良かった男友達「ヒサシ君」が、たまたま海外に興味を持っている人でした。
大学に進学したら英語を勉強して、アメリカ人の彼女をつくると、いつも言っていました。
ヒサシ君の面白いところは「英語を勉強してアメリカ人の彼女をつくる」ではありません。
「アメリカ人の彼女をつくるために、英語を勉強する」という人でした。
異性をモチベーションにすれば、学生時代は何でもできます。
そういう面白い男友達からの影響もありました。
やはり思春期です。
大きな思い出をつくりたい思いから「卒業旅行は海外に行こう」と決心しました。
通常、海外旅行は、敷居が高いです。
しかし「今だ」と思ったときに行くのがいちばんです。
難しいことは考えない。
若いときには勢いがあります。
その勢いのままに、敷居が高い海外旅行をしてしまうのです。
「高校の卒業旅行として、海外旅行をしたい」
突然の息子の主張に、親は当然、驚いた表情をしました。
当時の私はすでに大学受験に失敗し、浪人することが決定していました。
浪人が決定し、卒業式を待つ微妙な時期。
遊んでいる暇があるなら勉強しろ、と誰もが思います。
それは自分でもよくわかっていました。
しかし、そこは若気の至り。
やはり抑えきれない衝動というのがあります。
高校の卒業旅行は、一生に一度しかありません。
また刺激が欲しくてたまらない若い時期でもあります。
「無理かもしれない」と思いながら、思いきって海外旅行に行くための資金援助を、親に願い出ました。
「大反対をされるだろう」と覚悟していました。
しかし、です。
「まあ、勉強になるからいいだろう」と言って、意外にも許してくれました。
あっけなく主張が通ったので、こけそうになったくらいです。
寛大だった親に助けられました。
親に願い出たときの私の表情に、そういう覚悟がにじみ出ていたのかもしれません。
しかし、もしあのとき反対していたとしても、説得したと思います。
そのくらい「行きたい、行ってみたい、海外の様子を直接見てみたい」という気持ちでいっぱいでした。
学生は、基本的にお金がありません。
学生が海外旅行に行こうとすると、親に資金面の援助をしてもらうことが大半になるはずです。
そのとき、社会人と学生とでは大きく扱われ方が異なります。
社会人が海外旅行に行くために親に資金面の援助をすると、たいてい悪い返事が返ってきます。
「社会人として働いているだろう。自分で稼いでいるお金で行きなさい」
冷たくあしらわれやすい。
すでに自立していなければならない時期ですから、当然といえば当然です。
いつまでも親の援助に頼ってはいられません。
しかし、学生が海外旅行に行きたいといえば、一転します。
「まあ、勉強になるからいいだろう」と言われやすい。
これが学生の特権です。
学生には、2つの大前提があります。
「勉強しなければいけない時期」と「そもそも資金面に余裕がない」という大前提です。
「海外旅行」の表向きは遊びでも「見識を広めるため。勉強のため。人生経験のため」という「勉強」目的を強調します。
そうすれば、主張は通りやすい。
学生なら、遊びも勉強として受け止めてもらいやすい。
これこそ、学生の特権です。
社会人と学生とで、これほど受け止め方が異なります。
学生は、お金がなくても大丈夫です。
資金面に余裕がなくても、説得力があれば、親を納得させやすい状況や環境があります。
ダメでもともと。
初めから「どうせダメに決まっている」と考えるのではなく、一度親を説得してみることです。
援助してくれる可能性があるのです。
もし海外旅行が初心者なら、できるだけ敷居が低いほうがいいでしょう。
初めての海外旅行を、いきなり自分一人で宿を探して予約をしたり、行程も決めて行動したりするのは、大きな負担があります。
海外旅行に慣れた人ならわかりますが、初めての海外を経験するなら、やはり安全面を優先するほうがいいでしょう。
敷居を低くするポイントは2つあります。
当たり前かと思いますが、重要なポイントです。
初めての海外旅行をいきなり1人で行くのは、大変勇気がいります。
寂しいです。
犯罪に巻き込まれやすくなります。
しかし、慣れた友人同士なら、知らないところに向かう勇気も出やすく、現地で犯罪に巻き込まれる可能性も低くなります。
旅慣れていないうちは、家族や友人と一緒に行くのがポイントです。
添乗員付きのパッケージツアーなら、バスに乗っているだけで、主要な観光地を自動的に回れます。
現地の特徴や見どころなどを、添乗員がタイムリーに解説してくれることも大きな魅力です。
疑問点があれば、添乗員に質問できる。
現地の地理や事情に詳しい添乗員がいるというのは、心強いことです。
初めての海外旅行なら、まず母国に近い国から行ってみるのも妙案です。
母国に近いと、文化が似通っていることが多く、行きやすいはずです。
飛行機のフライト時間も短く、時差ぼけもありません。
たとえば、日本人で言えば韓国が行きやすいことでしょう。
外見が似ているので違和感が小さく、近場なので飛行機ですぐ行け、時差ぼけもありません。
箸を使う文化やお辞儀をしたりする文化は、日本にもあるので、溶け込みやすいことでしょう。
初めてなら、そういう敷居の低い国から行ってみるといいでしょう。
自分の国ばかりで生活をしていると、自国民の顔ばかりに見慣れます。
これはどこの国でも、おおむね事情は同じです。
もちろん国によって異なる人種が共存しているところもありますが、やはり母国にはその国の人がいちばんたくさん住んでいます。
フランスにはフランス人が多く、イタリアにはイタリア人が多く、アメリカにはアメリカ人が多い。
特に日本は、その傾向が強い。
日本は、日本人一色に染まった単一民族です。
外国人がビジネスで日本に来ることもありますが、まだまだ少数です。
そのため多くの日本人は、外国人に見慣れていません。
特に田舎なら、なおさらです。
私は愛媛の伊予市出身で、日本人ばかりの環境でした。
外国人が1人でもいると、びっくりします。
それがいきなり海外旅行で、環境が一転します。
「日本人ばかり」という環境から「外国人ばかり」という環境の変化です。
初めての海外旅行で、最初に降り立ったのは「ロサンゼルス国際空港」でした。
ロサンゼルス国際空港に到着して、まず度肝を抜かれたのは、外国人です。
入国審査のところに、世界各国の人々が数多くいました。
アメリカ人はもちろん、インド人・フランス人・中国人。
肌の色は異なり、顔の彫りは深く、耳に入る言葉も聞き慣れない。
すでにめちゃめちゃでした。
国際空港ですから、国際色が豊かであり、さまざまな人種が入り交じっていました。
今までこうした外国人の様子は、テレビや雑誌くらいでしか目にしていませんでした。
「外国人だ」くらいしか思いませんでした。
しかし、実際目の前に本物がいると、やはり違います。
脳に、がつんとした衝撃がきます。
「日本人ばかり」という環境から「外国人ばかり」という環境の変化。
そのとき「ついに海外に来たぞ」という実感が湧いてきました。
海外旅行に行けば、やはりその国の料理を食べるのが楽しみの1つです。
先進国の主要都市なら、国内にいながら各国の料理を口にできます。
「海外に行く必要ないね」
いいえ、違います。
実際に海外に出て、現地で本場のものを食べるのは、違います。
「本場」と聞くと、何でもおいしそうに思えます。
「本場のキムチ」
「本場のチーズ」
「本場のハンバーガー」
「本場のグリーンカレー」
どれも舌鼓を打ちます。
ところが実際、そうとは限りません。
実際に現地で「本場」を口にすると、結構ショックを受けることがあります。
誤解を恐れず言ってしまえば「本場はおいしくない」と思います。
もちろん本当においしいものもありますが、期待はずれが多いのも事実です。
私が韓国に旅行に行って「本場のキムチ」を食べたとき、かなりがっかりしました。
「えっ。これが本場のキムチ? これなら日本で食べるキムチのほうがおいしいではないか」
また、タイに旅行に行って本場のグリーンカレーを食べたときは、自分の口に合わなくて、残してしまったくらいです。
母国で食べるグリーンカレーは食べられるのに、本場のグリーンカレーは最後まで食べられない。
ほかの国の本場料理を食べたときも、よくそうした状況がありました。
そのとき、はっと気づきます。
実は、国内で提供されている世界料理のほとんどは、アレンジが加えられています。
日本国内で売られている「本場韓国のキムチ」とあっても、調味料や味を、日本人の舌に合うようにアレンジされています。
日本国内で売られている「本場のグリーンカレー」とあっても、調味料や味を、日本人の舌に合うように料理法を変えています。
なぜそうするのかというと、やはり売り上げを上げるためです。
まずいと思うものは売れないし、リピーターを増やすためにも、おいしくつくらなければならない。
日本で提供するなら、日本人の舌に合わせる必要があります。
それは、本場のチーズ、本場のステーキ、本場のハンバーガー、何でもそうです。
国内では「本場」とありながら「本場のように見せているもの」が多いです。
「本物の本場」というのは、現地でしか食べられないのです。
現地で食べる本場料理には、期待はずれが多いことに驚かされます。
本場でも、必ずおいしいとは限らない。
国によって文化が大きく異なるため、本場の料理が自分の口に合わないことは、よくあります。
「なんだ。本場はこんなものか」
いいえ、そこでがっかりするのではありません。
気づきましょう。
ここが勉強するポイントです。
「おいしいと思って食べるから、おいしく感じるのだ」と。
自分が感じる「おいしい」という基準は、必ずしも世界共通とは限りません。
「おいしい」という味は、あやふやです。
日本の納豆も、日本人は「おいしい」と感じても、ほかの国の人は「まずい」と感じます。
外国人は、こう思います。
「あんなもの、お金を払っても食べたくない。なぜ日本人はおいしそうに食べるのか信じられない」と。
しかし、日本では「納豆はおいしい。健康にもいい」という文化があり、そういう教えが広まっています。
テレビや新聞を見ていても「納豆はおいしい」「納豆は健康にいい」という納豆に票を投じるうたい文句がしばしば見られます。
そういう情報が入ってくると「おいしいはず。おいしいに決まっている」と思いながら食べるようになる。
だから、おいしく感じます。
問題は、味ではありません。
おいしいと思って食べるかどうかです。
各国の本場料理を楽しむコツは「おいしい」と思って食べることです。
「おいしいかどうか」を判断しながら食べるのではありません。
「これがこの国の味なんだ」と思いながら食べれば、何でもおいしく感じられます。
日本人の口に合わない本場キムチは「酸っぱいな」と思っても「おいしい」と思いながら食べると、次第においしいと感じます。
「この酸っぱいのがいいんだよ」と思えてくるから、不思議です。
それが「現地の人になる。文化になじむ。海外を勉強する」ということです。
あらゆる食事はそうです。
健康を害するものでないかぎり、おいしいと思って食べることです。
初めはまずいと思っても「おいしい、おいしい」と思いながら食べると、次第に何でもおいしく感じられます。
その瞬間、あなたの味覚がぐっと広まるのです。
初めてグランドキャニオンに行ったとき、全然期待はしていませんでした。
行くきっかけは、ささいなことでした。
留学していたロサンゼルスで、友人が誘ってきました。
「ちょっとラスベガスに行くけど一緒に行くかい。ついでにグランドキャニオンにも行く予定だよ」
「ついで」というところが、大切な点です。
あくまで「ラスベガス」が主目的でした。
「ラスベガス」というネームバリューが強すぎたため、グランドキャニオンへの期待が弱くなっていたこともあります。
申し訳ないですが、そのとき「グランドキャニオン」が何なのかも、よく知りませんでした。
「名前だけは聞いたことがある」という程度でした。
「グランドキャニオンはどんなところなの」と聞いて「これだよ」と言って見せてくれた雑誌の写真でわかったくらいです。
前提知識がまったくなかった。
旅行へ出かけます。
結論から言えば、印象に残っているのは、ラスベガスよりグランドキャニオンでした。
ラスベガスは、砂漠の中にあるギャンブルの町ということで大変有名です。
期待どおりの素晴らしい町でした。
夜でも昼のように明るく、ギャンブルをする人で大にぎわい。
期待が大きかったので「期待していたとおりだ」という感じです。
しかし、それは「予定されていた感動」でした。
そういう感動が得られるであろうことがわかっていたので、心の準備ができていました。
しかし、グランドキャニオンは違いました。
全然期待をせず「おまけ」としてついでに行ったので、完全に度肝を抜かれました。
「うわっ、なんだろう。すごい!」
現地に到着して、呆然としました。
完全に度肝を抜かれました。
急に背中から、大声で「わっ」と驚かされた感じです。
期待していなかったので、逆に驚きと感動が大きく、印象深く残っています。
「地球上にこんなところがあったのか」と、そのときの感動は今でもはっきり覚えています。
この経験を通して、私は海外旅行を楽しむコツに気づきます。
海外旅行に行くとなると、やはり期待すると思います。
期待するなと言われても、期待してしまうでしょう。
それは仕方ないことですが、あまりに期待が大きすぎると、現地での感動が「予定された感動」になります。
そこで、あえて期待しすぎないことが大切です。
「期待しつつも期待しすぎない」
これです。
少し難しいですが、海外旅行をするときは、このくらいの心持ちがちょうどいいのです。
海外旅行のデビューは、いつでもOKです。
比較的に学生のころのほうが、親から資金援助も得やすく時間にも余裕がありますが、社会人でも行こうと思えば行けます。
やはり行きたいと思ったときに行きます。
それが思い出を上手につくるコツです。
海外旅行は「行きたいな」と思ったときが、ベストタイミングです。
「いつかいつか」と思っていると、いつまでもいけません。
海外旅行は国内旅行とは違い、敷居が高いからです。
「勢い」が大切です。
勢いがないと、なかなか最初の一歩が踏み出せません。
「行きたいな」と思ったときの勢いで行くのがいちばんいい。
「時間ができてから」「お金がもっとたまってから」と思っていると「行かない理由」ばかりになってしまう。
「まあ、余裕ができてからにしよう」と思ってしまいます。
そうではない。
余裕ができてから行くのではありません。
実は「もっと余裕ができてから」と思っている時点で、余裕があります。
本当に余裕がないなら、そんなことを考えもしないはずです。
そのことに気づきましょう。
もやもやしていても変わりません。
今だと思ったその勢いで、人生は変わります。
海外の体験は、海外でしかできません。
そんなの当たり前だろうと思います。
たしかにそうですが、軽く考えている場合が多い。
あらためて考え直して、きちんと自覚することが大切です。
国内には、海外に行ったような気分にさせるものが山ほどあります。
たとえば、テレビや雑誌です。
テレビや雑誌で、海外の様子を手軽に見聞きできます。
また、大手検索エンジンの地図検索機能には、海外のストリートを3Dで映し出すものもあります。
前に進めば前に進んだ分、景色も変わります。
実際に現地の様子を写真で撮っているため、リアリティーがあります。
海外旅行に行って、その土地を歩いているかのようです。
また国内の主要都市なら、各国の料理専門店が数多くあります。
「タイ料理」「韓国料理」「インド料理」「中国料理」「フランス料理」などです。
その国に旅行して、本場の料理を食べているような気にさせてくれます。
それだけそろっていると、どう思うでしょう。
「海外に行く必要はないだろう」と思ってしまいやすい。
しかし、そうではありません。
あくまでこれらは「疑似的な体験」です。
疑似的に体験はできても、体験による刺激は部分的です。
どんなに科学技術が進歩しても、やはり本場の海外体験は、海外でしかできません。
この当たり前で重要なことを、いま一度、認識することが大切です。
その土地に行って、空気のにおいを感じたり、人々の動く様子を見たりすることは、現地に行って五感を通して得られるものです。
海外旅行をしていると自然としてしまうのは「母国との比較」です。
あらゆることを比べてしまいます。
現地に着いて、母国より気温が暑い・寒いと感じる。
現地の人の態度を見て、母国の人より、優しい・厳しいと感じる。
現地の文化を感じて、いい・悪いと感じる。
生まれ育った母国と、いろいろ見比べることができることでしょう。
しかし、そのとき比べるのはいいですが、批判は抜きにすることです。
母国と比べて良いことや悪いことなど、言いたい意見もあるとは思いますが、今は考えない。
それは後の話です。
海外旅行をしているときは、とにかくあらゆることを吸収しましょう。
吸収しなければ、本当にいいのか悪いのか、評価のしようがないからです。
最初からぶつぶつ文句を言わず、ありのままを受け入れてみます。
インドに行って手で食事を食べる風習も「手が汚れる」と文句を言わず、真似てみる。
チップの習慣がある国なら「面倒だ」とぶつぶつ文句を言わず、テーブルに置いてみる。
現地の人の態度が悪くても「礼儀知らず」と思うのではなく、そういうものだと思ってみる。
それが文化。
それが風習。
それが海外です。
ただ、ありのままを受け入れる。
そもそも勉強は、抵抗があって自然です。
海外に行ったときの、抵抗感・違和感・嫌悪感は、いい勉強ができている証拠です。
それが海外旅行の楽しさなのです。
私はこれまでラスベガスは、何度か行ったことがあります。
今のところ3回、行ったことがあります。
「今のところ」という表現をするのは、もしかしたら今後また行く可能性が高いからです。
理由は単純で「1回で全部を見切れなかったから」「もう一度見てみたいから」です。
噂のとおり、ラスベガスは素晴らしい町です。
ギャンブルの町として有名ですが、ギャンブルだけがすべてではありません。
世界最高レベルのショーやアトラクションなど、見どころが山ほどあります。
1回では見切れません。
行くたびにまったく別のショーを見ることもありますが、もう一度見たいと思わせるような、素晴らしいショーもたくさんあります。
ホテル「ベラージオ」の噴水ショーは、一生の記憶に残るほどの感動です。
しかも、ただで見られます。
夜に噴水ショーを見ると味わい深い雰囲気があり、誰でも絶句するに違いありません。
ラスベガスにはそうした一生の記憶に残るようなハイレベルのショーが、山ほど、あります。
頭がパンクしそうでした。
見どころが本当にたくさんあると、1回の旅行ではとても見切れません。
だから、何度か行きました。
それだけの価値は十分にあります。
しかも不思議なことに、2回目は、1回目とは違った味わいがあります。
2回目は、すでに概要をつかんでいるので、変わった見方や感じ方ができるようになります。
映画で、1回目より2回目のほうが、新たな発見があるのと同じです。
2回目はすでに内容を知っているので、別の視点から見ることができるようになり、1回目とは違った味わいがあります。
たとえ、同じ体験があったとしても、別の発見があるに違いありません。
行けば行くほど、味わい深くなる。
さらに3回目は、2回目とは違う別の見方や感じ方ができることでしょう。
さまざまなところで海外旅行をして気に入った場所があれば、何度も行ってみましょう。
ロサンゼルスのサンタモニカは、ロサンゼルスの西に位置する大変有名な観光都市です。
ここは「誰と一緒に行くか」で、雰囲気がまったく変わります。
私は海外留学をしていた関係で、サンタモニカにいろいろな人と遊びに行ったことがあります。
別に町が変わるわけではありません。
誰と行くかによって、感じ方が変わります。
留学中、家族が日本から遊びに来たとき、一緒に行ったことがあります。
そのときは「家族旅行」という雰囲気がありました。
家族で歩くからには、サンタモニカの主要な見どころを重点的に歩きました。
家族と一緒に観光地の雰囲気を楽しみながら、浜辺をぶらぶら歩いたり食事をしたり話をしたりしていました。
別の機会で、友人と一緒に行ったこともありました。
そのときは「遊び」という雰囲気がありました。
海辺という開放的な雰囲気が、友人との会話を盛り上げます。
海岸沿いにサイクリングコースがあったり、海辺でボールを使ってビーチバレーみたいなことをしたりなどです。
恋人と一緒に行けば「デート」という雰囲気です。
海・砂浜・潮のにおいなどが、デートの雰囲気をより盛り上げてくれます。
夕方にかけて夕日が海の水平線に落ちていく光景を、サンタモニカピアから眺めた思い出があります。
1人で行けば「一人旅」という雰囲気があります。
自分の好きなペースでゆったり過ごすことができるため、海辺を歩きながら物思いにふけることができます。
誰かと一緒に行くと、友人の言葉に影響されますが、1人で行くと、その土地の素の状態をそのまま感じることがあります。
同じ場所ではありますが、誰と行くかでまったく変わります。
海外旅行は「誰と行くか」で大きく変わります。
ロサンゼルスのサンタモニカに限りません。
どこでもそうです。
たとえば、ハワイも同じです。
きっと誰と一緒に行くかで、だいぶ雰囲気や感じ方が変わるに違いありません。
同じ観光地でも、一緒に行く人を変えると、別の味わいがあるのです。
海外旅行は、お金も時間もかかります。
時間とお金ができてからと思うと、なかなかできない。
いい方法があります。
お金も時間もない状態で、先に航空券を購入してしまいます。
最初に行きたいところを決め、休暇が取れそうな3カ月後くらいを目安に、航空券を手に入れます。
時間もお金もないのにそんなことしていいのかと思います。
いいです。
ないはずのお金も時間も、あとからつくればいい。
時間とお金はつくられていくものです。
先に航空券を入手してしまえば、もう行くしかありません。
「時間とお金をつくるしかない!」という気にさせてくれます。
先に航空券を購入することで、時間やお金の都合を合わせようと、やる気が炎炎と燃え上がってきます。
先に大切な予定を入れたほうが、スケジュールの調整はしやすくなります。
3カ月間あれば、節約してお金を貯める余裕はあるはずです。
その間、必死になります。
わくわくする日程がゴールになり、日々の生活にやる気が出てきます。
気づけば、時間もお金もできているのです。
私は海外旅行に行ってから、母国である日本のことが頭に入ってくるようになりました。
海外にいると、母国についてよく勉強できる。
国内生まれの国内育ちという生粋は、母国のことなら何でも理解して知っているような感じがします。
しかし、そうとは限りません。
生粋は、母国の大切さが感じられにくいものです。
国内にずっと居続けると、周りのすべてが「当たり前」と思ってしまうから、特徴に気づきにくい。
文化、風習など、空気のようになります。
あるのですが、感じられにくい。
当たり前すぎて、何も思わなくなる。
ゆえに、素晴らしさに気づきにくく、ありがたさが理解しにくい。
しかし、海外旅行を一度経験すると、変わります。
海外に出ると、あらゆる環境ががらりと変わります。
同時に、今まで母国では当たり前で気に留めていなかったことに、気づけるようになります。
「ああ。母国の文化や風習とは、このことだったのか」と。
比べることで、初めて違いや特徴が見えてくるようになる。
今まで感謝したこともなかった、あって当たり前だと思っていた文化や風習が、急にいとおしくなる。
田舎から都会に引っ越ししてしばらく経つと、故郷の大切さを再認識できるのと同じです。
都会に出ると環境ががらりと変わり、故郷で当たり前だったことに感謝できるようになります。
都会のほうが人もサービスも集まっているのに、故郷には代えがたいものがあると気づけます。
そう思えるようになるのも、1つの勉強です。
海外旅行をすると、なぜか以前より母国を愛せるようになります。
母国の中ばかりでの生活では、あっても、感じられにくい。
おかしな話ですが、母国を勉強するために海外に行くと言ってもいいくらいです。
海外旅行に行った後は、今までより母国を愛せるようになっているはずです。
海外旅行をすれば、国内では経験できないような数々の体験ができます。
風習や文化など、母国とは大きく異なります。
「へえ、こういう文化があるのか」
「こういう街並みが世の中にはあるのか」
「母国にはない変わったマナーだ」
おそらくそのときの姿勢は、母国と比較になっていることでしょう。
私が最も印象に残っているのは、アメリカに旅行した際の「チップの習慣」でした。
アメリカではレストランで食事し終えてテーブルを離れる際、テーブルの上に15%前後のチップを置く習慣があります。
チップは食事を提供してくれたウエイターやウエイトレスへの感謝の気持ちです。
一方、日本ではチップという習慣はありません。
食事の会計の中に、チップも含まれているという考え方です。
結局どちらも、支給してくれた人への感謝の気持ちです。
それをどこで表現するかの違いだけです。
「テーブルの上か、レジなのか」です。
初めて日本を離れ、海外で「チップ」という慣れない習慣を体験したとき、正直、最初はとても面倒と思いました。
しかし、しばらく滞在を続けているうちに意識が変わってきました。
チップのある習慣の国のほうが、行き届いたサービスを提供している場合が多いと感じます。
自発的にサービスを提供しようとする姿勢や心がけが、まっすぐ伝わってきます。
なぜでしょうか。
このサービス精神は、チップがある習慣があるからこそ湧き出てきます。
お客さんとしては、素晴らしいサービスを提供してもらえれば、チップとして感謝を表現できます。
金額であり、数字として評価できる。
サービスを提供する側も、より多くのチップを得たいがために、仕事を工夫したりやる気を出したりします。
その結果、気持ちが引き締まったり自発的にサービスを工夫したりするようになります。
チップの習慣によって、自然と人が育つシステムであることに気づきました。
そういうメリットがあると「チップという習慣もいいな」と思いました。
レジで淡々とお金を払うのも気楽でいいですが、テーブルの上で感謝を表現する文化も悪くはない。
そう思えるようになることが大切です。
この比較は、母国にはない経験を海外でして、初めて得られる感覚です。
海外の経験で何が貴重なのかというと、そういう母国にはないサービスを受ける場合があることです。
今まで常識だと思っていたものとは違う、別の習慣や文化に出会うと、ぱっと視野が広がる感覚があります。
未知の経験が、素晴らしい教養です。
教えられたわけでもなく「なるほど」とわかるのです。
余裕ができてから、海外旅行に行こうと思います。
余裕があるときの、海外旅行もいいですが、余裕がないときの海外旅行も、大きな意義があります。
本当に余裕がないときは、気分転換をする余裕もないはずです。
すでに気持ちに余裕がない状態のため、自分でも何をどうすればいいのかわかりません。
仕事であれ勉強であろうと、余裕がないときは頭が固くなっている状態です。
もんもんとした状態を打破するために、気分転換がてら海外旅行に行ってしまいます。
近場でも結構です。
海外にいけば環境ががらりと変わりますから、必ず気分が変わります。
だから海外旅行をする意味は大きい。
強制的に気持ちをリセットさせてくれる効果があるためです。
私は留学時代、バックパッカーに2人、出会ったことがあります。
1人は「ヒロユキ」という日本人男性です。
アトピー性皮膚炎で体全身が炎症でしたが、それにもめげず世界各国を旅していました。
「次はグアテマラに行ってみたいなあ」と言いながら、いつも背中をかいていました。
そのくらい旅が好きです。
もう1人は、すでに結婚して、子どももいる日本人女性でした。
旦那と子どもがいるのに、ほったらかしにして旅に出かけています。
「おいおい、それでいいのか」と思います。
冷たいのかと思っていると、財布にはきちんと旦那と子どもの写真が入っています。
自分とは、大きく異なる価値観を持っていることはたしかで、よく話をしていました。
ある日、2人のパスポートを見せてもらう機会がありました。
これがすごいです。
パスポートの査証欄に出入国スタンプがびっしり押されている。
もう押す場所がないので、査証欄を増補されている状態です。
これは入国審査の人も、まずスタンプを押す空白を探すのに苦労するはずです。
これはもはや、パスポートではありません。
証明書です。
スタンプがあるほど、海外を何でも経験した証拠になります。
それは勇気がないとできません。
パスポートの入国のスタンプは「あなたには勇気があります」という証拠にもなるのです。
初めてタイに行って、ホテルの1階にあるレストランで食事をしているときのことです。
ホテルのフロントスタッフの1人であるタイ人の男性から、急に話しかけられました。
「1週間後、ホテルで水道の工事を行うのだが、日本人客向けに日本語でどう書けばいいのか教えてほしい」
という内容を英語で聞かれました。
「それならこう書けばいいですよ」
私は手本になるような日本語を書きながら、しばらく英語でタイ人と会話をしていました。
それがきっかけで、しばらく雑談のような会話を15分くらい続けました。
物腰が低かったり、一生懸命になったりなど、タイ人の国民性のようなものが、少しずつ伝わってきました。
私も楽しくなって、つい長話をしてしまいました。
形式張ったところをなくし、現地の人と会話を交わすことで、現地の人の様子や生活感などが伝わってきました。
ガイドブックを読んでいるだけでは得られないことです。
現地に着いてぜひしてほしいことは、現地の人と少しでも会話を交わすことです。
海外旅行と言えば「観光地を見て回る」という印象が強いことでしょう。
「土地」に対して、強く注意が向くのではないでしょうか。
しかし、必ずしてほしいことがあります。
「人」に対しても、注意を向けてほしい。
具体的に言えば、現地の人と会話してほしい。
ポイントは「挨拶」ではなく「会話」です。
「挨拶」と「会話」は、全然違います。
挨拶は、社交辞令のような決まりきった言葉です。
「おはよう」や「お願いします」「ありがとう」という言葉もコミュニケーションですが、どこか形式張ったところがあります。
一方で会話は、お互いのことを伝え合う具体的なコミュニケーションです。
現地の言葉の理解がない場合、たどたどしい英語でもOKです。
身ぶり手ぶりのようなボディーランゲージでもかまいません。
「伝えたい」という気持ちは、必ず相手に伝わりますし、また相手からも何か伝わってくるものがあります。
人間は「自己限界」のようなものを、勝手に設けています。
自分の中には「この辺りが限界」という境界線のようなものが頭の中にあり、それを超えないよう無難な生活を送っています。
日常生活では、その一線を越えない程度に、行動したり発想したりする自分がいます。
それは、変化の乏しい生活に囲まれていたせいでもあります。
見慣れた風景に、いつもと変わらぬ日常では、なかなか自分の限界を超えるのが難しい。
変化を求められない生活でしたから、変化をする必要性もありませんでした。
しかし、海外を経験すると、変化が求められます。
海外旅行で新天地を経験するためには、大胆な発想や行動力が必要です。
現地での買い物は現地の通貨が必要であり、現地の言葉で会話を交わし、現地のルールやマナーに従う必要があります。
自分を変化させていかないと、対応できない。
それは今までの限界を超えようとしている証拠です。
海外では、いろいろな経験ができます。
文化・風習・通貨・言葉・街並み・人種。
感動できる体験、変な人、おぞましい光景、不思議な景色などです。
そういう母国では非日常的な経験をすることで「ここが限界」というストッパーが外れやすくなります。
海外に目を向けると「なんだ。いろいろな可能性があるではないか。我慢する必要はないんだ」ということに気づくからです。
そのため帰国してからは、以前より勇気ある行動ができるようになったり、発想が大胆になったりします。
これまでの自分の殻を破ることができるようになります。
自分を変えるのは、難しいようで実は簡単なのです。
「絶対音感」という言葉を聞いたことがありますか。
ある楽音の高さを、正確に識別できる能力です。
卵を割るときに、卵を軽くぶつけますが、その音の音階を正確に識別できます。
一般的にこの絶対音感を身につけるためには、3歳までが勝負と言われます。
脳が大変柔らかい3歳までに、何かの音楽教育を受けると、脳が適応しやすい。
子どもが母国語を認識するのは、8歳までが勝負と言われます。
8歳までに集中的に学んだ言葉を、自分の母国語と脳が認識します。
若いうちは脳が柔らかい。
脳が柔らかいうちに受けた刺激は、自分の基盤や土台になりやすい。
子どもは小さな体とは裏腹に、大人顔負けの圧倒的な吸収力があります。
柔らかいうちに勉強するほうが吸収は早く、忘れにくくなります。
この時期を見逃さないことです。
海外旅行に行くときも同じです。
「海外旅行にいく」と聞くと「贅沢」「いいご身分ね」「時間とお金に余裕があっていいね」と嫌みを言われることがあります。
若者ならなおさらです。
「学生の身分で」「若者のくせに」という言葉で、海外旅行に否定的な言葉を受けやすい。
しかし、そうした言葉は無視して結構です。
本気で信じて、大切な経験を先に延ばしていると、吸収力が弱くなります。
若いうちに経験するからこそ、異文化の吸収が早くなります。
同じ刺激でも「いつ刺激を受けるか」は重要です。
絶対音感や母国語の認識のように、早い時期に刺激を受けるほうが、その人の一生を決める重大な経験になる可能性が高いのです。
私が留学中に思ったことがあります。
「留学をする学生の多くは恋愛を経験している」ということです。
長期の留学生のみならず、短期でやってくる海外旅行者でも、その傾向は多く見られました。
海外で出会った人と、あっという間に恋に落ちる。
現地に住んでいる人との恋愛もありましたが、特に目立ったのは、海外にきている人同士による恋愛です。
こうした話は、留学中にたくさんあります。
実は私も、恋愛をしたことがあります。
アメリカロサンゼルスで出会った日本人女性と恋愛して、毎日デートをしたり一緒に暮らしたりしていました。
自分の人生の中で、最も情熱的な恋愛でした。
経験したことがある身なので、なぜ海外に行くと恋に落ちやすくなるのか、心当たりがあります。
理由は、2つあります。
1つは「母国のしがらみからの解放」です。
国内では身近に家族や知り合いなど、多くの人間関係に囲まれています。
そういう人たちがいるからこそ人間関係は安定しますが、一方で何か思いきったことはしづらい。
ささいなことも近所の噂になりやすく、体裁や世間体などを考えます。
そのため実家の近所では、保守的で無難な行動ばかりになりやすい。
なかなか思いきったことができません。
しかし、海外に行けば、これまでの人間関係から解放されます。
周りは知らない人だらけ。
母国のしがらみからの解放があるため、思いきって恋もしやすくなります。
2つ目は「海外ならではの開放感」です。
今まで見たこともない土地を見ていると、気分が高揚します。
たとえばロサンゼルスのような年中気候が温暖で天気がいいところなら、町全体がデートスポットのようなものです。
海外では、数多くの観光地などのおかげで、わくわくしやすい。
その気分の高揚が常にあるため、海外で出会った異性とも、気分が高揚した恋愛になりやすい。
海外では、この2つの条件が自然と重なります。
国内では決してできない、今までの自分の殻を破った激しい恋愛をしやすいのです。
「人生はこんなもんだろう」
人間は不思議なもので、長く生きていると、すべてを見聞きしたような気になります。
長く生きると、毎日が繰り返しになり、新しい情報が入ってこなくなります。
すると、すべてを知ってしまったかのような感覚になります。
「もう新しいことはないのではないか」と思えてくる。
しかし、そうではない。
知らないだけです。
新しい情報が入ってこないと頭はどんどん固くなり「人生こんなものか」と卑屈で投げやりの態度になってしまいやすい。
頑固になり、態度やマナーも悪くなります。
固くなった頭にもう一度柔らかさを取り戻すためには、想像できないような光景を目にすることです。
本当に素晴らしい景色というのは、心を浄化させ、これまでの常識を一変させます。
私が度肝を抜かれた光景の1つは、ロサンゼルスにある「グリフィス天文台からの夜景」です。
夜景は夜景でも、ここから見る夜景は、想像を絶する絶景です。
「世の中にこれほど美しい光景があったのか」
ダイヤモンドがちりばめられたかのようにきらきら輝く夜景に、完全に言葉を失い、放心状態になります。
生きていて良かったという言葉を普段は恥ずかしくて言えませんが、このときばかりは本当に生きていて良かったと思いました。
そのくらい想像を絶する美しさと感動があります。
海外で一度、想像の範囲を超えた光景を見ることです。
すると、一変します。
自分が大きいと思っていたスケールの小ささに、反省します。
まだまだ世の中には新しいことや感動できることがたくさんあるぞ、と思えてきます。
海外にはこのほか、数多くの絶景があるはずです。
特に「世界遺産」として登録されているものには、どれも素晴らしいものばかりです。
「人生こんなものか」と思い始めたら、一度ショックを受けに海外旅行してみましょう。
一瞬で、変わります。
ときどき海外旅行に行って、現地で常に写真ばかりを撮っている人がいます。
名所旧跡は、やはり写真に収めて、あとから振り返りたいと思うのでしょう。
私も昔、そういう時期があったので、気持ちはよくわかります。
もちろん家族や友人と記念撮影をするのはいいと思います。
しかし、視界に映るすべてを収めてやろうと夢中になるのは、疑問があります。
少しやりすぎではないかと感じます。
すべてをカメラに収めれば、家に帰ってから時間をかけてゆっくり確認できると思っているのでしょう。
しかし、そうすればするほど、大事な経験が抜けてしまいます。
夢中になって写真を撮っているため、その瞬間の感動が感じられにくくなってしまいます。
写真を撮ることもいいですが、撮ることばかりに夢中になりすぎないことです。
そのときの感動は、そのときしか味わえません。
便利なカメラがあるおかげで、旅行の感動が半減されていませんか。
いま一度、カメラを持つ手を離し、自分の目と体でその場の感動を味わうことです。
感動は、常に一瞬です。
その土地の感動は、そのとき、その瞬間しか味わえません。
タイムリーです。
写真であとから振り返ろうと思っても、映像だけになってしまう。
写真には残せない感動を、記憶に残すことです。
振り返って本当に感動できるのは、写真より記憶なのです。
2003年の1月1日。
タイムズ・スクエアのカウントダウンを最後に、私は写真を一切撮らなくなりました。
タイムズ・スクエアのカウントダウンは、世界でも最も有名なイベントの1つです。
そのときの光景を写真に収めようとしていて、むきになっていました。
しかし、突然気づきました。
「写真を撮ってやるぞ」と躍起になるほど、その瞬間の感動を、本当に心から味わっていない自分に気づいた。
それからというもの、一切の写真を捨てました。
今まで撮った1,000枚以上の写真も、全部捨てました。
これからは「写真」として残すより「記憶」として残そうと思いました。
「そんなことしたら、あとから振り返られない」と思いますが、振り返ることはできます。
そもそも記憶に残っていないのは、写真を撮ることに専念しすぎていたためです。
きちんとそのときの感動を心から味わっていれば、必ず記憶に残ります。
写真として残さなくても、記憶として残せばいい。
それは場所もお金もかかりません。
なにより記憶には、写真にはない素晴らしい機能があります。
時間とともに、ぼんやり色あせてしまうことです。
欠点のように思えますが、実に素晴らしい長所です。
あるようでないような、ぼんやりした記憶の状態がいい。
ぼんやり色あせた状態のほうが、思い出したとき哀愁を伴って「懐かしいな」「そういうこともあったね」と感動させられます。
それは写真にはできないことです。
写真は、あまりにはっきり映っていると、生々しくて白けます。
カラーの人物写真より、白黒の人物写真のほうが、味わい深いのと同じです。
古い様子や色あせた状態が長い歴史を感じさせ、深みを感じさせる。
だんだん時間とともに色あせていくのは、ワインのようです。
はっきり残すことだけがすべてではありません。
時間とともにぼんやりしていく記憶のほうが、哀愁が帯びるため、深い感動があるのです。
テレビや雑誌などのメディアでは、外国での出来事を報道することがあります。
そのときのあなたの感覚は、どんなものですか。
テレビでほかの国の事件があっても「自分には関係ない」というくらいにしか思わない自分がいるのではないでしょうか。
実は私も、以前はそうでした。
「人種が異なる」というのは「別の生物」のように捉えがちです。
肌の色・言葉・文化などが自分とは違い、別物という感じがあります。
第一印象として、そうした外見面から捉えてしまいがちです。
しかし、そうではない。
「肌の色・言葉・文化などの違いがあり、人として別物」というのは誤りです。
逆です。
「人としては同じで、違うのは肌の色・言葉・文化」というほうが正しい。
学校の教科書では「世界の人はすべて、同じ人間」という勉強をします。
それはあくまで頭でする勉強です。
わかっているようで、わかったつもりだけになっている。
知識でわかっていても、ほかの国の人と直接接する時間がないと、本当に実感が湧きません。
海外旅行には、そういう誤った認識を正す効果があります。
いくつかの国を回って、現地の人々の生活風景を目にすることでしょう。
すると、人として中心になる部分は、どの国も同じだということに気づきます。
私は海外旅行をするたびに思うことがあります。
「海外の人は、もっと怖いかと思っていたけど、普通だった」ということです。
みんな人は同じです。
生きるために働いてお金を稼ぎ、家族を構成し、食事をしたり寝たりです。
人と愛し合ったり、仲のいい友人と語り合って笑ったり、時にはけんかをしたりです。
喜怒哀楽は、完全に世界共通です。
人としての根底は、世界のどの人も同じであることを、教科書からではなく、実体験から学べるのです。
「おや。ここに行ったことがあるぞ!」
国内旅行をしていると、行ったことのある街並みがときどきテレビに登場することがあります。
ただその風景が映っただけで、テレビに釘付けになる。
あらためて考えると、不思議です。
集中しなさいと誰に言われるまでもなく、自然と集中して見てしまう。
一度でも行ったことがあると、やはり思い入れがあるため、関心を抱いてしまいます。
海外でも同じです。
たとえば、アメリカのロサンゼルスに海外旅行に行ったとします。
ビバリーヒルズ・サンタモニカ・ハリウッドなどを楽しんで帰国します。
帰国してからは、ロサンゼルスに対して敏感に反応する自分がいるはずです。
テレビでビバリーヒルズ・サンタモニカ・ハリウッドなどが映るたびに「行ったことあるぞ」と思って、見てしまいます。
もう少し規模を大きくして言えば「アメリカ」という国に対しても「行ったことあるぞ」と思うようになります。
アメリカのニュースを、以前より興味を持ち、注意深く見ることができるようになります。
国内旅行の例と同様、集中しなさいと誰に言われるまでもなく、自然と集中して見てしまう。
ここです。
興味があるから行くのではありません。
行くから興味が出てきます。
海外に関心を持つのは、実は難しいようで簡単です。
一度、その土地に行けばいい。
自分が一度行ったことのある場所は、その後、自然と気になり始めます。
早くから海外を経験すれば、自然と海外に関心を持つようになります。
海外に関心を持つことで、テレビのニュースをより深く聞けるようになり、国際感覚が養われます。
海外に行った効果は、すぐは表れません。
帰国後、そういう変化が、少しずつ表れてくるのです。