人生では明るい方向へ顔を向ける人が、明るくなれます。
なぜヒマワリは、太陽のほうへ顔を向けるのか、ご存じですか。
朝になり太陽が出ると、日の出る東へ顔を向けます。
学校の給食では、いちばん好きなものから食べるのが、賢い食べ方です。
私は学校の給食のとき「いちばん嫌いなものから食べなさい」と、いろいろな人から教わりました。
世の中のことが、まだよくわからない小さい子ですから、従うしかありません。
健康は、人生の土台です。
健康がなければ、やりたいことができません。
健康を手に入れている最中は、その価値がわかりません。
「好き」は魔法の言葉です。
口に出せば出すほど、実現します。
私たちは宇宙人ではありませんから、好きと思っているだけでは気持ちを伝えることができません。
部屋がきれいな人は、思いやりがある人です。
部屋を掃除する人は、部屋にお世話になっていることに感謝をしているからです。
服をたたむことは、しっかり服に感謝をしていることです。
世の中に存在する人は、すべて先生です。
学ぶことがない人は1人もいません。
みんなそれぞれだからです。
比べる人は、他人とではなく過去の自分とです。
他人と比べることは、競争をすることです。
2番、3番は大変ですが、1番も大変です。
読書に暗い印象があると思っている人がいます。
それは誤解です。
そんなことはありません。
謙虚な人は、人生で得をします。
謙虚なら、相手に好感を持ってもらえ、いろいろなことを学ぶ姿勢になっているからです。
謙虚な人は吸収が早いということです。
生きている間の時間を生き生きさせたければ、自分の中で波をつくる必要があります。
「ハレとケ」という言葉があります。
ハレは祭りの日のことを表し、ケは普段の日のことを表します。
親しき仲にも礼儀ありです。
仲のいい友人とは、気持ちが緩むため、言葉遣いが乱暴になることがあります。
こちらが乱暴な口になると自然と相手も乱暴な口の利き方になります。
人の悪口を言うのはやめましょう。
人の悪口を言うのをやめれば、自分の悪口もなくなります。
人は不安な生き物です。
歩く習慣を身につけると元気になります。
私は留学時代3年半の間、車を買いませんでした。
必要がなかったからです。
私は自分の書いた原稿を、隣の部屋に住んでいた友人に見てもらったことがあります。
元気になるような本を書きたくて、なんと言ってもらえるか、見てもらっている最中はとても不安でした。
感想は「本当だ。元気になるね」という一言でした。
私の友人で、いつも笑っている人がいます。
特に楽しいことがあったわけではないのですが、いつもうまく笑いに持っていく達人です。
彼は客商売で働いているため、仕事上、いつも新鮮なネタを持っています。
私はよく友人から「いつも元気だね。落ち込むことないの」と聞かれます。
私はよく落ち込みます。
落ち込むときは、落ち込みます。
私には、ある習慣があります。
ことあるごとに「今の行いで本当に良かったのだろうか」と振り返る習慣です。
もはや癖と言ってもいいでしょう。
自分の考えがあるというのは、素晴らしいことです。
自分の意見を持ち、道理に合っていると、気持ちの良さを感じます。
周りに流されることなく、自分の意見を持つのは、その人らしい人格を感じさせます。
大きな変化には「改善」より「改革」です。
改善とは、3%ずつのような、少しずつの変化をする意味です。
改革とは、70%のような、大胆で大きな変化をする意味です。
今日、2003年、8月18日、月曜日。
私は朝、散歩をしていると、道路でハトが死んでいました。
死に方から見ると、どうやら車にひかれたようです。
人は、必ず死ぬようにできています。
消費期限のある、生き物です。
人だけに限ったことではありません。
夢を実現する方法を知っていますか。
簡単です。
行動することです。
戦国時代、日本統一を果たした人物として、豊臣秀吉がいます。
秀吉は、チャンスをつかんだ人です。
秀吉は農民出身で、貧しい暮らしをしていました。
笑う側と笑われる側。
こう聞いて、どちらのほうが明るくて楽しそうな人生を送っているように感じますか。
とっさに思い浮かべたのは「笑う側」ではないでしょうか。
ごちゃごちゃした生活より、すっきりした生活のほうが、気持ちいいです。
すっきりするとは、シンプルにするということです。
私はいつも自分の生活を少しでもすっきりしようと、シンプルにしています。
明るく楽しい人生を送ることは、難しいようで、実は簡単です。
たった1つを意識するだけです。
「行動」です。
宇宙人が、地球にいまだ侵略できないのは、地球に重力があるからです。
宇宙人といえば、痩せ細った体格が定番です。
機械や技術の文明に頼りすぎて、肉体が貧弱になってしまったのでしょう。
世間が厳しいことは、実は大変ありがたいことです。
私の父には「世間は、そんなに甘くない」という口癖があります。
父はあと5年もすれば定年を迎えます。
自分らしい生き方をするなら、自分に対して正直になることが大切です。
自分に対して正直にならないと、自分らしく生きられません。
「正直になる」と言いますが、なかなかこれが難しいものです。
「生まれること」と「生きていること」というのは、別の話です。
「生きている」ということは「生かされている」ということです。
生かされているということは、誰かがあやつり人形のように、私たちを生かせてくれているのです。
人生では明るい方向へ顔を向ける人が、明るくなれます。
なぜヒマワリは、太陽のほうへ顔を向けるのか、ご存じですか。
朝になり太陽が出ると、日の出る東へ顔を向けます。
お昼になれば上を向き、日の沈むときには西を向いています。
太陽のほうへ顔を向けることで、葉緑体が光合成できるからです。
ヒマワリは、光がこないからとはいえじっとしません。
自分から光の当たるほうへと顔を向けます。
光の差す方向へ顔を向けるから、生き生き育つことができるのです。
人生も同じです。
光が輝いている方向がわかっているのに、顔を向けないと光合成できません。
それでは、生き生き生きることができません。
人生では、明るい光のある方向へ積極的に顔を向ける人が明るくなれます。
暗い人は明るい方向に顔を向けていないから、明るくなれないのです。
明るい方向へ顔を向けば、明るくなれます。
人生、明るくするのは簡単なことなのです。
人生を歩む方向は、自分にとって明るい方向であることです。
だからいつもヒマワリは、明るい一生を送ることができているのです。
学校の給食では、いちばん好きなものから食べるのが、賢い食べ方です。
私は学校の給食のとき「いちばん嫌いなものから食べなさい」と、いろいろな人から教わりました。
世の中のことが、まだよくわからない小さい子ですから、従うしかありません。
私は仕方なく言うとおりに「いちばん嫌いなもの」から食べていました。
頑張っていちばん嫌いなものを食べ終わったときに、次に何を食べようか残りを見ます。
言われたとおり残った中で「いちばん嫌いなもの」を食べます。
食べ終わり、また次に何を食べようか見渡して、言われたとおり、また「いちばん嫌いなもの」を選んで食べます。
それを続けると、最後に1つ残ります。
それは私が本当に食べたかったいちばん好きな食べ物でした。
そのとき、私は思いました。
「あれ、これは何か違うような気がする」と。
もし、いちばん嫌いなものから始めると、常にいちばん嫌いなものを食べることになります。
まあまあ嫌いな食べ物でも、いちばん嫌いなものから片付けていくと、全部がいちばん嫌いなものになります。
人生、いちばん好きなことをするときに、いちばんの我慢から始める必要はありません。
そんなことをしていたら、いちばん好きなことをする前に人生が終わってしまいます。
人の寿命は永遠ではないのです。
限られた人生を明るく楽しく生きるためには「いちばん好きなことから始めること」が大切です。
いちばん好きなことから終わらせていけば、次に来るのもいちばん好きなことです。
そうすると、人生の間はずっといちばん好きなことをし続けることができます。
「いちばん好きから始める」
これが賢い生き方なのです。
健康は、人生の土台です。
健康がなければ、やりたいことができません。
健康を手に入れている最中は、その価値がわかりません。
失って初めて気づくものです。
私が留学生活の最中、一度入院したことがありました。
救急車で病院まで運ばれたのは、生まれて初めてでした。
そのくらい健康を崩した経験も、生まれて初めてです。
おなかが痛くて、まさに「立っていられない」「気が狂いそう」という状態でした。
病院で手当てを受け、時間がたつとともにようやく激痛も治まってくれました。
そのとき初めて「痛くない。嬉しい」と思いました。
痛くないだけで、感動できるほどに嬉しかったのです。
日頃、私たちは体が痛くないのが普通です。
しかし、体が痛くないことは、実はとても幸せなことなのです。
体が不自由なく自由自在に動かせることは、恵まれていることです。
経営者がいちばん気にしているのは、会社より自分の健康だといわれています。
会社を背負っている人の健康が崩れてしまえば、即、会社も崩れてしまうからです。
あげくには、自分の人生まで崩してしまうからです。
だからとはいえ、健康ではない人も実は幸せです。
健康の価値を知っているからです。
生きているということだけで、健康的なことです。
明日があるからです。
「明日は何をしようか? 明日はあそこへ行ってみよう」とやることがあります。
それを実現できる「生きている」を手にしていることは素晴らしいことなのです。
私も今、生きています。
明日もやりたいことがたくさんあります。
私はいつも「こうしてはいられない」という気持ちになっています。
やりたいことがたくさんあって、これからも長く生き続けていきたいからです。
これもすべて健康あってのことです。
健康に感謝をしましょう。
健康があるから、やりたいことができるのです。
「好き」は魔法の言葉です。
口に出せば出すほど、実現します。
私たちは宇宙人ではありませんから、好きと思っているだけでは気持ちを伝えることができません。
好きを伝えるために、わざわざ超能力を磨く必要はありません。
自分の口で「好き」と言えば、それだけでいいのです。
人に対してだけでなく、物にも記憶にも景色にも、いろいろなことに対して有効です。
私も実際「好き」とよく口に出して言っています。
口に出して言うようになってから、明らかに周りの様子が変わってきました。
それは、周りが変わったのではありません。
実は、自分の内側が変わっていっているのです。
口に出すことで、自分で自分を口説いているのです。
女の子を口説くときに大切なことは、まず自分を口説くことです。
自分が本当に相手のことを好きなのかを口に出してみなければ、はっきりしません。
しかし、口に出して言うと、はっきりします。
自分の大切な物にも「好き」ともっと言ってあげましょう。
大切な物が、もっと輝き始めます。
あなたは自分が好きですか。
あなたは自分の人生が好きですか。
好きであるなら、もっと「好き」と言ってあげましょう。
たとえ好きでなくても、嘘でもいいので「好き」と言ってしまいましょう。
理由は、あとからつけてしまえばいいのです。
「好き」という言葉は、プラスのエネルギーの塊です。
たくさん言えば言うほど、たくさんプラスのエネルギーがたまっていき、ついには本当に好きになります。
たった一言ですが、大きな意味があるのです。
「好き」という一言は、人生を変えるパワーのある魔法の言葉なのです。
部屋がきれいな人は、思いやりがある人です。
部屋を掃除する人は、部屋にお世話になっていることに感謝をしているからです。
服をたたむことは、しっかり服に感謝をしていることです。
お世話になっているのに、ほったらかしという人は思いやりがありません。
思いやりがある人の部屋は、きれいです。
私は部屋をいつもきれいにするよう心がけています。
物が少ないだけでなく、整理整頓もしています。
服にはいつもお世話になっていますから、服にしわがあれば、心にもしわができます。
私は気づいたら、服をたたんでいます。
自分の使っている食器もきちんと洗います。
冷蔵庫、机、パソコンなどの物もきれいにしています。
汚くしていると、申し訳ないのです。
私が今まで出会った人で、部屋がきれいで思いやりのない人はいません。
物に対して優しい人は、人に対しても優しい人なのです。
世の中に存在する人は、すべて先生です。
学ぶことがない人は1人もいません。
みんなそれぞれだからです。
私はちっちゃな子どもと話すのが好きです。
それに大人と話すのも好きです。
子どもには、非常識を教わります。
同世代には一般常識を教わります。
大人には、今までの経験やノウハウを教わります。
自分からは新しい自分を教わります。
私は、いろいろ人から、さまざまなことを学んでいます。
同じ人は1人もいませんから、人と出会うたびにわくわくします。
人と出会うたびに成長できます。
「先生からじゃないと教わりたくない」と言う人は、先生だけが先生と思っている人です。
みんなすべてが先生です。
いろいろな先生がいて、いろいろな価値観をそれぞれが持っていることを学べばいいのです。
世の中、答えは無限にあることを学びましょう。
気づかないのは、気づこうとしていないからです。
気づく人は、価値観の広い人です。
自分の価値観を広げてくれるのは、すべてです。
先生がいないと学べないと言うのでは、成長できないのです。
比べる人は、他人とではなく過去の自分とです。
他人と比べることは、競争をすることです。
2番、3番は大変ですが、1番も大変です。
自分が負けてしまうと、そこで降格となります。
だからとはいえ、勝てばいいわけではありません。
自分が勝ってしまっても、相手を苦しい目に遭わせてしまうことになります。
勝っても負けても、すっきりしないのが競争なのです。
「勝ってしまえば、相手のことなんて知らない」と言う人は、勝っても勝者ではありません。
勝つことができたのは、相手のおかげだと考えなければいけません。
勝ってしまっても、相手のことをケアしてあげなければなりません。
他人と比べるときは、勝っても負けても悲しくなるのです。
では、誰と比べたらいいか。
比べる人は、過去の自分と比べることです。
過去の自分は、自分にとって最大の敵です。
過去の自分ほど、面白い相手はいません。
いつでもどこでも必ずあなたのそばにいるパートナーです。
過去の自分にさえ勝つことができれば、人生がどんどん向上します。
過去の自分ほど、やりがいのある相手はいません。
私はいつも過去の自分と比べて生きています。
つまり成長第一に考えています。
会社に入ったとき、求める人はお金より成長です。
成長なしのお金は、悲しいです。
成長第一に考え、すべてが自分の成長のための材料と思いましょう。
そうすれば、いつでもどこでも誰とでもうまくやっていくことができるようになります。
読書に暗い印象があると思っている人がいます。
それは誤解です。
そんなことはありません。
読書はそもそも前向きな明るい印象があります。
日本の学校教育が変わり、子どもたちの勉強の負担が軽くなりました。
勉強する人は、自分で勉強できる時間が増えました。
しかし、勉強をしない人には、さらに勉強する時間が減ってしまいました。
まったく勉強をしない人でも、好きなことがあるはずです。
勉強嫌いでも、好きなことなら進んで勉強をします。
自由な時間が増えた分、これからは、より自分に合った勉強ができるようになります。
学習の基本は、独学です。
学校では、先生がいつも教えてくれます。
しかし、社会に出てからは、先生は自分で見つけなければなりません。
教科書を、自分で見つけるということです。
「尊敬できる人がいるけど、私など相手にしてくれるわけがない」というなら、人でなく、本でもかまいません。
本には差別がありません。
老若男女、1,200円程度で自由に読めます。
本を書いている人は、一流の人たちです。
本を読むことで、一流の人たちの知識や知恵を学べるのです。
これほど鳥肌の立つことはありません。
たかだか1,200円程度で、人生の師匠の話を聞くことができ、ノウハウを教えてもらうことができるのです。
これほど有益なことはありません。
これからは読書がより大切です。
本は先生です。
叱ることはないし、やめたければ途中でやめてもかまいません。
好きなことを勉強しましょう。
読書で自分の好きなことを勉強するのです。
すると本を読むことが、楽しみになります。
いずれ旅行に行くときのように、本という新しい世界にもわくわくし始めます。
「そうだ。本を読もう!」というのが、当たり前になります。
本を読むことを待つ必要はありません。
読みたいと思ったら、今すぐ買いに行って読書を楽しみましょう。
謙虚な人は、人生で得をします。
謙虚なら、相手に好感を持ってもらえ、いろいろなことを学ぶ姿勢になっているからです。
謙虚な人は吸収が早いということです。
物事を飲み込んで、自分の中に取り込めます。
たくさんの価値観を学べます。
たくさんの価値観があるから、自分が不安定になるのではなく、むしろ人一倍心が豊かになるのです。
そんな人は、人から慕われます。
必要とされます。
人望ができます。
私は今、謙虚を心がけています。
人の話を折らず、最後まで聞くようにしています。
自分と反対の意見があり最初はつらいですが、だんだん慣れてきます。
慣れてしまうことは、吸収したということです。
やがてある日「世の中、いろいろな価値観があるんだ」ということに気づきます。
自分の世界が広がった瞬間です。
自分の中に新しい価値観が入っていく瞬間です。
謙虚な姿勢なら、物事の正解は1つではなく無限にあるということに、いつか気づきます。
偉そうな態度は、できなくなります。
世の中、自分が知っていることより、知らないことのほうが多いことに気づくからです。
偉そうな態度を取るのではなく、謙虚な態度を取りましょう。
どんどん人生の深みが出てきて、面白くなります。
「何か面白いことないかな」と言う人がいます。
面白いことはたくさんあります。
世の中、面白いことしかないくらいです。
しかし、偉そうにしているから、気づけないのです。
自分の価値観だけが絶対で、ほかのことは価値がないと思っているのです。
価値はたくさんあるほど、面白くなります。
ある人は私のことを「文系か。理系か」と問いただします。
私は文系でもあり、理系でもあります。
どちらも好きです。
どちらも得意です。
文系にも面白いことはたくさんあるし、理系にも面白いことがたくさんあります。
「文系なのか、理系なのか」という人は、価値観を一方に決め込んでしまおうとしています。
価値観は、無限にあります。
限定してしまうと、視野が狭くなります。
面白そうと思ったら、どんどんトライし、価値を取り入れていけばいいのです。
新しい価値観に気づけます。
謙虚なら、価値観に気づきやすくなります。
謙虚な姿勢になることが、明るい人生のためには必要なのです。
生きている間の時間を生き生きさせたければ、自分の中で波をつくる必要があります。
「ハレとケ」という言葉があります。
ハレは祭りの日のことを表し、ケは普段の日のことを表します。
祭りの日が生き生きするのは、普段地道な仕事をこなしているからです。
毎日、仕事をこなすことができるのは、ハレの日があるから原動力になっているのです。
ハレの日に、一気に爆発するのです。
たった1日でも、盛り上がるのはそのためです。
私の場合は、普段自分の好きなことをやっています。
読書をしたり、映画を見たり、本を書いたりなど、主に考える作業です。
私には、平凡なことです。
いろいろなことで学習することが習慣になっていて、ごく当たり前になっています。
無意識にやっています。
これが、私にとっての「ケ」です。
当たり前のことであり、毎日の地道な作業です。
ただ、ときどきどこかで区切りを入れたいのです。
そんなとき、外へ出かけてお気に入りの本を買ったり、買い物に出かけたりします。
これが私にとっての「ハレ」にあたります。
「頭」を使ったら「体」を使うというのがコツです。
この2つのバランスが大切です。
自分にとって何か強い原動力となるイベントを、週に1回入れるだけでも生活がかなり変わってきます。
1日ごとに入れてもかまいません。
普通、仕事は朝9時から始まり、午後6時には終わります。
1日8時間労働が毎日続けられるのは、午後6時の後に楽しみがあるからです。
飲みに行ったり、フィットネスに通ったりしている人がいます。
これは自分の中で、うまく気分転換をしようとしているのです。
私は浪人時代、1人で勉強し、留学時代も1人で過ごしていましたから、この感覚はよく理解できます。
刺激も変化もない毎日は、まず続かない。
今このように地道な作業を続けていられていることも、この作業が終わればご褒美があるからです。
友人と飲みに行って、大騒ぎするのも、1つの手です。
ストレス発散でフィットネスに行くのも、上手な方法です。
女性が好きでクラブ通いできれば、それでもいいのです。
大切なことは、自分の中でうまく「気分転換」をすることです。
「地味&派手」を交互に繰り返すことで、波が生まれ、次につなげることができるのです。
高い波ができると、次は低い波がやってきます。
低い波ができるということは、次には高い波がやってくるということです。
うまくその波を上下に繰り返すことで、生活にメリハリができるのです。
「単発」ではなく「連続」で繰り返しましょう。
仕事ができる人は、遊び上手な人でもあるのです。
これが習慣になると、体がリズムを覚えます。
後は流れに任せ、毎日を軌道に乗せれば、ぐんぐん前に進んでいくのです。
親しき仲にも礼儀ありです。
仲のいい友人とは、気持ちが緩むため、言葉遣いが乱暴になることがあります。
こちらが乱暴な口になると自然と相手も乱暴な口の利き方になります。
逆に、こちらが丁寧な口の利き方になると自然と相手も丁寧な口の利き方になってくれます。
人はすべて、自分の鏡です。
口の利き方には、思いやりが表れます。
相手が反応しているのは、その思いやりにです。
口の利き方に限らず、思いやりを含む行為ならすべて共通します。
礼儀やマナー、習慣など、こちらが意識的に思いやりを持って行い続けるなら、その思いやりは必ず相手に届きます。
すぐは難しいかもしれませんが、ゆっくり少しずつ伝わっていくものです。
昔、私はよく親に反抗したものです。
思春期で自分が確立されつつある時期ですから、自分を認めないものには冷たくしていました。
親に冷たくしていても、親はそれでもなお根気よく温かく接してきました。
私が親の温かみに気づくまでに、長い時間がかかったものです。
7~8年は、かかりました。
「自分はこんなに冷たくしているのに、なぜあれほど優しいのだろう」と、ある日、ふと思いました。
親の温かさに気づいたのです。
子への思いやりが、ようやく伝わった瞬間でした。
相手が、礼儀よく接してきてくれているため、それからはこちらも自然と礼儀が良くなっていきました。
親しき仲にも礼儀ありです。
仲のいい友人だからとはいえ、親だからとはいえ、乱暴にならないようにしましょう。
礼儀よく接してくれるのは、相手が思いやりを伝えようとしているからです。
仲のいい友人や親は、一生の宝物です。
大切にしましょう。
人の悪口を言うのはやめましょう。
人の悪口を言うのをやめれば、自分の悪口もなくなります。
人は不安な生き物です。
自分の位置が上のほうにあることを確かめるために、他人の悪口を言ったり、噂に耳を傾けてしまったりするものです。
「自分はまだ大丈夫だ。あんなひどい人がいるから」と思って自分より下を確認し、自分を安心させます。
安心はするかもしれませんが、その代わり失っているものもあると覚悟しましょう。
自分の良心、一緒にいた友人、悪口を言った相手、信用を失います。
あなたが悪口を言ってしまえば、あなたに悪口を言ってしまったことになります。
「相手に聞こえていないから大丈夫」と思わないでください。
聞こえていなくても、あなたの心に聞こえています。
自分で言った悪口が、自分の耳に届いています。
悪口を言ってしまったことを反省しましょう。
相手にも自分にも悪いことをしたと反省してほしいのです。
一緒に聞いてしまった人も、巻き添いにしてしまいます。
もしかしたら、一緒にいた人が「あの人が君の悪口を言っていたよ」と、告げ口してしまうかもしれません。
そうなれば一緒にいた友人と悪口の相手も両方失ってしまうことになります。
そのうえ「あの人は人の悪口を言う人だ」と思われ、信用までも失ってしまいます。
たった一言が、人間関係を壊してしまうのです。
悪口を言えば言うほど、心の積み木がどんどん崩れ落ちていってしまうのです。
人の悪口を禁句としましょう。
悪口を禁句にし、代わりに褒めてしまいましょう。
褒めてしまうと、自分も相手も一緒にいた人も、いい気分になれます。
あの人は人の長所を見つけるのがうまいと、評判になります。
あなたへの信用も、時間をかけて確立されます。
褒めることは、プラス思考のおまじないになるのです。
人間関係を向上させ、嬉しい気持ちをさらに嬉しくさせてくれるのです。
歩く習慣を身につけると元気になります。
私は留学時代3年半の間、車を買いませんでした。
必要がなかったからです。
周りからは「毎日大変だね」と言われましたが、歩くことが習慣になっている私ですから、大変だとは感じませんでした。
エレベーターも使わずに、階段を使うタイプです。
歩くことを習慣にしている人は、エレベーターを待っているほうが疲れます。
歩けば脳内で「エンドルフィン」という脳内麻薬物質が分泌されます。
これは幸せな気持ちにさせる物質です。
歩くだけで幸せな気持ちになれるとは、単純すぎかもしれませんが本当にそうなるのです。
散歩していると、疲れることを忘れるくらいハイテンションになれるのはそのためです。
マラソンには「ランナーズ・ハイ」という現象があります。
走っていると最初こそ疲れるのですが、数十キロを超えたところから疲れが消え、生き生きするという現象です。
運動しているため、脳内で「エンドルフィン」が大量分泌されているのです。
なおかつ、運動はストレス発散に大いに効果があります。
アメリカでは、仕事帰りにフィットネスへ行くという光景をよく目にしました。
仕事で疲れているはずなのですが、運動しているハイテンションとストレス発散で、生き生きしています。
本やテレビを見ながら運動をしている人もいます。
ストレス発散がうまくできれば、次の日からまたばりばり働くことができるということです。
フィットネスまで行かなくても、歩くだけでも大いに効果があります。
これは私が留学時代3年半、歩き続けた経験から自信を持って言えます。
元気がないときこそ歩くのです。
歩けば自然と元気が出ます。
元気になるのは、簡単なことなのです。
私は自分の書いた原稿を、隣の部屋に住んでいた友人に見てもらったことがあります。
元気になるような本を書きたくて、なんと言ってもらえるか、見てもらっている最中はとても不安でした。
感想は「本当だ。元気になるね」という一言でした。
嬉しかったのを、今でも覚えています。
「自分と同じ意見を聞くだけで元気になる。再確認できる」という意見でした。
当時の私には、貴重な意見でした。
日頃から何を書こうか戸惑っていて、書くたびに当たり前の文章になります。
それでも見る人によっては元気が出ると言うのです。
人は自分と同じ意見を聞くときに元気が出ます。
「こんなことで悩んでいるのは自分だけではないのかな、こういうことを考えているのは普通じゃないのかな」と不安なのです。
私はすごいことを書くのではなく、一見当たり前のことをわかりやすく表現しようと心がけることにしました。
人が元気になるときには、本や人との出会いによる影響が大きいものです。
それは「自分と同じ」を見つけるからです。
自分が思っている考えと同じ考えを誰かと共有することは、元気の出ることなのです。
自分と一緒の意見を聞くことで、自分の意見にも自信がつくからです。
これが、Remind(再確認)するということです。
私の友人で、いつも笑っている人がいます。
特に楽しいことがあったわけではないのですが、いつもうまく笑いに持っていく達人です。
彼は客商売で働いているため、仕事上、いつも新鮮なネタを持っています。
テレビや新聞をチェックして、ネタをうまく加工して笑わせてくれるのです。
私が落ち込んで電話をしているときに、元気づけてくれます。
本人は元気づけているというより、ただいつもどおりに明るく楽しく話しているだけです。
笑わせてくれますから、彼にはたくさんの友人がいるのも納得できます。
ユーモアのある人は、明るい雰囲気にしてくれるムードメーカーです。
人付き合いの避けられない現代社会で、ユーモアがあるというだけでモテることができます。
できる人は、笑いながら口説いてきます。
プレゼンや挨拶、頼み事やお願いでも、笑顔で明るく口説いてきますから、ついOKを出してしまいます。
人は、表情で相手のご機嫌をうかがいます。
相手が怒った表情だと、怒っている人だと思われます。
相手が疲れた表情だと、疲れている人だと思われます。
相手がにこにこしている表情だと、明るい人だと思われます。
単純なことです。
笑顔になるだけでいいのです。
あるお笑いタレントが、テレビの視聴率を上げるコツを言っていました。
それは「テレビでにこにこしているだけで視聴率が上がる」と言うのです。
たったそれだけです。
人は「笑顔」という磁石に引き寄せられていくのです。
雰囲気を明るくしてくれるだけで、重宝されるのです。
私はよく友人から「いつも元気だね。落ち込むことないの」と聞かれます。
私はよく落ち込みます。
落ち込むときは、落ち込みます。
しかし、そうしたとき、いつも私を底から引き上げてくれるものがあります。
音楽です。
自分の好きな曲や明るい曲、元気な曲を聴くと、雰囲気が明るくなります。
そうすると気分まで明るくなります。
「音楽の力はすごい」と思います。
歌詞があれば、一緒に歌ってしまいます。
「人は幸せだから歌うのではなく、歌うから幸せになれるんだな」と思いました。
直接自分の心に響く音楽を生活のところどころでうまく活用すれば、毎日を明るく送れます。
特にカラオケに行くことはとても効果的です。
明るい曲を、大声で歌うのがコツです。
失敗で落ち込んだときも、笑い飛ばすだけでなく、歌い飛ばしてしまえばいいのです。
私には、ある習慣があります。
ことあるごとに「今の行いで本当に良かったのだろうか」と振り返る習慣です。
もはや癖と言ってもいいでしょう。
気持ちよく生きたいからこそ、いつの間にか自然と、そう考えるようになってしまいました。
自分だけでなく相手にも都合の良いように、最善の方法を考えています。
お互い気持ちの良いやりとりがいちばんです。
先日、こんなことがありました。
友人が私の家に遊びに来ました。
それはいいのですが、許可もなく勝手に冷蔵庫の中を見て、あさり始めるのです。
特に見られて悪いものはないのですが、なぜか気分が良くありません。
「冷蔵庫見ていい?」の一言が欲しかったのです。
「私も友人の家に遊びにいって、冷蔵庫の中を見るようなときには許可を得てからにしよう」と思いました。
もし相手が何か嫌な気分にさせるようなことがあれば「私はこういうことをしないようにしよう」と気をつけています。
私はいつも嫌なことに反応するセンサーが敏感になっています。
そう考えると、嫌なことをされても、まんざら自分にとって嫌な経験とも言えなくなります。
嫌なことを経験した数だけ、成長ができるのです。
実際に「人の行動を見て、自分の行動を直す」という瞬間は、その出来事の後です。
出来事の真っ最中は、そのことで頭がいっぱいでなかなか冷静に頭が回りません。
後になって「1人の時間」のときに、自分の頭の中で振り返り、復習をします。
いろいろなシチュエーションが考えられますから、ついでに応用も考えておきます。
頭の中で決着がつけば、次からは無意識に行動に表れてくれます。
自分の考えがあるというのは、素晴らしいことです。
自分の意見を持ち、道理に合っていると、気持ちの良さを感じます。
周りに流されることなく、自分の意見を持つのは、その人らしい人格を感じさせます。
しかし、自分の意見に固執しすぎてしまうと、話は別です。
自分の考えを曲げずに固執しすぎてしまうと、社会で仕事をするとき、苦労することがあります。
社会ではさまざまな考えの人が大勢いて、一緒に仕事を進めることがよくあります。
自分の意見を絶対に曲げない状態でいると、相手との対立を生み出し、スムーズな人間関係を妨げます。
仕事のやり方で揉めたり、意見が合わず言い合いになったりするでしょう。
たしかに自分の意見を持つことは大切ですが、固執しすぎるのも問題なのです。
では、どうすればいいのでしょうか。
自分の考えは「軸」だと考えるようにしてみましょう。
例えて言えば、コンニャクの中心に、1本の細い串が通っているイメージです。
刺さっている串は、軸です。
自分の考え方であったり哲学であったりします。
軸があるから、なよなよしたコンニャクが、しっかり固定されます。
軸を中心にして、左右上下に形を変えたり動かしたりでき、周りの状況に応じた対応もできるようになります。
それは流されているのではありません。
せっかく自分の意見を持ちつつ、周りの状況に合わせられるようになっている状態です。
そうすると、自分の考えと持ちつつ、他人の考えに合わせたり妥協したりできるようになります。
しっかり自分の中に軸があるかぎり、自分を見失うこともないのです。
社会で生きていくために大切な処世術なのです。
大きな変化には「改善」より「改革」です。
改善とは、3%ずつのような、少しずつの変化をする意味です。
改革とは、70%のような、大胆で大きな変化をする意味です。
変化をするときには、思いきることが大切です。
1日20本も吸うタバコ常習者が、ゆっくりやめようとすると、かえって失敗します。
1日ごとに1本ずつ減らす方法は、失敗します。
少しずつ改善するほうが、かえってストレスを多く感じるからです。
タバコをやめるときのコツがあります。
「今日からやめる」とはっきりやめたほうが、うまくいきやすいです。
タバコを吸う人から、タバコを吸わない人になるのは、大きな変化です。
それは覚悟です。
大きな変化ほど、覚悟が必要です。
「大変だ」という前提で進めるほうが、ストレスに対する準備と覚悟ができるため、困難を乗り越えやすくなります。
ゆえにうまくいきやすいのです。
確実にストレスがあるとわかっているほうが、思いきれます。
これが改革です。
「どん!」という感じです。
「もう昨日の自分とは違うんだ。生まれ変わるぞ」という気持ちです。
こうしたとき、自分の殻を破ることができます。
大きな苦しみやストレスを受け入れることで「できない。無理だ」と思っていたことが、できるのです。
今日、2003年、8月18日、月曜日。
私は朝、散歩をしていると、道路でハトが死んでいました。
死に方から見ると、どうやら車にひかれたようです。
ハトにはアリが群がっていました。
アリは一生懸命、ハトを食べていました。
私はそこで「この世の定め」を見ました。
ハトは死んでしまいましたが、そのおかげでアリが生きることができています。
ハトは死に、そのハトの命はアリが生きることへと引き継がれています。
命はなくなっていません。
ただ、引き継がれただけです。
ハトの死が、アリの「生きること」に役立っています。
これが世の定めです。
命はあります。
たくさんあります。
人にも、動物にも命はあります。
しかし、命はなくなりません。
引き継がれるのです。
私たちは食べないと生きていけません。
私はときどき肉を食べます。
これはいわば、死がいです。
私は死んだ生き物を食べています。
私に「生きる力」を与えてくれているのです。
「死ぬこと」は、誰かの「生きること」につながっているのです。
命は無駄にはなりません。
命は、次へと引き継がれます。
人は生まれた瞬間から、死へ向かっています。
生まれることは、死ぬことです。
人は必ず、将来死にます。
人類始まって以来、いまだかつて死ななかった人はいません。
私もあなたも、将来必ず死ぬようにできています。
ですがその死は、無駄にはなりません。
人の死は、誰かの「生きる」につながるのです。
人は生まれ、やがて死にますが、形が変わるだけです。
牛は草を食べます。
草は死んでしまいますが、草の命は牛へと引き継がれています。
牛が死に、人が食べ、命が牛から人へと受け継がれます。
命は引き継がれています。
「生まれ変わる」というのは「命」の形は変わらず「宿る固体」が変わるだけです。
それが「この世の定め」です。
人は、必ず死ぬようにできています。
消費期限のある、生き物です。
人だけに限ったことではありません。
生きとし生けるものは、すべて死ぬようにできています。
すべての死は、すべての生物にとって、生きることに役立っています。
生物が死ぬことで、命が別の生き物の寿命へと引き継がれているのです。
食物連鎖です。
この世の定めです。
変な話をしてしまい申し訳ございませんが、もう少し続けさせてください。
今、私は生きています。
この世に生まれてから、すでに数十年、生きています。
私は気づいたら、この世にいました。
生まれてきたのは、私の意志ではありません。
気づけば「今」「ここ」に「私」がいます。
望んだ人生ではありませんが、それでもたった1回だけの人生です。
何かをしたいと思います。
私はせっかく生まれてきたのだから、自分が生きることを有意義に使いたいと思います。
やみくもに、ただ生きる人生は、耐えられません。
生きていても、死んでいるように感じます。
少なくとも私は、そうした生き方に、抵抗があります。
そんな生き方は、死んでも嫌です。
そこで私は人生を、ただ生きるのではなく、社会の幸せのために貢献しようと思いました。
ある日、突然始まった人生に対して、自分なりの意味を加えています。
自分の人生が最も華やかになるように、自分の好きなようにしています。
私は今「これが達成できれば死んでもいい」という仕事をしています。
このウェブサイトであり、数多くの文章を通して、幸せのお手伝いをすることです。
「これが達成できれば死んでもいい」という夢があると、人生が生き生きするようになりました。
今までぼうっとしていた人生に意味が伴うことで、ようやく人生らしい人生を送れるようになりました。
いずれやってくる自分の死を自覚し、それまでに何をしたいのかを明確にすることで、生きている時間が濃くなるのです。
夢を実現する方法を知っていますか。
簡単です。
行動することです。
夢については、2種類の人がいます。
「夢を見ようとする人」と「夢を叶えようとする人」です。
夢を見ることはいいことです。
夢が具体的になっているから、人生で歩む方向もわかっています。
ただし夢を見てばかりではいけません。
夢は叶えることで、初めて実現するのです。
夢を見たければ、寝ればいいのです。
夢を叶えたければ、行動すればいいのです。
夢を実現するのは、それだけのことです。
戦国時代、日本統一を果たした人物として、豊臣秀吉がいます。
秀吉は、チャンスをつかんだ人です。
秀吉は農民出身で、貧しい暮らしをしていました。
身分もなく、お金もなく、平凡な農民でした。
戦国時代は、時として農民は戦いに行くことを強制されます。
そこで秀吉は、織田信長に出会います。
それは、ほかに出兵している農民も同じです。
しかし、秀吉はじっとしていませんでした。
持ち前の機転の良さを生かして、信長に尽くします。
その結果、身近な世話役として仕えることができるようになりました。
戦で有利になるように戦略を考えたり、戦いの腕を磨いたりしました。
そうした努力が実り、功績をあげます。
功績をあげたので、さらに重用されて、少しずつ地位を上げていきました。
チャンスに恵まれているわけではありませんが、戦国時代に逆転のチャンスはたしかにありました。
秀吉は、見事にチャンスをつかむことに成功したのです。
きちんと上を見て、努力した結果なのです。
現代ではどうでしょうか。
戦国時代とは違い、現代は誰でも安全が確保されています。
職業の選択や学問の自由がある時代です。
以前より、努力しだいで報われやすい時代です。
「どうせ自分には無理だ」と思わないことです。
ぼうっとしているだけでは、人生は変わりません。
「自分にはできる」と思うことが、1つのチャンスです。
平凡な日常にも、逆転のチャンスはあるのです。
笑う側と笑われる側。
こう聞いて、どちらのほうが明るくて楽しそうな人生を送っているように感じますか。
とっさに思い浮かべたのは「笑う側」ではないでしょうか。
笑っている様子は明るくて楽しそうな様子ですよね。
でも、本当は逆なのです。
明るく楽しく生きている人は「笑う側」より「笑われる側」です。
笑う側のほうが、明るく楽しく生きている印象がありますが、そうとは限りません。
笑う様子は、受け身の状態です。
楽しい話や面白い話を聞いて、反応している様子です。
学校には、必ず1人や2人、人気者がいるものです。
人気者の様子を思い出してみましょう。
人気者とは、面白い話をする側の人です。
笑う側ではなく、笑われている側ですね。
「笑われる」とは、つまり「笑わせること」です。
誰かを励ましたい、元気づけたい、明るくさせたいというサービス精神にあふれている証拠です。
だから人気があるのです。
笑われた人になろうとすると、自分も周りも楽しませられるようになります。
お笑い芸人がモテるのは、笑われる側だからです。
明るく楽しい話題や話術で、人を明るくさせたり元気づけたりできます。
彼氏にしたい芸能人では、必ずお笑い芸人が上位にランクインしています。
笑われる人は、自分が明るく楽しいし、みんなにも明るく楽しくさせてくれる人です。
そうしたサービス精神が、聞いている人のハートを射止めるのです。
ごちゃごちゃした生活より、すっきりした生活のほうが、気持ちいいです。
すっきりするとは、シンプルにするということです。
私はいつも自分の生活を少しでもすっきりしようと、シンプルにしています。
友人からは「いつでも引っ越しできるね」といわれています。
部屋の中のいらない物は、あっさり捨ててしまいます。
いつか使うだろうなと考えていては、いつまで経っても捨てられません。
いつか使うかもしれないと思いながら、実際にはいつまで経っても使わないものなら、思いきって捨ててもいいのです。
お金より、精神的豊かさを失うことのほうが、もったいないです。
部屋の空間の広さは、住む人の心にも影響を与えます。
空間が広いほど、精神的に余裕ができます。
部屋に、ものがたくさん置いてあることは、注意を払う対象も増えることです。
「この本はまだ読んでない。いつか読まないといけないな」
「この服、たたんでない。たたまないといけないな」
「机上が片付いてない。早く片付けないといけないな」
目の前にものがたくさんあると、部屋にいるだけでいろいろと考えてしまい、疲れます。
視野に入るだけでも「気になる」が増えます。
気になることが多いだけで、余裕が少しずつ削られるのです。
部屋がきれいでシンプルであるほど、注意を払う対象が減るため、自分の仕事に集中ができるのです。
明るく楽しい人生を送ることは、難しいようで、実は簡単です。
たった1つを意識するだけです。
「行動」です。
人生には、受験、人間関係、恋愛、仕事など、乗り越えるべき壁がたくさんあります。
どれを乗り越えるにも必要になるのは、行動です。
「うまくいけばいいな」と思っているだけでは、現実は変わりません。
行動して、初めてわかります。
実際に行動することで、初めて現実になります。
実際に行動したら、必ず「具体的な経験」ができます。
「できた」「できなかった」は、関係ありません。
具体的な経験をすれば、何か「結果」が返ってきます。
できたときには「喜び」が返ってきます。
できなければ、失敗から「教訓」が返ってきます。
いずれも、プラスの結果ですね。
これが前進です。
必ず前進できるのですから、とにかく行動してみればいいのです。
やりがいがあり、面白いことです。
行動するとは、夢に近づくことです。
夢に近づいたことになります。
何かを実現させたいと思ったら、行動することからすべてが始まります。
思っているだけでは、何も起こりません。
当たり前のことですが、多くの人が「行動」を意識していません。
この文章を読んで「そうだね。大切だよね」と思いながら、何も行動しないのでは、意味がありません。
「そうだ。まず行動してみよう」と思い、実際本当に行動してみることが大切です。
人生は、行動した分だけ前に進めるという正直な世界です。
だから、難しいようで、実は簡単なのです。
宇宙人が、地球にいまだ侵略できないのは、地球に重力があるからです。
宇宙人といえば、痩せ細った体格が定番です。
機械や技術の文明に頼りすぎて、肉体が貧弱になってしまったのでしょう。
一方、地球で人間が強く生きられるのは、重力という抵抗があるからです。
おかげで人間は、強く生きることができています。
重力があって身動きが取れにくいため、代わりに頭を動かし、賢さを手に入れました。
重力は、人を鍛えるダンベルです。
私は思います。
地球にやってきても、立って歩けないことでしょう。
痩せ細った宇宙人が地球に降り立ったら、重力のため、立ち上がれないことでしょう。
宇宙船も、重力に耐えられないかもしれません。
人間は、地球の重力のおかげで筋肉ができました。
重力のおかげで、頭も賢くなりました。
人が地球で強く生きることができているのは、重力のおかげなのです。
世間が厳しいことは、実は大変ありがたいことです。
私の父には「世間は、そんなに甘くない」という口癖があります。
父はあと5年もすれば定年を迎えます。
世間を貫いてきた人です。
その世間を貫いてきた父が「世間はそんなに甘くない」と言うのです。
これで私は安心して社会に出られます。
もし世間が甘かったらどうしようかと心配になっていたところです。
人間が地球で強く生きていけるのは、重力があるからです。
さらに人間が社会で強く生きていけるのは、世間が厳しいおかげです。
もし世間が甘ければ、地球人はなよなよになります。
人が「肉体的」に強いのは「重力」があるおかげです。
また人が「精神的」に強いのは「世間が厳しい」おかげです。
人生で生き生き生きるには、強い肉体と強い精神の両方が必要です。
世間が厳しい社会というのは、なよなよになるところではなく、生き生きさせてくれるところなのです。
自分らしい生き方をするなら、自分に対して正直になることが大切です。
自分に対して正直にならないと、自分らしく生きられません。
「正直になる」と言いますが、なかなかこれが難しいものです。
世間体や恥を考えてしまい、自分の気持ちと正直に向き合っていない場合が多いのではないでしょうか。
自分に都合の悪い動機は「考えたくない」という気持ちが働きます。
大きな行動をするとき、きちんと動機を整理しておくことが大切です。
たとえば、夢に向かうとき「なぜ夢に向かうのか」を考えてみましょう。
きちんと動機を考え、整理するのです。
紙を1枚用意して、動機を書き出してみましょう。
「肩書が欲しいから」
「お金が欲しいから」
「愛が欲しいから」
「人気者になりたいから」
「尊敬されたいから」
いろいろ理由は、いろいろあるはずです。
恥や世間体などは一切考えず、素直になって、自分の心に問いかけます。
中には欲の強い動機もあるかもしれません。
欲が強くてもいいです。
動機の善しあしは、あとから考えるとして、まず包み隠さず書き出すことが大切です。
正直に紙に書き出すと、自分の内面が見えてきます。
はっきり書き出すから、はっきり目に見えます。
「へえ。自分にはこんな動機があったのか」と、自分でも驚く内容もあるでしょう。
自分を知ることが、自分らしく生きる第一歩です。
動機が整理できれば、モチベーションも上がります。
自分に対して正直になるから、今後のことも考えることができるようになります。
「生まれること」と「生きていること」というのは、別の話です。
「生きている」ということは「生かされている」ということです。
生かされているということは、誰かがあやつり人形のように、私たちを生かせてくれているのです。
それが、神です。
私たちは、神によって生かされています。
神とは何でしょう。
神という正体は、幸せです。
幸せとは、何でしょうか。
「幸せ」とは、人が生きる目的です。
それが人生です。
私たちは神様に向かってお祈りします。
神様に向かってというのは、幸せに向かってということです。
私たちは幸せの方向、つまり神様の方向に向かってお祈りをするのです。
人は生きているのではありません。
人は生かされているのです。
幸せという神によって生かされているのです。
もし私たちの中から「幸せ」を全部消してしまえばどうなるでしょうか。
幸せがなくなり、幸せでもなくなり、幸せを感じることもなくなります。
生きる希望を失います。
私たちは、幸せによって生かされているのです。
それが神の正体「幸せ」です。
私たちはこの世に生まれ、この世から去るという繰り返しをしています。
「生まれる」と「死」の間には「生かされている」という時間が存在します。
人は生まれてから死ぬまでの間「幸せ」によって生かされています。
人は、幸せのために一生を捧げる殉教者です。
人は「幸せという名の神の殉教者」としての一生を送っているのです。