整理整頓を、ただ物をきれいに整え並べることだと思っていませんか。
たしかに整理整頓は、物をきれいに整え並べることです。
しかし、実は単純な話ではないのです。
本屋に行けば、整理整頓についての本をたくさん見かけます。
「上手な整理の仕方」
「片付けるためのポイント集」
整理整頓とは、きれいに片付けることです。
散らかっている部屋を整理することで、きれいになるでしょう。
しかし、どんな整理整頓にも、もっともっと、大切な前提が抜けています。
余裕がないとは、いっぱいになっている状態のことを指します。
「気持ちに余裕がない」というのは、何かに忙しくて、考える時間も気持ちもなく、目の前のことで頭がいっぱいのことをいいます。
余裕がない状態は、すでにレッドゾーンに差し掛かっている状態です。
寂しがる人ほど、人形を持ちたがる傾向にあるのをご存じですか。
顔のついたキャラクターを部屋中に並べます。
「自分は1人ではない」という錯覚をつくるためです。
貧乏な人の部屋のほうが、整理整頓がされていません。
貧乏ですからお金がなく、物が少ないはずだから部屋もきれいだと思われがちですが、実際は逆です。
貧乏でお金に対して執着が強い人ほど、お金に対するコンプレックスが強く、部屋を物で埋めることで穴を埋めようとします。
私は、その人の行動を見れば、その人がどういう人なのかがおおよそわかります。
超能力者ではないため、生年月日や細かなことを当てることはできませんが、行動を見ていれば「人となり」が見えてくるのです。
というのも「行動」というのは、その人の「心」と「過去」が映し出された結果だからです。
捨ててしまうことは手に入れることだということに、ほとんどの人が気づいていません。
部屋にある物を捨ててしまえば、部屋の物は少なくなりますが、大きなことを手に入れた瞬間です。
「時間」と「余裕」です。
心がすっきりしている人はいつも何を考えているのかというと、頭の中は空っぽなのです。
頭の中が空っぽだから、心の中もすっきりしています。
空っぽの状態ほど、余裕があって吸収の準備ができているということであり、これほどすっきりしたことはありません。
はやらないレストランの特徴というのは、メニューが豊富であることです。
多種多様なメニューがあり、一目で何屋さんかわかりません。
和風のメニューもあれば、洋風のメニューもあり、ごちゃ混ぜになっています。
整理整頓ができれば、心もすっきりします。
見た目が整い、きれいにそろっていると、すっきりした印象を受け、心も一緒にすっきりします。
「整理整頓するから心がすっきりする」より「心がすっきりしているから整理整頓もすっきりする」といったほうが正しいのです。
何かを手放すことは、穴があくことです。
つまりスペースができ、余裕ができ、新しく何かを受け入れる準備ができるということです。
ぎゅうぎゅう詰めに詰まった本棚に、新しい本を入れようとしてもなかなか入りません。
整理整頓をしようとするとき、つい値段のことを考えます。
高価な物は捨てづらく、また安いものは捨てやすいものです。
高いお金を出して買ったけれども実際は全然使わないものもあれば、安かったけれどもよく使うというものもあります。
整理整頓には入れ物が必要です。
お歳暮や誕生日プレゼントで贈られたものの中には、きれいな柄の入れ物があります。
「捨てるにはもったいない。そうだ、入れ物として使おう!」
「もしかして、レンタルできないか?」
こう思いながら、一度部屋を見渡してみましょう。
いつか使う日のために、部屋の中に保管されているものが数多く存在します。
そもそも整理整頓って、何のためにするのでしょうか。
「見た目をきれいにするため?」
「部屋の余裕をつくるため?」
「掃除が面倒だな」
いくらきれい好きとはいえ、疲れているときはついそう思います。
眠かったり、疲れたりしているときには、掃除より怠けが先に出てしまうことがあります。
「整理整頓ができません。どうすればいいですか」
整理整頓と頭の中ではわかっていても、もやもやした想像しか湧かず、具体的にどうすればいいのかわかりにくいものです。
私も子どものころは、整理整頓といわれると何をどうすればいいのかはっきりわからず困った経験があります。
何を中心に整理整頓をしていくのかを決めると、いくぶんやりやすくなります。
整理整頓のテーマを決めるということです。
テーマを1つ決めるだけで、磁石で引き寄せられるかのようにある一定の条件で整えられることができるようになります。
私はいつも人と接するとき、言葉よりその人の行動を見て、その人がどういう人なのかを見るようにしています。
鑑定士でも心理学者でも専門家でもないですが、過去にある経験をしてから、言葉より行動を重視するようになったのです。
私がアメリカへ渡って留学をしていたころ、韓国人の男友達とよく一緒に遊んでいました。
人の性格は、驚くほど表面に表れます。
髪型、服装、話し方、話の内容、振る舞い、態度。
そうした外面的な部分を見るだけでも、かなりその人の内面が見えてきます。
大掃除をした後には、以前より部屋をきれいに整えることができます。
たとえば年末の大掃除です。
年末だけあって大掃除の中でも、特に大きな掃除をします。
私の好きな色は、ホワイトとパステルオレンジ、パステルピンクの3色がいちばんのお気に入りです。
今住んでいる部屋のカーテンは、パステルピンク。
引っ越す以前に住んでいた部屋では、カーテンがパステルオレンジでした。
私は本を書くときには、書きたいところから書くようにしています。
初めに「自分が今いちばん書きたい!」という気持ちの流れに従い、先にタイトルを決めてしまいます。
しかし、その後は、難しいことは考えず、書きたいところから手当たりしだいに書くようにしています。
部屋の掃除を、自分のためではなく、やってくる人のためにする人がいます。
そういう人には本当の友人はいないし、できない人です。
普段は掃除も片付けも整理整頓もしない人が、友人が遊びに来るときに限って、一生懸命に掃除をして片付けます。
習慣というのは、生活の一部になっているということです。
整理整頓が習慣となっている人は、体の一部になっており生活の一部になっているということです。
一部とはいえ、その影響は体と生活全体であるため、部屋がきれいな人はほかの部分でもきれいになっている傾向があります。
「これ余り物だけど、良かったら差し上げましょうか」
ときどきこうした親切な言葉をかけてくれる人がいます。
悪意を持って話しかけているわけではなく、あなたを思ってわざわざ話しかけてくれていることには感謝をしましょう。
整理整頓という要素は、部屋だけに限った話ではありません。
仕事や恋愛、友人関係といった人間関係にも大いに活用できる知恵です。
一度部屋がきれいに整理できるようになれば、その手法はほかの分野にも応用が利き、至る所で活躍するようになります。
物に対する所有欲が、あなたの生活にしがらみをつくってしまっています。
「あれも欲しい」「これも欲しい」と所有することに目がくらみ、たくさん手に入れることで生活が豊かになると思っています。
たくさんの物を手に入れて、生活は豊かになりますが、同時に心まで豊かになっているのかというと疑問が残ります。
本当に物に対する感謝を持てば、物を持つことに執着はなくなります。
この世において、あなたの物は1つも存在しないからです。
あなたが持っている本棚も机もテレビもビデオもすべて、あなたが作ったものではなく、宇宙が作ったものです。
整理整頓を、ただ物をきれいに整え並べることだと思っていませんか。
たしかに整理整頓は、物をきれいに整え並べることです。
しかし、実は単純な話ではないのです。
整理整頓をするのは誰でしょうか。
もちろん自分です。
では、自分の手足を動かしているのは何でしょうか。
それは筋肉です。
では、筋肉を動かしているのは、誰でしょうか。
それはあなたの脳からの命令です。
では、脳は、何によって指令を出しているのでしょうか。
それは「感謝をする」という気持ちによって、命令が発せられているのです。
では「感謝をする」という命令はなぜ湧き上がってくるのでしょうか。
それは自分がこの世に生かされていることに気づくことで、周りの環境に対して感謝が出てくるのです。
「感謝の心 → 脳からの命令 → 筋肉が動く → 手足が動く → 部屋が整理されていく」
「整理整頓する」という結果があっても、その元をたどれば、人の気持ちが根底になっています。
「感謝をしよう」という気持ちが、脳から筋肉を動かし、手足が物を持ち上げ整理され、部屋がきれいになるのです。
整理整頓は、物を並べるためのテクニックだけの話ではありません。
その根底は、人の心がテーマになっているのです。
整理整頓というテーマでありながら、人の心についても同時に説明をするために、私は今回どう表現をすればいいのか悩みました。
荒れ狂う少年に部屋を「掃除しろ」と言っても、難しい話です。
そもそも心が荒れているため、部屋に対する感謝の気持ちなんてなく、部屋が片付けられないのは当然のことです。
いくら先生や親が説教をしたところで簡単にできることではありません。
しかし、その一方で心がきれいな人は、初めから部屋がきれいです。
心がきれいなので感謝の気持ちがあり、誰に言われなくても自分から部屋をきれいにしようとします。
それが当たり前だと思っており、そういう人が掃除のテクニックにたけているわけでもありません。
心がきれいでなければ、整理整頓はできません。
部屋をきれいに整理整頓することは、心をきれいにすることなのです。
心をきれいにしないと、いつまで経っても部屋はきれいになりません。
住んでいる人に「物に対する感謝の気持ち」がなければ、また散らかった部屋に戻ってしまいます。
整理整頓を根底から改善しようというなら、すなわちまずあなたの心をきれいにすることから始めなければいけません。
だからそう単純な話ではなく、奥の深いテーマになります。
本屋に並んでいる整理整頓に関する本は、片付けのテクニックしか書かれていません。
テクニックは単なる道具です。
素晴らしいテクニックがあっても、部屋の掃除をしようとする人の心がなければ、いつまで経っても部屋の整理はなされないのです。
今回は整理整頓の話がテーマですが、同時に心の整理整頓もあわせてテーマになっています。
「部屋の整理整頓=心の整理整頓」だからです。
精神的な部分にまで深く突っ込みますが、そもそも部屋の整理を根底から改善するには心から改善しないといけないものなのです。
本屋に行けば、整理整頓についての本をたくさん見かけます。
「上手な整理の仕方」
「片付けるためのポイント集」
きれいに整理整頓するための本をたくさん見かけます。
しかし、どの本も本当に大切なところが抜け落ちています。
「捨てること」です。
整理整頓も片付けも、一言で言ってしまえば「捨ててしまうこと」です。
考えてもみましょう。
たとえば、整理整頓をするのは、ごみ箱の中のごみをきれいに整えるというような感じです。
ごみ箱の中のごみは、いくら整理整頓してきれいにしたところで、ごみであることには変わりません。
たしかに見た目はきれいになり、いくぶんすっきりはするでしょう。
しかし、そもそも中に入っているそのものがごみであり、必要のないものです。
使いもしないし、役にも立たないものです。
いくらきれいに整えたところで、やはり、ごみはごみなのです。
本当にすっきりするためには、まずごみはごみ捨て場へと持っていき、ごみ箱の中を空っぽにすることが必要です。
捨てることこそ、整理整頓の基本です。
「ごみ箱」という例を出しましたが、実はあなたの生活にも当てはめることができます。
少し大胆ですが、あなたの部屋を1つのごみ箱と考えてみましょう。
実際にあなたの部屋の中には「ごみには見えないごみ」がたくさん隠れています。
たとえば、本棚に並んでいる読みもしない本たちです。
一度読んだ本は「また読むかもしれない」と思い、とっておきます。
また新しい本を読むと「またいつか読むかもしれない」と思い、本棚にしまいます。
しかし、現実としては、とっておいた本をもう一度読むことはありません。
ごみなのです。
本とはいえ、今後読むことがなければ、部屋の中でも意味がありません。
一見すると、きれいな本であるため、ごみだと考えることもありません。
これが、整理整頓の難しさです。
苦労するのは、人間の「もったいない」という心が邪魔をして捨てられないことです。
もったいないと思うほど、ごみには見えないごみが、部屋の中にどんどんたまります。
こうしたごみには見えないごみが、本来あなたが整理整頓をするときに1番目を向けるべきことなのです。
ごみはいくら整理したところで、ごみはごみです。
きれいに片付けたり整理したりすることで、ごみには見えないようになりますが、根本的な問題解決にはなっていません。
実際にあなたがきれいに整理整頓をする能力を身につけるほど、ごみをごみとは思わせないようなテクニックに磨きがかかります。
その結果、余計にごみがたまっていく悪循環に陥ります。
整理整頓のプロになる必要はありません。
整理整頓のコツは、シンプルです。
「使わないものは捨てる」
まずここから出発です。
整理整頓の前に、まず考えるべきことは、いらない物は捨てることなのです。
整理整頓とは、きれいに片付けることです。
散らかっている部屋を整理することで、きれいになるでしょう。
しかし、どんな整理整頓にも、もっともっと、大切な前提が抜けています。
捨てられるかどうかです。
整理整頓で片付ける前に、捨てることから習慣にしましょう。
今、たくさんの物を持つことで豊かになろうとする人がいます。
高級ブランド品をたくさん持つこと。
たくさんの家具をそろえること。
たくさんのアクセサリーを身につけること。
物をたくさん所有することが、幸せにつながることだと思っている人がいます。
もちろん物をたくさん持てば、便利になります。
しかし、です。
たくさん持つ量に比例して、幸せが得られるとは限りません。
たくさん物を持つほど、物質的にも精神的にも、重くなります。
部屋の中にはたくさんの洋服や家具や本があるとします。
一見豊かに見えそうですが、掃除や洗濯の手間が増えます。
気にしなければならないことがたくさんあるほど、気持ちの余裕もなくなります。
物をたくさん持つことで、物質的な余裕だけでなく、精神的な余裕まで消費してしまうのです。
部屋の中にあるものを整理しようと考える前に、考えてほしいことがあります。
「そういえば、これは何のために置いてあるのだろう」と問いかけてみましょう。
「本当に必要かな。最近使っていたかな」と考えます。
「全然使っていない。置いているだけだ」とわかれば、捨てたほうがいいと判断できますね。
使いもしない物は、片付ける必要はありません。
捨てることができれば、整理する手間がなくなります。
いらない物は捨てて、少しでも部屋の空間に余裕をつくりましょう。
物を整理する前の、大切な考えです。
余裕がないとは、いっぱいになっている状態のことを指します。
「気持ちに余裕がない」というのは、何かに忙しくて、考える時間も気持ちもなく、目の前のことで頭がいっぱいのことをいいます。
余裕がない状態は、すでにレッドゾーンに差し掛かっている状態です。
余裕がないことで自分が忙しいことを演出でき、かっこいいと思われるに違いないと考えていれば、誤解です。
余裕がないために頭の中が整理できず、的が外れた発言や、自分らしくない態度や動きになります。
余裕がないときは、自分が自分ではないときです。
本棚の本を整理するとき、本がぎっしり詰まっている状態で、どう整理するのでしょうか。
いくぶん本棚に余裕があれば、本を並び替えるときに、その空いた余裕を使って整理ができます。
しかし、隙間なく詰まった状態では、整理整頓は難しいです。
では、余裕のない状態になったときには解決策はないのでしょうか。
いいえ、1つだけあります。
物を手放すことです。
本棚にぎっしり詰まった本を、きれいに並び替えるためには、どれかを捨てるしかありません。
捨てて手放すことで、余裕をつくれます。
余裕がない人は、たくさんのことを背負いすぎている人です。
仕事を抱えすぎている人。
自分の器以上に大きな責任を背負っている人。
時間に入りきらないスケジュールを詰め込んでいる人。
こうした人が、本来の余裕のある状態に戻るためには、何かを手放すことです。
捨てることです。
スケジュールを上手にこなす自己管理や、大きな責任も背負える器を手に入れることではありません。
まず何かを諦めて手放すことで余裕ができ、いつもの自分に戻ることができます。
整理整頓の基本は「捨てること」です。
捨てることは、物質的に限った話ではなく、精神的な話にも共通したことなのです。
気持ちに余裕を持つためには、何かを手放し、余白をつくることなのです。
寂しがる人ほど、人形を持ちたがる傾向にあるのをご存じですか。
顔のついたキャラクターを部屋中に並べます。
「自分は1人ではない」という錯覚をつくるためです。
1人きりは寂しくて耐えられないので、せめて顔の付いた人形を部屋に置いて、一緒に暮らしている感覚を得ようとします。
キャバクラで働いている女性には、ペットを飼っている人が多く存在しています。
私の友人でもキャバクラに勤めている人がいます。
やはり彼女も、ペットで犬を飼っています。
それも1匹ではなく、2匹です。
「なぜペットを飼っているの」と聞くと「寂しいから」と答えました。
案の定、彼女の部屋は散らかっていて、整理がされていないのです。
心に穴が開いている人ほど、その穴を埋めようとして、物をたくさん持ちたがります。
整理ができない人は、テクニックや方法に問題があるのではありません。
精神的に問題があるのです。
問題といっても病気のことを指しているのではなく「寂しい、悲しい、つまらない」という心の穴が開いているということです。
一般的にいう「愛情が不足している状態」です。
その心の穴である愛情不足を、ありったけの物で埋めようとし、そうして整理ができなくなってしまうのです。
整理しない、できない、という人のそもそもの問題は、心にあります。
あなたの周りで家族と仲の悪い人がいれば、その人の部屋をちょっと見てみましょう。
きっと物がたくさん置かれて、部屋が散らかっていることでしょう。
愛情の根底である家族との仲が悪ければ当然愛情が不足し、その人は愛情を埋めるために、しかるべき行動に出るはずだからです。
部屋が整理されていないと、一般的には「だらしない」と思われています。
たしかに面倒が嫌いで、だらしないのでしょう。
なぜ、だらしない性格になってしまったのかというと、根底に「愛情の不足」が原因になっているからです。
物に対して感謝や愛情がある人は、その人が愛情を受けてきているからです。
家族に愛され、愛情を知っている人は、その人も愛情を持って人や物に接していこうとします。
物に対して愛情があれば、当然丁寧に扱うし、きちんと整えていこうと思います。
しかし、自分に愛情が不足し、愛情に触れる機会が少なかった人は、また人への愛情も薄く物に対しても煩雑に扱います。
それが結果として「面倒」「だらしない」という人の性格として、外に表れてくるのです。
貧乏な人の部屋のほうが、整理整頓がされていません。
貧乏ですからお金がなく、物が少ないはずだから部屋もきれいだと思われがちですが、実際は逆です。
貧乏でお金に対して執着が強い人ほど、お金に対するコンプレックスが強く、部屋を物で埋めることで穴を埋めようとします。
裕福な生活がしたい心の穴を埋めるために、自分の貧乏さを否定するかのように物をたくさん置くようになります。
もちろん貧乏でも整理整頓がきちんとできる人もいます。
貧乏でも家族からの愛情がきちんと注がれ、感謝や愛情を知っている人は、部屋がきれいです。
しかし、貧乏で、親からの愛情が不足している人は「隠そう」「幸せそうに見せよう」と裏返しの行動に出るのです。
弱い犬ほど、強そうに吠える。
かっこよくない人ほど、かっこつける。
顔にコンプレックスのある女性ほど、化粧に力を入れる。
貧乏にコンプレックスを抱いている人ほど、貧乏だとばれないように部屋にたくさんの物を置いて、裕福さをアピールしようとする。
すべては裏返しの表現なのです。
あなたが目にしている出来事をすべて裏返してみれば、本当のことが見えてきます。
今回は整理整頓というテーマではありますが、よく考えてみましょう。
部屋をどんなにきれいに整理したところで、住む人が変わらないかぎり、また部屋は元のように散らかっていくのです。
多くの本には整理整頓のポイントや方法といった表面的なことしか書かれていません。
整理整頓のために必要なのは、住む人の心から、改善する必要があります。
表面を一時的に取り繕ったところで、本人に物に対する感謝や愛情がないと、また元どおりの散らかった部屋になるのです。
私は、その人の行動を見れば、その人がどういう人なのかがおおよそわかります。
超能力者ではないため、生年月日や細かなことを当てることはできませんが、行動を見ていれば「人となり」が見えてくるのです。
というのも「行動」というのは、その人の「心」と「過去」が映し出された結果だからです。
人間が行動に出る前には、実は次のような段階があり、最終的に行動へと表れます。
「過去→心→言葉→行動。」
どんな人間でも、行動の前には必ず言葉があり、言葉の前には必ず心があります。
たとえば旅行をしたいと考えている人は、まず心の中で「遠くに出かけたい」と心の中で思います。
言葉として「アメリカに行きたいな」「サンタモニカを見たいな」と口にするようになります。
最終的に、旅行会社へと出向くことになり、実際に旅行へと出かけます。(行動)
行動の前には言葉が存在し、言葉の前には心が存在しているのです。
ここからが肝心です。
実は心の前には「過去」が存在しているのです。
そもそもよく考えてみればわかることです。
先ほどの旅行の例でも「遠くに出かけたい」と思うようになったのは、なぜでしょうか。
ある日、突然意味もなく「遠くに出かけたい」と心の中で湧き出ることはありません。
何か原因があって、そう心の中で思い願うようになったはずです。
その原因が「過去」です。
たとえば「仕事でストレスがたまり気分転換したい」「人間関係に苦労している。現実逃避したい」。
そんな過去があり、結果として「遠くに出かけたい」と心の中で思うようになったのです。
すべての行動には、必ず何かの理由があります。
行動はその人が心で思った結果です。
結果という「行動」を見て、原因をたどっていけば、おのずから「心の中」も見え「過去」も見えてくるようになるのです。
なぜこういうことを私が知っているのかというと、私がこうした経験を実際にたくさんしてきたからです。
私は以前に留学という経験があり、アメリカにわたって勉強をしたことがあります。
しかし、そのときはアメリカに行きたい気持ちと、家を出たい気持ちがありました。
恥ずかしい話ですが、私は家族から離れて、1人になりたいと思っていました。
私の母は大変面倒見がよく、私に対して過保護で接してきます。
本当は私がしなければならないことを「息子のためを思って」と全部母が代わりにやってしまいます。
もちろんそれはそれでとても助かりました。
しかし、あまりに助かりすぎるため自分の成長が小さく、1人では何もできないということに気づいたのです。
その反動が「家を出たい!」という強い気持ちとして表れました。
私は当時「留学をしたい」と親に言いましたが、今だから言える本音は実は「家から出たい」という一言に尽きるのです。
もちろん当時はそんなことは言えません。
家の外に出るにはお金もいるし、それなりの協力や援助も必要です。
「英語の勉強をしたい」「文化を学びたい」といういろいろな理由をつけて「家を出ること」に成功したのです。
人間には「過去→心→言葉→行動。」があると言いました。
私のアメリカへ留学する「行動」の前には「留学したい」という言葉があり、言葉が出る前には「外に出たい」気持ちがありました。
そもそも「外に出たい」という心になぜなったのかというと、私の過去に親からの過剰な保護があったからです。
私がこうしたことを経験してきただけに、ほかの人の行動を見ていると「心」が見え「過去」がうっすら見えてくるのです。
「なぜ、そんな行動に出るのかな」
「なぜ、あのようになったのだろうか」
行動には必ず理由があり、必ず過去が関係しているのです。
捨ててしまうことは手に入れることだということに、ほとんどの人が気づいていません。
部屋にある物を捨ててしまえば、部屋の物は少なくなりますが、大きなことを手に入れた瞬間です。
「時間」と「余裕」です。
たとえば部屋に置いてあるテーブルを、いらない物として捨ててしまいます。
机1つあれば事足り、わざわざテーブルを置く必要はないと思えば、テーブルはいらない物になります。
テーブルを捨ててしまえば、掃除をする手間をとられることがなくなり、その空いた分だけ時間が手に入ります。
時間だけではありません。
テーブルがなくなった分だけ、スペースに余裕ができます。
もし時間と余裕が欲しければ、時間と余裕を追いかけるのではなく今、手にしている物を手放すだけでいいのです。
「手に入れる」という発想から「手放す」という発想に切り替えてみましょう。
あなたは今、思ったより不必要な物をたくさん持ちすぎています。
物を持てばもつほど、余計に時間と余裕が失われます。
時間と余裕を持ちたいがために、また新たな物を購入します。
しかし、実際は、物が増えることで余計に時間と余裕が失われる悪循環になっているのです。
悪循環になっていることに気づきましょう。
時間や余裕が欲しいと願っていれば、手に入れるのではなく、手放すことです。
手放せば、まさにその瞬間から「時間」と「余裕」が手に入ります。
物を手に入れるためには時間もお金もかかり、自分で自分の首を絞めることになります。
しかし、手放すだけなら、お金はかからず、そのうえ即効性があります。
現代人は幸せを追い求めた結果、たくさんの物を持ちすぎてしまい、心が狭くなり、余裕がなくなり、時間に追われて苦しんでいます。
戦後の物のなかった時代なら、豊かさのために手に入れるという発想も通じました。
しかし、今の物があふれる時代では、そうした発想は通用しなくなってしまっているのです。
今は、手放すことで手に入れる時代なのです。
心がすっきりしている人はいつも何を考えているのかというと、頭の中は空っぽなのです。
頭の中が空っぽだから、心の中もすっきりしています。
空っぽの状態ほど、余裕があって吸収の準備ができているということであり、これほどすっきりしたことはありません。
心をすっきりさせるためには、どう頭の中に余裕をつくるのかということがポイントです。
比較的すぐ思いつく、頭の余裕のつくり方は「シンプルに考えること」です。
物事をややこしく考えるのではなく、シンプルに考えることで、たくさんのことを覚える必要がなくなり、頭の中に余裕ができます。
考えていることがシンプルで少なければ少ないほど、当然心の中もすっきりします。
しかし、もっと効果的な方法を挙げれば、頭の中に保有しないことです。
頭の中で覚えておかなければならないことがたくさんあるほど、ほかのことを考える余裕がなくなります。
たとえば「今日はスーパーに行ってトマトを買わないといけない」ということを頭の中で覚えるとします。
しかし、心がすっきりしている人は、わざわざ頭で覚えようとしません。
頭の中で覚えると多少なりともエネルギーが必要で、記憶保持に気を使っていなければなりません。
それが、頭の中を乱してしまいます。
では、どう覚えておくのかというと、なんとメモを取っているのです。
財布の中に「トマトを買う」と書かれたメモを挟んでおけば、うっかり忘れることはありません。
メモに残っているため、頭の中では「覚える」ことにエネルギーを割く手間を省くことができ、余裕を持てます。
ささいなことだから覚えておこうとすることは、頭のいい人がよく犯してしまうことです。
頭のいい人は、頭が良いがゆえに、何でも自分で覚えて暗記しようとします。
「うっかり」という現実につながるのです。
「これくらい覚えられる。 暗記できる」と自分に人一倍の自信を持っているために、暗記すると「うっかり」へとつながるのです。
メモを取る作業は、単に「うっかり」を防ぐだけの効果だけでなく、頭の中に余裕をつくる効果があるので一石二鳥にもなるのです。
はやらないレストランの特徴というのは、メニューが豊富であることです。
多種多様なメニューがあり、一目で何屋さんかわかりません。
和風のメニューもあれば、洋風のメニューもあり、ごちゃ混ぜになっています。
お店の入り口には「~始めました」と張り紙があり、お店のオーナーはメニューが増えた分だけお客さんが喜ぶと思っています。
しかし、メニューが増えれば増えるほど、調理する人は大変になり、どれも中途半端な完成度です。
お客さんには、メニューに一貫性がなく「何屋さん?」と思います。
いろいろなことに手を出していると、中途半端になり、一点が目立たなくなってしまうのです。
はやるお店の共通点は、何か一点がめだっていることです。
メニューそのものが少ない代わりに、その一点にはすべての力をつぎ込んでいます。
一目で「これで勝負しているんだな」とわかり、おすすめと書いていなくても、どれがおすすめなのかがわかります。
一点豪華主義は、成功するための方程式です。
もちろん部屋の整理をする際にも、この方程式は当てはまります。
部屋の中に何でもかんでも置くのではなく「これにこだわっている」という物だけ置けば、後は全部ごみ箱行きでOKなのです。
生活が豊かな人ほど、同じ服を複数持っているという共通点があります。
いろいろな種類の服をたくさんではありません。
お気に入りの服を、3枚も4枚も持っているのです。
それは自分がいちばん気に入っている物だから、同じ物を複数持つことにつながっているのです。
いちばんのお気に入りは、常に1つだけです。
洋服を選ぶときにはよくわかることですが、やはり自分のいちばんのお気に入りだけを着ようとします。
1番は1つだけですから、選ぼうと思ってもいつもいちばんしか手をつけないということになるのです。
ほかの服はいらないことになります。
いろいろな種類を中途半端にもつより、いちばんのお気に入りを複数枚もつほうが、生活は豊かになります。
いつもいちばんを身につけることができるからです。
その人のこだわりを目立たせることになり、個性をアピールできます。
整理整頓ができれば、心もすっきりします。
見た目が整い、きれいにそろっていると、すっきりした印象を受け、心も一緒にすっきりします。
「整理整頓するから心がすっきりする」より「心がすっきりしているから整理整頓もすっきりする」といったほうが正しいのです。
部屋の状態は、住んでいる人の心が映し出されたものだと言いました。
「部屋をすっきりさせよう」と思う心がなければ、当然のことながら部屋はきれいにならないし、整理整頓はおぼつかないのです。
住んでいる人が「きれい好き」「掃除好き」であるから、掃除をし、結果として部屋はきれいに整理整頓されるのです。
「きれいにしよう」という本人の意識がなければ、行動には至らず部屋が勝手に整理整頓されるわけがないのです。
部屋をきれいにするためには、実は住んでいる人の心をまずきれいにする必要があります。
住んでいる人の心がきれいになれば、後は自然と体が動き、部屋はきれいに整理整頓されていくのです。
乱暴な言葉遣いの人は、必ずと言っていいほど部屋も汚く乱れています。
それとは反対に、おしとやかで言葉遣いがきれいな人は、部屋もきれいに整っています。
整理整頓するから心がすっきりするのではなく、心がすっきりしているから部屋も整理整頓されていくのが現実なのです。
何かを手放すことは、穴があくことです。
つまりスペースができ、余裕ができ、新しく何かを受け入れる準備ができるということです。
ぎゅうぎゅう詰めに詰まった本棚に、新しい本を入れようとしてもなかなか入りません。
スペースがなく、たとえ入ったとしても余計に窮屈になります。
それだけでなく、取り出すときも一苦労です。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた分、取り出すときにもパワーが必要です。
余裕がないのは、入れるときも取り出すときも大変になるのです。
気持ちの余裕がないときには、話す内容も覚えも悪くなるのは、余裕がないためなのです。
無理やり押し込むことが整理整頓ではありません。
手放して捨ててしまうことが整理整頓の第一歩です。
本棚も、いっぱいになったから新しい本棚を買うという解決策に頼るのではありません。
今置いてある本の中で、いらなくなった本を思いきって処分してしまうことが必要なのです。
新しい本棚を買ったところで、いつかまたぎゅうぎゅう詰めになってしまうことが目に見えています。
こうした人の解決策は、増やすことではなく減らすことに本当の解決策があるのです。
捨ててしまえば、穴が開きますが、受け入れられるということなのです。
受け入れる前には、十分な余裕がなければならないし、その余裕のためには思いきって捨ててしまうことが必要なのです。
整理整頓をしようとするとき、つい値段のことを考えます。
高価な物は捨てづらく、また安いものは捨てやすいものです。
高いお金を出して買ったけれども実際は全然使わないものもあれば、安かったけれどもよく使うというものもあります。
いえ、そうしたことのほうが日常茶飯事です。
基本に戻りますが、部屋に残しておくものというのは「使う物」に限ります。
ただそこに「値段が高い、安い」という基準を設けてしまうと、整理整頓が突然しづらくなってしまうのです。
お金が中心の資本主義の中で生きる人間は、何事も値段で価値を計ろうとしてしまいます。
値段の高いものには「お!」と驚きますが、安物には「ああ、そう」と白けてしまいます。
これが人間の悪いところです。
「高いものは良いもの」「安いものは悪いもの」という基準をつくってしまい、その考えが整理整頓を難しくさせてしまうのです。
「高いか安いか」で整理整頓をしてはいけません。
実際には「好きか嫌いか」を基準に決めることが最も大切なポイントなのです。
「お気に入り」という言葉があります。
日常でよく使うものは「高価なボールペン、高価な服」ではなく「お気に入りのボールペン、お気に入りの服、」です。
高価だからよく使うものでもなく、愛着があるわけでもなく、日常よく使い愛着があるのは「お気に入り」のものなのです。
「お気に入り」という言葉がついているものは、つまり「好き」だということです。
整理整頓をするうえで大切なことは、自分のお気に入りに従い「好き、嫌い」で「残すか、捨てるか」を判断することです。
決して「高い、安い」で決めることではないのです。
整理整頓には入れ物が必要です。
お歳暮や誕生日プレゼントで贈られたものの中には、きれいな柄の入れ物があります。
「捨てるにはもったいない。そうだ、入れ物として使おう!」
おしゃれな外観をした入れ物の場合、何かの入れ物に役立つかもしれないと思い、大事に取っておくことがあります。
おしゃれであればあるほど捨てるのが惜しくて、取っておきたい気持ちが強くなるでしょう。
そうすると、おしゃれできれいな入れ物が、押し入れでいつか使われる日まで待機をすることになります。
押し入れが倉庫へと変わるのです。
実際はこの入れ物こそがごみとなっています。
整理整頓のために使う入れ物も「いつか使うかもしれない」といったん残し癖がつくと、必要以上にどんどんとたまります。
「いつか使うかもしれない」という考え方が、部屋を乱してしまう原因になっているのです。
おしゃれさに惑わされてしまうと、余計なものを手元に置くことになります。
必要な物だけ手元に置くことです。
必要になったときは、購入かレンタルで、ほとんどの物は部屋に置く必要がなくなるのです。
「もしかして、レンタルできないか?」
こう思いながら、一度部屋を見渡してみましょう。
いつか使う日のために、部屋の中に保管されているものが数多く存在します。
そのほとんどが、レンタルが可能なものばかりなのです。
スキューバダイビングをするからとはいえ、道具を部屋に置くのは、広いスペースをとられることになり、邪魔です。
あらためて考えると、スキューバダイビングの道具は、レンタルが可能です。
使う日がはっきりわかっていないにもかかわらず、部屋の中にずっと保管しておく必要はありません。
着物やドレスも同じです。
成人式・結婚式・パーティーなど使う日は、1年に数回程度です。
いえ、人生にたった1回のときさえあります。
にもかかわらず、たったその日だけのために部屋のスペースを大きく占有されてしまうのは、部屋を物置にしてしまうことです。
整理整頓の前に、まず部屋を物置小屋から普通の部屋に戻してあげることです。
レンタルできるものは、レンタルに頼ってしまったほうが、部屋はすっきり整理されるのです。
部屋の整理を邪魔しているのは「いつか使うかもしれない物」ばかりです。
私の部屋には以前、たくさんのビデオが置かれていました。
自分で気に入ったビデオを買い、部屋の中に置いていました。
しかし、見るとはいえ、ごくたまにだけです。
たまにしか見ないにもかかわらずビデオをずっと部屋の中に置き続けていることに違和感を抱き、ある日、思いきって捨てました。
本当に見たいときは、ビデオ屋でレンタルをするようにしています。
今は、何でもレンタルができる時代です。
「使うときだけレンタル」という発想をすれば、部屋はさらに片付きます。
そもそも整理整頓って、何のためにするのでしょうか。
「見た目をきれいにするため?」
「部屋の余裕をつくるため?」
「友人が来たときに、良い印象を持ってもらうため?」
いろいろな意見が飛んできそうですが、これらは2次的な効果です。
いちばんの目的は住んでいる人が「生活しやすく住みやすくするため」です。
探しやすく、取り出しやすく、戻しやすく、片付けやすい。
動きやすく、生活しやすく、住みやすくなる。
そのために、整理整頓をするのです。
整理整頓をするときに、一度立ち止まって「何のために整理整頓をするのか」という原点に戻ってください。
ただきれいに整えるというだけでは、整理整頓することが目的となります。
整理整頓は目的ではありません。
手段なのです。
生活しやすく住みやすくするという目的のために、整理整頓という手段で実現させるのです。
突然の友人の訪問に、押し入れの中に服やごみを押し込んで、部屋をきれいに見せることは整理整頓ではありません。
友人が立ち去った後、押し入れを開ければ、押し込んだものが出てきます。
友人のために整理整頓をするのではなく、自分が住みやすくするために、整理をすることです。
自分のために整理をするのだから、友人がきたときだけではなく、普段から整理整頓を心がけることになるのです。
「掃除が面倒だな」
いくらきれい好きとはいえ、疲れているときはついそう思います。
眠かったり、疲れたりしているときには、掃除より怠けが先に出てしまうことがあります。
私は癖なのですが、いつも朝起きたタイミングで掃除をしています。
癖なので特に意識はしていないのですが、眠くて眠くて「ちょっと怠けたいな」と思ってしまうことが正直あります。
「今日くらいはいいか」と思いながら、一度それが習慣になるとだらだらの方向へ偏る一方です。
整理整頓もやる気の問題が大きいのです。
一度やる気が出れば、後は調子に乗るだけですが、その調子が出るまでが大変です。
新幹線も、一度調子に乗ってしまえば早く進みますが、動き始めはのろのろであり、パワーも必要です。
人間の行動も同じように、まず始めるまでが大変です。
行動に移すまでがなかなか大変なのですから、せめて気持ちだけでも軽くしておいたほうがいいのです。
スタートは、軽い気持ちで始めるようにしましょう。
鉛筆を引き出しに戻す単純な片付けでも、1つやると「ついでにもう1つ」という気持ちが湧き出てきて、連鎖してしまうのです。
大きな掃除をしようと思うことは決断が必要ですが「ちょっとだけ」という軽い気持ちで始めたほうが、始めやすくなるのです。
「整理整頓ができません。どうすればいいですか」
整理整頓と頭の中ではわかっていても、もやもやした想像しか湧かず、具体的にどうすればいいのかわかりにくいものです。
私も子どものころは、整理整頓といわれると何をどうすればいいのかはっきりわからず困った経験があります。
整理整頓と言っても、人それぞれで、方法も順番もいろいろあります。
片付けは元どおりにすることですから答えは1つしかありません。
ですが、整理整頓は自分が生活しやすくなるためにすることですから、答えは人それぞれなのです。
整理整頓をわかりやすく言い換えれば、つまり「統一させること」です。
あるばらばらになっている状態から、何か1つのポイントを取り出して、そのポイントに沿って統一させることなのです。
「整理整頓しなさい」と言われたら、とにかく統一させればいいのです。
色で統一するのか、形で統一するのか、使う頻度で統一するのか、大きさで統一するのか、それとも好みで統一するのか。
何を中心にして並べて整理するのかは、まずそうしたテーマを決める必要があるのです。
何を中心に整理整頓をしていくのかを決めると、いくぶんやりやすくなります。
整理整頓のテーマを決めるということです。
テーマを1つ決めるだけで、磁石で引き寄せられるかのようにある一定の条件で整えられることができるようになります。
たとえば本を並べるときには、著者別に並べるのか、高さに合わせるのか、色に分けて並べるのかと、いろいろなやり方があります。
何でもかまいませんから、自分が気に入っているテーマを1つ決めて、それに沿った整え方にすれば、統一感が出てきます。
整理整頓とは、そもそも統一させることです。
自分が活用しやすくするために統一させることを、整理整頓といいます。
ばらばらのものがあっても、それぞれのあるポイントをつけば、共通点が見えてきます。
その共通したポイントで並べ、統一させるために、1つのテーマを決める必要があるのです。
部屋の色をばらばらにするより全体を1つの雰囲気でまとめるほうがきれいに仕上がります。
私はいつも人と接するとき、言葉よりその人の行動を見て、その人がどういう人なのかを見るようにしています。
鑑定士でも心理学者でも専門家でもないですが、過去にある経験をしてから、言葉より行動を重視するようになったのです。
私がアメリカへ渡って留学をしていたころ、韓国人の男友達とよく一緒に遊んでいました。
同じアパートに住み、部屋こそ違いはしましたが、互いに近場にいたこともあり、よく一緒に遊び、仲良くなっていきました。
一緒に食事をしたり、買い物に出かけたりして親しくなるにつれて、一方で彼の性格がだんだんわかってきました。
「俺はとってもきれい好き」と言いながら、彼の部屋はとても乱れているのです。
私は彼の言っていることと実際に行動していることが、異なっていますから、そのときは驚くより、笑って聞いていました。
しかし、その性格は約束の時間に遅れたり、嘘をついたりと、ほかの場面でもだんだん目立ってきました。
「言葉より行動に、その人の本性が現れる」
そのころからだんだんそれが直感的にわかってくるようになりました。
一度その教訓が身についてから、ほかの人も見渡してみると、彼だけに限った話ではなく、ほかの人も同じように当てはまるのです。
言葉は実績や経験がなくても、いとも簡単に口にできます。
誰でもすぐ言葉にできるだけに、嘘も言いやすい。
それも大半の場合、口にしている本人が嘘を言っていることに自分でも気づいていないことが多いのです。
私はこの事実を知ったとき、同じく自分にも当てはめてみました。
私も口にしながら、そういえば行動ができていない場面が過去にはたくさんあり、自分で自分を見失ったことがあります。
私も私のことがよくわかりません。
自分で自分がどんな人なのかよくわからない人が多いのです。
そんなときには自分の口から発する言葉より、自分の体で表現する行動がどういうものであるのかを見て判断しましょう。
より正確な自分の性格を知ることができます。
これは私にとって大きな発見でした。
いつしか私は、あまり話さない性格になってしまいました。
自分でも自分が口にしていることが、本当かどうかわからないだけに、言葉より行動によって表現しようと思ったわけです。
物静かな分、態度や行動で自分を表現するようにしています。
そのほうが、ほかの人からも信用されることにつながるからです。
人の性格は、驚くほど表面に表れます。
髪型、服装、話し方、話の内容、振る舞い、態度。
そうした外面的な部分を見るだけでも、かなりその人の内面が見えてきます。
もちろん外見だけで、すべてを判断することはできません。
しかし、実際は外見だけで、ある程度の内面までわかってしまうことが事実なのです。
面白いことに、部屋の状態を見ることでその人の性格が驚くほど見えてきます。
部屋がごちゃごちゃしている人は「すっきり」を心がけない人です。
部屋がごちゃごちゃになっている人は、約束を破りやすく、嘘をつきやすく、人間関係もごちゃごちゃになっています。
「すっきり」を習慣として心がけていないため、至る所で性格が表れ「これくらい、いいや」という考えが、出てきます。
住んでいる人がそんな気持ちなら、当然部屋にもその心が表れます。
友人関係にも隠しきれず、あるときふと、表に出てしまいます。
うっかり秘密を他人に話してしまったり、約束を破ってしまったり、陰愚痴を叩いたりと、自分の行為が整理されていません。
部屋がすっきりしていない人は、人間関係もすっきりしていません。
毎日きちんと片付けたり、整理したりするのは1つの習慣です。
習慣とは、毎日のある約束を確実に守っていくことです。
毎日の約束がおろそかになっている人は、人との関係でも約束がおろそかになってしまうのです。
人間を見るときには、言葉より、行動を見てみましょう。
驚くほど、その人の「本当の姿」が見えてくるのです。
大掃除をした後には、以前より部屋をきれいに整えることができます。
たとえば年末の大掃除です。
年末だけあって大掃除の中でも、特に大きな掃除をします。
普段は手の届かないところのほこりやごみを取るために、机の物や、本棚の本、洋服たんすの中にある服も全部取り出します。
すると、当然のことながら部屋の状態はめちゃくちゃになります。
しかし、そんなめちゃくちゃになった状態の後には、以前より美しい姿が待っています。
「破壊は想像することだ」という有名な言葉があります。
一度、今の状態を破壊することで、今までとは違ったレイアウトや組み立てができるようになります。
結果として新しい状態をつくり上げることができるのです。
思いきって部屋全体の物を取り出し、破壊した状態をつくれば、新しいレイアウトで部屋の模様替えができるようになるのです。
私の好きな色は、ホワイトとパステルオレンジ、パステルピンクの3色がいちばんのお気に入りです。
今住んでいる部屋のカーテンは、パステルピンク。
引っ越す以前に住んでいた部屋では、カーテンがパステルオレンジでした。
使っているイヤホンのコードの色はホワイト。
マフラーも色は、ホワイト。
女性的な色だと思われるかもしれませんね。
これらの色に触れていると自然と元気が出てくるというのが、好きであるいちばんの理由です。
優しさと温かさと柔らかさを併せ持ち、精神的に負担が少ないので触れていると単純に癒やされます。
私は、機能的でかっこいい色より、元気の出る色を重視します。
特にオレンジ色とピンク色に触れていると、温かい印象があります。
落ち込んだときにはこの色に今までに何度も助けられています。
色によって得られるパワーは大きく、どのような色を選ぶかによって、精神的なやる気や元気にまで影響を与えます。
色は、小さいながらも大きな存在です。
私は物を購入するときに、色を大変重視します。
機能面も考慮には入れるのですが、機能が劣っていても色がよければ精神的に元気になれるのでポイントを高くしているのです。
元気は人間の中心です。
仕事も人間関係も元気がないと、うまくやっていけません。
機能より、色によって得られる元気を重視しているわけです。
整理整頓がきれいにできても、冷たい印象を受けてしまっては元気が奪われ、元も子もありません。
せっかく整理をするなら、元気の出る部屋にしておいたほうがいいのです。
部屋で元気が充電できれば、ゆくゆくは生活向上につながっていくからです。
私は本を書くときには、書きたいところから書くようにしています。
初めに「自分が今いちばん書きたい!」という気持ちの流れに従い、先にタイトルを決めてしまいます。
しかし、その後は、難しいことは考えず、書きたいところから手当たりしだいに書くようにしています。
気持ちのむくままにです。
すると不思議なことに、そのほうがうまく出来上がることに気づきます。
初めに下書きや内容をまとめてから書こうとすると、妙に緊張してしまい、うまく書けません。
いえ、実際にはうまく書けてはいるはずなのですが、きれいに整いすぎた文章やレイアウトは、真面目すぎて面白くないのです。
私の書きたいところから書くという手法は、いつの間にか自然に身につきました。
今の自分の気持ちに従って書くほうが、明らかに書きやすくなり、面白みが出るからです。
魚は捕れたての新鮮な状態がいちばんおいしい状態です。
時間がたつにつれて、鮮度が失われていきます。
気持ちも同じで、今の気持ちを大事にすることで、新鮮な心理状態で書けます。
遠慮なく思いきった内容で文章をつづることができるのです。
「あとからきれいにまとめて整えてから書き始めよう」なんてのろのろしていると、その間に新鮮な気持ちも失われてしまいます。
書きたい気持ちが少しずつ失われていき、ついには書けなくなってしまうのです。
部屋の整理整頓も、初めに考えすぎてしまうと、その間に気持ちが消えてしまい、何もしないままになります。
「整理整頓はよく考えてからやろう」
そう思っているうちに、いつまで経ってもやらないという経験はありませんか。
あとからやろうと思っていると、その間に気持ちが失われてしまうため、行動できずに終わってしまうものなのです。
整理整頓をやろうと思ったら、今すぐやってしまうことがコツです。
今すぐです。
「あとからやろう」「構想を膨らませてから」と思っていると、ずっと行動できないでしょう。
気持ちが熱い今のうちに整理を始めておいたほうが、気合を入れなくても自然と入るのです。
部屋の掃除を、自分のためではなく、やってくる人のためにする人がいます。
そういう人には本当の友人はいないし、できない人です。
普段は掃除も片付けも整理整頓もしない人が、友人が遊びに来るときに限って、一生懸命に掃除をして片付けます。
部屋の汚いところを見られたくないからと、普段は掃除をしないにもかかわらず、毎日しているかのような自分を見せようとします。
これを「仮面をかぶる」と言います。
偽った自分を見せることです。
偽った自分がきれいであれ美しくあれ何であろうと、本来の自分ではない自分を見せているかぎり、偽っています。
部屋がきれいなときは見せて、汚いときは見せないのは、自分を偽っていることの1つです。
少しでも自分の印象をよくしようと仮面をかぶり、そうであるような振る舞いをします。
こういうことをしていると、すれ違った人間関係に悩みやすくなります。
たとえば、あなたがお金持ちの仮面をかぶっているとします。
貧乏と思われたくない見栄を張り、仮面をかぶって、お金を持っていそうな雰囲気を出します。
するとあなたを見た人は「お金持ちなんだな」と誤解することでしょう。
その結果、相手もお金持ちに適した振る舞いや態度や話し方で接してくるようになります。
しかし、実際、本人は違和感を抱きます。
本当の自分ではないからです。
ブランドばかりの話をされても、実際のところ、本当に興味があるわけではありません。
お金持ちそうな話をされても、実際はお金持ちではないので話がすれ違ってばかりです。
豪華なパーティーに誘われても「いいわね」と口では言いながら、心では「またお金がかかる。どうやって断ろうか」と考えます。
偽りの仮面をかぶってしまうと、そこから生じる人間関係にも、誤解が生まれやすくなり、苦労しやすくなるのです。
では、こんなときにはどうすればいいのでしょうか。
単純な話です。
今かぶっている仮面を脱げばいいだけです。
仮面を脱ぐのは、恥ずかしいことです。
しかし、脱いだ瞬間から、本当の自分が顔を現します。
本当の自分の顔を出して人と接すれば、誰かがあなたの顔についている汚れを指摘してくれ、悪いところを教えてくれます。
あなたは顔を洗い、汚れを落としさえすれば、簡単に改善ができます。
本当の自分を見てもらうことができるようになり、そこから初めて本来のすっきりした人間関係が生まれるのです。
習慣というのは、生活の一部になっているということです。
整理整頓が習慣となっている人は、体の一部になっており生活の一部になっているということです。
一部とはいえ、その影響は体と生活全体であるため、部屋がきれいな人はほかの部分でもきれいになっている傾向があります。
部屋がいつもきれいで整理整頓ができている人は習慣になっているため、その習慣は生活のほかの場面でも同じように見られます。
仕事で使うデスクの上、友人関係、親子関係、親戚との関係などです。
整理整頓が習慣となっている人は、その性格が、ほかの場面でも同じように表れてしまうのです。
中途半端にだらしなく、中途半端にきれいであることはありません。
全部がきれいか、それとも全部がだらしないかの2通りなのです。
部屋が散らかっている人は、人間関係も、仕事も整理されていません。
しかし、部屋がきれいに整理整頓されている人は、人間関係も仕事もきれいに整理されています。
習慣は、一部だけに表れるということはなく、必ず全体に表れてくるのです。
一度あなたが整理整頓の習慣を持てば、生活全体に影響します。
部屋だけでなく、人間関係も仕事も同じように整理整頓ができるようになります。
そもそも心から発生する整理しようとする気持ちは、どこで何をしようが関係ありません。
心が「きれい好き」であるかぎり、仕事や人間関係でも心から発するオーラによって、きれいに整理されていくのです。
「これ余り物だけど、良かったら差し上げましょうか」
ときどきこうした親切な言葉をかけてくれる人がいます。
悪意を持って話しかけているわけではなく、あなたを思ってわざわざ話しかけてくれていることには感謝をしましょう。
しかし、ちょっと待ってください。
親切に話しかけてくれるからとはいえ、何でもハイハイと言ってはいけません。
ここでも「本当に自分に必要な物かどうか」をあらためて考えてみることが大切です。
「いらない物だから、いりますか」ということは、あくまでも受動的です。
自分が必要としているから、手に入れようとしているわけではありません。
他人がいらなくなったごみを、あなたにバトンタッチして受け取っているのです。
本当に自分が求めている必要な物なら、もらってもかまいません。
しかし、必要もないのに、相手の気分を悪くさせてはいけないという心から、受け取ることに問題があるのです。
整理整頓のためには、そもそもいらない物はもたないことです。
必要のないものも、受け取らないことが重要です。
意外なことかもしれませんが、整理整頓ができない人は断る勇気のない人です。
相手に悪いなと思い、断れないからとりあえずもらうことになり、ごみがまた1つ増え、整理の手間が増えるのです。
それでいて断れないくらいの人ですから、人からもらったものは余計に捨てられないのです。
「せっかくもらったものだから捨てられない……」
そういう思いが強く、もらったものは自分が買ったもの以上に捨てられない地獄にはまるのです。
「ごめんなさい。いりません」という一言が言えないために、ごみをもらうことになっていることに気づくことです。
先ほども言いましたが、整理整頓は根底から改善していかなければなりません。
どんなにきれいに整理ができるようになったところで、いらない物を整理できても意味はないのです。
整理整頓のためには、まず人からもらわないことです。
もらうことは、自分が欲しいと思って手に入れることではありません。
それに対して買うことは、能動的です。
「必要だから買う」という意思があるから「買う」という行動に出るのです。
自分で買ったものは、必要という前提があるだけによく使います。
受動的にもらったものより、必要だから買ったもののほうが、大活躍をするのです。
整理整頓という要素は、部屋だけに限った話ではありません。
仕事や恋愛、友人関係といった人間関係にも大いに活用できる知恵です。
一度部屋がきれいに整理できるようになれば、その手法はほかの分野にも応用が利き、至る所で活躍するようになります。
部屋が整理整頓されている人は、決まって仕事で使うデスクもきれいに整理されています。
整理整頓という癖がついていることもありますが、コツやポイントをすでに身につけているため、ほかの場面でも活用できるのです。
整理ができるようになるだけで、部屋だけでなく、仕事、恋愛、友人関係、学業、金銭面など、すべてにおいて好影響を及ぼします。
私は学生のころから整理整頓を意識するようになりました。
初めは部屋の整理整頓を心がけていたのですが、そうしているうちに学業にも良い影響が出てくるようになったのです。
優先順位をつけて並べることができるようになると、勉強の効率化になります。
机や引き出しに、ノートや教科書などをきれいにしまう癖ができると、取り出すときにも楽になり、勉強がしやすくなります。
またスケジュールの立て方、勉強の仕方、教え方などの「立て方」や「方法」は、いわば「整理整頓」と同じです。
うまく組み合わせて効率化を図るということです。
整理整頓が身につくだけで、ほかのジャンルでも同じくレベルアップができるのです。
物に対する所有欲が、あなたの生活にしがらみをつくってしまっています。
「あれも欲しい」「これも欲しい」と所有することに目がくらみ、たくさん手に入れることで生活が豊かになると思っています。
たくさんの物を手に入れて、生活は豊かになりますが、同時に心まで豊かになっているのかというと疑問が残ります。
たくさん物を持てば持つほど「手放したくない」執着が生まれて、気を配らなければいけないことがたくさんできるからです。
物の豊かさは、心の豊かさとは関係ありません。
一時的に所有欲と虚栄心を慢心させることで精神的に豊かになったと勘違いをしているにすぎないのです。
たとえば車です。
かっこいい高級車を持てば、多くの人からの注目を集めることができ、自分の見栄を満足させることができます。
ですがその反面、手入れは大変で、どこかの車にぶつけられないかと心配でたまりません。
少しでもかすり傷をつけられた日には、頭から湯気が出るほど怒り狂い人と揉めることになります。
自分の物だという執着が強いほど、けんかの原因になってしまうのです。
では、こういうときにはどうすればいいのでしょうか。
手放せばいいのです。
その人が執着している高級車を手放すことで、執着がなくなります。
「かすり傷をつけられるのではないか」という不安もなくなります。
物を手放すことで精神的な束縛から解放され自由になれるのです。
もちろん人と揉めることも少なくなります。
高級車を手放せば、交通事故になることもなく、メンテナンスにお金がかかることもなくなります。
手に入れる豊かさより、手放すことによる豊かさのほうが上回っている事実に気づけば、執着はおのずから消えるのです。
本当に物に対する感謝を持てば、物を持つことに執着はなくなります。
この世において、あなたの物は1つも存在しないからです。
あなたが持っている本棚も机もテレビもビデオもすべて、あなたが作ったものではなく、宇宙が作ったものです。
あなたは自分で自分の心臓を作ったわけではありません。
自分で心臓を動かしているわけではありません。
人が地球を動かしているのではなく、宇宙が地球を動かし、地球の上に人間が生きているのです。
宇宙と地球と人間に境界線はありません。
それぞれが別個として存在しているわけではなく、この世には宇宙しか存在しないのです。
宇宙の中に銀河系があり、銀河系の中に太陽系があり、太陽系の中に地球があり、地球の中にあなたがいます。
これらに区切りや境界線があるわけではなく、すべてが一続きであり、1つの塊なのです。
それを人が勝手に名前をつけたことで、別の実体である錯覚を生み出しています。
私も宇宙の一部です。
あなたも宇宙の一部です。
宇宙とあなたとの間に区切りがあるわけではなく、宇宙の中にあなたが含まれているのです。
あなただけではありません。
机やテレビも本も家も山も海も、すべて宇宙の一部です。
名前がついているからと、境界線が引かれているのではなく、人間が勝手に「一定の塊」に名前をつけているだけです。
本当は宇宙の中に地球があり、地球の中にあなたも私も机もテレビも山も海も存在しています。
にもかかわらず、宇宙と机は別の実体だと思っていることで、おかしな執着を生み出して意識のバランスを崩しているのです。
たくさんの物を持とうとする所有欲を満たしたところで、宇宙の中の一部が、一部を独り占めしていることに変わりはないのです。
あなたが何かを所有しているわけではなく、ただ自分のそばに置いているだけで、あなたの物だというわけではないのです。
あなたと物との間に境界線などなく、実体としては同じ宇宙であることに変わりはありません。
この世に存在していることは、それが感謝すべきことなのです。
この世(宇宙)は、そのものが1つです。
その中に、銀河系が含まれ、太陽系が含まれ、地球が含まれ、人が含まれているのです。
自分が自分を作ったのではなく、宇宙があなたを生み出したのです。
人間は自分の力では1つもつくり出すことはできません。
ハイテクを駆使しても、人間は人間をつくることができません。
おなかの中にいる目に見えないほどの小さな大腸菌1匹すらつくることができないのです。
宇宙があなたをつくり出し、心臓を動かし、大腸菌を生み出しています。
そのたくさんの組み合わせの中で、あなたは「生かされている」のです。
あなたを生み出したのはあなたの両親ですが、あなたの両親を生み出したのは、その親です。
どんどんとさかのぼれば、地球に行き着き、太陽系に行き着き、銀河系に行き着き、宇宙に行き着きます。
すべての生みの親は、宇宙なのです。
私たちは、何もつくることはできません。
この世に存在している「組み合わせること」によって新しいものを作った錯覚に陥っているだけです。
この世に存在しているその事実こそが、感謝の塊です。
宇宙全体から見れば、あなたも私も家族も机も電話もすべてが全体として宇宙という「1つ」です。