この世のすべての人に与えられている、素晴らしい宝物があります。
心です。
人間なら、持っていない人はいません。
まず、きれい生活を送れている人は、みんな敏感な心の持ち主です。
日常生活の中にある、いろいろなことに敏感に反応します。
つまり「気づくセンサー」を持っているのです。
気づくセンサーを磨くいちばん簡単な方法は、本を読むことです。
本を読んでいくと、どんどん心が敏感になります。
「なるほどな。こういう考えもあるな。これは知らなかったな。そういう方法もあるんだ」
気づくセンサーを持っている人は、言葉遣いが上手です。
最初から言葉遣いが上手だったのではなく、気づくセンサーを持っているから上手になれたのです。
日常のささいな会話でも、自分の言葉表現や相手の気持ちなど敏感にキャッチします。
「主観的」と「客観的」という言葉があります。
この2つは、反対の意味を持っています。
「主観的」という意味は「自分から見る」という意味です。
自分が、他人のことも考えている人なのかは、ささいなマナーでわかります。
たとえば、携帯電話のマナーです。
ありふれた電子機器だからこそ、使い方に、その人の心の状態がよく映し出されます。
嫌なことは、時間で忘れてしまいましょう。
嫌なことは考えないで、ただ時間がたつのを待てばいいのです。
時間がたてば、自然に嫌なことが小さくなり、いつの間にか消えています。
人間には、2種類の人がいます。
「汚す側の人間」と「きれいにする側の人間」です。
どちらの人間になるのかは、ごみに対する態度で決まります。
いらいらしたら、まず部屋の片付けをしていきましょう。
部屋を片付けることは、心の中を片付けることでもあります。
散らかった部屋を見ると、もうそれだけで心の中がもやもやになります。
モテる人の共通点は、背中に目があります。
人間の持っている気づくセンサーは、目の前のことだけでなく、それ以外のことにも敏感になることが大切です。
より良い生活を送ることは、車の運転とそっくりです。
映画の本当の楽しさは、2回目から始まります。
映画を初めて見るときは、ストーリーそのものが初めてですから、内容を理解することで精いっぱいです。
しかし、2回目以降はすでに内容を知っているため、余裕が出てくるようになります。
買い物をするときに、つい「限定品」という文字に惑わされて買ってしまうことがあります。
限定されているという誘惑には、つい引かれます。
しかし、実際に買ってみると、思ったより使わなかったりするものです。
服をきれいにたためることができると、きれいに収納できます。
たたむ服がきれいであるほど、新品であるかのようにさえ見えてきます。
たたみ方1つとはいえ、その人がどんな心を持っているかをうかがえます。
あなたの色は、何色ですか。
自分を色に例えると、何色になりますか。
これがきちんと答えられる人は、服を選ぶときに「自分色」を持っている人です。
夏と冬とで、しっかり服の入れ替えができていますか。
季節感のある生活では、季節の移り変わりに応じて、洋服や布団を夏用と冬用とで入れ替えます。
入れ替えることで、夏の雰囲気と冬の雰囲気といった「四季の味わい」を楽しむことができるようになります。
体の新陳代謝を良くするためには、運動をすることがいちばんです。
では、心の新陳代謝を高めるには、どうすればいいのでしょうか。
心の中の新陳代謝を高めるには「初めて」を経験すればいいのです。
生活の中で「新しい」ことがあれば、それで新鮮です。
しかし、新しいだけが良いことではありません。
むしろ今まで使っていた物をメンテナンスすることのほうが、豊かな暮らしにつながります。
たくさんの物を収納するときは、最大75%までで収めることです。
きれいに整理整頓するからとはいえ、棚の中をギチギチに詰め込んでは、いくら整理整頓されていても見苦しいです。
少し空間にゆとりがあるほうが、見た目にも余裕を感じます。
日常生活の中で、ブランド品はほかの物と比べ、高価な物です。
そのため、使うと汚れるからとはいえ、高価なブランド品を特別な時しか着用しない人がいます。
たしかに高価な物ではありますが、普段からどんどん使っていくことが必要なのです。
いくら高級ブランドが良い一品とはいえ、自分の個性に合うか合わないかは、あなたしだいです。
高級ブランドに頼らなくても、自分にとってお気に入りでぴったりの洋服があれば、あなたにとっての高級ブランドになります。
高級ブランドの輝きが、自分に合わないこともあります。
毎年、4月になると恒例のお花見シーズンが始まります。
私もお花見は好きで、シーズンになるとうきうきしてきます。
しかし、1つ気になることがあります。
緑の四季は、もちろん見た目の環境から感じられます。
木に葉っぱがついたり落ちたり花が咲いたりして、環境から四季を感じることができます。
日本ほど四季の美しい国はありません。
お店に入ったときに、店員さんが「どんなものをお探しですか」と尋ねてくることがあります。
正直、店員に尋ねられると、こちらとしてはとても邪魔だなと感じます。
自分のペースで買い物をしたいからです。
センスのある人は、自分に合う物が見つかるまで、無駄な物は買いません。
自分に合わない物を買ったところで、着ないことを知っているからです。
これも、考えてみると当たり前のことですが、ほとんどの人ができないでいます。
あなたの本当の品性は、テーブルの下に表れます。
テーブルの下にある、あなたの足です。
ときどき貧乏ゆすりをしている人がいます。
表情には、言葉以上の表現力があります。
言葉では言い表せない感情や気持ちも、表情によって伝えることができます。
男性が女性の涙に弱いのは、泣き顔に心を揺さぶられるからです。
生活の中でいらない物は、どんどん捨ててください。
いらない物ですから、捨てていいのです。
こういうことをいうと「もったいない」という人が出るでしょう。
レストランで食事をする際は、声の大きさに気をつけましょう。
特に、2人組みになってレストランに入るときは、声が大きくなりがちです。
1人だと、話し相手がいないため静かに食事ができます。
私は変わった名字であるため、よく名前を間違えられます。
私の名前は、水口貴博(ミナクチタカヒロ)です。
この水口を「ミズグチ」や「ミナグチ」と頻繁に間違えられてしまい、残念に思うときがあります。
今、あなたがこのように生きていられるのは、健康あってのことです。
にもかかわらず、手に入れている健康だからこそ、普段は全然気にしないものです。
しかし、失ってからでは遅いのです。
この世のすべての人に与えられている、素晴らしい宝物があります。
心です。
人間なら、持っていない人はいません。
すべての人が持っている宝物です。
しかし、生まれと育ちの影響で、その心のきれいさに差があります。
心がどのくらいきれいであるかは、その人がどのくらいきれいな生活を送っているかでわかります。
心のきれいな生活を送れている人には、思いやりがあるからです。
思いやりを持った生活では、部屋が汚かったり、服がしわくちゃであったりしません。
人や物に対して、思いやりを持っていると、必ず部屋がきれいになります。
服に愛着があるため、ほっておけません。
きちんときれいにたたみます。
心がきれいな人は、生活も同時にきれいになります。
きれいな生活があるから、心がきれいになるのではありません。
心がきれいになるから、生活もきれいになるのです。
たとえ世界一きれいな部屋でも、心の汚れている人がすみ始めると、部屋は散らかり、ごみだらけになります。
しかし、汚い部屋に心のきれいな人がすみ始めると、散らかっていたものは整理整頓され、清潔感あふれる部屋になります。
きれいな生活を送るために、収納方法やマナーの本がありますが、それ以前にもっとさらに大切なことがあります。
どれだけ心がきれいであるかです。
ここが本当のスタート地点です。
部屋をきれいにする前に、自分の心をきれいにすることから始めましょう。
まず、きれい生活を送れている人は、みんな敏感な心の持ち主です。
日常生活の中にある、いろいろなことに敏感に反応します。
つまり「気づくセンサー」を持っているのです。
気づくセンサーを持っているから、ささいなことでも敏感にキャッチして、対処できます。
気づくセンサーを持っていないと、ささいなことに気づくことができません。
きれい生活を送れる人とそうでない人の差は、ここにあります。
「ささいなことに気づけるかどうか」です。
手っ取り早い話、気づくセンサーを今まで以上に敏感にすればいいのです。
今まで気づかなかったことに気づけるようになります。
それが結果として、きれいな生活全体に影響します。
あなたの気づくセンサーを磨くことが、心を磨くことにつながるのです。
気づくセンサーを磨くいちばん簡単な方法は、本を読むことです。
本を読んでいくと、どんどん心が敏感になります。
「なるほどな。こういう考えもあるな。これは知らなかったな。そういう方法もあるんだ」
といった感動を通して、今まで気づかなかったことに気づけるようになるからです。
心が広くなることで、今まで気づきもしなかったささいなことに、気づけるようになります。
これが、本を読むことによる、気づくセンサーが敏感になるプロセスです。
「なるほど。言われてみればそうだな」と思うことがあれば、すでにさっきより「気づくセンサー」が敏感になっているのです。
気づくセンサーを敏感にするのは、簡単なことです。
たくさん本を読んで、たくさんの考え方を吸収すれば、今まで気づかなかったことに気づけるようになります。
今まで見えなかったことが見えてくるようになるのです。
見えなかったことが見えてくるようになると、もちろん今ある日常生活にも良い影響を与えてくれるのです。
気づくセンサーを持っている人は、言葉遣いが上手です。
最初から言葉遣いが上手だったのではなく、気づくセンサーを持っているから上手になれたのです。
日常のささいな会話でも、自分の言葉表現や相手の気持ちなど敏感にキャッチします。
しっかり自分の悪い言葉遣いは直します。
たとえば「今日はきれいな服を着てるね」と「今日もきれいな服を着てるね」を比べてみます。
言葉がわずかに違うだけですが、まったく違う意味になります。
カップルの場合「今日はきれいな服を着てるね」だと、けんかになります。
「どうせ普段は汚い服を着ていますよ」と言って、機嫌が悪くなるでしょう。
しかし、今度は「今日もきれいな服を着てるね」と言えば、相手ともっと仲良くなれます。
「褒めてくれてありがとう。嬉しい」となります。
日本語の難しさは、ここにあります。
たった1字が違うだけで、人間関係まで影響を与えてしまうのです。
この「たった1字」に気づけるかどうかが、キーポイントです。
あなたの敏感さは、このたった1字に気づけるかどうかなのです。
「主観的」と「客観的」という言葉があります。
この2つは、反対の意味を持っています。
「主観的」という意味は「自分から見る」という意味です。
「客観的」という意味は「他人から見る」という意味です。
普通人間はみんな主観的で、自分が見たありのままの世界を見ることが主観的になります。
しかし、本当にかっこいい人は、客観的です。
他人から見た自分も、しっかり把握できています。
「自分から見た自分」だけでなく「他人から見た自分」も、しっかり見ることができています。
主観的すぎると、自分の殻に閉じこもってしまうことになります。
「自分から見ると自分はかっこいいから、他人から見ても自分はかっこよく映っているに違いない」と思い込んでいます。
しかし、自分から見た自分と他人から見た自分とは、全然違う姿であることはよくあります。
自分をきれいに見せるために本当に大切なことは「自分から見た自分」より「他人から見た自分」です。
他人から見たとき、自分はどう映っているかをしっかり把握している人は、おかしなファッションになりません。
自分からも他人からも、かっこよく見えていることを確認しながら生活しているため、本当の意味でのファッションができるのです。
自意識過剰になりすぎず、他人の目をどれだけモテるかが、自分のかっこよさにつながるのです。
自分が、他人のことも考えている人なのかは、ささいなマナーでわかります。
たとえば、携帯電話のマナーです。
ありふれた電子機器だからこそ、使い方に、その人の心の状態がよく映し出されます。
携帯電話のマナーを意識している人は、礼儀のある人です。
自分のことより、他人のことを考えることができています。
電車の中で、携帯電話を持って大声で話している人は、周りの迷惑に気づいていません。
自分のことに夢中で、周りが見えていないのです。
人の本当の心は、ささいなことほど浮き彫りになります。
電車で大声を出して電話することは、自分にはささいなことかもしれません。
しかし、周りの人の気分を悪くしていることに気づけるかどうかです。
どれだけマナーを意識できているかは、どれだけきれいな心を持っているかと比例します。
携帯電話が迷惑になる場所では、きちんとマナーモードに設定しましょう。
嫌なことは、時間で忘れてしまいましょう。
嫌なことは考えないで、ただ時間がたつのを待てばいいのです。
時間がたてば、自然に嫌なことが小さくなり、いつの間にか消えています。
人間の心の中に、掃除機があるからです。
心の中にいくらごみがたまっても、人間には「忘れる」という掃除機が存在するおかげで、時間がたてば心がきれいになります。
現実の掃除機は重くうるさい機械ですが、心の掃除機は軽く静かにあなたの心の中を掃除してくれます。
それも一生消えることのない、掃除機です。
こんな素晴らしい掃除機を使わないわけにはいきません。
自分で心のごみ掃除がうまくいかないときには、この「忘れる」という掃除機に任せて、心のごみ掃除をしていきましょう。
心の掃除機を動かすためには、時間がたてばいいだけです。
時間がたつだけで、心の掃除機は勝手にあなたの心のごみを消してくれるのです。
人間には、2種類の人がいます。
「汚す側の人間」と「きれいにする側の人間」です。
どちらの人間になるのかは、ごみに対する態度で決まります。
街を歩いていると、ポイ捨てをする人がいます。
いらなくなったごみができ、処分に困ったのでしょう。
近くにごみ箱がないので、仕方なく適当な場所にごみを捨て、後は知らないふりです。
ごみのポイ捨ては、街を汚しているのと同じです。
「誰かがごみを拾うだろう」「清掃員が片づけてくれるだろう」という考えは良くありません。
たしかに誰かがきれいに掃除してくれるかもしれませんが「ポイ捨てをした」という事実に変わりありません。
ごみのポイ捨てをする人は「自分さえよければいい」という考えを持っています。
自分勝手で周りの迷惑を考えていません。
ごみをポイ捨てする人は、そうした汚れた心を持っています。
ごみをポイ捨てすればするほど、心が汚れていくのです。
ごみをポイ捨てしないことです。
「誰も見ていないから大丈夫」と考えるのは良くありません。
誰も見ていないところでも、神様が見ています。
ごみのポイ捨てをする人は、神様から失望されます。
「そういうことをする人だったのですね」とがっかりされます。
あなたがポイ捨てをしたごみは、誰かが拾うことになります。
タバコのポイ捨ては言語道断です。
捨てる場所が悪ければ、火事につながる可能性もゼロではありません。
ポイ捨てをするくらいなら、自宅に持ち帰ったほうがましです。
心をきれいにしたいなら、ごみを拾う側の人間になることです。
きれいにする側の人間になりたいなら、ごみを拾いましょう。
足元にごみが落ちていたら、それを拾ってごみ箱に捨てるだけでいいのです。
難しくありません。
拾って捨てるだけですから簡単です。
仕事や労働と言うほどでもなく、一瞬で終わるでしょう。
小さなごみならちょっとつかんで、そばにあるごみ箱に捨てるだけです。
ごみを拾える人は「きれいにしたい」「整えたい」という心がある証拠です。
ごみを拾えば拾うほど、心はきれいになって運もよくなる。
ごみを拾うだけで、あなたは神様になれるのです。
いらいらしたら、まず部屋の片付けをしていきましょう。
部屋を片付けることは、心の中を片付けることでもあります。
散らかった部屋を見ると、もうそれだけで心の中がもやもやになります。
しかし、整理されたきれいな部屋を見ると、それだけで心の中もすっきりしてしまいます。
心の中をすっきりするために、まず部屋の片付けから始めればいいのです。
部屋は「体の外に出た心」です。
部屋がきれいな人は心もきれいで、部屋がすっきりしている人は心もすっきりしている人です。
部屋をきれいにすることで、見た目からすっきりします。
視界に、乱れた光景が入らないため、ストレスが小さくなるのです。
モテる人の共通点は、背中に目があります。
人間の持っている気づくセンサーは、目の前のことだけでなく、それ以外のことにも敏感になることが大切です。
より良い生活を送ることは、車の運転とそっくりです。
車の運転では、目の前にあることだけに集中すれば安全運転ができるというのではありません。
後ろも気にしておかないと、本当の安全運転はできません。
後ろに車があるかどうかや、何か障害物はないかなど、後ろを気にすることで、初めて安全運転ができるようになります。
生活もこれと同じです。
目の前にあることだけでなく、しっかり後ろにも気づけるようにアンテナを張りましょう。
自分が原因で後ろの人に迷惑をかけていませんか。
後ろのことは気にしないというのではいけません。
きちんと後ろの人のことも考えて行動できる人が、トラブルのない生活を送ることができるのです。
映画の本当の楽しさは、2回目から始まります。
映画を初めて見るときは、ストーリーそのものが初めてですから、内容を理解することで精いっぱいです。
しかし、2回目以降はすでに内容を知っているため、余裕が出てくるようになります。
余裕があるため、1回目とは違った視点から見ることができるようになります。
より客観的に見ることができるのです。
2回目より3回目、3回目より4回目のほうが、より後ろに下がった目線で全体を見ることができるようになるのです。
主人公の視点、ヒロインの視点、敵の視点など、視点に応じていろいろな見方があります。
映画は内容が同じでも、視点が変われば、内容ががらりと変わってきます。
特に大好きな映画ほど、何回も見ていいのです。
それも好きな場面だけを何度も見てもかまいません。
たった1つの場面でも、あなたの生活に大きく影響を与える哲学が含まれていることがあるからです。
買い物をするときに、つい「限定品」という文字に惑わされて買ってしまうことがあります。
限定されているという誘惑には、つい引かれます。
しかし、実際に買ってみると、思ったより使わなかったりするものです。
限定品だからとはいえ、実用性があるとは限らないのです。
限定品という言葉に惑わされないように気をつけましょう。
限定というのは、たしかに価値はありますが、もしかしたらお店の客引き戦略に引っかかってしまっているだけかもしれません。
いくら限定とはいえ、必要ないものまで買ってしまっては、ただお金がもったいないだけです。
限定品という言葉に惑わされず、本当に必要な物だけを見極める目を持つことです。
見極める目を持った人の部屋には、いらないごみはたまっていかないのです。
服をきれいにたためることができると、きれいに収納できます。
たたむ服がきれいであるほど、新品であるかのようにさえ見えてきます。
たたみ方1つとはいえ、その人がどんな心を持っているかをうかがえます。
きれいに服をたたむ人は、服に対して「大切にしよう」という気持ちがある人です。
きれいにたたまれた服を見ると「大切にされているな」ということがわかります。
「服くらい適当にたたんでしまえ」ではなく「私が着ている服だからこそ大切に扱わなきゃ」というほうが思いやりを感じます。
私もこの点については、日頃から注意しています。
もともと私は、服をたたむのは苦手でした。
しかし、私の母がきれいに服をたたむのを見て「かっこいいな」と思いました。
服をたたむのがかっこいいだけでなく、大切な服をきちんとたたむ母の姿もかっこよく映っていたのです。
私も母の影響を受け、ある日から服を自分なりにきれいにたためるように練習するようになりました。
たしか中学生のころからです。
最初は真似でしたが、母にたたみ方を教わりながら、だんだん上手になりました。
服をきれいにたたむことができるようになってから、服に対して思いやりを込めることができるようになったのです。
今までお気に入りだった服が、もっとお気に入りになったくらいです。
服に対して感謝をするためにも、きれいにたためることが大切なのです。
あなたの色は、何色ですか。
自分を色に例えると、何色になりますか。
これがきちんと答えられる人は、服を選ぶときに「自分色」を持っている人です。
自分のテーマを色で表現できるから、服を選ぶとき色選びに困ったりしません。
むしろ自分の色がはっきりわかっていることで、自分の特色をより強調していけます。
私は「自分色はなんだろう」と考えたときに、真っ先に「白」が思い浮かびます。
「白」は、私がいちばん大好きな色です。
日常生活で、必ずといっていいほど、まず白を選んでいます。
私の日常生活には、あらゆるところに白があります。
白と接していると、気持ちがすがすがしくなれるし、気分よくなれるという単純な理由から白を好きになりました。
そのおかげで服を選んだりするときも、白、あるいは白に近いパステルカラーをよく身につけています。
その影響もあって、白を着ているときには、できるだけコーヒーは飲まないようにしています。
たとえ飲むときでも、注意をして飲むようにしています。
いちばん好きな色が白なら、今度は組み合わせてはくズボンや持ち物も、白と相性の良い色を選んでいます。
私の生活は、白を中心に動いているようなものです。
このように自分の色が何かをはっきりわかっていると、生活が変わってきます。
自分の大好きな色1つで、生活が変わるのです。
あなたの色は何色ですか。
その色がわかれば、あなたの特徴を、今まで以上に積極的に前に出していけます。
自分の色を、自己表現の武器にするのです。
夏と冬とで、しっかり服の入れ替えができていますか。
季節感のある生活では、季節の移り変わりに応じて、洋服や布団を夏用と冬用とで入れ替えます。
入れ替えることで、夏の雰囲気と冬の雰囲気といった「四季の味わい」を楽しむことができるようになります。
しかし、洋服や布団の入れ替えと一言でいっても、正直これが結構面倒です。
布団は大きいし、洋服はたくさんあって、結構時間がかかってしまうのです。
しかし、それでもしっかり入れ替えはしましょう。
私は以前、入れ替えるのが面倒なので、夏物と冬物を一緒にしていた時期があります。
すると、ある日、母に注意されてしまいました。
「面倒でも、しっかり夏と冬とで入れ替えをしたほうが、服は長持ちする」
たしかに出し入れの手間が省けて楽かもしれませんが、それでは季節感のある生活を楽しめません。
それ以来、私もできるかぎりたんすの中は、夏は夏物にして、冬は冬物にするようにしました。
季節感のある生活を楽しむためにも、移り変わる季節ごとにきちんと洋服の入れ替えを行うことが必要なのです。
体の新陳代謝を良くするためには、運動をすることがいちばんです。
では、心の新陳代謝を高めるには、どうすればいいのでしょうか。
心の中の新陳代謝を高めるには「初めて」を経験すればいいのです。
たとえば、なじみのレストランより、初めてのレストランに入ると、心がどきどきして緊張します。
どきどきするのは、心が活発になっている証拠です。
たしかになじみのレストランのほうが、慣れているので落ち着いて食事ができます。
しかし、なじんでいる分、心も緩み、だらだらになってしまうのです。
それとは反対に、初めてのレストランに入ると、それだけで緊張します。
どんな雰囲気なのか、どんな料理なのか、どこにカウンターがあるのか、トイレがあるのかわからない分、緊張してしまうのです。
適度な緊張は、心の新陳代謝に効果的です。
あなたの生活の中に、どれだけ「初めて」という緊張があるかどうかです。
生活のすべてが、慣れ親しんだものになっていませんか。
いつもと同じ通学路なら、たまには違った道を通ってみればいいのです。
いつもと同じレストランなら、せめていつもとは違うメニューをオーダーしてみるのも良い経験です。
このように、生活の中にたくさんの「初めて」がある人は、心の新陳代謝が活発になっている人なのです。
生活の中で「新しい」ことがあれば、それで新鮮です。
しかし、新しいだけが良いことではありません。
むしろ今まで使っていた物をメンテナンスすることのほうが、豊かな暮らしにつながります。
何でもかんでも新しい物を求めていると、物に対して思いやりがなくなります。
「どうせ新しいもの買うから、適当に使ってしまおう」となります。
この「どうせ」がいけません。
物を扱うときに「どうせ」が入ってしまうと、物に対して思いやりがなくなります。
すべてをメンテナンスしよう、とは言いません。
けれど、せめて自分が大好きなもの1つでも、新しいものに買い換えるのではなく、メンテナンスをして長持ちさせましょう。
私が今いちばん大切にしている物は、日記です。
私が19歳のころから、1日も欠かさず書いている日記は、もう6年目に入りました。
「あのときの思い出は本当にあったことなのだろうか? もしかしたら夢だったのではないか?」と思うことがしばしばあります。
しかし、日記を読み返すと、たしかに「あのときの自分」がいます。
さすがに6年も前の日記を読み返すと、涙が出てきます。
今まで読んだどんな本より、自分にはかけがえのない本です。
私は日記だけは、しっかりメンテナンスをするようにしています。
というより、これだけ情のこもった日記をメンテナンスしないわけにはいかないというのが正直なところです。
思い出がたくさん詰まっている分、破れていたらセロハンテープでとめています。
もうぼろぼろの日記ではありますが、メンテナンスをしていますから、まだまだ何度でも読み返せます。
このように生活の中に1つでも、メンテナンスを行うことで、長い人生を一緒に歩める物とのお付き合いができるようになります。
長い人生を一緒にお付き合いしていく物は、きちんとメンテナンスを行うことが必要なのです。
たくさんの物を収納するときは、最大75%までで収めることです。
きれいに整理整頓するからとはいえ、棚の中をギチギチに詰め込んでは、いくら整理整頓されていても見苦しいです。
少し空間にゆとりがあるほうが、見た目にも余裕を感じます。
最大でも75%までです。
それ以上は、もう圧迫感さえ感じます。
残りの25%の余白があるだけで、見た目に余裕が出てきます。
本棚、たんす、押し入れも、100%になるまでぎゅうぎゅうに詰め込むのではありません。
空間に少し余裕を持たせたほうが、出し入れを行うとき、楽になります。
見た目の余裕だけではなく、出し入れするときのことも考えると、75%までがいいのです。
日常生活の中で、ブランド品はほかの物と比べ、高価な物です。
そのため、使うと汚れるからとはいえ、高価なブランド品を特別な時しか着用しない人がいます。
たしかに高価な物ではありますが、普段からどんどん使っていくことが必要なのです。
ブランド品に高い値段がつけられている理由は、文化が加わっているからです。
長い歴史を持った文化が金額として反映されているため、ブランド品には高い値段が付けられているのです。
文化への金額なのです。
あなたが高い金額を払ってようやく手に入れた物は、使わなければ宝の持ち腐れです。
使うと当然汚れますが、それでも使っていいのです。
使いに使い込んで、あなたの中にブランドの文化を染み込ませていくのです。
ブランド品を長い間身につけていると、いずれあなたの中に文化が取り込まれていき、あなたの文化向上につながります。
長い歴史と文化のこもった品を身につけることで、あなたの文化もレベルアップさせることができるのです。
いくら高級ブランドが良い一品とはいえ、自分の個性に合うか合わないかは、あなたしだいです。
高級ブランドに頼らなくても、自分にとってお気に入りでぴったりの洋服があれば、あなたにとっての高級ブランドになります。
高級ブランドの輝きが、自分に合わないこともあります。
日本では高級ブランドを持つ人が「かっこいい」「素晴らしい」「洗練されている」と思い込んでいる風潮があります。
それに流されてしまうことこそ、あなたの個性をダメにしてしまいます。
高級ブランドがあって自分の個性があるのではなく、自分の個性があってそれに合う高級ブランドがあるかないかなのです。
自分の個性に合うファッションが、高級ブランドでなくても、それで良いのです。
あなたに合うことこそがいちばん大切です。
高級ブランドに頼らないおしゃれのほうが、個性を表現できて、かっこいいのです。
毎年、4月になると恒例のお花見シーズンが始まります。
私もお花見は好きで、シーズンになるとうきうきしてきます。
しかし、1つ気になることがあります。
なぜ、お花見シーズンにしか、桜を見に行かないのでしょうか。
シーズン以外でも、木がなくなっているわけではありません。
つぼみや葉っぱがあったり、木の葉が落ちたりと、1年を通して花にはさまざまな変化があります。
「その変化を楽しむ」という気持ちでいればいいのです。
お花見は年中できます。
桜の花が咲いているときだけ、桜の木ではないのです。
花が咲いていなくても、桜の木は桜の木であることに変わりはありません。
シーズン以外の時期にもきちんと花を見てみましょう。
普段は目立たないけれど、年に1回花開く日を待ち望んでいる一生懸命な桜の木があるのです。
緑の四季は、もちろん見た目の環境から感じられます。
木に葉っぱがついたり落ちたり花が咲いたりして、環境から四季を感じることができます。
日本ほど四季の美しい国はありません。
私は日本人として生まれて良かったなと思う1つに、四季の美しさがあるからです。
特に田舎の四季の変化は、すごいものがあります。
山の色ががらりと変わるのは、さすがに感動を覚えます。
道端に咲く雑草1つにしても、四季を通して、いろいろな雑草が入れ替わり咲いていきます。
私も元は田舎育ちですから、田舎の「癒やし」の素晴らしさは言葉にできないものがあります。
だから今このように書こうとしても、素晴らしさを文字にできなくて困っています。
田舎の四季も素晴らしいですが、もちろん都会でも季節を感じることができます。
ただし、緑からではなく、ショーウインドーからです。
都会では、田舎のような緑にはどうしてもかないません。
しかし、その代わり、ショーウインドーで季節を感じることができます。
それも実際の季節より少し早く季節を感じることができます。
クリスマスのシーズンは、1カ月以上も前からショーウインドーで季節のアピールをしているところが多くあります。
そのショーウインドーを見るたびに「もうそんな季節か。ちょっと服でも買おうかな」と思います。
都会だからとはいえ、季節が感じられないわけではありません。
都会にも、しっかり四季の変化を楽しむことができるのです。
お店に入ったときに、店員さんが「どんなものをお探しですか」と尋ねてくることがあります。
正直、店員に尋ねられると、こちらとしてはとても邪魔だなと感じます。
自分のペースで買い物をしたいからです。
だからとはいえ「邪魔です」なんてストレートに言っては、相手に大変失礼にあたります。
相手は、悪気があって尋ねているわけではないのです。
わざわざ尋ねてきてくれたのは嬉しいのだけれども、うまく気分を害さないように断れるようになりましょう。
お店で感じのいい断り方を身につけていると、楽になります。
私の場合、いつも「ちょっと見ているだけですから……」と、遠回しな断り方をするようにしています。
本当は真剣に探しものがあっても、自分のペースで選びたいので「見ているだけです」と言って、はぐらかすようにしています。
ほかにも感じの良い断り方は、人それぞれあります。
自分のキャラクターにあった断り方でかまいませんから、1つ感じの良い断り方を身につけましょう。
同じ断ると言う行為でも、断り方1つに、その人の印象が決まってきます。
そうすることで、店員さんの態度まで変わってきますから、断り方は重要なのです。
センスのある人は、自分に合う物が見つかるまで、無駄な物は買いません。
自分に合わない物を買ったところで、着ないことを知っているからです。
これも、考えてみると当たり前のことですが、ほとんどの人ができないでいます。
デパートの「大安売り」「限定品」「残り3点」という言葉に誘惑され、つい無駄な物を買ってしまっています。
本当に自分に必要な物かどうかを、見極める人が大人です。
自分が今何を必要としているかくらいは、しっかり把握しておきましょう。
誘惑されるキャッチコピーがあっても惑わされない強さを持つことです。
もし、惑わされてしまうなら、そういうところへは行かないことです。
洋服1つを決めるにも、自分に合う物が見つかるまで、無駄な物は買わないことが大切なのです。
あなたの本当の品性は、テーブルの下に表れます。
テーブルの下にある、あなたの足です。
ときどき貧乏ゆすりをしている人がいます。
顔はとっても笑顔でも、足が貧乏ゆすりをしているのでは「実はこの人いらいらしているのかな」と感じます。
それから、足を大股に開いている男性も見かけます。
話し方が優しくても、大股開きになっていると「品がないな」と思います。
足を組んで、食事している人もいます。
足を組んで食事は見ている側としては、偉そうな印象を受けます。
いくら顔やしぐさで品のよさを表現しても、演技なのかもしれません。
ニュースキャスターがいちばん気をつけているのは、テーブルの下にある自分の足の状態だといいます。
視聴者から見ると、ニュースのアナウンサーの足元は丸見えです。
テーブルの下の足が、大股に開かれていたり、足を組まれていたりすると、ニュースの真実性も薄らいでいくというのです。
本当の品性は、足元に表れるのです。
いつも足元には注意を払いましょう。
足を広げず、しっかり閉じましょう。
足をそろえるようにしましょう。
これが理想的な品のある足元です。
今この瞬間、自分の足はどんな状態ですか。
足の状態に気をつけましょう。
表情には、言葉以上の表現力があります。
言葉では言い表せない感情や気持ちも、表情によって伝えることができます。
男性が女性の涙に弱いのは、泣き顔に心を揺さぶられるからです。
困った表情で泣かれてしまうと、こちらもつい言うことを聞いてしまいます。
表情には、説得力まで備わっているのです。
それほど重要な役目を果たす表情には、敏感になってなりすぎることはありません。
表情をうまくつくれるようになることで、うまく気持ちを伝えることができたり、説得力を身につけたりできるのです。
俳優が苦労するのは、演技そのものより、表情だといいます。
「嬉しい」や「悲しい」を言葉や身ぶり手ぶりで表現できても、表情で表現するのは簡単なようで難しいのです。
コミュニケーションは、言葉だけではありません。
表情も、立派なコミュニケーションなのです。
愛される人は、決まって表情が豊かな人なのです。
生活の中でいらない物は、どんどん捨ててください。
いらない物ですから、捨てていいのです。
こういうことをいうと「もったいない」という人が出るでしょう。
しかし、使いもしないのにもったいないという理由だけで残していると、部屋の中にどんどん物がたまります。
これでは便秘です。
いらないのに、出すことができないのは便秘と同じです。
あなたの中にある「もったいない」が、生活の便秘の原因になっています。
だからこそ、いらない物をもったいないと考えるのは今日でやめにしましょう。
今日からは、いらない物はきちんと捨てるようにしましょう。
少なくともそれができるようになるだけで、生活の中にたまっている便秘を解消できます。
いらない物を捨てることで、空間ができ、また新しいものを取り込むことができるようになります。
出すから、入れられるようになるのです。
出すこともしないで、どんどんためてはいけません。
人間の便秘では、あまりにため込みすぎていると、体全体の新陳代謝が悪くなります。
それと同じように、生活の中でいらない物をため込みすぎていると、あなたの生活が鈍ってくるのです。
行動力、やる気、元気、笑顔が出にくくなります。
最近、やる気がなかったり元気がなかったりするのは、部屋の中に「いらない物」がたまっているせいかもしれません。
いらない物は捨ててしまい、本来ある生活の活力を取り戻しましょう。
レストランで食事をする際は、声の大きさに気をつけましょう。
特に、2人組みになってレストランに入るときは、声が大きくなりがちです。
1人だと、話し相手がいないため静かに食事ができます。
しかし、2人以上の団体でレストランに入るときは、おいしいごちそうを目の前に、ついはしゃぎがちになります。
それも普段声が小さい人ほど、レストランで声が大きくなります。
大声で騒ぐことがいけないのです。
レストランには、あなた以外にもお客さまがいます。
自分たちは騒ぐだけ騒いで、ほかのお客さまに迷惑をかけてしまっては、レストランにとって大変嫌なお客になっていまいます。
自分たちだけ良いと考えるのではなく、みんなが楽しめることが大切です。
そのためにもレストランで大声を出して騒ぐことがないように気をつけましょう。
私は変わった名字であるため、よく名前を間違えられます。
私の名前は、水口貴博(ミナクチタカヒロ)です。
この水口を「ミズグチ」や「ミナグチ」と頻繁に間違えられてしまい、残念に思うときがあります。
これまでに何百回と間違えられたことかわかりません。
就職試験の面接のとき、面接官にまで間違えられたのは、さすがに残念でした。
「履歴書くらいちゃんと見てほしいな」と思いました。
名前を間違えられることは、私だけでなく、読み間違えやすい名前の人なら日常茶飯事です。
裕子さんという名前の女性から、お手紙をもらったことがあります。
「裕子」という漢字は「ヒロコ」とも「ユウコ」とも読めます。
響きがまったく変わりますから、名前を呼ぶときに十分に注意しましょう。
渡辺さんという人でも、一般的には「ワタナベ」という呼び方が一般的ですが、まれに「ワタベ」という呼び名の人もいます。
ほかにも塩谷と書いて「シオタニ」や「シオヤ」と読んだり、土橋と書いて「ツチハシ」や「ドバシ」と読んだりします。
「菅野」という読み方に至っては「カンノ」「スガノ」「スゲノ」など3種類もあります。
私の場合、よく名前の呼び方を間違えられるため、ほかの人の名前を呼ぶときには注意をします。
どうしてもわからないときには、直接相手に伺うようにしています。
相手の名前を呼ぶことは、人間関係の基本です。
名前の呼び方1つとはいえ、大切なことです。
どうしてもわからないときには「どう読みますか」と聞いてもいいのです。
わからなくて聞いても、相手は嫌な気分にはなりません。
私も「どう読めば正しいのですか」と聞かれることがあります。
しかし、よく間違われる名前だからこそ、しっかり聞いてくれると「この人はきちんとしているな」と嬉しくなります。
相手の名前くらいは、きちんと読めるようになりましょう。
読み方に自信がないときでも、思いきって尋ねてみてもまったく問題ありません。
今、あなたがこのように生きていられるのは、健康あってのことです。
にもかかわらず、手に入れている健康だからこそ、普段は全然気にしないものです。
しかし、失ってからでは遅いのです。
人間が生活を営んでいくうえで、健康はすべての土台になります。
なにより大切な資本になるのです。
そんな大切な健康には、十分気を配る必要があります。
失ってから気にし始めるのではなく、失う前から健康維持にしっかり努めることが、あなたの幸せにつながります。
私の祖父は、私が高校1年生のときに亡くなりました。
肺がどんどん小さくなって、酸素を取り込めなくなる病気にかかっていました。
いつもマラソンをしているかのように、息が荒かったのです。
いくら呼吸をしても、十分に酸素を取り込めないために、いつも呼吸が荒かったわけです。
私はそんな祖父を見て、普段当たり前に呼吸できていることにありがたみを覚えました。
普通に呼吸ができて、おいしい空気を吸えるということは幸せなことです。
これは普段気づこうと思っても、なかなか気づけないことです。
祖父の病気を診ることがなければ、私は今もそのありがたみに気づかないままだったかもしれません。
今どこにも痛みもなく、自由に体を動かすことができるというのは、本当にありがたいことなのです。
私は、あと100年もしないうちに、自分の体とお別れするときがやってきます。
自分の体は自分のものである意識が当たり前のような気がしますが、実は体は神様からの「借り物」です。
やがてあなたが死を迎えるとき、あなたはあなたの体を手放さなければならないときがやってきます。
今あるあなたの体は、永遠にあなたのものではありません。
あなたが生きている間だけ使わせてもらっている、この世で生活をするための道具なのです。
それもたった1つしかない道具です。
取り換え不可能。
失ったら、それで最後。
こう考えると、あなたの今の体に少しでも愛着が湧いてくるはずです。
生きているほんのいっときの間、あなたと一緒にお付き合いするあなたの体を大切にしましょう。
あなたの体は、生きている間しか持つことができない、一時的な「道具」です。