同じ行為でも、そのための手段はいくつか存在します。
たとえば、目の前にご飯がある。
それを素手で握って食べるか、それともお箸を使って食べるかは、どちらも同じ「食べる」という行為です。
体験したことがないのに、文句ばかり言う人がいます。
・投票をしたことがないのに、政治の文句を言う人
・万博に行ったことがないのに、万博の文句を言う人
偉そうな人は、エレベーターのボタンを押すだけ押して、後ろの隅へ逃げるように移動します。
ボタンの前に立つと、自分がエレベーターのドアの開け閉めをしないといけないため、面倒なのでしょう。
また後ろの隅は壁が背中にあり、安心できるのでしょう。
電車の中で座席に座るとき、平気で人の服の上に座っていませんか。
人の服の上に座ることは、その人を踏んでいることです。
特に、満員電車の中ではよく起こりがちな出来事ですね。
ときどき食べている最中に、足を組みながら食べている人を見かけます。
食事中ではなく、友人と雑談をしているときなら、まだ許せます。
しかし、食事中の足組みは、してはいけないことの1つです。
年齢は、さまざまな固定観念がくっついている数字です。
年齢という数字には、つまらない先入観がたくさんくっついています。
ときとしてそのつまらない先入観が、あなたが経験する新しい出会いを台無しにしてしまうことがあります。
明るい表情は、明るいことを考えているときに自然とそうなってしまうものです。
好きな人のことを考えていたり、好きな趣味を楽しんでいたりすると、にこやかな表情に変わります。
明るい人は、いつも暗いことでも明るく考え直しているから、明るくなっているのです。
大変ささいなマナーですが、知らず知らずに人間関係に影響を及ぼしてしまうことの1つとして、ご紹介します。
もしかしたら、これを直せば、あなたの人間関係は向上するきっかけになるかもしれません。
それが「腕組みをしない」というマナーです。
人前では、腕組みをやめるだけで、好印象になります。
特に両腕を広げて、話をしている姿は「肯定」「受け入れ」のサインです。
「私はオープンですよ」
「わざわざ遊びに来てくれて、ありがとう」
「またいつでも遊びにきてね」
「またね、バイバイ」
靴下が下がったままになっているおじさんを、ときどき見かけます。
靴下が下がっているせいで、毛の生えた足の部分がちらりと見えます。
本人は「これくらいいい」と思っています。
私が車に乗っていたときのことです。
前にタクシーが止まっており、人が降りていました。
お金のやりとりなのか、思ったより時間がかかっているようです。
男性にも女性にも、ガムを噛む人によく見られるマナー違反があります。
ガムを噛むのはいいのですが、問題は噛んでいるときの口の状態です。
あなたは、くちゃくちゃとガムを噛んでいませんか。
ズボンをはくのは、何も男性だけではありません。
女性もファッションの一部としてズボンは、当たり前のようにはく時代です。
そんなズボンのポケットには、ささいな注意が必要です。
今、あなたの口元をチェックしていただけますか。
動かないで、まさに今、この瞬間のあなたの口元です。
もしかして「へ」の字になっていませんか。
語尾を曖昧にすることは、日本語に目立ちます。
英語は、動詞が最初にやってくるため、意味がはっきりします。
「I(私は)go(行く)to shopping(買い物へ).」
知っている人には挨拶をするけれど、知らない人には挨拶をしない人を見かけます。
知らない人は自分に関係ないから、挨拶をしても意味がないと思っているのです。
挨拶をして、意味をつくり、関係をつくり、気持ちをつくっていくのです。
「要するに」という言葉は、話をまとめるときに使う言葉です。
会議のような話し合いをまとめる席では使ってもいいでしょう。
しかし、これを、いつも日常から使っていると「軽くしか話を聞いてくれない人」と思われるようになります。
私は仕事をするうえで、わかりやすい説明をする先輩に出会ったことがあります。
マツダさんという私より10歳近く年上の先輩です。
先輩は、いつも自分の体験を交えて話をしてくれます。
不作法な人がいる。
つい、注意をしたくなる。
しかし、ぐっと我慢する。
団体になってキャンプに行くと、みんなが力を合わせて荷物を運ぶ場面があります。
1人だけではたくさんの荷物を運ぶのは大変ですから、力を合わせます。
荷物を取り出して順番に運びますが、ここでもちょっとしたマナーがあります。
私の家庭では、食事マナーにうるさく、よく父には叱られていたものです。
特によく叱られた言葉といえば、次の言葉です。
「食事中、トイレにいくな!」
偉そうにしている人は、料理の取り分けをしません。
ほかの人に、取り分けをさせます。
自分で取り分けることは、プライドに傷がつくと思っているのです。
料理の取り分けを、難しいことだと思っていませんか。
レイアウトを整え、量を調整し、こぼれないようにいれるなど、気を使うことだと思っている人が多いようです。
料理の取り分けを、それほど難しく考える必要はありません。
あなたは、靴下の取り換える時期をどうしていますか。
穴が開いてからですか。
それとも穴が開く前ですか。
私は食事中に話をだらだらされるのは、苦手です。
話をしていると、食事ができなくなります。
食事ができないと、せっかく出来上がったばかりの温かい料理が冷めてしまいます。
男性の中には、ネクタイを緩めている姿をかっこいいと勘違いしている人がいます。
ネクタイを大胆に緩めて、首の下のほうまで見せている姿です。
本人は「自分は垢抜けている。ダンディーだ。俺はかっこいい」と思っているようです。
海外の高級ブランド店でいちばん困るお客さまは、団体客だそうです。
団体客は、大きな声で騒ぎやすく、店内の雰囲気を壊し、そのうえほかのお客さまにまで迷惑をかけてしまいます。
それに気づけなくなるのが、団体の恐ろしさです。
頭が良くなると、幸せになれる考えは、よくありがちが勘違いです。
知識を詰め込み、物知りになれば、幸せになれる妄想を抱いています。
「頭が良くなると、モテるに違いない」
生活を豊かにするために大切なことの1つが「逆から見る」です。
友人関係だけでなく、時間、恋愛、家族、仕事など、さまざまなところで役立ちます。
人間関係でいえば、相手の立場になって物事を見るということです。
同じ行為でも、そのための手段はいくつか存在します。
たとえば、目の前にご飯がある。
それを素手で握って食べるか、それともお箸を使って食べるかは、どちらも同じ「食べる」という行為です。
しかし、そこからマナーの違いといえば、大きな差があります。
素手で握って食べる人は、野蛮に見え、大胆で品がないような印象を受けます。
ただ空腹を満足させるだけであり、ご飯そのもののおいしさや文化は感じることができません。
荒っぽい食べ方です。
一方、お箸で食べる人は、清潔で、上品で、ゆとりがあるように映ります。
もちろんお箸の使い方や持ち方などにもよりますが、お箸を使って食べるだけで、いつもよりご飯がおいしく感じられます。
手を汚さずに食べることができるため、自分のためにも、握手をするであろう相手のためでもあります。
マナーは何のためにあるかというと、自分のため、相手のため、より文化を楽しむためにあります。
マナーを大切にすることで、自分が汚れることがなく、またそれを見ている相手に不快な気分をさせることはありません。
なにより、マナーを大切にすれば、そこから文化が得られます。
ご飯を素手で食べれば文化も何も感じられませんが、お箸を使って食べると、おいしく感じられるようになるのは、そのためです。
お茶碗を手に持ち、お箸を使って食べると、いつもよりご飯がさらにおいしくなります。
同じ行為でも、品があるかないかによって、得られる豊かさに大きな違いが出てくるのです。
「マナーなんて面倒」
そう思う人もいるようですが、人生を豊かに生きるためにマナーは大切にしたほうが、自分のためになるのです。
体験したことがないのに、文句ばかり言う人がいます。
批判をするなら、一度体験してからするのがマナーです。
体験もしないで文句を言っているのは、ただのアンチです。
とにかくネガティブなことを言って、憂さ晴らしをしたいのです。
ネガティブキャンペーンをするのが好きな人がいるものです。
世の中には一度も体験していないのに、自分の勝手な想像・妄想だけで文句を言う人がいます。
文句ばかり言っていると、だんだん「文句顔」になってしまいます。
文句顔には独特の表情があります。
人相が悪く、意地悪そうな顔つきになっています。
「揚げ足を取ってやろう。少しでも欠点があれば、徹底的に叩いてやろう」と言わんばかりの卑しい表情になっているのです。
体験したこともないのに文句を言っても、説得力がないのです。
これでは理不尽な悪質クレーマーと変わりません。
文句を言っていけないわけではありません。
一度も体験していないのに文句を言うのがいけないのです。
文句を言うなら、一度身をもって体験してからすることです。
一度体験してみると、それがよくわかります。
実際に体験するからこそ、正しく評価もできます。
「最初は否定的だったけれど、一度体験してみると思ったより良かった」となるケースは、よくあることです。
体験してから言うのなら、それは文句ではなく、建設的な意見になります。
相手から「なるほど」と納得してもらえます。
悪い点を指摘することで、改善につながるのです。
偉そうな人は、エレベーターのボタンを押すだけ押して、後ろの隅へ逃げるように移動します。
ボタンの前に立つと、自分がエレベーターのドアの開け閉めをしないといけないため、面倒なのでしょう。
また後ろの隅は壁が背中にあり、安心できるのでしょう。
たしかに人間なら、当然の心理です。
しかし、あなたが逃げるように隅に移動する姿はかっこよくありませんし、また偉そうな姿に見えます。
「何さまだと思っているんだ」
「ボタンだけ押して、ドアの開け閉めはほかの人にやらせるのか」
悪い誤解をされる場合があります。
かっこよくなりたければ、ボタンの前に率先して移動し、自分がエレベーターボーイになることです。
誰もが嫌がるドアの開け閉めを率先して行うことは、ほかの人のためになっていることです。
ほかの人のことまで考えている人は、必ず率先してボタンの前に立ちます。
自分がデパートの案内役をしているかのようになる人こそ、かっこいい人なのです。
電車の中で座席に座るとき、平気で人の服の上に座っていませんか。
人の服の上に座ることは、その人を踏んでいることです。
特に、満員電車の中ではよく起こりがちな出来事ですね。
隣に誰かほかの人が座っているところに、割り込むように座りに行くと、はみ出した服に座ってしまいます。
一言「失礼します」と言って、服を寄せてから座るならいいでしょう。
できるかぎり服の上に座らないようにしようという気遣いが感じられます。
しかし、品のない人は、何も言わず人の服の上に、平気で座ります。
自分がされるとよくわかりますが、あまり気持ちのいいものではありません。
堂々と他人のテリトリーに無断で入り込み、荒らしているようなものなのです。
ときどき食べている最中に、足を組みながら食べている人を見かけます。
食事中ではなく、友人と雑談をしているときなら、まだ許せます。
しかし、食事中の足組みは、してはいけないことの1つです。
靴の裏が見えてしまうからです。
靴の裏は汚いし、ほかの人に見えてしまうと不快を撒き散らしてしまうことになります。
自分は大丈夫と思っても、ほかの人が見ると、いい気分にならないでしょう。
なにより足組みをしている状態は、だらけた姿勢となってしまうことも見逃せません。
足組みをすると、自然と心も体もだらけた状態になります。
これはいいことでもありますが、場合によっては悪い影響を与えます。
特に食事に対しては、失礼となり、だらだらしながら食事を取ってしまうことになります。
これでは本来の食事のおいしさが半減してしまいます。
自分にとって、損になる話です。
食事中に足を組むと、いつの間にかよからぬ影響を出していることに気づくことです。
こうしたことに気づいていると、足を組みながらの食事はできなくなります。
年齢は、さまざまな固定観念がくっついている数字です。
年齢という数字には、つまらない先入観がたくさんくっついています。
ときとしてそのつまらない先入観が、あなたが経験する新しい出会いを台無しにしてしまうことがあります。
1歳と聞くと「生まれたばかりか」。
14歳と聞くと「まだ子どもか」。
17歳と聞くと「学生か」。
25歳と聞くと「社会人か」。
45歳と聞くと「生活習慣病、大丈夫かな」。
80歳と聞くと「おじいさん」。
100歳と聞くと「長生き」。
ここに挙げた例は、ごく一部です。
人によっては、14歳だと「思春期か」と思う人もいれば、25歳の女性と聞いて「若い女性」を想像する人もいるでしょう。
年齢には、数字そのものにさまざまな固定観念があります。
固定観念のせいで、目の前の真実を見えにくくさせることがあります。
あなたが初めて人に会ったときに、いきなり相手の年齢を聞いてはいけないことは、言うまでもありません。
それは相手に失礼という意味だけでなく、もう1つ大切な意味があります。
年齢を聞くことで、あなたが固定したイメージを持つことを避けるためなのです。
うっかり年齢を聞いてしまい「45歳です」とわかれば、あなたなりに何か先入観がふわりと出てくるはずです。
その先入観によって今、目の前で出会ったばかりの人に、つまらないイメージを持ってしまうことになるのです。
45歳でも子どもっぽい人かもしれませんし、あるいは年齢以上に落ち着いた人かもしれません。
その人のそのものの性格や態度を、ありのまま知るためには、年齢を抜きにしてお話をすることが大切なのです。
ありのままの状態を吸収できるのですから、最も良い出会い方です。
年齢を聞いた瞬間から目の前にある真実が見えにくくなり、誤解を招きやすくなります。
せっかくの大切な出会いを、年齢を聞くことで台無しにしてしまうのはもったいない。
年齢は、あなたと相手のすてきな出会いのために、最初は知らないほうがいい。
ある程度相手と仲良くなってから聞くことができる数字です。
明るい表情は、明るいことを考えているときに自然とそうなってしまうものです。
好きな人のことを考えていたり、好きな趣味を楽しんでいたりすると、にこやかな表情に変わります。
明るい人は、いつも暗いことでも明るく考え直しているから、明るくなっているのです。
私が中学生だったころ、同級生に、とてもかわいい女の子がいました。
彼女はなにより、いつも明るかった。
明るいがゆえに、男の子からとても人気がありました。
学年で、最もモテた女の子でした。
ある日、彼女に気になる質問をしてみたことがあります。
今でも忘れない、中学2年の放課後のことです。
「なぜいつもそんなに明るいのか」と、思いきって聞いてみたことがありました。
「暗くなっても、いいことないからね。暗くなったら、もっと嫌なことが増えそうだしね。だからわざと明るく振る舞っている」
なんと、彼女は意識的に明るく振る舞っているというのです。
彼女の明るい表情は、明るく考えていることで、出てきた表情でした。
たしかに嫌なことが1つもない人はいません。
つらいとき、苦しいときは、誰にでもあることです。
しかし、暗い表情になったからとはいえ、いいことがやってくるわけではありません。
暗い表情をしていると、暗い出来事がもっと引き寄せられてきます。
明るいことを考え、明るい表情になり、暗い出来事を寄せ付けないようにするのです。
明るい表情は、お守りの役目を果たします。
暗い出来事を取り払ってしまい、明るい出来事をさらに引き寄せる力を持ちます。
彼女が明るい表情によって男の子からモテたように、明るい表情は「いいこと」をたくさん引き寄せてくれる磁石の力を持つのです。
大変ささいなマナーですが、知らず知らずに人間関係に影響を及ぼしてしまうことの1つとして、ご紹介します。
もしかしたら、これを直せば、あなたの人間関係は向上するきっかけになるかもしれません。
それが「腕組みをしない」というマナーです。
「え? 腕組みだって?」
そう思われることでしょうが、ちょっと話を聞いていただきたい。
腕組みは深く考えているときや、慣れていない人の前で話すときに、いつの間にかしてしまう自然なしぐさです。
自然なしぐさだからこそ、要チェックです。
腕組みをしている姿は、心理学的にいえば「注意」「警戒」「拒否」のサインです。
相手に対して不信感を抱いているときに、自分の中に受け入れたくないと自分で自分をかばいます。
それが「腕組み」という、自分で自分を抱きしめ、守るような姿として表れます。
難しく考えているときに腕組みをしてしまうことは「今、私は集中しています。話しかけないでください」という意味です。
腕組みをして難しい顔をしている人には、話しかけづらいですよね。
腕組みをしていると、自然と話しかけにくく、人を寄せ付けない雰囲気をつくってしまいます。
だから友人ができにくく、出会った人ともなかなか打ち解けにくくなります。
私が昔、出会った人に、いつも腕組みをしている男性がいました。
話をするときには、いつも腕組みです。
その姿がなんだか偉そうに見えてしまい、なかなか親しくなることができませんでした。
警戒している姿に見え、私を突き放そうとする姿にも見え、なんとなく近づきにくいのです。
彼を見て「私は腕組みをしないように気をつけよう」と思ったものです。
大変ささいなことではありますが、とはいえ「注意」「警戒」「拒否」の雰囲気が出てしまうことは、たしかです。
腕組みをしていると、雰囲気が硬くなってしまうのです。
人前では、腕組みをやめるだけで、好印象になります。
特に両腕を広げて、話をしている姿は「肯定」「受け入れ」のサインです。
「私はオープンですよ」
「あなたを受け入れていますよ」
「もっと仲良くなりましょう」
前向きなサインとなり、見ている人に良い印象を与えます。
腕組みをしている姿とは対照的に、両腕を広げて話をすると、印象が良くなります。
腕組みをしながら、選挙演説をしている人は見たことがありません。
腕組みは「注意」「警戒」「拒否」を表現することになり、見る人に対してマイナスの印象を与えてしまうからです。
選挙演説では、必ず両腕を広げて話をします。
両腕を大きく広げて話をすると、相手に好印象を与えるため選挙演説では欠かせない印象アップの姿勢です。
オープンになって話をするから、たくさんの支持を集めることができるのです。
学歴ばかりを話すより、両腕を大きく広げてプライベートな話をする人のほうが、支持を集めることができるのです。
「わざわざ遊びに来てくれて、ありがとう」
「またいつでも遊びにきてね」
「またね、バイバイ」
友人の家に遊びに行ったときには、見送ってくれることがあります。
わざわざ玄関まで足を運んでくれ、最後まで見送ってくれると、嬉しいものです。
見送る側はいいのですが、見送られる側には、こんなときにもちょっとしたマナーがあります。
「一度は振り返る」というマナーです。
これがあるかないかによって、印象が大きく変わります。
振り返ることは「名残惜しさ」を具体的に表現するしぐさです。
「本当はもっと一緒にいたい」
「もう少しお話をしたい」
言葉には出して言えない名残惜しさは、見送りに一度振り返ることで表現できます。
「バイバイ」と言って、一度も振り返らずにそそくさと行ってしまうと、不安になります。
「一度も振り返ってくれないなんて、本当は早く帰りたかったのかな」
「疲れているのかな」
「なんかおかしなことしたかな」
「嫌われたかな」
なんだか後味が悪くなりますよね。
いろいろと考えてしまいますが、どれもあまり良いことではありません。
一度も振り返らずに帰ってしまうと、後味が悪くなってしまうのです。
振り返るマナーを大切にすると、別れの後味が良くなるのです。
靴下が下がったままになっているおじさんを、ときどき見かけます。
靴下が下がっているせいで、毛の生えた足の部分がちらりと見えます。
本人は「これくらいいい」と思っています。
「靴下が下がることくらい気にしなくていいではないか。そんなことまで気にしていられない」
そう思っていることでしょう。
しかし、見ている側には、思ったより下品に見えるものです。
特に女性は、垂れ下がった靴下からちらりと見える足の毛を嫌います。
だらしなく見えます。
どんなにかっこいいスーツを着ていても、靴下が垂れ下がって足の毛が見えた瞬間に、冷めてしまいます。
英国の紳士は、靴下といえば、決まって長い靴下を履こうとします。
短い靴下では、本人さえ気づかないうちに下がってしまい、足がちらりと見えてしまうことになります。
品を意識する人は、最初から長い靴下を履きます。
少し下がったくらいでも、足の毛が見えることはないようにするためにです。
私が車に乗っていたときのことです。
前にタクシーが止まっており、人が降りていました。
お金のやりとりなのか、思ったより時間がかかっているようです。
タクシーの後ろには、車の長い行列ができていました。
「早くしてほしいな。こっちは車が詰まっているのに」
そう思いながらいらいらしていたとき「あること」が起こります。
タクシーのドアを閉め、ようやく進めると思ったその瞬間、降りた人がこちらに頭を下げたのです。
私は、その瞬間「この人はいい人だな」と思いました。
普通はタクシーから降りれば、さっさと目的地に向かうものです。
しかし、この人は、自分が原因で渋滞をつくっているということに気づいていました。
自分が原因とわかれば、なおさら、降りればそそくさと歩いてその場から逃げてしまいたいものです。
しかし、きちんと後ろの車に頭を下げて、謝ることができるという姿勢は、素晴らしい。
私のいらいらは、頭を下げられた瞬間に止まりました。
誰もができることですが、なかなかここまで気が回らないものです。
素晴らしい習慣を目にしたと、気分が良くなってしまったほどでした。
男性にも女性にも、ガムを噛む人によく見られるマナー違反があります。
ガムを噛むのはいいのですが、問題は噛んでいるときの口の状態です。
あなたは、くちゃくちゃとガムを噛んでいませんか。
ガムを噛むときに、口の中まで見えてしまうというのはいけません。
マナーが悪い人は、くちゃくちゃと音を立て、そのうえ口を開けながら噛んでいます。
当然、口の中が見えてしまい、気持ちのいいものではありません。
くちゃくちゃという音も、口を開けていると、音が目立ってしまいます。
実際に本人は、それほど気になるものではありません。
しかし、見ている側は、気になるものなのです。
ガムを噛むときのマナーは、くちゃくちゃではなく、もぐもぐです。
口を開けずもぐもぐとなった状態で噛むことが、いちばん迷惑がかかりません。
口の中が見えることもなく、噛んでいるときの音も目立たないのです。
ズボンをはくのは、何も男性だけではありません。
女性もファッションの一部としてズボンは、当たり前のようにはく時代です。
そんなズボンのポケットには、ささいな注意が必要です。
うっかりしていると思わぬ恥をかくことになります。
ときどき街を歩いていると、こんな光景を見かけます。
ズボンのポケットがはみ出たまま、歩いている人です。
おそらくポケットからハンカチを取り出しているときに、はみ出たままになったのでしょう。
どうやら本人はそれに気づいていないようです。
しかし、この姿、かっこ悪く見えてしまうのです。
ズボンのポケットがはみ出ていると、だらしなく、子どもっぽく見えます。
ポケットは、ハンカチだけでなく携帯やお財布など、いろいろなものを入れるところです。
ポケットに手を入れる回数は、思ったより多い。
その際に、ポケットがはみ出てしまうことがありますが、そのはみ出たことに気づくセンサーを持つことが大切です。
忙しいときは、鈍感になり、ポケットがはみ出ていることに気づきにくいものです。
より注意が必要なのです。
今、あなたの口元をチェックしていただけますか。
動かないで、まさに今、この瞬間のあなたの口元です。
もしかして「へ」の字になっていませんか。
口元は、うっかりしていると、垂れ下がってしまう部分です。
気にしない人はまったく気にしないようですが、特に大切な部分です。
笑うときにはもちろん口に力が入りますから「へ」の字になることはありません。
問題は、何気ない、普段の状態です。
ときどき口元が「へ」の字になっている人を見かけることがあります。
「へ」の字になっている人を見かけると、それだけで、老けているように見えます。
そんなとき私は「せっかくの美人なのにもったいないな」と思います。
何かに我慢をしているような面持ちに見えますし、つらく、大変そうな印象さえ受けてしまいます。
たった口が「へ」の字になっているかどうかによって、受ける印象は大きく変わるのです。
若い女性でも、口元が「へ」の字になっていると、老けて見えやすくなります。
お化粧をするより、自分の口元を気にしましょう。
にっこり口を横に伸ばすように、少し力を入れるだけで、顔の印象はとてもよくなります。
語尾を曖昧にすることは、日本語に目立ちます。
英語は、動詞が最初にやってくるため、意味がはっきりします。
「I(私は)go(行く)to shopping(買い物へ).」
しかし、日本語は「私は買い物へ行く」というように「行く」という動詞が最後にきます。
最後まで聞かないと、言葉の意味をつかむことができない言語なのです。
「行きません」
「行きたい」
「行きたくない」
「行くかもしれない」
「行ったことがある」
いずれも、意味はまったく異なります。
最後の最後まで聞かないと意味をつかめない日本語は、取扱注意の言葉です。
少し気を緩め、語尾を曖昧にすれば、あやふやな言葉へと変わります。
特に若い人は、語尾を曖昧にすることが、かっこいいと思っているようです。
語尾を曖昧にする人は、ただでさえ曖昧になりつつある日本語を、さらに曖昧にしています。
「買い物へいくみたいな」
「買い物へ行っちゃったりなんかして」
「行ってみたい気もするような……」
「買い物へ行くっていうか……」
あなたにもこんな言葉遣い、心当たりありませんか。
なんておかしな表現だろうかと思いませんか。
語尾を濁して、かわいらしさをアピールしていると思っているようですが、聞いている側は「はっきりしてよ」と思います。
語尾までしっかり言い切る癖をつけましょう。
いま一度、自分の言葉を振り返り、曖昧にしている表現を言い切る表現に変えるのです。
言い切る表現は、たしかに責任を伴います。
しかし、それは、言葉を発する人の当然のマナーなのです。
私は文章を書くときには、いつも「言い切る表現」を強く意識しています。
自分にとっても書きやすくなるだけでなく、読んでいるあなたにとっても、意味がダイレクトに伝わっていくからです。
もし、曖昧な表現を使ってしまえばどうでしょう。
とたんに、あやふやな言い方になります。
「言い切る癖をつけたほうがいいかもしれない」
「言い切る癖のほうがいいみたいな」
主張したいことがぼやけてしまい、読者に対してとても失礼です。
なんだか自信のない表現に聞こえませんか。
自信がない言葉は、本当に信じていいのか不安になります。
言いたいことは、はっきりさせることです。
それが話す人のマナーです。
聞く人への配慮なのです。
知っている人には挨拶をするけれど、知らない人には挨拶をしない人を見かけます。
知らない人は自分に関係ないから、挨拶をしても意味がないと思っているのです。
挨拶をして、意味をつくり、関係をつくり、気持ちをつくっていくのです。
お互いが気持ちの良いスタートができる意味があります。
挨拶は知っている人へのマナーではなく、むしろ自分へのマナーが大きい。
挨拶をしていちばん気持ちいいのは、相手ではなく、自分なのです。
自分が気持ちの良い1日をスタートするために、どんどん挨拶をして、テンションを上げています。
挨拶は、テンションを上げるための準備体操なのです。
挨拶をするほどテンションが上がり、1日のスタートを気持ちよくはじめることができるようになります。
「おはようございます」という一言は、相手のためにだけでなく、自分のために言うのです。
そう考えると「知っている人、知らない人」という区別は、もはや関係なくなりますよね。
たくさん挨拶をすれば、それだけ元気が出てきますから、知らない人にも挨拶をしたほうがいいのです。
「要するに」という言葉は、話をまとめるときに使う言葉です。
会議のような話し合いをまとめる席では使ってもいいでしょう。
しかし、これを、いつも日常から使っていると「軽くしか話を聞いてくれない人」と思われるようになります。
「要するに」を使ってしまうと、そこで話が終わってしまうからです。
「要するに、こういうことでしょ」
「こう言いたいんでしょ」
「つまり、こういうことだ」
熱く語っていることも、一言でまとめられると「今まで一生懸命に話していたことは、なんだったんだ」と思い、冷たく感じます。
もちろん相手に失礼な態度です。
こういうときには、できるかぎり「たとえば」を使って、話をしましょう。
「たとえば」を使うと具体的になり、わかりやすい話となります。
「たとえば、こういうときには、こうすればいい」
「たとえば、こういうふうに使えばいい」
例えを使って話をすると、理解がしやすくなり、面白く感じてくれます。
私は、文章を書くときには、できるかぎり「たとえば」を使って話をするように心がけています。
たとえのない話は、冷たく淡々として、面白くありません。
たとえば次のうち、あなたはどちらに温かい印象を受けますか。
どちらも挨拶を勧める言葉ですが、ささいな違いによって受け方が大きく変わります。
「要するに、挨拶さえすればいい」
「たとえば、私は先日、泣いている人に挨拶をした。少し明るくなってくれた」
前者は、説明書のように淡々と要点を述べています。
間違ってはいませんが、冷たくて大きく印象に残りません。
学校の優等生のように、正しいことを言ってはいるけれど、面白くない状態です。
後者は、著者の体験を交えて話をしているためイメージがしやすく、温かい印象を受けます。
口だけの話は面白さに欠けますが、自分の実体験を話してくれると、印象に深く残ります。
私は仕事をするうえで、わかりやすい説明をする先輩に出会ったことがあります。
マツダさんという私より10歳近く年上の先輩です。
先輩は、いつも自分の体験を交えて話をしてくれます。
「ミナクチ君。実は俺も以前に同じことで失敗をしたことがあるよ」
「自分が失敗したときは、ちょうどお客さんの前だったから大変だったよ」
マツダさんの話は、いつも面白かった。
自分が実際にした経験を話してくれているからです。
経験したこともないきれい事より、汚くてもいいから自分が経験した話のほうが、より具体的でわかりやすく、印象にも残ります。
人に物事を教えるときには「実は私も、こういう経験がある」という内容を会話の中に盛り込むことです。
「実は私も、こういう経験がある」という話をすれば、自分の体験を交えて話をしなければならなくなります。
必ず話が具体的になり、面白くなるということなのです。
人に何かを教えるときに、単に話をするだけでは、工夫がありません。
たいていのことは、すでに頭ではわかっているから意外に印象に残らないものです。
「車を運転するときには歩行者に気をつけよう」とはいえ、誰もがすでに頭ではわかっているので、印象に残りません。
「歩行者に気をつけていなかったばかりに、ぶつかりそうになったことがある」と自分の体験を交えた話は、具体的でわかりやすい。
「実は私も、こういう経験がある」という言葉は、相手にわかりやすく印象に残る話をするためのポイントなのです。
不作法な人がいる。
つい、注意をしたくなる。
しかし、ぐっと我慢する。
我慢した分、その教えを自分に言い聞かせる。
「自分は決してこういうことをしないように」と。
「人に優しく、自分に厳しく」という表現は、誰もが耳にしたことがある言葉です。
私は小さかったころ、この意味がよくわかりませんでした。
「自分に甘いほうがいいな」とのんきに思っていたり「他人に厳しくしてはいけないのかな」と疑問を抱いたりしてきました。
年を重ね、ようやくその本当の意味が理解できるようになりました。
人間関係では、自分に攻撃してくる人を当然ですが嫌いになります。
自分が嫌われ役になる代わりに、誰かに教えることができる人はとても素晴らしい。
しかし、誰もができることではありませんし、なかなかできることでもない。
自分に不快なことを言ってくる人を、嫌いになってしまう性質がありますから、不作法な人がいても、なかなか注意ができません。
注意をすると、相手に嫌われるかもしれないからです。
これ、あなたも私も考えている「本音」です。
注意をされる側には、不思議なことに「やれ!」と言われれば言われるほど、やりたくなくなるものです。
学校の宿題と同じです。
今しようかと思っていたときに、親から「早く勉強しなさい」と言われると、急にやる気が冷めて、やりたくなくなってしまいます。
命令には「反発作用」があるのです。
相手に注意しない代わりに、言いたい言葉を飲み込み、自分に言い聞かせます。
「自分は、絶対にこういうことをしないようにしよう」と。
すると、他人に優しくなれ、自分に厳しくなれます。
自分が行動を正すことで、それを見ている人たちが、あなたを手本として影響を受けます。
不作法な人も、かっこいい手本を目の前にすると「こっちのほうがいいな」と真似をするようになります。
こうして、周りに良い影響を広めるのです。
社会でも、本当に優秀なリーダーとは、強制的な命令を出すリーダーのことではありません。
部下が自分から進んで仕事をしたくなるような上手な指示を出すリーダーが、本当に優秀なのです。
むしろ、仕事そのものは部下にしてもらい、リーダーはその管理に徹するという役割分担がいちばんです。
「人に優しく、自分に厳しく」という言葉は、昔からなじみのある言葉です。
その意味するところが思ったより深かったことに気づいたとき、私は驚きを隠せなかったのでした。
団体になってキャンプに行くと、みんなが力を合わせて荷物を運ぶ場面があります。
1人だけではたくさんの荷物を運ぶのは大変ですから、力を合わせます。
荷物を取り出して順番に運びますが、ここでもちょっとしたマナーがあります。
荷物を運ぶお手伝いのときには、相手の荷物から先に運ぶようにしましょう。
もちろん時と場合、状況にもよりますが、マナーとして覚えておいて悪くはありません。
「相手の荷物から」という態度を見せると、尊重しているという態度を見せることができます。
自分の荷物から堂々と運んでいると、自分のことしか考えていない人になります。
荷物1つとはいえ、相手の荷物から運ぶのか、自分の荷物から運ぶのかによって、受ける印象が変わってくるものです。
私の家庭では、食事マナーにうるさく、よく父には叱られていたものです。
特によく叱られた言葉といえば、次の言葉です。
「食事中、トイレにいくな!」
小さなころは、食事中のお手洗いに我慢できず、席を離れるたびに父からよく叱られていました。
私の家庭では、食事中にお手洗いのために席を離れることは、マナー違反になっています。
単純に不潔という理由だけではありません。
1人が席を離れることで、せっかくの食事の雰囲気が壊れてしまうからです。
家族で盛り上がった会話も、誰か1人が席を立つと、お開きの雰囲気が流れ始めます。
みんなが一緒に楽しむ食事の場では、なおさら食事中のお手洗いは厳禁となります。
厳しかったマナーのおかげで、私はいつも食事が始まる前に、お手洗いに行く習慣ができてしまいました。
厳しいなかで得た、自分としては気に入っている習慣です。
偉そうにしている人は、料理の取り分けをしません。
ほかの人に、取り分けをさせます。
自分で取り分けることは、プライドに傷がつくと思っているのです。
偉い人に見せるために、自分が取り分けなどしては、かっこがつかないと思っています。
しかし、こういう態度こそ、本当にかっこ悪い。
偉そうにしてプライドを大切にしすぎると、往々にしてサービスをする側ではなく、受ける側に回ってしまいがちです。
それはズボンをはかせてもらう子どもと同じなのです。
子どもがズボンをはかせてもらうのは、自分ではくことができないからではなく、お母さんに甘えているからです。
子どもが求めているのは、偉そうにズボンをはかせてもらうことではありません。
はかせてもらうことで愛と接触できることを期待しているからです。
お母さんに甘えて、自分を大切にしてもらいたいから、はかせてもらおうとするのです。
偉そうにする人も、実はこれと同じです。
料理の取り分けくらい、誰でもできることです。
大人でなくても、子どもでも十分にできます。
しかし、それをしようとしないオヤジは、自分でもできるけれど、してもらうことで、愛を感じたいと思っているからです。
気を使ってもらいたい、大切にされたいと甘えている姿にすぎないのです。
大人になるにつれて、偉そうにしている人は甘えん坊になって子どもへと逆行している状態です。
「プライドを大切にしている」と言葉では言いながら「実は面倒を見てもらいたい、気を使ってもらいたい」と甘えているのです。
本当にかっこいい人は、自分のことを自分でするだけでなく、相手のために行動します。
料理の取り分けをしてもらうのではなく、取り分ける側に回ります。
面倒を見てもらう側から、面倒を見る側に回ることで、初めて大人になるのです。
サービス精神のある人は、かっこつけず、出てきた料理を相手のために取り分けます。
男性でも女性でも、この心がけは大切なポイントです。
偉そうにふんぞり返っている人は、偉い人ではなく、実は子どもだったのです。
料理の取り分けを、難しいことだと思っていませんか。
レイアウトを整え、量を調整し、こぼれないようにいれるなど、気を使うことだと思っている人が多いようです。
料理の取り分けを、それほど難しく考える必要はありません。
出てきた料理を、相手のために、小皿にいれるだけのことです。
取り分けの目的は、きれいにすることではないのです。
きれいに、きちんと、すてきに整えて取り分けようとするから、肩に力が入り、難しくなっています。
相手のために行動することを、難しく考えすぎていませんか。
高度な技術、優れたセンス、素早い行動は不要です。
サービス精神は、難しい技術が必要というわけではなく、ただ相手のために自分ができることをするだけでいいのです。
相手のために動く小さなアクションを、サービスといいます。
難しく考えすぎていれば、実は簡単であることに気づきましょう。
あなたは、靴下の取り換える時期をどうしていますか。
穴が開いてからですか。
それとも穴が開く前ですか。
穴が開いても、ほったらかすタイプですか。
靴下を取り換える時期は、はっきり決められているわけではありません。
なかなか取り換える時期が微妙です。
靴下の取り換える時期は、その人が普段から意識している心の内側が表れています。
靴下の穴が開いてから取り変えようとする人は「問題が起こってから行動しよう」と考えている人です。
日常でも、トラブルが起こって、初めて対処しようとします。
予防策を前もってチェックする意識が薄い。
靴下に穴が開いてから取り換えようとする人は「予防」ということを考えていません。
トラブルが起こってから、初めて行動するため、慌てることになり、もちろん信用も失います。
問題が起こってからでは、遅いのです。
靴下に穴が開く前には、必ず予兆があります。
底が薄くなって、足の裏が透けて見える状態になれば「そろそろ破れそうだな」ということが、見てわかります。
予防ができる人は、この「破れそうだな」という時期に取り換えます。
決して破れて穴が開いてからではありません。
そうなってからでは、遅いことを知っているのです。
トラブルは、起こってから対処するのではなく、未然に防ぐものです。
「もったいないなあ。まだ使えるではないか」と思っている人は、自分でトラブルを引き寄せています。
もったいないと言っているからどんどん問題が大きくなり、自分で不幸を呼び寄せることになるのです。
「たかが、靴下じゃないか」
そう思っていませんか。
たかが靴下ほど、どうでもよく、行き届きにくいところはありません。
どうでもいいところで、気を抜いてしまいがちなところです。
だからこそ、はっきり心の内側が見えてくるところでもあるのです。
靴下ほど、その人の「心がけ」が見えてくる場所はありません。
昔から「足元に品性が表れる」といいます。
誰もが目につく顔のお化粧、髪型、洋服やズボンは、手入れができて当然です。
よく行き届きますから、誰もが一生懸命にお手入れします。
しかし、足元は、なかなか行き届かないものです。
靴下だけでなく、靴のお手入れ、足組みの状態、ガニ股など、足にまつわる話はたくさんあります。
そんな誰もがなかなか行き届かない足元にこそ、その人の本当の品性が表れるのです。
私は食事中に話をだらだらされるのは、苦手です。
話をしていると、食事ができなくなります。
食事ができないと、せっかく出来上がったばかりの温かい料理が冷めてしまいます。
温かい料理は、出来立てがいちばんおいしい。
これは言うまでもなく、わかっていることです。
給仕は、私たちに温かい出来立ての状態で食べてもらおうと、できてすぐテーブルへと運んでくれています。
その気遣いは嬉しいし、気遣いに応えるためにも、私はテーブルに運ばれてきたらすぐいただきたい。
できたての食事をいちばんおいしく味わえ、いちばん食べたい瞬間です。
しかし、こんなときにだらだら長話をする人がいます。
食事が運ばれてくる前ならいいですが、食事が運ばれてきてからも、ずっと話し続ける人がいます。
食べたくても、食べられない。
せっかくできたての温かい食事が、冷めてしまいます。
作ったばかりの食事をすぐ運んできてくれた給仕の気遣いを台無しにしてしまい、申し訳なく感じます。
長話のせいで、できたての料理を冷まさせていませんか。
話をしながら食べることがいけないわけではありません。
せめて食事が運ばれてきた瞬間くらいは、話を一時中断して、食べ始めるのがマナーです。
おいしい食事は、運ばれてきた瞬間が最もおいしいだけでなく、給仕の気遣いに応える姿勢にもなります。
男性の中には、ネクタイを緩めている姿をかっこいいと勘違いしている人がいます。
ネクタイを大胆に緩めて、首の下のほうまで見せている姿です。
本人は「自分は垢抜けている。ダンディーだ。俺はかっこいい」と思っているようです。
ネクタイだけではありません。
ダンディーな雰囲気を出すために、だらだらした姿をしようとしますが、注意が必要です。
ネクタイを緩め、ベルトを緩めた人を想像するだけで、だらしない人を想像してしまいます。
ラフな格好をしていると、その人の信用にまで影響をします。
実際はそうでなくても、見かけで思われてしまうなら、損になるのです。
海外の高級ブランド店でいちばん困るお客さまは、団体客だそうです。
団体客は、大きな声で騒ぎやすく、店内の雰囲気を壊し、そのうえほかのお客さまにまで迷惑をかけてしまいます。
それに気づけなくなるのが、団体の恐ろしさです。
ブランドは、イメージが大切です。
団体客がどっと押し寄せ、店内で騒がれると、洗練されたイメージも落ちてしまいます。
商品には高級を求めているにもかかわらず、マナーは低級になっているのではないでしょうか。
海外への旅行者ですから、団体ツアーでやってきたのでしょう。
友人同士での旅行かもしれません。
友人と5人の団体で高級ブランド店に入ると、必ずと言っていいほど、声が大きくなります。
アクセサリーを見つけるたびに「ねえねえ、これを見て! すごいよ!」と騒ぎます。
「本当だ。こっちにもきれいなのがあるよ!」
騒いで店内の雰囲気を壊し、結局何も買いません。
驚くのはいいのですが、騒ぐのは良くありません。
団体になると、周りが見えなくなりますから、特に注意が必要です。
いちばん好ましいのは、1人でショップに入ることです。
話し相手がいませんから、騒ぎようがありません。
高級ブランド店の店員さんも、団体で騒ぐお客さまより、1人で入ってくるお客さまのほうが、親切丁寧に接してくれます。
また気に入った商品の特別なお話も聞けるかもしれません。
高級ブランド店は、お1人さまで出かけるところなのです。
頭が良くなると、幸せになれる考えは、よくありがちが勘違いです。
知識を詰め込み、物知りになれば、幸せになれる妄想を抱いています。
「頭が良くなると、モテるに違いない」
「頭が良くなると、頼られるから友人が増えるだろう」
「頭が良くなると、自分の価値が上がる」
つい、知ったかぶりをしてしまうのです。
「知らない」と答えてしまうと、頭が悪いと思われてしまうため、知ったかぶりをします。
次のような言葉が、口癖になってしまうのです。
「あれね」
「それなら知っているよ」
「それくらい常識」
「それくらい誰でも知っていることだよ」
「知っていて当たり前」
「そんなことも知らないの?」
本当はよく知らないにもかかわらず、無理をして知っているようなそぶりをみせます。
本当は知らないけれど「知らない」という一言が恥ずかしくて言えず、知っているふりをしてしまいます。
気づいていない人が意外に多いのですが、知ったかぶりは感じが悪い。
せっかく盛り上がった話も「なんだ。それなら知っているよ」と言われてしまうと、急に話を折られたような感じになります。
「それなら知っている。これくらい当たり前」と、知ったかぶりをしていると、侮辱されたように聞こえてしまうのです。
言っている側は「物知りだと思われている。すごいと思われているに違いない。これで私は人気者だ!」と期待しています。
しかし「あの人は、何でも知っているから話が盛り上がらない。こちらが侮辱されているような感じがする」と思います。
知ったかぶりをしていると、友人が増えません。
増えても、すぐ消えます。
感じが悪いからです。
本当に賢い人は、知ったかぶりをしません。
賢いようにはみせません。
賢くみせると、人から距離を置かれてしまうため、自分の賢さを出さないといいます。
日本のことわざ「能あるタカは爪を隠す」の言葉のとおり、知っている人ほど、知らないふりをするのです。
生活を豊かにするために大切なことの1つが「逆から見る」です。
友人関係だけでなく、時間、恋愛、家族、仕事など、さまざまなところで役立ちます。
人間関係でいえば、相手の立場になって物事を見るということです。
自分から見ただけではわからないことも、相手の立場になって考えると気持ちがよくわかるものです。
子どもが親になり、初めて親の苦労がわかるようになり、感謝ができるようになるのは、そのためです。
自分が逆の立場になると、相手を理解できるようになり、人間関係の向上につながります。
人間関係だけではありません。
時間でも、逆から見る習慣は重要です。
たとえば、今から未来を見るのではなく、未来から今を見てみましょう。
自分が将来何になりたいか、どうしたいのかというイメージを膨らませ、その未来から今を見ます。
そうすると、今、自分がすべきことが見えてくるようになります。
ゴールから、スタートを見ることで、正しい道筋が見えてくるようになり、今なすべきことがわかるようになります。
もちろん正しい判断や選択もできるようになります。
恋愛も、逆から見る癖をつけましょう。
自分の立場から考えるのではなく、相手の立場になって考えるのです。
相手の気持ちになって考えると、喜ばれるプレゼント、気の利いた一言が、自然と浮かんでくるようになります。
仕事も同じくです。
上司の立場になることで、部下としてするべき行動が見えてくるようになります。
上司も自分が一度部下を経験していると、何を考えているのかが、自然と見えてくるようになります。
それが、正しい指導力、発言につながり、円滑な仕事につながります。
生徒なら、先生になってみる。
先生なら、生徒になってみる。
子どもなら、親になってみる。
親なら、子どもになってみる。
部下なら、上司になってみる。
上司なら、部下になってみる。
女性なら、男性になってみる。
男性なら、女性になってみる。
私は高校3年の文化祭で、女装をしたことがあります。
イベントの一環として、お化粧やスカート、タイツや口紅など本格的な女装でした。
特に大変だったことは、もちろんお化粧です。
お化粧には、大変時間がかかり、手間も暇もかかりました。
ちょっと色を変えるだけで、顔の印象が驚くほど変わり、芸術を自分に対して行っているような感じになります。
「女性はお化粧を毎日しているのか。これは大変だな」
女性の大変さがわかるようになり、その後、女性がお化粧に時間がかかることにも、寛大になることができるようになりました。
一度自分が女装をして、お化粧の大変さを経験したことで、女性の立場が理解できるようになったからです。
逆の立場を経験することで、理解が深まったのです。
逆から見る習慣は、あなたに大きな恩恵をもたらします。
器が大きくなり、心が広くなり、理解が深まり、優しくなれ、気が利く人になれます。