今回は「運命を変える」というテーマについてお話ししたいと思います。
運命を自分の力でどんどん変えていくということです。
「運命は本当に変えられるのか」
自分の顔形、両親、人種、性別、体質、遺伝子などは宿命です。
先天的ということです。
生まれつき決められていることですから、その土台の上で生きていかなければなりません。
彫刻は、木片を削って、少しずつ形作ります。
どのような作品ができるかは、削り方しだいです。
目的も意味もなく適当に削ったところで、何の作品もできません。
運命の「運」には「運ぶ」という意味のほかに、もう1つ意味が込められています。
「運を大切にしよう」という意味です。
自分が意識的に行動したことだけでなく、運よく起こった出来事も大切にしようとすることです。
従来の成功哲学では、本人の体質や性格は無視して「とにかく夢を持って頑張れ」という内容でした。
・大金持ちになる
・大きな家を持つ
一般的な成功とは、お金、地位、名誉が基準になっています。
しかし、これは本当の成功ではありません。
人の欲が中心になっているからです。
人生が思うように前へと進んでいないのは、アクセルを踏んでいないからではありません。
あなたはなかなか前へと進まない理由を「力が足りないから」と思っているので、一生懸命にアクセルを踏みます。
実は、すでにアクセルは十分に踏んでいます。
「あなたが今、新しくトライしたいことをあげてください」
このように言えば、誰でも、1つや2つ、口にします。
あなたも一緒に考えてみましょう。
私は、雨が降っている日に、露天風呂に入るのが好きです。
下は温かい湯に浸かり、上からは冷たいしずくが落ちてくるというハーモニーが、たまらなく贅沢と感じます。
そんなとき「生きていて良かったな」と感じます。
学生時代なら、学校の先生が宿題を出します。
学生たちは、先生から出された宿題を片付ければ、それ相応の学力がつくようになっています。
先生というくらいですから、生徒たちにとって適度な問題を、適度な量で出します。
「運命を変えたい!」
そう思うなら、まず出会いを大切にすることです。
今の人間関係を大切にして求めることです。
「運命」は、自分でつくるものです。
「運」も、自分でつくるものです。
一見「運」としか考えようのないことでも、自分しだいで変えます。
「光の三原色」という言葉を聞いたことがありますか。
赤、青、緑の光を組み合わせれば、すべての色の光をつくり出すことができる法則です。
たとえば、赤の光と青の光を混ぜると、紫の光になります。
私は小学生のころは、よく脱線をして登下校をしていました。
いつも同じ道ばかりを通って登下校するのは、マンネリで刺激がなく、退屈です。
慣れ親しんだ道を通るのもいいのですが、毎日同じ道ばかりを通っていると、人間ですから飽きてきます。
私はある日、自分の友人関係を振り返ったときに、ふと、気づいたことがあります。
自分が仲良くなっている友人は「友人からの紹介」で出会った人ばかりです。
もちろん完全に初出会いから仲良くなった人もいるのですが、ほんの少数です。
時間には、さまざまな単位があります。
1秒、1分、1時間、1日などです。
しかし、そうした単位にとらわれすぎていませんか。
自分を変える簡単な方法があります。
着る服を、友人に選んでもらう方法です。
自分が自分の服を決めると、いつも同じような服ばかりになります。
生まれたばかりの赤ちゃんは、がらがらというおもちゃで遊びます。
がらがらと音のなる遊具に、赤ちゃんはこれ以上ないほどの楽しみと喜びを感じ、手放しません。
まったくもって、がらがらに執着します。
ある日、あなたの家が焼けてなくなってしまいました!
誰でもそうですが、自分の住んでいる家が焼けてしまえば、落ち込みます。
住む場所だけでなく、思い出や家具もなくなります。
運命を変えるためには、いつも笑顔を絶やさないようにしましょう。
いつもにこにこしているだけでも、生活に変化が訪れます。
話しかけられやすくなり、人間関係が良くなり、チャンスに恵まれ、運が良くなり、運命が変わります。
彫刻をつくる人は、彫刻が好きだからしています。
初めは自分一人が楽しもうと思ってつくり始めますが、勢いに乗っていると、話が広がります。
楽しんで作った彫刻は、結果として、見る人も楽しませることができるようになるのです。
人生は、自分だけで成り立ちません。
人と人との出会いを通して、成長していけます。
たしかにそりの合わない人とは一緒にいてもつまらないでしょう。
人の目を気にしていると、あやつり人形のようになります。
社会的体裁、世間体、見栄を考えていると、型にはまった考えや行動しかできなくなります。
「~しなければならない」という、硬い考えと行動しかできなくなるのです。
人間は、ほかの動物とは違い、感動ができます。
感動は「心が感じて、動く」ということです。
感動といえば「嬉しい出来事があったとき」というイメージが強いのですが、必ずしもそれだけとは限りません。
漢字は、そもそも象形文字です。
「人」という字は、人がお互いに寄り添っている姿(||→人)からできた字といわれています。
これはどういう意味かというと「頼る、頼られる」という関係を意味しています。
失敗する人のパターンは、いつも「ハイリスク・ハイリターン」です。
リスクの大きいことをして、大きなことを得ようとします。
元手がかかることをして、高い利益を得ようとします。
運命を変える人は、運に頼りません。
運に頼らないから運命を、自分の力で変えていけます。
運を頼りにしていると「待っていること」が基本姿勢になっています。
ライバルを敵と考える人は、成功できません。
いつも相手のことを嫌い、憎み、疲れやすくなります。
いらいらが当たり前になります。
新しいアルバイトを始めたとき「これを読んで」とはじめにルールが箇条書きにされた本を手渡されます。
いわゆる「マニュアル」です。
マニュアルを渡され、仕事をするうえでの、ルールを学びます。
あなたが自分の運命を変えると同時に、人の運命も変えていけます。
自分の好きなことに夢中になり、一生懸命になっていると、熱いオーラが出てきます。
その熱いオーラがほかの人にも伝わり、他人まで熱くさせることができます。
今回は「運命を変える」というテーマについてお話ししたいと思います。
運命を自分の力でどんどん変えていくということです。
「運命は本当に変えられるのか」
はい、運命は変えられます。
もしかしてあなたは「宿命」と「運命」を勘違いしていませんか。
変えられないのは、宿命のほうです。
運命は「運ぶ命」と書くように、自分の運び方によって、いかようにも変えることができます。
しかし、宿命は違います。
宿命は「宿る命」と書くように、変えることができません。
宿命は変えられませんが、運命は変えられます。
場合によっては、マイナスの宿命を背負っていても、運命を変えることでより良い人生へと変えることが可能です。
運命は、あなたしだいなのです。
あなたが変えられないと思っているのは、宿命です。
宿命は、自分の内側にそもそも宿っていることですから、あとから変えるのはできません。
まず、この違いをしっかり押さえておきましょう。
「宿命は変えられない」のです。
「運命は変えられない」と嘆いている人がいますが、運命はいくらでも変えられます。
変えられないのは、宿命のほうなのです。
自分の顔形、両親、人種、性別、体質、遺伝子などは宿命です。
先天的ということです。
生まれつき決められていることですから、その土台の上で生きていかなければなりません。
一方、運命は後天的です。
「自分で運ぶ命」と書いて「運命」といいます。
生まれた後に、決まっていくことです。
宿命は変えられませんが、運命は、生まれてからいくらでも変えられます。
出会い、成績、友人、結婚、仕事など、自分の行動しだいで、いかようにも変えることができます。
選択や決断は、自分しだいですから、まさに「運ぶ命」である「運命」です。
宿命は変えられませんから、土台とします。
その土台の上で、自分で素晴らしい運命を築き上げていけばいい。
本当の人生とは、運命が中心です。
家を建てるときに、もちろん初めから土台がしっかりしていれば、地震に強い家を建てることができます。
しかし、地盤が緩くても、家の建て方を工夫すれば、地震に強い大きな家も建てることができます。
家の建て方、工夫しだいです。
私たちがするべきことは、宿命を土台にして、運命を築き上げていくことです。
地盤を変えることはできませんが、建てる家を設計したり修正したりすることはできます。
宿命は先天的ですが、運命は後天的です。
自分でどう運ぶべきかは、自分しだいなのです。
彫刻は、木片を削って、少しずつ形作ります。
どのような作品ができるかは、削り方しだいです。
目的も意味もなく適当に削ったところで、何の作品もできません。
しかし、目的を持って削れば、どう削ればいいかわかります。
凡作も秀作も「削り方」が重要です。
とはいえ、まず「削ること」がとにかく必要です。
削って初めて、作品が出来上がります。
では、人生ではどうでしょうか。
人生全体は、削られる前の彫刻です。
あなたは命という木片を削ることで、自分の人生を少しずつ形作ります。
まさに彫刻と同じなのです。
「削らない」という選択はありません。
生きている事実そのものが「命を削っている」という状態です。
削ることは、すべての人に必須であり、強制です。
ただ実際の彫刻でもそうですが、意味もなく適当に削っていると何の作品もできません。
自分の夢を持ち、目的を持つことで、どう削ればいいのかがわかります。
「命の削り方」によって、つまらない人生にも、素晴らしい人生にも形作れます。
すべては、あなたの命の削り方しだいなのです。
運命の「運」には「運ぶ」という意味のほかに、もう1つ意味が込められています。
「運を大切にしよう」という意味です。
自分が意識的に行動したことだけでなく、運よく起こった出来事も大切にしようとすることです。
「偶然」「たまたま」という運が関係する出来事もあわせて大切にしていくと、どんどん運命が切り開けて生きます。
すでに起こった出来事があるのですから、その流れに従うほうが、展開もスムーズに進むでしょう。
川の流れには素直に従ったほうが、抵抗もなく、速く進めます。
それが「運を大切にする」ということです。
たとえばあなたは「たまたまの出会い」をどれだけ大切にしているでしょうか。
出会いは自分からしていけます。
しかし、人生には、思わぬ偶然の出会いがあります。
そうした出会いも、大切にするのです。
「別に自分に興味ないから」という理由で無視するのは簡単です。
しかし、自分から意図しなくても出会っているのですから、その運は大切にすることです。
たまたまの出会いを、貴重な出会いに変えるのです。
運命とは、運を大切にする生き方をいうのです。
従来の成功哲学では、本人の体質や性格は無視して「とにかく夢を持って頑張れ」という内容でした。
一般的に成功といわれる代表を、いくつか挙げてみました。
しかし、本人の体力を無視して、頑張るだけでは、本当に素晴らしいことはできません。
自分の能力を無視して頑張った末、会社の社長になっても、そういう気性がなければ部下はついてこず、経営も長続きしません。
自分の体力を無視して仕事を頑張った結果、大金持ちになれても、健康を失えば、何のためにお金持ちになったのかわかりません。
マラソンでとにかく速いペースで走れとはいえ、限界があります。
自分を無視したペースで速く走ると、途中で棄権してしまうことになります。
自分に無理をさせず、淡々と走るほうが、長続きして長距離を楽しく走れます。
「夢を持って頑張る」のは従来の成功哲学ですが、そのとおりにしてうまくいくなら、みんなが成功者になっているはずです。
しかし、実際にうまくいっていない人のほうが多い現実に早く気づきましょう。
従来の成功哲学は、そもそも成功できない哲学だったのです。
運命とは、自分に無理をさせない状態で前へと進んでいくことです。
自然に従うと言ってもいいでしょう。
バラの花は、ほうっていれば自然とバラの花になることと同じです。
自分は自分にしかなれません。
バラの花はバラにしかなれず、ヒマワリはヒマワリにしかなれません。
自分に向いていないことを、無理をして頑張るのではありません。
本当の自分を見つけ、自分にできることを最大限に生かす生き方が、本当の成功です。
本当の自分で生きることができたとき、成功になるのです。
一般的な成功とは、お金、地位、名誉が基準になっています。
しかし、これは本当の成功ではありません。
人の欲が中心になっているからです。
ここで人生を脱線している人が大変多いと感じます。
欲を満たすことが、人生の成功ではありません。
人生のおける本当の成功とは「自分らしく生きること」そのものをいいます。
自分らしく生きれば、それで十分な大成功なのです。
アサガオのタネを植えます。
芽を出し、茎を伸ばし、最後にはアサガオの花を咲かせます。
引き継ぐためにタネを残し、自分は枯れます。
このアサガオの一生に、何か文句が言えるでしょうか。
アサガオは、まさに個性は十分に発揮して、一生を全うしています。
アサガオは、自分らしく生きて、自分らしい花を咲かせようと、懸命になっています。
その姿勢そのものが、大成功です。
それがアサガオにとって、一生を悔いなく全うしているということです。
それ以外、特別大きな意味はありません。
天命、使命を果たすことができています。
アサガオは、ヒマワリやバラの花になろうとしません。
本当の自分ではないからです。
なろうとしても、なれるわけがなく、自分は自分にしかなれないことを植物は知っています。
自分らしく生きることの大切さを、植物たちは教えてくれます。
人も、自分らしく生きることが成功です。
本当の自分に気づき、本当の自分で生きると、必ず生き生きします。
植物の世界にお金、地位、名誉が関係ないように、人間にとってもお金、地位、名誉は関係ないのです。
私は書くことを通して、豊かな人生を多くの人に伝えていくという仕事をしています。
たくさんの文章書いていることそのものが、私にとって楽しい時間です。
充実しています。
これが、いちばん自分らしく感じます。
抵抗がありませんし、書くことに関しては、そのために生まれてきたかのようにすらすら文章がかけてしまいます。
どんなに書いても疲れません。
アサガオが自分らしく生きるのに、努力も辛抱も頑張りも不要です。
同じように、自分らしく生きることは本来、努力も辛抱も頑張りも必要ありません。
個性を十二分に発揮できたとき、私は死んでもいいし、悔いのない人生と感じます。
自分らしく生きることが本当の成功なのです。
人生が思うように前へと進んでいないのは、アクセルを踏んでいないからではありません。
あなたはなかなか前へと進まない理由を「力が足りないから」と思っているので、一生懸命にアクセルを踏みます。
実は、すでにアクセルは十分に踏んでいます。
前へと進んでいないのは、力が入りすぎて、一緒にブレーキも踏んでいるからです。
アクセルは踏んでいるのに、勢いあまって気づかないうちに、ブレーキも一緒に踏んでしまっているのです。
なかなか前へと進みません。
前へと進むためには、ただブレーキを踏むのをやめればいいだけです。
力を抜けばいいだけです。
あなたは人生を少しでも前へと一生懸命になっているがゆえに「力を抜くことの大切さ」を忘れているのではないですか。
力を抜いたときに、前へと進むようになります。
力を抜けば、ブレーキを踏まなくなり、自然に前へと進むようになるからです。
すでにアクセルは踏んでいたのです。
「あなたが今、新しくトライしたいことをあげてください」
このように言えば、誰でも、1つや2つ、口にします。
あなたも一緒に考えてみましょう。
(考える時間……)
では、さらに質問です。
「実際に実現に向けて行動してください」
人間とは面白いもので、十中八九、次のような言葉が返ってくるでしょう。
「わかっているけれど、時間がない」
「お金がないんだ」
「なかなか、いいタイミングがないんだ」
「恥ずかしい……」
ほとんどの人が、こうした質問に素晴らしい言い訳を返します。
どうでしょうか。
あなたも、おそらくどきっとしたはずです。
これは何を意味しているのかというと、アクセルとブレーキを一緒に踏んでいるということです。
できれば今からトライしたいことはあるけど、それをストップさせる自分がいます。
「自分はブレーキなど踏んでいない」という人に限って「でも」という言い訳が返ってきます。
「行動する理由」より「行動しない理由」を先に見つけてしまいます。
やりたいことはあっても、その気持ちを止めてしまう、もう1人の自分がいます。
しかし、本当に今すぐやってしまうのです。
まだ行動をしていないことを頭で考えることは、妄想です。
ほとんどの場合、実際以上に大きく考えています。
行動すれば、思っているほど大したことがないと気づきます。
それは車を運転する前から、事故のことばかりを考えている状態です。
たしかに安全は大切です。
しかし「安全」ばかりを考えすぎていては、一生、車は運転できなくなります。
免許があれば、怖がらず、まず運転します。
運転すればするほど、運転技術が上達するため、事故も起きにくくなります。
「危ない」と思ったときは、ブレーキを踏めばいいのです。
それからでも間に合います。
まず、ブレーキを踏むのを、やめることです。
ほとんどの人が、安全をあまりに考えすぎていて、ブレーキを踏みすぎています。
私は、雨が降っている日に、露天風呂に入るのが好きです。
下は温かい湯に浸かり、上からは冷たいしずくが落ちてくるというハーモニーが、たまらなく贅沢と感じます。
そんなとき「生きていて良かったな」と感じます。
どんなに疲れがたまっていても、一気に吹き飛び、やる気と元気が出てきます。
仕事では、難しくて大きな仕事があります。
仲間と協力する仕事もあれば、時間をかけて積み上げていく仕事もあります。
いずれにせよ、大きな困難を乗り越えた仕事には、なんともいえない達成感があります。
自分を成長できる仕事に感謝をしてしまいます。
そんなとき「生きていて良かったな」と思います。
豊かな人生づくりとは、そんな「生きていて良かったな」と思える瞬間を積み上げていくことです。
自分が成長して、満足して、幸せと愛を感じられるときが、最も満たされている時間です。
幸せの瞬間をたくさんできるような時間を築き上げることが大切なのです。
学生時代なら、学校の先生が宿題を出します。
学生たちは、先生から出された宿題を片付ければ、それ相応の学力がつくようになっています。
先生というくらいですから、生徒たちにとって適度な問題を、適度な量で出します。
「今いちばん必要であろう課題」を出せます。
ちょうど良い難しさの問題に、私たちは鍛えられ、次第に学力を身につけていきます。
国語、算数、理科、社会、英語など、社会で生きていくために必要な学問を身につけることができるのです。
一方で社会人になれば、どうでしょうか。
社会では、もはや学生時代のような学校はありません。
先生もいません。
誰が自分を高めてくれる宿題を出してくれるのかというと「人生そのもの」です。
会社では仕事の仕方、人間関係、人付き合いなどを学びます。
また結婚、出産、子育てなど、タイミングよく課題があなたに降りかかってくることでしょう。
すべてが、人生から与えられている宿題です。
その宿題を淡々とこなしていけば「人生でいちばん大切なことは愛なのだ」ということに気づくようになっています。
愛に気づき、勉強し、体感、体得、体現するために、人生はあるのです。
「運命を変えたい!」
そう思うなら、まず出会いを大切にすることです。
今の人間関係を大切にして求めることです。
あなたの生活では、今、どれだけ出会いがあるでしょうか。
運命を変えるいちばんの方法は、人と出会うことです。
いわゆる「縁を大切にする」ということです。
人と出会うことが、運命を変える具体的な方法です。
人と出会うとき、あなたの中で化学反応が起こり、今までにない自分へと変わります。
植物では、タネが土と出会い、水と出会い、日光に出会うことでぐんぐん成長します。
出会いがあるから、成長します。
新しいエネルギーが湧き、今まで考えもしなかった自分へと成長することになります。
自分を変えるのは、自分ではできないのです。
タネは自分だけの力では成長できず、水の力や日光の力が必要です。
他人の力がどうしても必要なのです。
透明色の水を、透明色の水で変えようとしても、色は絶対に変わりませんね。
自分で自分を変えようとしても、同じ色ですから、変えようにも変えられません。
しかし、もし透明色の水に、赤い水が混ざればどうでしょうか。
その瞬間に、透明色だった水全体に変化が起こります。
今までにない新しい色が自分の中に入ってくるとき、自分のすべてが変化します。
それが出会いです。
出会いとは、自分以外の人と出会うことです。
自分以外の色と出会うとき、今までにない新しい色へと一瞬で変わります。
それが変化であり、運命を変えるということです。
あなたが新しい人と出会うことは、運命を変えることそのものなのです。
「運命」は、自分でつくるものです。
「運」も、自分でつくるものです。
一見「運」としか考えようのないことでも、自分しだいで変えます。
たとえば、おみくじです。
おみくじの結果は、運次第と思われがちですが、そうでもありません。
プラス思考の人は、おみくじで結果が何であろうと、プラスに変える力があります。
大吉が出れば喜ぶのは当然ですが、もし大凶が出ても喜びます。
「近々危ないことが起こるな。生活に気をつけよう」と心がけるからです。
悪い結果を前向きに受け止め、生活に生かします。
しかし、マイナス思考の人は、おみくじの結果が何であろうと、不安になります。
結果がよくても、自分でマイナスへと変えてしまうからです。
大凶が出れば「大変だ。もう人生は終わりだ」と思うのは当然ですが、たとえ大吉が出ても不安になります。
「このおみくじは本物なのか。不安だな」
たとえ、大吉が出ても素直に喜びません。
受け止め方がマイナスになっていれば、大吉もマイナスに映ってしまいます。
実は、おみくじの結果そのものは関係ありません。
受け止め方が大切なのです。
自分でコントロールできることです。
受け止め方がマイナスになっている人は、結果が何であろうと、不安になります。
受け止め方がプラスになっている人は、結果が何であろうと、元気になります。
プラス思考の人は、おみくじの結果など、もはや関係ありません。
どんな結果が出ても、プラスへと変えてしまえばいい。
おみくじの結果に左右されない人になりましょう。
どんな結果が出ても前向きに受け止めればいいのです。
「光の三原色」という言葉を聞いたことがありますか。
赤、青、緑の光を組み合わせれば、すべての色の光をつくり出すことができる法則です。
たとえば、赤の光と青の光を混ぜると、紫の光になります。
緑の光と青の光を混ぜると、水色の光になります。
赤の光と、緑の光を混ぜると、黄色の光になります。
組み合わさってできた色同士を、さらに混ぜてしまいます。
すべての光を混ぜると最終的に何色になるのでしょうか。
なんと「白の光」になってしまいます。
テレビは、光の三原色を応用して、色鮮やかな映像を映し出しています。
テレビを間近で見ると、赤青緑という光の集まりであることがわかります。
この光の三原色の組み合わせによって、さまざまな光を放ち、映像を映し出しています。
さて、ここからが本題です。
この光の三原色は、テレビの話だけではありません。
実はあなたの話にも、通じることです。
あなたが新しい人と出会うとき「こんな人がいるのか」と驚きます。
実際に口に出して言わなくても、心の中で小さな驚きがありますよね。
驚きの度合いに大小はあれ、出会うたびに自分に新しい色が加わり、視野が広がっているのです。
新しい人と出会って、自分の見方が変わり、心が広くなります。
生まれたばかりのあなたは、いわば「透明色」です。
何も色がついていない状態です。
生まれて、まずお父さんとお母さんという人と、出会います。
お父さんは青。
お母さんは赤。
残りの「緑」は「縁」です。
おや、不思議です。
「緑(みどり)」という漢字は「縁」という漢字と、見間違えるほど、そっくりではありませんか。
両親から、青と赤を吸収します。
残りの緑(みどり)は、外の世界で取り入れます。
「縁」を「緑(みどり)」に変えます。
友人、恩師、上司など、人生でたくさんの人たちと「縁」によって出会い、それが「緑」へと変わります。
緑が加わったとき、あなたは初めて「赤、青、緑」という光の三原色がそろいます。
その光の三原色を基本として、すべての色を放ち、あるいはさらに取り入れていきます。
青、赤、緑、黄色、紫、紺、水色など、たくさんの色と出会い、さらにあなたの中に取り込まれます。
生まれたばかりの透明色だったあなたは、たくさんの色と出会います。
光の三原色のように、すべての光が混ざると、なんと白になってしまうのです。
心が白い人は、何にも知らない純真な人のことではありません。
すべてを包括して、すべてを受け入れられる人のことをいうのです。
白のように、すべてを受け入れている状態です。
白は、すべての色の集合体です。
光の究極の姿がそうであるように、人の究極の姿も、そうなのです。
白の光のように、あなたも人生においてたくさんの人と出会って、たくさんの色を取り入れることが大切です。
あなたの心を、完璧なまでの白へと導くのです。
私は小学生のころは、よく脱線をして登下校をしていました。
いつも同じ道ばかりを通って登下校するのは、マンネリで刺激がなく、退屈です。
慣れ親しんだ道を通るのもいいのですが、毎日同じ道ばかりを通っていると、人間ですから飽きてきます。
そこで、ある日、私は迷子にならない程度に、いつもと違った道をとって登下校をしたことがありました。
いわゆる「脱線」です。
今まで通ったことのない道を歩くと、道が変わるだけでなく、景色も変わります。
出会う人、草花、風景、風の香りが変わります。
登下校をしているほかの班と、ばったり会うことがあります。
それがきっかけで、親しくなることがあります。
道を変えるだけで「新」になります。
退屈な登下校の道に飽きていた私は、よく脱線をして学校まで通い、帰宅するときも未知なる道を通って帰りました。
さまざまな道を通って変えると、だんだんその周辺一帯に何があるのかがわかってきます。
地理に詳しくなり、どんな道を通っても、迷子にならなくなりました。
さまざまな道を通ると、刺激は山ほどあります。
運命を変えるとは、難しいことではないのです。
同じ道ばかりを通っていないでしょうか。
いつの間にか、同じ道ばかりを通ることに慣れていないでしょうか。
たしかに正しいですが、面白くありません。
運命の変化は、脱線したときにあります。
自分から積極的に脱線をするだけでいい。
それが運命を変えるということです。
私はある日、自分の友人関係を振り返ったときに、ふと、気づいたことがあります。
自分が仲良くなっている友人は「友人からの紹介」で出会った人ばかりです。
もちろん完全に初出会いから仲良くなった人もいるのですが、ほんの少数です。
ほとんどが「友人からの紹介」で出会った友人ばかりなのです。
あなたの今の交友関係にも当てはめて考えてみましょう。
自分の友人は「ほかの友人からの紹介」で出会った人がほとんどのはずです。
A君と仲良くしていると、ある日、A君と親しいB君と出会います。
B君と仲良くしていると、またある日、B君と親しいC君と出会います。
C君と仲良くしていると、またまたある日、C君と親しいD君と出会います。
どんどん友人の輪が広がります。
1人の友人A君を大切にするだけで、次から次へと新しい人に出会えます。
さらに不思議なことに、友人からの紹介で出会った人とは、仲良くなりやすいのです。
友人からの紹介で知り合うと、信頼のおける友人から紹介された人だけに、相手に対して、初めからある程度の信用があります。
自分の友人とすでに仲良くなっているという実績があるのですから、ある程度、その人のことが信用できます。
A君と仲良くなれば、A君と親しいB君と出会います。
B君はすでにA君と親しいので、B君は悪い人ではないなとわかります。
それゆえ、友人から紹介された新しい人とは、仲良くなりやすい。
関係の進展が、早く進むのです。
本当の出会いとは、今の友人を大切にすることから生まれます。
1人の友人を大切にすると、無限の人と出会えるといっても過言ではありません。
今の友人を大切にすれば、その友人を通じて新しい人と出会うことができるのです。
時間には、さまざまな単位があります。
1秒、1分、1時間、1日などです。
しかし、そうした単位にとらわれすぎていませんか。
実は人生の時間は、1つしかありません。
今しかないのです。
人生は「今」という一瞬の集まりです。
この瞬間でさえ「今」が連続で過ぎ去っています。
今が、今やってきた瞬間に、今、終わります。
今の集まりが、人生です。
「いつか人生を変えたい」と願う人がいます。
そうした思いを持つのは、素晴らしいことです。
ただし「いつか」は、余分な言葉です。
「いつか」という言葉が入ると、なかなかうまくいきません。
行動がなく、変化もないからです。
「いつか」を「今」に変えてみましょう。
人生は、今という一瞬の集まりです。
人生を変えようと思ったら、今しかないのです。
「今しかない」という言い方は、差し迫った様子を表しますが、そもそも人生は今しかないのです。
意識を変えるとは、こういうことです。
今を変えれば明日が変わり、明日が変われば、あさってが変わります。
向けるべきエネルギーの矛先は、今です。
運命を変えるチャンスは、ちょうど今です。
「いつか人生を変えたい」と思ったら、人生が変わるきっかけを、今すぐやりましょう。
小さなことでいいです。
今すぐできることはありませんか。
電話をかいたり、書類を書いたり、本を読んだり、インターネットで情報を集めたりなど、何かできるはずです。
小さくていいから、具体的に行動することです。
すると、人生が変わるのです。
自分を変える簡単な方法があります。
着る服を、友人に選んでもらう方法です。
自分が自分の服を決めると、いつも同じような服ばかりになります。
自分の好き好みはいつも一定しているため、自分の着る服を選ぶときも、いつも似たような服になります。
デパートに買い物に行って、何か新しい服を買おうと思っても、選んだ服は、いつも同じような服になってしまいがちです。
いつも同じような服ばかりを着ていると、気持ちは安定しますが、変化がありません。
服は、気持ちを変化させるために重要な役目を果たします。
もし、あなたが警察官の服を着たとします。
だらだらした気持ちでも、警察官の服を着ると、心が引き締まります。
そういうデザイン、形でつくられているからです。
服には力があります。
警察官の服は、何も格好だけの話ではなく、着る人の心を引き締め、悪への取り組みを活気させるためにあります。
服は気持ちまで変化させるパワーがあります。
自分で服を選ぶとき、ほかの人に選んでもらうほうが、思いきった変化ができます。
あなたの好みを知らない友人は、友人のセンスで決めてしまいます。
それは、必ずしもあなたの好みに合うものとは限りません。
いえ、合わないことのほうが多いでしょう。
しかし、愚痴を言わず思いきって、購入して、実際に着てみます。
すると、初めは着慣れない服にぎこちないかもしれませんが、新しい気持ちになった自分に気づくことでしょう。
警察官の服のように、着る服を変えるだけで、心理的に大きな変化があります。
心が変われば行動も変わります。
顔つき表情も変わります。
それが結果として、運命を変えることにつながるのです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、がらがらというおもちゃで遊びます。
がらがらと音のなる遊具に、赤ちゃんはこれ以上ないほどの楽しみと喜びを感じ、手放しません。
まったくもって、がらがらに執着します。
しかし、より価値の高いものを探すのが人間です。
赤ちゃんが、10歳くらいになると話は変わります。
がらがらを手放し、もっと楽しいテレビゲームをするようになります。
奥深いテレビゲームは、がらがら以上に楽しくて面白く、価値が高いと感じます。
さらに成長して高校生になれば、次は読書を楽しむようになります。
テレビゲームは仮想的ですが、読書は現実的です。
読書をすれば、実生活にその知識と知恵が生かされるため、テレビゲームより楽しく面白く感じるようになります。
読書のほうが、より価値が高いと感じるようになります。
同時に今まで執着していたテレビゲームを手放すことができるようになります。
客観的に見れば、成長とは「価値観の変化の連続」です。
成長がきちんとできていれば、もっと価値の高いことを見つけ、同時に執着していたことが、ある日、価値がないように思えます。
本人の成長があれば、本来「価値観」は変わっていくものです。
価値観が変わってこそ、成長です。
「今以上に価値の高いもの」を見つければ、今まで執着していたことを手放せます。
「これがいちばんだ。どうしても手放せない」は、まだそれ以上の楽しみを見つけることができていないだけです。
自分にとって、より価値の高いものを見つければ、今までの執着はあっさり手放せます。
変わってこそ、成長です。
価値観の変化は、成長ができている証拠です。
成長とは、手放すことができるようになることです。
いつまでも同じものに執着しているのは、赤ちゃんのころに遊んでいたがらがらを、大人になっても遊び続けていることと同じです。
成長ができていないということです。
成長ができていれば、より価値の高いものを見つけ、今まで執着していたことを手放すことができるはずなのです。
今まで執着していたことをある日、あっさり「いらない」と言えるくらい、より価値の高いものを見つければいいのです。
それが、自分を変える、人生を変える、運命を変えるということです。
ある日、あなたの家が焼けてなくなってしまいました!
誰でもそうですが、自分の住んでいる家が焼けてしまえば、落ち込みます。
住む場所だけでなく、思い出や家具もなくなります。
「これからどうすればいいんだ……」
自分の行き場を失い、途方に暮れます。
自分の家がなくなり、焼け野原になった土地を見てどうするのかといえば、また新しい家を建て直すことでしょう。
住む家がないことには、住む家を建てるしかありません。
火災保険に入っていれば、失ってもお金の保証があるはずです。
しかし、結果として、新しい家を建てることができれば「火事になって良かったかも」と思うようになります。
火事になって家がなくなったから、新しい家を建てるチャンスに変わったのです。
新しい家を建てるためには、土地が必要です。
まず古い家を最初に壊してしまう必要があります。
壊してから、更地に新しく家を建て直すという順番になります。
あなたは大切なものを失ったとき、落ち込むことでしょう。
それは誰でも同じです。
しかし、なくなった場所に「もっといいものを建てるぞ」と考えます。
失ったということは「土地ができた」「余裕ができた」「スペースができた」「時間ができた」ということです。
今まで古いものがあったから、新しいものを取り入れる余裕がありませんでした。
しかし、何かのトラブルや事故によって失うことがあれば「もっと素晴らしいものをつくり直そう」と考えればいい。
失ったときには、建て直す(立て直す)チャンスです。
崩壊をチャンスに変えてしまいます。
失恋をして悲しむ人がいれば「もっといい人を見つけるぞ!」という意気込みに変えてしまえばいい。
失った人を悔やんでも仕方ないのですから、もっと素晴らしい人を見つければいいのです。
古い人がいなくなれば、あなたはフリーになります。
時間に余裕ができ、ほかの人と付き合うチャンスに変わります。
もっと素晴らしい人と出会い、付き合うようになれば「前の人と別れて良かった」と思うようになります。
損失は、チャンスでもあります。
取り入れる余裕ができたのですから、もっといいものを手に入れるチャンスでもあるのです。
それは、あなたの努力しだいです。
火事で家を失い、焼け野原になった土地を眺めるだけでは進歩がありません。
もっと素晴らしい家を建てれば、家を失ったことをチャンスに変えることができます。
有名な画家であるピカソは、『あらゆる創造活動は、なにより破壊活動である』 と言っています。
「古いものを壊さなければ、新しいものを生み出せない」ということです。
「新しいものを手に入れたい。でも古いものをそのままにしておきたい」というのは矛盾です。
新しいものを手に入れるためには、古いものをまず壊す必要があるのです。
運命を変えるためには、いつも笑顔を絶やさないようにしましょう。
いつもにこにこしているだけでも、生活に変化が訪れます。
話しかけられやすくなり、人間関係が良くなり、チャンスに恵まれ、運が良くなり、運命が変わります。
笑顔になっていると、人から話しかけられやすくなり、結果として人生も変えてしまうのです。
体を巡る気のオーラの循環が良くなります。
ピンク色のオーラがぐるぐると体の周りを回り、あなたを保護してくれます。
私たちは、自分を守るためにお守りを持ちます。
しかし、お守りより笑顔になったほうが、もっと自分を守る効果があります。
笑顔は、マイナスのオーラを打ち消します。
笑顔は、光です。
闇で光は消せませんが、光で闇は一瞬で消せます。
笑顔になると、つまらないことがなくなり、嫌なことを打ち消してしまいます。
「毎日がつまらない」と愚痴をこぼす人がいます。
そういう人には、笑顔が少ない特徴があります。
笑顔になっていないからつまらないのです。
明るい人は、いつも笑っています。
笑っているから明るく楽しくなり、人間関係が良くなります。
笑顔を忘れないようにしましょう。
彫刻をつくる人は、彫刻が好きだからしています。
初めは自分一人が楽しもうと思ってつくり始めますが、勢いに乗っていると、話が広がります。
楽しんで作った彫刻は、結果として、見る人も楽しませることができるようになるのです。
彫刻に限らず、どんな芸術作品でもそうです。
する人も見る人も、同時に楽しむことができるというのは、素晴らしいことです。
自分が好きで始めたことが、ほかの人から「素晴らしい。面白い! すてき!」と褒められれば、もっとやる気が出てきます。
出てきたやる気でさらに創作作品に打ち込めば、さらに素晴らしい作品が出来上がることでしょう。
見る人もさらに喜び、また褒められ、やる気が出る好循環です。
ゆえに、お互いが楽しんでいる作品は、結果として素晴らしい作品ができてしまいます。
やる気、楽しみ、元気の好循環になっているからです。
つくる人と、見る人の「共同作品」です。
プラスのパワーしかありません。
彫刻がそうであるように、人生も、生きる人が楽しみ、見る人が楽しむようにすればいい。
あなたが愛と喜びを感じることをすれば、自分が楽しめ、見る人を楽しませることができます。
お互いにとって喜びですから、人気が出るのは時間の問題です。
私は、自分が好きで文章を書き始めました。
しかし、結果として読者を楽しませることができています。
そういうつもりで書いていなくても、自分が好きなことなので、つい熱くなります。
「面白い。もっと書いて!」と褒められれば、やる気はさらに出ます。
また次の作品が生まれるという繰り返しです。
作品の半分は、読者がつくっているといっても過言ではありません。
まず、自分が好きなことで楽しむことが大切です。
自分が好きなことで楽しみ、結果としてほかの人も楽しませることができればいいのです。
そういう生き方をしましょう。
人のために楽しいことをするのではなく、まず自分が楽しみます。
それは必ず、ほかの人の楽しみにもなるのですから。
人生は、自分だけで成り立ちません。
人と人との出会いを通して、成長していけます。
たしかにそりの合わない人とは一緒にいてもつまらないでしょう。
時間が過ぎるのも遅く感じるはず。
退屈な話をされても困り、ストレスを感じることもあるかもしれません。
しかし、せめて話だけでも聞いておきましょう。
そりが合わないのですから、あなたにとって異物ということです。
自分にとって拒否反応を示すくらいですから、自分の中にはないものを持っています。
その異物こと、運命を変えることにつながる可能性があります。
あなたにとって未知の世界。
まだ理解できていない価値観ということです。
そこにはあなたにとって、視野を広げる可能性を秘めています。
「つまらない」と思っても、話は余計につまらなくなるだけ。
「嫌だ。嫌いだ」と思うと、ますます抵抗感が強くなります。
頭を柔らかくする運動のつもりで、興味を持ちながら話だけは聞いておきましょう。
いやいやした気持ちでもいい。
自分にないものを探すつもりで話を聞けば、だんだん抵抗感が小さくなり、興味も出てきます。
話を聞くことに、お金がかかるわけでもありません。
にこにこしながら話は聞いておくほうがいい。
にこにこしているほうが、ストレスが感じにくくなるだけでなく、興味も出やすくなります。
見方を変えれば、そりの合わない人は、無料であなたのために貴重な話をしてくれています。
興味のない話やつまらない話こそ大事。
その話の中に、あなたにとって未知の世界が広がっています。
ありがたい気持ちで受け入れようではありませんか。
興味のない話やつまらない話ほど、あなたにとって運命を変える話がある可能性があります。
人の目を気にしていると、あやつり人形のようになります。
社会的体裁、世間体、見栄を考えていると、型にはまった考えや行動しかできなくなります。
「~しなければならない」という、硬い考えと行動しかできなくなるのです。
「高学歴でなければならない」
「高収入でなければならない」
「かっこよくならなければならない」
決まりきった発想しかできません。
本当の自分を見失い、あやつり人形のように、他人に操られます。
本当の現実に気づきましょう。
もし収入がよくても、自分の大嫌いな仕事なら、心が豊かな状態とは言えません。
毎日が苦痛の連続で、仕方ないことでしょう。
それどころか、仕事を続ける精神力がもたなくなり、辞めてしまうのも時間の問題です。
また高学歴でも、将来自分のやりたいことを見つけることができなければ、宝の持ち腐れです。
本来、やりたいことがあって、そのために勉強をするのです。
ただやみくもに勉強をして高学歴になっても「行き先」を知らなければ、使う目的のない道具です。
かっこよさが、必ずしも正しいとは限りません。
ブランドを身に着ければ、もちろんかっこよくなります。
しかし、自分がそういう身なりをしているから、そうした友人ばかりがあなたに近づいてくるでしょう。
「類は友を呼ぶ」といいますが、個性を無視した身なり格好は、自分に合わない人たちがあなたに近づいてきます。
本当の友人をつくりたければ、初めから素の自分を正直に出したほうが、自分に合った人間関係をつくれます。
他人の心を気にしすぎると、いつの間にか自分の心が空っぽになります。
本当に大切なことは「他人の心」より「自分の心」です。
自分が本当に心から「楽しい、嬉しい、喜びだ」と感じることを基準に、仕事や勉強を選んでいきます。
そのほうが、必ずハートは生き生きします。
笑顔が増えて、精神的に元気になり、毎日が楽しくなります。
運命を変える力は、自分の外にはありません。
内側にあるのです。
自分のハートに注目して、どんなことに「楽しさ、嬉しさ、喜び」を感じるのかを見ていきます。
ハートが生き生きすることを、人の目を気にせず、していくのです。
運命は、そこから変わります。
人間は、ほかの動物とは違い、感動ができます。
感動は「心が感じて、動く」ということです。
感動といえば「嬉しい出来事があったとき」というイメージが強いのですが、必ずしもそれだけとは限りません。
すべて、心が感じて動くことなのですから、感動です。
この感動をどれだけたくさん人生の中で増やしていくかが大切です。
感動した瞬間に、人は生まれ変わるからです。
たとえば、悲しい映画を見て泣いたとき、深く心の底にまで感動が伝わります。
その感動は一瞬でもずっと残り、いつの間にか実生活で生かされることになります。
悲しいだけではなく、叱られたときもです。
私は小学6年生のころに、作文の書き方で先生に叱られたことがあります。
当時の私は、批判を中心とした書き方でしたが、その作文を読んだ先生がひどく激怒したことがありました。
「批判の多い文章は読者を不快にさせる」と、先生に叱られたことを今でもはっきり覚えています。
しかし、そのおかげで私は変わりました。
批判の文章を書くと、先生がこれほどまで怒るくらいに不快な気持ちにさせるものなのかと、感動してわかったからです。
「もう批判する文章を書くのはやめよう」
心からそう思いました。
本当に心が感動したとき「変わろう!」と思います。
思うというより、心がそう変わってしまいます。
喜怒哀楽は、すべてが感動です。
心が動くにつれて心も変わり、行動も変わります。
行動の大本は、心です。
心が先にあって、次に行動します。
その心が感動すればどうなるのでしょう。
感動する出来事は心が激しく動くのですから、同時に行動も動き始めます。
感動する出来事は、自分の本質を変え、行動を変え、運命を変える力があるのです。
漢字は、そもそも象形文字です。
「人」という字は、人がお互いに寄り添っている姿(||→人)からできた字といわれています。
これはどういう意味かというと「頼る、頼られる」という関係を意味しています。
「人は1人では生きていけない」という言葉があります。
頼っているだけでも生きていけない。
頼られているだけでも生きていけない。
「頼って、頼られるようになりましょう」という意味です。
自分に自信のない人は、頼ってばかりいます。
しかし、頼ってばかりでは、人に迷惑をかけるばかりになります。
また強がりの人は、頼られる人になろうとします。
人に頼ることを嫌がり、頼られるような人間になろうとします。
たしかにそれは素晴らしいですが、ちょっときれいすぎます。
どんな人でもできないことはあるもので、生きていくためには誰かに頼る必要があります。
それは「人」という字です。
「頼り、頼られる関係が『人』としての理想ですよ」という先人からの教えが込められています。
頼ってもいいのです。
しかし、同時に頼られるような人になりましょう。
自分が得意なことを伸ばして頼られるようになり、自分にできないことは人に頼る生き方をすればいい。
人は、1人では生きていけないのですから。
失敗する人のパターンは、いつも「ハイリスク・ハイリターン」です。
リスクの大きいことをして、大きなことを得ようとします。
元手がかかることをして、高い利益を得ようとします。
「ハイリターン」というのはいいのですが、元手がかかるというところが問題です。
うまくいけばいいのですが、うまくいかなかったときは大変です。
金銭的なダメージのみならず、かかった時間まで捨てることになります。
これを「ギャンブル」といいます。
ギャンブルは「ハイリスク・ハイリターン」です。
「何も考えずにハイリスクに挑戦することがかっこいい」と思っています。
宣伝する人も「大きな賭けをする人は、人としてかっこいい」という甘い言葉で、人を誘います。
引っかかった人が、ハイリスクの勝負をして、大きな失敗をしてしまいます。
たしかに勝負をするべき場面は、人生ではあるものです。
しかし、本当に大切な場面に限った話です。
いつも「ハイリスク・ハイリターン」では、得られることより失うことのほうが多くなるのは、冷静になればわかることです。
成功する人は、少し違います。
「ローリスク・ハイリターン」を心がけます。
経営のうまい社長は、元手がかからず利益率の高い仕事をします。
元手がかからなければ、それだけ始めやすく、もし失敗しても取り返しがつきます。
たとえば、リサイクルショップを経営する会社では、いらなくなった物品を買い取るのではなく、ごみ箱から拾ってきます。
ごみ箱に落ちているものを拾うなら、元手は一切かかりません。
それをきれいに磨いて店頭に出し、見事に売れれば、無から有を生み出したことになります。
元手がかからず、利益率が高いのです。
出ていくお金を少なくして、入ってくるお金を増やしていく人が、お金持ちになれる人です。
運命を変える人は、運に頼りません。
運に頼らないから運命を、自分の力で変えていけます。
運を頼りにしていると「待っていること」が基本姿勢になっています。
「運がよければやろう。タイミングがよければしてみよう」という偶然を期待して、行動はしません。
日頃から準備も何もしていない人に、いざチャンスが巡ってきたところで、しっかり運を生かすことができるでしょうか。
普段から運に頼っていると怠け者になり、チャンスが巡ってきても、慌てるばかりで十分に生かすことができません。
本当に運を生かせる人は、一生懸命になっている人です。
決して運を中心に頼りにしているわけではなく、基本的に自分の力で前へと進みます。
そうしていくうちに、またまた運の良いことが起こります。
普段から一生懸命になっていますから、運もしっかりつかむことができ、生かせます。
一生懸命になっていないと、運がきても生かすことができません。
まず一生懸命にならないと、本当の運はやってこないのです。
ライバルを敵と考える人は、成功できません。
いつも相手のことを嫌い、憎み、疲れやすくなります。
いらいらが当たり前になります。
つらいのは自分だけで、いいことは何もありません。
相手を蹴落とすことにエネルギーを使ってしまい、肝心の仕事へのパワーが衰えてしまうからです。
成功できる人は、ライバルをよきパートナーと考えます。
自分を高めてくれる「競争相手」であり、共に夢を目指す「友人」と考えます。
決して比べるのではなく、あくまでも「パートナー」です。
相手のおかげで自分も一生懸命になれていることに感謝して、時には助け合います。
成功者は、1人でなければならないというルールはありません。
3人でも10人でも100人でもいいのです。
お互いに成功してこそ、本当の成功です。
ゆえに、ライバルをよきパートナーとして考え、一緒に成功しようと考えるのです。
新しいアルバイトを始めたとき「これを読んで」とはじめにルールが箇条書きにされた本を手渡されます。
いわゆる「マニュアル」です。
マニュアルを渡され、仕事をするうえでの、ルールを学びます。
新しいアルバイトを始めると、まず仕事を覚えなければなりません。
仕事には「こういうときにはこうしなければならない」というルールが、たくさんあります。
そういう統一されたルールがあるから、教育がしやすくなり、ある程度の品質を保てます。
しかし、読めば読むほど、ロボットのような動きになります。
決まりきった動きしかできなくなるということです。
ルールや決まりは、いわばプログラムです。
プログラムどおりの動きしかできないのでは、可能性を広げることはできません。
アルバイトでは大切なマニュアルも、人生までマニュアルどおりに動くというのはいけません。
運命を変える力は、マニュアルを破り、自分でマニュアルをつくるときにあります。
運命はあらかじめ敷かれたレールの上にあるのではなく、自分からレールを敷くものです。
マニュアルは、自分でつくってこそ、運命を変えることができるのです。
あなたが自分の運命を変えると同時に、人の運命も変えていけます。
自分の好きなことに夢中になり、一生懸命になっていると、熱いオーラが出てきます。
その熱いオーラがほかの人にも伝わり、他人まで熱くさせることができます。
自分が熱くなることは、同時に他人を熱くさせることにつながります。
私は自分が好きで文章を書いていると、お客さまから「やる気が出てきました」というお便りをよくいただきます。
私はお便りをもらうために文章を書いてはいませんが、自分が熱くなることで、他人まで熱くさせることができているようです。
まず自分が好きなことをして熱くなれば、その熱いオーラは他人にも必ず伝わります。
私も、ほかの作家の本をよく読んで、熱いオーラをいただいています。
やる気になって文章を書いていると、読者にもその熱が伝わるものです。
熱い文章は、読者までも熱くさせ、やる気にさせてしまいます。
そのオーラを伝染させていくことが、自分の運命を変えることであり、他人の運命までも変えていくことです。