今回は「宿命」というテーマについてお話ししたいと思います。
さっそく宿命についてお話をしたいところですが、まず宿命の前に「宿命と運命の違い」から話をさせてください。
宿命と運命の区別を最初にしておかなければ、これからの話の理解は難しくなります。
宿命は、生まれたときから、すでに決まっています。
あとから変えようと思っても、変えられません。
自分の力では決められないし、変えることができません。
あなたが仕事や恋愛において成功するためには、まず自分の宿命を大好きになることです。
否定するのではなく、肯定します。
大嫌いになるのではなく、大好きになります。
どうしても受け入れられない宿命があります。
・両親がいない事実
・離婚をしているという現実
突然ですが、わたくしごとを、1つ紹介します。
衝撃的な内容になりますが、お許しください。
私の祖父は、飛び降り自殺により、この世を去りました。
私には、そもそも「せっかち」という性格があります。
特別な理由があって意識をしているわけではなく、幼いころからの当たり前の性格です。
生まれつきなのです。
宿命は、変えられません。
これは言い換えれば「安定している」ということです。
自分で変えようと思っても変えられません。
私は生まれつきのくせ毛です。
もともと、私の母方のおばあちゃんがくせ毛だったので、その遺伝ではないかと思います。
気になり始めたのは、中学1年生のころからです。
花のタネには、誕生したその瞬間から、なるであろう将来の姿があらかじめ決められています。
バラのタネは、バラの花を咲かせます。
生まれつき、濃厚な香りを出すように成長することが、すでにもともとあります。
性格は、強い土台です。
親からの影響を受けたもの、友人やテレビからの影響を受けたものなどがあります。
しかし、一般的に性格は「遺伝的によるものが大きい」と言われます。
あらゆる宿命は、そもそも変えようがありません。
・人であること
・日本人であること
パズルのピースには、出っ張っている部分とへこんでいる部分があります。
ピース1つだけに注目すると、アンバランスですね。
なぜこんな不自然な形をしているのだろうと思います。
宿命は、言い換えれば「お守り」と言えます。
「え? お守りって、あのお守りのこと」
はい、そうです。
犬が、なぜ犬として生まれたかは、誰にもわかりません。
犬より、大脳が発達し、科学技術も進歩している人間にすらわかりません。
当然、犬ですら、なぜ自分が犬なのか、犬として生まれてきたのかはわかりません。
猫が猫として生まれてきたとき「自分は猫として生きるのだな」とわかります。
チューリップがチューリップとして生まれたとき「自分はチューリップとして生きるのだな」とわかります。
自分がどう生きるべきかは、自分の姿形、環境、状態などを見れば、おのずから見えてきます。
ダイヤモンドがなぜあれほど、きらきら輝いているのかというと、たくさんの傷がついているからです。
表面を顕微鏡で見ると、たくさんのカットにより、傷がつき、その傷により光を美しく反射します。
ダイヤモンドが丸くてつるつるしていると、水晶玉のように光の反射も鈍くなります。
美しさのポイントは、傷です。
ダイヤモンドは傷があるからこそ、光を美しく反射できるようになります。
傷のついている宿命は、輝くダイヤモンドの原石です。
生まれつきの不自由を持つことは「幸せに気づくセンサー」を持つことです。
もちろん五体満足の人にもセンサーはありますが、鈍感になっています。
当たり前にあることは、当然のことと思ってしまい、感謝を忘れ、日常で通りすぎてしまいます。
「この車、素晴らしいですね」
車を褒めれば、車だけでなく、作った人たちも同時に褒めたことになります。
素晴らしい車があるのは、素晴らしい人たちが素晴らしい技術で作った証拠です。
一度挑戦してできなかっただけで「できません。無理です。不可能です」という報告をする人がいます。
私は「できません」という返事は、この世の中、あり得ないと思っています。
一度挑戦してできなかったことは、もう一度挑戦すればいいだけです。
宿命の一部は、父と母から受け継がれます。
父と母が太っていると、生まれる子も太りやすいという統計があります。
視力の悪い親の間に生まれた子も、視力が悪くなりやすくなります。
重い病気を患っている子どもが、感じることや生きることの素晴らしさを文章につづり、多くの人の共感や感動を呼ぶことがあります。
生きている時間は、ほんの数年です。
しかし、その生きている間に、多くのことを成し遂げれば、短い一生であろうと、濃い人生だったと言えます。
すべての人に共通していることは、完全な人間などいないということです。
つまり「みんな、中途半端な人間」ということです。
世界に80億人以上の人がいれば、1人くらいは神に匹敵する全知全能の人間がいてもおかしくありませんが、1人もいません。
すべての人間は、みんな、中途半端です。
いえ、人間だけではありません。
動物や植物をはじめ、すべての存在が、中途半端です。
世の中にはたくさんの先生、手本が存在します。
学校の先生、校長先生、社長、モデル、有名人など、多くの人が手本にする立場に立っている人がいます。
しかし、気をつけておきたいことは、手本として立っている人が、必ずしも愛を学べていると言うわけではないということです。
時計の振り子は、右へ左へと揺れ動きます。
振り子は大きく右へ振れるほど、次は左へと大きく揺れ動くことができます。
「元に戻ろうとする力」が働いているためです。
あなたが、電車に乗ろうと急いでホームへ向かっていると、ピピピと電車のドアが閉まる音がしました。
「時間がない。早く乗らなきゃ!」
走る勢いのままに電車に乗って、なんとかぎりぎり間に合い、ほっと一息をついていたときのことです。
たくさんの仕事、勉強、子育てなど、しなければいけないことに追われていると、自分を見失ってしまうときがあります。
「これではいけない」と思いながらも、どうしていいのかわかりません。
なぜわからないのかというと、走りながら考えているからです。
自然の成り行きは、チャンスです。
自分がこうしようと思わなくても、力がすでに働いているということは、神様からの「その道に進みなさい」という啓示です。
「思う成り行き」から「思いもしない成り行き」にスイッチしましょう。
「なぜ人は死ぬのですか」
こういう究極的な質問をする人がいます。
難しい質問に思えますが、シンプルに考えれば当然のことです。
今回は「宿命」というテーマについてお話ししたいと思います。
さっそく宿命についてお話をしたいところですが、まず宿命の前に「宿命と運命の違い」から話をさせてください。
宿命と運命の区別を最初にしておかなければ、これからの話の理解は難しくなります。
まず運命とは「運ぶ命」と書きます。
「自分で運べる命」ということです。
自分で運べる命と書くだけあって、運命は生まれた後に変えることができます。
運命を変えるということは、誰でもいつでもできることです。
自分の努力、頑張り、挑戦、選択しだいの話です。
自分のハンドルに、未来が委ねられます。
しかし、その一方で「宿命」があります。
宿命とは「宿る命」と書きます。
「自分に宿る命」ということです。
変えることができないということです。
自分の内側にそもそも宿っていることですから、あとから変えることはできません。
まず、このポイントをしっかり押さえておきましょう。
「宿命は変えられない」のです。
この事実をまず受け止めることから始めましょう。
宿命を変えようとする努力やパワーがあれば、宿命に従う道のほうが素直です。
スムーズに話が進み、あなたの未来を後押しすることでしょう。
どんなに受け入れたくない宿命でも、とにかく受け入れなければならないことなのです。
宿命は、生まれたときから、すでに決まっています。
あとから変えようと思っても、変えられません。
自分の力では決められないし、変えることができません。
変更のできない宿命なのですから、真正面から向き合っていかないといけないのです。
向き合ってこそ、そもそも自分に内在する特徴を最大限に生かせるようになります。
しかし、変えようもないことを否定している人がいます。
「私は、自分の両親が嫌いだ」
「自分の生まれたところは、田舎だから嫌い」
「アメリカ人として生まれたかったな」
こうしたことを言っても、仕方ないのです。
いくら嘆いて愚痴を言っても、どうしようもありません。
宿命に関しては、選択肢はありません。
もう決まっていることなのです。
大好きになってしまえばいい。
自分の好き嫌いを一切捨てて、すべて、まるごと受け入れてしまいます。
「私は自分の両親が大好きだ」
「生まれた土地に感謝」
「日本人として生まれて良かった」
宿命は、あなたの原点です。
土台であり、基本です。
そうした土台をしっかり固めてこそ、大きなピラミッドがつくれるようになります。
宿命を否定する人は、人生で失敗します。
土台を否定して、どう大きなピラミッドをつくることができるのでしょうか。
宿命を肯定して、受け入れ、強固にさせてこそ、大きなピラミッドを組み立てていけます。
「人生では基本が大切だ」と言われますが、基本とはまさに「宿命」のことを言います。
自分の宿命をありのまま受け入れて、大好きになってこそ、次のステップが踏めるのです。
あなたが仕事や恋愛において成功するためには、まず自分の宿命を大好きになることです。
否定するのではなく、肯定します。
大嫌いになるのではなく、大好きになります。
変えられない、生まれつき決まっている宿命を最大限に生かします。
この宿命を「自分の味」として生かす人が、幸せになれます。
私は愛媛県の田舎生まれで、男であり、妹1人の家庭環境があります。
あとから変えようがないのですから、こうしたことと向き合って生きています。
今、私は自分の宿命を、人生のあらゆるところで「自分味」として生かしています。
正直なところ、向き合うしかないので、嫌いだと口にする子どもじみたことはやめて、いいところを見つけるようにしています。
宿命は、何であろうと、どんと受け入れています。
「実家は愛媛なんですよ」と自分の故郷をネタにして、よく話を始めます。
「ミカンで有名なんですよ。愛媛の松山は道後温泉で有名なんですよ」
自分の故郷をテーマにすれば、会話量も自然に増えます。
田舎生まれだからこそ、自然の良いところを感じ取ります。
自分の名前を好きになり、名字にはどんな意味があるのだろうと調べたりします。
「私の父はいつも厳しい人で」と言えば、厳しい父親を持ったほかの人と話が合ったりします。
また生まれた土地だけでなく、男であること、自分の父と母から教わったこと、家庭環境をそのまま受け入れます。
受け入れてしまえば、本を書くときのネタにもできます。
誰でもそうですが、自分の親の気に入らないところが、1つはあるものです。
それどころか離婚や他界などの事情で、親がいない人さえいます。
どんな環境であろうと変えようがないのですから、まず受け入れるのです。
受け入れてから「さて、自分のこの宿命から何を学べるか、生かせるか」と前向きに考えます。
前向きに生かすためには、まず真正面から向き合うことが必要です。
宿命と向き合うことで、尊敬できるところは手本にして、嫌な部分は反面教師とします。
「学び」を見つけることができ「成長」に変えることができます。
ありのままの宿命を、まず一度受け入れてこそ、できることなのです。
「嫌いだ、嫌だ」というのは、簡単です。
しかし、それだけで終わってしまいます。
「嫌い嫌い」と言っているうちに、何も学びや成長もなく、そうしているうちに人生が終わってしまいます。
せっかく生まれつきの宿命があるのですから、どんな宿命であろうと、自分の持ち味として生かしてしまえばいいのです。
「嫌だ、嫌いだ」といった子どもじみた愚痴を言うのはやめましょう。
どうしても受け入れられない宿命があります。
宿命は受け入れるしかないとわかっているものの、受け入れられない事実があります。
どうしても前向きに受け入れられない宿命は、どうすればいいのでしょうか。
反面教師として受け入れればいいのです。
反面教師として受け入れれば、宿命を受け入れたことになります。
「自分はこうならないようにしよう」と反面教師として考えたとき、宿命を前向きに受け入れたことになります。
少なからず考え方が前向きになります。
「つらい痛みを教えてくれてありがとう。おかげで人を苦しめることがどんなにつらいか、よくわかった」
そう思うことができます。
自分の父親がいつもお酒を飲んでは家族に暴力を振るっている環境で育った人が、逆にお酒を飲まない人生を歩むことがあります。
酔って暴力を振るっている父を見て「こんな父にはならないぞ」と反面教師により、お酒の怖さ、むなしさを実体験から知ります。
お酒を飲みすぎるとどうなるのかを、父親は教えてくれたと考えれば、大切なことを教えてくれたと考えることができます。
虐待をする親に関してもそうです。
子どもを叩いたり殴ったりする親がいれば、子どもはどんな気持ちになるのかを知ることができます。
そういう経験をしたことがない人しかわからなければ、その経験は自分の持ち味になります。
人に優しくできます。
親がいない人は、親のいない子どもはどれだけ寂しい思いをするのかを、自分の身をもって知ることができます。
苦しさ、悲しさ、つらさを、ほかの人より知ることができます。
両親がいる人にはわからない気持ちを知っているがゆえに、その後、献身的な生き方ができるようになります。
どうしてもマイナスとしか思えない事実は、受け入れたくはありません。
しかし、反面教師として受け入れればいいのです。
反面にするのですから、大きなマイナスほど、大きなプラスになります。
ひっくり返すと言うことです。
ちょうどオセロの黒がひっくり返って、白へと変わるようなイメージです。
真っ黒なオセロほど、裏は真っ白のはずです。
突然ですが、わたくしごとを、1つ紹介します。
衝撃的な内容になりますが、お許しください。
私の祖父は、飛び降り自殺により、この世を去りました。
実際として、苦しみを耐えられなくなって飛び降りた状態です。
その耐えられない我慢とは「肺気腫」という病でした。
肺の酸素を取り入れる機能が正常に働かなくなる病気です。
もちろん正常に働かなくなる理由があります。
それが、タバコでした。
祖父は、若いときからタバコを吸っていたそうです。
長年のタバコの習慣がたたり、70歳ごろに肺の機能が低下します。
タバコを吸いすぎたため、肺の肺胞の機能が低下してしまい、いくら呼吸をしても酸素を取り込めない状態になりました。
そのため、マラソンで走っているときのように、いつも一生懸命に呼吸をしている状態でした。
走っていないにもかかわらず、呼吸が荒く、息苦しそうでした。
孫から見て、本当につらそうで、目を当てられない現実でした。
生き地獄のようにも見えた。
その結果、日頃から祖父は「もう死にたい」とよく言うようになりました。
私が高校1年生のころです。
私の誕生日の7月7日を迎え、その日に家族で病院にお見舞いに行きました。
そのとき祖父は、私にこう言いました。
「『貴博の誕生日までは』と思って頑張ったぞ」
その言葉は「孫の誕生日まで頑張ったから、もういつ死んでもいい」というニュアンスにも聞こえました。
4日後、本当に亡くなりました。
病院から飛び降りて。
学校へ行こうとしていた早朝、病院から電話がかかってきます。
無言で父が私を引っ張って、車で病院へ向かいます。
入院をしていた部屋は病院の5階なのですが、いつもいるはずの部屋に祖父がいません。
「あれ、どうしたんだろう」
祖父が病を崩して、その看病や様態のために、急いで病院に向かったものだと思っていました。
私はまだ現実を把握できていなかったのですが、次に連れて行かれた場所でわかりました。
病院脇の、血痕が残る道路。
生々しい血がついた道路を見て「祖父は飛び降り自殺をして死んだ」と、ようやく状況を理解しました。
父も母も医者も、それを口にはしませんが、十分わかる雰囲気が漂っていました。
葬式を終え、変化があったのは、まず父です。
父も、ヘビースモーカーだったのですが、完全にタバコをやめるようになりました。
自分の親がタバコの吸いすぎにより、飛び降りて死んだという悲惨な現実を見て、吸わなくなったのです。
そんな祖父と父を見て育った私は、完全にタバコと無縁になっています。
私は祖父の現実を反面教師として受け入れ、タバコを吸わなくなりました。
もともとタバコに興味がないことに加え、祖父の様子を見て、私もタバコで苦しみたくないからです。
もう終わってしまったのですから受け入れるしかなく、生かすしかありません。
思い出したくない過去ですが、いまだにときどき思い出します。
タバコは体によくない事実を、祖父は身をもって教えてくれました。
私には、そもそも「せっかち」という性格があります。
特別な理由があって意識をしているわけではなく、幼いころからの当たり前の性格です。
生まれつきなのです。
「せっかち」の別の表現は、たくさんあります。
「待ちきれない性格」
「行動が素早い」
「落ち着きがない」
「早とちり」
「スピードがある」
言葉とは面白いもので、言い方を変えるだけで、受ける印象ががらりと変わります。
良い言葉に聞こえたり、悪い言葉にも聞こえたりと、不思議ですね。
しかし、変わるのは言い方だけではなく、受け止め方も同じです。
受け止め方を変えることで、長所にもでき、短所にもできます。
大切なことは、受け止め方です。
生まれたときの、ありのままの性格というものがあります。
どのような性格であろうと、善しあしを決めるのは、使い方しだい、活用しだい、受け止め方しだいです。
前向きに生かせば、自分の長所にできます。
しかし、嫌いだと否定すれば、短所になります。
私は、昔よくテストで回答を急いだばかりに、簡単な問題にミスをしてしまうことがありました。
父からは「早とちり」とよく叱られていました。
そのため「せっかちな性格はいけないことなんだ」という認識がありました。
しかし、一方で「行動が早い」と褒めてくれる人もいます。
そういう言葉を聞くと「せっかちな性格はいいことなんだ」と思います。
どっちが本当に正しいのかと思ったとき、どちらも正しいのです。
どちらも答えになるなら、自分にとってプラスになるほうを選んで、積極的に活用したいと思いました。
そこで私は「せっかち」を前向きに受け止め、仕事や勉強に生かすようになりました。
自分の生まれつきの性格を受け入れて、生かすのです。
私はいつも文章を高速で書いていますが、もともとある性格を生かして書いています。
「書くのが速いですね」と言われますが、私はまったく普通のペースです。
自分の性格をただ前向きに生かしたとき、武器になり、強みになります。
宿命は、変えようとするのではありません。
そのありのままを生かそうとすればいい。
初めからあるのですから、努力をして身につける必要がありません。
ある人は意識して速さを心がけていることを、私は最初から手にしています。
つまり、得をしています。
ありのままの自分の性格は、否定するのではなく、肯定したほうがいいのです。
宿命は、変えられません。
これは言い換えれば「安定している」ということです。
自分で変えようと思っても変えられません。
ほかの人から奪われることや変化させられることもできません。
まさに安定そのものです。
あなたの遺伝子、家、両親、家族構成、性別、国籍、生まれつきの性格は、自分でも他人ですら変えられないことです。
自分の実家が田舎なら、宿命として喜んで受け入れるのです。
「田舎に住みたい」「自然の中で暮らしたい」という人がいる中で、生まれつき手にしているのですから、贅沢と言えます。
都会育ちの人が、田舎で生活するためには、大金を出して土地を買い、家を建て、引っ越しをするなど、お金がかかります。
お金がかかることを、初めから無償で何の努力もなく手にしているのです。
なんて恵まれているのでしょう!
私はもともとせっかちであるため、スピードが速いのですが、ほかの人からときおりうらやましがられることがあります。
私は練習をしたわけでも、なりたくてそうなっているわけではないので、普通なのです。
生まれつきです。
しかし、世の中には、練習をしても、なろうとしてもできない人もいます。
神経質でも、おっとりした性格でも、怒りっぽい性格でも、もともと最初からある自分の性格は、何の努力もなく手にしています。
初めからある自分の性格は、何であろうと、恵まれています。
また生まれつきの性格ですから、安定しています。
他人に奪われることがなく、自分ですら、変えようとしても変えられません。
宿命は、安定しているのです。
会社はいつ倒産するのかと不安になりますが、これらの宿命はいつ変わってしまうのだろうかと心配する必要がありません。
自分の土台、基本、基礎として、大いに活用していけばいいのです。
あなたの今の変えられない宿命を、安定した存在として頼りにすればいい。
お守り以上に、頼りになります。
怒りっぽい人は怒りっぽいことを生かします。
神経質な人は神経質を生かします。
使い方、生かし方しだいです。
ほかの人が練習をしてなろうとしてもできないことを、最初からできるのですから、恵まれているのです。
私は生まれつきのくせ毛です。
もともと、私の母方のおばあちゃんがくせ毛だったので、その遺伝ではないかと思います。
気になり始めたのは、中学1年生のころからです。
思春期になると、自分の身なりを気にし始めるようになり、このくせ毛がいちばんの悩みのタネになりました。
「このくせ毛さえなければ……」
私はいつも悩んでいました。
中学2年生のときに、ある先輩からの話で、髪をストレートに伸ばす「ストレートパーマ」なるものがあることを知ります。
飛びつくようにして、試した記憶があります。
くせ毛の人には、まっすぐ伸びた髪の毛は、強い憧れです。
1回のストレートパーマでは、1万円から2万円ほどします。
中学生の私にとって、安いとはいえない値段です。
当時の私は、それくらいのお金を出してでもいいから、自分のくせ毛をなんとかしたかった。
とにかくどうしてもなんとかしたかった。
自分の生まれつきのくせ毛が、本当に嫌でたまらなかった。
パーマをあてると、たしかにピーンとストレートに伸びてしまいます。
しかし、新しく生えてくる髪は、やはりまたくせ毛です。
ある程度、髪が伸びては、またストレートパーマをあて、伸びてはさらにまたあてるという繰り返しです。
パーマ代は、かなりの出費になっていました。
私がストレートパーマをあてる前の中学1年生のころです。
家族と一緒に、焼き肉屋で夕ご飯を食べていたときのことです。
ふと、焼き肉屋のおじさんから、意外な言葉を言われたことがあります。
「兄ちゃん、すごいくせ毛やなあ。パーマ代が浮くなあ」
その店員さんは、自分の好き好みでパンチパーマをあてていました。
私の髪の毛とそっくりです。
生まれつきパンチパーマをあてているような私のくせ毛を、本当にうらやましがっていました。
私は、そんなことはおかまいなしに「人の気も知らないでよく言うよ。自分はこれに本当に悩まされているんだ」と思っていました。
「節約どころじゃない。ストレートパーマの出費にお金が消えているんだ」
私は、くせ毛を何度恨んだかわかりません。
それから時は経ち、社会人になります。
すると不思議なことが起こります。
自分のくせ毛が気にならなくなり、20代半ばから、ストレートパーマを自然とあてなくなりました。
不思議と思春期が過ぎると、悩みも気にならなくなるものです。
今では、くせ毛を自分の味として生かそうと思い始めました。
変えようと思っても遺伝ですから変えられず、受け入れるしかありません。
社会人になった今、当時の自分を振り返ります。
「パーマ代が浮くなあ」というあの日の言葉に「たしかにそれもそうだな」と今になって思うようになりました。
思春期というのは、自分のちょっとした欠点が、実際以上に大きく見えてしまうものです。
年を取るごとに、不思議と自分のくせ毛が気にならなくなりました。
社会人になって振り返ると、生まれつきの自分のくせ毛は「むしろ得をしているのではないか」と思うようになりました。
くせ毛の人がストレートに憧れストレートパーマをあてるように、ストレートの人はくせ毛に憧れウエーブパーマをあてたりします。
不思議なものですね。
人間は、自分が手にしていることには目を向けず、手にしていないことに憧れを抱くようです。
そのために、無駄な時間やお金をかけてしまいます。
私は手間もなく、ストレートの髪の人が憧れるパーマを無償で手に入れていると思えば、節約になっていることに気づくのです。
「パーマ代が浮くなあ」という、あの日の言葉は、たしかにそのとおりです。
宿命には、逆らえません。
むしろ、その流れに沿って生きるべきだという、あらかじめ決められた道があります。
その道には逆らわず素直に従ったほうが、お金も時間も節約できることを、今になって知るのでした。
花のタネには、誕生したその瞬間から、なるであろう将来の姿があらかじめ決められています。
バラのタネは、バラの花を咲かせます。
生まれつき、濃厚な香りを出すように成長することが、すでにもともとあります。
ヒマワリのタネは、ヒマワリの花を咲かせます。
生まれつき、高く大きく成長するであろうことが、あらかじめインプットされています。
生まれつきある素質は、花の話だけではなく、人間にも当てはまります。
自分の宿命は、すべてそれにあたります。
たとえば「頑張らなくてもできること」です。
バラの花は頑張らなくてもバラの花になれ、ヒマワリの花は頑張らなくてもヒマワリに成長できます。
「なろう!」と思わなくても、自然とそうなってしまいますよね。
あなたにも「頑張らなくてもできること」があるはずです。
「そんなまさか。あるはずがない!」
いいえ、ないとは言わせません。
それはただ気づいていないだけです。
花の咲かないタネはないように、才能のない人間もいません。
自分の才能にまだ気づいていない、出会っていない状態です。
早い時期に自分の才能に気づき、開花させる人もいれば、一生気づかないまま終わってしまう人もいます。
自分の生まれてきた理由、宿命を見つけることで、気づき、生かしていくのです。
性格は、強い土台です。
親からの影響を受けたもの、友人やテレビからの影響を受けたものなどがあります。
しかし、一般的に性格は「遺伝的によるものが大きい」と言われます。
DNAの組み合わせにより、自分の性格がある程度はあらかじめ決められています。
性格を変えようとするのは、古今東西、老若男女の願いですが、なかなかその具体例というのは乏しいものです。
成功例より、失敗例ばかりが目立ちます。
それだけ、もともとある性格を変えようとするのは、難しいことです。
絶対に変えられないとは言いません。
しかし、変えようとする時間やお金があるなら、素直に今の性格に従った生き方をしたほうが、自然です。
自分の性格を悔やみ恨むのではなく、自分の長所、特徴、武器として活用してしまえばいい。
私は今、自分の「せっかち」という性格を最大限に生かして、仕事をしています。
昔は、せっかちによる、単純ミスや失敗をよくしていました。
性格を直そうとした時期もありましたが、やはり、もともとの性格というのは大変強くなかなか直りません。
意識をして直しても、ふとした瞬間、また元に戻ります。
ある日から、性格改善を諦めて、自分の性格を「ありのまま生かそう」と考えました。
「せっかち」だからこそできることを徹底的にして、できないことは代替手段を考えます。
私は今、文章を書くときに、このせっかちな性格を最大限に生かしています。
書くスピードは速いとよく褒められるのですが、こういう人間ですから、私には無理があり、努力も頑張りもありません。
しかし、このせっかちな性格のおかげで、スピードのある文章となり、私独特の文章、文体になっています。
それが結果として、良い作品を生んでいると思っています。
一方でせっかちの短所といえば、単純なミスが多いと言うことです。
誤字脱字は、スピードを出して書いていると、いつの間にか多くなります。
校正は自分でもしますが、読むときもせっかちな性格のため、さっと読んでしまい、自分で間違いが見つけられません。
今は、校正専属の担当をつけています。
自分の欠点を補うために、できる人にしてもらうようにしています。
自分の性格を変えるのではなく、そのまま、ありのままで生かします。
性格による短所は、補うための手段をあとから考えればいいのです。
あらゆる宿命は、そもそも変えようがありません。
これらはそもそも生まれつきのことですから、従うしかありません。
変えようとしても、不可能です。
しかし、人間は「悔やみ、恨んで、変えようとすれば、いずれなんとかなるのでは」と思ってしまい、ずっと悩み続けます。
それでも、やはり変わらないものは変わりません。
宿命は、絶対なのです。
この「変えよう」という発想を、そろそろやめにしませんか。
あらゆる宿命は、変えることができないのですから、むしろ「生かそう」という発想に切り替えます。
自分の持ち味、特徴を武器として、大いに活用する人が、社会で大成を遂げることができます。
花は、自分を変えようとしません。
ありのままの自分を、最大限に生かそうとしています。
ありのままの自分で生きているから、ヒマワリは背が高く大きくなり、元気な姿でたくさんの人々の目を癒やせます。
花のように、ありのままの宿命を変えず隠さず、むしろ公開して、生かし伸ばしていくのです。
本当の自分を生かし伸ばしきったときには、必ずほかの誰かの役に立てます。
初めから努力なしで手に入れている要素なのですから、生まれたときからほかの人よりリードしています。
それは弱みではなく、強みなのです。
「親がいない」
「離婚している」
「ハーフとして生まれてきた」
そうした事実も、否定するのではなく、ありのまま受け入れることです。
むしろ自分の持ち味や特徴を武器として活用します。
見ないのではなく、真正面から向き合う。
なかなかほかの人がしていない経験は、ほかの人よりリードしているということです。
パズルのピースには、出っ張っている部分とへこんでいる部分があります。
ピース1つだけに注目すると、アンバランスですね。
なぜこんな不自然な形をしているのだろうと思います。
あるところは突き出ているのに、あるところはへこんでいるという不自然な形です。
しかし、出っ張っている部分とへこんでいる部分の両方があるから、パズルはピース同士がうまく組み合わせていけます。
結果として、素晴らしい絵が出来上がります。
人間も、また同じです。
1人だけを見ると、突き出ている部分とへこんでいる部分があり、アンバランスです。
何でもできる人はいないように、たいていの人は、何かができて、何かができません。
社会全体、地球全体で見ると、この突き出ている部分とへこんでいる部分が組み合わさって、1つの大きな絵を描いています。
大陸と海は、突き出ている部分とへこんでいる部分の組み合わせです。
自分のもともとあるアンバランスな宿命は、自然な形です。
アンバランスだからこそ、パズルのピースのように、ほかとつながりを持ち、組み合わさっていけます。
男性は、女性を求めます。
女性も、男性を求めます。
男性には出っ張っている男性器があり、女性にはへこんでいる女性器があります。
なぜあんな不自然なものがあるのかというと、組み合わさり、1つになるためです。
出っ張っている部分と、へこんでいる部分があるからこそ、男女は1つになれます。
それが自然の法則、宇宙の法則です。
アンバランスこそ、自然の形なのです。
宿命は、言い換えれば「お守り」と言えます。
「え? お守りって、あのお守りのこと」
はい、そうです。
安心を得るために持つ、あのお守りのことです。
なぜ、宿命がお守りとしての役目を持つことができるのかというと、盗むことができない絶対的な存在だからです。
生まれつき持っている宿命は、他人から奪われることはありません。
自分ですら、取り外したり、変えたりできません。
絶対的な存在なのです。
自分の父と母を、誰かと交換することはできません。
自分の父と母は、変わることができないのですから、安心します。
自分の性格も、誰かと交換したり、捨てたり、取り外したりできません。
一生涯、自分に内在し続けることですから、これほどの財産もないと言えます。
お金は、奪われる心配があるため、いつも心が休まりませんが、宿命は誰からも奪われることがないため安心があります。
ゆえに、お守りとしての効果があります。
「女として生まれてしまった」と思うのではなく「女として生まれて良かった」と安心すればいい。
宿命は、奪われることのない財産なのですから。
男である私は、女になることができません。
性別適合手術という手法も存在しますが、完全なる女性になりきることは不可能です。
どんなに大金を積んでも、時間をかけてもかなうことができませんが、女性は初めから手にしています。
素晴らしい財産です。
奪われることもありません。
これほどのお守りは、ほかにないのです。
犬が、なぜ犬として生まれたかは、誰にもわかりません。
犬より、大脳が発達し、科学技術も進歩している人間にすらわかりません。
当然、犬ですら、なぜ自分が犬なのか、犬として生まれてきたのかはわかりません。
ただわかることは、犬として生まれた瞬間から、犬として生きることが決定されているということです。
変えようがないということです。
タンポポのタネは、なぜタンポポとして生まれたかは、誰にもわかりません。
タンポポにはない、脳を持っている人間にとっても、わかりません。
当然、タンポポですら、なぜ自分がタンポポなのか、タンポポとして生まれてきたのかはわかりません。
ただわかることは、タンポポとして生まれた瞬間から、タンポポとして生きることが決定されていることです。
「その宿命に従うしか道はない」ということです。
人間も同じです。
なぜ人間として生まれたのかは誰にもわかりません。
人間ですら、なぜ自分が人間なのか、人間として生まれてきたのかはわかりません。
ただわかることは、人間として生まれた瞬間から、人間として生きることが決定されていると言うことです。
生まれたときからあらかじめ決められている人種、家族構成、自分の性別、顔形など、なぜそうなのかはわかりません。
ただ犬が犬として生まれた宿命に従い、タンポポがタンポポとして生まれてきた宿命に素直に従って生きています。
人間も人間として生まれてきた宿命に素直に従うことが大切です。
自分の生まれ持っている宿命に誇りを持ち、自信を持って生きることが、天命を全うするということなのです。
猫が猫として生まれてきたとき「自分は猫として生きるのだな」とわかります。
チューリップがチューリップとして生まれたとき「自分はチューリップとして生きるのだな」とわかります。
自分がどう生きるべきかは、自分の姿形、環境、状態などを見れば、おのずから見えてきます。
生まれつき、目が見えない人がいます。
目が見えないことは不便ですが、耳や肌の感覚が人一倍敏感になります。
普通の人が気づかないような音や感覚を察知できます。
自分の知らないところで、生き方そのものが、同じ境遇の人にとって、手本や励ましになるでしょう。
目も耳も口も不便なヘレン・ケラーは、生き方を全うすることで、同じ境遇の人たちに生きる勇気を与えました。
目も耳も口も不便な状態で、どう生きるのだろうかと、想像を絶する世界です。
しかし、実際にヘレン・ケラーは、アメリカでも名門のハーバード大学を卒業し、障害を持った人たちの支援に力を尽くしました。
目も耳も口も不便な状態であることは、そのように生きるしかありません。
そういう事実があるのですから、素直に受け止めて、自分の持っている素質で人生を全うするのです。
そうしたとき、ヘレンのように大業を成し遂げ、多くの人へ影響を与えることができるようになります。
生まれつきの宿命を、否定したい気持ちもあるでしょう。
ほかの人より、貧乏であったり、身長が低かったり、障害を持っていたり、両親が他界したりとさまざまです。
しかし、どれもありのままを受け止めて「この宿命に従った生き方をすればいいのだ」と悟ります。
素直に自分も宿命に従うのです。
猫が猫として生き、チューリップがチューリップとして生きることが天命を全うすることです。
そうなら、自分の状態が何であろうと、そのありのままで生ききることが天命を全うすることなのです。
ダイヤモンドがなぜあれほど、きらきら輝いているのかというと、たくさんの傷がついているからです。
表面を顕微鏡で見ると、たくさんのカットにより、傷がつき、その傷により光を美しく反射します。
ダイヤモンドが丸くてつるつるしていると、水晶玉のように光の反射も鈍くなります。
しかし、表面にたくさんの傷がついていると、光が通過する際に屈折して乱反射するため、美しく輝きます。
だからこそ、ダイヤモンドは、あれほど美しく輝いています。
美しさのポイントは「傷」だったのです。
傷のついている宿命も、いわばダイヤモンドです。
傷がついているからこそ、輝きます。
光が通過する際に、屈折して乱反射するため、美しく輝くようになります。
「傷」そのものに注目すれば、マイナスにしか見えません。
しかし、全体としてみれば、輝くための素晴らしい傷なのです。
傷を、輝きに変えるのです。
美しさのポイントは、傷です。
ダイヤモンドは傷があるからこそ、光を美しく反射できるようになります。
傷のついている宿命は、輝くダイヤモンドの原石です。
むしろ何の問題もないような宿命は、あとからたくさん傷をつけて輝かなければいけません。
親がいて、お金もあり、顔形に恵まれた人として生まれれば、恵まれた宿命です。
しかし、傷がついていないので、輝きが乏しいのです。
初めが恵まれていますから、努力・根性・継続を忘れ、あとから苦労することになるからです。
傷は、そのままにしているだけでは意味がありません。
傷は、磨くことで輝き始め、魅力に変わります。
世界で大業を成し遂げている人を見ると、傷の多い生い立ちがあります。
親がいなかったり、貧乏だったり、障害を持っている人であったりします。
アメリカ第16代大統領のリンカーンは、とてつもない貧乏人でした。
豊臣秀吉も、貧乏な農民からの出世です。
ヘレン・ケラーは、耳・目・口に障害を持っていました。
しかし、そうしたコンプレックスや弱点など、傷を磨くことで輝き、かえって魅力へと変えていきました。
ほうっておいたり、無視したり、嫌ったりするのではありません。
磨いて魅力へと変えるのです。
傷は、魅力のもとです。
自分の宿命だと思い、生かしきってしまうのです。
生まれつきの不自由を持つことは「幸せに気づくセンサー」を持つことです。
もちろん五体満足の人にもセンサーはありますが、鈍感になっています。
当たり前にあることは、当然のことと思ってしまい、感謝を忘れ、日常で通りすぎてしまいます。
しかし、不自由さを持っていると「嬉しいな」と素直にそう思います。
足のない人は、足がないだけに、歩くことや走ることに喜びを感じます。
すでに足のあるあなたは「はあ、そうですか」と思っていることでしょう。
それです。
それが幸せのセンサーが鈍感になっているということです。
これは一例にすぎず、実はすでにたくさんの幸せに囲まれているということに気づくことが大切です。
「すでに自分は幸せになっているのだ」という事実に気づきましょう。
すべてが喜びであり、感謝であり、幸せなのです。
幸せは手に入れていなくても、すでに手に入れているということに気づくことが、幸せになるコツです。
戻ると言ってもいいでしょう。
すでにあるのですから、後は気づくだけでいい。
センサーが敏感になれば、今まで見えなく感じなかったことが、見えて感じ取れるようになります。
それが幸せになるということなのです。
「この車、素晴らしいですね」
車を褒めれば、車だけでなく、作った人たちも同時に褒めたことになります。
素晴らしい車があるのは、素晴らしい人たちが素晴らしい技術で作った証拠です。
車を褒めたとき、車を評価すると同時に、作った人たちまでも評価していることになります。
何か1つを褒めるとき、実は1つだけでなく、同時に2つも3つも褒めることになります。
「私は自分が好きです」と言えば、自分を褒めただけでなく、生んでくれた両親を褒めたことになります。
素晴らしい両親のおかげで、今の自分が存在しています。
しかし、事実はさらに広大になります。
両親のおかげだけで、自分が存在しているわけではありません。
その両親を生んでくれたご先祖様。
ご先祖様を生んだ地球。
さらに地球を生んだ宇宙。
すべてに対し、感謝をすることになります。
自分を肯定することは、生んでくれた人たちすべてを肯定して、感謝することになります。
謙虚が好きな日本人が、ときどき「私なんてダメな人間なんです」と言います。
でも、本当は謙虚ではなく、横柄なのです。
自分を否定したとき、生んでくれた両親を否定し、ご先祖様、地球、宇宙すべてを否定することになります。
自分に対して悪口を言っているだけでなく、自分を生んでくれたすべてに対して悪口を言っています。
「私は自分が好きです」ということが、本当の謙虚です。
生んでくれたすべてに対して感謝し、肯定しているからです。
まず、自分を褒めましょう。
それが本当の謙虚です。
謙虚を、はき違えている人が実に多いのです。
一度挑戦してできなかっただけで「できません。無理です。不可能です」という報告をする人がいます。
私は「できません」という返事は、この世の中、あり得ないと思っています。
一度挑戦してできなかったことは、もう一度挑戦すればいいだけです。
2回、3回と繰り返し、挑戦すればいいだけです。
100回200回と繰り返していけば、いずれ成功するはずです。
おみくじで「大吉」を出すためには、出るまで何度も引けばいいということです。
力作業はどうでしょうか。
もし自分一人の力だけでは無理なら、協力すればいいのです。
1トンの重りを人1人が持ち上げるのは不可能です。
しかし、100人の協力があれば、持ち上げることは可能になります。
時間ではどうでしょうか。
1時間かかる作業を30分で終わらせるためには、2人や3人の協力を得られれば、実現できます。
単純な話ですね。
工夫しだい、努力しだいなのです。
あらためて考えると「本当に不可能なこと」は、世の中にはないように思えます。
今、私たちが持っている携帯電話も、100年前は「そんなことできるわけがない」という笑い話でした。
しかし、今、実現しています。
私は幼少期、テレビを見て、箱の中に人が入っているのだと本気で思っていました。
しかし、実際は、テレビ局から電波を通じて全国へ放送しているのだと、あとから知ります。
この仕組みを知ったときには「とんでもない技術だな」と感心しました。
世の中、できないことなどないのです。
「できないことなどない。そのために工夫や知恵が必要なだけなんだ」という発想に切り替えるのです。
宿命の一部は、父と母から受け継がれます。
父と母が太っていると、生まれる子も太りやすいという統計があります。
視力の悪い親の間に生まれた子も、視力が悪くなりやすくなります。
DNAによる遺伝があるからです。
体質は、遺伝によるものが多いと言われますが、DNAがその正体です。
DNAをすぐ変えようとすると、不自然になります。
それは、バラの花がヒマワリになろうとしているようなものです。
そもそも遺伝子が異なります。
もちろん長い進化の過程において、DNAの構造が少しずつ変化するということはあるでしょう。
しかし、DNAがまったく変わってしまい、バラの花が突然ヒマワリになってしまうことはあり得ません。
バラの花に生まれれば、バラとしての生き方、幸せに専念することです。
それが神様から与えられているプレゼントなのです。
遺伝による後悔は、してもどうしようもありません。
太って生まれてきたことに、落ち込む人がいます。
それは、ほかの人と比べているからです。
世間では、太っていることはよくない印象がありますが、DNAにより太りやすい体質があるのもたしかです。
太って生まれてきたことに落ち込むのではなく、太っているからこそ得られる幸せを考えてみることです。
ここで、誰かと比べてはいけません。
バラの花がヒマワリと比べても、釣り合わないように、太っている人が痩せている人と比べても、そのギャップは埋まりません。
そもそも土俵が違います。
自分だからできること、感じること、経験できることに集中して、見つかれば、どんどん伸ばして生かしていきます。
比べるから、悩みが生まれるのです。
重い病気を患っている子どもが、感じることや生きることの素晴らしさを文章につづり、多くの人の共感や感動を呼ぶことがあります。
生きている時間は、ほんの数年です。
しかし、その生きている間に、多くのことを成し遂げれば、短い一生であろうと、濃い人生だったと言えます。
人生は、ただ長く生きればいいわけではありません。
長く生きていても、人の役にも、社会の役にも立たない生き方では、むなしいことです。
あなたは「自分を生かす」という宿命があります。
植物、動物も含めてすべてです。
なぜ生まれてきたのかというと「誰かの、何かの、役立つため」です。
大げさなことである必要はありません。
自分にできることを精いっぱいの仕事をすることで、誰かの何かの役に立つのです。
それが、生まれている間にする仕事であり、宿命です。
仕事とは「神(天)に仕える事」と書きます。
誰かの役に立つために仕え、そのために生まれてきたわけです。
太陽のように自分が輝き、同時に誰かを明るく照らすためにいるわけです。
生きている間に大切なことは「いかに長く生きるか」ではありません。
「いかに濃く生きるか」です。
たとえ短い一生でもかまいませんから、その命を役立つよう生かすことで、人生も生きてくるのです。
すべての人に共通していることは、完全な人間などいないということです。
つまり「みんな、中途半端な人間」ということです。
世界に80億人以上の人がいれば、1人くらいは神に匹敵する全知全能の人間がいてもおかしくありませんが、1人もいません。
すべての人が中途半端であり、不完全です。
しかし、言い換えれば「生きている間は、誰かを必要とすることは必須である」ということです。
自分の不足していることを、誰かの助けで補わなければなりません。
誰かと協力して結ばれるように、神様は私たちをわざわざ「中途半端」に生み出しました。
中途半端であるゆえに、私たちは1人では生きていけません。
生きているためには、人の助けが必要です。
ゆえに、人の大切さ、愛の大切さ、協力の大切さを学べます。
中途半端なほうがいいのです。
それは、宿題であり、宿題があるおかげで、私たちは鍛えられます。
あなたの中途半端さがあるおかげで、ほかの人を求めるようになり、人間関係の大切さ、愛の大切さを学ぶチャンスになります。
すべての人間は、みんな、中途半端です。
いえ、人間だけではありません。
動物や植物をはじめ、すべての存在が、中途半端です。
この世に存在する、あらゆる森羅万象は、不思議なことにすべてが中途半端な存在であり、不完全です。
何かと何かを足して合わせて、ようやく完全になることができるようになっています。
これはなぜかというと「愛の勉強をするため」です。
男だけでは、子どもを産めません。
女だけでも、子どもを産めません。
男と女の2人が1つになり、初めて子が生まれるように、つくられています。
片方だけでは、中途半端であり、不完全なのです。
それは神様からのメッセージです。
「生きている間にいちばん大切な勉強は、愛ですよ」という意味です。
学校の先生が生徒の宿題を全部してしまえば、生徒は学べません。
ゆえに先生はわざと生徒に宿題を与えて、学んでもらいます。
同じように神様も、自分が宿題をすべてしてしまえば、生徒は学べません。
あなたに学んでもらおうと、わざと中途半端な状態でこの世に送り込みます。
中途半端なあなたは、愛を勉強するために、わざとそうなっています。
神様からの宿題です。
すべての森羅万象は、自己の愛だけでは、まだ不完全です。
地球は太陽を必要とし、太陽も地球を必要とします。
プラスの磁石はマイナスの磁石を求め、マイナスの磁石はプラスを求めます。
おしべはめしべを求め、めしべはおしべを求めます。
すべての存在が引き付け合うという「万有引力」という力があります。
万有引力とは、愛の法則です。
なぜ万有引力という力がこの世に存在するのかというと、これも愛を勉強するためです。
プラスはマイナスを必要とし、マイナスはプラスを必要とするように、男は女を求め、女も男を求めます。
磁石の持つプラスだけの磁力では中途半端であるように、自分の持つ不完全な愛という磁力を補うために、異性を求めます。
自分の中途半端な愛があるゆえに、もう1つの磁力である、異性を求めようとします。
それがあなたのするべきことです。
勉強であり、課題です。
生まれている間に、いちばん学ばなければいけないことなのです。
それを学ぶために、生きている間にはいろいろな現象が起こります。
嬉しいこと、楽しいこと、つらいこと、悲しいこと、怖いこと、恐ろしいこと……。
怒り、悲しみ、苦しみ、努力、根性、忍耐……。
すべてを言い換えれば「愛を学ぶため」です。
生きていることそのものが愛の勉強中です。
本当の勉強は、数学や社会、国語や英語でもありません。
それ以上に根本的な真の勉強は「愛」です。
愛を勉強するために、私たちは生まれ、この世に生かされているのです。
世の中にはたくさんの先生、手本が存在します。
学校の先生、校長先生、社長、モデル、有名人など、多くの人が手本にする立場に立っている人がいます。
しかし、気をつけておきたいことは、手本として立っている人が、必ずしも愛を学べていると言うわけではないということです。
手本という側に立っている人は「学歴」「個性」「お金」を基準に、立てているだけです。
必ずしも、愛を基準にしているわけではありません。
一般的な成功者とは「お金持ち」「社長」「有名人」ということになっています。
まったく愛とは関係ないのです。
しかし、そういう人ほど、多くの人から手本とされる立場に立っている矛盾があります。
意外に知られていないことですが、教育者ほど、息子との仲が悪いことがあります。
誰からも尊敬されるような先生は、息子からも慕われているのかというと、必ずしもそうではありません。
むしろ、そうでない場合のほうが多い。
先生は頭がいいですから、自分の知識や理想を息子に押し付けようとします。
型にはめさせようとする教育には愛がありませんから、子どもは嫌がり、ぐれます。
不良の子どもの親ほど、先生や社長であったりします。
ぐれている息子の親ほど、学校の先生、会社の社長だったりと社会的に認められている地位だったりします。
歌を歌う華やかなシンガーが、夫と離婚してしまうという話はよく耳にします。
ファッション雑誌で、多くの女性から手本とされているモデルが、実は夫との仲が悪く、離婚している場合があります。
本当にこの人は手本となるべき人かと確かめるためには「親子関係に笑顔があるかどうか」を見ればいいのです。
親子関係は、人間関係の原点です。
原点に笑顔があれば、必ずほかの人間関係でもうまくいきます。
師弟関係、友人関係、恋人関係など、うまくいきます。
あなたは、自分の親と笑顔で関係を結べているか、チェックしてみましょう。
親との関係が良い人は、すべて手本です。
親との関係がうまくいっている人は、ほかの人間関係も必ずうまくいきます。
時計の振り子は、右へ左へと揺れ動きます。
振り子は大きく右へ振れるほど、次は左へと大きく揺れ動くことができます。
「元に戻ろうとする力」が働いているためです。
一度真ん中を通過して、その勢いがあまって、次に左へ大きく揺れるということです。
元に戻ろうとする力が、次に反動力へと変わります。
あなたは、生まれたときにマイナスの宿命を背負っているのは、それだけプラスへの反動力を持っているということです。
振り子が傾いているほど、反動で大きく振れるように、パワーへと変換できます。
生まれつきのあなたの宿命は、マイナスであるほど、反動力が備わっています。
その力を、非行へのパワーに使うか、それとも成功へのパワーに使うのかはあなたしだいです。
そこからの未来は、運命です。
あなたの行動、心がけによっていかようにも変えられます。
生まれつきの宿命はありのまま受け止め、反動でパワーに変えればいいだけです。
あなたが、電車に乗ろうと急いでホームへ向かっていると、ピピピと電車のドアが閉まる音がしました。
「時間がない。早く乗らなきゃ!」
走る勢いのままに電車に乗って、なんとかぎりぎり間に合い、ほっと一息をついていたときのことです。
電車が動き始めると、自分が思っていた方向とは逆に電車が走り始めました。
「しまった。電車を間違えた!」
電車を間違えてしまったようです。
電車が動き始めると、次の駅まで止まることも、止めることもできません。
間違えた電車の中で、時間のロスを悔やんでしまいます。
1つのミスで、大きなロスを出してしまいます。
都会の雑踏の中で生きていると、自分に余裕のないときがあります。
時間に余裕がなくなると、つい焦る気持ちが優先になり、特に確認もしないで飛びついてしまうことがあります。
先の電車の例ではありませんが、友人の話に流されたり、話に乗せられたり、テレビ、雑誌の広告に影響されたりなどです。
面接で仕事の話を聞いて、大丈夫だと思い、引き受けます。
ところが実際仕事を始めてみると、思っていた内容とは全然違うことがあります。
しかし、引き受けたからには最後までやるしかありません。
結婚して同じ屋根の下で一緒に暮らし始めると、想像していた人とは異なることがあります。
私生活まで一緒になってみると、今まで気づかなかったことに気づくからです。
結婚前に同居をして、もっと相手を知ってから結婚に踏み切るべきです。
一度結婚してからでは、そう簡単に離婚はできません。
間違った方向へ進み、悔やむ気持ちがあっても、妥協しなければなりません。
私は以前「このパソコンいいな」と思い、衝動買いしたことがあります。
しかし、自宅で動かしてみると、思っていた動きをしてくれなくて、がっかりして、次の日返品しようとしました。
しかし、店員さんに「一度通電してからでは返品ができません」と断られ、多額の金銭的ロスをしたことがあります。
間違った買い物をしてからでは、遅いのです。
急いでいたり、焦っていたりすると、1つの選択間違いが大きな時間のロスにつながることがあります。
「電車の乗り間違い」です。
もう一度、自分の乗るべき電車を確認しましょう。
間違って乗ってからでは遅いのです。
乗る前に「本当にこの電車で間違いないな」と確認してから乗ることです。
たくさんの仕事、勉強、子育てなど、しなければいけないことに追われていると、自分を見失ってしまうときがあります。
「これではいけない」と思いながらも、どうしていいのかわかりません。
なぜわからないのかというと、走りながら考えているからです。
肉体的、精神的、経済的に余裕がなくなると、どうしていいのかわからなくなります。
走ることにほとんどのエネルギーを使ってしまい、慎重に考えるまでの余裕をつくることができません。
そんなときには、一度足を止めてみればいいのです。
足を止めれば、呼吸が整い、自制心を取り戻し、落ち着けます
あらためて慎重に考えることができるはずです。
車にガソリンを入れるためには、一度止まらなければなりません。
止まるからガソリンを入れられます。
走りながらガソリンを入れるということは、技術的に可能でも、危なくて危険です。
失敗すると爆発してしまいます。
人間に限らず誰でもそうですが、一生懸命に走っていると、疲れて余裕がなくなります。
毎日の生活で一生懸命になっていると、だんだん疲れて余裕がなくなります。
ガソリンがなくなってしまう状態ということです。
休憩のためにちょっと足を止めるのです。
足を止めるだけで、休憩ができ、落ち着きを取り戻せます。
走りながら考えるからいけなかったのです。
自然の成り行きは、チャンスです。
自分がこうしようと思わなくても、力がすでに働いているということは、神様からの「その道に進みなさい」という啓示です。
「思う成り行き」から「思いもしない成り行き」にスイッチしましょう。
私たちは、自分が思わないような成り行きばかりです。
ほうっておけば自然と髪が伸び、爪が伸びます。
自然に心臓が動き、脈打っています。
夜になれば、自然と眠くなり、朝になれば自然と起きてしまいます。
自分が生まれた事実も、自分がそうしようと思って、そうなっているわけではありません。
世の中は「自分が思いもしないことばかり」で成り立っています。
人生の基本土台は、すべて「思いもしないこと」ばかりです。
あなたの目の前で、もし何か「思いもしないこと」が起これば、その自然の成り行きに身を任せてしまうことです。
心臓が勝手に動き、髪や爪が勝手に伸びてしまうことは理屈ではうまく説明できませんが、たしかに必要な出来事です。
同じように、目の前で起こる思いもしない出来事も、理屈では説明できませんが、往々にして必要な出来事なのです。
なぜ起こったのかは、後になってわかります。
自分の意思、思い、願いとは関係なく「思わぬ出来事」は神様からのプレゼントです。
そのまま受け取り、自然の流れに身を任せてしまうのです。
「なぜ人は死ぬのですか」
こういう究極的な質問をする人がいます。
難しい質問に思えますが、シンプルに考えれば当然のことです。
あなたの体は、レンタルだからです。
つまり、一時的に神様からお借りしたものだからです。
レンタルは返すことが前提となっているから、借りることができます。
借りられているだけでも、感謝することです。
借りることができなければ、あなたは今ここに存在していません。
レンタルは一定の期間満了の時期に近づけば、返さなければなりません。
それは、不思議なことでも何でもなく、当然のことです。
レンタルしているものを返すから、ほかの人がまた借りることができるようになります。
耳の痛い話ですが、あなたの体も神様からレンタルしているのです。
いずれ返さなければならなくなるときがやってきます。
つまり「死と直面する」ということです。
「なぜ死ぬのか」と言われても、その理屈は通りません。
「レンタルしたものを、なぜ返さなければならないのか」と言っていることと同じです。
借りたものは返すのが当然です。
借りたものを返さないと泥棒になります。
指名手配されます。
警察に捕まり、地獄に落ちてしまいます。
ほかの人が借りられなくなり、迷惑をかけてしまいます。
誰でも死にたくないのは同じです。
借りたものを返したくない気持ちになるのは、みんな、同じです。
しかし、死ななければならないのです。
レンタルしたものは返さなければならないように、人間も生まれた瞬間から死ぬプログラムがインプットされています。
一時的に肉体を神様から借りて、今、あなたは生きています。
自分の肉体がまた土に還るとき、ほかの人がまたレンタルできるようになります。
それが「輪廻転生」です。
あなたの死は、ただ借りたものを返すというだけです。
返したとき、ほかの人がまた借りられるようになります。
命のバトンタッチができるのです。