一瞬、指を止めて、書くことをやめようかと思った。
「触れてはいけないテーマに、触れることになるな……。でも書きたい……」
今回は、大変深い内容のお話をしたいと思います。
あなたが生まれてきた理由は何でしょうか。
あらかじめ理由があって、あなたはこの世に誕生してきたのでしょうか。
神様は、あなただけに、特別に理由を与えて、この世に生まれてきたのでしょうか。
中国、孔子の有名な一言に次のような言葉があります。
「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(あしたに、みちをきかば、ゆうべにしすともかなり)」
「朝に自分の生きる目的がわかれば、夕方に死んでもいい」という意味です。
「私は何のために生まれてきたのか」
「私が生まれてきたのは、何か理由があるはずだ」
「生まれてきた理由があるに違いない」
生まれてきた理由はありません。
しかし、自分の特性を見つけ、従う生き方はできます。
特性を生かす生き方が、最も自然であり、自分を最大限に生かす生き方です。
生きる目的を与えられず生きてきました。
ただ、生まれてきました。
そうした前提がありながらも、生まれもってすでに持っていることがあります。
私が今、死んでも、地球は今と変わらず自転しているでしょう。
私が死ぬことで、地球の自転が止まることはあり得ません。
そんな地球すら、今突然なくなっても、太陽系全体から見れば、大したことではありません。
「人は、神の子である」
「人は、神の分身である」
世界のさまざまな宗教には「人間は神様の分身」という意味をつづった言葉をよく耳にします。
自分を好きになり、恵まれている自分に気づくということです。
偉大なる宇宙から生まれた子どもですから、自分も宇宙の一部です。
自分がなぜ今ここにいるのかということを考え、親のおかげ、地球のおかげ、宇宙のおかげだという真実に気づくのです。
「私は、人を好きになるのが下手なんです」
以前に、こうした相談を受けたことがありました。
色白で、サラッとした髪の長い、見た目はかわいい女性でした。
昔の人は、人の死を別の表現で、こう言いました。
「土に還る」
「還る」という言葉は、もともとあった場所に戻すという意味です。
私たちは宇宙から生まれた、ということがわかりました。
では、どのような生き方が最も自然な生き方かといえば、宇宙の流れに従った生き方です。
川の流れの中で生きているのですから、川の流れに従って生きることが「もっともらしい生き方」です。
宿命と運命は、響きが似ており、似ている意味として思いがちです。
この2つの言葉を、同じような意味として考えている人が多いようです。
しかし、この2つの言葉には大きな違いがあります。
宇宙の流れに従って生きるとは「宿命」と「運命」を両方生かして生きるということです。
必ず宿命が先に来て、宿命に従って運命を動かすという順番です。
宿命はあらかじめ決められている人生であり、運命は自分で決めることができる人生です。
あなたの宿命は何ですか。
男性ですか、女性ですか。
長男ですか、次男ですか、三男ですか。
川の流れに逆らって泳ごうとすると、どうなるでしょうか。
頑張って泳いでも、なかなか前に進まず、とても疲れます。
気を抜けば、すぐ流れに押し戻されます。
生きている間、どのような存在を手本にして、生きていけばいいのでしょうか。
どのような生き方が、いちばん好ましいのでしょうか。
この回答には、1つの代表的な手本があります。
生きている間に、私たち人間は、大きな目的を与えられず生きてきました。
とはいえ、目的を与えられていないだけで、実は共通の目指すべき方向はあります。
それが「個と全体の一体化」です。
「ご縁を大切にしなさい」
私のおじいちゃんが生きていたころ、よく口にしていた言葉です。
まだ幼かった私は、その意味がよくわかりませんでしたが、今はその意味が理解できるようになりました。
神社にお参りをすれば、運が良くなる。
お守りを持っていれば、神様が守ってくれる。
占いのとおりにすれば、うまくいく。
「性格を変えたい!」
こうした悩みを抱いたことは、私だけではないはずです。
私も昔、自分の性格を変えようと必死になったことがあります。
「好きなことを探す」
「好きなことを見つける」
好きなことを見つけるのは、難しいことだと思っていませんか。
神様は、直接的にはあなたに力を貸しません。
神様は常に、間接的にあなたに語りかけてきます。
病気になれば「生活を見直しなさい」という神様からの警告です。
転んで、膝を擦りむいても、しばらくすれば皮膚が再生し、やがて元どおりになります。
体は出血を抑えるためにかさぶたをつくり、細胞分裂を繰り返して、皮膚を再生させます。
自然治癒力は、体にもともと備わっている「元に戻ろうとする力」の1つです。
仏教には「類魂」という言葉があります。
英語では「グループ・ソウル(Group Soul)」といいます。
「すべての魂は、ばらばらではなく、1つである」という意味です。
「やる気が出ないなあ……」
誰もが経験する、ごく普通の気持ちですが、私の場合はこの感情を見逃しません。
やる気が出ないのは、必ず何かの理由があるからです。
神様にお願いばかりではいけません。
自分の力に頼ろうとせず、神様だけを頼りにするのは問題です。
実は、神様に頼らなくても、簡単に問題が解決する方法があります。
生きている時間は、無限ではありません。
有限です。
若いころは、今の状態が永遠に続くような気がします。
逆説的に思えますが、不自由な人、不幸な人ほど、幸せになれるチャンスを持っています。
「幸せに気づくチャンスがある」と言ってもいいでしょう。
障害を持っている人は、幸せに気づくセンサーが敏感になっているからです。
時計は、大変な芸術作品です。
時計の針が動いているその裏では、たくさんの歯車が回っていることをご存じですか。
数え切れないほどのたくさんの歯車同士が組み合わさり、お互いに影響を与えながら、1分1秒を正確に刻んでいます。
一瞬、指を止めて、書くことをやめようかと思った。
「触れてはいけないテーマに、触れることになるな……。でも書きたい……」
今回は、大変深い内容のお話をしたいと思います。
深い内容であるため、おそらく一部の人は理解に苦しむと思います。
そもそも何を言っているのかわからないかもしれません。
ある程度の高いレベルの人だけに通じる次元の高い内容になります。
人によっては、ささいなアレルギーを感じることもあるでしょう。
また一部の人からは、反感を抱かれる内容とさえなるでしょう。
それは、私も十分承知です。
しかし、書いていることに嘘ではないという自信があるからこそ、思いきってかくことにしました。
書いていることに嘘はなく、真実であることには変わりありません。
もしかしたら、今のあなたには必要ではない内容かもしれない。
しかし、もしかしたら、今のあなたには必要となる内容かもしれない。
私の判断で決めることはありません。
ありのまま、思いきって書きました。
「あなたが生まれてきた理由」です。
人類が長年に及んで語り合ってきたテーマですが、実は真実は1つしかないのです。
その真実を、どう表現しているかの違いです。
どの宗教も、同じことを言っている。
言葉、偶像、聖典、しきたりの違いだけであって、その本質はどれも同じところを指しています。
同じことを言っているけれども、肌の色の違いや言葉の違い、文化の違いによって、異なった宗教として存在しています。
仏教もキリスト教もイスラム教も、そのほか数多くの宗教や教えの本質は、どれも同じことを指しています。
真実は、1つしかありません。
その表現方法にたくさんの人が論じており、多種多様な宗教が発生しているだけのことなのです。
私なりに、わかりやすくその本質だけを抜き取ってお話しします。
偏りがなく、中立的で、どの世界の人にとっても共通するように言葉を選んでいます。
ちょっと難しい内容ですから、今すぐ内容が理解できなくてもかまいません。
いずれ理解できる日がやってくるときのために、頭の片隅においてくれれば、それで十分結構です。
70歳や80歳、あるいはそれ以上を対象としている内容です。
人の中には、死ぬまで気づくことなく、その人生を終える人もいるでしょう。
いずれにせよ、世の中の真実は1つしかない。
真実には早く気づいたほうがいい。
それだけ人生における判断選択を間違えることも少なくなります。
あなたが生まれてきた理由は何でしょうか。
あらかじめ理由があって、あなたはこの世に誕生してきたのでしょうか。
神様は、あなただけに、特別に理由を与えて、この世に生まれてきたのでしょうか。
いいえ、意味があって生まれてきたわけではありません。
真実から言ってしまえば「ただ、そこに、生まれた」だけです。
ただ、誕生してきたのです。
もし本当に生きる意味があるなら、みんな生きることには苦労はしません。
自分は何を、いつどれくらい、何のためにするべきかが、すぐわかるはずです。
それがわからないから、生きることに苦しみ、もがいているのです。
生きる目的がないのは、意味があって生まれてきたわけではなく、ただ生まれてきただけだからです。
理由や意味があって生まれたわけではなく、ただ生まれてきたのですから、理由なんてあるはずがありません。
なのに「自分には生まれてきた理由がきっとあるはず」と思うから、矛盾ができてしまいます。
世界の宗教は、本当の意味があって生まれてきたわけではない人類に、意味があると思われるように教えを説いています。
本当はどの宗教も「生まれてきた意味はない」ということを知っています。
ですが、そんなことをダイレクトに言ってしまえば、余計に人を迷わせることになります。
それぞれの宗教が、都合のいいように意味をつくり「あなたはこのために生まれたのです」と暗示をかけ、迷える人を助けています。
しかし、結局は「生まれてきた意味はない」という真実と向き合わなければ、本当の真実も見えてきません。
太陽を見てみましょう。
太陽は、何か理由があって生まれたでしょうか。
いいえ、ただ太陽は宇宙の流れによって誕生しただけです。
太陽ができて、あとから地球ができ、人間が生まれたのです。
太陽のおかげで地球が誕生し、人類が誕生しましたが、人類のためにわざわざ誕生したわけではありません。
太陽が誕生し、その結果、地球ができて、人類が誕生しただけです。
意味があってそうなったのではなく、宇宙という法則にのっとって「ただそうなっただけ」です。
すべての存在に、生まれてきた理由はありません。
しかし「自分には生まれてきた意味がある」と強く信じ、探しているから、苦労をしてしまうのです。
生まれてきた理由など初めからないから、見つかるわけがないのです。
「それじゃあ、生きている意味がないじゃないか」
先ほどから言っているではありませんか。
「生きている意味はない」と。
あなたが今死んでしまっても、地球の運行に何の影響もなく、太陽に何か影響を与えるわけでもありません。
個人には問題でも、宇宙全体では、まったく問題ではないのです。
「おいおい、生きていることって、そんなちっぽけなことなの」
「なんだか生きる気力がなくなった」
「生きている意味がなければ、どうすればいいのか」
さあ、きましたね。
その言葉を待っていました。
では、ここからが本題です。
大切なお話は、これからです。
私がお伝えしたい内容は、ここからが本題です。
生きている意味があって生まれてきたわけではありません。
太陽はあなたのために光り輝いているわけでなく、光り輝いている太陽のおかげで勝手に地球が誕生して、次に人類が誕生しました。
人生は、あなたに何かを与えるわけではありません。
あなたが人生に与えるのです。
もともと、人生はあなたに何かを与えようとしているわけではありません。
先ほどから話しているとおり、生まれてきた理由など特別ないのですから。
私はこのサイトを運営しているかたわら、お客さまから「自分探しをしています」というお手紙をよくいただきます。
「自分には、何か生きる理由があって生まれてきたはず。でもそれが見つかりません」
一生懸命に、自分探しをしているようです。
しかし、そういう人に限って、幸せを見つけることはできず、いつまで経っても幸せにはなれません。
最初から人生に意味はないのですから、見つかるわけがないのです。
宝がないのに、宝探しをしているようなものです。
エンドレスになります。
探すものではありません。
自分で決めるのです。
自分勝手に決めて、行動していい。
あなたが人生に対して、意味を与えるのです。
生きている意味はないから、生きている意味を自分でつくるのです。
あなたの人生にタイトルがあって、誕生してきたわけではありません。
だからあなたが自分で自分の生き方、人生に、タイトルをつけるのです。
すると、そこから物語が始まります。
タイトルがなければ、単なるやりとりにすぎませんが、タイトルがついた瞬間からそれはドラマになります。
「人生にあなたが意味を与えること」
これがまず、あなたがしなければならない大切な仕事なのです。
中国、孔子の有名な一言に次のような言葉があります。
「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(あしたに、みちをきかば、ゆうべにしすともかなり)」
「朝に自分の生きる目的がわかれば、夕方に死んでもいい」という意味です。
孔子は、人間が自分の生きる道を見つけることは、それほどまでに重要なテーマであると説いています。
自分の生きる目的を見つけられない人の典型は、フリーターです。
生きている目的がわかっていれば、自分にとって適切な職業がわかり、何をすべきかがわかります。
しかし、自分の生きる目的が見つからず、何を、どうしていいのかわからないから、定職につくことをためらっています。
それが、フリーターです。
フリーという言葉がついているから、自由という印象は受けますが、生きる目的が見つけられない「人生の迷子」です。
孔子の言葉のとおり、まず自分の生きる目的を定めることです。
何をどうすればいいのかが、わかった瞬間から見つかります。
「北海道に行く」という目的があるとします。
北海道に行くためには、飛行機を使わないといけない。
国内線の飛行機に乗るためには、羽田空港に行かないといけない。
羽田空港に行くためには、電車に乗らなければならない。
このように、何をいつどうすればいいのかが具体的にわかるようになります。
自分が生きる目的をまず、定めることです。
ゴールを定め、そうして自分が何をするべきかがわかるようになります。
人生はあなたに対して、生きるタイトルを与えていません。
あなたがタイトルをつけて、それに従って生きて行くとき、輝くのです。
性別、国籍、特徴、性格、才能、能力などの偏りを知り、総合して、後は自分の好きなように生きる意味をつけてしまいます。
何でもかまいません。
あなたが好きなように決めればいいのです。
決めなければいつまで経っても誰も決めてくれません。
あなたが生きる意味を決めてくれる日を、人生は待ち望んでいます。
生きる目的を決定した瞬間から、自分の生きる道が輝き始めます。
意味ができたとたんに、人生は楽しくなるのです。
「私は何のために生まれてきたのか」
「私が生まれてきたのは、何か理由があるはずだ」
「生まれてきた理由があるに違いない」
私はHAPPY LIFESTYLEを運営していると、人生についての相談をよく受けます。
自分の生まれてきた理由を必死になって探している人です。
しかし、不思議なことに、生まれてきた理由を探している人に限って、いつまで経っても見つかりませんし、見つけられません。
それもそうです。
そもそも生まれてきた理由は、ないからです。
ないものを探しても、見つかりようがありません。
ただ、生まれてきただけというのに、それに大きな理由があると信じ、探している状態です。
宝物がないのに、宝探しをしているようなものです。
それではいつまで経ってもゲームは終わりません。
宝がないのに、宝探しをしても、見つかるはずがないからです。
生まれてきた理由を、ずっと探し続けている人がいます。
理由は探しても見つかりません。
そもそも理由などないからです。
理由があれば、誰も人生の生き方に苦労はしません。
誰もが迷うことのない人生を送ることができるはずです。
生まれてすぐ、神様が「あなたはこのために生まれてきたのですよ。このために生きなさい」と教えてくれるはずです。
生まれてきた理由を探しても見つからないのは、そもそもないからです。
生まれてきた理由はありません。
しかし、自分の特性を見つけ、従う生き方はできます。
特性を生かす生き方が、最も自然であり、自分を最大限に生かす生き方です。
たとえば、鳥に生まれるか、魚に生まれるかの違いです。
鳥として生まれた鳥は、生まれつき空を自由自在に飛ぶ能力があります。
魚には、いくら努力をしても、空を飛ぶことはできません。
水の中を自由に泳ぎ回る能力がもともと備わっていても、大空を自由に飛び回ることができる能力はありません。
鳥は、努力も気合も必要なく、生まれつき、空を飛ぶ能力が備わっています。
鳥は鳥として生きることが最も自然であり、最大限に自分を生かした生き方です。
一方、魚は水の中を自由自在に泳ぐ能力が、生まれつき備わっています。
鳥は、水の中に潜ることができません。
そもそも水の中で生きるようなつくりではないため、水の中で生活をすることはできません。
鳥とは違い、魚にはえらがあり、水中の酸素を取り込む能力があります。
生まれつきの生物的な違いです。
鳥には鳥の能力があり、魚には魚の能力があります。
生まれつきの違いに従って生きることが、最も自然であり、自分を生かした生き方となります。
魚は魚らしく生きることがいちばんいい。
鳥は鳥らしく生きることがいちばんいい。
あなたも、あなたらしく生きることがいちばんいいわけです。
今は「鳥」と「魚」ということで、わかりやすく説明をするために、大変に極端な例をあげました。
この考えをそのまま、人間に対しても当てはめてみましょう。
たとえば「水口貴博」と「あなた」です。
私もあなたも、同じ人間です。
2人とも二足歩行ができ、考えたり、話したり、笑ったりと、能力に大きな差はありません。
「鳥」と「魚」のような、極端な生物的違いはありません。
手足も、生き方も、さほど大きな違いはないでしょう。
しかし「大きな違い」はないだけであり「小さな違い」はたくさんあるのです。
たとえば、私は生まれつき「考えることが好き」という性格があります。
なぜ自分がそうした性格なのか、自分でもわかりません。
鳥はなぜ空を飛べるのか、魚はなぜ泳ぐことができるのかわかりません。
私も、なぜ考えることが好きなのか、わかりません。
もともと、生まれつき備わっている「性格」です。
また機械関係に強くて、コンピューターとは相性がいいようです。
運動神経は昔から良いほうで、学生時代の運動会では、特に努力をすることもなく、いつもいちばんでした。
自慢ではありません。
私がそう望んで生まれたわけでも、身につけたわけでもありません。
ただ「そうなの」です。
私にもあるのですから、あなたにもあるはずです。
ちょっと自分を振り返ってみましょう。
何でもかまいません。
「走るのが速い」
「あら探しがうまい」
「面倒なことが嫌い」
「せっかちな性格だ」
「友人をつくるのがうまい」
「ピアノに関しては、上達が早い」
「アロマが好き」
「話すのが好き」
「きれい好き」
「おおらかな性格」
「几帳面な性格」
「かっとしやすい」
思いつくままに自分が「頑張らなくてもできること」「初めからある性格」を書き出してみましょう。
初めからできることです。
あなたが持つ、生まれつきの特性です。
私もあなたも同じ人間同士ですから大きな生物的な違いはないでしょう。
しかし、小さな性格的な違い、能力の違いは、それなりに数多くあります。
私とあなたは大きな違いはありませんが、小さな違いはたくさんあります。
その小さな違いを、大きく役立てるのです。
自分が生きる目的を定めるための、ヒントにするのです。
上手に生きるということは、その自分の特性に気づき、伸ばし、社会のために役立てることです。
冒頭で言いました。
生まれてきた理由はありません。
しかし、生まれつきの能力はあります。
それを生かすのです。
生かしきって、社会のために役立てるのです。
私には考えること、書くことが好きという特質があります。
それを生かしHAPPY LIFESTYLEを通し、社会の役に立てています。
あなたも自分の特性を生かしそれを通して人生を生きるのです。
それが生まれてきた理由を、自分がつくるということです。
生まれてきた理由はない代わりに、生まれつき持っている特質、能力、体格、性格の違いがあります。
それらを上手に生かして、人生の武器にしてしまいましょう。
生まれてから自分で目的をつくり、自分の物語をつくっていくことです。
鳥に生まれたら、鳥の物語を書けばいいのです。
魚に生まれたら、魚らしい物語を書けばいいのです。
あなたに生まれたら、あなたらしい物語を書けばいいのです。
生きる目的を与えられず生きてきました。
ただ、生まれてきました。
そうした前提がありながらも、生まれもってすでに持っていることがあります。
面持ち、性格、身体的特徴、得意なこと、人種。
これらを生かして生きる、ということはできます。
それを自分が与えられた使命として解釈してしまうのです。
あえて自分から「良い意味で勘違いを進んでする」といった感じです。
私には「文章を書くのが得意」「考えることが好き」「読書が大好き」という性格的特徴があります。
こうした生まれ持った性格を生かせば、ほかの人より伸びていくことはできます。
もともと、書くことが得意なのですから、それを生かさない手はありません。
もちろん自分の個性を無視して生きることもできます。
しかし、個性を生かしたほうが、生活に活力と緊張感があふれます。
「豊かさにつながる」と思っているから、使命という意識を持って生きることができます。
自分で、あえてそう思い込んでいます。
「自分はこのために生まれてきたのだ。これを自分の得意技にするぞ」と解釈が可能です。
生きることは、何か目的が必要です。
生まれてしまったから、仕方なくただ生きるというのは、むなしい。
せっかく生まれてきたのですから、自分なりに生活が向上する目的を持ちたいものです。
私が今、死んでも、地球は今と変わらず自転しているでしょう。
私が死ぬことで、地球の自転が止まることはあり得ません。
そんな地球すら、今突然なくなっても、太陽系全体から見れば、大したことではありません。
地球がなくなったから、太陽系もなくなるということは、万が一にもあり得ません。
さらにそんな太陽系がなくなったとしても、宇宙は今と変わらず存在していることでしょう。
太陽系がなくなったから、宇宙も消えてなくなるということは、あり得ないことです。
まず、自分はちっぽけな存在ということを知ることです。
人間は、地球でいちばん偉いからと、ふんぞり返っています。
視野が狭く、世間知らずのような状態になっていると、自分は王様だと勘違いしてしまいます。
生物たちを生かしているのは人間のおかげだと思っていますが、そんな人間ですら地球に生かされている状態です。
地球という鳥籠の中で、飼われているようなものです。
そんな地球すら太陽系に生かされ、太陽系も銀河系に生かされ、銀河系は宇宙に生かされています。
宇宙という全体から見れば、人間はちっぽけなのです。
その小ささを知れば、世の中に起こっている出来事は、どれもかわいらしく思えてきます。
「友人とのけんか」
「試合での敗北」
「受験失敗」
「落第」
「失恋」
「解雇」
「倒産」
「離婚」
「死」
どれもこれも、大したことではないのです。
あってもなくても、宇宙はまったく何の影響も受けないのです。
大げさに勘違いをしているのは、人間であって、実は大げさでも大きなことでもないのです。
「人は、神の子である」
「人は、神の分身である」
世界のさまざまな宗教には「人間は神様の分身」という意味をつづった言葉をよく耳にします。
世界中の宗教が表現している「人は神の子」とは、どういう意味なのでしょうか。
わかりやすく説明しましょう。
神とは、宇宙全体のことを指しています。
この世に存在する、あらゆる森羅万象は「宇宙があるから」という原因が大本になっています。
宇宙という大きな塊が、全体として1つの神なのです。
宇宙こそ、すべての存在の親なのです。
そんな素晴らしい宇宙から生まれた銀河系は素晴らしいし、そんな素晴らしい銀河系から生まれた太陽系も素晴らしい。
素晴らしい太陽系から生まれた地球も素晴らしければ、地球上のあらゆるものは、大本の神である宇宙から生まれた子どもなのです。
私の親の先祖をたどれば、海へとたどり着き、海は地球へと、地球は太陽系へと、太陽系は銀河系へ、銀河系は宇宙となります。
私の本当の親は、宇宙です。
あなたの親も私にとっても、あらゆる動物、あらゆる植物などすべての親は、みな共通した「宇宙」という大親なのです。
「原因と結果」という法則があります。
人間が生まれた結果をたどれば、最後には「宇宙があるから」という究極的な原因にたどり着きます。
素晴らしい宇宙から生まれた子どもなのですから、みんな、宇宙の子ども、つまり神の子どもということができるのです。
「ノミ」
「馬」
「鳥」
「人間」
「青空」
「空気」
「土」
「火」
「光」
世の中には生物だけでなく、あらゆる人、もの、事、現象が存在しています。
しかし、どれも、親をたどれば、宇宙に行き着くのです。
すべての存在の親は、共通して宇宙という大親です。
あらゆる森羅万象は、神が産んだ子どもであり、神を映し出した姿です。
どれも宇宙の一部。
宇宙という親が、森羅万象を生み出しているのです。
それを宗教では「人は、神の子である」「人は、神の分身である」という言葉として表現しているだけです。
大げさなことではなく、疑いようのない事実であり、真実なのです。
自分を好きになり、恵まれている自分に気づくということです。
偉大なる宇宙から生まれた子どもですから、自分も宇宙の一部です。
自分がなぜ今ここにいるのかということを考え、親のおかげ、地球のおかげ、宇宙のおかげだという真実に気づくのです。
普段は、気にもせず、考えもしないことですが、今あなたがそこにいるという「結果」には、必ず「原因」があります。
その原因が、自分の親であり、さらに地球であり、宇宙です。
私たちは、宇宙という大親から生まれた子ども。
大いなる宇宙から、生まれた子どもであることに気づきましょう。
世の中に存在する、さまざまな人、物、植物、動物を「森羅万象」といいます。
森羅万象、何もかもは、ある1つの親から共通して誕生しているのですから、実はみな親戚なのです。
宇宙という、大親です。
「宇宙という原因」から「森羅万象という結果」が存在しているのです。
「私は、人を好きになるのが下手なんです」
以前に、こうした相談を受けたことがありました。
色白で、サラッとした髪の長い、見た目はかわいい女性でした。
よく話を聞いてみると、まず自分のことを好きになっていないのです。
自分で自分の悪口を言うという、おかしな癖を持っていました。
自分に自信がないから、誰かに頼る。
誰かに頼っていると、いつの間にか付き合っているという状態になる。
頼っているから、そもそも本当に相手のことが好きではない。
それを、好きになることと勘違いしているようでした。
「頼ること」と「好きになること」は、別です。
自分が好きでなく、自信もなく、寂しいから、いつも誰かとべったりくっつくことになり、恋愛だと思って勘違いをしているのです。
その子がそもそも人を好きになれないのは、自分が好きではないからでした。
自分に自信がないから、いつも誰かにすがることになり、情報に流され、ブームに流され、自分を見失っていました。
話を聞くと、頭の良い女性なのです。
英語が得意で、むしろほかの人より賢い女性でした。
勉強ごとになると、得意になる。
しかし、一向に彼女は、自分の日常に満足していませんでした。
人生を明るくさせるためには、かっこよくなること、かわいくなることでもありません。
勉強することでもなければ、一流大学に合格することでもありません。
まず自分を好きになることです。
自分のことが好きではないのに、人生に満足しているという話は聞いたことがありません。
自分を好きになると、日常のあらゆることが明るく輝いて見えてきます。
自分に満足するから、次へのステップを踏めるようになります。
友人関係、仕事、恋愛、学業など、自分が好きという前提があって、初めて集中できることです。
人を好きになること、仕事を好きになること、生活を好きになることの基本は、まず「自分を好きになること」から始まるのです。
「私は私が好きです」と心からそう思えば、あなたの人生は楽しいに決まっています。
「楽しい」「嬉しい」「感動だ」という感情は、自分の心が感じることです。
自分の心が満たされていれば「嬉しい」「楽しい」「感動」という感情が出てこないはずがありません。
輝いている自分の心があるから、そんな自分から見る日常も、すべて輝いて見えてくるのです。
昔の人は、人の死を別の表現で、こう言いました。
「土に還る」
「還る」という言葉は、もともとあった場所に戻すという意味です。
「土に戻る」「土に返却される」ということです。
土は、宇宙と言い換えることができます。
まだ宇宙という存在を知らなかった大昔の人は、宇宙のことを土と表現しました。
土から生まれた人間は、その一生を終えるときに、また土に戻ることを表現しているのです。
科学技術が発展していなかったころから、私たちは土(宇宙)から生まれてきたという事実に、直感的に気づいていたのです。
この表現は、大変に奥深い表現であり、的を射ています。
まさに私たちが宇宙から誕生したということに気づいていなければ、出てこない表現です。
昔の人は、しっかり気づいていたのです。
死ぬということは、神様から一時的にお借りしたあなたの体を、返却するということです。
死ぬという表現には悲しい響きがありますが、ただ「還る」だけです。
元にあった場所へと返却され、溶け込むことです。
「土に還る」とは、そういうことなのです。
生きている時間は、大変貴い。
いずれ返さなければならないときがやってくるのですから、生きている間に精いっぱい生きることが大切なのです。
私たちは宇宙から生まれた、ということがわかりました。
では、どのような生き方が最も自然な生き方かといえば、宇宙の流れに従った生き方です。
川の流れの中で生きているのですから、川の流れに従って生きることが「もっともらしい生き方」です。
宇宙の流れに従う生き方が、いちばん自然であり、適切な生き方です。
では、宇宙の流れに従う生き方とは、どのような生き方でしょうか。
自然とそうしてしまうこと、努力しなくてもできること、頑張らなくてもできることを生かして生きることです。
根性や努力、一生懸命にならなくても、自然とできることです。
花を見てみましょう。
花は、咲くことに一生懸命になっているでしょうか。
わざわざ勉強しているでしょうか。
努力をしているでしょうか。
根性を必要としているでしょうか。
いいえ、花は自然に動かされて咲いています。
花は自然に従って生きているから、美しく咲けます。
人間も同じように、宇宙によって動かされることが最も自然な生き方です。
頑張らなくても、努力しなくても、根性を必要としなくても、できることです。
あなたを振り返ってみましょう。
頑張らなくてもできることは何ですか。
自然にできることは何でしょうか。
よくわからないけど、つい、そうしてしまうことは何でしょうか。
そこに、あなたの「天命」があります。
天命に従って生きるとは、もともとある自然な自分を、十二分に生かして生きるということです。
花が自然な自分を十二分に発揮して、美しく花咲くように、あなたも頑張らなくてもできることを十分に生かして生きることです。
それが宇宙に動かされて生きるということです。
流れに従って生きるということです。
川の流れの中にいれば、力を入れなくても前へ進むように、あなたの流れの中にも、力を入れなくてもできることがあるはずです。
私なら、書くことが好きです。
頑張らなくてもできてしまいます。
考えたことを書いて吐き出すという作業は、私には朝飯前です。
根性や努力、一生懸命にならなくても、自然にできてしまいます。
この自然な力を十分に発揮することで、ほかの人の役に立ち、人生を充実させるということです。
宿命と運命は、響きが似ており、似ている意味として思いがちです。
この2つの言葉を、同じような意味として考えている人が多いようです。
しかし、この2つの言葉には大きな違いがあります。
この機会に、意味を整理しておきましょう。
「宿命」とは、その名のとおり「宿る命」と書きます。
生まれつき宿っていることを、宿命といいます。
たとえば、私を例に挙げましょう。
私は男ですが、男として生まれたことは宿命です。
長男として生まれたことも宿命。
水口家に生まれたことも宿命。
日本人として生まれたことも宿命。
人間として生まれたことも宿命です。
変えようがなく「生まれつき宿っていること」を宿命といいます。
変更ができないのですから「宿っている」ということです。
「前提」を変えることができないのですから、生まれたときに、ある程度生きるであろう道のりは決定されています。
男に生まれたのですから、男に従った生き方が自然です。
そうなるような人生がすでに決められています。
宿った命とは、すでに決められていることです。
自分でコントロールすることはできないのです。
一方「運命」とは何でしょうか。
「運ぶ命」と書くように、生きてから自分で経験して、加えていく道のりのことです。
運ぶ命と書くように、自分の力で運び、動かすことが可能です。
自分でコントロールできる。
どんな人と出会い、経験をして、どのような学校へいき、どのような仕事をして、どんな人と結婚するのかは、運命です。
自分しだいだからです。
自分からアクションを起こすことで決定され、命をどう運んでいくかを自分で決めることができるからです。
たとえば、私と今このようにお話ししていることは運命です。
あなたが自分から積極的に「探して」「読む」という行動をしたから、今こうした運命に至っているのです。
読むことをやめようと思えば、いつでもできます。
しかし、あなたは、やめずに読むという行動をしている。
こうした文章を読むことで、あなたの生活が変わる。
これは「運命」です。
運命は自分の意思や行動によって、いかようにも変えることができることなのです。
宇宙の流れに従って生きるとは「宿命」と「運命」を両方生かして生きるということです。
必ず宿命が先に来て、宿命に従って運命を動かすという順番です。
宿命はあらかじめ決められている人生であり、運命は自分で決めることができる人生です。
あらかじめ決められていることには変えようがないのですから、素直に従います。
これは、宇宙の流れに従うことです。
自然に従うことです。
さらにその宿命に従いながら、次に運命をコントロールします。
私にはもともと「考えることが好き」という不可思議な宿命があります。
なぜだか、私にもわかりません。
考えることは、そもそも得意であり、相性が良い。
せっかくだから、この長所をもっと伸ばしたい。
そこで、意図的にコントロールします。
積極的に本を読み、積極的に行動をして、HAPPY LIFESTYLEというサイトをつくることは、運命です。
私がそうなるように、行動したのです。
自分にもともとある宿命を、さらに意図的に伸ばすことができるように、自分で運命を決めているのです。
川の流れに従えば、何も力を入れなくても、とりあえず進むことはできます。
しかし、川の流れに従って泳げば、さらにもっと早く進むことができるようになります。
宇宙の流れに従う、自然の流れに従うとは、こういうことです。
宿命に従い、運命を意図的にコントロールするのです。
あなたの宿命は何ですか。
男性ですか、女性ですか。
長男ですか、次男ですか、三男ですか。
あなたの親はどんな人ですか。
どのような家に生まれてきましたか。
あなたの得意なことは何ですか。
どのような顔で、どのような髪質ですか。
これらはすべて、宿命です。
これらに逆らってはいけません。
変えようがなく、あらかじめ決められている宿命です。
どれだけお金があっても、どれだけ時間があっても、変えることはできません。
それらに目を背けようとするのではなく、真っ向から直視して、さらに生かすのです。
もともとピアノが得意なら、さらに練習をして、長所をさらに伸ばしましょう。
女性として生まれたなら、女性ということを生かした生き方をすることです。
今さら「自分の親が嫌いだ。変更したい」と、どうこう言っても始まりません。
変えることができないのですから、素直に受け入れることです。
どのような親であろうと、生かしてしまえばいいのです。
厳しい親からは、厳しさを学びます。
暴力を振るう親からは、反面教師として学びます。
私の場合、厳しい親のいる家庭に生まれたという宿命があります。
長男として生まれたという宿命があります。
変えようがなく、自分で決めたことでもありません。
最初からそうなので、素直に従うしかありません。
厳しい親のいる家庭で長男として生きることを素直に受け入れ、その宿命をさらに生かすのです。
厳しい親だからこそ学べ、長男だからこそ与えられるしつけを受けました。
今そうした宿命を生かして、生きています。
厳しい環境だからこそ得たこと、長男だからこそ見える視点を生かして、HAPPY LIFESTYLEの中で知恵を伝えています。
これが宿命に従って生きる、運命に従って生きる、ということです。
最初にある流れに従って泳げば、さらに早く泳げるようになるのです。
川の流れに逆らって泳ごうとすると、どうなるでしょうか。
頑張って泳いでも、なかなか前に進まず、とても疲れます。
気を抜けば、すぐ流れに押し戻されます。
自然の流れに逆らっているからです。
逆らっていると、何か「悪い出来事」が起こります。
宇宙が「その方向は間違っています」と教えてくれています。
だから思うようには進まない。
不幸なこととして捉えるのではありません。
思うようにいかないことは、宇宙の法則に反していると考えましょう。
神様からの貴重な教えと考えます。
「私は別に川の中で生きているわけではない」
こんな反論をする人が出てきそうですね。
しかし、すべての森羅万象は、宇宙という法則の中に存在しています。
人間も植物も月も太陽も、すべてが宇宙の一部として存在しています。
1つとして例外はありません。
大いなる法則の中にいます。
みなが共通の流れの中に生きていて、その流れは絶対です。
逆らってはいけません。
逆らうと、ネガティブな要因が引き起こされます。
けがをする。
けんかをする。
失敗する。
努力しているにもかかわらず、報われない。
単なる運の悪い出来事と思わないでください。
流れに逆らうことで生じる出来事です。
宇宙からの大切な警告。
「それはやめたほうがいい。修正したほうがいい。間違った方向へ歩んでいますよ」という宇宙からの教えです。
せっかく教えてくれているのですから、すぐ修正すればいいだけです。
「失敗は成功の母」といいます。
失敗には成功のタネが隠されているのは、失敗によって間違いがわかるからです。
間違いがわかるということは、正しいこともわかるということです。
「全知全能」という言葉があります。
すべてを知り、すべてが可能となる存在という意味です。
全知全能は存在しないといいますが、1つだけ存在します。
それが宇宙です。
宇宙は全知全能であり、法則そのもの。
宇宙はあなたに助けを与えます。
間違った方向へ進めば、トラブルを与え「違いますよ」と教えてくれます。
生きている間、どのような存在を手本にして、生きていけばいいのでしょうか。
どのような生き方が、いちばん好ましいのでしょうか。
この回答には、1つの代表的な手本があります。
太陽です。
青い空に、さんさんと輝く太陽は、まさに理想的な存在です。
太陽は、自分が明るく輝くことで、まず自分が明るくなります。
自分だけではありません。
明るくなった光は、自分だけでなく、周りにいる存在までも一緒に照らします。
自分が明るくなり、周りも同時に明るくさせます。
そのうえ、太陽は差別をしません。
どんな存在に対しても、変わらず明るく輝き、明るさを与えています。
私たち人間は、太陽のような存在になることが、最も理想的なのです。
「明るくなりたい」と言う人がいます。
自分の性格や日常生活が暗いため、もっと明るくなりたいといいます。
「人のために生きたい」と言う人がいます。
しかし、そんな人に限って、人のことばかりを考え、自分のことを考えていません。
これでは「灯台」と同じ状態です。
灯台のように自分の足元を照らせば、遠くを照らすことができなくなります。
一方、遠くを照らせば、今度は自分の足元が暗くなります。
自分も、遠くも両方明るく照らすには、灯台が太陽のように光り輝けばいいのです。
発光体になればいいのです。
自分が明るくなりながら、周りの存在も同時に明るくさせることができます。
生きている間に、私たち人間は、大きな目的を与えられず生きてきました。
とはいえ、目的を与えられていないだけで、実は共通の目指すべき方向はあります。
それが「個と全体の一体化」です。
私たちは、宇宙の中にいるのですから、少なくとも宇宙の流れに従っていかなければならない。
その宇宙の流れというのは「個と全体の一体化」です。
個人が、全体と一体になるということです。
「調和」ということもできますし「愛」ということもできます。
調和は、周りと自分が1つになることです。
愛も、自分と周りとが1つになるということです。
よく恋愛における「愛」と思われそうですが、限定された愛です。
相手と自分との一体化しか考えていない、限定付きの愛だからです。
本当の愛は、自分も相手も周りも一体化する、大きな愛をいいます。
世の中にある宗教は、文化、聖典、言葉、生まれの違いこそはあれ、どれも同じことを言っています。
それが「個と全体の一体化」です。
私たちは、その個と全体が一体になるような習慣を、知らず知らずの間にしています。
挨拶。
助け合い。
協力。
愛し合うこと。
才能を生かして生きる。
こうしたことは、あなたもよく耳にする言葉でしょう。
しかし、どれも、個と全体が1つになるための素晴らしい習慣です。
さあ、手のひらを見てみましょう。
手のひらには、親指、人差し指、中指、薬指、小指がありますよね。
確認しましたか。
それぞれの指だけでは、うまく機能しませんよね。
もちろん動きはしても、手本来の働きをするためには、すべての指の力が必要です。
もう一度、手のひらを見てみましょう。
5本の指は、真ん中にある手のひらで1つにつながっています。
「手」が出来上がり、さまざまな仕事ができているのです。
握手をしたり、字を書いたり、ボールを投げたりなど、一体になることで本来の機能を果たし、十分に力を発揮しています。
親指だけで字を書くことはできません。
小指だけで握手もできなければ、薬指だけでボールを投げることもできません。
5本の指が1つにつながり、一体になり、初めてその本来の力が発揮されます。
個と全体の一体化とは、手のような感じです。
一つひとつだけが独立するのではなく、1つになるのです。
1つになることで、ほかの存在も喜ぶわけです。
この考え方を、友人関係、家族関係、社会に当てはめ、宇宙に当てはめてみましょう。
それぞれが独立してはいません。
いえ、独立など、そもそもないのです。
初めから、1つなのです。
「1つにならないといけない」ではなく、すでに「1つ」になっています。
ただ、その連携がうまく取れていないために、差分が生じています。
手のひらのように1つにつながっていても、うまく連携が取れないと、本来の力を発揮できないのです。
挨拶をする、握手する、協力する、相談する、助け合うことは、連携を取り合うことです。
自分の存在が、周りに溶け込み、1つとして一緒に協力しながら生きていくということです。
初めて本来の力が発揮されるのです。
「ご縁を大切にしなさい」
私のおじいちゃんが生きていたころ、よく口にしていた言葉です。
まだ幼かった私は、その意味がよくわかりませんでしたが、今はその意味が理解できるようになりました。
タネから、花が咲くためには「種だけの力」で可能でしょうか。
いいえ、タネだけでは育ちません。
床の上に、タネを置いているだけでは、いつまで経っても花開くことはありません。
まず、土が必要です。
水も必要です。
もちろん日光も欠かせません。
タネはタネだけでは育たず、そのほかの存在と交わりながらでないと、育ちません。
これを「縁」といいます。
縁とは「結びつく」「交わる」ということです。
出会いを、自分の中に取り入れるということです。
タネは、土と出会うことで、自分の環境を整えることができます。
水と出会うことで、成長できます。
日光と出会うことで光合成ができ、さらに成長します。
時には大雨、大風という厄介な存在も必要でしょう。
大雨、大風を経験することで、しっかり根が伸び、雨や風にも負けない力強い根っこを持つようになります。
人が生きていくときにも、さまざまな出会いが必要なのです。
いえ、むしろ出会いがなければ、種と同じように、まったく育たないのです。
「縁を大切にして生きなさい」とは「出会いを大切にして、自分の中に取り入れて、吸収しなさい」ということです。
出会いを大切にしないと、あるところで成長は止まってしまいます。
タネはタネだけでは成長しないように、あなたもあなただけでは成長しないのです。
人間も、家族、恩師、友人、そのほかの数多くの人と出会うことで、大きく成長するのです。
時には、嫌いな人、苦手な人との出会いも必要です。
そうした出会いによって、あなたの精神的な免疫力が養われ、さらに強く生きていくことができるようになります。
すべての出会いに意味があり、自分のためになっているのです。
すべての出会いは、あなたにとって縁であり、栄養になっているのです。
神社にお参りをすれば、運が良くなる。
お守りを持っていれば、神様が守ってくれる。
占いのとおりにすれば、うまくいく。
神秘的なことを、本当に信じ込んでいる人をよく見かけます。
神社にお参りすることや、お守り、占いがいけないことだと言っているわけではありません。
ただ、自分は何も努力しないのに、神様仏様に「何かしてもらおう」という態度に問題があると言いたいのです。
神様、仏様に何かをしてもらおうという考えや行為に、問題があります。
自分が何もせず、神様仏様に頑張ってもらうという態度は、横柄です。
実際に神社にお参りして、運が本当によくなった話を聞きます。
それはお参りすることで、自分の心に区切りがついたからです。
「自分は運が良くなるに違いない」と強く信じることができ、本来ある自分の力を引き出すことができているからです。
心の問題です。
お守りを持っていて、本当に幸運になる人は、お守りの力ではありません。
「私は必ず、うまくいく」と、お守りという存在が精神面において強い支えとなっているから、幸運へとつながっているのです。
お守りそのものが何かをしているわけではなく、心の支えの1つとして活用できています。
本来の自分の力を引き出すために、神社やお守り、占いを活用しているからです。
「性格を変えたい!」
こうした悩みを抱いたことは、私だけではないはずです。
私も昔、自分の性格を変えようと必死になったことがあります。
友人に好かれるために性格をよくしようとしたり、もっと明るくなろうとしたりしましたが、どれもうまくいきませんでした。
自分を変えようと努力すれば、たしかに変わったような気にはなります。
しかし、ちょっと油断をすれば、またいつもの性格に戻ってしまいます。
それもそのはず。
私は私にしかなれないからです。
チューリップのタネがあるとします。
チューリップのタネからは、何の花が咲くでしょうか。
もちろんチューリップに決まっていますよね。
チューリップのタネからは、チューリップしか咲きません。
チューリップのタネから、バラの花やヒマワリの花が咲くということは、万が一にもあり得ません。
しかし、私がしようとしていたことは、チューリップのタネからバラの花を咲かせようとしているようなことだったのです。
チューリップのタネからはチューリップの花しか咲かないように、私は私にしかなれないのです。
自分を変えようとしても、初めから不可能なことです。
むしろ、最初からある自分を、もっと出していけばいい。
チューリップはチューリップらしく生きることがいちばんいいように、私は私らしく生きることが自然であり、伸びる生き方です。
私には元来「せっかち」という性格があります。
せっかちな性格のため、もたもたのろのろするのが、あまり好きではありません。
過去に何度も「直そう、直そう」としましたが、また元に戻ってしまいました。
チューリップがヒマワリになろうとしても、やはりそれは不可能だったということです。
私のせっかちな性格は、生まれつきです。
嫌いだったこの性格を、ある日、直すのをやめて、むしろそのまま出していこうと思いました。
せっかちな性格には、努力を必要とせず、初めから身についていることだから、私には得意技です。
もうすでに身についているこの性格を、どんどん生かして生きていこうと、考え方を変えました。
私は本を書くときには「一気に書き上げる」というスタイルを、貫いています。
せっかちだからです。
1冊目から、1つの例外もありません。
貫くと言っても、もともと私はせっかちなので「一気に書き上げる」しかできないのです。
一気に書き上げることで、勢いで次々と書くことができるため、結果として質が上がり、全体的に統一感が生まれます。
文章全体が私の気持ちの流れに沿って、書きつづられています。
勢いがあるからこそできることです。
もたもたしていると、さっき考えていたことを忘れてしまい、今書こうとしていたことも忘れます。
せっかちな性格を生かしたからこそ、できたことです。
せっかちな性格を生かして、HAPPY LIFESTYLEはつくられています。
私のせっかちな性格を生かすことで、自分にベストな生き方を確立しています。
初めから、性格を変える必要などなかったのです。
性格を変えるのではなく、生かせられるように、うまく活用すればいい。
自分の今の性格にだけは、もうすでになることができているのですから、完璧なのです。
世間ではこんな声をよく耳にします。
「性格を直しましょう。性格を改善しましょう」
よくよく考えると、おかしな話ですね。
チューリップの花に「バラになりましょう」と言い、バラの花に「ヒマワリになりましょう」と言っているようなものです。
似せて真似できるかもしれません。
しかし、どんなに似ているとはいえ「偽物」でしかありません。
一時的な効果しかない。
私が性格を改善させて、のろのろした性格になろうとすれば、たしかに一時的にはそうなれることでしょう。
しかし、そもそもの自分の性格はそうではありませんから、すぐ元に戻ってしまいます。
変えるのではなく、ありのままでいいのです。
ありのままを、そのままもっと伸ばしていく生き方でいいのです。
チューリップは、いくらヒマワリになろうとしてもできません。
一方、ヒマワリもチューリップになろうとしてもできません。
しかし、チューリップは、何の努力も必要とせず完全なチューリップになれます。
ヒマワリも、自然にヒマワリになれます。
あなたが自分の性格を変えようとしていれば、今すぐやめることです。
むしろその性格だからこそ、生かしましょう。
映画監督として有名な黒澤明監督は、映画『七人の侍』であるエピソードを語っています。
主役を演じる七人のメンバーは、がさつで荒っぽい演技しかできなかったそうです。
いくら剣の振り方を教えても、うまくできず、がさつな動きしかできません。
あるとき黒澤監督は、がさつを直すのではなく、そのまま映そうと考えました。
がさつで荒っぽいからこそできる、迫力のある演技にしようと考えたのです。
がさつを、欠点ではなく、長所に変えたのです。
すると生々しい演技として仕上がり、迫力が出て、そうして名作となったのです。
まさに、役者たちを変えるのではなく、ありのままを出すことで成功した例です。
性格を変える必要はありません。
自分も変える必要はありません。
あなたは何の努力なしに、完全なるあなたになることはできています。
そんなあなただからこそある「性格」「個性」を生かして、強みに変えてしまえばいいのです。
「好きなことを探す」
「好きなことを見つける」
好きなことを見つけるのは、難しいことだと思っていませんか。
見つける必要はなく、すでに一度は必ずどこかでしたことがあるはずなのです。
中学生のころかもしれませんし、小学生のころかもしれません。
隠れてこっそりしているようなことが、好きなことです。
昔を振り返り、隠れてこっそりしていたことを思い出してみましょう。
私は昔から自己啓発に興味があり、中学生のころからこそこそとその手の本を読んでいました。
速読、速聴、速記、通信教育、資格。
自分の成長に関する本は、輝いて見え、当時は親や友人にばれないように、こそこそと学んでいました。
ほかの人にばれると、おかしな人、変な人と思われるだろうと思ったので、隠れて読んでいました。
しかし、結果としてそのときに学んだことが、今に生かされている形になっています。
隠れて勉強するのは、それだけ好きだということです。
誰のためでも、誰に知られるわけでもなく、隠れてでもいいから自分のために学んでいることは、必ず身につきます。
昔、こそこそとしていたことを思い出してみましょう。
「好きなこと探し」は、探すものではなく、もうすでに人生のどこかで、したことがあるのです。
神様は、直接的にはあなたに力を貸しません。
神様は常に、間接的にあなたに語りかけてきます。
病気になれば「生活を見直しなさい」という神様からの警告です。
けんかをすれば「自分のことばかり、考えていませんか」という言葉です。
なかなかうまくいかないことは「そちらは、あなたが歩むべき道ではありません」という言葉です。
神様は恥ずかしがり屋ですから、大きな声では教えてくれません。
小さな声で、間接的に、それもわかりにくく、教えてくれます。
そのほとんどが「運が悪い」という言葉で流されてしまうようなことばかりです。
でも、本当は意味があるのです。
運が悪いということは存在せず、必ず何か理由があります。
ささいなことにも、ささいな理由が存在します。
それに気づける人は、神様の力を活用して生きていける人です。
神の力とは、宇宙の力、自然の力のことです。
私たちは、自然の中、宇宙の中にいるのですから、その法則には従わなければなりません。
法則を破ったときには、その大きさに応じて、ささいな罰を与えられます。
それにきちんと気づくセンサーをもちましょう。
たまたま起こった偶然の出来事ではなく、意味があるのです。
神様からの警告を無視せず、しっかり耳を傾ける人は、もはや手相も占いも占星術も必要ないのです。
転んで、膝を擦りむいても、しばらくすれば皮膚が再生し、やがて元どおりになります。
体は出血を抑えるためにかさぶたをつくり、細胞分裂を繰り返して、皮膚を再生させます。
自然治癒力は、体にもともと備わっている「元に戻ろうとする力」の1つです。
水を飲まなければ、喉が渇き、水が欲しくなる欲求も「元に戻ろうとする力」の1つです。
体に潤いを戻そうとしている力です。
「水が足りません。至急、水を補給してください。そうしないと病気になりますよ」という警告を、体が教えてくれています。
喉が渇いたときには、素直に水を飲みましょう。
喉が渇いたときに水を飲むと、元気になります。
眠くなるという生理的現象も「元に戻ろうとする力」の1つです。
勉強や仕事をして疲れ、夜になると自然に眠くなります。
それ以上、起き続けていると、体にとって毒になります。
「そろそろ休憩しなさい」と疲れきった体を、元の健康の状態へと戻そうとします。
眠いときには、素直に寝るのがいちばん。
十分に睡眠を取り、疲れが解消されれば、朝にはすっかり元気を取り戻しています。
私はアメリカ留学の最中、いつも日本のことを考えていました。
アメリカにいるのですから、アメリカのことばかりを考えていそうですが、不思議と日本のことのほうが気になりました。
日本の家族、友人、恋人、日本の環境、日本の音楽ばかりが気になり、神様からの警告のようでした。
「あなたはアメリカにいるべきではない。日本に戻りなさい」
聞こえない言葉が聞こえてくるように、私を元の場所へと戻そうとする力でした。
その後、素直に自分の気持ちに従い、日本へと帰国します。
アメリカにいるときには不安定でしたが、日本に帰った瞬間から落ち着きを取り戻し、身も心も安定し、元気を取り戻しました。
「元気」という漢字は「元の気」と書きます。
元気になるとは「元の気に戻ること」です。
元に戻ったとき、人は、元気になります。
元気になるためには、出すのではなく、戻せばいいのです。
元に戻ろうとする力は、自然の力、神の力、宇宙の力です。
物を上へと投げれば、地面に向かって落ちてくるのは、宇宙の力が働いている証拠です。
今手元にある、ボールペンでも消しゴムでも何でもいいですから、上に投げてみましょう。
地面に向かって落ちてしまいますよね。
目には見えませんが、見えない力が働いていることは、たしかです。
目には見えない力が働いていることに、気づきましょう。
目に見えることだけを信じてしまいがちですが、本当に大切なことは目に見えないことなのです。
私たちは、宇宙の中にいるのですから、宇宙の法則に従うことが必要です。
宇宙のリズムに合わせなければいけない。
元に戻ろうとする力は、宇宙の力の1つです。
法則に無理に逆らって生きようとすると、大変な思いをすることになるのです。
仏教には「類魂」という言葉があります。
英語では「グループ・ソウル(Group Soul)」といいます。
「すべての魂は、ばらばらではなく、1つである」という意味です。
手のひらを見れば、わかりやすく説明ができます。
さあ、手のひらを見てみましょう。
親指、人差し指、中指、薬指、小指と5本ありますね。
しかし、それぞれの指が独立しているのではなく、付け根では手のひらを通して1つにつながっています。
それぞれがばらばらに思えても「実は1つである」という事実があります。
根っこでつながっているのです。
類魂とは、それぞれ独立しているのではなく「実は1つ。同類である。仲間である。グループである」ということです。
人間は、一人ひとりが独立しているように思えますが、根っこではみなが1つにつながっています。
地球があるから生まれたというのは、性別・国籍・学歴など関係はなく、すべての万物に共通です。
手の指は、地球上の生物であり、手のひらは地球そのものと考えましょう。
指5本が1つにつながっているように、地球上の生物もばらばらではなく、実は根っこで1つにつながっているのです。
つながっているのですから、元は1つなのです。
相手はあなたであり、あなたは相手でもあるのです。
「やる気が出ないなあ……」
誰もが経験する、ごく普通の気持ちですが、私の場合はこの感情を見逃しません。
やる気が出ないのは、必ず何かの理由があるからです。
ほとんどの場合、その理由はささいです。
「寝不足だから」
「次の日に嫌な仕事が待っているから」
「ちょっといらいらしているから」
「おなかがすいているから」
どれもささいなことであり、大したことではありません。
理由という名前をつけることが、恥ずかしいくらいです。
しかし、往々にしてこうしたささいなことに、何かヒントが隠されているものなのです。
普通は何でもなく、気にしないようなことが、実は成功への扉につながっています。
神様は、大切なことほど、ささやき声で教えてくれます。
誰でも、大きな間違いや大きな失敗をすれば「これは大変だ。なんとかしなければ!」と思い、必死になるでしょう。
当然といえば、当然です。
しかし、大きな間違いや失敗をしてからでは遅いのです。
本当は問題になる前に、対処ができていれば良かった。
以前からちゃんと神様は、あなたに警告を発しているのです。
神様は、往々にして、大切なことほど、小さくささやいて教えてくれます。
そのほとんどを、私たちは「たまたま」「偶然」「うっかり」といった理由をつけて、片付けてしまいます。
ささいな間違いの裏には、大きな教えが隠されているのです。
神様にお願いばかりではいけません。
自分の力に頼ろうとせず、神様だけを頼りにするのは問題です。
実は、神様に頼らなくても、簡単に問題が解決する方法があります。
自分が行動すればいいのです。
神様へのお祈りは、自分の心に区切りをつけるためや、精神を安定させるため程度にしておきましょう。
祈って、神様が直接助けてくれることはあり得ません。
目の前にあるコップを、いくら神様にお祈りしても動くことはあり得ないことと同じです。
「神様、お願いです。目の前にあるコップを動かしてください」
両手を合わせ、いくらお祈りしても、コップは動きません。
神様は、コップを動かす力を持っていないからです。
こういう場合は、自分の手でコップを動かせばいいのです。
手に取れば、簡単に動かせます。
お祈りするまでもないのです。
往々にして、お祈りするまでもないことを、お祈りに頼っている人がいます。
「大学受験に合格しますように」
「健康が維持できますように」
「家族が幸せでありますように」
どれももっともらしいお願いですね。
しかし、自分が努力すればいいだけの話です。
お祈りするまでもないのです。
先ほどのコップと同じように、神様はそうしたことを叶える力は持っていません。
祈ることは、自分の力を信じて、引き出すための儀式と思いましょう。
願いが叶えられるかどうかは、自分しだいなのです。
幸せになれるかどうか、大学受験に合格できるかどうか、健康維持、家族の幸せ。
どれも神様は手を出すことはできません。
人間だけが、手を出すことができるのです。
お祈りをして、実際に実現してしまうという人もいますが、祈ることで自分の力が最大限に発揮されるからです。
それを、本人は気づいていないだけです。
お参りをして「よし! また明日から頑張るぞ!」と心の張りを取り戻すことができるから、現実において努力が反映されるのです。
神様にお祈りしている内容を、実際に自分が行動すれば、ちょうどいいのです。
生きている時間は、無限ではありません。
有限です。
若いころは、今の状態が永遠に続くような気がします。
しかし、どんな人にも必ず「死」というゴールが、最後に待ち受けています。
死という言葉には、悲しく暗い印象が伴っていますが、宇宙から見れば、人が死ぬことは当然のサイクルなのです。
すべての物質には「始まりと終わり」という法則が当てはまります。
例外はありません。
人間だけではありません。
地球や太陽、太陽系や銀河系にも、終わりがあります。
星というレベルにも、始まりがあれば、終わりがあるのです。
このように物質として誕生した物体には、すべてに「終わり」は共通しています。
終わりとは、死のことです。
若いときには、この「死」をあまり意識しませんが、意識はしておいたほうがいい。
意識しておかないと、人生をうまく走れなくなってしまうからです。
フルマラソンと同じです。
マラソンで、ゴールを知らずして走り始めるとどうでしょうか。
ゴールは、どのくらい先にあるのかわからないと、うまく走れなくなります。
ゴールがどのくらい先かわからないことには、ペースをどう調整すればいいのかも、わかりませんね。
ゴールがわからなければ、ペースの調整や体力のコントロールだけでなく、精神面のコントロールも何もかも、難しくなります。
マラソンは、ゴールをしっかり意識しているから、うまく走れるのです。
人生でも、また同じです。
死というゴールを意識しないと、人生をうまく走れなくなります。
お金、進学、仕事、結婚、老後といったテーマを、調整できるようになります。
たしかに誰も死を考えたくない。
死ぬのは、私だって嫌です。
しかし、死を意識しないと、ゴールを知らないマラソンのように、うまく走れなくなってしまうのです。
「自分はこのくらいで死ぬだろうな。自分はこのテーマで人生を走りたい。そのためには学ぶことが必要で、こんな勉強が必要」
死を意識して、初めてそうした計画を立てることができるようになるのです。
ゴールは目を背けるべきテーマではありません。
逆です。
むしろ目を向けるべきテーマなのです。
死と真っ向から向き合う人が、人生を上手に生きることができるようになるのです。
逆説的に思えますが、不自由な人、不幸な人ほど、幸せになれるチャンスを持っています。
「幸せに気づくチャンスがある」と言ってもいいでしょう。
障害を持っている人は、幸せに気づくセンサーが敏感になっているからです。
障害、不幸、不自由があると、普段は感じられない何気ないことが、輝いて見えることがあります。
五体満足は、すべてが手に入っている状態です。
言うまでもなく、幸せですね。
しかし、初めからすべて手に入っているがゆえに、当たり前の大切さを見失いがちです。
幸せは、新しく手に入れることではなく、今、手にしていることに対して、感謝をすることです。
私は19歳のとき「胃腸炎」という炎症のため、入院をしたことがありました。
胃と腸の両方が同時に炎症を起こし、おなかが膨らんでしまっている状態です。
妊婦のように、おなかが膨れあがっている。
あまりの痛みのため、立つことすらできませんでした。
単なるけがの痛みは経験したことがあっても、立てないほどの激痛は、そのときが初めてでした。
ちょっと動けば痛くなり、体を少し動かすだけでも、痛い。
声を出したくても、声が出ないくらい痛かった。
普段は、いつでも何気なくできる行動に、なぜこんなに苦労しなければならないのだと思ったものです。
痛みのせいで、このまま死ぬのではないかと思ったほどです。
救急車を呼びたいが、目の前にある電話まで、動けない。
ほんの3メートルほどの距離が、やけに長く感じられる。
床を這いながら、目の前にある電話のところまで移動するのに4時間もかかりました。
その後、救急車で病院まで運ばれ、手当てのおかげもあり、数時間後ようやく痛みが治まりました。
そのときの「痛くない」という嬉しさは、今でもはっきり覚えています。
ちょうど友人が一緒に病院まで付き添ってくれていたのですが、いまだにそのときのことは、笑い話にされます。
「そういえば、あのときタカは、痛くないって喜んでいたよね」
「痛くないって、かなり嬉しそうだったよ」
そのときは、痛くないというだけで、本当に嬉しかったのです。
「おっ! 痛くないよ、痛くない!」と、子どものようにはしゃいでいました。
私にはそのとき、普通の人は見えないことが見えていたのでした。
痛くないという「当たり前の幸せ」を。
3日間の入院の後、退院でき、それからというもの健康に対しては不思議と敏感になりました。
痛くないことは、当たり前ではありますが、その喜びを知ることができた経験は私にとって貴重だと思っています。
二度と経験したくない出来事です。
もう一度経験したいかと聞かれれば、もちろん経験したくないと答えます。
では、あのときの経験は無駄だったかというとそうでもない。
むしろ、経験できて良かったと思います。
大切なことに気づくきっかけになったからです。
不自由さは、幸せに気づくチャンスと言われます。
ほかの人にはわからない幸せに気づくチャンスができた分、私はとても貴重な経験ができたと思っています。
生まれつき障害を持っている人がいます。
手足がなかったり、言葉をうまく話せなかったり、目が見えなかったりなど、障害にはさまざまな種類があります。
私は、五体満足として生まれ育っています。
不自由や障害を持った人の気持ちがわからないというのが、正直なところです。
わかったようなつもりになっても、そうした経験をしていないのですから、身をもって感じることはありません。
目に見えない当たり前の幸せは、障害が訪れたときに、初めて見えるものです。
不自由な障害を持っている人は、そうした当たり前の幸せにたくさん気づいているのでしょう。
私たちのように五体満足の人間には、経験しないとなかなかわからないことです。
一度経験しないとわからないように、実際に経験している人は、たくさんの幸せに気づいているはずです。
経験している人だけが知る、幸せです。
目が見えない障害があるとはいえ、実は見えない人こそ、真の幸せが見えているのです。
時計は、大変な芸術作品です。
時計の針が動いているその裏では、たくさんの歯車が回っていることをご存じですか。
数え切れないほどのたくさんの歯車同士が組み合わさり、お互いに影響を与えながら、1分1秒を正確に刻んでいます。
長い針、短い針、秒針。
それぞれが狂いのないように進むためには、裏ではたくさんの歯車が噛み合わさっているのです。
無駄な歯車は、1つもなく、それぞれに意味があります。
人間関係も同じです。
自分という存在に何の意味があるのかというと「ほかの人への影響を与えている」ということです。
生きていること、そのものに意味があるのです。
生きているだけで、あなたの父が喜び、母が元気になります。
元気になった親が、さらに友人・知人へと活力を与え、その友人・知人もさらにほかの人へと影響を与えます。
目には見えませんが、精神的な面において、大切な役割を果たしているのです。
時計の歯車が1つでもかけてしまえば、動きがおかしくなるように、あなたが1人いなくなってしまえば、父や母が悲しみます。
元気を失った親は、友人・知人との会話が減ります。
会話が減った友人・知人は、さらにほかの人への会話も少なくなります。
「自分という存在は意味がないのではないか」と思う心配は、まったく不要なのです。
生きていることに何の意味があるかというと、たくさんの人に影響を与えることです。
太陽のように、自分が輝き、ほかの人を明るく照らすことで、良い影響を与えます。
それが「生きている」という仕事なのです。