「どうすれば、うまい文章を書くことができますか」
私はときどき、こんな質問をいただくことがあります。
うまい文章とは大げさですが、私は文章を書くときには、たしかにいくつかの「コツ」を意識して、書いています。
文章を書くときには、たくさんのことを意識しなくても大丈夫です。
文章を書くときに大切なことは、たった3つだけです。
(1)読みやすさ
読み手にとって、わかりやすい文章は、まず「結論」から始まる文章です。
読んでいて「だから、何が言いたいの?」という文章があります。
そういう文章に限って、結論を後回しにしています。
書き始めのころは「できるだけかっこよく見える文章を書いてやろう」と意気込んでしまいがちです。
それはまず、漢字に現れます。
たくさんの漢字を使ってしまい「どうだ、俺はこんなに漢字を知っているんだぞ。すごいだろ」と、見せつける文章になっています。
うまい文章というのは、聞いてもわかる文章です。
わかりやすい文章のためには、聞いてもわかる文章にしましょう。
アナウンサーは「約10」と表現するときに「およそ10」と言います。
文章を書くときには、はっきり言い切ることが大切です。
文の最後を「です。ます」で、終わらせるだけでいいのです。
ときどき、言い切っていない曖昧な状態で終わっている文章を見かけて、残念なときがあります。
もしうまく書けなければ、インプットが少ないせいかもしれません。
泣き言を言うだけではうまくなりません。
わがままを言う時間があるなら、積極的にたくさん本を読んだりして、インプットすればいいのです。
上手に書くための勉強は、最高の文章と最低の文章の両方から学びましょう。
今の世の中は、昔の有名な文学作品でも、安く手に入るようになりました。
良い文学作品や、上手に書けている文章は、読んでいて勉強になります。
人の心にすっと入っていく文章を書くためには、論理的に整理整頓して書くより「気持ちの流れ」で書くことが大切です。
一見、文章を上手に書くときには、文章を整理整頓することが大切であるように思われます。
たしかに整理整頓も大切です。
うまく文章を書くときには、文法をあまり考えすぎないようにしましょう。
文法を考えすぎては、何も書けなくなります。
むしろ文法より、読みやすさのほうが、よほど大切です。
ときどきを、感嘆符をたくさん使った文章を見かけることがあります。
「とっても嬉しかった!!!」「ありがとうございます!!!」などです。
どきっとした人は、要注意です。
ある日、私は駅のホームで電車を待っているときのことです。
駅に貼っているポスターのキャッチフレーズに、目がとまりました。
「今日の私は、いつもと違う私」
私はよく読者から「元気づけられました」というメールをいただくことがあります。
文章を書くときに、ただ淡々とした文章は書きたくないです。
それより、読んでいて元気になってくる文章が書きたいのです。
説得力のある文章を書くコツは、自分の経験したエピソードを入れることです。
説得力のある文章は、必ずといっていいほど著者本人の体験が盛り込まれています。
体験が盛り込まれているから、説得力があるのです。
読者に最後まで集中力を持って読んでほしいなら、短く書きましょう。
短く書かないと、読者は疲れます。
本屋で本を開くと、ページいっぱいに書かれた本があります。
作家に必要な能力は「書く技術」より「観察力」です。
書く技術は、教えてもらったり、真似をしたりすれば、簡単に習得できます。
上達に早い遅いの違いがあっても、時間さえあれば、なんとかなるものです。
タイトルで、勝負が決まります。
タイトルにどれだけ力を入れているかで、文章の評価までも決まってきます。
本屋で並べられている本を目の前にして、まず手に取るのは、自分が気になったタイトルの本です。
読者には、できるだけ読みやすい文章が喜ばれます。
数字の表現は、漢数字よりアラビア数字のほうが読みやすいです。
たとえば「一万二千三百四十五」と漢数字で書くと、読みづらくなります。
読者にわかりやすく書くためには「箇条書き」を使います。
箇条書きとは、事柄を箇条に分けて、シンプルに書き並べることです。
今までの本は、段落ごとに改行する書き方でした。
字は、大きければ大きいほど、読みやすくなります。
普通、マイクロソフトのWordで作成する文字の標準は、10.5ポイントの大きさです。
プレゼンや企画書を、小さい字で書くと、読みにくい文章に仕上がります。
文章の繰り返しを防ぐために「その、あの」と使うことがあります。
「そのとき、その意味、あの言葉、あの感覚」などといった使い方です。
たしかに文章の繰り返しを防いで、楽な表現です。
文章を書くときには、同じ表現を繰り返しすぎないように気をつけましょう。
文章をたくさん書くうちに、知らない間に同じ表現をたくさん使ってしまうことがあります。
もし、何かの意図があって繰り返しているなら、かまいません。
文章を書き始める前、どう書けばいいのかわからないときがあります。
しかし、書き始めると、不思議な現象が起こります。
一転して、次から次へと書くことが思い浮かんでくるのです。
切りのいいところで話を終えるのが、上手な文章の終わり方であるように思えます。
たしかに切りのいいところで終わるほうが、きれいに仕上がった文章が出来上がります。
読後感もすっきりするに違いありません。
面白い文章を書くために、読者が喜ぶとっておきのネタがあります。
「失敗談」です。
失敗談は、つまらないし、ためにならないと思われがちですが、とんでもないです。
人の心を動かすエピソードとは、どのようなエピソードなのでしょうか。
人の心を動かすエピソードとは「失敗から這い上がってきたエピソード」です。
失敗から、這い上がってくるところに、人の強さを感じます。
良い文章を書くためには、積極的に人に読んでもらい、意見を聞いてみましょう。
「日記」のような、自分だけの文章なら、自分中心に書いてもかまいません。
しかし、一般的な文章は、人に読まれるのが当たり前です。
余白は、できるだけ大切にしましょう。
余白がなくて読みにくいことがあっても、余白があって読みにくいということはありません。
なにより、余白があることで、読み手に1文1文の価値を、印象づけることができます。
書くのが上手な人は、書くことが習慣になっています。
有名な『アンネの日記』の著者、アンネ・フランクは、書くことが習慣になっていました。
ナチスに捕まるのが嫌で、家族と共に、ある家の屋根裏部屋に身を潜めます。
お笑い番組を見ていると、両極端の自分に気づきます。
ついさっきまで大笑いしている自分がいれば、白けている自分がいます。
つまり、面白いなと思うコンビもあれば、全然面白くないと思うコンビもあるということです。
「どうすれば、うまい文章を書くことができますか」
私はときどき、こんな質問をいただくことがあります。
うまい文章とは大げさですが、私は文章を書くときには、たしかにいくつかの「コツ」を意識して、書いています。
これは、私が本を読んで学んだことだけでなく、自分の体験から学んだコツでもあります。
たくさん文章を書くうちに、うまい文章を書くためのいちばんのコツがわかりました。
「とにかく書いてみること」です。
すべては、ここから始まります。
どのような文章が、どういう感じになるのかは、最初はとにかく自分の頭で考え、自分の手で書いてみないことには始まりません。
わかってから、書くのではありません。
書いているうちに、わかってくるのです。
まず、書いてみましょう。
書いてさえしまえば、書くコツはあとからだんだんわかってきます。
他人から聞いたコツより、自分が自分で書いた経験からのほうが、よほど確かで優良なコツが習得できるのです。
文章を書くときには、たくさんのことを意識しなくても大丈夫です。
文章を書くときに大切なことは、たった3つだけです。
これだけでいいのです。
この3つを大切にしていれば、後は自然にうまく書けるようになります。
いちばんの「読みやすさ」は、どんな文章にも大切なことです。
読み手は、学者ではありません。
難しく書いても、読者が読みにくいと感じて、途中で読むのをやめてしまっては、書いた努力も水の泡になります。
2番目の「わかりやすさ」も大切です。
理解できない文章は、意味がありません。
理解できるからこそ、意味があるのです。
ラブレターを書くときに「好きだ」ということが伝わっていないなら、もうラブレターではありません。
単なる暗号文になります。
みんなが理解できる文章を書きましょう。
わかりやすいラブレターを書くコツは「好きだ」と書くことです。
結局これが、わかりやすいのです。
わかりやすいと、相手も理解できて、返事もしやすくなるのです。
3番目の「面白さ」は、読み手のわくわくする気持ちです。
「もっと読みたい!」という気持ちは、面白さから湧き出てきます。
ドラマや漫画では、よりによって、いつもいちばん面白いところで終わります。
「こんな面白いところで終わって。気になって眠れないじゃないか」と読者が感じることで、次にまた読んでもらえるのです。
面白いと「じゃあ、次も読んでみよう。もう少し読んでみよう」と、わくわくしてくれるのです。
読み手にとって、わかりやすい文章は、まず「結論」から始まる文章です。
読んでいて「だから、何が言いたいの?」という文章があります。
そういう文章に限って、結論を後回しにしています。
結論を後回しにすると、文章がもやもやしてしまい、わかりにくくなってしまうのです。
著者を見てみると、大学教授や地位の高い人だったりします。
プライドが高くて、最初にいちばん大切なことを持ってくるのは、もったいないと思っているのでしょう。
しかし、結論が後回しになると、読み手はいらいらしています。
貴重な時間を使って読んでいる読者を、いらいらさせてしまってはいけません。
いらいらさせてしまわないように、結論から始めましょう。
「結論を最初にもってくると、読者は読んでくれなくなる」と、思われがちですが、そんなことはありません。
最初にいちばんおいしいところを持ってくると、読者は「おっ、どれどれ」と興味を持って、読んでくれるのです。
この文章のいちばん大切なところも、最初にもってきています。
この文章は、タイトルである「まず、『結論』から始めることが大切」が、いちばん大切なところです。
これが、いちばん言いたいことです。
いちばん大切なことは、最初にもってきています。
読者は「これからどんな話が始まるのか」ということが、はっきりわかるのです。
書き始めのころは「できるだけかっこよく見える文章を書いてやろう」と意気込んでしまいがちです。
それはまず、漢字に現れます。
たくさんの漢字を使ってしまい「どうだ、俺はこんなに漢字を知っているんだぞ。すごいだろ」と、見せつける文章になっています。
たしかに漢字を使うと、いかにも難しそうでかっこいい文章に見えてしまいがちですが、その代わり読みにくい文章になります。
読み手には、読みやすい文章が好まれます。
読み手には、漢字がたくさんあってかっこいい文章でも、読みにくければ「ありがた迷惑」です。
逆に漢字を使わないことで、文章が読みやすくなります。
十返舎一九の代表作『東海道中膝栗毛』は、それまでの文語体のお堅い文章とは違い、口語体で書かれています。
口語体のほうが、庶民には親しみが持て、読みやすかったのです。
その結果、たくさんの人に読まれることとなったのです。
漢字ばかりで書いた学術書のほうが、しっかりした内容の文章ではあります。
しかし、読者が「漢字ばっかりで難しそうだな。読むのが面倒」と言えば、それまでなのです。
うまい文章というのは、聞いてもわかる文章です。
わかりやすい文章のためには、聞いてもわかる文章にしましょう。
アナウンサーは「約10」と表現するときに「およそ10」と言います。
「約10」が「110(ひゃくじゅう)」と聞き間違えることを防ぐためです。
読まれる文章のためには、聞いてもわかる文章であることです。
読み手のことを本当に考えている著者は、目で読むだけの文章ではなく、耳で聞いてもわかる文章を書きます。
私たちは、黙って文章を読むときには、心の声で音読しています。
文章を自分が読んで、その心の声を自分が聞いて、理解しているのです。
私は視覚障害者のためにも、文章をいつか音声化したいと思っています。
今の段階では、まだ目で読む文章です。
目の見える人は読めますが、目が見えない人には読むことができません。
みんなが楽しめる文章でありたいし、みんなが幸せになってほしいという夢があります。
そのためにも、今から「聞いてわかる文章」を心がけています。
文章を書くときには、はっきり言い切ることが大切です。
文の最後を「です。ます」で、終わらせるだけでいいのです。
ときどき、言い切っていない曖昧な状態で終わっている文章を見かけて、残念なときがあります。
「~かもしれない。~ではないのだろうか」という表現です。
曖昧な表現では、著者は自分の発言に対して責任逃れをしているだけです。
どこかで、逃げているのです。
読者の心に響くような文章は、言い切った文章です。
今、言い切ることができない人が増えています。
自分に責任が跳ね返ってくるのが、嫌なのです。
言い切ることは「毒舌」とも言います。
芸能界では、ピーコさん、おすぎさんなどの毒舌芸能人が人気を集めています。
はっきり言い切っているからです。
「良い、悪い」とはっきり言い切ってくれるから、聞いているほうはとてもわかりやすく言葉が心に残ります。
言い切ってくれる人が少ないから、余計に目立つし、頼りにされます。
言い切ることで、人生までも変わってきます。
自分の考えをはっきりさせることで、はっきりした決断、行動、結果が返ってきます。
曖昧な表現を使っている人は、決まって決断や行動も曖昧です。
「~したいと思っているんだけど……」と言います。
「思っているんだけど……」の「……」が、曖昧なのです。
この「……」が、いちばん言いたいことなのに「……」で曖昧な表現にして、逃げています。
はっきり発言できていないことで、本人も心のどこかで逃げています。
優柔不断なのです。
曖昧な人生を送ってしまう原因は、曖昧な言葉遣いに問題があります。
優柔不断から立ち直るコツは「自分の口癖を言い切った形にすること」です。
「~です。~ます」と、言い切るだけで変わります。
文章を書くときに、読み手にきちんとわかってもらいたければ、はっきり言い切ることです。
この点は、私も大変意識しています。
文章の最後を「です。ます」で終えるようにして、言い切る形を取っています。
そうすることで、読み手には、わかりやすい形になっているのです。
「~ではないのだろうか」という曖昧な表現は、責任逃れをしている印象が強いため、苦手なのです。
もしうまく書けなければ、インプットが少ないせいかもしれません。
泣き言を言うだけではうまくなりません。
わがままを言う時間があるなら、積極的にたくさん本を読んだりして、インプットすればいいのです。
たくさん本を読めば読むほど、頭の中に知識や知恵が蓄積されます。
著者の書き方、考え方、表現方法が、いつの間にか頭の中に入ってきています。
アウトプットは、インプットさえしっかりできていれば、自然とできるようになります。
しっかりしたインプットがないから、不自然な文体になってしまうのです。
良い文章を書くには、たくさん本を読むのが基本です。
もちろん最後に大切なことは「実際にたくさん書いてみること」です。
もし書いてみて、うまくならないようなら、きっとインプットが足りないせいかもしれないと、考えましょう。
上手に書くための勉強は、最高の文章と最低の文章の両方から学びましょう。
今の世の中は、昔の有名な文学作品でも、安く手に入るようになりました。
良い文学作品や、上手に書けている文章は、読んでいて勉強になります。
書く勉強をするときには、何も最高の文章ばかり読めばいいわけではありません。
最低最悪の文章を読むことも、実は、うまい文章を書くためには必要です。
これを「反面教師」といいます。
こんなふうになってはいけないと、相手の悪いところから、学ぶところを見つけます。
本屋でページ全体が字でいっぱいの本を見ると「読みにくいな。自分はこんなふうに書かないでおこう」と、学べます。
うまい文章を書くためには、良い作品を読むことが大切です。
しかし、良い作品だけでなく、悪い作品からも、大切なことを学べるのです。
人の心にすっと入っていく文章を書くためには、論理的に整理整頓して書くより「気持ちの流れ」で書くことが大切です。
一見、文章を上手に書くときには、文章を整理整頓することが大切であるように思われます。
たしかに整理整頓も大切です。
しかし、人の心を打つ文章というのは、しっかり整理整頓された文章より、気持ちの流れで書いた文章なのです。
整理整頓された文章は、いじりすぎです。
考え直し、読み直し、考え直し、を何度も繰り返しすぎています。
論理的に「1、2、3、4、5」と順番どおりに整った文章は、整いすぎると、人の心を打つような文章は書けません。
人の心にすっと入っていく文章を書くためには、練習なしのいきなり本番で書くことです。
どうしても気持ちの流れで書いてしまいます。
私の文章も、できるだけ気持ちの流れで書くようにしています。
練習や下書きなしの、ぶっつけ本番です。
思いついたまま指を動かし、自分の考えている順番で文字を打っています。
読み手には私の考えている道筋をたどることができ、理解しやすくなっているのです。
しっかりした文章を書こうと思うと、きれいな文章を書いてしまいがちです。
表現や文法の誤りもなく、きちんとした仕上がりになっています。
たしかに良い文章ではありますが、それでは面白みが出てこないのです。
原因と結果だけを書いた文章は、つまらないです。
面白いのは、原因と結果の間にある「プロセス」です。
そのプロセスを大切にしましょう。
読み手は、そのプロセスを知ることで、面白いと感じてくれます。
私はラブレターを書くときには、練習なしで一気に書きます。
最初に言いたいことを述べてから、頭に浮かんだ順番に書くことで、読み手には、私のもどかしい気持ちが伝わります。
結論までたどり着くまでの「気持ちのプロセス」を書くことで、読み手に私の気持ちをうまく伝えることができるのです。
文章を書くときには、気持ちの流れで書きましょう。
気持ちの流れで書いた文章は、わかりにくいようで、実はわかりやすい文章になっているのです。
うまく文章を書くときには、文法をあまり考えすぎないようにしましょう。
文法を考えすぎては、何も書けなくなります。
むしろ文法より、読みやすさのほうが、よほど大切です。
私の文章は、実は、正しい文法では書かれていません。
普通より多めに「、」を入れて、文章を分けています。
そうすることで、目でも分けて読むことができ、読みやすくなるのです。
それから「です。ます」と言い切ることも、心がけています。
1文ずつ箇条書きにするのは、正しい文法ではありません。
しかし、そうすることで、読者が一つひとつ論理的に理解できるようになるなら、それでいいと思っています。
これが、私のこだわりなのです。
正しい日本の文法にこだわってしまっては、訴えたいことをしっかり表現できなくなります。
書く人間は、あなたなのです。
あえて脱線するところに、引き付ける力があり、強調できるのです。
ときどきを、感嘆符をたくさん使った文章を見かけることがあります。
「とっても嬉しかった!!!」「ありがとうございます!!!」などです。
どきっとした人は、要注意です。
伝えたい気持ちはわかりますが、スマートな伝え方ではありません。
感嘆符を使いすぎると、かえって文章の質が下がります。
幼稚でうさんくさい文章になります。
どうしても使いたければ感嘆符は、1つまでです。
感嘆符がたくさんあると、強調効果が半減します。
感嘆符を使わないと気持ちが伝わりにくい気がしますが、誤解です。
では、どう気持ちは伝えればいいのでしょうか。
もっといい伝え方が存在します。
表現を工夫すればいいのです。
嬉しい様子が想像できる表現を使うと、気持ちはよく伝えられます。
たとえば、次のような表現です。
「いつまでも大事にしたい思い出ができました」
「こんなに感動したのは初めてです。鳥肌が立ちました」
工夫したフレーズから、本当に喜んでいることがわかりますね。
表現から、知的な印象も伝えられるのです。
感嘆符がなくても、感動、驚き、強調は、十分に伝えられるのです。
ある日、私は駅のホームで電車を待っているときのことです。
駅に貼っているポスターのキャッチフレーズに、目がとまりました。
「今日の私は、いつもと違う私」
このフレーズの最後にある句点(。)のサイズが、一回り大きいのです。
これは、キャッチフレーズの意味を深めるために、よく使われるテクニックです。
句点のフォントサイズを大きくすることで、言葉を言い切るニュアンスが強調されます。
このことで、フレーズ全体の主張が強調され、印象深いメッセージへと変わるのです。
自分の発言に自信がない人は、言葉の語尾を濁してしまいます。
「私は、こうだと思い……」と発言の途中で声が小さくなります。
言葉の最後に、句点がない状態です。
句点がない話し方は、相手に意味が伝わりにくくなります。
相手に伝える文章を書くときには、句点まで言い切りましょう。
句点まで言い切ることで、主張や自信を、相手に伝えることができます。
私はよく読者から「元気づけられました」というメールをいただくことがあります。
文章を書くときに、ただ淡々とした文章は書きたくないです。
それより、読んでいて元気になってくる文章が書きたいのです。
ある日、元気になるための文章を書くコツを見つけました。
「すればいい」という表現を使えばいいのです。
「してはダメです」という、禁止口調で書かれた文章をときどき見かけます。
「ダメ。ダメ。ダメ」と書かれていると、読者は元気がなくなります。
「何をすればいいのか」と途方に暮れてしまうからです。
読者は答えを見つけるために、忙しい時間をやりくりして読んでいます。
落ち込ませては、失礼です。
読者が元気になるのは「解決策」です。
読者は解決策を見つけるために、忙しい時間をやりくりして読んでいます。
そのためには「ダメ」という表現をやめて「すればいい」と書き換えるだけでいいのです。
「ダメ」という禁止で文章を終わらせてしまうから、読者はだんだん元気がなくなります。
代わりに「すればいい」というふうに、書き換えると「こんなことをしてもいいのか。よし。やってみよう」と元気になります。
行動を許してくれると、元気になれるのです。
元気の出る文章を書くには「すればいい」と、書くだけでいいのです。
説得力のある文章を書くコツは、自分の経験したエピソードを入れることです。
説得力のある文章は、必ずといっていいほど著者本人の体験が盛り込まれています。
体験が盛り込まれているから、説得力があるのです。
人類最初の宇宙飛行を達成したガガーリンの言葉に「地球は青かった」という言葉があります。
たとえば、私が「地球は青かった」と言ったところで、説得力はありません。
私の体験ではないからです。
読者に「実際に見たことがないくせに」と言われることでしょう。
ガガーリンが「地球は青かった」という言葉に心を打たれるのは、彼が実際に宇宙に出て、外から地球を見た経験があるからです。
説得力は、経験者にはかないません。
だからこそ、説得力のある文章を書くコツは、自分の経験したエピソードを混ぜることです。
プレゼンにしても、演説にしても、自分が実際に経験したエピソードを入れることで、説得力が全然違ってくるのです。
読者に最後まで集中力を持って読んでほしいなら、短く書きましょう。
短く書かないと、読者は疲れます。
本屋で本を開くと、ページいっぱいに書かれた本があります。
もちろん数多くの情報量が詰め込まれているのでしょう。
しかし、正直なところ、見ただけで「読むのが大変だな」と思います。
プレゼンや企画書でも、たくさん書かれた文章は、読み手を疲れさせてしまいます。
ひどい場合、読んですらくれません。
読む前から、読もうという気が萎えてしまうのです。
私は今、1作品を30項目で構成していますが、以前はそうではありませんでした。
書き始めた初期のころは、1作品につき50項目で構成していました。
書き終えて、友人に読んでもらいたいので、印刷してプレゼントしました。
ところが、全然読んでくれません。
理由を尋ねてみると「時間がない」といいます。
人間、それほど暇ではないのです。
暇ではない人に読んでもらうためには、文章を短くすることが大切です。
短くすることで、より内容を濃くできます。
読者も短い文章なら、短い時間で読むことができ、読んでくれるようになります。
読まれてこそ、文章の価値があります。
読んでもらえなければ、書いた努力も水の泡です。
読みやすい文章にするためには、短く書けばいいだけです。
自然と質が高くなり、読みやすくなります。
1作品50項目から、30項目に減らしたことで、ようやく友人に読んでもらえるようになりました。
作家に必要な能力は「書く技術」より「観察力」です。
書く技術は、教えてもらったり、真似をしたりすれば、簡単に習得できます。
上達に早い遅いの違いがあっても、時間さえあれば、なんとかなるものです。
しかし、それ以上に大切なことがあります。
「観察力」です。
文章を書くためには、ネタが必要です。
ネタを見つけることができる、いわば「発見する力」が必要です。
文章を書くときには、日常的なことを書くこともあれば、非日常的なことを書くこともあります。
どちらにしても、書き手が日常生活に点在する気になる要素に気づくかどうかが、大切なのです。
私の場合は、もともと「気にしすぎ」という性格があります。
幼いころから、考えすぎてしまう性格でした。
日常のささいなことを深く考えてしまい、思い悩む性格です。
10代のころは、この性格が大嫌いでした。
いつも何かに気づいては考えてしまい、また違うところに気づいては考えます。
最後には、頭が痛くなるのです。
深く考えずに、あっけらかんと生きている人が、本当にうらやましかったものでした。
私は、この考えすぎを、どこかで吐き出したかったです。
それが「本を書く」という活動です。
私にとって、本を書くという活動は、快感です。
トイレに行った後のような、すっきりした気持ちのよさがあります。
いつも考えていることを書いているだけですから、ピアノを弾いているかのように指が動きます。
毎日考えていることを、吐き出せます。
さらに人の役に立つなら、これほど嬉しいことはありません。
私は小さいころから、作文だけは得意でした。
大好きな科目でした。
先生から作文用紙を配られると、作文用紙を手に取った瞬間に書き始めていました。
書くことが自然と思い浮かんでくるのです。
いつも考え事ばかりしていますから、少し課題を与えてもらえれば、それなりの意見が次々出てきます。
「吐き出したい」という欲求があります。
みんなが感想文を作文用紙2、3枚に対して、私だけは10枚だったときもあります。
早く書くことで、自然と書く量も増えたのでしょう。
私にとって書く技術は、あとから身につけたものです。
気づく能力さえあれば、書く技術はあとからでも容易に身につけることができるのです。
タイトルで、勝負が決まります。
タイトルにどれだけ力を入れているかで、文章の評価までも決まってきます。
本屋で並べられている本を目の前にして、まず手に取るのは、自分が気になったタイトルの本です。
文章は、読まれて初めて意味があります。
まず読まれることから、真剣に考えなければなりません。
読んでみようと思う最初のきっかけは、タイトルです。
タイトルがどれだけ、人の興味をかき立てるかで、読むか読まないが決まります。
私は、タイトルにとても力を注いでいます。
本のタイトルは、人の顔と同じです。
最初に見るところであり、全体を想像するところです。
たとえば、この本のタイトルです。
「文章を書きたい。どうすればうまく文章が書けるのか」と考えている人が、手に取らずにはいられないタイトルにしています。
回りくどいタイトルや、わかりにくいタイトルは、読者に不親切です。
読者は、タイトルを見て、内容を想像しています。
魅力的なタイトルからは、魅力的な記事を連想しています。
タイトルは、内容に一致したものでなければなりません。
当たり前のことなのですが、タイトルに手を抜く人が多いのです。
「未来の日本」という本があったとします。
「未来の日本」というタイトルは、抽象的です。
もっと具体的に、タイトルをつけてほしいです。
「これから日本が世界の中心になる30の理由」と書いたほうが、よほどわかりやすいです。
内容を想像しやすいタイトルですね。
「おや。なんだろう。読んでみたいな」という気にさせます。
タイトルで、日本が世界の中心になることについて書かれていることがわかります。
こうしたタイトルは、読者に喜ばれるタイトルです。
読者がわくわくするようなタイトルをつけてみましょう。
タイトルは、人間でいう顔なのです。
読者には、できるだけ読みやすい文章が喜ばれます。
数字の表現は、漢数字よりアラビア数字のほうが読みやすいです。
たとえば「一万二千三百四十五」と漢数字で書くと、読みづらくなります。
ぱっと理解するまでに少し時間がかかってしまうのです。
これをアラビア数字の「12345」にすると、読みやすくなります。
桁もそろえやすくなります。
横書きの文章なら、できるかぎりアラビア数字にしましょう。
アラビア数字のほうが、早く理解ができるのです。
読者にわかりやすく書くためには「箇条書き」を使います。
箇条書きとは、事柄を箇条に分けて、シンプルに書き並べることです。
今までの本は、段落ごとに改行する書き方でした。
意味やテーマに区切って、改行します。
本来の正しい書き方です。
しかし、これからはスピードの時代です。
段落ごとに改行するというこれまでの書き方は、文字が多くなり、読みにくくなります。
わかりにくい文章や読みにくい文章は、時間も体力もかかるため、読んでもらえなくなります。
読んでもらえなければ、素晴らしい文章も意味がありません。
古い書き方にこだわっていると、時代に取り残されます。
これからはスピードです。
1分1秒が重要になる時代です。
これまでの文章の型は、時代に合いにくくなっていると感じています。
もっと時代に合った、別の書き方が必要だと考えました。
そこで私は、文章全体を箇条書きにするようにしました。
ちょうど、今読んでいる文章そのものです。
1文ごとに「。(句点)」で、改行しています。
読みやすくなるはずです。
文法としては正しいとは言えませんが、読まれるようになります。
スピード重視の現代に合わせた書き方だと考えています。
1文ずつの箇条書きで、ゆっくり理解しながら、奥深く話を進めていけます。
ページ数は若干増えますが、読者が読みやすくなる工夫を最優先です。
読まれてこそ、文章なのです。
字は、大きければ大きいほど、読みやすくなります。
普通、マイクロソフトのWordで作成する文字の標準は、10.5ポイントの大きさです。
プレゼンや企画書を、小さい字で書くと、読みにくい文章に仕上がります。
これでは、なかなかみんなに読んでもらえません。
文章を読みやすくするために、字は大きめに書きましょう。
字が大きいほど、人間には識別や認識しやすくなります。
文章の文字の大きさは、少し大きめに書かれています。
若い人だけでなく、年配者、もちろんおばあちゃんおじいちゃんにも読んでもらいたいからです。
私の祖母は、少し目が弱いです。
しかし、大きい字なら、読んでもらえます。
私は自分の書いた文章を、家族みんなに読んでもらいたい。
ゆくゆくは、世の中のたくさんの人にも読んでもらいたいのです。
そうした理由から、字を大きめにしています。
字が小さくて読みにくいということはあっても、大きくて読みにくいということはありません。
読みやすい文章にするには、大きめの字で書けばいいのです。
文章の繰り返しを防ぐために「その、あの」と使うことがあります。
「そのとき、その意味、あの言葉、あの感覚」などといった使い方です。
たしかに文章の繰り返しを防いで、楽な表現です。
しかし、読者にとって理解しやすい文章にするためには、できるだけ「その、あの」は使わないようにしましょう。
書き手には自分が考えていることですから「その、あの」で理解できます。
しかし、読み手には、何しろ初めて読む文章ですから「その、あの」を使いすぎてしまうと、わかりにくくなります。
「そのとき」という記載があっても「そのときとは、どのときだろう」と思うことがあります。
「あの言葉」という記載があっても「あの言葉とは、どの言葉だろう」と思うこともあります。
これでは、読者が話についていけません。
読み手のことを考えて文章を書くなら「その、あの」を使いすぎないようにしましょう。
文章を書くときには、同じ表現を繰り返しすぎないように気をつけましょう。
文章をたくさん書くうちに、知らない間に同じ表現をたくさん使ってしまうことがあります。
もし、何かの意図があって繰り返しているなら、かまいません。
しかし、新鮮味のある文章を書くためには、できるだけ同じ表現は避けたほうが無難でしょう。
同じ表現ばかり使っていると、読者はだんだん飽きてしまいます。
思ったより、読者は表現に敏感です。
2回3回と同じ表現を使いすぎてしまうと「ボキャブラリーが少ない人だな」と思い、飽きてしまうのです。
人間で言う癖のようなものです。
唇をなめる癖のある人は、1度や2度なら許せますが、10回20回と繰り返すと、癖が気になり話に集中できなくなります。
これは本人は気づいていないことが多いです。
誰かが言ってあげないと直らないため、他人から自分がどう映っているのかを知っておく必要があります。
たとえば、私の文章の癖は「自分のエピソードばかり出してしまうこと」です。
これは、母に文章を読んでもらったときに言われました。
「貴博は、自分のことばかり、話しすぎ」と言うのです。
私は、自分の経験したことは具体的エピソードですから、文中で出してもいいと思っています。
ただ「出しすぎ」と言うことには、気をつけなければなりません。
私は、母に言われるまで、全然気づきませんでした。
文の中で、私は少し、でしゃばりすぎていたようです。
私は母に言われてから、以後、その癖を注意するようにしました。
文章の中での表現癖は、なかなか本人では見つけにくいものです。
誰かに、気になるところを言われたら、素直に自分の文を見直してみましょう。
そうすると、今まで見えなかった表現癖が見えてくるのです。
文章を書き始める前、どう書けばいいのかわからないときがあります。
しかし、書き始めると、不思議な現象が起こります。
一転して、次から次へと書くことが思い浮かんでくるのです。
「あれも書きたくなってしまった。これも書きたいな」と思い、文章を書いていると終わりが来ないのです。
自分の考えていることをすべて書こうとしたら、いつまで経っても終わりが来ません。
文章を書くときには、完璧を目指す必要はありません。
完璧を目指すと、終わりのない文章になります。
いくら書いても、足りない部分が見えてきて、文章が長くなります。
読みにくくなって、読まれなくなるのです。
では、どうすればいいのでしょうか。
読者を引き寄せる文章を書くコツは、すべてを語り切らないことです。
本当に大切なところだけを書いて、残りはすべて切り捨てます。
書きたくても、我慢です。
最重要の部分だけを書くのです。
書き手には、切り捨てる勇気が必要です。
切り捨てると、主張がきちんと伝わらなくなると思われますが、大丈夫です。
足りない部分は、読者が頭の中で補完してくれます。
「きっとこういうことを言いたいんだな」と補完しながら読み進めています。
すべては言い切らず、著者と読者が協力することで、すべてを語ることができるのです。
その結果、短い文章で、濃い内容に仕上げることができます。
短い文章ですから、読みやすくなるのです。
切りのいいところで話を終えるのが、上手な文章の終わり方であるように思えます。
たしかに切りのいいところで終わるほうが、きれいに仕上がった文章が出来上がります。
読後感もすっきりするに違いありません。
しかし、もう少し文章が思うように書けるようになれば、少し工夫をしてみましょう。
わざと、中途半端なところで文章を終えてみるのです。
これは、書くのが疲れて中途半端な終わり方をするのではありません。
読者の興味をかき立て、次の文章へ興味を引き出すために、わざと中途半端な終わり方を見せるのです。
できるだけ面白いところで終えるほうが、効果があります。
「続きが読みたい」という気持ちになるからです。
中途半端な終わり方のほうが、より読者を引き付ける力があります。
漫画やドラマでは、いつも中途半端なところで終わります。
よりによって、いちばん気になるところで終わります。
私が小さいころは「こんな終わり方をしたら、寝られなくなってしまう」と、よく思ったものです。
面白いところで終わるのは、続きを見てほしいと思わせる作戦です。
面白いところで終わるから「続きが見たい」「もっと見てみたい」と思うのです。
面白い文章を書くために、読者が喜ぶとっておきのネタがあります。
「失敗談」です。
失敗談は、つまらないし、ためにならないと思われがちですが、とんでもないです。
失敗談こそ、読者が面白いと感じてくれるエピソードなのです。
作家を目指し、良い文章を書こうとする人は、成功談を求めがちです。
成功談も面白いですが、失敗談のほうがもっと面白いです。
どういうわけか日本では、芸能人のスクープが大人気です。
「誰々が別れた。誰々が離婚した。~の事件が起こった」というように、何かの失敗談は、人々の注意を引き付けます。
人間は、元は不安な生き物です。
自分の立場を、少しでもほかの人より優位に立たせたい欲求があります。
その結果、人間は誰かの失敗談を、喜んで聞いてしまうのです。
「○○さん、失敗したの? かわいそうね。それに比べれば、まだ私は大丈夫」という感じで、自分を安心させるネタなのです。
私はある日、その仕組みに気づきました。
それからというもの、私は書き手の人間ですから、できるだけ自分の失敗談はどんどん公開するようにしました。
読者の方に、もっと面白く文章を読んでいただきたい。
私の失敗談で、誰かが安心したり面白がったりしてくれることに、特別、不快な気持ちにはなりません。
むしろ「自分の経験が誰かの役に立っている」という達成感のほうが、よほど気持ちよく感じられます。
注意しなければならないのは、悪口です。
私は、自分の悪口は言っても、他人の悪口だけは、口が裂けても言わないようにしています。
自分の文章で、誰かが嫌な気持ちになるのは、私にとっても悲しいことなのです。
面白い文章を書くためには、自分の失敗談を書けばいいのです。
もしあなたが、悲劇のヒロインなら、良い文章が書けます。
できるだけたくさん失敗しましょう。
そう考えると、日常すべての出来事(成功談・失敗談)が、書くネタになり、積極的に行動できるようになります。
私はそれからというもの、失敗すると「いいネタができた」と喜んでしまうようになりました。
人の心を動かすエピソードとは、どのようなエピソードなのでしょうか。
人の心を動かすエピソードとは「失敗から這い上がってきたエピソード」です。
失敗から、這い上がってくるところに、人の強さを感じます。
偉人たちのエピソードに感動するのは、みんな、失敗から這い上がってきているからです。
偉人たちは、最初から大成功の連続だったわけではありません。
最初はうまくいかず、失敗に失敗を繰り返します。
それでも諦めず、少しずつ這い上がってきたエピソードに感動してしまうのです。
私は偉人の中でも、ヘレン・ケラーの伝記に、いつも心を動かされます。
目も見えず、耳も聞こえず、口も利けない状態から、世界の最高峰と言われているハーバード大学にまで進みました。
身体障害者の援助に尽くしました。
「どうすればあんなに一生懸命になれるのか。すごいな」
彼女の並々ならぬ行動力に、驚きを隠せません。
もし、あなたにも失敗から這い上がってきたエピソードがあれば、感動できる文章が書けます。
失敗から這い上がってきたエピソードがなければ「できるようになったエピソード」でもかまいません。
たとえば、自転車に乗れるようになったエピソードです。
これなら、たいていの人が、経験したことがあるはずです。
自転車に乗れるようになった話でも、書き方によっては、感動できる文章になってしまうのです。
良い文章を書くためには、積極的に人に読んでもらい、意見を聞いてみましょう。
「日記」のような、自分だけの文章なら、自分中心に書いてもかまいません。
しかし、一般的な文章は、人に読まれるのが当たり前です。
自分が良いと思った文章でも、ほかの人から見れば、気になるところや引っかかる部分が出てくることがあります。
それを「クレーム」とも言います。
クレームは、大切にしましょう。
クレームは、ラブレターです。
クレームこそ、自分の文章を向上させるための貴重な意見なのです。
私は、自分の母から、いちばんたくさんクレームをいただいています。
何かと、けちをつけてきます。
「ここ、読みにくい。字の間違いが多い。ここの表現、あんた何さまだと思っているの!」と、いっぱい叱られます。
聞いている私としては、つらくてだんだん泣きそうになってしまいますが、たしかに良いことを言っているのです。
案外、友人からのクレームのほうが少ないものです。
友人は「傷つけちゃいけないから、何も言わないでおこう」と思い、無難に返事をします。
「どうだった?」と聞くと「うん、良かったよ」と、無難に返事をされます。
しかし、自分の肉親は違います。
むしろ、自分の肉親からのクレームがいちばん激しく、いちばんつらく感じます。
両親も、自分の息子が情けない文章を書いては恥だと思っているのか、細かいところをいちいち指摘してきます。
しかし、やはり良いことを言ってくれているのです。
クレームは、大切にしましょう。
クレームをいただくためにも、積極的に、いろいろな人に見てもらいましょう。
性別や年齢層によって、意見も180度変わってくることもありますが、良い文章を書けるようになるためには必要なことなのです。
余白は、できるだけ大切にしましょう。
余白がなくて読みにくいことがあっても、余白があって読みにくいということはありません。
なにより、余白があることで、読み手に1文1文の価値を、印象づけることができます。
詩集の本は、例外なく、余白をたくさんとっています。
もし、詩集の本が、ページいっぱいに書かれていたら、一つひとつの詩が安っぽく見えます。
余白があることで、逆に、文の価値を上げることができるのです。
書き手の初心者は、空白があれば、文字を詰め込みたがります。
字がいっぱいに詰まった本のほうが、よくできた本であると、勘違いしているのです。
しかし、よくできた本であるような感じがするだけで、実際は1文1文が安っぽくなっています。
文章もたくさんあって、全体が長いため、読者は読むのに疲れることでしょう。
集中力も途中で切れます。
余白のない詰め込み文章は、1文1文が軽く見られるのです。
ほとんどの書き手が、これに気づいていません。
もっと余白をつくれば、文章の価値を上げることができるのです。
たとえば、私の文章は、1文と1文の間隔を、広めにとって書いています。
1項目の最初と最後の2つの見出しには、あえて大きく余白をつくっています。
そうすることで、見出しをさらにより強調して、見せることができます。
1文の価値を上げる秘密は、余白を取って、書けばいいだけです。
書くのが上手な人は、書くことが習慣になっています。
有名な『アンネの日記』の著者、アンネ・フランクは、書くことが習慣になっていました。
ナチスに捕まるのが嫌で、家族と共に、ある家の屋根裏部屋に身を潜めます。
そこで数年間、過ごすことになるのですが、その間、アンネは日記を毎日書いていました。
「いつか、ナチスに見つかるのではないか」
不安と恐怖に怯えながら、毎日書いていたのです。
アンネの将来の夢は、作家になることでした。
もしかしたらその夢を原動力に、毎日を生きていたのかもしれません。
アンネの日記は、大変上手に書かれています。
そのときそのときの気持ちを素直に表現できていて、わかりやすく書かれています。
彼女に上手な文章を書ける能力があったのは、生まれつきではありません。
ただ、毎日欠かさず書いていたという「習慣」です。
書くことが習慣になっている人には、かないません。
書いている量や考えている量、共に群を抜いているのです。
今日書いて明日は新人賞というわけではなく、毎日の努力の積み重ねが大切です。
毎日の努力の積み重ねは「習慣」にしてしまえばいいだけです。
お笑い番組を見ていると、両極端の自分に気づきます。
ついさっきまで大笑いしている自分がいれば、白けている自分がいます。
つまり、面白いなと思うコンビもあれば、全然面白くないと思うコンビもあるということです。
大笑いしたかと思えば、別のコンビでは、どこが面白いのかわからないという経験はありませんか。
笑わせようとする姿勢は同じであるにもかかわらず、その結果には、大きな違いがあり、極端ですね。
面白いコンビとそうでないコンビは、どこに違いがあるのでしょうか。
それは、共感があるかどうかなのです。
面白いお笑いコンビには、必ず共感があります。
誰でも思い当たる体験をネタにしながら、笑いへと誘っていきます。
誰もが経験しているにもかかわらず、誰もはっきりは口にしないことを、コンビがずばり指摘すると、つい笑ってしまうのです。
自分にも思い当たる点があるから、コンビが演じる気持ちがよくわかり、思わず笑ってしまいます。
「よくぞ、言ってくれた!」と思います。
見ていて気持ちいいし、もっとみたいと思います。
ファンになってしまうのです。
共感があるかないかは、お笑いだけの話ではありません。
文章を書く際にも、大切なポイントです。
面白い文章には、必ず共感があります。
共感できる話は、日常ささいなことでいいのです。
むしろ日常的であるほうが、多くの読者の共感が得られやすくなります。
仕事の話であろうと、人間関係の話であろうと、誰もが経験しているであろう問題から始めると、話に乗っていけます。
自分も経験ですから、文章の内容の理解も容易です。
問題解決などずばり指摘したほうが、面白く感じたり、心が軽くなったりするのです。