私は今までいろいろな人の落ち込みに接してきました。
私には19歳から23歳までアメリカロサンゼルスに留学していた経験があります。
遠い国から勉強をするために渡米してきた留学生には、私も含め、いつも悩んでばかりの毎日でした。
「能力」で落ち込んでいる人は「できなかった」ということで落ち込んでいます。
ここから、おかしいのです。
日本の教育方針がよくわかる瞬間です。
「存在」で落ち込んでいる人を元気づけるには、慎重になる必要があります。
下手なアドバイスや励ましは、逆効果です。
「存在」で落ち込んでいる人の気持ちは、ガラスのように繊細です。
「存在」の欠乏から立ち直るために、即効性のある方法があります。
「代わりの存在」を見つけることです。
「どうしようもなく存在の欠乏に悩まされ、仕方ない」というなら、積極的に「代わりの存在」を見つけていきましょう。
とにもかくにも、まず相手の話を聞くことが大切です。
相手が今、何で悩んでいるのかは、聞いてみなければわかりません。
「能力」で落ち込んでいるのか「存在」で落ち込んでいるのかを頭において、じっくり相手の話を聞くのです。
話を聞くときに注意することは、相手の話を折らないことです。
とにかく折ってはいけません。
折らないだけでいいのです。
話をどんどんしてもらうことが大切です。
どんどん話をしてもらうことで、相手のストレスは発散されます。
なにより、話している人の頭の中が整理されます。
落ち込んでいる人に対して、禁句があります。
「頑張れ」です。
元気がない人は、すでに頑張っている人です。
元気づけるときに、皆さんは気づかれていない禁句があります。
「わかる」という言葉です。
相手が一生懸命に悩みを打ち明けてくれている最中に「わかる、わかる」と同情するのです。
「どうすればいい?」と聞かれたら「どうすればいいと思う?」と言い返すことが大切です。
どうすればいいかは、他人の私にはわかりません。
わかるわけがないのです。
元気づけるときに、言葉より手書きの手紙のほうが、効果があります。
「手書き」というところがポイントです。
「手書き」の手紙には、心があるからです。
ある女の子が言いました。
「この子、落ち込んでいるんだから、もっと優しくしてあげなさいよ」
このように落ち込んでいる人を保護しようとするのです。
皆さんがよく誤解していることなのですが、落ち込むことはいけないことではありません。
落ち込むことがいけないなんて、誰が教えたのでしょうか。
悪いことではありません。
以前、私は友人を元気づけようと励ましてあげたことがあります。
しかし、友人はやはり落ち込みます。
「どこがいけないのかな」と考えてみました。
落ち込みから引っ張り上げるためには、実はそんなに難しくありません。
気分転換をするだけでいいのです。
落ち込んでいる人は落ち込んでいる気分ですから、できるだけそらしてあげることが大切です。
話を聞くときには、やはり2人きりになるのが基本です。
落ち込んでいる人は、ほかの人には話を聞かれたくはありません。
私も落ち込んだことがあります。
最後に、笑える結末があることで、話が面白くなります。
関西人の話には、最後に笑える結末があります。
「いろいろ話を聞かせてもらったが、最後が笑えるから、いいだろう」と言うのです。
目は、面白い。
目は、まったく言葉を発しませんが、さまざまなメッセージを伝える力があります。
にらんだ目は、敵対を意味します。
相手の話を否定してはいけません。
否定する人には、話をしたくなくなるのです。
理解しようとして、一生懸命話を聞いてくれる人に、人は好感を持ちます。
相手の話を前に進めるための、効果的な方法があります。
話の最後を繰り返すことです。
「今日は友人と海に行って、泳いできたよ」
いやいや話を聞いている人に、話をしようとは思いません。
「話をもっと聞きたい。もっと話を聞かせてください」という態度を見せることが大切です。
そうすることで相手は気分をよくし「この人にだったら、もっと話してもいいかな」と思ってくれるのです。
友人と仲良くするためのキーワードは「ありがとう」です。
「ありがとう」なしに、良い友人関係は構築できないと言っても過言ではありません。
逆を言えば「ありがとう」がきちんと言える人は、人と仲良くやっていけます。
「見る」と「観る」は、微妙なニュアンスの違いがあります。
「見る」とは、見物の「見」です。
「単に視界に入ったものを見る」といった、主に相手の外見を、簡単に見るときに使います。
私は褒められると、嬉しくなります。
「自分を認められた。理解してくれた」と感じるから、嬉しくなります。
私だけに限らず、誰でも褒められると嬉しくなるものです。
褒めるときには、どこを褒めるかが大切です。
ポイントは、外より内です。
外側を褒めるより内側を褒めるほうが、相手には嬉しい褒め言葉となります。
直接褒めてもらうより、第三者から褒めてもらえるほうが、喜びが大きいものです。
「貴博君は仕事、頑張っているね」と直接褒められるのも嬉しいですが、もう一工夫あります。
「先生が貴博君のこと、頑張っているって言っていたよ」と言われるほうが、さらに嬉しいです。
少し強引な方法ですが、たしかな効果のある元気づけ方があります。
落ち込んでいる人がいます。
その人は、料理が得意な人です。
これは私のことを言っています。
落ち込んでいる人は、自分が落ち込んでいることをあからさまにはしません。
1人になって考え、解決しようとします。
実は、元気づけることとは、何もしないことでもあります。
誰でも、落ち込むことは好きではありません。
だからなんとか立ち直ろうと「自分で」努力します。
人生を明るく楽しく生きるために必要なことは、落ち込むことです。
「え、落ち込んだら、明るく楽しくなれないよ」と思うのではないでしょうか。
たしかにそのとおりです。
私は今までいろいろな人の落ち込みに接してきました。
私には19歳から23歳までアメリカロサンゼルスに留学していた経験があります。
遠い国から勉強をするために渡米してきた留学生には、私も含め、いつも悩んでばかりの毎日でした。
言葉や文化が異なるため、日本にいるとき以上に悩みが増え、ストレスもかなりのものでした。
そのときに出会った人全員が、重い悩みやストレスを背負っていたと言ってもいいでしょう。
私は、プライベートなことを話しやすい性格のようで、いろいろな人からプライベートな話をたくさん聞かせてもらえました。
普段ならなかなか聞くことのできない悩みを聞かせてもらえたのです。
ありがたいことです。
私もよく悩み落ち込む性格ですから、友人が悩みを打ち明けてくれると、真剣に聞いてしまいます。
それをある程度、量をこなすと自分の頭に落ち込む人のデータベースができてきます。
そうすると、私はある「共通点」に気づきました。
落ち込んでいる人の原因は、次の2つのみです。
この2つのどちらかです。
落ち込んでいる人は「存在」か「能力」のどちらかが欠けているため、あるいは両方ともが欠けているため、落ち込んでいます。
私も今までたくさんのことを悩み、落ち込みました。
「私は、なぜ落ち込んでいるのだろう」と気持ちがふさがっている原因について考えました。
自分の場合は「能力」が欠けて落ち込んでいる場合が多かったことに気づきました。
たとえば、英語のテストで60点しか取れなかった。
私には英語の「能力」がない、ということで落ち込みます。
私は昔、女の子から「あなたはつまらない」と言われたことがあります。
女の子を楽しませる「能力」がないことで落ち込みます。
私に限らずたいていの人の場合「能力」で落ち込んでいます。
実は、これは軽症です。
たしかに落ち込みますが、治りやすいため、さほど心配しなくても大丈夫です。
しかし、本当に心配しなければならないのは「存在」が欠けている人です。
私の場合は、運よく友人に恵まれ、親からの愛情を受けて育ってきました。
「存在」では、それほど悩んだ経験はありません。
唯一、彼女に振られたときくらいです。
彼女という「存在」を失って、落ち込みました。
私の友人にも「存在」の欠乏で落ち込んでいる人がいます。
その人は「自分には、生きている価値がない」と言います。
自分という「存在価値」が欠落しているため、落ち込んでいます。
自分という「存在」に価値を認めてもらえるのは「精神的豊かさ」です。
人が幸せに生きていくうえで、精神的に豊かであることが必要です。
精神的豊かさの1つに、自分の「存在価値」があるのです。
もちろん「能力」も「精神的豊かさ」にプラスされます。
ですが、大切なことは「能力」より「存在」です。
「できない」という「能力欠乏」で悩んでいる人は、ほかの「できる」人に頼めばいいだけです。
解決しやすい。
それに対して「自分には価値がない」「親や友人を失った」「環境を失った」という「存在欠乏」で悩んでいる人がいます。
そうした人には、誰かに「自分には価値がある」という「存在価値」を認めてもらうことが必要です。
ここが大切です。
ほとんどの人は、ここで間違った励ましをしています。
相手は今「能力欠乏」で落ち込んでいるのか「存在欠乏」で落ち込んでいるのかを知る必要があります。
「能力」で落ち込んでいる人には「能力」で落ち込んでいる人のために元気づける方法があります。
「存在」で落ち込んでいる人には「存在」で落ち込んでいる人を元気づけるための方法があります。
元気づけるには、まず相手が「能力」で落ち込んでいるのか「存在」で落ち込んでいるのか、相手を知ることが大切なのです。
「能力」で落ち込んでいる人は「できなかった」ということで落ち込んでいます。
ここから、おかしいのです。
日本の教育方針がよくわかる瞬間です。
「できなかった」ということは、本当にいけないことなのでしょうか。
そんなことはありません。
できなかったことで「自分にはできない」ということがわかったのです。
これはとても貴重な経験です。
行動しなければわからないことがわかったからです。
本だけでは、失敗体験は学ぶことはできません。
実際に行動して、初めて経験できる貴重な失敗経験なのです。
大失敗は、大成功につなげていけます。
褒めるべき点は、実際に「行動した」ということです。
「行動」が「できた」だけで、十分に「できる」という「能力」があるのです。
この意識を持つことが大切です。
私はいつも「能力」で落ち込んでいる人には、こう言っています。
「大失敗くらいで、落ち込まない」
相手はたいてい、驚いた表情をします。
「大失敗」という響きこそ、落ち込む典型だと思っているのです。
実際、大失敗は落ち込むことではありません。
大成功のための貴重な経験ができて、小躍りしてもいいところです。
大失敗という貴重な経験ができたことこそ、すでに大成功なのです。
「存在」で落ち込んでいる人を元気づけるには、慎重になる必要があります。
下手なアドバイスや励ましは、逆効果です。
「存在」で落ち込んでいる人の気持ちは、ガラスのように繊細です。
「存在」で落ち込んでいる人は、立ち直るのに時間がかかります。
「能力」で落ち込んでいる場合は、単に「意識」を変えれば、立ち直れます。
ですが「存在」は「人が生きるための精神的豊かさ」に直結しているため、すぐ元気になるということは難しいのです。
すでに気づいている人もいると思いますが、私はとてもプラス思考です。
私はこの「存在」の欠乏を経験したときに、自分のプラス思考が崩壊しておかしくなってしまったことがあります。
彼女という「存在」を失ったときです。
「存在」は、失って、初めてその価値の大きさに気づくのです。
それでも私は立ち直ることができました。
それはなぜか。
時間です。
時間ほどの、万能薬はありません。
即効性はありませんが、漢方薬のように少しずつ効いてきます。
確実に回復していくという、保証もあります。
ただし、時間がかかるのです。
1年の人もいれば、3年の人もいます。
10年の人もいれば、死ぬまで治らない人もいます。
私が「存在」から立ち直るのには、3年かかりました。
存在が欠けているとは、精神的な部分が大きいため、時間がかかるのです。
「能力」で落ち込んでいる人は「意識」が関係していることに対し「存在」で落ち込んでいる人は「精神」が関係しているのです。
「意識」が変わることは容易でも「精神」まで変えていくというのは時間がかかることを、最初に知っておく必要があります。
「存在」という存在は、それほどまでに大きいものなのです。
「存在」の欠乏から立ち直るために、即効性のある方法があります。
「代わりの存在」を見つけることです。
「どうしようもなく存在の欠乏に悩まされ、仕方ない」というなら、積極的に「代わりの存在」を見つけていきましょう。
人間は、何かに依存しないと生きていけない生物です。
人間に限らず、生きとし生けるものすべては、何かに寄り添っていかないと生きていけないのです。
寄生虫は、何かに寄生しないと生きていけません。
人間は寄生虫を気味悪く思っていますが、人間こそ地球に寄生している寄生獣です。
寄生するのは、悪いことではありません。
むしろ寄生しないと、生きていけないのです。
寄生する「存在」を失ったなら、次を見つけることが大切です。
悪化してからでは、自分の命に関わってくる可能性もあるのです。
とにもかくにも、まず相手の話を聞くことが大切です。
相手が今、何で悩んでいるのかは、聞いてみなければわかりません。
「能力」で落ち込んでいるのか「存在」で落ち込んでいるのかを頭において、じっくり相手の話を聞くのです。
元気づけることは、相手を知らないとできません。
相手を知ることは、まず話を聞いてみないとわからないのです。
悩み落ち込んでいる人は、普通、支離滅裂なことを言います。
どんどん支離滅裂な話をしてもらいましょう。
1年ぶりに水道の蛇口をひねると、さびが出てきます。
ですがずっと流し続けていくと、そのうちきれいな水が出始めてきます。
人の話を聞くことはそれと同じです。
支離滅裂なことを言っているのは、水道のさびと同じです。
さびの後に、きれいな水が出始めてきます。
さびを出さないときれいな水は出てこないのです。
支離滅裂なことを言うのは、しっかりさびが出ている証拠です。
順調に話が前に進んでいることもあり、腰をすえてゆっくり聞くことが大切です。
たくさん話をするだけで、元気になる人もいます。
私はただ、相手の話を聞いていただけなのに、それだけで元気になってくれるのです。
人間には、理解してもらいたい欲求があります。
話を聞いてもらえるだけで理解してもらえたと感じ、ほっとするのです。
話を聞くことは、相手を癒やしていることになります。
まず、相手の話を聞くことがいちばん重要なのです。
話を聞くときに注意することは、相手の話を折らないことです。
とにかく折ってはいけません。
折らないだけでいいのです。
「どう考えてもそれは違うでしょう」と思うことがあっても、相手の話を折ってはいけません。
話を折ると、相手はもっとストレスがたまります。
「話の邪魔をされた。聞いてくれなかった」と思い、いらいらするのです。
実は、これだけのことをできない人がほとんどです。
私の友人で話を折る人がいます。
私が楽しい話をしても、すぐ話を折ってしまいます。
本当に言いたいことを話す前に折られるため、言いたいことが言えません。
だから余計にストレスがたまるのです。
話を折らずに聞くだけで、話がどんどん進んでいくのです。
話をどんどんしてもらうことが大切です。
どんどん話をしてもらうことで、相手のストレスは発散されます。
なにより、話している人の頭の中が整理されます。
話をどんどんしてもらうための方法があります。
相槌です。
相槌を打つだけで、どんどん話が進んでいきます。
「きちんと話を聞いてくれている。じゃあ、もっと話してみよう」という気になってくれるため、どんどんと話をしてくれるのです。
相手を元気づけるいちばんの方法は、実は「話を聞く」だけです。
「どれだけ相手に話を聞いてもらえたか」にかかっていると言ってもいいのです。
相槌の種類は、たくさんあるほど会話が豊かになります。
「へえ」
「そうなんだ」
「知らなかったよ」
「初めて聞いた」
「なるほどね」
「さすがだね」
「そうか」
「うん」
こうした「相手の話を助長させる相槌」なら、何でもいいのです。
私も話を聞くときには、できるだけ相槌を打つようにしています。
極論を言います。
相手を元気づける方法は「相手の話を折らず、相槌を打ちながら聞く」。
これだけでいいのです。
相手は「能力」や「存在」に悩んでいます。
ですが、相手の悩みです。
実はいくら話を聞いても、相手が解決しなければ、いつまで経っても変わりありません。
解決するのは誰ですか。
解決するのは、悩んで落ち込んでいる本人だけです。
相手の能力や存在の欠乏を、あなたが肩代わりしてはいけません。
それはあなたが解決することではないからです。
解決するのは、落ち込んでいる本人です。
落ち込んでいる本人しか、解決できないのです。
落ち込んでいる本人しか、なぜ落ち込んでいるのかの「本当の理由」はわからないのです。
自分で自分のことを解決するために、自分で自分の頭の中を整理する必要があります。
自分と話をすることです。
相手の話を折らずに相槌を打ちながら話を聞くと、話をしている人の頭の中は整理されていくのです。
頭の中を整理しないと話せないからです。
話すために、頭の中を整理する。
それが、悩み落ち込んでいる人の解決に結びつくのです。
落ち込んでいる人に対して、禁句があります。
「頑張れ」です。
元気がない人は、すでに頑張っている人です。
頑張りを重ね、それでもできないから、落ち込んでいるのです。
もし逆に「私は頑張っていない。何をしていいかわからないだけ」と思う人がいれば、その悩みに頑張っています。
「ぼうっとしている自分は、このままではいけない。自分が情けない」
そうした自覚があり、ふちから這い上がろうとする気持ちで頭いっぱいの状態になっています。
「頑張っていない」と言いながら、しっかり頑張っているのです。
特にうつ病になっている人に対して「頑張れ」は、禁句です。
うつになるのは、頑張りすぎたからです。
頑張りすぎて、ヒューズが飛んだ状態が、うつです。
うつの人は、自分の限界を超えすぎてしまった人なのです。
その理解を深めましょう。
この「頑張れ」という励ましを軽い気持ちで口にする人がいて、私は横から見ていてはらはらします。
どう元気づけていいかわからないから、ひとまず「頑張って」という決まり文句を言うのです。
これは逆効果です。
言わないほうが、まだいいです。
相手は「頑張れ」と言われて、心の中で「すでに頑張っているよ」と思っています。
「全然自分のことをわかってくれていない」と思い、余計にがっかりさせてしまうのです。
では、どう言えばいいのでしょうか。
気持ちのいい言葉があります。
「もう十分に頑張ったから、少し休もう」です。
私がまだ小学生だったころの話です。
宿題をしようと思っていたときに、親から「宿題をきちんとやりなさい」と言われて一気にやる気をなくしたことがあります。
言われたことは、やりたくなくなります。
同じように「頑張れ」と言われると、気持ちがめげてしまうのです。
そこで、逆を取ります。
「もう十分に頑張ったから、少し休もう」と言うのです。
相手の頑張りを認め、さらに「休もう」と提案してみます。
きっと相手は、心が軽くなることでしょう。
救われた気持ちになり「じゃあ、もう少し頑張ってみようかな」と、前向きになるのです。
元気づけるときに、皆さんは気づかれていない禁句があります。
「わかる」という言葉です。
相手が一生懸命に悩みを打ち明けてくれている最中に「わかる、わかる」と同情するのです。
話をしている人は、心のどこかでむっとしています。
もちろん同情しようとする優しい気持ちはありがたいのですが、わかるわけがないのです。
相手の心の中まではわかりません。
話を聞いて客観的にわかったつもりでも「客観的な」状態です。
大切なことは、本人が「主観的に」わかることです。
当人以外の人が、わかりきった感じで「すごくわかるよ」と言うのはおかしいのです。
相手は、もうそれ以上、話をしてくれなくなります。
自分の頭を整理して話していくうちに、悩みは解決します。
相手に話をしてもらうのです。
話をすることで頭が整理され、主観的に理解できていくのです。
私も、悩みはあります。
悩みを話すと、すぐ「それ、わかる」と同情しようとする人がいます。
もうそれ以上、話をしたくなくなります。
「わかる」と言われては「ああそうですか。わかるなら、もう話す必要もないですね」と白けてしまい話す気がなくなるのです。
そのうえ「わかる」と言う人は、話を折るだけでなく、続けて自分の話をし始めてしまいます。
「わかる、わかる。私もね、以前にこんなことがあってね……」
このように、話を折って自分の話を持ち出してしまうのです。
こういうことをされると、いらいらも最高潮です。
まず、聞くことを徹底しましょう。
心のごみを吐き出してもらうのです。
「どうすればいい?」と聞かれたら「どうすればいいと思う?」と言い返すことが大切です。
どうすればいいかは、他人の私にはわかりません。
わかるわけがないのです。
相手が23歳の人だったら、相手になって同じく23年過ごす必要があります。
たとえ私が客観的にわかったつもりでも、本人が主観的にどう考えるかが大切なのです。
私はいつも「どうすればいい?」と聞かれたら「どうすればいいと思う?」と聞き返すようにしています。
そうすることで、相手は自分のうちに目を向け、考えることができるのです。
自分がどうすればいいかわからないとき「どうすればいいと思う?」と聞き返すとしっかり答えてくれます。
わからないから聞くはずなのに、しっかりわかっているのです。
私は心の中で「なんだ。自分でよくわかっているではないか」と思います。
自分の意見に自信がないだけです。
誰かに自分の意見を、もう一押し、してもらいたいのです。
人間は、自信のない生き物です。
相手が何か自分の意見を言います。
そこで「そうだね」と言うことで、相手は自信を持ってくれます。
人は自分と同じ意見を共感できると、自信を持つのです。
本人が自信を持つことで、本人が行動します。
行動することで、解決します。
もし行動して失敗しても「よくやったね。すごいよ」と褒めることが大切です。
「自分のやったことは正しいんだ。これで良かったんだ。じゃあ、もう少しやってみようかな」と自信がつきます。
自信が出てくることで、また行動します。
これが、相手が立ち直っていく過程です。
ゆっくりかもしれませんが、確実に本人が成長できます。
相手の成長第一に考えましょう。
相手の成長を考えてアドバイスをするなら「どうすればいいと思う?」と言われたら「どうすればいいと思う?」と聞き返す。
これが、立派なアドバイスになっているのです。
元気づけるときに、言葉より手書きの手紙のほうが、効果があります。
「手書き」というところがポイントです。
「手書き」の手紙には、心があるからです。
相手の精神的豊かさが、手書きに込められています。
もちろん言葉でも、元気づけることができます。
ただ、手書きの手紙にはかないません。
字の美しさは関係ありません。
「手書き」というところに、相手は心を打たれるのです。
私は留学時代、よく母から手書きの手紙をもらいました。
母は手書きの手紙を書くプロです。
草書のような、きれいな字です。
心を込めて書いたことが、筆跡からすぐわかります。
そのうえ、内容が良い。
どこからとってきた言葉か、いい味が出ているのです。
このいい味は、本人の心から出ています。
心から出た味が、手書きに反映されます。
この手書きの手紙が、涙を誘うのです。
話し言葉には、本当に心からそう言っているのかはわかりませんが、手書きの手紙だけは本気さが伝わります。
この手書きの手紙のおかげで、私は留学生活にずいぶん助けられました。
精神的に助けられました。
自分を思ってくれる誰かがいるというのは、自分の「存在」を確かめることになります。
私がこの世に「存在」していることを誰かが喜んでくれているというのは、この上ない元気づけになるのです。
相手を元気づけるとき「能力」より「存在」に感謝することが大切です。
私も母を真似して、友人との会話には「出会えて良かったよ」と言って、相手の「存在」に感謝するようにしています。
「自分は存在する価値があるんだな」と思うことで、元気になれるのです。
ある女の子が言いました。
「この子、落ち込んでいるんだから、もっと優しくしてあげなさいよ」
このように落ち込んでいる人を保護しようとするのです。
ですが残念ながら、この一言で「この子」は逆につらくなります。
気にされることで、余計に気にしてしまうのです。
普通に接してくれるのが、いちばん楽です。
楽に接してくれるから、楽に話ができるようになります。
「さあ、話して!」と気合を入れられると、もうダメです。
何も話せなくなります。
私もこの点はとても気をつけています。
気にしてはいるのですが、気にしていないというふりをしています。
相手に緊張を与えず、話をしてもらう。
ちょっと難しいですが、なんとかやっているつもりです。
相手の緊張を解いてあげると、話しやすくなるのです。
皆さんがよく誤解していることなのですが、落ち込むことはいけないことではありません。
落ち込むことがいけないなんて、誰が教えたのでしょうか。
悪いことではありません。
落ち込むことは、成長することです。
落ち込まないと、成長できません。
落ち込む機会があれば、成長する機会と考えましょう。
日本は、第2次世界大戦で負けてしまいました。
負けてしまい、日本国民は意気消沈していました。
「今まで頑張ってきたのは何のためだったのか。命を落とした人たちが報われない」
みなが、そう思っていました。
それでも日本は、今、大きな国になりました。
それは第2次世界大戦で負けて、落ち込んだからです。
アメリカからの特需のおかげでもあるのですが、その特需をどうするかは日本人の成長しだいです。
落ち込む機会は、成長の機会です。
戦争で負けた日本人は「落ち込んでいた」からこそ、必死になって成長したのです。
それが高度経済成長です。
アメリカからの特需を最大限に活用できたのは、落ち込んで成長したからです。
落ち込むことを前向きに考えましょう。
落ち込みがきたら「成長するチャンス」と思い、最大限に活用するのです。
以前、私は友人を元気づけようと励ましてあげたことがあります。
しかし、友人はやはり落ち込みます。
「どこがいけないのかな」と考えてみました。
実際に自分が落ち込んだときに、友人に励まされたことでわかりました。
自分の落ち込みを、余計に確かめてしまうのです。
誰しも、落ち込んでいるときの自分は苦手です。
そんな自分を再確認してしまっては「はあ」とため息が出てしまうのです。
落ち込んでいる人を元気づけようとするとき、励ますことは危険です。
相手に「やっぱり、私は落ち込んでいるんだ」と、さらに深く確認させてしまうからです。
確認させては、余計に落ち込ませてしまいます。
励ましている側は「あれ、まだ励ましが足りないのかな」と思い、さらに励まします。
余計に落ち込ませる悪循環になるのです。
「大丈夫だよ。そんなに落ち込んでいないで頑張って」
普通に聞けば励ましているような言葉に聞こえることでしょう。
しかし、落ち込んでいる人には、さらに気落ちしてしまうとげのある言葉になるのです。
落ち込みから引っ張り上げるためには、実はそんなに難しくありません。
気分転換をするだけでいいのです。
落ち込んでいる人は落ち込んでいる気分ですから、できるだけそらしてあげることが大切です。
これは簡単です。
私たちは、ただ普通に接すればいいのです。
ただし、楽しく明るく接することが重要です。
これが落ち込んでいる相手には、落ち込んでいる気分から明るい気分へと気分転換になるのです。
気分転換には、いろいろな方法があります。
フィットネスに通ったり、海に行ったり、山に行ったり、カラオケ、飲み会などです。
私も先日、友人と山と海に行ってきました。
ロサンゼルスのグリフィスという山と、サンタモニカというビーチです。
良い気分転換になりました。
精神的な意味で、現実逃避ができたのです。
私も毎日が同じ繰り返しでマンネリ化し、落ち込み気味だったのです。
うまく気分転換しているつもりではありましたが、山と海にはかないませんでした。
「現実には、こんなすがすがしいところがあるんだ!」と、感動してしまいました。
友人は、感動している私をカメラで撮っていました。
どうやら友人には、山や海より感動している私のほうが感動できたようです。
落ち込んでいる人が現実逃避気味になるのは、落ち込みという現実が嫌だからです。
その落ち込みから逃げようと、現実から逃げるのです。
「現実逃避」という気分転換です。
現実逃避は悪いことではありません。
生活の要所にうまく組み込めば、上手な気分転換ができます。
生活にメリハリが出て、生き生きできるのです。
落ち込んだときには、一度現実から逃げてしまえばいいのです。
話を聞くときには、やはり2人きりになるのが基本です。
落ち込んでいる人は、ほかの人には話を聞かれたくはありません。
私も落ち込んだことがあります。
たとえば、失恋をしたときです。
大事な彼女を失ってしまい、私はとても落ち込んでいました。
誰かに話を聞いてもらいたくて、友人に会いに行ったり、電話をしたりしていました。
ある日、みんなと一緒にいるときに、私が失恋した話題になりました。
2人きりのときは話せますが、みんながいる大勢の前では話せません。
プライベートな話ですから、誰にでも話すというわけにはいかないのです。
落ち込んでいる人は、ストレスがたまっています。
ストレスが限界までたまり、目からこぼれ出るときがあります。
涙です。
そのくらい精神的に追い詰められ、余裕がない状態になっているときには、たまったストレスを吐き出させてあげましょう。
たくさん愚痴ってもかまいません。
言いたいことを言ってもかまいません。
元気づける人は、元気づけるというより、話を聞くだけでいいのです。
そのときには、必ず2人きりになることが大切なのです。
最後に、笑える結末があることで、話が面白くなります。
関西人の話には、最後に笑える結末があります。
「いろいろ話を聞かせてもらったが、最後が笑えるから、いいだろう」と言うのです。
最後が笑える雰囲気なら、終わりよければ、すべてよしです。
落ち込んでいる人には、最後には明るくなってもらうことが大切です。
1年間使ってない水道の蛇口からきれいな水を出すには、まずさびを出さないといけません。
落ち込んでいる人が明るい気分になるためには、まずストレスというさびを出さなければなりません。
話を聞いて、さびというストレスを吐き出すだけ吐き出してもらいましょう。
吐き出せば、最後は笑いで締めくくることが大切です。
先日、私の家に友人が2人、遊びに来ました。
家に遊びに来たのはいいのですが、ささいなことがきっかけで友人同士が揉めてしまい、そのうちの1人が泣き始めました。
滝のように涙を流し、案の定、愚痴が始まりました。
私は当時、すでに愚痴や話を聞くことには慣れていました。
友人が横で泣いていても、冷静になっていつもどおりの顔をして話を聞いていました。
そうすると、もう1人の友人が面白いことをし始めました。
1時間ほど泣いている友人は、涙をハンカチで拭きながら愚痴を話した後、もう1人の友人が言うのです。
励ます人 「私のハンカチも使っていいよ」。
泣く人 「え、いいよ。なんか高級そうだし」。
励ます人「これね、イトーヨーカドーで安売りセールしていたときに、100円で買ったの」。
泣く人「そうなんだ。柄とか、高級そうだから、高いのかと思った」。
2人「クスクス(笑う)」。
これがきっかけで、愚痴の話と涙が終わり、いつもの明るい話に軌道修正したのです。
私は横で見ていて「なるほど、これはうまいな」と思いました。
ストレスを吐き出すだけ吐き出した後、最後をうまい具合に笑いで締めくくると、すっきりするのです。
友人はこれを狙ってやったのかどうかはわかりませんが、たしかに効果的でありました。
最後を笑いで締めくくることは、気持ちの良い締めくくり方になるのです。
目は、面白い。
目は、まったく言葉を発しませんが、さまざまなメッセージを伝える力があります。
にらんだ目は、敵対を意味します。
優しい目は、友好を意味します。
目の使い方だけで、敵にも味方にもなります。
テーブルを挟んで向かい合って話をするとき、少し威圧を感じることがあります。
視線と視線がぶつかるからです。
前を向いて視線がぶつかるなら、相手はまともに前も向けません。
こういうときにはどうすればいいのかというと、真正面に座るのではなく、斜め横のポジションで聞けばいいのです。
これなら視線はぶつかりません。
斜めのポジションは、心理学で「友好」を意味するポジションと言われます。
相手には親しく接してもらえている印象を与えることができ、お互いの心を開きやすくなります。
これは落ち込んだ人に限らず、普通の友人にも誰にでも通用します。
国境は関係ありません。
生物的な本能です。
野生の動物同士が争うときというのは、必ず真正面になって戦います。
斜め横になって戦うなんて聞いたことがありません。
真正面同士というのは、対立のポジションなのです。
相手の話を否定してはいけません。
否定する人には、話をしたくなくなるのです。
理解しようとして、一生懸命話を聞いてくれる人に、人は好感を持ちます。
「どう考えても間違っている」と思うようなことを言っても「なるほど。そうだね」と言って、話を前に進めましょう。
トンネルを奥深く掘るには、当然、前に進めることが大切です。
突然「100メートル進んだところから掘り始めましょう」と言ってもそれは無理です。
100メートル先までたどり着くには、まず1メートルから歩き始めて、2メートル、3メートルと前に進んでいくものです。
前に進むことを否定しては、前に進めません。
話を前に進むことを否定しては、話は前に進みません。
話を否定しては、話は前に進まないのです。
相手の話を、とにかく前に進めてあげましょう。
そうすると相手が本当に言いたいことに、いずれたどり着きます。
それが、相手が本当に吐き出したかったことです。
吐き出せなかったためどうしていいのかわからず、落ち込んでいただけです。
「相手の話は否定しない」とは、そういう理由からです。
相手の話を前に進めるための、効果的な方法があります。
話の最後を繰り返すことです。
「今日は友人と海に行って、泳いできたよ」
「もう泳いだの」
「そうなんだよ。もうすごく冷たくて」
「今日は、本屋に行って、経済関係の本を買って」
「経済関係の本を」
「そう。経済に最近興味があって」
「さっき、久しぶりに友人と偶然会って、騒いでしまった」
「そんなにはしゃいだの」
「うん。だって久しぶりだったから嬉しくって」
このように相手の話の最後を繰り返すのです。
これを「バックトラッキング」といいます。
私の経験上、大変効果があります。
効果がなかったことはありません。
話の最後を繰り返すと、話を助長させる効果があります。
どんどん話が進みます。
ちなみに、国境さえも関係ありません。
アメリカ人や韓国人にも同じことを試してみましたが、同じく効果がありました。
次から次へと、どんどん話し始めます。
話の最後をオウム返しのように繰り返すのです。
そうすることで、相手は「きちんと話を聞いてくれている。興味を持ってくれている」と思い、どんどん話してくれます。
実際に、私は話を聞いていないときもあります。
まともに何時間も話を聞いていると、頭がおかしくなるので、聞いているふりだけをして聞いていないことも、実はよくあります。
ただ最後の一言だけは、機械的に繰り返します。
それでさえも効果がありました。
話の最後を繰り返す単純なことなのですが、話を十分に前に進ませる強力な魔法になるのです。
いやいや話を聞いている人に、話をしようとは思いません。
「話をもっと聞きたい。もっと話を聞かせてください」という態度を見せることが大切です。
そうすることで相手は気分をよくし「この人にだったら、もっと話してもいいかな」と思ってくれるのです。
私の場合は、相手が落ち込んで話をしていてもにこにこして話を聞きます。
相手が落ち込んでいるのに、私がにこにこしては変だと思うかもしれませんが、そのほうが明るく話を聞けます。
相手の落ち込みのマイナスパワーと、私のプラスパワーの勝負です。
私のプラスのほうへ引き寄せていきます。
言葉で引き寄せるのではありません。
態度や表情で引き寄せていくのです。
「暗い話だけどにこにこしている。自分の落ち込みは小さなことなのかな」と思い始めてくれるのです。
暗い顔で話をすると暗くなります。
お化けの話は、暗い所で暗く話すから、気分も暗くなるのです。
明るい話は、必ず笑顔で話します。
と言うより、笑顔で話したり聞いたりすることは、すべて明るい話になってしまうのです。
にこにこしながら話を聞くことで、暗い話を明るくさせてしまうのです。
もはや魔法です。
落ち込んでいる人の話を聞くときには、にこにこ笑顔で話を聞くことが大切なのです。
友人と仲良くするためのキーワードは「ありがとう」です。
「ありがとう」なしに、良い友人関係は構築できないと言っても過言ではありません。
逆を言えば「ありがとう」がきちんと言える人は、人と仲良くやっていけます。
これは相手が、男でも女でも、年上でも年下でも、日本人でもアメリカ人でも、大切な言葉なのです。
この「ありがとう」が、実は落ち込んでいる人を元気づけるときにも、大いに効果を発揮します。
「話を聞かせてくれてありがとう」
この「ありがとう」が元気づけるための言葉になるのです。
「感謝された。話して良かったんだ」と、ほっとしてくれます。
どういうわけか人間関係では、ありがとうは鏡のような動きをします。
私が「ありがとう」と言うと、相手も「ありがとう」と言い返してきてくれます。
相手が「ありがとう」と言ってくれると、私も「ありがとう」を言いたくなります。
「ありがとう」は、プラスのパワーを持っています。
冗談でもいいので「ありがとう」をどんどん口にすることで、どんどん明るく楽しくなれる魔法の言葉なのです。
私が「話を聞かせてくれてありがとう」と言うと、相手も「こちらこそ、話を聞いてくれてありがとう」と言ってくれます。
気持ちの良い会話です。
たとえ、ささいな暗い話でも、最後を「ありがとう」で締めくくることできれいに締めくくれます。
私は本の中では「ありがとう」は「魔法の言葉」と表現しています。
単なるメルヘンチックな表現で使っているのかと思うかもしれませんが、とんでもないです。
「ありがとう」を魔法と呼べるにふさわしいパワーを持っていると、本気で思っています。
「魔法の言葉」と言い切っているのです。
「見る」と「観る」は、微妙なニュアンスの違いがあります。
「見る」とは、見物の「見」です。
「単に視界に入ったものを見る」といった、主に相手の外見を、簡単に見るときに使います。
もう1つの「観る」とは、観察の「観」です。
「じっくり慎重に観察する」といった、主に相手の内面をじっくり慎重に観るときに使います。
落ち込んでいる人には「見る」のではなく「観る」ことが大切です。
落ち込んでいるからには、必ず理由があります。
その理由は、言葉に出ることもあれば、言葉には出ないこともあります。
少しでもたくさん話してもらえれば、落ち込んでいる理由もだんだんわかるようになります。
相手が話したいと思っていることは、今まで誰にも言えなかったことかもしれません。
落ち込んでいる原因を人に話しづらいこともあります。
言葉には出さなくても、表情やしぐさ、服装や声のトーンなどに表れます。
相手を見て、できるだけ理解を拾うことが大切です。
せっかく相手が話をしてくれているなら、じっくり耳では聞き取れないニュアンスまで聞き取ることが必要です。
名探偵シャーロック・ホームズは、声を出さない犬の声まで聞いたと言います。
いつもなら大声で吠えるはずの犬が吠えないことに気づき、事件解決に結びつけました。
言葉や声だけに、すべてが表現されるわけではないのです。
相手の内側にある心の声に、耳を傾けてみましょう。
そのためには「見る」ではなく「観る」が必要です。
私は褒められると、嬉しくなります。
「自分を認められた。理解してくれた」と感じるから、嬉しくなります。
私だけに限らず、誰でも褒められると嬉しくなるものです。
さらにもう1つ大切なことは「自信がつく」ということです。
最初は誰でも自分に自信がありません。
人生を生き生き明るく生きている人は、自分に自信がある人です。
自信を持ってやっている人で、元気のない人は見たことがありません。
人付き合いに自信がある、仕事に自信がある、速さには自信がある、ルックスには自信がある、料理には自信がある、などです。
自信は、人を元気にさせてくれる効果があります。
地震があっては元気も出ませんが、自信があれば元気が出ます。
落ち込んでいる人を元気づけるためには、自信をつけてもらいましょう。
自信をつけるためのまず簡単な方法は、褒めることです。
落ち込んでいる人は、自信がなくなっている場合があります。
自分に自信がないのか、仕事に自信がないのか、人付き合いに自信がないのかは、話を聞いてみないかぎりはわかりません。
なぜ落ち込んでいるのかは、話を聞いていると少しずつわかってきます。
自信がなくて落ち込んでいるとわかれば、自信のないところを褒めてあげましょう。
短所と思えるようなところでも、その短所の中から長所を見つけるのは、あなたの力量が試される瞬間です。
思ったより短所は短所でないことを伝えることでもいいし、長所があるから短所は気にしないことを伝えてもかまいません。
精神的に相手を救ってあげることです。
元気づけることとは、褒めることなのです。
褒めるときには、どこを褒めるかが大切です。
ポイントは、外より内です。
外側を褒めるより内側を褒めるほうが、相手には嬉しい褒め言葉となります。
外見ばかり褒めていると、悪いことではないのですが、時と場合によっては相手に不快な気分を与えてしまうことがあります。
私は女の子の服を褒めて、叱られたことがあります。
「きれいだね」
「え、本当!」
「服がきれいだってこと」
「……」
これは、私がいけませんでした。
褒め方に、相手の内側の部分が込められていなく、外見を褒めた言葉となっていたからです。
褒めることは、実はちょっとしたセンスが必要です。
相手の着ている服を褒めると、相手ではなく、服を褒めていることになります。
見ているのは、相手ではなく、服と誤解されることがあるのです。
褒めるときに大切なことは、相手の内側を褒めることです。
たとえば、服を褒めるときには「いい服だね」と言うのではなく「その服、似合っているね」と言うほうが相手は喜びます。
服と自分が、マッチしていることを意味するからです。
さらには「おしゃれだね。ファッションセンスあるよね」と言うと、相手の内側のセンスを褒めることになり、もっと喜びます。
センスを褒めるとは、つまり相手の内側を褒めることになります。
もう1つ例をあげましょう。
レストランでの食事のときです。
レストランで相手と一緒に食事をするときに、もちろんオーダーをします。
相手はシーフードが大好きですから、シーフードを注文します。
そこでも相手の内側を褒める一言を言いましょう。
「シーフードにこだわりがあるんだね」という一言です。
相手は自分のシーフードへの思いを見てくれているのだと思い、話が弾みやすくなるのです。
褒めるときには、相手を見て、外側より内側を褒めることが大切なのです。
直接褒めてもらうより、第三者から褒めてもらえるほうが、喜びが大きいものです。
「貴博君は仕事、頑張っているね」と直接褒められるのも嬉しいですが、もう一工夫あります。
「先生が貴博君のこと、頑張っているって言っていたよ」と言われるほうが、さらに嬉しいです。
言葉にしなくても、自分を気にかけてくれていたことがわかり、嬉しくなります。
褒めることはいいことです。
悪口だけは、告げ口でもしてはいけませんが、褒め言葉なら、むしろ告げ口をしたほうがいいのです。
褒め言葉は告げ口して、どんどん広げていきましょう。
悪い噂が広まると、嫌な気持ちになりますが、良い噂が広まるのは素晴らしいことです。
落ち込んでいる人を元気づけるとき、誰かが言っていた褒め言葉を本人に教えてあげましょう。
「そういえば、A君が褒めていたよ」と言って、相手を元気づけてあげるのです。
たわいないことでもかまいません。
たわいないことほど、相手には嬉しい言葉になります。
「誰かが自分のことを褒めてくれている。気にしてくれている」とわかっただけでも、元気になるのです。
少し強引な方法ですが、たしかな効果のある元気づけ方があります。
落ち込んでいる人がいます。
その人は、料理が得意な人です。
そこで私は「目玉焼きのつくり方、教えてよ」と、頼みます。
本当は、私は目玉焼きがつくれます。
しかし、わざと目玉焼きをつくれないふりをして、教えてもらいます。
このとき相手の話に一生懸命耳を傾け、にこにこしながら教えてもらいます。
楽しい雰囲気を醸し出します。
教えてもらったら、最後に笑顔で「ありがとう。おかげで目玉焼きのつくり方がわかったよ」と言って、わざとはしゃぎます。
しっかりつくれるようになったかどうか、相手の目の前で私が実演して見せます。
私は最初から、目玉焼きがつくれるのです。
当然、きれいにつくります。
それを見た相手は「よし、私の教えたことがきちんと伝わっているな」と確認できます。
「自分が人の役に立った」と言うことが、落ち込んでいる人には自信につながっていくのです。
落ち込んでいる人とはいえ、まったく何もできないわけではありません。
目玉焼きなんて、料理の得意な人にはささいなことです。
そんなささいなことでも、誰かの役に立つのです。
落ち込んでいる人ができることや、知っていることを見つけましょう。
すぐ見つかります。
愛媛県出身の人なら、愛媛県の話を聞かせてもらいましょう。
海外旅行をしたことのある人なら、海外旅行のノウハウを教えてもらいましょう。
料理の得意な人なら、料理を教えてもらえばいいのです。
「教える」という行為が、落ち込んでいる人には少しずつですが、自信につながります。
一気に自信をつけてもらうのではなく、少しずつでかまいません。
自分の知識が誰かの役に立っているということは、自分の存在価値を確認できることにつながります。
落ち込んでいる人は、無能ではないことに自分で気づいてもらいましょう。
自分の存在に価値があることを確認できたとき、自然と元気になるのです。
これは私のことを言っています。
落ち込んでいる人は、自分が落ち込んでいることをあからさまにはしません。
1人になって考え、解決しようとします。
落ち込んでいる人が何をやっていいのかわかっていて、頭の中を整理するために1人になるのはかまいません。
ただ、何をしていいのか、何をしたいのか自分でもわからない人が1人になるのはちょっと危険です。
落ち込みが、さらにエスカレートします。
特に、夜は危険です。
夜、1人になって落ち込んでいると、どんどんと気分が落ち込み、エスカレートします。
以前に私は「生きるか死ぬか」まで落ち込んでいるときに、夜、1人でいるのは危険だということがわかりました。
そのとき、用事はないのですが友人の家に行ったり、友人に電話をしたり、映画やパソコン、読書をしたりして気を紛らしました。
落ち込んでいるときに1人になっていると、いつも以上に寂しく絶望的に感じてしまうのです。
落ち込んでいるときに、誰かが一緒にいてくれると助かります。
実際には、みんな忙しいから時間はないのだけれども、落ち込んでいるときの1人は本当に寂しいのです。
ほんの1本の電話でもかまいません。
人間は1人では生きていけないのです。
実は、元気づけることとは、何もしないことでもあります。
誰でも、落ち込むことは好きではありません。
だからなんとか立ち直ろうと「自分で」努力します。
誰かに起き上がらせてもらうのではなく、自分で起き上がることが大切です。
「自分で」というところに、本人の成長があるのです。
元気づけをしなくても、自然に元気になっていくものなのです。
元気づけるために、必ず何かをしてあげないといけないわけではありません。
本当に相手のことを思うなら、逆に何もしないことも必要なことです。
何もせずにそっとしておいてあげるのも、本人には大切な成長の瞬間になるのです。
人生を明るく楽しく生きるために必要なことは、落ち込むことです。
「え、落ち込んだら、明るく楽しくなれないよ」と思うのではないでしょうか。
たしかにそのとおりです。
落ち込むことばかりでは、人生明るく楽しいとは言えません。
しかし、適度な落ち込みも、時には必要なことになるのです。
大切なことは、落ち込むことで得られる「精神的な強さ」です。
今の世は、昔と比べてストレスに満ちている世界です。
いろいろなことがデジタルになっていき、人と人との関係も複雑になっています。
昔のように自然に囲まれ、のんびりいうわけにもいかなくなってきました。
そのため、ここ最近はうつ病者が増えています。
私は以前、本のことでたくさんの人からクレームをいただき、落ち込んだことがあります。
落ち込んで、本が書けなくなったこともあります。
しかし、私にとって本を書くことは、好きなことです。
だからまた書き始めました。
それでもやはり、クレームはやってきますが、クレームに強くなりました。
クレームを受けて落ち込みますが、慣れていくのです。
それが精神的に強くなる過程です。
私は「これが大人になっていくということなんだ」とわかりました。
大人になるというのは、体が大きくなったから大人というのではありません。
精神的に落ち着いて、おとなしくなるから、大人になるのです。
「おとなしい」を漢字で書くと「大人しい」と書きます。
落ち着いている人は、みな「大人しい」人です。
大人しい人が、大人らしい人です。
大人はたくさん落ち込んで、落ち込むことに強くなった人です。
精神的に強くなったのです。
プロ野球のイチロー選手は、いつも落ち着いています。
野球の世界は打つ打たれるで、評価が決まります。
メジャーリーグへ進んだイチローは、いまや日本国民1億2500万人の期待を受けていることになります。
そんな日本国民の期待の中で、空振りノーヒットだってあります。
打てなかったことにやじを飛ばされ、相当落ち込むこともあるでしょう。
それでもイチロー選手は、取り乱したりしません。
落ち着いています。
やじを飛ばされ、落ち込むことに慣れたのです。
精神的に強い大人であるということです。
どんどん落ち込みを経験することで、どんどん大人になります。
落ち込めることは、喜ばしいことです。
大人になるためには、落ち込むことは大切なことなのです。