私はけんかが大嫌いです。
けんかほど嫌いなものはありません。
友人と大げんかをするくらいなら、私が誰かに怒鳴られるほうがいい。
どんなけんかであろうと、すべてのけんかの原因はまず「理解不足」が原因です。
ささいなけんかから大きなけんかまでいろいろとありますが、すべてのけんかは必ず「理解不足」から発生します。
・自分が相手に対して十分な理解ができていなかったとき
理解があるかどうかは、会話を聞いていればすぐわかります。
お互いが交互に会話のキャッチボールができているか、それとも1人が一方的に話しているかです。
理解がある人は、自分が話し、次に相手の話を聞き、また自分が話す、といったお互いが順番に会話することがうまくできています。
「それくらいできるでしょ」
「そんなこともできないの」
「あなたに言われたくない」
自分がいちばんだという考えを「エゴ」と言います。
「自分がいちばん強い」
「自分がいちばん頭がいい」
深層心理学には面白い実験があります。
自分の性格を知ることにも応用できるなかなか鋭い実験です。
>ある女性に、美人で頭がいい人の話をしました。
けんかをする原因は理解不足です。
相手を理解せずに自分のことばかりを理解させようとすれば、容易にトラブルをつくり出すことができてしまいます。
もし私が「どうすればけんかができますか」という質問をされれば、こう答えるでしょう。
けんかをしない人に共通することは、自分の話より相手の話を優先してわかってあげようとしているところです。
ついかっとなってしまったときには、自分の意見ばかりを遠慮なく言ってしまいがちです。
怒りというストレスがたまっているだけに、吐き出したい気持ちもあることでしょう。
けんかをする人の決まった考え方は「相手が原因でこうなってしまった」と考えていることです。
何でもかんでも相手のせいにして、自分はまったく悪くないと考えているのです。
だからよくけんかをします。
ストレスはため込むから、爆発したときの怒りが大きくなります。
日頃からストレスを少しずつうまく吐き出していけば、ある日突然大きく爆発なんてことはないはずです。
けんかをしないコツは、日頃からたまるストレスを少しずつ吐き出していくことです。
時として、相手からけんかを吹っかけられるときもあるでしょう。
自分がいらいらしてけんかしそうなときだけでなく、相手から導火線に火をつけていくということです。
自分ではけんかをするつもりはなくても、相手がその気であるときもたしかにあります。
好き嫌いはあっていいのです。
もちろん理想は「すべてを好き」「何でも好き」ですが、なかなか難しいのが現実です。
人間ですから、好きな人や得意な仕事もあれば、嫌いな人や苦手な仕事もあって当然です。
裁判における訴訟問題で最も多いのが、お金に関するトラブルだそうです。
人間関係のトラブルでも元をたどれば、お金の問題に行き着き、貸し借りの返済で揉めることがよくあるのだそうです。
お金が原因のけんかは、本当に怖いものです。
答えがあって答えがないのが、宗教と経済の話です。
いつの世も常に宗教同士での戦いがあり、経済のことで言い争っています。
答えが無数にあるため、言い争いになりやすく、けんかに発展しやすいのです。
けんかをしやすい人にある共通点は「正しい、間違っていることにこだわっている」ということです。
何がいちばん正しく、何が間違っているのかという考えにとても強い執着を持っています。
「もっと知りたい、詳しくなりたい」という気持ちは、向上心の表れとも言え、悪いことではないですが、執着しすぎは逆効果です。
友人は、信じている人にこそプライベートを話してくれます。
ある程度仲良くなり信じているからこそ、ようやく話してくれるわけです。
仲もよくない信じてもいない人に、自分のことを詳しく話したりすることはありません。
けんかをよくする人には、こんな口癖が目立ちます。
「正しい、間違っている」
「良い、悪い」
けんかとは、つまり対立を意味します。
誰かといがみ合ったときに対立となり、けんかへと発展していくのです。
そもそものけんかの原因は「自分がいちばん」という考え方です。
批判ばかりをして、他人をけなすことが癖になっている人がいます。
自分の評価を上げるのではなく、他人の評価を下げることで自分の評価を相対的に上げようとする残念な考えを持った人です。
「自分はこれだけのことを知っているんだぞ。すごいだろ、尊敬しろ」と遠回しに言っているようなものです。
ストレスはため込んでしまうから、ある日突然爆発してしまうのです。
小さなかちんとくる出来事が限界までたまり、ついにはあふれ出てしまうのです。
こんなときには日頃から相談できる友人がいると本当に助かります。
けんかと無縁な人は、いつも「譲ること」を心がけています。
常に自分が前へ出るより、他人に譲ることを大切にしている人です。
「自分のことは後回しでもいいから、お先にどうぞ」
年上の人でも、できるかぎり年下の人には命令形を使わないコミュニケーションを心がけましょう。
そのほうが結果としてみんなと仲良くなることができ、嫌われることもけんかが起こることもありません。
年上の人が偉そうに命令形の言葉を使うのは、簡単なことです。
学校だけでなく仕事でももちろん、上下関係というものがあります。
年齢や地位を基準にして、私たちは上下関係を知らない間につくり上げています。
どんどん年や肩書が付くにつれて、だんだん偉そうな態度になってしまいがちです。
「ごめんなさい」
素直にこう言われると、怒っていた人の心のとげも少し丸くなります。
変にプライドを見せず、素直に自分の過ちを認めて謝られると、それ以上怒れなくなってしまうのです。
直接会って話すのが、本当のコミュニケーションです。
しかし、今では携帯のメールや電話などで、直接に会わなくてもコミュニケーションが取れるようになりました。
そのために昔より「直接に会わない会話」がとんでもなく増えてしまいました。
大きなトラブルのときほど、怒りが湧きやすいため、自制心を失いやすくなります。
怒りや憤りで頭がいっぱいのときは、それだけでほかのことを考えられなくなり、冷静ではなくなってしまうものです。
こんなときには少し間を置いて、まずは冷静さを取り戻すことが第一です。
自分のことばかりを考えている人を「自己中心的な人」と言います。
自分を中心に世界が回っていると思い、自分のことしか考えず、それで良いと思っている考えの狭い人です。
自分さえよければいいと考えている人は、当然のことながら自分のことしか考えていないので他人と衝突することがよくあります。
私は約束で待ち合わせるときには、常に本を持ち歩くようにしています。
さすがに大きな本は重いのですが、小さな文庫本なら小さなカバンにも入ります。
たいてい約束で待ち合わせするときには時間前には行くようにし、待ち時間の間にはその本を読むようにしているわけです。
日本のことわざの1つに「備えあれば憂いなし」という言葉があります。
「もしものときのことを考えて、前もって準備しておこう。そうすれば心配をすることもない」という意味を含んだ格言です。
「もしものとき」を前提に考えて行動していると、いざというときにも困ることがありません。
そもそも地球にあるものは、すべてが自然でした。
それでいて完全に、一体です。
人が誕生する前は、所有権や著作権などはありませんでした。
私はけんかが大嫌いです。
けんかほど嫌いなものはありません。
友人と大げんかをするくらいなら、私が誰かに怒鳴られるほうがいい。
けんかをして良いことなんて1つもありません。
勝っても負けても嫌な気分になります。
勝ってしまえば相手と仲が悪くなり、そのまま友人関係にも大きなひびが入ってしまいます。
「悪いことしちゃったな」と思い、罪悪感にさらされます。
だからとはいえ負けてしまっても、いらいらした気持ちが残ってしまいます。
殴り合いになろうものなら、精神的だけでなく肉体的にも傷ついてしまいます。
いずれにせよ勝っても負けてもそれで解決するということはなく、お互いが嫌な気持ちになってしまうのです。
けんかほど嫌な気持ちになる出来事はないのです。
あなたは、けんかでは勝てば良いと思っているのではないですか。
勝ってしまえば恨まれて、かえって仲を取り戻しにくくなるでしょう。
仲直りという手もありますが、仲直りをするくらいなら最初からけんかなんてしなければいいのです。
けんかを始めてしまった時点から、何かを失うことが決定的です。
面白くも楽しくもなく、悲しくつらいことばかりなのが、けんかです。
私はけんかをするくらいなら逃げてしまいます。
けんかをして何か貴いものを失うくらいなら、弱いと言われようが、逃げたほうがましです。
そのおかげか、私は殴り合いのけんかをしたことがありません。
幼稚園のころに、友人とのささいなけんかくらいです。
大人になってからの日常では、したことがありません。
けんかなんてしても、どちらに転ぼうが悲しい結果になります。
けんかをする以前に「どうすれば未然にけんかを防げるか」という点を考えておくほうが大切です。
そもそもけんかをしなければいい。
前もってけんかを避けたり防いだりできればいいことなのです。
どんなけんかであろうと、すべてのけんかの原因はまず「理解不足」が原因です。
ささいなけんかから大きなけんかまでいろいろとありますが、すべてのけんかは必ず「理解不足」から発生します。
このようにけんかが始まる原因はささいなことかもしれませんが「理解不足」はけんかをするいちばんの原因なのです。
そのために人間には不思議なことに「けんかをまったくしない人」と「けんかをよくする人」の2通りにわかれます。
理解のある人はけんかなんてまったくせずにみんなと仲良くでき、逆に理解のない人はいつも誰かとトラブルを起こしています。
けんかをしない人は理解がある人ですから、前もってけんかを防いだり、避けたり、謝ることができます。
大きなけんかに発展することはありません。
しかし、どういうわけかけんかをする人は、決まってよくけんかをしています。
その人だけ特別に災難が集中しているわけではありません。
その人に理解が不足していたため、行く先々でトラブルということになるのです。
わからないときには「教えてください」と言えず、すぐ「わからないから教えろ!」と怒ります。
友人と考え方がぶつかったときも、自分の考えこそがいちばん正しいと思い込み、相手の話は一切聞かず、自分の話ばかりをします。
理解不足の人は、よく話す人とも言えます。
自分の話ばかりで相手の話は聞かない。
と言うのも「相手を理解する」より「自分のことを理解させること」を優先させてしまっているからです。
「理解不足」がけんかの原因なら「理解力を身につけること」こそがけんかをしないコツなのです。
自分のことばかりを考えるのではなく、相手のことも理解するという理解力を持ちましょう。
もちろんこうした姿勢は相手にもそうであってほしいですよね。
単純に自分が無知であっただけかもしれませんし、そういうときは相手に教えてもらうという謙虚な姿勢も必要です。
人付き合いが上手な人は、理解力のある人なのです。
理解があるかどうかは、会話を聞いていればすぐわかります。
お互いが交互に会話のキャッチボールができているか、それとも1人が一方的に話しているかです。
理解がある人は、自分が話し、次に相手の話を聞き、また自分が話す、といったお互いが順番に会話することがうまくできています。
相手のことを理解しようとする気持ちから「話を聞く」という姿勢が生まれます。
そのため一方的な会話ではなく、交互にやりとりし合う会話になっているのです。
それに対して一方的に話している人は、決まって相手のことを理解しようとしていません。
相手のことを理解しようと思っていれば、話をしている場合ではなく、聞かなければならないからです。
相手のことを理解しようとする気持ちは、必ず聞く姿勢から生まれます。
聞かないと相手のことはわかるはずも理解できるはずもないからです。
理解不足のおしゃべりさんは、マシンガンのようによく話します。
時には、マシンガンより激しいくらいです。
あなたの周りにいる「けんかをよくする人」は、決まってよく話す人ではないですか。
自分の話ばかりを相手に理解させる一方、相手の話は聞きません。
聞こうともしません。
相手が少しでも話をしようものなら、すぐ話をねじ伏せて、また自分の話をし始めてしまいます。
理解力とは頭の中の世界ですが、これは人間の外見に表れているのです。
人間関係をよくしようと、うまく話す練習をしている人がいます。
上手に話すことがいけないことではありません。
話を聞かずに、話をするばかりだからいけないのです。
話をする練習をするくらいなら、話を聞く練習をしたほうがいいのです。
「それくらいできるでしょ」
「そんなこともできないの」
「あなたに言われたくない」
「そんなことだろうと思った」
こうした相手を見下した口癖を持っている人は要注意です。
見下した言葉遣いになっている人は、けんかをしやすい人に見られる特徴の1つです。
これも理解不足から発生する口癖です。
「相手の意見は間違っている。自分の考えがいちばん正しい」という理解不足から相手を見下した言葉遣いとなります。
「自分のほうが正しいから、相手の言っていることはもう聞かない。侮辱してやろう」
そう思ってしまっているのです。
「理解がいちばんある」と思い込んでいる人が、実際は「理解がいちばん乏しい」という状態です。
こんな人がよくけんかをして、みんなから嫌われてしまうのです。
相手の地位や肩書が自分より上なら、すぐぺこぺこして意見をすべて丸のみします。
一方、自分より地位が低ければ、偉そうにふんぞり返ります。
会話の中でも見下した言葉遣いになり、下の人が正しい意見でも、自分の名誉にかかっているので意地でも認めようとしないのです。
あなたの言葉遣いをチェックしてみましょう。
相手を見下した言葉を使っていませんか。
相手を見下しているということは無意識的に「自分がいちばん正しい」と思う理解不足がある証拠なのです。
自分がいちばんだという考えを「エゴ」と言います。
「自分がいちばん強い」
「自分がいちばん頭がいい」
「自分がいちばん正しい」
「自分がいちばんかっこいい」
「自分がいちばん美しい」
このように「自分がいちばん」という考えは一見幸せそうに聞こえますが、トラブルを起こしやすい原因の1つになります。
自分がいちばんだと思っているため、それ以上の存在が現れると、すぐ目くじらを立てます。
新入社員で自分よりかっこいい人やかわいい人が入ってくると、無意識的に敵対心を抱いてしまいます。
「あの人のほうがかっこいい。あの人のほうがかわいい。自分は負けている」
つい自分と他人を比べてしまい、妬み、恨みが生まれます。
かっこいい人やかわいい人がいけないことをしているのではなく、自分がいちばんだと思っていることに根本的な原因があるのです。
いらいらしたり、妬んだりするのは、外側にあることが原因なのではなく、内側にあるエゴを持った心に原因があります。
たしかにいちばんということは、素晴らしい響きを持っています。
良い成績や、美しくなることは悪いことではありません。
しかし、いちばんと思った時点で、ほかは大したことはないという「見下した考え方」が生まれてしまう危険な考え方なのです。
それは言葉遣いだけでなく、態度にまで表れます。
あなたの周りにも、言葉遣いが悪い人がいるのではないでしょうか。
言葉遣いが悪い人に限って、態度も悪いですよね。
それは態度より、言葉より、それらを生み出している「自分がいちばんだ」というエゴを持った心に原因があるのです。
言葉も態度も、心の中にあるエゴから発生しているのです。
親や先生たちは「言葉遣いを直しなさい」とか「態度を直しなさい」と叱ります。
しかし、実際、こういう叱り方では効果がありません。
一時的に直っても、時間がたてば元に戻ってしまいます。
それらは目の前の「結果」だけを直しているだけであって、本当の根本的な「原因」を正さないかぎり、再発してしまうのです。
「自分がいちばん」というエゴを持った心をなくさないかぎり、周りの人への謙虚な態度もなく、言葉遣いも見下した言い方になります。
当然に態度も悪くなり、悪いことだらけのオンパレードになります。
自分がいちばんだと考えるのはやめることです。
エゴをなくしましょう。
これだけでも日常生活において、自分の精神状態は落ち着きを取り戻せます。
何しろ自分がいちばんという考えをやめる時点で、他人と比べ、強がって見せる必要もなくなるのです。
もちろんけんかそのものもなくなります。
自分一人でいちばんを目指すのではなく、みんなで一緒にいちばんを目指していくほうが豊かな考え方なのです。
深層心理学には面白い実験があります。
自分の性格を知ることにも応用できるなかなか鋭い実験です。
>ある女性に、美人で頭がいい人の話をしました。
>するとその女性は、大変に妬みをした結果が出ました。
>でもその反面、同じその女性に優秀な音楽家の話をしても、妬まない結果になってしまいました。
>またある音楽学生に、優秀な音楽家の話をすると妬みました。
>その一方、美人で頭のいい女性の話をしても、妬むということはありませんでした。
これは自分の深層心理で「自分は何に対して興味を持ち、どんな欲を抱いているか」ということがわかる心理テストです。
あなたが妬みを抱いていることは、それだけ自分が欲を持っているということです。
あなたが女性なら、美しくかわいい女の子がテレビに映ると「いいなあ。うらやましい」と自然に妬むのではないでしょうか。
それはそれだけあなたが美しくかわいくなることに興味があるということです。
それが「こうでありたい」という欲がある証拠でもあるのです。
妬みは、裏を返せばそれに興味があり欲が強いということなのです。
欲が強いほどそれに比例して妬みも大きくなり、トラブルの原因になります。
人間ですから「かっこよくなりたい」とか「美しくなりたい」というのは普遍的な欲です。
突然今からその欲をなくしましょうとはいえ、難しい注文というものです。
現実にはあり得ないことですが、人間の欲が一切なくなったとしたら、間違いなくけんかをしない究極を得たということです。
あらゆることに対して、嫉妬、いらいら、怒りが、なくなるということです。
しかし、私たちは人間です。
すべての欲をなくそうといっても現実の世界では難しいことです。
きれいな服も着たいし、好きな人と付き合いたいと思うものです。
ただそうした欲が強すぎないことがポイントなのです。
欲が強いほど、妬みを生み出します。
それらの感情が人として醜い性格につながり、トラブルを増やしてしまうのです。
欲はもってもかまいません。
ただし強すぎないことが条件です。
強すぎてしまっては幸せや満足感を得るどころか、不幸になってしまう結果となるのです。
けんかをする原因は理解不足です。
相手を理解せずに自分のことばかりを理解させようとすれば、容易にトラブルをつくり出すことができてしまいます。
もし私が「どうすればけんかができますか」という質問をされれば、こう答えるでしょう。
「自分の考えがいちばん正しいと思い込み、自分の話だけして、相手の話は聞かない。すると、けんかになるでしょう」。
理解不足があれば、けんかはいとも簡単にできるのです。
子どもはささいなことで、よくけんかをします。
お菓子の取り合いや、相手のことを考えないために、よくけんかをします。
しかし、それは、子どもだから許されます。
何も知らず理解力のない子どもの考え同士がぶつかり、けんかをしてしまうことは自然なことです。
むしろたくさんのけんかをして「けんかをしない心がけ」に気づいてもらわなければなりません。
失敗や痛い経験をして「自分のことばかりではなく、相手のことも考えなければならない」ことを体感できるときがやってきます。
それが精神的に大人になるということです。
子どもがやがて大人になれば、次第にけんかも減っていきます。
それはそれだけ「理解力を得た」からです。
しかし、中には大人になっても、理解不足のため、けんかをしている人がいます。
小さなころに経験したけんかから何も学ばなかった人です。
大人になってまで理解力がないのは、大変に恥ずかしいことです。
体は、ほうっておいても時間がたてば大人へと成長します。
しかし、精神的成長は自分から進んで学んでいかないかぎり、いつまでも子どものまま変わらないのです。
キーポイントは「理解」です。
相手を理解することが、けんかをしない基本です。
もちろん自分ばかりではなく、相手にも「理解しよう」とする気持ちがなければいけません。
お互いに「理解しよう」という気持ちがあれば、けんかに発展することはありません。
お互いに理解があれば、けんかをすることが不可能です。
話をするより聞き、相手への理解を第一にすることです。
話をすることも大切ですが、それ以上に聞くことのほうが大切です。
自分のことをわかってもらうより、相手のことをわかってあげることを優先させましょう。
人間は、自分の話を聞いてくれる人の話を聞きたくなります。
あなたが相手の話を聞けるようになると、相手もあなたの話を聞いてくれるようになるのです。
聞き上手になることは、トラブルのない人生につながります。
けんかをしない人に共通することは、自分の話より相手の話を優先してわかってあげようとしているところです。
ついかっとなってしまったときには、自分の意見ばかりを遠慮なく言ってしまいがちです。
怒りというストレスがたまっているだけに、吐き出したい気持ちもあることでしょう。
しかし、相手も同じように、たまった怒りというストレスを吐き出したいとき、あなたも吐き出してしまうと、けんかの始まりです。
けんかを避けたければ、まず怒りというストレスをぐっとこらえる癖をつけましょう。
自分のことをまず後回しにして、相手のことを優先してわかってあげることです。
「もしかしたら自分が原因でこうなってしまったのかもしれない」
こう考えながら聞くと、初めに相手の話を聞くことができるようになります。
聞き上手になるとは、つまり自分の話より、相手の話に重点を置いて理解していくということです。
これは回り回って謙虚という姿勢にもつながります。
謙虚なら、相手のことを優先して理解しようとする姿勢にもなります。
それが話すことより、聞くことにポイントを置くことになります。
けんかをする人の決まった考え方は「相手が原因でこうなってしまった」と考えていることです。
何でもかんでも相手のせいにして、自分はまったく悪くないと考えているのです。
だからよくけんかをします。
反省もなく謝ることもない人ほど、けんかが起きやすい姿勢はありません。
またその反面、けんかをしない人は「自分が原因で、こうなってしまったのではないか」と考えています。
けんかの最中だけでなく、もちろんけんかになりそうなときもきちんと考えています。
そうなってしまった結果があるからには、必ず原因があるのです。
「自分の言葉遣いが悪かったのではないか」
「相手のことを考えていない自分の行動に原因があるのではないか」
「相手にとってコンプレックスだったのかもしれない」
「気づかなかった自分に原因があるのではないか」
全部を相手のせいにするのではなく、このようにまず自分が悪いのではないかというふうに謙虚に考えてみるのです。
トラブルが起こるたびに自分と結びつけて考えていくと、自分を磨くための良い機会となります。
原因があるからには、結果を見つけていけばいいのです。
子どものころ、私たちはよく道端の石ころにつまずいて転びましたよね。
そんなとき痛くて泣きはしましたが、次には「今度から気をつけよう」と考えていた経験と同じです。
ひどい経験をするからこそ「同じ経験は二度としたくない」と心から思うのです。
こんなとき、もし自分が転んだのは石が悪いからだと思えば、成長なしです。
石ころのせいにしてしまっては、自分の成長はありません。
石のせいにするのではなく、それに気づかなかった自分がいけなかったと考えれば、今度からは気をつけることができます。
成長ありということなのです。
ささいなことでも全面的に相手のせいにするのではなく、自分にも原因があると考えることです。
つらい経験をして「今度から気をつけよう。こんなところを直していこう」と見つけながら実行すれば、けんかはしなくなります。
大人になれば石につまずいて転ぶことがないように、精神的に成長していけばけんかを未然に防ぐことができるようになるのです。
ポイントは「相手のせいにするのではなく、まずは自分に原因がないか考えること」です。
かっとなっている最中は、そう簡単に考えることができませんが、時間を置いてから常に自分に非はないのかを考えていきましょう。
それが自分を向上させ、成長していくということなのです。
ストレスはため込むから、爆発したときの怒りが大きくなります。
日頃からストレスを少しずつうまく吐き出していけば、ある日突然大きく爆発なんてことはないはずです。
けんかをしないコツは、日頃からたまるストレスを少しずつ吐き出していくことです。
ストレスは「ためないこと」と「小さなうちから吐き出しておくこと」の2つが必要です。
ストレスも風船と同じで、小さなうちから吐き出しておけば、大きく割れるということもなくなってしまうのです。
吐き出さずにためるだけためたとき、ある日突然キレるということが起こってしまいます。
私が仕事上出会った人に、岡田君という男性がいました。
ちょうど私が出向した仕事先で出会った人なのですが、彼はとてもストレスを吐き出すのが上手な人で印象的でした。
そのときの仕事といえば、毎日の残業にハードな仕事内容ということで誰もがストレスをためている状態でした。
土日出勤も当たり前で、ストレスを吐き出す時間すら与えてくれないという地獄の中にいるような職場です。
こんな経験も、今だからこそ、いい思い出です。
ストレスを吐き出す時間がない毎日で、岡田君が取っていたストレス対策はためるのではなく日頃から小さく吐き出す方法でした。
言われたことにすべてにノーと答えるのではなく、おかしいなと思うことは「これ、変です」と言って上司にぶつかっていきます。
自分の限界を感じるときには「限界です。つらいです」と言ってしまいます。
また自分は長く続けたくないというクレームも自社の上司に出して、助け舟をお願いしていました。
何でもイエスと答えるのが、良いわけではありません。
おかしいなつらいなと思うところは、その時点で少しずつストレスを吐き出して、このままで終わらないように対策を打つのです。
私はちょうど彼と一緒の仕事をしていたので、そのやりとりを間近で見ることができ、手本にさせてもらいました。
どちらかというと、それまでは爆発するまでストレスをためてしまう性格の私でした。
しかし、小さなうちにストレスを吐き出すという彼の様子を見ていると、長期で見て、有効な手段と思いました。
風船と同じようにある程度ストレスが大きくなると重荷になり、いつ爆発するのかと本人ですら怖くなります。
しかし、まだ小さく膨らんだ程度なら、割れてもさほど驚きません。
ストレスは、ため込むより、吐き出すことのほうが大切なのです。
時として、相手からけんかを吹っかけられるときもあるでしょう。
自分がいらいらしてけんかしそうなときだけでなく、相手から導火線に火をつけていくということです。
自分ではけんかをするつもりはなくても、相手がその気であるときもたしかにあります。
しかし、そんなときこそ、相手のいらいらを、あなたが吸収してあげることです。
コンニャクのようにぶつかってきたストレスを受け止め、相手が吐き出し終わるまで気長に耐えて待ってあげましょう。
私がもし相手からけんかを吹っかけられてしまったら、とりあえず徹底的な聞き側に回ることにしています。
自分が言いたいことがあってもせいぜい謝る程度で、それ以上火に油を注ぐことはしません。
聞き側になり、相手に言いたいことは全部言って、吐き出してもらいます。
火が消えるまで気長に待っていればいいだけです。
そのうち相手が怒りの炎を燃やし続けていても、いずれ燃え尽きるときがやってきます。
怒りの火の燃料が無限にあるわけではなく、そのうち底をついてきます。
怒ることもそれなりに体力を消費するのです。
そうなるまで相手の言い分を聞き続けていれば、たいていその時点で問題は解決しています。
けんかは早く消そうと、もがけばもがくほど相手には腹が立ち、さらに怒りが増します。
徹底的に聞き側になり、炎が燃え尽きるまで待てばいいだけです。
どのくらい待たなければならないのかは、そのときのシチュエーションごとによってまちまちですが、終わりは必ずやってきます。
好き嫌いはあっていいのです。
もちろん理想は「すべてを好き」「何でも好き」ですが、なかなか難しいのが現実です。
人間ですから、好きな人や得意な仕事もあれば、嫌いな人や苦手な仕事もあって当然です。
中には大嫌いな人や仕事もあるでしょう。
それはそれで仕方ありません。
ただし、社会で仕事をするとき、ストレートに出すのは注意したほうがいいでしょう。
好き嫌いはあっていいのですが、好き嫌いを顔に出すのは要注意です。
苦手な人と接するとき、露骨に嫌な顔を見せると、ますます人間関係が悪くなるでしょう。
苦手な仕事を依頼されたとき、露骨に嫌な顔を見せると、上司は眉をひそめるでしょう。
内心では「嫌だ、嫌いだ、やりたくない!」と思っていいのですが、それを顔に出さないことが大切です。
会社に苦手な人がいても、嫌な顔を見せるのではなく、笑顔で「おはようございます」と挨拶します。
上司から苦手な仕事を依頼されても、それを顔に出さず、にこにこしながら「はい、今すぐ対応します」と返事をします。
もちろん演技でいいのです。
演技をするしかありません。
下手な演技になってもいいので、表向きだけはポジティブな表情を心がけましょう。
演技ができないなら、練習です。
鏡の前で笑顔を練習してください。
笑顔のポイントは「口角」です。
笑顔をつくるとは、口角をきゅっと上げることをいいます。
口角を5ミリ上げてください。
目は笑っていなくても、ひとまず口角さえ上げておけば、最低限の笑顔をつくれます。
「ストレスを感じたときこそ笑顔」が条件反射になるため、何度も練習して、癖にしておきましょう。
好き嫌いを顔に出さないことは、社会で仕事をしていくうえで、欠かせないスキルなのです。
裁判における訴訟問題で最も多いのが、お金に関するトラブルだそうです。
人間関係のトラブルでも元をたどれば、お金の問題に行き着き、貸し借りの返済で揉めることがよくあるのだそうです。
お金が原因のけんかは、本当に怖いものです。
人の心を簡単に変えてしまう力があり、どんなに仲がよくてもお金がきっかけで絶交ということがあります。
けんかをしたくなければ、お金の貸し借りはやめることです。
「どうしてもお金が必要なんだ。お金を少し貸してほしい」
あなたもお金の貸し借りで嫌な気持ちになったことは、一度はあるのではないでしょうか。
友人がお金に困っていて、貸してくれるように頼んでくるときがあります。
こういう場合、仲のいい友人ほど信用しているので、ついお金を貸してしまいがちですよね。
しかし、仲がいい友人ほどお金を貸してはいけません。
仲があまりよくなくてもお金は貸してはいけませんが、仲がいい人とはさらにお金の貸し借りは禁物です。
もしお金を返してもらえなかったら、お金を失うだけでなく、せっかくの仲のいい友人まで失ってしまうことになるからです。
きちんと返ってくることより、もし返ってこなかったときのことを心配することです。
お金の使い方を一歩間違えれば大変なことになります。
お金が返ってこなければ、その人への信用ができなくなり、仲も悪くなります。
ついには仲のいい友人ではなく、けんか相手になってしまうのです。
お金そのものが良い悪いということではなく、使い方に問題があるのです。
お金は、人の心を変えてしまう力があります。
仲のいい人を助けることもできますが、その反対に仲がよくても簡単に崩壊させてしまう力もあるのです。
これは借りるほうも悪いですが、貸す側も悪い。
お金の貸し借りでけんかをしたら、返さない相手が悪いと決め付けるのではなく、お金を貸してしまった側にも原因があるのです。
お金を貸した時点で相手に対してリスクを背負っていると言うことであり、また失うための覚悟もあるということです。
どうしてもお金を貸してあげたければ、あげてしまうことです。
相手への精神的な負担を感じる必要もなくなります。
返さないことが前提ですから、お金のことで友人を失う心配もありません。
しかし、基本的に、お金の貸し借りは控えておきましょう。
あなたも同じく友人からお金を借りてはいけません。
お金を借りる人は、金銭感覚がない人なので「後で返そう」と思ってもなかなか返しません。
簡単に返せるくらいなら、借金は、そもそもしません。
お金がないときに限ってお金がどうしても必要なときがあり、そんなときについ友人からお金を借りたくなります。
本当に失いたくないと思う友人ほど、お金のやりとりは、ないほうがいいのです。
お金の貸し借りは、けんかのもとなのです。
答えがあって答えがないのが、宗教と経済の話です。
いつの世も常に宗教同士での戦いがあり、経済のことで言い争っています。
答えが無数にあるため、言い争いになりやすく、けんかに発展しやすいのです。
宗教や経済の話ほど、けんかしやすい話題はない。
どんなに論じても答えは見つからず、言う人は「私の答えがいちばん正しいのだ」と言い、一歩も譲りません。
特に宗教の話題で揉めると、自分の生き方を否定されたように解釈するため、怒りを感じやすくなります。
自分の生き方だけは否定されたくないため、信じている宗教のことでけなされると、かちんときてしまうのです。
そのため今までに、宗教戦争によってどれだけ多くの人が亡くなったことか。
人を幸せにするはずの宗教が、結果として人を殺してしまっているのはおかしな話です。
今現在でさえも、世界のどこかで宗教同士の戦争が繰り広げられ、たくさんの人が亡くなっています。
自分なりの答えを持っていても、それを誰かに押し進めたり、無理やり説得させ信じさせたりすることはやめるようにしましょう。
けんかを未然に防ぐために、宗教と経済の話題は控えることが必要です。
相手が話し始めても、あなたは決して言い返さずに聞くだけにしておきましょう。
言い返したら、そこからけんかが始まってしまうのです。
けんかをしやすい人にある共通点は「正しい、間違っていることにこだわっている」ということです。
何がいちばん正しく、何が間違っているのかという考えにとても強い執着を持っています。
「もっと知りたい、詳しくなりたい」という気持ちは、向上心の表れとも言え、悪いことではないですが、執着しすぎは逆効果です。
「正しい、間違っている」に神経をとがらせていると、間違った答えを言う人に対して無意識的に軽蔑してしまう傾向があります。
「そんなことも知らないの」
「何を言っているの。頭が悪いんじゃない」
「それくらいわかるでしょ」
このように見下した偉そうな態度になってしまうのです。
正しいことを見つけることが悪いことではなく、自分の考えがいちばん正しいと思うことがいけないのです。
自分がいちばんと思った瞬間から軽蔑が始まり、エゴを張って偉そうになります。
間違っていることに対しては、侮辱するような態度を取っています。
私は以前サイトのお客さまから、考え方についてしつこく迫られたことがあり、大変に困ったことがありました。
「私はこう思います。
あなたは間違っています。
残念ながらこちらのほうが正しい真実のようです」。
という自信満々のお便りでした。
受け取った瞬間から私は直感的に「正しいことと間違っていることを区別しようとしているな」と感じました。
何が正しくて、何が間違っているのかという白黒をはっきりさせたい人に見られる特徴です。
自分が強く信じている考え方だけにそれに反する考えに触れると、鉄をも溶かしてしまうほど熱くなってしまうのです。
そのためなんとか相手をねじ伏せて、自分の答えに染まらせようと説得します。
訪問販売なみの強力な推しの強さです。
そうすることで自分の正当性を主張し、自分の生き方は間違っていないという再確認をしようとしているのです。
この規模を大きくしたのが宗教戦争です。
いちばん正しい答えを求め、言い争いになると、簡単にけんかへと発展してしまうのです。
私は自分の考えを返答しましたが、案の定、相手は相手なりの答えを出してきて、私をなんとか納得させようとしていました。
私は困りました。
「答えは無限にあり、正解は1つもない」のに、いちばん正しい答えを見つけようとしている時点で底なし地獄にはまっているからです。
まったくラチのあかない会話の展開です。
必死になっているのは、時間とエネルギーの無駄な抵抗なのです。
「何が正しいのか、何が間違っているのか」ということに執着しすぎていると、けんかをしやすくなってしまう体質になります。
「正しい」「間違っている」には、あまり執着しないようにしましょう。
結局すべてが答えであって、答えは無限にあるのです。
友人は、信じている人にこそプライベートを話してくれます。
ある程度仲良くなり信じているからこそ、ようやく話してくれるわけです。
仲もよくない信じてもいない人に、自分のことを詳しく話したりすることはありません。
逆に言えば、どのくらいあなたにプライベートを話してくれているかで、どのくらい心を開き、信用しているのかがわかります。
にもかかわらず友人のプライベートをネタにして、別の友人に軽々しく話してしまう人がいます。
面白い話があるからとはいえ、友人のプライベートをほかの人にまで告げ口してしまうのです。
これが人間関係にひびを入れ、けんかの原因になります。
いくら面白い話だからとはいえ、友人のプライベートをほかの人に話すのはいけません。
その場は楽しくても、友人への信用をなくしてしまうことになります。
話題と言ってもいろいろありますが、話していいこととそうではないことがあるのです。
雑談はたしかに楽しいですが、最低限のルールは守っておくことです。
楽しければ良いということではなく、どれだけルールを守って楽しく話せるかなのです。
けんかをよくする人には、こんな口癖が目立ちます。
「正しい、間違っている」
「良い、悪い」
「かっこいい、かっこ悪い」
「価値がある、価値がない」
「勝つ、負ける」
「強い、弱い」
このように「見栄」や「プライド」が関係した言葉たちです。
自分の評価を上げようとする言葉たちは、自分こそ自意識過剰になって気持ちいいかもしれません。
しかし、それに反する言葉が飛んでくると烈火のごとく怒ります。
見栄やプライドを持った人は、侮辱されるのがなにより恥ずかしく耐えられず、そのためけんかもしやすい。
どこの球団がいちばん強いとか、どの宗教がいちばん正しいとか、誰の意見が最も良いのか、どのブランドに最も価値があるのか。
こうした会話はそれこそけんかを始めましょうと言っているようなものなのです。
こうした「見栄」や「プライド」に関する言葉がけんかになりやすい言葉なら、その逆の言葉はけんかになりにくい言葉です。
「見栄」も「プライド」もなく受け入れようとする言葉は、人とぶつかることがありません。
すべてを受け入れるからには、ぶつかることなんて考えられないからです。
「見栄」「プライド」もないすべてを受け入れるという言葉は次の言葉となります。
「なるほど」
「そうだね」
この言葉はすべての答え、意見に対して受け入れようとする姿勢が感じられる言葉です。
自分の意見がいちばん正しいのではなく「この考えも正しい、あの考えも正しい」と物事をありのまま受け入れようとしている言葉です。
これらの言葉が口癖になっている人にはけんかをすることがありません。
口癖になっているだけに、無意識的に相手の意見を飲み込んでしまうことができているのです。
対立がけんかなら、共存共栄が平和ということです。
そのためには、対立しない言葉遣いも大切です。
けんかとは、つまり対立を意味します。
誰かといがみ合ったときに対立となり、けんかへと発展していくのです。
そもそものけんかの原因は「自分がいちばん」という考え方です。
自分こそがいちばんという狭い考え方が、ほかとのぶつかり合いを生み、対立することになってしまうのです。
ということは、まったくその逆の考え方がけんかのない考え方になります。
それが「共存共栄」です。
誰かがいちばんになるのではなく、みんなが同じでありみんなで協力し、助け合っていくという考え方が最も平和になる考え方です。
ばらばらになるのではなく、1つになればいいのです。
もちろん私たち人間は物質的に別々の存在ではありますが、考え方という精神的な部分では1つになれます。
たとえば地球は1つであるにもかかわらず、世界にはたくさんの国々があります。
地球に線を引っ張って「ここからここまでが私の国です」というルールをつくっています。
もともと1つである地球を、人間が「われこそがいちばんだ」という考えがゆえに国境という線を引っ張ってばらばらにしているのです。
個々の国が存在するのはいいのですが、それぞれの国が「わが国こそいちばん」という考え方を持ったとき、対立になってしまうのです。
国同士の対立は、いずれ戦争へとつながってしまいます。
しかし、国がたくさんあることがいけないのではなく「自分こそがいちばん」という国同士が対立するから、ぶつかるのです。
お互いの違いを認め、尊重するときに「対立」から「共存共栄」へとつながります。
認めて尊重するときには「自分がいちばん」という考え方はありません。
すべてに違いがあることは当然です。
国だけでなく、物や人もそうです。
みんなで共存し、お互いに繁栄し合っていくという考えが世界を1つにできるのです。
批判ばかりをして、他人をけなすことが癖になっている人がいます。
自分の評価を上げるのではなく、他人の評価を下げることで自分の評価を相対的に上げようとする残念な考えを持った人です。
「自分はこれだけのことを知っているんだぞ。すごいだろ、尊敬しろ」と遠回しに言っているようなものです。
こんな人は尊敬もできず、かっこよくもありません。
批判が癖になっている人は「自分は何て素晴らしいことを言っているのだろう」と自分の言葉に酔っています。
しかし、それを聞いている周りの人たちが吐き気を催していることに、考えたこともないのです。
批判をする人は自分のことは棚にあげておくくせに、他人のことは細かいことまで横やりを入れます。
それは、他人を見下して不快な気分にさせることしか楽しみがないということです。
批判するエネルギーがあれば、自分を磨くことにエネルギーを使いましょう。
批判をする人は、嫌われます。
相手のことを否定する人は、心を開ける友人ができにくくなります。
「いつか自分も言われるのではないか。自分の知らないところで、こそこそ話しているのではないか」と不安になるのです。
人に優しく、自分に厳しくなりましょう。
他人に対しては優しく接して、本当に厳しくなるべき人は自分なのです。
ストレスはため込んでしまうから、ある日突然爆発してしまうのです。
小さなかちんとくる出来事が限界までたまり、ついにはあふれ出てしまうのです。
こんなときには日頃から相談できる友人がいると本当に助かります。
自分一人ですべてを抱え込むのではなく、誰か話を聞いてくれる人や、親身に相談できる人が1人でもいるとだいぶ違ってきます。
少しでもストレスを軽減させてくれる「癒やし系の友人」は、お守りのような存在になります。
以前私は、仕事上で大変ひどい上司に出会ったことがあります。
少し気に入らないことがあれば舌打ちをしたり、愚痴を吐いたりします。
上司であるにもかかわらず、自分の管理が行き届いていませんでした。
毎日叱られたり愚痴を言われたりして、かなりストレスがたまっていました。
ついには「笑うな」と言われ、仕事上で笑ってはいけないというおかしな注文を押し付けてきました。
そのため職場では笑顔になってはならず、面白いことも楽しいこともない毎日に、ストレスで押しつぶされそうになりました。
案の定、精神的なストレスは体にも異変を来すようになり、そのころから皮膚アレルギーを起こすようになりました。
ストレスのために免疫力が低下し、あふれ出そうなストレスで体が危険信号を出し始めたのです。
医者に診てもらっても「ストレスが原因でしょう」と言われるありさま。
私も正直「やっぱりそうか」と思うほどでした。
そんなときに私を救ってくれたのが、当時付き合っていた彼女でした。
愚痴を言うことがもともと好きではない私は、あえて触れませんでしたが「仕事がつらい」という話だけはさせてもらいました。
ストレスの原因となるような話を仕事の帰りや週末にちょっと聞いてもらえるだけで、心の状態は全然違ってきます。
仕事の実情を聞いてもらい、私も少しずつでしたが回復していきました。
相談できる人は、友人でも親でもかまいません。
もし自分のことを受け入れてくれる人がいれば、時には甘えていくことも必要なのです。
さもなければ、自分が苦しむことになるのですから。
けんかと無縁な人は、いつも「譲ること」を心がけています。
常に自分が前へ出るより、他人に譲ることを大切にしている人です。
「自分のことは後回しでもいいから、お先にどうぞ」
そんな人には、好感を持ってしまいます。
自分のことより他人のことを重点的に考えている人は優しさを感じ、道を譲ってくれる人に申し訳ない気持ちさえ生まれます。
譲ることが習慣になっている人に、けんかはありません。
というより、できません。
道を率先して譲ってくれると、ぶつかり合うことなんてないからです。
特にアメリカでは、レディーファーストという女性に道を譲ることが1つの文化になっています。
男性だから偉そうに前へ出るのではなく、男性だからこそ女性をエスコートし、大切にする気持ちをレディーファーストで表します。
こうした譲り合いの精神を持っていると人とぶつかることもなくなり、もちろんけんかもなくなります。
ぶつかることがけんかなら、譲ってしまえばぶつかることはもうなくなってしまうのです。
年上の人でも、できるかぎり年下の人には命令形を使わないコミュニケーションを心がけましょう。
そのほうが結果としてみんなと仲良くなることができ、嫌われることもけんかが起こることもありません。
年上の人が偉そうに命令形の言葉を使うのは、簡単なことです。
人一倍長く生きているからとはいえ、たしかにほかの人より知識や知恵はあります。
教えたいことや言いたいことがあるときに、年上の人はつい命令形の言葉を使ってしまいがちです。
「~しなさい」
「~しろ」
「~をやれ」
「~くらいできるだろ」
年上だからとはいえ偉そうにふんぞり返り、命令形での言葉でコミュニケーションを交わすのは上下差を生み出します。
結果として本当のコミュニケーションができなくなります。
上下差が生まれた時点で、年下の人は言いたいことが言えず、年上の人は年下の気持ちもわからず、噛み合わない会話になるのです。
実際に私も偉そうな言葉遣いをする上司に巡り合ったことがあります。
偉そうな言葉を使うため、部下である私は言いたいことが言えません。
そのため私の気持ちを知らない上司は、命令形の言葉でとんでもない要求をしたり押し付けたりします。
私は嫌な気持ちになりながら、従わなければならない状況で、上司と部下との心の距離はどんどん離れていました。
まったくもって噛み合わないコミュニケーションで、ため息ばかりでした。
こんな経験から、後に私が上司となったときには、自分の部下に対してでも命令形の言葉は決して使わないことにしています。
ふんぞり返れば、以前の自分がそうであったように、良い印象を持ってはもらえません。
無理やり強制して押し付けたところで、相手は嫌な気持ちで仕事をすることになってしまいます。
私がお願いをするときには命令形の「~しろ」ではなく「お願いします」を使うようにしています。
「掃除をしろ」→「掃除をお願いします」
「コピーを取れ」→「コピーをお願いします」
「調べておけ」→「調べておいてください。お願いします」
とげのある命令形は「お願いします」に言い換えることができます。
ほかの人より知識や知恵があるからこそふんぞり返らず、逆に謙虚になって腰を低くしておくのです。
年齢として差があっても、お互い同じ目線で話し合えます。
痛みや大変さがわかっている人は、ほかの人にも優しくできます。
けんかは、人間関係のトラブルから発生します。
人間関係の改善方法が、けんかを減らす方法にもなります。
学校だけでなく仕事でももちろん、上下関係というものがあります。
年齢や地位を基準にして、私たちは上下関係を知らない間につくり上げています。
どんどん年や肩書が付くにつれて、だんだん偉そうな態度になってしまいがちです。
しかし、ここで偉そうな態度を取るのは、まだ本当に偉い人ではありません。
本当に偉い人は、偉そうな態度を取らず、むしろ偉くなるほど礼儀正しくなります。
人と人との関係は、上下関係によって無理やりつけるものではありません。
礼儀正しくなることで、相手からの「人望」を集めることが大切です。
先輩はたしかに経験が長くて賢いことはわかりますが、だからとはいえ偉そうにするのは、いけません。
思いきり謙虚な態度を取るのです。
すると、偉い人なのに偉そうでない態度に相手は「彼は他の人と違い、礼儀正しい」と、好印象になります。
偉い人なのに偉い態度を取らないことに、相手は「ギャップ」を強く感じるのです。
偉くなるほど偉そうにするのはやめましょう。
本当に人から慕われる人は、偉くなればなるほど、礼儀正しくなる人なのです。
会社の中で、いちばん謙虚に腰が低くあるべき人は、社長なのです。
「ごめんなさい」
素直にこう言われると、怒っていた人の心のとげも少し丸くなります。
変にプライドを見せず、素直に自分の過ちを認めて謝られると、それ以上怒れなくなってしまうのです。
けんかを避けようとしても、そうなってしまうときも実際にあります。
100%避けるのは、なかなか難しい話です。
時と場合によって、避けられないこともあるでしょう。
自分が不注意をしたせいで、ミスをしたり迷惑をかけたりすることもあります。
そんなときは、とにかくすぐ謝っておくことで、トラブルを最小限に抑えておきましょう。
余計な言い訳はせずに「ごめんなさい」と、その場ですぐ謝るのです。
むしろ謝らなかったり謝ることを後回しにしたりしていると、ささいなことも大きなことになります。
トラブルは人の心が関係していますから、相手を不快にさせないことがポイントなのです。
日頃から相手を不快にさせないことを心がけていれば、けんかは、それほど頻繁に起こることではないのです。
すぐ謝ることは、けんかを最小限に抑えるためのポイントなのです。
直接会って話すのが、本当のコミュニケーションです。
しかし、今では携帯のメールや電話などで、直接に会わなくてもコミュニケーションが取れるようになりました。
そのために昔より「直接に会わない会話」がとんでもなく増えてしまいました。
たしかに遠くにいる人と会話ができるようになったのは、それで素晴らしいことです。
しかし、往々にして表情がわからなかったり、会話のタイミングが合わなかったりします。
たとえばメールでは「ありがとう」と書かれていても、実際に直接会って「ありがとう」と言われることにはかないません。
直接会うほうが、生の声と表情、目の前で言われることになりますから、言われる人の感動もまったく変わるのです。
それだけ気持ちが伝わるということです。
特に大勝負であろうときほど、直接会うことです。
告白するとき、謝るとき、感謝するときなどのような強い気持ちを伝えないといけないときほど、実際に会うことです。
直接会ったほうが、告白の成功率も高くなります。
けんかをして謝るときも、電話やメールで謝る手段もあります。
いけないわけではありませんが、本当に謝りたい気持ちがあれば、直接会って謝ることに限ります。
そうしなければ気持ちがうまく伝えられないし、伝わらないのです。
大きなトラブルのときほど、怒りが湧きやすいため、自制心を失いやすくなります。
怒りや憤りで頭がいっぱいのときは、それだけでほかのことを考えられなくなり、冷静ではなくなってしまうものです。
こんなときには少し間を置いて、まずは冷静さを取り戻すことが第一です。
時間を置いてもかまいません。
本当はすぐ謝れればいいのですが、それすらできないほど、腹立たしい瞬間があります。
まずは冷静になることが先決です。
けんかの真っ最中あるいは直後ほど、冷静さを失っている瞬間はありません。
自分で自分をコントロールできなくなった状態では、正しい行動も発言も態度もないのです。
それはもはや、自分ではないということです。
ベロベロに酔った状態で車を運転しているようなものであり、これほど危険な運転はありません。
事故をするために運転するようなものです。
同じように、怒りで自制心を失っているときほど、危険な自分もいないのです。
冷静さを取り戻すことがけんかを最小限に食いとめ、素早い仲直りにもつながります。
落ち着いて初めてちゃんと状況がつかめ、しっかりした判断ができるわけなのです。
私は自分で自分がコントロールできなくなったときは、その場から離れて時間を置くことにしています。
もし電話なら「落ち着いてから電話します」と言って、一度電話を切ります。
無理に解決しようとしても、自制心が失われているため、かえって状況を悪化させるでしょう。
休憩の時間を少しつくれば、冷静を取り戻す余裕が生まれます。
自分のことばかりを考えている人を「自己中心的な人」と言います。
自分を中心に世界が回っていると思い、自分のことしか考えず、それで良いと思っている考えの狭い人です。
自分さえよければいいと考えている人は、当然のことながら自分のことしか考えていないので他人と衝突することがよくあります。
その分、けんかへと発展することも多くなります。
何しろ自分しか見えていなければ他人のことなど考えるわけもなく、迷惑をかけていることにすら気づかないのです。
できるかぎりけんかのない毎日を送るためには、自分のことだけでなく相手のことも考えることが大切です。
自分のことを愛しているように、他人まで愛するように考えるのです。
自分がされたら嫌だなと思うことは、他人にもしないことです。
自分がされて嫌なことは、当然相手にとっても嫌なことです。
けんかを避けて生きるとは、自分のことだけでなく、相手のことも考えて生きるということなのです。
自分が1人で生きていると考えるのではなく、みんなで一緒に生きていると考えることです。
私は約束で待ち合わせるときには、常に本を持ち歩くようにしています。
さすがに大きな本は重いのですが、小さな文庫本なら小さなカバンにも入ります。
たいてい約束で待ち合わせするときには時間前には行くようにし、待ち時間の間にはその本を読むようにしているわけです。
本を持ってくるというのは、実はこの「待ち時間」を有効に使うためです。
待ち側に立つことを前提に考えれば、遅れそうなときのタイムプレッシャーを受けずに済みます。
常に「待ち側」に回ることを前提とすれば「待っている時間にどうするか」を考えることができます。
待つことが前提なので待つことは当然だし、待っている時間に暇つぶしができるための本を用意します。
初めから「もしものとき」を前提に動いているため、長い間、待たされることに腹を立てることもないのです。
腹を立てるのは、何もしないで待つだけ待たせてキャンセルされたときです。
「なぜ、もっと早くに言ってくれなかったの」
「これほど待っていたのに」
「こんなに待たせないで」
人間は意味もなく長い時間を待つことに、いらいらしてしまうのです。
いつも「待ち時間対策」のために、本を持つとこれであっさり解決です。
待っている間に何もしないのは時間がもったいないため、避けることにしましょう。
いつも本を持ち歩いていれば、待ち時間も恐れることはなくなります。
待ち時間に自分磨きができ、人生を有効活用できるのです。
上手に時間をつぶす準備が常にできていれば、待つことは苦にならないのです。
日本のことわざの1つに「備えあれば憂いなし」という言葉があります。
「もしものときのことを考えて、前もって準備しておこう。そうすれば心配をすることもない」という意味を含んだ格言です。
「もしものとき」を前提に考えて行動していると、いざというときにも困ることがありません。
いつ起こるかわからない災難のために前もって準備ができていると、余計な心配もすることはありません。
雨が降るかどうかわからない空もようのときには、とりあえず傘を持ちましょう。
天気予報とはいえ、100%当たるわけではありません。
途中で急に曇り空になり、にわか雨ということもあります。
私はいつも自宅と会社の両方に傘を置くようにしています。
自宅から出社するときに雨が降っていれば傘を差していけます。
しかし、ときどき、雨が降るのかふらないのか、判断の難しい空模様があります。
傘は邪魔になるし、重くなりますよね。
できればもたずに歩きたいものです。
できることなら持ちたくないときのために、会社にも自分の傘を用意しています。
行きが快晴で帰りが大雨だったとしても、傘を準備できているので困ることもありません。
そのほか前もって、ネクタイとワイシャツの予備を会社に置いています。
コーヒーがこぼれてワイシャツが汚れたときのために、代えの分を持っているといざというときに助かります。
まさに『備えあれば憂いなし』です。
こうした「もしも対策」は、いざというときにあなたを助けてくれます。
何を前もって準備しておくのかは、人それぞれです。
私は私なりの準備がありますが、あなたにもあなたなりの心配事があり、またそのための前準備もあることでしょう。
自分の日常生活を振り返り、もしものときのために前もって準備しておきましょう。
実際にやり始めてわかったことなのですが、精神的な負担が全然違ってきます。
「こうなったらどうしよう」と無駄に心配して精神的なストレスを感じることがなくなり、比較的いつも楽観的になっています。
もしものときのためにすでに準備ができているからです。
少々お金のかかることもありますが、ストレスが軽くなると思えば安いものなのです。
そもそも地球にあるものは、すべてが自然でした。
それでいて完全に、一体です。
人が誕生する前は、所有権や著作権などはありませんでした。
すべての存在のために存在し、全体が1つの共同体となっていました。
そこに欲を持った人間が現れて、おかしくなり始めました。
「これは自分のもの」と所有する欲を持った人間が、地球上に「ここからここまでは自分のもの」という境界をつくり始めたのです。
所有であり、所有権です。
権利をつくってしまったために、奪い合いが始まりました。
資本主義のために、自然が荒らされる結果です。
人間は、もっとたくさんのものを独り占めにしようとします。
その結果、対立や奪い合いが発生するのです。
独り占めをすればするほど、対立や奪い合いが増えます。
独り占めの気持ちをなくすのは、物質の世界に生まれてきた私たちには、少し難しいのかもしれません。
「絶対に失いたくない」という気持ちは、裏を返せば「いつか誰かに奪われるのではないか」という不安です。
自分で自分の首を絞めることになりかねません。
では、独り占めの気持ちを減らすのはいかがでしょうか。
共有です。
不安になることをするくらいなら、最初から開放しておくことです。
「独り占め」から「共有」へと戻すことが、地球を平和にするポイントです。