「うまく誘いを断る方法はないか」
こうしたことを、あなたも一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
サークルの誘い、習い事の勧誘、行きたくもないコンサートの誘い、訪問販売。
たどたどしくても、自信がなくても、はっきり断りの言葉を述べることです。
断りの言葉に、遠回しな表現は不要です。
相手を傷つけないような言葉を選ぶ必要もありません。
そもそもの疑問です。
なぜ「うまく誘いを断りたい」という気持ちになるのでしょうか。
難しい疑問のように思えますが、実際の理由はシンプルです。
勧誘や誘いをうまく断る人は、共通して「嫌われてもいい」という強い意志を持っています。
うまく断れるくらいですから、優しい心を持っているのだろうなと思われがちですが、実際は逆です。
嫌われてもいいと考えているから、結果としてうまく断ることができているのです。
余分な言葉を口にしてしまうことは、まったくもって余計な一言です。
余計な一言を言ってしまったばかりに、断れなくなるというケースは数多く存在します。
特にうまく断れない人ほど、断るときに必要のない言葉を付け加ええています。
勧誘や誘いを断るときは、とにかく初めが肝心だと思ってください。
はじめこそが、重要です。
最初に曖昧な態度を取ってしまうと相手も付け込んできますし、あなたも態度を変えにくくなります。
勧誘や誘いから逃れるときには、目は絶対に合わせないことがポイントです。
ただ目を合わせないだけで、口に出さずして「必要ない、いらない」というニュアンスをアピールできます。
目を合わせないことほど、冷たくて悪い印象はありません。
うまく誘いを断れない人は、うまく断るための良い言葉を考えるから言葉に詰まって話に乗せられます。
うまく一件落着をさせたいと思い、言葉を考えているのでしょうが、そんなことをしているから余計に話がもつれてしまうのです。
しゃべりに自信がない人は、しゃべりに頼った断り方をしなければいいのです。
「足を止めない」ということも、勧誘や誘いを避けるための重要なポイントです。
簡単ですから、すぐできます。
街を歩いていて、目の前になにやらアンケート用紙を持って「少しお時間、よろしいですか」と話しかけてくる人がいます。
街角でもらえるチラシやティッシュには、一切手を出さない練習をしましょう。
あなたを勧誘に引っかかりやすい体質にしてしまい、広告入りのティッシュは品性を下げてしまうからです。
「もしかしたらお得な情報があるかも」と思って、うっかり手を出してしまうと、心の緩みが出てしまいます。
勧誘に弱い人には、八方美人という共通点があります。
勧誘につい引っかかってしまう人は「誘いを断ると相手に悪い」「嫌な人だと思われたくない」というようなことを考えています。
つまり、人の目をとても気にしているのです。
一度痛い勧誘に引っかかると、その反動で次からは極端に強くなります。
「同じ経験は、二度経験したくない」という意識が、強く働くようになるからです。
私は今、勧誘にとても強い自信があります。
チャイムが鳴って、すぐドアを開けるのは、相手にチャンスを与えてしまうことです。
突然ドアを開けるのではなく、まずのぞき穴を通して相手を確認したのち、ドアを開けるようにしましょう。
のぞき穴がなければ、ドア越しに用件を聞き出します。
面白い話ですが、1つ紹介させてください。
勧誘や誘いに引っかかりやすい人の傾向についてです。
私の見たところ「一人暮らしを始めたばかりの人は、勧誘に引っかかりやすい」という傾向が見られます。
勧誘や誘いに弱い人には、一人暮らしをして間もない人が多い、という話をしました。
しかし、面白いことに、勧誘や誘いに強い人にも同じく一人暮らしという傾向が見られます。
弱い人と強い人に共通して、一人暮らしという傾向が強いことは、おかしな話です。
自分で直接断りにくい人は、誰かに代わって断ってもらうという手もありです。
自分で何度も何度も断ってもそれでも一向に誘いが止まらないときには、もう話をすることさえ拒否してしまうのです。
さすがに相手も「嫌われたな」と感じます。
「これ、いかがですか」
話しかけられて振り向いてしまうことは「興味があります。話を聞かせてください」と言っていることと同じです。
街角でもティッシュ、チラシ配りなど、勧誘する人は、あなたに振り向いてもらおうといろいろな言葉を語りかけてくるでしょう。
断るときにはイエスともノーとも言ってはいけません。
「興味がない」と言うのです。
「興味がない」は、どんな誘いも撃退できる魔法の言葉です。
しつこい勧誘は、どれだけしつこくても、とにかく相手にしないことです。
エネルギーさえも使わないほど相手にしないほうが、相手も愛想をつかして離れます。
相手にすると、相手には「なんとしても口説いてやるぞ」と闘争心が炎炎と燃えます。
友人からの誘いは、特に断りにくいものです。
見ず知らずの他人からの勧誘なら、関係のない人ですからあっさり断れます。
街角のティッシュ配りや、勧誘のチラシなど、初めて会う人のほうが逆にとても断りやすいのです。
約束をしている本人を目の前に「やっぱりやめます」とは言いづらいものです。
相手の怒っている顔が目に浮かび、言うことを考えるだけで、おっくうになります。
実際に本人を目の前にしたところで、緊張や不安でがちがちになり、うまく断れなくなります。
好かれるだけが道ではありません。
嫌われることも、時には正しい道となります。
先輩からの誘いだからと仕方なく受け、やはりあとから悔やんでしまいます。
断ることは、嫌われることといっても過言ではありません。
断る練習も、嫌われる練習ということです。
断るときに見る顔色は、他人の顔色ではなく、自分の顔色です。
断れるように練習しようというなら、がっかりさせる練習がいちばんです。
一般的に断ることとは、つまりがっかりさせることだからです。
断られて嬉しい人はいませんし、誘って断れれば誰しもがっかりします。
友人からの誘いの中には、断っていいのかどうかわからないことがあります。
「良いような悪いような」という曖昧な気持ちのときです。
私もときどき選択に困るほど、断っていいのかどうかわからない中途半端な状態のときがあります。
本来、自分の道とは、自分の力で切り開くものです。
最初から切り開かれているのではなく、自分で選択し決断し、前に進まなければいけません。
こうした話は、多くの成功哲学書の決まり文句になっています。
部活、会員、習い事など、一度は入会してみたもののやっぱり違うなと思ったら、できるだけ早くやめてしまうことです。
早いほうがやめやすいからです。
あまり長く居続けてしまうと、友人ができてしまい、情に浸ってやめにくくなります。
「自由を手に入れるために断る!」
断るときには常にこうしたことを考えておけば、あなたの背中の一押しになります。
断ることができれば、それだけであなたに自由が手に入るからです。
私は食べることが大好きです。
食べることは、単純に食欲を満たしてくれるだけでなく、精神的にも満たしてくれます。
落ち込んだときや悩んでいるときなど、おいしいものを食べると、すぐ元気になります。
「何を断り、何を受け入れればいいのか」
こうした悩みを持っている人ほど、本当のところ自分は何がしたいのかがわかっていません。
何のために何をすればいいのかがわかっていないから「何を断り、何を受け入れればいいのか」で苦しんでしまいます。
「うまく誘いを断る方法はないか」
こうしたことを、あなたも一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
サークルの誘い、習い事の勧誘、行きたくもないコンサートの誘い、訪問販売。
こうした誘いや勧誘の嵐に一度は悩み、相手を傷つけないうまい断り方を考えたことがあることでしょう。
しかし、この「うまく断る」の「うまく」という言葉がいやらしい。
ただでさえ上手に断れない人が、自分も相手も傷つけない完璧な断り方を考えるから、余計にうまく断れなくなってしまうのです。
完璧な断り方を目指したがために、不完全に中途半端になってしまったということです。
相手も自分も傷つけないような上手な断り方がないわけでもありません。
相手の話のしっぽをつかんで逆手に取ったり、話をひっくり返してこちらが優勢になったりすることで、うまく断る方法もあります。
しかし、それは、言い方やテクニックの問題です。
口下手の人が言い方やテクニックを意識しても、うまく話せないため、余計に断れなくなるのです。
うまく断れない人ほど、うまく断る方法を考えないことです。
シンプルに、単純に、断行的に断ることのみ、集中することです。
話すのが上手で、度胸もあり、頭の回転が速いなら、最初から上手に断る方法は意識しないでしょう。
そういう人は、最初からうまく断ることができています。
うまい話術で切り抜けてしまいます。
しかし、うまく断れないことで悩んでいるなら、言葉やテクニックに頼ることは、余計に悪循環になってしまうのです。
口下手な人は、口下手なりの断り方を考えるべきです。
うまく誘いを断れないことに悩んでいるなら「うまく断る」という呪縛から抜け出しましょう。
「下手に断る」というふうに考え方を変えましょう。
相手を傷つけ、落ち込ませるような下手な断り方のほうが、簡単で即効性があり、効果的なのです。
結果として、うまく断れるようになるのです。
たどたどしくても、自信がなくても、はっきり断りの言葉を述べることです。
断りの言葉に、遠回しな表現は不要です。
相手を傷つけないような言葉を選ぶ必要もありません。
単純に、ストレートでいいのです。
「必要ありません」
「興味ありません」
「結構です」
短い一言で、十分に間に合います。
最近ようやく片言の日本語を話せるようになった、外国人のような話し方がいいでしょう。
誘いを断れない人は、うまい言い訳をつい考えてしまうのです。
相手の気分を損ねないように「これぞ」という一言を考えます。
うまい言い訳で相手の言葉を交わすことが、上手に誘いを断る方法だと思っています。
しかし、そんな人に限って、うまい断り文句が思い浮かばず、たどたどしくなります。
言葉でうまく断ろうとすると、相手も言葉でうまく言い負かしてしまおうと、意気込んでいます。
うまく断ろうとするのではありません。
断るときには、むしろ冷たくあっさり淡泊にしていなければなりません。
ずるずる情を引きずった言い方は不要です。
相手は「その気があるのかな」と勘違いをしてしまいます。
誘いを断ることが苦手というなら、考えを一転して「うまく断らないようにしよう」と思えばいいのです。
下手に断ればいいのです。
相手の機嫌を損ねるような言い方をしようと思えば、断る言葉はたくさん思い浮かびます。
みんな、自分が嫌われることが怖いのです。
嫌われることが怖いから、相手の気分を損ねないような言い方をつい考えます。
しかし、本当に断りたいときには、相手の気分など考える必要はないのです。
そもそもの疑問です。
なぜ「うまく誘いを断りたい」という気持ちになるのでしょうか。
難しい疑問のように思えますが、実際の理由はシンプルです。
嫌われたくない気持ちがあるからです。
誘いをうまく断れない人が悩んでいることを一点に絞れば、まさにこの一言に尽きます。
誘いをうまく断れずに悩んでいる人ほど、人から嫌われることを恐れている人です。
自分が嫌われることに怯えている人ほどノーとは言えず、誘いをうまく断れません。
相手を傷つけず、自分の印象も悪くしないように上手に誘いを断ろうとするから、逆にうまく断れなくなります。
相手が悪いのではなく、自分を守りすぎているのです。
嫌われて孤独になることが怖く、寂しがりやで、八方美人でもあるのです。
みんなにいい顔をして好かれたい、人気者になりたい、いい人だと思われたい。
そういう考え方を持っていると、自分の気持ちをうまく表現できずに、必要もない勧誘に引っかかってしまいます。
勧誘をする人に問題があるのではなく、自分の内側に問題があると考えましょう。
悪いのは、相手の誘いより、八方美人になっている自分の心なのです。
たいていの場合、勧誘や誘いをうまく断れない人は、人間関係にも悩んでいます。
根底が同じだからです。
「人から嫌われたくない、自分はいい人だと思われたい」
という考えを持っていると、人付き合いでも自分の言いたいことをうまく言えなくなります。
相手の顔色ばかりをうかがっているために、相手に合わせた行動を取ったり、話を合わせたりと、苦労をすることとなるからです。
誘いをうまく断れるようになれば、人付き合いでの悩みも一緒になくなります。
「嫌われたくない」という根本的原因がわかれば、その一点を改善するだけで行動がすべて変わるのです。
勧誘や誘いをうまく断る人は、共通して「嫌われてもいい」という強い意志を持っています。
うまく断れるくらいですから、優しい心を持っているのだろうなと思われがちですが、実際は逆です。
嫌われてもいいと考えているから、結果としてうまく断ることができているのです。
うまく断れない人は、決まって「いい顔をすることが良いこと」だと思っています。
笑顔になりながら「考えさせてください」「親と相談します」と傷つけないような遠回しな言い方をしています。
この遠回しな言い方が、相手に余計な期待を持たせてしまうのです。
言い方が中途半端になっていると、相手は「もしかしたら」と期待をしてしまい、さらに強く迫ってくるようになるのです。
うまく断ろうとしたから、うまく断れないのです。
うまく断るコツは、難しいことではありません。
難しく考えるほうが、余計にうまく断れなくなります。
シンプルに単純に嫌われるような態度をすればいいのです。
それは発言、態度、表情です。
「見込みはない」という雰囲気を、体全体から出すことです。
ここが、うまく誘いを断れないあなたには、1つの壁になるでしょう。
今まで嫌われたくないと考えていただけに、嫌われてもいいと考えるということは180度正反対の考え方です。
しかし、実際の現実では、嫌われてもいいと考えている人ほど誘いをうまく断ることができていることは確かです。
断れる人の真似でかまいませんから、最初の1歩として「嫌われよう」という意識を持つことです。
まずは、ここから始まるのです。
余分な言葉を口にしてしまうことは、まったくもって余計な一言です。
余計な一言を言ってしまったばかりに、断れなくなるというケースは数多く存在します。
特にうまく断れない人ほど、断るときに必要のない言葉を付け加ええています。
「たぶん、いらないと思います」
「今は、必要ないと思います」
「お金がなくて、ダメなんです」
はっきり言えばいいものの、余分な言葉が加わっています。
「たぶんいらないと思います」と「たぶん」をつけると「もしかしたら必要かもしれないですよね」と相手は言い返してきます。
「今は必要ないと思います」と「今は」という余分な一言が「じゃあ、いつか必要になるかもしれないですね」となります。
「お金がなくて、ダメなんです」という言い方をすれば「じゃあローンを組めば大丈夫です」となります。
「たぶん」「今は」「お金がなくて」という余分な一言から、下手な断り方になり、相手に付け込まれてしまうのです。
断るときには装飾の言葉は不要です。
余分な言葉は、余計な一言です。
素のままの言葉で、断ってください。
「必要ありません」
「いりません」
「結構です」
これだけでいいのです。
単純でシンプルな言葉ほど、相手には言い返す言葉が出てきません。
冷たい言い方に聞こえるでしょうが、嫌われることが目的なのですからできるだけ冷たい言い方をしたほうがいいのです。
余分な言葉を言ってはいけません。
シンプルに単純に言うほうがあなたのためになります。
勧誘や誘いを断るときは、とにかく初めが肝心だと思ってください。
はじめこそが、重要です。
最初に曖昧な態度を取ってしまうと相手も付け込んできますし、あなたも態度を変えにくくなります。
最初の1歩が、すべてを決めてしまいます。
第一印象は、大きな力を持っています。
人間関係でもそうですが、はじめの第一印象がよければあとからもずっといい人という印象を持ってもらえます。
初めて会う瞬間は、あなたの印象を決める、大切な瞬間です。
相手がどんな人なのかがわかりませんから、あなたのことをしっかり見ています。
「誘いに乗りやすい人」と思われれば、その後も「誘いに乗りやすい人」として見られるようになります。
何度もしつこく、あなたを誘うようになるのです。
「いいえ、結構です」と言っても「誘いに乗りやすい人」というはじめの印象から、その印象を覆すことは難しいのです。
「今はちょっと気分が乗っていないだけだろう。またあとからもう一度」と思わせてしまいます。
はじめの印象をどうしておくかで、すでに勝負ありなのです。
誘いや勧誘が近づいてくれば、あなたはこれでもかというくらいに冷たい態度になることです。
親しい友人や新しい出会いでは第一印象はよければ良いほどいいですが、誘いや勧誘には第一印象は悪ければ悪いほどいいのです。
誘いには乗ってこない印象をどれだけ相手に与えるかによって、その後の態度がまったく変わってくるからです。
勧誘や誘いから逃れるときには、目は絶対に合わせないことがポイントです。
ただ目を合わせないだけで、口に出さずして「必要ない、いらない」というニュアンスをアピールできます。
目を合わせないことほど、冷たくて悪い印象はありません。
目は口ほどに物を言うといいます。
目を合わせてくれないと「興味がないな」とわかります。
興味のあることには振り向いて目を合わせますが、興味のないことには振り向きもしないことは、日常でもよくあることです。
好きな人にはいつもより長く目を見つめますが、嫌いな人の前では目も合わせたくはありません。
誘いを上手に断るといっても言葉だけではなく、目も重要なポイントなのです。
目を見るということは、相手の話に興味があることを意味します。
わざと視線をそらすことで、相手に無関心を訴えるのです。
目を合わせて断ることは、度胸が必要です。
勇気も必要です。
うまく断れない人ほど、度胸も勇気もないことを想定していますから、逆に目を合わせずに断る方法をおすすめします。
普段は目を見て話してもいいのですが、すぱっと誘いを断りたいときには目を見ないほうが効果的なのです。
うまく誘いを断れない人は、うまく断るための良い言葉を考えるから言葉に詰まって話に乗せられます。
うまく一件落着をさせたいと思い、言葉を考えているのでしょうが、そんなことをしているから余計に話がもつれてしまうのです。
しゃべりに自信がない人は、しゃべりに頼った断り方をしなければいいのです。
対面して断ろうとすると、逆に相手の思うままに巻き込まれる場合があります。
ここで、実際に私がよく使っている誘いの断り方を1つ紹介します。
この方法は、どんな口下手で話すことが苦手な人でもすぐ実践できるうまい方法です。
それでいて大変に強力な誘いの断り方です。
それが「無視」です。
これならば、どんなにしゃべりが苦手な人でもすぐ身につけることができます。
一切話す必要などないからです。
何も言い返さなければいいだけですから、誰でも簡単に実践できます。
無視は、イエスでもノーでもありませんが、興味がないということだけは強烈にアピールできます。
ただ相手の言葉に対して、反応をまったくせず、そのうえ目も合わせなければ完璧です。
まもなく相手は「これではダメだ」と諦めていきます。
私の場合、この無視という方法でどんな誘いや勧誘も100%追い返すことができています。
実際に引っかかったこともありませんし、強力で即効性があります。
もちろん相手には冷たい印象を与えることになるでしょう。
私も嫌われるような態度を取っていることは、わかっています。
たいていは、本当に嫌われていることでしょう。
しかし、うっかり誘いに乗ってしまい、時間とお金が無駄に飛んでいくことに比べれば、こうした方法も必要になるのです。
返事をするのさえ面倒くさく疲れているときにも使える強力な断り方ですから、ぜひあなたの生活にも生かしてみましょう。
最も簡単な方法であり、そのうえ強力な誘いの断り方なのです。
しゃべりに自信がない人は、しゃべらなければいいのです。
「足を止めない」ということも、勧誘や誘いを避けるための重要なポイントです。
簡単ですから、すぐできます。
街を歩いていて、目の前になにやらアンケート用紙を持って「少しお時間、よろしいですか」と話しかけてくる人がいます。
最近では悪質な勧誘も増え、勧誘とわからないような話し方で勧誘する手口が巧妙になっています。
こうした手の勧誘は、決まって「少し」では終わりません。
「少しだけお時間を」と言っておきながら話を引っ張られてしまい、長々と話をされてしまいます。
ついには、頼んでもいない話を次から次へとされます。
いつの間にやら商品の購入に話が飛んでいたり、ほかの部屋に連れて行かれて気づけば入会の手続きとなっていたりします。
なかば強制的と思われるケースもあるようです。
私の友人は「アンケートにお答えいただいた方に、お菓子をプレゼントします」という言葉に騙され連れて行かれました。
長い話に付き合わされ、一緒にいた私はずっと友人のアンケートが終わるまで椅子に座って待っていました。
内心「自分は断っておいて良かった」と思いました。
「ちょっとだけお時間を」と言いながら、20分以上も時間をとられてしまい、最後にちょっとしたお菓子をもらいました。
ここで書類に記入された個人情報は、どこへ行くのやら。
そもそもこういうことに引っかかる原因は、話しかけられたときに足を止めてしまうことがいけないのです。
足を止めた時点で「あなたの話に興味があります。話を聞かせてください」と言っているようなものです。
足を止めたとたん、相手の一方的な話に押されます。
話しかけられても、足を止めなければいいのです。
どんなに口下手でしゃべりに自信がなくても、足を止めないくらいなら誰でもできます。
足を止めないで通りすぎてしまうことは、効果的な断り方なのです。
街角でもらえるチラシやティッシュには、一切手を出さない練習をしましょう。
あなたを勧誘に引っかかりやすい体質にしてしまい、広告入りのティッシュは品性を下げてしまうからです。
「もしかしたらお得な情報があるかも」と思って、うっかり手を出してしまうと、心の緩みが出てしまいます。
一度でも手を出してしまうと、また次も手を出してしまいます。
「もう1回くらいいいかな」「何かあるかも」と心が緩んでしまうことになり、勧誘に引っかかりやすい体質になってしまうのです。
必要のないつまらないチラシやティッシュを、両手で持つことになります。
勧誘に引っかかりにくい体質をつくることです。
そのためには、チラシやティッシュをもらわない練習から始めましょう。
時にはお得な情報が書かれたチラシや、いつか使うかもしれないティッシュを手にすることがあるかもしれません。
それでも徹底的にもらわないことです。
もらわないに徹するほうが、簡単だからです。
勧誘や誘いに弱い人ほど、広告入りのティッシュをたくさん手にしています。
チラシをもらっておきながら、捨てる場所がなくて困ります。
そうなるなら、最初からもらわなければいいのです。
広告入りのティッシュは、自分の品性を下げてしまいます。
ティッシュとはいえ、町でもらえるティッシュを使うより、自分で買ったティッシュを使うほうがおしゃれです。
勧誘に弱い人には、八方美人という共通点があります。
勧誘につい引っかかってしまう人は「誘いを断ると相手に悪い」「嫌な人だと思われたくない」というようなことを考えています。
つまり、人の目をとても気にしているのです。
四方八方からの人の目を気にして、自分でコントロールする人生ではなく、他人にコントロールされる人生を歩んでいます。
人からの印象を下げたくないから、ノーと断ることができずに、ついイエスと答えます。
八方美人になり、そうして自分がダメになってしまうのです。
では、なぜ八方美人になってしまうのでしょうか。
それは「孤独になることが怖いから」です。
私は、中学生のころ、典型的な八方美人でした。
先ほど書いた「誘いを断ると相手に悪い」「自分は嫌な人だと思われる」という話は、実は以前の私のことです。
中学生のころ、友人から嫌われ、寂しい思いをすることが怖かったため、他人の話に合わせ、みんなと同じ行動をしていました。
嫌われることが怖かったため、いつも人の顔色ばかりを伺っていたものです。
私が私をコントロールしているのではなく、みんなに合わせて私も合わせるといった感じです。
コントロールしているようで、実はコントロールされているような感じです。
そのため自分でも自分の好みがよくわからなくなり、いつも道を踏み外していました。
ですが、ある転機が訪れます。
みんな、自分のことなど気にしていない事実に、ふと気づくのです。
自分のことを思っているのは実は自分だけで、ほかの人は私のことを見ていなかったりします。
たとえば、修学旅行の写真です。
修学旅行では、一同がそろって写真を撮る記念撮影がありますよね。
みんなで撮った写真にしても、写った写真の中で注目している人物は自分の顔ばかりです。
「変に写っていないかな」
「おかしく写っていないかな」
自分の写真の写り具合ばかりを気にします。
大勢が写っている写真ではありますが、自分の顔しか見ていないし、気にしていないのです。
ほかの人の写り具合など、知らないふりです。
むしろほかの人の写り具合は、いつも自分よりよく見えます。
実際、そう思っている人は自分だけでなく、みんなも同じなのです。
ほかの人も同じように「変に写っていないかな」「おかしく写っていないかな」と自分の顔ばかりを気にしています。
他人の写り具合は、おまけ程度です。
少しでも自分の写真写りが悪ければ「変な人だと思われる。もうダメだ」と思います。
しかし、ほかの人は気にもしていないし、見てすらもいなかったりします。
みんな、自分の写り具合の鑑定に必死なのです。
あなたもきっと同じことでしょう。
嘘だと思うなら、みんなで一緒に撮った修学旅行の写真を取り出してみましょう。
最初に見る人物は、自分のはずです。
いちばん注目し、気になる人物も自分のはずです。
そのうえ、ほかの人の写りぐあいが多少悪くても、気にしないはずです。
自分のことではなく、人ごとだからです。
関係ないからです。
それはあなたに限らず、ほかの人も同じことなのです。
みんな自分のことだけしか注目しておらず、自分が見られていると思っているのは自分だけだったりするのです。
大きな勘違いを1人勝手に思い込み、自分で自分を縛り付けていただけです。
一度痛い勧誘に引っかかると、その反動で次からは極端に強くなります。
「同じ経験は、二度経験したくない」という意識が、強く働くようになるからです。
私は今、勧誘にとても強い自信があります。
強引な勧誘でさえ、はねのける自信があります。
一度ひどい経験をしたことがあり、おかげで勧誘には厳しくなっているからです。
これには痛くて苦い思い出があります。
本当は思い出したくもありませんが、ちょっとお話しします。
上京してまだ間もないころ、一人暮らしをしていた私の部屋のチャイムが鳴りました。
夜の7時ごろです。
「なんだろう」と思って、気軽にドアを開けたことがまずかった。
今思えば、これがすべての始まりでした。
そこには1人の若いお兄さんが立って、こういうことを話し始めました。
「浄水の調査です。この地区の水は汚れている報告があり、区から浄水器の提案があって訪問しました」
田舎から出てきた私は、たしかに東京の水は汚いという実感はすでにありました。
東京の水は、飲んですぐ「塩素が混ざっているな」と味でわかってしまうほどであり、肌もかさかさに荒れていました。
そのせいもあって、彼の言葉をそのまま信じてしまいました。
それも「この地区の水は大変汚れている」という言葉にぴんと反応してしまい、つい、彼を部屋の中に入れてしまいました。
最も情けない私の失敗の1つです。
当然、ここから彼の営業トークが始まったのです。
情けない話です。
当然のごとく、水が汚れているという話から始まり、いつの間にか浄水器の販売の話になっていました。
「月々4,000円程度で、ご利用いただけます」と言われ「それくらいなら、まあいいか」と思いました。
しかし、実際は月々4,000円支払いのローンだったのです。
計40万という数字を見てもぴんと来なくて、彼がうまく月々4,000円を強調したため、そのことばかりが頭を回っていました。
プロの営業は、話し方や話の乗せ方といい、自然でうまい。
あとあとこのときの経験から、プロの話術には気をつけるようになりました。
ほかの人も、話に乗せられるのではないかと思います。
気づけば、たった1つの浄水器だけのために、8年間もの長いローン地獄に陥るありさまになっていたのです。
契約を交わした後、後日これはまずいと気づいた私は、いろいろ調べてクーリングオフ制度というものを利用しようとしました。
これがまた運が悪いことに、当時ちょうどゴールデンウィーク中で私は実家に帰っており、手元に契約書がありません。
詳細を伝えるためには、契約書を見る必要があるのですが、契約書は東京のアパートにおいてきたまま。
しかし、私は実家に帰っている。
そのうえ、クーリングオフを手続きしている機関もゴールデンウィークでお休みでした。
そんなタイミングの悪さがちょうど重なり、クーリングオフが有効である8日間を過ぎてしまったのです。
この痛い思い出は、今思い出しても、悔しくて泣きそうになります。
それからです。
私は極端に勧誘には冷たくなり、どれもこれもとにかく完全にはねのけるようになりました。
ささいな勧誘でさえも、目も合わせず話も一切聞きません。
勧誘で話しかけられるたびに「あのときの出来事」を思い出し、怒りがよみがえってくるからです。
金銭的にも精神的にも大きな痛みを一度経験すれば、それをバネにして、その後がらりと変わるということがあります。
「後悔しても終わったことは仕方ない。授業料だと思おう」
そう考えるようにして、今はそのときの経験を生かす形にしています。
勧誘で、一度ひどい経験をするのも悪くはありません。
本からの知識ではなく、貴重な体験を通してその痛みを知ると、大きな勉強になるのです。
チャイムが鳴って、すぐドアを開けるのは、相手にチャンスを与えてしまうことです。
突然ドアを開けるのではなく、まずのぞき穴を通して相手を確認したのち、ドアを開けるようにしましょう。
のぞき穴がなければ、ドア越しに用件を聞き出します。
ドアを開けなくても、声を出せばドアの向こうの相手と会話ができます。
田舎なら必要はないかもしれませんが、都会に住んでいるならそれくらいの用心はあって困ることはありません。
自分で自分を守る癖をつけておくことは、これからの人生では重要なことです。
私が以前、勧誘に引っかかってしまったいちばんの原因は、まずドアを開けてしまったことでした。
「ドアを開けてしまった=相手の話を聞いてしまう」ということにつながります。
相手は勧誘のプロです。
巧みな話し方で、うまいぐあいに話を載せてきますから、話そのものを聞かないようにするにはドアを開けなければいいのです。
ドアを開けなければ「興味がない」「必要がない」ということをアピールできます。
もしドアを開けてしまうと、話をさせるチャンスを与えてしまうことになり、相手が主導権を握ってしまう恐れがあるのです。
面白い話ですが、1つ紹介させてください。
勧誘や誘いに引っかかりやすい人の傾向についてです。
私の見たところ「一人暮らしを始めたばかりの人は、勧誘に引っかかりやすい」という傾向が見られます。
もちろん全員が全員というわけではありません。
ただ、そういう傾向が強いということです。
まず、私がそうでした。
知り合いでも、勧誘に引っかかったという人は不思議と一人暮らしを始めたばかりの人が多いように見受けられます。
特に一人暮らしを始めたばかりの女性は、勧誘や誘いの対象になりやすいようです。
一人暮らしで寂しくなり、心が弱っているため、誘いを断りにくい状態になっています。
また遮ってくれる人がいないことも大きなポイントです。
家族と一緒に暮らしていれば「必要ないから帰ってくれ」と親が話に割り込んできて、うまく断ってくれます。
さすが親の手にかかれば、勧誘や誘いはあっさりはねのけてしまいます。
しかし、一人暮らしでは、すべての誘惑を自分の力ではねのけていかなければなりません。
なぜ一人暮らしの人は、誘いに負けやすいのかはもうわかりますね。
誘いをなぜ断れないのかは「相手に嫌われたくないから」の一言に尽きます。
中には強引な勧誘や誘いもあることでしょうが、本人がハンコを押さないかぎり契約は成立しません。
友人が少なく、あるいは家族からの愛情が不足している人は、誘われると「嫌われたくない」という心理がより強くなります。
はっきり「嫌です。必要ありません」と言えばいいことを、つい相手の気分を害さないように遠回しな言い方をしてしまいます。
「じゃあ、話だけでも」と言ってしまい、ずるずる相手のペースに引きこまれます。
私も一人暮らしを始めたばかりのころは、たしかに「寂しい」という状態になっていました。
私が初めて勧誘に引っかかったときも、一人暮らしを始めて間もないころでした。
理由は、先ほど話したとおりです。
私も同じような経験があるため、その気持ちはよくわかります。
1日中1人きりでいるために寂しく、私も「嫌われたくない」という心理がつい働いてしまったことが原因です。
不要な話を聞いたばかりに、面倒なことになってしまいます。
勧誘や誘いに弱い人には、一人暮らしをして間もない人が多い、という話をしました。
しかし、面白いことに、勧誘や誘いに強い人にも同じく一人暮らしという傾向が見られます。
弱い人と強い人に共通して、一人暮らしという傾向が強いことは、おかしな話です。
ただ厳密に言えば、一人暮らしを始めて間もない人は弱く、長年一人暮らしを経験している人は強いということです。
一匹狼は、1人になって間もないころは、弱いものです。
すべてを自分でしなければならず、そのための力も十分についていません。
しかし、まもなくすれば、群れているとき以上に強くなります。
すべてを自分一人でしなければならないからです。
すべての経験を自分一人で経験できるため、その成長率の大きさは群を抜いています。
親と一緒にいるときの生活は「手分け」をした状態でした。
生活といってもたくさんの要素が集まっています。
これらは家族みんなで暮らしていると、手分けしてやることができました。
自分がしなくても、親が代わりにしてくれます。
しかし、一人暮らしをすれば、これらをすべて自分一人でしなければなりません。
最初は大変ですが、すべての経験を自分が独り占めで体験できます。
今まで家族分だけ分割されていたチャンスや経験も、すべて自分が独り占めできるようになり、短期間で大きく成長できるのです。
一人暮らしをすれば、今まで親にどれだけ経験を奪われていたのかがわかります。
勧誘や誘いを断ることも同じです。
一人暮らしをすると、訪問販売、勧誘の電話は、どこから電話番号を仕入れてきたのか本当によくかかってきます。
今まで親と暮らしていたときには、親が断ってくれていました。
しかし、一人暮らしをすると、すべて自分で処理しなければならなくなり、自立の力がついてくるのです。
長く一人暮らしをしている人は、たくさんの経験をすべて1人で引き受けて経験しているため、力も強いのです。
誘いを断るときには、コツやテクニックという話ではなく、たくさん経験してきているからあっさり断れるのです。
自分で直接断りにくい人は、誰かに代わって断ってもらうという手もありです。
自分で何度も何度も断ってもそれでも一向に誘いが止まらないときには、もう話をすることさえ拒否してしまうのです。
さすがに相手も「嫌われたな」と感じます。
直接話ができなければ話を進めることができないからです。
私は家族と一緒に暮らしていたころ、しつこい勧誘の電話に悩まされたことがあります。
何度断っても、また連絡をしてくるしつこい勧誘でした。
何か良い方法はないものかと考え、親に代わって出てもらい断ってもらうようにしました。
私はもう電話に出ないようにしたのです。
電話に出ることを拒否した形で、親に代わりに出てもらいます。
すると、その後勧誘が止まりました。
私が電話に出ると「まだチャンスはある」と相手も話を進めていきますが、私が電話に出なくなれば、話の進めようがありません。
誰かに代わりに断ってもらう方法を、積極的に活用しましょう。
会いたくない人、しゃべりにくい人、怖い人にも同じです。
自分が直接言うには、ちょっとつらい人には、誰かに代わりに伝えてもらうことも1つの手です。
自分だから話しにくいと言う人もいます。
あえて仲のいい人に頼んで、遠回りに断ってもらう方法も有効なのです。
「これ、いかがですか」
話しかけられて振り向いてしまうことは「興味があります。話を聞かせてください」と言っていることと同じです。
街角でもティッシュ、チラシ配りなど、勧誘する人は、あなたに振り向いてもらおうといろいろな言葉を語りかけてくるでしょう。
そんな誘いを振り切ろうというなら、とにかく「振り向かないこと」に集中することです。
振り向かないだけで、たいていほとんどの勧誘を素通りできます。
中には手を握ったり、肩をつかんだりして無理やり振り向かせようとする人もいるようです。
それでも、振り向かないようにしましょう。
私が渋谷を歩いていると、本当によく話しかけられます。
割引券を差し出してきたり「キャバクラいかがですか」と話しかけられたりします。
じゃあ、ほかの人たちはどう振り切っているのかと、別の人を観察していると、振り切れている人ほど振り向いていません。
完全なる無視です。
むしろ耳が聞こえていないのではと思うほど、まったく反応しないのです。
こちらが反応するから、相手も反応します。
こちらが何も反応しなければ、相手もそれ以上反応しなくなるのです。
断るときにはイエスともノーとも言ってはいけません。
「興味がない」と言うのです。
「興味がない」は、どんな誘いも撃退できる魔法の言葉です。
学校のサークル勧誘、友人の誘いなど、日常でも同じです。
イエスと答えれば、イエスと答えたなりの返事を相手がしてきます。
相手「車をお持ちですか」。
あなた「はい、持っています」。
相手「では、こういうものはいかがでしょうか」。
ノーと答えれば、ノーと答えたなりの返事を相手がしてきます。
相手「車をお持ちですか」。
あなた「いいえ、もっていません」。
相手「では、こういうものはいかがでしょうか」。
イエスと答えようが、ノーと答えようが、誘い込めるように話を曲げて進めてきます。
イエスともノーとも答えてはいけないのです。
いちばん良い答え方が「興味がない」です。
相手「車をお持ちですか」。
あなた「興味ありません」。
相手「では、こういうものはいかがでしょうか」。
あなた「興味ありません」。
相手「それではこちらはどうですか」。
あなた「興味ありません」。
話のつじつまが多少おかしくてもかまいません。
「興味がない」で押し通していけば、相手も返しても仕方ないと感じ、いずれ諦めていきます。
誘いのプロほど、口が達者でうまく話を進めていきます。
イエスにはイエスのための答え方を用意してあり、ノーにはノーのための答え方をあらかじめ用意しています。
イエスともノーとも答えてはいけないのです。
イエスでもノーでもない「興味がない」という答え方が、いちばん適しているのです。
しつこい勧誘は、どれだけしつこくても、とにかく相手にしないことです。
エネルギーさえも使わないほど相手にしないほうが、相手も愛想をつかして離れます。
相手にすると、相手には「なんとしても口説いてやるぞ」と闘争心が炎炎と燃えます。
口説き落とすためのパワーが大きくなり、話がさらにややこしくこじれて、余計に断りにくくなります。
粘着テープのように、くっついて離れなくなります。
こんなことにエネルギーを使うことほど、もったいないことはありません。
興味のない人の、興味のない話は「興味がありません」で十分に退治できます。
興味のないことにエネルギーを使うことは「もったいない」の一言に尽きるのです。
友人からの誘いは、特に断りにくいものです。
見ず知らずの他人からの勧誘なら、関係のない人ですからあっさり断れます。
街角のティッシュ配りや、勧誘のチラシなど、初めて会う人のほうが逆にとても断りやすいのです。
しかし、自分とすでに関係があり、とりわけ親しい人からの誘いだと無視するわけにもいかず、なかなか断りにくいものです。
断るためにちょっとした勇気が必要です。
「断れば、がっかりされる」
「嫌われる」
「もう誘ってくれないかもしれない」
不安がだんだん強くなり、断りたくても断れなくなります。
だからとはいえ自分の気持ちに反して、誘いに乗ったところでやはり良いことはありません。
「友人だから誘いに乗ったけど、いいことはなかったな」
たいていはこうした後悔が、あとからおまけになって付きまといます。
自分がやりたいからという理由で前に進んだわけではなく、友人から無理やりさせられたことはやる気も元気も出てこないのです。
なら、初めからきちんと断ることです。
情に流されて何でも誘いを受け入れていると、ひどい経験をするのは自分です。
「あの人なら何でも引き受けてくれる」と思われてしまい、悪循環が悪化してしまいます。
もしそれが原因で縁が切れてしまいそうな人ならば、むしろさっさと切ってしまったほうがいいのです。
本当にあなたのことをわかっている人なら、断っても縁が切れることはありません。
断ったくらいでぐらついてしまうような人とは、友人関係ではなく、ただ利用されているだけです。
あなたが困っているにもかかわらず、無理やり勧誘してくる人は友人ではありません。
あなたの気持ちを考えず、困るようなことをどんどん押し進めてくる人は、自分のことしか考えていない人です。
むしろ関係を持ってはいけない人なのです。
早く縁を切ってすっきりするほうが、本当に大切にすべき友人が最後に残っていきます。
断っても嫌な顔をしない人が、本当の友人です。
人間関係が多ければ多いほど良いわけではありません。
自分のことを本当に大切に思ってくれている人と関係を持つことが、貴重な人間関係になるのです。
約束をしている本人を目の前に「やっぱりやめます」とは言いづらいものです。
相手の怒っている顔が目に浮かび、言うことを考えるだけで、おっくうになります。
実際に本人を目の前にしたところで、緊張や不安でがちがちになり、うまく断れなくなります。
直接会って断ろうとするからうまくいかなければ、その逆を考えてみましょう。
会わずして断る方法はないかと考えてみるのです。
曖昧な態度で話がこじれるくらいなら、少々無礼な方法でも、はっきりした態度に出ることです。
会うから断れない。
あるいは断りにくければ、会わずして断ることができる方法を選べばいいのです。
第三者に断ってもらうことも1つの手です。
特に口下手の人は、ほかの人に手伝ってもらうほうが、展開が早い。
親や先生といった大人の力なら、話がすんなり通ることがあります。
親や先生はそれだけ人生を長く歩んでいるため、あなたが表現できないもやもやした気持ちをうまく表現してくれます。
また手紙、メールで断ることができれば、その手もありです。
言葉でうまく表現できなければ、文字として表現すればいいのです。
文字にして断るほうが、冷静になることができ、相手の怒りを抑えることができるのです。
好かれるだけが道ではありません。
嫌われることも、時には正しい道となります。
先輩からの誘いだからと仕方なく受け、やはりあとから悔やんでしまいます。
抜けようにもあとからは抜け出しにくく、だらだら時間とお金が無駄に飛んでいきます。
「やっぱり嫌だ。抜けてしまおう!」
先輩からの誘いを断ったり、一度入会したことを思いきって断ってしまおうと決断したりします。
当然のことながら、先輩からは嫌な顔をされ、嫌われることになるでしょう。
しかし、時には、正しい道のときもあるのです。
学生時代の貴重な時期は、特にそれがポイントになることもあります。
私は高校1年のときに体操部をやめるという決断をしたことがあります。
早くから大学受験に向けての勉強を本格的にしたくて、そのために体操部をやめようと思ったのです。
部活動に励むと、それだけ時間もかかります。
特に夜遅くまで学校に残って練習をする部活をしていたため、その時間は大きな損失となりました。
体操で大学へ進学できれば良かったのですが、できそうもないとわかりました。
それからは「運動」ではなく「勉強」で大学に進学しようと決意しました。
突然やめることになったため、当然先生や先輩からも引き止められました。
それでもすでに決意は固まっていたため、振り切りました。
先生や先輩にしてみれば、困った後輩だと思ったことでしょう。
嫌われていたかもしれません。
しかし、後になって考えると、そのときの決断は間違っていなかったことに気づきます。
流れに身を任せて、いつまでもだらだら部活をしていれば、勉強をする時間が取れず、共倒れになっていたことでしょう。
嫌われることが、正しい道のときもあります。
先輩や先生たちの言葉が、必ずしも正しいわけではなく、自分の道は自分にしかわからないことなのです。
断ることは、嫌われることといっても過言ではありません。
断る練習も、嫌われる練習ということです。
断るときに見る顔色は、他人の顔色ではなく、自分の顔色です。
自分が嫌だなと思えば、単純に断ればいい。
自分に素直になっていれば、断ることは難しいことでもないのです。
ただ素直に、イエスかノーを口にするだけです。
しかし、他人の顔色をうかがって気にしてしまったとたん、急に断りにくくなります。
「嫌われたくない」という意識が働くからです。
他人の顔色を見てしまったからいけないのです。
人間ですからどうしても嫌われたくない意識は働いてしまいます。
断るときに見る顔は、常に自分の顔色を考えることです。
「嫌だな」と自分が感じるときには、青い顔色になっています。
元気のない表情になっています。
その自分の顔色に従って決断していけば、自然と自分らしい道を選択できるようになるのです。
他人の顔色を気にしていると、断れることも断れなくなってしまうのです。
断れるように練習しようというなら、がっかりさせる練習がいちばんです。
一般的に断ることとは、つまりがっかりさせることだからです。
断られて嬉しい人はいませんし、誘って断れれば誰しもがっかりします。
「断り上手になろう」というなら「嫌われ上手になろう」ということになるのです。
嫌われることが怖い人に限って、断ることが苦手です。
もし嫌われることが本当に怖くなくなれば、断ることは簡単になります。
考え方を変えましょう。
上手に断れるようになろうと考えるなら、上手に嫌われるようになろうと考えればいいのです。
ただ、相手に憎まれののしられるような嫌われ方を指しているのではありません。
「自分は自分の道を行きます」というわが道を行く姿勢を見せて「それなら仕方あるまい」という意味で嫌われるのです。
「自分らしく生きたいから断らせてください」という態度を取れば、相手から嫌われる度合いがいくぶん軽くなります。
「あなたが嫌いだからやめます」という断り方はたしかに憎まれてしまいます。
「個性を大切にしたいから断らせていただきます」という態度なら、嫌われる感情は和らぐのです。
自分を大切にした生き方をすれば、こうした断り方ができるようになります。
友人からの誘いの中には、断っていいのかどうかわからないことがあります。
「良いような悪いような」という曖昧な気持ちのときです。
私もときどき選択に困るほど、断っていいのかどうかわからない中途半端な状態のときがあります。
言葉にできないほど、イエスかノーかわからない、もやもやした気持ちのときです。
そういうときには、いつも「気が進むかどうか」を最終的な基準にして決めるようにしています。
つまり「やる気」があるかないかということです。
これまでの人生経験から、やる気があることはたいていうまくいくし、やる気がないことはたいていうまくいかなかったからです。
気持ちや感情は目には見えませんが、人を動かす大きな原動力になっています。
気持ちがついてくること、やる気があることがうまくいくようになっており、やる気がなければうまくいくほうが珍しい話です。
その気がなければ、やめたほうがいいのです。
やる気があることなら、うまくいかなかったとしても充実感があります。
大好きなスポーツをしようとやる気になっているときには、勝っても負けても充実感があります。
しかし、やる気がないままスポーツをすれば、たとえ勝ったとしても面白くありません。
「やる気があるかないか」「気が進むかどうか」が、大きなポイントとなるのです。
本来、自分の道とは、自分の力で切り開くものです。
最初から切り開かれているのではなく、自分で選択し決断し、前に進まなければいけません。
こうした話は、多くの成功哲学書の決まり文句になっています。
ここで話をしなくても、すでにどこかの本で耳にしたような言葉であることでしょう。
耳にタコができるほど何度も同じ話をいろいろな本で見かけます。
私も何度も耳にしたことがあり、タコができています。
しかし、そうしたたぐいの成功哲学書には、いつも大事な部分が抜け落ちています。
それは「断ること」です。
何かを選択しようとするとき、それ以外は切り捨てるということです。
つまり「断ること」「諦めること」です。
集中しなければならないとき、集中する以外を切り捨てる必要があります。
切り捨てないと、気になり、集中力を妨げます。
不必要を切り捨てることができて、初めて一点に集中ができるようになります。
勉強をするときには、テレビを消して、音楽も止めます。
同時に一緒にやろうとすると、気が散って集中できないからです。
行きたい大学があれば、それ以外は切り捨てますし、誘いがあっても断ります。
自分のやりたい仕事があれば、必要な資格を取ったり、勉強をしたりします。
ですが、同時にそれ以外の資格や勉強には手を出さないということです。
何かを1つ選択するためには、断る力が必要です。
手に入れるためには「何かを諦めること」「手放すこと」が必要です。
「自分の道を進む力」とは「断る力」と同じ話です。
断ることをネガティブなイメージで考えるのではなく、むしろポジティブに考えましょう。
断ったおかげで、集中できるようになるのです。
部活、会員、習い事など、一度は入会してみたもののやっぱり違うなと思ったら、できるだけ早くやめてしまうことです。
早いほうがやめやすいからです。
あまり長く居続けてしまうと、友人ができてしまい、情に浸ってやめにくくなります。
雰囲気に慣れてくると「まあ、いいか」と心が緩みやすくなるため、行動力が低下します。
いつの間にか、時間やお金が無駄に飛んでいくことになり、気づけば「青春が終わっていた」なんていうことになります。
早くやめることができたほうが、早く次への行動に移ることができるようになります。
「自分の肌に合わない」「やっぱり考えが変わった」というなら、行動は早ければ早いほどいい。
情ができる前のほうが、自分にとってだけでなく、相手にとっても断りは受け入れやすいのです。
「自由を手に入れるために断る!」
断るときには常にこうしたことを考えておけば、あなたの背中の一押しになります。
断ることができれば、それだけであなたに自由が手に入るからです。
しかし、断ることができなければ、あなたから自由がさらに奪われます。
先輩からの強引な勧誘によってやりたくもない部活に無理やり入部させられても、面白くもないし楽しくもありません。
時間と自由が大きく奪われてしまい、苦痛で仕方なくなります。
しかし、せっかくの自分の人生を不自由にする必要はありません。
先輩の強引な誘いが、必ずしも正しい答えとは限りません。
正しい答えは、常に自分がいちばんよく知っています。
自分の心が「つらいな、苦しいな、面白くない、つまらない」と感じれば、素直にやめたほうがいいのです。
そのほうが精神的に自由になれるからです。
苦痛に縛られることがなく、精神的に自由になれば、それだけで幸せに1歩近づけます。
「断る」という言葉は、否定的で後ろ向きな言葉に聞こえるかもしれませんね。
しかし、実際は、そうではありません。
自分にとって有害となるものを排除するための、大切な行動の1つなのです。
幸せは手に入れるだけではなく、排除することでも手に入れられます。
自分にとって不必要な物、苦痛なこと、不快になることを断って避けていくだけで、幸せの「濃度」が濃くなるのです。
私は食べることが大好きです。
食べることは、単純に食欲を満たしてくれるだけでなく、精神的にも満たしてくれます。
落ち込んだときや悩んでいるときなど、おいしいものを食べると、すぐ元気になります。
子どものようですね。
何しろ3大欲の1つですから、おいしい食事は人間の幸せに深くつながりを持っています。
特に外食好きですから、レストランは頻繁に利用しています。
だからとはいえ食欲のままに食べていると、食べすぎて、すぐ太ってしまいます。
そのうえ、栄養バランスが崩れてしまい、健康的ではありません。
私は自分の食事をコントロールするために、誘惑の多い場所へは必要なとき以外、あえて行かないようにしています。
誘惑の多い場所へ行くと、つい流されてしまい、誘惑を振り切ることが大変だからです。
元から誘惑がなければ、誘惑に苦しむ必要もありません。
食べたいけれど、食べるものが手元になければ、すんなり諦めることができます。
最初から誘惑の少ない状態をつくっておけば、誘惑に負けてしまうこともないのです。
仕事をし終えたとき、一仕事を終えたときなど、自分へのご褒美のときだけレストランでおいしい食事を注文するようにしています。
「何を断り、何を受け入れればいいのか」
こうした悩みを持っている人ほど、本当のところ自分は何がしたいのかがわかっていません。
何のために何をすればいいのかがわかっていないから「何を断り、何を受け入れればいいのか」で苦しんでしまいます。
私が学生だったころ、特に就職を考える20歳前後のころは、いつも悩んでばかりいました。
今でこそ、このようにやりたいことが見つけられていますが、ここに至るまでにはいろいろとありました。
英語に手をつけたり、パソコンに手をつけたり、韓国語に手をつけたり、中国語に手をつけたりしていました。
読書にしても、いろいろな分野の本を読みあさっては、次の分野へ手をつけていました。
結局何をしていいのかわからなかっただけです。
目的がなかったから、ただやみくもに手をつけていただけなのでした。
もがいていたのです。
「これをすれば何かが変わるかも」
「これが自分に合っているかもしれない」
そういう小さな希望を元に、次から次へと試しては諦め、試しては諦め、いろいろなことに手をつけていました。
迷子になっていたから、手当たりしだいの道に進み、無駄なエネルギーをたくさん使っていたわけです。
しかし、そうして、いろいろなことを手当たりしだいに試していくと、なかには「自分の肌に合っているな」ということに出会います。
それが今の本当の私を見つける手がかりとなりました。
たくさんの三日坊主を繰り返し、ようやく宝物を見つけたのでした。
断ることは三日坊主を実行するときに必要です。
「やってみた。でも合わないことがわかったから断る」
これを何度も何度も繰り返して、だんだんわかり、本当の自分へと近づいていきます。
頭の中で想像するだけではわからず、実際に肌身を通して経験して初めて「わかり」ます。
受け入れては断り、受け入れては断りを何度も繰り返していくことは、自分を見つけるためにはなくてはならない方法です。
痛みの小さな若いうちに、こうした「無駄なもがき」をしておいて、今は良かったなと思っています。
社会人になると、もう親の援助には頼れません。
仕事だけで、1日の大半が過ぎていきます。
お金も時間もなく、もう自分探しどころではなくなります。
断ることは、若いうちにたくさんこなしておかなければなりません。
若いうちのほうが小さな痛みで済み、自分には何が強いのか弱いのか、得意なのか不得意なのかが、少しずつわかっていくのです。
断ることから逃げるのではなく、積極的に行動しては断るという繰り返しによって、だんだん本来の自分に近づいてゆくのです。
むしろ断り上手になっておかないといけないのです。