「人は見かけでわからない」といいます。
やぼな格好をしていても、実は高学歴の人もいます。
品がよさそうに見えても、言葉遣いの悪い人もいるでしょう。
「頭がよさそうに見られたい」
誰でも必ず一度は考えたことのあるテーマでしょう。
意外なことと思われるかもしれませんが、昔から私には重要なテーマでした。
頭がよさそうに見られるいちばんの服装は何だと思いますか。
服装とはいえ、本当にさまざまな種類があり、難しい選択のように思えますね。
しかし、実は、男性、女性、国籍問わず、世界に共通する答えがあります。
スーツ1つとはいえ、その種類はさまざまです。
デザイン重視のスーツもあれば、変わった型や色物、柄物など、さまざまです。
しかし、一般的に印象がいいとされるデザインは「シンプル」です。
私が初めて髪を染めた経験は、中学2年、14歳のころでした。
思春期の真っただ中であり、外見を気にするようになる年ごろです。
異性を意識して、外見を気にするようになった私は、茶色に髪を染めたことがありました。
中学生のころ、なお君という友人がいました。
色白のなお君はとても勉強のできる人でしたが、初めて彼を見る人にも「頭よさそうね」とよく言われていました。
なお君の成績を知るわけがないし、話したこともない人から「頭がよさそう」と言われるのは不思議なことです。
私がアメリカに留学していたころ、タバコを吸っているアメリカ人はめったにいませんでした。
吸っているとすれば、留学生である日本人や韓国人ばかり。
アメリカではタバコを吸う人は少ないとは聞いていましたが、想像以上のものでした。
アメリカで管理職といえば、痩せている人が絶対です。
太っている人が、管理職についているということは、まずあり得ません。
自分の体も管理できない人間が、組織の人間を管理できるわけがないからです。
頭がよさそうに見せるためのポイントの1つは、清潔感です。
清潔感は、モテるための条件だけではありません。
頭がよさそうに見え、知的さを演出するために、欠かせないポイントです。
私の友人に、なかなか目を見て話してくれない人がいます。
いつも下を向いたり、顔をそらしたりしながら話をしています。
話をしている内容は、普通です。
道を歩いていると、前から1人、小学生が歩いてきた。
「おはようございます!」
元気な声で挨拶をしてきた。
イギリスでは「高級ブランドは年配が持つもの」という意識が一般的です。
お金、時間、権威など、ステータスのある人が持つ物品です。
高級ブランドとは、ステータスの象徴です。
認知心理学の世界では、次のような言葉があります。
「ポジティブバイアス(前向きな先入観)」
「ネガティブバイアス(否定的な先入観)」
自分にとって手本を見つけることは重要です。
真似することを、否定的に考えてはいけません。
私たちがこうやって自由自在に言語を操ることができるようになったのは、親の言葉を真似したからです。
私があるとき、食事をしていたときのことです。
そこは座敷形式で、靴を脱いであがるタイプのところでした。
料亭のような、堅苦しい雰囲気のところです。
諦めない人は、たとえ失敗しても、賢い人に映ります。
頭が悪くても「じゃあ、次はこうしよう」という考え方ができる人に、本当の強さを感じます。
粘り強さには、知力や学力を超越した「人間的な強さ」が感じられるのです。
髪型、服装、色、型。
デザインを大きく分けると、派手と地味にわかれます。
「賢そうに見られるにはどちらを選べばいいのだろう」と迷ったときには、地味を選ぶことをおすすめします。
私がニューヨークへ旅行に行ったとき、ウォール街というビジネス街を観光したことがありました。
世界でも有数のビジネス街です。
そこを歩くビジネスマンは、みな頭がよさそうに見えました。
テーブルマナーを身につけている人は、不思議なことに、知的に映ります。
テーブルマナーはあってもなくても、生きていけます。
どちらも「食べる」という行為に変わりはありません。
知的さをアピールするためには、何か1つでかまいませんから、得意分野をつくることです。
得意分野でアピールすることです。
何でもできる必要はありません。
私が仕事上で、部下に仕事を頼むとき、すでに部下が行動に移していることがあります。
手順書の確認をお願いしようと話しかけると「今、確認しているところです」と言います。
驚いたのは私のほうです。
メガネには、不思議な力があります。
かけるだけで、知的な外見になってしまうことです。
実際に、中身は何も変わらなくても、ただメガネをかけてしまうというだけで知的な印象になってしまうのは驚きです。
しわは、老いの象徴です。
人間が年を取っていくと、顔にしわができ、体もたるみます。
脳のしわは別として、外見のしわは衰えを感じさせます。
能力は、意識があって身につきます。
技術や技能といった能力は、勉強や練習をすれば、比較的誰にでも身につけることができます。
マナーも勉強も仕事の仕方も、技能であり技術であり能力です。
私の職場には「ダメだ」が口癖の面白い人がいます。
いつも「ダメ」という返事しかしない社員です。
「これどうですか」
かっこいいことなら、誰でもやりたがります。
しかし、恥ずかしいことは、誰もがやりたがりません。
誰もが「恥をかきたくない」「ばかと思われたくない」という意識があるからです。
時間もお金もかからない、頭がよさそうに見えるお手軽な方法があります。
「腕を組む」という姿勢です。
腕を組んでいるだけで、不思議なことに頭がよさそうに見えます。
私が仕事上で出会った尊敬できる上司がいました。
私より10歳近く年が上であり、スリムな体型のリーダーでした。
彼からの説明はいつもわかりやすいものでしたが、時には難しい内容も出てきます。
「っていうかー」
「まじでー」
「そうなんだー」
どんなに頭の良い人でも、それを保有しているだけでは意味がありません。
頭の良い人は、自分の今まで蓄えてきた知識や知恵を発揮できる人です。
表現できる人であり、伝えることができる人です。
「人は見かけでわからない」といいます。
やぼな格好をしていても、実は高学歴の人もいます。
品がよさそうに見えても、言葉遣いの悪い人もいるでしょう。
外見と内面は、必ずしも一致するとは限りません。
しかし、現実としては「人は見かけで決まる」と言っても過言ではありません。
人の印象は、外見が重要な役割を果たしています。
たとえば、あなたの家に営業マンがやってきたとします。
髪は金髪に染めている。
足元は、草履を履いている。
短パンにTシャツ姿。
こうした姿の営業マンを、どう感じますか。
やはり「軽い人」として映ることが多いのではないでしょうか。
実際は、真面目な人かもしれませんが、現実では私服姿のせいで話が軽く聞こえやすくなり、信用も下がりがちです。
言葉の説得力が落ちて、部屋に入れるにも不安があります。
お客としても、真面目に話を聞く気になれないことでしょう。
世間では「見かけで人のすべてはわからない」といいます。
しかし、実際は「人は見かけで評価される」という現実があります。
頭はよくなくても、頭のよさそうな格好は心がけたいところです。
せめて身なりや外見だけでも、整えておく必要があるのです。
「信用されたい、頭がよさそうに見られたい」と思うなら、見かけは重要です。
見かけだけで、自分の印象や評価も左右されるのです。
「頭がよさそうに見られたい」
誰でも必ず一度は考えたことのあるテーマでしょう。
意外なことと思われるかもしれませんが、昔から私には重要なテーマでした。
自分の頭の悪さがコンプレックスで「どうしたら頭がよさそうに見られるか」ということについては、人一倍よく考えていました。
これだけたくさんの文章を書くのだから頭がいいに違いないと思われている人も多いようですが、とんでもありません。
これでも私は、高卒なのです。
一応、高校卒業後、アメリカに留学した経験がありますが、卒業せずに中退しています。
語学学校に通った後、日本でいう短大にあたる学校へと転入します。
しかし、英語を通した勉強がなかなか思うように進みません。
つたない英語力の私に、高度な内容の宿題やテストが容赦なく降り注ぎます。
日本の大学は入学するまでが大変であり、大学卒業は比較的楽だといいます。
一方、アメリカの大学は、入学は簡単であり、大変なのは卒業するまでの道のりといいます。
たしかに私が学校へ入学するときも、紙切れ一枚の用紙を書いて提出のみで、あっさり入学できてしまいました。
しかし、地獄はそれからでした。
噂のとおり、卒業までの道のりは想像を絶する大変さでした。
たとえ、日本語でもできないような難しい論文を書いたり、教科書の山を読破したりしなければなりません。
不可能に近い勉強に挫折してしまうことになり、大学を後にします。
最終学歴としては、高卒になります。
いまや大卒は当然であり、高卒はよほどの事情がある人のみになりました。
それだけ大変珍しく「日本人は勤勉」と言われるだけあって、賢い人が多いということです。
私は、学歴は劣っているからせめて見かけだけでも頭がよさそうに見せようと、普段から考えています。
たくさんの本を読んだり、たくさんの文章を書いたりしているのは、自分の学歴を補うためということもあります。
コンプレックスをバネにすることは、昔からよく言われますが、たしかにそのパワーは大きいものです。
今回の「頭がよさそうに見せるコツ」については、私が実行していたことです。
「内面」ではなく「外見」に焦点を合わせてお話をします。
頭がよさそうに見られるいちばんの服装は何だと思いますか。
服装とはいえ、本当にさまざまな種類があり、難しい選択のように思えますね。
しかし、実は、男性、女性、国籍問わず、世界に共通する答えがあります。
「スーツ姿」です。
私服よりスーツ姿のほうが、誠実で真面目に見えます。
知的で落ち着いて見え、品格のある印象を受けます。
世界のビジネスを見ても、文化や言葉の違いこそあれ「スーツ姿」だけは共通です。
しわのないシャツに、ネクタイを締めたスーツ姿は、しっかりした印象を受けてしまいます。
面接では、必ずスーツ姿というのが決まりです。
「面接は私服でもOKです」という募集をときどき見かけますが、実際、本当に私服姿で面接に受けに行くと、必ず落とされます。
仕事をするために面接を受けに行くのですから、私服姿のようなラフな格好はあり得ないのです。
私服姿でやってくる人は、面接の部屋に入った瞬間に落とされます。
私服姿の営業マンもいません。
ラフな格好をしているとフレンドリーな印象こそはありますが、実際のビジネスの場では頭が悪そうに映り、信用されなくなります。
話し方がよくても、説得力があっても、営業マンがラフな格好をしていると「信用できない」と映ってしまい、購入を控えます。
ラフな格好をしていることで、得をすることは少ない。
スーツ姿か否かによって、仕事の成績までが決まってしまいます。
ニュース番組の司会者は、必ずスーツ姿です。
日々の出来事を正確に伝える前に、まず伝える人の「姿」を見て、私たちは判断してしまいます。
落ち着いた色のスーツを着ている人の話は、知的に聞こえ、なぜだか安心して聞けます。
アロハシャツを着た司会者がいないように、ラフな格好をして得をするケースは少ないのです。
スーツ1つとはいえ、その種類はさまざまです。
デザイン重視のスーツもあれば、変わった型や色物、柄物など、さまざまです。
しかし、一般的に印象がいいとされるデザインは「シンプル」です。
威張らず、気取らず、謙虚な色なので、誠実さをアピールするのに最も適しているのです。
派手な柄物など、デザインを重視したスーツは、かっこよくても、誠実さに欠けます。
シンプルなスーツほど、誠実さをアピールできる服装はありません。
銀行員のスーツは、必ずシンプルです。
お金を扱う業界では、信用や誠実さがいちばん大切です。
私たちは銀行に行き、お金のやりとりをするとき「この人にお金の扱いを任せて大丈夫だろうか」と考えます。
銀行員が色物や柄物の気取ったスーツを着ていると「お金を適当に扱われるのではないか」と心配になります。
選挙戦に臨む候補者のスーツも、シンプルが定番です。
派手なデザインのスーツを着ていることは、まずありません。
当たり前のことを当たり前にこなしている人に、人々は安心して政治を任せようと願うのです。
私が初めて髪を染めた経験は、中学2年、14歳のころでした。
思春期の真っただ中であり、外見を気にするようになる年ごろです。
異性を意識して、外見を気にするようになった私は、茶色に髪を染めたことがありました。
遊び心の旺盛な思春期では、よくある話です。
今の時代、髪を染めたことがない人のほうが、少ないくらいです。
学生なら、髪の色を変えてもいいでしょう。
学生時代の仕事は勉強であり、テストで高得点を取ることに髪の色は関係ありません。
まだ許されます。
しかし、ビジネスの場では、話がまったく異なります。
社会では、髪を染めているとそれだけで軽く見られるのは、事実です。
金髪に染めている人の話は、軽く適当に聞こえてしまい、ビジネスでは大きく影響します。
ビジネスでは、得をすることはなくても、損をすることは十分に考えられます。
学生のころは髪を染めていた私も、社会人になって髪を染めたことは一度もありません。
私は仕事をしていますが、髪を金髪に染めている人を見かけると「この人、本当に仕事ができるのかな」と、心配になります。
実際に話したことがなくても、見かけの印象は強いメッセージになります。
髪が金髪に染められているだけで、軽い印象となり、惰性に流されている人として映ってしまうのです。
勝手に髪の色が、赤や紫に変わることはありません。
髪の色が変わっているということは、染めたということ。
染めたということは、その人のどこかに「遊び心」があるということ。
髪を染めている人が軽く見えてしまうのは「髪の色」からではなく、その「遊び心」が垣間見えるからです。
髪の色は、やはり黒がベストです。
最も頭がよく、知的で賢く見える髪の色は、黒で十分なのです。
中学生のころ、なお君という友人がいました。
色白のなお君はとても勉強のできる人でしたが、初めて彼を見る人にも「頭よさそうね」とよく言われていました。
なお君の成績を知るわけがないし、話したこともない人から「頭がよさそう」と言われるのは不思議なことです。
実際、なお君には頭がよさそうな雰囲気が出ていました。
知的なオーラです。
それはどのようなところか。
「背筋」です。
なお君には、いつも背筋がぴんと伸びているという特徴がありました。
姿勢がいつもよくて、背中に棒が入っているようです。
歩くときや、椅子に座っているときも、背筋はいつも伸びています。
その姿勢から頭がよさそうに見られていました。
姿勢だけで、その人の中身がすべてわかるわけではありません。
しかし、姿勢から気持ち、元気、やる気といった精神状態が、メッセージとして伝わってくるのです。
背筋は、精神状態の表れです。
実際に気持ちが緩んでやる気がなくても、背筋だけは伸ばしておくことです。
気持ちが引き締まってから、背筋を伸ばすのではありません。
気持ちが緩んでいても、無理をして背筋を伸ばすのです。
背筋が伸びるから、自然と気持ちが引き締まり、元気が出てきます。
私は昔、父から「貴博、背中が曲がっているぞ!」とよく叱られていました。
「なぜ背中が曲がっているだけで叱られるのか」と、そのときは理解できませんでした。
しかし、社会に出ると、姿勢は大切であることに気づきます。
背中が曲がっていると、自信がないように映り、気持ちが緩んでいる姿に映ります。
実際は、自信があって気持ちが引き締まっていても、背筋が曲がっていてはすべてが台無しになるのです。
背筋は、社会的信用にまで影響を及ぼしてしまいます。
背筋が伸びていると頭がよさそうに見え、知的な印象をアピールできるのです。
父はそれを知っていたからこそ、昔から口うるさく子どもをしつけていたのだと、大人になってようやくわかったのでした。
私がアメリカに留学していたころ、タバコを吸っているアメリカ人はめったにいませんでした。
吸っているとすれば、留学生である日本人や韓国人ばかり。
アメリカではタバコを吸う人は少ないとは聞いていましたが、想像以上のものでした。
タバコを吸っていると本当に嫌な顔をされ「何のために吸っているの」と、あきれた顔で聞かれます。
「お金を払ってまで、自分の体を傷つけている現実にすら気づけないのは致命的ね」と、冷たい表情で言われます。
彼らの言い分は正論で、誰も批判はできませんし、しませんでした。
タバコを吸っていると、四方八方からとても冷たい目で見られます。
禁煙社会であるアメリカは、タバコを吸っている人は自己管理ができないばかりでなく、仕事上でも評価されにくい対象となります。
タバコを吸っている人は、自己管理ができないため昇格は難しく、吸わないといらいらする性格上、リーダーにはなりにくい。
まさに「百害あって一利なし」です。
日本でも、タバコは吸う人より、吸わない人のほうが「自己管理ができている」という評価で見られます。
頭よく見せるためには、タバコを吸う習慣をやめることです。
いくら知的な顔をしていても、タバコをくわえて眉間にしわが寄っていては台無しです。
アメリカで管理職といえば、痩せている人が絶対です。
太っている人が、管理職についているということは、まずあり得ません。
自分の体も管理できない人間が、組織の人間を管理できるわけがないからです。
太っているからには、何か理由があります。
肥満体の人は、何も食べないでそうなるわけがない。
「小食なので太りました」ということはあり得ません。
自分を管理できず、欲の向くままに暴飲暴食を繰り返してきたから、ウエストが一回り大きくなってしまったのです。
普通の生活をして、体が極端に大きくなることはありません。
いくら口で「私は自己管理ができています」と言っても、太った体格からそれはまったくの嘘であることは明らかです。
口だけなら、何でも言えます。
しかし、体型は嘘をつきません。
体型から、その人の習慣、食事、運動、考え方までが見えてきます。
軽い言葉より、実績のある体型から、その人の本当の姿が見えてくるのです。
かっこいい代表である「モデル」は、痩せている人たちがほとんどです。
なぜ、モデルに痩せ型の人ばかりが選ばれるのかというと、体型面だけではありません。
痩せている姿は「自己管理ができる人」と思われ、管理面でもかっこよく映るからです。
モテるのです。
体型面だけでなく、管理面ともに両立しているため、人気を集めるのです。
頭がよさそうに見せるためのポイントの1つは、清潔感です。
清潔感は、モテるための条件だけではありません。
頭がよさそうに見え、知的さを演出するために、欠かせないポイントです。
きちんと自分をケアしていないと、清潔さはなかなかでません。
細かい部分まで配慮ができている様子から「この人はしっかりしている」と思われ、知的に見られるのです。
実際、清潔感のある男性は、女性からとてもモテます。
モデルは常に清潔です。
見かけ姿のきれいさだけでなく、細かなところまでケアが行き届いている姿に「私のことも大切にしてくれそう」と感じるからです。
自分のことを大切にする人は、他人のことも大切にできます。
ひげが伸びている男性は、それだけでポイントが下がります。
自然のままにひげの伸びている顔が、だらしなく映ることは言うまでもありません。
ビジネスの場でも、ひげを絶対に伸ばしてはいけないわけではありませんが、きちんと剃っているほうが必ず評価されます。
毎日のケアができていることが、管理能力のアピールにつながるからです。
ひげはきちんと剃っているほうが、清潔感のアピールだけでなく、管理面でもアピールできるのです。
私の友人に、なかなか目を見て話してくれない人がいます。
いつも下を向いたり、顔をそらしたりしながら話をしています。
話をしている内容は、普通です。
しかし、目を見て話してくれない態度が、不安になって仕方ありません。
「やましいことがあるのかな」
「ほかに気にかかることがあるのかな」
「私のことが嫌いなのかな」
「嘘をついているのかな」
「隠し事があるのかな」
気になることはさまざまで、必要のない心配までしてしまいます。
こちらとしては、精神的にとても疲れてしまうのです。
目を見て話してくれないだけで、大きな精神的負荷がかかります。
目を見て話さない人は、怪しい人に映ります。
頭がよさそうに見せる方法は、単純に相手の目を見て話すことです。
目を見て話すということは、小学生でもできる当たり前のことです。
女性を口説くときに、相手の目を見て告白すると、成功率が上がります。
目を見て口説くと、言葉だけでなく、気持ちや誠実さも伝わり、相手はホロリとしてしまうからです。
瞳を見つめることは、相手を口説き落とすときにはいちばんの効果をもたらすのです。
道を歩いていると、前から1人、小学生が歩いてきた。
「おはようございます!」
元気な声で挨拶をしてきた。
「育ちがいい子だな」と、ふと感じてしまう。
こうした経験ありませんか。
「きっとこの子の親もしっかりしているに違いない」と、つい、ほかのことまで考えてしまいますね。
挨拶をする人は、頭がよさそうに映り、育ちの良い印象を受けてしまいます。
印象アップのために「ブランドを身に着ける」「お化粧する」「髪型を整える」など、さまざまな情報が飛び交っています。
中にはお金のかかるものや、時間や手間のかかったりすることなどもあり、実用的でなかったりします。
しかし「おはようございます」という一言だけは、お金も時間も努力もいらない印象アップの方法です。
元気よく話しかけられると嬉しくなります。
こんな簡単な誰にでもできるコミュニケーションはありません。
そのうえ、その人は頭よく知的に映り、家族や付き合っている友人までも一緒に、良い人たちと思われます。
社会では「おはようございます。よろしくお願いします」という言葉は、なくてはならない言葉です。
どんなに仕事が忙しくても、はじめの一言があるかないかで、仕事のはかどりぐあいまで変わってしまうほどです。
知的に見せたい人は、勉強の成績を上げるより「おはようございます」と挨拶を習慣にするほうが、はるかに重要なのです。
イギリスでは「高級ブランドは年配が持つもの」という意識が一般的です。
お金、時間、権威など、ステータスのある人が持つ物品です。
高級ブランドとは、ステータスの象徴です。
貴族社会では、ステータスのある人だけが身につけています。
イギリスで若者が高級ブランドを身に着けていると「なぜそんな年寄りくさいファッションをするの」と、不思議がられます。
イギリスのような貴族社会において、高級ブランドは年齢・お金・人生ともに余裕ある一部の富裕層が持つものなのです。
余裕がある人が持つから、似合うのです。
しかし、そんな余裕の象徴を、余裕のない人たちが持つとどうでしょうか。
ギャップが生まれ、不自然に、おかしく、滑稽に映ります。
高級ブランドを否定しているのではありません。
ステータスのある人が高級ブランドを身につければ、分相応で輝きます。
自分のステータスに、合っているかどうかが問題なのです。
ステータスのない人が身につけると、滑稽に映ります。
例えて言えば「ぶたに真珠」です。
教養のないぶたが、素晴らしい高級ブランド品を身に着けていると、滑稽に映りますね。
不自然さやギャップが、見苦しいのです。
そういう状態になっていないか、気づくことです。
高級ブランドは、ステータスが身についてから楽しむファッションです。
ただ高級という理由だけで、求めるのは良くありません。
分相応の身なりがいちばんなのです。
認知心理学の世界では、次のような言葉があります。
「ポジティブバイアス(前向きな先入観)」
「ネガティブバイアス(否定的な先入観)」
ポジティブバイアスとは「何をやっても前向きに思われる先入観」ということ。
ネガティブバイアスとは「何をやっても否定的に思われる先入観」ということ。
この2つの先入観を上手に利用する人が、頭がよく思われる人です。
いまだ学歴社会の残る日本では、こうしたことがあります。
東大生が偉そうなことを言うと「さすが頭のいい人は違う!」と思われる傾向があります。
話の内容はごく普通のことでも、東大生というステータスを前提に話をすると、何でも「さすが!」と思われるのです。
ポジティブバイアスが働いているからです。
前向きな先入観が働いているからです。
前向きな先入観があるために、一般の人から見ると、東大生は雲の上の存在に思われます。
「十分に考慮したうえで出した答えだ」と思ってしまうのです。
一方、高校すら卒業していない低学歴の人が、大きなことを言えば「偉そうなやつだ」と思われる傾向があります。
実際に正論であり、間違っていなくても、低学歴の人を見下して考えてしまう先入観があるのです。
厄介な先入観ですが、現代社会で生きるためには、こうした先入観が現実としてあることを受け止め、考える必要があります。
今回は例として「学歴」を挙げましたが、そのほかのアピールでもかまいません。
習慣にしろ、身なりにしろ、経験にしろ「この人はできる」という先入観を一度持ってもらうことです。
ポジティブバイアス(前向きな先入観)が浸透すれば、何をしても「さすが!」と思われることになるのです。
自分にとって手本を見つけることは重要です。
真似することを、否定的に考えてはいけません。
私たちがこうやって自由自在に言語を操ることができるようになったのは、親の言葉を真似したからです。
父や母、おじいちゃん、おばあちゃんの言葉を真似して、次第に身につけていきました。
一般的に、優秀な親の子は、優秀な子に育つといいます。
遺伝子レベルの話だけでなく、実際に最も大きく影響を及ぼしているポイントは「環境」です。
素晴らしい親に恵まれたということは、それだけで素晴らしい手本がいつもそばにいるということです。
これほど、心強いことはありません。
しかし、そんな親だけが、自分の手本というわけではありません。
友人であったり、恩師であったり、先輩であったりと、時代や環境に応じて自分にとって大切な手本となる対象が変わります。
学生のときだけでなく、社会人にとっても大切なことです。
仕事のできる先輩から学ぶことは、重要です。
仕事ができる先輩を、真似して、まるごと学ぶのです。
人そのものを手本にして、徹底的に吸収してしまいます。
できる人の真似をしていると、本当に自分もできるようになります。
先輩というくらいですから、仕事の手法がほかの人より優れていることはたしかです。
そのポイントを勉強しましょう。
間違いのない先輩の行動を真似すれば、あなたも間違うことはないはずです。
初めは理解できない行動でも、観察をすると、効果的な仕事の方法であることに気づきます。
私が社会人になったとき、西村さんという優秀な先輩がいました。
髪の毛は少なかったのですが、仕事のできる人です。
仕事上、何百通ものメールに目を通す仕事なのですが、西村さんは1日にほんの数回しかメールチェックをしません。
ほかの人たちは、メールの数があまりに多いため、いつもメールチェックのありさまです。
しかし、実際には、西村さんの仕事がいちばん評価されていました。
速くて、質が高くて、完璧です。
ほかの人より理解も仕事も速く、私にはその光景が不思議でなりませんでした。
「先輩の仕事のできる秘密はどこにあるのだろう」と、いつも考えていました。
そこである日、私は難しく考えることをやめて、西村さんの行動をそのまま真似してみたことがあります。
行動を共にしてみたり、発言を真似してみたりと、徹底的に吸収して、真似をしてみました。
するとその結果、なぜ仕事が速いのかが、ようやく理解できたのです。
同じ種類の仕事を、まとめて一気に集中的にこなしているのです。
電話対応の仕事なら、その種類の仕事だけをまとめて行います。
メールチェックなら、まとめて一気に集中して目を通します。
技術業務なら、技術業務だけをまとめて行います。
休憩をするときには、休憩をする。
そうすることで、同じ種類の仕事をまとめて行うことができ、吸収や集中も、しやすいというメリットがあります。
スイッチの切り替えがうまい先輩でした。
私は、自分が先輩の真似をして、その効果に驚いたものです。
仕事が速いできる先輩には、何か理由があります。
初めはとやかく言わず、真似をしてみると、その秘密がわかったりするのです。
私があるとき、食事をしていたときのことです。
そこは座敷形式で、靴を脱いであがるタイプのところでした。
料亭のような、堅苦しい雰囲気のところです。
そこに、やかましく騒ぐ子どもをつれた親子がやってきました。
おごそかな雰囲気の中では、子どもたちの声は特に響き渡ります。
「きちんと親が子どもたちをなだめてくれればいいのだが」
私は自分の食事をよそに、子どもたちを心配していました。
ところがそんな子どもたちの行動を気にしていた私に、驚きの光景が飛び込みます。
はしゃいでいる子どもが靴を脱いだとき、きちんと自分の靴をそろえて、帰り際に履きやすいように向きを整えたのです。
さらに、ほかの人の靴までそろえました。
その光景を目にして「素晴らしい」と思ったものです。
普段は騒いでいる子どもたちが、一瞬にして「育ちのいい子ども」という印象に変わってしまいました。
靴は誰もが見落としがちなところですが、そんなちょっとしたところにマナーがあると、育ちのよさを感じます。
「実はしっかりしているんだな」と好印象が強く残ります。
自分が脱いだ靴を、お店の人に任せていませんか。
「お店の人がしてくれるから大丈夫」と人任せにしていませんか。
自分のことを自分で行うことは、基本中の基本です。
お客という立場になると、つい偉そうになります。
しかし、お客でいながらもマナーをしっかり守っていると、お店の人への印象もよくなります。
マナーのきちんとしている人に、お店の人は優しくなり、サービスもよくなります。
自分で自分の靴をそろえることには、大きな意味があるのです。
諦めない人は、たとえ失敗しても、賢い人に映ります。
頭が悪くても「じゃあ、次はこうしよう」という考え方ができる人に、本当の強さを感じます。
粘り強さには、知力や学力を超越した「人間的な強さ」が感じられるのです。
本当に強い人間とは、鉄の棒のように、硬いものではありません。
鉄の棒はたしかに硬く、なかなか折れることはありませんが、絶対に折れないわけではありません。
一定の強度を超えると、あっけなく折れます。
一度折れてしまった棒が復活するのは、時間がかかり、面倒です。
場合によっては、元に戻らないケースすらあります。
本当に強い人間とは、粘土のような人間です。
柔らかく、無形でありながら、たとえちぎれても、またつなぎ合わさり1つになります。
衝撃に強く、ダメージを吸収し、粘土が「折れる」ということはありません。
諦めない人間になるとは、粘土のような人間になることをいいます。
粘土のような、柔らかい心を持つことです。
人当たりが優しく、強い言葉を言われても気にせず、相手のことを考えた配慮ができる器の大きさです。
「硬い」ということが、強いことだと思っていませんか。
それは、次元の低いところだけを見た強さです。
本当の強さとは「柔らかさ」であり「柔軟性」です。
次元の高いレベルになると、本当の強さは「硬さ」ではなく「柔らかさ」になります。
どんな衝撃も吸収し、折れることがなく、何度でも復活する心に、本当の強さがあります。
鉄の棒のように、硬く強力になる必要はありません。
あなたの意識を変えましょう。
世間一般では「強さ=硬さ」という考えが浸透しています。
今まで「強さ=硬さ」と思っていた先入観を「強さ=柔らかさ」というふうに意識を変えましょう。
この意識に変えたとき、人は一瞬で変わります。
意識改革です。
できなくてもすぐ諦めず、ほかの手段を考えることができる人に変われます。
意識の問題です。
肉体・知力・学力の問題ではありません。
心の話なのです。
曲がっても折れてもいいから、何度でも復活できる人に本当の強さを感じるのです。
髪型、服装、色、型。
デザインを大きく分けると、派手と地味にわかれます。
「賢そうに見られるにはどちらを選べばいいのだろう」と迷ったときには、地味を選ぶことをおすすめします。
派手さには、遊び心があり、軽い印象があります。
落ち着きがなく、とげがあります。
一方で地味さは、真面目で冷静に映ります。
安定を意味し、落ち着いた雰囲気があります。
ニュースキャスターの服装、髪型、ネクタイは、どれも地味です。
一見、当たり前の服装です。
特に目立たず、気取っているわけでもなく、とりわけ印象に強くは残りません。
だからこそ、誠実さが感じられ、ニュースの内容そのものに集中できるようになります。
ニュースキャスターの服装、髪型などの色が派手なら、それらにばかり気が向いてしまいニュースに集中できなくなるでしょう。
「ニュースに集中できない」というクレームがテレビ局に殺到します。
頭がよさそうに思われる服装とは、地味な格好です。
「知的さを演出したい」ときには、派手にするのではなく、地味なオーソドックスで表現したほうが、頭がよさそうに映るのです。
当たり前は、安心であり、知的でもあるのです。
私がニューヨークへ旅行に行ったとき、ウォール街というビジネス街を観光したことがありました。
世界でも有数のビジネス街です。
そこを歩くビジネスマンは、みな頭がよさそうに見えました。
落ち着きのあるスーツに、カバンを持って歩いている姿は、いかにも「仕事のできる人」という感じがします。
だからとはいえすべての人が、そのように頭よさそうに映ったわけではありませんでした。
一方で「この人、大丈夫かな」と心配になるビジネスマンも、ときおり見かけました。
この両者には、スーツを着て、カバンを片手に歩いている姿に大きな差はありません。
しかし、外見だけから、なぜこうも大きく印象が変わってしまったのでしょうか。
ポイントは「歩く速さ」です。
先ほどの頭がよさそうに映ったビジネスマンは、早足で歩いていました。
向かうところが明確であり、集中していることがうかがえます。
それに対して後者のビジネスマンは、ゆっくり歩き、道に迷っているかのような歩き方でした。
きょろきょろしながら落ち着きがなく、ゆっくり歩いているため、頼りなく映ったのです。
2人の違いは、歩く速さの違いだけです。
しかし「歩く速さ」だけで、印象が変わるのです。
ゆっくり歩く姿と早足で歩く姿とでは、受ける印象が異なります。
早足で歩くほうが、賢く、頭よさそうに映ります。
自分のやるべき仕事に向かって急いで歩いている姿に映り、強さを感じるのです。
テーブルマナーを身につけている人は、不思議なことに、知的に映ります。
テーブルマナーはあってもなくても、生きていけます。
どちらも「食べる」という行為に変わりはありません。
しかし、テーブルマナーをしっかり身につけている人といない人とでは、知的な印象が大きく変わります。
テーブルマナーを身につけることはなかなか大変なことです。
だからこそ身についている人には、それを学ぶだけの余裕があるのだなと感じ、かっこよく映るのです。
知的に、優雅に、美しく映ります。
どんなに頭が悪い人でも、テーブルマナーをしっかり身につけている人は、知的に映ってしまうという現実があります。
マナーのよさは、知的さを演出するために大切なことです。
一方、どんなに頭の良い人でも、マナーのない人は頭が悪そうに映ります。
学歴があっても仕事ができる先輩でも、マナーが悪ければ、それですべてが台無しです。
私は以前、ご飯粒を残している先輩を見て、幻滅をしたことがあります。
ご飯はほとんど食べ終わっているのに、小さなご飯粒だけが残っている下品な状態です。
農家で育った私としては、ご飯の1粒までお箸で食べることは常識です。
つくってくれた人へのマナーでもあります。
どうしても食べきれなくて残してしまうというなら、まだわかります。
しかし、ほとんど食べていながら、ご飯粒だけがまだらに残っている状態は、卑俗に映るのです。
ご飯の1粒まできれいに食べることは、基本的なテーブルマナーの1つなのです。
知的さをアピールするためには、何か1つでかまいませんから、得意分野をつくることです。
得意分野でアピールすることです。
何でもできる必要はありません。
何でもできる人はいません。
自分が持つ得意分野1つだけで、周りの人からの評価を上げることができます。
「能あるタカは爪を隠す」といいます。
しかし、社会では、能力は堂々と出していかなければならないのです。
面接を受けるとき「あなたは何ができますか」と聞かれます。
英語の資格を持っているけれど「特に何もできません」と隠したところで、何も評価されず落とされるのは言うまでもありません。
自分のできることや得意なことを上手にアピールしてこそ、相手にあなたのことが伝わり、賢く見られるようになります。
評価をしてくれるようになります。
あなたの持つ得意分野は、包み隠さず堂々と話をしたほうがいい。
持っている資格でも、得意技でもかまいません。
得意分野は、あなたを助けてくれるのです。
私が仕事上で、部下に仕事を頼むとき、すでに部下が行動に移していることがあります。
手順書の確認をお願いしようと話しかけると「今、確認しているところです」と言います。
驚いたのは私のほうです。
お願いをする前に、私の考えていることを先取りして、行動しているのです。
言われる前に行動をしてもらえると、賢い人だなと思います。
仕事の質が少々劣っていても、スタートが速いと時間に余裕ができ、入念に取り組めます。
結果として、言われる前に行動できる人は、スタートが速いだけに伸びも早く、仕事の質も高くなるのです。
つい私は、行動力のある人を優先して評価してしまいます。
相手の気持ちがわかる人は、目には見えない学力であり、賢さなのです。
言われる前に行動することは、ゲームとして考えましょう。
相手の驚いた表情を見るために、求めていること、必要としていることを考え、先取りし、言われる前に行動するのです。
するとゲームのように面白く、評価もされるようになります。
メガネには、不思議な力があります。
かけるだけで、知的な外見になってしまうことです。
実際に、中身は何も変わらなくても、ただメガネをかけてしまうというだけで知的な印象になってしまうのは驚きです。
人間がいつも人を見るときには、目を見ます。
目に飾りがあったり、力が入っていたりすると、頭もよさそうに映ってしまうのです。
最近では、ちょっと知的なタレントを演出するために、だてメガネをかけるタレントも増えているようです。
私は以前、近視のためメガネをかけていました。
以前は、両目0.1くらいの視力でした。
いつも見える景色には、モザイクがかかっているような状態です。
24歳のときに、レーシックという近視手術を受ける機会に恵まれ、今では視力はよくなり、もうメガネをかける必要はありません。
両目1.5くらいになってしまいました。
視力が悪いころは、メガネをかけるのがいつも面倒だと思っていました。
しかし、視力が良くなり、メガネをかける必要がなくなってしまうと、不思議と今までかけていたメガネが恋しくなってきたのです。
しわは、老いの象徴です。
人間が年を取っていくと、顔にしわができ、体もたるみます。
脳のしわは別として、外見のしわは衰えを感じさせます。
そんな老いと関係しているしわのため、人の身なり格好にもしわがあると、老けて映ります。
くしゃくしゃのシャツ。
しわのあるズボン。
よれよれのスーツ。
こうしたしわの多い服を着ていると、だらしなく見えます。
当然、知的さを演出できるはずがありません。
頭のよさそうな身なりとは、しわのない格好をすることです。
クリーニングから戻ってきたばかりのしわのないスーツやシャツを着ると、それだけで知的に見えてきます。
外見だけでなく、気分もしゃきっと引き締まります。
私はいつも仕事で身につけたシャツは、クリーニングに出しています。
クリーニングは洗濯の専門だけでなく、しわを伸ばす専門でもあります。
クリーニングから戻ってきたシャツは、しわがなくぴんとしています。
そんなシャツを身につけた瞬間、心のしわまでぴんと伸びた気持ちになるのです。
気持ちが変わると、元気が出ます。
仕事も生き生きし、笑顔も増えます。
クリーニングはお金がかかります。
しかし、それで、引き締まった気持ちが得られるなら安いものです。
シャツのしわは、たわいないことですが、気持ちにまで大きく影響するのです。
しわのない服装をして、心もぴんと伸ばしましょう。
能力は、意識があって身につきます。
技術や技能といった能力は、勉強や練習をすれば、比較的誰にでも身につけることができます。
マナーも勉強も仕事の仕方も、技能であり技術であり能力です。
やれば、誰でもできること。
しかし、実際には、できる人とできない人との差には大きな隔たりがあります。
なぜ、これほど差があいているのでしょうか。
それは、意識の差なのです。
能力を身につけられる人は、大変に意識が高い。
向上心を持ち、諦めない強さを持ち、粘り強いということです。
どうしてもこれだけは譲れないという夢を持ち、目標を持っています。
自分の人生に、心から一生懸命になっています。
資格を持っている人は、頭が良いのではなく「勉強するぞ!」という意識が高いのです。
意識が高いから、毎日早起きして、勉強を継続できます。
ようやく資格取得に至る結果に結びつくのです。
頭の善しあしではありません。
意識の高さの問題なのです。
意識の低い人は、資格取得者を「頭がいいから」「たまたま受かっただけ」という一言で片付けてしまいます。
意識が低いから、こんな程度くらいにしか感じることができません。
意識が低いと行動力が乏しくなるばかりか、不満や悪口ばかりを口にしてしまうようになります。
往々にして、人間は能力がないことそのものに焦点を合わせて考えがちです。
しかし、能力が欠如している根本的な問題は、意識の問題から来ていることに気づくことです。
東大生は頭が良いのではなく「必ず合格するぞ! 絶対に勝つぞ!」という意識が高いからです。
意識が高いから、効率の良い勉強法を編み出し、学問を継続して、競争にも負けません。
間違えても「なぜ間違えたのか」と素直に改めようとします。
底から這い上がろうという根気が、人一倍強い。
できなくても、勉強量で突破します。
念願の合格を果たしているのです。
頭の善しあしの問題ではなく、意識の高低の違いなのです。
能力とは、意識が先にあって初めて身につけようとしますし、身につくことです。
能力の向上より、意識の向上のほうが、はるかに重要なのです。
この違いを、学校では教えてくれません。
私は人と相談するとき「能力の向上」より「意識の向上」に焦点を合わせて話をするようにしています。
「できません、やれません」という問題のほとんどが、低い意識が原因になっています。
その人の意識が向上すれば、自動的に解決することがほとんどです。
「できません、やれません」という理由は、意識が低いからやる気が起きず、行動できないでいるだけです。
「まあ、いいか」と、どこか心の中で妥協して、すぐ諦めています。
意識が低ければ、能力も身につけられないのです。
私のところに相談に来る人のほとんどは、能力で悩んでいます。
できない、わからないという技術、技能、能力の問題です。
あなたの問題も、もしかしたら能力の問題ではなく、意識の問題ではないでしょうか。
「意識が低いから能力が身につけられない」というパターンがほとんどです。
能力の向上より、意識の向上のほうが大切なのです。
能力を磨く前に、意識を磨いてください。
意識を磨けば、能力も自動的に磨きがかかるのです。
私の職場には「ダメだ」が口癖の面白い人がいます。
いつも「ダメ」という返事しかしない社員です。
「これどうですか」
「ダメだ」
「1ついただいてもよろしいですか」
「ダメだ」
「いかがですか」
「ダメだ」
何でもかんでも、ダメだと言います。
否定言葉を連発する人は、自分は偉い人だと思っています。
「それくらいで満足する自分ではない。自分はもっとレベルが高いのだ」
心のどこかで横柄になっているため「ダメだ」という否定言葉しか出てきません。
否定することでしか、自分の地位を表現できないのです。
許可を与えない人や許してくれない人は、余裕のない姿に映ります。
「理解できない。人の気持ちのわからない人」は、だんだん人から嫌われ、遠ざけられます。
何度も「ダメ」を繰り返していると、理解のない人と思われるのです。
ダメと言ってかっこつけるくらいなら「いいよ」と言って許可をすることです。
いいよと言ってくれる人には、余裕があり、優しさがあると感じます。
人の気持ちを理解でき、余裕があるから「いいよ」と言う言葉が出るのです。
「いいよ」と言ってくれる人はモテます。
何でも包み込んでくれる包容力があり、理解力があり、器の大きい人に映ります。
権力で偉さを表現するくらいなら、理解をして相手を包容できる人になるほうが、モテる人になれるのです。
かっこいいことなら、誰でもやりたがります。
しかし、恥ずかしいことは、誰もがやりたがりません。
誰もが「恥をかきたくない」「ばかと思われたくない」という意識があるからです。
恥ずかしいことを進んでやろうとする姿は、普通は考えられない光景です。
誰もが嫌がることをやる姿は「おや?」と思います。
注目を浴びるのは、当然です。
しかし、恥をかくことがわかっていながら、挑戦する姿は、不思議とかっこよく映るのです。
誰もが近づきたくないことに、進んで近づく人は、正体のわからない「余裕」を感じるからです。
「恥ずかしいことをするくらいだから、実は心に余裕のある人なんだろうな」と思ってしまうからです。
かっこいいことをやっている人より、さらにかっこよく映ります。
笑われて恥をかくことを知っていながら、それを承知で挑戦する人には、強烈な強さと余裕を感じてしまうのです。
恥ずかしいことを自分から進んでやるというのは、頭ではわかっていますが、なかなか行動にできないものです。
「笑われてもいい」という心の余裕があって、初めて進んで恥ずかしいことにトライできるようになります。
恥ずかしいことを進んで挑戦する姿は、かっこいい姿なのです。
時間もお金もかからない、頭がよさそうに見えるお手軽な方法があります。
「腕を組む」という姿勢です。
腕を組んでいるだけで、不思議なことに頭がよさそうに見えます。
かっこよく、賢く見えてきます。
何か難しいことを考えている姿として、知的に映るからです。
写真を撮るときに腕を組んでいるモデルは、美的だけでなく、知的にも映ります。
ビジネス系の雑誌では、必ずといっていいほど、腕を組んだ経営者が登場します。
彼らは腕を組むことが知的を演出する手段であることを知っているのです。
自分を賢く見せる方法を知っているということです。
私が仕事上で出会った尊敬できる上司がいました。
私より10歳近く年が上であり、スリムな体型のリーダーでした。
彼からの説明はいつもわかりやすいものでしたが、時には難しい内容も出てきます。
ネットワークの話や関連性の話など、具体的に想像しにくい内容です。
理解できなくて困っている私に、いつもあることをして説明してくれます。
紙いっぱいに絵を描いて、説明してくれるのです。
具体的に想像できるように、紙に絵を描いて、説明しながらまたさらに絵を加えます。
描いた紙を「まだ理解できていない人のために、コピーをしてもいいよ」と一言も添えてくれます。
絵に簡単な説明文やコメントなどを加えてくれ、あとから見直しても思い出せるような配慮もしてくれるのです。
私は今まで、このわかりやすい説明に何度助けられたかわかりません。
「何て素晴らしい人なんだ」と感動したものです。
絵を描いて説明してもらえると、具体的に想像できるようになり、理解が促進されます。
またコピーをすれば、複数人に配ることもできます。
一度の説明で、わかりやすく、何度でも見直せる、素晴らしいアイデアです。
私を感動させたのは、さらにもう1つあります。
普通は、紙に描くのは面倒だと思うものです。
面倒だから、言葉だけで簡単に説明してしまいがちです。
誰でもわざわざ紙に描いて説明するほうが、手間も増えて、面倒と感じることでしょう。
しかし、私が感動したのは、彼の賢さだけでなく、丁寧に絵を描いて説明してくれた彼の優しさです。
わかりやすい説明とともに、面倒なことをしてまで説明してくれる姿に、優しさも一緒に伝わってきます。
こちらも「なんとか理解したい」という意気込みが強くなるのです。
「っていうかー」
「まじでー」
「そうなんだー」
語尾を伸ばして話す癖の人をときどき見かけます。
話し方に張りがなく、疲れているときややる気がないときに出てしまいがちな特徴です。
こうした言葉を聞いただけで、だらだらしながら話している光景が目に浮かびますね。
聞いてのとおり、語尾を伸ばすと、頭が悪そうに聞こえます。
実際には、教養のある人が話しているのかもしれません。
しかし、話し方1つでどんなに素晴らしいことを口にしていても、相手に与える印象が悪くなります。
語尾を伸ばすだけで「疲れている」「やる気がない」「だらだらしている」というネガティブな印象ばかりが目立ちます。
あなたはどうでしょうか。
語尾を伸ばす癖、ありませんか。
つい、頭が良いといえば、勉強や教養ばかりに気が向いてしまいますが、話し方も重要なポイントなのです。
どんなに頭の良い人でも、それを保有しているだけでは意味がありません。
頭の良い人は、自分の今まで蓄えてきた知識や知恵を発揮できる人です。
表現できる人であり、伝えることができる人です。
たくさんの本を読んでも、それを役立てていなければ、読んでいないも同然です。
せっかく苦労してとった資格も、役立てなければ、宝の持ち腐れです。
今まで積んできた経験も、生かさなければ、意味がありません。
人の賢さ、頭のよさは「保有」しているときではなく「発揮」しているときに、輝くのです。
発揮したときに、初めて他人に伝わり「賢い、頭がいい」と思われるようになるのです。
そのために、必ずしもたくさんの知識を身につけなければならないと言うわけではない。
たくさん身につける力より、たくさん発揮できる力をつけなければ、将来いくら頑張っても評価されない人間になります。
苦労だけして、報われない人ということです。
出力できる人間にならなければ、あなたの賢さや頭のよさも伝わるわけがないのです。
伝記に登場する偉人たちは、みな発揮をした人ばかりです。
新しい発明や人助けや開発など、自分の持てる知恵と体力をすべて発揮して、世界的に大きな影響を与えたから偉人になれたのです。
偉人とは大げさですが、世の中の活動はすべて発揮してこそ、成就するものばかりです。
ミュージシャン、画家、作家、サラリーマン、経営者、弁護士、漁師、クリエイターなど「仕事をする=発揮する」ということです。
発揮する力が強い人ほど、仕事ができる人になれます。
知っているだけでは、意味がないのです。
何も生産されないからです。
学生時代に身につけることは、社会に出てから発揮できる力を身につけるということです。
学力であり、知恵であり、ノウハウです。
そうしたことを発揮して、初めて評価され、素晴らしいと言ってもらえるようになります。
私がいくらたくさんのコツを知っていても、それを発揮しなければ、意味がありません。
作品を発表する「発揮」をしてこそ「水口貴博はこんなことができる、こういうことを知っている」ことが人に伝わります。
評価されたり、感謝されたりするのです。
発揮してこそです。
勉強するのはいいのですが、保有しているだけではいけない。
人のために活用し、自分のために役立て、発揮するという「保有と発揮」がセットになり、初めて活動の生産性が生まれるのです。