そびえ立つ、大きなピラミッド。
そんなピラミッドを近くで見ると、実はたくさんの石の集まりからできていることがわかります。
角ばった石がたくさん集まり、大きなピラミッドが出来上がっています。
私は日本のことわざが大好きですが、特に気に入っている言葉があります。
ぜひ、紹介をさせてください。
『握れば拳。開けば手のひら。』
私が小学生のころの話です。
ある日、学校でいざこざがあり、いらいらして家に帰ったことがありました。
「憎い。悔しい。恨んでやる」
腹を立てていると、自分がいちばん疲れます。
腹を立てることは、意外に体力を消耗します。
精神的なエネルギーを消耗してしまうため、本当に大切な日常行為に、体力を使う余裕がなくなります。
私は小さいころ、ささいな嘘をつくたびに母からよくこんな言葉を言われました。
「貴博、嘘つきは泥棒の始まりだよ」
あなたも一度は聞いたことがある、有名な言葉ですね。
贈り物を贈る習慣は、人生を豊かにする習慣です。
なぜ人生が豊かになるかというと、物を贈るからではありません。
気持ちを送る習慣だからです。
良い成績の人は、良い大学に入学できます。
良い大学を卒業した人は、一流企業に入れます。
一流企業に入社すれば、安定した収入と生活が保障されます。
結果をすぐ求めようとする人は、成長ができない人です。
行動をたくさんして、早く成長するというなら、わかります。
汗を流して、たくさん行動をして、短時間で成長ができるというのは正当です。
間に合わせの手段でその場しのぎをしていると、本人の身になかなかつきません。
一時的な手段は、体に染み付いている成長ではありません。
その場しのぎは、やはりその場しのぎでしかなく、成長していることにはなっていません。
私は「忙しい」という人で、本当に忙しい人に出会ったことがありません。
本当に忙しい人は「忙しい」という返事すら返ってこないはずだからです。
「忙しいですか」と尋ねて、返事すら返ってこないとき「本当に忙しいんだな」と思います。
「ごめんなさい」
謝る言葉を述べた瞬間は、常にあなたが成長できるチャンスです。
相手に迷惑をかけてしまったから「ごめんなさい」と言いますよね。
親しい友人とは、楽しい会話がすぐできます。
顔見知りの人なら、話しかけやすく、話を広げやすいものです。
それはいいのですが、親しい友人としか楽しい会話ができなければ、少し問題です。
私は以前、デパートで友人かと思って話しかけたら、人違いだったことがありました。
後ろ姿がそっくりだったので、てっきり友人かと思っていました。
話しかけて振り返ると、まったく違う人。
私は早起きする人で、だらだらした人を見かけたことがありません。
早起きできる人は、間違いなくしっかりした人です。
しっかりしているから、早起きができるのです。
ヒマワリは、朝と夕では、顔を向ける方向を変えることをご存じですか。
朝には太陽の昇る東に顔を向け、夕方には太陽の沈む西に顔を向けます。
なぜ顔を向ける方向を変えるのかといえば、成長のためです。
完璧とは、100%のことをいいます。
生活でも、人間関係でも、成績でも、100%を求める癖を持つ人がいます。
もちろん100%に近いほうが理想的です。
その昔、私は完璧主義の人間でした。
完全を求める癖があり「完全」「完璧」「100%」を求める傾向がありました。
「テキトウにやってしまおう」という口癖とは無縁でした。
価値観が変わる話を、1つ、ご紹介します。
この事実を、ご存じでしょうか。
「人のために頑張る」という偽りについてです。
「いでよ、神龍。オラの願いを叶えたまえ!」
鳥山明さんの有名な漫画『ドラゴンボール』で登場する有名な言葉です。
ドラゴンボールを7個集めれば神龍が現れ、どんな願いも叶えてくれるというストーリーです。
ミカンが、甘くおいしいと感じる正体は、果汁があるからこそです。
ミカンの本質とは、果汁です。
いちばん大切な果汁は、普段、外に出てくることはありません。
私たちは、ときおり、過去を振り返ることがあります。
さまざまな過去を振り返りますが、なかにはつらい悲しい過去があります。
苦しい過去、思い出したくもないほどの過去があります。
「どうすればいいのか」
「どっちがいいのか」
「どれがいいのか」
新陳代謝とは、古くなった肌の角質を捨てるサイクルのことをいいます。
人間の肌が美しいのは、新陳代謝という捨てるサイクルがあるおかげです。
どんどんと古くなった肌の角質を捨てるから、新しい肌が生成されやすくなります。
私は、お化粧の濃い女性より、スッピンの女性のほうが好きです。
もちろん化粧がいけないと言っているわけではありません。
本当の顔が見える意味で、嘘のない顔は大好きです。
私がウルトラマンのお面をかぶって話をしていると、あなたは私のことをウルトラマンと思うでしょう。
「なんとなくウルトラマンとは違うな」と、気づいていても、ウルトラマンの顔をしているので、そう接するしかありません。
お面をかぶっていると、本当の顔が隠れてしまい、誤解を招いてしまいます。
ためらうという気持ちは、わからないときや自信がないときに出てきます。
勉強不足で正しい判断がつかなかったり、練習不足で大会に出場すべきか、ためらったりします。
ためらいの原因は「不足」が大本になっています。
本当の勉強とは、知識を蓄えることではありません。
知恵を身につけることでもありません。
技術を身につけることでも、お金を集めることでもありません。
人間は心でできていますから、心のやりとりは大切です。
相手からの誘いに対して、断らなければならないときがあります。
すでに約束があったり、時間がなかったりと、断る理由はさまざまです。
車の運転で、前を進もうとするとき、まず後ろの車は大丈夫か確認します。
追い越そうとしていないかと確認ができて、初めて安全に前進できます。
前を進むためには、後ろの確認も同時に必要です。
川の上流では、かどのある石が多いのですが、海に近づく下流になるほど、丸い石が多くなります。
下流で流れる川には、丸い石ころばかりです。
下流へと流れている途中でたくさんの石同士がぶつかり、そのたびに少しずつかどが取れていくからです。
そびえ立つ、大きなピラミッド。
そんなピラミッドを近くで見ると、実はたくさんの石の集まりからできていることがわかります。
角ばった石がたくさん集まり、大きなピラミッドが出来上がっています。
大きな三角の石を1つ置いて、ピラミッドをいきなりつくり上げることは、人の力では不可能です。
一つひとつの石を積み重ねて、結果として大きなピラミッドをつくり上げていく方法なら、可能です。
長い時間はかかりますが、確実に大きなピラミッドをつくっていけます。
人生も、いわば、1つの大きなピラミッドです。
一見すると1つの人生も、近くで見てみると、たくさんの1日の集まりから構成されていることに気づきます。
その1日もさらに細かく見ていけば、たくさんの行動から成り立っていることがわかります。
たくさんの行動の寄せ集めが1日であり、たくさんの1日の寄せ集めが人生です。
素晴らしい人生を、一瞬でつくる方法はありません。
人の力では、不可能です。
しかし、素晴らしい行動を一つひとつ積み重ねることで、素晴らしい1日をつくることはできます。
素晴らしい1日を積み重ねることで、素晴らしい人生をつくり上げることは、可能です。
人生の最も小さな単位は「行動」です。
「素晴らしい人生」と聞くと「大げさなこと」と思いますね。
「いきなりつくりましょう」と言っているのではありません。
「小さく積み上げてつくりましょう」と言いたいのです。
素晴らしい行動を、小さくでいいから一つひとつ積み重ね、素晴らしい1日をつくり、素晴らしい人生もつくりましょう。
あなたが「よし。素晴らしい人生にするぞ」と意志を持って行動することは、ピラミッドで石を積み上げることにあたります。
小さな行動を一つひとつ積み上げて、素晴らしく大きなピラミッドをつくりましょう。
小さなアクションを積み重ねて、素晴らしい人生をつくることなら、誰でもできるのです。
私は日本のことわざが大好きですが、特に気に入っている言葉があります。
ぜひ、紹介をさせてください。
『握れば拳。開けば手のひら。』
拳も、手のひらも、手であることには変わりありません。
手そのものは問題ではなく、使い方によって、その役割はまったく変わってしまうことです。
私はこの言葉の意味を振り返るたびに、使い方の重要性をあらためて噛み締めます。
人の手は、年齢や国籍に関係なく、5本指です。
もちろん子どもの手は小さく、大人の手は大きく、黒人の手は黒く、白人の手は白いといった違いはあります。
しかし、大きさや色は、関係ありません。
手のひらをどう活用するかが、最も大切なことなのです。
手のひらを握り締め、拳をつくってください。
手はけんかをするための武器になります。
人を傷つけ、泣かせ、悲しませるための武器です。
次に手をぱっと開いてみましょう。
人と仲良く握手をするための手のひらへと変わります。
握手は人と人とを結びつけ、新しい出会いをつくります。
もはや、手の大小や色の違いは、まったく関係ありません。
手のひらをどう活用するかが、ポイントなのです。
自分の素質に悩んでいても、大した問題ではありません。
頭が悪い。
かわいくない。
身長が低い。
肌が黒い。
そうした悩みは、外見しか捉えていないということです。
単なる見た目ではなく、どう活用するかを考えましょう。
頭が悪いなら、人一倍たくさん勉強をするという根気をつければいいのです。
かわいくないから、外見や体ばかりを求めた男性を追い払えます。
身長が低ければ「小さくてかわいい」という見方ができます。
肌が黒くても、だからとはいえ人生に大きな支障が出るわけではありません。
『握れば拳。開けば手のひら』です。
手のひらが問題ではありません。
手のひらをどうするかが問題です。
「あなたをどう生かすか」が、重要なのです。
私が小学生のころの話です。
ある日、学校でいざこざがあり、いらいらして家に帰ったことがありました。
「憎い。悔しい。恨んでやる」
感情を抑えきれず、乱暴な言葉を吐いていました。
そんな私を見ていた祖父が、ある言葉を言いました。
「人を恨めばね、いずれは自分に跳ね返ってくるぞ」
いらいらしていた私には、当時、この言葉の本当の意味が理解できませんでした。
「なぜ自分に跳ね返ってくるのだろうか」
不思議に思い、そのときは軽く流してしまっていました。
言葉の意味を理解するようになったのは、それから数年後、祖父が亡くなった後のことです。
あいかわらず人を恨んでいた自分は、あるとき、ふとしたことで気づきます。
人を恨んでいる心の声は、自分しか聞こえていないのです。
あなたにも、こんな経験ありませんか。
むかつくことがあると、つい、何度も繰り返し心の中で叫びますよね。
「あの人、むかつく。悔しい」
口には出して言いませんが、心の中で、そう思います。
魔法の言葉のように、何度も口にしますね。
そうすると、いちばん疲れるのは誰でもない、自分なのです。
心で思っていることですから、相手の耳に直接聞こえるわけではありません。
聞こえているのは、自分だけです。
「ばか」「死ね」という恨みを感じているのは、実は自分しかいないのです。
人を恨めば恨むほど、自分に跳ね返ってくるとは、このことです。
相手への憎しみは、自分にしか聞こえてこないのです。
損をするのは、自分ばかり。
疲れるのも、自分ばかり。
「なんだ、人を恨んでも、自分に跳ね返っているではないか」
人を恨めば、自分に跳ね返ってくることが、理解できたのでした。
この事実に気づいた私は、以後、もう疲れるから人を憎んだり恨んだりするのはやめようと思いました。
意味がないし、疲れるし、時間も無駄だからです。
何の得にもなりません。
それどころか、自分が余計に損をするばかりだからです。
祖父からの何気ない一言は、大切な人生の教えであったと気づくまでに、長い時間がかかったのでした。
腹を立てていると、自分がいちばん疲れます。
腹を立てることは、意外に体力を消耗します。
精神的なエネルギーを消耗してしまうため、本当に大切な日常行為に、体力を使う余裕がなくなります。
どうせエネルギーを使うなら、もっと意味のあることに使うことです。
腹を立てる力を、義理を立てる力に使えばいいのです。
人のことを大切にしたり、手紙を書いたり、話しかけたり、誕生日プレゼントをしたりです。
腹を立てることは、自分が疲れることです。
義理を立てることは、相手を喜ばせることです。
腹を立てて、何も残らないことに体力を使うくらいなら、義理に体力を使うほうが、人生の豊かさにつながります。
時間やお金の無駄遣いを優先して考えがちの現代人ですが、体力の無駄遣いにも気をつけましょう。
腹は立てないで、義理を立てるのです。
私は小さいころ、ささいな嘘をつくたびに母からよくこんな言葉を言われました。
「貴博、嘘つきは泥棒の始まりだよ」
あなたも一度は聞いたことがある、有名な言葉ですね。
「嘘をついていると、自分を偽ることが普通になり、泥棒になっても罪悪感を抱かなくなる」という教えです。
「嘘をつくことは、まさに泥棒への第一歩を踏み出している。だから嘘をつくのはやめましょう」ということです。
私が受けた教えは、こうした格言だけではありません。
いちばん感心したのは、母が上手に会話の中に格言をちりばめるという、その配慮です。
母は、昔から日本のことわざを日常会話にうまくちりばめ、幼い私にもわかりやすく説明する達人でした。
ことわざは、先人からの教えの凝縮です。
一言で、わかりやすい言葉だからこそ、幼い子どもにもすぐ理解できます。
いつも言っているため、母の言葉なのか、ことわざなのか、わからないときもあるくらい自然に会話の中に取り入れていました。
ことわざを会話の中に取り入れると、言葉に説得力が出てきます。
会話にリズムがついて、活性化されます。
母からよくことわざを使った会話をされてきたため、子である私にも癖になってしまいました。
HAPPY LIFESTYLEでは数多くの言葉が登場します。
格言を持ち出して会話を切りだす話し方は、親譲りなのです。
贈り物を贈る習慣は、人生を豊かにする習慣です。
なぜ人生が豊かになるかというと、物を贈るからではありません。
気持ちを送る習慣だからです。
父の日、母の日、友人の誕生日など、1年のうちにプレゼントを贈る機会はたくさんありますね。
面倒という理由から、こうした行事を無視する人がいますが、それでは豊かになるチャンスを捨てているようなものです。
記念日は、あなたと相手がより深く仲良くなるチャンスになります。
父の日、母の日、友人の誕生日という機会を通して、日頃のあなたの気持ちを送るチャンスです。
物を贈ることが重要なのではなく、記念日を覚え、物を通して気持ちを贈るということが大切なのです。
良い成績の人は、良い大学に入学できます。
良い大学を卒業した人は、一流企業に入れます。
一流企業に入社すれば、安定した収入と生活が保障されます。
一見すると、頭がよければ、良い人生を歩めるように思えます。
ほとんどの人が、ここにある本当の真実に気づいていません。
なぜ会社は、成績の良い人ほど、必要としているのか。
成績の良い人ほど、努力の姿勢と実績が感じられるからです。
良い大学に入学できたのは、明確な目標を持ち、努力を継続できた実績です。
成績が良いことから、その人には目標に向かって自分をコントロールする能力があるとわかります。
頭の善しあしより、人としての姿勢のよさがわかります。
勉強ができる人は、勉強をする習慣も持っています。
勉強を継続できる習慣は、自分をコントロールできる自己管理力があるということです。
目標を持って立ち向かったり、スケジュールを整えたりなどです。
「頭の善しあし」ではなく「目標に向かって自己を系統立てる姿勢」が成績に表れている。
成績のよさは、自分をどれだけコントロールできたかを数値化させているにすぎません。
勉強といえば「学び」について目を向けてしまいがちです。
知識を詰め込むことが素晴らしいのではなく、目標に向かって諦めずに立ち向かう姿勢が最も大切です。
勉強は、知識の詰め込みではありません。
目標を持って、自分を正しくコントロールするための良い練習です。
結果をすぐ求めようとする人は、成長ができない人です。
行動をたくさんして、早く成長するというなら、わかります。
汗を流して、たくさん行動をして、短時間で成長ができるというのは正当です。
しかし、行動をろくにしないで、結果ばかりを早く求めようとする人は、往々にして失敗します。
本当の成長は、体に染み込ませるものであり、時間がかかるものだからです。
すぐ結果ばかり求めようとすると、体に染み込む前にやめてしまいます。
だから一時的に結果が出たように思えても、少し経てば、また元どおりになってしまうのです。
あなたが幼いころ、自転車に乗る練習をしたことを思い出しましょう。
自転車は、乗れるようになるまでに、時間がかかります。
少し進んでは自転車が倒れそうになり、足をついてしまい、また少し進んでは足をついてしまいます。
その苦労の繰り返しが、延々と続きます。
「このまま自分は一生乗れないのではないか」という不安が出始めます。
「自転車を1分で乗れるようになる方法はありませんか」と言われても、ありません。
結果をすぐ求めようとする人は、成長から逃げている人です。
諦めやすく、しのぎの手段で乗り切ろうとする人です。
本当に自転車が乗れるようになるためには、やはり時間をかけて練習するしかありません。
親に補助してもらい、いくばくか助けてもらうこともあります。
ですがやはり最終的には、自分が練習を繰り返し、汗を流して経験を積むことがいちばん自分の成長になります。
いずれ、乗り方が体に染み込んでしまえば、すいすいこげるようになります。
乗れなかったころの苦労はなんだったのかと思うはずです。
それでいて自転車に乗らない時期が少々長くても、忘れることはありません。
体が覚えているからです。
体で覚えたことは、忘れません。
自分が経験を積み、時間をかけて体に染み込ませることが、いちばんの自己成長につながるのです。
すぐ結果を求めてはいけないのです。
間に合わせの手段でその場しのぎをしていると、本人の身になかなかつきません。
一時的な手段は、体に染み付いている成長ではありません。
その場しのぎは、やはりその場しのぎでしかなく、成長していることにはなっていません。
語学の勉強をするときに、その場しのぎで乗り切ろうとする人は、本当の実力はいつまで経っても身につきません。
「明日は英語のテストだ。よし! 今日は徹夜だ」と言って、一夜漬けでなんとかしようとする人がいます。
一晩かけて集中して勉強をすれば、ささいなテストなら、乗り切れることがほとんどです。
しかし、本人が本当に英語を身につけることができたかというと、はなはだ疑問です。
テストが終われば、一瞬の花火のように、美しさがすぐ消えます。
一瞬できたように思えても、すぐ消えてなくなってしまうのです。
一夜漬けは、花火です。
素晴らしさは、一瞬しか見られません。
すぐ消えてなくなってしまうのです。
一夜漬けにより、その場しのぎで乗り切った人の成長は、大変乏しい。
本当の成長は、長期的なこつこつした努力が必要なのです。
時間がかかり、苦労も必要です。
回りくどくて、面倒。
しかし、一度身につければ、なかなか忘れないものです。
海外留学をしている日本人が、日本語を使わない環境に長くいても、日本語を忘れないことと同じです。
日本語は幼いころから苦労をして身につけた言葉ですから、体が覚え、なかなか忘れないのです。
アメリカ人が日本に留学をして、3カ月がたったから、英語を忘れましたということはありません。
アメリカ人にとっても、英語は幼いころから苦労をして身につけた言語ですから、体で覚えているのです。
勉強の王道は、大量の経験しかありません。
こつこつした継続的な学習です。
頭より、体が覚えるものなのです。
徹夜のような間に合わせの手段では、一時的には効果がありますが、すぐ忘れます。
それは、本当に勉強したとは言えないのです。
私は「忙しい」という人で、本当に忙しい人に出会ったことがありません。
本当に忙しい人は「忙しい」という返事すら返ってこないはずだからです。
「忙しいですか」と尋ねて、返事すら返ってこないとき「本当に忙しいんだな」と思います。
本当に忙しくて大変なときには、話しかけられてもそれに気づきません。
気づけない。
集中しているため、声が耳に入らず、また入ったとしても忙しすぎて返事ができる余裕はありません。
本当に忙しい人は「忙しい」とは言わないのです。
むしろ忙しい人は、余裕のある人です。
忙しいという返事ができるくらいに、時間に余裕があるのです。
忙しい人は、余裕はあるけれど、面倒なことから逃げている場合が多い。
友人の誕生日プレゼントを「忙しいから買う時間がない」と言い訳します。
本当に買う時間がないほど余裕がないのでしょうか。
忙しいという暇があれば、その時間に買ってしまえばいいのです。
その人は、ただ誕生日のやりとりが面倒だから、忙しいと言って、逃げているだけです。
「お誕生日おめでとう」の一言が言えないくらい、本当に忙しいのか振り返ってみる必要があります。
そんなに忙しい仕事なら、とっくに過労死しているはずです。
余裕のない人生は、もはや死んでいるも同然です。
人間関係を大切にできないほどの忙しさは、自分だけでなく、家族や友人、人生までを殺してしまいます。
そんな仕事はさっさとやめてしまったほうが、本人のためです。
「ごめんなさい」
謝る言葉を述べた瞬間は、常にあなたが成長できるチャンスです。
相手に迷惑をかけてしまったから「ごめんなさい」と言いますよね。
不注意かもしれませんし、すれ違いによるけんかや、迷惑をかけたことなど、さまざまなシチュエーションが考えられます。
いずれの場合にせよ、自分が悪いのです。
自分に欠けているところがあったために相手に迷惑をかけてしまったということです。
ごめんなさいと謝る瞬間は、自分の欠けている部分に気づくチャンスです。
欠けていた部分を振り返れば、あなたは成長できるチャンスに変えることができます。
相手に迷惑をかけたときには頭がいっぱいになり、自分の行いを振り返る余裕はないかもしれません。
では、せめて、一呼吸を置いてからもう一度自分の行いを振り返ってみましょう。
すぐは難しいでしょうから、少し時間を置いて冷静になってから、自分を振り返ってみましょう。
落ち着いてから考えると、自分の過ちを認めやすくなります。
親しい友人とは、楽しい会話がすぐできます。
顔見知りの人なら、話しかけやすく、話を広げやすいものです。
それはいいのですが、親しい友人としか楽しい会話ができなければ、少し問題です。
社会に出て仕事をしていると、初対面の人と楽しい会話をしなければならない場面がよくあるからです。
社会人として世の中を渡るために、親しい人だけでなく、初対面の人とも仲良くできるような姿勢をつくらなければなりません。
それが、本当の人間関係術です。
楽しい会話ができるというのは、すぐ相手と一体になれたということです。
初対面の人とも、すぐ仲良く会話ができることも、同じく、相手と一体になれたということです。
一体になるためには、入り込みやすいような「開かれた心」を持ち、相手を傷つけないように「心を丸く」しなければなりません。
「開かれた心」と「丸い心」を持てば、すべての人と仲良く接することができるようになるのです。
私は以前、デパートで友人かと思って話しかけたら、人違いだったことがありました。
後ろ姿がそっくりだったので、てっきり友人かと思っていました。
話しかけて振り返ると、まったく違う人。
「すみません。人違いでした」
間違いに赤面して、すぐ謝って、その場を立ち去ります。
しかし、不思議なご縁があり、またその人と違う場所でばったり会う機会に恵まれました。
人違いで話しかけたときに一度面識があるので、2度目はとても話しかけやすい。
「ちょっとした間違いから出会うこともあるのだな」と思ったものです。
またある日、知らない人から突然メールをいただいたこともあります。
どうやら、単なる間違いメールのようです。
メールアドレスが似ているために、間違って私にメールを送ってしまったようです。
その間違いメールがきっかけになって知り合い、メールのやりとりを始めるようになったこともありました。
出会いのきっかけは、いつどこにあるのかわかりません。
時には間違いがきっかけで出会うことになり、時には親しくなることもあるのです。
私は早起きする人で、だらだらした人を見かけたことがありません。
早起きできる人は、間違いなくしっかりした人です。
しっかりしているから、早起きができるのです。
しっかりしていなければ、早起きはできません。
早起きできるという実績は、すでにその人の自己コントロール力の証明になります。
朝早くに起きようと思うと、眠い中、目をこすり、起きなければなりません。
多少なりとも、自分にむちを打つ作業が必要です。
それだけでも、十分しっかりしています。
普通の人は、もっと長く寝ていたいと思い、早起きをしようとさえしません。
「早起き? 早く起きて何をするの? 眠いだけでしょう」と、白けた返事がとんできます。
夢のない人はやることがなく、やることがないから早起きもしようとしません。
朝をだらだらしている人は、心も生活も人生も、だらだらしている人です。
早起きをしている人は、確固たる目標があるから、眠い早朝に起きることができるのです。
受験に向けた勉強かもしれませんし、資格の勉強、読書の習慣、畑仕事、ジョギングかもしれません。
いずれにせよ、早起きをするからには「何かわけあり」です。
それも往々にして、前向きな成長に関係する素晴らしいわけがあります。
眠くてつらい朝を、早くに起きて何かをするのは、よほどの理由がなければしようと思いません。
私の知っている早起きの人は、みんな、素晴らしい人ばかりです。
目標を持っているから時間が欲しくなり、必然的に、静かで人も少ない朝早くに起きようと思うようになります。
夢も目標も生きがいもない人は「早起き? なんでそんなことをするの?」と笑うのです。
早起きをしたくなるくらい、熱い目標を持つことです。
人生は目標なしでも、だらだら生きることは可能ですが、そんな張りのない人生は面白くありません。
張りのない肌は衰えて見えるように、張りのない生活も衰えて見えます。
好きな本を読むことでもかまいませんし、健康のためにジョギングでもかまいません。
やりたいことがあると目標ができ、目標ができると早起きしたくなります。
早起きすれば、成長も早くなり、張りのある生活になります。
ヒマワリは、朝と夕では、顔を向ける方向を変えることをご存じですか。
朝には太陽の昇る東に顔を向け、夕方には太陽の沈む西に顔を向けます。
なぜ顔を向ける方向を変えるのかといえば、成長のためです。
ヒマワリには明るい日の光からエネルギーを受け取り、光合成をして成長します。
わざわざ日の照る方向へと顔を向けるから、それだけ早い成長ができているのです。
元気に明るく成長しているのです。
ヒマワリは、成長のために大変積極的です。
「私の生活、暗いんです」という悩みを持つ人がいます。
そういう人は、決まって暗い方向ばかりに顔を向けています。
暗い方向を見ても明るい光はありませんから、元気も出てきません。
ヒマワリのように、自分から明るい方向に顔を向けないと、いつまで経っても明るい光に当たることがありません。
明るい光に当たるから、元気が出て、エネルギーがみなぎってきます。
ヒマワリでさえ、積極的に顔を向けます。
人間ができないわけがありません。
私たちは、明るい人生の手本をヒマワリから学ぶ必要があるのです。
完璧とは、100%のことをいいます。
生活でも、人間関係でも、成績でも、100%を求める癖を持つ人がいます。
もちろん100%に近いほうが理想的です。
テストも90点より100点のほうが、評価されます。
しかし、100%を求めるというのは、大変な努力をしなければならないということです。
90%と100%は、たった10%の違いですが、単なる数字上の話です。
90%から100%に上げようと思えば、膨大な努力が必要です。
努力、根性、お金、体力、時間など、完璧を求め始めると切りがありません。
テストでは、普通に授業を聞いていれば、60点はすぐ取れます。
さらに、念入りに勉強をすれば、80点くらいはすぐ手が届きます。
しかし、80点から90点までスコアを上げようとすると、たった10点の違いですが、80点まで取る努力よりさらに必要です。
次に90点から95点まで引き上げようとすると、たった5点の違いですが、膨大な努力が必要です。
95点から100点まで努力をしていると、努力をしている間に人生が終わってしまいます。
そのくらい果てしないということです。
完璧主義は、身を滅ぼしてしまうのです。
完璧完全を、現実において実現させよとすると、地獄巡りが始まります。
100%という響きにつられ、追いかけていると、いつの間にか年を取って、死を目前にしてしまうのです。
その昔、私は完璧主義の人間でした。
完全を求める癖があり「完全」「完璧」「100%」を求める傾向がありました。
「テキトウにやってしまおう」という口癖とは無縁でした。
しかし、長く生きていると、完璧を求めていると寿命が縮んでしまうことに気づきます。
勉強、仕事、恋愛も、完璧を求めていると、いつも頭の中で考えていることになり、精神的に良くありません。
心が不安定になり、うつのような状態になります。
最近の私は「まあ、いいか」「なんとかなるか」「テキトウでいいよ」と、よく口にするようになりました。
年を取って、性格が丸くなりました。
なぜテキトウに考えるのかというと、いちばん「適当」だからです。
いらいらしたとき、むっとしたときには「頑張って100%を目指すぞ」と思うより「まあ、いいか」と相手を許すのです。
相手を許した瞬間から、心の重い荷物から解放されることになり、精神的に軽くなれます。
テキトウというと、どうもマイナスのイメージを持っている人が多いようです。
しかし、漢字で書くと「適当」となります。
「テキトウ」に考えることが、最も「適当」であるということです。
「テキトウにやりましょう」ということは「適当にやりましょう」ということです。
マラソンでは、無理なハイペースで走っていると、すぐ息切れしてしまいます。
すぐバテてしまい、初めはよくても、後で悪くなります。
マラソンでは、適当にマイペースで走ることが、最も長続きする走り方です。
最も好成績につながる姿勢になります。
テキトウに生きていくことが、いちばん適当なのです。
価値観が変わる話を、1つ、ご紹介します。
この事実を、ご存じでしょうか。
「人のために頑張る」という偽りについてです。
「人のために頑張ります」
「人さまのために、一生懸命です」
自分のことより、他人のことを優先して考える人は、優しく思いやりがあり、人間として素晴らしく感じます。
一般的にも「人さまのために」という言葉は、受けがいいものです。
あなたもこうした人は「素晴らしい人だな」と感じることでしょう。
反論できる人は、なかなかいません。
しかし、私はこれまで「人のために頑張ります」という人で、本当に輝いている人を見たことがありません。
人のために頑張っている人に限って、自分の生活は貧しかったり、家族や人間関係がうまくいっていなかったりします。
他人のことばかり考え、頑張りすぎて、自分の生活が傾いているのです。
遠くばかりを見ているから、石につまずくようなイメージです。
他人の幸せばかりを考えすぎて、自分の幸せはまったく考えていません。
自分のことを考える余裕はなくなり、生活は貧しくなります。
人のために頑張っても、自分の幸せにつながっていなければ、不幸の道を歩んでいるということです。
漢字では「人の為(ひとのため)」と書いて「偽(いつわり)」と書きます。
人のために頑張るというモチベーションは偽りであり、本当に心から人のために頑張っているわけではありません。
結局「頼りにされたい」「ありがとう」と言われたいという願望のために、人のために頑張っているのです。
頼りにされるのはいいのですが、本当に自分の幸せにもつながっているかというと、そうでもない。
「人の為」という大義名分によって、自分を偽っているのです。
灯台では、遠くを照らせば、足元が暗くなります。
人のために生きるほど、自分の生活は貧しくなってしまうのです。
「いでよ、神龍。オラの願いを叶えたまえ!」
鳥山明さんの有名な漫画『ドラゴンボール』で登場する有名な言葉です。
ドラゴンボールを7個集めれば神龍が現れ、どんな願いも叶えてくれるというストーリーです。
願いを何でも叶えてくれる存在が現れ「何でも願いを叶えてあげよう」と言われれば、あなたはどう答えますか。
「お金持ちになりたい」
「自分の家が欲しい」
「不老長寿になりたい」
「アイドルと結婚したい」
「世界を征服したい」
「何でも願いを叶えてあげよう」と言われれば、極端な願いになってしまうはずです。
人に勝手に願いを考えさせると、ほとんどの場合、私利私欲が中心になります。
人のことはまったく考えず、自分の欲望のために、願いを言い始めます。
それが人間です。
人間は、まずなにより自分のことを第一に考える癖があります。
自分がいちばんかわいいのです。
人間に夢を考えさせれば、たいていは自分のことしか考えていない私利私欲に走ってしまうのです。
「自分のために生きるのではダメなんだね? では、他人のために生きればいいのか」
いいえ、そうでもありません。
すでにお話ししましたが、他人のために頑張ることも、自分を偽ることになります。
灯台では、遠くを照らせば、足元が暗くなります。
他人のために頑張ると、自分の生活が傾くため、よくない。
一方、自分のために頑張ると、私利私欲になってしまうため、これもよくない。
「人のために生きるのはダメ。自分のために生きるのもダメ。じゃあどうすればいいの?」
気づきましたね。
その言葉を待っていました。
ここまでくれば、次のお話がようやくできるようになります。
本当にお話ししたい内容は、ここからです。
灯台では、遠くを照らせば、足元が暗くなります。
また足元を照らせば、今度は遠くを照らせなくなります。
この問題を解決するために、1つ、方法があります。
灯台が「発光体」になればいいのです。
太陽のように発光体になれば、自分も周りも明るくなれます。
自分の生活が向上し、他人の生活向上のお手伝いもできます。
最も理想的な人間像です。
「では、自分が発光体になるって具体的にどうすればいいの?」
発光体になることは、簡単なことです。
例を1つ挙げれば「好きなことをする」ということです。
好きなことをすれば、自分にとって喜びとなります。
読書でも、映画でも、勉強でもかまいません。
自分の好きなことを徹底的に極めます。
すると不思議なことに、他人のためにもなるようになります。
自分は好きでやっていたことも、ある一線を越えれば、人に感動を与えたり役立ったりするようになります。
私は今、自分が好きで作品を書いていますが、これは同時に人のためにもなっています。
もともと読書が好きで、書くことが好きな性分であるため、昔から好きなことばかりしていました。
すると、書いた作品を他人が見てくれ、参考になると褒めてくれ、結果として人のためにもなっています。
自分が輝き、人も明るく照らすことができるようになったのです。
「喜びのモチベーション」は、私利私欲が含まれていません。
私はそもそも人のために読書をしたり、稼ぐために記事を書いたりしているのではありません。
ただ自分が喜びたいから、しているだけです。
私にとって、読書をして、たくさん書くことは、それだけで喜びであり、感動です。
人から褒めてもらわなくても、お金を稼ぐことができなくても、すでに「最高の喜び」です。
さあ、あなたも好きなことを始めましょう。
自分の私利私欲に生きるのではなく、他人のために生きるのでもありません。
喜びのために生きるのです。
自分の私利私欲のためではなく、他人のためでもなく、自分が喜び、感動するために、好きなことを始めるのです。
喜びに生きるということは、自分が発光体になるということです。
自分が輝き、人も明るくさせることができるのです。
ミカンが、甘くおいしいと感じる正体は、果汁があるからこそです。
ミカンの本質とは、果汁です。
いちばん大切な果汁は、普段、外に出てくることはありません。
皮があって、中身が出てこないように守られています。
しかし、ミカンを手で強く握り締めると、中から果汁が出てきます。
強く握り締めてストレスを与えると、中に入っているものが、外へと出てきます。
ストレスを与えることで、ミカンの本質が外へと現れてきます。
あなたも同じです。
本当のあなたは、普段、外には現れてはいません。
わかりませんし、見えません。
しかし、ミカンを握り締めたときのように、強くストレスがかかるとき、初めてあなたの中身が出てきます。
本質、本性、正体が現れます。
むっとしたとき。
かちんときたとき。
いらいらしたとき。
怒りを感じるとき。
こうしたストレスを感じたときに見せるあなたが、本当のあなたです。
普段のあなたは、本当のあなたではないのです。
社会的体裁という皮に包まれ、本当の自分を隠しながら生活しています。
いらいらしたときこそ、本当の自分を知るチャンスになります。
私は今、自分の本当の性格を知るために、いらいらするというチャンスを生かしています。
いらいらしたときには、本当の自分が出てくるからです。
私も自分の本性がよくわかりません。
しかし、いらいらしたときに本当の私が出てきます。
むかっとしたときに、どう感じるか、どんな言葉を発するか、どう考えるかが、最も大切なところです。
本性であり、本質です。
本当の自分は、普段は見えないのです。
誰もがいらいら、むかっとするところでほほ笑むことができる人は、本当に素晴らしい人ということになるのです。
私たちは、ときおり、過去を振り返ることがあります。
さまざまな過去を振り返りますが、なかにはつらい悲しい過去があります。
苦しい過去、思い出したくもないほどの過去があります。
マイナスの感情を伴って過去を振り返ることを「後悔」といいます。
「あんなこと、しなければ良かった」
「最悪の出来事だった」
「大変だった」
過去を恨み、憎みます。
こうした過去は、誰にでもあるでしょう。
過去を黒板消しで、さっと消すことができればいいのですが、できないから過去という記憶に苦しめられています。
時間は進む一方で、逆戻りはできない。
だからとはいえ、タイムマシンに乗って過去に戻ることも、現代の科学技術では不可能です。
私たちは、変えられない過去に縛られ、生きています。
「やはりつらい過去は変えられないのか……」
ちょっと待ってください。
本当につらい過去は、変えることができないのでしょうか。
いいえ、実は過去を変える方法があります。
タイムマシンに乗って過去に戻る方法ではありません。
もっと単純に考えましょう。
過去を変えるための本当のポイントは、今にあります。
今をどうすればいいのかというと、素晴らしくするのです。
すると、今まで生きてきた過去も、すべて素晴らしくなります。
どんなにつらい過去があっても、今を素晴らしくできれば「つらい過去のおかげだ」と感謝できます。
生まれたときにはみんな、心が白い状態です。
オセロに例えると、生まれたときは白ですから、碁盤の四隅は白になっています。
どんなに黒ばかりが並んでいても、次の一手で白をさせば、ぱたぱたとすべて白に変わってしまいます。
過去を変えようとするなら、今を素晴らしくしようとしましょう。
集中すべきは、過去ではなく、今です。
現在です。
私は過去に、たくさんのつらい経験をし、嫌な思い出もあります。
叱られた経験、失敗した経験など、数え切れないほどあります。
しかし、そのおかげで今の自分があると考えることができれば、過去はすべて輝きになります。
黒から白へと変わります。
「つらい過去のおかげで今の素晴らしい自分がいる!」
過去に感謝した瞬間、過去が黒から白へと変わります。
つらい過去があっても「その経験のおかげで、学べた」と考えることができれば、暗い過去は輝きに変わります。
つらい過去があったから、素晴らしい今があると思えば、過去も素晴らしい出来事の連続であったということに気づきます。
今をマイナスに生きている人は、いつもつらい過去を憎んでばかりいます。
それでは一向に生活が向上しません。
過去を変えるキーポイントは「今」にあります。
過去を変えたければ、今を変えましょう。
今を素晴らしくすること。
今を白に変えれば、過去という黒いオセロがすべて白へとひっくり返ります。
「どうすればいいのか」
「どっちがいいのか」
「どれがいいのか」
人生の選択では「どうすればいいのか」と迷うことがあります。
選択に迷い、判断に苦しむときです。
他人に聞いてみたり、評判をうかがってみたり、という手段があります。
しかし、どんなに他人でも、あなたほどあなたのことを知っている人はいません。
「自分にはどうなのか」という質問に関しては、自分しか答えが出せません。
最終的な判断は、やはり自分しだいです。
私は仕事でも恋愛でも、相談をよく受けます。
私が答えるまでもなく、各自、自分でできる簡単な判断方法があります。
「上から下を見る」という方法です。
高いところから、低いところを見るということです。
視点を高くして考えると、物事のさまざまな真実が見えてくるようになります。
地球は低い位置だと平面にしか見えませんが、真実ではありません。
もっと高い位置に上り、宇宙まで高く上がって見ると「地球は丸い」という真実を知ることができます。
どちらが本当の答えかというと、後者の「地球は丸い」という答えです。
高い位置から見ることで、正しい真実が見えてくるのです。
目線が高くなり、鳥のように上から下を見れば、全体を把握でき、バランスを知ることができます。
どうすればいいのかわからないのは、視点が低いからです。
富士山では、麓から頂上へは、どういけばいいのかという道のりはわかりません。
しかし、頂上から麓を見れば、より適切な道のりを一瞬にして知ることができます。
高い位置からは、全体が見えるからです。
下から上へは正しい答えが出せませんが、上から下へは正しい答えが出せるのです。
低い位置だと、全体が見えず、遠くまで見えません。
しかし、視点が高くなると、より遠くが見渡せ、全体を知ることができます。
正しい判断は、上から下を見て考えるほうが、より正しい答えに近づくことになるのです。
あなたは今、視線が低くなっていませんか。
問題にぶつかり、判断に苦しむとき、高い位置から見てみましょう。
低いところにいると、遠くが見えてきません。
もっと意識を高め、視点を高くすることで、より正確な判断が下せるようになります。
新陳代謝とは、古くなった肌の角質を捨てるサイクルのことをいいます。
人間の肌が美しいのは、新陳代謝という捨てるサイクルがあるおかげです。
どんどんと古くなった肌の角質を捨てるから、新しい肌が生成されやすくなります。
新陳代謝が活発なら、吹き出物も少なくなり、健康的な肌になります。
捨てることで、生まれ変わり、美しくきれいになり、いつもみずみずしい肌でいられます。
ごみを捨てる習慣は、新陳代謝と同じです。
捨てることで、部屋には新しいものを取り込む空間が生まれます。
いらない物を捨ててさえしまえば、それだけで部屋はシンプルになります。
空間ができ、余裕ができます。
掃除がしやすくなり、家具そのものが少ないため、片付けや整理整頓もしやすくなります。
新しい家具を置く準備もでき、福を呼ぶ準備が整います。
福を呼ぶためには、ため込むのではありません。
捨ててしまうのです。
いらない物は、ためらうことなく捨ててしまってかまいません。
「まだ使えるのに」と思ってため込んでいると、部屋の空間は狭くなる一方です。
福が入る隙間がなくなります。
肌の角質も「まだ使えるのに」と顔も洗わず、お風呂にも入らないとどうなるでしょうか。
肌は荒れてしまい、体臭が出て、人が近づいてこなくなります。
福も逃げてしまうでしょう。
毎朝、顔を洗い、毎日お風呂に入るから、古い角質を捨てることができます。
お風呂の習慣は、汗を流すだけではありません。
捨てる習慣なのです。
私は、お化粧の濃い女性より、スッピンの女性のほうが好きです。
もちろん化粧がいけないと言っているわけではありません。
本当の顔が見える意味で、嘘のない顔は大好きです。
スッピンの顔を見ると「えっ! こんな顔だったの」と、初めは驚き、腰を抜かしてしまいます。
しかし、同時に、ほっとした安心感も覚えます。
嘘のない顔は、本当の顔です。
彼女の素顔が見られたと安心ができ、嬉しくなります。
「正直に告白しちゃうけど」と心を開いてくれたときの、あの嬉しさにそっくりです。
隠さない人には、安心を感じます。
厚い化粧をして男をおびき寄せても、お風呂上りの顔を見られて失望されてしまい、別れることになります。
なら、最初から本当の顔を見せておけばいいのです。
あとから失望されるくらいなら、最初にそういう顔を見せておいたほうが、無駄なやりとりも少なくてすんだはずです。
化粧が濃い女性は、たしかに美しくてきれいではありますが「そんなに見られてはまずい素顔なのかな」と不安になります。
濃いお化粧は、それだけ何か悪いものを隠している姿にも映ってしまうのです。
女性には、理解されていない人が多いのですが、男性は一般的に厚化粧の女性は苦手です。
なぜ苦手になってしまうのかというと、物理的な化粧の厚さだけではありません。
一生懸命に本当の顔を偽り、嘘をついている顔に見えてしまうから、苦手意識が働いてしまうのです。
私がウルトラマンのお面をかぶって話をしていると、あなたは私のことをウルトラマンと思うでしょう。
「なんとなくウルトラマンとは違うな」と、気づいていても、ウルトラマンの顔をしているので、そう接するしかありません。
お面をかぶっていると、本当の顔が隠れてしまい、誤解を招いてしまいます。
ウルトラマンの顔をしていると、困ったときには必ず呼ばれることになるでしょう。
ウルトラマンは、正義のために働き、悪者を退治することが仕事です。
本物のウルトラマンなら、強い力を持っていますから、まだいい。
しかし、ウルトラマンの仮面をかぶっている人は、本物ではありませんから「え? なんで俺が」と困ってしまうことになります。
そもそもウルトラマンの仮面をかぶっているのですから、みんながそう思ってしまうのは仕方ありません。
誤解を招くもとです。
いずれにせよ、仮面をかぶっているかぎり、すれ違ったやりとりが延々と続くことでしょう。
もちろんお面をかぶって、学校や会社へ行く人はいません。
しかし、見栄や体裁というお面をかぶって学校や会社へ行っている人はたくさんいるのです。
「もっと自分をよく見られたい」という気持ちがあり、本当の自分の顔を出せないでいます。
「もっと頭がよく思われたい」
「もっとかっこいい人だと思われたい」
「もっと美人に見られたい」
「もっとお金持ちだと思われたい」
「すごい人だと思われたい」
かっこいい車を自慢して見栄を張り、ショッピングの話をしてお金持ちであることをアピールします。
あなたがお面をかぶっていると、周りの人たちは、そうした人かと思います。
自分を偽ったことをしていると、偽られた態度が跳ね返ってきます。
「みんな、私のことをわかってくれない」
自分のことを理解してもらえず、苦しんでいる人がいます。
本当の自分ではない顔になっているのですから、やりとりがすれ違うのは当然です。
お金持ちの仮面をかぶっていると、みんなあなたのことをお金持ちと思い、そのように接してきます。
しかし、本当のあなたは、お金持ちではないですから、ここですれ違いが生まれます。
「もっと~思われたい」という気持ちは、仮面であり、早く脱ぎ捨てたほうがいいのです。
スッピンの顔は衝撃的ですが、嘘のない顔は遠回りに見え、実はいちばんの近道です。
やりとりの誤解が少なくなり、素直な人間関係になります。
ためらうという気持ちは、わからないときや自信がないときに出てきます。
勉強不足で正しい判断がつかなかったり、練習不足で大会に出場すべきか、ためらったりします。
ためらいの原因は「不足」が大本になっています。
勉強不足、練習不足、資金不足、愛情不足、経験不足などです。
不足が原因になっているのですから、ためらいを感じることは、やめたほうがいい。
いずれにせよ、良い結果が出ることは珍しい。
不足しているのですから、良い状態に転じることは、大変まれです。
たとえ、良い状態になったとしても、運がいいか、偶然かです。
それは、本当の自分の実力ではありません。
試験の選択問題でためらいを感じることは、わからないということです。
適当に選択をして、たまたま正解でも、本当のあなたの実力ではありません。
わからない問題は、間違って当然なのです。
十分に試験勉強したときには、試験に対してためらいはありません。
「やるだけのことはやった」と自信がついています。
問題も迷うこともありません。
大会へ向けての練習も、十分にやるだけのことをやれば、ためらいは消えます。
金額の高い洋服を買おうかと、ためらっているときには、お金不足が原因です。
今の収入レベルでは無理な高い買い物をしようとしているから、ためらってしまうのです。
無理をして買っても、いずれ生活が傾いてしまうことは目に見えています。
きちんと貯金をしてお金を貯めてからなら、ためらいはなくなるのです。
ためらいは、神様からの「まだ早すぎますよ」という警告なのです。
本当の勉強とは、知識を蓄えることではありません。
知恵を身につけることでもありません。
技術を身につけることでも、お金を集めることでもありません。
意識を高めることをいうのです。
心ということです。
本物の経験をして、たくさんの勉強をすると、最後に残るのは意識だけです。
意識しか残りません。
本当に大切な勉強は、意識だということに気づきます。
知識や知恵は時間がたつと忘れてしまい、技術もだんだん衰えます。
最後に残ってしまうのは、意識だけです。
たとえば、優しさという勉強をあなたは、どう学びましたか。
優しさという心は、どんなにたくさん本を読んでも身につけられることではありません。
本には「優しくなりましょう」と書いています。
「困った人を助けるといいのだな」
「弱い人には優しくすればいいのだな」
頭では理解できます。
しかし、いくら頭で理解できても、実行できないのです。
本当の勉強ではありませんから、生活でうまく行動できません。
知識のレベルでは、意識が低く、生活に浸透しません。
本当に勉強ができたときには、必ず意識が高くなり、生活にもその影響が反映されます。
実際に自分が交通事故に遭い、病院で治療を受ける経験をしたとき、本当の優しさを学べます。
自分が本当に苦しんでいるときに優しくしてもらったことで、人への感謝の気持ちが自然と出てくるようになります。
「弱い人には優しくしたいな」という濁りのない、本当の優しい気持ちが出てくるのです。
これが、意識ということです。
本を100冊読んでも学べない勉強です。
どんなに勉強しても、技術を磨いても、学べることではありません。
最後に残るのは意識であり、最も大切な勉強なのです。
本当の勉強とは、往々にして「苦しい経験」としてあなたの目の前に現れます。
神様は、あなたの心の筋肉を鍛えるために、ほどよくつらい経験を与えてくれます。
もちろん苦しさから逃げることもできます。
しかし、勇敢に苦しさに立ち向かえば、本当の勉強ができ、意識を高めることができるのです。
つらい経験、苦しい経験、悲しい経験によって、学びができるのです。
私は祖父が死んだという経験を目の当たりにして、命の大切さを学んだことがありました。
祖父は私が16歳のとき、飛び降り自殺で亡くなりました。
身内が一瞬にして亡くなり、冷たくなった体を肌で感じたとき、本で読んだ「命を大切に」という勉強は茶番だと気づきます。
元気だった祖父が、青ざめて氷のように冷たくなっているのです。
死んで冷たくなった祖父に触れたとき、人の死というものを「頭」ではなく「体」で知りました。
自分にとって大切な人が亡くなってしまったときには、学校で習う学習とは比べものにならないほどの勉強ができ、痛感します。
涙が止まらないほど心にしみて勉強できるのです。
祖父が死んだとき、私は呆然自失となり、自然と涙がこぼれてしまいました。
止めようと思っても止まらないほどです。
本当の勉強をしたときには、必ず感動します。
心が揺れ動き、意識が変わります。
たしかに悲しい経験をしましたが、身内の死を経験することで、私の意識が高まり、大切な勉強ができたのでした。
祖父の死と引き換えに、私はとても大きな学びができたのです。
人間は心でできていますから、心のやりとりは大切です。
相手からの誘いに対して、断らなければならないときがあります。
すでに約束があったり、時間がなかったりと、断る理由はさまざまです。
単純に気が進まないからという、精神的な理由もあることでしょう。
だからとはいえ「嫌です。お断りします!」と強く断ることは、相手に対してとげがあります。
断ることで、相手と仲が悪くなるというケースも少なくありません。
せめてもう少し、相手に対して柔らかい断り方がないか考えてみましょう。
ただ断ればいいわけではなく、また誘ってもらえるように上手に断るということです。
「ちょっとほかの用事があるからごめんなさい」
「ほかに用事があって、今回は見送らせてください」
「また誘ってください」
惜しいなという心を見せながら断ると、相手も悪い気はしません。
無理やり誘って悪かったかと思うでしょう。
次のチャンスには、また誘いをもらえるようになります。
上手に断る人は、世渡りの上手な人です。
車の運転で、前を進もうとするとき、まず後ろの車は大丈夫か確認します。
追い越そうとしていないかと確認ができて、初めて安全に前進できます。
前を進むためには、後ろの確認も同時に必要です。
前進しようとするとき、前だけを見ているのでは、本当の前進はできません。
過去を振り返り、同じ間違いを繰り返そうとしていないかと、参考にしなければなりません。
過去を振り返らない人は、同じ失敗を何度も繰り返すことになります。
努力や時間のロスが大きくなります。
後ろを振り返ることで、確実に前進できるのです。
勉強では、復習が大切といわれています。
ただひたすら予習をして進めばいいわけではなく、復習をして、間違ったところを確認して、初めて本当の前進ができるのです。
スポーツでも、自分の動きを振り返り、初めて成長ができます。
間違った動きをしているときには、改善することで、次からうまくプレーできるようになります。
前ばかり見ている人は、実は前進できない人なのです。
進んでは、後退してしまうという繰り返しになります。
成長では、後ろを確かめることが必要なのです。
川の上流では、かどのある石が多いのですが、海に近づく下流になるほど、丸い石が多くなります。
下流で流れる川には、丸い石ころばかりです。
下流へと流れている途中でたくさんの石同士がぶつかり、そのたびに少しずつかどが取れていくからです。
ぶつかることで、だんだんかどが取れ、丸くなります。
丸くなった分だけ、次からはぶつかることが少なくなり、川の中では流れやすく進みやすくなります。
世渡りがうまくなります。
川は人生そのものです。
10代は、かどのある石と同じです。
大きくて、鋭くて、かどがあります。
それは、偉そうにふんぞり返り、エゴの強い状態ということです。
たくさんの人とけんかをしたり、揉めたりと、ぶつかることがしばしば。
10代や20代は、争いやいざこざの連続です。
しかし、それは、丸くなるために、必要不可欠なことなのです。
よくぶつかる人は、それだけかどがある証拠です。
人よりとがっているから、ぶつかることも、多くなります。
かどのある人は、ことあるごとに、たくさんぶつかるでしょう。
神様が「丸くなりましょう」と、たくさんの試練を与えてくれているのです。
10代の人でも、すでに丸い人がいます。
そんな人は若くして、争いやいざこざが少なく、人とけんかすることはあまりありません。
人と仲良く、調和が取れています。
かどが多い人ほど、ぶつかることが多くなります。
丸い人ほど、ぶつかることは少なくなります。
しかし、結局いずれは、みんな丸くなるのです。
世の中、うまくできているものです。
高齢者ほど、性格の丸い人ばかりです。
若いときにたくさんぶつかってかどが取れ、おかげで丸くなっていったのです。
お年寄り同士では、けんかがありません。
性格が丸いですから、腰が低く、ぶつかることがないのです。
日本のことわざに「実るほど、頭の下がる稲穂かな」という言葉があります。
稲穂は、成長して実るほど、頭が垂れ下がります。
年を取り、成熟する人ほど謙虚な姿勢になるという、丸い心を表現した言葉です。
人生は、丸くなるための旅路です。
性格を丸くしていくことが、人生における勉強であり、試練です。
川と同じように、たくさんぶつかって、丸くなることそのものが勉強です。
ぶつかってもいいのです。
どんどんぶつかって、早く丸くなりましょう。
かどを取って丸くなれば、自然と腰が低くなり、丁寧になります。
地球も丸い。
輪も丸い。
丸い形には、1つのかどもありません。
平和であり、調和であり、愛の表れなのです。