生きとし生けるもの、すべてに時間があり、比例して古くなります。
「老いる」という現象です。
川の流れに逆らうことはできても、時間の流れに逆らうことはできません。
若さの特権としてまず挙げられることは「失敗」です。
若いうちは、失敗を何度やっても許されます。
失敗の度合いにもよりますが、どんな失敗でも周りの大人たちは「まだ若いからね」と言って許してくれます。
「え、若いうちに三日坊主?」
そう思われるかもしれませんね。
三日坊主をたくさんすることは、若いうちにしておかなければならない大切なことです。
自分の生きる人生は、自分が歩むことです。
まず主人公である自分のことを知っておくことが大切です。
自分のことがわかればわかるほど、人生の選択肢において迷うことがなくなります。
なぜ自分の「好きなこと」を知っておく必要があるのでしょうか。
それは自分がわくわくでき、心と人生を豊かにして生きることができるからです。
その一方で「忍耐」「我慢」、そうした言葉の先に本当の幸せがある、というとそうではありません。
若い時期にたくさんの三日坊主をこなした結果、自分の好きなことが見つかれば、それだけでも大きな成果です。
しかし、せっかくですから、若い今のうちにもう1歩前に出ておきましょう。
それが「エネルギーを技に変える」ということです。
目標と目的は、似たような意味を持ちながら、別物です。
目的が最後のゴールとすれば、目標はその前に立ちはだかるたくさんのハードルです。
1つハードルをクリアすれば、また次のハードルがあります。
私がまだ幼かったころ、祖父と祖母が当たり前のように存在していました。
朝起きれば、祖父がいて、祖母がいました。
平凡な日常風景です。
学校の勉強は無理やり勉強させられますが、無駄なことばかりではありません。
勉強は、内容そのものより「勉強の仕方」を指しています。
社会に出て実生活を営んでいくうえで、学校での勉強はその下準備として最低限必要なことです。
「青春の友は、一生の友」
若い時期に作った友人は、社会に出てからできた友人より親しく長続きがする意味を持つ有名な言葉です。
若いころに作った友人は、往々にして一生付き合う関係になりやすい。
私がまだ10代のころ「反抗期」がありました。
自分の主張を突き通し、ほかの人の意見を聞きませんでした。
自分が中心になって世界が回っていると、勘違いをしていた時期です。
私のお尻がまだ青かった少年時代は、学校でただ言われるがままに勉強をしていました。
学校側から「これを勉強しなさい」と言われていました。
当時は、ただ言われるがままに、勉強をしていました。
10代のころ、楽しいことが良いことで、つまらないことが悪いことだと思っていました。
自分がわくわくすることこそが、自分のためになり、良いことだと思い込んでいました。
食事のしつけの厳しい親から、よく食事中にはうるさく叱られていたものです。
若いうちにしておかなければならないことの1つに「人と同じことをしてはいけない」ということがあります。
若い時期というのは、周りに合わせた行動をしてしまいがちです。
みんなと同じ考えを持ち、周りと同じ行動をしたりします。
好きなことばかりやっていると、自然と知識や知恵が身につきます。
好きだから努力も我慢も忍耐も不要です。
わくわくという楽しい気持ちしかありません。
大人になるにつれて、やっかみやしがらみが増えていくのは事実です。
一度社会に出れば嫌な上司と顔を合わせなくてはならなくなるし、行きたくもない付き合いに行かなければならないときもあります。
結婚をすれば相手のご両親や親戚との付き合いも増え、子どもが生まれれば養育費や教育費がかかります。
若い学生時代は、自分で決める機会があまりありません。
学校では宿題は先生が出してくれるし、答えも先生が教えてくれます。
どのような勉強をどう進めていくかも、自分で決める必要はなく、カリキュラムに沿って学校が自動的に進めてくれます。
子どものころにあった良いことは、永遠に続くように考えてしまいがちです。
仲のいい友人、人間関係、住む場所、家の周りにある草木などです。
しかし、実際は、同じことが同じ状態でずっと変わらず永遠に続くことなんてないのです。
免疫力を、子どものころからつけておかないと、大人になってからとても苦労します。
免疫力とはいえ、健康面での免疫力ではありません。
もちろん健康面での免疫力も大切なのですが、それより「精神的な免疫力」のほうがはるかに重要なのです。
子どものころは、たくさんの失敗を経験しておくことが大切です。
失敗に対する精神的な免疫力をつけるためだけでなく、何事も初めからうまくいくわけがないことを知っておくためです。
初めからうまくいくことのほうが珍しく、ほとんどの場合たくさんの失敗や挫折の先にやっと小さな成功があるのです。
私がまだ幼いころは、スタートはいつもゼロから始まるものだと思っていました。
始めた瞬間がゼロで、そこから物事を進めていくことで1歩、2歩と前に進むことができるものだと思っていました。
しかし、実際は、いくらやっても全然効果が現れていないことのほうが、圧倒的に多いことに気づきます。
子どものころと大人になってからの大きな違いの1つに、人間関係があります。
大人になるとたった1人になりたくても、なれなくなります。
仕事では必ず職場の仲間(同僚、上司)と接しますし、結婚すれば相手方のご両親との付き合いも増えます。
私が今まで多くの人と接してきた中で、ある日、面白い共通点を見つけました。
「おしゃべり好きな人ほど行動しない」ということです。
エネルギッシュにおしゃべりをする人ほど、行動もエネルギッシュと思われがちです。
友人の層が変わるということは、自分が成長したということです。
自分の周りに存在する人たちは、自分が磁石となり引き寄せられた人たちです。
学校では仲のいい人と付き合います。
私は高校2年の夏休みの1カ月間、猛烈に勉強をしたことがあります。
1日に12時間ほど勉強しました。
寝ている時間と食事する時間以外は、ほとんど勉強時間でした。
恥ずかしい経験は、若いうちならいくらやっても許されます。
子どものころの恥ずかしい経験はまだ周りの人の優しい目があります。
「まだまだ若いから大丈夫」
10代のころは、誰しも一度は大きな夢を思い描きます。
若いころは、まだ世間のことを知らないため、壮大な願いを夢見ます。
「大スターになる」
若いうちなら、お金の失敗も軽くてすみます。
・100円落とした
・財布を落とした
私は「わからないとき」には、とりあえず近づいてみることにしています。
近づいてみれば「何かがわかるから」です。
磁石と同じです。
一生に一度だけある青春時代は、若いときだけの特別な時期です。
お金こそはないものの、時間と自由があり、体力も元気もあります。
これほど生きるエネルギーが炎炎と燃えている時期はありません。
生きとし生けるもの、すべてに時間があり、比例して古くなります。
「老いる」という現象です。
川の流れに逆らうことはできても、時間の流れに逆らうことはできません。
物質的でもなく、精神的でもなく、絶対的なものです。
人間も同じく命のある生物として、時間という絶対的な流れに身を任せ、年を取っていきます。
若い時期があれば、老いた時期もあります。
しかし、この2つを比べてみると明らかなことですが、若い時期のほうが圧倒的に短いのです。
活力も、パワーも、やる気も元気も体力もあります。
肌のつやや記憶力も、すべてがフルパワーの時期なら、やりたいことも思う存分できるでしょう。
しかし、若い時期ほど、あっという間に過ぎていきます。
若い時期に何をしておくかは、人生の豊かさを決めるうえで大切なことになります。
若い時期は、すべてが当たり前だと思っています。
運動場を何周も走り回れる体力。
健全な健康。
夢を叶えようとするやる気。
疲れを知らない元気。
素晴らしい記憶力。
かけがえのない家族。
何でも話し合える友人。
若い時期は、そうしたことは初めから何の努力もなく手にしているだけに、ずっとそれが続くものだと思い込んでしまいます。
しかし、年を取っていけば老いには逆らうことはできません。
衰えを目の当たりにするときには、初めからあった当たり前の現実も、どんどんと失われていることに気づきます。
無理をしたほうがいいと言っているのではありません。
まだ若いなら、今のうちにできることを優先しておいたほうが、あとから役立ちます。
若い時期だからこそ、できることがあるのです。
あとからでは、体と元気が追いついてこないからこそ、若い時期にその特権を生かし、いろいろと経験しておくことが大切なのです。
若さの特権としてまず挙げられることは「失敗」です。
若いうちは、失敗を何度やっても許されます。
失敗の度合いにもよりますが、どんな失敗でも周りの大人たちは「まだ若いからね」と言って許してくれます。
テストで点数が低くても「次から頑張りなさい」と許してくれます。
算数で少々計算が間違ったところで、誰かの迷惑になるわけでもなく、その失敗経験を踏み台に自分の弱点がわかります。
しかし、大人になってから仕事で計算を間違えると、大変なことになります。
レジでおつりを間違えたり、報告書の数字や計算ミスをしてしまったりすると、叱られるだけでなく「責任を取れ!」と言われます。
私も新人のころは、仕事がわからなかったり間違えたりと失敗ばかりでしたが、上司たちは「まだ若いからね」と許してくれました。
失敗は、恋愛も同じです。
少年時代の恋愛は、練習と思ってもかまいません。
女性との接し方や付き合い方など、わからないことがたくさんあります。
若いころにやってみることで「何をして良いのか」や「何をしたら悪いのか」がだんだんわかるようになります。
たとえ失恋をしても、大金を請求されるわけでも借金を背負うわけでもなく経歴に傷がつくわけでもありません。
ささいな精神的なダメージだけで済みます。
子どもの恋愛は情熱的にもかかわらず、失敗しても、社会的な打撃は小さくて済みます。
しかし、大人になって結婚してからの失敗は、痛いだけでは済みません。
離婚をしたら「離婚歴」という経歴がつきます。
別れ方によっては、慰謝料や子どもの養育費を支払う必要も出てくるでしょう。
また自分だけがつらくなるだけでなく、自分のお父さんお母さんにも悲しい思いをさせてしまいます。
大人になってからは、若いうちのような付き合い方ではいけないのです。
私は19歳のころ、結婚を真剣に考えてお付き合いをしていた女性がいました。
恋愛に不慣れな私は、いつも舞い上がっており、付き合ってまもなく「彼女以上に良い女性はいない」と思い込んでしまったのです。
若い人にありがちなことですが「すぐ結婚を考えてしまった」のです。
世の中には多くの女性がいるにもかかわらず、視野が極端に狭くなって、目の前のことにばかりとらわれた状態になっていました。
ほかのことが考えられないようになっていたのです。
そのときは、彼女一筋になっていたため、友人との付き合いも悪くなっていました。
友人とのコミュニケーションが極端に減り、彼女とのコミュニケーションばかりが極端に増え、バランスの悪い生活でした。
あらためて考えると、若いがゆえの失敗です。
まだまだ恋愛におけるルールを知らない私は、今思えば恥ずかしいことばかりしていたことしか思い出せません。
しかし、おかげで今は女性と普通に話ができ、恋愛にも冷静になれ、踏み外す経験が少なくなりました。
踏み外しそうな瞬間「あのときと同じ失敗は繰り返さないように」と、心の声がささやいてくれるからです。
思い出したくもない恥ずかしい経験ほど、後になるほど役立っているのです。
若いうちの失敗は、踏み台にしていくことが必要です。
若いうちにはどんどん勉強でも人間関係でも恋愛でも何でも、できるだけたくさんの失敗をしておくほうがいいのです。
「え、若いうちに三日坊主?」
そう思われるかもしれませんね。
三日坊主をたくさんすることは、若いうちにしておかなければならない大切なことです。
自分に何が適していて、何が適していないのかは、たくさんのことにトライしてみないことにはわからないからです。
挑戦する数の量が多ければ多いほど、三日坊主は当然起こるべくして起こります。
あなたの人生は誰の人生ですか。
もちろん自分の人生ですよね。
あなたがいちばんよく勉強して、知らなければいけない科目は、自分なのです。
しかし、学校では自分についての勉強は、してくれません。
生活や生きていくうえでの最低限の知識(算数、理科、国語、社会など)を優先して、幅広く均等に叩き込まれます。
それはあなたが将来、社会で生活していくうえで大切な基本だからです。
それは小学レベルの勉強で十分です。
中学や高校へと上がるほど、その内容が濃くなり、必要以上に奥の深い勉強をすることになり、幅広く均等に勉強をさせられます。
勉強をさせられたあげく、ある日突然「進路を決めろ」「大学を決めろ」「学部を決めろ」「仕事を決めろ」と言われます。
まだ何も自分のことを知らない人は、ここでつまずいてしまうのです。
進路を決めるのは、学校の勉強ではなく、自分についての勉強が必要だからです。
何かを勉強する前に、まず勉強をする自分のことを初めによく知っておかないと、せっかくの勉強も意味がありません。
突然自分で自分のことを決めろと言われたところで、自分でも自分のことがよくわからないので戸惑ってしまうわけです。
まったくもって、困った事態です。
なぜこんなことになってしまったのかというと、若い時期に三日坊主が足りなかったからです。
できるだけたくさんの経験をして、たくさん失敗して、三日坊主をすることです。
自分に合っていないことを早く知り、自分に合っていることも早い時期から気づくようにするのです。
学校で学ぶだけの勉強ではなく、ペットを飼ってみたり、読書を楽しんだり、習い事をやったりと、いろいろ手をつけてみましょう。
すると必ず、同じ努力をしているにもかかわらず「伸びが早い教科」と出会います。
それがあなたに適していることです。
また自分がやっていて楽しいなと感じることにも敏感になりましょう。
他人から尊敬されるからやるのではなく、純粋に楽しいと感じることをやるということです。
「伸びが早い教科」と「自分の好きなこと」の両方を若いうちから意識すると、将来の大学選びや職業選びに大変参考になります。
自分の好きなことが、将来の仕事に生かせるように人生の舵を取ることです。
人生の舵を取るために必要なことは、自分の好きなことです。
自分の好きなことを知るためには、たくさんのことに挑戦することです。
たくさんの挑戦をすることで、自分の好きなことを見つけることができるようになります。
また三日坊主も起こるべくして起こるわけなのです。
自分の生きる人生は、自分が歩むことです。
まず主人公である自分のことを知っておくことが大切です。
自分のことがわかればわかるほど、人生の選択肢において迷うことがなくなります。
若いうちに自分の特性を知り「好きなこと」を見つけておくと、あとから選択する人生の道において決め手となるのです。
迷うというのは、本来答えがわからないときに起こる状態です。
学校から自分の家まで帰るのに、迷うことがないのは「道がわかっているから」です。
右と左の道にわかれていても、自分の家の方向が右の道から行けるということがわかれば、大丈夫です。
叱るべき正しい方向に、歩けばいいだけです。
答えがわかっていれば、迷いは発生しません。
迷うことは、答えを知っていれば起こりようがないのです。
迷いがあるということは、それだけ自分の勉強が不足しているということです。
「大学はどこを目指すのか」
「学部はどこにするか」
「どんな仕事が希望なのか」
自分のことを、自分でもよくわかっていないため、迷うのです。
自分のことがわからないから、どの道に進むべきかもわからないのです。
どの道もよさそうに見えたり、どの道も違うような気がしたり、はっきりはわからずもやもやした状態だから「迷う」のです。
本来自分のことがわかっていれば、迷うことはありません。
ペットを飼うことが好きな人なら、傷ついた動物たちを治療したいと願うようになり、獣医師が向いていることがわかります。
獣医師になって動物たちの傷を癒やしたいと思えば、目指すべき大学、学部、仕事も迷うことがなくなります。
迷うことは、答えがわからないからこそ起こる現象です。
若いうちに自分の好きなことを見つけ、それを軸に人生を歩んでいくことが大切なのです。
なぜ自分の「好きなこと」を知っておく必要があるのでしょうか。
それは自分がわくわくでき、心と人生を豊かにして生きることができるからです。
その一方で「忍耐」「我慢」、そうした言葉の先に本当の幸せがある、というとそうではありません。
お金が欲しいから仕方なく我慢して仕事をやっても、幸せは感じられません。
好きでもない勉強をしていても、面白くありません。
一瞬の喜びのために、ほかの生活をすべて忍耐や我慢で埋め尽くしてしまってはいけないのです。
幸せというのは、自分が好きなことをして感じられることです。
不思議なことに、好きなことならつらいことも楽しく感じられるようになります。
ダンスの好きな人が、うまく踊れなくて壁にぶつかり、悩んでいたとしても、楽しいがゆえに乗り越えたいと思うようになります。
つらいことがあっても、乗り越えればまた1つレベルを上げることができると思えば、つらいことも楽しく感じてしまうのです。
好きという力は、つらささえも楽しさに変えてしまう魔法の力があります。
遠距離恋愛をしていても、好きな人に会いに行く努力も難なくできてしまいます。
面倒と感じるメールや手紙も喜びと楽しみを感じながら送れます。
好きには、初めから「楽しさ」と「集中力」と「根気」が備わっていますから、壁も乗り越えやすくなり、長く続けられるのです。
あなたが将来歩むべき道は「好きなことをする道」を選んでください。
好きな人との結婚、好きな仕事、好きな友人、好きな趣味。
本来「幸せへの道」とは「好きへの道」のことを指しているのです。
好きなことをする道を選んでいけば、その先にある困難やつらい出来事も楽しく感じられ、乗り越えていけるようになります。
人生を歩んでいくうえで、右と左に道がわかれていれば「楽しそうな道」を選べばいいのです。
もし間違って「得意な道」を選んでしまったら、たしかに得意ではありますが、好きではないので長続きはしないことでしょう。
うまくできても楽しく感じられなければ、精神的な充実が得られず、ついにはやめてしまうことが目に見えているのです。
好きな道を選べば、その道を歩んでいても楽しいし、つらいことがあってもつい頑張って乗り越えます。
いえむしろ、ささいな壁すら楽しみの1つになるでしょう。
初めはうまくできなかったことでも、楽しんでやり続けていくうちに、自然と得意になります。
すると、好きな道でありながら、得意な道にもなるのです。
得意なことをやっていて、だんだん好きになることももちろんありますが、そうなる確率は大変低いのです。
好きという感情より、我慢・忍耐・惰性のほうが先行してしまっているからです。
それに対して、好きなことを笑顔で楽しみながらだんだん得意な科目にしていくほうが、精神的な充実感は圧倒的に大きいのです。
これが「好きと得意の融合」です。
理想的な将来の仕事は、好きなことでありながらそれが得意であるということです。
初めに好きなことを選んでおけば、あとから得意になります。
楽しいし面白いから長続きし、そうすればどうしても上手になっていくからです。
できるだけ若いうちに好きなことを見つけ、思う存分楽しみ磨いておけば、時間が長いぶん得意に変えることができます。
そういう結論に至ることが今の若いうちからわかっていれば、もはやあなたは今この瞬間から迷うことはなくなるのです。
どうすれば幸せになれ、楽しい人生を歩めるのかという答えがわかっていれば、叱るべき道を選んでいくだけでいいのですから。
若い時期にたくさんの三日坊主をこなした結果、自分の好きなことが見つかれば、それだけでも大きな成果です。
しかし、せっかくですから、若い今のうちにもう1歩前に出ておきましょう。
それが「エネルギーを技に変える」ということです。
若い時期には、有り余るほどのエネルギーがあります。
体力があり、徹夜もでき、やる気もあります。
いくら失敗しても立ち上がることができ、気分が落ち込んでも一晩寝るだけで次の日にはけろりと回復しています。
それだけ条件のそろった時期に、そのエネルギーを合コンやコンパ、カラオケ、飲み会などに浪費してしまうのはもったいない。
若いがゆえにほかの誘惑(特に恋愛)も多いのですが、将来に役立つそのエネルギーの使い方を知らないのです。
「エネルギーの投資の仕方」と言ってもいいでしょう。
若い時期のエネルギーは、使い方によっては将来に何倍にも大きくなって返ってきます。
10代で身につけた英語の力は、将来の武器になります。
若い日に身につけたパソコンの知識は、将来の仕事に大きく役立つこととなるでしょう。
「若い時期に自分の好きなことを見つけ、見つけたら好きなことにエネルギーを投資して、技に変えておくこと」です。
若い時期にエネルギーを技に変えておくことができれば、これほど心強い自分の武器はありません。
それを使って仕事ができるようになり、独立することもできるようになります。
自分の得意技があれば、自己アピールにもなり、ほかの人との差別化にもなり一目置かれます。
そうなれるのも、若い時期にエネルギーを技に変える努力を怠らなかったからこそできることです。
年を取ってからもエネルギーを技に変えることができますが、身につく早さが違います。
若いときは「身につける時期」であり、大人になれば「生かす時期」にあたります。
年を取ってからだと、ささいな行動をするにしても重い腰を上げなければいけません。
仕事があり、家族があり、子どもがいて、時間とお金を自由に使えない状態なら、若いときほど自由に行動もできません。
ましてや体がもたなくなります。
若いときは普通にできていた徹夜や運動も、時間という絶対的な流れには逆らえず、年を取れば必ず体は衰えます。
また意外なポイントとして、欲が少なくなります。
「もっとおいしいものを食べたい! もっとお金持ちになりたい。夢を叶えたい。自分は大物になる!」
とがつがつしていた欲も、年を取れば「まあ、いいか……」と思うようになってしまうのです。
欲が薄くなってしまうのです。
年を取って何が怖いのかというと、この気持ちがなくなり予定がパーになってしまうことなのです。
せっかく思い描いていたことも後回しにしていると、気持ちが薄くなり「まあいいか」と欲がなくなります。
若い時期ほど、食欲も性欲も自己実現欲も旺盛です。
その欲が大きいことは若いときだからこそある特権ですから、欲が大きなうちに大きく行動しておいたほうがいいのです。
若さというエネルギーを、若い時期に、得意技として変えておくことが大切なのです。
目標と目的は、似たような意味を持ちながら、別物です。
目的が最後のゴールとすれば、目標はその前に立ちはだかるたくさんのハードルです。
1つハードルをクリアすれば、また次のハードルがあります。
次々とハードルをクリアしていくことは、目標を達成していくことです。
小さなハードルでも、それを乗り越えれば確実に最終的なゴールである目的に近づけます。
走っている本人がしっかりゴール(目的)を意識し、そこに正しく近づくために目の前のハードルを乗り越えているからです。
ゴールを意識せずに、ただやみくもに走っていたのでは、いつまで経ってもゴールへとたどり着けません。
人生も同じです。
あなたが今、目標を飛び越える前に、まず向かうべきゴールを設定しなくてはなりません。
進む前に、進む方法を定め、この目標は本当に目的に近づいているのかをいま一度見直してみる必要があります。
あなたにとっての人生の目的とは何でしょうか。
あなたにとっての人生の目的とは「幸せな人生」を指します。
私だけでなく、世界共通、みんなの願いです。
では、幸せな人生を決める決定的なポイントは、どこにあるのでしょうか。
それが「死の瞬間」です。
人生の最終地点とは死の瞬間であり、その瞬間から逆にさかのぼって「今」を考えていく必要があります。
「いい人生だった。良い人間関係に恵まれ、自分の人生は幸せそのものだった」
人間は誰でも死の瞬間に思い残すことなく、この世を去りたいと思います。
死の瞬間に自分の人生を振り返り、本当に良い人生だったのかどうかを判断します。
幸せだったかどうかを判断するのは「死の瞬間」にわかることなのです。
「若いころから死を考えるなんて、縁起が悪い」
そんな声が聞こえてきそうですが、そんなことを言う人は今しか考えていない視野の狭い人です。
視野が広い人は、自分はいずれ最後は死ぬこともわかっていて、それを視野に入れたうえで今を生きています。
若かろうが大人でも、いずれにせよ最後には死ぬことは曲げようのない事実なのです。
すべての人は、人生の最終地点として、死の瞬間から考える必要があります。
ほとんどの人が「今→死」の順番で、人生を設計しようとします。
しかし、本当の幸せな人生設計は「死→今」というふうに、死の瞬間から今にさかのぼり、考えていく必要があるのです。
今現在から未来を考えるのではなく、未来から今現在を反対方向で見ていくのです。
未来とはいつのことを指すのかというと、すなわち死の瞬間です。
死の瞬間に、心から喜べる人生だったと思えるような人生を、死の瞬間から逆算して今をつくっていく必要があるのです。
良い人生を考えるには、今現在から考えません。
今現在のことばかりにとらわれていると、目の前の欲ややるべきことを間違えたりしてしまいます。
見栄を張って一軒家を買ったあげく、何十年ものローンの返済に苦しむ未来になる。
肩書や地位を追いかけて仕事をした結果、健康を崩し、入院してしまう未来になってしまう。
既婚であるにもかかわらず、不倫をして、家族崩壊という未来につながってしまう。
今を中心に見るということは、人間でいう「主観的」になっているという状態です。
周りが見えなくなり、正しい判断が自分ですら、わからなくなります。
しかし、未来から今を見ると「客観的」になれます。
これは未来の幸せにつながるのかどうかが、わかるようになります。
大胆ですが、あなたの人生の最終地点は、死の瞬間です。
死の瞬間から今を考えていると「これは自分の幸せにつながる道ではない」と、客観的に判断ができるようになります。
死の瞬間を視野に入れて考えることが大切です。
この世から去る瞬間に「何て幸せな人生だったのだろう」と心から思える人生を送れるような人生設計をするのです。
私がまだ幼かったころ、祖父と祖母が当たり前のように存在していました。
朝起きれば、祖父がいて、祖母がいました。
平凡な日常風景です。
しかし、いるのが当たり前と思っていた祖父と祖母は、今はもうこの世にはいません。
祖父は、私が高校1年生のとき、亡くなりました。
しばらくして、祖母も亡くなりました。
小学生や中学生のころは、死について真剣に考えたことがありませんでした。
テレビや雑誌などから、人は最後には死ぬことを頭では知っていたものの、実感がなく過ごしていました。
身内の死を目の前にすると、一変します。
どうしても、死の現実を受け止めなければなりません。
祖父の葬式では、冷たくなった祖父に手で触れました。
氷のように冷たくなった祖父の手を、今でもはっきり記憶しています。
「自分もいつかこうなる日がくる」と思い、胸が痛くなりました。
人が死ぬと冷たくなるのは、知っていました。
実際に触れると、強烈な印象が残ります。
本当に氷のように冷たいのです。
今では、以前にあった「当たり前の日常」に決して戻ることはできません。
その当たり前が二度と来ないことがわかると「当たり前の中の幸せ」に、後になって気づくのです。
祖父と祖母に感謝を持つようになったのは、2人が亡くなった後でした。
当たり前と思っていたころは、さほど感謝はありませんでした。
祖父と祖母の存在の大きさを実感したのは、亡くなった後でした。
若いうちにしておかなければならないことの1つに、祖父と祖母と十分に触れ合っておく日常です。
意識するまでもなく当たり前に存在していることですから、今はその大切さに気づくことはないし気づけないことでしょう。
しかし、いずれ祖父と祖母がこの世からいなくなる日がやってきます。
人間は、幸せなときには深くは考えませんが、意外なことに不幸なときのほうがいろいろなことを考えます。
それが人生について考えるきっかけにもなります。
日常の当たり前の大切さに気づけば、1つ成長した証拠です。
気づいたとき、人は成長をします。
失えば失うほど、今一瞬を、一生懸命に生きようとする気持ちが強くなるのです。
学校の勉強は無理やり勉強させられますが、無駄なことばかりではありません。
勉強は、内容そのものより「勉強の仕方」を指しています。
社会に出て実生活を営んでいくうえで、学校での勉強はその下準備として最低限必要なことです。
足し算や引き算、時計の見方、漢字の読み方や書き方など、どれも大人になってもずっと使い続ける大切なことばかりです。
しかし、これが中学生、高校生、大学生になると、必要ないほどの高度なレベルまで教えようとします。
微分積分、漢文、古文。
日本語の翻訳を読んでも意味がよくわからない英語の勉強。
原子の成り立ちや宇宙の仕組み。
「こんなに難しいことを学んでも、全然役立たない」
そういって学校を中退していく人も多いと聞きます。
しかし、難しい勉強をすることに何の意味があるのかというと、勉強の内容より、勉強の仕方を勉強するためにしているのです。
小学生の勉強はどれも覚えやすいことばかりでしたから、勉強の要領など考える必要はありませんでした。
しかし、高校生や大学生くらいになってくると、勉強の内容だけでなく勉強の仕方を意識する必要が出てきます。
仕方を意識しないと、頭に入らないくらいに難しいからです。
その勉強の「仕方」を学ぶために、極端にレベルの高い勉強をして、力を付けさせようとしているのです。
若いうちにしておかなければならないことは、勉強そのものより、勉強の仕方を学ぶことです。
実際にこれらの「勉強方法」は社会に出てからも大いに役立ちます。
もちろん勉強そのものも役立ちますが、勉強の「方法」のほうが社会では応用が利くので登場する機会が多いのです。
社会では不可能を可能とするような課題ばかりが出てきます。
それを乗り越えるために「方法」を若いうちに身につけ、社会で応用を利かせるようにするのです。
それが若いうちにしておかなければならないことの1つです。
「青春の友は、一生の友」
若い時期に作った友人は、社会に出てからできた友人より親しく長続きがする意味を持つ有名な言葉です。
若いころに作った友人は、往々にして一生付き合う関係になりやすい。
特に学生時代に作った友人は、その後頻繁に連絡を取らなくても心でのつながりがあるため、仲が絶えることはありません。
仕事で毎日会っているほうが仲良くなるように思えますが、そうとも限らないのです。
社会に出ると利害関係や上下関係が大きく絡んできます。
「この人と仕事をやるうえで必要だ」
「彼は私の上司だから言うことを聞かないといけない」
こうした利害関係と上下関係があるため、仲の良さにはなかなか思うようにつながっていかないのです。
一生続くような仲のいい友人とは、利害関係も上下関係もなく、お互いに気兼ねなく接することができます。
それは若い時期の学生時代が、最も良い時期だからです。
一生付き合っていくための友人をつくることは、若いうちにしておかなければならないことの1つです。
仲のいい友人をつくるポイントは「楽しい時期だけでなく、つらい時期も一緒に過ごす」という経験をつくっておくことです。
勉強に苦しみ、恋愛に苦しみ、学園祭や運動会の練習の日々、受験勉強などです。
つらい困難を一緒に乗り越えた友人とは、心の結びつきが強くなり、その後も仲が続くのです。
私がまだ10代のころ「反抗期」がありました。
自分の主張を突き通し、ほかの人の意見を聞きませんでした。
自分が中心になって世界が回っていると、勘違いをしていた時期です。
まだ何も知らない私は、親には数え切れないほどの反抗をしていました。
親がつくってくれた食事を食べない。
家族行事には参加しない。
親の言うことは聞かない。
自分が中心と思っていたため、周りの言うことに逆らっていた時期がありました。
思春期に起こる反抗期とは、自己中心的な考えと主観的な考えがあるため、周りの状況が把握できません。
世界が、自分中心で回っていると思い込んでしまうのです。
しかし、それらはすべて勘違いでした。
年を取るにつれて、自分が今ここまで成長ができたのは、たくさんの人のお世話と支えがあったことに気づきます。
10代後半からのアメリカへの留学経験が、自分一人の力では何もできないことを知るきっかけになりました。
手続きも必要です。
親からの資金援助も必要です。
お金の援助、精神的な支え、たくさんの人の協力。
自分一人で何かをしようとしても、できません。
1人で生活するためには、精神的な心の支えが必要で、親からの愛情だと気づいたのです。
自分の力のなさに気づいたとき、思い込んでいた自分中心の考え方は崩壊したのでした。
自分中心で世界が回っていると思うことは、世間を知らない若い時期に経験します。
思春期にたくさんの恥ずかしい反抗をしてきた分、私は逆にその反動があります。
今はありがたみというものが見えてくるようになりました。
まだわかっていない部分もありますが、恥ずかしい経験を若いころにしておくと、気づくきっかけがたくさん出てくるのです。
私のお尻がまだ青かった少年時代は、学校でただ言われるがままに勉強をしていました。
学校側から「これを勉強しなさい」と言われていました。
当時は、ただ言われるがままに、勉強をしていました。
だんだん嫌いな科目や苦手な科目が出てくるようになりました。
嫌いや苦手という意識があると、勉強を避けがちになります。
中学1年生のときは、英語がいちばん嫌いな科目でした。
「I am」という表現はあるのに、なぜ「I is」という表現はないのかが理解できませんでした。
わからないから、余計に嫌いになっていきました。
面白いように、成績は下がっていきました。
簡単な英語のテストでさえ30点を下回る点数を取るようになり、さらに苦手意識に拍車をかけます。
私は、まったくの悪循環に陥っていました。
しかし、勉強をしないと先生や親に叱られますから、嫌いな教科でもいやいや勉強をしていました。
いやいや勉強をしていたことに、そもそもの原因があります。
心や気持ちがないことは、体も頭も動かないのです。
嫌いな科目を無理にしても、頭には入りませんし、身につきにくくなります。
当時の私に足りなかったことは、嫌いなことをいやいや勉強するのではなく、嫌いなことを好きなことに変えるという努力でした。
嫌いな教科でも「面白い」「楽しい」という部分が必ずあります。
私はそうしたことを見つける努力を怠っていました。
嫌いなことや苦手なことの中から、興味が湧く部分を見つけ出し、楽しみながら勉強をしないといつまでも頭に入ってこないのです。
勉強をする以前に「勉強をしたい」「勉強が面白い」という気持ちにしておかないと、一向に勉強ははかどりません。
嫌いなことの中にも、必ず1つは、面白いという部分があります。
そういう点を少しでも見つけ、興味や好奇心を刺激させる勉強が必要だったのです。
10代のころ、楽しいことが良いことで、つまらないことが悪いことだと思っていました。
自分がわくわくすることこそが、自分のためになり、良いことだと思い込んでいました。
食事のしつけの厳しい親から、よく食事中にはうるさく叱られていたものです。
「箸の持ち方がおかしい」
「座り方がおかしい」
「食事中はトイレに行くな」
「口を開けながら食べるな」
つらい経験をしていると思っていたため、たしかに当時は幸せなことはありませんでした。
「つらい人生なんて、意味がない」
「なぜ自分ばかりこんなに叱られないといけないんだ」
つらいことは、嫌なことだと思っていたのです。
しかし、年齢を重ねていくにつれて、考え方が変わります。
今の自分は、昔あった楽しいことや面白いことより、つらかった経験のほうが役立っているということに気づくのです。
親からの厳しい食事マナーも、当時は大変でしたが、今は役立っています。
勉強を押し付けられて、できなければ叱られました。
今になって思えば、親が子のことをそれだけ真剣に考えてくれていたことに気づきます。
昔の厳しい経験は、今思えば「ああ。あのおかげなんだな」と感謝すらできるようになります。
楽しいことが良いことであり、つらいことは悪いこととは限りません。
厳しかったことやつらかったことは、後になるほど、不思議なことに自分の精神的な強さへと変わります。
若いうちにしておかなければならないことの1つに「人と同じことをしてはいけない」ということがあります。
若い時期というのは、周りに合わせた行動をしてしまいがちです。
みんなと同じ考えを持ち、周りと同じ行動をしたりします。
流行に乗って同じような服を着たり、はやりの髪型にしたり、周りの意見に合わせて自分の意見を包み隠すということです。
若いころは、いつも誰かと群れてばかりです。
学校では「みんなと同じようにすること」という「協調性」を叩き込まれていました。
同じようにすることが正しいことだと思っていました。
そうでなければ、周りから変な目で見られ「あの人、変」と思われてしまうからです。
しかし、今、思えば人と同じようにすることなど、初めからできるわけがないのです。
性格も個性も声も体格も、人によってそれぞれ違いがあります。
同じようにする努力は、つまり自分をなくしてしまうという努力になってしまうのです。
違うところこそ、良いのだと気づくことが必要だったのです。
人と違うところを見つけ、自分だけの特徴を見つけ、伸ばしていくという努力をしていかなければならなかったのです。
もっと自分らしくなれ、自分だけの特徴を生かした勉強や学部、職業、生き方をしていくことができるようになるのです。
好きなことばかりやっていると、自然と知識や知恵が身につきます。
好きだから努力も我慢も忍耐も不要です。
わくわくという楽しい気持ちしかありません。
私は小さいころから機械系が得意でした。
コンデンサー、小型モーター、小型集積回路などの組み合わせを使って、機械ばかりいじっていました。
そもそも父が機械関係の会社に勤めていたため、家には機械の部品がごろごろ転がっていました。
こうした環境が機械に触れるきっかけになったのです。
私が機械系に強くなったのは、父からの影響があります。
「将来はロボットをつくる!」
当時はそのように本気で考えていて「キテレツ大百科」のキテレツに憧れを抱いていました。
私の父はそれを見て「そんなことはどうでもいい……」とは言いませんでした。
代わりに「もっとしなさい。好きなだけしなさい」と言いました。
才能は好きなことの中に存在し、好きなことに没頭することこそ個人の能力が発揮されることを知っていたのでした。
学校ではいちばん点数のいい科目ばかりを勉強していると叱られます。
理科で100点を取って、理科ばかり勉強をしていると「もう理科はいいから、算数の30点をなんとかしなさい」と叱られます。
「得意な勉強はしなくていい。苦手な勉強こそ克服しなければいけない」という学校側の考えに、当時から疑問を抱いていました。
成人して大人になった今、振り返ってみると、好きなことばかりをやっているほうが現在の役に立っていることに気づきます。
嫌いな勉強が今の支えになっていると言うより、好きな勉強が今の支えになっています。
小さなころに機械いじりが好きで没頭できたおかげで、その分野に関して得意になり、今はその延長の仕事をしています。
給食で食べられないものを無理やり食べさせて、おいしく食べられるようになった話など、聞いたことがありません。
同じように、気持ちがない勉強を無理やりやって、それが将来の才能につながるということはないのです。
将来につながることは、好きな勉強や好きな科目という「好きの中」に存在するのです。
苦手なことを克服しようとする努力があれば、好きなことを思う存分勉強する努力に注ぎましょう。
個人の能力の差別化にもなり、武器へと変わるのです。
大人になるにつれて、やっかみやしがらみが増えていくのは事実です。
一度社会に出れば嫌な上司と顔を合わせなくてはならなくなるし、行きたくもない付き合いに行かなければならないときもあります。
結婚をすれば相手のご両親や親戚との付き合いも増え、子どもが生まれれば養育費や教育費がかかります。
食費にもお金がかかるため、考えなければならないことも増えてきます。
年を取ればどうしても体は衰え、病気になりやすくなり、病院に通うようになります。
若いときには、こうした悩みが一切ありません。
お金のことも、将来のことも、結婚も子どもの養育費も考える必要はなく、好きなように何の問題もなく過ごしていけるのです。
大人になってからでは、今より悩みが増え、しがらみややっかみが増え、自分の使える時間とお金は少なくなります。
時間もあり、自由もある若いときにできるだけたくさんの自分磨きをしておくことです。
勉強に没頭したり、1人で旅行に行ったり、習い事をしたりと、自分が向上できることを今のうちにたくさんしておきましょう。
その分、社会に出たときに、ほかの人より1歩も2歩も差をつけることができます。
学生時代の過ごし方は、その人の一生に大きく影響を与えています。
同じ勉強でも、若いときと中年のときとでは、大きな差があります。
記憶力も吸収力も体力もあり、時間も若いうちのほうが圧倒的に多いですから、身につける環境はこの上なくそろっているのです。
学生時代の努力は、今は小さなことかもしれませんが、あとから2倍にも3倍にも大きくなるのです。
若い学生時代は、自分で決める機会があまりありません。
学校では宿題は先生が出してくれるし、答えも先生が教えてくれます。
どのような勉強をどう進めていくかも、自分で決める必要はなく、カリキュラムに沿って学校が自動的に進めてくれます。
何時から何時まで学校なのかも、学校側で決めてくれます。
小中学生は特にお金を稼ぐ必要がなく、親が出してくれますから、仕事をすることもなければ苦労することもありません。
周りの「ああしなさい、こうしなさい」という声に従っていれば、大きな問題もなく過ごすことができてしまいます。
大人になってからも、自分で何かを決めてアクションを起こすということができない人が多くいます。
大人になってから、自分のことを自分で決められない人が多いのです。
「どっちでもいい」
こうした言葉が口癖になっている人が、あなたの周りにいませんか。
「どっちでもいい」という答え方は、自分で自分のことを決められないことを表現した言葉です。
子どものときならまだいいでしょう。
しかし、大人になってからも「どっちでもいい」という答え方をしている人は、自分で自分のことを決められない人です。
自分で決めないのは、自分で責任を持つことが怖いから、責任逃れをしているにすぎないのです。
周りの言葉ばかりに従っていくロボット人間を卒業です。
若いうちから、自分で自分のことを決める癖をつけることです。
自分で自分のことを決め、自分で行動をする癖をつけておかないと、大人になってから言われるがままに仕事をする人間になります。
どんなことをしたいのか。
どんな仕事をしたいのか。
そのためにはどうすればいいのか。
どんな学校のどんな学部が自分に合っているのか。
周りの声に、何の疑いもなく従っていませんか。
世界にたった1人だけの自分のことは自分でしかわからないことなのです。
子どものころにあった良いことは、永遠に続くように考えてしまいがちです。
仲のいい友人、人間関係、住む場所、家の周りにある草木などです。
しかし、実際は、同じことが同じ状態でずっと変わらず永遠に続くことなんてないのです。
時間が進み、時代が変われば家の近所にあった大きな木、池、家がなくなり、もう同じものを見る機会が二度となくなります。
年を重ねていけば、友人関係も変わり、学校も変わり、趣味も変わり、価値観も変わり、恋愛も変わります。
すべてが時とともに変化をして、同じことがずっと続くわけではないことを若いうちから知り、覚悟しておく必要があります。
つまり「変化に強い人間」に、若いうちになっておくことが大切だということです。
良いことも悪いこともずっと続くわけではなく、単なる変化の一部であり、そうなることが自然なのです。
私は小学校時代に付き合っていた友人関係と、今現在の友人関係はまったく異なっています。
子どものころに「この人と一生友人だ」と思っていた人とも、成長に伴い学校や仕事も別の道を歩むと、連絡を取らなくなりました。
あれほど仲が良かったのに、まったくの音沙汰なしです。
時間が進み、成長が進んでいけば、当然変化も同じように進んでいくのです。
同じ人間関係がずっと続くということはないのです。
また家の周りの風景も、ずいぶん変わりました。
以前は草が生え、川が自然のまま流れていたのに、今ではコンクリートで固められた川になり、草や木も少なくなりました。
失恋をして絶望があっても、永遠に続くわけではなく、時間とともに立ち直ってしまいます。
今では、けろりとしているほどです。
若いうちから良いことも悪いことも永遠ではないことを、知っておく必要があるのです。
今の私の状態でさえ、10年後には同じとは限りません。
おそらく人間関係も変わり、住んでいる場所も変わり、やっている仕事も変わっているかもしれません。
私にもわかりませんが、ただ間違いないことは「何かが必ず変わる」ということだけです。
万物は川の流れのように流転しており、同じ場所にじっとしていることはあり得ないのです。
免疫力を、子どものころからつけておかないと、大人になってからとても苦労します。
免疫力とはいえ、健康面での免疫力ではありません。
もちろん健康面での免疫力も大切なのですが、それより「精神的な免疫力」のほうがはるかに重要なのです。
精神的な免疫力がなければ、体がいくら丈夫でも動かなくなってしまうからです。
ささいな失敗で精神的に落ち込んで、何も行動できなくなってしまうことを経験したことがありませんか。
恋愛に挫折して、次の恋へのステップが踏めなくなってしまう。
先生に叱られて落ち込んで、行動することが怖くなってしまう。
恥ずかしい目に遭うのが嫌だから、何もしない癖がつく。
人間が行動できないいちばんの理由は、体に障害があるとか、不自由であるとか、病気であるとかではありません。
精神的に免疫がなく、ささいなことですぐ落ち込んでしまうから、行動できなくなってしまうのです。
若い時期にしておかなければならないことの1つに、たくさんの失敗を経験して、精神的な免疫力をつけておくということです。
これは若いうちだからこそ、つけておくほうがいいのです。
若いうちならやり直しができ、立ち直りも早く、リスクが小さくてすみます。
若い時期にたくさんの失敗を経験しておくことで「失敗を失敗と感じなくなる感性」を身につけておくことです。
たくさん失敗しておくほうが「そのおかげで何かが良くなる」ことを感覚的に知っておけば、失敗することが怖くなくなります。
「失敗は成功の種」ということに早い時期に気づいておけば、暗い人生を歩むことはなくなるのです。
子どものころは、たくさんの失敗を経験しておくことが大切です。
失敗に対する精神的な免疫力をつけるためだけでなく、何事も初めからうまくいくわけがないことを知っておくためです。
初めからうまくいくことのほうが珍しく、ほとんどの場合たくさんの失敗や挫折の先にやっと小さな成功があるのです。
「最初から大成功ということがない」ということを知っておくことは「諦めない力」を身につけることと同じです。
諦めない力は、2回や3回の失敗ではすぐ諦めず、うまくいくまで何度もやり続ける意識の持ちようのことを言います。
将来、仕事をするとき(特に新人時代)には、仕事の方法がわからないのでたくさんの失敗をすることでしょう。
上司から怒鳴られながら仕事を続けるためには、まず1回ですべてがうまくいくことは珍しいことを知っておかなければなりません。
できないからとはいえ、すぐさじを投げてしまうことでは、仕事は長続きしません。
そういう人は、1回失敗をしただけで「もうダメだ」と思い、現実から逃げる癖がついています。
本当は、初めからうまくいかないほうが当たり前だというのに、すぐできなかったことに自分で自分を責めてしまうのです。
学校で良い成績を取る人は、それだけたくさんの問題をこなしてきた人です。
たくさんの問題をこなしてきたことで、たくさん間違えて、できないところや弱点を見つけ、克服していったのです。
成績の良い人でも、初めからうまくいっていたわけではなく、たくさん問題を間違えたから、できるようになっていったのです。
初めからうまくいかないことを知り、たくさんの間違いをすることで、正解に近づくものだと考えましょう。
そうすれば、一度や二度の失敗は何でもなくなるのです。
私がまだ幼いころは、スタートはいつもゼロから始まるものだと思っていました。
始めた瞬間がゼロで、そこから物事を進めていくことで1歩、2歩と前に進むことができるものだと思っていました。
しかし、実際は、いくらやっても全然効果が現れていないことのほうが、圧倒的に多いことに気づきます。
ゼロからのスタートなら、初めてすぐ効果が現れてもおかしくはありませんが、実際はすぐ効果は出てきてくれません。
たとえば、健康についてです。
運動不足だからとはいえ今日運動したから、明日からすぐ解消されるわけではありません。
毎日少しずつ運動を続けて、初めてほんの少し解消されるものなのです。
勉強も同じく、今日1日だけ頑張れば、明日はいきなり100点が取れるということもありません。
テストで良い成績を収めるためには、ちょっと教科書をかじっただけでは何の意味もありません。
日々の努力が積み重なり、初めて成績にほんの少し反映されるものなのです。
すべてのスタートは、実はゼロからではなく、本当はマイナスからです。
「やってすぐできるわけがない」
「やってすぐ効果が現れるわけではない」
これらはおかしなことではなく、当たり前であり、普通なのです。
スタートは、いつもマイナスから始まるものだからです。
マイナスからのスタートですから、初めは何の効果もなく、意味もないことのように感じられます。
運動・練習・勉強など、どれをやっても、最初はなかなか効果が実感できません。
スタートがマイナスから始まっているからです。
それを習慣として毎日こつこつ積み重ねることで、初めてゼロへとたどり着き、そうしてやっと効果が出てくるものなのです。
マイナスとはいえ、見えないところで少しずつ効果は出ています。
表面には表れませんが、水面下では着実にマイナスから這い上がってきているため、そこですぐ諦めないことが大切なのです。
子どものころと大人になってからの大きな違いの1つに、人間関係があります。
大人になるとたった1人になりたくても、なれなくなります。
仕事では必ず職場の仲間(同僚、上司)と接しますし、結婚すれば相手方のご両親との付き合いも増えます。
結婚によって毎日妻と接するようになり、夜更かしもしづらく、家に帰らない日は妻に寂しい思いをさせてしまいます。
子どもがいれば面倒を見る必要も出てきますし、休日も遊んであげないといけません。
ほうっておけばいいわけにはいかない人間関係ばかりが増えるのです。
大人になると1人になりたくても、若いときのように自由勝手に1人になることは難しいのです。
まだ社会に出る前の若いころは、その気になればいつでもたった1人になることができました。
学生時代の一人暮らしは、自由天国です。
いつ寝てもいつ起きても、帰る時間や洗濯の時間、食事のメニューなど、1人で自由にできました。
若いころは結婚もまだしていないから、夜更かしも休日も何の気兼ねもなく自由に時間を使うこともできます。
1人になれるということは、時間も自由に使え、大変贅沢なことなのです。
しかし、若い時期に限っていつも群れてばかりで、たった1人になって行動することが寂しくてできない人が多いのです。
合コンやコンパに走ったり、寂しいからと友人と群れてカラオケやクラブばかりに通ったりと、いつも誰かと一緒にいます。
これは大変もったいないことです。
今しかなれない1人の時間を有意義に使えるのは、若い時期だからこそできることです。
若い今のうちに1人だけの時間をできるだけたくさん持ち、自分磨きをしておくほうがいいのです。
私が今まで多くの人と接してきた中で、ある日、面白い共通点を見つけました。
「おしゃべり好きな人ほど行動しない」ということです。
エネルギッシュにおしゃべりをする人ほど、行動もエネルギッシュと思われがちです。
しかし、おしゃべりな人ほど行動をしない人が圧倒しているのです。
口に出すことは、思ったより簡単なことです。
「今、~をやろうと思っているの」
「私は~もできるよ。すごいでしょ」
たかだかに自慢をすることは、口さえ動かせばいいので努力も必要なくて簡単です。
しかし、話してばかりでエネルギーを使い果たして、肝心の行動するまでに至っていない人が多いのです。
話す人は、口からエネルギーが抜け出しています。
実際に行動してもいないのに、しゃべった分だけ行動した気になってしまっています。
逆に、話さない人のほうが、行動的です。
自分が本当に望んでいることは、誰にも邪魔をされたくない気持ちが強くなります。
すると自分がやろうとしていることを邪魔されないように、そう簡単には他人にぺらぺらと話さないのです。
話してしまうと「できるわけがない」「やっても無駄だよ」と否定的な言葉が返ってきて、やる気を奪われるのを知っています。
本当に行動をしたいと言う人は、そう簡単に人に話すという行為はしませんし、話さないようになるのです。
本気でやろうとしているので邪魔になることはせず、だから人に簡単に話すようなリスクの高いことは避けようとするものなのです。
若いころに、話す前に行動をする癖をつけておくことです。
「~しようと思っているの」ではなく「~したよ」というふうに会話の内容を変えることです。
「~しようと思っているの」という話はできるだけ避けましょう。
行動し終えてから「~したよ」と話す癖を若い時期につけておくことです。
行動する癖は、話し方から変えていくことが大切なのです。
友人の層が変わるということは、自分が成長したということです。
自分の周りに存在する人たちは、自分が磁石となり引き寄せられた人たちです。
学校では仲のいい人と付き合います。
大学では、気の合う人と関わったり勉強したり遊んだりします。
それは自分に合っている人だからこそ付き合えるし、付き合っています。
自分という磁石に合った人たちが、自分の周りに存在しています。
あなたの周りにいる友人の層は、つまりあなたの鏡と思ってください。
比較的、あなたにそっくりな人が集まっているはずです。
あなたがあなただから、それ相応の人と付き合いができ、続けることができています。
さて、ここからが大切なポイントです。
若いときは、特に成長の早い時期。
思春期で自我に目覚め、個性を追及していけば、自分の価値観が芽生えるようになり、成長もぐんぐん伸びていきます。
すると、今の友人とは話が合わなくなることがあります。
付き合いを続けても違和感が出てくるようになり、一緒にいることが苦痛になります。
自分の性格が悪くなり、冷たい人間になったのではないかという錯覚に陥ることでしょう。
しかし、実はそうではなくて、これはあなたが成長した証拠です。
あなたが成長すれば、必ず考え方や話し方が変わります。
以前は音楽や流行の話ばかりしていたのに、大人になり人生についての話ばかりするようになると、友人との話も合わなくなります。
自分が成長して考え方や話し方が変われば、その考えや話し方に合ったほかの人たちとの付き合いをするようになります。
以前の友人関係は捨てることになり、新しい人間関係に切り替わります。
これが「付き合う友人の層が変わる」ということです。
若い時期には、一度は友人を捨てないといけない時期に巡り合います。
それはあなたの成長が順調であればあるほど、友人の層が変わります。
成長すれば、そうなります。
自分が成長すれば、いずれ今の友人とは話が合わなくなるのは当然だからです。
友人を捨てることは、嫌いになったわけではなく、自分が成長した分、付き合う人の種類を変えるということです。
私は高校2年の夏休みの1カ月間、猛烈に勉強をしたことがあります。
1日に12時間ほど勉強しました。
寝ている時間と食事する時間以外は、ほとんど勉強時間でした。
当時、レベルの高い国立大学を目指して、猛勉強をしていました。
勉強そのものが楽しかったこともあり、余計に勉強に拍車がかかっていました。
はじめの1週間くらいは良かったのですが、しばらくして、調子がおかしくなってきました。
髪の毛が抜けてきたり、肌の調子が悪くなったり、表情も悪くなったりと、だんだん体の調子が悪くなっていきました。
自分のやりたい気持ちとは裏腹に、体の調子は次第に悪くなりました。
母から「タカヒロ、顔色が悪いよ」と言われるくらいになっていました。
さすがに夏休みの後半では、体がふらふらしてきて「そろそろやばいな」という境界線を一度経験したことがあります。
自分の体がこの辺りまでは耐えられるであろう限界です。
一度、自分の限界に触れる経験をしておくと、その後は計画が立てやすくなる恩恵があります。
私のその夏休みの猛勉強で自分の限界を知ったおかげで、あとから、計画性が良くなりました。
「このくらいならまだ大丈夫だろう」
「この期間なら、スケジュールをこのくらいは詰め込めるな」
「今の体力なら、このくらいこなせる」
頭の中でだいたいの感覚がつかめるようになってきて、自己管理に生かせるようになりました。
体が丈夫な若いうちに、自分の限界に挑戦するようなひどい地獄を一度は経験しておくことは、あとからの財産になります。
若いうちに、自分の限界を経験することは貴重です。
限界を経験しておくと、自分はどこまでやれるのかがわかります。
これも、自分を知ることの1つなのです。
恥ずかしい経験は、若いうちならいくらやっても許されます。
子どものころの恥ずかしい経験はまだ周りの人の優しい目があります。
「まだまだ若いから大丈夫」
「最初はできなくて当然」
恥ずかしい経験をしても、応援してくれる人さえいます。
若い時期はまだ世間のことを何も知らないがゆえにたくさんの失敗とそれに伴う恥ずかしい経験をしてしまいます。
しかし、私もそうだったのですが、そうした経験をたくさんしておくことで初めてわかることがあります。
初めてのテーブルマナーはどうすればいいのかまったくわからず、最初は必ず失敗します。
しかし、恥ずかしい経験をしておくことで「こうしてはいけない、こうすればいい」ことがわかり、成長していくのです。
若い時期とはどんな時期なのかというと、失敗を許してもらえる時期です。
勉強も恋愛も人付き合いも、失敗や恥ずかしい経験をいくらしたところですべて許してもらえます。
社会に出てお金が絡んでくると、たかが1回の失敗でも大騒ぎになることがあります。
まだ許してもらえる若い時期に、できるだけたくさんの恥ずかしい経験をして、大人になる前の下準備をしておきましょう。
10代のころは、誰しも一度は大きな夢を思い描きます。
若いころは、まだ世間のことを知らないため、壮大な願いを夢見ます。
「大スターになる」
「芸能人になって有名になる」
「大きな会社の社長になる」
「英語をぺらぺらとしゃべり、世界的な仕事をしたい」
子どものときは、どんな夢でも、自動的に実現するものと考える傾向があります。
私も小学生のころはエジソンに憧れを抱いていて「発明家になる!」と当時は本気で考えていました。
10代のころは、みな革命家です。
それが高校、大学、社会へと上がるにつれて「壮大な願いを叶えるのは難しい」という現実に直面します。
大学受験の難しさに挫折したり、社会に出てからのお金のやりくりに限界を感じたり、仕事の忙しさに自分の夢を忘れたりなどです。
大人になるにつれて、遠い昔に描いていた夢を忘れてしまった人が数多く存在しているのです。
子どもはみな元気で生き生きしているのに、ぐったりしている大人が多いのは、夢を持っているか持っていないかの違いです。
将来に光が感じられれば元気になり、やる気も出ますが、夢を諦め捨ててしまったときには目指すものがなくなります。
実際に夢を見ることだけなら、努力も力も必要なく頭の中で描くだけです。
しかし、それを叶えようとするなら、具体的な行動力が必要です。
一度しかない人生です。
自分に正直な道を選ぶことが大切です。
若いうちなら、お金の失敗も軽くてすみます。
どれもお金に関する失敗ばかりですが、子どものころはどれも致命的な傷になることはありません。
100万円もの単位での失敗ではなく、たかだか100円や1,000円程度です。
大きな金額でも、1万円くらいでしょう。
同じ失敗でも金額の大きさによって、傷の深さが違います。
子どものころは大金を持つ機会がないため、お金の失敗をしても金額的には大きくはありません。
金銭的には小さな痛みで済ませることができる特別な時期なのです。
しかし、幼い子どもには、たかだか100円の失敗でも大きな失敗と感じます。
扱う金額が小さい分、100円でさえも大きなお金で失敗してしまったと思ってしまうのです。
これが若い時期だからこそ得られる特別な感性です。
子どものころには、できるだけたくさんのお金の失敗をしておくことです。
子どものころにお金に触る機会がないと、お金の勉強不足のため、大人になってから苦しみます。
学校では肝心のお金の勉強はしてくれず、ほったらかしです。
誰しもお金の勉強が不足しています。
お金の勉強不足を解消するために、痛みが小さい子どもの時期から小さなお金の失敗をしておくほうがいいのです。
「子どもがお金を持つものじゃありません」
こういうことをいう親は結局子どもにお金の勉強をさせる機会を奪ってしまっているのです。
痛みが小さくてすむ子どもの時期だからこそお金を持たせ、失敗をさせて考えさせる機会を持たせたほうがいいわけです。
子どものころの失敗は、許される時期ですから、痛みが小さいうちにトラブルを経験しておくほうが、使い方が上手になるのです。
私は「わからないとき」には、とりあえず近づいてみることにしています。
近づいてみれば「何かがわかるから」です。
磁石と同じです。
磁石同士が、ある一定の距離で離れているとき「引き寄せ合う力」なのか「反発する力」なのかは、じっとしていてはわかりません。
自分がN極であり、相手がS極なら、近づいたとたんに引き寄せられます。
一般的にいう「話が合う」「意気投合する」といった感じです。
しかし、自分がN極で、相手もN極なら、近づいたとたん当然反発し合います。
一般的にいう「そりが合わない」「話が合わない」「趣味が違う」「価値観が違う」ということです。
近づけば、簡単に答えがわかるのです。
近づいたときに得られる結果は、必ず次の3通りのどれかになります。
どんなものであろうと、自分に合うものなのか合わないものなのかと確かめるとき、磁石のように近づいてみればいいのです。
自分に合っていれば、近づいたとたんに引き寄せられる力を感じます。
力を入れなくても、自然と引き寄せられ「これは自分に合っているな」とわかります。
妙に心地よい気分になったり、不思議と楽しく感じたり、努力なんてしなくても勝手に体がそうしてしまうときです。
しかし、合っていないものは、近づいたとたんに反発する力を感じます。
不快な気分になったり、心地よくなかったり、面白くなかったりです。
引き寄せられることもなく、反発することもないことは、自分にはそもそも関係のないことだということです。
イチゴケーキはチョコレートケーキと対立しますが、イチゴケーキが飛行機と比べられることはありません。
そもそもの土俵が違いますから、関係がなく、比較のしようもないからです。
引き寄せられることも反発し合うこともないのは、自分とは関係がなく、比べることでもないということです。
こうした事実を知っておけば、わからないときに頭の中で考えて解決しようとすることがいかに効率の悪いことかがわかります。
頭の中だけでは本当の答えはわからず、近づいてみるだけで真実が見えてくるからです。
わからないときには、単純に対象に近づいてみればいいのです。
若い時期には自分に何が合うのかはわかりません。
わからないことだらけです。
恋愛でも「引っ張ってくれる人のほうがいい」と思っても、付き合ってみると自分が引っ張る立場のほうが良かったりします。
そもそも頭の中だけで思い描くことは、必ずしもそれが正解だとは限らないからです。
いちばん正しい答えを見つける方法は、単純に「近づいてみればいい」だけです。
知識もテクニックも時間も必要なくすぐ実行でき、頭の中で考えるだけより具体的にわかることなのです。
自分に合うのかどうなのかと迷ったときには、とりあえず近づくだけでわかるのです。
一生に一度だけある青春時代は、若いときだけの特別な時期です。
お金こそはないものの、時間と自由があり、体力も元気もあります。
これほど生きるエネルギーが炎炎と燃えている時期はありません。
「青春を満喫する」という言葉がありますが、一度しかない青春時代をいかに満喫するかで人生ががらりと変わるのです。
こうしたことをどれだけやってのけたかで、後の人生は驚くほど変わるのです。
自分の色の濃さが深まり、人生の深さも変わります。
青春時代は自分なりの満喫の仕方で、パワーを爆発させてください。
爆発させても若い時期なら、すぐ立ち上がることができ、また爆発さえも許される特別な時期です。
私の場合は、高校2年から勉強が好きになり、猛烈にするようになりました。
当時の大学受験は苦しいながらも楽しく、いつも勉強をしていたものです。
その代わり勉強以外はほとんどしたことがなく、カラオケや遊びに出かけるということもほとんど記憶にありません。
友人と一緒にプラプラと街を歩いて楽しむということは数える程度しかありません。
それより、勉強が楽しくて仕方なかったのです。
学ぶことの楽しさを知り、本当に勉強が好きだったから、勉強そのものが遊びになっていました。
私の場合、学業に青春を燃やしたタイプです。
たくさん本を読んだり、何かを追求したりすることで考えることが癖になりました。
学業の範囲を超えて、人生についても考えるようになり、今のようにたくさんの文章が書けるようになっていきました。
不思議と青春時代が私の根っことなり、今の私という木を支えてくれています。
今の私がいるのは、青春時代に学業を楽しんだという根がよく伸びているため、安定して立っていられるわけです。
青春時代は根を生やして、大きく深く広げる時代です。
木が大きく伸びていくには、それだけ根っこがしっかりしていなければならないのです。
若い時期全体が、根っこという揺るぎない土台をしっかりつくる時代にあたります。
自分のやりたいことをやって、青春を満喫しておいたほうが、人生が楽しくなり、面白くなるのです。