人生では自分らしく生きることが大切です。
これに例外はありません。
自分らしく生きることが幸せの道です。
自分らしく生きるとは、自分が好きなことをやっていくことをいいます。
自分が好きなことをしていけば、いちばん自分らしいということです。
自分の好きなことが自分をいちばん幸せにし、いちばん自分を元気にさせてくれます。
「お金が欲しい」
資本主義の中で生きている私たちは、誰しも一度は考えることです。
たしかにお金は私たちが生きていくうえで避けては通れず、一生付き合わなければいけない存在です。
自分が本当に好きだと感じることは、どこかで「後ろめたさ」があります。
「他人に知られると侮辱にされるのではないか」と思い、こそこそとやっています。
こそこそするのは、なかなか大変なことです。
好きなことをしていてほかと違うところは、失敗でさえも喜びを感じてしまうところです。
自分が本当に好きなことは失敗をしてしまっても、悲しいどころか嬉しく感じてしまいます。
失敗を嬉しく感じてしまうことは、自分がそれだけ好きなことを愛しているということです。
今、好きでこつこつしていることは、必ず将来のためになります。
今は大したことではないかもしれません。
しかし、今は大したことでなくても、ずっと続けていれば必ず将来に花開くときがやってきます。
目標は、目的があって初めて存在します。
目的とは100メートルハードルでいう最後のゴールに当たります。
目標は、途中で立ちはだかるハードルに当たります。
物事を始めるきっかけとしていちばん自然なことは「楽しそうだから」という気持ちです。
新しいことを始めるときに「楽しそうだな」という気持ちをきっかけに始めるほうが、あなたのためになります。
決して「儲かりそうだから」とか「みんなに尊敬されそうだから」というきっかけで始めるのではありません。
人生において早すぎるということは、1つもありません。
「やりたい」と思ったときが、始めるべきいちばんの瞬間です。
世の中には「適齢期」と呼ばれることがたくさんあります。
私はいつも楽しいなと感じる瞬間には、できるだけほかの楽しいことも重ね合わせるようにしています。
楽しいなと感じることを1つだけ単体としてやるのではなく、2重3重にも重ねてやるようにしています。
たとえば、私は文章を書くことに楽しさを感じます。
私たちは、学校で「できるだけ失敗をしないように」と教えられて育ってきました。
国語や算数だけに限らず、すべての科目や出来事に「失敗はできるだけしないように」という教えのもとで、育まれてきました。
そのため私たちはいつの間にか、成功が善であり失敗が悪である意識を持つようになってしまいました。
何事でも、勉強は必要です。
特にやりたいことをやるためには、余計に勉強が必要です。
自分らしくいるためには、必ず勉強が大切です。
人に囲まれて生きている私たちは、他人の意見によって決め付けてしまうことがよくあります。
「あの人は、性格が悪いらしい」
「あれをやっても、何の効果もないらしい」
あなたが今、していることはまだ本当に一生懸命になっていません。
心のどこかで「うまくいかないかもしれない」という疑いを持っています。
「できる」と思っていると、できなかったときが怖いので「できないかもしれない」と疑いを持って心の準備をしているのです。
自分らしく生きるためには中途半端な生き方ではいけません。
逆に言えば、思いきった生き方が自分らしく生きるということです。
今あなたが目指していることがもし中途半端なら、あなたにとっても気持ちの良いことではないはずです。
人間が生まれたときは、真っ白な状態で生まれます。
何も知らない、何もわからない、何もできない。
この世に誕生したばかりの赤ちゃんは、このように真っ白な状態です。
案外自分で自分がどう見えているのかは、自分ではわからないものです。
私たちはまず他人の声によって、自分のことを知ります。
「○○さんって、努力家だよね」と言われることで「え、私って努力家なのかな」と思います。
自分の人生の選択肢を、自分で狭めていませんか。
「できない」
「できないかもしれない」
個性が自分でさえもよくわからなければ、まず1人になってみることをおすすめします。
個性は、1人になったときに初めて見えてくるものです。
他人と一緒にいるかぎり、少なからずその人たちからの影響を受けてしまい個性が隠れてしまうからです。
直感という言葉があります。
漢字のとおり「直接」「感じる」と書きます。
初めての経験でぴんときた感覚です。
人間らしく生きることから言うと、泣きたいときは泣いて、笑いたいときには笑うのがいちばん健康的です。
「~したい」ときにするのが、いちばんです。
「~したい」と感じるのは、あなたの脳がそれを必要としているからです。
「自己中心」という言葉には、どのようなイメージがありますか。
自分を第一に考えたり、わがままであったりなどの印象があるでしょう。
一般的に自己中心と言えば、悪い印象が多いのではないでしょうか。
負けて初めてわかることがあります。
自分が負けた悔しさや悲しさなどは、負けないかぎり絶対に経験できないし味わえないことです。
また「負けた原因」ということも、実際に負けてみないとわからないものです。
ペースが速い人と遅い人がいます。
どちらが早くゴールできるのかというと、速いペースがほうが早くゴールできると思われがちです。
しかし、一概に、そうとも言えません。
本当の個性を出していくためには、いらないところはどんどんと捨てることです。
もったいないと思われそうですが、捨てないかぎり、本当の個性は出てきません。
自分にとっていらないことをあえて捨てていくことで、本当に大切な部分だけが浮き彫りになって残っていきます。
個性は、量をこなしたときに初めて本物へと変わります。
人によってそれぞれの個性がありますが、残念なことにそれだけで終わらせてしまっている人がほとんどです。
せっかくの自分の個性があるというのに、それで満足して成長させていくことを止めてしまっているのです。
本当に好きなことをやっていけば、いずれ壁に当たるときがやってきます。
どんどん自分の好きなことをやって伸ばしていくと、あるところで「ここが限界かな」と思われるところがやってきます。
しかし、実際「限界」と感じれば、限界ではないことを証明しています。
「限界」と感じることは、限界ではありません。
ただその壁を乗り越えられないでいるのです。
世の中には限界ということはないため、なんとかして乗り越えられる方法があります。
「やらされていること」と「行っていること」が同じことでも、本人の気持ちには大きな違いがあります。
やらされていることは、まさに強制です。
本人のやりたい気持ちを一切無視した、仕方なく嫌がりながらやっているということです。
大学に受かる目的があれば、大学に受かるために勉強をする目標ができます。
実は、まだ小さな枠の話です。
大学受験が終われば、目的も目標もなくなり、無力感・空虚感に襲われます。
人生では自分らしく生きることが大切です。
これに例外はありません。
自分らしく生きることが幸せの道です。
ありのままの自分を生かすことになり、自分の人生を楽しむことにつながります。
「自分らしく生きたい!」という人は世の中に大勢います。
ストレスが減り、笑顔が増え、納得のいく人生を歩めるようになります。
もちろん自分らしく生きたいのは大いに結構ですが、ここで大切なことがあります。
「自分らしさを説明できるか」です。
言葉に詰まってしまうなら要注意です。
自分らしさがわかっていないのに、どうやって自分らしく生きるのでしょうか。
自分らしさがわかっていなければ、自分らしく生きられません。
人生は選択の連続です。
自分らしさがわかっていなければ、自分に合った選択がスムーズにできません。
目の前に選択肢があったとき、どれを選べばいいのかわからず迷ってしまいます。
進路に迷ったとき、どんな生き方が自分らしいのかわかりません。
自分のしたいことや好きなことがわかっていなければ、正しく選ぶのは困難でしょう。
自分らしく生きるためには、まず自分らしさをわかっていることが前提です。
日頃から自分の特徴や性格に目を向け、自分らしさの把握に努めてください。
どんな自分はどんな特徴があって、どんな性格なのか。
どんな考え方を持っていて、どんなことに喜びや幸せを感じるのか。
一言で言えば「自分はどんな人間なのか」ということです。
もちろん完全な把握は難しいかもしれませんが、ある程度の傾向であればわかるはずです。
20歳なら20年分の過去があり、30歳なら30年分の過去があります。
これまで生きてきた過去を振り返ることで、自分の特徴や性格が見えてくるはずです。
「なんだかいいな」「なんだか嫌だな」といった心の声も、自分らしさを知る手がかりになります。
自分らしさがわかっているからこそ、自分に合った選択肢を選べるようになります。
直感的に「こちらが良い」「こうすればいい」「こちらのほうが自分らしい」とわかるようになります。
自分の軸ができて、生きるべき道が見えてきます。
自分らしさがわかっていて、初めて自分らしく生きられるのです。
自分らしく生きるとは、自分が好きなことをやっていくことをいいます。
自分が好きなことをしていけば、いちばん自分らしいということです。
自分の好きなことが自分をいちばん幸せにし、いちばん自分を元気にさせてくれます。
単純でシンプルなことです。
しかし、これが実際にはなかなかできていない人が多いのが現実です。
正確にいうと、そうさせてくれない現実がそこにあります。
たとえば周りの人たちです。
周りにいる人たちは、あなたがやりたいことをやっていると「なぜそんなことやっているの」と見下したように言ってきます。
「そんなことして、何の意味があるの」
「そんなの将来何か役立つの」
「そんなことをするくらいなら、勉強しなさい」
「もっと現実的になったほうがいいよ」
あなたが努力していることを、しつこく邪魔をしてきます。
やってみたこともない人が、悟っているかのように批評し、マイナスな意見ばかりを並べてきます。
しかし、実際に好きで面白いと感じているのは、あなたです。
実際にあなたが面白いと感じ、好きでたまらないと思うなら、いちばんの正しい意見です。
周りの人は、あなたの行っていることを理解しようとせず、なんとかやめさせようと言ってきますが、聞き流してかまいません。
自分が好きで行っていることに、他人が口出しすることではないのです。
自分の好きなことまでも、他人の意見に流されることはありません。
自分の心に素直になりましょう。
あなたは今、好きなことにトライしていますか。
自分が好きだと感じ、していることなら、やめる必要はありません。
きっと周りの人たちは、あなたの行っていることをやめさせるようなことばかり言ってきますが、それを振り払う力を持つことです。
本当に好きだと感じれば、どんどんやっていきましょう。
周りの人が褒めてくれるからやるのではなく、自分が好きだからやることが、いちばんあなたらしく生きるということなのです。
「お金が欲しい」
資本主義の中で生きている私たちは、誰しも一度は考えることです。
たしかにお金は私たちが生きていくうえで避けては通れず、一生付き合わなければいけない存在です。
持っているお金の量に応じて、手に入れられる衣食住が大きく変わり、それに応じて生活の豊かさも変わります。
しかし、生活の豊かさが、人生の豊かさに比例するかというと、そうではありません。
生活が豊かでも、心の中が乏しい人が大勢います。
そんな人に共通していることは、利益を求めてしまっていることです。
利益を追い求めて生きているため、たしかにお金は人並み以上に手に入れられています。
幸せになるためには、お金がすべてだと信じ、そのお金のためにそれ以外を犠牲にします。
好きでもない仕事をいやいややったり、人を騙したりすると、自分らしくない生き方になります。
利益を第一に生きているために、お金を儲けられることを見つけると、自制心を失っているかのように飛びつきます。
お金を儲けるだけ儲けて、心の豊かさは変わらず、生活だけが豊かになります。
こういう人たちのサイクルに、お気づきですか。
生活の中に、自分が好きだと感じる要素がありません。
利益を第一に考えているために、好きなことが何なのかがわからなくなり、やりたいこともわからなくなってしまっているのです。
利益を追い求めた代償は、自分の好きなことができなくなってしまうことです。
お金こそがハッピーにさせてくれる救世主だと信じているため、お金以外のことには知らないふりになっているのです。
もちろん自分が「好きだ。面白い」と思うことにも知らないふりです。
お金のことだけに対しては必死になって飛びつきます。
本当は自分が好きだと感じることこそが心を豊かにさせてくれる救世主だというのに、それらには一切の興味を示しません。
自分の心に正直に生きていない人たちは、心を犠牲にし、自分の好きなことが何なのかさえわからなくなってしまっているのです。
利益というのは、自分の「好き」を貫いたときに初めて手に入れられます。
それまでは本当にお金に羽がついているのかと思うほど飛んでいき、なかなかお金は貯まりません。
しかし、本人は好きなことをして楽しんでいるため、それだけで十分に幸せを感じているのです。
自分が本当に好きだと感じることは、どこかで「後ろめたさ」があります。
「他人に知られると侮辱にされるのではないか」と思い、こそこそとやっています。
こそこそするのは、なかなか大変なことです。
人の気づかないところで、こっそりこそこそするのは、並の精神力ではありません。
それほどまでに好きだということなのです。
あなたが今こっそりしていることが、本当に好きなことです。
どうしてもやめられず、ついやってしまう。
それが本当にやりたいことであり、好きなことです。
あなたが今こっそりしていることは、何か罪悪感を抱いていたのではないですか。
罪悪感を抱く必要はありません。
あなたはただ自分が好きなことをするために、一生懸命に努力をしているのです。
こそこそは素晴らしい努力の結晶です。
それほどまでにやりたいことを大切にすることです。
好きなことをしていてほかと違うところは、失敗でさえも喜びを感じてしまうところです。
自分が本当に好きなことは失敗をしてしまっても、悲しいどころか嬉しく感じてしまいます。
失敗を嬉しく感じてしまうことは、自分がそれだけ好きなことを愛しているということです。
さらに奥深く探求でき、レベルの高いところに到達できたということなので、嬉しくて仕方ないのです。
好きなことに対して突き詰めることができるということほど、わくわくすることはありません。
失敗は、好きを突き詰めるための絶好のチャンスになります。
失敗することも時には大切です。
失敗から学ぶことは多いのです。
今、好きでこつこつしていることは、必ず将来のためになります。
今は大したことではないかもしれません。
しかし、今は大したことでなくても、ずっと続けていれば必ず将来に花開くときがやってきます。
今好きでしていることをやめないで、毎日続けていくと、大きな力をつけることができます。
続けられるのは、才能や適正がある証拠です。
これを日本のことわざで「大器晩成」といいます。
大きな器は、人生の晩年になってようやく大成功する意味です。
晩年になって成功する大物ほど、若いころはちびちびこつこつを積み重ねています。
小さな積み重ねを楽しみながら続ければ、必ず成就します。
ただし、途中でやめないことが前提です。
途中でやめたら、水の泡になります。
マラソンと同じです。
途中で棄権してしまっては、元も子もないのです。
できるだけ自分が長く続けられて、楽しく感じることができることを、続けていくことが大切です。
ペースは遅くてもかまいません。
小さなことも、積み重なれば、大きくなるのです。
目標は、目的があって初めて存在します。
目的とは100メートルハードルでいう最後のゴールに当たります。
目標は、途中で立ちはだかるハードルに当たります。
この100メートルハードルでゴールにたどり着くためには、ハードルという目標をいくつも乗り越えていかなければなりません。
一つひとつを確実に乗り越えて、初めてゴールにたどり着くことができるのです。
もし100メートルハードルにゴールという目的がなければどうでしょうか。
途中で立ちはだかるハードルという目標は、もう目標ではなくなります。
単なる置物になります。
人生も同じことがいえます。
あなたが普段好きでしていることには、必ず途中で目標が立ちはだかります。
好きを貫いてもっと深めるために、途中で乗り越えるべき壁が出てきます。
これが目標です。
たとえばある人がダンサーになりたいと願っていた。
ダンサーになる夢(目的)を叶えるためには、そのためにやらなければならないこと(目標)がたくさん出てきます。
目標というのは、目的があって初めて存在します。
ダンサーになる夢を持った人は、ダンスの練習をしたり、学校に通ったり、必要な資金を稼ぐためにアルバイトをしたりします。
「練習」「学校」「お金」という表現を使いましたが、これらは言い換えればすべて目標となります。
目的にたどり着くためにどうしても乗り越えなければならないハードル(目標)となるのです。
この目的と目標を履き違えている人が本当に多いと感じます。
目的と目標をしっかり区別して生きるようにしましょう。
いつの間にか目標が目的に変わっていて、本来自分が向かうべき道が脱線していることがあります。
目標は目的があって初めて存在し、目標を乗り越えなければ目的にも近づけないように人生はできています。
あなたが今好きでしていることをこつこつ続けていれば、きっと将来大きな花になります。
この将来大きな花というのが、目的です。
しかし、ここまでたどり着くまでに、あなたは星の数ほどたくさんの目標を、次々と乗り越えていかなければならないのです。
この流れをしっかり想像しておきましょう。
あなたがあなたらしく生きるために、人生の大きな設計図となります。
物事を始めるきっかけとしていちばん自然なことは「楽しそうだから」という気持ちです。
新しいことを始めるときに「楽しそうだな」という気持ちをきっかけに始めるほうが、あなたのためになります。
決して「儲かりそうだから」とか「みんなに尊敬されそうだから」というきっかけで始めるのではありません。
「儲かりそう」と考えるときは、自分が楽しいと感じる基準を無視しています。
お金のために動いているときは、お金のために自分が動かされていることになります。
「嫌だな」と感じることも、お金のためにしなければいけないため、気力が出にくくなります。
もちろん満足感でさえも、それほど得られることではありません。
「みんなに尊敬されそうだから」という理由で始めるときも、同じです。
自分本位ではなく、他人本位で考えています。
「尊敬されたい」と思うばかりに、他人の前では一生懸命になる一方、人のいないところではサボります。
尊敬されるためにしていることは、自分が楽しいと感じてしていることではないからです。
自分が楽しいからやります。
その結果、尊敬されるならいいのですが、尊敬を前提として生きていては毎日が苦しくなります。
いつも、他人の目を気にして生きることほど息苦しいことはありません。
自分がどれだけ楽しく面白くわくわくできるかを中心に、物事を決めていくことです。
自分本位に動くということは、自分らしく生きるということです。
自分の人生を他人の目など気にして生きている場合ではありません。
ただでさえ人生は短いというのに、自分以外のことに振り回されていては、自分らしく生きることはできなくなります。
楽しいことばかりをやっていれば、それだけで充実した時間を過ごせます。
自分が楽しいと感じることでなければ、やる気も根気も集中力も出てこないのです。
人生において早すぎるということは、1つもありません。
「やりたい」と思ったときが、始めるべきいちばんの瞬間です。
世の中には「適齢期」と呼ばれることがたくさんあります。
結婚するための「適齢期」。
健康について考えるための「適齢期」。
自分が勉強するための「適齢期」。
お金を勉強するための「適齢期」。
恋人をつくるための「適齢期」。
細かなことをあげれば切りがありません。
適齢期とはつまり「適切な時期」という意味ですが、困ったことにそれらはすべて他人が決めた時期のことです。
「一般的な統計から、この時期にするのがいちばんいいですよ」という客観的な視点から出した答えなのです。
自分が何かを始めるときに、客観的になる必要はありません。
自分がやるのですから、それこそ主観的になり、思いきり自己中心的になって考えたほうがいいのです。
何かを始めるときにいちばんの適齢期は、自分がやりたいと思ったときです。
結婚するための適齢期や勉強するための適齢期などは、自分が「やりたい」と思ったときに始めると、いちばん効果が高いのです。
結婚は、30代でも40代でもできます。
また勉強も学生時代しかできないということはなく、社会人になった30代40代でも「その気」さえあればいくらでもできます。
大切なことは、本人がやりたい気持ちがあるかどうかなのです。
始めるときに「やりたい」と思う気持ちは、なにより大切な行動基準です。
自分が自分らしく生きるために、自分の気持ちに正直になっていないと、自分らしく生きているとは言えないのです。
日本のことわざに「思い立ったら吉日」という言葉があります。
何かをしようと思い立ったら、その瞬間がやるべき瞬間だということです。
まさにこのことわざどおり、思い立ったらやってしまいましょう。
適齢期なんて、あってないようなものなのです。
決して早すぎることも遅すぎるということもないのです。
やりたいと思ったらやるのがいちばんなのです。
私はいつも楽しいなと感じる瞬間には、できるだけほかの楽しいことも重ね合わせるようにしています。
楽しいなと感じることを1つだけ単体としてやるのではなく、2重3重にも重ねてやるようにしています。
たとえば、私は文章を書くことに楽しさを感じます。
まさに今、私はその好きなことをやっている瞬間です。
今、私はコーヒーショップで本を書いているところです。
しかし、それだけでなく、テーブルには私の大好きなコーヒーも置いてあります。
今日は「CHAT NOIR(シャノアール)」というお店で、アイスコーヒーを注文しました。
ここは私がよく来るところで、この店の常連客になっています。
店員も「また来た」という感じでこちらを見ます。
休日の朝から来たためかお客さんはまばらで、いい感じで集中できています。
コーヒー好きな私は、好きなことをしながら好きなコーヒーを飲み、言葉にできないくらいの充実した時間を過ごせます。
決して大げさに表現しているわけでなく、楽しいことを同時に2重にも3重にも重ねてみると、幸せな気分に浸れます。
文章を書きながら、1杯のコーヒー。
それほどお金がかかることではありませんが、充実した時間です。
幸せになるために、大金が必要というわけではないと気づかせてくれる瞬間です。
こんな楽しいと感じることをうまく2重に重ねたりすると、幸せ効果も倍増してしまう私の知恵です。
今、あなたがやっている楽しいことに、もう1つ楽しいことを同時に重ねてみてはどうでしょうか。
楽しいことに楽しいことを重ねると、効果が2倍にも3倍にもなってしまうのです。
私たちは、学校で「できるだけ失敗をしないように」と教えられて育ってきました。
国語や算数だけに限らず、すべての科目や出来事に「失敗はできるだけしないように」という教えのもとで、育まれてきました。
そのため私たちはいつの間にか、成功が善であり失敗が悪である意識を持つようになってしまいました。
日本人は思いきった行動ができない国民となり、失敗しないようにと考えるあまりに行動力も一緒になくなってしまったのです。
行動力がない原因が「失敗をしないように」と考えるところにあるということは、行動力を高めるポイントもそこにあります。
つまり「失敗してもいい」と考えるようになると、行動できるようになります。
自分が自分らしく生きるために、失敗を恐れてしまっては、何もできなくなります。
失敗をすることで学べ、成長や向上に向けて具体的な策を考えることができるようになります。
むしろ「失敗をしないように」と考えるうちは、自分らしく生きられないと考えることです。
自分らしく生きる道は「失敗してもいい」と考えるときに表れます。
どんどん叱られてどんどん失敗できるところにこそ「本当の道」があるのです。
何事でも、勉強は必要です。
特にやりたいことをやるためには、余計に勉強が必要です。
自分らしくいるためには、必ず勉強が大切です。
勉強する習慣、勉強するための体力、勉強するための志など、自分のために必要なことを身につけていかなければなりません。
勉強とは大変なことと思うかもしれませんが、実際のところ自分のために必要なことを身につけることなので楽しさがあります。
勉強は決してやらされてやるのではなく、自分のために必要なことを身につけていると考えれば、勉強そのものが楽しくなります。
私は日頃から読書を習慣としています。
人からは勉強家だねと言われますが、それにちょっとした違和感を持ってしまいます。
私には勉強している感覚はなく、むしろ遊んでいる感覚です。
子どもがかくれんぼをしてわいわいやっている感覚に近いものがあります。
「どこに何があるのか」と、笑顔で楽しんでいる感じです。
ただ楽しいからやっているだけで、自分に必要なことだからやっているだけです。
自分がもっと自分らしく生きるために、必要な知識を身につけているだけです。
自分のためにやっているから「勉強」ではなく「楽しみ」です。
自分のためにやっていれば、たとえ勉強でも楽しいものになります。
勉強をすれば、もっとやりたいことや、奥深くまで知ることができると思えば、もはや勉強ではなく楽しみになってしまうのです。
人に囲まれて生きている私たちは、他人の意見によって決め付けてしまうことがよくあります。
「あの人は、性格が悪いらしい」
「あれをやっても、何の効果もないらしい」
「あそこは思ったより汚いところだったらしい」
このように「~らしい」と他人の話を自分の話にすり替えて、あなたに言ってきます。
しかし、それらの言葉をあなたは本当に信じる必要はありません。
参考程度くらいにするのはいいでしょう。
しかし、間違っても、それらをすべて本当に信じる必要はありません。
他人が経験したり感じたりしたことは、他人がしたことであって、あなたが経験したことではありません。
他人が「思ったより汚かった」というところでも、あなたがそこにいけば「思ったよりきれいだった」と感じるかもしれません。
価値観というのは人それぞれであり、また感じ方も人それぞれです。
実際に本当のことを知るためには、やはりあなたが体験することが必要です。
自分が経験し感じて得られたことが、いちばん信用できる情報となります。
自分が体験したことなら「~らしい」とか「~だと思う」という不確定な表現はなくなります。
はっきり「~です」と言い切ることができるようになります。
私はいつも文章を書くときに気をつけていることは、自分が経験したことだけを書くということです。
自分が経験したことでないと、自信を持って書くことができないからです。
自分が経験をしたこともないことは、書かないようにしています。
わからないからです。
本を読んだり他人から話を聞いて客観的に「知る」ことはできても「わかる」ことはできません。
「知る」と「わかる」には、大きな違いがあります。
話や本を読んで入ってくる情報は、まだ「知る」で止まっています。
しかし、実際に自分が体験して得られたことは「知る」から「わかる」へと変わります。
「知る」と「わかる」とでは、似たような意味でも実際は全然違うことなのです。
私はいつも自分が経験したことを元に文章を書いているため、文末では必ず「~です」「~ます」という言い切る形になっています。
これは自分が経験して得られたことなので「~です」「~ます」と自信を持って言い切ることができているのです。
経験したことのない話をするときには「~かもしれない」「~だと思う」「~でしょうか」という曖昧な表現になっています。
その多くは自分がまだ経験したことでないために、書いている本人でさえも自信がないことが垣間見えるところです。
どこかで頼りない文章になっています。
自分が体験したことほど、頼りがいがある情報はありません。
自分が身につく知識や知恵は、必ず体験から生まれてきます。
一般的に見てどうなのかを考えていると、それこそ「一般的」という外の情報に振り回されて意見を述べてしまうことになります。
自分が体験したことほど頼りがいのある存在はないというのに、不確定な他人の意見に振り回される必要はないのです。
この「自分が経験したこと」を元に行動していくほうが、力強く、自分らしく生きることができるのです。
あなたが今、していることはまだ本当に一生懸命になっていません。
心のどこかで「うまくいかないかもしれない」という疑いを持っています。
「できる」と思っていると、できなかったときが怖いので「できないかもしれない」と疑いを持って心の準備をしているのです。
心のブレーキになっているのです。
「できないかもしれない」と心の準備をすることは、もうできていません。
人間には思えば思うほど、その方向へ向かっていってしまう性質があります。
本当はできることですから、どこかで手抜きをしているところがもったいない。
やるときにはやる、やらないときにはやらないという白黒はっきりさせた生き方をすることが大切です。
中途半端な気持ちが、自分にはいちばんよくない状態です。
オリンピックに出る選手は、みんな自分が金メダルを取るものだと思っています。
金メダルを取るものだと思っている選手は、本当に金メダルを取ってしまいます。
「私にできないわけがない」という強い気持ちがあり、疑いがないからです。
しかし、ときとして金メダルを取ると思われていた人が、取れないときもあります。
そんなとき選手は、泣き崩れます。
自分が金メダルを取るものだと思い込んでいただけに、それだけ落ち込んでしまうのです。
しかし、それは今後の生き方に大きく影響を与えます。
一生懸命にやって信じていたものが崩れたほうが、悔しさを感じることができます。
銀メダルや銅メダルの選手が、次のオリンピックでは金メダルを取ってしまうという話はよくあります。
まさに取れなかったときの後悔をバネにした結果と言えます。
勝つときには、かっこよく勝ち、負けるときには気持ちよく負けるという白黒はっきりした気持ちのほうが、自分のためなのです。
たとえ恥ずかしさや悔しさでさえも、感じるときには心に突き刺さるくらいしっかり感じておくことです。
必ず、あなたの燃料になります。
恥ずかしい気持ちをしたくない一心で、あなたに磨きをかけてくれます。
はっきり意識することが重要です。
中途半端な気持ちでいると、中途半端な生き方になります。
オリンピックに出ている選手に、中途半端な気持ちで出ている人はいません。
だから強いのです。
決して「うまくいかないかもしれない」という中途半端な気持ちではないのです。
思いきり、ぶつかっていきます。
勝つときは思いきり勝ち、負けるときは思いきり負けてしまうほうが、気持ちいいのです。
自分らしく生きるためには中途半端な生き方ではいけません。
逆に言えば、思いきった生き方が自分らしく生きるということです。
今あなたが目指していることがもし中途半端なら、あなたにとっても気持ちの良いことではないはずです。
今あなたが行っていることは、思いきっていますか。
自分が目指していることほど、思いきってやるほうが自分らしく生きることができます。
個性は「まあまあ」とか「なんとなく」というところには表れません。
「思いきっている」ところにこそ、本当の個性が出てきます。
それは思いきることで、本当の自分が前へと出てきてくれるからです。
自分を表面に出していくことと思いきることは、比例します。
今テレビで活躍している人たちは、みんな思いきった生き方をしています。
自分の姿を思いきり全国に公開し、思いきった演技もすべて見せています。
プライベートこそ失われますが、本人は自分のためにやりたいことができています。
思いきって生きているから、それぞれが個性を出せ、その人のチャームポイントになっています。
逆に個性も存在感もない人は、すぐ忘れ去られます。
テレビで存在感の薄い人や決断が足りない人は、もう1つブレイクしません。
「なんとなく」とか「まあまあ」という存在感では、周りの人からの注目もいまひとつだからです。
自分がもっと自分らしく生きるために心がけることは「思いきること」です。
脇目もふらず、自分がやりたいことやすべきことに全力でぶつかっていくだけでいいのです。
人間が生まれたときは、真っ白な状態で生まれます。
何も知らない、何もわからない、何もできない。
この世に誕生したばかりの赤ちゃんは、このように真っ白な状態です。
しかし、この状態が、最も可能性の大きな状態でもあります。
生まれてきたばかりで最も「若い状態」であるだけに、それだけで可能性があるということなのです。
可能性の大きさは、あなたの若さに比例します。
時間や体力の面から言えば、やはり若いほうが余裕がある分、可能性も大きいと言えます。
たくさんの失敗をしても許されるし、単純にけがの治りも早い。
初めから健康な体を手に入れていて、少々の無理をしても立ち直りが早いのです。
若ければ「やり直し」ができます。
一度結婚をして子どもができたりすると、簡単に「やり直し」ができなくなります。
社会人である人は、転職することも年を取るほど難しくなります。
単純に若さは、それだけで強さになるのです。
あなたがまだ10代20代というなら、さらに自分らしく生きるための絶好の武器になります。
手に入れる必要はなく、もうすでに手に入れています。
若さとは、生まれた瞬間からみなが平等に持っているものです。
ただし時間の経過とともに、みなが平等に失っていくものでもあります。
増やすことも節約することもなく、時間に比例してどんどんと失われます。
あなたが今やるべきことは「今すぐ」です。
「今度やる」という習慣を持っていると、時間がどんどん過ぎてしまい、やりたいことも遅れ遅れになります。
今の努力は将来の2倍にも3倍にも跳ね返ってきます。
若さはゴールデンタイムのように「今がチャンス」の時期なのです。
努力をすればするほど、それだけ将来が明るくなります。
花を咲かせることと同じです。
花を少しでも早く咲かせたいと思うなら、単純に早くタネをまいてあげればいいことです。
タネをまいてから芽を出し、花が開くというのは多少の差はあれ、どの花もほぼ一定です。
最も大きな違いとなるのは、いつタネをまくかです。
タネをまかない人は、絶対に花が開くことはありません。
また少しでも早くにタネをまいた人は、それだけ早く花を開かせることができます。
将来成功したい人は、それだけ若いうちから成功のタネをまくことが大切です。
やりたいことを見つけ、楽しみながらどんどん伸ばしていくことで、それだけ成功は早くなります。
どれだけ若い時期に、どれだけ一生懸命になっているかということなのです。
花のタネを早いうちにまくことができる「若さ」を持っている人は、可能性を秘めているということなのです。
案外自分で自分がどう見えているのかは、自分ではわからないものです。
私たちはまず他人の声によって、自分のことを知ります。
「○○さんって、努力家だよね」と言われることで「え、私って努力家なのかな」と思います。
また「○○さんができるわけがないでしょ」と言われることで「やっぱり私にはできるわけがないか……」と思います。
自分が持っている心だというのに、動かしているのは自分ではなく他人という不思議さ。
心が弱い人は、自分で自分の心を動かすことができず、他人の言葉によって動かされてしまう人のことです。
自分の心を、他人に乗っとられています。
船を乗っ取るのは海賊ですが、心を乗っ取る海賊は他人です。
他人に振り回されているというのは、誰か他人に自分の心を乗っとられていることと同じなのです。
まず、自分で自分の心を操縦できるようにすることが大切です。
海を安全に航海できるのは、船をしっかり操縦することのできる船長がいることです。
同じように、あなたが自分らしく生きるためにもあなたがしっかりした船長になることです。
あなたの人生を航海していく船長は、誰でもないあなたです。
これを「周りに振り回されない」といいます。
自分の心を周りに振り回されないようにしっかり操縦できる船長になれば、自分らしく生きていくことができるようになります。
しっかりした船にしっかりした船長がいれば、たとえ外が雨、台風、嵐、雷でも、乗り越えていけます。
決して運がいいからではありません。
しっかり船を操縦できているからです。
自分の進むべき方向を決めるハンドルは、常に外ではなく内側にあります。
自分らしく生きるためには、周りに振り回されず、自分で自分の心をコントロールすることがポイントなのです。
自分の人生の選択肢を、自分で狭めていませんか。
「できない」
「できないかもしれない」
「できるわけがない」
「あり得ない」
こうした言葉によって、自分で自分を制限してしまっていませんか。
できないという言葉は、実際にやってみて失敗し、できないことがわかったときに初めて口にできる言葉です。
やりたいことがあるというのに「できるわけがない」と自分で自分の選択肢を狭めてしまう人がいます。
まだやってもいない人が、やらないうちから「できない」と決め付けているのです。
やってもいないのに「できるわけがない」と決め付けるのはおかしいのです。
決め付けるという行為は、自分の可能性をそれだけ狭くしてしまうことです。
まだやっていないということは、もしかしたらできるかもしれないということです。
「できないかもしれない=できるかもしれない」です。
私たちは「あなたにできるわけがない」という他人からの無責任な言葉によって、落ち込みをよく経験します。
次にもっと深刻なのは、他人の言葉を聞き入れることで今度は自分が自分に対して語りかけます。
「やっぱり私にはできるわけがない」「私なんかができるわけがない」と自分で自分の悪口を言い始めるようになります。
これは、悪の自己暗示です。
自分で自分の首を絞めています。
こうしたことは、日常ではよく起こっています。
ほとんどの場合、できないことではなく、トライしてもいないのに、できないと思い込んでしまっているのです。
他人の言葉はたしかに自分では操作できませんが、自分が自分に唱える言葉は自分で操作できます。
自分で自分の悪口を言うことは、人生において最もしてはいけないことの1つです。
自分で自分の悪口を言うほど、精神的に不健康なことはないのです。
選択肢を狭めている本当の張本人は、まさに自分ということです。
他人から言われる言葉によって振り回されていると思われがちですが、そんな言葉を心の中で大きく誇張させているのは自分です。
他人の言葉が怖ければ、笑って聞き流してしまえばいいことです。
あるいは、そんな友人とは付き合いをやめることです。
他人の悪口を言う友人は、良い友人とは言えません。
それよりまず自分が自分らしく生きるために、外の環境を整えることより、自分の内の環境を整えるほうがなにより第一です。
個性が自分でさえもよくわからなければ、まず1人になってみることをおすすめします。
個性は、1人になったときに初めて見えてくるものです。
他人と一緒にいるかぎり、少なからずその人たちからの影響を受けてしまい個性が隠れてしまうからです。
私たちは他人からの何気ない一言から影響を受けます。
また友人が誘うからという理由で行動したりもします。
しかし、それらは自分の意思で行っていることではありません。
あくまでも人からの影響を受けて、結果として起こったことです。
このように人と一緒にいるとその人たちから影響を受けることはとても自然なことで、いけないことではありません。
前向きに考えれば、友人から多くのことを学び、吸収できているということです。
ただ個性だけは、友人と一緒にいるとだんだん隠れます。
個性なのか、それとも友人からの影響なのか、わからなくなってしまうのです。
いま一度個性を再確認したければ、単純に1人になってみればいいのです。
たった1人で買い物に行ったり、1人で映画を見に行ったり、レストランで食事をしたりします。
するとそのときに感じたり、考えたりしたことが、本当のあなたらしさです。
他人からの影響をまったく受けず、素になって受けた感覚がいちばん正直なあなたの感覚です。
個性が自分でわからなくなっている人に限って、友人といつも一緒に行動しています。
友人と一緒では、友人からの言葉が自分の考えの中に紛れ込み、自分の考えなのか友人の考えなのか、わからなくなるものです。
個性がわからなくなっている場合は、自分が悪いのではなく、単に周りからの影響で隠れてしまっている場合があるのです。
私は本を書くときには、必ず1人になって書きます。
以前は、友人と一緒になって書き進めていたことがありました。
しかし、そうすると、自分でも目を覆いたくなるほど話に一貫性がなくなり、つじつまの合わない話になっていました。
友人と一緒になって考え、話しながら書いていると、いい作品ができません。
書いている内容に一貫性がなくなり、自分が考えたことなのか、それとも友人の考えなのかわからなくなります。
それになりより集中ができなくなります。
自分が自分に対して集中するためには、1人になるしか方法はありません。
自分らしいことをしたければ、たった1人になるだけで、自然と自分らしい行動ができるのです。
1人になる時間は、必ず潤いや輝きを与える時間になります。
個性を伸ばしたい人や夢を追いかけたい人なら、なおのこと、1人になる時間が大切です。
直感という言葉があります。
漢字のとおり「直接」「感じる」と書きます。
初めての経験でぴんときた感覚です。
それはまさに直接に心で感じた感覚であり、直接であるだけに不純物が混ざることもなくとても純粋な感覚です。
使い方によっては本当の自分を発見できます。
私たちは、ときおり日常の中で直感を持つことがあります。
本屋で本を眺めていると、自分が読みたい本はぴんと脳が反応します。
本の中身を見なくても、その本は自分が読みたい本だと直感的にわかります。
なぜなのか理由ははっきりしませんがわかってしまいます。
また人と出会ったときに、自分のタイプの人が目の前に現れるとすぐどきどきしてしまいます。
自分で自分の好みのタイプは、どんな人と聞かれてもなかなかうまく答えられません。
しかし、実際に言葉にできない自分のタイプの人が目の前に現れると、すぐ「この人は私のタイプだ」とわかります。
不思議なことですが、直感には言葉にできないあなたらしさを映し出しています。
ぱっと見て、初めに感じたことは、一瞬の出来事だけに、考えに不純物が混ざっていません。
なにより正直なあなたらしさと言えます。
変に考えを曲げることもなく、雑念も混ざっていないため、直感はいちばんの信用できるあなたらしさです。
直感ほどの正直な気持ちはないというくらいです。
私はいつも本を書くときは、即興で書いています。
前もってネタを用意しているわけでなく、今回は「恋愛について書こう」と決めたら、後は思いつくままにどんどん書きます。
思いついたことを思いついた順番に思いついた表現で書いています。
考えてから書くというより、書きながら考えています。
人間は考えるほど余計なことを考えてしまい、初めに出たせっかくの純粋な考えも考えすぎると逆に濁ってしまいます。
私はいつも直感的に文章を書いています。
今思いついたことを、今書いています。
周りの人が見たら、ノートパソコンの上でピアノの練習でもしているのではないかと思われるくらいに打っています。
だからこそ私は、いつも正直で素直な文章が書けているわけです。
余計なことは考えず、考えすぎて余計に話がもつれることもなくさっと書いたほうが、クオリティーを上げることができます。
私はたくさん文章を書いているためか、お客さまから「どうすればうまく文章を書けますか」というお便りをよく頂きます。
私はいつも「あまり考えすぎないほうが良い文章が書けますよ」とアドバイスしています。
たいていの場合「どうすればうまく書けるか」と考えている時点でうまく書けなくなります。
考えすぎるともはやそれは直感的ではありません。
あとから「どうしようどうしよう」と考えすぎたために逆に考えが濁ってしまい、余計にうまく書けなくなってしまうのです。
最初に感じたこと(感覚、考え、気持ち)が、いちばん正直な個性です。
考えすぎないようにしましょう。
最初に出た答え(直感)に従って、行動していきましょう。
それがいちばん純粋なあなたらしさということです。
人間らしく生きることから言うと、泣きたいときは泣いて、笑いたいときには笑うのがいちばん健康的です。
「~したい」ときにするのが、いちばんです。
「~したい」と感じるのは、あなたの脳がそれを必要としているからです。
おなかがすいたときには当然「食べたい」と思いますし、眠くなったら「眠りたい」と思います。
つらいことがあったときには「泣きたい」と思い、面白おかしいことがあったら「笑いたい」と思います。
それらは「したい」ときに初めて感じるのであって、いつも感じているわけではありません。
それらの「したい」には、従うことがいちばんです。
必要としているときに満たしてあげることで、喜びを感じることができます。
誰のために「したい」ときにするのかというと、自分のためにすることなのです。
悲しくなって人前では恥ずかしいから泣くのを我慢している人がいます。
たしかに人前で泣くのは恥ずかしいでしょう。
でも、本当は泣きたいときには、恥ずかしくても気にせずに泣くのがいちばんいいのです。
泣いた後は気分がすっきりします。
それは泣いたことで、自分の中にため込んだストレスをうまく吐き出すことができたからです。
涙は1粒でも、ストレスを体外へ吐き出した結晶です。
笑った後も、食べた後も、眠った後も、あとからすっきりなれるのは、自分を大切にした証拠なのです。
「自己中心」という言葉には、どのようなイメージがありますか。
自分を第一に考えたり、わがままであったりなどの印象があるでしょう。
一般的に自己中心と言えば、悪い印象が多いのではないでしょうか。
しかし、必ずしもそうとは限りません。
自己中心と言っても、軽いのです。
自己中心を、もっと突き詰めてみてください。
自己中心を突き詰めると、最終的には、自己中心ではなくなります。
自分のためを突き詰めることは、他人のためを考えることにもなるからです。
たとえば、自分が幸せになっても、周りの人が不幸では、感じる幸せも半減します。
自分が本当に幸せを感じるためには、周りの人も幸せになってもらう必要が出てきます。
自然と、奉仕の気持ちが出てくるのです。
本当の自己中心は、必ず人のために動きます。
どうせ自己中心になるなら、突き詰めることです。
突き詰めると、自己中心から解放され、奉仕の気持ちが出てきます。
自分と他人を、バランスよく考えられる人になれます。
負けて初めてわかることがあります。
自分が負けた悔しさや悲しさなどは、負けないかぎり絶対に経験できないし味わえないことです。
また「負けた原因」ということも、実際に負けてみないとわからないものです。
負ける原因がないということはなく、負けたからには必ず原因が存在します。
悔しさや悲しさ、負けた原因など、自分が負けたときに初めて現れる先生です。
勝ったときにしか出会えないことがあることと同じように、負けないと出会えないこともあるのです。
勝ったときには勝った人だけが経験できることがあります。
負けた人には、負けた人だけが経験できることがあります。
これはもはや「特権」です。
その経験をした人でないと出会えないことがあるということは、勝っても負けてもどちらも重要だということです。
もし負けたり失敗したりすれば、その悔しさを存分に味わっておきましょう。
そのときしか出会えないことは、そのときしか出会えません。
その瞬間しか表れない大切な存在です。
負けないとわからないことは、実際に負けてみないとわかりません。
この経験を大切にしてほしいと思います。
あなたが今つらいと感じていることは、誰でも感じることができるということではありません。
そういう経験をしているあなただけが得られる特別な経験です。
その経験の善しあしにかかわらず、経験をしないと学べないことは、その経験をしているあなたしか感じることができないのです。
今のうちに思う存分学べることは、学んでおいてください。
あなたしかできない経験なら、なおさらあとから貴重になります。
私には大学受験に失敗し「浪人」という時期を送った経験があります。
私の人生の中でつらい思い出の1つでもあり、また自分の力になった大切な時期でもあります。
当時私は「自宅浪人」と言って、学校には所属せず自分の家で好きなだけ勉強するというスタイルを取っていました。
比較的、自己管理は得意だったこともあり、自分でスケジュールを組んで、好きな時間に好きなだけ勉強していました。
書くのは簡単ですが、当時は本当につらい時期だったのです。
まだ18、19歳だった私が家でこもりきりになる状態は、精神的におかしくなる寸前でした。
周りに友人がいなくて、自分の家で監禁されたかのような毎日を送っていると、本当に頭がおかしくなります。
まさにその経験は、経験者でなければわからないということです。
毎日同じ日の繰り返しで、勉強のことばかり考えています。
勉強は好きでしたが、毎日やっているとさすがに頭がぼうっとしてきます。
食事も不規則で、いつが朝食なのか昼食なのか曖昧な状態です。
そんな状態だったからこそ、自分でもやばいなと思いました。
どんどん深入りして、迷路をさまよっているようでした。
このときの経験はつらいものでしたが、その後の私の思考力に多大な影響を与えた出来事になりました。
私が今いろいろとたくさんの物事を書いているのも、ほとんどはそのときの経験をバネにしています。
つらい時期は、裏を返せば自分向上のためのバネにできる時期ということです。
ペースが速い人と遅い人がいます。
どちらが早くゴールできるのかというと、速いペースがほうが早くゴールできると思われがちです。
しかし、一概に、そうとも言えません。
長所があれば短所があり、短所があれば長所もあります。
速いということは、それだけ何か大切なことを途中で見過ごしている可能性があるということです。
童話『ウサギとカメ』という有名なお話があります。
ウサギとカメのどちらが早くゴールができるかというお話ですが、結末はペースの遅いはずのカメが勝ってしまう意外な結末です。
話のはじめでは、もちろんウサギのほうがペースは速いですから順調にゴールへと近づいていました。
しかし、カメの遅さを甘く見たことと自分の速さに過信してしまったため、道の途中で、なんと昼寝をしてしまうのです。
カメは遅いから、まだ大丈夫だろうとすっかり甘く見ていました。
甘く見すぎていたため寝てしまい、その隙にカメのほうが先にゴールをしてしまったのです。
このお話を聞いてとても共感できるのは、人間にも同じことが言えるからです。
ペースが速い人を目指すより、ペースを崩さない人になるほうが結局は成功に近づけます。
実力や速さももちろん大切ですが、ペースを崩さないことを前提とした話です。
まずなにより大切なことは、速さや実力より、ペースを崩さないことです。
こつこつ地道であるほど、ペースを崩さないですみます。
人生では短距離を速く走れる人より、長距離でもペースを崩さず着実に前に進む人のほうが、あとから抜きんでるのです。
本当の個性を出していくためには、いらないところはどんどんと捨てることです。
もったいないと思われそうですが、捨てないかぎり、本当の個性は出てきません。
自分にとっていらないことをあえて捨てていくことで、本当に大切な部分だけが浮き彫りになって残っていきます。
これはちょうど彫刻でも同じようなことが説明できます。
彫刻は、削るから、まとまった形につくり上げることができます。
彫刻のはじめの状態ではまだ何も削られていないため、どんな形にでもできるという可能性があります。
彫刻はどんどんと削っていくことで、初めて彫刻と呼ばれます。
彫刻があれほど個性を持った素晴らしい形であるのは、どんどんといらない部分を削っていったからです。
「もったいないから削れない」という人は、いつまでも彫刻を完成させることはできません。
もちろん個性も特性も印象も何もありません。
もったいない気持ちがあっても、思いきって捨てていくことで、どんどん形が出来上がっていくわけです。
人間も同じように、自分のいらないと思った部分はどんどんと捨てていきましょう。
何かを捨てるということは、何かを目立たせるということです。
あなたが自分らしく生きるためには、本当に大切なあなたの芯だけを残して、後のいらない部分はどんどんと捨てていくことです。
すると、個性がどんどん浮き彫りになります。
個性を出すとは「出す」より「捨てる」ことで実現できることなのです。
個性は、量をこなしたときに初めて本物へと変わります。
人によってそれぞれの個性がありますが、残念なことにそれだけで終わらせてしまっている人がほとんどです。
せっかくの自分の個性があるというのに、それで満足して成長させていくことを止めてしまっているのです。
これではタネを植えてようやく芽を出し、それで満足させているようなものです。
芽を出してからが本当の勝負であり、それからどんどん成長させていけば最後には大きな花を咲かせることができます。
あなたの個性は、まだ土から芽を出したばかりの状態です。
しかし、実際それが自分の個性であり、すべてだと思っています。
とんでもない。
実際はそこがゴールではなく、そこからがスタートなのです。
花の芽を出したあとからが本当の勝負であるように、あなたの小さな個性は、その後とても大きくなる可能性があります。
では、大きくさせるためにはどうすればいいのか。
答えをいってしまえば「量をこなすこと」です。
どんどん量をこなすことで、初めて個性が強化されます。
初めから揺るぎない個性があるわけではなく、量をこなすことでだんだん強化されます。
単なる個性を、揺るぎないしっかりした自分の個性へと変えていくためには、量をこなすしか方法はありません。
たくさんの量をこなし、自信をつけ、技術を身につけて、自分の武器にします。
芸は身を助けるといいます。
たとえ一芸でも、本当に優れたものなら、周りからの注目を集め、個性へと発展させることができるのです。
膨大な量をこなした人だけが、個性を圧倒的に伸ばし、自分の武器にできるのです。
本当に好きなことをやっていけば、いずれ壁に当たるときがやってきます。
どんどん自分の好きなことをやって伸ばしていくと、あるところで「ここが限界かな」と思われるところがやってきます。
しかし、実際「限界」と感じれば、限界ではないことを証明しています。
世の中には限界などないからです。
スポーツの世界では「人間の限界に挑戦」という言葉をよく耳にします。
限界に挑戦するということは、終わりのない戦いということです。
いまだスポーツの世界では1つとして「限界記録」というものが存在しません。
「最高記録」があるだけです。
それは人間には限界がないから言っているのです。
オリンピックではいちばんになれるのは世界でたった1人だけです。
それぞれの競技の金メダルは、世界でたった1人の人しか与えられません。
世界にこれほどまでに多くの人たちがいるというのに、いまだ「限界記録」というものが存在しません。
誰かが「限界」を達成できていてもいいのに、どれも「最高記録」という表現ばかりで「限界」という言葉は使いません。
それにもし本当に限界なるものが存在するとすれば、科学的にその数字も叩き出せているはずです。
しかし、肉体的にも科学的にも、いまだ「限界」という表現は使われていません。
それは人間には限界や終わりがないため、使いたくても使えないからです。
人間に、最高はあっても、限界はありません。
実力には終わりがなく、また実力がなくても「方法」という手段で、人間は今まであらゆる「最高」をつくり出してきました。
壁があっても、頭のいい人間だからこそ乗り越えていけることです。
あなたがもし壁を感じたら、限界ではありません。
もっと最高を目指していけます。
「限界」と感じることは、限界ではありません。
ただその壁を乗り越えられないでいるのです。
世の中には限界ということはないため、なんとかして乗り越えられる方法があります。
壁を乗り越えるためには、次のどちらかの手段が考えられます。
初めに考えられるのが(1)の「実力をつける」です。
壁を感じて乗り越えられないでいたら、単純に実力がないからという理由が考えられます。
こうしたときには、もっと実力をつけることで乗り越えていけます。
ただし、必ずしもすべてが実力をつけることでしか解決できないということではありません。
壁を乗り越えるためには、もう1つのアプローチがあります。
それが(2)の「方法を見つける」ということです。
これは実力は十分に身についているはずなのに、壁を乗り越えていくことができないときの手段です。
実力があっても乗り越えられないのは、方法を知らないからです。
頭を柔らかくして考えれば単純な方法で壁を乗り越えていくこともできます。
たとえば、目の前に大きな山があります。
それこそヒマラヤのエベレスト山のような、大きな山です。
なんとかして山の向こう側へと行きたいのですが、目の前に山があるために前に進んでいくことができません。
そんなときに「ここが限界か」と、くじける必要はありません。
なんとかして山を乗り越えられる手段があるはずです。
まずいちばん原始的な方法で言えば、単純に山を乗り越えられるという実力を身につけ、山を歩いて乗り越えていくことです。
山が大きいだけに、実力も大きなものでなければいけません。
実力を身につけるまで時間も長くかかることでしょうし、効率が悪くなります。
そんなときに頭のいい人は、飛行機という「方法」を使って山を乗り越えます。
山を乗り越えるためには、足の実力をつけるだけとは限らず、単に飛行機を使ってすいすい飛んでいけばいいだけです。
これは本人に、飛行機という方法が思いつくかどうかがポイントです。
往々に目の前に山が立ちふさがると、目の前にある大きな存在に視界がいっぱいになります。
そのため視野を広くした考えがしにくくなり、簡単な方法でも頭が回らなくなってしまうのです。
乗り越える山が大きいばかりに頭がいっぱいになっている人は、実力をつけるためにたくさんの時間を使ってしまうことになります。
しかし、もっと冷静になって考えれば「方法」はほかにもあるのです。
飛行機という方法でなくても、列車でもトンネルを抜けることでも気球でもかまいません。
目の前にある山を乗り越えるために、あらゆる手段を考えてみることが、人生では大切なのです。
諦めたら、それで最後なのです。
「やらされていること」と「行っていること」が同じことでも、本人の気持ちには大きな違いがあります。
やらされていることは、まさに強制です。
本人のやりたい気持ちを一切無視した、仕方なく嫌がりながらやっているということです。
自分がいやいや感じているところに成長はありません。
学校の勉強がなかなか身につかないのは、やらされているということが原因です。
勉強という字は「勉学を強制」と書きます。
もちろん「勉学」を「強める」というふうに書くこともできます。
しかし、学校で勉強しているときには強めている感覚よりやらされている感覚のほうが大きいです。
やらないと、ひどく叱られます。
強制されてやらされているため、一時的に知識が身についても、テストが終わればぱっと頭の中から消えます。
自分が必要としている情報でもなく、役立つ知識でもないため、頭の中から消えます。
これは勉強することが目的なしの目標になっているためです。
目的なしの目標は、やらされているということになります。
しかし、皆さんもご存じのとおり、学校でいつも良い点を取る人がいます。
そんな人は「目的」があるから勉強という目標に立ち向かえるのです。
高校生には大学受験という大きな壁があります。
同じ勉強でも、生き生きできるかいやいややるのかの2通りにわかれますが、目的があるかどうかなのです。
志望校に受かりたい目的があれば、初めて勉強が目的を達成するための目標となります。
そうなると必ず勉強が「やらされている」から「やる」へと変わります。
もはや誰かの指示を受けていやいややらされている勉強ではなく、自分が自分のためにやる勉強へと変わるのです。
「やらされる」と「やる」の違いには、やる本人に「目的」があるかどうかなのです。
目的があれば、そこに到達するまでの困難は、すべて目標になります。
勉強することも叱られることも学校へ通うこともすべて必要な出来事へと変わり、意味のなかったことも意味が出てきます。
あなたが今やろうとしていることには「目的」がありますか。
目的がないと、目標はできません。
たとえ目的なしの目標を立てたところで「やらされている」という感覚になってしまうのです。
自分が自分のためにやるためには、目標を立てる前にまず目的を立てましょう。
「何のためにやるのか」と目的意識がしっかりしていれば、たどり着くまでの道のりは目標へとなり、楽しみに変わるのです。
大学に受かる目的があれば、大学に受かるために勉強をする目標ができます。
実は、まだ小さな枠の話です。
大学受験が終われば、目的も目標もなくなり、無力感・空虚感に襲われます。
人生における目的の極論は「何のために生きるのか」です。
「何のために生きるのか」という目的ができれば、それを果たすための出来事すべてが目標へと早変わりします。
もしあなたが中学生あるいは高校生なら「何のために生きるのか」というテーマはとても大きなことだと思います。
元気に生きるために必要なテーマです。
早い時期でもかまいませんから、できるだけこのテーマを意識しておくといいでしょう。
「何のために生きているのだろうか」という疑問が湧いたときは、生きる目的について考える機会です。
たとえ中学生や高校生でも、早すぎることはありません。
気になったときが、考えるべきときです。
は人生において自分は何ができるのか、何をしたいのか、何のために生きているのかという目的を掲げることです。
そうすることで、初めて目標が生き生き輝いて見えてくるようになります。
ただ他人に言われてやらされていることだった、面倒なことが、自分の夢を叶えるために行う「楽しみ」へと変わるのです。
もう決して「やらされる」と感じることはなくなります。
自分らしく生きるためには、できるだけ人生の早い時期に、生きる目的を持つことが大切です。
生きる目的を持つためにも、やりたいことや好きなことを、正しく把握しておくことも必要です。
だからこそ、より素直になって考えることがポイントです。
素直になって考えることで、自分の好きなことがわかります。
好きなことをしていけば、好きなことで自分ができることがわかります。
自分ができることがわかれば、自分がこの世に対して行える役目・役割・使命がわかります。
すると、その役目を果たすために生きることがあなたの生きる目的になります。
それまでに立ちはだかる壁は、すべて自分の夢のために行う目標へと変わります。