なぜ食事でマナーが存在するのかというと、より自分がおいしくいただくためにあります。
食事マナーは、たしかに面倒。
しかし、ちょっとしたマナーのおかげで、よりおいしく食事がいただけるようになることも、たしかです。
苦労には「好きなことをする苦労」と「嫌いなことをする苦労」の2種類があります。
今、ほとんどの人が「嫌いなことをする苦労」に悩んでいます。
「疲れた」
豊かな生活とは「ぎりぎり」ではありません。
豊かさとは、余裕があることをいいます。
精神的にゆったりした状態を楽しめる生活のことです。
人間、年を取ると、自動的に自分が先輩になります。
大学に入学しても1年経っただけで、後輩ができ、先輩と呼ばれるようになります。
なりたくなくても、なります。
友人と遊ぶ約束をして、約束の時間に近づいたときに、突然キャンセルが入るということがあります。
「直前でごめんなさい。用事ができちゃった」
いわゆる「ドタキャン(土壇場キャンセル)」というものです。
マナーといえば、恥ずかしくない態度や立ち振る舞いと思ってしまいがちです。
上品で、かっこよく、迷惑にならない振る舞いが、大切という思い込みです。
しかし、信じられないことに、恥ずかしいことをやりに行くことが、マナーということもあります。
選択と集中は、成功のためのキーワードです。
世界で活躍している人は、必ず選択と集中ができ、一流まで上り詰めた人です。
経営者だけでなく、芸術家、スポーツ選手など、あらゆる一流に共通です。
私は昔から偶然に起こった出来事は、なんとかしてうまく活用できないかと考える習慣があります。
ばったり友人と町で出会えば、予定を変更してでも、一緒に食事に行けないか考えます。
事件があれば、せっかくだからちょっとのぞいていこうと思います。
私は昔から人生についてよく考える習慣を持っています。
学生時代のとき、当たり前でありながら見落としがちなことに気づき、衝撃を受けたテーマがあります。
「なぜこんな大切なことを今まで気づかなかったんだ!」
人との出会い。
初めての恋愛。
初めての失恋。
「これ、面白いから、やってごらんよ」
「この曲いいから、聴いてごらんよ」
「ゴルフは最高だ。君もしなさい」
私はよく昔から「変人」と呼ばれています。
普通の人ではやらないようなことを、喜んでやっているからです。
私としては、さまざまな経験をしたい。
好きな仕事をしていないと、進んでトライしようという気持ちがなくなります。
できるだけ楽に、サボれるような方法を考えます。
本当は、好きな気持ちを通して、仕事を行うものです。
「慣れることはいいことだ」
一般にはそう思われがちですが、実際のところ、そうとも限りません。
実際のところ、慣れには「いい面」と「悪い面」があります。
「間違えないように」と思っていると、間違えやすくなります。
「失敗しないように」と考えていることほど、失敗しやすい状態はありません。
「緊張しないように」と考えるほど、緊張してしまいます。
人生においての成功法則は「やめない」ということです。
「諦めない」と言ってもいいでしょう。
諦めないだけで、着実に大きく強くなれます。
私が学生時代、水木君という友人がいました。
水木君は、勉強もスポーツもできる人でした。
こう言えば、あなたは「水木君は万能な人なんだ」と思うでしょう。
私は、読者から「幸せになるためにはどうすればいいですか」と聞かれます。
私が答えると「なんだ、そんなことですか。当たり前のことですね」と言われます。
こういう人は、幸せになるために、何か難しいことを特別しなければならないと思っています。
「そうか! 失敗が怖くならないためには、こうすればいいんだ!」
私はある日、失敗が怖くならないポイントに気づきました。
失敗について考えていたとき、その正体を見つけました。
「一生懸命に遊ぶ人」と聞くと、どのようなイメージを持ちますか。
だらしない人、怠けた人、フリーター。
さまざまな答えが返ってきそうですね。
人生全体から見れば、フライングは大切なマナーの1つです。
学校でフライングをすると叱られます。
しかし、実は、フライングスタートという言葉ではなく、代わりの言葉を使ってフライングスタートをきちんと勧めています。
アメリカでは、成功を収めている人には、ユダヤ人が多く占めています。
アメリカですから、アメリカ人がいちばん有利に思えます。
しかし、結果として、ユダヤ人という過去に迫害を受けた民族が、アメリカでは大きな地位を得ています。
人生では、好きなものから順番にはじめることが大切です。
嫌いなことから始める必要はありません。
我慢を美徳とする日本人には、反対する人もいることでしょう。
もし、ゴルフからバンカーがなくなれば、面白くなくなります。
たしかにバンカーがないほうが、安心してゲームができますが、面白くありません。
「バンカーに入るかもしれない」
愚痴を言う人には、ある共通点があります。
「自分の人生に満足していない」ということです。
満足していないから、愚痴っているのです。
「過去をむやみやたらに振り返らない」ということも、人生のマナーの1つです。
もちろん旧友との会話の流れから、昔を振り返り、話題にするくらいはいいでしょう。
昔話には、花が咲くものです。
「何をしていいのかわかりません」
私はときどき、こうした相談を受けることがあります。
そこで、詳しく話を聞いてみると、その人はまだ何もしていないのです。
平らなジェットコースターは、見たことがありません。
平らでは、前に進まないため、そもそも存在しないのです。
平坦な道のりのジェットコースターは、前に進まないのです。
幸せをどこか遠くへ探していませんか。
幸せは遠くへ探しに行くものではなく、今、お世話になっている感謝に気づくことなのです。
あなたがいちばんお世話になっている人といえば、誰でしょうか。
感謝をするときに、幸せを感じることができます。
ありがたみを感じ、感動して、感謝するときに「幸せだ」と思います。
感謝を忘れている人は、幸せを感じることもありません。
なぜ食事でマナーが存在するのかというと、より自分がおいしくいただくためにあります。
食事マナーは、たしかに面倒。
しかし、ちょっとしたマナーのおかげで、よりおいしく食事がいただけるようになることも、たしかです。
なら、やはり、マナーを覚えておくほうがお得です。
相手に不快を与えないだけでなく、食事をつくってくれた人への感謝も、同時に表現できます。
人生のマナーでも、同じです。
これから紹介する人生マナーは、どれもたしかに面倒くさく感じることです。
しかし、ちょっとした面倒くささが、あなたの日常を劇的に変える力があります。
マナーがある人は、よりおいしく食事をいただけます。
人生のマナーを大切にする人はより充実した日々を送ることができるようになります。
何のために人生のマナーがあるのかというと、誰のためでもない、自分が楽しく有意義に生きるためにあります。
他人に迷惑をかけないようにするためや、かっこよく生きるためはもちろんです。
なにより自分が充実した日々を送るために必要だからです。
マナーを大切にすれば、日々の感謝に気づくことができ、人生における山や谷もうまく乗り越えていけるようになります。
苦労には「好きなことをする苦労」と「嫌いなことをする苦労」の2種類があります。
今、ほとんどの人が「嫌いなことをする苦労」に悩んでいます。
「疲れた」
「大変だ」
「苦労するよ」
こうした発言を、あなたも自然と口にしていませんか。
「今、嫌いなことを我慢しています」と言っているようなものです。
好きなことをしていれば「苦労」や「大変」という言葉は出てくるはずがないからです。
好きなことをしているときは「面白かった」「楽しかった」「あっという間に時間が過ぎた」という表現が自然と出てきます。
楽しいことをしているときには、楽しいことにまつわる表現が必ず出てきます。
嫌いなことをしているときには、つらく我慢にまつわる表現が必ず出てきます。
私は、人と会って少し話をすれば「この人は楽しい人生を歩んでいるかどうか」がわかってしまいます。
執筆をしていますから、表現にはとても敏感です。
楽しいことをしているときには、楽しいことにまつわる表現が必ず出てきます。
嫌いなことをしているときには、つらく我慢にまつわる表現が必ず出てくるのです。
話をして言葉の表現を聞けば「この人は、今、嫌いなことをしている毎日を送っているのだな」とわかってしまいます。
私に特別な才能やら千里眼があるわけではありません。
好きなことをしていればプラスの表現が出てくるし、嫌いなことをしているとマイナスの表現が出てくる「法則」があるからです。
人生へのマナーもあります。
それは「好きなことをする」というマナーです。
一度しかない人生を嫌いなことをして「つまらない」「楽しくない」「最悪」と暗い言葉を人生にぶつけてしまうのは、失礼です。
あなただけでなく、人生そのものがかわいそう。
生きているのですから、好きなことをして「楽しい」「面白い」「最高だ」とプラスの言葉をプレゼントしなければいけません。
それが人生へのマナーであり、礼儀であり、最も幸せな生き方でもあります。
私は、嫌いなことばかりをして幸せになった話は、一度も聞いたことがありません。
経営者として成功している人、オリンピックでメダルを取る選手たち、プロ野球、ダンサー、作家、ミュージシャン、漫画家。
どのジャンルでも、成功している人は「好きなことをしている」という共通点が、必ず当てはまります。
例外は1つもありません。
もっとわかりやすい例を出しましょう。
あなたは好きな人と、嫌いな人、どちらと結婚したいですか。
もちろん「好きな人と」ですよね。
ほら、あなたも直感的に気づいていますね。
直感的にあなたも、幸せになるためにはどうすればいいのかを、実はわかっているのです。
正しい道、選択、判断を、直感的には理解しています。
しかし「お金」「プライド」「肩書」「見栄」「体裁」といったつまらないことに重点を置いてしまうと、つまずいてしまうのです。
私もそうです。
今このように、好きなことをしているから、うまくいっています。
書くことで、自分を表現できることは、最高に贅沢で楽しい時間です。
作品を発表することで生まれる出会いも、お金も、技術や知識も、すべては「好きなことを通じて得たこと」です。
どれも貴重です。
どれにも感謝しています。
そんな人生に、私も感謝しています。
人生へのマナーは、まず好きなことをする毎日を送ることです。
自然と毎日が明るくなり、あなたに必要な出会い、知識、人間関係が、自然とやってくるようになります。
豊かな生活とは「ぎりぎり」ではありません。
豊かさとは、余裕があることをいいます。
精神的にゆったりした状態を楽しめる生活のことです。
時間、精神、体力、空間、タイミング。
いずれでも「ぎりぎり」ではなく「余裕」を心がけることです。
ときどき、約束した時間に、時間どおりにやってくる人がいます。
時間どおりですから、約束は破っていません。
しかし、余裕はありません。
時間ぴったりでは、相手のことを考える時間もなければ、汗を拭く余裕もありません。
ちょっと早めに到着しておくほうが、余裕ができて、呼吸を整える時間、お化粧直しの時間など準備を整えることができます。
余った時間やスペースが、あなたの生活に豊かさをもたらします。
どれも、余裕を心がける習慣です。
これが、人生へのマナーなのです。
人間、年を取ると、自動的に自分が先輩になります。
大学に入学しても1年経っただけで、後輩ができ、先輩と呼ばれるようになります。
なりたくなくても、なります。
時間があなたを先輩へと、自動的に昇格させてくれます。
後輩ができ「先輩! 先輩!」と頼られると、自分が偉くなったかのように思えてくることでしょう。
しかし、ここからが重要なのです。
偉くなったかのように思えるままに、偉そうになっていると、鋭い後輩たちはきちんとそれを見抜きます。
後輩だからとはいえ、侮ってはいけません。
人を見る目をきちんともった、鋭い眼力があります。
偉くもない人が偉そうにしていることほど、浮いている姿はありません。
品のないオヤジは、いつも偉そうにしています。
愚痴ばかりを言って、そのうえ、偉そうに話をします。
かっこいいと思っているのは自分だけで、そのほかの人はかっこ悪く感じています。
気づいていないのは、本人だけです。
周りはみんな気づき、自分だけが気づいていないから浮いてしまい、かっこ悪くなります。
「こういう人に関わると、厄介だ」
そう思った鋭い後輩は「さすがですね」とお世辞を言って、面倒を避けます。
それを本当に尊敬されていると勘違いして、また偉そうになります。
この悪循環が、嫌われる先輩になる流れです。
人から避けられるオヤジと化してしまうのです。
みんなから好かれる先輩になれるかどうかは、肩書、学年、年齢、知識ではありません。
「態度」で決まります。
先輩になったからとはいえ威張った態度をしていると、偉そうな態度に見えます。
決して気持ちのいいものではありません。
気持ちのいい態度は、先輩なのに腰の低い先輩です。
偉い人が偉くない態度を取ると、そこで「ギャップ」が生まれます。
このギャップを後輩たちは、輝いている光と感じ取るのです。
「こんなに偉い人が、こんなに腰の低い態度を取っている」
印象が良くなり、好かれるようになります。
偉くなればなるほど、偉そうな態度はしないことです。
先輩になるほど、先輩らしくない謙虚で腰の低い態度を取りましょう。
友人と遊ぶ約束をして、約束の時間に近づいたときに、突然キャンセルが入るということがあります。
「直前でごめんなさい。用事ができちゃった」
いわゆる「ドタキャン(土壇場キャンセル)」というものです。
ある程度、前もってわかっていればまだいいのですが、直前のキャンセルには驚いてしまいます。
服を着て、髪を整え、家をでて、待ち合わせ場所に着いてからのキャンセルは、かなりの迷惑です。
普通なら、誰もが困り、むっとしてしまうことです。
楽しみにしていたことが、急にキャンセルになってしまうと「私はどうすればいいの」と、路頭に迷ってしまうでしょう。
しかし、ここでむっとしないことが、器の大きさを表現できる瞬間です。
突然キャンセルが入ったら、神様からの時間のプレゼントと思うことです。
神様が「チャンスを与えましょう。今がその時間です」と、あなたに語りかけます。
前からやりたくてできなかったことをやる時間を、与えてくれたのです。
以前からやりたかったことをやる時間ができたと、前向きに考えましょう。
私が学生時代、学校へ行ってから突然授業がキャンセルになるということがありました。
先生の体調が悪く、学校に到着してから、授業のキャンセルが決まります。
そんなときはいつも「じゃあ、勉強する時間ができた。図書館に行こう」と前向きに考えていました。
どんなにむっとしても、授業が再開されるわけではありません。
苦しいのは自分です。
そうした出来事を前向きに捉えて、神様からのチャンスのプレゼントなのだと思っていました。
こんなときに図書館へ行って勉強すると、驚くほど、はかどってしまうものです。
何かが起こったときには、何か意味があるのだと思うことです。
自分が試されているチャンスと考えたり、勉強する時間ができたと思ったり、前向きに考えていれば、思わぬチャンスに変わります。
マナーといえば、恥ずかしくない態度や立ち振る舞いと思ってしまいがちです。
上品で、かっこよく、迷惑にならない振る舞いが、大切という思い込みです。
しかし、信じられないことに、恥ずかしいことをやりに行くことが、マナーということもあります。
おそらく意外に思われることでしょう。
恥ずかしいことをやりに行くというマナーは、誰もが嫌がる初めての経験に当てはまります。
たとえば、初めての経験に挑戦するときです。
私が学生時代、難しい問題をわからないのにやりたがろうとする、マコト君という生徒がいました。
「この問題、誰かやってみたい人」と難しそうな問題の挑戦者を探すとき、みんな恥をかきたくないからと、手をあげません。
みんなの前で、恥ずかしい思いをしたくないのです。
こんなとき、あえて恥ずかしいことをやりに行こうと手をあげることができる人は、勇敢です。
「私にやらせてください」
マコト君が手をあげ、周りからの視線を集めます。
誰もがどうすればいいのかわからない問題に立ち向かうとき、恥ずかしい思いをすることになります。
しかし、それでもマコト君は、恥ずかしい視線を浴びながら、笑ってごまかします。
不思議なことにこんなときの笑いの表情は「余裕」と感じてしまうのです。
問題がうまく解けず、恥をかくだけかいて、席に戻るマコト君は敗者ではありましたが、みんなには勝者でした。
1人が恥をかいたおかげで、次の人が手をあげやすくなったからです。
沈黙が続いた授業も、1人がきっかけになり活気が出て、ほかの生徒も動き始めるようになります。
ムードメーカーと言ってもいいでしょう。
次の人がトライしやすい雰囲気をつくってくれました。
1人でもトライしている人がいると、次の人もトライしやすくなります。
マコト君は、いつも授業の良い雰囲気をつくるムードメーカーでした。
マナーといえば、恥ずかしくないことだけではありません。
恥ずかしいことをやりに行くというマナーも、時には大切なのです。
あなたが代表して恥をかきに行くことが、ほかの人を助けることになるのですから。
選択と集中は、成功のためのキーワードです。
世界で活躍している人は、必ず選択と集中ができ、一流まで上り詰めた人です。
経営者だけでなく、芸術家、スポーツ選手など、あらゆる一流に共通です。
発明王といわれるトーマス・エジソンは、発明に関して有名です。
「発明をしながら、園芸をしていました」なんてことになれば、発明に集中できなくなり、有名にはなれなかったでしょう。
発明だけに絞り、人生を捧げたからこそ高い技術を身につけることができ、大発明に至ったのです。
女子スケートで有名な安藤美姫選手も、スケートに関して有名です。
幼いころから、スケートだけに集中しているため、世界に挑戦できるほどの実力を身につけることができました。
もし「スケートをしながら、勉強にも専念していました」ということになれば、一流になることはできなかったでしょう。
選択ができていないということは、集中ができないからです。
集中ができないと、力をつけることができません。
どちらも中途半端で終わってしまいます。
「何でもできる」という人は、実はどれも中途半端になり「何にもできない人」になります。
選択も集中もできないことは、高い技術力を身につけるための障害です。
賢い人は、自分が好きなことを1つに絞ります。
選択ができれば、その1点のみに集中します。
人生をまるごと捧げてしまうほどの集中です。
ある1つのことに対して、人生を捧げるほど集中すれば、誰でも一流になれます。
ただほとんどの人が、集中ができません。
集中ができていないのは、選択ができていないからです。
選択をできないのは、自分にとって何がいちばん好きなのかということを突き詰めていないからです。
自分が好きなことを発見したとき、初めて選択ができるようになります。
選択ができると、次に集中できるようになります。
後は、ただ継続すればいいだけです。
私は昔から偶然に起こった出来事は、なんとかしてうまく活用できないかと考える習慣があります。
ばったり友人と町で出会えば、予定を変更してでも、一緒に食事に行けないか考えます。
事件があれば、せっかくだからちょっとのぞいていこうと思います。
たまたま手に入った映画のチケットは、ぜひ見に行こうと思います。
思いがけない出会いがあれば、大切にしたいと思います。
偶然の出会い、突然の事件、たまたまの出来事、思いがけない出来事。
いずれも、人間が意図的にできることではないからです。
まさに偶然。
神様のプレゼントです。
計画的にしようと思ってもできないことが、目の前に起こったらチャンスと考え、できるかぎり有効に利用できるように考えます。
せっかくのチャンスであり、めったにない機会なのですから、偶然を必然に変えて、有効に利用したいからです。
偶然は、必然に変えることです。
あなたが「よし、明日しよう!」と計画を立ててもできることではなく、自然的な力が宿っていることです。
いつ、どこで、何が起こるかわからない。
偶然は、神様からあなたへのプレゼントです。
せっかく頂いたチャンスを、捨てるか生かすかは、あなたしだいです。
しかし、生かしたほうがいいのです。
お金では買えないものですから、使ったほうがお得なのです。
私は昔から人生についてよく考える習慣を持っています。
学生時代のとき、当たり前でありながら見落としがちなことに気づき、衝撃を受けたテーマがあります。
「なぜこんな大切なことを今まで気づかなかったんだ!」
単純なことを見過ごしていた自分に恥ずかしくなりました。
その大切な言葉は、次の一言です。
「人生に練習はない。常に本番しかない」
いまだにこの言葉を意識しながら、毎日を送っています。
テスト、試合、仕事など「まあ練習だからいいか」と気が緩みがちな自分に、もう1人の自分が語りかけます。
「おいおい、練習はないぞ。人生から見れば本番しかないぞ」
たとえば、大学受験です。
受験には、本番の「試験」と、それに備える「勉強」があります。
勉強はいわば、練習です。
本番で力を発揮するために、一生懸命に勉強します。
受験という「短い時間」として考えると「試験」という本番と「勉強」という練習に別れます。
しかし「人生」という大きな視点から見ると、練習も本番の一部であるということに気づきます。
本番は、日頃の練習がパズルのように組み合わさってできている、大きな集大成です。
本番で力を発揮するためには、練習こそ本番のように一生懸命になる必要があります。
練習だからとはいえ、力を抜いていれば、本番でも試験に落ちることでしょう。
人生から見れば、本番も練習も1つなのです。
セットなのです。
別れていて、別々のこととしてあるのではなく、同じ線路上にあります。
あなたが「これは練習だからいいや」と考えていることは、実は本番の一部ということに気づきましょう。
試験に合格するための勉強も、本番の一部なのです。
本番の成果は、日頃の練習の積み重ねによって決まります。
本番の一部、と考えることができるのです。
「本番」「練習」と別々の単語としてわかれていると、別々の実体があるように思えます。
どちらも同じ人生であることには変わりないのです。
人との出会い。
初めての恋愛。
初めての失恋。
就職。
旅行。
言葉で表現すれば、別々の時間があるように思えます。
特別な時間があるように思えます。
しかし、どのような1日であろうと、24時間で構成されていることに変わりありません。
1分1秒が、長くなったり短くなったりせず、まったく変わりはないのです。
狭い視野でいると、特別な時間があるように思えます。
「出会い」「恋愛」「失恋」「就職」「旅行」など、言葉で時間に名前をつけると、別々の実体があるように思えますね。
しかし、人生全体から大きな視野で見れば、どちらも同じ「時間」であることには変わりありません。
同じ24時間で構成されている1日にまったく変わりはないのです。
時間は、常に一定です。
どれも、最初で最後の瞬間です。
時間に練習はなく、どれも本番。
人生に練習は、1つもないのです。
「一期一会」という言葉があります。
「一度しかない貴重な出会いを大切にしなさい」という意味が一般的ですが、実は、大切なメッセージがもう1つ含まれています。
「人生の出会いに練習はなく、どれも本番ですよ。一瞬一瞬を大切に生きなさい」と時間を重んじるメッセージも含まれています。
練習と思っていた時間も、人生全体から見れば1つも練習はなく、どれも完全なる本番なのです。
人生には練習はなく、どれも本番なのです。
「これ、面白いから、やってごらんよ」
「この曲いいから、聴いてごらんよ」
「ゴルフは最高だ。君もしなさい」
自分が最高に楽しいと感じることを、親切心から相手に勧めるということがあります。
勧めることはかまいません。
しかし、押し付けることをしてはいけません。
自分の趣味が、必ずしも相手にも合うとは限らないからです。
自分が「楽しい」と感じることは、相手には「つまらない」と感じることかもしれません。
人にそれぞれの個性があり、特徴があります。
感じることもさまざまです。
押し付けることは、自分の時間を無駄にしますし、相手にとっても迷惑になります。
私はよく昔から「変人」と呼ばれています。
普通の人ではやらないようなことを、喜んでやっているからです。
私としては、さまざまな経験をしたい。
だからレストランで食事を選ぶときも「食べたことがない料理」を、つい選んでしまう癖があります。
できるだけさまざまな料理を口にして、生きている間に世界各国にあるすべての料理を口にすることが、私の1つの目標です。
先日、噂の「メイドカフェ」に初めて行ってみました。
行きたい動機は「体験したことがなかったから」という、ささいな理由からです。
メディアで騒がれているメイドカフェが、どういうものなのかいちばんよく理解するためには、実際に自分が体験することです。
体験に勝る勉強はありません。
テレビや新聞を通して、頭で理解をしても、わかった気になっているだけです。
「メイドカフェに行くなんてはしたない」と批判する人に限って、まだ行ったことも体験したこともない人なのです。
「食わず嫌い」という言葉があります。
言葉のとおり、食べてもいないのに嫌いになってしまうことです。
食べる前に「おいしくないに違いない」と決め込み、食べる前に嫌いになってしまう人が多い。
そんな「食わず嫌い」という言葉は、食事に対してだけではありません。
「経験」に対しても「食わず嫌い」があるのです。
一度も経験したことがないのに「つまらないに決まっている」「面白くないに決まっている」と決め付けてしまうことです。
経験する前に嫌いになってしまうことも「食わず嫌い」と同じです。
本当のところどうなのかは、実際に経験してみないとわからないのです。
あなたの生活の中をちょっと振り返ってみましょう。
経験したことがないのに「つまらないに決まっている」「面白くないに決まっている」と思い込んでいることはないでしょうか。
つまらないと思っていたことが、意外に面白かったということはよくあります。
私はこれまでに何度もそうしたことは経験しています。
どうせ性格の悪い人だろうなと会ってみると、意外に謙虚でいい人であることに驚いたこと。
面白くないと思っていた映画を見ると、意外に面白かった。
おいしそうではないけれど、食べてみると予想に反しておいしかった。
こうしたことは、体験するからこそ、起こる出来事です。
本からだけの情報では、わかった気になるだけであり、本当はわかっていないのです。
そういえば、先にお話ししたメイドカフェに行った感想ですが「とてもどきどきした。また行ってみたい」というのが感想です。
あえて詳しい話はしません。
言葉で表現すると「へえ、そういうものなんだ」と、つまらない情報をあなたに与えてしまいそうだからです。
それこそ食わず嫌いで終わってしまう。
あなたが実際に経験するほうが、もっと勉強になります。
好きな仕事をしていないと、進んでトライしようという気持ちがなくなります。
できるだけ楽に、サボれるような方法を考えます。
本当は、好きな気持ちを通して、仕事を行うものです。
好きだから仕事をして、仕事ができるようになり、さらに好きになります。
私が文章を書くときには「好きだ!」という気持ちを第一に書いています。
もし書くことが嫌いなら、そもそも今、書いていません。
無理をして書いたとしても、長続きしないことでしょう。
無理やり書いたところで、魂の抜けた文章しか書けません。
そんな文章は、読んでもらう人に対しても失礼です。
魂の抜けた文章を読んでもらうことは、相手に対して失礼になります。
私はいつも「好きだ! 楽しい! 面白い!」という気持ちを、文章に変換しているようなものです。
その熱い気持ちは、あなたにも伝わっていることでしょう。
好きだから楽しく熱く快感として感じますし、そうしているときが最も充実しています。
自分が楽しんでいることは、それを見ている人にも自然とその気持ちは伝わっていくものです。
楽しそうにダンスを踊っている人を見ていると、こちらまで一緒に楽しくなります。
「自分もちょっと踊ってみたいな」という気持ちにさえ、させてしまうでしょう。
お客さまに対するいちばんの礼儀は、まずサービスをする側が、いちばん楽しむことです。
サービスマンが楽しんでいれば、その気持ちは自然と見ている人やお客さまに伝わります。
私がまず書くことをいちばん楽しむことで、その熱があなたに伝わり、影響を与えます。
まず自分がいちばん楽しいことをして、その熱があなたへと波及します。
仕事をするときには、必ず自分が好きな仕事を選ぶことです。
自分の好きなことを仕事にすると、自分にとっても、お客さまにとってもハッピーになれます。
先日、ある美容院へ髪を切りに行ったときのことです。
美容師の女性に「なぜ美容師になろうと思われたんですか」と、うかがってみました。
すると「もちろん、髪を切ることが好きだからに決まっているでしょ」と、当たり前のように答えられてしまいました。
好きなことを仕事にすることは、当たり前であり、当然です。
そんな髪を切る彼女の表情は、もちろんとても明るく楽しそうです。
そんな彼女に切られているこちらまで、元気になります。
彼女の好きだという気持ちが、こちらにまで伝わってくるからです。
好きなことを仕事に選ぶとき、自分も相手も同時にハッピーになれる。
仕事は、自分がいちばん好きなことを選ぶことが大切なのです。
「慣れることはいいことだ」
一般にはそう思われがちですが、実際のところ、そうとも限りません。
実際のところ、慣れには「いい面」と「悪い面」があります。
いい面といえば、慣れることで速く正確に、物事が行えるということです。
慣れは、速さを生み出し、正確さも兼ね備えます。
一方、悪い面といえば、マンネリ化して新鮮味が失われ、だらだらしてしまうことです。
緊張感がなくなり、気持ちに緩みが出てしまうことです。
恋愛に例えればわかりやすいでしょう。
相手と長く付き合っていると、性格や趣味がわかってきますから、やりとりがスムーズになります。
相手が喜ぶプレゼント、言葉、映画の種類などが、手にとるようにわかります。
とはいえ1年以上も付き合いが続くと、さすがに新鮮な気持ちはなくなり、マンネリとなります。
マンネリとなっては、付き合い当初のどきどきも薄れます。
慣れは、人間をさびつかせてしまいます。
「恋愛では、3年目が勝負」といわれるのは、そうした熟知と慣れとのバランスによるものです。
慣れてきたところで、さらに関係がうまくいくか、それとも浮気心が出て、ほかの人へ目が向いてしまうかです。
人生は、後になるほど、慣れが多くなります。
10代20代のころは初体験ばかりでしたが、60代70代になると経験したことのある出来事ばかりになります。
同じことを繰り返している毎日と感じるようになるでしょう。
おじさんおばさんくらいになれば、日常の出来事に関して、たいていのことで驚くことはありません。
「またか」
「いつものあれね」
「それなら知っているよ」
慣れは、心のさびです。
慣れが多くなればなるほど、心にさびができてしまい、どきどきすることがなくなります。
感情の歯車が回りにくくなり、鈍感になります。
そんな心のさびを落とすための良い方法は「初体験をすること」です。
初体験ほど、目の覚める経験はありません。
たとえ高齢になっても、経験のないことは必ずあるはずです。
初体験は、心を若返らせ、さびを取り除いてくれる効果を持つのです。
年を取るにつれて、初体験を生活の中に取り入れましょう。
「間違えないように」と思っていると、間違えやすくなります。
「失敗しないように」と考えていることほど、失敗しやすい状態はありません。
「緊張しないように」と考えるほど、緊張してしまいます。
「自信がない」と考えていると、もっと自信がなくなります。
人間は、気にしないように思っても、実際は気にしているのです。
「気にしないように」と考えているのは、気にしているからです。
集中しているということです。
「気にしない」ということを気にしているのですから、気にしていることには変わりありません。
人生は、あなたが思っているような毎日になります。
気にしないようにと考えていることは、気にしていることに変わりありませんから、気にしていることが現実になります。
「今日は嫌な日にならなければいいな」と思っていると、嫌なことを気にしているのですから、嫌な日になります。
自分でそうした出来事を引き寄せているのです。
心のどこかで嫌なことが起こることを期待し、実際に嫌なことが起こると「やっぱり……」と思ってしまう自分がいます。
「間違えないようにしよう」と思えば思うほど、間違ってしまいます。
「間違える」ということを気にしているからです。
「間違えませんように」の「ません」の部分が抜け「間違えるように」と、頭の中では解釈されています。
ネガティブな考えは、まったくそのとおりにあなたの人生を傾けます。
考えている通りの人生になるのは、そういうことを考えて、自分が引き寄せているからです。
気にしていることは、全部現実となって表れてしまう法則があるのです。
考えることはネガティブではなく、ポジティブに考えることです。
「嫌なことが起こりませんように」とは考えず「いいことが起こりますように」と考えましょう。
「間違えませんように」ではなく「うまくいきますように」と考えましょう。
「失敗しないように」ではなく「成功するように」と願うのです。
いいことを考えていると、いいことを自分から引き寄せることになります。
先ほどもお話ししたとおりに、気にしないように考えていても、気にしていることには変わりありません。
どうせ気にするなら、ポジティブなことを気にしたほうがいいのです。
人生においての成功法則は「やめない」ということです。
「諦めない」と言ってもいいでしょう。
諦めないだけで、着実に大きく強くなれます。
特別な技や技術を使わなくても、淡々と長く続けた人が最後には勝ちます。
作家を目指して挫折してしまう人は「ダメだ。自分には向いていない」と途中で諦めるから、うまくいかないのです。
得手不得手は、さほど関係なく、長く続けるだけでいい。
長く続けるだけで、周りにいる競争相手はどんどんといなくなります。
諦めるからです。
諦めて走ることをやめ、気づけば自分だけが走っています。
独走状態ですから、勝てないわけがない。
社会に出て、ほとんどの人が子どものころに思い描いていた夢を忘れます。
忙しい毎日に埋もれ、思い描いていた夢もどこかへ消えます。
自分からレースを降りてしまうのです。
途中でやめなかった人は、やめた人の分の運を引き継げます。
諦めなかった人は、諦めた人の運をまるごともらって、さらに強く大きくなるのです。
「継続は力なり」という言葉があります。
継続が力になるのは、日々の積み重ねだけではありません。
長く続けているだけで、ほかの人が諦め、やめてしまうからです。
戦う相手が少なくなり、諦めた人の運をまるごともらい、さらに大きく強くなります。
「やめない、諦めない」だけでいいのです。
私が学生時代、水木君という友人がいました。
水木君は、勉強もスポーツもできる人でした。
こう言えば、あなたは「水木君は万能な人なんだ」と思うでしょう。
ところが意外や意外!
クラスで最も失敗する人として目立っていた人も、水木君でした。
体育のサッカーでは、水木君のエラーが多かった。
しかし、それは水木君が、鈍感だったからではなく、単にトライの数が多かったからです。
トライの数が多いから、それだけ失敗の数も多く目立っていました。
同時に水木君は、最もサッカーがうまかった。
ボールが転がるところに、水木君がいます。
勉強で成績優秀者の中には、必ず水木君の名前があった。
しかし、授業中は、いちばんよく間違える人でもありました。
よく間違えるから、よく勉強ができ、知識の吸収が早かったのです。
水木君は、失敗王でありながら、成功王でもあったのです。
当時の私は、このことにあまり深く考えてはいませんでした。
しかし、今振り返って考えると、起こるべくして起こる、当然の結果なのです。
いちばんトライの多い人は、いちばん失敗も多くなります。
それは同時にいちばん成長が早くなるということでもあり、成功しやすくなると言うことなのです。
「失敗王=成功王」という公式は、当たり前なのです。
むしろ成功王と失敗王は、同一人物にならないとおかしい。
成功する人は、最も失敗が多くなり、失敗が多くなるということはそれだけ成長できるということです。
野球でも、三冠王と三振王は、同一人物になることがあります。
最もトライをする人が、いちばんよく失敗をして、またいちばん成長が早くなり、成功しやすくなる体質になるからです。
学生時代に見た水木君は、成功者としての手本だったのです。
私は、読者から「幸せになるためにはどうすればいいですか」と聞かれます。
私が答えると「なんだ、そんなことですか。当たり前のことですね」と言われます。
こういう人は、幸せになるために、何か難しいことを特別しなければならないと思っています。
それでは、いつまで経っても幸せになれません。
幸せになるために、特別に難しいことをしなくてもかまいません。
当たり前のことを当たり前にするだけでいいのです。
複雑に、難しく、ややこしく考えるほど、幸せは遠ざかってしまいます。
どれもこれも、誰もが知っている当たり前のことです。
しかし、きちんとできている人は少ないのです。
目先のことは軽く考え、幸せになるためにもっと複雑で難しくややこしいことをしています。
幸せになれない人は、こうしたことを求めている傾向が強い。
だから余計に幸せから遠ざかる。
これらが自分を幸せにさせてくれると思っているからです。
当たり前のことを、当たり前にするだけでいいのです。
「そうか! 失敗が怖くならないためには、こうすればいいんだ!」
私はある日、失敗が怖くならないポイントに気づきました。
失敗について考えていたとき、その正体を見つけました。
わかってしまえば、シンプルなメカニズムです。
ほとんどの人が「失敗が怖い」と言います。
本当に失敗が怖いのでしょうか。
いいえ、本当に怖いのは「失敗をすること」ではありません。
「失敗を見られること」が怖いのです。
失敗を見られることが怖くて、精神的につらく、重く、苦しく、不安になり、自分で自分の首を絞めるようになります。
「かわいそうに」
「残念」
「やっぱりそうなるだろうと思った」
失敗を見られて、このように思われることがいちばんつらく感じるのです。
失敗の正体は「失敗そのもの」ではなく「見られること」にあるのです。
失敗が怖くなるメカニズムに気づいた瞬間、失敗が怖くならないメカニズムも発見できます。
もう、おわかりですね。
誰にも見られないようにすればいいのです。
見られることさえなければ、失敗が怖くなくなります。
誰にも知られることがなければ、誰にも見られることはありません。
批判、中傷が飛んでくることもなく、自分のペースで進むことができるようになります。
いらいら、不安、怒り、悲しみがなくなり、精神的に安定します。
私はHAPPY LIFESTYLEの中で、たくさんの本を書いています。
なぜこんなに書くことができたのかというと、周りの人に内緒にしていたからです。
友人も、家族も、親戚も先生も、会社の上司や同僚など、まったく知りません。
徹底的に、内緒を貫いています。
私は、他人に知られることが怖かった。
特に親族や友人など、身近な人に見られると、何を言われることやら不安でたまりません。
サイト上で何かをするたびに「見られている」「何か言われるのではないか」と不安が付きまとい、ペースを崩してしまいます。
つい人の目を気にしてしまうのです。
だから内緒にして、こっそりつくっています。
マイペースを崩すことなく、たくさん書くことができているのです。
大きなことを成し遂げようとするとき、1人で淡々と立ち向かいましょう。
大声で「今こういうことをやっている」と偉そうにしていると、中傷が飛んでくるようになり、すぐあなたを邪魔し始めます。
自慢をする人が失敗するのは、他人に知られることで邪魔をされるようになるからです。
一方、こっそりしている人が成功するのは、邪魔をされず夢に向かっていくことができるからです。
大きな夢ほど、小さくこっそり成し遂げるのです。
お披露目は、ある日突然でもいいのです。
「一生懸命に遊ぶ人」と聞くと、どのようなイメージを持ちますか。
だらしない人、怠けた人、フリーター。
さまざまな答えが返ってきそうですね。
私は「仕事も勉強もできる人」というイメージを持ってしまいます。
一生懸命に遊ぶ人は、実は仕事も勉強もできる人です。
遊びと聞くと、怠けたイメージがあるかもしれません。
しかし「一生懸命に」遊べる人は、必ず仕事も勉強もできる人です。
「一生懸命に遊ぶ」と「一生懸命に仕事をする」は、どちらも「一生懸命」が共通しているからです。
その人には「一生懸命」という才能があります。
その一生懸命さを、遊びにぶつけるか、仕事にぶつけるか、それとも勉強にぶつけるかの違いだけです。
「一生懸命」という才能があるからには、何をしても大成します。
よく遊ぶ人ほど、よく勉強ができます。
学生時代、水木君という遊びも勉強もスポーツもできる男の子がいました。
水木君は、かなりのやんちゃです。
しかし、勉強もしっかりできる優等生でした。
遊びも勉強もできる、さらには運動もできるという、まさに文武両道を兼ね備えた人でした。
水木君には「一生懸命」という才能がありました。
遊ぶときには一生懸命に遊び、勉強するときには一生懸命に勉強をし、スポーツをするときには一生懸命にスポーツをしていました。
どれも「一生懸命」が共通しています。
水木君は、遊びの才能、勉強の才能、スポーツの才能があったわけではありません。
「一生懸命な人」だったから、何でもできるようになったのです。
遊びが悪いことだからとはいえ、控える必要はありません。
遊ぶときには徹底的に遊ぶのです。
その一生懸命さを、次は仕事や勉強にぶつけていけばいいのです。
人生全体から見れば、フライングは大切なマナーの1つです。
学校でフライングをすると叱られます。
しかし、実は、フライングスタートという言葉ではなく、代わりの言葉を使ってフライングスタートをきちんと勧めています。
それが「予習」という言葉です。
予習は、実際の授業が始まる前に、前もって勉強しておくことです。
あらかじめ勉強することで、本番でも授業を少しでもスムーズに理解できるように準備をします。
立派なフライングスタートではありませんか!
たしかに本番の試験でのフライングスタートは正確なスコアを計ることができませんから、叱られます。
しかし、そうしたスコアを計る試験を除き、人生ではどんどんフライングスタートしていいのです。
むしろしたほうがいい。
フライングというのは「一足早く」ということです。
一足早く行動することは、人生に対して大きくプラスに働きます。
挨拶も同じです。
相手から挨拶をされる前に、先に自分から挨拶をします。
待ち合わせの場所も、遅れるよりは、早めに到着することです。
語学の勉強も、早く始めれば始めるほどいい。
若いころのほうが吸収力もあります。
恋愛も失恋も、早いほど精神的に強くなれます。
本を書きたい人も、もっと経験を積んでからより、今からすぐ書き始めたほうがいい。
早く始めるほうが、それだけ技術や書き方の習得が早くなります。
自分に足りない勉強や経験も見えてくるようになります。
大学受験も合格するか否かは、試験対策をどれだけ早い時期から始めるかにかかっているといっても過言ではありません。
早い時期に志望校を決め、早く試験勉強を始めるほうが、当然合格率は飛躍的にアップします。
「早い者勝ち」という言葉があります。
まさにこれは「フライングスタートをして、早く前に出た人が勝利できますよ」という意味です。
フライングスタートは、人生を加速させ、向上させる大切なポイントです。
スピードそのものを上げることは大変ですから、スタートそのものを早くしてしまうことです。
時速100キロで進む必要はありませんから、1時間早いスタートを切るのです。
「速い」も大切ですが、それ以上に「早い」はさらに大切です。
スタートそのものを早い時期にしてしまい、フライングスタートをする人が、人より1歩も2歩も先取りできるのです。
アメリカでは、成功を収めている人には、ユダヤ人が多く占めています。
アメリカですから、アメリカ人がいちばん有利に思えます。
しかし、結果として、ユダヤ人という過去に迫害を受けた民族が、アメリカでは大きな地位を得ています。
日本の力士でも、最近では日本以外の国籍の横綱が目立ちます。
日本の国技ですから、日本人ばかりが目立ちそうですが、実際は外国人力士も負けず劣らず活躍しています。
知られていないことですが、東京大学では、在学者は不思議と地方出身者が多い。
近場に目標とする大学があれば、もちろん地元である東京の人のほうが有利なはずです。
しかし、現実は、地方からやってきている人が多い。
むしろ地方からやってくる人のほうが、大半を占めています。
東京で会社を経営している人も、地方出身者が目立ちます。
東京はチャンスにあふれている街です。
物や施設も学校もたくさんありますから、それだけ成長スピードが速いはずなのですが、不思議と東京人以外の活躍が目立ちます。
生まれも育ちも東京なら、群を抜いて成長を遂げそうです。
しかし、実際には、地方出身者も負けず劣らず活躍しています。
どうやら人間は、居心地の良いところにいると、なかなか成長できないようです。
実際のところ、居心地の悪いところにいる人ほど、成長ができています。
居心地の悪さを、成長へと転換させているからです。
適度な異物が体にあるほうが、免疫力があり、強くなれることと同じです。
居心地が悪いと「なんとかしなければ!」と必死になります。
危険を回避するために、生物的な本能が働き、知恵を絞り、体を動かし、行動するようになります。
自分の生命に関わることには、人間は必死になって行動するようになるのです。
居心地の悪さ、適度なストレスは、人間を強く大きく成長させます。
居心地がいいからと、いつまでも実家にこもっていませんか。
親にべったり頼っていませんか。
友人に、恋人に、すがっていませんか。
たしかに居心地は良いでしょう。
しかし、その居心地の良さが、あなたを逆に弱くさせているのです。
人生では、好きなものから順番にはじめることが大切です。
嫌いなことから始める必要はありません。
我慢を美徳とする日本人には、反対する人もいることでしょう。
しかし、好きなことから順番にはじめないと、確実に人生を狂わせてしまうことになります。
私の学生時代は、給食で「嫌いなものから先に食べなさい」と教わりました。
「なぜ嫌いなものから先に食べないといけないのだろう」と不思議に思ったものです。
嫌いなものから食べていると、本当に食べたかったものを食べる前に、おなかいっぱいで食べられなくなります。
試験では、苦手な問題から始めると、スコアが下がってしまいます。
初めにできない問題から始めると、精神的に落ち込み、引きずることになり、できる問題までできなくさせてしまいます。
テストでは、得意な分野から順番に初めて、波に乗ったところで苦手な問題を最後にするほうがいいのです。
人生も、また同じです。
好きなことを後回しにして、嫌なこと、嫌いなことから始めていると、あっという間に年を取ってしまいます。
ようやく好きなことをしようとしたときには、もう寿命が尽きて死んでいるのです。
「好きなことから」が、最もうまくいく順番です。
好きなこと順が、お金も時間も最大限に活用できます。
これが、人生に対する正しいマナーです。
好きなことから順番にはじめないと、人生はあなたから容赦なく時間とお金を奪い取り、寿命まで縮めさせてしまいます。
人生は、好きなことから始める人に恩恵を与え、嫌いなことをしている人に不幸を与えるようにできているのです。
もし、ゴルフからバンカーがなくなれば、面白くなくなります。
たしかにバンカーがないほうが、安心してゲームができますが、面白くありません。
「バンカーに入るかもしれない」
「入ったらどうしよう」
「入らないように、技術を身につけよう」
嫌われ者のバンカーですが、あるおかげでゲームがゲームらしく、楽しくなっているのです。
人生のバンカーも、みんなから嫌われていることです。
「失敗すること」
「失恋」
「失望して落ち込むこと」
「叱られること」
避けられるなら、どれも避けたい。
しかし、そうしたバンカーがあるから、人生が楽しくなっているのです。
バンカーがなければ、人生は単調になり、張りがなくなります。
神様が、人間がだらだらした毎日を送らないように、適度にバンカーをつくってくれているのです。
愚痴を言う人には、ある共通点があります。
「自分の人生に満足していない」ということです。
満足していないから、愚痴っているのです。
愚痴っているから、余計に満足ができなくなります。
人生は、愚痴っている人から運を奪い、笑顔を奪い、友人を奪い、お金を奪い、寿命を奪います。
なぜそうなってしまうのかというと、実は自分から、そうなるようにしているのです。
誰かの悪口を言っている、その時間こそがいちばんもったいない。
愚痴を言うことで、何かが改善するわけではありません。
エネルギーも、時間も、体力も、お金もかかります。
まったくもって、人生の無駄遣いをしているのです。
笑顔がなくなり、友人もいなくなり、お金もなくなり、寿命も縮んでしまいます。
また愚痴を言い始める。
悪循環になっています。
誰かが、そうしているのではなく、自分からそうなるようにしているのです。
愚痴は、人生の中でも最も大きな無駄遣いの1つです。
悪循環への第一歩です。
では、成功者は愚痴を言いたい気持ちがないのかというと、そうでもない。
成功者も、もちろん愚痴を言いたくなることがあります。
満足しないことがあります。
しかし、いちばんの違いは、言いたい気持ちをぐっとこらえる代わりに、そのエネルギーを行動力に変えているということです。
成功する人は、愚痴を言う暇があれば、改善するために、何らかのアクションを起こします。
愚痴を言いたくなることがあれば、言いたくならないように、自分で人生を変えようとします。
成功するのです。
愚痴を言いたくなる気持ちがあってかまいません。
ただ愚痴を言って、それで終わりにしてはいけません。
しっかり、行動力に変えましょう。
言いたくなる気持ちをぐっとこらえて、そのもやもやして気持ちを、行動力に変えて改善する人が、成功するのです。
「過去をむやみやたらに振り返らない」ということも、人生のマナーの1つです。
もちろん旧友との会話の流れから、昔を振り返り、話題にするくらいはいいでしょう。
昔話には、花が咲くものです。
しかし、過去を懐かしむことはあっても、執着をしてはいけません。
「あのころは良かった」
「あのころに戻りたい」
「あのころに比べて今は……」
過去に執着することは、それだけ未来に進みにくくなります。
水泳に例えれば、わかりやすくなるでしょう。
水泳のターンは、強く壁を蹴ることで、前に進めます。
水泳で泳ぐときに、わざわざ後ろを見ながら泳ぎますか。
そんなこと、しませんよね。
後ろを見ながら泳いでいると、肝心の前が見えなくなり、進む速度が遅くなります。
進む方向は前しかありませんから、後ろを気にすることは必要ないのです。
進むのは前だけ、過ぎ去った道を戻ることはありません。
人生と同じではないですか。
これからやってくる「未来」に目を向けず、過去ばかりを振り返っていては、肝心の前が見えなくなります。
それどころか、後ろを振り返り、気にしていることで、未来へと進みにくくなります。
終わった過去がもう一度返ってくることはありません。
わざわざ後ろを振り返る必要もないのです。
前だけ見ていればいいのです。
「何をしていいのかわかりません」
私はときどき、こうした相談を受けることがあります。
そこで、詳しく話を聞いてみると、その人はまだ何もしていないのです。
何もしていないのに、結果が急に出ると思っています。
考えてみればおかしな話です。
何をしていいのかわからない人に共通していることは「まだ何もしていない」ということです。
何をしていいのかわからないときには、とにかく今、目の前にあることを一生懸命にしていればいいのです。
いきなり遠くにあるゴールを目指すのではなく、手の届く範囲にある仕事を淡々とこなします。
そのうち突然ぱっと改善策を見つけることができ、そこを切り口に次へのステップへと進むことができるようになります。
わからないからと駄々をこねるのは、マナー違反です。
何をしていいのかわからない人ほど、何かをすることです。
今自分ができることを、しっかりやっていれば、そこから切り口が見えてくるようになるのです。
人生は、あなたに目的を与えません。
あなたが自分で目的を探していかなくてはならないのです。
わからないときにはぽかんとしているのではなく、わからないから行動することが大切なのです。
平らなジェットコースターは、見たことがありません。
平らでは、前に進まないため、そもそも存在しないのです。
平坦な道のりのジェットコースターは、前に進まないのです。
ジェットコースターが前に進むのは、山があり、谷があるからです。
勢いよく下に落ち、その勢いで山へと登れるようになります。
山があれば一生懸命に登る。
谷があれば、思いきって落ちる。
それこそが、実はいちばん安定している状態であり、順調である証拠です。
失敗をすれば、大切なことに気づけます。
大切なことに気づけば、新しい挑戦ができるようになる。
新しい挑戦をすれば、もちろん失敗もある。
失敗があれば、また新しい学びがある。
新しい学びによって、さらに高く向上できる。
その上下の波をつくることが、上手な人生の生き方であり、マナーなのです。
その波のある毎日を、知らず知らずのうちに私たちは生きています。
意識をしないから、山や谷に気づいていませんが、細部を見てみると、山の後には谷ができ、谷の後には山ができています。
その「小さな失敗」と「小さな成功」を繰り返して、成長をしているのです。
10年前のあなたと、今のあなたを比べてみましょう。
当然ですが、今のほうが成長していますよね。
その10年間には、数多くの失敗と成功があったはずです。
それを繰り返してきたから、成長ができたのです。
ジェットコースターのように、山と谷があったから進むことができ、成長できたのです。
あなたは、山ばかりを求め、谷を避けようとしている傾向があります。
むしろもっと失敗ができるように考え直しましょう。
ジェットコースターも、大きな谷に落ちるほど、大きな山へと登ることができるようになります。
「なかなか成功しないんです」
ときどきこんな相談を頂きます。
それはそうです。
失敗もせずに成功するなんて、そもそもおかしな話です。
ジェットコースターのように谷に落ちるからこそ、山に登れるようになるのです。
あなたは谷を経験することなく、山ばかりを求めていませんか。
そんなうまい話はありません。
成功したければ、失敗しに行きましょう。
失敗があって、成長ができるのですから。
幸せをどこか遠くへ探していませんか。
幸せは遠くへ探しに行くものではなく、今、お世話になっている感謝に気づくことなのです。
あなたがいちばんお世話になっている人といえば、誰でしょうか。
両親です。
家族です。
家庭そのものです。
幸せの基本は、必ず家庭内に存在しています。
作家メーテルリンクの名作『幸せの青い鳥』は、幸せを探し求める冒険物語です。
チルチルとミチルは、幸せになれると言われている青い鳥を探し求め、旅に出ます。
物語の最後に2人は、ついに青い鳥を見つけます。
旅から戻った2人は、なんと自分の家の中で見つけたのでした。
自分が飼っていた鳥が、幸せの青い鳥だったというお話です。
幸せを青い鳥と例えていますが、作家メーテルリンクは「幸せの基本は家庭内にありますよ」と言いたかったのです。
それを青い鳥と例えて、うまく物語として表現できた名作です。
まず幸せは、自分の家庭内にあることに気づきましょう。
家の外にあるのではなく、家の中にあるのです。
家庭の中に、幸せがあるのです。
感謝をするときに、幸せを感じることができます。
ありがたみを感じ、感動して、感謝するときに「幸せだ」と思います。
感謝を忘れている人は、幸せを感じることもありません。
お金やプライド、肩書など一時的な幸せを感じることはあっても、深い幸せを感じることはありません。
感謝を忘れているから、幸せも忘れているのです。
幸せになるためには、まず感謝をする習慣を持つ必要があります。
日々の感謝に気づき、ありがたさに気づくことで、幸せにも気づけるようになります。
感謝をすることは、人生を生きるうえでの基本的なマナーです。
世界中のどんな言葉にも「ありがとう」という言葉があります。
私は宇宙人に会ったことはありませんが、彼らの話す言葉の中にも、必ず「ありがとう」という基本言葉があることは断言できます。
ありがとうがあるから、幸せを感じることができ、人間関係が成り立っているのです。
ありがとうがなくなってしまえば、感謝も人間関係も大変なことになります。
いちばん忘れていけない言葉は「ありがとう」という感謝の言葉なのです。