「いらいらする!」
電車遅延にいらいら。
友人の行動や発言にいらいら。
「いらいらしたくない」
「おおらかな気持ちになりたい」
「心に余裕を持ちたい」
自分の生活には「ぎりぎり」がどのくらいありますか。
お金でも、時間でも、愛情でもかまいません。
ちょっと生活を振り返り、自分のぎりぎりを見つけましょう。
勉強とテスト本番では、明らかに気持ちの状態が異なります。
スポーツでいう、練習と試合も同じです。
練習のときには、穏やかで気持ちに余裕がありますが、本番と思うと無駄な力が入り、気持ちの余裕がなくなります。
人と人とが、対立して争う原因は、お互いが価値観に執着しているからです。
「自分は正しい。相手が間違っている」と、お互い、いがみ合っています。
国と国との戦争も同じです。
出さないごみは部屋の中で腐って、悪臭を放ち始めるように、いらいらも捨てないと悪臭を放ち始めます。
いらいらしてしまったときに、上手な捨て方があります。
いらいらすることを紙に書いて、ごみ箱に捨てましょう。
交通事故といらいらは、関係しています。
交通事故は、いらいらしているときに起こりやすいと言われます。
気持ちの余裕のなさが、車の運転に表れてしまうからです。
彫刻で間違ったところを削ってしまえば、その間違いを生かして作品をつくればいいのです。
間違えて「もうダメだ。最初からやり直しだ」と思うのではなく、間違いの味を生かそうと思えばいいのです。
削りすぎた部分を味に変えてしまえば、立派な彫刻が出来上がります。
家を早めに出る習慣は、余裕をつくる習慣です。
たったそれだけのことです。
人が変わったかのように、気持ちに変化が現れます。
「あなたのひどい言葉で心が傷ついた」
「あなたの言葉のせいで、立ち直れない」
「心に突き刺さった」
私もいらいらは、何度も経験したことがあります。
いらいらしたときほど、頭がいっぱいで、反省する余裕がありません。
余裕のない状態で、無理やり考えたり反省したりしようとすると、さらにいらいらしてきます。
いらいらを解消するためには、体を動かすことが大切です。
体を動かしていると、自然といらいらが消えてなくなります。
体を動かすことは、ストレス発散の作用があるからです。
「なんだか矛盾しているなあ」
私は今、フィットネスに通っていますが、不思議な光景をたびたび目にします。
体を動かしに来ているフィットネスで、エレベーターを使っている人です。
いつものように、私が文章を書いていたときのことです。
ある日、ふと自分のしていることに気づいたことがあります。
「私のしていることは、『昇華』だな」
うつになる人は、とかく自分のことばかり考えているから、うつになります。
「自分はどう思われているのかな、見られているのかな」
「自分は愛されているだろうか」
目の前を横切る自動車を見ていることは、日々の情報の氾濫にそっくりです。
さまざまな車が目の前を走ります。
トラック、外車、ワゴン、タクシー。
近くを見つめていると、いらいらしやすくなります。
遠くを見つめていると、いらいらしなくなります。
遠くにある存在のほうが、動きが小さく、安定した存在だからです。
人間には「妄想」という得意技があります。
まだ起こっていない現実を、頭の中だけで想像を膨らませて、物語を進めてしまうことです。
恋愛関係でも、相手とのコミュニケーションが少なくなれば「何を考えているのだろう」と思い始めます。
いらいらさせるのは、コミュニケーションをきちんととっていない人との接触です。
会話をしっかりしている人とは疲れません。
悪いふうに妄想をしないからです。
ある日、突然キレる人は、普段は真面目な人が多いものです。
真面目な人は、自分のコントロールがうまく、気持ちを抑え込むのが上手だからです。
吐き出したい気持ち、考え、意見があっても、上手にそれを抑え込み、問題がないようなふりをします。
自分が落ち込んでいるときに、もっと落ち込んでいる人を見つけて「大丈夫ですよ」と励ましていると、不思議なことが起こります。
自分のほうが、元気になるのです。
落ち込んでいるときは、自分のことで頭がいっぱいになりますが、ほかの人を視野に入れると、視野が広くなります。
完璧主義者には、いらいらしやすい人が多い。
思いどおりにならないと、すぐキレてしまいます。
視野が狭く、本当の真実に目を向けていませんし、気づいていません。
なぜバス停でバスを待っていると、いらいらしてしまうのでしょうか。
バスが来るほうを見ているからです。
バスが来ているか気になって、道路の先に目をやります。
いらいらして心を落ち着かせたいときには、海に出かけましょう。
大きな海をぼんやり眺めるだけで、自然と心が落ち着いてきます。
視野に入りきらないほどの大きな景色が、あなたの視野を広く、心を大きくさせてくれます。
健康といらいらは正反対に思えますが、工夫しだいで健康につながります。
いらいらすると、吐き出したい気持ちになりますね。
ストレスを吐き出したい欲求に駆られます。
「自分を高めたい、自分を成長させたい」という欲求は誰にでもあります。
しかし、いらいらしたくないとも思います。
おかしな話です。
女性には、特に有効ないらいらの解消の方法があります。
ふわふわしたものを購入して、触れることです。
手触りの良いものということです。
私の母は、キレることはありません。
水口家で家族旅行に行ってトラブルがあっても、前向きに受け止めてしまいます。
家族旅行では、団体行動ですから、小さなトラブルがあるものです。
できないことばかりを見ていると、心が小さく狭くなります。
「あれもできない、これもできない、それもできない……」
できないことばかりに注目を向けていると、当然いらいらもしやすくなります。
いらいらは、他人と比べることから始まります。
「あの人はいいなあ。うらやましいな。それに比べて自分は……」
相手と自分との違いを見つけ、落ち込みに結びつけてしまいます。
「いらいらする!」
電車遅延にいらいら。
友人の行動や発言にいらいら。
お金がなくていらいら。
世の中には、いらいらすることがたくさんあります。
人間関係だったり、時間やお金のことだったり、ジャンルは多岐にわたります。
しかし、どれも原因は次のポイントです。
「余裕がない」ということです。
いらいらの正体は「余裕不足」です。
余裕がないときに発生する気持ちです。
いらいらしている人は、必ず余裕がありません。
キレやすい人ほど、時間やお金、人間関係や自分に余裕がなかったりします。
たとえば、朝の通勤電車にいらいらするのは、時間に余裕がないときです。
時間に余裕がないから、ちょっと電車が遅れただけで、いらいらしてしまいます。
買い物で衝動買いをしていらいらしてしまうのは、お金に余裕がないときです。
お金に余裕がないから、間違えた買い物にいらいらしてしまいます。
けんかをしていらいらするのは、言うまでもなく、人間関係に余裕がないときです。
また自分に余裕がないからという理由もあることでしょう。
いらいらするのは、あなたの性格の問題ではありません。
ただ、気持ちに余裕のない生活を送っているという「生活スタイル」に少し問題があるだけです。
余裕のある生活スタイルに変えれば、自然と気持ちにも余裕が出て、いらいらしにくくなります。
いらいらを解消するためには、まずなにより「余裕をつくること」が先決なのです。
「いらいらしたくない」
「おおらかな気持ちになりたい」
「心に余裕を持ちたい」
こうした願いを持つ人は、まず「余裕のある生活」を心がけましょう。
心に余裕をつくるためには、生活に余裕をつくればいいのです。
生活に余裕ができれば、必ず気持ちにも余裕が出てくるようになります。
いらいらの原因は、心に余裕がないということです。
ここをまずしっかり押さえておきましょう。
心に余裕がない原因は、生活に余裕がないからです。
生活を変えれば、心が変わり、気持ちまで変わります。
余裕のある生活は、落ち着いた性格になります。
こうしたことを心がければ、きっと余裕ができて、落ち着いた心になるでしょう。
性格を変える必要はありません。
変えるべきは、生活スタイルなのです。
自分の生活には「ぎりぎり」がどのくらいありますか。
お金でも、時間でも、愛情でもかまいません。
ちょっと生活を振り返り、自分のぎりぎりを見つけましょう。
(考える時間……)
さて、どうでしょうか。
ぎりぎりが1つも見つからなかったという人は、大丈夫です。
おそらくすでに落ち着いた生活を送り、公私ともに安定していることでしょう。
一方、ぎりぎりがたくさん見つかった人は、要注意です。
ぎりぎりを求める生活習慣が、いらいらをつくっている原因です。
ぎりぎりがたくさんある人は、自分からぎりぎりを心がけている人が多いです。
ぎりぎりに、気持ちのよさを感じているからです。
この言葉に気持ちのよさを感じる人は、余裕のない人であり、いらいらしやすい人です。
ぎりぎりには「ちょうど」「ぴったり」というニュアンスがあります。
「ぎりぎり」とは、余裕のない言葉です。
この言葉を聞いて「危ないなあ」と感じることができる人が、気持ちに余裕のある人であり、いらいらしにくい人です。
急なトラブルが発生したときに余裕がなくなり、パニックになるからです。
時間やお金がぎりぎりなら、万が一のときに、すぐ焦ってしまいます。
余裕がなくなった後は、どうなるかわかりません。
「危ないなあ」と感じてしまうのです。
決して「気持ちいい、快感、ちょうどいい」とは思いません。
気持ちに余裕のない人は、いつもぎりぎりの生活スタイルをしています。
「ぎりぎり」は、心がけてはいけない余裕のない習慣なのです。
勉強とテスト本番では、明らかに気持ちの状態が異なります。
スポーツでいう、練習と試合も同じです。
練習のときには、穏やかで気持ちに余裕がありますが、本番と思うと無駄な力が入り、気持ちの余裕がなくなります。
「失敗してはいけない」と肩に力が入るからです。
「もう、後がない」と思っています。
キレやすい人は、いつも本番モードです。
気合が入りすぎているため、ささいな間違いやミスだけで心に余裕がなくなり、いらいらしてしまいます。
気合を入れるのはいいですが、心のどこかで「もしできなくても、次がある。命まで取られるわけではない」と考えましょう。
本番でありながら、練習だと思うのです。
自然と穏やかな気持ちになれます。
「これは練習だから、いつもどおりやろう」と、おおらかな気持ちでいると、心に余裕ができて、いらいらしなくなります。
人と人とが、対立して争う原因は、お互いが価値観に執着しているからです。
「自分は正しい。相手が間違っている」と、お互い、いがみ合っています。
国と国との戦争も同じです。
「こちらが正しい」という価値観にしがみついているから「相手が間違っている」という非難へと変わります。
譲らず、奪うこと、否定することにパワーを使っています。
「価値観」は、素晴らしいものだと思っている人がいますが、けんかの元になります。
価値観は、無理に持つ必要はありません。
愛の逆は、価値観です。
愛は「私とあなたは1つである」という考えです。
価値観は「私とあなたは別々である」という考えです。
愛が平和とすれば、価値観は戦争です。
いらいらする人は、頑固です。
強い価値観を持ち、執着して、絶対に妥協しようとしません。
心のどこかでは「私が正しい。あの人は間違っている」と見下しています。
そのため、対立となり、けんかへと発展します。
つまらないことに執着をして、さらに大きなことを失います。
価値観は、一度捨てないといけないのです。
持つ必要はありません。
いらいらしない人は、自分の価値観を持っていません。
「もしかしたら、自分は間違っているのではないか」という謙虚な心を持ち、相手の考え方を吸収するのです。
謙虚な姿勢を心がけていれば、気持ちに余裕ができ、いらいらしたりキレたりすることがありません。
自分の考えに執着することがなければ、どんな人とでも、仲良くできるのです。
出さないごみは部屋の中で腐って、悪臭を放ち始めるように、いらいらも捨てないと悪臭を放ち始めます。
いらいらしてしまったときに、上手な捨て方があります。
いらいらすることを紙に書いて、ごみ箱に捨てましょう。
紙に書いて、ごみ箱に捨てる方法は、誰の迷惑にもならず、ストレスを吐き出せます。
誰にも見られないのですから、思っていることを紙に書いてしまいましょう。
見られることが心配なら、捨てるときに小さく破ったり、シュレッダーにかけたりすることでもかまいません。
ごみ箱は、ごみを捨てる箱だけでなく、いらいらを捨てる箱でもあるのです。
あなたのいらいらも、ごみ箱にぽいと捨ててしまえばいいのです。
間違っても、言葉で吐き出さないようにしましょう。
口に出して吐き出すと、けんかになります。
態度で吐き出しても、けんかになります。
唯一、紙に書いて吐き出すことは、誰にも迷惑になりません。
出ないものは吐き出す必要はありませんが、出てきたらきちんとごみ箱に捨てましょう。
部屋の掃除のように、心の掃除をして、ごみはごみ箱へ捨てるのです。
交通事故といらいらは、関係しています。
交通事故は、いらいらしているときに起こりやすいと言われます。
気持ちの余裕のなさが、車の運転に表れてしまうからです。
乱れた心理状態が、乱暴な運転に反映されます。
気持ちに余裕がないと、注意するべきところを省いてしまい、事故へとつながります。
部屋の中で人とぶつかり、けんかをした人は、外に出て運転しても、車とぶつかります。
いらいらして命まで落としてしまっては、たまったものではありません。
交通事故を減らすためには、まず人とぶつかることを避けることです。
人とぶつからない人は、冷静さを維持できます。
車を運転しても、車ともぶつかりにくくなります。
どうしても車が必要になれば、誰かに運転を代わってもらったり、電車を使ったりする手段も検討しましょう。
彫刻で間違ったところを削ってしまえば、その間違いを生かして作品をつくればいいのです。
間違えて「もうダメだ。最初からやり直しだ」と思うのではなく、間違いの味を生かそうと思えばいいのです。
削りすぎた部分を味に変えてしまえば、立派な彫刻が出来上がります。
良い作品には味がありますが、その味は、失敗や間違いから生まれたものが多いものです。
私は作品を書いているときに、漢字変換を間違えてしまうことがあります。
しかし、後で読み直すと、間違った漢字のほうが良い味を出しているのです。
ある日「意志が固い」と書きたかったところを、間違えて「石が硬い」と書いてしまったことがありました。
パソコンの漢字変換では、よくあることです。
しかし、間違えて漢字変換してしまったことから、思いもしない新しい発想が生まれました。
修正せず、石という漢字のまま話を続けることがあります。
「生みの親」と書きたかったところを「海の親」と漢字変換してしまったこともあります。
間違えると「こういう考え方も悪くないな」と新たな発想が浮かんできます。
そういうことは、これまで何度もありました。
今ではわざと、間違えやすいように書いているくらいです。
私はスピードを大切に書いていますが、スピードを上げると間違えやすくなり、間違えると新しい発想が生まれやすくなります。
そうした間違いのおかげで、これまでたくさんの作品を書くことができています。
間違えたら、それを特徴に変えられないかと考えましょう。
間違ってしまえば、その間違いを味に変えて生かしてしまえばいいだけです。
家を早めに出る習慣は、余裕をつくる習慣です。
たったそれだけのことです。
人が変わったかのように、気持ちに変化が現れます。
朝の通勤電車でも、いつもより早く家を出れば、それだけ車内は人が少なくて空きがあります。
早めに到着すれば、心が落ち着いていますから、仕事のミスが少なくなったり、勉学に集中したりできます。
友人との待ち合わせのときにも、時間ぎりぎりに向かうのではなく、いつもより早く家を出るのです。
待っている時間を無駄と思うのではなく、気持ちを落ち着かせる時間と考えればいいのです。
「待つ時間がもったいない」と思ってぎりぎりで向かう人は、時間に間に合っても余裕がないため、いらいらが続きます。
たったその数分のために、丸一日を台無しにしてしまうのです。
早めに到着すれば、ゆったりした気持ちで1日を過ごせます。
早めに家を出る習慣は、気持ちのいい1日をスタートする習慣なのです。
「あなたのひどい言葉で心が傷ついた」
「あなたの言葉のせいで、立ち直れない」
「心に突き刺さった」
ひどい言葉を言われて、心に傷がついたという人がいます。
みんなが当たり前に使っているこの言葉ですが、あらためて考えるとおかしな話です。
心は見えないし、直接触れることもできません。
どう相手の心に傷をつけることができるのでしょうか。
実際のところ、他人はあなたの心に直接傷をつけることはできないのです。
傷がついたというのは、自分でそういうふうに勝手に解釈しているだけのことです。
自分のためを思って言ってくれている言葉を、勝手に悪口と受け止め、自分で自分の心に傷をつけます。
傷をつけている人は、自分なのです。
相手からの言葉を受け取り、マイナスへと受け止め、最終的に自分で心に傷をつけます。
「傷ついた」が口癖になっている人は、そもそも物事の受け止め方がマイナスへと傾いています。
せっかくあなたを思って批判してくれているのに「悪口を言われた」と受け止め、心に傷をつけます。
傷をつけているのは、誰でもない自分なのです。
また一方で、心に傷がつかない人もいます。
そういう人は、どんな言葉も「ありがたい」と思える人です。
すべての言葉を感謝して、ありがたく思える人です。
どんな中傷も、プラスへと受け止めてしまうから、どんどん成長します。
賢い人は、自分への批判をプラスとして受け止め、成長に変えます。
批判されたところを直せば、素晴らしい自分になれますから、批判の言葉にも、批判する人にも感謝したくなります。
受け止め方を変えれば、いらいらすることがなくなります。
どんな言葉も、ありがたく思えてくるのです。
私もいらいらは、何度も経験したことがあります。
いらいらしたときほど、頭がいっぱいで、反省する余裕がありません。
余裕のない状態で、無理やり考えたり反省したりしようとすると、さらにいらいらしてきます。
頭の中でいらいらしたことを考えて反省したい気持ちはありますが、そんな余裕があれば、最初から困りません。
余裕がないから困っているので、まず余裕をつくるようにしています。
まず、その余裕をつくることに専念するのです。
私の場合、いらいらしたら、まず「寝る」か、逆に「忙しくする」かにしています。
いらいらし始めた瞬間から、もう頭で難しく考えません。
難しいことを考えるとさらに疲れるので、いっそのこと寝てしまいます。
睡眠を取ると、不思議なことに、それだけで落ち着くことができ、本来の元気が戻ってきます。
いらいらで自制心を失えば、睡眠で自制心を取り戻します。
いらいらは、時間が過ぎれば、自然と穏やかになります。
肝心の反省は、ある程度時間が過ぎて、落ち着きを取り戻してから、するようにしています。
落ち着いていないと反省ができませんから、まず落ち着くために、寝てしまいます。
しかし、寝たいけど寝られない環境にいる場合もあります。
仕事中にいらいらして、その場で寝てしまうというわけにはいきません。
「いらいらしたので寝ます。家に帰ります」なんて、言えませんね。
そういうときには、逆に「忙しくする」ようにします。
忙しく仕事をしていると夢中になることができ、嫌な出来事も忘れることができます。
「忙しい」という字は「心」を「亡くす」と書くように、忙しくなれば、一時的に心を亡くせます。
一生懸命に仕事をすれば、仕事の成果も上がり、そのうえいらいらも忘れることができます。
寝るにしても、忙しくするにしても、応急処置です。
根本的な問題解決ではありませんが、即効性はあります。
寝たり忙しくしたりして、ある程度時間が過ぎて、落ち着きを取り戻すためにするのです。
本当の問題解決は、落ち着きを取り戻したとき、反省して行動に移すことです。
落ち着きを取り戻すための、最初の1歩なのです。
いらいらを解消するためには、体を動かすことが大切です。
体を動かしていると、自然といらいらが消えてなくなります。
体を動かすことは、ストレス発散の作用があるからです。
フィットネスクラブが大人気なのは、体を鍛えるためだけではありません。
ストレスのたまった現代人にとって、ストレス発散の場になっているからです。
仕事帰りのサラリーマンが、ウォーキングマシンで歩いたり、プールで泳いだりするのは、ストレスを吐き出している姿です。
積極的に体を動かす習慣は、いらいらしない習慣です。
いらいらしない人は、体を動かす習慣を必ず持っています。
フィットネスに通うのは面倒だという人は、散歩をするだけでもいいでしょう。
ストレスはたまっていない人に限って、ストレスがたまっているものです。
ストレスをためているときほど感覚が麻痺してしまい、自分ではなかなか自覚できない状態になります。
いつもはエレベーターやエスカレーターを使うところを、階段を使ってみるのもいいでしょう。
1つ前の駅で降りて、家まで歩いて帰ることも、健康にプラスです。
体を動かす習慣を持っている人は、いらいらしてもすぐ立ち直れます。
「なんだか矛盾しているなあ」
私は今、フィットネスに通っていますが、不思議な光景をたびたび目にします。
体を動かしに来ているフィットネスで、エレベーターを使っている人です。
おかしな話だと思いませんか。
体を動かすために高いお金を払って、わざわざ来ているのに、階段を使わずエレベーターを使っているのです。
意味がありません。
「体を動かす機会がなくて」という理由からフィットネスに通う人が多いですが、こういう人に限ってエレベーターを使います。
骨折のような、仕方ない事情があるなら、まだわかります。
着替え室が10階にあって、階段がつらければ、エレベーターを使ってもいいでしょう。
しかし、五体満足の健康な人が、たった3階へ行くくらいのことで、エレベーターを使っているのです。
自分から、わざわざ体を動かす機会を捨てています。
こういう人は「面倒だ。疲れる」という理由で、ついエレベーターを使ってしまうのです。
体の筋力を鍛える前に、心の筋力を鍛える必要があるようです。
心の筋力が衰えているくらいですから、体を動かさないような生活スタイルになっています。
歩くより、エレベーターやエスカレーターを使い、体を動かさないので、いらいらしたことを発散できにくい日常になっています。
体の筋力は、心の筋力が先にあって鍛えられます。
「やるぞ! 頑張るぞ!」と張りのある心の筋力があり、次に体の筋力が鍛えられるのです。
あなたは「体を動かす機会がなくて」が口癖になっていませんか。
本当に日常の中で、体を動かす機会が1つもありませんか。
エレベーター、エスカレーター、自転車、車、電車など、自分を甘やかしているだけではないでしょうか。
よく見渡せば、体を動かす機会はたくさんあるはずです。
体を動かす機会を、自分から捨てていませんか。
いつものように、私が文章を書いていたときのことです。
ある日、ふと自分のしていることに気づいたことがあります。
「私のしていることは、『昇華』だな」
発散させたい欲求を、社会的にプラスの面で発散させることを、心理学では「昇華」といいます。
ボクサーは、つらいトレーニングのストレスをボクシングに発散させたから、偉業を成し遂げることができます。
いらいらを強さに変換できた例です。
発散させたいいらいらがたくさんたまっているから、それだけボクシングに集中して打ち込むことができ、強くなります。
いらいらを暴力として発散させれば、非行になります。
しかし、いらいらをスポーツに発散できれば「成功」になります。
いらいらも、使い方しだいなのです。
いらいらしない生活も大切ですが、いらいらしない生活を送るのは、現代社会では難しい。
いらいらをため込んでいる人は「生かす」という形で発散させればいいのです。
ため込んでいるものが多い人は、大きなことを成し遂げる力があります。
貧乏で悔しい思いをため込むことでもかまいません。
お金をたくさん持っていると、何でも実現できるため、いらいらがありません。
いらいらがないので、悩みがなくなり、心のバネもなくなり、行動力も衰えてしまうのです。
少なからず、不足は反骨精神というバネになりますから、強く生きていくことが可能です。
これまでの成功者に貧乏な人が多いのは、いらいらをバネにしてきたからです。
リンカーン、松下幸之助氏もとてつもない貧乏でしたが、その悔しさをバネに社会的表現に成功しました。
こうしたいらいらをバネにして、社会的に認められていることに発散させることを「昇華」というのです。
私の場合も、一種の昇華です。
これまで親からの厳しいしつけ、いじめられた経験、いじめた経験、失恋、アメリカへの留学などの経験がたくさんありました。
もともとせっかちな性格ですから、ささいなことにいらいらしやすい体質のようです。
いらいらしやすいから、つらいことをわざわざ自分からおびき寄せているのかもしれません。
悪く言えば、いらいらをたくさんため込んでいます。
そのいらいら、私の場合は「文学」という芸術的表現で発散させているのです。
「よくそんなにたくさん文章が書けますね」と言われます。
それは、たくさんのいらいらやストレスをためているからです。
ひどい経験や今までため込んできたことは、山ほどあります。
たくさん吐き出せるということは、たくさんため込んでいるストレスがあるということ。
私は、自分のマイナスとも思える経験を、社会的に認められている文学で吐き出しているのです。
結果として、たくさんの文章が書けているだけです。
一瞬のストレス発散であり、昇華なのです。
うつになる人は、とかく自分のことばかり考えているから、うつになります。
「自分はどう思われているのかな、見られているのかな」
「自分は愛されているだろうか」
「自分はほかの人と比べて、どうだろう」
注意が、自分ばかりに向いています。
気が内側へと向いているので、自分を傷つけやすく、自分で自分を痛めてしまいます。
大切にしすぎるあまり、ちょっと傷がついただけで、ひどく落ち込んだり怒ったりするのです。
ささいなトラブルがあると、すぐ動転して、気持ちが不安定になります。
人とすれ違いざまに、ちょっと肩がぶつかっただけで、むかっとします。
「痛いな、コラ!」と怒鳴ってしまうのは、自分のことを大切にしているからです。
注意が自分に向いているので、相手のことより、まず自分のことを先に考えます。
いらいらしない人になるためには「あなた、あなた」と考える人になればいいのです。
相手のことを思う気持ちがあれば、自然といらいらすることがなくなります。
人と肩がぶつかっても「痛いな」と思う前に「大丈夫ですか、けがはないですか」と相手を心配する言葉が出てきます。
注意や関心が相手へと向いているため、自分のことより相手のことを先に考えます。
「自分、自分」と考えすぎていませんか。
いらいらしない人になるためには「あなた、あなた」と考えればいいのです。
相手を思う気持ちがあれば、気持ちが丸くなるのです。
目の前を横切る自動車を見ていることは、日々の情報の氾濫にそっくりです。
さまざまな車が目の前を走ります。
トラック、外車、ワゴン、タクシー。
さらに色も加えると、多種多様です。
そんな目の前を走る車一つひとつに注意を向けていると、視点が大きく動き、目で追いかけることに疲れます。
初めは「いろいろな車があるものだな」と思っても、だんだん疲労がたまってきます。
日々の情報の氾濫も、さまざまなニュースで心は動きます。
芸能人の結婚、離婚、交通事故、少年事件、天気予報、お金の動き、経済の動き、世界事情……。
さまざまな情報は、目の前を横切る車のようです。
さっと現れ、さっと消えます。
また次が現れては、また消えることの繰り返し。
だんだん追いかけることに疲れてしまうのです。
視野が狭くなり、目の前のことにとらわれているから、疲れやすくいらいらしやすい。
目の前のことばかりに注意が向いているから疲れます。
もっと遠くを見つめればいいのです。
遠くにある山を見つめていれば、多少のことでは動揺しなくなります。
遠くにある山はさっと消えることもなければ、さっと現れることもありません。
安定した存在です。
遠くを見つめていると、私たちの心は穏やかになります。
いつもそこにある揺るぎない存在を見つめることは、迷子にならないことを保障してくれるからです。
近くを見つめていると、疲れます。
遠くを見つめていると、いらいらしなくなるのです。
近くを見つめていると、いらいらしやすくなります。
遠くを見つめていると、いらいらしなくなります。
遠くにある存在のほうが、動きが小さく、安定した存在だからです。
それは、人生でも同じです。
近くにあるものとは「目標」にあたります。
遠くにあるものとは「目的」にあたります。
どんなことにもいえますが、目標は、必ず目的が前提になっています。
「人を助けたい」目的があれば「医者」という目標ができ、その手前に「医学学校へ通う」目標ができます。
またさらに、その手前に「勉強」という目標ができます。
目の前の目標というハードルを一つひとつクリアしていきますが、本当に向かうべきところは「人を助けたい」という目的です。
それが最終的な目的地です。
目の前の目標に振り回されていても、遠くにある目的をしっかり意識していれば、少々のことではいらいらしなくなります。
進むべき方向性がわかっているため、修正や改善も対応しやすくなるからです。
目的地へ向かう道のりがひととおりでないように、人生の目的にたどり着くためにも、ひととおりの道だけではありません。
さまざまな道を視野に入れながら、ベストな道を選択します。
1つの道がふさがっていれば、別の道を歩めばいい。
そういうことは、目的があってこその話です。
遠くにある目的を見ているから、できるようになります。
遠くを見ていると、安定します。
目的を意識していると、心が安定するのです。
あなたが今、走っている先には、どのような目的がありますか。
人間には「妄想」という得意技があります。
まだ起こっていない現実を、頭の中だけで想像を膨らませて、物語を進めてしまうことです。
恋愛関係でも、相手とのコミュニケーションが少なくなれば「何を考えているのだろう」と思い始めます。
コミュニケーションを取っていないと、相手との意思疎通ができなくなるため、相手を悪く想像する傾向があります。
「きっと仕事がつらいのかな」
↓
「もしかして私が嫌いなのかな」
↓
「私は何か悪いことしたかな」
↓
「私の何がいけないのだろう……」
↓
「私はひどい人間なんだ」
まだ起こりもしていない現実を、1人で想像を膨らませ、自分で自分を疲れさせています。
まだ起こっていない現実ですから、本来悩む必要もなければ、疲れる必要もないところです。
体を動かしてもいないのに疲れるのは、人間くらいです。
妄想は、精神をひどく消耗させます。
コミュニケーションを取っておかないと、疲れやすくなり、いらいらしてしまうのです。
コミュニケーションに疲れるから避ける人がいますが、実はコミュニケーションしないほうが、もっと疲れてしまうのです。
不要な妄想が膨らみ、そういう膨らんだ妄想はたいてい、自分にとって都合の悪いことへと偏ります。
まめにコミュニケーションを取る習慣を持ちましょう。
コミュニケーションが多ければ、相手との意思の疎通ができるようになり、妄想がなくなります。
相手のことを知れば、妄想が消えるのです。
いらいらさせるのは、コミュニケーションをきちんととっていない人との接触です。
会話をしっかりしている人とは疲れません。
悪いふうに妄想をしないからです。
仲のいい友人のことを、妄想しませんよね。
それは日頃から、まめにコミュニケーションを取っているからです。
会話を頻繁にしているから、相手のことを知ることができ、もはや妄想をする必要すらありません。
すでに知っているからです。
妄想を膨らませるのは「まだコミュニケーションをきちんととっていない人」とです。
こういう人たちに対して、妄想してしまいます。
会話の量が少なく、相手とのコミュニケーションができていないため、相手のことがわからないからです。
「どんな人なんだろう」
「何を考えているんだろう」
「私のことをどう思っているのだろう」
勝手に頭の中で考えます。
考えて、悩んで、疲れて、壁をつくってしまい、いらいらします。
話しかけることは、相手を知ることになります。
恥ずかしい、疲れるといいますが、話しかけないほうがもっと疲れるのです。
話しかけると、最初は緊張しますが、あとから楽になります。
相手のことを知れば、妄想がなくなります。
まだ話しかけたことのない人に、話しかけてみましょう。
ある日、突然キレる人は、普段は真面目な人が多いものです。
真面目な人は、自分のコントロールがうまく、気持ちを抑え込むのが上手だからです。
吐き出したい気持ち、考え、意見があっても、上手にそれを抑え込み、問題がないようなふりをします。
問題がないように見えても、実際は吐き出したい気持ちを抑え込んでいるため、どんどんと蓄積されています。
限界に達したとき、割れる風船のように、突然キレてしまいます。
真面目な人こそ、潜在的に問題がいちばんある状態といっても過言ではありません。
たまったストレスをどこかで吐き出しておかないと、膨らみすぎた風船が突然割れるように、ある日キレて爆発してしまいます。
吐き出すことが上手な人は、普段からちょっと問題のある人です。
大きくキレない代わりに、普段からぶつぶつ文句を言っている人は、案外キレたりしません。
普段から文句を言って吐き出しているので、ため込まないからです。
キレてはいけませんが、文句は言ってもかまいません。
文句や不満を言うことは、実は相手のためになります。
レストラン経営ではお客さまからのクレームを大切にしています。
お客さまからの不満は、経営向上に有効な手がかりになるからです。
そもそも文句や不満は、言ったほうがいいのです。
ため込む必要はなく、吐き出したほうが、自分のためにも相手のためにもなります。
文句や不満は言ってはいけないと真面目を演じる人こそが、ストレスをため込み、キレてしまうのです。
自分が落ち込んでいるときに、もっと落ち込んでいる人を見つけて「大丈夫ですよ」と励ましていると、不思議なことが起こります。
自分のほうが、元気になるのです。
落ち込んでいるときは、自分のことで頭がいっぱいになりますが、ほかの人を視野に入れると、視野が広くなります。
相手を励ましていると、自分が元気になります。
「なんだ、自分が抱えている問題はそれほど大きなことではないじゃないか」と気づいてしまうからです。
私も「励ます側」にいる人間ですが、ほかの人を励ましていると、自分のほうが元気になります。
自分が落ち込んでいても、他人を励ましているうちに、自分の落ち込みが直ってきます。
自分が落ち込んでいるときには、注意が自分にばかり向いています。
「自分、自分」と注意が内側に向いているから、軽い傷も深い傷と思えてきます。
しかし、ほかに落ち込んでいる人を見つけて励ましていると「あなた、あなた」へと注意が外へ向きます。
注意が外に向き、客観的に自分を見ることができると、素晴らしい効果があります。
心が落ち着き「抱えている問題は大したことない」とわかるのです。
客観的になり、視野が広くなるからです。
大局から物事を見ていると、落ち込むほどのことではないと、わかるのです。
励ましている人は、いつも元気です。
私がいつも元気なのは、励ます側にいるからです。
「水口さんは落ち込みませんか」と聞かれますが、私も落ち込むことはあります。
しかし、ほかの人を励ましているうちに、その落ち込みが緩和されます。
自分が抱えている問題は、大したことではないと気づいてしまうからです。
励ましているうちに、いつの間にか落ち込みが直っています。
励ます側は大変そう思えますが、実はとても元気の出る仕事なのです。
完璧主義者には、いらいらしやすい人が多い。
思いどおりにならないと、すぐキレてしまいます。
視野が狭く、本当の真実に目を向けていませんし、気づいていません。
「そもそも世の中は、思いどおりではないことばかり」という真実に気づかないといけません。
あなたの心臓は、あなたの思いで動かしているわけではありません。
あなたは37兆個もの細胞からできていますが、その細胞も、あなたの思いでできたものではありません。
あなたは、あなたが思ってこの世に誕生したわけではありません。
そもそも地球も、あなたが思って誕生したものではありません。
地球の自転や公転も、あなたの思いとは関係なく、回っています。
私たちは、そういう「思ってもいない事実」が土台となり、今の自分が存在しています。
そうした思ってもいない出来事が起こったほうが、自分のためになっています。
この紛れもない、曲げようのない真実に気づくのです。
思ってもいないことのほうが、パワーが大きい。
それでいて、調和が取れていて、完璧なのです。
生きているのではなく、生かされているということです。
思ったとおりにしようとするのではなく、そもそも思いどおりにできないことに気づくのです。
自然に任せます。
ヒマワリのタネから、バラの花を咲かせようと思っても、できません。
先ほどもいいましたが、そもそも人間が思いどおりに変えることはできないのです。
「ヒマワリのタネを、思いどおりにバラには変えられない!」
いらいらしても、そもそもできないのですから、おかしな話です。
悩み苦しむところではありません。
私たちは、思いどおりにならないことを思いどおりにしようとして、自分でいらいらするような出来事をわざわざつくり出しています。
思いどおりにならないことは「それで良かった」と考えるようにすればいいのです。
思ってもいないことは、宇宙による調和の取れた、自然な流れです。
思っていなくて存在している出来事は、すべてが宇宙の意志です。
思っていなくても心臓が動いているように、思っていないことのほうが、自分のためになっているのです。
思いもしないことが起こったとき、そのありのままを受け止めてしまいます。
「なぜ自分だけ?」と、出来事にいらいらするのではありません。
自分に降りかかった特別な出来事なのですから、より喜ばなければなりません。
なぜバス停でバスを待っていると、いらいらしてしまうのでしょうか。
バスが来るほうを見ているからです。
バスが来ているか気になって、道路の先に目をやります。
まだバスの姿が見えなくて「まだ来ていない」と心の中でため息をつく。
数十秒後、またバスが来るほうをちらりと見ては「まだ来ていない」と心の中でため息をつく。
1分ごとにちらちら見る人もいれば、数秒ごとにちらちら見る人もいます。
これが何度も繰り返されるにつれて、待たされている感が高まっていく。
これではいらいらするのも当然です。
わざわざ自分の中でいらいらする原因をつくり出しています。
いくらバスが来るほうを見たところで、バスの到着時間が早くなるわけではありません。
時刻表が前倒しになるわけではありません。
バスは基本的に、時刻表のとおりに運行しています。
どうすればバス停でいらいらしないでバスを待てるのでしょうか。
ここで、発想の転換です。
バスが来るほうを見るのではありません。
バスが来ないほうを見るのです。
道路の右側からバスが来るなら、左側を見ましょう。
ほかに待っている人たちがいれば、みんなと見る方向が逆向きになるはずですが、それでいいのです。
別のことに注意が向いて、何か気づくことがあるでしょう。
人の往来があって、人間観察を楽しめるでしょう。
街路樹やお店の外観があって、町の雰囲気を楽しめるでしょう。
立派な木や美しい草花に気づき、季節感を楽しめるでしょう。
気づきの可能性は、まだまだあります。
気になるお店を見つけて「今度行ってみよう」と思うかもしれません。
目を引く車が走っていて、興味をかき立てられるかもしれません。
おしゃれなファッションをしている人がいて、着こなしの参考になるかもしれません。
上を見上げれば美しい青空が広がっていて、面白い雲の形を楽しめるかもしれません。
平凡な光景かもしれませんが、いざじっくり注意を向けてみると、何らかの発見があるもの。
普段なら見過ごすであろう何かに気づけるはずです。
何らかの気づきが得られ、良い暇つぶしになります。
バスが来ないほうを見ることで、バスから注意がそがれるので、いらいらすることがなくなります。
それどころか楽しくて面白い時間になるでしょう。
バスの待ち時間も、普段より短く感じられるようになります。
バスが来ないほうを見ながら暇つぶしをしていると、バスの到着音が聞こえてくるのです。
いらいらして心を落ち着かせたいときには、海に出かけましょう。
大きな海をぼんやり眺めるだけで、自然と心が落ち着いてきます。
視野に入りきらないほどの大きな景色が、あなたの視野を広く、心を大きくさせてくれます。
大きな海を眺めているだけで「自分のいらいらはちっぽけなことだ」と思えるようになります。
海の大きさに比べれば、ささいなことに思い悩んでいます。
私たちは海から誕生したのですから、生みの親と触れているような安心感もあります。
私は実家に帰れば、海へ出かけます。
自分のことを振り返るときに、海ほど絶好の場所はありません。
大きな海を眺めながら考えていると、不思議と心が落ち着き、視野を広くして考えることができます。
瞑想のような状態になれ、どんないらいらも吹き飛んでしまいます。
健康といらいらは正反対に思えますが、工夫しだいで健康につながります。
いらいらすると、吐き出したい気持ちになりますね。
ストレスを吐き出したい欲求に駆られます。
いらいらしたときに、ごみ箱を蹴りたくなる気持ちは、ストレスを吐き出したい気持ちの表れです。
そんなときには、フィットネスで、気が済むまで体を動かしてしまいましょう。
プールで思うがままに泳いだり、トレーニングマシンで疲れきるまで体を動かしたりして、筋力も鍛えてしまうのです。
いらいらしてごみ箱を蹴るのは、健康的ではありません。
トレーニングやスポーツを通して体を動かし、ストレス発散させることは健康的です。
上手ないらいらの解消方法です。
フィットネスが面倒なら、軽いジョギングでもいいでしょう。
自宅で簡単に行えるダンベルで、体をちょっと動かすだけでも変わってきます。
泳いでいるときは、いらいらした顔を誰にも見られませんし、周りが見えませんから集中できます。
水を殴るように懸命に泳いで、ストレス発散と同時に、スタミナもつけてしまいます。
一生懸命に体を動かしていれば、だんだんストレスが軽くなり、健康にもつながるといううまい方法です。
ストレスは、吐き出し方がポイントなのです。
吐き出し方がうまくできれば、ストレスがあるほど、実は健康になります。
ストレスで不健康になるというのは、ため込んだまま吐き出さないからです。
ストレスの吐き出し方を工夫すれば、健康につなげることができます。
上手に吐き出すことができれば、むしろ肉体的には健康になるはずなのです。
「自分を高めたい、自分を成長させたい」という欲求は誰にでもあります。
しかし、いらいらしたくないとも思います。
おかしな話です。
本当に成長を求めようとするなら、いらいらすることを求めようとするはずだからです。
この2つは、セットなのです。
自分を高めたい気持ちがあれば、いらいらを求め、感謝するようになります。
いらいらこそ、あなたの成長になることだからです。
行動の遅い人を見ていらいらしたら、相手が悪いのではなく、自分に問題があると考えることです。
つい人を裁いてしまう自分は、まだまだ心が小さいなと気づくきっかけになります。
行動が遅い人は、何も悪いことをしていません。
ただ自分が勝手にいらいらしているだけであり、問題は自分にあると気づくことです。
あなたを叱ってくれる親にいらいらしたら、親を憎むのではなく、親からの教えに素直に気づけない自分に反省することです。
親は、子に嫌われることを覚悟に、大切なことを教えようとしてくれています。
素晴らしい愛の表現を、憎しみと勘違いしている自分を、恥ずかしく思わなければいけません。
「自分を高めたい、成長させたい」と本当に心から思うなら、いらいらほど貴重な出来事はないのです。
すべてのいらいらは、必ずあなたに何かを教えてくれている大切な出来事です。
いらいらは、成長に変えることができます。
小学校のころを思い出しましょう。
怖い先生、厳しい先生がいましたよね。
当時は苦手だと思っても、今振り返ると、そういう厳しい先生ほど自分のためになっていたはずです。
厳しい先生ほど、生徒のためになる授業をしていたはずです。
「自分のために叱ってくれていたんだ」
「生徒に嫌われてもいいから、大切なことを一生懸命教えてくれていたんだ」
本当の教師ほど、生徒から反発されるようになります。
案外優しい先生は、あとから振り返ると存在感が薄く感じられます。
なかなか思い出せません。
優しい先生は、生徒に甘いため、実は生徒のためになっていません。
厳しい先生、怖い先生ほど、生徒のことを本気になって考えています。
自分のためになる薬ほど、苦いものです。
薬が甘くおいしいと感じれば、その薬は効き目が薄い。
本当に自分のためになることは、苦いものです。
いらいらする出来事であって当然なのです。
いらいらしている瞬間は、気持ちで心がいっぱいになり、振り返る余裕はありません。
しかし、時間を置いて振り返ると、大切な学びがたくさん詰まっていることに気づくのです。
女性には、特に有効ないらいらの解消の方法があります。
ふわふわしたものを購入して、触れることです。
手触りの良いものということです。
ふわふわの人形、クッション、カーペットなどです。
ふわふわには、人を癒やす力があります。
ふわふわした人形に触れていると、気持ちも自然と穏やかになります。
手触りの良いカーペットも、手で触れているだけで、不思議と心までいやされますね。
デパートで手触りの良い商品は、比較的値段が高いものが多い。
それはふわふわしたもののほうが、癒やす力が大きく、疲れている現代人にとって需要も大きいからです。
高級なカーペットやクッションは、ふわふわしたものが多いものです。
人を癒やす力がそれだけ大きいから、高級なのです。
私の母は、キレることはありません。
水口家で家族旅行に行ってトラブルがあっても、前向きに受け止めてしまいます。
家族旅行では、団体行動ですから、小さなトラブルがあるものです。
しかし、母は、どんなにいらいらするようなことがあっても「いい思い出になった」と言います。
それを聞くと、息子ながら「たしかにそのとおりだな」とほほ笑んでしまうのです。
家族旅行でのトラブルは、むしろ良い思い出へと変わってしまいます。
変わった経験ができたのですから「これで良かった。良い思い出ができた」と思えばいいのです。
何事も、受け止め方が大切です。
いらいらしたと受け止めれば、いらいらした思い出になります。
しかし「いい思い出になった」と受け止めれば、苦い経験も、良い思い出に変わってしまいます。
いらいらした出来事は、いい思い出になったと考えてしまいましょう。
受け止める心が変われば、現象そのものが変わってしまいます。
できないことばかりを見ていると、心が小さく狭くなります。
「あれもできない、これもできない、それもできない……」
できないことばかりに注目を向けていると、当然いらいらもしやすくなります。
自分はなぜこんなにできない人間なんだとへこんでしまいます。
そうではなく、できることだけに注目すればいいのです。
不可能ではなく、可能を見る癖をつけましょう。
「あれもできる、これもできる、それもできる……」
できることだけを見ていけば「なんだ、自分はこれほどできるではないか」と余裕が出てきます。
他人と比較し、できないことばかりを見ているから、落ち込んでしまったり、いらいらしたりしてしまうのです。
私は、ピアノができません。
イタリア語もフランス語もできません。
苦手なグリーンピースやレバーを、食べることができません。
しかし、本をたくさん読むことならできます。
ウェブサイトをつくれます。
サーバーの運用もできます。
できないことは、そのままでいいのです。
できることだけを見て、喜んでしまえばいいのです。
いらいらは、他人と比べることから始まります。
「あの人はいいなあ。うらやましいな。それに比べて自分は……」
相手と自分との違いを見つけ、落ち込みに結びつけてしまいます。
他人は他人、自分は自分ですから、比較はしないほうがいい。
しかし、あなたはこう思うでしょう。
「比べてはいけないことくらいわかっているよ。それができないから困っているのではないか」
たしかにそのとおりです。
他人と比べることがいけないことくらい、みんな、頭ではわかっていますが、なかなかできないから困っています。
そういう人は、次のことを心がけましょう。
いっそのこと、他人を見なければいいのです。
自然と比べてしまうなら、いっそのこと他人を見ないようにすればいいのです。
他人を見なくなれば、ほかの状況がわかりませんから、もはや比較のしようがなくなります。
いらいらしようとしても、落ち込もうとしても、比較ができなければ、しようがありません。
「他人を見なければ、誰を見ればいいのか」
自分を見ればいいのです。
他人を見なくなったとき、どこに目を向ければいいのかというと、自分に目を向けるのです。
自分に集中して、成長に集中すればいいのです。
他人を見なくなれば、比べることがありませんから、いらいらや落ち込みがなくなります。
そのうえ、自分に集中しているため、成長の伸びも早くなります。
気持ちはとても安定して、成長率が飛躍的に向上します。
わたくしごとを、1つ、告白します。
私は以前、ほかの作家と書き方を比べていた時期がありました。
「この作家のほうが自分より表現がうまいな」と落ち込んだり「この作家よりはうまく書けているな」と喜んだりです。
比べていたため、気分はとても不安定で、なかなか自分の文章に集中ができなかった。
集中は散漫で、注意は外に向いていました。
そこである日、一切の比較をやめてしまったことがあります。
ほかの作家を、もうまったく見ないようにしたのです。
今まで他人を見ていたエネルギーを、今度は自分に対して向けるようになったときです。
初めて「自分らしい文章」が書けるようになった経験があります。
他人を見なくなったとき、私はようやく自分が見えたのです。
自分は、外には存在しません。
内側に存在しているのです。
個性を引き出していくためには、自分の内側を掘り下げる必要があります。
比較をやめて、自分に集中するようになったとき「宝物はすでに自分の中にあったではないか!」と驚いたことがあります。
嬉しくて、笑ってしまいました。
探していた宝は、外にはなくて、自分の中にすでにあったのです。
それを見つけようともせず、比較の世界で探していたから、いつまでも見つからなかったのです。
それからというもの、私は自分独特の文体を表現するようになりました。
私の文章、文体、流れは、変わっています。
私もそれは、十分わかっています。
しかし、同時に最も自分らしい文章だと思っています。
この味に合わない人は読まなくていいと思っていますし、ただ合う人だけに読んでもらえれば、それでいいと思います。
比較しませんから、もう落ち込むことも、焦ることもありません。
善しあしの評価は人それぞれですから、自分は個性を徹底的に深く掘り下げていけば良かっただけです。
宝物は、自分の中にすでにあったのです。