自分の気持ちは、ほかの誰のものでもなく、自分のものです。
自分の心の中から発生する、自分がつくり出す感情です。
なら、自分で自分の気持ちを整理することは簡単であろうと思われます。
不思議なことに人間は「動けない」というときがあります。
けがをして動けないときのことを言っているのではありません。
「やる気が出ないから動けない」ということです。
自分の気持ちをうまく整理整頓できているでしょうか。
他人から何を言われても動じないコントロール力を持っているでしょうか。
これになかなか「イエス」と答えられないのが、人間です。
私は、自分と合わない人とは関わりを持ちません。
人間関係の本も書いているためか「水口さんは優しいんでしょうね」と言われることがありますが、人によります。
私にももちろん苦手な人はいますし、そういう人とはできるかぎり関わりをもたないようにしています。
「なぜあんな人と付き合っているの?」
私は友人と一緒にいると、ほかの人からよくそう言われます。
私が付き合っている友人は、ほかの人から見ればとても不自然に見えるようです。
お金は、その人を幸せにするために存在します。
大切なことは、お金を使った後に元気になれるかどうかです。
使えば使うほど元気が出てくるお金の使い方なら、自分の幸せの一部になっているということです。
嬉しいとき、楽しいとき、悲しいとき、怒ったり、いらいらしたりするとき……。
人間には「喜怒哀楽」とよばれる感情があります。
感情のない人間は心のない人間ともいえ、人間であるかぎりいろいろな感情が出てくるのは当然のことです。
私は仕事をしていると、上司からむかっとくるようなことを言われることがあります。
友人関係でもそうです。
思ってもみないひどい一言を言われて傷ついたり、いらいらしたりしてしまうときがあります。
テストや発表、試合のときなど、がちがちに緊張してしまうものです。
失敗が許されないと考えているときほど「絶対に!」という気持ちが強くなり、体も気持ちも硬直してしまいます。
緊張して本来の自分の力が発揮できないのは「絶対!」と考えているからです。
気持ちを上手に整理するためのポイントは「やるだけのことはやっておく」ということです。
やるだけのことをやっていれば「いつもどおりにやればいい」という開き直りができます。
試合や人前の発表のときなど、緊張してしまうのは、練習不足でうまくいくかどうかわからないという不安があるからです。
私はいつも体を動かさない作業をやった後は、意識的に体を動かすようにしています。
その反面、体を動かすことをやった後は、体を動かさないようなことをするようにしています。
たとえば、このように今、パソコンに向かいキーボードを打って、体はあまり動かしていません。
「評価」とは、面白いものです。
ある人が「良い」ということは、また違うある人には「悪い」と感じます。
私は先日面白い経験をしました。
「迷ったら前に出ろ」
これは、阪神タイガースをリーグ優勝に導いた星野仙一監督の有名な言葉です。
私もこの言葉に大いに共感します。
人間は、不思議な生き物で体を動かさないときにはネガティブなことを考え始めるようになります。
またその一方で、体を動かしているときにはポジティブなことを考え始めるようになります。
動かないと、行動もまったくの0(ゼロ)ですから、何も始まらないし何もわからないままです。
私は今、買い物をするときには必ず1人で買いに行くようにしています。
靴1足や洋服1着を買いに行くときでも、そうです。
買い物のときには基本的に意識的に1人で行くようにして、自分の判断で買うようにしています。
どんな人生がいちばん幸せなのかというと、毎日が元気な生き方です。
元気のある生き方が幸せな生き方とも言え、そのために私たちはお金を稼いだり友人を作ったりしているのです。
食べて生きていくためにお金を稼ぐことが必要ではありますが、それを言い換えれば毎日を元気に生きるためにです。
重要な場面では、歯を食いしばるのではありません。
歯を食いしばることで気合を入れているように思えますが、実際は歯に余計なエネルギーを回しているだけです。
必要のないところに必要のない力を入れているために、十分な集中力を発揮できず、滑ってしまうのです。
自分が自分でいられないときがあります。
誰かに騙されたとき、叱られたとき、いらいらしたときなど、興奮状態になっているときです。
こんなときの自分というのは気持ち的にもいっぱいになり、冷静な判断ができなくなります。
人によって態度がころころ変わることがあります。
自分の家族にはだらだらした態度を取ってしまいますが、初めて話す人にはぴんとした緊張気味な態度になります。
家族とは長い付き合いなのでその分お互いのことがわかり、特に気にすることもありません。
気持ちを整理整頓するうえで欠かせない大切なことは「何を考えているか」ということです。
普段はどんなことを考え、何を思っているのかで、気持ちのコントロールが大きく変わってきます。
明るいことを考えていると前向きになり、暗いことを考えていると行動力がなくなります。
気持ちの整理整頓は、本棚の整理整頓とそっくりです。
本棚を整理するコツがわかっていれば、気持ちの整理も同じ要領ですればいいだけです。
この2つの存在は全然違うものなのですが、気持ちの動かし方や余裕の大切さは、そっくりなのです。
「上手にできることが好きなこと」という事実と「好きだから上手にできる」という2つの事実があります。
たしかに上手にできることは好きになれますし、好きなことだから上手にできることでしょう。
どちらも正しく聞こえますが、より現実的なことは「好きだから上手にできる」と言うほうが当たっています。
誰かに応援してもらえるのは、嬉しいことです。
「頑張って!」「応援しているよ」と言われると、自分が注目されていることがわかり、期待に応えたくなります。
しかし、意識をしすぎると、期待に応えることそのものがあなたを束縛してしまう重いストレスへと変わることに注意しましょう。
「考える」という行為には、多少なりとも「時間」と「労力」が必要です。
たとえそれが良いことであろうと、悪いことであろうと関係ありません。
良いことを考えるときにも時間と労力が必要になり、また悪いことを考えるときにも同じく時間と労力が必要です。
気持ちのコントロールをするためには、面白くないことに対してどうやって対処するのかが重要です。
日常には好きなことがあれば、嫌いなこともあり、面白くないこともあるでしょう。
そんな気分の乗らないことに直面したときこそ、どう立ち向かうかが大切であり、自分のコントロール力が発揮されます。
嫌いなことをするくらいなら、好きなことをすることです。
嫌いなことを避けられるなら避けてしまいましょう。
好きなことに時間とお金と努力をつぎ込むほうが「自分のためになる人生」となります。
自分の今ある問題を、一つひとつクリアにすると、気持ちも一緒に整理できます。
やらないといけないこと、宿題やわからないこと、それからそのための解決策です。
心の中をぐちゃぐちゃに乱してしまうのは、はっきりしない曖昧さがあるからです。
私は涙を流した後のすっきり感が大好きです。
口では表現しにくいのですが、悲しい映画を見て涙を流した後というのは独特の爽やかさがあります。
つい先日も、韓国映画の『シュリ』を見て、最後に大泣きしてしまいました。
あなたの気持ちの整理は誰がやることなのでしょうか。
もちろんあなたです。
私は超能力者ではないので、あなたの頭の中に入り込んで、うまく整理整頓するなんてことはできません。
私は「あの世」へ行ったことがありません。
本やテレビで話を聞いたことはありますが、私は行ったことがないので「わからない」と答えるようにしています。
私の本の中でも「この世」の話はしても「あの世」の話はしないようにしています。
自分の気持ちは、ほかの誰のものでもなく、自分のものです。
自分の心の中から発生する、自分がつくり出す感情です。
なら、自分で自分の気持ちを整理することは簡単であろうと思われます。
ですが「気持ちをコントロールする」ことは、自分が行うことであるにもかかわらず難しく、そのうえ奥が深いものなのです。
たとえば、勉強をするときです。
「よし! やるぞ!」とやる気になったところを、母に「勉強しなさい!」と言われただけで、一気に気持ちが冷めてしまいます。
あなたも経験したことがあるのではないでしょうか。
せっかくやる気が出ていても、ほかの人の心ない一言によって、いとも簡単に崩壊してしまうのです。
たしかに気持ちは自分のものです。
しかし、人からのちょっとした言葉によって感情が傷ついてしまうことがあります。
気持ちを上手に整理するのは、思ったよりなかなかうまくいかないことが多いのです。
「自分のものであるにもかかわらず、自分ですべてをコントロールしきれない」
このことには私は早くに気づき、特に高校受験というテーマについて相当考え、頭を悩ませた経験があります。
そこで編み出した方法は、今このように安定している生活にとても強くつながりを持っています。
一見不安定そうな感情をコントロールすることさえも、ポイントをついていれば自分の力でコントロールできるのです。
落ち込みやすい人、いらいらしやすい人など、自分の感情に振り回される人は、自分の気持ちをコントロールする必要があります。
私たちは説明書もなく、突然この世に生まれてきました。
自分の体の動かし方や気持ちの整理の仕方でさえも、誰かに教えてもらったのではなく、真似をしながら学んでいくしかありません。
操縦席には説明書はありませんが、コントロールするためのレバーはあります。
そのレバーを上手にコントロールするだけでいいのです。
不思議なことに人間は「動けない」というときがあります。
けがをして動けないときのことを言っているのではありません。
「やる気が出ないから動けない」ということです。
「体は健康であるにもかかわらず思うように動かせない」という不思議な状態です。
私たち人間が行動するときには「体」そのものが問題なのではなく、実は「気持ち」の問題なのです。
「できない」「やれない」「できるわけがない」というほとんどの理由が、単に「やる気がない」という気持ちの問題です。
私たちは、学校で「体育」という授業を受けます。
鉄棒で逆上がりをしたり、マラソンや飛び箱で体を動かしたりして健全な発育を目指します。
しかし、大人になるにつれて、いくら体が自由に動かせるようになったとしても、気持ちがないと動かないのです。
学校では「体の動かし方」という体育の授業はあっても「気持ちの整理の仕方」という気持ちの授業はありません。
そのため気持ちがコントロールできないまま大人になります。
将来自分のやりたいことを実現するための行動力が出ない貧弱な人間になってしまうのです。
行動力とは、体力より気持ちの問題です。
大切なことは「体」ではなく「気持ち」です。
気持ちがあれば、多少の障害が体にあったとしても体は動きます。
しかし、いくら健康でも、気持ちがなければ体は動かないのです。
両手両足のない乙武洋匡さんは、五体満足の私たちよりよく動き、スポーツジャーナリストとして活躍しています。
目も耳も声も出せなかったヘレン・ケラーは、猛勉強の末、ハーバード大学に合格し、世界の平和のために貢献しました。
体そのものが問題なのではなく、気持ちの問題なのです。
自分の気持ちをうまく整理整頓できているでしょうか。
他人から何を言われても動じないコントロール力を持っているでしょうか。
これになかなか「イエス」と答えられないのが、人間です。
人は、人の中で生活している以上、ほかの人の言葉や態度によって影響を受けたりします。
あなたの周りの人たちは、あなたにいろいろな言葉を言ってくることでしょう。
「やめたほうがいいよ」
「あまり似合っていないよ」
「考えすぎなんじゃない」
不思議なことに、これらのほとんどが気持ちを崩してしまうような言葉ばかりです。
中には偉そうな態度を取ってくる人がいたり、嫌がらせをしてきたりする人もいるでしょう。
やる気や自信がなくなるような言葉1つのせいで、あなたは振り回されているのです。
私が苦労をしたのは、高校生の大学受験のころでした。
「大学に合格したい」という一心で、勉強する日々。
睡眠時間・食事内容・スケジュールなど、厳しくコントロールしていました。
しかし、ただ1つ、コントロールできないものがありました。
他人の言葉です。
私が懸命に勉強をしていても、やる気を奪う言葉を言ってくる人がいました。
つまらない一言で、リズムを乱されます。
私は自分をコントロールできても、他人の言葉までは、コントロールできません。
友人が何を言ってくるのかわからないため、大学受験に関しては、話を触れないようにしていました。
どうすればいいものか、困っていました。
そんなある日、ふと気づいたことがありました。
他人の言葉はコントロールできなくても、話題なら、コントロールできると気づいたのです。
意図的に、話の流れを変えるということです。
その後私は、勉強を一生懸命する反面、勉強の話は積極的にしないようになりました。
勉強の話を、友人とあまりしなくなりました。
それは勉強に関心がないからではなく、勉強に関心があるからこそ、話題を避けるようにしていたのです。
それからは、勉強がはかどるようになりました。
他人の言葉に振り回されることもなく、自分の勉強に集中できるので成績も上がっていったのです。
私は、自分と合わない人とは関わりを持ちません。
人間関係の本も書いているためか「水口さんは優しいんでしょうね」と言われることがありますが、人によります。
私にももちろん苦手な人はいますし、そういう人とはできるかぎり関わりをもたないようにしています。
人によっては、驚くほど冷たく接するときもあるくらいです。
私もこれ以上関わりたくないし、一緒にいても気分が落ち込むだけだと思ったときには、逃げるようにその人を避けます。
視界に入れば、走って逃げます。
たしかに人間関係は大切だという言葉はよく耳にします。
いつも好きな人といれば、それだけハッピーな気分でいられるし、嫌いな人と一緒にいると不快な気持ちになります。
単純なことですが、これほど重要なこともありません。
私はただ、自分の人間関係も自分でコントロールし、自分の感情も同じくコントロールするようにしています。
決して人間が嫌いなわけではなく、むしろ人間関係を大切にするからこそ、そうしているわけです。
人間関係において付き合う人を選ぶとは、単なるきれい事ではなく、人生に直結した重要なことです。
結婚する人に、誰が嫌いな人を選びますか。
嫌いな人と結婚しても、毎日がつらく気分が落ち込むだけで、家庭崩壊は時間の問題です。
考えも趣味も合わない人とずっと一緒にいたら当然、すれ違いは起こってしまうのです。
けんかも多発し、いざこざばかりになってしまうでしょう。
一般の人間関係もそれと同じように、嫌いな人とばかり付き合う人生は、つらいばかりの人生になります。
極端に言えば、人間関係も結婚と同じです。
幸せな人生にするためにも、自分で相手を選ぶことです。
気の合う人といれば毎日が楽しくなるし、気の合わない人と一緒になれば毎日がつらくてたまらなくなります。
ハッピーの度合いは、人との関係に大きく関わりを持っているのです。
「なぜあんな人と付き合っているの?」
私は友人と一緒にいると、ほかの人からよくそう言われます。
私が付き合っている友人は、ほかの人から見ればとても不自然に見えるようです。
見かけも考えも全然違うし、話のレベルも全然違うのでたしかにおかしく見えるのでしょう。
私は日頃から、一緒にいて自分がハッピーになれる人と付き合うようにしています。
「得をするかどうか」「自分にとってプラスになるかどうか」「お金持ちかどうか」はあまり気にしません。
もちろんそうした人と一緒にいると自分が向上し、意味があることは確かです。
しかし、それより、一緒にいてハッピーになれるかどうかのほうが、さらに大切です。
結婚相手を決めるポイントが「好きかどうか」にあるように、人間関係も相手のことが「好きかどうか」です。
好きな人と一緒にいれば、毎日が楽しくなり、ハッピーになれます。
一方、結婚相手にお金持ちを選べば、生活は安定するかもしれませんが、好きな気持ちがなければ、味気ない生活になります。
人間的に好意を持てなければ、いくら技能やお金がある人でも、いつまでも一緒にはいられないのです。
打ち解けて胸の内を話せる人であったり、リラックスできたり、笑わせてくれる人とは、一緒にいるだけで幸せ気分になります。
お金が目的ではなく、ただ一緒にいて楽しくハッピーになれるからです。
お金は、その人を幸せにするために存在します。
大切なことは、お金を使った後に元気になれるかどうかです。
使えば使うほど元気が出てくるお金の使い方なら、自分の幸せの一部になっているということです。
自分ではコントロールしにくい感情や気持ちを、お金の力で、ある程度コントロールするということです。
私の友人に、競馬が大好きな岡田君という友人がいます。
競馬も一種のギャンブルですから、時には大損をすることもありますが、岡田君はどういうわけかいつも元気です。
勝ったときも「わはは」と笑い、負けたときも「わはは」と笑います。
ギャンブルで使うお金も、そのお金で元気になれるなら、意味があることです。
友人は、儲けようとしているのではなく、競馬独特のはらはらどきどき感を味わうためにお金をかけて競馬をしていると言います。
お金で元気を買っているということです。
人によってはそのギャンブルで使うお金も本人のハッピーにつながっていることを知っておかなければなりません。
世間ではギャンブルに関してはあまりいい話は聞きませんが、一概にそうとも言えないのです。
人によっては元気を買っている行為になっています。
大儲けにはつながりにくいですが、お金で高揚感や幸福感が得られれば、意味もあります。
お金そのものが問題ではないのです。
嬉しいとき、楽しいとき、悲しいとき、怒ったり、いらいらしたりするとき……。
人間には「喜怒哀楽」とよばれる感情があります。
感情のない人間は心のない人間ともいえ、人間であるかぎりいろいろな感情が出てくるのは当然のことです。
感情に振り回されず、感情をコントロールして生きるとはいえ、人間であるかぎりなかなかそう簡単にもいかないのです。
こうした感情が湧き出てくるときに、その瞬間に自分を振り返る癖をつけておきましょう。
感情に振り回されない自分になるためにも「なぜ今、その感情になっているのか」と冷静になって考えるのです。
なぜ今、いらいらしているのだろうか。
なぜ今、楽しく感じるのだろうか。
なぜ今、怒ってしまったんだろうか。
このように自分を素直に振り返り、自分で自分を観察することで今まで見えなかったことが見えてきます。
人間は常に、自分を振り返るときに成長します。
自分を振り返り、さらなる向上のために「発見」があり「改善」をするのです。
自分の感情を振り返ることができる人は強くなります。
どんな感情でも良いですから「なぜそう感じるのか」を考えてみれば、思わぬ自分を発見できます。
あなたにとって、勉強をしているときはどう感じていますか。
あなたが家族と一緒にいるときは、どんな感情になりますか。
それはなぜでしょうか。
私なら、勉強をすることでわからないことがわかるようになるのが快感です。
前進しているという向上が味わえるから勉強が好きです。
楽しく感じます。
また家族といるときは「安心」を感じます。
それは自分をよく知っている身内であり、自分を大切に思ってくれているという心が感じられ、誰より信用できる人だからです。
一人ひとりに答えがあります。
自分の答えは、自分の内側にあります。
教科書を読んでわかることではないのです。
私は仕事をしていると、上司からむかっとくるようなことを言われることがあります。
友人関係でもそうです。
思ってもみないひどい一言を言われて傷ついたり、いらいらしたりしてしまうときがあります。
しかし、そこで切れたら、縁も一緒に切れます。
冷静になり、まずは感情を抑え込むことが第一です。
笑顔が引きつりながらも、ぐっとこらえなければいけません。
抑え込む感情は、そのままでいいのでしょうか。
いいえ、いけません。
抑え込んだ感情はストレスとなり、知らずの間にどんどんとたまります。
自分を否定されたり、認めてくれない、理解してくれないということは、それだけで大きなストレスになるのです。
私は仕事上で、つらいことや悲しいことがあったとき、その感情を、書いて吐き出しています。
心の中にため込んでいると、破裂しそうになりますから、うまい具合に吐き出しを行っているのです。
つらいことがあるほど、いろいろと考えます。
しかし、そのたびに今までは考えもしなかったことを考える良いきっかけになり「発見」や「気づき」につながります。
おかしな話ですがHAPPY LIFESTYLEの文章たちは、私がつらい経験を通して発見した話が大半を占めています。
ストレスのはけ口と言っては乱暴な言い方ですが、書くための原動力の1つになっていることは確かです。
友人関係に苦労して「なぜこうなってしまったんだろう」と考えたときに「発見」があり、それを書くことで吐き出します。
恋愛に行き詰まったとき「なぜ?」と自分に問いかけることで「気づき」があり、それをまた書くことで吐き出します。
自分が失敗をしたりつらい経験をしたりすればするほど、そこから学ぶことがあり、知恵が隠れています。
それらを自分の中だけでため込んでいれば、自分がつらくなります。
書いて吐き出すことで誰かに知ってもらいストレスを知恵に変えて役立てています。
自分の中にため込んでいても、何の役にも立たずストレスになるだけです。
私は書くことで吐き出し、人の役に立つ形に変えて自分のストレスを軽減させ、誰かの生活の役に立つ方法を見つけているわけです。
テストや発表、試合のときなど、がちがちに緊張してしまうものです。
失敗が許されないと考えているときほど「絶対に!」という気持ちが強くなり、体も気持ちも硬直してしまいます。
緊張して本来の自分の力が発揮できないのは「絶対!」と考えているからです。
「絶対に成功する」「絶対に100点を取る」「絶対にいちばんになる!」と絶対ばかりを意識すると、必要以上に緊張してしまいます。
本来の力が発揮できなくなるのです。
私は、大勢の前で話をするときは、適当を意識しています。
「適当に」と聞くと、大ざっぱでだらしない印象を受けるかもしれませんが「適当にすることがいちばん適当」だったりするのです。
いつもどおりに力を発揮できれば、いちばんいい。
普段やっていないことを本番でできるわけがなく、普段やってできていることが本番でも同じようにできればいいだけです。
「絶対にうまくいかせるぞ!」と考えてしまうと、肩に力が入ってしまい、人前に立った瞬間にもう自分ではいられなくなります。
いつもどおりにやればいいと考えると、なかば練習のような気持ちで本番に臨むことができるのです。
気持ちを上手に整理するためのポイントは「やるだけのことはやっておく」ということです。
やるだけのことをやっていれば「いつもどおりにやればいい」という開き直りができます。
試合や人前の発表のときなど、緊張してしまうのは、練習不足でうまくいくかどうかわからないという不安があるからです。
実はこの「不安」こそが、厄介ものなのです。
本番や人前での発表の緊張や不調もひもをほどいてみると、実はこの「不安」が元になっていたりするのです。
不安があり、そのためにいつもの自分が出せないのです。
練習は不安を拭い去るために、ただひたすらすることです。
元横綱の千代の富士は「スランプに陥ったときには、ただひたすら練習をしていた」と言っています。
「うまくいっても練習する、うまくいかなくても練習する。
たとえスランプに陥っていても、練習以外にこの不安を拭い去る方法はない。
ひたすら練習をしていると、そのうち気分が落ち着いてくる」。
そう言葉を残しています。
気持ちを整理するためにも、まずはこの不安を取り除かないことにはいけないのです。
不安だと思ったら、不安がなくなるまで練習すればいいだけです。
しっかり自分ができる範囲の練習や量をこなしていれば「やるだけやったぞ」と開き直りができます。
本番では「いつもどおりにすればいい」と思い込むことができ、必要以上に緊張することを避けることができるのです。
練習は、自分の力でコントロールできます。
自分ではコントロールしづらい感情を少しでも整理できるように、日頃からの練習の積み重ねが最後には物を言うのです。
不安だと思ったら、不安がなくなるまで練習すればいいだけです。
私はいつも体を動かさない作業をやった後は、意識的に体を動かすようにしています。
その反面、体を動かすことをやった後は、体を動かさないようなことをするようにしています。
たとえば、このように今、パソコンに向かいキーボードを打って、体はあまり動かしていません。
しかし、その代わり通勤時には、できるかぎりエレベーターを使わず、階段を使うことで体を動かすようにしています。
人間、一定のことばかりやっていると気がめいってしまいます。
ずっと勉強ばかりをやっていると、頭がぼうっとしてきます。
単調な作業をやっていると、マンネリになり、リズムが良くなるどころかリズムが狂ってきます。
ずっと仕事をしていると、当然ストレスもたまります。
ずっと走り続けていると、当然疲れがたまります。
体を動かした後には動かさないことをしたり、体を動かさないことをした後は動かすようにしたりして、気分転換をしています。
もちろんジョギングをして体を動かした後は、体を休めるといった「動かさない時間」もつくるようにしています。
こうしたときには「波」を上下につくることで、上手に気分を変えることができます。
波のように上がったり下がったりすることは、不安定なことではなく、逆に安定にしている状態でもあるのです。
「評価」とは、面白いものです。
ある人が「良い」ということは、また違うある人には「悪い」と感じます。
私は先日面白い経験をしました。
まったく同じ文章に対して、正反対の意見をお客さまからいただきました。
「とってもいいことを書いている」という絶賛のお手紙と「つまらない文章を書くな」という批判のお手紙です。
まったく同じ文章なのです。
しかし、人によってその受け取り方や感じ方が、まったく違うのです。
私はいろいろな意見を受けますが、あまり気にしないようにしています。
もちろんまったく気にしないわけではありません。
良いと言われた文章からはどこが良かったのかを発見して、ここが悪いと言われた文章からはこれからは気をつけようと思います。
しかし、正直なところを言ってしまうと、他人の評価よりまずは自分がいいなと思う文章を第一に意識するようにしています。
先ほども言いましたが、評価というのは面白いことに、人が違えばがらりと変わってくるのです。
もう全然違うと言っても良いほどです。
同じ人でさえも、そのときのどんな気持ちでいるかで、文章から受ける印象も変わってきます。
周りの人からの評価を気にしすぎていると、自分の文章や主張を見失ってしまいます。
「気にしない」というのがいちばんなのです。
良い文章も悪い文章も、あってないようなものなのです。
評価も、あってないようなものなのです。
私は他人の評価は必要以上に気にせず、自分がいいなと思う文章をなにより大切にしています。
「わかりやすく」「面白く」そのうえ「体験の混ざった」文章が、自分にとってなによりわくわくし面白く感じられます。
自分で自分の文章を読んでみて、わかりやすくて面白く、体験が混ざっていないと、良いとは感じられないのです。
あなたが今意識している「評価」というのも、同じことが言えます。
今の性格で本当にいいのか。
今の人生で本当にいいのか。
こうした悩みを持ったことはありませんか。
他人が「悪い性格」「つまらない人生だね」と評価してきたりしますが、そんな評価は気にしなくてもかまいません。
人によってあなたがどう映るかは、まったく変わってくるのです。
それより、まずあなたは自分をどうしたいかを考えるほうがいい。
周りを気にしながら生きるより、自分の好き勝手に生きるほうが自分らしい生き方をしていると言えるのです。
私が書いている文章も、ある人からは「何て偉そうなことを書くんだ」「つまらないことを書くな」と批判を受けることでしょう。
その一方で「この言葉を待っていました」「実は私もうすうす考えていました」という言葉をもらうでしょう。
しかし、私は気にしません。
評価は他人が好きにすればいい。
それより私は自分が面白く好きなことを、やり続けていきたいのです。
それが自分には、いちばん有意義に楽しく感じられるからです。
「迷ったら前に出ろ」
これは、阪神タイガースをリーグ優勝に導いた星野仙一監督の有名な言葉です。
私もこの言葉に大いに共感します。
迷ったときというのは「やろうか、やるまいか」という気持ちが相互しているときです。
まったく気持ちがなければ、もちろんこうした「迷い」の気持ちは発生しません。
迷うことなんてなく、素通りをしていることでしょう。
しかし、心のどこかで「気になる」という感覚が湧き出ていることは、何か自分に関係のあることや必要であることだからです。
こんな「迷い」のときにはどうすればいいのか。
一見難しそうな問題に思えますが、答えは単純に1つしかありません。
まずは前に出て、やってみることです。
わからないことや気になることは、まず前に出てやってみないことにはそれ以上はわからないのです。
やってみて、実際に無駄だったと思うこともあるでしょう。
それならば、必要なかったことが「わかった」のです。
少しでも自分の行動量を増やし、手前にある問題を一つひとつ解決していくことです。
むしろ前に出ただけでわかることなら、ラッキーなことです。
単純に行動して、自分の成長が一歩前に出るなら、やったほうが断然お得なのです。
この志が、阪神タイガースの優勝に導いた大きな「教え」になったのです。
人間は、不思議な生き物で体を動かさないときにはネガティブなことを考え始めるようになります。
またその一方で、体を動かしているときにはポジティブなことを考え始めるようになります。
動かないと、行動もまったくの0(ゼロ)ですから、何も始まらないし何もわからないままです。
恋愛でうまくいかない人は、決まって行動をしない人です。
告白もしない、気持ちも伝えない、話しかけもしない。
これではうまくいくはずがありません。
何もしなければ、何も始まらないため、恋愛も始まらないのです。
片思いの人に共通しているのは、いつも陰でこそこそしているということです。
具体的に動いていないので、何も進展がありません。
「私じゃ無理」「もう誰かと付き合っているに違いない」と考えがネガティブな方向に偏り、途中でさじを投げてしまうのです。
しかし、恋愛が上手な人は、逆にちょっとした行動をこつこつ続けています。
テレビ番組のことを話しかけたり、相談してみたりと、コミュニケーションの量を増やしていくことで、相手との距離を近づけます。
心の距離を近づけるためにそうしているわけではなく、結果としてそうなっているのです。
行動しているため、知らず知らずの間に相手との距離が縮まり、仲良くなるにつれてポジティブな方向へと考えるようになるのです。
動けば動くほど、相手の気持ちがわかってきて、お互いの気持ちに整理がつくようになるのです。
接触回数が多いというのは、恋愛だけでなく人間関係すべてにおいて重要です。
わからないままにしておくのではなく、ささいなことでも相手と接触してお互いのことを知り、前向きに話が進むのです。
私は今、買い物をするときには必ず1人で買いに行くようにしています。
靴1足や洋服1着を買いに行くときでも、そうです。
買い物のときには基本的に意識的に1人で行くようにして、自分の判断で買うようにしています。
昔は友人と一緒に買い物をしていましたが、友人のペースに流されて、必要のないものまで買う傾向がありました。
友人がたくさん買っている横で、私だけが何も買わないと言うわけにもいきません。
はたまた友人からの「これ、いいよね」という言葉に流され、つい必要のないものまで買ってしまっていたのです。
家に帰ってから、まったく使わないというお決まりのパターンになっていました。
あなたにも何度かあるのではないでしょうか。
買い物のときに誰かと行くと、自分の判断力が鈍くなりませんか。
特に洋服を買うときには試着をする時間や見て回る時間など、誰かと一緒にいるとどうも気になって集中できなくなります。
自分が「本当にこれを買うべきか」という判断が、誰かと一緒にいるだけで突然、鈍くなってしまうのです。
衝動買いは、案外友人の言葉によるものが大きいのです。
以前友人と一緒にCDショップへ出かけたときに「この曲、すごくいいよ」と薦めてくれる曲がありました。
嬉しそうな笑顔で薦めてくれますから、ノーとは言いにくく「そうだね」と話を適当に聞いていました。
しかし、ここからが不思議なのです。
聞くうちに「そういえばいい曲にも聞こえるな」と、だんだん思い始めてしまうのです。
友人の嬉しそうな笑顔と進めてくれる言葉にその気になり、私はついにそのCDを買ってしまったことがあります。
家に帰った後、その曲を袋から開けてもう一度聴いてみると、今度は魔法の効力が消えたかのように普通の曲に戻って聞こえます。
「なぜ買ってしまったんだろう」と自分が情けなくなります。
自分が買うものであり、自分の判断で決めることなので買うものに関しては周りの言葉は気にしないことです。
買い物は1人で行くものです。
こうした失敗があり、今では買い物は1人で行くようにしています。
大切な物を買うときや高額の物を買いに行くときほど、たった1人で行くようにすることが大切なのです。
どんな人生がいちばん幸せなのかというと、毎日が元気な生き方です。
元気のある生き方が幸せな生き方とも言え、そのために私たちはお金を稼いだり友人を作ったりしているのです。
食べて生きていくためにお金を稼ぐことが必要ではありますが、それを言い換えれば毎日を元気に生きるためにです。
食べるためにお金を稼いで元気になります。
友人をつくって元気になります。
好きな人とデートをして元気になります。
そうするためにお金を稼ぎ、お金を使い、元気になるのです。
お金は元気になる使い方がいちばん正しい。
人間は最期には死んでしまうので、大きな家を持っていても、たくさんお金を持っていても、あの世へは持っていけないのです。
そうすると生きている間にどれだけ元気な「今」を生きることができるかが重要です。
きれいになるためにダイエットをする女性がいます。
たしかにきれいになるのは悪くはないのですが、毎日食事制限をしているためにほとんどの場合やつれていて元気がありません。
きれいになることができても、元気がなくなってしまっては、意味がないのです。
その人はきれいになったとしても、元気がないので以前よりモテなくなります。
元気は人間にとって、いちばん大切です。
元気の出ないことは、やらないようにしましょう。
好きなことをして嫌いなことをしないのは、元気になるためです。
好きな人と結婚し、嫌いな人とはできるかぎり付き合いを避けるのは元気になるためです。
人は何のために友人をつくるのかというと、1人では寂しくてつらいので、元気になるために誰かと寄り添い合うのです。
重要な場面では、歯を食いしばるのではありません。
歯を食いしばることで気合を入れているように思えますが、実際は歯に余計なエネルギーを回しているだけです。
必要のないところに必要のない力を入れているために、十分な集中力を発揮できず、滑ってしまうのです。
スポーツなどの一流選手に歯を食いしばって試合に挑んでいる人はいません。
柔道のプロ選手は、試合前、必ず大きく息を吐いています。
十分な集中力や力を発揮するためには、力を入れて気合を入れるのではなく、息を吐くことでリラックスをして気持ちを整えます。
力を発揮するときも集中するときも、力そのものではなく、精神的な部分が重要です。
冷静に判断をするためには、気持ちを整理して落ち着かせておくことが必要です。
それにはまず、息を吐くことでリラックスすることが第一です。
スポーツで勝つ側の人は、たいてい淡々とした表情でいます。
それとは反対に、歯を食いしばって気合を入れている人のほうが案外負けてしまいます。
それは歯にばかり力が向いてしまい、目の前の相手に対して冷静になることができていないからです。
自分が自分でいられないときがあります。
誰かに騙されたとき、叱られたとき、いらいらしたときなど、興奮状態になっているときです。
こんなときの自分というのは気持ち的にもいっぱいになり、冷静な判断ができなくなります。
そんなときに興奮あまってけんかや怒鳴り散らしてしまっても、何もいいことはありません。
こんな興奮した自分を抑え込みたいというときには「時間を置く」というテクニックを使いましょう。
何もせずにただ時間を置くだけで、驚くほどつまらない失敗をしなくて済むようになります。
気持ちのコントロールが自分ではできないときには、とりあえずその場を去り、一呼吸、置くようにするだけでかまいません。
私はつらいことがあったときには、とりあえず寝るようにしています。
寝ている間に興奮状態がだんだん収まり、起きたときにはまたいつもの状態に戻っています。
昼休みに昼寝をするだけでも、かなり変わってくるものです。
精神が弱っているときには、お金のかからない方法では寝ることがいちばん有効的なのです。
人によって態度がころころ変わることがあります。
自分の家族にはだらだらした態度を取ってしまいますが、初めて話す人にはぴんとした緊張気味な態度になります。
家族とは長い付き合いなのでその分お互いのことがわかり、特に気にすることもありません。
しかし、初めて話す人にはできるだけ気を使って言葉を選んだり、失礼のない態度を取ったりします。
よく態度がころころ変わる人がいますが、どちらが本物の人というのではなく、どちらも本当の自分なのです。
「慣れた人と接するときの自分」と「初めての人と話すときの自分」と言えば、わかりやすいことでしょう。
時と場合に応じて臨機応変に対応しているということであり、どちらも本当の自分であることには変わりないのです。
時と場合が変わればいくつもの自分が出てきます。
私はアメリカに留学したことがあるのですが、アメリカ人と話すときの自分は日本では出てこないキャラクターになります。
言葉にあたふたする自分になり、自分で自分のキャラクターに驚くほどです。
シチュエーションの数だけいろいろな自分があり、またどれも本当の自分であることを知っておきましょう。
仕事上で出会う人で、上司にはぺこぺこするのに、部下には突然偉そうな態度を取る人がいます。
どちらが本当のキャラクターなのかと思いますが、どちらもその人なのです。
ただし、ここでひとつ知っておかないといけないポイントは「性格までは変わらない」ということです。
人によっては、それ相応の態度がありますが、性格までは変えないことです。
友人と話すときの態度や親と接するときの態度は、それぞれあっていいのですが、性格まで変わっていれば、赤信号です。
よく偉そうにしている上司には、態度だけでなく、性格まで変わってしまう人がいます。
自分より地位が高い人にはこびへつらう一方、部下には偉そうな態度になります。
これは態度だけでなく、性格まで変わっているということです。
こんな上司がなぜ嫌われてしまうのかというと、人によって態度だけでなく、性格まで変わるために嫌われてしまうのです。
親や友人と話すときだけでなく、上司や部下と話すときの態度は「性格」という軸を中心に態度を変えることです。
性格という軸がしっかりあって、それを中心とした態度が存在すると言うことなのです。
中心軸である性格までころころ変わる人は、自分を持っていない人です。
つまり人に流され、人からの評価や、人の顔色ばかりを気にする人なのです。
気持ちを整理整頓するうえで欠かせない大切なことは「何を考えているか」ということです。
普段はどんなことを考え、何を思っているのかで、気持ちのコントロールが大きく変わってきます。
明るいことを考えていると前向きになり、暗いことを考えていると行動力がなくなります。
これは当然のことであなたも知っていることでしょう。
しかし、特に大切なことがあります。
「やってはいけないことばかりを考えない」ということです。
世の中にはやってはいけないことがたくさんあります。
学校なら「校則」があり、社会では「法律」があります。
食事なら「マナー」が存在し、ゲームでは「ルール」があります。
しかし、生活するうえで、そんな校則や法律、マナーやルールといった、してはいけないことばかり考えていてはどうでしょうか。
「これはしてはいけません」
「あれもダメです」
「それはやらないでください」
「あれもダメ。これもダメ」
それらばかりを聞かされていると「じゃあ、何をすればいいんだ!」となります。
行動しようにも禁止事項が怖くて、何も行動できなくなってしまうのです。
もちろん禁止事項そのものがいけないといっているのではありません。
考えすぎてはいけないということです。
やってはいけないことばかりを考えていて、めいってしまうのは「気持ち」です。
やってはいけないことばかり聞かされ考えてばかりいると、何もやる気が起きなくなります。
そのうえ、元気がなくなってしまうのです。
せっかくやる気が出ても「これはやってはいけない。あれも触れてはいけない」では、元気が奪われ、何も行動できなくなります。
校則やマナーといったルールは、考えてばかりいると、いつの間にかやる気や元気と行動力を奪っていくことになるのです。
気持ちの整理整頓は、本棚の整理整頓とそっくりです。
本棚を整理するコツがわかっていれば、気持ちの整理も同じ要領ですればいいだけです。
この2つの存在は全然違うものなのですが、気持ちの動かし方や余裕の大切さは、そっくりなのです。
気持ちを整理するうえで、本棚を想像してみましょう。
本棚が見苦しいときは、本棚がいっぱいになりキチキチになった状態です。
もう入りきらないというのに、また新しい本を買ってきたため、読み終わればもう1冊本棚に本を押し込むことになります。
これでは本を入れる前に、本棚そのものが壊れてしまいそうです。
本棚がきれいに整えられているときは、適度なスペースがあるときです。
スペースが大きければ大きいほど、本も整理しやすく、また並べ替えやすいのです。
気持ちも整理も同じです。
たくさんのことを考えて、余裕のない状態だと気持ちの整理が追いつかず、頭が混乱してしまいます。
こんな状態は、あなたの頭が悪いのではなく、整理整頓の仕方が悪いだけです。
本棚を整理するうえでは、読まなくなった本は誰かほかの人にあげるか、あるいはいっそのこと捨ててしまいましょう。
ため込んでいては、いずれいっぱいになる日は目に見えています。
それと同じように、気持ちを整理するうえで大切なことは「忘れてしまう」ということなのです。
隙間をつくることが本棚のスペースをつくるように、忘れることが気持ちの余裕をつくり出します。
気持ちや考えに余裕ができればできるほど整理がしやすくなり、また新しい情報を受け入れやすくなります。
忘れる能力は、失うことではなく、再び力を得ることです。
忘れることができるから、人はまた新しい情報を受け入れられ、成長ができます。
今までのことを顕在意識としてすべて覚えてしまったままだと、気持ちが混乱しおかしくなります。
過去の喜怒哀楽が共存していれば「怒りながら、悲しみ、楽しみながら、喜ぶ」というわけのわからない状態になるでしょう。
入ってきては捨ててという繰り返しによって、常に頭の中はスペースを確保し、気持ちがいっぱいになることを防いでいるのです。
気持ちを整理しコントロールするためには「忘れること」が必要なのです。
「上手にできることが好きなこと」という事実と「好きだから上手にできる」という2つの事実があります。
たしかに上手にできることは好きになれますし、好きなことだから上手にできることでしょう。
どちらも正しく聞こえますが、より現実的なことは「好きだから上手にできる」と言うほうが当たっています。
上手にできることとはいえ、必ず最初は「好きなこと」から始まります。
好きだから始めは下手でも上手になり、長く続けられ、その結果素晴らしい技術が身につきます。
先日、三軒茶屋で世界の大道芸がありました。
東京の三軒茶屋は毎年10月の終わりに、大きな大道芸『三茶de大道芸』があることが有名です。
町の至る所で世界的に有名な大道芸人たちが演技をします。
私は三軒茶屋に住んでいますから、もちろん見に行きました。
特に印象的だったのは、けん玉の名人である伊藤佑介さんのけん玉演技でした。
けん玉を両手に持ち、玉がどう動いているのかわからないような演技をして観客を釘付けにします。
彼の演技の前には、ささいな自己紹介がありました。
「私は好きでけん玉を始めました。普段は1人。家の中でこそこそとけん玉をしています」と謙虚に前置きしました。
私はその控えめで謙虚な態度と、技は一流の彼にとても好感を持ちました。
好きだからやめられず、家でこそこそと練習をしている彼が目に浮かびます。
またジャグリングの名人である目黒陽介さんですが、自己紹介のときに同じく「好きで始めてここまできました」と言っていました。
「好きだから毎日続けられ、だんだんうまくなりここまでできるようになりました」という自己紹介に好感を持ちました。
ほかの大道芸人も自己紹介はするのですが「得意だったから好きになりました」と言う人は不思議なことに1人もいませんでした。
決まってみな「好きだから……」という一言で始まったことが印象的です。
才能は最初からあったわけではなく、好きだという気持ちこそが「才能」です。
好きだという気持ちがあれば、集中ができ、長続きもするし、できなくても根気で乗り越えます。
好きという気持ちがあるだけで、才能があるということなのです。
あなたは才能探しをしていませんか。
自分はできることが何もないと、落ち込むことはありませんか。
あなたができることは、まず「好きなこと」です。
好きなことからスタートしたことがいずれあなたの得意科目となり、あなたの強みへと変わります。
才能はどこか遠くにあるものではなく、単純にあなたが大好きなことそのものが「才能」です。
単純に好きだから続けられ、一生懸命になっていれば、必ず人一倍うまくできるようになります。
誰かに応援してもらえるのは、嬉しいことです。
「頑張って!」「応援しているよ」と言われると、自分が注目されていることがわかり、期待に応えたくなります。
しかし、意識をしすぎると、期待に応えることそのものがあなたを束縛してしまう重いストレスへと変わることに注意しましょう。
期待そのものは悪いことではありません。
期待が悪いのではなく、応えようと変に力を入れてしまう自分がいけないのです。
期待は、嬉しいですが、あなたが過剰に応えようと意識してしまうと、期待はあなたを縛り付けてしまう縄になります。
気持ちをコントロールするために期待を振り払い、淡々と自分の気持ちだけを見つめて行動することです。
周りの目を意識した、他人からの一言は、あなたの気持ちに大きな影響を与えます。
嬉しい期待の言葉一つひとつをありがたく受け取りながら、それらをすべて抱え込まない適当さを持ちましょう。
「期待」に過剰に応えようとしてしまうと、自分で自分を束縛してしまいます。
あなたが信じるのは、あなた1人の言葉だけです。
「考える」という行為には、多少なりとも「時間」と「労力」が必要です。
たとえそれが良いことであろうと、悪いことであろうと関係ありません。
良いことを考えるときにも時間と労力が必要になり、また悪いことを考えるときにも同じく時間と労力が必要です。
私は将来のことを考えるときには、まず良いほうを先に考えるようにしています。
明るく元気になるようなことを先に考え、元気になるようにしています。
もちろん危険やリスクをまったく考えないわけではありません。
それらは良いことを先に考えた後に、考えます。
良いことから考え始め、悪いことは後回しにしておくのです。
このほうが結果としては頭を上手に使えます。
悪いことから先に考え始めると、まず気分が悪くなり落ち込みます。
大きなため息をついて、元気が消えてしまい、もうあまり先のことは考えたくなくなります。
気分が悪くなったところで次に明るいことはなかなか考えづらく、落ち込んだ状態から這い上がることにも時間がかかります。
考えるという行為には良いことであろうと悪いことであろうと、同じように時間と労力が必要です。
同じエネルギーを使うくらいなら、良いことを考えるように使ったほうが効果的です。
一度気分が落ち込んでしまう前に、先に良いことを考え気分を上げておくことがポイントなのです。
気持ちのコントロールをするためには、面白くないことに対してどうやって対処するのかが重要です。
日常には好きなことがあれば、嫌いなこともあり、面白くないこともあるでしょう。
そんな気分の乗らないことに直面したときこそ、どう立ち向かうかが大切であり、自分のコントロール力が発揮されます。
こうしたときには「どれだけ面白くないことを、どうすれば楽しめるか」と考えることです。
面白くないからと終わりにするのではなく、どうすれば面白くなるだろうかと、いろいろな角度から考えてみるのです。
『笑っていいとも』で司会をしているタモリさんは、毎日ゲストでやってくるいろいろな人たちとうまく話をします。
日ごとに変わるゲストに対して、とにかく面白いように話を引き出していくプロです。
今、芸能界にいるほとんどの芸能人と少なくとも一度は話をしてきています。
中には自分とは話の合わない人もいるでしょう。
それでも何か面白いことを見つけ出そうと話を進めるタモリさんの話術は、一種の才能とも言えるほどです。
何にもないところから、興味を見つけることができる人は、何をやっても楽しく生きられます。
自分の興味と関連づけて、なんとか自分のほうへと引き寄せようとする人は、いつも明るく元気なのです。
気分をコントロールするとは、どうすれば楽しめるかを見つけ出す力にかかっていると言ってもいいくらいなのです。
嫌いなことをするくらいなら、好きなことをすることです。
嫌いなことを避けられるなら避けてしまいましょう。
好きなことに時間とお金と努力をつぎ込むほうが「自分のためになる人生」となります。
気の進まないことは、やっても楽しくなくて、元気もだんだんなくなります。
しかし、不思議なことに、好きなことはやっていて疲れるどころか元気になります。
好きなことだから面白くて元気になり長続きします。
そのうえ、自分の気が進むことに関しては、ワンパターンには見えないものであり、いろいろな形に見えてくるものなのです。
すればするほど奥深さがわかり、さらに楽しめるようになるのです。
結果として好きなことをやっていたほうが楽しい気分でいられ、そのうえ高度な技術を身につけることができます。
私も今、好きなことばかりをするようにしています。
このように書くことが好きなので、長い間続けることができています。
長く続けているために、だんだん技術や知恵も身につきます。
それでいて、まだ私は疲れていません。
面白いことばかりやっているので不思議とすればするほど元気になり、好循環になっています。
これがもし嫌いなことなら、そうもいきません。
やる気も起こらず、元気も出ず、長続きしないことは、うまくなれず、未熟で中途半端なままで挫折していたことでしょう。
私は「好きなこと」を選んで、本当に良かったと思っています。
仕事も同じです。
一生の大半を占める仕事は、必ず「好きなこと」を選ぶほうがいい。
「稼げる仕事」や「尊敬される仕事」を選ぶ人は、好きでもない仕事のため、熱い情熱を傾けられず、途中で投げ出してしまいます。
あなたはどんな仕事を選びますか。
お金の稼げる仕事ですか。
尊敬されるような仕事ですか。
簡単に就職できるような仕事ですか。
疲れない仕事ですか。
いえいえ、違います。
「好きな仕事」を選ぶのです。
嫌いな仕事をするなどとはもってのほかです。
表情が悪く、毎日愚痴をこぼす日々が目に見えています。
単純でシンプルな法則ですが、たったこの選択を誤るだけで人生が大きく変わるのです。
自分の今ある問題を、一つひとつクリアにすると、気持ちも一緒に整理できます。
やらないといけないこと、宿題やわからないこと、それからそのための解決策です。
心の中をぐちゃぐちゃに乱してしまうのは、はっきりしない曖昧さがあるからです。
やらないといけないのに、後回しにしたり、わからないことがあるのにほったらかしにしたりしていることがいけないのです。
はっきりせず不安という気持ちがあるために、心の中もうまく整理ができず落ち着きません。
問題をクリアにするだけでかまいません。
気持ちも一緒に整理されるのです。
何をやるのかがはっきりわかると、次にどうすればいいのかがわかり、精神的にも落ち着きます。
しかし、何をしていいのかがわからなければ、どうしていいのかもわからないため落ち着きません。
問題をクリアにはっきりさせることは、精神的な部分もクリアにはっきりさせることに連動しているのです。
私は涙を流した後のすっきり感が大好きです。
口では表現しにくいのですが、悲しい映画を見て涙を流した後というのは独特の爽やかさがあります。
つい先日も、韓国映画の『シュリ』を見て、最後に大泣きしてしまいました。
我慢をしようかと思いましたが、そんな我慢はやめて逆に思いきり涙を流すようにしました。
こんなときは感極まった感情が涙という形で外に排出され、ストレスがなくなっていくようです。
私たちは泣くことをできるだけしないように我慢をしています。
涙を流すと「情けない」と思われ、小さなころから「泣かない」「大人は泣かない」「男は泣かない」としつけられてきました。
時にはしっかり流しておくことも必要です。
涙を流すことは、ストレスを洗い流すことです。
日頃のたまったストレスを、涙と一緒に洗い流してくれる作用があり、自然と心もすっきりするのです。
あなたの気持ちの整理は誰がやることなのでしょうか。
もちろんあなたです。
私は超能力者ではないので、あなたの頭の中に入り込んで、うまく整理整頓するなんてことはできません。
あなたの友人も親も同じく「他人」であることには変わりはなく、間接的な存在です。
あなたの気持ちの整理は自分しか行うことができず、そのためには誰か他人に頼るより自分一人で行う必要があるのです。
そのため、たった1人でいる「1人の時間」がどうしても必要です。
1人で買い物に行ったり、1人で散歩をしてみたりと、気持ちが落ち着き自分のペースで物事を考えることができるようになります。
自分のペースでないと、うまく整理整頓ができないものです。
友人と一緒に行動していると、友人の話すペースに流されたり、話がそれたりとうまく自分の整理ができません。
気持ちの整理整頓やコントロールは、必ず1人のときに行うようにしましょう。
またその逆の効用として、寂しい気分のときには友人と一緒にいることで、うまく気分を紛らせることもできます。
友人のペースで話が流れたり、雰囲気に飲み込まれたりして気持ちの整理がつかなくなり、いい感じに寂しい気分から開放されます。
少し表現は悪くなりますが、現実を忘れることができ、適当に時間を流せます。
1人でいるかいないかで、気持ちの整理ができるかできないかが決まるのです。
私は「あの世」へ行ったことがありません。
本やテレビで話を聞いたことはありますが、私は行ったことがないので「わからない」と答えるようにしています。
私の本の中でも「この世」の話はしても「あの世」の話はしないようにしています。
たくさん本を読んだり人の話を聞いたりして、一定のイメージはあり、話すこともできます。
それなりの本も書くことができるでしょう。
しかし、それはあえて触れないように気をつけています。
私の触れるところではありません。
行ったこともなければ、見たこともないからです。
私は死んだことがないので、わからないことは正直に「わからない」と答えますし、そうした話も堂々としないようにしています。
今、テレビや宗教家たちが、あの世について堂々と話しているところを見かけます。
あの世についていったことがあるかのように堂々と話して、説得力のある話し方をします。
私もその話を聞いていると、本当の話のように聞こえ、話に吸い込まれそうなときがあります。
しかし、1つ残念なことがあるため、最後で信じきれないのです。
それは「あの世の話をする人に限って、あの世へ行ったことのない人ばかり」という事実です。
この1つがあるために、せっかくのいい話も「本当だろうか」で終わり、信じきれない。
それらは本当かもしれませんが、嘘かもしれません。
私にはわかりません。
行ったことも見たこともないからです。
せめて話をしている人があの世へ行ったことがあり証拠があるなら、多少なりとも信じることができるでしょう。
しかし、あの世の話をする人に限って「あの世の未経験者」です。
もし私があの世について聞かれたら「わかりません」と正直に答えます。
それが結局今のところ、いちばん近い答えになるからです。
私の祖母は、今はもう亡くなりましたが、生前に一度こんな質問をしたことがあります。
「祖母、死んだらどこに行くの?」
祖母は、笑いながらこう言いました。
「さあ、どこに行くのかな」
私はこの言葉に、ほっとした安心感を覚えています。
この言葉のほうが、正直で説得力があります。
正直に当たり前で、当然の言葉です。
変な話ですが、こんなときに祖母があの世の話を堂々としてくれなくて良かったと思っています。
わからないことを「さあ、わかりません」と正直に答えてくれた祖母は、やはり正直者だと信じることができます。
私が23歳のときに亡くなりました。
あの世に逝った祖母は、今ごろ真実を知っていることでしょう。
しかし、そんな「本当のこと」を知っている人に限って、もうこの世にはいない人なのです。
あの世の話は、わからないのです。