本屋では「食事マナーの基本」「大人の食事マナー」といった内容の本を多く見かけます。
私は、食べるのが大好きです。
食べるときにはかっこよく、礼儀よく、きれいな食べ方をしたいと思います。
私は肉を食べるときに、いつも思うことがあります。
「この肉は、命なんだ」と心が動きます。
「いただきます」という一言は、食事をいただきますという意味だけではありません。
私が自動車の免許を取るときには、合宿をして、短期で免許を取りました。
合宿では、食事が出されます。
朝昼晩と3回あり、合宿生たちは決まった時間になると、全員が食堂にやってきます。
私は外食が大好きです。
自分でつくるだけでなく、外にあるレストランで食べると、普段、自分がつくる食事よりよほどおいしく感じます。
基本的に、外食をすると、自炊するよりお金がかかります。
私がアメリカに留学していたころ、よく外食をしていました。
お気に入りのレストランは「Denny's」です。
100回以上は行ったような気がします。
私は小さいころから、父に「口を開けながら食べるな」とよく叱られていました。
くちゃくちゃと音を立てて食べると、たしかに周りの人の気分を悪くさせてしまいます。
音が気になるだけでなく、食べている口の中も見えてしまい、下品です。
レストランでは、雰囲気を大切にします。
レストランで喜ばれるお客さまは、レストランの雰囲気の一部になっているお客さまです。
たとえば、笑顔で食事をしているお客さまは、それだけで良い「絵」になります。
食べ放題のバイキングでは、皿いっぱいに食事を乗せている人がいます。
「食べ放題だから、とにかく何でも乗せてしまえ。食べきれなくても、どうせ同じ料金だし」という、下心が見え見えです。
これでは店員さんにも失礼だし、一緒に食べている人にも下品な下心が見えて、気分を悪くさせてしまいます。
かっこいい食事マナーを身につけているかどうかは、食事の後にわかります。
テーブルを離れるときに、きちんと椅子を戻していますか。
きちんと椅子をきれいにテーブルに戻しているなら、合格です。
食事をするときには、食事だけ楽しむのではありません。
盛り付けられている食器を、見て楽しむことが大切です。
私が家族で徳島にいる妹の大学へ、学園祭を見に行ったときのことです。
ときどき、食事をしている真っ最中に「まずいね」と言う人がいて、残念に思います。
食事中に食事を否定するようなことを言っては、もっとおいしくなくなるし、一緒にいる人にも気分を悪くさせてしまいます。
私は以前、友人と食事をしているときに、食事の悪口を聞かされてしまったため、気分が悪くなってしまったことがあります。
私が会社の同僚と、一緒にお昼を食べていたときのことです。
同僚は、食べるのが早い人です。
同僚は、あっという間に全部食べ終えてしまいました。
学生時代に、貧乏ゆすりが癖になっている人が、1人はいるものです。
私の学生時代にも、地震が起こるくらいの貧乏ゆすりをする人がいました。
授業中でしたから、余計に目立ちます。
昔、私が付き合っていた彼女が部屋に遊びに来たときのことです。
彼女が「おなかがすいた」と言うので、私は簡単にパスタをつくりました。
カルボナーラです。
友人や仕事仲間と一緒に、コーヒーショップに行くことがあります。
不思議と「居心地がいいな」と思い、長居をしてしまうコーヒーショップがあるのです。
時間を忘れて会話に夢中になるのは、何かの魔法にでもかかったかのようです。
レストランで食事をするときには、食べた食事に対してお金を払うことになります。
サービス業では「お客さまは、神様」という格言があります。
ときどき、この言葉を傘にして、偉そうにお金を払うお客さまがいて、残念に思います。
アメリカでは、店員にオーダーをするときに、店員の顔を見ながら、注文をします。
「このパスタをお願いします」と注文するときに、メニューを見ながら言うのではなく、店員の顔を見ながらオーダーするのです。
これは、かっこいいオーダーの仕方です。
友人と一緒に食べに行くときには、普通はそれぞれが自分の分をオーダーするというのが普通です。
自分の分を自分がオーダーするのは、当然のことですが、かっこいい人は違います。
かっこいい人は、友人の分も一緒にオーダーしてくれます。
食べるときには、できるだけ残さないように食べることがマナーです。
せっかくの料理ですから、全部食べたいものです。
しかし、やはり量が多いときは、食べきれないときがあります。
おいしい食事を、よりおいしくいただくためのスパイスがあります。
「明るい話」です。
会社で上司に褒められたこと、仕事に慣れてきたこと、今度コンサートに行くような明るい話は、食事のときには喜ばれる会話です。
国際的な料理をいただくときには、どう食べればいいのかわからないときがあります。
韓国料理、中国料理、インド料理など、それぞれの国料理には、それぞれの食べ方があります。
中には、どう食べればいいのかまったくわからない料理が出てくるときもあります。
食事中に楽しい時間を過ごしていても、相手のある態度で一気に冷めてしまうときがあります。
時計を見る態度です。
食事中に、一瞬自分から視線が外れて、時計のほうへ視線を向けたことは、こちらとして自然とよくわかります。
私は昔、食事中に肘をついて食べると、よく親から叱られていました。
「肘をつくのはみっともないから、やめなさい」
といった感じで、よく叱られたものです。
最近になって新しくできたマナーがあります。
携帯電話のマナーです。
携帯電話は、比較的最近になり、突然市場に現れた電話です。
出てきた料理は、すぐ食べ始めるのが、大切な食事のマナーです。
日本料理の代表の1つに、寿司があります。
寿司は高級であるほど、握るのが早いです。
食事はみんなで食べると、よりおいしく感じます。
みんなで食事をするというのは「仲間意識」を強める効果があります。
人間関係を円滑にするために、みんなで食事をするのは、欠かせないことです。
大人になるためには、1人で食事ができるようになることが必須です。
1人で食事ができるようにならないと、1人では何も行動できない人になります。
先日、私はレストランで、たった1人で食事をしている女性を見かけました。
食事をするときには、よく噛んで食べると、どんどん味わえます。
食事を味わって食べるには、難しく考える必要はありません。
よく噛んで食べるようにすればいいだけです。
食事を楽しむための面白い裏技があります。
一品ではなく、いくつかの料理を同時に注文して、組み合わせを楽しむのです。
ときどき私は単品ではなく、いくつかの料理を頼むときがあります。
小学校の給食は、良い勉強になります。
給食は、単なる食事の時間ではありません。
食事マナーを身につける時間です。
本屋では「食事マナーの基本」「大人の食事マナー」といった内容の本を多く見かけます。
私は、食べるのが大好きです。
食べるときにはかっこよく、礼儀よく、きれいな食べ方をしたいと思います。
本屋に行って、マナーの本をよく読んだものです。
しかし、本屋にあるマナーの本には、いつも大切なことが抜けていて、不思議に思うことがあります。
フォークの持ち方やナプキンの使い方より、はるかに大切なことがあります。
食事の際の「いただきます」と「ごちそうさま」の一言です。
「食べるときには『いただきます』と『ごちそうさま』が大切」とは、なかなか書かれていません。
当たり前すぎることだからでしょうか。
では、当たり前すぎる「いただきます」と「ごちそうさま」をきちんと言えていますか。
今「いただきます」と「ごちそうさま」を言えない人が増えています。
親から、食事の際の一言を教わらずに育っています。
今、日本では「飽食の時代」といわれています。
食べ物が不足していた時代とは違い、今は、食べ物があふれている時代です。
コンビニに行けば、簡単に食べ物を手に入れられます。
デパートに行けば、野菜やパン、ご飯など何でも手に入ってしまいます。
そのために「食べることへのありがたみ」を忘れているのです。
本来生きるためには「食べる」ということは、必要なことです。
生きるために、欠かすことのできない基本的な生理現象です。
だから余計に、食事の際は食べることに対して、感謝をして食べることこそ、本当にかっこいい食事マナーなのです。
会社の雰囲気や食べる場所によっては、大きな声で「いただきます」「ごちそうさま」と言いにくいこともあるでしょう。
そんなときは、心の中で「いただきます」「ごちそうさま」と言いましょう。
食事に感謝して食べることができるほうが、はるかに大切な食事マナーなのです。
私は肉を食べるときに、いつも思うことがあります。
「この肉は、命なんだ」と心が動きます。
「いただきます」という一言は、食事をいただきますという意味だけではありません。
「命をいただきます」という意味が含まれています。
肉を食べるときには、命であることに気づくことが大切です。
あなたが長く生きるために、ほかの生き物があなたのために命を落としているのです。
「食物連鎖」という言葉があります。
基本的な食べる、食べられるという動物たちのピラミッドです。
その基本的な食物連鎖は、人間界では壊れています。
人間のみが、食べる側に回っています。
残りの動物たちは、すべて食料です。
人が生きるためには、食べるということが必要です。
何かを食べることになるのです。
少し痛々しい話かもしれませんが「食べる」というのは「ほかの動物たちの命をいただいている」ということなのです。
生きるためには、必要なことですから、抜かすわけにはいきません。
菜食主義とはいえ、肉の栄養価値は素晴らしい物があります。
タンパク質をはじめとする、ビタミン、ミネラルといった「生きるために必要な栄養」がすべてそろっています。
食べられるために生まれてきたのではないかと思うほど、肉には栄養価値が勢ぞろいしているのです。
そんな肉を食べるときには「命をいただいている」ということに気づきましょう。
私は肉を食べるときには、私のために命を落としてくれた動物たちに感謝しています。
感謝しないと、私は単なる動物殺しになります。
感謝をすることで「生き物」が「食べ物」に変わるのです。
私が自動車の免許を取るときには、合宿をして、短期で免許を取りました。
合宿では、食事が出されます。
朝昼晩と3回あり、合宿生たちは決まった時間になると、全員が食堂にやってきます。
そのときに、みんなが食事をつくってくれた人に、感謝の一言も言わずに、食事だけを取っていく姿を見て、残念に思いました。
食事をつくっている人は、つくって当然だといった感じです。
食事をつくるのには、手間暇がかかります。
私も一人暮らしを始めてから、食事をつくることは大変なことだということに気づきました。
食材選び、調理道具、つくる時間、栄養価値の計算、きれいに盛り付ける、といった長い作業があるのです。
私は料理長さんに「ごちそうさまでした。おいしかったです」と言って、帰ることにしました。
料理長さんは、喜んでくれました。
なかなかこういうことを言ってくれる人は、珍しいそうです。
自分が今、食事ができているのは、その影にはいろいろな方の努力があって、初めて食事が存在するのです。
今、私はスターバックスにいます。
スターバックスでコーヒーを飲みながら、本を書いています。
このコーヒーも、陰にはコーヒー豆を取る人、豆を運ぶ人、豆を挽いてコーヒーをつくる店員さんの協力があってのことです。
そんなみんなの協力でできたコーヒーを飲みながら、本を書いているから、今も本を書くことがスムーズに進んでいます。
自分が今このように本を書けるのも、みんなの支えがあってのことなのです。
私は外食が大好きです。
自分でつくるだけでなく、外にあるレストランで食べると、普段、自分がつくる食事よりよほどおいしく感じます。
基本的に、外食をすると、自炊するよりお金がかかります。
レストランの食事は、同じパスタ1つでも、少し値段が高めに設定されています。
ときどき「この値段だったら、自分で作ったほうがいい。これくらいなら自分でもつくれる」と言う人がいます。
こういう人は、外食で値段が少し高いのには「食事料金」だけでなく「雰囲気料金」も含まれていることに気づいていません。
おしゃれな雰囲気のレストランを多く見かけるようになってきました。
店内にいると、おしゃれな雰囲気で、わくわく気分になれます。
私たちがお金を払うのは、その雰囲気料金にもお金を払っていることに気づきましょう。
自宅では演出できないおしゃれなインテリア、装飾、音楽が奏でるハーモニーのおかげで、食事を本来以上においしく感じるのです。
これが外食の良いところです。
外食では、食事を味わうだけでなく、おしゃれな雰囲気も味わうことが大切なのです。
私がアメリカに留学していたころ、よく外食をしていました。
お気に入りのレストランは「Denny's」です。
100回以上は行ったような気がします。
私の留学でのお金は、外食にも飛んでいきました。
よく外食に行くのには、わけがあります。
店員さんたちのサービスです。
私はいつも店員さんたちのサービス精神に驚かされます。
注文をうかがうときは笑顔で、サービスします。
飲んでいたコーヒーがなくなりかけると、頼まなくても「コーヒーのおかわりはいかがですか」と尋ねてきてくれます。
お客さんが誕生日であることを知ると、店員が集まり「ハッピーバースデー」の歌を歌うサービスをしてくれます。
もちろんお客さんは、恥ずかしそうです。
店中に声が響き渡ります。
お客さんは、恥ずかしそうな顔した後、嬉しい表情になります。
私はアメリカでのレストランで、サービス精神に感銘を受けました。
私はあるときコーヒーがなくなった絶妙のタイミングで、おかわりを持ってきてくれた店員に感激したことがあります。
どうやら私の飲むコーヒーの量を気にかけてくれていたようです。
アメリカには、チップの習慣があります。
普通は15~20%をテーブルに置きます。
しかし、そのときはあまりに嬉しくて、50%のチップを店員に手渡してお礼を言いました。
大切なことは、気持ちのやりとりです。
サービスしてくれたら、こちらもサービスのお返しをしたくなります。
そんな気持ちのやりとりが、食べる食事をよりおいしくさせていたのです。
私は小さいころから、父に「口を開けながら食べるな」とよく叱られていました。
くちゃくちゃと音を立てて食べると、たしかに周りの人の気分を悪くさせてしまいます。
音が気になるだけでなく、食べている口の中も見えてしまい、下品です。
ときどきガムを、くちゃくちゃ食べている人がいます。
私は小さいころ、父に口を開けながら、食事をしないようにしつけられました。
そのため、友人のガムを噛むときのくちゃくちゃが、人一倍気になります。
デートのときにレストランでくちゃくちゃと音を立てて食べると、相手に一発で嫌われます。
行儀の悪い人だなと、相手の気分を悪くさせてしまうのです。
食事をするときには、くちゃくちゃと音を立てないようにして食べましょう。
くちゃくちゃをやめて、代わりに「もぐもぐ」にすればいいのです。
もぐもぐでは、音は気になりません。
食べている口の中も見えませんから、気持ちよく食事ができます。
食事をするときには、ただ食事にかぶりつくのではいけません。
周りの人に迷惑をかけないように、最低限のマナーを守って食べることが、かっこいい食事マナーなのです。
レストランでは、雰囲気を大切にします。
レストランで喜ばれるお客さまは、レストランの雰囲気の一部になっているお客さまです。
たとえば、笑顔で食事をしているお客さまは、それだけで良い「絵」になります。
「単なるレストラン」を「笑顔のあるレストラン」に変えます。
こういうお客さまを、レストランでは大切にします。
しかし、逆に、レストランの雰囲気を壊してしまうお客さまがいます。
大声で騒いでいるお客さまです。
大声で騒いでいるお客さまは、自分が目立つことがかっこいいと思っているのか、大きな声で話します。
相手に聞こえる以上のボリュームで話しています。
食事をする際には、必要以上に声を出すことはいけません。
周りで食事をしている人の迷惑になります。
雰囲気も壊れます。
レストランで、飲み会のように騒いではいけません。
「食事」と「飲み会」は、別です。
節度のある食事マナーは、声の大きさに気をつけることです。
相手の耳にちょうど聞こえるくらいの声が、適切です。
むしろ、相手の笑い声のほうが大きくなってしまうほうが、理想的です。
食べ放題のバイキングでは、皿いっぱいに食事を乗せている人がいます。
「食べ放題だから、とにかく何でも乗せてしまえ。食べきれなくても、どうせ同じ料金だし」という、下心が見え見えです。
これでは店員さんにも失礼だし、一緒に食べている人にも下品な下心が見えて、気分を悪くさせてしまいます。
皿いっぱいに盛り付けた食事を全部食べられるなら、いいのです。
しかし、皿いっぱいに盛り付けた食事は、たいてい食べきれません。
残すことになります。
バイキングで残してしまうのは、基本的にNGです。
食べ放題だから、残してもいいじゃないかと思うのではありません。
食べ放題でも、マナーを守って食べることができるようになることが、かっこいい食事マナーです。
食べ放題では、食べられる分だけを盛り付けるようにしましょう。
少し足りないくらいで、盛り付けるのがちょうどいいです。
足りなくなったら、また取りに行けばいいのです。
食べ放題での下心が、知らず知らずのうちに相手の気分を悪くさせてしまうことに気をつけましょう。
かっこいい食事マナーを身につけているかどうかは、食事の後にわかります。
テーブルを離れるときに、きちんと椅子を戻していますか。
きちんと椅子をきれいにテーブルに戻しているなら、合格です。
気持ちよく、食事を終えることができています。
レストランなどのサービス業では、お客さんの態度で、サービスが変わるとのことです。
サービス業では、マナーを守って食べに来るお客さまを大切にします。
マナーを守って食べる人を、見ている人はきちんと見ているのです。
お客さまの食事に対するマナーが見えるのが、食事の後です。
椅子をテーブルからはみ出したまま帰っていく人は、ただ食事だけ済ませたい人です。
食事マナーを身につけている人は、片付ける人のことまで考えている人です。
食事の後には、ウエイターやウエイトレスさんが、片付けにやってきます。
実際に食事を本当に片付けるのは、店員さんのお仕事ですから、全部をする必要はありません。
ささいなことでいいのです。
それが、食事が終わった後の椅子です。
食事が終わって椅子をきちんと戻して帰る人は、これから片付けに来る人に対して礼儀を持っている人です。
椅子を戻すことで、片付ける人たちが、うんと楽になるわけではありません。
うんと楽にはなりませんが、お客さまの「ごちそうさまでした」の気持ちをうかがえます。
椅子は、お客さまの気持ちが目に見えるところです。
大切なことは、相手のことをきちんと考えている気持ちなのです。
食事ではただ食べるだけでなく、片付ける人の気持ちも考えて、終えることが必要なのです。
食事をするときには、食事だけ楽しむのではありません。
盛り付けられている食器を、見て楽しむことが大切です。
私が家族で徳島にいる妹の大学へ、学園祭を見に行ったときのことです。
大学の近くに、しっかりお茶をたててくれるお店があり、お茶を飲みに行きました。
座る椅子は、日本的な赤い布が敷かれてあり、テーブルもとても落ち着いています。
店内には本格的なお茶のいい香りがします。
大きな器に、少しだけ緑色のお茶が入っていました。
母はみんなが飲む前に「これはこのように飲むのよ」という説明を始めました。
母は昔、茶道をやっていました。
人一倍、お茶にはうるさい人です。
「飲む前に、まず茶碗を見てから飲むと、よりおいしくいただける」と母が言った一言が印象的でした。
たしかにそのときに飲んだ茶碗は、立派なものでした。
茶碗博物館に置かれていそうな、立派な茶碗です。
茶碗をよく見てから、お茶を飲むと、お茶の味が深い味わいに変わってきます。
私は「これはお茶だけでなく、食事をするときには大切なことだな」と思いました。
コーヒーショップにしろ、レストランにしろ、独特の器に食事が盛り付けされていることが多いです。
私は、今までそれに気づかずに、ただ食べてばかりいました。
独特の器にも、お店のこだわりがあります。
器で、違う視点から、おいしさを楽しむことができるようになるのです。
食事では、食べるものを見るだけではありません。
盛り付けられている器も、見て楽しむことが、よりおいしく食事をけるコツなのです。
ときどき、食事をしている真っ最中に「まずいね」と言う人がいて、残念に思います。
食事中に食事を否定するようなことを言っては、もっとおいしくなくなるし、一緒にいる人にも気分を悪くさせてしまいます。
私は以前、友人と食事をしているときに、食事の悪口を聞かされてしまったため、気分が悪くなってしまったことがあります。
本当に食事がおいしくなくても、少なくとも食事中に「まずい」とか「おいしくない」というのは、食事マナーに反しています。
作った人は、一生懸命に作ったことでしょう。
「まずい」と言っては、食事をつくってくださった方に申し訳ありません。
それになにより、一緒に食べている人の気分を害してしまいます。
私は、好きな人が私のために食事をつくってくれたときは、嬉しくて全部食べてしまいます。
おいしくなくても、量が多くても、全部食べてしまいます。
残すなんて、つくってくれた人にも申し訳ないのです。
つくってくれた人に「おいしいですか」と聞かれたときには、おいしくなくても「うん。おいしいよ」と答えます。
私が味わっているのは、食事だけではありません。
一生懸命につくってくれた気持ちも、食事を通して味わいます。
食事の出来栄えがどうこうより、誰かのために一生懸命つくってくれた食事は、全部おいしく感じます。
どんなに食事がおいしくなくても、食事中に「おいしくない」と言うのはやめましょう。
つくってくれた人に失礼になります。
それに一緒に食べている人の気分も悪くさせてしまいます。
マナーは、食事をおいしくいただくためにある作法だけではありません。
マナーは、感謝を表現するためにある作法でもあるのです。
私が会社の同僚と、一緒にお昼を食べていたときのことです。
同僚は、食べるのが早い人です。
同僚は、あっという間に全部食べ終えてしまいました。
私が食べ終わる3分の1の時間で、すべて終えてしまいました。
同僚は食べ終わると、私が食べ終わるのを待っています。
同僚は気を使ってからか「気にしないでゆっくり食べていいよ。俺、食べるの早いほうだから」と言ってくれます。
そう言われても、気にしてしまいます。
正直、私はつらかった。
相手が早く食べ終わってしまうと、自分も相手を待たせてはいけないと思い、焦りながら食べてしまうことになります。
食事を味わうどころではありません。
早食い競争になります。
私は、競争をするために、昼食を一緒に食べているわけではないのです。
同じスピードで食べてくれれば、良かったのになと思いました。
誰かと一緒に食事をするときは、食べるスピードは、相手と同じスピードで食べることが大切です。
自分のスピードに任せて食べると、相手の食事を忙しくさせてしまいます。
逆に、ゆっくり食べすぎても、相手をいらいらさせてしまいます。
相手にプレッシャーをかけてはいけません。
自分のペースで食べたければ、1人で食べればいいのです。
そうしたことがあり、今では1人で食事をするようになりました。
決して、一緒に食べるのが嫌だというわけではないのですが、少なくとも仕事の昼休みくらいは、ゆっくり休みたかったのです。
あなたは、自分任せのペースで食べていませんか。
誰かと食事をするときは、相手にプレッシャーをかけない早さで食べるのが、思いやりのある食事マナーなのです。
学生時代に、貧乏ゆすりが癖になっている人が、1人はいるものです。
私の学生時代にも、地震が起こるくらいの貧乏ゆすりをする人がいました。
授業中でしたから、余計に目立ちます。
集中ができなくて困りました。
動きも気になるし、繰り返される貧乏ゆすりの音も小さい音なのですが、周りの人は気になってしまうものです。
食事中にも同じことが言えます。
食事中に貧乏ゆすりをしてしまっては、下品に見えます。
別に罪を犯しているわけではないのですが、少なくともかっこいい食事マナーとは言えません。
私の家庭では、貧乏ゆすりをしながら食事をすると、父のげんこつが飛んできます。
「みっともない。やめなさい」と、小さいころはよく叱られたものです。
父は食事のマナーには、人一倍気を使う人です。
食事マナーを知らない恥ずかしい人間になってほしくなかったのでしょう。
小さいころから私の家は、作法にうるさい家庭でした。
私も父に似ていて、貧乏ゆすりには敏感です。
小さいころの親の影響とは、大きいものです。
親の哲学が、子どもの哲学になります。
貧乏ゆすりをしている人を見ると、その人の親も貧乏ゆすりをしてしまう人なのかと思います。
貧乏ゆすりをする親になっては、子どもにも貧乏ゆすりが移ってしまいます。
これから生まれるであろう子どものためにも、今から貧乏ゆすりをやめるように心がけましょう。
昔、私が付き合っていた彼女が部屋に遊びに来たときのことです。
彼女が「おなかがすいた」と言うので、私は簡単にパスタをつくりました。
カルボナーラです。
自分が食べる料理ではないのですが、普段以上に気合を入れてつくってしまいました。
食事は、自分のためにつくると手抜きをしてしまいますが、誰かほかの人のためにつくると、普段以上に一生懸命になります。
そのとき付き合っていた彼女は、かなり無口な人でした。
食事中もあまりしゃべらず黙々と食べていました。
私は自分のための食事をつくっていたわけではないため、台所でまた別の作業をしていました。
彼女が食事を終え、私に一言こう言いました。
「ごちそうさま。おいしかった」
この一言は、嬉しかった。
特に「ごちそうさま」だけでなく「おいしかった」の一言が嬉しかったのです。
私も「つくって良かったな。また今度、つくってあげよう」と、明るい気持ちになれます。
食事を終える際は「ごちそうさま」にもう一言「おいしかったよ」と付け加えると、作った人もつくりがいがあるものです。
自分のしたことに対して、返事があると、それだけでもとても嬉しいのです。
庶民的なお店では、食べ終わる際「おじさん、ごちそうさま。おいしかったよ。またくるね」と言い、帰っていきます。
食事を作った本人に向けて言っていますから、見ている私としても、気持ちが良かったです。
「ごちそうさま」と言うときには、もう一言「おいしかったよ」と付け加えましょう。
この一言が、作った本人をとても明るい気持ちにさせてくれます。
友人や仕事仲間と一緒に、コーヒーショップに行くことがあります。
不思議と「居心地がいいな」と思い、長居をしてしまうコーヒーショップがあるのです。
時間を忘れて会話に夢中になるのは、何かの魔法にでもかかったかのようです。
なぜこんなに居心地がいいのかなと振り返ったとき、ふと気づきました。
つい長居してしまう、人気のコーヒーショップによく見られる特徴があります。
丸いテーブルが置かれていることです。
さりげない点ですが、無意識に働きかけるところです。
丸いものには、相手を優しい気持ちにさせ、気持ちを柔らかくさせる効果があります。
赤ちゃん、子犬、子猫など、かわいいなと思うものは、丸みを帯びている特徴があります。
丸いものが視界に入ると、優しくて、穏やかで、リラックスした気分になれます。
丸いテーブルの上で話をしていると、お互いに自然と話が弾みやすくなります。
一緒にいる人と仲良くなる魔法の力があるのです。
そういう心理を人間関係に応用してみましょう。
たとえば、仲を深めたいと思う人と、丸いテーブルが置かれている店に入ってみましょう。
コーヒーショップでもレストランでもOKです。
丸いテーブルの力が、2人の関係を丸くさせていくに違いありません。
レストランで食事をするときには、食べた食事に対してお金を払うことになります。
サービス業では「お客さまは、神様」という格言があります。
ときどき、この言葉を傘にして、偉そうにお金を払うお客さまがいて、残念に思います。
たしかにレストランにとって、お客さまは大切な存在です。
お客さまなしでは、経営も成り立ちません。
だからとはいえ、偉そうにお金を払うのは、かっこいいマナーとは言えません。
お金を払うときには「払ってやる」ではなく「払わせていただく」という気持ちを持つことが大切です。
お金は、感謝を伝える1つの手段にすぎません。
しかし、お金で感謝すべてを伝えることはできないのです。
お金を払うときには、気持ちのないお金に、気持ちを込めて払うと、かっこいい支払い方になります。
それが「お金を払わせていただく」という考え方です。
実際に、お客さまがお金を払わせていただくという気持ちは心の問題ですから、目には見えません。
しかし、です。
わかるのです。
「謙虚さ」に表れるからです。
お金を支払うときに両手で差し出すところ。
おつりを受け取るときにも両手を差し出すところ。
お金のやりとりのときに、笑顔もセットになっているところ。
こうした様子で、お客さまの態度を見れば、どういう気持ちでいるのかがわかるのです。
お金持ちが、かっこいい人というわけではありません。
お金に気持ちを込めて支払いができている人が、かっこいい人です。
お金を支払うときには「払わせていただく」という謙虚な気持ちでいることが大切なのです。
アメリカでは、店員にオーダーをするときに、店員の顔を見ながら、注文をします。
「このパスタをお願いします」と注文するときに、メニューを見ながら言うのではなく、店員の顔を見ながらオーダーするのです。
これは、かっこいいオーダーの仕方です。
日本人は恥ずかしがり屋が多いためか、店員の顔などをまったく見ずにメニューを指さしてオーダーする人がいます。
オーダーを頼むのは、店員です。
店員に頼まなければ、オーダーできません。
オーダーをお願いするときには、店員の顔を見て、お願いすることが大切です。
私はアメリカ人のかっこいいオーダーの仕方を見て、よく見習っていたものです。
正しいオーダーの仕方は、店員の顔を見て、お願いする仕方がかっこいいオーダーなのです。
友人と一緒に食べに行くときには、普通はそれぞれが自分の分をオーダーするというのが普通です。
自分の分を自分がオーダーするのは、当然のことですが、かっこいい人は違います。
かっこいい人は、友人の分も一緒にオーダーしてくれます。
オーダーするときには、少し面倒であったりします。
友人の分も一緒にオーダーしてあげるのです。
飲み会に慣れている人は、決まってオーダーするのが上手です。
どれとどれを、どのくらい頼むのかをしっかり頭に入れて、素早くオーダーしてくれます。
私もやったことがありますが、これがなかなか難しいのです。
1人や2人分のオーダーなら覚えられますが、5人くらいになってくると内容が覚えられなくなります。
しかし、できる人はできるのです。
友人の分もオーダーしてあげると、かっこよく目立ちます。
一緒に食事に行くときには、友人の分も一緒にオーダーして、かっこよく目立ってみましょう。
食べるときには、できるだけ残さないように食べることがマナーです。
せっかくの料理ですから、全部食べたいものです。
しかし、やはり量が多いときは、食べきれないときがあります。
量が多くて、食べきれないときには、無理をしてまで食べる必要はありません。
無理をして食べているところを見ても、痛々しいだけです。
苦しい表情は、見ているほうも苦しくなります。
私の家は、自給自足の家庭です。
自分の家で食べるお米を自分の田んぼで育てています。
幼いころから、お米ができる一部始終を知っているため、お米1粒の感謝を深く感じます。
お米をつくるのは、大変なことなのです。
自分の家でできたお米を、自分の家庭の食卓で食べることになります。
やはり自分の家で作ったお米は、情がありますからいちばんおいしく感じます。
だからとはいえ、差し出された食事を全部食べなければいけないのかというと、そうでもないのです。
私の母は、私にとって多い量だと気づくと「無理をしてまで食べなくてもいい」と言ってくれます。
私が苦しそうな顔をしてまで食べていると、食卓の雰囲気が悪くなるのです。
みんなで楽しく明るく食べる食卓でありたいものです。
食べきれなくて食事とにらめっこをしていても、みんなに迷惑になるだけです。
友人が、量が多くて食べきれなさそうなときには、こちらから進んで「無理して全部食べなくてもいいよ」と言ってあげましょう。
苦しい表情は、見ていてもつらいし、本人もおいしく味わうどころか、苦しいだけです。
日本人は、戦争の影響もあってか「もったいない精神」がいまだに根強くあります。
もったいない気持ちは、もたなければなりません。
しかし、その反面、無理をしない気持ちも持つ必要があります。
そのときそのときに応じて、臨機応変に対応することが大切です。
おいしい食事を、よりおいしくいただくためのスパイスがあります。
「明るい話」です。
会社で上司に褒められたこと、仕事に慣れてきたこと、今度コンサートに行くような明るい話は、食事のときには喜ばれる会話です。
明るい話は難しく考える必要はありません。
前向きな話なら、何でもOKです。
「今日は、いい天気だね」という会話でも、食事をよりおいしくいただけるスパイスになるのです。
学生時代の遠足のときには、お弁当がいつもよりおいしく感じられます。
なぜ遠足で食べるお弁当は、あれほどおいしいのでしょうか。
それは、楽しいからです。
遠足のうきうき気分や、友人とみんなで楽しく食事をすることで、ただの白米のご飯でも、おいしいご飯に変わるのです。
私たちは年を取るにつれて現実的な考え方になり、食事の最中の会話も、現実的な話になってしまいがちです。
昔は食事中にウルトラマンになる話をよくしていたのに、最近はストレスの話ばかりになっていたりします。
おいしく食事をするのは、子どものほうがよほど上手です。
明るい話をしながら食べるのは、子どもたちの得意分野なのです。
大人になっても子どもたちのように、食事中は明るい話をするように心がけましょう。
明るい話をするだけで、おいしく食事をけるのです。
国際的な料理をいただくときには、どう食べればいいのかわからないときがあります。
韓国料理、中国料理、インド料理など、それぞれの国料理には、それぞれの食べ方があります。
中には、どう食べればいいのかまったくわからない料理が出てくるときもあります。
韓国料理には「プルコギ」という肉料理があります。
プルコギには、決まって、大きなレタスも一緒に運ばれてきます。
最初私は、レタスはレタスのままで食べていました。
肉は肉だけで食べていました。
すると、一緒に食べていた韓国人の友人が「このレタスで肉を包んで食べるんだよ」と教えてくれました。
私は、食べ方がよくわからず、適当に食べていたことが恥ずかしくなってしまいました。
こんなことなら、出てきた時点で店員に食べ方を聞いておくべきだったなと後悔しました。
ワインをオーダーするときには、ソムリエが出てきます。
どんなにワインに知識があっても、ソムリエにはかないません。
ワインのオーダーで困ったときにも、ソムリエに聞けばいいのです。
恥ずかしがる必要はありません。
ソムリエはワインの専門家です。
「ワインについては、よくわからないのですが、飲みやすいものをお願いします」
「甘くて、おいしく飲めるワインをお願いします」
「この料理に合うワインをお願いします」
そう言うと、ソムリエは喜んで引き受けてくれるでしょう。
ソムリエにとって、ワインのことで頼られることは、やりがいを感じるのです。
わからないときには「わかりません。教えてください」といえる、勇気が必要です。
わからないのに、知ったかぶりをするのは、かっこいい食事マナーとは言えません。
かっこいい人は、見栄を張らず「教えてください」と言える、勇気を持った人なのです。
食事中に楽しい時間を過ごしていても、相手のある態度で一気に冷めてしまうときがあります。
時計を見る態度です。
食事中に、一瞬自分から視線が外れて、時計のほうへ視線を向けたことは、こちらとして自然とよくわかります。
時計を見るということは、今自分と一緒にいることに少々時間の焦りを感じているということです。
この後何か用事でもあるのかな、早く私から席を外したいと思っているのかなと感じてしまい、気になって仕方ありません。
食事中に時計を見られると、相手は何かの焦りを感じているということがわかるのです。
これは、一緒に食事をしていて、つらい。
以前、私も食事中にうっかり時計を見てしまい、相手を焦らせてしまった苦い経験があります。
異性と食事をするときには、特に気をつける必要があります。
楽しいひとときをゆったり過ごすためにも、食事中に時計を見るのはマナー違反です。
食事中にちらちら時計を見て「もう行かないといけない」と無言でアピールするのは、感じが悪いのです。
どうしても時間が気になるときは、相手にわからないように見ることが大切です。
トイレに立って、1人でこっそり時間を確認してもかまいません。
相手が、顔を横向けたときに、さっと見るのでもいいのです。
ただ、相手が気づかなければ不快感を与えることはないため、練習すれば、すぐできるようになります。
私は昔、食事中に肘をついて食べると、よく親から叱られていました。
「肘をつくのはみっともないから、やめなさい」
といった感じで、よく叱られたものです。
肘をつきながら食べていることは、自分ではなかなかわかりにくいことが多いです。
癖と同じだからです。
自分の癖は、案外、自分では気づいていないことが多いのです。
主観的なことは、なかなかわからないのです。
しかし、客観的になれば、すぐわかります。
私がほかの人と食事をしているときに、相手が肘をついて食べているのを見て、すぐわかりました。
みっともないのです。
なんだか落ち着かない態度なのです。
親が私に、しつこく言い聞かせた理由も、だんだんわかってきました。
では、肘をついて食べたいときは、どうすればいいのでしょうか。
肘をテーブルの上に乗せるのをやめて、手首を乗せて食べるとかっこいいのです。
ナイフとフォークを持って、肘をついて食べるのは、見ていて大変かっこ悪いです。
しかし、ナイフとフォークを持って、手首をテーブルに乗せているのは、紳士的でかっこよく見えます。
肘をつく代わりに、手首をついて食べればいいのです。
手首をテーブルに乗せて食べる人は、かっこいい人なのです。
最近になって新しくできたマナーがあります。
携帯電話のマナーです。
携帯電話は、比較的最近になり、突然市場に現れた電話です。
そのため、電話は電話でも、今は若者のほうが携帯電話に詳しい時代です。
携帯電話の出現によって、もちろんマナーも新しくできました。
ぜひ気をつけていただきたい、携帯電話のマナーがあります。
「食事中、携帯電話で話す」というマナー違反です。
食事中、携帯電話で話すのは、相手に失礼です。
以前、楽しく食事をしている最中に自分の携帯電話の着信音が鳴ってしまい、楽しい雰囲気を壊してしまったことがあります。
私は、恥ずかしかった。
携帯電話の着信音は、雰囲気を一気に壊してしまう不快な音です。
せっかくの良い雰囲気も、台無しです。
食事の際も、携帯電話の音には気をつける必要があります。
大切な人と食事をするときには「マナーモード」にしましょう。
少なくとも、相手の気分が悪くなるようなことだけは避けたいです。
携帯電話のようなデジタル機器の出現で、人との関係が薄くなりつつある時代です。
だからこそ、デジタル機器の使い方には、より気をつける必要があるのです。
出てきた料理は、すぐ食べ始めるのが、大切な食事のマナーです。
日本料理の代表の1つに、寿司があります。
寿司は高級であるほど、握るのが早いです。
鮮度を大切にしているからです。
寿司を食べに行ったら、職人さんの寿司を握る速さに注目してみましょう。
素早いです。
できるだけ、お客さまに新鮮な寿司を食べていただくために、1秒でも早く、握ってくれているのです。
これは、お客さまへの愛情です。
「早く食べてもらいたい。できるだけ新鮮な状態でいただいてほしい」という、料理人の愛情が込められています。
世の中には、その料理人の愛情に気づいていない人がいます。
食事が出てきても、話をだらだらするばかりです。
せっかく出てきた料理に、なかなか手をつけません。
少しでも新鮮なものを楽しんでもらうため、素早く作ったのに、なかなか手をつけないのは、料理人や店員に失礼です。
一度でも、誰かのために料理を作った経験のある人なら、わかる感覚のはずです。
作った料理を、出した瞬間にすぐ食べ始めてくれるのは、本当に嬉しいものなのです。
つくってくれた料理人や給仕の気持ちに応えるためにも、出てきた料理は、すぐ食べ始めるのがマナーです。
食事はみんなで食べると、よりおいしく感じます。
みんなで食事をするというのは「仲間意識」を強める効果があります。
人間関係を円滑にするために、みんなで食事をするのは、欠かせないことです。
会社で1人になって食事をするより、みんなで食事をするほうが仲良くなりやすいです。
みんなで食事をすることで、緊張がほぐれ、人間関係に良い影響を与えます。
忘年会では、たくさんのメンバーが集まります。
たった1人の忘年会なんて、聞いたことがありません。
1年の終わりに社員のみんなで忘年会を開くことで、仕事を頑張り続けてきた「仲間意識」をさらに高める効果があるのです。
上司は忘年会には、決まってしつこく誘います。
しつこく誘うのは、酒を飲ませようとするためではありません。
仲良くなりたいからです。
職場では、仕事をしなければなりませんから、羽目を外すことはできません。
部下たちとなかなか仲良くなるチャンスがないのです。
上司は、寂しがっています。
そこで、忘年会には喜んでやってくるのです。
みんなが1つの輪になり、食事をすると、仲間意識が強くなるのです。
今まで見ることのなかった上司のプライベートも、うかがうことができるかもしれません。
みんなで食べるというのは、そのくらい大切なことなのです。
今、家族全員がそろって食事をする家庭が少なくなってきています。
家族と一緒に食事をしないのが健康的でないのは、栄養面を心配しているからではありません。
家族との仲間意識が、弱くなってしまうからです。
家族の一員として、毎日みんなで食事をするというのは「家族の結束」を強くするために大切な習慣なのです。
私の場合、デートに誘うときは、いつも食事から誘います。
食事からがいちばん誘いやすいし、いちばん仲良くなりやすいのです。
おいしい食事を食べながらの会話は、自然と盛り上がります。
自然と仲良くなるのです。
大人になるためには、1人で食事ができるようになることが必須です。
1人で食事ができるようにならないと、1人では何も行動できない人になります。
先日、私はレストランで、たった1人で食事をしている女性を見かけました。
たった1人でいるからとはいえ、ぼうっとしているわけではありません。
黙々と本を読みながら、食事を楽しんでいました。
その姿がやけにかっこいいのです。
1人になり、食事や本を読んでいる姿は「自分時間」を大切にしている人です。
会社のしがらみや悩みを抱え、頭の中がめちゃくちゃになり整理がついていないところを、1人になることで整理します。
他人に流されず、自分を見つめて、自分の考えを出せます。
1人で行動できる人は、大人なのです。
大人になるために、まず1人で食事ができるようになりましょう。
料理を待っている間、視線のやりどころがないというなら、本を持っていけばいいのです。
本を読みながら、1人で黙々と行動できる人は、二ノ宮金次郎です。
学校には、よく二宮金次郎の像が置かれています。
金次郎は、黙々と1人で本を読みながら歩いています。
学校に建てられている、金次郎の像は、彼がまだ中学生くらいのときの姿です。
しかし、大人に見えます。
金次郎が1人で行動しているからです。
金次郎が1人になって本を読んでいる姿は、大人びて見えるのです。
金次郎は、1人になることで「自立心」を強めていきました。
1人になって行動するから「自立心」を強くさせることができたのです。
「自立」という漢字は「自分」で「立つ」と書きます。
自分の力で生きていけるようになることが、自立です。
そのためには、まず簡単なことからでかまいませんから、少しずつ1人になって行動する時間を持ちましょう。
1人で食事をするくらいから始めるのが、誰でもできる最初の1歩です。
食事をするときには、よく噛んで食べると、どんどん味わえます。
食事を味わって食べるには、難しく考える必要はありません。
よく噛んで食べるようにすればいいだけです。
よく噛まないと、味がわかりません。
ときどき、飲み込むようにして食べる人がいます。
食べるということは、おなかを膨らませることだと思っているのです。
仕事で時間がないときは、それでもいいです。
仕事では、味わうより時間が重要です。
しかし、少なくとも食事を楽しみたいときには、飲み込んだ食べ方をしてしまうと、味がわからなくなります。
噛んで食べるだけなら、小学生にでもできます。
おいしく食事をいただくためには、よく噛んで食べればいいだけです。
食事を楽しむための面白い裏技があります。
一品ではなく、いくつかの料理を同時に注文して、組み合わせを楽しむのです。
ときどき私は単品ではなく、いくつかの料理を頼むときがあります。
もちろん1人で食べきれる量の範囲です。
一つひとつが少ない量なのですが、組み合わせることで、お店にはない新しいメニューが出来上がります。
一品ずつですから、出てくるたびにどきどきします。
あなたも友人と一緒に食事したとき、自分がオーダーした料理だけを食べずに、友人の料理と交換して食べたことがあると思います。
単品だけでなく、組み合わせをしてみることで、食事を2倍にも3倍にも大きく膨らませて楽しむことができるのです。
小学校の給食は、良い勉強になります。
給食は、単なる食事の時間ではありません。
食事マナーを身につける時間です。
私が学生のころの給食では、それぞれグループになり、一緒に食べていました。
6人前後のメンバーで1つのグループになり、一緒に食事を楽しみます。
グループは近い席の人同士が固まらなければならないため、メンバーは固定されます。
席替えのたびにメンバーが替わり、新しいメンバーで新しい食事の雰囲気を楽しめます。
会話をしながら食事をする、適度な緊張感がありました。
学校の給食には「変わったイベント」もあります。
私は給食で嫌いな食べ物が出たときは、まずどうやって食べようか考えていました。
どうしても食べる方法が見つからないときは、次に、先生に残すための言い訳を考え始めます。
「どうしても食べられない」という芝居を演じ、先生からの同情を得ようとしていたものです。
給食の後には、昼休みの時間があります。
昼休みには、サッカーが早くしたい時期がありました。
このときは、いつも給食を早く食べていました。
運動場のサッカーゴールは、早い者勝ちなのです。
なんとかいちばんに取らなければと思い、給食を1分1秒でも早く食べる方法を考えていたものです。
あるとき、隣の女の子が食べられないで困っていることがありました。
そんなとき、助けてあげる口実で、横取りしていました。
給食の時間といえば、恒例の早食い競争があります。
早食い競争では、どうすれば早く食べられるかを学びます。
食べたふりをする芝居。
嫌いなものを食べる工夫。
嫌いないものを残す言い訳。
もっとおいしく食べられる工夫。
今思えば、学校の給食には、さまざまなイベントが盛り込まれています。
マナーが悪い点もありますが、後になれば、マナーの大切さを再認識する機会でもあります。
学校の給食も、勉強の時間です。
食事の原点が、学校の給食にあります。
大人になった今からでも、あのときの給食風景を思い出すと、良い勉強になるのです。