ペットの中でも、とりわけ犬は、人と最も相性が良いペットの1つといわれています。
人と犬とは、特に付き合いが長いからです。
歴史を振り返ってみましょう。
あなたは名前をつけるタイプですか。
大半の人が名前をつけますが、ごくまれにペットに名前をつけない人がいて驚きます。
ペットのことを「おい」と呼び捨てです。
私が生まれて初めて飼ったのは、幼稚園のころでした。
「クッピー」という雑種の犬のペットがいました。
名前も私が付けました。
クッピーから学んだことは、ほかにもたくさんあります。
毎日の散歩で足腰が強化されただけではありません。
犬は、人間と変わらぬほど喜怒哀楽が激しい生き物です。
「もし、犬が言葉を話せたら、どれだけ素晴らしいことだろうか」
ペットを飼った人なら、一度は考えることでしょう。
事実、地球上で人間以外に、言葉を話せる動物はいません。
あなたの周りにいる犬の飼い主を見てみましょう。
ペットではなく、ペットを飼っている人です。
ペットを飼っている人には、なぜか感情が豊かな人が多いと思いませんか。
私は、もし「ペットを飼うのは大変ですか」と聞かれれば「大変です」と答えます。
大げさに答えるつもりです。
「大変」では生ぬるく、うまく伝えられません。
犬は、1日でもじっとしていると、足腰が弱ります。
ほうっておくと、何もないのに、わんわんと吠えるようになります。
基本は、朝と夕方の散歩です。
「どうせ意味が理解できないのだから、言葉を語りかけても無駄だ」
以前私は、そう思っていた時期がありました。
言葉を理解できるはずがありませんから、言葉を語りかけても意味がないように思えます。
「ペットは飼い主に似る」
これは、本当の話です。
田舎にいるという環境を生かし、犬に限らず、さまざまなペットを飼ってきました。
人間の場合、言葉があるおかげで、感情をかなり具体的に表現できます。
「嬉しい」と言っても「度合い」があります。
少し嬉しいのか、普通に嬉しいのか、飛び上がるほど嬉しいのか。
ペットをどのくらい愛しているのかは、どのくらい金額をかけているのかでわかります。
ペットへの関心の強さや愛情の深さは、金額に比例します。
もちろん正比例と言うわけではありませんが、関連性があるのは確かです。
動物には信じられない能力があると言われます。
犬の突出した能力といえば、何でしょうか。
そうです「臭覚」です。
「ペットがなつかない。近づいても触れるどころか逃げてしまう。どうすればなついてもらえるのか」
野性的な動物なら、警戒心はあって当然です。
近づけば、逃げるのが当たり前。
ペットは人を癒やしてくれます。
かわいい表情や無邪気なしぐさで癒やされた方も多いことでしょう。
しかし、飼い主が癒やされるばかりではバランスが良くありません。
「うちで飼っている犬は、頭をなでられるのを嫌がる」
そんな人に、ぜひチェックしていただきたい点があります。
頭をなでられるのを嫌がる原因は、飼い主にあるのかもしれません。
犬を飼ったことがある人なら、誰でも一度は駆られる衝動があります。
「しっぽを触りたい」です。
犬が喜びを表現するとき、しっぽを素早く左右にぶんぶん振り回します。
へとへとに疲れて、家に帰ったときがありました。
プライベートなことですが、少し人間関係で疲れて、元気がない状態でした。
肉体的に疲れているというより、精神的に疲れ果てていました。
クッピーと触れ合っていると、ときどき無邪気さがうらやましくなります。
どんなに落ち込んでいても、クッピーとじゃれ合っていると、自然と元気が出てきます。
ペットは、人間とは違い深く思い悩むことはありません。
ペットを飼い始めると、独特の責任感が出てきます。
何か引き締まったようなプレッシャーを感じるようになるはずです。
ペットの命を背負っている感覚です。
犬を飼い始めると、自然とおしゃれに興味が出てきます。
ファッションに興味がない人も、犬を飼っていると、だんだんおしゃれに興味が出てきます。
特にそれが顕著になるのは、犬を飼っているときです。
私の愛媛の実家では、かなり過疎化が進んでいる地域です。
若い人よりご老人のほうが多い土地です。
70歳や80歳にもなるご老人が、ペットの犬と一緒に散歩をしている光景を頻繁に目にします。
「ピューピュー」
これはクッピーに昼食を与えるときの口笛の合図です。
これが面白いです。
犬は、人間よりはるかに虫歯になりにくいというのは有名な話です。
理由は、大量に分泌されるだ液のためです。
人間より何倍も多くだ液が分泌されるため、歯を溶かす酸を中和してくれます。
クッピーと一緒に散歩をしていると、面白い発見がたくさんあります。
その発見のほとんどは、私ではなく、クッピーが見つけてくれます。
普段歩き慣れている道ですから、私のほうが詳しい道のはず。
飼い主の中には「餌さえ与えていればいい」と思っている人がいます。
「動物は野生的に育てるのがいちばん。ほうっておけば自然に育つだろう」と軽く考えています。
これは良くありません。
つらいことがあったとき、飼っている犬に話しかけてみましょう。
人間を相手にしているかのように、話しかけるのがコツです。
私の場合も、人間関係や先行きの不安など、プライベートでつらいことがあったとき、クッピーに話しかけます。
人が人と一緒にいると、普通は言葉を交わして意思疎通をします。
言葉は人類史上、最大の発明だと言われます。
細かな感情表現も、言葉だけで伝えることができる。
田舎では、アスファルトで舗装されていない道が多いのが特徴です。
土がむき出しになった道もあれば、砂利道もあります。
おっと、そもそも「砂利道」というものを知らないかもしれませんね。
初代クッピーとの別れは、ある日、突然でした。
まったく予想もしない形でした。
何の前触れもなく、急に姿をくらましました。
ペットの中でも、とりわけ犬は、人と最も相性が良いペットの1つといわれています。
人と犬とは、特に付き合いが長いからです。
歴史を振り返ってみましょう。
人と犬との関係は、今からおよそ1万年以上も前にまでさかのぼります。
古代メソポタミアでは、出土された壺に犬が描かれているものが数多く存在しています。
古代エジプトでも「ヒエログリフ」という象形文字がありますね。
そのヒエログリフの1つに「犬」が登場していることからも、すでに当時から人々の生活に深く関わってきたことがうかがえます。
日本では、縄文時代より以前である旧石器時代とも言われます。
当時の犬は、まだ犬というより、オオカミやジャッカルに近い存在でした。
群れをなして行動し、群れることで獲物を捕獲していました。
そんなとき、人が現れます。
人は賢い知恵があり、鋭い道具などを使い、効率よく獲物を捕獲します。
犬は、そんな人の後についていきます。
人の後を追えば、食べ残しにありつけやすいためです。
その結果、人について回るようになりました。
人に対して有効な印象を受け始めます。
その一方で、犬には優れた能力があります。
大声で吠える強力な威嚇能力。
夜中でも敵の接近に気づきやすい鋭い聴覚。
敵の接近に気づきやすい警戒心。
有名な臭覚です。
臭覚は、人の100万倍ともいわれています。
腐って食べられるのかどうか。
犯人が残した遺留品のにおいから、犯人を捜す警察犬を、メディアで見たことがあるでしょう。
敵が近づけば、大声で吠える習性などがあります。
犬の聴覚によって誰か見知らぬ人が近づいていることを知ることができます。
人にとっても、犬と一緒にいると、敵の接近から危険を回避しやすい。
「人と一緒にいると、食料にありつけやすい」という犬。
「犬の鋭い能力を活用したい」という人。
犬は人の存在を求め、人も犬の存在を求める。
こうした理由から、次第に共存生活が始まったと言われます。
少しずつ始まった生活なので「いつから共同生活が始まった」というのは正確な定義は難しいところです。
たしかなことは「古い付き合いがある」ということです。
古くからの付き合いなので、犬には「人と共存せよ」というDNAが組み込まれているのでしょう。
また、人にとっても「犬とは共存しやすい」というDNAが組み込まれています。
そうした古くからの付き合いがあるので、DNAレベルから相性がいい。
辺りを見回しましょう。
犬は人の生活になくてはならない存在になっています。
目が見えない人にとって「盲導犬」。
寒い雪道を歩く「ソリ犬」。
犯人が残した遺留品から、犯人を探し当てる「警察犬」。
私たちの家庭でも「番犬」として活躍しています。
家族の一員である「ペット」としての存在です。
このように、生活の要所で登場するのは決まって犬です。
長い付き合いの中、犬は多種多様な種類へと変化を遂げていますが、いずれにせよ人にはなくてはならない存在になりました。
人が飼うペットには、何十・何百もの種類があります。
私もペットを飼ったことがありますが、いるといないとでは、人生に与えるインパクトは違います。
家族であり、生活に活気を与えてくれる存在です。
特にペットの種類にこだわりがなければ、ぜひとも犬をおすすめします。
人と犬との付き合いが長いがゆえに、人にふさわしい能力を身につけた犬が、あなたを明るい未来へと導いてくれることでしょう。
あなたは名前をつけるタイプですか。
大半の人が名前をつけますが、ごくまれにペットに名前をつけない人がいて驚きます。
ペットのことを「おい」と呼び捨てです。
「わんわん」や「ちび」というありふれた言い方もいいですが、できればもっと具体的な名前がいいでしょう。
名前をつけるのが当たり前だと思っているので、驚いた私はなぜ名前をつけないのかと尋ねました。
「まだそんなに愛着がないから」と言います。
もったいないなと思います。
愛着がつくから、名前をつけるのではありません。
名前をつけるから、愛着が湧きます。
名前をつけるというのは「個として認める」ということです。
その相手が人ではなく、動物でも同じです。
なぜか、単なる動物とは思えなくなるから不思議です。
名前をつけないと「動物と一緒に住んでいる」感覚が残りますが、名前をつけると「家族と一緒に住んでいる」感覚へと変わります。
きちんとした呼び名をつけることで「個」としての大きな存在感が出てきます。
名前をつけるのは、相手を尊重しているということです。
名前の由来は何でもかまいません。
犬を飼い始めれば、まず親しみのある名前をつけてあげましょう。
私のところで飼っている犬の名前は「クッピー」と言います。
お菓子のクッキーとそっくりの色をした毛並みで、クッキーをおいしそうに食べるので「クッピー」にしました。
もちろん人間と同じような名前でもOKです。
犬の特徴でもいいです。
雰囲気に由来してもOKです。
ペットとの生活の第一歩は、名前をつけることから始まるのです。
私が生まれて初めて飼ったのは、幼稚園のころでした。
「クッピー」という雑種の犬のペットがいました。
名前も私が付けました。
飼い始めた当初は、まだ子犬でした。
初めてのペット。
嬉しくて、その日から毎日散歩が日課になりました。
その散歩を通して、一緒に歩いたり走ったりする機会がたくさんできました。
家族と一緒に散歩をすれば、犬の散歩と同時に、家族とコミュニケーションの機会にもなっていました。
いつの間にか、親と子と結びつけてくれる役目を果たしていたと感じます。
毎日、犬と野原を駆け回り、かけっこをしていました。
相手は子犬ですから、当然私のほうが走る速さは上でした。
ところで、犬は人間のおよそ4倍の速さで成長するというのをご存じですか。
犬の大型犬と小型犬では寿命に違いがあり、正確にはもう少し定義が異なりますが、おおむね4倍と考えていいでしょう。
犬の1歳は人間の4歳。
犬の5歳は、人間でいう20歳と同じです。
この犬の成長の早さには、驚かされました。
ほんの短い時間に、みるみるうちに大きくてたくましい犬へと変わっていきました。
田舎ですから車の通りも少なく、畑はたくさんありました。
100メートル以上もの長い道が、家の周りにたくさんありました。
毎日、クッピーとかけっこ競争をしていました。
稲を刈り終えて空き地状態になった畑があるので、そこがクッピーとかけっこ競争の場になっていました。
初めは子犬でしたから、私のほうが走るのが速かった。
しかし、数年後、成長の早いクッピーは、私より速く走るようになりました。
さすが犬だけあり、全力で走ると、車のようなスピードになります。
これが子どもでも悔しいです。
初めは自分のほうが早かったのに、あとから抜かれるのはとても悔しい。
車のように速く走るクッピーをなんとか追い抜いてやろうと思い、競争相手はいつも犬のクッピーでした。
散歩の時間では、ライバルとして見ていました。
その結果、毎日クッピーと競争している影響で、私の足腰も強化されていきました。
日課であるクッピーとの散歩。
思いきり全速力で走る。
そんなクッピーのおかげでしょうか。
ついに、私は学校で走るのがいちばん速くなります。
おそらく先天的な運動神経も多少関係してはいたでしょうが、クッピーとのかけっこ競争によって鍛えられた面も大きいと感じます。
全校生徒400人程度の小さな小学校ではありましたが、校内でいちばん速く走れるのは快感でした。
しかし、です。
それでもクッピーだけにはかないません。
盛りの犬が本当に全速力で走ると、まさに車と変わらぬスピードです。
私のライバルはいつもクッピーだったのです。
クッピーから学んだことは、ほかにもたくさんあります。
毎日の散歩で足腰が強化されただけではありません。
犬は、人間と変わらぬほど喜怒哀楽が激しい生き物です。
嬉しさや楽しさを表現するときには、しっぽをむちのようにぶんぶん振ります。
悲しいときには、鳴きます。
怒るときには、大声で吠えます。
包み隠さず、ストレートに表現するところがペットのいいところです。
もしかしたら、人間以上に喜怒哀楽が激しい生き物かもしれませんね。
クッピーと接していると、不思議な気持ちになれます。
本来、犬は言葉が話せないので、人間とはコミュニケーションが取れないはずです。
しかし、です。
人間と同じくらい、はっきり表現する喜怒哀楽を通して、きちんとコミュニケーションが取れます。
人間同士と接しているのと変わらないほど、きちんと意思疎通ができます。
クンクンと泣いているときには「悲しいのだな。かまってほしいのだな」とわかります。
大声で吠えているときには「警戒心を抱いているのだな」とわかります。
嬉しいときは舌を出して、しっぽを左右に大きく振ります。
いつもとは違う様子だと「体調が悪いのかな」と心配になります。
そういう経験はありませんか。
もちろん犬ですから喜怒哀楽の表現方法は、人間とは若干異なります。
しかし、わかります。
今、喜んでいるのか、怒っているのか、悲しいのか、楽しんでいるのか。
言葉を交わしているようです。
言葉がなくても心配は不要です。
コミュニケーションはきちんとできるのです。
「もし、犬が言葉を話せたら、どれだけ素晴らしいことだろうか」
ペットを飼った人なら、一度は考えることでしょう。
事実、地球上で人間以外に、言葉を話せる動物はいません。
もちろん犬は、言語能力がありません。
大丈夫です。
言葉を話すことができなくても、実はコミュニケーションが取れます。
言葉を話せない動物たちは、喜怒哀楽を表現することで、相手に言いたいことを伝えようとするからです。
しっぽを振ったり、クンクンと鳴いたり、大声で吠えたりです。
犬は言葉が話せない代わりに、喜怒哀楽を通して、あなたに語りかけてきます。
犬と人とをつなぐコミュニケーションは、喜怒哀楽です。
大切なことはここからです。
犬が喜怒哀楽を通してコミュニケーションを取るなら、あなたも喜怒哀楽を通してコミュニケーションを取ってください。
犬は、人の言葉はきちんと理解していなくても、喜怒哀楽や態度などによって、何を言わんとしているのか理解します。
言葉を語りかけながら世話をするのもいいですが、感情を込めて接するほうが、犬にははるかに理解しやすいことでしょう。
あなたが表現する喜怒哀楽を感じて、人間と接しているのと変わらないくらい正確に、犬とコミュニケーションが取れます。
怒っているときには、怒った表情をきちんと犬に見せます。
泣いているときには、涙をきちんと犬に見せます。
少し大げさなくらいがちょうどいい。
恥ずかしがる必要はありません。
はっきり表現すればするほど、ペットにもきちんと伝わります。
言葉がきちんと通じない分、喜怒哀楽が「かすがい」の役目を果たすのです。
あなたの周りにいる犬の飼い主を見てみましょう。
ペットではなく、ペットを飼っている人です。
ペットを飼っている人には、なぜか感情が豊かな人が多いと思いませんか。
優しくておおらかで、感情の表現が豊かです。
感情を表現するのが上手で、人間味にあふれる人が多い気がします。
ペットを飼っていると、ときどきほかの飼い主さんと出会ったり話したりしますが、皆さん、いい人です。
優しくて暖かみがあり、ほがらかな雰囲気が漂っています。
もちろんすべての人がそうだとは限りませんが、そうした傾向は顕著だと感じます。
顕著なので、ある日「なぜだろうか」と考えたことがあり、思い当たるふしを見つけました。
犬とのコミュニケーションが影響しています。
犬は言葉が話せない代わりに、喜怒哀楽を通して、人間に訴えてきます。
しっぽを振って嬉しさや楽しさを表現します。
大声で吠えて不安、恐怖、警戒心を表現します。
クンクンと泣いて、悲しみを表現します。
それも、人間よりストレートに感情を表現します。
そんなストレートに感情表現で訴えてくる犬を見ているうちに、つい飼い主もつられて感情的に返事をしようとします。
優しいときもあれば、怒りを表現したり、悲しさを表現したりします。
しつけによって厳しさを表現することもあるでしょう。
感情を込めて犬と接しているうちに、感情表現がうまくなります。
犬を手本にすると、人も豊かな感情表現を学べるようになります。
犬は、言葉は理解できませんが、表現する感情なら理解できます。
感情が豊かになった結果、人間関係でも上手に気持ちを伝えられるようになります。
犬と接しているうちに、自然と感情表現がうまくなります。
そうした理由があり、ペットを飼っている人は、感情豊かな人が多いです。
飼っている犬の好影響を、知らず知らずのうちに受けています。
ペットを飼っている人で冷たい人はいないのです。
私は、もし「ペットを飼うのは大変ですか」と聞かれれば「大変です」と答えます。
大げさに答えるつもりです。
「大変」では生ぬるく、うまく伝えられません。
自分がペットを飼った経験があるのでわかりますが、大変です。
ペットといえば、新聞や雑誌で「かわいい」「癒やされる」という言葉で宣伝され、プラスのイメージが先行しがちです。
もちろんかわいくて癒やされるし、生活が華やかになる面も数多くあります。
しかし、実際に飼い始めてみるとわかりますが、大変です。
飼い始めた当日から、餌を散らかし始め、糞をそこら中に撒き散らし、吠えたり泣いたりして、世話が大変です。
たまには犬も体を洗ってあげる必要があります。
お座りやお手も、なかなか覚えない。
散歩をすれば、犬のする糞の後始末も必要です。
テレビで見たイメージと全然違うではないかと思うでしょう。
そうした「大変さ」を受け入れられる人でないと続けられません。
「一生付き合えるかどうか」です。
飼い始めればわかりますが、どんなにかわいい顔をしていても、手間暇がかかります。
時間もお金もかかります。
そのくらいの覚悟がある人だけ、動物を飼ってほしい。
覚悟がなければ、ペットはほうっておかれ、ついには捨てられるかもしれません。
中途半端な気持ちで飼うと、挫折します。
単にかわいいという理由で飼い始めたなら、手間がかかるとわかれば「いらない」と思い、捨ててしまうことになるでしょう。
それはかわいそうです。
捨てられたペットはどうなるか、ご存じでしょうか。
ここでは書けないような悲惨な結末が待っています。
家族が1人増え、育てていく人だけが飼うほうがいい。
ペットにとっても、真剣に育ててくれる飼い主のところがいいはずです。
「この子のためなら何でもできる」という愛情のある人だけが飼い続けることができます。
完全に家族が1人増えると思ったほうがいい。
そのうえで、かわいらしさや癒やしがあるのです。
犬は、1日でもじっとしていると、足腰が弱ります。
ほうっておくと、何もないのに、わんわんと吠えるようになります。
基本は、朝と夕方の散歩です。
さらに余裕があれば、昼間にも散歩に出かけます。
どんなに面倒だと思っても、最低1日1回の散歩は必要です。
もし散歩もせずに、丸1日、鎖につなぎっぱなしにしていると大変です。
クッピーは近所迷惑になるほど、わんわんと吠え始めます。
それは「散歩に行かせてくれ!」という合図です。
「わんわん」と吠える声が「散歩に連れて行ってくれ! ストレスがたまるではないか!」というお説教に聞こえてなりません。
クッピーの我慢の限界に近づくにつれて、吠える声も大きくなります。
どんなに疲れていても、クッピーとの散歩は日課です。
散歩は、晴れや曇りの日ならいいですが、そんな天気ばかりとは限りません。
問題は、雨の日や寒い冬の日です。
雨の日や寒い冬の日は、外出がおっくうになります。
それでもクッピーには関係ありません。
雨の日でも寒い日でも、散歩に行こうと吠えてきます。
雨の日は傘を差し、寒い冬場は厚着をして、コートをまとって出かけます。
しかし、そうして飼い主とペットが生活を共にしていると、ふと気づいたことがあります。
飼い主の体調が、断然よくなります。
毎日クッピーとの散歩が日課になるということは、飼い主にとっても、早寝早起きが当たり前になります。
朝はだらだらできず、夜も散歩のために早く帰宅しなければならない。
こうして散歩をしなければいけないので、毎日体を動かす習慣がつきます。
その結果、生活リズムが整います。
人間も動物です。
しかし、いろいろな誘惑があるせいで、動物らしい本来の生活リズムを崩してしまいがちです。
犬は、太陽が昇り、夕方には下がるリズムに対して、ありのまま正直です。
だからこそ、一緒に生活していると、人間であるこちらまで生活のリズムが整ってきます。
動物たちは不規則な生活をしないので、むしろ人間のほうこそ見習わないといけません。
自分がリズムを整えているというより、クッピーにリズムを整えてもらっている感じです。
「お世話をしています」より「お世話になっています」と犬に頭が上がらないのです。
「どうせ意味が理解できないのだから、言葉を語りかけても無駄だ」
以前私は、そう思っていた時期がありました。
言葉を理解できるはずがありませんから、言葉を語りかけても意味がないように思えます。
しかし、実際はどうでしょうか。
クッピーに「かわいいね」「いい子だね」「すごいね」と言葉を語りかけると、意味を理解したような表情や態度を返してきます。
意味を理解しているようです。
これはどういうことでしょうか。
実は、犬はきちんと人の言葉の印象を受け止めています。
言葉の「意味」ではなく「印象」です。
犬は、言葉は理解できません。
文字を書いたり、読んだりなど、言語としての能力はありません。
しかし、言葉の印象なら理解できます。
いきなり矛盾をしていることですみません。
犬は言葉を理解できないが、言葉の印象なら捉えることができます。
どういうことかご説明しましょう。
人が言葉を話すとき、言葉に自然と「感情」がこもります。
言葉は、意味ではなく「音」です。
たとえば、心から愛している大好きなペットに感情を込めて「かわいいね」と言ってみましょう。
そのときの音を聞いてください。
言語としての「言葉」ではなく「音」です。
感情がこもった「かわいいね」という言葉は、柔らかくて気持ちのいい音として聞こえますね。
心地よい春の中、花が咲く野原に暖かい風が吹いているような音に聞こえます。
犬は、その「音」で判断できます。
言葉の意味は理解できなくても、飼い主が優しい表情で、柔らかい音を口にしているところを見ています。
犬は「おや。なにやら嬉しいと言っているのだな」と理解します。
言葉は理解できませんが、飼い主の表情や発する音によって、プラスの印象が十分に伝わっています。
逆も同じです。
「こら!」「ばか」「ダメ」という言葉を、感情を込めて言ってみましょう。
こうしたマイナスの言葉を「言語」としてではなく「音」として聞いてみましょう。
台風がやってきて、風が強く吹いているような、慌ただしい音に似ています。
落ち着かなくて、そわそわします。
言葉の意味は理解できなくても、飼い主が険しい表情で、激しい音を口にしているところを見ています。
犬は「おや。なにやら気分を害しているようだ。悪いことを言っているのだな」と理解します。
言葉は理解できませんが、飼い主の表情や発する音によって、マイナスの印象が十分に伝わっています。
犬は「言葉」がわかりません。
しかし「音」ならわかります。
聴覚は、圧倒しています。
人が犬に優しい言葉を語りかけるのは決して無駄ではありません。
犬に向かって「かわいいね」「いい子だね」「すごいね」という言葉をかけてあげると、犬は優しい気持ちになれます。
こうしたことから、言葉は理解できなくても、その印象はきちんと伝わります。
ペットにはどんどん語りかけてください。
まったく無駄ではなく、きちんと伝わります。
「ペットは飼い主に似る」
これは、本当の話です。
田舎にいるという環境を生かし、犬に限らず、さまざまなペットを飼ってきました。
ペットは飼い主に似るというのは、強く実感します。
そういう現場を数多く目にしてきましたし、理論的にも説明がつきます。
では、あらためて似る原因はどこにあるのかと考えたとき、飼い主にあります。
まず大前提となるのは「ペットは自分の運命を決められない」という制限です。
人の場合は、自分で食べるものや住む場所など、生き方を自由に決められます。
自分の意思で判断し、人生を左右できます。
しかしペットの場合、そうはいきません。
ペットは食べるものの種類や量から始まり、住む環境も、散歩など、飼い主の動向しだいです。
生活の大半が、飼い主に依存しています。
もし、だらしない飼い主に飼われると、ペットもだらしなくなります。
太っている人に飼われた犬は、太りやすくなります。
ペットは散歩の回数も距離も、飼い主に合わせることになりますね。
歩く習慣が少ない飼い主だから、太ってしまう。
そんな飼い主に育てられるから、犬も散歩の回数も距離も短くなり、太ってしまいます。
「では、放し飼いにすればいいのではないか」
おっと、そこもポイントです。
田舎なら放し飼いもありですが、普通、犬を放し飼いというのは考えられません。
そこら中におしっこや糞を撒き散らすのは言うまでもありません。
通りを歩いている人に噛みついたり、他人の庭に勝手に入って荒らしてしまったりすることでしょう。
そういう無責任な飼い主に飼われているペットですから、ペットは好きなところでいたずらをし放題になる。
ペットが無責任なのではありません。
放し飼いをするような無責任な飼い主だから、ペットも無責任になります。
こうした連鎖によって、犬は飼い主に似てしまいます。
もちろん逆のパターンもあります。
次は良いケースです。
飼い主がしっかりしていると、犬の成長もしっかりします。
毎日決まった時間に散歩をする習慣を持つ飼い主なら、犬も定期的にストレスを発散できます。
運動が大好きな人なら、散歩のペースも早くなり、距離も長くなるでしょう。
飼い主が運動好きなら、ペットも運動する機会が増え、たくましくなります。
健康を意識する飼い主なら、自分の健康管理を意識するくらいですから、ペットに与える餌にも気を配ることでしょう。
明るい飼い主の場合、笑顔でペットと接することも多くなり、ペットも明るくなります。
体つきも飼い主に似る。
性格も飼い主に似る。
犬は飼い主に似ます。
ペットは、自分で運命を決められない環境にいるため、飼い主に合わせるしかない。
似ざるを得ません。
あなたのペットはどういう性格ですか。
それはもしや、客観的に見たあなたなのかもしれません。
人間の場合、言葉があるおかげで、感情をかなり具体的に表現できます。
「嬉しい」と言っても「度合い」があります。
少し嬉しいのか、普通に嬉しいのか、飛び上がるほど嬉しいのか。
強弱の程度があります。
強弱は、言葉によって表現できます。
では、犬の場合は同じでしょうか。
言葉がないから、具体的には表現ができないと思われがちですが、そうではありません。
犬も、喜びの強弱を表現できます。
しっぽをよく見てみましょう。
犬は体のどこで喜びを表現するかというと、しっぽです。
犬は喜ぶとき、しっぽを左右に大きく振り回します。
ただ面白いのは、しっぽの振り方です。
しっぽの振り方とはいえ、種類が多いです。
しっぽをゆっくり振っているときは、普通に嬉しいと感じています。
しっぽの動きが止まっているときは「なんだろう」と注意深くなっている意味です。
むちのように、素早く左右にぶんぶん振っているときは、嬉しくてたまらない証拠です。
「犬の表情はしっぽにある」とわかります。
ペットをどのくらい愛しているのかは、どのくらい金額をかけているのかでわかります。
ペットへの関心の強さや愛情の深さは、金額に比例します。
もちろん正比例と言うわけではありませんが、関連性があるのは確かです。
たとえば、コンピューターに興味を持っている人は、コンピューター関連にお金をかけます。
毎月、コンピューター関連の雑誌を読んで情報を収集したり、最新の機種があれば、飛びつくように購入したりします。
そこでお金がかかっていても「もったいない」と思いません。
もったいないという気持ちが全然ない時点で、本気の気持ちだという証拠です。
それだけ関心が強く、愛情があります。
ゲームが好きな人は、ゲームにお金をかけます。
ファッションに興味がある人は、ファッションにお金をかけます。
すべて同じです。
意識や関心が向いていることに対して、お金をかけます。
「自分はペットを大事にしている」
もし、自分がどのくらいペットを愛しているのか愛情量を確かめたければ、金額です。
どれだけお金を投資しているかです。
1つの目安になります。
本当にペットのことが好きなら、動物に関する専門誌にもお金をかけることでしょう。
病院の治療代も高いとは思わないはずです。
毎月かかるペットの餌代も、かなりの出費になるはず。
そこにいくらお金をかけられているか。
そこにどれだけ人生を投下できているかです。
あなたはどのくらいペットにお金をかけていますか。
すべてを正確に計ることはできませんが、ある程度、客観的に判断できる基準の1つです。
動物には信じられない能力があると言われます。
犬の突出した能力といえば、何でしょうか。
そうです「臭覚」です。
犬には、人とは比較にならないほど、驚異的な臭覚があるといわれています。
一説によると、犬の臭覚はなんと人間の100万倍もあると言われます。
100倍ではありません。
100万倍です。
「1000000」と0が6つも並びます。
けたが違いすぎます。
私もテレビや雑誌で見たり聞いたりしたことはありましたが、なかば半信半疑でした。
「少し大げさに言っているだけだろう」
しかし、です。
その驚異的な臭覚を信じざるを得ない体験をしたことがあります。
それはクッピーを飼い始めて、数カ月後のことでした。
クッピーと一緒に祖父の車に乗って、海に出かけたことがあります。
私の実家は兼業農家なので、荷物を載せられる軽四トラックがあります。
そこにクッピーを乗せて、15キロほど離れた場所へ出かけました。
当然ですが、クッピーは完全に初めて行く場所です。
海でクッピーと遊んでいて、しばらく経ったときです。
少し目を離した隙に、クッピーが行方不明になりました。
目を離した私たちもいけませんでしたが、必死になって探し回りました。
しかし、やはりどこを探してもいません。
「クッピー! クッピー!」と叫んでも、見当たりません。
いつもクッピーを呼ぶときには口笛を吹くのが決まりになっています。
ピューピューと口笛をすれば、聞きつけたクッピーが大急ぎでやってくるはずですが、まったく反応がありません。
2時間くらい探し回りましたが、いくら探しても見つからない。
仕方ないので、車に乗って家に戻ると、なんとすでにクッピーが先に戻っています。
もう一度言いますが、クッピーがいなくなったのは、完全に初めて行った15キロも離れた場所です。
家族に話すと、全員がまさかと言って驚きました。
祖父も私も見ていたので、間違いではありません。
「もしや……いや、まさか……」
1つだけ心当たりがありました。
においです。
軽四トラックの荷台に乗っていたので、移動している最中、自分のにおいが道に残り、宙に舞っていたことは考えられます。
しかし、においと言っても微弱すぎます。
考えられるとしたら、それしか思い浮かびません。
クッピーは15キロの間、残っていた自分のにおいを嗅ぎ分けて、自宅まで戻った。
そうとしか考えられません。
もちろんどうやって家に戻ったのかは、いまだに不明です。
クッピーのみぞ知ること。
犬の驚異的な臭覚を信じざるを得ない一件でした。
「ペットがなつかない。近づいても触れるどころか逃げてしまう。どうすればなついてもらえるのか」
野性的な動物なら、警戒心はあって当然です。
近づけば、逃げるのが当たり前。
手ぶらで近づけば、普通は逃げます。
人間でも、知らない人がいきなり近づくと、恐怖を感じて後ずさりするのと同じ感覚です。
妙に怖いです。
何度も顔を合わせて、ゆっくり時間をかけて慣れていき、少しずつ近づいて頭をさするのもいいでしょう。
しかし、そんな時間をかけずとも、単純で簡単になつかせる方法があります。
餌を持って近づくことです。
なつかないペットを、どうすればなつかせるかといえば、餌がキーポイントです。
「動物は餌が欲しい」という食欲があります。
あなたが餌を持って近づくと、動物はあなたへの警戒心を緩めます。
「おや。この人は食べるものをくれる人だ。いい人だ。自分の味方なのだな」
もちろん餌を持っているからとはいえ、まったく警戒しないわけではありませんが、警戒が緩和されることはたしかです。
餌を求めて、あなたのほうにやってきます。
野性的なハトは、普通に手ぶらで近づくと、飛んで逃げていきます。
しかし、餌を差し出しながら「餌だよ。おいでおいで」と言うと、ハトから少しずつ近づいてきます。
これは、猫もインコも、モルモットも動物なら何でも同じです。
なつくチャンスが生まれます。
餌は、動物と人とを結びつける仲介になるのです。
ペットは人を癒やしてくれます。
かわいい表情や無邪気なしぐさで癒やされた方も多いことでしょう。
しかし、飼い主が癒やされるばかりではバランスが良くありません。
いつも癒やしてくれてもらっていますから、飼い主もペットを癒やしてあげることが必要です。
犬だって甘えたいし、かわいがられたいと思います。
お互いに癒やし合ってあげるのが理想的な関係です。
では、問題は「なで方」です。
犬をなでてあげようとするとき、どこをさすってあげようとしますか。
犬がなでられて喜ぶポイントは、主に3つあります。
まず普通は、頭をなでようとします。
いちばん手が届きやすい場所ですね。
また背中も喜びます。
大きな背中なので、なでてあげやすいことでしょう。
もちろん頭や背中をなでてあげるのもいいですが、実はもっとリラックスできる場所があります。
「顎の下」です。
もう少し具体的に言えば、顎から首にかけてのラインです。
実は、顎の下にはツボがあります。
緊張を和らげるツボがあり、手でさすってあげると気持ちよくなります。
なでるときの指は、爪を立てないように気をつけましょう。
指の平らになっている柔らかい部分を使って、ゆっくりゆっくりなでてあげるのがポイントです。
クッピーも、顎の下をさすると、いい表情をします。
きっと驚くはずです。
犬なのに、こんなにいい表情をするのかと。
「気持ちいいよ。癒やされる」という顔をします。
人間がリラックスしているのと変わらない顔をします。
そんな顔を見て、私もまた癒やされるのです。
「うちで飼っている犬は、頭をなでられるのを嫌がる」
そんな人に、ぜひチェックしていただきたい点があります。
頭をなでられるのを嫌がる原因は、飼い主にあるのかもしれません。
もしかして、頭をなでると同時に、耳も触れてしまっていませんか。
頭と耳は、距離が近いので、つい同時に触れてしまいがちです。
実は、犬は頭をなでられるのを好む一方で、耳を触られるのは嫌がります。
どんな気持ちになるのかは、自分で確かめられます。
自分で自分の頭をなでながら、耳も触ってみましょう。
なんだか、こそばゆいようなかゆいような、妙に変な気持ちになりませんか。
少なくともリラックスはできません。
なでられる頭より、耳のほうが気になって落ち着きません。
犬も同じ気持ちになっています。
かわいさ余って、頭を大げさになでてしまった結果、耳に触れてしまいます。
気持ちのいいところと悪いところを同時になでていることが多いのです。
犬を飼ったことがある人なら、誰でも一度は駆られる衝動があります。
「しっぽを触りたい」です。
犬が喜びを表現するとき、しっぽを素早く左右にぶんぶん振り回します。
そんなぶんぶん左右に振る犬のしっぽを見ていると、気になり、つい触りたくなります。
かわいいし、気になるし、気持ちよさそうなしっぽ。
特に小さな子どもは、面白がって真っ先に触ろうとします。
知られていませんが、実は犬がいちばん触られて嫌がるのは、しっぽです。
しっぽを触ると、リラックスしていた犬の表情が急に真顔になり、警戒し始めます。
しっぽを触られると、どんな気持ちになるのか。
こればかりは犬に聞いてみないとわかりません。
しっぽのない人間には理解できない感覚なのでしょう。
犬に限らず、あらゆる動物において、しっぽは触ってはいけない場所であることを覚えておいてください。
いつも気安くしっぽを触っていると、飼い主との不和の原因になります。
いくら慣れている飼い主とはいえ、触ってしまわないように気をつけましょう。
なでてあげようと思い、しっぽを触ると、逆に嫌われかねない。
うっかりしっぽを踏んでしまおうものなら大変です。
「キャン」と大声で鳴いて、痛がります。
急にペットと飼い主との関係が悪くなってしまいます。
もしうっかり踏んでしまったときには、犬にきちんと謝ってあげましょう。
触るなら、体を洗ってあげるときくらいなのです。
へとへとに疲れて、家に帰ったときがありました。
プライベートなことですが、少し人間関係で疲れて、元気がない状態でした。
肉体的に疲れているというより、精神的に疲れ果てていました。
家に入ろうと、玄関のドアを開けたとき、玄関近くにいるクッピーと目が合いました。
目が合うやいなや、クッピーはいいリアクションをします。
しっぽを左右に大きく振って近寄ってきます。
「おかえり! 早く相手してよ!」
そういう雰囲気が出ています。
嬉しそうにこちらに寄ってくるものですから、何気なく近くにあるテニスボールを使ってじゃれていました。
するとです。
あれほど疲れていた精神的な疲れが、だんだん取れていきます。
抱えている問題が根本的に解決したわけではありませんが「まあ、いいか」という気持ちになれます。
そういう前向きな気持ちにさえしてくれるのがペットの素晴らしい力です。
神様が力を与えてくれているようです。
いえ、本当は犬の姿をした神様なのかもしれません。
疲れているときこそ、ペットとじゃれ合ってみましょう。
目的はつくらず、ただ単に、じゃれます。
たとえば、テニスボールを転がして遊んでみるだけでもかまいません。
なぜだか、体中が軽くなる気になるでしょう。
犬の無邪気さに癒やされます。
ペットには不思議な力が宿っています。
触れていると「精神的な部分」を癒やしてくれる効果があります。
ペットは、無邪気です。
「無邪気」というのは「邪気」が「無い」と書きます。
疲れたときにペットに触れていると、邪気がどんどんなくなっていき、心も体も軽くなります。
疲れているときには、あなたの周りに邪気が漂っていますが、ペットが一掃してくれます。
クッピーと触れ合っていると、ときどき無邪気さがうらやましくなります。
どんなに落ち込んでいても、クッピーとじゃれ合っていると、自然と元気が出てきます。
ペットは、人間とは違い深く思い悩むことはありません。
いつも明るい。
いつも元気。
いつも無邪気です。
「ご飯の時間だよ」と言ってご飯を差し出すと、舌とよだれをたらしながら、嬉しそうな顔をして飛びついてきます。
単純。
そういう単純なところが、また癒やされます。
けがや病気をしている特別な場合を除いて、いつも元気いっぱいです。
「いつも元気でいいなあ。なぜこんなに元気なのだろう」
そう思ったとき、ふと気づきました。
ペットは今だけに集中しているから、いつも元気です。
どういうことかというと「過去も未来も考えない」ということです。
たった今この瞬間だけに集中している。
過去や未来を考えられるだけの発達した脳を持ち合わせていないというのがいちばんの理由です。
今に集中するだけでこれほど元気になれます。
過去を振り返ってため息をついたり、将来の不安でため息が出たりすることもありません。
そもそも考えなければ、ないも同然。
落ち込むことがありません。
この点を私たちは見習う必要があります。
無邪気なペットに触れて、無邪気さを思い出します。
今だけに、生きる。
過去も未来も、考えすぎない。
きっとあなたもペットのようにいつも元気でいられるはずです。
過去を振り返りすぎたり、未来の不安を考えすぎたりしていないでしょうか。
もちろん気になる気持ちはわかりますが、気にしすぎていても仕方ありません。
過去はすでに終わったことですから、今さらどうしようもありません。
一方、未来はまだやってきていませんから、心配しても仕方ありません。
過去を振り払い、本当に素晴らしい未来を迎えたければ、ペットのように「今この瞬間」を精いっぱい生きることです。
今を精いっぱい生きた結果、明るい未来も自然とやってくるのです。
ペットを飼い始めると、独特の責任感が出てきます。
何か引き締まったようなプレッシャーを感じるようになるはずです。
ペットの命を背負っている感覚です。
例えて言うなら、初めて子どもを持ち始めた気持ちに似ています。
自分がだらしなくなってほうっておけば、確実に死ぬ存在ができるということです。
ほうっておけば死んでしまうので、しっかり世話をしたりする気持ちが出てきます。
これは、人の子だけでなく、犬も猫も同じです。
籠で飼っているインコも水槽で飼っている魚もそうです。
ペットにご飯もやらずにほうっておくと、確実に死んでしまう。
「ペットの一生を背負っている」という重い責任です。
飼い主は人であり、ペットは動物で種は異なりますが、関係なくなります。
生物的な違いはありますが、種の壁を越えた親子関係が出来上がります。
飼い主とペットは、もはや親子関係です。
もし、子どものうちからペットの飼い主を経験しているなら、早い時期から子どもの教育を学んでいるのと同じです。
育てる義務があり、しつける義務も出てきます。
手がかかりますが、学校ではできない勉強ができます。
小さいころからペットを飼っている子どもが大人になって親になったとき、きっといい親になるに違いありません。
「親としての責任感」を実感できる、いい機会になるのです。
犬を飼い始めると、自然とおしゃれに興味が出てきます。
ファッションに興味がない人も、犬を飼っていると、だんだんおしゃれに興味が出てきます。
特にそれが顕著になるのは、犬を飼っているときです。
犬とおしゃれ。
とりわけ関係がないように思えますが、実は関係しています。
犬を飼い始めると、どうなりますか。
散歩をしなければいけないため、外出することが多くなります。
散歩で、室内を歩き回るわけにはいかない。
やはりよく走り回る犬には、家の外に出て散歩をします。
状況にもよりますが、おそらく朝と夕方の2回は外出することになるでしょう。
「雨の日も風の日も関係なく、確実に外出する機会ができる」
これは生活において、かなり大きな変化です。
外出するとなると、当然、人と会うことが多くなります。
それは、あなたの姿をたくさんの人に見られる機会も増えるということです。
中には、あなたが連れているペットに関心を持って話しかけてくる人も多くなるでしょう。
犬を連れて歩いてみましょう。
私もそうですが、なぜかいろいろな人に話しかけられるようになります。
「あら、かわいい」
「名前は何ていうの」
今まではすれ違っていただけの人が、急に話しかけてきます。
ペットと一緒にいるだけで知り合いが増え、人間関係の輪が広がります。
たくさんの人に見られたり話しかけられたりするので、自然とおしゃれにも気を使うようになります。
「そんなまさか」
実際、散歩をしている人たちを見てみましょう。
それなりにいい格好をしているのではないでしょうか。
犬を飼うことで、自然と美への意識が高まっているのです。
私の愛媛の実家では、かなり過疎化が進んでいる地域です。
若い人よりご老人のほうが多い土地です。
70歳や80歳にもなるご老人が、ペットの犬と一緒に散歩をしている光景を頻繁に目にします。
70や80といえば、かなり足腰も弱ってきている年齢です。
年齢も年齢ですから、もちろん歩くスピードはゆっくりですが、足取りはしっかりしています。
実際、つえをつきながら歩いている人はいません。
これはすごいことです。
元気だから犬と散歩をするのではなく、犬と散歩をしているから元気になります。
犬を飼っているのは、子どもの面倒を見ているのと同じです。
食事を与えなければいけない。
しかし、犬がたくさん食べているところを見て、自分も食べることに欲が出てきます。
犬を飼っていると、散歩をしなければならない。
しかし、散歩をするから足腰がしっかりしてきます。
犬を飼っていると、しつけをしなければなりません。
誰かを世話しようとすることで、自分がしっかりできます。
育てるのは大変ですが、その適度なストレスは、老化を防ぐ役割を果たしています。
ペットにも喜怒哀楽があります。
嬉しいときにはしっぽを左右に大きく振ったり、悲しいときにはクンクンと泣いたりします。
情にあふれる毎日になるでしょう。
犬を飼っていることで、考えたり気をつけたり感じたりすることが多くなり、脳が活性化されます。
ペットを飼っているとぼけにくくなります。
体力的にも気持ち的にも、ペットと一緒にいると若返るのです。
「ピューピュー」
これはクッピーに昼食を与えるときの口笛の合図です。
これが面白いです。
口笛を聞くやいなや、クッピーは犬小屋からしっぽを振りながら飛び出てきます。
「出てくる」のではなく「飛び出てくる」のです。
口笛を聞いた時点で、これから何がやってくるのかわかっているのでしょう。
それにしても大げさに喜びます。
むちのようにぶんぶん振っているしっぽを見て「やった、昼食だ。嬉しいなあ」という声が聞こえてきそうです。
いえ、心の中ではそう言っているに違いありません。
目が輝いているのが、よくわかります。
それだけ喜んでもらえると、食事をやる側としても、やりがいのようなものを感じます。
喜んで食べてもらえると、素直に「良かったなあ」と思いますし「もっとおいしい食べ物を与えてあげたいな」と思います。
「昼食だけで、そこまで喜ぶか!」と思います。
よくよく考えてみると、人間はご飯を食べるとき、こんなに喜びを表現しません。
いえ、本当は子どものころ、このくらい大喜びしていたはずです。
子どものころなら、食事の時間は嬉しかったですが、大人になるにつれてだんだん無感情になります。
大人になるにつれて、食べるときの嬉しさや感動のようなものを、私たちは忘れかけていきます。
「食事はあって当たり前」と思うようになります。
人にもよりますが、多くの人が黙って食べ始め、無表情で食べながら、食事が終わってもほったらかしになっていないでしょうか。
「いただきます」も「ごちそうさま」も「おいしかった」の一言もなしです。
食への感動が薄らいでいます。
それは、つくっている人に対して失礼です。
犬が喜んで食べてくれると、提供側は喜びを感じるように、人間も喜んで食事をすると、つくってくれた人に報いることができます。
「食事は本来、大喜びするもの」
犬と接していると、忘れかけていた感情を思い出し、初心に返ることができるのです。
犬は、人間よりはるかに虫歯になりにくいというのは有名な話です。
理由は、大量に分泌されるだ液のためです。
人間より何倍も多くだ液が分泌されるため、歯を溶かす酸を中和してくれます。
その結果、歯磨きをしないにもかかわらず、虫歯になりにくいです。
とてもうらやましい話ですね。
だからとはいえ、必ずしも虫歯にならないわけではありません。
やはり甘いものばかり与えていると、まれに虫歯になることがあります。
「なりにくい」というだけで、ならないわけではありません。
一昔前は「犬は虫歯になりにくいから歯磨きをしなくていい」というのが定説でした。
しかし、最近ではそうも言い切れなくなっています。
快適な住環境のうえ、医療科学も進んだため、犬も長生きをするのが当たり前になっています。
歯は、健康にもつながります。
あなたも歯の調子が悪いと、元気が出なくなり、気持ちが沈んだ経験があるのではないでしょうか。
たった1本でも歯が痛み始めると、生活全体に支障が出るのは、人間でも犬でも同じです。
犬も、1本でも歯が痛み始めると、散歩のときに歩く距離が短くなったり、元気がなくなったり、食欲不振に陥ったりします。
1本の虫歯のせいで、犬の生活全体の調子が狂ってしまう可能性があります。
虫歯1本とはいえ、侮れません。
飼い主なら、犬に与える食事の内容にも気を使ってあげましょう。
たまにおやつとして、チョコレート以外の甘いものを与えるのはいいですが、甘いものばかり与えすぎないこと。
チョコレートには、テオブロミンという分解や代謝ができない成分が含まれているため、犬に与えてはいけません。
歯の健康を長く保つためにも、1日1回の歯磨きです。
どうしても毎日の手間が難しければ、最低3日に1回は飼い主が歯ブラシで歯磨きをするように心がけましょう。
これも最初は嫌がっていても、次第に慣れていくはずです。
犬の歯が長持ちすることは、犬の長生きにつながるのです。
クッピーと一緒に散歩をしていると、面白い発見がたくさんあります。
その発見のほとんどは、私ではなく、クッピーが見つけてくれます。
普段歩き慣れている道ですから、私のほうが詳しい道のはず。
しかし、どんなに歩き慣れている道でも、クッピーにはかないません。
犬の臭覚は、人の100万倍といわれます。
敏感、かつ正確です。
私には単なる道に見えても、鋭い臭覚を持つ犬には、また違った光景に見えるのでしょう。
ある日、野道を普通に歩いていたときのことです。
私の場合は、普段歩き慣れているので、普通に歩いてそれで終わりです。
しかし、クッピーの場合は、くんくんと何かにおいを嗅ぎながら歩きます。
少し歩いては立ち止まって、また歩き始めれば立ち止まります。
特によく立ち止まるポイントは、きれいな花が咲いていたときです。
私なら気づかず素通りしてしまいそうですが、クッピーは確実に立ち止まってにおいを嗅ぎます。
そんなとき「おや、こんなところに花が咲いていたのか」と私まで気づかされます。
歩き始めると、また立ち止まりました。
今度はなんだろうと思ってみてみると、人間がポイ捨てしたごみでした。
「こんなところにごみを捨てるなんてひどいなあ」
自然を汚しつつある人間の悪行を反省する機会になります。
またあるとき、何かをかぎ分けたように立ち止まります。
私は何もにおわないですが、クッピーは何かを感じ取っているのでしょう。
「何をにおっているのかな」と思ってよく見てみると、なんとお金が落ちていたりします。
変な話ですが、クッピーと一緒に歩いていると、お金持ちになれそうです。
私たち人間は、そこまで道端を見て歩くことはありません。
しかし、視点が低くて、鋭い臭覚を持っている犬の場合は、いろいろな発見ができるのです。
飼い主の中には「餌さえ与えていればいい」と思っている人がいます。
「動物は野生的に育てるのがいちばん。ほうっておけば自然に育つだろう」と軽く考えています。
これは良くありません。
野生で暮らすときには、野生的でもいいでしょう。
餌を与えてほったらかしにすれば、たしかに成長はします。
成長はしますが、やりたい放題の犬になります。
しかし、ペットとして暮らすなら「野生の中」ではなく「人間社会の中」で暮らすことになります。
ルールの1つや2つはきちんと教える必要があります。
決められた場所で用を足すようにしつけたり「待て」と指示したりすることです。
特に室内で犬を飼おうとするなら、しつけはもはや必須と言ってもいいでしょう。
部屋のあちこちを噛んだり、どこでも好きなところに糞をしたりします。
それは飼い主も困りますし、掃除の手間も増えることでしょう。
しかし犬は悪くない。
しつけをきちんとしない飼い主が悪いです。
何をしてもよく、何をするのはよくないのかは、教えてもらわなければわかりません。
子どもが生まれたらしつけるのが親の義務であるように、犬を飼い始めたらしつけをするのが飼い主としての義務になります。
そういう法律は定められていなくても、常識として最低限のしつけは必要です。
犬を飼い始めれば、きちんとしつけるようにしましょう。
生まれたばかりの子犬なら、生後半年くらいからがベストです。
きちんと人間社会の中でやっていけるように、やっていいことと悪いことを教えてあげるのです。
つらいことがあったとき、飼っている犬に話しかけてみましょう。
人間を相手にしているかのように、話しかけるのがコツです。
私の場合も、人間関係や先行きの不安など、プライベートでつらいことがあったとき、クッピーに話しかけます。
「聞いてよ。今日こんなことがあってね」
「将来が不安でたまらないよ」
「人との距離感は難しいね」
クッピーは真顔で聞いてくれます。
話していると不思議なことに、ふと、心のつかえが取れる気がします。
話をして、解決するわけではありません。
しかし、言葉として発することで、何か吐き出したような気になり、軽くなります。
もちろんクッピーは人の言葉をきちんと理解できないので、私の言葉などお構いなしに、顔をなめてきます。
それがまた「そんなことでくよくよするなよ。俺がついているよ」と励まされているような気になります。
ペットはいくらでも聞いてくれます。
言葉がきちんと理解していないからこそ、いくらでも聞いてくれます。
誰より頼りがいのある聞き役です。
もしかしたら、私の悩みをいちばんよく知っているのはクッピーかもしれません。
人が人と一緒にいると、普通は言葉を交わして意思疎通をします。
言葉は人類史上、最大の発明だと言われます。
細かな感情表現も、言葉だけで伝えることができる。
その便利さのため、人間はコミュニケーションの大半を言葉に頼ってしまいがちです。
そのコミュニケーション能力を、さらに高めてくれるコーチがいます。
あなたが飼っている犬です。
犬と一緒にいると、コミュニケーション能力が鍛えられます。
「おや? 犬には言葉がわからないではないか」
その言葉を待っていました。
たしかに犬は人の言葉がわかりませんが、そもそもコミュニケーションというのは言葉だけとは限りません。
さまざまな種類や手段があり、もっと広範囲です。
絵による表現や、身ぶり手ぶりでの表現。
手を叩いて音を出したり、口笛で吹いたりも同じです。
あなたの表情による表現などです。
あなたの意思・感情・思考・情報などがうまく伝えることができれば、すべてがコミュニケーションになります。
ベストタイミングで、食事を与えてあげたり、頭をなでてあげたりです。
時には、ただ笑顔を見せるだけでもいい。
これがいい。
言葉がわからない犬を相手にしているからこそ、自然と言葉以外でのコミュニケーションを心がけようとします。
その結果、言葉以外のコミュニケーション能力が上達できます。
ペットとうまく付き合っていける人は、きっと人間関係でもうまくやっていけるに違いありません。
あなたの飼っているペットと接していると、自然とコミュニケーション能力を高めてくれるのです。
田舎では、アスファルトで舗装されていない道が多いのが特徴です。
土がむき出しになった道もあれば、砂利道もあります。
おっと、そもそも「砂利道」というものを知らないかもしれませんね。
小さな石ころである砂利が道いっぱいに敷き詰められた、舗装されていない道のことです。
山奥の田舎では、普通です。
今でこそ実家の周りはアスファルトで舗装された道路になりましたが、私がまだ小学生だった当時は、砂利道だらけでした。
その名残が残っているせいか、私は昔から、道路で舗装されている道より、砂利道を歩くほうが落ち着きます。
歩いているとき、砂利を踏む音がします。
その音が、何か癒やされているように聞こえてきます。
砂利を踏んだとき、足の裏のツボを押されているようで気持ちいい。
子どものころ、クッピーと遊んでいると、そんな砂利道でかけっこ競争をしていました。
そんなとき、大きくつまずいて、砂利道の上を思いきり転んだことがあります。
思いきり走っている状態で、砂利道でこけると、かなり痛い。
打ち所が悪く、石のかどがちょうど足の関節部分に突き刺さり、ひどい痛みと出血が伴っていました。
本当に痛いと、一歩も歩けません。
もし、人通りの多い道なら、通りすがりの人たちが助けてくれたかもしれませんが、田舎となればそうはいきません。
道はあっても、人も車も通っていません。
何しろ1時間に1台、車が通るか通らないかの環境です。
「痛いー! ! !」
鋭い痛みで、しかめ面になり、身動きが取れませんでした。
そんなとき、クッピーは驚く行動に出ます。
なんと、出血している傷口をなめようとします。
犬でも、私が痛がっていることをきちんと理解し、どこが傷ついているのかもわかっている。
クッピーはくんくんと鳴き始め、心配しているような表情になりました。
飼い主がけがをして痛がっていることを、わかっていないようで、きちんとわかっています。
その瞬間、動物の愛情が伝わりました。
そのときは、痛みが少しずつ和らぐまで、しばらく待ち、なんとか急場をしのぐことができました。
クッピーとの心の連携を確かめられた一件だったのです。
初代クッピーとの別れは、ある日、突然でした。
まったく予想もしない形でした。
何の前触れもなく、急に姿をくらましました。
ある朝、散歩に出かけようと犬小屋に向かうと、リードに犬の噛んだ跡があり、切られていました。
これまでも、こういうことは何度かありました。
しばらく経てば、きちんと家に帰ってきます。
「欲求不満で、どこかに遊びに行っているのだろう」
しかし、そのときは違っていました。
家に戻っても、クッピーはいません。
「おかしいな、どうしたんだろう」
もちろんそこら中、探し回りました。
家族総出で、辺り一帯、心当たりがある場所はすべて探しましたが、見つかりませんでした。
「クッピー、クッピー」といくら呼んでも、帰ってきません。
いつもなら「クッピー」と呼ぶやいなや、どこからでも飛んでやってきます。
嫌な予感がしました。
夜も更けてきたので、仕方なく次の日まで待ちました。
朝になっても、まだクッピーは戻ってきていません。
それから3日、5日、10日とたちましたが、帰ってくることはありませんでした。
1カ月がたっても、もう目にすることはありませんでした。
不思議なこともありました。
ご近所を探し回りましたが「見たよ」という目撃例が、1つもありません。
似た犬を見たという情報があれば、手がかりにもなりますが、それすらない。
本当に突然、消えてしまった。
以前は、15キロも離れたところにいても、きちんと家に戻ってきたくらいの優秀な犬です。
犬の帰巣本能を信じました。
しかし、そのまま帰ってくることは、二度とありませんでした。
祖父は言いました。
「犬はね、死ぬ直前、飼い主の元を離れるものだ」
なぜと聞くと、こう答えます。
「飼い主を悲しませないため」
なんと、犬というのは死ぬ直前、飼い主を悲しませないように、ひっそり飼い主の元を離れるといいます。
これまでお世話になった犬が、飼い主を悲しませないようにする、せめてもの恩返しといいます。
本当にそのとおりだったのかは定かではありません。
クッピーのみぞ知ることです。
しかし、その話のとおりであるかのように、クッピーはある日、消えてしまいました。
本当に死んだのかどうかもわかりませんから、悲しい気持ちも実感が湧きにくい。
そのまま、クッピーとの最後の別れになりました。
私は今回執筆の動機の1つに「クッピーへの恩返し」があります。
クッピーがそうしてくれたように、私も何か返せることをしたかった。
犬と接していると、人間のようです。
そこで得たことは山ほどあり、あらためて整理しようと思ったのでした。