子どもの健全な成長に欠かせない、要素とは何でしょうか。
細かく言えば数多く存在しますが、大きく分ければ、3つしかありません。
ここでは、まず基本的な3つの要素をお話しします。
良い子育てとは、植物を育てるイメージと大変似ています。
タネは、子ども。
土は、家庭環境。
子どもに勉強を教えるのは、知識からではありません。
子どもにいきなり理科の教科書を与えて「読みなさい」と言ってみましょう。
おそらく素直に読んでくれないでしょう。
料理の世界には「料理がうまい人は、味を引き出すのがうまい人だ」という格言があります。
1つの素材から多くの味を引き出す腕があれば、実質、多くの素材を手にしているのも同然です。
テレビなどで優れた料理人が腕をふるい、見事な手さばきで料理をつくる場面を見たことがあるのではないでしょうか。
生まれつきの記憶力・動体視力・運動神経などは、優れた才能の1つです。
しかし、才能とは、そうした優れた点だけではありません。
あらゆることは、考えようによって、すべて長所に変わります。
私は昔から理系の勉強が好きでした。
父が機械系の仕事をしていた関係で、自宅には仕事で使っている部品がたくさん転がっていました。
変わった形の磁石があったり、コンデンサーやICチップなど専門的な部品もあったりしました。
親の子どもへの会話は、往々にして説教のような雰囲気が漂いがちです。
子どもが学校で悩みを話したとき、強気の親なら「あなたがしっかりしないからでしょ」と逆に叱られることがあります。
子どもに強く育ってもらいたいからこそ、つい、厳しい言葉を投げてしまいます。
「子どもとの会話が長続きしない」
そういう悩みをお持ちですか。
理由はいろいろ考えられますが、もしかしたら親が長続きしないような言葉をかけているからかもしれません。
子どもに考える力をつけさせるために、ぜひともおすすめの魔法の言葉があります。
これは効果があります。
効果がありすぎる言葉なので、この場を借りて、ぜひご紹介させてください。
「子どものために、やれることはすべてしてあげたい」
子どもの幸せを願う親なら、こうした願いを共通して持つに違いありません。
親が子どものころ悩んだり苦しんだりした経験があった分、わが子に同じ苦しみを味わわせたくないと思うのは、自然です。
あなたの失敗は、2度、役立ちます。
1つは「自分を成長させるとき」。
もう1つは「自分の子どもを育てるとき」です。
子どもは、ある程度の年齢になれば、遊び道具を欲しがります。
生まれたばかりの赤ちゃんは「がらがら」を振って、遊んで楽しみます。
もうしばらく成長すれば、積み木やジグソーパズルにも興味を持ち始めます。
世の中のことを知るための教養としては、幅広い体験をさせてあげるのがいちばんです。
たくさんの幅広い経験をすることで、世の中の概要やルールなどが次第に見えてくるはずです。
では、何でも広く浅い体験がいいのかというと、そうではありません。
1つのことに集中するとき、深い思考力が養われます。
五感だけでなく、判断力や思考力が必要とされて、人間らしさを形成する土台になります。
では、どんなことに没頭するのがいいのかというと、やはり子どもの好きなことがいちばんです。
「早起きしなさい!」
親は子どものために、早起きをしつけようとします。
早起きにはさまざまな得があります。
夢を持つことは、それだけで、生きる力をつけるきっかけになります。
果たしたい夢があると、多くの難問が多く立ちはだかります。
夢の達成は「これだけやればいい」という単純なものではありません。
親は子どもが失敗したとき、どんな言葉をかけていますか。
「ダメね」
「情けないなあ」
自分の部屋を持つのは、プライベートな空間です。
部屋の片付けや家具の配置など、自分で管理できる自由な空間を与えられることになります。
子どもの好きなように、めいいっぱい自由ができます。
自分の部屋を持たせるのは、何歳くらいからがいいのでしょうか。
子どもの成長具合にもよるため一概には言えませんが、目安としては「10歳前後」と考えるといいでしょう。
子どもの成長がしっかりしていれば、もう少し早い時期からでもいいでしょう。
私が幼いころ、お風呂は熱くて苦手でした。
体をきれいにするのはわかりますが、湯船で熱いお湯に浸かり続けるのは、我慢が必要であり、嫌がっていた時期がありました。
そこで親はうまいアイデアを出しました。
男の子であれ女の子であろうと、10歳未満なら、しばしばおねしょをすることでしょう。
子どもがおねしょをしたときは、どう対応していますか。
親としては、子どもが悪いことをしたように見え、叱ってしまう親も多いのではないでしょうか。
私は、両親のうち、特に父親に似ていると思います。
似ているのは、顔形のような「外見面」ではなく「性格面」です。
父は、1つのことに没頭すると気が済むまでやり抜こうとするタイプです。
料理の多くには、卵が登場します。
私も小さいころから母が料理をしているのを見ていて、卵を割っているのを見たことがありました。
卵を割る光景は、何か独特です。
子どもは日常生活の中で、強く興味を引かれるものを発見することがあります。
興味を引かれた子どもは、素直に「やってみたい」と言います。
その際、矛盾が発生しやすい状況があります。
子どもが興味を示したからとはいえ、長続きするとは限りません。
「ピアノをやりたい」と言い始めたので、ピアノ教室に通わせた。
しかし、必ずしも適正があり、才能を発揮するわけではありません。
「子育てといえば、妻の仕事」
「大黒柱といえば、夫の仕事」
世界的に見ても、多くの場合、子育てと言えば妻が担当している場合がよく見られます。
子育ての教育方針は、父親と母親の考えを統一している家庭も多いことでしょう。
父と母の子どもに対する教育方針の違いで揉める、という話はよく耳にします。
腰をすえてじっくり話し合い、子どもにはこういう方針で教育を進めていこうと、意識合わせをします。
今、子どもに履かせている靴は、どこで、誰と買った靴ですか。
多くの親は、親がデパートなどでまだ子どもが幼いころは、子どもの靴を親のセンスで買っていることでしょう。
「子どもには、こういう靴がいいだろう」
「どうせ俺なんて、役立たない人間だよ」
「私は人間失格です」
「自分がいなくても誰も困らない」
不良と呼ばれる子どもには、自己評価の低さが目立ちます。
「自分は人として失格だ」「自分には生きている価値がない」という発言が多く、自己評価が低いです。
では、なぜ、このように育ってしまったのか。
子どもの健全な成長に欠かせない、要素とは何でしょうか。
細かく言えば数多く存在しますが、大きく分ければ、3つしかありません。
ここでは、まず基本的な3つの要素をお話しします。
子どもの成長には、衣食住にあたる「住むところ」がやはり必要です。
住む場所が快適な空間なら、やはり子どもの成長にもいい影響を与えます。
また、この環境というのは、単に「住まい」という意味だけではありません。
父と母の関係も、環境にあたります。
いつも父と母とがけんかをしている家庭では雰囲気が悪くなり、子どもは家にいても気が落ち着かないことでしょう。
やはり良好な夫婦関係のほうが、家庭の雰囲気が良くなり、子どもも安心できる住空間になります。
「子どもが帰りたくなる家庭環境かどうか」
ここがポイントです。
子どもの肉体面の成長には、やはり食事です。
子どもはわずか数年の間に、体が急成長します。
その早い成長に伴って、栄養もたくさん必要です。
栄養が偏らず、バランスの取れた食事を取ることで、健全な肉体が発育します。
子どもの精神面の成長には、親からの愛情が必要です。
親は子どもに「愛しているよ」「大切にしている」という愛情を注いでください。
子どもは親から愛されていると感じると、安心できます。
その安心感が「いざというとき親が助けてくれる」保険へと変わり、さまざまな経験を勇猛果敢に挑戦しようと積極的になります。
この3つがそろっていれば、子どもは自然と成長するのです。
良い子育てとは、植物を育てるイメージと大変似ています。
タネは、子ども。
土は、家庭環境。
水と日光は、親からの愛情です。
花が育つときには、どのようなプロセスをたどるでしょうか。
土の中にタネを埋めて、後は適度な水と日光を与えるだけで、自然と育ちます。
物理的な力は、一切与えていません。
いえ、むしろ与えないほうがいい。
無理に物理的な力を加えると、成長が促されるどころか、阻害されます。
付け根や茎を無理に引っ張ると、逆に植物の成長がおかしくなります。
人間が不必要に介入しすぎると、かえって邪魔になります。
本当に植物の早い成長を願うなら、適度な水と日光の量が必要です。
ただ、それだけでいい。
タネが芽を出し、茎を伸ばして、すくすく育ち始めます。
植物は「栄養豊富な土」「適度な水」「明るい日光」の3つがそろえば、物理的な力を加えなくても、自然に伸びようとします。
子育ても、これと同じです。
少しでも早く、子どもの成長を伸ばしたくて無理に引っ張ると、逆に痛めることがあります。
うまくできないときに体罰をしたり、時間的制約を与えてせかしたりなどすると、逆に子どもの成長は阻害される。
そもそも子どもはきちんとした食事と親からの愛情があれば、自然と育っていきます。
伸ばそうと思わなくても、子どもから伸びようとします。
「健全な家庭環境」「栄養バランスの取れた食事」「親らしい愛情」の3つがあれば、十分な成長ができます。
無理やり伸ばそうとするのではなく、あくまで自然に伸ばそうとする心がけが大切なのです。
子どもに勉強を教えるのは、知識からではありません。
子どもにいきなり理科の教科書を与えて「読みなさい」と言ってみましょう。
おそらく素直に読んでくれないでしょう。
理科の教科書を開いた。
「磁石にはN極とS極がある。N極とS極は引き付け合う。N極同士やS極同士は反発する」
「だから何?」と思ってしまい、興味が続きません。
知識から教えてしまうと、挫折する可能性が高くなります。
そもそも興味がないので、読みたい気持ちもわきません。
学校の勉強がつまらなく感じてしまうのは、ただ知識から教えてしまっているからです。
知識だけを与えても、無味乾燥です。
そこに「楽しさ」があるかどうかです。
勉強は、楽しさから教えるのがコツです。
楽しさから教えると「もっと知りたい」という気持ちになります。
自分から勉強しようという気になります。
たとえば、磁石の特徴を教えるには、まず磁石を買って子どもに触らせればいい。
すると、目に見えない力で引き付け合ったり反発し合ったりする不思議な力に、興味や好奇心を抱きます。
「何か目に見えない力を感じるぞ。不思議だ。面白いな。なぜこうなるのだろうか」
子どもが興味を持てば、自分から磁石について学ぼうとする姿勢へと変わります。
そういうときは、勉強したことも頭に入りやすいし、忘れにくくなります。
しかも、勉強して仕組みがわかればもっと面白くなります。
「もっともっと勉強したい!」という拍車がかかるようになります。
こうして勉強に好循環が生まれていきます。
国語の勉強、英語の勉強も、何でもそうです。
勉強は、まず楽しさから教えること。
楽しさは、まず「体感させること」が大切です。
自分から勉強したい気持ちになり、親に言われなくても自分から勉強するようになります。
料理の世界には「料理がうまい人は、味を引き出すのがうまい人だ」という格言があります。
1つの素材から多くの味を引き出す腕があれば、実質、多くの素材を手にしているのも同然です。
テレビなどで優れた料理人が腕をふるい、見事な手さばきで料理をつくる場面を見たことがあるのではないでしょうか。
人を魅了するような料理をつくる天才的な料理人は、特別な素材ばかりを使って料理しているわけではありません。
日常、どこにでもあるような平々凡々とした素材を使って、料理をします。
うまいのは、素材の使い方です。
煮たり焼いたりすりつぶしたり、素材の味を引き出します。
また、意外な組み合わせによって、素材に隠された魅力を引き出せることもあります。
たとえば「ニンジン」という1つの素材で考えてみましょう。
どこのスーパーでも置いてある、ごくごく普通の食材です。
そのままでは、固くておいしくないと感じる人が多いニンジンですが、調理の仕方しだいです。
ゆでれば柔らかくなる。
細かく刻めば、食べやすくなる。
ミキサーに入れれば、野菜ジュースの隠し味にできる。
あの濃い色は、食を彩る素材にもなる。
活用の仕方しだいによっては、ニンジンはいかようにも変化できます。
いかに、1つの素材から多くの可能性を引き出せるか。
使い方や見方を変えれば、ニンジンには隠された魅力がたくさんあります。
それを発見して生かすのが、優れた料理人の腕です。
子育てがうまい人も、同じ話です。
もちろん生まれ持った子どもの素質によって、子育てのしやすさや可能性も変わることもあるでしょう。
しかし、本当に子育てがうまい人は、子どもをさまざまな面から見つめ、褒められる点を発見するのが上手な親です。
どんな子どもにも、必ずいいところがあります。
それを見つけられるかどうかは「見方」がポイントです。
声が大きいというのは「はきはき話すことができる」という長所になります。
ゆっくり行動するのは「落ち着いて行動できている」という長所です。
自己主張が強い子どもというのは「自分の考えをしっかり持っている」という長所ということです。
大切なことは、子どもをさまざまな面から観察し、たくさん褒めることです。
その中には、思いがけない可能性を見いだすことができるかもしれません。
いかにたくさん褒められるかは、親の手腕にかかっているのです。
生まれつきの記憶力・動体視力・運動神経などは、優れた才能の1つです。
しかし、才能とは、そうした優れた点だけではありません。
あらゆることは、考えようによって、すべて長所に変わります。
平凡なことも、捉え方によっては長所になります。
それは、発見する親、活用する親にかかっています。
子どもの声が大きいことも考えようによっては、長所です。
はきはき話をすることで、将来、会話で人を楽しませる分野で才能を発揮するかもしれません。
素直に言うことを聞けることも、長所です。
人の言うことを素直に聞けるなら、多くの友人や書籍から学びをどんどん吸収できます。
将来、大物になる可能性があるということです。
せっかちな性格というのも、見方によっては、長所です。
仕事の種類には「スピード重視」のものもあります。
そういう面で進められる仕事では、誰にも負けない才能を発揮する可能性があります。
平凡と思えるところも、どんどん褒めましょう。
平凡なことも、褒めることができます。
なぜ平凡なことを褒めるのか。
それは平凡なことを褒めているうちに、才能を伸ばす可能性が出てくるからです。
誰でも、褒められれば嬉しくなります。
褒められる快感が嬉しく、もっと上手にするようになります。
繰り返しているうちに、うまくなって才能と呼べるほど伸びることがあるのです。
私は昔から理系の勉強が好きでした。
父が機械系の仕事をしていた関係で、自宅には仕事で使っている部品がたくさん転がっていました。
変わった形の磁石があったり、コンデンサーやICチップなど専門的な部品もあったりしました。
そうしたものが近場にあるという家庭環境に恵まれていた点もあります。
単に「面白そうだな」と思って、自分から興味を持っていじっていました。
しばらくすると、だんだん機械というものに興味を抱いてきます。
人間があらかじめ命令した動きをしてくれる道具。
これに妙な関心を覚えました。
それ以来、町中にある機械に興味を引かれました。
車が走る仕組み、ラジカセから音が聞こえる仕組み、エレベーターが動く仕組み、お金を入れれば物が買える自動販売機の仕組み。
「自動的に動く物」の仕組みがわかったとき、一種の快感のようなものがありました。
自然とのめり込んでいきました。
そういうことを、自分ではあまり意識がありませんでした。
単に「楽しいな」と思っていただけです。
あまり難しいことは考えていませんでしたし、まだ考えられない年ごろです。
しかし、そこにわが子の長所にいち早く気づいたのは、父でした。
機械関連に興味を持ち始めた私に対し、積極的に機械の話をしてくれたり、部品を持ち帰ってくれたりするようになりました。
ある日のこと、家族が突然「機械の図解」という本をプレゼントしてくれました。
お願いしたわけではありません。
「おそらく貴博は、こういう本が好きだろう」
普段の子どもの様子を鑑みて、買ってきてくれた本でした。
これが私にとって大ヒットでした。
機械の内部構造が子どもにでもわかるよう、カラーの図解つきの説明がありました。
宝の地図を渡されたような感動がありました。
それ以来、本に穴が開くほど何度も繰り返し読んだ記憶があります。
その世界に熱中して、今に至っています。
そうした経緯があり、今では技術系の仕事をするようになりました。
自宅でサーバーを組み立てたり、自分で一からプログラミングを作ったり、システムを構築したりするようになりました。
子どものころからの延長が続いています。
なにより素晴らしいのは、私を励ましてくれた両親です。
子どもは、なかなか自分の長所に気づけません。
子どもは、単に「楽しい。面白い」くらいにしか考えない。
それを気づかせるのが親の仕事です。
私の場合、親が「お前は理系に強い。そういう道に進め」と言い切り、必要な本を与えてくれたことがきっかけでした。
人生を長く生きている親が発見し、子どもに「それこそ長所よ」と、気づかせてあげることです。
親の子どもへの会話は、往々にして説教のような雰囲気が漂いがちです。
子どもが学校で悩みを話したとき、強気の親なら「あなたがしっかりしないからでしょ」と逆に叱られることがあります。
子どもに強く育ってもらいたいからこそ、つい、厳しい言葉を投げてしまいます。
しっかりした子どもに育つためには、子どもを叱るように励まし、気持ちを奮い立たせようとします。
「もっとしっかりした子に育つはずだ」と思います。
しかし、実際のところ、必ずしもそうなるとは限りません。
親の願いもむなしく、子どもは逆に、心の距離を離してしまうことのほうが多いのが現実です。
「親は自分の気持ちをわかってくれない。逆に叱られた。話さなければ良かった」
悩みを話すことで、子どもは親に弱みを握られている感じがしてしまい、話したことを後悔してしまいます。
そのうち子どもは、悩みがあっても、親に何も言えなくなります。
しかも親とは毎日顔を合わせることになります。
いちばん頼りになるはずの親が、最も相談しにくい対象になってしまいます。
親子のコミュニケーションで大切なのは、子どもに「話して良かった」と思わせることです。
親は、そういうおおらかな反応を見せることです。
では、どうすれば、子どもに「話して良かった」と思える会話ができるのでしょうか。
それは「共感」です。
子どもが打ち明けた悩みに対して、共感すればいい。
「親は自分の気持ちをわかってくれる」と思い「話して良かった」と感動します。
もちろんすべての会話が共感できるものばかりではないでしょう。
中にはどうしても子どもの考えに反する内容もあるはずです。
そういうときでも、まず「そうね」「なるほど」「気持ちはわかるよ」と言って、一度受け入れることが大切です。
受け入れた後に反することを言えば、子どもは親の言い分を聞きやすくなります。
親と子のコミュニケーションでは、何でも言い合えるのが理想です。
その鍵は、コミュニケーションに「共感」があるかどうかなのです。
「子どもとの会話が長続きしない」
そういう悩みをお持ちですか。
理由はいろいろ考えられますが、もしかしたら親が長続きしないような言葉をかけているからかもしれません。
子どもに話しかける言葉をチェックしてみましょう。
「はい」や「いいえ」で答えるしかない淡泊な質問になっていませんか。
「夕ご飯、食べる?」
「学校はうまくいってる?」
「友人と仲良くやってる?」
こうした質問の場合「はい」もしくは「いいえ」という淡泊な返事しかできません。
そういう答えを求めているときならいいですが、子どもと豊かな会話を求めているなら、工夫を凝らしましょう。
あえて「はい」や「いいえ」で答えられない質問をします。
たとえば、先ほど挙げた3つの質問を以下のようにするとどうでしょうか。
「今日は、どんな夕ご飯が食べたい?」
「今日は、学校でどんな勉強をしたの?」
「最近、誰とどんな遊びをしているの?」
先ほどの質問にほんの少し工夫を凝らすだけで「はい」や「いいえ」で答えられない質問になりましたね。
別に難しいテクニックではありません。
ほんの少し質問形式を変更するだけでいいのです。
子どもに考える力をつけさせるために、ぜひともおすすめの魔法の言葉があります。
これは効果があります。
効果がありすぎる言葉なので、この場を借りて、ぜひご紹介させてください。
今日の夕食のとき、食卓についた子どもに、次の言葉を投げかけてみましょう。
「今日は学校でどんな勉強したの?」という言葉です。
これはすごいです。
どのような効果があるのかというと、ポイントが3つあります。
まず、この質問「はい」や「いいえ」で答えられない言葉です。
たとえば「学校で友人とうまくやっているの?」という質問では「はい」や「いいえ」の2通りくらいしか答えられません。
そのため会話が長続きしにくい。
しかし「今日は学校でどんな勉強したの?」という問いかけなら「はい」や「いいえ」で答えられません。
具体的に話をせざるを得ない質問なので、会話が長く続きやすくなります。
1日の半分を学校に居続けていましたから、話のネタはたくさんあるはずです。
ぜひとも子どもの口から発言させてあげましょう。
話が長続きしやすくなり、夕食が明るくなります。
今日、昼間に学校で勉強したことを、夕方にもう一度話をさせることで、思い出す機会をつくるきっかけにできます。
これは、いわば「復習」です。
昼間に学校で勉強したことを思い出すことで「想起力」を高めたり「記憶力」を高めたりする効果があります。
また、学校で勉強したことを話すというのは「インプット」ではなく「アウトプット」です。
自分で理解したつもりでも、話をするうちにうまく説明できない部分に気づき、不明点や弱点を見つけるきっかけにもなります。
余裕があれば、子どもが学校で勉強した会話の途中「たとえば」や「もっと教えてほしいな」と、問いかけてみましょう。
話を深く掘り下げる質問をすることで、会話も深くなります。
子どもに勉強したことを発表させることで、疑似的ではありますが「授業参観」の効果があります。
子どもが学校で居眠りをしたりぼうっとしたりするなら、子どもはうまく答えられないはずです。
逆に、子どもが先生の話をきちんと聞いていたなら、細かいところまで授業内容を説明できるはずです。
子どもが学校で学んだ話を聞くことで、疑似的に子どもがどのような姿勢で授業を受けているのかを確かめることができます。
このように、夕食の場で「今日は学校でどんな勉強したの?」という質問は、親子にとって重要な意味があります。
今日の夕食のときから、ぜひとも実行してみましょう。
「子どものために、やれることはすべてしてあげたい」
子どもの幸せを願う親なら、こうした願いを共通して持つに違いありません。
親が子どものころ悩んだり苦しんだりした経験があった分、わが子に同じ苦しみを味わわせたくないと思うのは、自然です。
しかし、その気持ちが強すぎて、子どものために気を利かせた世話をしすぎる親がいます。
「子どもの部屋を親が片付ける」
「子どものパジャマを着させてあげる」
「子どもが一生働かずに暮らしていけるだけの財産を残す」
一見すれば、気の利いた行動をしているように思えます。
しかし、気が利いているように思えて、実は最も気が利いていません。
子どもがすべき宿題を、親が代わりにやっているからです。
子どもが考えたり苦しんだり悩んだりする経験を、親が奪ってしまっている。
親が代わりにすれば、たしかに子どもは楽になりますが、子どもは生きる力が養われません。
生きる力を養うためには、悩み苦しみながら試行錯誤する経験が必要です。
部屋が散らかると、どうなるのか。
一度子どもに経験させ、片付けの大切さに気づかせます。
整理整頓の手順を学ばせて、管理能力を鍛える機会にします。
子どものパジャマを着させてあげるのも、子どもの成長には必要です。
一生懸命ボタンを留めているうちに、手先が器用になります。
子どものために、一生暮らしていけるだけの財産を残すのも、実は子どもをダメにしている。
子どもは金銭感覚が養われなかったり「社会に出て働く」という意味を見失ったりすることでしょう。
金銭感覚や働く意欲がなければ、親の死後、あっという間に遺産を使い果たしてしまうはずです。
子どものためにと思ってしたことは、裏目に出て、逆に子どもを苦しめかねません。
本当に気が利く親は、子どもに考えたり苦しんだり悩んだりする経験をわざと与える親です。
そばで見れば「面倒見が悪い」「気が利かない」と思われることもあるでしょう。
たしかに子どもが大けがをしたり、命に関わったりすることなら、親の手助けが必要です。
しかし、そうした最低限の安全面さえ考慮していれば、親は子どもの将来のために、試練を与えるほうがいい。
かわいいわが子だからこそ、あえて課題を与える。
あえて子どもが考えたり苦しんだり悩んだりしても、ほうっておきます。
子どもが一生懸命に悩みもがいたあげく、解決できないとわかったとき、親がそっと手を差し出すだけで結構です。
そうすることで、子どもは考える力や生きる力を養っていきます。
本当の意味で、親がいなくなっても生きていける子へと育つのです。
あなたの失敗は、2度、役立ちます。
1つは「自分を成長させるとき」。
もう1つは「自分の子どもを育てるとき」です。
どちらも重要です。
最初の自分を成長させるときは、言うまでもない理由ですね。
失敗をすることで、悔しい気持ちになったり、改善を考えるきっかけになったりします。
さて、もう1つが肝心です。
自分の子どもを育てるときに役立つとは、どういうことでしょうか。
結婚し、子どもを産んで、子育てを始めることになります。
子育てをしながら、自分の幼少期を思い出しましょう。
少し意識をすることがポイントです。
あえて、わが子を「昔の自分」と重ねて、見てみましょう。
すると、自然と親は心が広くなり、あらゆる場面で優しい気持ちになれるはずです。
たとえば、子どもがガラスのコップを落として、割った。
本来なら「こら!」と怒鳴りたいところです。
しかし、そのときこそ、昔の自分を思い出します。
「そういえば、自分も子どものころ、同じ失敗をしたなあ」
どんな人でも子どものころ、コップを落として割った経験はあるはずです。
それを思い出すだけでいい。
すると、子どもがコップを割って、腹が立つことがなくなります。
「わが子の失敗」と「過去の自分」とが重なり、大人になるにつれ忘れがちな子どもの気持ちが、ぱっとフラッシュバックされる。
その瞬間、失敗をする子どもに対して優しい気持ちになれ、励ましたり慰めたりできるはずです。
親が幼少のころ、悩んだり苦しんだりした経験が、このとき役立ちます。
失敗が2回役立つとは、こういうことです。
子どもが犯す、あらゆる失敗の気持ちを、推し量ることができるようになるでしょう。
子どものころにたくさんの失敗をした親は、上手に子育てができるに違いありません。
優しい態度で接することができるようになるのです。
子どもは、ある程度の年齢になれば、遊び道具を欲しがります。
生まれたばかりの赤ちゃんは「がらがら」を振って、遊んで楽しみます。
もうしばらく成長すれば、積み木やジグソーパズルにも興味を持ち始めます。
遊び道具は、子どものために、ぜひ与えてあげましょう。
「遊ぶ」という言葉には軽い印象を持つ人が多いですが、これほど勉強できることもありません。
あらゆる遊びは、必ず「プラスアルファの成長」につながっています。
積み木で遊ぶことで、組み合わせを考える機会になります。
組み合わせ方は無限です。
「積み上げてこんなものをつくりたい」
まず頭の中で思い描いて積み上げることもあれば、積み上げながら思い描くこともあるでしょう。
積み上げながら想像を膨らまして、新しい形を思い描くかもしれません。
いずれにせよ、積み木で遊んでいる子どもの脳は、活性化されています。
結果として、豊かな想像力を身につけることができます。
ジグソーパズルも同じです。
一部の絵柄を見て、全体のうちどの部分なのか、想像を膨らまします。
このとき、脳の中は、想像をはるかに超える情報処理が行われています。
ぼうっとしているようでも、頭の中ではヒートアップしています。
こうした遊び道具は、ぜひ与えてあげましょう。
遊び道具はなくても生きていけます。
しかし、あったほうがより豊かに生きていけます。
あらゆる遊び道具は、勉強道具になります。
プラスアルファの勉強であり、成長ができるのです。
世の中のことを知るための教養としては、幅広い体験をさせてあげるのがいちばんです。
たくさんの幅広い経験をすることで、世の中の概要やルールなどが次第に見えてくるはずです。
では、何でも広く浅い体験がいいのかというと、そうではありません。
たしかに世の中のルールや成り立ちなどの教養のためには、広く浅い体験が必要です。
しかし「生きる力」を身につけさせるためには、深い思考力が必要です。
生きる力というのは、高度な脳の活動が要求されます。
では、深い思考力を育てるためにはどうすればいいのか。
思考力は「広く浅い体験」より「1つの深い体験」をするとき、養われます。
1つのことに没頭すると、五感だけでなく、深い思考力が要求されるようになるからです。
もっと突き詰めたいという探求心。
どうすればもっと楽しくなるのかという野心。
どちらのほうがより楽しめるのかという判断力。
それらを総合して、次の行動をしようとする思考力。
このように、1つの深い体験には、脳が高度に活動するきっかけが生まれます。
広く浅い体験では、見たことある、触ったことがあるという表面的な刺激しか得られません。
しかし、1つのことをとことん突き詰めようとするとき、脳はさらに活発に活動し始めます。
その対象は、漫画でもおもちゃでも何でもいい。
大切なことは、1つの深い体験です。
「そんなことばかりしていないで」と叱るのではなく、そのまま気が済むまで好きなだけやらせてあげればいいのです。
1つのことに集中するとき、深い思考力が養われます。
五感だけでなく、判断力や思考力が必要とされて、人間らしさを形成する土台になります。
では、どんなことに没頭するのがいいのかというと、やはり子どもの好きなことがいちばんです。
好きなことは何でもかまいません。
たとえおもちゃに関してであろうと、漫画に関してであろうと、ジャンルは何でもかまいません。
1つのことに没頭させる。
自分の知識に自信を持たせ「これだけは誰にも負けない」という分野を、1つでもつくることです。
すると、子どもは必ず変わります。
「これだけは誰にも負けない」という自信が身につくからです。
初めからすべてに自信を持つ必要はありません。
初めから自信を持っている人はいません。
まず、特定分野に絞る。
それも自分の好きなことに限られた範囲だけでかまいません。
研さんを重ねて「誰にも負けない」というレベルにまで、高めていくことです。
そのプロセスの中で、判断力や思考力が鍛えられます。
得られた豊富な知識や体験が土台となり、自信もつきます。
1つのことに没頭するからこそ、得られる豊富や知識がもとになり、自信を持てます。
すると、生き方全体が変わってきます。
人と話をするときや、新しいことに挑戦するときの勇気へと変わります。
「早起きしなさい!」
親は子どものために、早起きをしつけようとします。
早起きにはさまざまな得があります。
健康にいいのはもちろんのこと、ほかの人より早く動けるので行動面だけでなく、人生面でも有利に働くことがしばしばです。
しかし、たいていの場合、子どもは早起きを大変嫌がります。
私の場合も、昔はそうでした。
早く起きる必要性や意義が感じられなかった。
母が「早く起きなさい」とは言うものの、気が進まなくてだらだら起床していました。
普通、眠い目をこすってまで早く起きようとは思いません。
しかし、あることがきっかけで、早起きが習慣になりました。
高校1年、体操部に入部したときでした。
高校に進学したとき「新しい自分に生まれ変わろう」と思い、野心を抱いていました。
自分から学級委員長に立候補して学級委員になり、憧れだった体操部にも入部しました。
中学には体操部がなかったので、高校になるのが待ち遠しかった。
幼少期から体を動かすのは得意だったので、体操部に入って、将来は体育会系で進学しようと思っていました。
しかし、高校1年から体操を始めるのは、かなり遅いスタートです。
ほかの人よりうまくなるには、ほかの人より何倍も努力しなければいけないと思っていました。
体操の上達のためには、柔軟性や機敏性などさまざま求められますが「筋力」もその1つです。
私はまず、筋力から攻略しようと思いました。
しかし、トレーニング機器を自分ですべて買いそろえるのはお金もかかり、高校生の自分には難しいことでした。
そこで目をつけたのが、学校にあるトレーニングルームです。
体全身の筋力を鍛えるために必要なトレーニング機器は、たいていそろっています。
そもそも通っていた高校は、体育に力を入れていた高校だったので、トレーニング機材は万全にそろっていました。
トレーニングルームを活用すれば、短時間で効率的に筋力が鍛えられるだろうと思いました。
しかし、トレーニングルームは、問題点もありました。
朝早くから夜遅くまで、ラグビー部員が独占状態だったことです。
高校1年の私が、先輩たちにお願いするわけにはいかず、使いにくい状況でした。
そんなとき、ひらめきました。
「誰もいない時間に使えばいい」と。
目をつけたのが、早朝です。
ラグビー部は、朝早くからトレーニングルームを独占し始めますが、もっと朝早くに学校へ行けばいいだろうと思いました。
まだ外が暗いうちに早起きをして、朝ご飯を食べて、家を出るのが5時半。
それから1時間くらいかけ、学校には6時半くらいに到着でした。
予想は的中でした。
さすがに朝の6時半に登校するのは、一部の熱心な柔道部員を除いて、私だけでした。
思いどおり、トレーニングルームを独り占めできるようになり、短時間で一気に筋力を鍛えることができました。
それも、いいことはそれだけではありませんでした。
朝から体を動かすと、自然とテンションが上がり、1日全体を気持ちよく過ごすことができるようになりました。
早起きの快感を知った私は、それ以来とりこになっています。
早起きを習慣にさせるには「早起きをするといいことがある」というきっかけづくりが大切です。
私の場合は「トレーニングルームを使いたい」目的でしたが、お子さんにも「早起きしたい」目的を上手に持たせましょう。
早起きは快感です。
一度それがわかると、自分から進んで早起きをしようと心がけるようになるのです。
夢を持つことは、それだけで、生きる力をつけるきっかけになります。
果たしたい夢があると、多くの難問が多く立ちはだかります。
夢の達成は「これだけやればいい」という単純なものではありません。
1つの成功には、多くの要素が必要とされます。
金銭面・交友関係・仕事・家庭などが土台になるため、さまざまな難題を乗り越えていかなければなりません。
しかも、バランスも必要です。
夢を成し遂げるためには、これらすべての要素を向上させる必要があります。
親が一つひとつ丁寧に教えようとしても、限界があります。
そこで、子どもが自分から進んで勉強して吸収しようとする、強いモチベーションや行動力が要求されます。
初めは、ささいな夢からでもかまいません。
「警察官になりたい」という夢を持ったとします。
すると「警察官になるには、自分が品行方正を身につけた人間でなければならない」と思うようになります。
すると、自分から礼儀や行儀などを意識するようになります。
警察官になるためには勉強も必要ですから、自分から勉強も一生懸命にするようになるでしょう。
「将来の夢」について質問を投げかけ、意識を促してあげましょう。
早くから夢を意識し始めて、早すぎることはありません。
夢は、人を大いに成長させるのです。
親は子どもが失敗したとき、どんな言葉をかけていますか。
「ダメね」
「情けないなあ」
おそらくこうした失敗らしい言葉をかけているのではないでしょうか。
しかし、失敗の悔しさをいちばん感じているのは子どもです。
親がいわずとも、子どもは「力不足」に気づいています。
そういうとき、追い打ちをかけるように「ダメね。情けない」というマイナスの言葉をかけると、余計に落ち込んでしまいます。
場合によっては、行動しようとする勇気もなくなるでしょう。
子どもの成長が停滞するのは、親からの「心に突き刺さる一言」が原因ということもあります。
では、どういう言葉をかければいいのか。
失敗したときこそ、褒めてあげましょう。
失敗したというのにどこを褒めればいいのか、と思うでしょう。
何を褒めるのかというと、ただ挑戦をしたことです。
努力して頑張ったという、それだけで褒めるに値することです。
「よく頑張ったね。偉い」
この言葉が効きます。
頑張ることができたから、偉いことです。
失敗しても、行動したことを評価できます。
親の力量が試される瞬間です。
失敗したときほど褒めれば、子どもは失敗から立ち直りやすくなり、停滞をすることなく成長を続けます。
自分の部屋を持つのは、プライベートな空間です。
部屋の片付けや家具の配置など、自分で管理できる自由な空間を与えられることになります。
子どもの好きなように、めいいっぱい自由ができます。
子どもは初めての自分の部屋に、大はしゃぎすることでしょう。
そこはまさに自分の思うようにできる自由空間です。
その自由の中で、子どもはさまざまなことを試すことになります。
子どもは自分なりのセンスで、部屋を整えようとするはずです。
最初はめちゃめちゃな整理整頓しかできないことでしょう。
整理整頓の技術、部屋のレイアウトのセンスなど、初めての経験だからです。
それでも親は黙って見ていてください。
親としては、できるだけ口出ししないことです。
センスが磨かれるのはこのときです。
整理整頓がめちゃくちゃなら、苦労するのは子どもです。
部屋のレイアウトが悪くても、大変なのも子どもです。
たとえば、本を並べるときを例に考えましょう。
「こんなふうに本を並べてみよう。おや、取り出しにくいなあ。では、こんな並べ方はどうだ。以前よりはよくなった」
「それならこういう整理の仕方ならもっとよくなるのではないか」
このトライアンドエラーを繰り返しながら、子どもは整理整頓のセンスを磨いていきます。
試行錯誤を繰り返しながら、どうすれば快適な空間をつくることができるのかを考え始めます。
この試行錯誤が大切です。
多くのトライアンドエラーを繰り返しながら、手応えをつかんでいきます。
こういうことは、子どもに体験させ、考えさせるのがいちばんです。
自分だけの頭で、選択したり、判断したり、改善を考えようとするときに、頭は鍛えられ、生きる力へと変わります。
子どもが「どうすればいいかな」と相談を持ちかけたときには親なりにベストなアドバイスを答えてあげましょう。
苦労しながら、子どもなりに考えます。
子どものためを思って、親が子どもの面倒を見るのはわかりますが、いつまでも見すぎていると子どもは成長する機会を失います。
自分だけの空間を持つからこそ、自分の管理のもと、さまざまな手応えをつかんで、試行錯誤をするきっかけになります。
子ども部屋は、子どもが成長する修行の場なのです。
自分の部屋を持たせるのは、何歳くらいからがいいのでしょうか。
子どもの成長具合にもよるため一概には言えませんが、目安としては「10歳前後」と考えるといいでしょう。
子どもの成長がしっかりしていれば、もう少し早い時期からでもいいでしょう。
この時期をおすすめする理由は、大きく2つあります。
幼い時期から子ども部屋を与えると、万が一のとき、親の目が届きにくくなります。
子どもの成長にもよりますが、10歳以下の場合、手先や足先がまだしっかりしていない点があります。
その時期から子ども部屋を持たせ、親の目の届かない空間をつくってしまうと、万が一のとき、親が気づけない場合もあります。
本・おもちゃ・洋服など、大人が思いつかない使い方をする場合があります。
おかしな使い方でけがをして、命に関わる場合もあるでしょう。
手先足先がしっかりして、本や洋服などの使い方など、物事の分別がきちんと理解し始める10歳前あとからが適切です。
10歳前後になれば「自分の好きな通りにしたい」という自立心が芽生え始める時期でもあります。
男の子なら、1人の力でやらせてほしいと主張し始める時期です。
女の子なら、お父さんと一緒にお風呂に入るのを嫌がる時期もこの辺りでしょう。
これらは「自分」という個を、次第に意識し始める前兆です。
「1人で自由になりたい」「親にじろじろ見られたくない」など、自分の思いどおりにしたい気持ちが強くなります。
その段階で子どもに専用の部屋を与えると、うまく成長を促しやすくなるので、ベストタイミングと言えるでしょう。
私が幼いころ、お風呂は熱くて苦手でした。
体をきれいにするのはわかりますが、湯船で熱いお湯に浸かり続けるのは、我慢が必要であり、嫌がっていた時期がありました。
そこで親はうまいアイデアを出しました。
「100まで数えたら出ていいぞ」という提案でした。
私は熱いお風呂の湯に浸かり続けながら「1、2、3、4、5……」と数え、100になるまで、じっと我慢していました。
不思議なことに、これなら熱いお風呂を我慢できます。
どのくらいお風呂を我慢すればいいのかという目安が具体的だからです。
お風呂に浸かるというのは、どのくらい浸かり続ければいいのかわかりません。
しかし「100を数えるまで」という目安ができると、ゴールが近づいているのがわかるので、我慢もしやすくなります。
子どもに努力や我慢を強いるとき「やりなさい」「頑張りなさい」というのは、抽象的です。
どのくらいやって、どのくらい頑張ればいいのかわかりません。
そこに具体的な数字をつくるのが、努力を継続させるコツです。
勉強のときも同じです。
なかなか子どもが勉強してくれなくて困っている親御さんは、単に「勉強しなさい」という言い方になっていないでしょうか。
子どもも勉強しなければならないのはわかっていますが、どのくらいやればいいのかわからず、抽象的です。
ゆえに頑張りにくい。
いいアイデアがあります。
そういうときには「30分間、机に向かって勉強しましょう」という言い方に変えてみましょう。
子どもは「30分」という時間を目安に、頑張るようになるでしょう。
子どもの成長によっては、15分でも1時間でもかまいません。
とにかく目安をつくること。
努力であれ我慢であろうと、目安があると継続しやすいのです。
男の子であれ女の子であろうと、10歳未満なら、しばしばおねしょをすることでしょう。
子どもがおねしょをしたときは、どう対応していますか。
親としては、子どもが悪いことをしたように見え、叱ってしまう親も多いのではないでしょうか。
「ダメでしょ」
「ダメな子ね」
「またやったの。この前もおねしょはいけないって言ったでしょ」
もし他人に迷惑をかけたり、マナーの悪いことをしたりすれば叱る必要がありますが、おねしょの場合は例外です。
決して「しよう」と思ってしたわけではないからです。
寝ているとき、気づけばおしっこをしていた。
いちばん驚いているのは、子どもです。
そもそもおねしょがなぜ起こるのかというと、筋肉が未発達のために起こる現象です。
幼児期は、膀胱周りの筋肉がまだ十分に発達していないため、寝ている間に緩みやすくなります。
睡眠中に夢を見ているときは筋肉が特に緩みがちになるので、お漏らしをしやすくなってしまいます。
こういうとき、叱るのではありません。
叱りそうになるところを、ぐっとこらえましょう。
「大丈夫。自分も子どものころ、よくやったものだ」と言ってあげましょう。
「許し」と「共感」の言葉があるかどうかです。
「大丈夫」と言われると許してもらえたと感じ「自分も子どものころ、よくやったものだ」と言われると共感されたと感じます。
そう言われると、子どもは心からほっとできます。
子どもに気にさせないようにする配慮をしてあげましょう。
私は、両親のうち、特に父親に似ていると思います。
似ているのは、顔形のような「外見面」ではなく「性格面」です。
父は、1つのことに没頭すると気が済むまでやり抜こうとするタイプです。
自分が納得するまで徹底的に探求して、納得できないものに関しては、頑固になります。
凝り性のところがあり、1つの事を始めると、結果が出るまで執着する性格です。
ゴルフも、庭での枝切りも、パソコンで書類作成をしているときも、集中して一気に終わらせてしまおうとするタイプです。
この性格は、まさに私とそっくりです。
父を見ていると「もう1人の自分を見ているようだ」と驚くこともしばしばあります。
しかし、あらためて考えると、本当は逆です。
おそらく父のほうこそ、子どもを見ながら「もう1人の自分を見ているようだ」と思っているはずです。
そもそも私の遺伝子は、両親から受け継いだものだからです。
父と母の遺伝子が合わさって、私が生まれました。
血もDNAも、両親から受け継がれたものです。
父や母に似ているというのは、当然です。
そもそも子どもは、遺伝子レベルで両親に似る可能性が高いです。
当然の事実があるにもかかわらず、子どもの教育のときにすっかり忘れていることがあります。
子どもを育てるとき、子どもに合った教育を施してあげたいと思うでしょう。
さまざまな体験をさせて「この子にはどんな特徴があるのだろうか」と、子どもの様子を見ながら手探りを入れるでしょう。
そんなときこそ、父や母の性格を考慮してみればいい。
父や母が得意なことは、遺伝や環境などの影響で、子どもも得意になる可能性があります。
親から子へ遺伝子が受け継がれていれば、父や母の性格面が子どもにも受け継がれている可能性は大きい。
父が技術系に優れていれば、子どもにも同じ血が流れている可能性は大いに考えられます。
母が穏やかな性格なら、子どもにもその血が流れている可能性は大いに考えられます。
必ずとは限りませんが、可能性は大きいはずです。
子どもの性格を把握したり才能を見つけたりなど、参考になるでしょう。
料理の多くには、卵が登場します。
私も小さいころから母が料理をしているのを見ていて、卵を割っているのを見たことがありました。
卵を割る光景は、何か独特です。
卵をキッチンのかどに、こんとぶつけて、ひびを入れます。
その瞬間、卵が割れ、白身と黄身を上手に取り出します。
わずか数秒。
料理では当たり前に登場する卵を割るシーンですが、子どもから見ると、マジシャンの手さばきを見ているかのような感覚でした。
かっこいいし、興味を引かれる光景です。
そんなある日、母から料理を手伝ってほしいと言われました。
しかし、私はまだ身長が低く、キッチンの蛇口すら手が届かない状態です。
何を手伝うのかと思っていたら「卵を割るのを手伝ってほしい」と言われました。
「うん、やるやる」
喜んで仕事を引き受けました。
どのくらいの強さで、卵をかどに当てればいいのか、動揺しました。
強すぎると、卵の中身が飛び出してしまうし、弱すぎると卵にひびが入らない。
微妙な力加減が必要です。
何度か力加減に手応えを感じて、卵にひびを入れ、子どもなりになんとか卵を割って中身を取り出しました。
「やった。できたぞ!」
達成感は、大きなものがありました。
目に見えて、その達成した結果が見えます。
母のように手さばきよくこなせたわけではありませんが、初めて料理のために卵を割ったときは嬉しくてたまりませんでした。
それだけで何か大きなことを成し遂げたような気がしました。
母も「上手にできたね。すごい」と褒めてくれました。
私は生まれて初めて卵を割ったときのことを、今でも覚えています。
そのくらい嬉しかったし、妙な自信をつけられました。
そう考えると、子どもに自信をつけさせるのは、実に単純です。
卵1つで、自信をつけさせられます。
今思えば、あのとき母は、子どもに自信をつけさせるため、あえて卵の手伝いをさせたのかもしれません。
卵を割るのは、小さな成功体験の1つです。
ぜひ、子どもに料理の手伝いをさせてください。
もちろんいきなりすべてをやらせるのではなく、卵を割る仕事を手伝ってもらえばいい。
たとえうまく卵を割れなくても、子どもが大けがをする心配は小さいと考えていいでしょう。
また、たとえ卵を割るのに失敗したとしても、卵1つの値段は大きなことではありません。
子どもが卵を割ったとき、親は「上手にできたね。やればできるね」と少し大げさに褒めてあげましょう。
子どもは自信をつけるに違いありません。
まさに、コロンブスの卵。
子どもに自信をつけさせるのは、卵1つで可能なのです。
子どもは日常生活の中で、強く興味を引かれるものを発見することがあります。
興味を引かれた子どもは、素直に「やってみたい」と言います。
その際、矛盾が発生しやすい状況があります。
「あれ、やってみたい」という子ども。
「まだ早すぎるからいけません」という親。
そんな会話に、心当たりはありませんか。
子どもがやってみたいことを、拒む親がいます。
理由はさまざまです。
「まだ子どもだから無理」
「どうせ長続きしないだろう」
「万が一のことが心配だ」
親はとっさに「まだ早すぎます」と言って、子どもの要求をはじいてしまいます。
もし大きな危険が伴うことなら、たしかに避ける必要があるでしょう。
私は昔、チェーンソーで木を切っているところに興味を引かれ、親に「自分も使ってみたい」と言いました。
「危ないから絶対ダメ」と固く否定されたことがあります。
万が一、間違った使い方をすれば、取り返しのつかないことになりかねません。
親の言い分もわかります。
しかし、危険なことではないなら、できるだけ子どもの意思は尊重させてあげることが大切です。
興味を持てば、できる範囲のことからやらせていけばいい。
たとえば、5歳の子どもが「ピアノを弾いてみたい。ピアノ教室に通いたい」と言い始めたとします。
ピアノは、間違った使い方をしても、大けがをすることではありません。
親としては、鉛筆で自分の名前すらまだきちんと書けないのに、ピアノなんてとうていひけるはずがないと思います。
たしかに早い段階でピアノを習っても、曲がひけるのはまだ先のことになるでしょう。
しかし、それでもいい。
まだ、初めから曲がひけなくても、キーを押すと音が奏でられる楽しみから始めさせればいい。
楽しみながら指先を動かす機会が生まれ、次第に手先が器用になります。
手先が器用になってからピアノを習わせるのではなく、ピアノを習わせるから手先が器用になります。
その中で、音楽に対する何らかの才能や適正を見いだす可能性もあります。
たとえ5歳からでも、子どもがピアノを習いたいと言い始めれば、ベストタイミングです。
大切なことは「今、子どもが興味を示している」ということです。
子どもが早い時期に興味を引かれることを発見し、やりたがろうと積極的になっていますから、歓迎しなければなりません。
「いいよ」と言って、行動を促すのか。
「まだ早すぎる」と言って、行動を妨げるのか。
ここで、子どもの成長の行く末がわかれてしまうのです。
子どもが興味を示したからとはいえ、長続きするとは限りません。
「ピアノをやりたい」と言い始めたので、ピアノ教室に通わせた。
しかし、必ずしも適正があり、才能を発揮するわけではありません。
しばらくすると「飽きた」と言い始めることもあるでしょう。
見るのとやってみるのとでは、全然違います。
実際にやってみると想像していた内容とは異なり、意外にもつまらなく感じることもあるはずです。
それはそれで、大事な収穫です。
「自分にはこれがあっていない」ということが、早い段階でわかったからです。
たとえ失敗や挫折があったとしても、そういう体験ができたことは貴重な成長です。
無駄ではありません。
大切なことは「手応えの蓄積です。
ピアノを弾いたり、泳いでみたり、畑仕事で汗を流したり、ペットと触れ合ったりなど、できるだけ数多くの経験に触れさせます。
子どもが嫌がるものを無理にやらせるのではなく、やってみたいと思うことは、できるかぎりやらせてみましょう。
そうすると、さまざまな体験の中で「手応え」なるものが蓄積されます。
実際やってみると、思ったより楽しかったと言うこともあるでしょう。
ほかの人より習得が早くて「自分には向いている」という手応えを感じる場合もあります。
その一方で、実際やってみたけど、思ったよりつまらなかったということもあるでしょう。
ほかの人より習得が遅くて「自分には向いていない」という手応えを感じる場合もあります。
どちらの体験も大切であり、進歩です。
この両方の体験がたくさんあるほど、あとから貴重な財産になります。
「ピアノより水泳のほうが楽しいな。水泳も楽しいけど、ペットと触れ合うほうが自分に合っている気がする」
成長するにつれて、頭の中で比較ができるようになるからです。
さまざまな体験を比べて、適性を見つけやすくなります。
比較は体験したことがあるからこそ、頭の中でできます。
手応えの蓄積が、ゆくゆく子どもの財産になるのです。
「子育てといえば、妻の仕事」
「大黒柱といえば、夫の仕事」
世界的に見ても、多くの場合、子育てと言えば妻が担当している場合がよく見られます。
家庭によっては、夫が中心となって子育てや家事に従事することもありますが、世帯全体から見ればまだ少数のようです。
これは、仕方ない点があります。
収入には力と体力が必要であり、力と体力は男性が持ち合わせています。
生物学的に男女の体に大きな特徴があるため、一家の大黒柱は、男性が担当しているケースが大変多いです。
まれに夫より収入の多い妻もいて、妻が大黒柱を担当していることもありますが、まだ少ないのが現状です。
そうすると、必然的に「子育ては妻の仕事」「収入は夫の仕事」になります。
担当を分けているのはいいですが、大切なのはそこに「協力」があるかどうかです。
「子育てだけに専念する妻」と「仕事だけに専念する夫」。
一見すれば、問題ないように思えます。
しかし、本当にそれだけに専念しているのは良くありません。
それぞれが「自分がやるべきことさえしていればいい」と思い始め、相手のために協力しようとする気持ちが小さくなるからです。
そうではありませんね。
あくまで「家族」という大きな船を運航するために、夫の主担当があり、妻の主担当があります。
主担当とはいえ、それだけやればいいわけではありません。
夫が働いているのは、妻のためです。
妻が家事をしているのは、夫のためです。
2人の協力があってこそ、家族はうまく成り立ちます。
仕事の区分はあっていいですが、あくまで「協力」という意識が大前提です。
なによりこの「協力している2人の姿」こそ、子育てに良い影響を与えます。
子どもは思います。
「お父さんはお母さんのために頑張っているし、お母さんもお父さんのために頑張っている」
「人は、誰かのために頑張ると生き生きするのだ」
その夫婦が協力し合っている姿から、子どもは人としてのあり方を発見します。
これは、学校の教科書やほかの場所では学べません。
家庭内の両親を見て学べることです。
理想的な父親像と母親像を、家庭内で吸収するのです。
子育ての教育方針は、父親と母親の考えを統一している家庭も多いことでしょう。
父と母の子どもに対する教育方針の違いで揉める、という話はよく耳にします。
腰をすえてじっくり話し合い、子どもにはこういう方針で教育を進めていこうと、意識合わせをします。
やはり子育てに対する大まかなポリシーは、ずれがないよう夫婦間で統一させておくことが必要です。
その基本的な教育方針さえ合っていれば、母らしさや父らしさはどんどん見せていったほうがいい。
あえて母は母らしく、あえて父は父らしく、見せていきます。
父は、母とは違った言葉遣い・反応・対応の仕方などがあります。
ある問題を、母は「愛嬌」で解決しようとする一方、父は「度胸」で解決するかもしれません。
またある問題を、母は「コミュニケーション」で解決しようとするところを、父は「お金の力」で解決するかもしれません。
料理に強い母がいる一方、機械に強い父がいる。
小食の母がいる一方、大食の父がいる。
そうした2人のさまざまな違いがいい。
父親が子育てに参加するからこそ、子どもは父親からも学べます。
子どもは両者から、いいところを学んだり比べたりします。
吸収したことをもとに、臨機応変に対応できるようになります。
あるときは、母らしい解決法に頼ったり、あるときは父らしい解決法に頼ったりします。
母親らしい考え方だけでなく、父親の考えに触れることで「なるほど。そういう考え方もあるなあ」と思います。
勉強量が2倍に増え、子どもの視野が広がりやすくなるのです。
今、子どもに履かせている靴は、どこで、誰と買った靴ですか。
多くの親は、親がデパートなどでまだ子どもが幼いころは、子どもの靴を親のセンスで買っていることでしょう。
「子どもには、こういう靴がいいだろう」
親のセンスで買うことになります。
子どもには、玄関に突然新しい靴が登場した、という感覚です。
親が一生懸命に選び、お金を出して買ったものだというのに、子どもにはそのありがたみが伝わりにくいです。
また親のセンスは、子どものセンスとは若干ずれていることが多いです。
子どもは自分の好みではない靴ですから、つい、乱暴に扱ってしまいがちです。
お気に入りの靴ではないからです。
別に傷ついても汚れても、子どもに大きなショックはありません。
どうすれば、子どもは靴を丁寧に扱ってくれるようになるのか。
単純な方法があります。
親が買った靴をいきなり与えるのではなく、子どもと一緒に買いに出かけてください。
子どもとはいえ、好みもあることでしょう。
靴にもさまざまな色、デザイン、履き心地などがあります。
子どもの好みは、本人に選ばせるのがいちばんです。
子どもは、自分が毎日履く靴になりますから、熱心に見比べるでしょう。
自分に合った靴を選ぶはずです。
その靴を買ってあげると、子どもはその靴を大切に扱うようになります。
お気に入りの靴になるからです。
「傷つけたくない、汚したくない」という気持ちが自然とわくようになり、靴を丁寧に扱うようになります。
なにより、靴への思い入れが全然違います。
靴を選ぶ段階からの記憶があり、一生懸命に選んだ苦労があります。
そうした記憶が、物に対する優しい態度へと変わるのです。
「どうせ俺なんて、役立たない人間だよ」
「私は人間失格です」
「自分がいなくても誰も困らない」
不良と呼ばれる子どもに共通して見られるのは、こうした「自己評価の低さ」です。
自分への評価が低くて自信がなく、存在価値がないと思っています。
不良たちの態度や言葉の乱暴さは、自分の評価が低いがゆえに表れる「自暴自棄」です。
自分への評価が低いため「自分は生きる価値がない。守るものなんて何もない」と思い、あれこれと乱暴なことをしてしまいます。
子どもは最初、自分への評価がない状態です。
では、どこで自己評価を上げるのか。
親から存在を肯定してもらえる言葉によって、自信をつけます。
親は、ただ子どもの存在を徹底的に認めてあげましょう。
「世界に1人だけの子どもだよ」
「代わりは1人もいない」
「お父さんやお母さんたちの心の支えだよ」
そうした子どもの存在を肯定する言葉を聞いて「自分は生きている価値がある」という自信をつけます。
健全に成長するようになるのです。
不良と呼ばれる子どもには、自己評価の低さが目立ちます。
「自分は人として失格だ」「自分には生きている価値がない」という発言が多く、自己評価が低いです。
では、なぜ、このように育ってしまったのか。
一概には言えませんが、大きな原因の1つが考えられます。
「幼少期に受けた親からの厳しい言葉」です。
実は、こうした不良の親を見てみると、多くの場合「厳しい親」という共通点が多く見られます。
社長・学校教師・学習塾の先生・宗教家・コンサルタント・会計士。
親が「先生」と呼ばれる職に就いている場合が多いです。
当然「わが子にも立派に育ってもらいたい」という気持ちが人一倍強いですから、子どもに対して厳しくなろうとします。
親が厳しすぎると、子どもに対してどんな言葉になると思いますか。
「そんなこともできないのか」
「動きが遅いぞ」
「本当にダメな子だ」
「この前も同じことを言っただろう」
「情けないなあ」
口にすることといえば、子どもが自信をなくすような言葉ばかり。
親が優秀で子どもへの期待が大きすぎるため、めったに褒めることがありません。
親の期待が大きすぎるがゆえに、子どもにかける言葉といえば、厳しい言葉ばかりになりやすい。
もちろん子どもに対して将来はきちんと育ってほしい気持ちがあってのことでしょう。
しかし、その気持ちが強すぎると、逆に子どもは自己評価を落としかねません。
当てはまるケースは多いのではないでしょうか。
ここが教育の難しさです。
甘やかしすぎてもいけないが、厳しすぎてもいけない。
大切なのは「厳しい言葉の中に子どもを肯定する言葉があるかどうか」です。
厳しいことは言ってもかまいません。
子育てのしつけでは、やはり厳しくならなければいけないときもあります。
ただし、必ず厳しい言葉の中に、子どもの存在価値を肯定する言葉を含めることです。
「大切な存在だからこそ、わざわざ怒っているんだぞ」
「親も怒るのは大変。でも、わが子のために一生懸命になっているんだ」
こういう言葉には、叱っている厳しさの中に、愛が含まれています。
叱っていても、子どもは自分が認められていると感じ、嬉しくなります。
子どもへの肯定が込められた厳しい言葉なら、子どもは不良になることはありません。
叱られれば叱られるほど「認められている」「大事にされている」「生きる価値がある」という自己肯定を高めるのです。