習慣というのは、体に染み付きます。
私たちは、普段、考えながら行動をします。
しかし、体の芯まで染み付いた行動は、頭で意識しなくても、勝手に動いてしまいます。
親がしつけるとき、よく口にしがちな言葉があります。
「お行儀よくしましょう」です。
多くの親たちが、子どもに対して口にしているのを見かけます。
子どもに礼儀や行儀を教えるなら、10歳までの時期が大切です。
幼い時期ほど、心がオープンになっているからです。
生まれて間もない時期は、世の中に早く適応しようと、脳があらゆる刺激を前向きに受け入れようとします。
難しい理屈は抜きにして「こういうときはこうするものだ」というのを、優しく丁寧に教えます。
・人と会ったら挨拶をする
・お茶碗のご飯粒は残さない
子どもの礼儀や行儀のしつけは、車の運転と似ている部分があります。
車の運転免許を取得したばかりのころは、あれこれ頭で考えながら運転します。
ほんの少し前に進むだけでもストレスで、車の運転が不安定です。
子どもが成長するのは、親から褒められたときです。
親から認められるときに「自分を認めてくれた」という存在価値を感じて、深い愛情や嬉しさを感じます。
テストで100点を取ったり、スポーツの大会で1等賞を取ったりしたときに大喜びするのは当然ですね。
行儀が何かをまだ理解していないのに「行儀よくしましょう」というのは、難しいことです。
すでに物心がついている年ごろなら「行儀よくしましょう」という言い方も通じることでしょう。
しかし、まだ右も左もわかっていない幼い子どもは、まだ行儀なるものを理解できません。
私が幼いころ、親から教わった礼儀はたくさんあります。
厳しいしつけの1つに「脱いだ靴はそろえる」というしつけがありました。
靴をそろえず、ほったらかしにしていると「そろえなさい」と、親が怒鳴ります。
私が小学生や中学生のころ、最もよく見ていたテレビ番組は「水戸黄門」でした。
日本では大変有名な時代劇番組です。
黄門様と率いる仲間たちが、全国各地を行脚しながら、悪事を働く悪者を次から次へと懲らしめていく珍道中物語です。
「お母さん、あれ買って!」
デパートに出かけると、ときどき欲しいおもちゃを親に買ってもらうため、駄々をこねる子どもに出くわすことがあります。
たいていの親は「ダメです!」と言って、拒否します。
あなたが親として子どもにご褒美を与えるのは、どのようなときですか。
・テストで100点を取ったとき
・大きなスポーツの大会で、1等賞を取ったとき
私の母は、喜ぶのが上手な人だと思います。
母は自分のことをどう思っているのかはわかりませんが、母の喜ぶ顔は見ていて元気になります。
私は小学生のころから走るのが速くて、いつも1等賞を取っていました。
子どもにお小遣いを与えていますか。
1カ月ごとに決められたお金を、無条件でそのまま子どもに手渡している家庭もあることでしょう。
しかし、これはいいことではありません。
親であるあなたは、子どもを優しく甘えさせて育てるタイプですか。
それとも、したたかに厳しく育てるタイプですか。
子どもの将来を考え「優しさがいちばん」と考える親もいれば「厳しさがいちばん」と答える親もいることでしょう。
子育てで最も難しいのは「優しさと厳しさのバランス」です。
子どもに優しすぎると、親を侮って言うことを聞かなくなり、うまくしつけができなくなる。
逆に、子どもに厳しすぎると、親のことが大嫌いになり、うまくしつけができなくなる。
「子どもから尊敬されたい」
多くの親は、そう願うでしょう。
「親を尊敬しています」という言葉を子どもから聞きたいところですが、なかなかそうはいきません。
私は、高校時代、学校まで自転車で片道1時間ほどかけて通学していました。
片道1時間です。
往復になると、2時間近くかかります。
私は学生時代、毎朝、格闘していたことがあります。
「学生服を着ること」です。
時間がかかるので、学校に遅刻しそうになったこともあります。
子どもが自分から学校であったことを話すとき、世間は「積極的な子ども」と言います。
逆に、なかなか自分から話してくれないときには、世間は「消極的な子ども」と言います。
しかし、本来、すべての子どもは積極的です。
大学受験・就職・結婚。
親としては、子どもにいちばん幸せになれるであろう道を歩んでもらいたいと思います。
大学受験にうまく合格してほしい。
朝、あなたの職場で隣の人が出社したときです。
相手から朝の挨拶がないとき、妙な不安感を抱くことはありませんか。
自分が透明人間であるかのように、相手の目に映っていないのではないかと感じます。
性格によっては、自己主張が強い性格の子どもがいます。
子どもに「これはどう?」と尋ねると「嫌だ。別のものがいい」と強く主張することがあります。
こうした性格の子どものことを大人たちは「頑固」や「自分勝手」という言い方をします。
本によって得られることと、得られないことがあります。
多くの知識は本から得られますが「失敗したときの悔しさ」や「失敗した原因」までは本では得られません。
子どもが将来成長するために必要なのは「失敗」です。
結果には「成功」と「失敗」があります。
親としては、つい、子どもの行動の「結果」を見てしまいます。
成功すれば褒める。
男性が結婚すると、これまで以上に一生懸命に働くようになります。
理由はいうまでもありません。
「養う」という大きな責任が出てくるからです。
子どもは生まれたときから、親からの強い保護を受けています。
そのため、親のありがたみが感じられにくくなっています。
まだ若い時期ですから、仕方ないことです。
子どもが何かに熱中しているとき「そんなことをする暇があったら勉強しなさい」と、中断させる親がいます。
子どもが熱中することを見つけたというのは、大切なことです。
理系や文系かを選ぶときや職業を選択したりするとき「自分がこれまで熱中していたことは何だろうか」と思い出します。
子どもは、親の礼儀や行儀を見習います。
真似によって、コピーします。
本来、親の礼儀や行儀がしっかりしていれば、ある程度は自然と子どもにも身につくはずです。
親の中には、わが子に対して乱暴な態度や言葉遣いになっていることがあります。
赤の他人なら、最初から丁寧な態度になりますが、身内に対しては態度が乱暴になってしまいがちです。
特によく見られるのは「名前を呼ぶとき」です。
しつけというのは、言われて覚えて終わりと言いたいところですが、回り道があります。
山あり谷ありです。
多くの人たちは、次のような成長段階に思い当たるのではないでしょうか。
習慣というのは、体に染み付きます。
私たちは、普段、考えながら行動をします。
しかし、体の芯まで染み付いた行動は、頭で意識しなくても、勝手に動いてしまいます。
体の一部になっています。
私の場合で言えば「ご飯粒は残さない」というのは完全に体に染み付いています。
「残さないように食べよう」と思わなくても、自然に体が動きます。
ご飯粒を1粒でも残してしまうと、妙な罪悪感があります。
これは実家でお米をつくっていて、幼いころから「ご飯粒を残さず食べなさい」というしつけを徹底されていたからです。
ご飯粒を残すと、叱られました。
昔からしつけられていると、どうも大人になってからも変えられません。
もはや、当たり前すぎだと思ってしまいます。
幼いときに身につけた行儀は、人格の土台をつくります。
だからこそ、若い時期のしつけというのは重要です。
大人になってから新しい作法やマナーを身につけることもできますが、身につけるなら子どもの時期こそ重要です。
しかも、できるだけ幼い時期からのほうがいい。
若ければ若いほど、頭が柔らかいので吸収がよく、体に染み付きやすい。
少し厳しいときもあるでしょうが、子どものために幼い時期こそ、徹底させるのです。
親がしつけるとき、よく口にしがちな言葉があります。
「お行儀よくしましょう」です。
多くの親たちが、子どもに対して口にしているのを見かけます。
品行方正のある子どもに育ってもらいたい思いから、親としては「お行儀よくしましょう」と言います。
しかし、言われた子どもはどうでしょうか。
おそらくとっさに理解できず、ぼうっとするはずです。
子どもの立場になって考えてみれば、理由はすぐわかります。
生まれて、まだほんの数年です。
何が行儀よくて、何が悪いことなのか、よくわかっていません。
もちろんある程度の年齢になれば、まだ話は通じますが、幼い子どもに対しては理解の難しい話です。
それは「行儀の善しあし」をわかる年ごろになってから、通じる言い方です。
まだ行儀の善しあしがよくわかっていない子どもに、何が行儀よくて悪いのかを議論するのは、早すぎます。
親がいくら「お行儀よくしましょう」と言っても、子どもは何をどうすればいいのかわからない。
だから、困り果ててしまいます。
では、どうするか。
「行儀の善しあし」という教え方ではなく「行儀のいい動き」を教えます。
型です。
難しい理屈は抜きにして「こういうときにはこうするものだ」という「行儀のいい動き」を教えます。
「そういうものだ」という一連の動きの流れをセットとして、叩き込みます。
子どもの理解力に余裕があれば、理由を付けて教えてもいいですが、なくても結構です。
子どもとしては、別に行儀よく行動しているつもりはありません。
ただ単に、親から言われたとおりに行動しているだけです。
しかし、それだけで自動的に行儀の良い子へと成長できます。
難しくはありませんね。
初めは、そこからでいいのです。
子どもに礼儀や行儀を教えるなら、10歳までの時期が大切です。
幼い時期ほど、心がオープンになっているからです。
生まれて間もない時期は、世の中に早く適応しようと、脳があらゆる刺激を前向きに受け入れようとします。
またこの時期は、物事を覚える吸収力もすさまじいものがあります。
大人の何年にも及ぶ情報を、短い時間で吸収します。
幼い時期ほど、吸収力が強く、素直に応じてくれやすいです。
だからこそ、子どもに礼儀や行儀を教えるなら、10歳までの時期が大切です。
「幼い時期に言っても理解できるはずがない。もう少し成長してからしつければいい」と考えるのは、良くありません。
幼い時期にこそ、親はできるだけたくさんの礼儀や行儀を子どもに教えていきましょう。
脳神経のネットワークの土台がつくられる時期に礼儀や行儀を教えていけば、覚えやすくて忘れにくくなります。
動きを「体」が覚えてしまいます。
人格が形成され、人生全体に影響を及ぼす、大事な時期なのです。
難しい理屈は抜きにして「こういうときはこうするものだ」というのを、優しく丁寧に教えます。
本来なら、なぜそういうことをするのかを説明しながら教えるのがベストです。
「自分が気持ちよくなるため」「他人に迷惑をかけないため」などです。
しかし、子どもの場合はまだ経験が浅いため、理由を聞いても、ぽかんとします。
人生経験がまだ浅いので、相手の立場になって考えたり、気持ちを推し量ったりなど、難しいです。
余裕があれば説明しながら教えてもいいですが、余裕がなければ無理に説明する必要もありません。
最初は難しい理屈は抜きにして、礼儀・行儀・作法を教えます。
10歳未満の時期は「こういうときにはこうするものだ」ということを、淡々としつけていきましょう。
もちろん最後まで意味を理解しないままではありません。
子どもが成長して経験が豊富になるにつれ「なぜそうするのか」という行儀や作法の意味は、自然とわかってくるはずです。
子どもの礼儀や行儀のしつけは、車の運転と似ている部分があります。
車の運転免許を取得したばかりのころは、あれこれ頭で考えながら運転します。
ほんの少し前に進むだけでもストレスで、車の運転が不安定です。
慣れていない動きのため、たどたどしくなります。
しかし、ある程度慣れてくると、一転して体が勝手に動き始めます。
以前よりストレスが小さな状態で、車を安全に運転できるようになります。
アクセルやブレーキも自然に踏めるようになり、確認の仕方も慣れてきます。
車の運転に慣れていれば、こうした不思議な経験を味わったことがあるでしょう。
口ではうまく説明できなくても「安全運転」を体が覚えてしまうようになります。
礼儀や作法も、子どもが幼い時期に、何度も繰り返し実践します。
どのくらい繰り返すのかというと、勝手に体が動き始めるまでです。
素直に言うことを聞いてくれればいいですが、なかには「疲れる」「面倒だ」「嫌だ」と反発する子もいるでしょう。
最初、そう思うのは当然です。
車の運転と同じで、慣れていない時期はストレスが大きいです。
しかし、難しい理屈は抜きにして「ただそうするものだ」と教え続けてください。
できるまで、何度も繰り返します。
嫌がってもやらせます。
そのまま同じ行動を繰り返していると、次第に慣れて体が覚えます。
気づけば、脱いだ靴をそろえている。
気づけば、ご飯粒を1粒残さず食べる。
気づけば、食事が終わった食器を台所まで運んでいる。
考えなくても、そうすることが当たり前になります。
最初に感じていたはずのストレスがなくなっているうえ、体が勝手に動き始めます。
こうなればしめたものです。
理由ももちろん大切ですが、後回しでも十分間に合います。
最初は、体に覚えさせるまで徹底的に繰り返すこと。
子どもの体が慣れるまで、しばらくの間、親は辛抱しながら付き合ってあげましょう。
子どもが成長するのは、親から褒められたときです。
親から認められるときに「自分を認めてくれた」という存在価値を感じて、深い愛情や嬉しさを感じます。
テストで100点を取ったり、スポーツの大会で1等賞を取ったりしたときに大喜びするのは当然ですね。
しかし、その場合なら、100点や1等賞を取れなければ、親は子どもを褒められなくなります。
親は100点や1等賞が取れなくても、褒めることが大切です。
「100点や1等賞を取っていないのに、どこを褒めればいいのか」
そうです、その言葉を待っていました。
子どもが100点や1等賞に向けて一生懸命になっているなら、それだけで褒めます。
努力がまだ実っていないだけの話です。
目標に向けて努力しているだけで、褒めるに値します。
親はそこに着目して、うんと褒めてあげましょう。
100点や1等賞を取ったときも喜ぶ。
取れなくても、目標に向けて努力しているなら、褒めます。
たとえ100点や1等賞を取れなくても、努力をしているかぎり、親は何度でも褒めることができます。
子どもは100点や1等賞を取れなくても、挫折感をバネに、もう一度頑張ろうとすることでしょう。
子どもがいちばん欲しているのは、本当は100点や1等賞が欲しいのではありません。
親から褒められたいのです。
行儀が何かをまだ理解していないのに「行儀よくしましょう」というのは、難しいことです。
すでに物心がついている年ごろなら「行儀よくしましょう」という言い方も通じることでしょう。
しかし、まだ右も左もわかっていない幼い子どもは、まだ行儀なるものを理解できません。
親が「行儀よくしましょう」という言葉から「それはいいことなのだな」とはなんとなく理解します。
ですが「これが行儀だ」というのはよくわかっていない。
子どもに「行儀」についてしつけるときは、難しい理屈は抜きで結構です。
「人と会ったら挨拶をする」「脱いだ靴はそろえる」など、こういうときはそういうことをするものだと教えます。
理屈抜きで「行儀のいい動き」を教え、当たり前だと思うようになるため、周りからは「行儀がいいね」と言われるようになります。
本人は行儀を理解していなくても、自然と行儀のいい行動を実行できるようになります。
さて、ここですべての親が経験するであろう問題が発生します。
しつけることは、見方を変えれば、子どもを型にはめることにもなります。
子どもとしては、自由活発に動き回りたいところです。
行儀というのは、言い換えれば「動きの制限」です。
靴を脱いだら、そのままほったらかしにするほうが楽です。
しかし、行儀を意識すると、わざわざ足を止め、かがんで靴をそろえなければなりません。
「きちんと靴をそろえましょう」という親が、うるさく感じる。
幼い子どもは、親に対して「しつけてくれてありがとう」とは言いません。
言うはずがありません。
「いちいちうるさいなあ」と、歯向かいます。
親があれやこれやと口うるさいので、子どもは親からのしつけが、口うるさく感じます。
まだこの時期は、子どもは行儀を理解できていないので、当然素晴らしさも理解できていない。
なぜ親はこんな面倒なことばかりを教えるのかと思います。
親は、子どもから嫌われるのを覚悟することです。
感謝されないのも当然です。
親は、初めから感謝を求めてはいけません。
いえ、感謝されるどころか、子どもからうるさく言われるので、煙たがられるはずです。
そういうものです。
子どもは成長して、多くの友人ができ、多くの刺激を吸収し成長することでしょう。
そんな多くの出会いの中、自分と他人との行動を比べたとき「おや?」と思うようになります。
自分が当たり前だと思っている行動と、そうでない行動との違いが見えてくるようになります。
自分は靴を脱いだらそろえるのが当たり前だと思っているのに、ほかの人はそうしない場面を目にするでしょう。
そのとき「靴をそろえていると気持ちいいな」と実感できます。
自分が当たり前だと思っている行動は、ほかの人と比べると、マナーがあるのだと気づき始めます。
そのときです。
ようやく、子どもは「なるほど。これが行儀なのか」と理解できます。
自分と他人の習慣を比べ「行儀の善しあし」を、直感的に理解するようになります。
親から素晴らしいしつけを施されていたことに気づき、親に感謝するようになります。
しつけで、親が子どもから感謝されるのは、ずっと後になってからです。
一転して、口うるさかった親を急に感謝するようになります。
それまで、しばらく時間がかかります。
そのときまで、親は嫌われ続けるのが宿命なのです。
私が幼いころ、親から教わった礼儀はたくさんあります。
厳しいしつけの1つに「脱いだ靴はそろえる」というしつけがありました。
靴をそろえず、ほったらかしにしていると「そろえなさい」と、親が怒鳴ります。
叱られるのが嫌だったので、靴を脱いでから振り返って腰をかがめ、靴をそろえ直します。
靴を脱いだときのマナーです。
子どものころは、たったこれだけのことでも面倒だと感じていました。
たしかに靴をそろえたほうが見た目はいいですが、それほど大きな意味があるとは思えない時期がありました。
別に自分がはく物で、他人に迷惑をかけるわけではないと思っていました。
しかし、ある日、その感覚が快感に変わる日がありました。
私の実家から歩いて5分くらいのところに、友人の家があります。
友人の家に上がろうとしたとき、いつもの習慣から脱いだ靴をそろえていました。
もうそれが、癖になっていました。
すると、友人のお母さんから「まあ、きれいに靴をそろえられて偉いね」と、褒められたことがありました。
それが嬉しかった。
親からは「ああしなさい、こうしなさい」と口うるさいだけです。
叱られてばかり。
しかし、他人の親からは褒められ、新鮮で感動しました。
行儀のよさで、褒められたりするだけでなく、ほかの人を気持ちよくさせることができるのかと気づきました。
このとき、自分の行儀のよさが快感へと変わりました。
私はもっと親から行儀を教わりたいと思うようになりました。
子どもでも、親が口うるさくいう理由が、なんとなくわかり始めた瞬間でした。
子どもとしてはもっと褒められたい欲求があります。
「もっと褒められるには、もっと行儀よくなればいい」
そう思うようになり、素直に親の言うことを聞くようになりました。
私が小学生や中学生のころ、最もよく見ていたテレビ番組は「水戸黄門」でした。
日本では大変有名な時代劇番組です。
黄門様と率いる仲間たちが、全国各地を行脚しながら、悪事を働く悪者を次から次へと懲らしめていく珍道中物語です。
小学生や中学生のころといえば、アニメを見たがる年ごろです。
しかし、私の場合、アニメよりはるかに水戸黄門ばかりを見ていました。
子どものころ、なぜそんな年配向けの番組を頻繁に見ていたのかというと、祖父や祖母の影響です。
小学生や中学生のころ、いつも学校から帰ると、真っ先に祖父・祖母の部屋へ向かっていました。
祖父や祖母はいつもお菓子をくれたため、学校から帰ると、いつも祖父母の部屋に行きました。
祖父・祖母の部屋のドアを開けると、いつも「水戸黄門」を見ている最中でした。
食い入るように釘付けになってみていた。
その光景は、今でもよく覚えています。
テレビのチャンネルを変えたくても、祖父や祖母がテレビに釘付けになっているので「チャンネルを変えたい」とも言い出せない。
仕方なく、毎日一緒に見るようになりました。
私の場合、そうした生活サイクルがあったため、アニメより水戸黄門のほうが、幼少期から見慣れています。
この水戸黄門シリーズは、土日を除いて、毎日夕方に放映されていました。
毎日、夕方ごろ学校から帰って、祖父・祖母と一緒に水戸黄門を見る。
そんな生活が、何年も続きました。
年配者向けにつくられている番組ですから、子どもでもすぐ理解できるシンプルな内容です。
するとです。
子どもでも、見てわかります。
悪事を働く側より、人を助ける側のほうが、はるかにかっこいいことを。
黄門様と率いる仲間たちが、紳士的な対応をしながら悪事を働く悪党を手際よく懲らしめていく姿が、妙にかっこ良かった。
「やっぱり正義は強いなあ」
「人を助ける人は、なんてかっこいいんだ」
「あんなふうになりたいなあ」
憧れを抱いていました。
テレビの向こうに、親とは別の手本を見つけました。
しかも、当時は毎日見ていましたから、知らず知らずのうちに、両親と同じくらい強い影響を受けていたと思います。
古臭い番組というのは、もはや関係ありません。
「あんなふうに紳士的な対応をしながら生きていきたいなあ」
私もいつしか、水戸黄門を見るのが楽しみになり、水戸黄門を見るために学校から走って帰っていました。
私は今、社会人になりましたが、いまだに潜在意識のどこかに「水戸黄門」の映像が流れているような気がします。
子どものときに毎日見ていたこともあり、どこか「土台」のような部分になっている気がするのです。
「お母さん、あれ買って!」
デパートに出かけると、ときどき欲しいおもちゃを親に買ってもらうため、駄々をこねる子どもに出くわすことがあります。
たいていの親は「ダメです!」と言って、拒否します。
しかし、ここからです。
「お願い。買ってよ!」
大きな声で怒鳴ったり叫んだり、あげくには泣き始めてしまいます。
子どもの主張がしつこい場合、親も「仕方ないなあ」と心が折れそうになります。
ここで、親の対応が大きく2通りにわかれます。
「仕方ないわね。今回だけね」と言って、子どものわがままに応える親。
「この前、おもちゃを買ったばかりでしょう」と言って、子どもの要求をかたくなに拒む親です。
ここで子どもの成長が決まります。
一見すれば「仕方ないわね。今回だけね」と、子どもの要求に応えた親のほうが、優しくて思いやりがあるように思えます。
しかし、たいていの場合「今回だけね」では終わりません。
子どものわがままに応じれば、わがままは治るように見え、実は悪化します。
かわいい子どものためと思い、何でもかんでも要求に応じていると、子どもはだんだんわがままになります。
すると子どもは「そうか。しつこく駄々をこねれば、応じてくれるようになる」ということを覚えるようになります。
しかも、だんだん、わがままがエスカレートしてしまいます。
子どもへの愛情とは、甘やかすことではありません。
子どもの要求に応じる正当な理由があるかどうかが大切です。
「年に一度の誕生日だから、5,000円未満のおもちゃを1つだけ」という理由ならわかります。
せっかくの誕生日くらいは、わがままに応じてもいいでしょう。
しかし、特に理由もなく「しつこく要求されたから」という理由だけで、子どものわがままに応えるのは、子どもをダメにします。
人生には、欲しい物があっても、我慢しなければならないときがあります。
手持ちのものだけで、やりくりしなければならないときがあります。
そうした我慢や辛抱など、精神的な強さを鍛える機会です。
デパートで子どもがどんなに駄々をこねても、正当な理由がないかぎり、断固として拒否する姿勢が親には必要です。
冷たいように思えますが、これは子どもに対する愛情の一種なのです。
あなたが親として子どもにご褒美を与えるのは、どのようなときですか。
このように、大きな成果を成し遂げたときではないでしょうか。
大きな努力の結果が実ったとき、親としては子どもにご褒美を与えたくなります。
「与えなければいけない」というより「与えたくなる」のです。
子どもの努力を認めてあげたいし、今後も努力を継続してほしいので、何か報酬を与えたくなります。
もちろん親らしくご褒美を与えるのはいいことです。
子どもは突然の報酬に喜ぶばかりではなく、努力した意味を感じて、より努力に励むようになるでしょう。
さて、ここで大切なのは「何を与えるか」です。
ときどき、ご褒美として「現金」や「物」を与える親がいます。
「よく頑張りました。ご褒美として1万円」
「よく頑張りました。ご褒美としておもちゃを買ってあげましょう」
しかし、ちょっと待ってください。
たしかにお金やおもちゃなら「物質的な欲求」を満たすことはできますが「精神的な欲求」までは満たすことができません。
なにより維持費がかかります。
毎回100点を取ったり1等賞を取ったりするたびにお金が必要になり、親の経済的な負担も大きくなります。
現金やおもちゃが悪いわけではなく「いちばん大事なこと」がすっかり抜けています。
親が、子どもを褒めたり認めたりしてあげることです。
「うわっ、すごいね」
「偉いね。頭がいいね」
「私は自慢の子どもを持って幸せ」
「このまま行けば、世界一偉くなるよ」
「また次も期待しているからね!」
どんどん子どもを褒めてあげましょう。
認めてあげましょう。
こうした親からの言葉を、子どもはいちばん喜びます。
ポイントは、少し大げさに喜ぶことです。
大げさすぎて問題にはなりません。
100点や1等賞を取った子どもより親のほうが、はしゃいで大喜びするくらいでいい。
子どもは「そんな大したことじゃないよ」と言いながら、内心はとても嬉しく感じているはずです。
優秀な成績を喜んでくれる姿ほど、子どもにとって嬉しいことはない。
お金やものより、はるかに嬉しいことです。
それが「精神的な欲求を満たす」ということです。
子どもは心から満たされ「良かったな。また親の喜ぶ顔が見たいから頑張ろう」と思います。
お金や物では満たされない精神的な喜びを感じ、次なる意気込みへと変わるのです。
私の母は、喜ぶのが上手な人だと思います。
母は自分のことをどう思っているのかはわかりませんが、母の喜ぶ顔は見ていて元気になります。
私は小学生のころから走るのが速くて、いつも1等賞を取っていました。
そのたびに母は大喜びしていました。
生まれつき足が速かったので、速く走ろうという練習や苦労もあまりしていません。
高校1年の冬から、大学受験に向け本格的に勉強を始めました。
テストの点がいいときは、わざとらしく母に見せました。
テストの内容にもよりますが、たいてい80点以上取れれば、母は喜んでくれます。
たとえ100点でなくても喜んでくれるところが、母のいいところです。
80点くらいは、当たり前に勉強していれば普通に取れる点数です。
しかし、母が喜んでくれると「よし。もっと頑張って母を喜ばせてあげよう」と思います。
そうすると、だんだん勉強にも力が入るようになりました。
そのうち90点が取れるようになると、母はもっと大喜びです。
最初は、母の喜ぶ顔を見たかったからですが、このころから勉強に対する姿勢も変わります。
勉強は、すればするほどできることです。
内容がわかると、勉強はもっと楽しくなります。
いつしか、自分の楽しみのために勉強をするようになりました。
勉強によって、知識が増える喜びを感じるようになりました。
事の発端は、母の喜ぶ姿でした。
母の喜ぶ顔が見たいので、難しい勉強も楽しんでできるようになり、勉強そのものが本当に楽しくなっていきました。
HAPPY LIFESTYLEでは、勉強したことや感じたことの積み重ねをウェブサイトで公開しています。
その原点は、今になって思えば、はるか昔に母から褒められたところから始まっているような気がします。
親は、子どもを褒めるだけでいい。
100点でなくても80点でも、まず大喜びします。
高得点で褒めるのは当たり前ですが、並々の点数でも、まず褒めてあげましょう。
認めてあげましょう。
すると、子どもは親から認められたことが嬉しくて、自然と勉強するようになるのです。
子どもにお小遣いを与えていますか。
1カ月ごとに決められたお金を、無条件でそのまま子どもに手渡している家庭もあることでしょう。
しかし、これはいいことではありません。
何もしなくても、毎月自動的にお金が入る環境なら、お金はじっとしていれば、自然と手に入るものだと勘違いします。
そうではありません。
いま一度「お小遣い」の定義から考えてみましょう。
本来、お小遣いとは「仕事の対価として与える金品」です。
まず、仕事を引き受けます。
達成した報酬として、金品をいただきます。
それが、お小遣いです。
決して、無条件にもらえるものではありません。
そういう意識や考え方を子どもに植え付けさせるのが、お金の勉強であり、金銭感覚を養うことです。
家庭によっては、子どもにお小遣いを無条件に与えるところがあります。
その理由は「子どもはまだ働けるほど成長していないため」と言います。
たしかに社会に出て働くには、まだ知識も体力も十分ではない時期です。
しかし、家庭内の家事や雑用くらいでも、仕事に値するはずです。
家事を仕事と考えさせるのは、子どもの教育によくないと考える親もいますが、無条件にお金を与えるほうが、良くありません。
間違ったお金の価値観、金銭感覚を教えてしまっているからです。
たとえ、家事や雑用でもいい。
できるだけ子どもが小さいうちから、仕事としてどんどん家事をさせましょう。
家の手伝いの量に応じて、毎月与えるお小遣いの量も変えます。
家事の仕事の量に応じて、お小遣いの量も増やしたり減らしたりします。
家事の手伝いをまったくしなければ、お小遣いも一切与えません。
本来のお金に対する感覚が養われます。
むしろ子どもから「家事の手伝いをやらせてほしい。ほかに何か手伝えることはないのか」と尋ねるようになります。
もらえるお金の量を増やすために、家事のレベルを上げたり、スキルアップを図ったりしようとするはずです。
それこそ、お金を稼ごうとする本来の姿です。
親は子どものために、多少お金はかかりますが「教育費」です。
最初は、たとえお金目的でもかまいません。
「一生懸命に働いて、たくさんお金を稼ぎ、豊かな生活が実現する」
この教育を、子どもが若いうちから教えてあげるのが、親の努めなのです。
親であるあなたは、子どもを優しく甘えさせて育てるタイプですか。
それとも、したたかに厳しく育てるタイプですか。
子どもの将来を考え「優しさがいちばん」と考える親もいれば「厳しさがいちばん」と答える親もいることでしょう。
親によってさまざまです。
おっと、ここからが重要です。
では、肝心の子どもに聞いてみましょう。
「優しい親と厳しい親。どちらが好きですか」
すると、十中八九「優しい親」と答えます。
子どもから「厳しい親がいい」と答えるのは、皆無と言ってもいいでしょう。
「そうか。子どもが優しい親を求めるなら、優しい親になればいいのか」
そう思います。
しかし、違います。
厳しい親だと、恐怖を感じたり危険な目に遭ったりすることがあるため、避けようとします。
しかし、子どもがどんなに厳しい親を嫌がっても、親は厳しくならなければいけない場面があります。
子どもを育てるとき、優しさと厳しさのどちらが必要か。
正解は、どちらも必要です。
優しさは、子どもに安心感を与えるために必要です。
厳しさは、誤った道から正しい道へと修正するために必要です。
親は優しくて厳しい親になるのがいちばんです。
子どもに対して一人前に育ってもらいたいために「優しさ」と「厳しさ」の2通りの教育方法が必要です。
この二面性を兼ね備えた親が、本当に子どもから尊敬されるのです。
子育てで最も難しいのは「優しさと厳しさのバランス」です。
子どもに優しすぎると、親を侮って言うことを聞かなくなり、うまくしつけができなくなる。
逆に、子どもに厳しすぎると、親のことが大嫌いになり、うまくしつけができなくなる。
甘やかしすぎても厳しすぎても、うまくいかない。
どちらで育てるのがいいのかというと、どちらも大切です。
要は、バランスです。
しかし、このバランスこそ、最も頭が痛いところです。
あらためて、優しさと厳しさのバランスの取り方を考えてみましょう。
整理して考えると、実は単純です。
「子どもが正しいことをしたときには優しくなり、間違ったことをすれば厳しくなる。同時に完璧を目指さない」
これだけでいい。
親は人生の先駆者です。
知識・礼儀・作法など、あらゆる面で子どもより詳しいはずです。
親は、子どもが正しいことをしたときは、どんどん褒めましょう。
「よくやった。偉いぞ!」
そういうときには、とことん優しくなります。
すると子どもは「そうか。こうすればいいのか」と理解します。
親に褒められて嬉しく感じ、さらにやる気を出すに違いありません。
逆に間違ったことをすれば、厳しくなります。
「こら! それはいけない。間違っている。こうすればいい」
ただ叱るだけは良くありません。
叱ると同時に「こうすればいい」という正しい道筋も教えてあげるようにしましょう。
子どもは「これは間違っていることなのか。こうすればいいのか」と恐怖とともに、しっかり覚えます。
この両者のバランスを取りながらも、完璧は目指さないようにしましょう。
「適度な緩み」を許容します。
礼儀・作法・マナーなど、完璧を目指そうとするのは素晴らしいですが、何でも完璧にできる人はいません。
親ですら、完璧ではないはずです。
親も完璧ではありませんから、子どもにも完璧を押し付けない。
この基準で優しさと厳しさのバランスを保てば、子どもを上手にしつけていくことができるようになります。
「子どもから尊敬されたい」
多くの親は、そう願うでしょう。
「親を尊敬しています」という言葉を子どもから聞きたいところですが、なかなかそうはいきません。
むしろ逆です。
たいてい「親は嫌いだ」と言います。
大変厳しいからです。
しかも、厳しいうえに、しつこい。
子どもは、まだ親の厳しさを理解できるほどの人生経験を積んでいません。
なぜ厳しさが必要なのかという本当の理由を、理解していません。
子どもがまだ10代のころは、一般的に厳しさを兼ね備えた親は、子どもから嫌われます。
それはもう大嫌いと言われることでしょう。
しかし、それでも教育やしつけのために、やはり「厳しさ」は必要です。
こういう意志が強くて物事に動じない親の態度は、子どもが10歳未満なら、まず理解されないことでしょう。
尊敬されるどころか嫌われます。
子どもから尊敬されるという願いは、今のところ、捨ててください。
今は尊敬されなくても、いずれ尊敬されるようになります。
子どもが人生経験を積むにつれ、ゆっくりですが「なぜあのとき親は厳しかったのか」を、理解してくれるようになります。
自分が学生になり、親から衣食住の面倒を見てもらっていることに気づき、次第に親は尊敬され始めます。
自分が結婚をして、子どもが生まれて親になったとき「親が厳しい理由はこういうことだったのか」とようやく体感します。
理解は、頭でするだけではまだ半分です。
本当の理解は、体感するときにわかります。
結婚して、子どもを産んで親になったとき、親が厳しかった意味をようやく理解できます。
すなわち「厳しさも、親からの愛の表現」ということに気づけます。
子どもから尊敬されるのは、そのときになってからです。
時間がかかるものです。
親も「苦労を理解されたい」「尊敬されたい」と思うでしょうが、今は諦めましょう。
子どもが親のことを嫌いだという発言に、いちいちむきにならないほうがいい。
「子どもだから仕方ないね」と思うくらいでいい。
親は大人ですから、いずれわかる日がくるまで、今は辛抱するときです。
私は、高校時代、学校まで自転車で片道1時間ほどかけて通学していました。
片道1時間です。
往復になると、2時間近くかかります。
1日のうち、12分の1は自転車に乗っていることになる。
もっと大げさに言えば、1年のうち12分の1は、登下校で自転車をこいでいるだけの時間です。
「何て無駄なんだろう。遠くの学校に通うのはデメリットがあるなあ。こういうところでほかの受験生と差ができる」
受験勉強に励んでいた私は、自転車をこいで学校に登下校する時間が無駄に思え、いらいらしていました。
そんなとき、うまく励ます親がいました。
「勉強のストレスを発散する時間になるだろう」と言います。
言われてみれば、たしかにそうです。
自宅でも学校でも勉強ばかりだったため、自転車で移動する時間は、気分転換の時間になっていました。
自転車で毎日体を動かすので、いい具合に疲れて夜もよく寝られます。
そういうことを考えているうちに、逆に学校が遠くにあることがメリットのようにさえ思えてきました。
自転車をこいでいる間は、耳にイヤホンをつけて、英語のリスニングの時間に充てていました。
勉強にもなり、運動にもなり、リフレッシュの時間にもなります。
大切なことは、物事そのものではありません。
プラスに考え直すことです。
まず親がプラス思考をします。
親がプラスに発想していれば、子どももプラスに発想していくようになります。
私は学生時代、毎朝、格闘していたことがあります。
「学生服を着ること」です。
時間がかかるので、学校に遅刻しそうになったこともあります。
なぜ、時間がかかるのか。
着るのが難しいからです。
「学生服を着るくらい、簡単だろう」
それは大人だから言えることです。
まだ手先が不器用な幼い時期にとって、学生服を着ることほど難しいことはありません。
難しい動作の連続です。
小学生くらいのときは、学生服を着るだけで、かなりの時間を費やしていました。
最初の難関は「靴下」でした。
靴下を足に通すとはいえ、上下があります。
足のかかとに靴下のかかとがそろうように、うまく足に通す必要があり、時間がかかります。
次に格闘したのは、ズボンをはいた後にしめる「ベルト」でした。
私は男なので、ベルトでズボンを締めます。
ベルトを腰に回すとき、前ならベルトを通す穴が見えますが、後ろは見えません。
そこで、自分の手の感触でベルトを通すべき穴の位置を確認し、うまくベルトを通す必要があり、時間がかかっていました。
続いての難関は「ワイシャツ」です。
たった1枚のワイシャツを着たいだけなのに、ボタンをたくさん留めなければいけません。
1枚のワイシャツに、6つくらいボタンがあります。
シャツの前中央にある小さな穴に通せるよう、ボタンを少し傾け、素早く押し込む動作が必要です。
傾き加減といい、力加減といい、手こずる。
ようやくボタンが留まったと思えば、次は「上着」。
またボタンの連続です。
「さあ、ようやく服が着られた。学校にいくぞ」
いえ、最後にもう1つ難関が待っています。
靴を履いたときに結ぶ「靴ひも」です。
豆結びはほどけなくなるので、器用にちょう結びをしなければなりません。
慣れない私は時間がかかっていました。
この苦労は、ほとんどの子どもが通る道です。
私だけではなく、おそらくあなたもそういう時期があったのではないでしょうか。
この難しさを、私たちは、大人になるにつれて忘れがちになります。
しかし、子どもにとってこれほど難しいことはありません。
学生服は、子どもにとって難しすぎる動作が多すぎます。
早い子どもなら、幼稚園くらいのころから、学生服を着始めることになるはずです。
親は、自分ができるからとはいえ「早くしなさい」「まだ着られないの」とせかしたり叱ったりしていないでしょうか。
「学生服を着るのは本当に難しい」
この初心を、もう一度、思い出しましょう。
まだ手先が十分に発達していない子どもにとって、これほど難しいことはありません。
子どもは、ゆっくり学生服を着ているのではありません。
ゆっくりでないと着られないのです。
朝から指の体操をしていると考えるといいでしょう。
「時間がかかっている」というより「時間をかけている」
そこでせかない親が、尊敬されます。
子どもが自分から学校であったことを話すとき、世間は「積極的な子ども」と言います。
逆に、なかなか自分から話してくれないときには、世間は「消極的な子ども」と言います。
しかし、本来、すべての子どもは積極的です。
幼い時期は、親に甘えたいです。
親にかまってもらいたいと思う気持ちが特に大きな時期です。
その時期には、子どもは学校であったことや興味のあることなど、親に話しかけるはずです。
報告したり質問したりなどです。
たくさん話をして、自分のことを理解してもらおうとします。
しかし、ときどき消極的な子どもがいます。
本来すべての子どもは積極的であるはずですが、なぜでしょうか。
おそらく親は、子どもの話を否定しているからではないでしょうか。
「今日学校でA君と遊んだよ」と子どもが話しかけたとき「そんなことしていないで勉強しなさい」と否定する返事をしている。
「新しいゲームが発売された」と子どもが話しかけたとき「くだらない」と否定していませんか。
「なぜ空は青いの」と子どもが質問してきたとき「そんなこと考えなくていい!」と言って、打ち消していませんか。
子どもからの話をあれこれ否定していると「どうせ話しかけても無駄だ」と悲観するようになり、親に話しかけなくなります。
子どもが心を開くかどうかの鍵は、子どもではなく、親にあります。
親が子どもの話を否定せずに、きちんと聞いてあげられる姿勢があるかどうかです。
あなたの話し方は、いかがでしょうか。
少し、自分を振り返る時間をつくってみましょう。
子どもが「今日ね……」と話し始めたときのあなたの反応です。
否定的な反応になっていませんか。
たしかに子どものすることですから、大人である親から見れば「くだらない」と思えることもあるでしょう。
しかし、子どものころはどんなことでも勉強です。
大切なことも無駄なことも両方含めて、あらゆる経験が成長になります。
親は子どもがどんなにくだらない話をしても、まず肯定してあげましょう。
受け止めてあげましょう。
「おう。そうかそうか」とシンプルな相槌を打つだけで結構です。
親が子どもの話を興味深く聞く姿勢があれば、子どもは自分から話をする積極的な性格を維持し続けるはずです。
大学受験・就職・結婚。
親としては、子どもにいちばん幸せになれるであろう道を歩んでもらいたいと思います。
大学受験にうまく合格してほしい。
就職がうまくいってほしい。
結婚がうまくいってほしい。
やはり親ですから、子どもにそうした幸せな道を歩んでもらいたいと思います。
「無駄なことをしないでほしい」
その気持ちが大きければ大きいほど、子どもがテレビゲームをしたりすると、眉間にしわを寄せます。
「無駄なこと」と思えるからです。
「テレビゲームをする」
「漫画を読む」
そうしたことを子どもがしていると、つい、あの決まり文句を言ってしまいます。
「そんなことをしている暇があったら勉強しなさい」です。
親は人生の先輩として、アドバイスをしているつもりです。
しかし、本当にアドバイスになっているでしょうか。
実は、アドバイスどころか、子どもの可能性を制限してしまっています。
まずは無駄を経験することこそが、大切な勉強だからです。
無駄をしないのは、最も無駄です。
無駄こそ、子どもの成長には必要です。
あらためて考えてみましょう。
無駄かどうかを判断するためには、一度無駄な体験して、悔しい思いをしなければわかりません。
「意味のないことをしてしまった」
こうした後悔を経験することが必要です。
無駄を勉強するためには、たくさんの無駄を体験し、後悔することが必要です。
そのたくさんの無駄をするからこそ、振り返ったときに「あのときは無駄なことをしていたな。次からはこうしよう」と反省します。
次から軌道修正ができるようになります。
なにより、子どもにとって本当に無駄かどうかは、実際にやらせてみないとわかりません。
ゲームでも、そこで才能を開かせ、ゲームクリエイターとしての道を歩むきっかけになることもあります。
漫画ばかり読んでいても、絵を描いてシナリオを考え、漫画家やシナリオライターなどの道が切り開けることもあります。
無駄と思えることが、意外な道を発見する手がかりになる場合があります。
親は子どもの行動を、一切否定しないことです。
もし子どもが無駄と感じれば、自分からやらなくなるはずです。
親が無駄と思えることでも、子どもがやりたいというなら、どんどんさせてあげましょう。
勉強だけが有益なことではありません。
無駄と思えても全部勉強なのです。
朝、あなたの職場で隣の人が出社したときです。
相手から朝の挨拶がないとき、妙な不安感を抱くことはありませんか。
自分が透明人間であるかのように、相手の目に映っていないのではないかと感じます。
急いで出社をして、疲れて挨拶どころではない事情があるのかもしれません。
そもそも挨拶をする習慣がない人なのかもしれません。
しかし、挨拶がないだけで、相手は何も悪い行為をしたわけではないのに、何か悲しい気持ちになります。
あなたが社会人なら、そういう不安を抱いたことがあるのではないでしょうか。
「挨拶をしない」というのは、れっきとした「無視行為」です。
不安感を抱くのは、相手から無視されていると感じるためです。
会っても挨拶がないのは、いないも同然です。
「相手にとって、存在を感じるほどの価値すらないのかな」
妙な不安感が広がり、朝から元気を奪われた気がします。
言葉にも態度にもはっきり出して伝えられるメッセージではないですが、そういうニュアンスがひしひし伝わってきます。
相手から挨拶がないときに「もやもや感」が残るのは、そうした理由からです。
これは親子間でも大切です。
親であれ子であろうと、眠いから挨拶どころではない気持ちもあるでしょう。
しかし、朝だからこそ、挨拶をします。
眠い目をこすりながらでかまいませんから、まず朝の挨拶です。
親から子へ、まず元気よく「おはよう」と言いましょう。
「おはよう」ということで「あなたの存在を認めていますよ」というサインを出せます。
そうすることで、子へ安心感を与えることができます。
親から認められていると感じた子どもは元気を出して、学校へ向かうことができるのです。
性格によっては、自己主張が強い性格の子どもがいます。
子どもに「これはどう?」と尋ねると「嫌だ。別のものがいい」と強く主張することがあります。
こうした性格の子どものことを大人たちは「頑固」や「自分勝手」という言い方をします。
「もっと素直になりなさい」と叱ります。
しかし、考えてみましょう。
実は、これほど素直なこともありません。
人の目を気にせず、ありのまま自分の気持ちを表現しています。
周りがどんな状況でも、自分の気持ちをストレートに表現している。
素晴らしい素直さです。
もし、ここで親が強引に「みんなに合わせなさい」と言い伏せると、子どもは自由な意見が言えなくなります。
では、どんな意見を言い始めるかというと「周りに合わせた無難な意見」を答えるようになります。
自分が選んでいるようで、選ばされているという状態です。
「周りに合わせることがいいことなのだ」と勘違いする。
本当はAという意見があっても、Bと答えるようになります。
親は子どものことは「素直になった」と思います。
そればかりか、子どもまで「これは自分の考えだ」と、自分の意見ではないのに自分の意見だと勘違いするようになるから大変です。
協調性を大切にしすぎると、だんだん自分の本当の意見が見えなくなります。
素直になっているように見えて、逆に素直ではなくなっている。
まず親は子どもの意見を大切にしましょう。
自由に意見を言い合い、さまざまな角度からの意見を吸収する姿勢を持たせるのです。
本によって得られることと、得られないことがあります。
多くの知識は本から得られますが「失敗したときの悔しさ」や「失敗した原因」までは本では得られません。
子どもが将来成長するために必要なのは「失敗」です。
失敗をすることで、本からは得られない貴重な学びを得ることができます。
では、失敗を得るために何が必要なのかというと「行動」です。
行動した分、多くの経験ができ、失敗をする確率も高くなります。
では、行動するために何が必要なのかというと「決断力」です。
「よし、やるぞ」という決断力があれば、人生を前に進めることができます。
では、決断するために何が必要なのかというと「勇気」です。
勇気があるからこそ、思いきって決断ができます。
この勇気こそ、人生におけるすべての根源です。
勇気があるから決断でき、決断ができるから行動でき、行動できるから失敗ができ、失敗があるから新たな学びを得ることができる。
いくら考える力があっても、勇気がなくて行動しなければゼロです。
子どもには幼いころから、勇気を持って行動させる習慣をつけさせてください。
小さな行動でも結構です。
小さな考えでも、小さな勇気が必要とされています。
仕事も勉強も恋愛も、最初に必要なのは勇気です。
勇気があれば、多くの行動を経験でき、実体験から多くのことを学べます。
では、親は子どもに対して何ができるのか。
実は、この勇気を出す手助けをすることです。
難しいことではありません。
ただ「大丈夫」「できるよ」という前向きな言葉をかけるだけでいい。
根拠のない前向きな言葉でOKです。
根拠がなくても、親から元気づけられると子どもは素直に喜び、勇気を出します。
それだけで子どもはどんどん行動して、成長できるのです。
結果には「成功」と「失敗」があります。
親としては、つい、子どもの行動の「結果」を見てしまいます。
成功すれば褒める。
失敗すれば叱る。
もしくは、励ます。
しかし、実はどちらも褒めてあげられることがあります。
「勇気を出した」ということです。
行動をしたということは決断したということであり、決断したということは勇気を出せたということです。
これだけで、十分褒めるに値します。
結果はどうあれ、まず子どもが勇気を出して行動できたことに、素直に大きな喜びを感じましょう。
褒めてあげましょう。
「勇気があるね」
小さな言葉ですが、大きな可能性を秘めた言葉です。
勇気があれば、これからたくさん行動して、大きな成長を遂げる可能性があるということです。
まだ小さな勇気かもしませんが、勇気さえあれば、子どもはいずれ大物になる可能性があるのです。
男性が結婚すると、これまで以上に一生懸命に働くようになります。
理由はいうまでもありません。
「養う」という大きな責任が出てくるからです。
死ぬまで一生を共にする妻のために、衣食住を基本とするあらゆる生活費の中心を稼ぐ責任を背負います。
これまで以上に仕事への責任感が増し、熱心になるでしょう。
だらしない男性も、結婚してから活気が満ちあふれるようになった話も、しばしば耳にします。
しかし、です。
仕事に熱心になるのはいいですが、熱心すぎるあまり、帰宅が次第に遅くなり始めます。
すると、妻との会話が少なくなる傾向になります。
子どもが生まれると、さらに力を入れて働くようになるでしょう。
妻だけでなく、子どもも養わなければいけないという大きな責任を背負うようになるからです。
ギアを入れ直し、これまで以上に一生懸命働くようになります。
すると、さらに仕事への責任感が増し、熱心に仕事をし始める。
さらに帰宅が遅くなり、家族と顔を合わせる時間が少なくなりがちになります。
その結果、夫婦関係や親子関係が悪化しかねません。
妻や子のために一生懸命になっているというのに、本末転倒です。
男性が結婚した後には、こうしたトラブルに陥りやすい傾向があります。
もちろんすべての男性がそうなるわけではありません。
仕事より、妻や子を優先するという男性もいるでしょう。
しかし、妻や子のことを考えているからこそ、陥りやすい点であることもたしかです。
夫はこうした矛盾が発生しやすいことを予測して、対処していく必要があります。
では、どうするのか。
手帳やカレンダーに、家族とのスケジュールを先に書き込みます。
「先に書き込む」というのがポイントです。
「時間ができたら妻や子を相手にしよう」と思っていると、いつまで経っても相手にできません。
そうではなくて、先に妻や子と触れ合う時間を入れておきます。
たったこれだけです。
この習慣が、自然と仕事ばかりに傾きがちな生活を「元に戻すきっかけ」になるのです。
子どもは生まれたときから、親からの強い保護を受けています。
そのため、親のありがたみが感じられにくくなっています。
まだ若い時期ですから、仕方ないことです。
せめて、親がどれだけわが子を思って、働いたり食事を作ったりしているのかを語ります。
「見ればわかる」「常識で考えればわかる」と思うのは良くありません。
ほんの少しでもいいから、子どもに伝わるように語ります。
気持ちを込めて語れば、少しくらいは伝わるはずです。
お父さんの場合なら、恥ずかしがらずに、子どものために仕事をしてる理由を語ります。
「お父さんは、わが子のために一生懸命働いているんだぞ」
「会社で大変な仕事もあるけど、わが子や生活のために踏ん張っているんだ」
少し気持ちを込めて話をするのがポイントです。
お母さんが共働きで仕事をしているなら、同様に説明しましょう。
たとえ専業主婦で定職に就いていなくても、食事をネタにして子どもに話をします。
「お母さんは、わが子のために一生懸命食事をつくっているのよ」
「きちんと成長するために、栄養を考えながらつくっているのよ」
どれだけつくるのが大変なのか、どれだけ栄養のことを考えてつくっているのか、熱く語りましょう。
少しでも伝われば、御の字です。
伝われば、自然と親への態度が改善されていくはずです。
子どもが何かに熱中しているとき「そんなことをする暇があったら勉強しなさい」と、中断させる親がいます。
子どもが熱中することを見つけたというのは、大切なことです。
理系や文系かを選ぶときや職業を選択したりするとき「自分がこれまで熱中していたことは何だろうか」と思い出します。
熱中した経験は、自分の特性を知る重要な手がかりです。
それに強い興味を示し、掘り下げていた分野です。
また、あなたも、これまでの人生でそうだったのではないでしょうか。
そのとき熱中した経験があれば、心強い判断基準になります。
「なぜ熱中していたのか。どこに魅力を引かれたのか」と原因を突き詰め、勉強に生かしたり、職業選択の基準にできたりします。
しかし、子どもが勉強以外に熱中しているとき、熱中する機会を奪ってしまうと、熱中できる機会がなくなってしまいます。
熱中した経験がないと、自分の特性は見つけられません。
熱中というのは、何かの反応を示している瞬間です。
大切なことは、興味を持って熱中しているときには、ほうっておいてあげることです。
子どもが納得するところまでやらせてあげるよう、手助けをするくらいでかまいません。
その経験は、勉強に直接関係なくても、後で生きてくるのです。
子どもは、親の礼儀や行儀を見習います。
真似によって、コピーします。
本来、親の礼儀や行儀がしっかりしていれば、ある程度は自然と子どもにも身につくはずです。
逆を言えば、親より礼儀や行儀が良くなることもありません。
親がやっていないことは、真似のしようがないからです。
親に追いつくことはできても、それ以上の礼儀や行儀は、どうすればいいのかわかりません。
もちろん子どもが多くの出会いの中で、親以上にしっかりした手本を見つけて、目標とすることはあるでしょう。
しかし、まだだいぶ先の話です。
子どもが幼い時期は、やはり親がいちばんの手本です。
すると、あることに気づきませんか。
親は子どもに礼儀や行儀のしつけをすることも大切ですが、それ以上に親が礼儀や行儀を整えることが、さらに大切です。
多くの礼儀や行儀が整っている親だからこそ、子どもも見習うべき点を多く見つけられ、コピーできるはずです。
「この年で今さらマナー教室なんて意味がない」と思っていませんか。
逆です。
今さらだからこそ、マナー教室に通う価値があります。
親になってからも、礼儀や行儀などのマナーを磨くことはできます。
マナーは、自分のためだけでなく、子どものためにもなるはずです。
そう思えば「今さらマナー教室なんて」という考えが一転するのではないでしょうか。
なにより、技能を高めようと親が奮起している姿は、子どもにとっての前向きな刺激になるはずです。
「親が頑張っているなら、自分も頑張らなければ」と思い、親を誇らしく思うでしょう。
大人でも、まだまだ自分を磨くことはできます。
大人である親が輝くからこそ、子どもも輝くのです。
親の中には、わが子に対して乱暴な態度や言葉遣いになっていることがあります。
赤の他人なら、最初から丁寧な態度になりますが、身内に対しては態度が乱暴になってしまいがちです。
特によく見られるのは「名前を呼ぶとき」です。
自分たち親がつけた名前だというのに、子どもを呼ぶときに「おい」「お前」という言い方をしていることがあります。
「年下だから」
「子どもだから」
「わが子だから」
「身内だから」
いろいろな理由が返ってくることでしょう。
しかし、こういうふうに軽い言葉で呼ばれた子どもは、どう感じているかを考えてみましょう。
「親がそう呼ぶなら、こっちだって軽く呼び返してやる」
親に対して、汚い言葉遣いになります。
子どもに礼儀をしつけたいと思うなら、親が子どもに対して礼儀がなくてはいけません。
相手が子どもであろうと、年下であろうと関係ありません。
「わが子だから」ではなく「わが子だからこそ」、より丁寧な呼び方が必要です。
子どもは親の真似をします。
親が自分に対して丁寧に接していれば、子どももほかの人に対して丁寧に接するようになるのです。
しつけというのは、言われて覚えて終わりと言いたいところですが、回り道があります。
山あり谷ありです。
多くの人たちは、次のような成長段階に思い当たるのではないでしょうか。
親が子をしつけるときに、次のような段階があることをあらかじめ知っておくと、対応もしやすくなります。
しつけるとき、その3段階とは「従順期・反抗期・反省期」です。
自分の過去と照らし合わせながら、考えてみましょう。
おおむね10歳までの間は、親の言うことを素直に聞いてもらえる時期です。
何でも「はい」と素直に答えます。
世間はまだわからず、頼りになるのは親だけです。
また親に振り向いてもらいたいため、余計に親の言うことを素直に聞いてくれます。
このころの子どもが、いちばんかわいいのかもしれません。
この10歳までにしつけた行儀や作法は、子どもの人格形成の土台になりやすいです。
10歳を過ぎるころから、子どもは次第に汚い言葉を覚え始めます。
一方でこれまでせっかく覚えてきた行儀や作法を、わざと破り、親の手を煩わせようとします。
10代後半になると、さらにエスカレートします。
ここで今までしつけていた礼儀や行儀が悪くなり、今まで教えていた苦労が水の泡になったかのように思えます。
しかし、大丈夫です。
反抗期がやってきたからと言って、嘆く必要はありません。
反抗期があれば、安心です。
精神発達の過程の1つであり、きちんと子どもが精神的な発達ができている証拠です。
親の言うことに歯向かうのは、自我に目覚め始めているという裏返しでもあります。
いつまでも続くわけではありません。
もうしばらく我慢しましょう。
反抗期を過ぎ、おおむね20代半ばを過ぎ始めたころから、少しずつ子どもの態度に変化が見え始めます。
態度が一転してよくなります。
中学・高校・大学の経験を通して、子どもの経験量は蓄積され、一定量に達します。
すると、多くの他人と自分とを冷静に比べることができるようになります。
このとき、自分が面倒だと思っていた親からのしつけの素晴らしさに、気づき始めます。
ここで一気に反省します。
「自分が間違っていた。幼い時期の親からのしつけは、これほど素晴らしいものだったのか」と、目が覚めます。
親が口うるさかった言葉の奥にある愛に気づきます。
反抗期の自分の身勝手な行動が、乱暴であるほど恥じる気持ちも大きくなります。
一転して、礼儀が良くなります。
個人差はありますが、反抗期に親に強く反抗していたほど強く反省して、態度が急によくなることが多いようです。
すべての人がまったく同じとまではいかなくとも、同じような成長段階を経ているのではないでしょうか。
自分が親になって子どもをしつけるとき、この3段階を覚悟しておくことです。
あらかじめ心に留めておくと、親としても冷静な態度を取りやすくなるはずです。