「子どもの才能を伸ばす」というテーマがあっても、その方法は曖昧です。
子どもを褒めればいいのか。
子どもに愛情を与えるといいのか。
親ができることといえば、無条件の愛を送り続けることです。
愛と才能。
一見すれば、子どもの才能とは関係がないように思えます。
「お母さん、絵本読んでよ!」
子どもが絵本を読んでほしいと、泣き暴れることがあります。
たまたま用事があって忙しいとき、適当な返事をしてしまいがちです。
生まれて間もない赤ちゃんは、何もできない状態です。
生まれたときは、力も服もお金も地位も名誉もない。
あるのは若さのみ。
怒りっぽい親は、子どもの悪いところばかりを見ています。
「弱点」「欠点」「できないところ」「成長の遅れ」など、悪い点ばかりを見ている。
あなたはいかがでしょうか。
子どもができるようになったことは、大人から見れば、ささいなことばかりです。
簡単な字が書けるようになった。
簡単な計算ができるようになった。
子どもを正しく指導するのは、親のしつけの一環です。
ただ、私たちには当然の社会のルール・マナー・常識も、子どもたちには初体験です。
時にはうっかり忘れたり、勘違いをしたりして理解することもあるでしょう。
社会のルール・マナー・常識というのは、すぐ習得できそうな気がします。
しかし、これが落とし穴です。
社会のルール・マナー・常識というのは、底なしの井戸のようです。
大人が何か新しいことを挑戦しようとするとき、さまざまなことを考えます。
どのくらい時間がかかることか。
将来、お金につながることか。
幼いころ、家族全員で動物園に出かけたことがありました。
実家から車で40分ほどのところにある、愛媛県の砥部動物園です。
この砥部動物園には、普通の動物園と少し違った特徴があります。
子が親に似るのは、容姿だけではありません。
コピーしているかのように似ることが、しばしばあります。
たとえば、政治家の息子は政治家になりやすく、医者の息子も医者になりやすくなります。
子どもの行動が消極的なら、行動を封印するような言葉を無意識に使っていることがあります。
「ダメ」
「やめなさい」
私が小学生のころ、同じクラスに登校拒否をする、Mさんという女の子がいました。
初めは毎日、普通に通っていました。
じわじわ来なくなったのではなく、ある日を境に急に、学校に来なくなりました。
エジソンは小学校を、わずか3カ月で中退しています。
3年ではありません。
たったの3カ月です。
子どもにはどんな才能があるのか。
こればかりは、さまざまなことを経験させてあげなければわかりません。
経験したこともないことに「これが合っている」と判断するのは、難しい注文です。
「わが子を天才ピアニストに育てたい!」
そう願って、問答無用でいち早く子どもをピアノ教室に通わせる親がいます。
子どもの才能を開花させようとして、早い時期から厳しく習い事をさせようとします。
勉強の楽しさとは「わからなかったことがわかるようになる」という視野の広がりです。
スポーツの楽しさとは「できなかったことができるようになる」という技術の向上です。
子どもに言葉で伝えようとしても、わかりません。
子どもが好きなことを楽しんで続けていると、親より知識が上回ることがあります。
いくら子どもであろうと、一点に集中して勉強や練習などを積み重ねた結果、著しい上達を遂げることができます。
宇宙の勉強に没頭した結果、親より星の成り立ちに詳しくなるでしょう。
エジソンは幼いころから「なぜなぜ少年」で有名だったそうです。
いえ、エジソンに限らず、本来私たちも子どものころは同様だったはずです。
子どものころを思い出しましょう。
突然ですが、あなたに1つ問題です。
成功の対義語は何か、ご存じですか。
おそらくほとんどの人は「失敗」と答えることでしょう。
私の父と母は、昔から「やりたいことをやりなさい」という教育方針でした。
進路を選択しようとしたときも「自分の希望する道を選びなさい」と言いました。
大学で専攻を決めるときも「勉強したいことを勉強しなさい」と子どもに任せます。
子どもの褒めるべき点を見つけるのが、親の仕事です。
褒めれば褒めるほど、子どもは自信をつけていきます。
子どもを悲しませたり落ち込ませたりしても役にも立ちません。
子どもを早く成長させようと、子どもに大人の気持ちを理解させようとする親がいます。
大人の言っていることが正しくても、なかなかそれは難しい。
子どもの気持ちは、親が理解してあげないといけません。
子どもに自信を持たせるために、親は素晴らしい子孫の話をしてあげましょう。
自分のご先祖様は、偉大なる人物ばかりだという話です。
自分と血縁関係のあるご先祖様に、素晴らしい功績を残した人物がいることを教えます。
子どもは短所があるから、才能が伸びます。
「短所? 長所の間違いではないのか」
いいえ、間違いではありません。
子どもの能力を伸ばすときに、比べて競争させる方法があります。
よその子を意識しながら、競争させる方法です。
事実、競争が必要とされる場面があるのもたしかです。
期末テストまであと3週間。
仕事の納期は、3カ月。
今年も残り1カ月。
「子どもが思うように育ってくれない」
ときどきこうした悩みを持つ親を見かけます。
子どもの教育に悩む親から、よく聞かれる内容です。
「歴史が95点。一方、国語はたったの30点」
もし子どもがこんな点数を取れば、親であるあなたはどう言いますか。
普通の親なら「いい成績」より「悪い成績」を見てしまいます。
勉強には、2つの楽しみがあります。
・学ぶ楽しさ
・生かす楽しさ
「子どもの才能を伸ばす」というテーマがあっても、その方法は曖昧です。
子どもを褒めればいいのか。
子どもに愛情を与えるといいのか。
早くから外国語を教えたほうがいいのか。
何がどのくらい必要で、どうすれば才能に結びつくのか、はっきりわからない人が多いのではないでしょうか。
この問いに対して、知っておきたい法則があります。
「マズローの5段階欲求説」です。
子どもの才能を伸ばすためには、この5段階欲求説からです。
才能を伸ばすうえで、なくてはならない法則です。
アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、人の欲求には基本的に5段階あることを発見しました。
この法則には、異を主張する学者もまだ多いですが、概要についてはおおむね世界的に理解されています。
まずは、5段階のピラミッド型が特徴です。
土台の底辺は、生理的な欲求です。
対して、ピラミッドの頂点は「自己実現」という欲求です。
この欲求の特徴は、2段階目を満たすためには、必ず前の段階が満たされていなければいけないということです。
つまり、3段階目である愛情欲求を満たしたければ、前の段階である安全欲求を満たしていなければいけません。
4段階目である承認欲求を満たしたければ、前の段階である愛情欲求を満たしていなければいけないということです。
第1段階の生理的欲求で、食事や睡眠を十分に取ります。
第2段階の安全欲求で、衣食住などを確保します。
第3段階の愛情欲求で、親から十分な愛情を受け取ります。
第4段階の承認欲求で、親・先生・友人などから「褒められる」「認められる」という体験を積み重ね、自信をつけていきます。
才能の発見や夢の追求がどこかというと、ピラミッドの頂点に当たる5段階目「自己実現欲求」に当たります。
実は第1段階から第4段階までは、別名「欠乏欲求」といわれています。
足りないものを補い、満たすという意味です。
穴を埋めるための欲求です。
対して、第5段階のみ「成長欲求」と呼ばれます。
穴が埋め終わり、山をつくるということです。
自己の成長を促し、才能を発揮しながら社会の役に立てようとする欲求です。
さて、ここまでお話しすれば、ぼんやりしたイメージが、かなり具体的になってきたのではないでしょうか。
子どもに対して、いきなり「才能を伸ばしなさい」と言っても、酷な話です。
才能を発見したり伸ばしたり役立てたりするには、まず「生理的、安全、愛情、承認」の「欠乏欲求」を満たす必要があります。
親が子どもの才能を発揮してもらいたければ「生理的、安全、愛情、承認」の4つの要素を、十分に与えることです。
子どもは自ら自然と「夢を叶えたい、才能を発揮したい」という成長しようとする気持ちになります。
これが子どもの才能を伸ばす、大前提なのです。
親ができることといえば、無条件の愛を送り続けることです。
愛と才能。
一見すれば、子どもの才能とは関係がないように思えます。
しかし、愛を求めようとする子どもの心を満たすために、必要なことです。
愛を満たすことで自分に自信をつけ、新しいことへ挑戦しようとする勇気が湧いてきます。
妻と愛し合い、おなかを痛めて産んだかわいいわが子を、ひたすら愛します。
無条件の愛である「ギブ&ギブ」の精神です。
大好きなわが子なら、元気な姿それだけで十分に嬉しいはずです。
大切なことは、その嬉しさや愛情をきちんと表現するということです。
その愛情もただ思っているだけではいけません。
表現するからこそ、子どもに伝わります。
言葉に表現したり、文章として表現したりします。
きちんと子どもに愛情が伝わるように、発言と行動を繰り返すことが大切です。
次のような具体的な行動を心がけましょう。
親からの愛を受け取って、子どもは体だけでなく、心も育っていくのです。
「お母さん、絵本読んでよ!」
子どもが絵本を読んでほしいと、泣き暴れることがあります。
たまたま用事があって忙しいとき、適当な返事をしてしまいがちです。
「後で読んであげるからね」
何気なく返事した言葉ですが、子どもはこの言葉を信用します。
「今、お母さんは忙しいんだな。終わってから読んでもらおう」
子どもは親の言葉を信用して、いっときはおとなしくなります。
しかし、適当に返事をしたので、親は「後で読んであげる」という約束をすっかり忘れます。
気づけば、約束を破ってしまっています。
子どもは口に出しては言いませんが「言っていることとやっていることが違う」と感じています。
こうしたことが繰り返されると、子どもは「言い訳をすれば約束は破っていい。口返事は適当でいい」と考えるようになります。
親は子どもに「きちんと約束を守るようにしなさい」と言います。
しかし、そういう親が約束を守っていなければどうでしょうか。
言っていることとやっていることとが矛盾していれば、当然、説得力が小さくなってしまいます。
親としては「子どもへの約束だから」と思って、つい軽く見てしまいがちです。
しかし、そうではない。
子どもに対してだからこそ、小さな約束をきちんと守っていきます。
約束は守るものという手本を大人が見せることです。
簡単な口約束でもいい。
約束を守ってくれる親を見て、子どもも約束を守れるようになるのです。
生まれて間もない赤ちゃんは、何もできない状態です。
生まれたときは、力も服もお金も地位も名誉もない。
あるのは若さのみ。
ゼロの状態から始まってから、まだほんの数年です。
できることよりできないことのほうが、圧倒的に多い。
「少しでも早く成長してほしい」
「元気な子に育ってほしい」
「強くて明るい子に育ってほしい」
子どもの成長を願わない親がどこにいるでしょうか。
やはりおなかを痛めて生んだわが子だけに、期待の大きさもひとしおです。
しかし、子どもへの期待が大きすぎるがゆえに、期待しすぎるところがあります。
するとです。
子どもの成長が遅くなったり、期待したとおり成長してくれなかったりすると、急に焦る親がいます。
「ほかの子より成長が遅れている」
「期待したとおりに成長をしていない」
客観的に見れば、何の問題もなく育っているにもかかわらず、期待が大きすぎると、問題があるように見えてしまいます。
思い出しましょう。
生まれて、まだほんの数年であることを。
何もできないゼロの状態から生まれて、まだほんの数年ですからできないことのほうが圧倒的に多い。
できることが一つひとつ増えていれば、親としては素直に喜ぶことです。
早い時期に、他のお子さんと比べたり、成長をせかすようなプレッシャーを与えたりしないことです。
期待が大きすぎると、子どもにとってストレスになり、成長が余計に阻害されます。
子どもに完璧を求めすぎないことです。
すくすく成長するわが子を喜ぶのです。
怒りっぽい親は、子どもの悪いところばかりを見ています。
「弱点」「欠点」「できないところ」「成長の遅れ」など、悪い点ばかりを見ている。
あなたはいかがでしょうか。
子育てをしている自分に、ほんの10分ほど時間をつくってください。
そういう自分に心当たりがないか、振り返ってみましょう。
親として、子どもに期待するのはいいですが、欠点ばかりを見るのは良くありません。
当然のことですが、欠点のない人間なんていません。
誰にでも、弱い部分の1つや2つは必ずあります。
悪い点ばかりを見ていれば、どんな子も悪い子になります。
子どもとして不得意なところ、弱いところ、できないところはあってもいい。
問題であるように見えて、まったく問題ではありません。
親として心がけたいことは、子どものどこを見るかです。
むしろ悪い点ではなく、いい点ばかりを見るように心がけましょう。
「長所」「強み」「できるようになったこと」などです。
いい点ばかりを見ていると、自然と優しい親になれます。
日に日にできることが増え、昨日より成長していることがひしひし感じられるからです。
すべての子が、可能性あふれるかわいい子に見えてくるはずです。
子どもができるようになったことは、大人から見れば、ささいなことばかりです。
簡単な字が書けるようになった。
簡単な計算ができるようになった。
文章を音読できるようになった。
どれも初歩的で、基本的なことばかりです。
大人からすれば、感動することのほどではないと感じます。
しかし「それくらいできて当たり前」と思うのは良くありません。
大人から見ればそうかもしれませんが、子どもにしてみれば、大きな一歩です。
初歩的・基本的なことであろうと、今までできなかったことができるようになるというのは、素晴らしいことです。
むしろ子どもができるようになったことを、少しくらい大げさに喜ぶ親になりましょう。
大げさに喜ぶのも、親の務めです。
「大げさ」がポイントです。
子どもは、自分ができるようになったことで親に喜んでもらえると嬉しくなります。
子どもが見たいのは、なにより「親の喜んでいる笑顔」です。
できないことができるようになり、親が喜んでくれるなら「もっと挑戦したい」「もっと伸ばしたい」と思うようになります。
子どもは自発的に行動したり挑戦したりするようになります。
結果として、子どもの成長が促されます。
親の反応1つで、子どもの成長具合まで変わってきます。
ぜひとも子どもの小さな成長を、大げさに喜べる親になりましょう。
子どもを正しく指導するのは、親のしつけの一環です。
ただ、私たちには当然の社会のルール・マナー・常識も、子どもたちには初体験です。
時にはうっかり忘れたり、勘違いをしたりして理解することもあるでしょう。
親としては、子どもにしつけることも重要ですが、しつければそれでいいわけではありません。
大切なのは、しつけた後です。
きちんと教えたとおりのことができているかどうかを、チェックする必要があります。
監視とはいえ、じっと凝視するように見るのは良くありません。
視線を感じると、子どものプレッシャーになります。
あくまで、子どもに気づかれないよう見ていないふりをしながら、きちんと見ます。
ささいな演技が必要ですが、練習です。
しつけをして子どもが「わかった」と言っても、勘違いをして理解しているかもしれませんね。
もし、勘違いをしたままなら、すぐ指摘です。
「見ていないふりをしながら、しっかり見る」
そういう演技ができる親になりましょう。
子育て上手は、演技上手なのです。
社会のルール・マナー・常識というのは、すぐ習得できそうな気がします。
しかし、これが落とし穴です。
社会のルール・マナー・常識というのは、底なしの井戸のようです。
もちろん基本的な事柄なら、すぐ習得できることでしょう。
人と会えば挨拶、箸の持ち方など、何年も時間がかかるわけではありません。
しかし、1人の人間として生きていくために必要な社会のルール・マナー・常識になると、実に多種多様です。
範囲が狭いようで、実は広い。
浅いようで、実は深い。
すべてきちんと習得しようとすると、実に時間がかかります。
親としては、子どもが他人に迷惑をかけず、子どもに恥をかかせないよう教育を施す必要があります。
しかし、学校があるからとはいえ、基本的な社会のルール・マナー・常識の教育をほったらかしにするケースがあります。
その代表的な例でいえば「テーブルマナー」です。
ナイフとフォークの正しい使い方を知る必要があります。
高級なレストランに行くと、同じようなナイフやフォークがいくつも出てきます。
実はそれぞれに意味があり、使い方があります。
それは本で学んでも身につきません。
実際に自分が体を動かして身につけていきます。
それだけでは済みません。
フィンガーボールなど、どのような使い方なのか、まったく見当もつかないものまで登場します。
さすがにこうしたことまで、学校では教えてくれません。
だからこそ、家庭内で教えるチャンスを、意図的につくる必要があります。
そこで水口家では、まれに家族で高級レストランに外食に出かけることがありました。
子どもには場違いな場所です。
しかし、親としては、学校で教えてくれないテーブルマナーを家庭で教えようとしていました。
最初は失敗ばかりでしたが、親からのフォローのおかげで次第に慣れていきます。
親の真似をして学ぶのが、いちばん習得が早くて、確実です。
こうした基本的な社会のルール・マナー・常識など、すべてを学校任せにするのではありません。
家庭でしか学べないこともあります。
子どもが恥をかく前に、家庭内で教えておく必要があります。
誰かに迷惑をかける前に、教える必要があります。
まず家庭内こそ、教育の基本であり土台です。
基本的な科目の勉強はもちろん学校が主体ですが、社会のルール・マナー・常識などは家庭が主体なのです。
大人が何か新しいことを挑戦しようとするとき、さまざまなことを考えます。
どのくらい時間がかかることか。
将来、お金につながることか。
世間的にかっこいいことか。
すべての大人がそうだとは限りませんが、ある程度、社会や世の中を知ってしまうと、事前に考えてしまうことも多くなります。
そういう数多くのことを考えられるのが、大人の素晴らしい長所ではありますが、一方で短所でもあります。
大人になってから自分の才能を見つけにくいのは、そうした邪念が入り交じるからです。
本当は素直で正直な気持ちがありますが、邪念が入ったせいで「素直な自分の気持ち」がよくわからなくなります。
空にはいつも太陽があるのに、雲が光を遮っているようなイメージです。
それに対して、子どもは素直で正直です。
時間・お金・世間体など一切気にしません。
いえ、まだそういうことを具体的にわかっていません。
自分がやってみたいな、楽しそうだなと思うことを、素直に「やってみたい」といいます。
それに必要な時間・お金・世間体・責任など、一切考慮しません。
親が心配しているのをよそに、子どもは自分の気持ちに素直で正直な発言や行動をします。
だからこそ、好きなことを発見しやすいし、伸びやすくなります。
それが、子どものいいところです。
そういうとき、親の都合で子どもの意見をつぶさないことです。
大人はつい「まだ早い。やめなさい。もっと大人になってから」と、子どもがやりたいことをさまざまな角度から遮ろうとします。
それではせっかくの素直で正直な発言や行動が制限されます。
時間・お金・世間体など、さまざまな心配や不安を感じるのは当然です。
ですが、まずは子どもの気持ちを第一に「やりたい」と思うことを体験させてください。
子どもがやりたいということに、早すぎることはありません。
むしろ早くに体験させるからこそ、他の人より秀でた能力を見つけ、伸ばしやすくなります。
早い時期にいろいろなことを体験させることで、自分の才能を発見しやすいのです。
幼いころ、家族全員で動物園に出かけたことがありました。
実家から車で40分ほどのところにある、愛媛県の砥部動物園です。
この砥部動物園には、普通の動物園と少し違った特徴があります。
園内には、子どもたちが自由に本を見たり読んだりできる「読書スペース」があります。
子ども向けの多種多様な本が置いてありました。
私はそのスペースを見つけ、何気なく本を見ていると、気になる1冊を見つけました。
ほんの数ページですが、ぱらぱらめくっただけで、何か夢中にさせるものがありました。
その私が夢中になった本こそ「エジソンの伝記」です。
はるか昔、エジソンなる偉大な人物がいて、素晴らしい功績を残したのだと知り、感動しました。
「光る電球はエジソンが作ったのか」
どきどきしながら本を読んでいました。
なぜ面白いのか、自分でもそれはまだはっきりしない感覚です。
たしかなことは、吸い込まれるように読んでしまったということです。
動物を見るために、動物園に来ました。
にもかかわらず、私はそのほとんどの時間を、読書に費やしてしまいました。
親としてはわざわざ週末に時間をつくって、お金を払い、家族全員で動物園にきました。
決して本を読みに来たわけではありません。
せっかく来た動物園で、読書ばかりしていれば「動物園に来たんだから動物を見なさい」という小言も言いたかったことでしょう。
しかし、親はそっとしてくれました。
「そのへんで動物見てくるから、貴博はここで好きなだけ本を読んでいなさい」
家族全員、反対する者はいませんでした。
特に寛大だったのは祖父でした。
「子どもが夢中になっている。何かその先に才能のような物があるのではないか」
長く生きている祖父だからこそ、直感のようなものが働いたのでしょう。
驚くべきことに動物園からの帰りに本屋に寄って、その本を買ってくれました。
もちろん家に帰ってからも夢中になって読みました。
そのときのことは、今でもはっきり覚えています。
今になって思えば、そのときの時間が自分の基本的な一部を作ったのはたしかです。
何か作ったり、創造したりする点に、自分の才能のようなものを見いだしていたのです。
子が親に似るのは、容姿だけではありません。
コピーしているかのように似ることが、しばしばあります。
たとえば、政治家の息子は政治家になりやすく、医者の息子も医者になりやすくなります。
アスリート選手の子どももアスリート選手になりやすく、芸能人の子どもも芸能人になりやすくなります。
職種が似るばかりではありません。
成功した親なら、子どもまで成功しやすくなりますから驚きです。
横綱の息子が横綱になる、というケース。
経営者の息子が経営者になる、というケース。
大統領の息子が大統領になる、というケースまであります。
親が成功を収めることで、子どもまで成功しやすくなっています。
遺伝子によって、親の容姿が似るのはわかりますが、なぜ職種や成功まで似るのでしょうか。
それは親の働いている姿と、仕事の内容をよく見聞きするからです。
親が政治の仕事をしていれば、政治関係の仕事を目にしたり、話を耳にしたりする機会が増えます。
医者の息子なら、親が患者を看病しているところを見たり、薬の話をしたりしていることなどよく聞くでしょう。
親がアスリートなら、子どもに体を動かす楽しさや喜びを伝えやすくなります。
そうした中で、成功するポイントも伝授されます。
親が経営で成功していれば、子どもも親の成功哲学を見聞きしやすくなります。
本来は、経験をしてから体得する哲学を、親からの影響により経験する前に体得するチャンスに恵まれます。
子どもにいろいろと教えたければ、難しく考える必要はありません。
自分が今、携わっている仕事の話を存分にしてあげればいい。
親にとっても、自分の仕事は得意分野ですから、いくらでも話ができるはずです。
親が働いている姿を見ることで、子どもにもその才能が芽生える傾向が強くなります。
そういうときこそ、お父さんの仕事についてたくさん話をしましょう。
控えめになる必要はありません。
むしろ堂々と親がしている仕事の内容を話すことで、子どもにもいい影響が出てきます。
堂々と話をしている親は、かっこよく映ります。
仕事の話をたくさんできる親を見て、尊敬したり頼りにしたりします。
親としてできることといえば、自分が持っている魅力をたっぷり子どもに伝えることです。
親は自慢げに、自分の仕事内容を話しましょう。
親の働く姿を見たり、話を聞いたりしているうちに、次第に子どもも親の影響を受けて似ていくのです。
子どもの行動が消極的なら、行動を封印するような言葉を無意識に使っていることがあります。
「ダメ」
「やめなさい」
「してはいけない」
どれも行動をやめさせる言葉です。
「しつけ」を施す際には、もちろん必要です。
人を傷つけたり迷惑をかけたりするようなことは「してはいけません」と断固として伝える必要があります。
事実、やってはいけないことは厳しく伝えるのも親の務めです。
しかし、です。
いつもこうした言葉ばかりを浴びていると、自然と体がこわばります。
いくらしつけ上で大切とはいえ、あまりに「ダメ」という否定語ばかりなら困ります。
使いすぎてしまうと、子どもは何をやっていいのかわからなくなるからです。
「あれもダメ。これもしてはいけない」と何でもかんでも制限してしまうと、金縛りのように動けなくなります。
行動を抑えられ、消極的になってしまいます。
では、どうすればいいのでしょうか。
否定する言葉の表現を、ほんの少し変えてみましょう。
代替案を提示する言い方です。
たとえば「Aをしてはいけない」という言い方を「AではなくBのようにすればいいよ」と言えばいい。
この言い方なら、Aという行動を制限する代わりに、Bという行動を別につくっています。
きちんと逃げ道がありますね。
きちんと代替案を提示しているので、子どもにしつけながら、行動が制限されることはありません。
「AよりBのほうが楽しいよ」
「Aはよくないよ。Bのやり方にしましょう」
「Aはかっこ悪いよ。Bのほうがかっこいいよ」
いろいろ言い方を工夫できることでしょう。
それぞれの家庭やお子さんに応じて工夫してみましょう。
私が小学生のころ、同じクラスに登校拒否をする、Mさんという女の子がいました。
初めは毎日、普通に通っていました。
じわじわ来なくなったのではなく、ある日を境に急に、学校に来なくなりました。
その境に何かあったのか。
私は同じクラスで、席も近かったので、そのきっかけを知っています。
まだ低学年でしたが、はっきり覚えています。
ある日、絵を描く授業がありました。
先生が、本物の花を用意して、見ながら絵を描くというテーマでした。
みんな、花を見ながら、絵を描きます。
それぞれが個性ある花を書いていました。
個性とはいえ、小学生の低学年ですから、うまいというほどの絵ではありません。
私も含め、まあ、小学生らしい絵を描いていました。
そんな中、Mさんだけは一風変わった絵を描いていました。
漫画のような花の絵を描いていました。
それを見て先生は怒ります。
「漫画を書く時間じゃありません!」
「きちんと花をよく見て書きなさい!」
その女の子は大泣きしてしまいました。
私もまだ子どもでしたが「そんなに怒らなくてもいいのに」という強い叱り方でした。
先生が大きな声で叱るので、ほかの生徒も絵を描くのをやめ、Mさんの周りに集まっていました。
そういう状況はよくありませんし、そういう状況にさせるような先生も良くありません。
Mさんとしては、下手な絵で先生に叱られ、下手な絵をみんなに見られ、ひどく傷つき、すっかり自信をなくしたのでしょう。
それ以来、Mさんは登校拒否になってしまいました。
子どもなりに、絵を見てどう感じるかは、人それぞれです。
おそらくMさんとしては、漫画のように花が見えたのでしょう。
Mさんは静かで真面目な人です。
決してふざけて描いているような絵ではありませんでした。
Mさんなりに、見たまま描いたら、漫画のようになってしまったのでしょう。
しかし、先生は、Mさんがふざけていると勘違いして、ひどく叱ります。
それは良くありません。
そういうふうに見えたから、そういう絵も受け入れられるはずです。
どう見え、どう感じるのかは、本人にしかわからないことです。
赤いバラの花だから、赤く描かなければいけない決まりはありません。
赤いバラでも、青のような印象を受ければ、青く描いてもいい。
バラでも、ヒマワリのように見えれば、大きく書いてもいい。
絵を描くとはいえ、多種多様です。
漫画のような描き方でもあるはずです。
そこで、親や先生が「花はこういうものだ」という教え方をすると、子どもは伸び悩みます。
まったく叱る場面ではありません。
私は、今になって思います。
もしや、Mさんは何か才能があったのではないかと。
それ以来、Mさんが登校拒否になってしまって会えなくなったので、詳しいことはわかりませんが、可能性はあったはずです。
往々にして、才能のある人の絵は、変な絵です。
ピカソの絵も「きれいな絵」というより「変な絵」です。
大人ですら理解できないもの。
言い方は悪いかもしれませんが、天才の描く絵ほど、子どもが適当に描いたような絵に見えます。
素晴らしい才能は、一般人には理解できないということです。
一般の人には理解できない印象を受け、一風変わった表現をするから、そう見えるだけ。
大人にはふざけているように見えても、才能かもしれません。
もしかしたらMさんは何か才能を秘めていたのかもしれないと、今になって思いました。
あのとき、先生が叱らずに褒めていれば、Mさんはまた別の道を歩んでいたかもしれません。
子どもの感じ方を尊重してあげましょう。
子どもが見たまま、感じたままに絵を描かせてあげましょう。
エジソンは小学校を、わずか3カ月で中退しています。
3年ではありません。
たったの3カ月です。
入学して早々、授業中、頻繁に問題を起こしていたからです。
授業とは別のことに興味を持ってしまい、またそうした行動が授業そのものを妨害していました。
先生を質問攻めにして、先生は全然授業を進められなかったと言います。
担任の先生からは「あなたの頭はおかしい」といわれるほどであり、3カ月後には校長先生から退学を勧められていたといいます。
学校では有名な問題児でした。
普通の親なら、学校の中退は大反対です。
中退は中退でも、小学校の中退は致命的です。
ましてや小学校のような人生における基本的な学習をする時期に、親が中退を許すはずがありません。
しかし、その中退を許してくれる人がいました。
エジソンの母です。
エジソンの母は、すでに息子の才能に気づいていました。
「多くの点では他の子より劣っているが、発明の点だけは他の子にはない輝きを持っている。これは小学校では磨けない」
そう思った母は、エジソンの小学校中退を許しました。
自宅で好きなだけ発明に打ち込めるような環境を与えました。
基礎勉強をしないわけにはいきませんから、母親が先生の代わりになりました。
往々にして、偉人の背後には必ず素晴らしい親がいると言います。
大発明をしたから、エジソンにスポットライトがあたります。
そんな大発明家エジソンを育てた母親も、陰で支える柱であり、隠れながらも偉人でした。
エジソンも素晴らしいですが、エジソンの才能をいち早く見いだし、才能が伸ばせる環境を整えた母親も素晴らしいと感じます。
さすがにエジソンの母のような教育方法は極端な例であり、真似をするのは難しいことでしょう。
しかし、できるだけ母親が子どもの才能を早くに見つけ、環境を整えてあげるくらいならできるはずです。
子どもは「自分は何が向いているのか」が、なかなかわからない。
しかも養われている身ですから、子どもが自分から生活環境を整えるのも難しい。
そういうときこそ、経験豊富な大人が子どもの才能を早くに見いだします。
その才能が伸びるような環境を整えてあげる必要があるのです。
子どもにはどんな才能があるのか。
こればかりは、さまざまなことを経験させてあげなければわかりません。
経験したこともないことに「これが合っている」と判断するのは、難しい注文です。
子どももわからないです。
当然親もわかるはずがありません。
子どもには、できるだけさまざまなことを体験させてあげる機会をつくってあげましょう。
若い時期にさまざまな経験をするのは大切なことです。
1つのことを深く突き詰めるのも大切ですが、まずは広く浅くです。
注意していただきたいのは「強制的に経験させる」より「自然に経験させる」ということです。
強制的にというのは、どこか親の都合が入り交じっています。
子どもが嫌がらない範囲で、さまざまなことを経験させてあげましょう。
親は、子どもの「三日坊主」を許容します。
三日坊主は決して悪いことではありません。
単に子どもの性格・性質に合っていなかっただけです。
「やってみて、ぴんとくるものがなかったからやめる」というわけです。
子どもの才能を見つけるために「やめる」という判断は大切です。
自分の「不向き」がわかったということです。
一方、やってみて、ぴんとくるものもあるでしょう。
数はとても少ないでしょうが、何か夢中になれたり、面白く感じたりすることがあるはずです。
おそらく向いていることなのでしょう。
「これは自分に向いている。これは自分に向いていない」と向き・不向きを知るために、できるだけたくさん味わっておきます。
もしやってみて、何か楽しさや面白さを感じることがあれば、長く続きます。
もっと詳しく知りたい、もっとうまくなりたいという向上心や探求心も自然と出てきます。
「やってみて、飽きたからすぐやめる」という経験はあっていい。
それが許せる親になりましょう。
器の大きい親だからこそ、子どもは行動の幅が広がり、すくすく育っていくのです。
「わが子を天才ピアニストに育てたい!」
そう願って、問答無用でいち早く子どもをピアノ教室に通わせる親がいます。
子どもの才能を開花させようとして、早い時期から厳しく習い事をさせようとします。
才能が開花するだろうと信じている。
それは完全に親の都合です。
子どもの気持ちや意志をまったく無視しています。
これを「技能重視の才能教育」といいます。
才能発揮でまず必要なのは、技能ではありません。
心です。
技能は心があれば、おのずから伸びていきます。
もちろん早い時期からピアノを習い始めれば、技能は伸びることでしょう。
厳しいスパルタ教育を受けさせれば、さらに技能は伸びるに違いありません。
しかし、どれだけ技能が伸びたとしても、ピアノの才能が開花することはありません。
必ず行き詰まります。
好きでもないことを、親の理想の型にはめられて無理やりさせられるのは、苦痛だからです。
気持ちがなければ「逃げよう」とする気持ちが強くなります。
練習をサボったり、嘘をついたりなど、怠けるようになります。
ピアノの時間になると、急に笑顔が消え、元気がなくなります。
心を無視して、最初に技能から磨こうとすると、行き詰まります。
最初に必要なのは「心」です。
気持ちがあるかどうかです。
まず技能の上達の前に、心がなければいけません。
楽しさから教えるということです。
子どもがピアノを好きになれば「練習しろ」と言わなくても、自分から進んで練習しようとします。
ピアノが大好きになれば、もっとうまくなりたい気持ちも出てきます。
しかもさらにいいことが、2つもあります。
「集中力」と「根気」が、自然と身につくことです。
好きなことだからこそ、集中ができるようになり、上達も早くなります。
好きなことなら、疲れを感じにくくなります。
ストレスに強くなり、練習量が自然と増え、上達がたちまち早くなります。
好きなことだからこそ、困難にぶつかっても、根気で切り抜けようとします。
「楽しい」「好き」「面白い」と感じるからこそ、難しいことが出てきても、逆に楽しんでしまうようになります。
心が先にあれば、ピアノをしている時間そのものが幸せになります。
技能は、あとから自然と身につきます。
しかも長続きします。
子どもが何をしたいのかという心を重視して、教育させるようにしましょう。
勉強の楽しさとは「わからなかったことがわかるようになる」という視野の広がりです。
スポーツの楽しさとは「できなかったことができるようになる」という技術の向上です。
子どもに言葉で伝えようとしても、わかりません。
わからせるには「体感」させるのがいちばんです。
自然とわくわくして、心臓の鼓動が高鳴る自分を発見できることでしょう。
自分が挑戦して、わからなかったことがわかるようになり、できなかったことができるようになるという喜びを感じてもらいます。
これがやる気の燃料になります。
自分から自発的に行動するようになります。
親は子どもに何かをやらせようとするとき「単にやってみなさい」という一方的な言い方は良くありません。
命令であり、強制です。
命令や強制をされると、気持ちが冷めてしまい、やる気も消えます。
新しい経験には不安が伴いますし、勇気が必要です。
自分からやろうとする積極性がないことは、なかなかうまく行動する気持ちが起きません。
もちろん最初から、世間体の話や成績の話はしないほうがいい。
世間体と聞くと周囲が気になりますし、成績と聞くと、体がこわばります。
最初から上手にできないといけないようで、なおさら挑戦しにくくなります。
では、どうすればいいのか。
あらゆることは「楽しさ」から教える方法があります。
宇宙の勉強をさせるときは、子どもの好奇心を刺激します。
「まっくらな宇宙にはたくさんの星があるんだよ。すごいね。宇宙はどこまであるんだろうね。不思議だね」
すると、子どもは興味を持って、自分から進んで勉強するようになります。
そのとき知識が増え、自分の視野が広がる感動体験が得られることでしょう。
スポーツでも勉強でも同じです。
サッカーを教えるときも、狙ったところにボールをけられるようになる楽しさ・嬉しさ・喜びを教えます。
これだけでいい。
初めからうまくできる必要はありません。
勉強であろうと、スポーツであろうと、楽しさを導くように教えます。
楽しんでいるうちに、自然と向上します。
子どもが好きなことを楽しんで続けていると、親より知識が上回ることがあります。
いくら子どもであろうと、一点に集中して勉強や練習などを積み重ねた結果、著しい上達を遂げることができます。
宇宙の勉強に没頭した結果、親より星の成り立ちに詳しくなるでしょう。
サッカーの練習をしていれば、親よりうまくなるのは時間の問題です。
1つのことに集中していると、子どもが先生になれる特定分野ができています。
もちろん親より上回るのは特定分野であって、範囲もまだ狭いですが「誰にも負けないぞ」というほど力を持ってしまいます。
すると、子どもは少し偉そうになります。
「こうすればいい、そうすればいい」
「こんなことも知らないの?」
「これくらいは当たり前だよ」
子どもが先生です。
親と子の立場が逆転です。
そういうとき、2種類の親に別れます。
あなたはどちらでしょうか。
親としては自分の立場がなくなり、プライドに傷がつきますが、それくらいで動揺する必要はありません。
子どもに調子に乗らせると、態度が大きくなり社会的にもよくないと思います。
逆です。
もっと褒めて、さらに調子に乗せます。
子どもは「これはこうです、ああです」と偉そうになったことを、親は大げさに褒めるくらいでかまいません。
「そうなのか。それは知らなかった。すごいな。もっと教えてくれ」
すると子どもは「親から認められた。嬉しい。もっと頑張るぞ」とやる気の炎を燃やします。
親に認められることほど嬉しいことはありません。
どんどん調子に乗っていきます。
それが親の仕事です。
親は演技上手になりましょう。
子どもは親にもっと褒めてもらいたいと頑張りますし、親はそういう頑張る子どもをもっと褒めてあげましょう。
子どもは親におだてられながら、才能を伸ばしていくのです。
エジソンは幼いころから「なぜなぜ少年」で有名だったそうです。
いえ、エジソンに限らず、本来私たちも子どものころは同様だったはずです。
子どものころを思い出しましょう。
なぜ火は燃えるのか。
なぜ空は青いのか。
父親や母親を質問攻めにした経験がきっとあるはずです。
本来、子どもは、旺盛な好奇心を持ち合わせています。
「太陽が明るいのはわかった。問題は、なぜ太陽は輝いているのかだ」
物事を知れば、その先にある原因や理由を知りたくなります。
しかし、その好奇心をつぶしてしまう親がいます。
しつこく質問してくる子どもの対応が面倒になり、適当な答え方をしてしまいます。
「大人になればわかる」
「そんなこと、気にしなくていい」
「はいはい」
「また今度ね」
こうした言葉にどきっとする親御さんたちも多いのではないでしょうか。
こういう親たちの言葉によって、子どもの旺盛な好奇心がつぶれてしまいます。
しかし、エジソンの母ナンシーは違いました。
息子エジソンがあれこれと質問することに対して、無視をしませんでした。
ナンシーはエジソンの問いに対して、知っているかぎりのことは細かく答えました。
わからないことがあれば、一緒になって調べたりしたと言います。
子どもが持っている「旺盛な好奇心」を、学校の成績よりずっと重んじていました。
その徹底ぶりには感服です。
子どもが興味や関心のあることをどんどん突き進めて行けば、自然と才能のある方向へと向かうようになります。
だからこそ、エジソンのような偉大な人物へと育てることができました。
親である自分の言葉を振り返ってみましょう。
子どもの質問に対して、旺盛な好奇心をつぶすような言葉を返していないでしょうか。
才能を伸ばす親は、まさにエジソンの母が手本です。
「旺盛な好奇心」をつぶさず、むしろ伸ばしていくのです。
突然ですが、あなたに1つ問題です。
成功の対義語は何か、ご存じですか。
おそらくほとんどの人は「失敗」と答えることでしょう。
言語として考えれば、たしかにそうなります。
しかし、実は違います。
成功の対義語は「何もしないこと」です。
何もしなければ、絶対に成功はあり得ません。
成功とはたくさんの行動をした結果です。
多くの行動が山のように積み重なった結果です。
では、肝心の失敗は何かというと、実は「成功の類義語」です。
失敗も成功と同じ意味です。
「え? 同じ意味?」
失敗すれば、欠点や弱点などが見つかりますね。
その悪い点をきちんと反省や改善などすれば、その結果、成功に近づくからです。
まったく悪いことではない。
むしろ喜ばしいことです。
失敗も成功と同じと考えることができます。
エジソンの母ナンシーは、息子が発明でうまくいかなくても、上手に励ましたそうです。
「うまくいかなかったけど、これで『できない』という発見があったね。あなたは前進しているのよ」
すると息子エジソンは、はっとしてまた発明にいそしんだそうです。
これはプラス思考とか、そういう問題ではありません。
失敗は成功につながるというのは、紛れもない事実です。
たくさん失敗している人は、実は将来有望な人です。
たくさんの失敗をしている人が、将来大物にならないわけがない。
誰より早い失敗が、誰より早く成長できる要因です。
親はこのことを、子どもに伝えてあげましょう。
失敗をして喜んでいいのだと。
むしろたくさんの失敗をして、大きな成長に変えるのです。
私の父と母は、昔から「やりたいことをやりなさい」という教育方針でした。
進路を選択しようとしたときも「自分の希望する道を選びなさい」と言いました。
大学で専攻を決めるときも「勉強したいことを勉強しなさい」と子どもに任せます。
職業を選択しようとしたときも「いちばんやりたい仕事を選びなさい」と言いました。
「とりあえず英語とパソコンの知識だけは必要だけどな」と親なりの希望を言いながらも、最終的な決断は私に任せてくれました。
逆に「塾に行きたくない」と言うと「行きたくなければ行かなくていい」と言ってくれる親でした。
シンプルでした。
もちろんやりたいことをやろうとして選んだ道は、険しいこともありました。
やりたいことをやって、すべてスムーズに進むわけではありません。
挫折を味わったり、悔しさを味わったりもしました。
しかし、です。
不思議なことに後悔だけはありません。
やりたいことをやっていたからです。
もしやりたいことを我慢していれば、おそらく「あのときやっておけば良かったな」という後悔ばかりが残っていたでしょう。
大学受験で失敗し、浪人生活を送ることもありました。
しかし、自分のやりたいことをやって選んだ道ですから、後悔はありません。
つらく悲しい時期も、全部成長に変わりました。
やりたいことをやっているうちは、後悔とは無縁です。
「自分の人生を自分らしく歩んでいる!」という実感があるからです。
これに勝るものはありません。
自分が望んでしたことですから、責任は自分に返って来ます。
うまくいかなかったとしても、成長として返ってきます。
このHAPPY LIFESTYLEがあるのも、親のおかげでもあります。
好きなことをやりなさいという教えが、今でも私の生き方の哲学になっています。
自主性を尊重させてくれた親に、大変感謝しています。
私は、幸せを感じる時間がほかの人より多いと思います。
やりたいことをやっているので、特に不満はないのです。
子どもの褒めるべき点を見つけるのが、親の仕事です。
褒めれば褒めるほど、子どもは自信をつけていきます。
子どもを悲しませたり落ち込ませたりしても役にも立ちません。
元気と自信を失い、消極的になるだけ。
親のすごさを見せつけようと、子どもを叱ったり怒鳴ったりするのは良くありません。
親としてできることは、子どもの長所を見つけて、たっぷり褒めることです。
大きなことや立派なことでなくてもいい。
何か物事をするときに、悪い結果に落ち込んでいる子どもがいれば、プロセスを見てあげましょう。
結果は悪くても、プロセスに褒めるべき点はいくつかあることでしょう。
工夫があったり、ベストを尽くしたりした跡が見られれば、たたえる言葉が出てくるはずです。
もし、結果もプロセスも両方ダメなら「挑戦した勇気」を褒めればいい。
このように見方を変えれば、子どものいいところはいくらでも見つかります。
さて、ここからが本題です。
こうしてさまざまな角度から褒めることの本当の意味は、もう1つあります。
「親の柔軟な視点を子どもに感じてもらう」ということです。
子どもが感動するのは、褒められたときだけではありません。
褒めるべき点を見つけようとする、親の前向きな姿勢です。
発想を変えたり見方を変えたりなど、試行錯誤している親から良い影響を受けます。
親は、どんなにつらいことがあってもプラス発想を貫くことです。
親のさまざまなプラス発想に子どもが触れることで「なるほど。そういう見方もあるな。上手に考えるな」と学びます。
親のプラスへ持っていこうとする発想を子どもは学び、吸収します。
親がプラス発想だと、子どももプラス発想になる。
前向きな考えが笑顔や元気をつくり出して、子どもも前向きに考えるようになります。
子どもを早く成長させようと、子どもに大人の気持ちを理解させようとする親がいます。
大人の言っていることが正しくても、なかなかそれは難しい。
子どもの気持ちは、親が理解してあげないといけません。
子どもの精神年齢はまだ低いからです。
親の発言・行動・高い位置からの見かたなど、子どもの精神レベルでは、理解できるほどの器がまだありません。
子どもは子どもらしく行動します。
そういうのを親は「やめなさい、頑張りなさい、辛抱しなさい。もっと強くなりなさい」と、突き放すのではない。
それは大人の見方であり、大人の都合です。
子どもは、親の気持ちをなかなか理解できません。
逆です。
親が子どもを理解します。
夜道を怖がる子どもを「怖いんだね」と理解する。
スキンシップをしたがる子どもを「安心したいのだな」と理解して、受け入れる。
嫌なことがあってすぐ泣く子どもの気持ちを解釈する。
友人とけんかする子どもに対して「抑えきれない気持ちがあったんだな」と理解する。
そういう子どもが困難な壁に当たったとき、子どもの気持ちや心情を理解できる親になりましょう。
親は大人だからこそ、できるはずです。
親が一歩先をいき、子どもの気持ちを理解しながら接していきます。
親の落ち着いた態度に接しながら、子どもも次第に大人へと成長します。
子どもを理解する親に育てられた子どもは、いずれ大きくなったとき、理解力のある大人へと成長するのです。
子どもに自信を持たせるために、親は素晴らしい子孫の話をしてあげましょう。
自分のご先祖様は、偉大なる人物ばかりだという話です。
自分と血縁関係のあるご先祖様に、素晴らしい功績を残した人物がいることを教えます。
「うちの家系に、それほど素晴らしい人物の心当たりはないぞ」
いえいえ、実はあります。
大発明家のエジソン。
大音楽家のモーツァルト。
天下統一を果たした豊臣秀吉。
世界的な童話作家のアンデルセン。
飛行機を発明したライト兄弟。
実はこうした偉大な人物は、みな親戚です。
血縁関係はないように思えますが、あります。
はるか昔にさかのぼって考えてみましょう。
100年前ではなく、もっと昔です。
何百年、何万年も前まで先祖をさかのぼって考えてみましょう。
元をたどれば、私たちのご先祖様は、実はみな同じ親にたどり着きます。
原始生命体のころから枝分かれしているだけです。
見た目は違っていても、遺伝子レベルでは同じものを持っています。
そういう素晴らしい遺伝子を持っていることを子どもに教えてあげれば、子どもは元気を出し、自信がつきます。
もちろんあなたにも言えることです。
すべての人は、努力や頑張りしだいで大天才になれる可能性があるということです。
子どもは短所があるから、才能が伸びます。
「短所? 長所の間違いではないのか」
いいえ、間違いではありません。
たしかに伸びるといえば長所が思い浮かびますが、そうとも限りません。
長所がさらに伸びるためのエネルギーとして、短所が必要です。
短所とは、いわばコンプレックスです。
ほかの人より出来や評判が悪かったりする部分があると、それを補おうとする力が強くなります。
短所を隠したり補ったりすることで、逆に長所になるというのはよくある話です。
たとえば、生まれつき記憶力が悪い人もいれば、運動神経が鈍い人もいますね。
生まれつき記憶力が悪ければ、成績が伸び悩み、なかなか勉強がはかどらないことでしょう。
一方、生まれつき運動神経が鈍い人は、時間をかけているにもかかわらず、なかなか上達しません。
しかし、それでもいい。
スポーツがダメでコンプレックスなら、せめて勉強で見返してやればいい。
逆に勉強がダメなら、スポーツで見返してやろうという気持ちに変えればいい。
コンプレックスでためたストレスを、別のところで発揮すればいい。
親は子どもの短所に過剰反応する必要はありません。
あらゆるコンプレックスは、反動力へと変わります。
発明家トーマス・エジソンは、周囲の人との協調性がないという弱点があったからこそ、1人で集中できる力を発揮しました。
作曲家ベートーベンは、難聴に悩んでいたからこそ音への執着が強くなり、『第九』のような素晴らしい名曲を生みました。
細菌学者の野口英世は、幼いころ、左手にひどいやけどを負い、コンプレックスになっていました。
いじめられた経験が反動で、勉強で見返してやろうと努力した結果、黄熱病の研究で成果を上げました。
研究の末、黄熱病で亡くなりますが、功績がたたえられます。
ガーナ共和国の2004年11月発行の1000円札に、肖像として採用されています。
苦手な部分やダメな部分があってもいい。
ダメならダメで、他の分野で見返してやろうという力へ変わります。
短所があるからこそ、子どもは伸びるのです。
子どもの能力を伸ばすときに、比べて競争させる方法があります。
よその子を意識しながら、競争させる方法です。
事実、競争が必要とされる場面があるのもたしかです。
他人を意識するからこそ、怠けようとする心が引き締まります。
厳しい試練に耐えることができますし、負けん気ややる気も出ることでしょう。
競争するのは、能力の伸びを早くする方法の1つであるのはたしかです。
そういう学習方法を早くから取り入れている、幼稚園や小学校もあります。
能力を伸ばすことには大変有効な比較や競争です。
しかし、才能を発見したり伸ばしたりすることに直接つながるかというと、疑問です。
才能を見つけたり伸ばしたりするとき、他人と比べるのは本末転倒です。
才能は、常に「自分の中」にあります。
自分の中から掘り起こして、育てていきます。
内側にありますから、他人と比べたりするのはナンセンスです。
他人と比べても、逆に気になって、周りの行動に流されます。
よその子は、よその子です。
父も違えば、母も違います。
好みも性格も違います。
向き・不向きも違うでしょうし、得意・不得意の違いなどもさまざまです。
よその子と比べると、才能は伸びるどころかつぶれます。
他人との競争の中で、子どもは自分が本当にやりたいことを発見しにくくなります。
競争で他人を意識しすぎるからこそ、自分の好きなことややりたいことが余計にわからなくなります。
しかも競争という猛スピードの中です。
自分のことを考える時間もなければ、心の余裕もありません。
限られた範囲の能力を引き伸ばすために有効な手段の1つですが、受験のように限られた時間内に限られた勉強をするときだけです。
才能のように、個人の持ち味が違う分野に関しては、比較や競争も不要なのです。
期末テストまであと3週間。
仕事の納期は、3カ月。
今年も残り1カ月。
学校の勉強にしろ何にしろ、世の中には「制限時間」があることばかりです。
学生生活は無限というわけではなく、有限です。
限られた時間の中で、進めなければいけない授業があり、カリキュラムがあり、スケジュールがあります。
したがって、おのずから時間も制限されるようになります。
この制限があるというのは、素晴らしい一面もあります。
制限時間があるからこそ、予定を立てやすくなり、集中力ややる気も出ます。
タイムプレッシャーは、人の心も体も引き締めるという効果があります。
しかし、制限時間があるからこそ、逆に失われることがあります。
「落ち着ける時間」です。
緊張や焦りを感じる時間が増えることで、落ち着ける時間が少なくなります。
時間ばかりを気にしていると、自分の気持ちややりたいことを見失ってしまいやすくなります。
学校の勉強や資格取得の勉強など、制限時間を設けたほうが効率が上がるものがあるのはたしかです。
しかし、すべてに制限時間を設けたほうがいいわけではありません。
才能には制限時間を設けないほうが、成果は上がります。
たとえば、子どもが自由にすることには制限時間を設けないほうが、才能は伸びやすくなります。
時間がたっぷりあるからこそ、自分の気持ちに正直に従った行動をしやすくなるからです。
悩むときには、気が済むまで悩み抜くことです。
わからないときには、気が済むまで調べ尽くすことです。
この徹底が重要です。
時間を気にせず、徹底できる環境というのは大切です。
ときを忘れ、自分の気持ちに集中するということです。
自分の気持ちを感じる時間があるからこそ、好きなことを見つけ、好きなだけ打ち込むことができるようになります。
「時間にとらわれない時間」があるのは、素晴らしいことです。
ゆったりした時間の中で、子どもは自分のペースで物事を考えやすくなります。
時間に流されることなく、自分の気持ちに集中ができるようになります。
のびのびした環境が、子どもの才能が伸びやすくなります。
「子どもが思うように育ってくれない」
ときどきこうした悩みを持つ親を見かけます。
子どもの教育に悩む親から、よく聞かれる内容です。
思うように育ってくれないと聞くと、子ども側が悪いのだと思ってしまいますね。
「言うことを聞かない子どもなのだろう」
「いたずらが好きな子どもなのか」
「大人の意見を無視しているのか」
あらためて考えてみましょう。
悪いのは親の側です。
もちろんマナーや常識といったしつけは、きちんと教える必要があります。
社会で生きるために必要な常識やマナーを徹底的に教え込みます。
そういうマナーや常識という型を教えるのはいいですが「子どもの生き方」まで型にはめさせるのは良くありません。
「子どもが思うように育ってくれない」と悩みを抱いている時点で、親は子どもを「型にはめよう」とする気持ちがある証拠です。
「天才ピアニストに育ってほしい」
「はきはき話す子どもに育ってほしい」
「名門校に入ってほしい」
そういう希望を抱いているので、知らぬ間にそういう道を押し付けてしまおうとしている。
なぜ言うことを聞かないのかというと、押し付けているからです。
むしろ無理に生き方を型にはめさせようとすると、子どもは余計に言うことを聞かなくなります。
「やりなさい」と言われることは、逆にやりたくなくなるという経験はありませんか。
誰かにやりなさいと命令されたことは、なぜかやる気が消えてしまい、逆の道へと進みたくなります。
親がこうなってほしいという都合を子どもに押し付ければ押し付けるほど、子どもは逆の方向へと育ってしまいます。
子どもの性格はそれぞれであり、親の思っているとおりに育ってくれなくて当然です。
ピアノより勉強のほうが得意かもしれない。
はきはきではなく、もぞもぞ話す子に育つかもしれない。
成績は人並みで、名門校に入れるほどではないかもしれない。
往々にして子どもは、親が思いもしないような方向へ育っていきます。
それが普通です。
思いもしない方向でいい。
子どもがそういう道を選んでいますから、子どもには最も都合の良い快適な道なのでしょう。
親の考え重視ではなく、子どもの考え重視で育てていきましょう。
「歴史が95点。一方、国語はたったの30点」
もし子どもがこんな点数を取れば、親であるあなたはどう言いますか。
普通の親なら「いい成績」より「悪い成績」を見てしまいます。
「歴史はもう十分な点数が取れているから勉強する必要はない。そんな時間があるなら国語を勉強しなさい。穴を埋めなさい」
山になっているところより、穴が開いているほうを見てしまいます。
人間の悪い癖です。
得意なところはいいとして苦手な分野をなくさせようとします。
これを続けていくと、どこのお子さんでも平均的な人間へと育ってしまいます。
平均的に育てようとすればするほど、才能の芽はつぶれます。
大切なことは「平均」より「偏り」です。
もし、子どもが得意科目にばかり点数が偏り始めたら、悪い傾向ではなく、むしろいい傾向です。
あることは得意なのに、あることは苦手という分野はあっていい。
見方を変えて言えば「子どもはきちんと自分の得意分野を認識して、集中できている」ということです。
メリハリがついています。
平均的ではないことに危機感を抱く必要はありません。
何かが伸び悩んでいる分、何かが伸びている分野がきちんとあります。
こういうとき親は「歴史が大好きなんだね。すごいね」と褒めてあげます。
歴史の勉強の背中をもっと押すくらいでいい。
子どもは褒められたことに自信を持ち、さらに勉強することでしょう。
すると、限りなく100点に近い点数を取ります。
単に歴史が大好きで得意な子どもにとって、学校の試験範囲が狭くて浅いだけです。
すでに100点に近い点数を取っているにもかかわらず、もっと勉強したところでやはり100点を超える点数は取れません。
学校で受けるテストでは、そうです。
単にテストには表れていない点数があります。
点数は100点でも、実は110点、120点が取れていることに気づきましょう。
点数には表れない点数です。
それが才能です。
100点以上の点数が取れるほど歴史が得意になれば、その子は一生それで食べていけます。
得意な歴史を生かして「歴史の先生」になる可能性が大きいことでしょう。
そのほか歴史に関連する専門職に就く可能性も大きくなります。
就職にも有利になります。
平均的でなくてもいい。
むしろ平均的のほうが危ないです。
これといった長所がない人に比べれば、成績に偏りがあっても、誰にも負けない得意分野がある人のほうが、就職は有利です。
そもそも、子どもは歴史が大好きですから、大好きなことを仕事にできることほど幸せなことはありません。
仕事面にせよ、金銭面にせよ、1つの科目をどんどん伸ばしていくことです。
成績の偏りは、本人の才能が発揮し始めているいい兆候なのです。
勉強には、2つの楽しみがあります。
得意分野を勉強する場合、まず感じるのは学ぶ楽しみです。
歴史が得意な子は、生まれる前に起こった出来事を知ることで、視野が広がり、感動します。
サッカーが上手な子は、自分の手足のようにボールを操れるようになる上達に楽しみを感じます。
ピアノが得意な子は、技術が上達するにつれて美しいメロディーを弾けることに喜びます。
その分野が、勉強であろうと、スポーツであろうと、音楽であれ「まず学ぶことを楽しむ」という点は共通です。
しかし、そこで止まらせてはいけません。
得意分野があるだけでは、宝の持ち腐れです。
本当に大切なことは「生かす楽しさ」です。
自分の得意なことを誰かのために生かすことで、本当の喜びや幸せを感じることができます。
歴史が得意なことなら、親は生徒役を演じてみましょう。
「お父さんお母さんに、歴史の話を教えてよ」とお願いし、子どもを先生役にします。
先生になった子どもに、あれこれと説明を聞いた親は「そうか、なるほど。よくわかった。知らなかったよ」と驚きます。
本当は知っていることでも、わざと知らないふりをして大げさに驚くくらいでかまいません。
すると、子どもは自分の勉強したことが誰かの役に立ち、喜ばれる感動体験を得られるでしょう。
サッカーが得意な子なら、試合をして自分の技術がチームの勝利に貢献する機会を与えます。
ピアノが得意な子なら、小さな演奏会を開いてみます。
自分の得意なピアノで誰かを感動させ、喜ばれるという機会をつくります。
「自分の得意分野が、人のために生かされ喜ばれる」
そうした機会ができるように親が促します。
ここです。
得意なことを、得意なままで終わらせるのではない。
得意なことを、誰かのために役立たせるという「生かす楽しさ」に気づかせることが重要です。
生かすのに早すぎるということもありません。
自分の知っている範囲やできる範囲でもいいので、生かすことが重要です。
アウトプットをすることで、自分のインプットがより強化され、足りないインプットをもっとしたくなる気持ちが大きくなります。
子どもが生かす楽しみを実行し始めたら、いい傾向です。
子どもは「もっと喜ばれたい」と思い、勉強に拍車がかかります。
才能は一気に伸びていくのです。