幼児教育において、初めに心に留めておきたい日本の格言があります。
「3つ子の魂、百まで」です。
3歳ごろまでに受けた教育によって形成された性質・性格は、100歳になっても根底は変わらない、という意味です。
子育てをするとき、自分の子どもに向かって「ありがとう」という機会は、あまりありません。
「ありがとう」という言葉は、お世話や親切をしてくれた人に向かっていうお礼ですね。
他人の親御さんや保育所の先生には、ありがとうとお礼を言うでしょう。
子どもを育てていると、他の家庭のお子さんと接する機会が出てきます。
まだ幼いとはいえ、早い段階から人間関係に触れ合うのはいいことです。
他の家庭の子と触れ合うことで、人間関係の仕組みや距離感などを覚えるでしょう。
子どもたちにとっていちばん安心できるのは、どこかご存じですか。
自分の部屋でもベッドの上でもありません。
親の肌に触れている瞬間です。
大人と子どもの身長差を考えてみましょう。
幼い子どもは身長が低い。
一方、大人は高いですね。
教育やしつけの一環として、親は子どもを叩きそうになるときがあります。
平手で叩く。
握り拳で殴る。
ある日、銭湯に行ったときのことです。
3歳くらいの小さな男の子とお父さんの2人がいました。
子どもはお父さんと一緒にお風呂に入ろうとしますが、お湯に手を入れるやいなや「熱い!」と言って嫌がっていました。
まだ幼い子どもは、トラブルを起こします。
ミルクをこぼす。
テーブルを汚す。
ベビーカーに乗せて、子どもと散歩をすることがあります。
ゆっくりのんびり移動をしていることでしょう。
しかし、子どもにとって本当にゆっくりのスピードでしょうか。
幼児は、まだ分別のついていない時期です。
私たち大人は、すでに常識や作法が身についていますし、道具の使い方も熟知しています。
自分たちが知っているので、つい自分たちの感覚で子どもたちも知っているように考えてしまいますが、違います。
思いもよらないような動きをするのは、幼児の得意技です。
大人は分別があるので、当たり前だと思っても、子どもたちはとんでもないことをする場合があります。
そこで注意したいのは「ちょっとだけ目を離す」ということです。
告白します。
私はまだ分別のつかない幼いころ「ベッドは下で寝るもの」と思っていました。
「え? ベッドの下?」
幼児期は、愛情をいっぱい注ぐ時期です。
たくさん注ぎすぎてしすぎることはありません。
もちろん甘やかすのはいけませんが、甘えさせるのはOKです。
すぐかっとなる。
すぐ暴力を振るう。
こういう辛抱ができず、理性を忘れやすい子どもがいます。
人間は、ほかの動物とは違い、言葉を操る「コミュニケーション能力」が大変発達しています。
その鍵は「真似をする能力が高いから」だといわれています。
「言語習得」は、必ず「聞くこと」から始まります。
教育する親は、大人です。
大人ですから、つい子どもの立場を忘れ、大人の立場から教育を考えてしまうことがあります。
子どもへの教え方でよくありがちな典型的な間違いがあります。
「子育て」と聞くと、注意が子ども一点に集中するイメージがあります。
子どもを育てますから、子どもに対して最大限の注意を払います。
たしかに幼い子どもの教育も大切ですが、子どもしか見ていないのも問題です。
私は昔から、発明や機械などに興味を持っていました。
特に衝撃を受けたのは、アニメ『キテレツ大百科』でした。
このアニメには、さまざまな発明品が登場します。
子どもにできる範囲のことからお手伝いをさせてみましょう。
子どもは、お手伝いを通して成長します。
「手伝いなんてまだ早い。難しすぎるし、危険だ」
子どもと一緒に家事をするのは、良いことです。
子どもはお母さんの役に立っていることを実感できますし、親にとっても家事の手伝いは仕事が減って楽になります。
しかし、家事は無味乾燥になりがちです。
子どもを育てようとするとき、つい偏りがちな言葉があります。
「しなさい」と「してはいけません」です。
「お母さんの手伝いをしなさい」
生まれてまだ世の中のことをよく知らない子どもは、すべてが勉強です。
学ぶことが山ほどあります。
「勉強しなさい!」
昔話というのは、強い力があります。
小学生に上がる前のころ、寝る前にいつもお決まりのルールがありました。
母からの昔話です。
「けんかをしてはいけません!」
子ども同士がけんかをしているとき、いきなり叱る親がいます。
殴り合ったり叩き合ったりしている子ども同士を見て「けんかはやめなさい。仲良くしなさい」と言って、ねじ伏せます。
兄弟や姉妹など、子どもが2人以上いる場合があります。
3人も4人もいる家庭もあるでしょう。
子どもが何人かいれば、自然と発生する問題があります。
子どもへの教育も、父と母の2人だけでは物足りないです。
自分たちの子どもだから、自分たちだけでなんとかしようとする意気込みはいいですが、そうは言っても限界があります。
父は仕事でへとへとに疲れている。
よくよく考えてみると、子育てには休日がありません。
会社や学校には休日があっても、子育ては24時間、付きっきりです。
特に小学生に上がるまでの幼い時期は、最も手がかかる時期と言っていいでしょう。
叱るときに大切なのは、いきなり叱らないことです。
いきなり叱るのは、子どもには刺激が強すぎます。
叱られると落ち込みやすく、その結果、親の声が届きにくくなります。
兄弟や姉妹のように、子どもが複数人もいる場合があります。
親に要求されるのは「兄弟・姉妹を『平等』に育てる」という教育です。
「そんなこと当たり前だ」と思うでしょう。
子どもは不思議です。
まだ分別がつかないころは行儀が悪いので、トラブルを起こしがちです。
父や母から「ああしなさい。こうしなさい」と言われます。
幼児教育において、初めに心に留めておきたい日本の格言があります。
「3つ子の魂、百まで」です。
3歳ごろまでに受けた教育によって形成された性質・性格は、100歳になっても根底は変わらない、という意味です。
「何て大げさな! 本当に3歳までなのか!」
そう思うでしょう。
正確に3歳までかというと議論の余地がありますが、幼児の時期に人格を形成する基本が出来上がるというのは本当です。
科学的にも証明されている事実です。
生まれたばかりの赤ちゃんは、基本的に未発達の状態で生まれてきます。
1人で立つことも食べることもできません。
いえ、目も見えない状態です。
脳の中の神経細胞は、生命を維持する最小限以外は、ほとんど未発達の状態で生まれます。
お母さんのおなかの中にいたころは、刺激らしい刺激はまだありませんでした。
しかし、生まれた瞬間から、外界からの強い刺激にさらされるようになります。
光・音・におい・暑さ・寒さ・感触などです。
未発達の状態で生まれますが、そうした刺激や環境に適応しようと、脳が活発に活動し始めます。
人の成長において、生まれてから最初の3年間ほど、急成長の時期はありません。
すごい右肩上がりの成長です。
生まれたばかりの赤ちゃんは、目も見えず、歩けず、話もできなかったのに、ほんの3年後には見違えるほどの成長を遂げています。
目が見え、歩けるようになり、話ができるようになります。
自分の思っていることや考えていることまで、はっきり話し始めます。
すごい急成長、急発達ですね。
脳の神経細胞の発達は、生後3歳くらいまでの期間に、急速に発達します。
3歳くらいで、脳内神経細胞のおよそ80%が完成されるといわれています。
急激な成長をする脳内では、脳神経に強く受けた刺激の配線を残しています。
これが「性格形成の原点」と言われます。
「性格はなかなか変わらない」という悩みも、これが理由です。
あなたも、幼いときから性質は大きく変わってはおらず、基本的な部分は今も昔も同じであるという実感があることでしょう。
未発達の状態とはいえ、手を抜けない時期です。
幼児教育は、子育ての中でも最も力を入れる時期です。
最初の3年間こそ、教育に力を入れましょう。
子育てをするとき、自分の子どもに向かって「ありがとう」という機会は、あまりありません。
「ありがとう」という言葉は、お世話や親切をしてくれた人に向かっていうお礼ですね。
他人の親御さんや保育所の先生には、ありがとうとお礼を言うでしょう。
手伝ってもらったり、お世話を受けたりするので、そうした人たちに言う機会は数多くあります。
お世話を受ける機会が多いから、感謝をする機会も頻繁です。
しかし、逆はどうでしょうか。
自分の子どもに向かって「ありがとう」と言う機会は、少ないのではないでしょうか。
幼児期とはいえ、まだ親を世話するほどの力はありません。
どちらかと言えば、幼児はまだお世話をされる側ですね。
子どもが大人に「ありがとう」を言う機会は多いですが、逆に大人から子どもに「ありがとう」を言う機会は少ないです。
子どもに「ありがとう」を言う機会は少ないでしょうが、ぜひ「ありがとう」という言葉を言いましょう。
ほんの少しのことでもいい。
子どもが落ちているものを拾ってくれたり、テレビのチャンネルを変えたりするようなお手伝いなど、単純なことで結構です。
お父さんやお母さんは、子どもに向かってにっこり「ありがとう」と言ってみましょう。
幼児は真似をするのが、上手です。
幼い時期に、親から「ありがとう」と言われると、真似をするようになります。
「ありがとうが言える子」へと成長します。
もちろん単に「ありがとう」と言うだけでなく、必ず「にっこり」とした笑顔も含めましょう。
にっこりした笑顔で「ありがとう」と言われる経験が多いと「お礼を言うときには笑顔になるのだな」と覚えます。
笑顔が良くなり、表情が良くなるのです。
子どもを育てていると、他の家庭のお子さんと接する機会が出てきます。
まだ幼いとはいえ、早い段階から人間関係に触れ合うのはいいことです。
他の家庭の子と触れ合うことで、人間関係の仕組みや距離感などを覚えるでしょう。
他の家庭のお子さんと接していると、親御さんとしては、ふと思うことがあります。
自分の子と他人の子を、比べてしまいます。
ほかの子と接する機会があると、わが子と比べがちになり、ささいなことにぴりぴりしてしまいます。
「うちの子より、歩くのが上手」
「話がしっかりしている、箸の持ち方もうまい」
「同じ年なのに、うちの子より成長が早い。なぜ?」
「うちの子は、成長が遅いのかしら」
親は、つい自分の子よりよくできている子を見てしまいます。
その結果、比較しながら育てようとしてしまいます。
「A君ができるからうちの子もできるはず。もう少し厳しく育てよう」
自分の子よりできない子を見るのは気にならないですが、自分の子よりできる子を見つけると、気持ちが焦ります。
その時点で、何か負けているような気持ちになってしまうなら、要注意です。
わが子への教育が乱れ始めている証拠です。
「十人十色」という言葉を忘れていませんか。
子どもには、伸びが早い子もいれば、遅い子もいます。
差があるとはいえ、ささいな差です。
まだ幼児期ですから、発育がほんの少し早かったり遅かったりなど、気にしないことです。
そのほんのささいな差に、親の心情が悪化するほうが、子育てへ悪い影響を与えます。
どんな理由であろうと、子育てのとき、他人との比較は良くありません。
親なら大人らしく、少々のことで動揺しないことです。
わが子はわが子らしく育てることです。
焦らず、のんびり育てるようにしましょう。
子どもたちにとっていちばん安心できるのは、どこかご存じですか。
自分の部屋でもベッドの上でもありません。
親の肌に触れている瞬間です。
たとえば次のような経験はありませんか。
子どもを抱っこしていると、いつの間にか寝ていた。
おんぶをしていたら、いつの間にか寝ていた。
膝の上で座らせていると、いつの間にか眠っていた。
幼い子を育てていると、一度は経験があることでしょう。
なぜ、自然と眠りについてしまうのかおわかりですか。
安心するからです。
親の肌に触れていると、安心して、急激な眠気が襲ってきます。
どんなにふわふわのベッドも、親のおんぶや抱っこにはかないません。
子育てとは、子どもを笑わせたり喜ばせたりするだけではありません。
子どもを安心させることも、大切な子育ての一環です。
安心させるためには、難しいことは不要です。
子どもをおんぶしたり、抱っこしたり、膝に乗せたりするだけでいい。
「お父さん、お母さんが守っているよ。大丈夫だよ。安心してね」
幼児の時期は、親と子が直接触れ合う機会を増やしていきましょう。
スキンシップをすることで、子どもは安心感を抱くと同時に、親から子へと愛情を伝えることができるのです。
大人と子どもの身長差を考えてみましょう。
幼い子どもは身長が低い。
一方、大人は高いですね。
問題なのは「大人から子どもへの視点」ではなく「子どもから大人への視点」です。
子どもの立場になって考えてみましょう。
背の低い子どもが背の高い大人の顔を見ようとすると、どうでしょうか。
身長さが大きいので、ほぼ真上を見上げる姿勢になります。
それは威圧感がある光景です。
話をするとき、いつも真上を見上げる姿勢も、大変です。
まだ首周りがしっかりしていない子どもには、かなりきつい姿勢です。
いつも真上ばかり見ていると、首回りを痛めかねません。
しかも、上から話しかけられると、威圧感があります。
真上から話しかけられると、命令されているようですね。
単に話しかけられているだけでも、上から話しかけられていると、叱られているような気分になります。
子どもと話をするときには、子どもと同じ高さの目線になるようにしましょう。
親が子どもに合わせて、しゃがんで中腰になったり座ったりなどして、大人と子どもの目の高さが同じになるようにしましょう。
子どもが高くなるはずはありませんから、大人から子どもに合わせるしかありません。
目線が同じになるので、首を痛めるリスクも小さくなります。
子どもには、目線が同じになることで、話を受け入れやすくなります。
大人からの圧力が小さくなり、言葉が受け入れやすくなるのです。
教育やしつけの一環として、親は子どもを叩きそうになるときがあります。
平手で叩く。
握り拳で殴る。
足でける。
言うことを聞かないときには、痛みでわからせようと思います。
いくら教育やしつけとはいえ、こうした暴力は絶対にNGです。
子どもには、インパクトがありすぎます。
脳が未発達の状態で頭を叩くなんて、もってのほか。
いくら教育とはいえ、体罰は良くありません。
子どもには強い恐怖を感じるだけでなく、小さな頭を強く叩かれるのはとても危険です。
大人にとって弱い力でも、子どもには強い力に感じます。
では、子どもを叩きそうになったとき、どうすればいいのでしょうか。
1つアドバイスがあります。
子どもの手を優しく握り締めましょう。
もちろん強すぎないように注意です。
ほんの少し握手に力を入れるくらいでいい。
初対面の人と、感情を込めて握手をするようなイメージです。
少し圧迫感のある握り方で「これはよくないことですよ」というメッセージを子どもへ伝えます。
この方法なら、子どもへのインパクトはありません。
けがを負うこともないので安心ですね。
スキンシップを通して、気持ちを伝えることができるのです。
ある日、銭湯に行ったときのことです。
3歳くらいの小さな男の子とお父さんの2人がいました。
子どもはお父さんと一緒にお風呂に入ろうとしますが、お湯に手を入れるやいなや「熱い!」と言って嫌がっていました。
お父さんは「熱くないよ。大丈夫だよ」と言います。
しかし、子どもは熱さを嫌がって、入ろうとしません。
親は仕方なく、抱きかかえて無理やり入れようとしていました。
子どもは眉間にしわを寄せ、我慢をしながら入っている様子でした。
それを見て、私は「ちょっと違うなあ」と思いました。
大人は、あることをすっかり忘れています。
子どもの皮膚の薄さです。
そもそも大人と子どもとでは、温度の感じ方が全然違います。
大人より子どものほうが圧倒的に皮膚が薄いので、大人以上に熱く感じてしまいます。
大人にとってちょうどいいと感じる温度でも、子どもには、やけどをするような温度に感じます。
この温度の感じ方の違いに気づくことです。
これに気づかずに、無理やりお風呂に入れさせようとするから、子どもは「お風呂嫌い」になります。
お風呂に入るのが苦痛になれば、嫌がるのは当然ですね。
子どもと一緒にお風呂に入るときには、大人が感じる温度ではなく、子どもにとってちょうどいいと感じる温度にしましょう。
子どもにとってちょうどいい温度は、大人にはぬるま湯です。
「これでは、体が温まらない」と思いますが、半身浴をする気持ちになりましょう。
半身浴で、子どもとのんびりバスタイムをくつろぐくらいの余裕を持ちましょう。
子どもと一緒にお風呂の時間をゆっくり過ごすことができると、前向きに考えるくらいでいいのです。
まだ幼い子どもは、トラブルを起こします。
ミルクをこぼす。
テーブルを汚す。
スプーンを落とす。
コップをテーブルから落として壊す。
客観的に見ると、子どもはいたずらをしているように映りますね。
そういう子どもを見て、とっさに親は叱ってしまいます。
「汚しちゃダメでしょ」
「こぼしちゃダメでしょ」
「しっかりしなさい」
子どもは、わざと悪さをしているように見えますが、違います。
たしかに物事の分別はまだはっきりはしていませんが、飲もうと思ったミルクを、自分からこぼそうとするはずがありません。
では、なぜこぼすのか。
子どもたちの手足は、まだ発達段階だからです。
手足を動かそうと思っても、きちんと自分の思いどおりに動かせません。
脳神経の回路は早い段階で発達します。
ただし運動神経は、脳神経に比べて、発達が遅い特徴があります。
脳神経系は3歳までに8割が完成すると言われますが、一方で運動に関する神経系統はもっと完成が遅い。
だから、こぼしてしまいます。
幼児期は、まだ思いどおりに手足をコントロールできない時期です。
子どもが悪いわけではなく「そういうものだ。仕方ない」と思うくらいでいい。
子どもがこぼす、汚すことに、大人は寛大になることが大切です。
こぼしたり汚したりして、すぐ怒るのはよくないのです。
ベビーカーに乗せて、子どもと散歩をすることがあります。
ゆっくりのんびり移動をしていることでしょう。
しかし、子どもにとって本当にゆっくりのスピードでしょうか。
大人が普通に歩くスピードでベビーカーを押しているつもりでも、子どもには感じ方が違います。
超特急並みの速さです。
大人には新幹線に乗っているのと同じだと考えればいいでしょう。
外の景色が次々と移り変わり、何がなにやらわかりません。
風景を楽しむ余裕もなければ、美しさに感動する暇もない。
子どもにとっても同じであり、早すぎるので、頭の整理が追いついていません。
大人たちは、すでに知っていることなので大したこととは感じず、ベビーカーですいすい移動してしまいます。
しかし、子どもには初めて見たり感じたりしたことばかりです。
頭で整理するのに時間がかかります。
においを感じる時間が必要です。
風景を見て、感じたり理解したりするにも、大人以上に時間がかかります。
そういうとき、大人のペースで移動させていると、頭の整理をする時間も余裕もなくなってしまいます。
子どもにいろいろなものを見せてあげ、成長を促したい気持ちはわかります。
ですが、ベビーカーで移動していると、子どもはスピードが速すぎて、逆に何も理解できなくなります。
大人の普通のスピードは、子どもには速すぎるということに気づきましょう。
散歩をするときには、ベビーカーより散歩です。
散歩のペースも、子どものペースで散歩をしましょう。
子どもが何かに興味を持ち、立ち止まったりすれば、大人もそれに付き合うようにする。
気になる植物を触ったり、においを嗅いだりする時間をつくりましょう。
ゆっくりしたペースに感じることでしょう。
子どものよちよち歩きは、大人には止まっているようなスピードです。
子どもにはちょうどいいペースになるので、物事の吸収が良くなるのです。
幼児は、まだ分別のついていない時期です。
私たち大人は、すでに常識や作法が身についていますし、道具の使い方も熟知しています。
自分たちが知っているので、つい自分たちの感覚で子どもたちも知っているように考えてしまいますが、違います。
使い方を知らない子どもたちは、思いもよらない道具の使い方をしようとします。
常識も作法もまだわかりません。
その結果、奇抜で意表をつくようなことをします。
私は幼いころ、新聞はごみだと思って、川に捨てたことがありました。
「ごみは捨てましょう」と教わっていたので、新聞もごみだと思っていました。
大人たちには情報がたくさんの新聞も、まだ字の読めない子どもには、模様や柄に見えます。
そもそもごみはごみ箱に捨てるものですが、なぜ川に捨てたのかも意味不明です。
新聞はごみではありませんし、川もごみ箱ではありません。
今考えると、とんでもないことをしたなと思いますが、そのときは真剣にごみを捨てた気持ちになっていました。
まだ、新聞を川に捨てる程度だったから良かった。
別に大けがをするわけではない。
しかし、場合によっては、けがにつながることをすることもあります。
食事に使うスプーンが喉に突き刺さったり、穴掘りの道具で体を痛めてしまったりすることもあるでしょう。
上の階に上るための階段を、なぜか寝るところだと勘違いし、狭い階段で寝ようとします。
物を買うためのお金を、食べるものだと勘違いし、飲み込もうとする。
1万円札を、ためらいなく破ります。
もしかしたら、私のように1万円札をごみだと勘違いし、川に捨てる子だっているかもしれませんね。
まったくもって、子どもたちの動きは予想できません。
大人たちにとって当たり前のように使っている物品でも、子どもたちはまだそれがわかっていない。
何であるか、どう使うのかわからないからこそ、大人が予想もしない使い方をしようとします。
「まだわかっていない」と子どものことを、大人たちがわかってあげる必要があるのです。
思いもよらないような動きをするのは、幼児の得意技です。
大人は分別があるので、当たり前だと思っても、子どもたちはとんでもないことをする場合があります。
そこで注意したいのは「ちょっとだけ目を離す」ということです。
目を離した一瞬ですら、何をするのかわからない。
たとえ、クリーニングを取りに行くときに、車の中でほんの3分間だけ待たせようとします。
そのくらい大丈夫だろうと思いますが、実際はどうでしょうか。
そのわずかな間に、車のキーを回して、発進させてしまうかもしれない。
子どもだからこそ、絶対にないとは言い切れません。
注意したいのは、だんだん目を離す時間が長くなってしまうことです。
「1分だけ目を離して大丈夫だったから、3分くらいでも大丈夫だろう」と思います。
さらに惰性心が働き、5分となり、10分となり、いつの間にか30分へと気が緩んでしまいます。
ちょっとだけ目を離す時間が、だんだん長くなっていませんか。
幼児期を卒業し、小学生くらいになればまだわかります。
小学生くらいになれば、ある程度分別がついているので、目を離す時間を長くしてもいいでしょう。
しかし、まだ幼児期は安心できる時期とは言えません。
手足の運動神経は、まだまだ未発達です。
ほんの気の緩みが、一大事を招くことになるかもしれません。
大変な時期ではありますが、手足がきちんとして、ある程度分別がつく時期になるまで、保護や監視をする必要があるのです。
告白します。
私はまだ分別のつかない幼いころ「ベッドは下で寝るもの」と思っていました。
「え? ベッドの下?」
水口家のベッドは少し背が高くて、ベッドの下には物が置けるような空間がありました。
「大人たちは、なぜわざわざあんな高いところで寝るのだろうか。落ちたら大変じゃないか。ベッドの下のほうが暗いし安全だ」
わざわざ高いベッドに上るより、ベッドの下で寝るほうが、子どもにとって都合が良かった。
「タカヒロ! ベッドの下で寝るのはやめなさい。ベッドの上で寝なさい」
よく親から叱られていました。
今思えば笑えるような話ですが、実際にあった話です。
幼いころ、そういうことを真剣に思っていた時期があります。
なぜ大人と子どもとで、ベッドの見方が変わるのでしょうか。
身長差が、大きいからです。
親として忘れがちなのは、子どもの低い身長です。
同じ場所に立ってはいても、身長差が全然違うので、見える世界が違います。
親は身長が高いので、ベッドの上で寝ると思います。
大人は身長が高いので、ベッドの上に乗るのも簡単です。
しかし、子どもは身長が低いので、ベッドの上が見えませんし、そもそも上るのも大変です。
「ベッドから落ちたらどうしよう。大けがをしそうだ」という不安もあります。
面倒だったり不安だったりするので、ベッドの下で寝るほうがいいと思ってしまいます。
食卓のテーブルも同じです。
大人にとって食卓のテーブルとは、食事をするところに見えます。
テーブルを上から見ることになるので、テーブルに並んでいる食事が見えることでしょう。
一方、子どもにとっては、下からテーブルを見ることになります。
テーブルの上に食事が並んでいても、わかりません。
だから、いろいろないたずらをしてしまいます。
テーブルの足を押したり引いたり、椅子を動かしたりして、遊んでしまいます。
ごみ箱も同じです。
身長の高い大人には、上からごみ箱の中がのぞけるので、一目でごみ箱だとわかります。
しかし、子どもは自分と同じくらいの身長のごみ箱を、単なる障害物だと思います。
移動させたり転がしたりして、遊んでしまいます。
なんと驚くことに、子どもはかくれんぼのとき、ごみ箱の中に入ろうとします。
大人は体が大きいので、そんなことは考えもしませんが、子どもはそういう発想をします。
では、子どもの見る世界を知るためにはどうすればいいのでしょうか。
単純なことです。
親は四つん這いになりましょう。
親が子どもと同じように、視点を低くして、見える世界を確認すればいい。
ぐっと視点を低くしてみると、親は子どもの見える世界が理解できるはずです。
普段と変わらない自分の部屋が、四つん這いになるだけで、見える世界が変わります。
同じ部屋の大きさも、低い位置から見ると、妙に広い部屋だという印象を受けることでしょう。
子どもの目になって見ることができるようになるのです。
幼児期は、愛情をいっぱい注ぐ時期です。
たくさん注ぎすぎてしすぎることはありません。
もちろん甘やかすのはいけませんが、甘えさせるのはOKです。
子どもが泣けば、抱っこして慰めてあげましょう。
頑張ったときには、たくさん褒める。
つらいときには、慰めてあげる。
子どもには、親から愛情を受けることほど幸せを感じることはありません。
スキンシップをしたり、褒められたりして、次第に成長します。
「子どものころから甘えさせると習慣になる」という人もいますが、そうではありません。
習慣にはなりません。
子どものころに甘えさせ、十分な愛情を注ぐことで、強くなります。
なぜでしょうか。
親からいっぱいの愛情を受けると、子どもは自信と安心を感じるからです。
「自分は親に守られている」という安心。
「自分にはいざというときに親がいる」という自信。
この2つがあれば、子どもは「少し新しいことに挑戦してみようかな」という気になります。
やる気や勇気が、自然に湧いてきます。
子どもは、じっとできないほど冒険心にあふれています。
いくら冒険とはいえ、新しいことに挑戦するためには、保険をかけておきたいと思います。
親からの愛情を受けることで得られる「安心と自信」が土台になり、新しいことに挑戦しようと「やる気」や「勇気」が湧きます。
親からの愛情が、子どもの成長を促すポイントです。
まず親は、子どもを徹底的に安心させてあげましょう。
成長を促そうと冷たくあたるより、温かく接するほうが、はるかに成長します。
親からの愛情を受けた子は、成長が遅いどころか、むしろ早くなるのです。
すぐかっとなる。
すぐ暴力を振るう。
こういう辛抱ができず、理性を忘れやすい子どもがいます。
俗に言う「キレやすい」という状態です。
「どんな親なのだろうか。親は子どもにどういう教育をしているのか」
親の教育が気になるところですね。
実は、そういう子どもの親を見ると、親もまたキレやすい性格だったりします。
子どもは親の真似をするものであることを思い出しましょう。
子どもの手本は親ですが、手本である親の態度が悪ければどう思うでしょうか。
気に入らないことがあればすぐ怒鳴る親を見たとき、子どもはこう思います。
「気に入らないことがあれば、怒鳴ってもいいんだな」
「自分に都合の悪いことがあれば、すぐ文句を言ってもいいんだな」
「いらいらすれば、すぐ暴力を振るってもいいんだな」
子どもは、親のいいところも悪いところも全部吸収します。
親は子どもの手本になることです。
もちろん突破口はあります。
キレない親になればいい。
理性的で丁寧な態度を見せれば、子どもも理性的で丁寧な態度になります。
どんなときにも理性的で、丁寧で、堂々とした優しい親であることです。
子どもにそういうふうにしつけると言うより、そういう親であるほうが重要です。
そういう親なら、自然とそういう子どもへと育ちます。
手本である親を磨くことで、手本を見習おうとする子も磨かれます。
親が理性的で丁寧な態度を見せれば、子どもも真似をして、理性的で丁寧な態度になります。
きちんとした子どもとして教育する前に、きちんとした親であることです。
子どもへの教育の神髄とは、実は親といっても過言ではないのです。
人間は、ほかの動物とは違い、言葉を操る「コミュニケーション能力」が大変発達しています。
その鍵は「真似をする能力が高いから」だといわれています。
「言語習得」は、必ず「聞くこと」から始まります。
耳から聞いた音を真似して、口にする。
これが、言語発達の第一歩です。
言葉を聞いて、その音を自分の口で真似をして発音ができるようになり、コミュニケーション能力が発達します。
人の成長は、まず「聞く」から始まります。
親が子どものためにまずできることは、子どもにたくさん話しかけることです。
生まれる前の赤ちゃんに「早く生まれてきてね」と話しかけるのもいいことです。
赤ちゃんは言語としては認識していなくても、その声は届いています。
生まれてからも、できるだけたくさん話しかけましょう。
最初は、きちんとした会話ができなくてもいい。
たくさんの言葉のシャワーを、子どもに浴びせてあげましょう。
話し上手な親からたくさんの言葉のシャワーを浴びるので、言語の習得が早くなります。
いろいろな言葉を聞くことで、真似をして早くしゃべられるようになります。
いろいろな言葉を語りかけることでボキャブラリーも豊富になり、言葉を操るのが上手になります。
親からたくさん話しかけられた子どもは、言語の習得が早くなります。
子どもに言語を習得させるときには、子どもにたくさん話しかけてください。
「空に飛行機が飛んでいるね」
「木に虫がたくさんいるよ」
「部屋の電気は明るいね」
さまざまなシチュエーションで語りかけた言葉から、言葉の意味や使い方を覚えます。
教育する親は、大人です。
大人ですから、つい子どもの立場を忘れ、大人の立場から教育を考えてしまうことがあります。
子どもへの教え方でよくありがちな典型的な間違いがあります。
「悪いことをしてはいけません」という教えです。
大人なら、ある程度、善悪の判断がつきます。
長く生きていますから、常識や作法などが身についており、何がよくて何が悪いのかがわかっています。
いいことは吸収し、悪いことは無視する。
そういう「判断」ができます。
しかし、子どもはまだきちんと善悪の判断がつきません。
「悪いことをしてはいけません」という教えは、そのとおりですが、いきなり最初に言っても幼い子どもは困ります。
幼い子どもには「悪いことは何なのか」と疑問に思うからです。
いいことと悪いことを判断したいけれど、わかるほど分別がまだついていない。
悪いことをしたくない気持ちはあっても、その判断ができません。
むしろ「何が悪いことなのか、こっちが教えてほしいよ」と思っています。
子どもに対する教え方は「悪いことをしてはいけません」ではなく「これは悪いことですよ」という教え方です。
子どもが間違ったことをしたとき、親は寛大な心で「これは悪いことですよ。悪いことだからしてはいけません」と優しく教えます。
そういうことを、一つひとつ丁寧に教えます。
この積み重ねです。
根気のいるところですが、一つひとつ善悪を教えて常識や作法を教えていくしかないのです。
「子育て」と聞くと、注意が子ども一点に集中するイメージがあります。
子どもを育てますから、子どもに対して最大限の注意を払います。
たしかに幼い子どもの教育も大切ですが、子どもしか見ていないのも問題です。
子育ての前に大切なことがあります。
「家族のチームワーク」です。
子どもを育てるには、父も母もそれぞれの主担当をきちんと全うすることで、家族全体がうまく回ります。
ときどき、父親に無理に子育ての協力をさせようとする母親を見かけます。
「あなたも子どもの面倒を見てよ」
「子育てを手伝って」
「子育ては父も参加しないといけないでしょう!」
父ができるかぎり育児に参加するのは、素晴らしいことです。
母のみならず、父も子育てに参加したほうが母親の負担も減りますし、子どもにとっても嬉しいことです。
ただ、仕事でどうしても疲れがたまっている父親です。
子育てができないくらい、力も余裕もない場合もあります。
父は、自分の生活費だけでなく、母親と子どもの生活費を稼ぐため、朝から晩まで働いています。
2世帯住宅なら、祖父や祖母の生活費まで稼ぐ必要がありますから、余計に責任を重く感じていることでしょう。
つらい上司からの指示を断りたくても「家がある。妻がいる。子どもがいる」と思い、逆らえません。
少々厳しい上司からの指示にも従いますし、会社を休みたくてもなかなか休めません。
雨が降っても風が吹いても、頭痛がしても、やる気が出なくても、今日も朝早くに会社へ向かいます。
そういう大きな責任を背負っているがゆえに、男とはいえ、ひどく疲れがたまります。
本音としては「休日くらいはゆっくりさせてほしい。でなければ体がもたない」と思います。
母ばかりが子育てをして、父は子育てにまったく関与していないように見えますが、違います。
父は、生活費を稼ぐという大事な仕事をしています。
直接、子どもには関係しなくても、間接的に接しています。
体力に余裕があればいいですが、疲労が限界に達しているにもかかわらず、無理をするのも問題です。
むしろそれで体を壊して、生活費を稼げなくなるほうがもっと困ります。
「家族とはチームワーク」
いま一度、思い出してほしい言葉です。
家族の中で「役割分担」を、まずはっきりさせることです。
チームを構成するにあたり、それぞれの役目を決めます。
父は稼ぐために働きに出て、母は家で家事や育児というそれぞれの主担当をはっきり決めておきます。
父は家族の稼ぎの主担当。
母は、家事と育児の主担当。
それは差別ではありません。
きちんと「家族」という大きな船を運航していくための役割分担であり、チームワークです。
まず、自分の主担当を全うするのが最優先です。
そのうえで余裕があれば、副担当へと手を回せばいい。
もし父に余裕があれば、母を手伝い、家事や育児の協力をしたりすればいい。
もし母に余裕があれば、父を手伝い、アルバイトで出稼ぎに出たりすればいい。
家族全体のバランスを整えるのです。
私は昔から、発明や機械などに興味を持っていました。
特に衝撃を受けたのは、アニメ『キテレツ大百科』でした。
このアニメには、さまざまな発明品が登場します。
壁をすり抜けられる道具。
光を照らすと物を大きくしたり小さくしたりできる特殊な懐中電灯。
人間のように動き回るロボットです。
テレビを見て、まだ興奮が冷めやらないうちに、アニメで見聞きした内容を祖父に一生懸命話したことがあります。
とにかく興奮していましたし、話を誰かに聞いてもらいたかった。
すでに夜中でしたが、一緒に布団の中で寝ながら、祖父に話を聞いてもらいました。
登場人物の名前や、アニメで登場する発明品の名前は覚えていませんでした。
「なんか土の中に潜るものをつくっていたよ」
「懐中電灯みたいなので照らしたら、物を大きくしたり小さくしたりできるのが出てきた」
「人間みたいなロボットが出てきたよ」
抽象的な表現が多いですが、とにかく興奮のままに、アニメの中で登場したことを次々話しまくったことを覚えています。
すごく支離滅裂な話だったと思います。
祖父は早く寝たかったかもしれません。
しかし、30分くらい一方的に話していた私の話を、祖父は「うん。そうか。すごいな」と言いながら聞いてくれました。
話している私ですら、話の途中がめちゃくちゃになっていることに気づいていたくらいです。
祖父も私の話をよくわからなかったに違いありません。
しかし、いまだにそのときのことを覚えています。
祖父が私の話を一生懸命に聞いてくれたことが、なぜか無性に嬉しかった。
「話を聞いてくれる」というのは、愛されていると感じる瞬間です。
注意が自分に向けられているということが感じられるからです。
子どもは毎日が新しいことの発見です。
その発見したり、できるようになったりしたことを、誰かに話したいと思います。
そんな話を聞いてあげられる親になりましょう。
子どもはきっと喜ぶに違いありません。
子どもにできる範囲のことからお手伝いをさせてみましょう。
子どもは、お手伝いを通して成長します。
「手伝いなんてまだ早い。難しすぎるし、危険だ」
もちろん力が必要だったり、危険が伴ったりする手伝いをいきなりさせようと言っているのではありません。
「安全であり、できる範囲の小さなこと」からお願いしていけばいい。
単純でシンプルなわかりやすい範囲から、少しずつやらせてみます。
初めは簡単でいい。
たとえば「テレビのスイッチのオン・オフ」です。
特に危険な作業ではありませんね。
間違っても、いたくもかゆくもありません。
自分でやったほうが早いと思うのは反則です。
子どもの成長のために、わざと子どもにお手伝いをお願いします。
「ここを押すとテレビがついて、もう1回押すとテレビが消えるよ」と最初に教えておきます。
これなら力も必要ありませんし、危険なことでもありませんね。
子どもは真似をして、すぐ覚えることでしょう。
「ちょっとテレビが見たいなあ。テレビをつけて」と言えば、きっと手伝ってくれることでしょう。
これで、子どもは「テレビのスイッチの付け方」を覚えます。
「なるほど。このボタンを押せばテレビがつくのか」
体を通して覚えるのがいちばんです。
このようにして、できる範囲から手伝いをしてもらい、少しずつできる幅を広げていきます。
ほかにもたくさんあります。
できる範囲で食器洗いを手伝ってもらうことで、蛇口のひねり方や食器の洗い方を覚えることでしょう。
「花の水やり」を手伝ってもらうことで、花の食事は水なんだと覚えます。
掃除のお手伝いで、掃除のやり方を覚えます。
できたときには、少し大げさに「すごいね」「よくできたね」と喜ぶのがポイントです。
親の喜んでいる顔を見て、子どもはもっと手伝いをしたくなります。
手伝いを通して、いろいろなことを学んでいくのです。
子どもと一緒に家事をするのは、良いことです。
子どもはお母さんの役に立っていることを実感できますし、親にとっても家事の手伝いは仕事が減って楽になります。
しかし、家事は無味乾燥になりがちです。
たとえば洗濯物を取り込んだ後、一緒に服をたたむ一例を挙げましょう。
服をたたむ作業は、単純作業です。
初めは楽しいですが、だんだん飽きて、つまらなくなります。
服をたたむときに、黙々とたたむのは良くありません。
できるだけ子どもと会話をしながら、服をたたむようにしましょう。
「これはお父さんの服だよ。これを着て毎日仕事に行っているんだよ」
「これはお母さんの服だよ。明るい色が多いね」
「この服の素材はアクリルなんだよ。この素材は絹だよ」
服をたたむ単純作業のときこそ、会話です。
説明を含めると面白くなります。
もちろん説明だけではなく、質問でも効果的です。
「質問です。この服はだれの服でしょうか?」
「質問です。この服は誰がどんなときに着る服でしょうか?」
「質問です。この服の素材は何でしょうか?」
子どもは服の形やデザイン手触りを感じながら、一生懸命に考えるでしょう。
家事を手伝う時間が、なぞなぞの楽しい時間に早変わりです。
いいアイデアですね。
服のたたみ方を覚えるだけでなく、子どもは素材の種類を覚えることができます。
無味乾燥に思える家事の時間が、子どもの会話を増やし勉強になるという豊かな時間になります。
服をたたむときだけではありません。
一緒に掃除をするとき。
一緒に料理をするとき。
一緒にお買い物をするとき。
一緒に犬の散歩をするとき。
ぜひ親子の会話を交わしましょう。
家事をするときに、子どもに説明をしたり、質問をしたりしましょう。
子どもは家事が楽しくなります。
「早くお手伝いがしたい」と言って、子どもから話しかけてくるのです。
子どもを育てようとするとき、つい偏りがちな言葉があります。
「しなさい」と「してはいけません」です。
「お母さんの手伝いをしなさい」
「悪いことをしてはいけません」
こうした「しなさい、してはいけません」という教え方は、たしかに大人は言いやすいです。
しかし、どこか無味乾燥な教え方です。
言っていることは正しいですが、内心、子どもはこういう指示を嫌います。
よくても悪くても、別に自分には関係ないと思います。
あるとすれば「悪いことをして親から叱られるのが嫌だ」というマイナスの感情です。
親が言う「してはいけません」をすれば、親が怒るので、しぶしぶ言うことに従います。
では、どういう教え方をすればいいのでしょうか。
それが「嬉しい」と「悲しい」です。
「お母さんのお手伝いをしてくれると、嬉しいな」
「お友だちとけんかをしたら、お母さん、悲しくなるなあ」
子どもは「親に喜んでもらいたい。悲しんでもらいたくない」と思っています。
親が嬉しがっているところを見たいし、悲しんでいるところは見たくはありません。
「嬉しい・悲しい」でメッセージを伝えたほうが、子どもとしては行動するモチベーションになりやすくなります。
「しなさい」という言葉を「嬉しい」に言い換えるだけです。
「してはいけません」という言葉を「悲しい」と言い換えるだけです。
難しくありませんね。
今日から、子どもへ語りかける言葉をほんの少し変えてみましょう。
生まれてまだ世の中のことをよく知らない子どもは、すべてが勉強です。
学ぶことが山ほどあります。
「勉強しなさい!」
親は子どもに、たくさん学んで成長するよう励まします。
しかし、それで本当にいいのでしょうか。
学ぶのは子どもだけではありません。
初めての子育てを経験するなら、親も「親」という立場を初めて経験します。
いくら大人とはいえ、親としての態度や振る舞い方など、わからないことがたくさんありますね。
「自分は大人ではあるが、親を初体験している」という未熟な部分をきちんと認めることです。
子どもをきちんと育てる前に「自分も親を初体験中なのだ」と謙虚に受け止める。
親も親として、日々学ぶことがたくさんあります。
大人の都合で叱ったり教育したりせず、一度立ち止まってみます。
あらためて「子育て」なるものについて、親も勉強していきましょう。
さまざまな媒体や方法を最大限に活用すれば、学ぶことは山ほどあるはずです。
子どもだけでなく、親も、毎日学ぶことが山ほどあるのです。
昔話というのは、強い力があります。
小学生に上がる前のころ、寝る前にいつもお決まりのルールがありました。
母からの昔話です。
母と妹と一緒にベッドの中に入り、私たちが眠るまで聞かせてもらいました。
「早く寝なさい」と言っても、子どもはなかなか素直に言うことを聞きません。
母は、子どもたちをベッドで寝かせるために、寝る前に昔話を聞かせ、自然に寝られるようにしていたのでしょう。
毎日寝る前に、母の昔話を聞くのが楽しみでした。
母の昔話は特徴がありました。
「絵本」を使わないことです。
すべて母の肉声で語られています。
たいていは母が頭で覚えているものを、母なりの調子で語ります。
時には、母なりに話の内容をアレンジしたオリジナルの昔話を聞くこともありました。
絵本ももちろんいいですが、声のみの昔話は、さらに刺激があります。
子どもの想像力を高める効果があるからです。
絵本の場合、絵があるので読みやすいですが、絵があるからこそ正解が限定されます。
絵本で登場する、人物像は、絵本に描かれているのが正解です。
しかし、言葉だけの場合はどうでしょうか。
昔話を聞くと、子どもなりに想像を膨らませます。
「怖い赤鬼が……」とくれば、あなたはどのような赤鬼を想像しますか。
想像には正解がありません。
10人いれば、10とおりの赤鬼が登場します。
赤鬼は大きくてもいいです。
小さくてもいい。
少し痩せ気味の赤鬼かもしれませんし、小太りかもしれませんね。
眉間にしわが寄せている鬼かもしれませんし、ぼさぼさの髪をした赤鬼を想像する人もいるでしょう。
どんな想像でもいい。
あらゆる想像が正解です。
大切なことは、めいっぱい想像力を働かせるということです。
子どもは親からの昔話を聞きながら、自分なりに風景や登場人物など想像します。
そういう時間は、楽しいです。
長く記憶に残り続けます。
なにより親の肉声というのがいい。
親の声なら子どもは安心して聞けますし、リラックスができます。
寝つきの悪い子には、昔話です。
子どもは親の話を聞きながら想像力を膨らませます。
気づけば、気持ちよさそうに眠っているのです。
「けんかをしてはいけません!」
子ども同士がけんかをしているとき、いきなり叱る親がいます。
殴り合ったり叩き合ったりしている子ども同士を見て「けんかはやめなさい。仲良くしなさい」と言って、ねじ伏せます。
それは子どもでもわかっています。
けんかは、誰でもしたくないに決まっています。
仲良くしたいけれど、そうはできないトラブルが何かありました。
では、最初に何をするのかというと、事情を聞くことです。
「どうしたの?」
「何があったの?」
子どもの事情を聞いてみましょう。
けんかが発生したからには、何か事情があるはずです。
手短に話をさせるのではなく、できれば時間をかけて徹底的に事情を言わせてあげましょう。
子どもに事情を話させることには、大きな意味があります。
話をするなかで、何が起こって、どうなったのかなど、子どもの頭の整理をさせる効果があります。
往々にして子どものけんかというのは「ささいなこと」が原因です。
ささいなことから火がついて、だんだん大きくなっています。
事情を整理しながら、自分の言葉で話をしていくうちに、子どもは気づきます。
「よく考えてみると大したことではないかも」と思い始めます。
そう思わせれば、しめたものです。
自分の言葉で、何が起こったのかを話すことは、深く自己を省みて、反省を促す効果があります。
もちろんけんかをした2人から、それぞれ事情を聞いてあげましょう。
1人が話をする場合、自分の都合のいいように話が偏りがちになるので、必ずお互いの事情を聞いてあげましょう。
話をさせることで、けんかは自然に解決できるのです。
兄弟や姉妹など、子どもが2人以上いる場合があります。
3人も4人もいる家庭もあるでしょう。
子どもが何人かいれば、自然と発生する問題があります。
「接し方の偏り」です。
甘えてくる子には、親も多めにスキンシップをしたりコミュニケーションを取ったりします。
しかし、おとなしい子には、自然と冷たく接してしまいます。
おとなしい子を見て、そっとしてもらいたいのだろうと思う。
手がかからない子を見て、行儀がよくて助かると思う。
ちょっと待ってください。
まだ幼い子であるにもかかわらず、甘えてこないのはおかしいと思いませんか。
「おとなしいから」「手がかからないから」という理由で、そっとしてもらいたいのだろうと思うのは早合点です。
親は、話しかけにくい態度や雰囲気を出していませんか。
おとなしい子は、忙しい親に気を使っているのかもしれません。
子どもは甘えたくても我慢をしているのかもしれません。
小学校に上がる前の子どもが、親に甘えないはずがありません。
もっと親に甘えたいし、たくさんスキンシップを取りたいと思います。
親はできるだけ、すべての子どもに平等に接することが大切です。
たいてい子どもから甘えてきますが、おとなしくて手がかからないとはいえ、ほうっておかないことです。
おとなしい子には、親のほうから「甘えてもいいよ」と優しく接していきましょう。
手がかからない子でも、ほうっておくのではありません。
触れ合いが減っているなら、増やしていきましょう。
兄弟・姉妹で偏りがちな、スキンシップやコミュニケーションのバランスを整えるのです。
子どもへの教育も、父と母の2人だけでは物足りないです。
自分たちの子どもだから、自分たちだけでなんとかしようとする意気込みはいいですが、そうは言っても限界があります。
父は仕事でへとへとに疲れている。
母も家事で大忙しです。
しかも、子どもは幼いときほど、世話が焼けます。
父と母の2人だけでは、肉体的にも精神的にも十分な余裕がなく、子育てへの十分な体力や時間をつくれないこともしばしばですね。
子どもの面倒がきちんと見られなかったり、教育に時間が割けなかったりすることでしょう。
余裕がないあまりに理性を失い、虐待なんてことになっては目の当てようがありません。
そういうときこそ頼りになるのが、祖父と祖母です。
やはり年長者の知恵は大いに頼るべきです。
すでに一度は子育てを経験しているので、子育ての悩みや手伝いなど力になってくれます。
一度は子育てを経験している祖父と祖母は、子育てを熟知していますし、手慣れているはずです。
頼れる人には頼ったほうが、少しでも自分たちが楽になるばかりか、子育ての質もよくなります。
祖父や祖母に頼ったほうが、子育ての質は格段によくなります。
子どもにとっても、父や母以外の人と触れ合うことで、情緒も豊かになります。
祖父や祖母にとっても、子どもと触れ合うと元気をもらえるので喜んでくれるはずです。
親にとっても、子にとっても、祖父母にとってもプラスになります。
ためらう必要はありません。
できるだけ祖父母も巻き込んで、協力をお願いしましょう。
よくよく考えてみると、子育てには休日がありません。
会社や学校には休日があっても、子育ては24時間、付きっきりです。
特に小学生に上がるまでの幼い時期は、最も手がかかる時期と言っていいでしょう。
幼い子どもは、まだ分別がついていません。
分別がついていないからこそ、大人が考えもしないような思いもよらない動きをします。
ナイフやフォークを遊び道具にしたり、包丁をつかもうとしたり、ビー玉を飲み込もうとしたりします。
まったくもって気の休まる暇がありません。
だからこそ、ストレスがたまりがちになります。
休日がない子育てだからこそ、たまにはひと息が必要です。
時には、子育てに休日をつくってみませんか。
たとえば「結婚記念日のディナー」や「気分転換の温泉旅行」などです。
父と母とが出会った結婚記念日くらいは、子育てから解放され、少し豪華にディナーを楽しみたいと思うでしょう。
格式のあるレストランで落ち着いて、食事を楽しみたいと思います。
そういう時間があれば、また子育てを頑張っていこうという気力も湧いてきます。
温泉旅行も同じです。
気分転換に思いきって、温泉に浸かりに少し遠くまで行きたいと思うこともあるでしょう。
日々の雑踏から離れて、まったく違った世界に浸ると、いい気分転換になるはずです。
子育てから解放され、2人でのんびり温泉に浸かれば、ストレスの発散をしたり、英気を養ったりできるはずです。
「子育てが忙しくて、そんな余裕はない」
本来、そういうときこそ、子育ての休日が必要です。
限界に達してから対処をするのではなく、限界になる前に対処をすることです。
むしろそういう時間こそ、子育ての質を高めるために必要です。
心と体に余裕をつくることで、子どもと接する態度もよくなります。
子育てをする親にも「子育て休暇」が必要です。
まず頼るべきは、祖父と祖母です。
ほんのわずかな間、祖父や祖母に子どもを預かってもらいます。
もちろん何週間も預けるわけではありません。
ほんの1日か2日程度です。
「結婚記念日だから」
「気分転換をしたいから」
きちんとした理由を伝えれば、きっと理解してくれるでしょう。
祖父や祖母がすでに他界して頼れる人がいない場合、近くにある保育所や友人の家族などを頼りにしてみましょう。
もちろん断られることもあるでしょうが、理解してくれるところもあるはずです。
長丁場にわたる子育てです。
ストレスがたまって爆発してからでは、遅いです。
体力や時間に余裕があれば、休暇をつくる必要もないですが、余裕がないときには、上手に休暇をつくるようにしましょう。
叱るときに大切なのは、いきなり叱らないことです。
いきなり叱るのは、子どもには刺激が強すぎます。
叱られると落ち込みやすく、その結果、親の声が届きにくくなります。
反発心が生まれやすく、素直に受け入れようとする気持ちも薄れます。
子どもが受け入れやすい叱り方を考えましょう。
親の実力を発揮する瞬間です。
大切なことは、叱る前後に「褒める」を入れることです。
「褒める・叱る・褒める」という3段階です。
ジュースをこぼした子どもをいきなり「こら」と叱るのではありません。
「ジュースを1人で飲もうとしたんだね。偉いね。でもこぼしてしまうのはよくないよ。次からもっと上手に飲みましょうね」
こうすれば、受け入れやすくなり、子どもは素直に言うことを聞いてくれるようになります。
机の上の花瓶を落として割ったとします。
「いつもお掃除ができるのにどうしたの。花瓶を落としたら割れて危ないでしょう。次は気をつけようね。きっとうまくいくよ」
誰でも褒められたいと思います。
それは子どもも同じです。
まず褒めることから始めれば、親からの話も前向きに聞き入れやすくなります。
あとに続く叱る言葉も、受け入れやすくなります。
いきなり叱るのは簡単ですが、ここは少し親にも辛抱が必要です。
まず相手を褒めてから、叱り、最後にもう一度褒めるような3段階を心がけましょう。
兄弟や姉妹のように、子どもが複数人もいる場合があります。
親に要求されるのは「兄弟・姉妹を『平等』に育てる」という教育です。
「そんなこと当たり前だ」と思うでしょう。
しかし、なかなかこれが思うようにいかず、難しいです。
親としては、平等に接することが頭でわかっていても、自然と偏りがちになっています。
今日の子どもへの接し方を振り返ってみましょう。
たとえば、次のような言葉に心当たりはありませんか。
「お兄ちゃんだから辛抱しなさい」
「お姉ちゃんだからしっかりしなさい」
親としては、兄や姉だからこそ、しっかりしてほしいと思います。
人一倍、強さや辛抱を要求します。
特に長男は、次男が生まれると、両親の注意は次男ばかりに集中しがちです。
父も母も、次男ばかりに気を使っているところを見れば、長男である自分への愛情が薄れているような気がします。
次男ばかりが愛されているように錯覚します。
そのため、自然とスキンシップも愛情も教育などが偏ります。
結果として、兄や姉は、弟や妹よりスキンシップも愛情も少なめになる。
長男はかんしゃくを起こしやすくなったり、すねたりします。
そもそも、まだ分別のつかない子です。
自分の立場すら、本当によくわかっていません。
幼い子に対して「お兄ちゃんだから辛抱しなさい」「お姉ちゃんだからしっかりしなさい」と言われると、悲しくなります。
「兄や姉とは、常に辛抱しなければいけない立場なのか」と思います。
自分の立場を嘆きます。
不満があっても表に出さず、ひたすら我慢する立場なのかと思います。
そのうえ「お兄ちゃんだから辛抱しなさい。お姉ちゃんなら妹の面倒をみなさい」と言われる。
だから兄弟げんかが絶えません。
優遇される弟や妹がうらやましくなり、けんかも起こりやすくなります。
兄弟げんかの発端は、子どもが悪いと言うより、子どもに注がれる親からの愛情に偏りが出始めているという警告です。
弟ばかりが優遇され、厳しいことばかりの兄という立場に不満を抱くから、子どもは不満を爆発させます。
幼児に対して、お兄ちゃんらしくというのは、まだ時期が早すぎます。
幼い子に、兄らしい行為を強く要求するのは、少し酷だと思いませんか。
時期が少し早すぎるのではないでしょうか。
小学生になる前の幼児は、いくら兄や姉という立場とはいえ、両親からスキンシップや愛情をたくさん受けたいと思います。
まだまだ足りない。
もっと優しくしてもらいたい。
もちろん家庭や状況にもよりますが、幼い子に対しては兄や弟という立場は関係なく、平等にスキンシップや愛情を心がけましょう。
兄や姉としての立ち振る舞いは、小学校に入学してから心がけて、間に合います。
子どもは不思議です。
まだ分別がつかないころは行儀が悪いので、トラブルを起こしがちです。
父や母から「ああしなさい。こうしなさい」と言われます。
それだけ叱られることも多いですが、自分に注意が向けられていることを実感できるので、嬉しくなります。
叱られながらも「きちんと両親から見られている。愛されている」と感じます。
しかし、子どもは次第に物事の扱い方がわかり始めます。
親としては手がかからなくなり、一安心したいところですが、実はそういうときこそ要注意です。
トラブルが少なくなるというのは、いわば「手がかからない子」になるということです。
自分で靴のひもを結べるようになり、自分で着替えができるようになります。
泣いたり叫んだりすることが少なくなり、次第に手がかからなくなります。
手がかからなくなると、父も母もあまり注意を払わなくなります。
「子ども1人でできるから、ほうっておいても大丈夫だろう」
子どもに接する機会を減らしてしまいます。
それは子どもにとって悲しいことです。
両親からの愛が少なくなり、無視されているような錯覚を起こし始めます。
そこで子どもは考えます。
自分に注意を向けるために、わざとトラブルを起こして、注意を向けさせようとします。
せっかく行儀を覚えて手がかからなくなったのに、また逆戻りという皮肉です。
分別を知っているはずの子どもがいたずらをするとき、理由の半分は、親に振り向いてもらいたいからです。
なんと子育ては難しいのかと思います。
ポイントは、手がかからなくなったときです。
子どもの行儀が良くなり、手がかからなくなったときに、手がかからないからほうっておくのは良くありません。
そういうとき、お父さんお母さんは、子どもに次の言葉をかけてあげましょう。
「今日も行儀よくできましたね。偉いね。すごい!」
手がかからなくなれば、それなりに子どもに話しかけてあげましょう。
すると子どもは、きちんと両親から注目されていることに気づきます。
「無視されているわけではない。両親から褒められて嬉しい。もっと行儀よくなりたい!」
もっと両親から褒められたいと思い、さらに品行方正を心がけようとします。
そういう好循環をつくります。
手がかからない子だから、手をかけないわけではない。
きちんと話しかけてあげましょう。
手がかからなくても、きちんと両親から愛が注がれていることに気づくのです。