行動に消極的な大人の人には、ある共通点があります。
幼いころ、親から怒鳴られるようなしつけを受けた経験がたくさんあるということです。
子どものころへ、さかのぼります。
消極的な大人には、子どものころ、親から頻繁に叱られたケースが多い傾向があります。
怒鳴られるのが嫌で行動しなくなり、結果として消極的になってしまいます。
子どものためと思って叱ったことで消極的になり、保守的な性格へと育ってしまいます。
しつけるときに使う言葉と言えば、どんな言葉が思い浮かぶでしょうか。
「ダメです」
「いけません」
しつけというのは「親から子へ」と一方的になりがちです。
「ああしなさい」「こうしなさい」と親が言うことに対して、子どもは「はい」と言って、したがいます。
子どもだから素直に従うでしょう。
子どもにどんな叱り方をするのかです。
テーブルからうっかり皿を落として、割ってしまったとします。
もちろん子どもとしては「わざと」ではなく「うっかり」です。
子どもを叱るときに、人格を否定する言葉を使わないことです。
人格を否定する言葉は、もはやしつけではなく、言葉の虐待と言っていいでしょう。
子どもは自分の存在価値の評価を落としてしまい、自信がなくなります。
子どもを叱るとき、1人ではなく、一度に大勢を叱る場合があります。
特に先生には多いことでしょう。
1人の先生が何十人もの生徒を相手にしていると、同時に悪さをした複数人を叱るケースはよくあります。
「あんた、ダメでしょう」
「お前は何を考えているんだ!」
叱るとき、きちんと子どもの名前を呼んでいますか。
「こら!」
あなたが小学生のころ、叱られた記憶を思い出しましょう。
怒鳴られた記憶は出てくることでしょう。
大人である親から見れば、子どもの悪い点は、山ほどあります。
あらゆることが不作法で、しつけたいことがたくさんあることでしょう。
親とはいえ、何度も言うのは疲れます。
私が小学6年生のとき、叱るのが上手な佐々木先生という女性教師がいました。
小学生のころは、あらゆる先生から叱られましたが、佐々木先生の叱り方だけは違いました。
いまだに深く記憶に残っているくらい、印象的な叱り方です。
叱るときには、環境も大切です。
見せしめになるだろうと、大勢の前で叱る親や先生がいます。
見せしめは良くありません。
「なぜこんなことをしたの!」
叱る親は、子どもを見下げる。
叱られる子どもは、親を見上げる。
「ダメです」
「いけません」
「やめなさい」
叱るとまではいかない、軽微な内容があります。
「注意」です。
ひどく怒ったり、怒鳴ったりするわけではありません。
とある作家の本を読んでいるとき、ふと、気になる表現が目につきました。
「これもダメです。あれもダメです」
「これはしてはいけません。あれもしてはいけません」
幼いころ、おもちゃが欲しいと言っても、たいていの場合は断られました。
買ってもらうためには、厳しい条件があったからです。
「前回買ったおもちゃを徹底的に遊び尽くすこと」です。
あらためて考えてみたいことがあります。
子どもを叱るときに、なぜ一生懸命になって叱るのでしょうか。
やはり、大事な子だからですね。
気づけば、平手で叩いていた。
つい、大声で叱ってしまう。
かっとなって、殴っていた。
叱るときには「怒り」があります。
子どものいたずらに腹が立ち、落ち着きませんね。
その噴き出した感情のまま、叱ろうとするのは良くありません。
子どもを叱るときの鉄則は、よその子と比べるように叱らないということです。
これは当然のことですね。
誰でも比べられるのはいい気がしません。
「親が嫌いだ」という人の話を聞く機会が、これまで何度かありました。
そういう人の育ちを聞くと、たいてい共通点があります。
幼いころ親から、ひどい体罰を頻繁に受けていた話が必ず登場します。
叱って、それで終わりではありません。
叱って教えたことが、その後、改善されているかどうか、きちんとチェックしましょう。
本当に大切なのは、叱った後です。
あなたが子どものころ、親から叱られたときの記憶を思い出しましょう。
「親は、自分のことを全然わかっていない!」
いきなり怒る親に理不尽さを感じたことが、何度かあることでしょう。
子ども同士がけんかをした後、親がかける言葉は決まっています。
「きちんと謝って仲直りしなさい」
当然の言葉ですね。
子どもが花瓶を落として割った。
それに対して親が怒る。
こんなとき、親であるあなたなら、どんな言葉を口にしますか。
水口家の応接間には、大きな亀のはく製があります。
これが結構大きいです。
どのくらい大きいのかというと、子どもが亀の背中に乗れるくらいの大きさです。
叱るとき、指摘するのは「悪い行為」だけです。
悪いのは行為だけ指摘して、その悪い点が改善されれば、別に落ち込み続ける必要はないはずですね。
しかし、ここが人間の難しいところです。
子ども同士がけんかをしている。
兄弟がいれば、兄弟げんかは日常茶飯事。
友人とけんかをすることもあるでしょう。
私が子どものころ、父に叱られたら母に甘えました。
父に叱られたときには、母という逃げ場があります。
逆に母から叱られたら、父に甘えました。
行動に消極的な大人の人には、ある共通点があります。
幼いころ、親から怒鳴られるようなしつけを受けた経験がたくさんあるということです。
子どものころへ、さかのぼります。
「ダメ!」
「いけません!」
「何てことをするの!」
大きな声で怒鳴られます。
子どもの立場になってみましょう。
大人でさえ、大きな声で怒鳴られると驚くくらいですから、子どもはもっと驚きます。
高圧的に怒鳴るしつけを受けた子どもはひどく怯えます。
いえ、家庭によっては大声のみならず、平手で叩いたり足で蹴ったりなど痛みでわからせようとする家庭まであるようです。
それは絶対にいけません。
一歩間違えれば、虐待にもなりかねません。
恐怖を感じ、大きな不安を抱きます。
子どもの立場になって考えてみましょう。
叱られたり叩かれたりするのを避けようとすると「行動しないのがいちばんだ」と考えるようになります。
その結果、行動を控えるようになり、消極的な子へと育ってしまいます。
これが、消極的な子どもへと育ってしまう原因です。
怒鳴るようなしつけをしていませんか。
叩いたり殴ったりなどして、痛みでわからせようとしていませんか。
いくらしつけが大事とはいえ、怒鳴ったり叩いたりするようなしつけ方は絶対に避けることです。
一見すれば、きちんとして見えるようなしつけでも、子どもを怯えさせるのはよくないのです。
消極的な大人には、子どものころ、親から頻繁に叱られたケースが多い傾向があります。
怒鳴られるのが嫌で行動しなくなり、結果として消極的になってしまいます。
子どものためと思って叱ったことで消極的になり、保守的な性格へと育ってしまいます。
まだ常識・作法を知らない子どもは、初めは間違って当然です。
すべて間違うでしょう。
間違うのが仕事といっても過言ではありません。
そういうときに、もちろん叱ることは必要です。
しかし、いきなり叱るのではいけない。
間違っていきなり叱るのはたしかにストレートな方法ですが、これほど低俗なやり方もありません。
子どもが受け入れやすいような言い方なら、子どもは素直に聞き入れてくれるはずです。
では、どうすれば、積極的に行動できる子どもへと成長するのでしょうか。
「褒めてから叱る」という方法です。
「頑張ろうとしたんだね、偉いね。でもここをこうしたほうがいいよ」
まず褒めて、その後悪いところを指摘するという流れです。
子どもが行動したことを、まず認めて褒めます。
悪いところはその後に指摘です。
可能なら、最後に「次からはうまくいくよ」という言葉がけをすれば、なおいいでしょう。
子どもは「行動して良かったな。次からはここを直そう」と思います。
積極的な行動力を保ちながらも、行いを正していけます。
怒鳴られて育った子どもは、消極的になる。
褒められて育った子どもは、積極的になる。
子どもの将来を決めるのは、親の育て方しだいです。
少し叱り方を工夫するだけで、子どもの性格まで変わってしまいますから、ぜひとも気をつけていただきたいポイントです。
しつけるときに使う言葉と言えば、どんな言葉が思い浮かぶでしょうか。
「ダメです」
「いけません」
「何をやっているの!」
「こら!」
「やめなさい!」
さて、これらの言葉を、子どもの立場になって考えてみましょう。
単に「ダメです」「いけません」などの否定言葉だけで「なるほど」「わかった」と思うでしょうか。
いいえ、そうは思いませんね。
やめなさいと言われたから、やめるだけになります。
たしかにしつけることは大事ですが、単に叱ればいいという問題でもありません。
叱るとき、必ず追加してほしいポイントがあります。
「理由」です。
叱るときは、必ず「理由」も一緒にセットにするよう心がけましょう。
すでに礼儀・作法・常識を知っている親には、ささいなことかもしれません。
親はなぜよくないのか理解していますが、子どもは「なぜいけないのか」が理解できていません。
生まれてからまだ世の中のことを知らない子どもには、大人が当たり前と思っていることすら、わからないことだらけですね。
親が当たり前と思うことでも「なぜいけないのか」を丁寧に優しく伝えましょう。
「人とあったら挨拶をしなさい」という言い方ではない。
「挨拶をしたほうが話しかけやすくなるでしょう。だからきちんと挨拶をしましょうね」と言う。
「悪いことをしたら謝りなさい」ではない。
「仲直りしないと友人が減るでしょう。だからきちんと『ごめんなさい』と謝って仲直りしましょう」
「そうすれば友人といつまでも仲良くできるよ」と言う。
「ご飯粒を残さない」というだけの言い方は良くありません。
「ご飯を残したら一生懸命につくってくれた人が悲しむよ。残さず食べましょうね」と言う。
このように必ず理由をセットにして、しつけることで「なぜいけないのか」を子どもは理解していくのです。
理解を伴うから、行動力が出てきます。
子どもを納得させるようにしましょう。
しつけというのは「親から子へ」と一方的になりがちです。
「ああしなさい」「こうしなさい」と親が言うことに対して、子どもは「はい」と言って、したがいます。
子どもだから素直に従うでしょう。
しかし、したがっているからとはいえ、その意味を本当に理解しているかどうかは、疑問です。
親から子へ一方的な指示が続くと、子どもは「親の言うとおりにしていればいい」と思うようになります。
親がしつけるときの基本は「理由をセットにして叱ること」です。
「なぜいけないのか」をきちんと伝えながらしつけていくと、子どもの理解が促されます。
さて、そういうしつけをしていく中で、ときどき親は子どもの理解度をチェックです。
頭の中までは目に見えません。
子どもが頭できちんと理解できているかどうかを、尋ねてみることで確かめます。
本当に意味を理解してこそ、しつけの意味があります。
そこで魔法の言葉があります。
「なぜ」です。
ある程度、子どもの行儀が良くなったとき、ふと子どもに優しく質問してみましょう。
「なぜ挨拶は必要かな?」
「なぜ挨拶をしたほうがいいと思う」
「なぜ仲直りをしたほうがいいの?」
「なぜ勉強は必要かな?」
もし、質問に答えられたときには、子どもが行動の意味をきちんと理解している証拠です。
自分の言葉で発言するのは、いわばアウトプットです。
教育は「インプット」というアプローチだけではなく「アウトプット」というアプローチも必要です。
答えられたときには、思いきり褒めてあげましょう。
もし、答えられなくてもいきなり怒鳴らないでください。
答えられないときには、親がしつけるとき、理由をきちんと言っていないか、よく理解できていないということです。
理由が説明できなくても、子どもが悪いと一方的に決め付けず、まず親を振り返ってみましょう。
親の説明のスピードが速すぎるかもしれません。
少し難しい言葉を使っているのかもしれません。
一度に数多くのことを言いすぎているのかもしれません。
もう一度、きちんと理由を説明する。
わからなければ、わかるまで優しく丁寧に教える。
これらを、いかに粘り強く続けるかなのです。
子どもにどんな叱り方をするのかです。
テーブルからうっかり皿を落として、割ってしまったとします。
もちろん子どもとしては「わざと」ではなく「うっかり」です。
こんなとき、叱ると言っても千差万別です。
かっとなって行きすぎた表現を使っていませんか。
「あなたは本当にダメな子ね」
「もっと素直な子だったら良かったのに」
「生まれてきたときから、出来の悪い子なのよ」
叱るとはいえ、これは言いすぎです。
人格まで否定している言葉だからです。
こんな言葉を言われた子どもはどう感じるでしょうか。
子どもは自分を否定されたと感じ、ひどく落ち込んでしまうに違いありません。
人格否定や存在否定をする言葉は、絶対に避けておきたい叱り方です。
悪いのは「人」ではなく「行為」だけです。
皿を割ったとき、割ったという「行為」だけが悪いです。
行為だけが悪いのであって、人ではない。
親は淡々と、行為のどこが悪いのかを教えてあげるだけでいい。
「次からはもっと丁寧に皿を扱いましょう」
「こういうふうに持てば、落としにくくなるよ」
「皿を持つときは、しっかり持ちましょう」
指摘するのは、行為だけ。
いま一度、自分の言葉を振り返ってみましょう。
行為だけ叱ればいいのに、人格まで否定するような言葉を使っていませんか。
叱るなら、行為だけにするよう心がけましょう。
子どもを叱るときに、人格を否定する言葉を使わないことです。
人格を否定する言葉は、もはやしつけではなく、言葉の虐待と言っていいでしょう。
子どもは自分の存在価値の評価を落としてしまい、自信がなくなります。
しかし、叱り方に気をつけていても、自分でも気づかずに使ってしまう人格を否定する言葉があります。
私たちの日常会話で、しばしば耳にするため、気づけない言葉です。
「ばか」と「あほ」です。
これも、れっきとした人格を否定する言葉です。
相手の人間性を無視して否定するという、最悪の表現です。
特に、親の中には「冗談のつもり」で口にする人がいます。
「あなたは本当にばかね」
「そんなことをするなんて、あほだ」
地域によっては、挨拶や冗談のつもりで口にするところもあります。
少なくとも品があり、前向きになるような言葉ではありませんね。
冗談で言っているのかもしれませんが、素直な子どもは本気で信じます。
人格を否定されて、出来の悪い自分にひどく落ち込みます。
いえ、ばか・あほと言われ続ける身になりましょう。
「言われる」のではなく「言われて続ける」というのがポイントです。
親から「ばか」や「あほ」と何度も繰り返し言われ続けていると、どうなりますか。
子どもはだんだん洗脳されます。
「自分は生まれつき頭が悪いのか」
「どうせ自分はばかだから、努力をしても無駄だろう」
「こんな自分は、何をやっても仕方ない」
前向きな努力を怠るようになります。
さらに、物事に失敗したときも「自分はあほでばかだから仕方ない」という、口実をつけるようになる。
親に「ばか」と言われ続けた子がばかになるのは、本当の話です。
いくら軽い冗談とはいえ、その影響は思ったより大きい。
冗談を言うなら、もっと別の表現を使うことです。
品があり、知性を感じる冗談のほうが、はるかにかっこいい。
冗談のつもりが、本気になって受け止める人がいるかぎり、別の表現を使うほうが無難です。
子どもを叱るとき、1人ではなく、一度に大勢を叱る場合があります。
特に先生には多いことでしょう。
1人の先生が何十人もの生徒を相手にしていると、同時に悪さをした複数人を叱るケースはよくあります。
たとえば、いたずらをした子どもが10人いたとします。
10名同時にお説教をしようとすると、汎用的な言い方になります。
「みんな、気をつけて」
「みんな、きちんとしなさい」
「みんな、なぜそんなことをするの」
こうした言い方は、ためになるようで、あまりためになっていません。
複数名に対して、同時に伝えようとすると、メッセージ性は弱くなります。
10人いれば、10分の1の効果です。
生徒には、少しかゆい程度です。
心のどこかで「自分は違う。自分は大丈夫だろう」と思ってしまいます。
大勢に対してほど、メッセージ性も極端に下がってしまいます。
では、こんなとき、どうすればいいのでしょうか。
先生は面倒な気持ちがあっても、一人ひとりに面接です。
たとえば、10名を同時に叱るのではなく、一人ひとり順番に面接します。
個室を用意して、一人ひとりから事情を聞いたり、一人ひとりに「なぜいけないのか」「次からきちんとすること」を伝えたりします。
そうするしかありません。
手間はかかりますが、そういう接し方がいちばんよく身につき、子どものためになるのです。
「あんた、ダメでしょう」
「お前は何を考えているんだ!」
叱るとき、きちんと子どもの名前を呼んでいますか。
自分でつけた子どもの名前であるにもかかわらず、口にしない親がいます。
家族の仲だから、打ち解けた表現でいいだろうと思っています。
「お前」や「あんた」というのは、名前ではありません。
そういう呼び方は、子どもを見下しているだけでなく、どこか冷たく感じます。
また「ちょっとちょっと」と言って、名前を言わずに叱ることも良くありません。
会話の中に名前があるのとないのとでは、相手に訴える力が全然違います。
会話の中に自分の名前が登場すると、どきっとします。
名前を口にすることは、名指しをすることです。
虫メガネで太陽の光を集めるように、親の言葉を1人の子に対して、集中させているのが感じられます。
子どもとはいえ、名前をしっかり呼んで叱りましょう。
「貴博君、次からはこうしたほうがいいよ」という言い方は、どきっとします。
叱るときに限りません。
それは個人を尊重している言い方です。
名前をきちんと呼んであげると、子どもは素直に言うことを聞くようになります。
「自分に対して言われている」という実感が強くなるので、親からの言葉が、より親身になって聞けるようになるのです。
「こら!」
あなたが小学生のころ、叱られた記憶を思い出しましょう。
怒鳴られた記憶は出てくることでしょう。
先生の怖い顔・恐怖・雰囲気は、昨日のことであるかのように思い出せる。
しかし、です。
一方で「先生たちが語った言葉」というのは、うまく思い出せないのではないでしょうか。
叱られたときの光景ははっきり目に浮かぶけれど、親や先生から言われた具体的な言葉は、印象が薄いはずです。
不思議だと思いませんか。
強く叱られたなら、親や先生からの厳しい言葉も、はっきり耳に残りそうな気がします。
しかし、実際は残らない。
なぜでしょうか。
「勢い」がありすぎるからです。
往々に、叱る側は、言葉が早口になりがちです。
子どものいたずらに腹を立てるので、叱る言葉も早口になる。
また、早口のほうが勢いはあって言葉を強調できるから、相手も反省しやすいだろうと思います。
しかし、逆です。
早口の場合「勢い」という印象しか残らず、肝心の叱った内容がきちんと頭に残りません。
「すごい勢いで叱られたなあ。ところで何で叱られたんだっけ……」
あとから思い出そうとすると、叱られた「勢い」しか印象に残っていません。
肝心の叱られた内容がすっぽり抜け落ちる。
こうならないためには、どうすればいいか。
叱るとき「ゆっくり」とした口調を心がけることです。
勢いよく叱りたい気持ちを抑え、叱るスピードを落とします。
子どもは、言葉を一つひとつ確かめる余裕が生まれます。
起こった出来事を整理できたり、考えながら話を聞くことができたりなど、心の準備の余裕が生まれます。
その中で、次から気をつけようと心がける意識も芽生えてくることでしょう。
叱るといえば「勢い」を想像しますが、そうではありません。
「ゆっくり」のほうが深く印象に残り、子どものためになるのです。
大人である親から見れば、子どもの悪い点は、山ほどあります。
あらゆることが不作法で、しつけたいことがたくさんあることでしょう。
親とはいえ、何度も言うのは疲れます。
そこで、子どもがミスや失敗をしてお説教をするときに、気づいたことすべてを同時に指摘をしてしまおうとする親がいます。
たしかに1回のお説教で指摘できるところは全部指摘すれば、1回で済みます。
親にとっても子どもにとってもベストであるかというと、どうでしょうか。
そううまい話はありません。
「あれも悪い。これも悪い。それも悪い」
一度にいくつも指摘されると、子どもは頭の整理が追いつきません。
親は大人ですから、すでに多くのことをわかっていますが、子どもに一度に教えても、頭の中がパンクして入りきりません。
覚えることや心がけることがたくさんあり、忘れてしまいます。
本当に子どもにわかってもらおうと思うなら、言いたいことを1つに絞ってください。
1回のお説教につき、指摘するのは1つのみ。
子どもは理解もしやすく、覚えやすくなります。
私が小学6年生のとき、叱るのが上手な佐々木先生という女性教師がいました。
小学生のころは、あらゆる先生から叱られましたが、佐々木先生の叱り方だけは違いました。
いまだに深く記憶に残っているくらい、印象的な叱り方です。
どのような叱り方かというと「長い沈黙」があります。
「なぜこんなことをしたの? (長い沈黙)次からどうすればいいと思う? (長い沈黙)次からはきちんとできますか?」
くどくどいうお説教ではありません。
お説教がしばらく続いた後、ふと沈黙になります。
それも、妙に長い沈黙です。
5秒や10秒のような短時間ではありません。
30秒や1分。
時には、3分くらい沈黙があるときもありました。
3分もあれば、カップラーメンができてしまいます。
ときどき、沈黙があると、叱る効果が倍増します。
静まり返った時間が、考える時間になるからです。
お説教を受けていると、次々と話を聞いているので精いっぱいです。
考えたり、理解したり、反省したりする余裕がありません。
しかし、沈黙になると、余裕が生まれます。
「自分の悪かったところはどこだろうか」
「次からはどうすればミスを防げるだろうか」
「迷惑をかけて悪いことをしたなあ」
沈黙の時間があることで、子どもは落ち着いて深く考えられるようになります。
お説教と言えば、叱る側が次々と話をすることが多いです。
しかし、沈黙の時間があると考える時間になります。
反省の言葉を言う時間もタイミングも増えます。
子どもの反省を促すためには、長い沈黙が効果的です。
叱っている最中に、あえて静かになる時間をつくってみましょう。
子どもは落ち着いて、反省ができるようになるのです。
叱るときには、環境も大切です。
見せしめになるだろうと、大勢の前で叱る親や先生がいます。
見せしめは良くありません。
叱られる立場になって考えてみましょう。
誰でも、大勢の前で叱られると、心はひどく傷つきます。
たくさんの人の前で叱られるのは、いつも以上に恥ずかしく感じます。
周りの視線が気になり、親からの言葉を聞く余裕がなくなります。
叱られる落ち込みだけでなく、大勢の人から見られているという「恥ずかしさ」も加わるからです。
叱られているところを友人に見られると、後で冷やかされるかもしれません。
親から叱られた後、今後は友人からも「すごく叱られていたなあ。何をやったんだ」と冷やかされ、恥をかくことになります。
これは、ショックで、深い傷になります。
何重にも恥をかくことになるからです。
落ち込みから立ち直るにも時間がかかるに違いありません。
子どもを叱りたいと思ったとき、その場所に大勢の人がいるなら、2人きりになれる場所を選ぶことが大切です。
人がたくさんいるところで叱るのはやめ、静かで人目のない場所を選びましょう。
「なぜこんなことをしたの!」
叱る親は、子どもを見下げる。
叱られる子どもは、親を見上げる。
その関係は少し不安定です。
親と子を比べれば、当然身長は親のほうが高い。
それも圧倒的に高い。
子どもの年齢にもよりますが、2倍以上の身長差があることもあります。
そんな背の高い親から叱られると、どう感じるでしょうか。
背の低い子どもの立場になって考えてみましょう。
上から目線で言われているような感じが出てきます。
不思議なことですが、言葉が聞こえてくる方向が上なので、威圧的で素直に聞けません。
どこか「自分のレベルには合っていない話」という印象があります。
そういうときには、叱る側である大人がしゃがんで、子どもと目線を合わせるようにしましょう。
背が低い側が、高い側に合わせることはできない。
叱られるとき、身長を合わせるために、椅子の上に上がるなんてできませんね。
それは笑えます。
背の高い側が、低い側に合わせるしかありません。
叱る側は子どもに訴えるために、しゃがみます。
目線が同じになると、子どもは親の言葉を受け入れやすくなります。
自分と同じ身の丈から飛んでくる言葉は、素直に聞きやすくなります。
言葉が聞こえてくる方向が自分と同じ位置なので「自分のレベルに合っている話」という印象が出てきます。
「ダメです」
「いけません」
「やめなさい」
なぜかこういう言葉を聞いていると、元気がなくなってきませんか。
言い換えるとこれらは「行動を制限する言葉」です。
やってはいけないことを親がたくさん増やしています。
こういう言葉のシャワーを浴びていると、子どもは「じゃあ何をやればいいんだ。何もできない」と思います。
四方八方に壁ができたかのように、身動きが取れなくなってしまいます。
叱るときには、行動を制限するのではない。
別の解決口を提供しながら、叱ります。
「Aではなく、Bとすればいいよ」
Aという行動をやめさせる代わりに、Bという別の行動を教えてあげます。
すると、子どもはぱっと明るくなります。
「なるほど。そうすればいいんだね」と次からどうすればいいのかがわかり、行動しやすくなるのです。
叱るとまではいかない、軽微な内容があります。
「注意」です。
ひどく怒ったり、怒鳴ったりするわけではありません。
子どものために、話が大きくならない今のうちに、注意しておきたいこともあるでしょう。
「これはもう少しこうしたほうがいいんじゃない?」
「次からこうしたほうがうまくいくよ?」
「ちょっとここがよくないね」
怒ったり叱ったりするわけではなく、軽い注意レベルです。
しかし、注意レベルの軽微な内容であるにもかかわらず、くどくどした話し方になっていませんか。
そもそも人間の集中力は、それほど長くは持ちません。
叱られるときには、最初の1分しか話が残らない。
もちろん重大な過ちのときは、今後は二度とないように、じっくりお説教することも必要でしょう。
長い沈黙をつくりながら、きちんと相手が理解して反省するような叱り方も、状況に応じて必要です。
しかし、いつもそういう叱り方は疲れます。
軽微な注意内容なら、軽く伝えるほうがいい。
そこで徹底したいのは「1分ルール」です。
そもそも人の集中力は、短い時間しか保てません。
話を本気で聞けるのは、最初の数分まで。
伝えたいことが軽微な注意のレベルである場合は、叱るときは1分ルールを心がけましょう。
「1分でまとめる」というより「1分以内でまとめる」ということです。
話が短ければ短いほど、子どもは聞きやすくなります。
叱られた印象も小さいので、心のダメージも小さくなるのです。
とある作家の本を読んでいるとき、ふと、気になる表現が目につきました。
「これもダメです。あれもダメです」
「これはしてはいけません。あれもしてはいけません」
こうした行動を制限する文章が続いていたことです。
読みながら、途中でふらふらしたことがあります。
「してはいけない」と言われ続けると、元気がなくなりませんか。
「あれもダメ。これもダメ」と言われていると、何もできなくなります。
行動を制限され、元気を奪われる言葉です。
私が文章を書くときに心がけていることがあります。
「『ダメ』という言い方は避けること」です。
「ダメ」という表現をしたいときには「よくない」という別の表現を使うようにしています。
言わんとしていることは同じです。
「やってはいけませんよ」ということを表現していますね。
「よくない」という言い方のほうが、かどが取れた言い方です。
言葉が丸くなり、聞き入れやすくなりませんか。
子どもを叱るときも同じです。
「ダメ」と言いそうになったら「よくありません」という言い方に変えてみましょう。
とげのある表現ではないので、落ち込みを防ぐことができるようになります。
親の言うことを聞きやすくなるのです。
幼いころ、おもちゃが欲しいと言っても、たいていの場合は断られました。
買ってもらうためには、厳しい条件があったからです。
「前回買ったおもちゃを徹底的に遊び尽くすこと」です。
「それくらいすぐできるだろう」と思っているのではないでしょうか。
これがなかなか難しいです。
一度遊んだくらいではいけません。
当然「飽きたから」という理由も通用しませんでした。
おもちゃが壊れるほど、1つのおもちゃをさまざまな角度から遊び尽くします。
ある日「迷路ゲーム」を買ってもらったことがありました。
普通は入り口からスタートして、ゴールまでたどり着けば終わりです。
だから次のおもちゃ……とはいきません。
親は「まだ楽しめるはず。もっと別の楽しみ方、別の遊び方を見つけなさい」と言います。
私は「そう言われてもなあ。スタート地点から入ってゴールして終わりじゃないか」と不満を漏らしていました。
しかし、ふとした瞬間、別の遊び方が浮かびました。
スタートからゴールを目指すのではなく、逆にゴールからスタートを目指すという遊び方です。
まったく逆方向ですが、迷路らしい楽しみを見つけました。
同じ迷路でも、2通りの楽しみ方を発見できます。
さらに頭をひねって別の楽しみ方が浮かびました。
「タイムアタック」です。
私と妹とで、どちらが早く迷路のゴールまでたどり着けるかを、時間を計って競い合います。
早くゴールまでたどり着いたほうが勝ちです。
ゴールまでいかに早くたどり着けるか、というスリル感がたまりませんでした。
なぜ親は、子どもが欲しがる物を何でも買い与えなかったのか。
説明書には書かれていない楽しみ方を見つける力を引き出すためでした。
「あれも欲しい! これも欲しい!」
子どもは好奇心旺盛です。
しかし、その子どもの好奇心のままに、欲しがっている物を何でも買い与えるのは良くありません。
何でも買い与えると、そのおもちゃの本当の楽しみや奥深さを見つけられなくなるからです。
おもちゃとはいえ、侮れません。
使い方によっては、深い楽しみを見つけることができます。
見つけるためには、おもちゃを骨の髄まで楽しみ尽くすことが大切です。
上から見たり、下から見たり、裏返したりなど、さまざまな角度から、思いつくだけの楽しみ方を発見します。
使い倒して、ぼろぼろになるまでです。
1つのおもちゃでも、いろいろな楽しみ方があります。
説明書にも書かれていないような楽しみ方を、自分で発見したり作ったりします。
1つのおもちゃでも、実質、たくさんのおもちゃを手に入れているのと同等になります。
自分なりにいかにたくさん見つけるかです。
迷路ゲームに限らず、どんなおもちゃでも共通です。
1つのおもちゃから、いかにたくさんの楽しみを引き出すかです。
親は「物をたくさん持つのではなく、少ないものからたくさんの楽しみを引き出す方法」を教えていました。
その教えが「子どもが欲しがる物を何でも買い与えない」という教育方法でした。
何度も迷路を楽しみ、ぼろぼろになるくらいまで使い込んで、ようやく次のおもちゃを買ってもらえる許しが得られます。
物をたくさん持つより、1つの物で多くの遊び方を工夫できるほうがいい。
子どもが欲しがる物を何でも買い与えないのは大切です。
その「制限」があるからこそ、子どもなりに試行錯誤して、楽しみを引き出す力を身につけるのです。
あらためて考えてみたいことがあります。
子どもを叱るときに、なぜ一生懸命になって叱るのでしょうか。
やはり、大事な子だからですね。
おなかを痛めて、一生懸命産んだ子です。
かけがえのないわが子です。
将来は、間違った道に進まず、いい子になって育ってほしい。
そう願います。
いつも以上に叱る言葉も強くなってしまいます。
子どものときこそ教育が大事ですから、叱る言葉もつい強くなりがちです。
その気持ちを叱っているときに含めましょう。
すなわち、子どもの存在を肯定しながら叱ります。
「おなかを痛めて産んだ子に、いい人生を送ってほしいから、叱っているんだ」
「いい子に育ってほしいから一生懸命なんだよ」
こうした子どもの存在を前向きに肯定しながら叱ると、言葉に説得力がついてきます。
叱る言葉に愛が感じられますね。
言葉に愛があるかどうかです。
「自分は生まれて来て良かったんだ。自分のことを思って叱ってくれている」と伝われば、言うことを聞くようになります。
親から愛されていることがわかると、言う言葉にも従いたくなります。
ただ、叱るのではない。
子どもの存在価値を認め、愛を込めながら叱ります。
それが上手な叱り方というものです。
気づけば、平手で叩いていた。
つい、大声で叱ってしまう。
かっとなって、殴っていた。
こうしたことに心当たりはありませんか。
悪いとはわかっていても、ふっとした瞬間、体が勝手に動いてしまう。
そういうとき思います。
「自分は何て器が小さいのだろうか」と。
いいえ、違います。
器が小さいからではありません。
もちろん人によって器の大小に違いはありますが、問題はもっと別のところにあります。
「子育てが限界に達しつつある兆候」です。
全部を自分一人でやろうと、すべて抱えすぎています。
子育てのすべてを、親だけで対処しようとしている。
気が休まる暇もない。
その過度の緊張やストレスから、つい子どもに手を出したり怒鳴ったりしてしまいます。
親こそ「甘え上手」になりましょう。
悪いことではありません。
親だけで子育てができれば苦労はしません。
子どもは手がかかりますから、何かのサポートが必要です。
あなたの身近にサポートをしてくれる人はいませんか。
たとえば、祖父や祖母です。
父も母も余裕がないときには、祖父や祖母に手伝ってもらうというのも手です。
また、子どもの成長に応じて、託児所・保育園・幼稚園などを活用するのも手です。
子育ては親の手で育まれるのがいちばんですが、とはいえ限界を無視するのはもっと良くありません。
「自分は時間も体力もなくて限界だ」
そういうときには、ためらいなく、助けを借りるようにしましょう。
早い段階から人間関係に触れる機会にもなり、親の手間も減り子どものためにもなります。
むしろ、余裕がなくて厳しく叱ったり冷たくしてしまったりするくらいなら、託児所に預けたほうがいい。
そのほうが親としても余裕が回復して、優しく子どもに接することができるようになります。
無理にすべてを自分で抱え込まないということです。
叱るときには「怒り」があります。
子どものいたずらに腹が立ち、落ち着きませんね。
その噴き出した感情のまま、叱ろうとするのは良くありません。
感情的な叱り方になりやすいからです。
感情的になった結果、言いすぎたり、怒鳴りすぎたりしてしまいます。
時には、手を出して体罰につながることもあるでしょう。
その感情の赴くままに叱るのは良くありません。
怒りで自制心を失うとき、自分でも行きすぎた行為に発展しやすい。
いらいらしたときに叱る。
怒ったときに叱る。
いえいえ、違います。
むしろ逆を心がけましょう。
いらいらしたときに、叱らない。
怒ったときほど、叱らない。
では、どういうときに叱るのかというと、ワンクッションを置いてから叱ります。
落ち着きを取り戻してからがいい。
冷静になってからだと、態度も表情も言葉も丁寧になります。
慎重に言葉を選びながら、より子どもの立場になって叱ることができるはずです。
感情に流されているときにはできなかった、丁寧な叱り方ができるはずです。
子どもを叱るときの鉄則は、よその子と比べるように叱らないということです。
これは当然のことですね。
誰でも比べられるのはいい気がしません。
むしろ注意したいのは、親より、子どもです。
親は「人は人の子」と思っても、子どもも同じように考えるとは限りません。
子どものほうこそ、ひどく気にするかもしれません。
自分より勉強ができる子がいて、焦る気持ちが出る。
走るのが速い友人に、嫉妬する。
自分より人気のある友人がいて、うらやましく思ったりもするでしょう。
人それぞれには特徴がありますし、成長スピードにも差があります。
自分のほうが有利である分にはいいですが、不利だとわかると、だんだん焦りが出てきます。
大人より、子どものほうが、そういうときの精神コントロールは難しいです。
そういうときこそ、親の出番です。
「よその子は気にしなくてもいい」
「自分のペースでいいよ」
子どもは安心します。
親の力強い説得が、子どもの自信へと変わります。
わが子がすくすく育っていれば、能力の違いは気にならないはずです。
もちろんほかの子と競争することで得られるやる気もありますが、もう少し成長をしてからです。
幼い時期は、まずわが子のペースが最優先です。
成長や能力にかかわらず、無条件で子どもを包んであげましょう。
「親が嫌いだ」という人の話を聞く機会が、これまで何度かありました。
そういう人の育ちを聞くと、たいてい共通点があります。
幼いころ親から、ひどい体罰を頻繁に受けていた話が必ず登場します。
叩かれたり、殴られたり、蹴られたりなどです。
そんな人の1人に、親から殴られたあざを見せてもらったこともあります。
一歩間違えれば、虐待になるような体罰です。
おそらく親は、教育熱心だったのでしょう。
子どものためにと思って、言ってもわからないことは、痛みでわからせようとした。
それでもなかなか教育が思いどおりにいかず、体罰もさらに強くなっていった。
熱心すぎて、子どもには、つらい経験しか残っていません。
その人は「親とは会いたくない」と言っていました。
体罰された子は、親を否定し始めます。
痛いことは誰でも嫌です。
幼い子どもならなおさらです。
もし親が「しつけだ、教育だ」と言って体罰を与えながら教育すると、そういう親も嫌いになります。
もちろんすべての体罰が即、虐待につながるわけではありません。
大事な場面での体罰によって、子どもにはっきり「絶対にしてはいけない」という社会のルールを伝えることができます。
しかし、あくまでも特殊な例です。
やはり体罰なしで教育を進めることが基本です。
大切なことを伝えるために、痛み以外の何か別の手段で伝える方法がないか模索してみましょう。
体罰はいちばん手っ取り早いですが、最も低俗でレベルの低い教え方なのです。
叱って、それで終わりではありません。
叱って教えたことが、その後、改善されているかどうか、きちんとチェックしましょう。
本当に大切なのは、叱った後です。
親としては、見ていないようなふりをしながら見るのがポイントです。
もし改善ができていれば、すかさず褒めましょう。
「できるようになったね!」
「前よりうまくなっているよ!」
「やれば、できるね!」
叱った後だからこそ、親から褒められると余計に嬉しく感じられます。
子どもは改善されていることを親に認められ、嬉しくなります。
子どもが嬉しく感じるのは「親から認められること」です。
親から認められると、子どもはもっと行儀が良くなります。
「もっと認められたい」「もっと褒められたい」と思うようになり、さらに改善に力を入れることでしょう。
この好循環を繰り返すことで、子どもはだんだん行儀よくなるのです。
あなたが子どものころ、親から叱られたときの記憶を思い出しましょう。
「親は、自分のことを全然わかっていない!」
いきなり怒る親に理不尽さを感じたことが、何度かあることでしょう。
親が叱るとき、言っていることが正しいのは、子どもでも十分にわかります。
わかりますが、なかなか素直に親の言うことを受け入れられない。
子どもである自分の立場をわかってくれていないからです。
叱るのは親ですから、親の立場で考えてしまいがちです。
大人の目線からいうのは、たしかに正論のように思えます。
しかし、精神年齢の低い子どもは、大人の言うことをなかなか素直に聞こうとしません。
大人になると忘れてしまいがちな大切な子どもの心です。
正しいことを言えば、何でも素直に言うことを聞くわけではない。
では、どうすればいいのか。
叱るときには、まず子どもの立場になってから考えてみましょう。
子どもの立場に立つというのは、まず子どもの気持ちに共感するということです。
「気分が悪かったんだね」
「いらいらしていたんだね」
「怒っていたんだね」
まず、子どもが今どんな気持ちになっているのか、精神年齢の高い親のほうが察知してあげましょう。
精神年齢の高い親のほうから、精神年齢の低い子どもに合わせるということです。
子どもの気持ちを共感しましょう。
子どもは自分の気持ちをわかってくれると、嬉しくなります。
あとに続く、お叱りの言葉も前向きに受け止めてくれやすくなります。
自分のことをわかっている人だからこそ、話を前向きに聞いて受け止めようとします。
「共感」を含めた叱り方を心がけましょう。
子ども同士がけんかをした後、親がかける言葉は決まっています。
「きちんと謝って仲直りしなさい」
当然の言葉ですね。
しかし「きちんと謝りなさい」とはいえ、なかなか素直に謝らない子どもがいます。
嫌がって、謝ろうとしない。
もちろん一度けんかをした相手に頭を下げて謝るのは恥ずかしい気持ちもあるのでしょうが、本当の問題はもっと別にあります。
どうやって謝ればいいのかわかりません。
子どもは「仲直り」なるものに、まだ慣れていません。
どういう態度で、どういうタイミングで、どういう言葉をかけていいのか、わからない。
大人でさえ難しい仲直りです。
子どもはもっと難しく感じられるはずです。
だからこそ、親のサポートが必要です。
友人とけんかしたときには、親も一緒に相手に謝って、仲直りとはどうすればいいのかを手本を見せてあげましょう。
初めは親が謝っているのを、子どもに真似させるくらいでいい。
子どものいたずらに対して、親が代わりに謝るシーンがありますが、あれも1つの方法です。
「仲直りはこうすればいいんだな」
子どもは親を手本にして、やり方を覚えます。
親が謝っているのを横目に、自分も謝らないわけにはいかなくなります。
もちろんいつまでも親が代わりに謝るのではなく、子どもが謝ることに慣れていない時期だけ手本を見せてサポートです。
上手に謝る親の姿から、子どもも謝り方を学んでいくのです。
子どもが花瓶を落として割った。
それに対して親が怒る。
こんなとき、親であるあなたなら、どんな言葉を口にしますか。
「こら。何をしているの!」
「その花瓶は高いのにどうしてくれるの!」
高価な花瓶を子どもに壊されると、やはりそういう言葉が出てしまいます。
いえいえ、違います。
大切な一言が抜けています。
「大丈夫?」という子どもを心配する言葉です。
値段の高い花瓶を割られると、親の注意は子どもより、花瓶に目を向けがちです。
花瓶を割って叱られると、子どもは「自分より花瓶のほうが大切なんだ」と思います。
花瓶より存在価値が下と感じることほど、大きなショックはありません。
親の注意が、子どもより花瓶に向いているからです。
子どもはトラブルのときこそ、心のどこかで「心配されたい」と思っています。
花瓶が割れたら、親はいきなり叱るのではない。
それより、けがをしていないか気にすることが大切です。
子どものことを本当に大切に思っているなら、当たり前にできるはずです。
花瓶はまた買えば済む話ですが、子どもが大けがをしたら、一生の傷が残るかもしれません。
もし叱るなら、けがをしていないことを確認してからの話です。
まずかけるべき言葉は「大丈夫? けがはない?」という案ずる言葉なのです。
水口家の応接間には、大きな亀のはく製があります。
これが結構大きいです。
どのくらい大きいのかというと、子どもが亀の背中に乗れるくらいの大きさです。
私が幼いころは、気になって仕方ありませんでした。
子ども心に「触ってみたいな」という気が出てきます。
しかし、です。
応接間の高い位置に立てかけられていたので、全然手が届きませんでした。
椅子を使っても届かないような高い位置です。
「なぜあんな高い位置にかけているのだろう。触りたいな」
今になって思えば、なぜ高い位置に立てかけていたのかわかります。
私も親なら、同じことをしていたでしょう。
子どもの手に触れさせないためです。
もし、あの亀のはく製を子どもの手の届くところに置いてあれば、どうでしょうか。
確実に、私は壊していたことでしょう。
親は子どもに触れさせないように工夫した結果、高い位置に立てかけました。
高い位置に飾ることで「はく製としての見栄え」と「子どもに触れさせない」という2つの都合を同時に叶えていました。
これに気づいた親もなかなかです。
そもそも子どもの身の回りに高価な物を置かないことです。
子どもは汚したり壊したりするものです。
高価な物だからとはいえ、どれだけ高価であるかわかっていません。
親もわかりきっているはずです。
家の中に高価な物があるときには、子どもの手の届かない位置にしまっておくことです。
高価な物を壊され、怒鳴ることもなくなります。
そもそも、まだ子どもが幼い時期は、高価な物を買わない工夫も必要です。
高価な絵を家に飾っても、子どもに汚される可能性が高いでしょう。
安い物を選べば、壊されてもショックは小さい。
「どうせ安物」「また買えばいい」と思うからです。
壊されてもいいような物を用意すれば、高価な物を壊されたショックで子どもを怒鳴ることもなくなります。
単純ですが、それだけの話です。
子どもの身の回り品に高価な物を置かないだけで、子どもを叱る回数が減るのです。
叱るとき、指摘するのは「悪い行為」だけです。
悪いのは行為だけ指摘して、その悪い点が改善されれば、別に落ち込み続ける必要はないはずですね。
しかし、ここが人間の難しいところです。
叱られると落ち込んで、立ち直るのに時間がかかる。
落ち込んだ気持ちは、長く引きずってしまうからです。
人によっては考えすぎる性格の人もいますから、叱られた後、立ち直るのに時間がかかることでしょう。
早く立ち直りたいと思っても、なかなか気持ちは思うように動いてくれない。
「まだ怒っているのかなあ」と、親の顔色をうかがいます。
子どもとしては、親が怒り続けているのかどうかが、気になるところです。
親は叱った後こそ、いつも以上に優しくなることです。
気持ちの切り替えが重要ということです。
叱った後こそ、いつもより話しかける回数を増やす。
笑顔を増やす。
優しくなる。
そうすると、子どもは「もう気にしていないんだな」と、ほっとして元気を取り戻します。
叱った後こそ、冷たくしてしまいがちですが、逆です。
いつもより話しかける回数を増やす。
いつもより温かく接する。
こうしたことを心がけ、子どもの落ち込みからの回復を助けてあげましょう。
子ども同士がけんかをしている。
兄弟がいれば、兄弟げんかは日常茶飯事。
友人とけんかをすることもあるでしょう。
こういうとき、いきなり叱るのは良くありません。
まず子どもから事情を聞くことが第一ですね。
言い訳しか出ないこともありますが、何か仕方ない事情があるのかもしれません。
とにかくまずは話を聞くことです。
さて、そんな子どもの話です。
時に、支離滅裂で何を言っているのかわからないときがあります。
子どもなりに事情を伝えようとしますが、まだまだ表現が物足りず、ぴんとこない。
そういうときに、親がすぐいらいらするのは良くありません。
子どもの話がわかりにくくて、うやむやにするのもいけません。
きちんと子どもの話を理解できるからこそ、親なりの指導やアドバイスができるようになります。
単純な方法があります。
「もう少しわかりやすく話して」と言えばいい。
子どもの話がわからなければ「言っている意味がわからない」と正直に言うことです。
もう少しわかりやすく言ってもらえるように伝えます。
子どもは必死になって話をまとめようとします。
親にわかってもらえないと自分の立場がないと思い、必死になります。
短くしたり、話のポイントをまとめたり、大切な部分だけを抜き出したりなど、子どもなりに試行錯誤を繰り返すことでしょう。
すると、話を要約する練習ですね。
こういう機会だからこそ、わかりやすく話ができるようにさせる機会なのです。
私が子どものころ、父に叱られたら母に甘えました。
父に叱られたときには、母という逃げ場があります。
逆に母から叱られたら、父に甘えました。
母に叱られたときには、父という逃げ場があります。
逃げ場を残しながら叱るのは大切です。
しかし、父と母から同時に叱られると、大きなショックを受けます。
逃げ場がありません。
しかも父からも母からも嫌われているような気がして、ひどく落ち込んでしまいます。
悪いのは「行為」だけです。
悪い行為が正しくなってもらえさえすればいいだけ。
恐怖や不安を植え付けるために、子どもを叱っているわけではありません。
子どもを叱るときに気をつけたいのは「両親が同時に叱る」というシチュエーションです。
小さなお叱りでも、両親から同時にあれこれ言われるのは、ショックが大きいです。
親子間に限りません。
学校で先生が生徒を叱るときも、何人かの先生が1人の生徒を挟んで叱るようなことがないよう注意したいところです。
1人の生徒を先生が挟んで叱るのは、言葉のリンチといっても過言ではありません。
叱るときの鉄則は「一対一になること」です。
他の人に見られていないので、人目を気にすることがありません。
親からの言葉を受け止めやすく、子どもも自分の意見が言いやすくなるのです。