親によって、口癖もさまざまあることでしょう。
実は、親の口癖は、親の人生哲学です。
これまで何十年も生きてきて「これがいちばん大切だ」というエッセンスを、見事一言に凝縮した金言です。
「お前が悪いんだろう」
「違う。お前のほうが悪い!」
子どもの口げんかでは、お互いに「自分の立場のほうが正しい」という考えで対立する場合があります。
「ITが苦手だ」という人に理由を聞くと、よくある共通点があります。
基礎から勉強していません。
勉強したとしても、いきなり応用からしようとして、挫折しています。
親は子どもの心を軽くさせるのが仕事です。
子どもが親に、難しいのかどうか尋ねることがあります。
「ピアノを弾くのは難しいの」
子どもが喜ぶものといえば、何でしょうか。
お菓子でしょうか。
おもちゃでしょうか。
「後悔しない○○」というキーフレーズは、視野を広げる力があります。
今生きているから、この瞬間のことを考えます。
幼い時期なら、視野もまだ狭い傾向です。
「いい経験をしたね」というのは、子どもが笑顔になる言葉です。
うまくいったときに使うのではありません。
失敗したときに使うのが、ポイントです。
「失敗はしてはいけないものだ」という認識があります。
子どもに限らず、大人もそうです。
失敗という言葉には、悪い印象があります。
人の赤ちゃんほど、無力な生き物はいません。
一般的に哺乳類は、生まれたばかりでもすぐ歩けるようになります。
たとえば、生まれたばかりの馬の赤ちゃんは、生後10分もすれば歩けるようになります。
日本には「以心伝心」という特異な文化があります。
言葉に頼らず、お互いに気持ちが通じ合うという意味です。
日本に限らず、アジア圏内ではそういう文化を持つ地域が少なくありません。
子どもが成長するときに、最もモデルとして参考にするのは両親です。
両親の態度やしぐさだけではありません。
両親の関係までも、子どもは大いに参考にします。
考えても見てみましょう。
子どもですから、最初は何をやってもうまくいかないに決まっています。
うまくできなくて当然。
まだ幼いころ、母から「人は人。自分は自分」という言葉をよく聞かされました。
この言葉に何度救われたかわかりません。
10歳を過ぎれば、他人の成長が気になり始める時期です。
親が教育者であるほど、陥りやすい罠があります。
「コミュニケーションの偏り」です。
親と子のコミュニケーションの基本的な流れは、やはり「親から子へ」という流れになります。
親は子どもの話を積極的に聞く姿勢を持ちましょう。
これはむしろ親から積極的に聞くことです。
親が子どもの話を聞くのはコミュニケーションのバランスを整えるために必要不可欠です。
猫は、外敵と直面したとき、面白い姿勢になります。
つま先立ちをして、腰を高く上げます。
強そうに見せるためです。
子どもの名前を呼ぶときに、きちんと名前を呼んでいますか。
「おい」や「お前」という呼び方は、乱暴です。
特に家族という打ち解けた仲の場合は、そういう省略した呼び方になってしまいがちです。
私は子どものころ、親からよく尋ねられた質問があります。
「将来は何がしたい?」という質問です。
覚えているかぎりで、最初に言われたのは幼稚園のころからです。
子どもを褒めるときと言えば、目に見える結果がほとんどです。
「テストで良い点を取ったとき」や「試合に勝ったとき」など、目に見える結果ですね。
何かを達成すれば、結果が得られるので、そのタイミングで親も褒めやすい。
お礼に関しては「お礼を言うこと」を集中的に教えがちです。
よその人に、親切にされたとき、親は子どもに「お礼を言いなさい」といいます。
別になんてことはない、当たり前のことですね。
人生には、初めて経験することがあります。
・初めてのスポーツ大会
・初めての恋愛
子どものころを思い出しましょう。
ちょうど今から勉強をしようと思っていた矢先、親から「勉強をしなさい」と命令され、やる気をなくしたことはありませんか。
不思議なことに親に「勉強をしろ」と言われると、勉強がしたくなくなります。
私が子どものころは、電気や水は無限にあるものだと思っていた時期がありました。
スイッチを動かすだけで、電気が点灯する。
蛇口をひねれば、水が出続ける。
私が小学生だった、ある日のことです。
「テレビを見ていると楽しく勉強できるのではないか」と、ふと思いつきました。
面白いバラエティー番組があり、気になっていたので、台所でテレビを見ながら勉強していました。
子どもが話しかけるときに返す言葉は、難しいことではありません。
基本的に、共感の言葉だけでいい。
子どもが親に話しかけるときの理由の大半は「共感してもらいたいから」です。
幼い子どもと接していると、ときどき子どもの奇怪な行動に驚かされることがありませんか。
大人なら、むしろ思いつきもしないようなとんでもない行動をしようとします。
割り箸を使って、スパゲティを食べようとする。
子どもが物事に失敗したとき「残念だったね」と慰めの言葉をかけることがあります。
失敗したときに「残念」という言葉だけでは心残りです。
それは「できなかった点」に着目した言い方です。
私の父の口癖に「やればできる!」という言葉があります。
父と一緒に行動していると、このキーフレーズがやけに耳につきます。
ほとんどの場合、父の独り言です。
人間が受ける印象を表した、有名な法則があります。
アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが提唱した「メラビアンの法則」です。
・話の内容からの印象 7%
「お誕生日おめでとう」という言葉は、誕生日にかける言葉です。
「だからなんだ。別に変わったことではないだろう」
たしかにそうですが、そこであなたに1つ質問です。
親によって、口癖もさまざまあることでしょう。
実は、親の口癖は、親の人生哲学です。
これまで何十年も生きてきて「これがいちばん大切だ」というエッセンスを、見事一言に凝縮した金言です。
だからこそ口癖になっています。
しかし、往々にして子どもは軽く考えてしまいます。
「うるさいなあ」で終わらせ、聞き流してしまいます。
親の口癖の真意をわかっていない。
単なる小言にしか思っていない。
あなたの親にはどのような口癖がありますか。
少し思い出してみましょう。
私の親にも口癖があります。
子どものころから何度も耳にタコができるほど聞いてきたので、しっかり耳に残っています。
私が気に入っている、親の口癖の1つがあります。
「自分の好きな道を選びなさい」
これまでのさまざまな場面で、最も頻繁に言われた親からのアドバイスです。
父からも母からもです。
人生には選択の場面があります。
中学のとき、どんな部活動に入ろうかと迷ったとき。
高校のとき、理系か文系で迷ったとき。
受験時代に進路を決めようとしたとき。
高校を卒業して海外留学を相談したとき。
いつも返ってくる言葉は「好きな道を選びなさい」でした。
必ずそう言いますし、それしか言いません。
若いころは「そのとおりだ」「また同じこと言っている……」「だからどうした?」くらいにしか考えていませんでした。
何気なく聞いていた言葉です。
何度も耳にタコができるほど言われてきたので、イントネーションまで真似ができるほどです。
まだ親の言葉の重みを、私は噛み砕けていませんでした。
しかし、自分が成長するにつれて、この言葉はとても含蓄のある言葉であると気づきます。
「自分の好きな道を選びなさい」というのは、まさに成功哲学です。
今、私は好きなことをしています。
親が何度も口にしていたので、いつの間にかDNAレベルまで哲学が染み込まれています。
さすが何十年も生きているだけあり言葉に重みがあります。
「好きな仕事を選べば、毎日が楽しくなり、やりがいも出る」
「好きなことだから集中力が身につくし、根気も出る」
「好きなことは能力も伸びやすい」
こうしたさまざまな意味が込められています。
これまで父や母が何十年も生きてきて、大切だと感じたエッセンスがまさにこの一言の口癖に圧縮されています。
言葉は一言でも、含まれる意味は膨大で奥が深い。
そういう親の哲学を、言葉として子どもに伝えてあげましょう。
子どもの身近にいる親が口にすると、その影響も伝えやすいのです。
「お前が悪いんだろう」
「違う。お前のほうが悪い!」
子どもの口げんかでは、お互いに「自分の立場のほうが正しい」という考えで対立する場合があります。
自分がいちばん大切ですから、自分の立場から見ると、少し自分よりの考え方になってしまいます。
場合によっては、口げんかでは済まず、相手を叩いたり蹴ったりする暴力行為に発展することもあります。
往々にして、子ども同士のけんかと言えば、大人の仲介です。
けんかしている2人の間に割り込んで、何があったのかを聞き出します。
親が一方的に判断して「あなたが悪い。謝りなさい」と無理やり解決させようとします。
親の判断は正しいのかもしれませんが、大事なことが抜けています。
子どもの力で解決させようとする機会を奪っています。
子どもたちのけんかに、親がすべて解決させようとするのは親切なようで、実は不親切です。
親が何でも仲介していると「けんかをすれば親がなんとかしてくれるだろう」と思い、自分で解決しようとしなくなります。
もちろんある程度の仲介は必要ですが、一から十まですべてをフォローするのは良くありません。
解決の突破口へ「導く」まででいい。
親は解決への導き役です。
親の仕事は、子どもたちのトラブルを解決するために導くだけです。
親が一方的に解決させるのではなく、この問いかけを子どもたちに考えさせて、自分の力で解決させるようにします。
では、どうすれば子どもたちで解決できるようになるのでしょうか。
いい言葉があります。
「自分がされたら、どんな気持ちになる?」という問いかけです。
往々にして、自分の立場でしか物事を見ていないから、考え方が偏ってしまいます。
自分の考え方・立場・見方に執着することで客観視ができなくなり、なかなか解決しなくなる。
あらゆる対人関係によるトラブルは、まず相手の気持ちになって考える必要があります。
相手の立場になって考えると、自然と解決します。
口論やけんかをしている子どもたちがいれば、大人はそれぞれの子どもに問いかけてください。
「自分がされたら、どんな気持ちになるのか」と。
すると、子どもは自分の身になって考え始めます。
あらゆることは「自分がされたらどう感じるだろうか」と考えれば、おのずから自然な答えが出てきます。
お互いが悪いのかもしれないし、本当に一方的に悪いのかもしれません。
少し時間を置いて頭を冷やしてから考えると、その効果も倍増です。
相手の立場になれば、自分の考え方に偏りがあることに気づき、相手を許そうとする気持ちも生まれてくることでしょう。
できるかぎり子どもたちの力で仲直りさせます。
これは練習です。
自分の感じ方と、相手の感じ方の両方を考えることで、より視野の広い子どもへと育ちます。
相手の立場になるのが解決への糸口なのです。
「ITが苦手だ」という人に理由を聞くと、よくある共通点があります。
基礎から勉強していません。
勉強したとしても、いきなり応用からしようとして、挫折しています。
特にITの分野は広大です。
どこから勉強を初めていいのかわからない人も多いことでしょう。
何のことはない、本屋に行って「入門」「基礎」という名のつく本から始めるだけです。
初めは本が薄くて、字が大きい本から選ぶといいでしょう。
特別なことではありませんね。
きちんと基礎から勉強すれば、ITという分野は、思いのほか簡単です。
私が今、自分でウェブページをつくり、サーバーを構築して、運用できているのは、単に基礎からの積み重ねを守ったからです。
全部独学です。
特別な才能は、不要です。
ITに限らず、何でもそうです。
乗馬もやったことがない人は、大層難しく感じられます。
それはいきなりプロを想像しているからいけない。
馬の背中に乗るところから始めるだけでいい。
その後、ゆっくり歩き始めます。
慣れてくれば、馬を歩かせたり走らせたりする命令を覚えるだけです。
子どもが何かに挑戦しようとするときも、基礎から勉強させる習慣をつけさせましょう。
当たり前のことですが肝心です。
親は子どもを育てるとき、次の言葉をかけてあげましょう。
「簡単なことから始めましょう」
いきなり難しいことから挑戦するのではなく、最も簡単なところから始めて、土台をつくっていきます。
あらゆることは、基礎から積み重ねれば、簡単です。
基礎から積み重ねることで、いつの間にか自分がパワーアップしているからです。
初歩から着手していけば、自然とレベルアップができます。
以前は難しいと感じていたことさえ、簡単と感じるようになります。
初めはどうしていいのかわからなかったことも、糸口が見えてくることでしょう。
階段を飛ばして上らず、一段一段丁寧に上っていくイメージです。
下から上へ、基礎から応用の順番を守っていれば、難しいと感じることはなくなります。
「簡単」からやり始め、慣れたことで対応できるようになった次の簡単なことに取り組むという繰り返しです。
この繰り返しがきちんとできていれば、あらゆることは簡単に感じられるはずです。
昨日できなかったことが今日はできるようになり、今日できなかったことが明日はできるようになります。
極端に言えば「すべて簡単だ」とさえ、思えるようになります。
気づけば、奥の深い応用をたやすくできるのです。
親は子どもの心を軽くさせるのが仕事です。
子どもが親に、難しいのかどうか尋ねることがあります。
「ピアノを弾くのは難しいの」
「大学に行くのは頭がよくないと入れないの?」
「外国人の友人をつくるのって難しいの」
「宇宙飛行士になるのって難しいの?」
そういうときに、真面目な親なら、真剣に考えたのち正直に「難しい」と答えることでしょう。
おっと、良くありません。
たしかに難しい一面があるかもしれませんが、そういうと子どもは萎縮してしまいます。
あえて「簡単だよ」と答えるのが親の仕事です。
それは嘘ではありません。
「きちんとした努力をすれば、誰でもできるよ。決して難しいことではない」という根拠のある考えです。
「頑張ればできる」というだけですから、どれも簡単なうち。
ピアノを弾くのも、頑張ればできます。
大学も、一生懸命に勉強すれば入学できます。
外国人の友人も、とりあえず話しかければいい。
特別な才能は不要です。
「簡単」という言葉をかけることで、子どもから恐怖や不安を取り除きます。
「そうか。じゃあやってみよう」と思うようにさせます。
親は、子どものやる気を促し、心を軽くさせるのが仕事です。
子どもを励まして「やってみよう」という気にさせることが大切です。
やらないから難しく感じるだけです。
やってみれば、簡単です。
それを教えるのが親の仕事です。
子どもが喜ぶものといえば、何でしょうか。
お菓子でしょうか。
おもちゃでしょうか。
もちろんそうした物質的なことで満たされることもあります。
甘いお菓子に、楽しいおもちゃも大いに喜ぶことでしょう。
しかし、もっと喜ぶことがあります。
親からの承認です。
つまり、褒められたい。
子どもには、親から褒められ認められたいという「承認欲求」があります。
子どもの行動の半分は、親に褒められたいからしているようなものです。
行儀よくしようとするのも、マナーを守ろうとするのも、親からいい子だと認められたいからです。
褒めて、子どもを認めてあげることは、愛情以上に大きなことです。
承認の中には「愛」も含まれているからです。
愛がないと相手を見ることはできません。
きちんと見てあげられるのは、愛があるからこそできることです。
陰で真面目にやっている生徒が、先生から「いつも頑張っているね」と言われると、嬉しくなります。
陰で努力しているところを、先生は見ていないようで、きちんと見てくれていたと感じられるからです。
先生からの承認と同時に、愛情も感じられます。
子どもも、親から「認められた」という経験を欲しがっています。
お菓子やおもちゃより、もっと欲しいものです。
目には見えない精神的な部分ですが、これが第一です。
そうした子どもの気持ちに、親も答えてあげましょう。
一生懸命に行動するわが子を、まず認めてあげます。
そういうときこそ、次の言葉です。
「よく頑張ったね。偉い!」
ぱっと満面の笑みを浮かべるはずです。
きちんと親から見られていることを確認できるからです。
親から認められる子どもは、すくすく成長していくのです。
「後悔しない○○」というキーフレーズは、視野を広げる力があります。
今生きているから、この瞬間のことを考えます。
幼い時期なら、視野もまだ狭い傾向です。
しかし「後悔しない」という言葉が入り交じると、印象が急に変わります。
はるか先の未来を含めて考えるようになり、より良い考えや選択ができるようになります。
「後悔しない○○」とは、視野が広がるフレーズです。
あらゆるところで使える万能フレーズです。
お金を追い求めて生きてきた結果、健康を失って後悔するのでは意味がありません。
何かに一生懸命になった結果、家族や友を失って後悔するのでは意味がありません。
そういうとき、問いかけてみましょう。
「お金ばかりを追い求めて後悔しないだろうか」
「一生懸命になり、取り返しのつかない物を失い、後悔しないだろうか」
「今の生き方のままで、後悔しない人生を歩んでいるだろうか」
すると、ずいぶん見方が変わるはずです。
いい意味で刺激があり、何か考えさせられます。
親であるあなたにも、いい言葉があります。
「後悔しないような子どもの教育ができていますか」
すると、何か考えさせられることが見えてきませんか。
子どもが喜ぶからとはいえ、お菓子ばかりを与えるのはよくないということに気づくはずです。
お菓子を与えると子どもは喜びますが、はるか先の将来のことまで考えると、お菓子ばかりではよくないことに気づきますね。
健康を害してしまう恐れがあるからです。
「後悔しない生き方」という一言は、短い言葉ながらも、思慮を深められるキーフレーズです。
親としても子どもに教育を施すとき「後悔しない」というキーフレーズを含めると、哲学が含まれた金言へと変わります。
哲学のある言葉を、大人だけ楽しむのはもったいない。
子どもに対しても、ぜひこの言葉を使ってあげましょう。
「それをして後悔しないかい?」
「後悔しない生き方ができているかい?」
すると、子どもは黙って考え始めます。
それはいい時間です。
今だけでなく、この先の自分を想像しながらどうなっているのかを考えているのです。
「いい経験をしたね」というのは、子どもが笑顔になる言葉です。
うまくいったときに使うのではありません。
失敗したときに使うのが、ポイントです。
うまくいったときには、当然嬉しいです。
元気になるでしょう。
成功体験が得られることで自分に自信をつけることができ、さらにやる気を出していくでしょう。
でも、本当は「うまくいかなかったとき」が問題です。
テストで悪い点を取った。
試合に負けた。
友人とけんかした。
うまくいかなかったことや失敗したことなどは、ひどく落ち込むものです。
落ち込んだときほど、元気がないので、自力で立ち直るのは難しい。
「失敗した。何て自分はダメなのだろう」
そういうときこそ、親は次の言葉をかけてあげましょう。
「いい経験をしたね」と。
終わったことは終わったことです。
悔やんでも仕方ありませんね。
過去が戻ってくるわけでもありません。
終わった後にできることといえば、うまくいかなかった経験を前向きに捉えることです。
子どもは親から「いい経験をしたね」と言われることで、見方が変わります。
この言葉のいいところは、2つあります。
まず第1は「子どもに元気が戻る」です。
「そうか、これは貴重な経験なんだな」
親からの励ましによって、元気を取り戻すことでしょう。
親から話しかけてもらうことで、子どもは落ち込みから立ち直りやすくなります。
しかもです。
これは元気を取り戻すだけの言葉ではありません。
失敗から学びを得ようとする力にもなります。
単に失敗して終わりではありません。
「いい経験をした」と思うことで、失敗経験から次に生かせるような部分を学び取ろうとします。
友人とけんかしたのは原因があるはずですね。
試合で負けたのも原因があるはずですね。
テストで悪い点を取ったのも原因があります。
そうした原因に気づき、改善していくことが大切です。
ポジティブに考えられる習慣を持てば、その子はこれからどんなつらいことがあっても、成長へ変えることができるでしょう。
人前で恥をかく経験も、試合に負けた経験も、テストで悪い点を取った経験も、すべてを成長の糧に変えることができます。
そういうふうに考えるようになり、そういうことをさせる習慣を身につけさせることです。
これらのために、たった一言の言葉だけでいい。
「いい経験をしたね」という一言で、子どもは明るい笑顔になるのです。
「失敗はしてはいけないものだ」という認識があります。
子どもに限らず、大人もそうです。
失敗という言葉には、悪い印象があります。
事実、精神的なインパクトは大きいです。
失うこともあるでしょう。
失敗は、あるよりはないほうがいい。
しかし、です。
「完全に失敗を避ける」というのは不可能です。
「絶対に自動車事故を起こさない」という前提だと、運転できなくなります。
どんなに一生懸命に勉強したテストでも、100点が取れるとは限りません。
思わぬ難問が出題され、点を落としてしまうこともあるでしょう。
どんなに練習をしたスポーツでも、必ずしも試合で勝てるとは限りません。
上には上がいます。
想定できないことがあるから「想定外」という言葉があります。
親として気になるのは、子どもがうまくいったかどうかでしょう。
考え方を転換しましょう。
大切なことは「失敗したかどうか」ではありません。
「全力だったかどうか」です。
ここです。
子どものときほど、失敗経験は多いものです。
わからないことやできないことだらけですから、失敗は起こるべくして起こります。
そんなとき、親として注目すべき点は「子どもが全力を尽くしているかどうか」です。
全力なら、結果が失敗でもきちんと成長へと変わります。
残念な結果ではありますが、自分なりのベストを尽くしましたから褒めてあげましょう。
しかし、全力を出していなければ、たとえ成功したとしても、喜ぶべきではありません。
単なるまぐれです。
勉強していないにもかかわらず、テストの結果が良ければ、選択問題で適当に回答した正答率が良かっただけです。
実力ではありませんし、成長の結果でもありません。
全力を尽くしていないと、たとえ成功でも本人のためにはなりません。
親は子どもに、次の言葉をかけてあげましょう。
「失敗してもいいから、全力を尽くしなさい」と。
失敗を前向きに肯定する言葉です。
子どもに教えるべきことは「全力を尽くす習慣」です。
全力を出しさえすれば、失敗はしてもいい。
全力を尽くして物事に取り組む習慣さえあれば、結果はどうあれ、本人はきちんと成長できるからです。
人の赤ちゃんほど、無力な生き物はいません。
一般的に哺乳類は、生まれたばかりでもすぐ歩けるようになります。
たとえば、生まれたばかりの馬の赤ちゃんは、生後10分もすれば歩けるようになります。
10カ月ではありません。
たった10分です。
哺乳類は、十分な発育ができてから生まれます。
一方、人の赤ちゃんに限っては例外です。
未熟のまま生まれます。
ほかの動物に比べて、高度な知性を持つ人の頭は、体に対する比率が大きいのが特徴です。
頭が産道を通れる大きさのうちに、出産することになります。
当然頭が小さい状態ですから、脳はとても未熟です。
歩くことは当然、目も見えず、何もできない状態です。
およそ6カ月からハイハイができるようになり、1歳になってようやく歩けるようになります。
生まれてしばらくは、親が保護したりサポートしたりする必要があります。
力もお金もない赤ちゃんにとって仕方ない時期です。
そんな赤ちゃんも2歳、3歳と成長するにつれて、できることが増えます。
自分で食事ができるようになります。
自分で洋服が着られるようになります。
お金の使い方を覚え、買い物ができるようになります。
自転車に乗れるようになる。
初めは単純なことしかできなくても、成長するにつれ、次第に複雑なことを素早くできるようになります。
子どもができるようになったら、もう親は手伝う必要はありません。
できますから、子どもにさせるようにすることが大切です。
「自分ができることは自分でする」という習慣を持たせることです。
これが自立の第一歩です。
親は、それを促しましょう。
「自分のことは自分でしなさい」という言葉をかけて「もう親は手伝いませんよ」と宣言します。
何も立派にできる必要はない。
できる範囲でやらせることです。
それは別に、子どもに対して冷たくしているわけではない。
むしろ逆です。
子どもへの愛の表現です。
できるかぎり自分のことは自分でさせ、強くたくましい子に育ってほしいという愛の表現です。
単純なことではありますが、重要なことです。
「自分のことは自分でする」
そうすることで、自立が促され、強くなるのです。
日本には「以心伝心」という特異な文化があります。
言葉に頼らず、お互いに気持ちが通じ合うという意味です。
日本に限らず、アジア圏内ではそういう文化を持つ地域が少なくありません。
西洋人は、このことを不思議がります。
思ったことを表現する西洋人は、東洋人はなぜ言葉がなくてお互いの気持ちを伝えることができるのかと、首をかしげます。
私はこういうとき、単に「そういう文化だから」と答えています。
人が成長過程でさまざまな性格へと育つように、文化もまたその成長過程の中で、独自の進化を遂げていきます。
どれがいいのか悪いのかという議論ではありません。
「そういうふうに文化が形成された」というだけです。
西洋の文化では「言葉での表現を重んじる」傾向が強いですが、東洋では「態度やしぐさから察する」という文化が強いです。
そんな以心伝心は、年配者ほど得意になります。
たとえば、長年寄り添っている夫婦は言葉を交わさなくても、お互いが何を考えているのかがわかると言います。
テレパシーのようですが、事実、あります。
お互いが深く知り合っているからこそ、できることです。
では、子どもへの愛情表現も以心伝心……と言いたいところですが、どうでしょうか。
たしかに長年連れ添っている夫婦なら、お互いの態度やしぐさなどから相手の気持ちを察できることでしょう。
連れ添っている時間が長いからこそできることです。
しかし、子どもと親との付き合いは、ほんのまだ数年です。
短い時間しかまだ付き合いがないですから、愛情表現を以心伝心に頼るのは良くありません。
そもそも子どもは、親からの愛情を常に欲している状態です。
こういうときには、ストレートに「愛しているよ」という言葉をかけてあげます。
ストレートでいい。
ストレートほどいい。
夫婦が愛し合い、おなかを痛めて一生懸命に産んだ子どもですから、愛があって当然です。
「愛している」という表現は、恥ずかしいことでもありません。
父親も母親も、どれだけわが子を愛しているかを存分に伝えましょう。
「愛している」という言葉が足りなくて子どもがぐれることはありますが「愛している」と言って子どもがぐれることはありません。
子どもが成長するときに、最もモデルとして参考にするのは両親です。
両親の態度やしぐさだけではありません。
両親の関係までも、子どもは大いに参考にします。
お父さんはお母さんをどう思っているのか。
お母さんはお父さんをどう思っているのか。
残念なことに、家庭によっては、両親の一方、あるいは両方が悪口を口にしているケースがあります。
たとえば、父親が母親の悪い点を指摘して、愚痴を言うことがあります。
「お母さんみたいになってはいけません」
出来の悪い母親の悪口を、父親が言います。
逆に、母親が父親の悪口を言うこともあります。
「お父さんみたいになってはいけません」
だらしない父親を、母親が非難します。
これを聞いて、子どもはどう思うでしょうか。
お互いがお互いを傷つけるような行為は、スマートとは言えませんね。
「自分はダメな親に育てられているのか。恥ずかしいなあ」
子どもは自分の両親を情けなく思います。
手本にならない親に育てられていると感じると、子どもは自分の家庭環境や人生に自信をなくしてしまいます。
生き方が卑屈になってしまうでしょう。
大切なことは、お互いが尊敬し合う関係です。
あなたがもし父親なら、一生懸命に家事や育児を頑張る母親を認め、褒めたり感謝したりしましょう。
「お母さんはすごいね」と、子どもに言ってあげます。
あなたがもし母親なら、家族のために一生懸命に仕事をしている父親を褒めたり感謝したりしましょう。
「お父さんはすごいね」と、子どもに言ってあげます。
子どもは「自分はすごい人に育てられているんだ。守られているんだ。すごいなあ」と思わせることが大切です。
子どもは自分の両親に誇りを持ちます。
子どもの生き方にも影響を与え、自信をつけていくのです。
考えても見てみましょう。
子どもですから、最初は何をやってもうまくいかないに決まっています。
うまくできなくて当然。
最初からうまくできるのは、むしろまぐれだったり偶然だったりします。
そんなとき、子どもにどんな言葉をかけていますか。
よくないのは「ダメな子だね」と、子どもを中傷してしまうことです。
うまくいかなかったからストレートに表現してしまいますが、これは良くありません。
ダメな子と言われた子どもの気持ちを考えてみましょう。
「そうか。自分はダメな子なんだな」
「親は自分のことが嫌いなのかな」
「生まれてこないほうが良かったのかな」
ダメな子と言われて嬉しい子が、どこにいるでしょうか。
子どもは下を向いて自信をなくし、行動はさらに消極的になるでしょう。
親から冷たい言葉をかけられて、自暴自棄になります。
親が子どもに「ダメな子」と言ってしまうと、本当にダメな子になってしまいます。
親が子どもにかけた言葉のとおりに、子どもは育ってしまいます。
親の言葉を本当に信じて、そのとおりに育ってしまいます。
ポイントは、どんな言葉を子どもにかけるかです。
いい子だねと言う言葉をかけます。
「いい子だね」と言われた子どもの気持ちを考えてみましょう。
「自分はいい子だ。親から認められている。もっと行儀よくしよう」
「親から愛されているぞ」
「もっと頑張るぞ」
いい子と言われると、子どもは必ずいい笑顔になります。
親からいい子だと認められることで、自分に自信を持ち、さらに行動的になるでしょう。
親から温かい言葉をかけられたからこそ、その期待に応えたい気持ちが大きくなります。
したがって、親が子どもに「いい子だね」と言うと、子どもは本当にいい子になります。
暗示をかけるように魔法の言葉をかけてあげるのです。
まだ幼いころ、母から「人は人。自分は自分」という言葉をよく聞かされました。
この言葉に何度救われたかわかりません。
10歳を過ぎれば、他人の成長が気になり始める時期です。
自分より、モテる人がいてうらやましく思い始めます。
自分より頭のいい人がいて、驚くことがあります。
自分よりスポーツのできる人がいて、生まれつきの運動神経に嘆いてしまいます。
そういう人がうらやましくなると同時に「それに比べてなんて自分は情けないのだろう」と思います。
どんな世界でもそうですが、上には上がいます。
上を見れば、切りがありませんね。
だからとはいえ、下を見ればいいのかというと、そうでもありません。
自分よりできない人を見下したり、侮辱したりするのは、卑屈な心になります。
では、こういうときどうすればいいのでしょうか。
子どもを元気づけるいい言葉があります。
「人は人。自分は自分」という言葉です。
つまり「他人は気にするな。自分に集中せよ」という意味です。
他人とむやみに比べるのはやめて、まず自分に集中し、自分なりの全力を出し切ることです。
大切なことは他人の成長に一喜一憂するのではなく、全力を出しているかどうかです。
全力なら悔いはありませんね。
自分は他人より上か下かは、全力を出し切っていれば関係ありません。
やるだけのことをやれば、たとえ負けても、気持ちのいい負け方ができることでしょう。
その結果、子どもの心が健全に育つようになります。
自分より、上手な人がいれば、尊敬できるようになります。
一方、自分よりできない人がいれば「先生」になることができるようになります。
素晴らしいことですね。
親は暗示をかけるかのように子どもに「人は人。自分は自分」と言って元気づけてあげましょう。
そういう心の習慣を持たせるようにするのです。
親が教育者であるほど、陥りやすい罠があります。
「コミュニケーションの偏り」です。
親と子のコミュニケーションの基本的な流れは、やはり「親から子へ」という流れになります。
教育しますから、知っている側が知らない側へと教えるのは自然な流れですね。
学校で授業中、話す量が多いのは先生ばかりです。
生徒は先生の話を聞いてばかりになります。
話してばかりの先生と、聞いてばかりの生徒。
この関係は親子でも同じです。
親のほうが物事をよく知っているので、子どもにあれこれと教えるため、親のほうが話してばかりになる傾向が強いです。
話してばかりの親と、聞いてばかりの子ども。
特に親が教育者であるほど熱心になり、コミュニケーションの偏りが大きくなります。
その自然な流れが強くなりすぎて、親が話してばかりで、子どもが話す機会がない場合があります。
親が「ああしなさい、こうしなさい」と一方的なコミュニケーションに対して、子どもは「はい」「わかった」と答えるしかない。
これは、本当のコミュニケーションを交わしているとは言えません。
本当のコミュニケーションは、お互いがきちんと会話のキャッチボールができていることをいいます。
親は自分ばかりが話しすぎていないか、自己チェックしてみましょう。
往々にして、子どもにいい子に育ってもらいたい気持ちが大きいほど、親からの一方的な会話になりがちです。
親が厳格な教育者ほど、自分は正しいという考えが強く、この傾向が見えなくなります。
では、こういうとき、どうすればいいのでしょうか。
単純な言葉で解決します。
「あなたの話を聞かせて」という言葉です。
何の話かは大きな問題ではありません。
学校のことでもいいです。
友人のことでも勉強のことでも悩みでもいい。
ささいな話題から会話が始まれば、おのずから話の輪が広がっていくことでしょう。
大切なことは、親から積極的に子どもの話を聞く姿勢を持つことです。
偏りがちな「親から子へ」のコミュニケーションを、逆に「子から親へ」と修正し、バランスを整えます。
難しいことではありませんね。
話を聞いているときも、子どもの話を折ったりせず、すべてを包み込むような聞く姿勢を持ちましょう。
こうして親子のコミュニケーションのバランスが整うのです。
親は子どもの話を積極的に聞く姿勢を持ちましょう。
これはむしろ親から積極的に聞くことです。
親が子どもの話を聞くのはコミュニケーションのバランスを整えるために必要不可欠です。
親は子どもの話を折らず、相槌を打ちながら聞いてあげましょう。
話の途中では「それからどうなったの」という言葉を、入れましょう。
これには、大切なニュアンスが3つ含まれています。
第1の理由は、やはり「子どものことを知るいい機会になること」です。
子どもに話をさせることで、子どもが普段、学校や友人などふと思っていることを発表する機会になります。
この発表をするなかで芽生えるのは、第2の理由であるコミュニケーション能力の上達です。
話をする行為は、自分の内側にあることを吐き出すアウトプット作業です。
自分の思っていることを、相手にわかりやすく伝えるために頭を整理したり、言葉や表現を工夫する機会になったりします。
第3の理由は「親から愛されていることが伝わること」です。
親から「それからどうなったの」と聞かれると「興味をもたれている。愛されている」と伝わります。
抱きしめるだけが愛情表現ではありません。
話を真剣に聞いてもらえるというのも、愛情表現の1つになります。
今日子どもが話をしている最中に言ってみましょう。
「それからどうなったの」と。
すると、子どもは笑顔になり、次々と話を進めてくれることでしょう。
猫は、外敵と直面したとき、面白い姿勢になります。
つま先立ちをして、腰を高く上げます。
強そうに見せるためです。
腰を高く上げて大きく見せることで、存在感を大きくし、力があるように見せかけます。
強そうに見せることで威嚇して、敵からの攻撃を防ぐ効果があります。
これが「虚勢を張る」という一種です。
空威張りです。
うわべだけとはいえ、自分を守るために一役買っています。
動物の世界において虚勢を張るのは、合理的な世渡り術の1つです。
虚勢を張ることで、強いものから身を守り、生き延びていく方法です。
いちばんいけないのは、自信がないとき、自信がないように見せることです。
うってつけのターゲットになります。
野生の世界は弱肉強食ですが、人間界でも同じです。
強い者が弱い者を飲み込み、弱い者は強い者に飲み込まれる構造があります。
ビジネスの世界でも、胸を張っている人のほうが発言権が強くなり、猫背になっている人の意見は発言権が弱くなる法則があります。
人の印象の大半は、見た目で決まります。
胸を張っている人の発言のほうが、正当できちんとしているように聞こえます。
猫背になって発言した人の意見は、根拠なく頼りない意見に聞こえます。
どんなときでも、胸を張ることです。
胸を張るのは、自信があるときのみではありません。
必ずうまくいくという勝機があるなら、自然と胸を張る姿勢になり、堂々となるでしょう。
大切なのは、逆の場合です。
自信がないときほど、胸を張ることを教えてあげます。
猫が外敵と直面したときと同じように、虚勢を張ります。
弱い自分を少しでも大きくみせ、自信があるように見せます。
親は子どもに言い聞かせましょう。
「自信がないときほど、胸を張りなさい」と。
堂々とした姿勢は大切です。
学生生活のみならず、社会生活でも役立ちます。
一昔前なら、背中に物差しを入れられて背筋を矯正させた家庭もあったと聞きます。
まったく意味がないわけではありません。
自分を価値以上に見せる単純かつ、効果的な方法なのです。
子どもの名前を呼ぶときに、きちんと名前を呼んでいますか。
「おい」や「お前」という呼び方は、乱暴です。
特に家族という打ち解けた仲の場合は、そういう省略した呼び方になってしまいがちです。
子どもの立場になって考えてみましょう。
「お前」という呼び方で呼ばれると「軽く見られている」「雑に扱われている」などの印象が伝わってきます。
「家族なのだからそれくらいいいだろう」
「子どもだから、軽い呼び方で十分」
「通じる言い方なら、何でもいいだろう」
つい軽く考え、子どものことを「おい」「お前」などと呼んでしまうのかもしれません。
しかし、子どもは名前を呼んでくれないと不安を感じます。
「親は、なぜ名前を呼んでくれないのだろうか。自分のことが嫌いなのかな」
自分は大切にされていないと誤解します。
小さな子どもに対して、ささいなことも軽く考えてしまいがちですが、逆です。
小さな子どもは、小さなことに敏感です。
家族同士だからこそ、きちんと名前を呼びます。
相手の名前を呼ぶのは「認める」という行為です。
「タカヒロ」と名前で呼ばれると「タカヒロ」という個人をきちんと尊重していることが感じられます。
「きちんと子どもの名前を呼ぶ」
このことができているか、自分をチェックしてみましょう。
自分たち夫婦でつけた名前ですから、愛情を持って呼びましょう。
名前をきちんと呼ぶことで「大切にしているよ」という愛情が子どもに伝わるのです。
私は子どものころ、親からよく尋ねられた質問があります。
「将来は何がしたい?」という質問です。
覚えているかぎりで、最初に言われたのは幼稚園のころからです。
当時は「おもちゃ屋さんになりたい」とシンプルに答えていました。
おもちゃで遊ぶのが好きだから、おもちゃ屋さんになれば毎日おもちゃで遊べるようになるだろうと思っていました。
自分なりに、将来のことを考えた結果、はじき出した夢でした。
おもちゃに囲まれれば幸せになれるだろうと思っていた。
親は「そうか。頑張れよ!」と言っていました。
質問の内容は普通ですが、不思議だったのは、その後もたびたび尋ねられたことです。
小学生になったとき、また尋ねられました。
成長すれば、また考えは変わります。
小学生になったときに、親が私に「将来は何がしたい?」と再び尋ねました。
私は父が機械関連の仕事をしていた影響で、工作関係に興味を抱くようになっていました。
工具を使って、さまざまな工作を楽しんでいました。
「ロボットをつくる人になりたい」という考えに変わっていました。
親に「ロボットの専門学校はあるの?」と聞き「探せばあると思うよ」と言われる。
そんな会話をしていたことを覚えています。
この質問は、それからも続きました。
中学に入学したとき、高校の入学のとき、大学受験、就職前などです。
親は、人生の区切りに「将来は何がしたい?」という質問をしてきます。
親が尋ねるということは、親はそのことに興味や心配がある証拠です。
私はそれが伝わりました。
今思えば「将来のことをきちんと考えましょう」という意味でした。
親がうまいところは「将来のことを考えなさい」と命令で伝えるのではなく「将来は何がしたい?」という質問で伝えたことでした。
質問された私は、しばらく黙り、自分なりに将来を考えさせられました。
将来のことを頻繁に質問する親の姿から、私の将来を案じたり期待したりする姿勢がひしひし伝わってきました。
一種の愛情表現でした。
もちろん早いうちに将来のことを決めなければならないルールはありません。
しかし、早いうちから自分の将来について真剣に考える機会をつくらせるのはいいことです。
普段から考えていないと「文系に進むか、理系に進むか」で迷ったり、どんな大学に何のために進学するのかで迷ったりします。
夢を持つのは早ければ早いほうがいい。
やりたい仕事を早くに決めることで、生きる方向性が早くに定まります。
人生の区切りに、ぜひ子どもに問いかけてみましょう。
「将来は何がしたい?」という問いかけです。
この質問は、考えさせられます。
子どもに将来について考えさせるために必要です。
しばらく黙って考えることでしょう。
「何が自分に向いているのか」
「何がやりたいのか」
自分と将来との関係を意識させます。
自分について試行錯誤する時間は、必要です。
もちろんまだ具体的な答えは返ってこないことでしょう。
「将来は何がしたい?」という質問から、将来を考える習慣をつくらせるだけではありません。
親が子どもの将来を案じたり期待したりするメッセージを同時に伝えることができるのです。
子どもを褒めるときと言えば、目に見える結果がほとんどです。
「テストで良い点を取ったとき」や「試合に勝ったとき」など、目に見える結果ですね。
何かを達成すれば、結果が得られるので、そのタイミングで親も褒めやすい。
しかし、褒めることといえば、目に見える結果だけとは限りません。
一生懸命に努力をした結果が、目に見えないこともあります。
その代表が「我慢」です。
我慢は地味です。
地味ですが、大きなストレスを抱える作業です。
もしかしたら、何かを達成するより大変かもしれません。
はっきりした結果が目に見えないため、親は子どもの我慢を見落としてしまいがちです。
もちろんそうした我慢の結果も、子どもが努力した大きな結果の1つです。
子どもが大好きなお菓子を、3時まで我慢するだけでも大変です。
子どもが我慢すべきところできちんと我慢できていれば、親はきちんと褒めてあげましょう。
「よく我慢したね。偉い!」と言えばいい。
夢を達成するために、我慢をすることも必要な技能です。
いえ、勉強でも仕事でも必ず我慢は登場します。
子どもに我慢を覚えさせましょう。
もちろん達成できたときには、きちんと褒めてあげましょう。
お礼に関しては「お礼を言うこと」を集中的に教えがちです。
よその人に、親切にされたとき、親は子どもに「お礼を言いなさい」といいます。
別になんてことはない、当たり前のことですね。
しかし、これだけでは足りません。
お礼を言わせることばかりを押し付けると、親切をされたらお礼をするという義務的な作業になりがちです。
条件反射になります。
条件反射も1つの技能ですが、お礼を「強制」や「義務」というイメージになってしまう。
「親切をされたら、感謝しなければならない」と心理プレッシャーを感じてしまう。
そうではありません。
大事な部分が抜けています。
「お礼を言われたときの立場」です。
子どもには、お礼を「言う立場」だけでなく「言われる立場」を感じてもらいます。
あなたがお礼を言われたとき、どう感じますか。
「ありがとう」と感謝されると、やはり嬉しく感じ、元気が出てきますね。
お礼を言われると「もっと親切にしよう。もっと喜ばれたいな」という気持ちになります。
この気持ちのよさを、子どもにも体感してもらうのがいちばんです。
誰かに喜ばれるというのは、充実感を得られることです。
誰かを助けたり手伝ったりした結果、子どもがお礼を言われる機会があれば、親はもう一言、そっと加えてあげましょう。
「お礼を言われると気持ちいいね」です。
すると、子どもはお礼を言われる気持ちよさを再認識できます。
どれだけ嬉しい気持ちになれるのかがわかると「ありがとう」という言葉に対して抵抗感が小さくなります。
お礼を言われて気持ちのよさがわかると、今度は自分もお礼を言いたくなります。
積極的に感謝ができる子どもへと育っていくのです。
人生には、初めて経験することがあります。
特に子どもには「初めての経験」が山ほどあります。
毎日、何か初体験をしていると言っても過言ではありません。
初めて何かに挑戦しようとするとき、そこはやはり人間です。
初回からうまくこなして、周囲を驚かせたい、褒められたい、尊敬されたい気持ちが出てきます。
子どもに限らず、大人でも同じです。
やるからには、初めからうまくこなしたいと思います。
不思議なことではありませんし、当然の気持ちですね。
しかし、です。
現実は、なかなか思うようにいきません。
何でもそうですが、初めからうまくできる人はいません。
全体像が見えませんし、手順もどうすればいいのかわからないからです。
なにより、初めから成功させることを前提に考えてしまうと、あらゆることに対して尻込みになってしまいがちです。
「間違えたらどうしよう」
「失敗して笑われたらどうしようか」
「恥をかきたくない」
さまざまな不安をたくさん思いついて、足がすくみます。
そういうことを親は子どもに教えてあげるべきですし「初めからうまくできなくて当然」と思わせるくらいでいい。
「初めからうまくできなくて当然」は、マイナス思考ではありません。
これはプラス思考です。
本当の上達は、あとから少しずつしていくものです。
何度も失敗を重ねながら、練習を重ねて慣れていったり、間違いを改善したりします。
それが本当の上達です。
初めからうまくできるほうが珍しいということです。
子どもに「初めからうまくできる人はいないよ」と話しかけてあげましょう。
初めての大成功を収めようという意気込みは素晴らしいですが、そうである必要はないと、子どもに教えてあげます。
大切なことは、倒れても起き上がることです。
一度できなかったくらいで諦めず、練習を積み上げ、再度挑戦すること。
上達は時間をかけて積み上げていくものです。
親が自信を持って、そういうふうに子どもに教えてあげるのです。
子どものころを思い出しましょう。
ちょうど今から勉強をしようと思っていた矢先、親から「勉強をしなさい」と命令され、やる気をなくしたことはありませんか。
不思議なことに親に「勉強をしろ」と言われると、勉強がしたくなくなります。
自分から進んでやるのと、言われたからやるのとでは大違いです。
自分から進んで勉強しても、言われたからやる勉強も、どちらも結局勉強することには変わりません。
違いがあるのは、モチベーションです。
ちょうど今しようと思っているところで親に言われると、言われたからやるような感じになるので、モチベーションが下がります。
「やれと言われたことはやりたくなくなる」という面白い人間心理ですね。
この人間心理も、使い方しだいです。
子どもの成長を伸ばすような、面白い言葉がけがあります。
「たまには休憩もしなさい」です。
こう言われると、子どもはちょっと嬉しくなります。
親から「一生懸命に勉強して偉いね」と遠回しに褒められている感じがしますね。
いつも勉強していることを親が認めてくれていることを感じられます。
もちろん「たまには休憩しなさい」という言葉から、親の優しくて温かい気遣いも感じられます。
そればかりではありません。
「たまには休憩もしなさい」と言われると、逆にもっと勉強がしたくなります。
理由は先ほどと同じで、親から休憩しろと言われると、言われたからやるようで気が進まなくなるからです。
「これくらいのことで休憩していられない。自分はまだまだできるぞ!」
疲れが吹き飛び、逆にやる気が出てきます。
人間心理をついた、面白い言葉がけなのです。
私が子どものころは、電気や水は無限にあるものだと思っていた時期がありました。
スイッチを動かすだけで、電気が点灯する。
蛇口をひねれば、水が出続ける。
それが止まることはありません。
もちろん無限ではありませんが、無限にあるように錯覚していました。
当然ですが「もったいない」という意識もありません。
そのため何でも使い放題にしていました。
まず電気のつけっぱなしです。
スイッチ1つで電気はつくものだと思い、そのために何かが失われることがないと思っています。
電気代のこともきちんと理解していません。
水は出しっぱなしです。
水は、蛇口をひねれば永遠に出続けるものだと思っています。
本当は、水には限りがありますし、使った分だけ水道代もかかっています。
そんなとき、母はいつも「もったいない」と言って叱りました。
ある日、母は「私に見せたいものがある」と言って、家の裏にあるメーターを見せました。
そのメーターとは、電気メーターと水道メーターです。
自分が電気をつけっぱなしにしたり、水を流しっぱなしにしたりしていると、メーターの回転が勢いよくなります。
これは衝撃でした。
自分の使っている量が裏ではきちんと計測されていると、目に見えて実感したからです。
子どもには「節約の大切さ」を教えましょう。
親は子どもに見せたいものが2つあります。
水道を流しっぱなしにしているときなら「水道メーター」と「水道代の明細」です。
電気をつけっぱなしにしているときなら「電気メーター」と「電気代の明細」です。
お金のことだから見せにくいと言っている場合ではありません。
たくさん使うほど、メーターが加算されていくことを、目で見て確認させます。
電気代や水道代の明細書も見せて、使った分だけお金がかかっていること。
そういうことを子どもに伝えてあげましょう。
余裕があれば「電気がどのような仕組みで発電されているのか」を教えてあげましょう。
「水がどのような仕組みで家庭にまでつながっているのか」も教えることができれば、なお結構です。
お金のことだからと言って子どもに隠そうとするから、子どもは感覚が養われず、つい使い放題になってしまいます。
見せることで、おのずから「もったいない」という精神が養われます。
親はことあるごとに「節約意識」を子どもに伝えましょう。
「もったいない」と。
節約のキーワードです。
子どもは「使いすぎてはいけないな。使う分だけ使おう」という節約意識が芽生えてくるのです。
私が小学生だった、ある日のことです。
「テレビを見ていると楽しく勉強できるのではないか」と、ふと思いつきました。
面白いバラエティー番組があり、気になっていたので、台所でテレビを見ながら勉強していました。
テレビを見ては笑い、わずかな隙に勉強をしていたときです。
母が怒りました。
「勉強をするときは勉強をしなさい」といい、テレビをやめるよう促しました。
しぶしぶテレビを消して、勉強をしたことを覚えています。
逆のこともありました。
家族で旅行に行くときに、勉強に必要な本を持っていくと「家族旅行のときくらいは勉強のことは忘れなさい」と言います。
遊ぶことに積極的にお金を使おうとし、もっと遊ぶように促します。
そういう母は、日頃から「勉強するときは勉強する。遊ぶときは遊ぶ」と言っていました。
母の口癖です。
今になって思えば、母は子どもには集中することの大切さを教えようとしていました。
勉強するときには勉強に集中する。
遊ぶときには精いっぱいに遊ぶ。
これが極端であるほどいい。
集中ができている証拠だからです。
テレビを見ながら勉強では、休憩なのか勉強なのかわかりません。
やるときには一点に集中すること。
何事も中途半端ではうまくいかないということです。
「勉強するときは勉強する。遊ぶときは遊ぶ」は、子どもの成長に集中の大切さを教えるキーフレーズです。
何事もメリハリをつけたほうが結果は出やすい、と伝える言葉なのです。
子どもが話しかけるときに返す言葉は、難しいことではありません。
基本的に、共感の言葉だけでいい。
子どもが親に話しかけるときの理由の大半は「共感してもらいたいから」です。
親に自分の気持ちをわかってもらいたいから、たくさんの話をしたがります。
楽しいときには「楽しいね」。
嬉しいときには「嬉しいね」。
面白いときには「面白いね」。
もちろん楽しかったり嬉しかったりするときだけではありません。
共感の力が発揮されるのは、特に心が病んでいるときです。
子どもが泣いたり悲しんだりしているとき、親としては子どもに気の利いた言葉をかけて、慰めてやりたいと思います。
難しく考える必要はありません。
共感の言葉だけでいい。
つらいときには「つらかったね」。
悲しいときには「悲しいね」。
怖いときには「怖いね」。
大変だったときは「大変だったね」。
怒っているときには「怒っているんだね」。
こうした共感の言葉をかけてあげるようにしましょう。
シンプルな言葉ですが、これほど子どもが喜ぶ言葉はありません。
子どもは、自分のつらさや大変さをわかってもらえると、安心した表情を浮かべます。
誰かと心を共有できたときに、安心できたり嬉しくなったりします。
子どもを厳しく育てようとして、共感の言葉をかけない親がいます。
共感の言葉をかけると子どもが甘え、だらしない子に育つと思っています。
決して甘やかしている言葉ではありません。
きちんと子どもの気持ちを理解して、心を育んでいる言葉です。
共感をしてもらえるからこそ、子どもは元気や勇気を取り戻し、また歩み始めます。
本当は共感したほうが子どもは強くなるのです。
幼い子どもと接していると、ときどき子どもの奇怪な行動に驚かされることがありませんか。
大人なら、むしろ思いつきもしないようなとんでもない行動をしようとします。
割り箸を使って、スパゲティを食べようとする。
植物の水やりに、台所にある植物油をやろうとする。
ビー玉を、鼻の穴に入れようとする。
ぬれた猫を乾かすために、電子レンジに入れようとする。
パンツをなぜか頭にかぶろうとする。
笑っている場合ではありません。
もちろん間違っていることです。
場合によっては命にまで関わることです。
そのとき、いきなり「こら!」と叱るのは良くありません。
子どもが間違いを犯したとき、親は突然叱るのは子どもに精神的なダメージが強くなります。
たしかに行為がよくないことですが、子どもは必ずしも、いたずらでわざとそうしているとは限らないからです。
まず子どもの考えを聞く姿勢を持ってください。
「なぜそんなことをするの」と、優しく尋ねてみます。
いきなり叱るのではなく、まず子どもの考えを聞くことから始めます。
ただのいたずらなら、当然叱る必要がありますが、もしかしたら何か誤解しているのかもしれません。
特別な理由があることも考えられるでしょう。
私たち大人は常識があるからこそ物事を見てしまいますが、常識のない子どもたちには何かを勘違いしている可能性があります。
子どもは、大人が思ってもいないような考えや行動をするものです。
とにもかくにも、まず子どもの考えを聞く姿勢です。
いきなり叱るのではなく「なぜそんなことをするの?」と、まず子どもの話を聞く。
何かを誤解しているなら正してあげる必要がありますし、間違った考えなら正しいことを教えてあげる必要があります。
あらゆる子ども教育で必要なことです。
学校で先生が生徒を叱るときにも、同じです。
いきなり叱るのではなく、なぜそんなことをするのかを聞いてみることから始まります。
子どもを理解しようとする大人の姿勢なのです。
子どもが物事に失敗したとき「残念だったね」と慰めの言葉をかけることがあります。
失敗したときに「残念」という言葉だけでは心残りです。
それは「できなかった点」に着目した言い方です。
悔しい気持ちしか残りません。
そこで未来につながるような言い方があります。
「残念」より「もう少しでうまくいくね」です。
これは、うまくいくことに着目した言い方です。
「もう少しでうまくいくね」という言い方のほうが、明るさがあります。
「うまくいかなかったこと」より「もう少しでうまくいくこと」を褒めることです。
悔しい気持ちだけでなく「次こそは頑張るぞ」とやる気を出して、目を輝かせることでしょう。
親が「できなかった点」より「できている点」のほうを見てくれているとわかるので、落ち込みも小さくなります。
もし失敗の状態が、もう少しでうまくいく状態ではない場合は、次のような言い方もOKです。
「こうすれば上手にできるよ」
「いい感じだよ」
「もっと練習すればうまくいくね」
どれも、うまくいくことを前提にした前向きな言葉です。
子育て上手な親は、子どもを上手に慰めながら育てるのです。
私の父の口癖に「やればできる!」という言葉があります。
父と一緒に行動していると、このキーフレーズがやけに耳につきます。
ほとんどの場合、父の独り言です。
一緒に家族旅行に出かけて、行き方がよくわからなくても「やればできるだろう」と言います。
ぶつぶつ「やればできるだろう」という独り言をいう父は、横で見ればかなり危ない人になっています。
しかし、そういうポジティブな考え方のせいか、事実、父が挑戦することは比較的うまくいっているように思えました。
そういう父ですから、私にもよく語りかけてきました。
海外旅行に出発する前に、父親に電話すると「いろいろ文化の違いはあるけれど、まあやればできるだろう」と言っていました。
昔から親がそういうふうに言い続けてきたので、どこか潜在意識の奥深くには、楽観的な考えが根強くあります。
あらゆることに挑戦するとき「やればできるのではないかな」と思ってしまいます。
親の口癖とはすごい力です。
よくよく考えると、実はまったく根拠のない言い方です。
できるという確証はどこにもありません。
しかし、やってみないことには、成功確率は確実にゼロです。
絶対に達成しうることはありません。
挑戦するというだけで、すでに成功への道を歩んでいます。
やれば、ある程度のことができるというのは、事実です。
「やればできるだろう」というキーフレーズを聴くと、なぜか元気になります。
不思議なことに、本当にやればできるのではないかとさえ思えてきます。
「やるからできる、やらないからできない」
このシンプルな法則に気づくことです。
親は、子どもに未来の希望を抱かせる言葉をかけることです。
やれるかどうかは、やってみないとわかりません。
やってもいないのに、できないという習慣を持たせないことです。
ある程度のことは、やればできるものです。
初めから諦める習慣がついてしまうと、何事も消極的になります。
根拠はないけれど、やればできると信じることは、やる気や元気を自家発電できるのです。
人間が受ける印象を表した、有名な法則があります。
アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが提唱した「メラビアンの法則」です。
この割合から、別名「7-38-55のルール」ともいわれています。
見かけが大きな割合を占めるのは、誰もが想像つくところです。
驚くべき点は「声からの印象」と「話の内容からの印象」です。
話の内容より、声そのものからの印象のほうが、なんと5倍以上も大きいです。
人の印象というのは、声が大きな割合を決めているということです。
アナウンサーがなぜ頭が良さそうに見えるのかというと、はきはき話をしているからです。
たとえば、仕事で上司に仕事の話をするとき、次の2通りでは印象がまったく異なります。
もぞもぞした小さな声で「私にやらせてください」と言うと「本当にできるのか?」と不安になります。
一方、はきはき大きな声で「私にやらせてください」と言うと「この人ならやってくれそうだ」と思います。
口にした言葉はまったく同じです。
しかし、相手に受ける印象は違います。
はきはき話をしたほうが、絶対に得をするということです。
親は子どもに、幼いころからはきはき話をする習慣をつけましょう。
話の内容は、勉強をする必要がありますが、はきはき話をするなら、幼いころからでも練習ができます。
話し方というのは、子どものときこそ重要です。
幼いときに癖をつけておくと、そういう大人へと育つことでしょう。
もぞもぞした話し方なら「はきはき話しましょう」と伝えます。
「何を口にするのか」も大切ですが、それ以上に「どれだけ明確に言葉を発するか」のほうが重要なのです。
「お誕生日おめでとう」という言葉は、誕生日にかける言葉です。
「だからなんだ。別に変わったことではないだろう」
たしかにそうですが、そこであなたに1つ質問です。
「お誕生日おめでとう」という祝福を、友人から言われるのと、親から言われるのとで、どちらが嬉しいですか。
ほとんどの人が、親から言われるほうが圧倒的に嬉しく感じるはずです。
もちろん友人からの祝福も嬉しいですが、親からの祝福は、何か特別な意味が込められている気がしませんか。
こそばゆいような、恥ずかしいような、照れるような、そんな特別な嬉しさがありますね。
実は、言葉は同じでも、友人と親とでは「言われる意味」が違います。
友人から「お誕生日おめでとう」と言われるのは、誕生日そのものを祝う言葉です。
「誕生日だね。良かったね」という意味です。
もちろん純粋に誕生を祝う言葉です。
そう言われると嬉しくなりますね。
一方、親から「お誕生日おめでとう」と言われるのは、もっと強い意味が込められています。
単なる祝福の言葉ではありません。
わが子が生まれてきたことに喜びを表現する言葉です。
「生まれてきてくれてありがとう。今日まで元気に生きてくれて良かった。これからも元気に育ってほしい」
子どもの存在を強く肯定しています。
「生きていることは素晴らしいね。あなたがいるから私も幸せ」
わが子の存在を肯定し、命の素晴らしさを伝える強い意味が込められています。
同時に強い愛情が感じられます。
友人からより親から祝福されるほうが、何倍も嬉しく感じるのはそのためです。
親は子どもの誕生日には、思いきって「お誕生日おめでとう」と言ってあげましょう。
単に口にするより、少し大げさに言ってあげるのがコツです。
子どもは親からお誕生日おめでとうと祝ってもらえるのが、いちばん嬉しいのです。