私がテーブルマナーを身につけようと思ったきっかけは、憧れでした。
19歳のころ、単身でアメリカに留学をして、およそ3年半、海外生活を体験しました。
アメリカでは西洋料理の本場です。
フォーマルなレストランに行くと、ある共通点に気づきます。
口説いているところ、もしくは口説こうとしている男女が多くいるのです。
男性同士や女性同士も見かけはしますが、それより男女のペアが圧倒的に多い。
男性が女性とデートをするなら、大切な成功のポイントがあります。
「行きつけのレストラン」をつくり、そこで「顔なじみのソムリエ」をつくっておくことです。
フォーマルなレストランというのは、緊張しやすい場所です。
「なぜこんなルールがあるの。何のためにあるの。面倒だ」
テーブルマナーについて、最初から「意味がない。面倒くさいだけ」と、けちをつける人がいます。
たしかにテーブルマナーを知らなくても、食事をすることはできます。
レストランの給仕やソムリエにとって、お客さんには2種類います。
・嫌われる客
・好かれる客
極端に言ってしまえば、テーブルマナーは面倒くさいルールばかりです。
最初は、誰もが面倒だと思います。
「食べるときくらいルールを気にせず、自由に食べたい!」
日本人同士の間で「箸の使い方が上手だね」という話題はめったに上がりません。
誰もが使えて当然、使えこなせて当然だからです。
箸を使うとき、もはや体の一部になっているはずです。
あらゆる面倒なマナーも、当たり前になれば、苦ではありません。
歯磨きと同じです。
最初は面倒です。
おおむね基本的なマナーについては、マナーの解説書に書かれています。
しかし、レストランでは思わぬトラブルが発生する場合があります。
マナー解説書とはいえ、書ききれないことがあります。
記念日や誕生日に、異性とレストランへ向かうことがあります。
そこで、友人におごってあげることがあります。
おごるのはいいのですが、あとから「おごってあげたからお返しをしてほしい」というニュアンスがあると、感じが悪くなります。
「なぜ、わざわざこんな面倒くさい食べ方をするのだろう」
西洋料理のテーブルマナーを学んでいると、ときどきそう思うことがあります。
そう思っていた時期がありました。
ヨーロッパやアメリカでは、ナイフとフォークを使った食事が一般的です。
テーブルマナーも手慣れている人が多く「知っていて当たり前」という雰囲気があります。
その一方、アジアでは西洋料理を毎日食べるわけではありません。
「えいや!」
魔法使いは、つえを使って魔法をかけます。
つえをくるくる頭の上で回し、一連の動作をします。
物には「盗まれる」という欠点があります。
家に泥棒が入って盗まれると、大きな損失があります。
いくら厳重なセキュリティーとはいえ、完璧はありません。
マナーは「伝染する」という効果があります。
「感じがいいなあ」という人は、決まって親も感じがいいものです。
親の教育が、子どもに伝染しているのです。
レストランの給仕とはいえ、完璧ではありません。
すべてのレストランの給仕がプロフェッショナルと思いたいですが、見習いの給仕の場合もあります。
時と場合によっては、給仕より客のほうがマナーのレベルが高くなります。
給仕は「おいしく食べてもらっているだろうか」と内心は不安です。
無表情や無言で食べていると「何か気に入らないことがあったのだろうか」と不安になります。
「食事に問題があったのか。自分の対応に問題があったのか」と気が気ではなくなります。
私は最初、食事が終わったときのサインの意味がわかりませんでした。
食事が終わったときは、ナイフとフォークを3時、もしくは5時の方向にそろえます。
マナーとしては知っています。
マナーは、まず頭で覚えます。
ある程度、詰め込み勉強です。
本来は、意味や理由がわかって覚えるのが理想です。
「この人と結婚して、うまくやっていけるだろうか」
これから結婚しようとする人がいるなら、結婚前に、一度フォーマルなレストランへ行きましょう。
結婚後の生活は、フォーマルレストランでのテーブルマナーから見えてきます。
ときどき、あらを探して、通のふりをする人がいます。
レストランに入れば「どこかよくないところはないか」という目で、きょろきょろ周りを眺めます。
悪い部分を指摘して、通のふりをしようとするのです。
あらを指摘して、通のふりをするのが、いちばんかっこ悪いことです。
しかし、なかには本当に給仕の対応などに問題がある場合があります。
レストラン側に悪気があるわけではありません。
テーブルマナーを知らなくても、人生、なんとかなります。
レストランにさえ行かなければいいだけです。
行ったとしても、堅苦しい食べ方を意識せず、好きなように食べることもできます。
自分のためと思うと、面倒と感じることがあります。
困るのが自分だけなら「まあいいか。自分が恥をかくだけだ」と思います。
そうではなくて、相手を幸せにするために身につけようと思ってください。
異文化を学ぶために、海外旅行へ行くのも1つの手です。
しかし、もっと早く安上がりに、海外の異文化を堪能できる場所があります。
他国料理のレストランです。
流行は、刻一刻と変わります。
「かっこいい服装」の基準は、時代ごとに変わります。
今年最新のファッションは、5年後もすれば、笑われるファッションになります。
モテる人は、何もしなくても、モテます。
外見がかっこよくてテーブルマナーが整っていても、当然と思われる姿ですから、大きなギャップがありません。
最初から期待値がすでに高い状態です。
私は、グリーンピースが苦手です。
独特の食感といい、味といい、生理的に受け付けません。
無理に食べると、吐き気がします。
大切なときほど、フォーマルなレストランで食事をしましょう。
テーブルマナーがうまい下手の話は別として、そういう姿勢で誰かと食事をすると「大切にしている」思いが伝わりやすくなります。
あらたまった場には、独特の堅苦しさがあります。
結婚して、幼い子どもが食べた食器洗いを経験すると、マナーの大切さを痛切に感じます。
食事をサーブされる側から、する側です。
子どもはマナーを知らないため仕方ないのですが、とにかくめちゃくちゃです。
私がテーブルマナーを身につけようと思ったきっかけは、憧れでした。
19歳のころ、単身でアメリカに留学をして、およそ3年半、海外生活を体験しました。
アメリカでは西洋料理の本場です。
今まで日本の生活では、箸を使った食事が多かったのですが、急にナイフとフォークを使う機会が増えました。
最初は違和感がありましたが、すぐ慣れてきました。
また、外食が好きで近場に洋食レストランもたくさんあったので、友人と一緒に頻繁に食事にいったものです。
そこで衝撃を受けたのです。
数多くのテーブルマナーの達人たちを目にしました。
テーブルマナーが整っている人は、本当にかっこいいのです。
私はそれまで「テーブルマナーなんて面倒。堅苦しいだけだよね」と軽く考えていました。
しかし、その考えを吹き飛ばしてしまうほど、かっこいいのです。
これまでの私が考える食事とは「腹を満たすだけ」が目的でした。
しかし、テーブルマナーがしっかり決まれば、美しくてかっこいい。
その姿に憧れました。
単に食事をしているだけですが、かっこいい。
「あんなふうにかっこよく食事がしたい!」
その憧れが、テーブルマナーを学びたいという原動力へと変わりました。
フォーマルなレストランに行くと、ある共通点に気づきます。
口説いているところ、もしくは口説こうとしている男女が多くいるのです。
男性同士や女性同士も見かけはしますが、それより男女のペアが圧倒的に多い。
フォーマルなレストランが「あらたまった場」になっているからです。
一見、堅苦しくて緊張するフォーマルなレストランです。
しかし、この場所ほど口説くのにうってつけの場所はありません。
男性はスーツ、女性はドレス。
お互いにきちんとした正装で向かいます。
ほど良い堅苦しさは真剣な気持ちを伝えやすくなります。
口説くのは「場所」が大切です。
「言葉」も大切ではありますが、それ以上に「場所」であり「雰囲気」です。
女性は、そういうところを重視します。
美しい夜景が見えるレストランなら、言うことなしです。
美しい夜景が見えるフォーマルなレストランで、口説いたり口説かれたりするほうが、ハートを動かしやすくなります。
男性は有利になり、女性は嬉しく感じます。
フォーマルなレストランは、ハートを動かしやすい条件が整っています。
しかし、ファストフード店では難しい。
言葉に自信がない人は、そうした場所や雰囲気に気を使うことです。
料金は少し高めに設定されていますが、雰囲気に対する料金と考えましょう。
お金を出して雰囲気が買える、魔法の場所なのです。
ただし、1つ条件があります。
テーブルマナーをマスターしておくことです。
きちんとした場所でも、テーブルマナーが悪いと台無しです。
雰囲気のいい場所にふさわしいテーブルマナーをマスターしておくのです。
マナーは前提条件なのです。
男性が女性とデートをするなら、大切な成功のポイントがあります。
「行きつけのレストラン」をつくり、そこで「顔なじみのソムリエ」をつくっておくことです。
フォーマルなレストランというのは、緊張しやすい場所です。
やはり初めて向かうレストランでは、緊張します。
いくらテーブルマナーに慣れている人とはいえ、たどたどしくなりがちです。
また、初めてコミュニケーションを交わす給仕やソムリエは、表面的な会話になりがちで、たどたどしくなる場合があります。
そこで、デートをする前に、あらかじめ行きつけのレストランをつくり、給仕やソムリエと顔なじみになっておくのです。
難しくはありません。
事前に何度かレストランで食事をするだけです。
レストランでの食事の雰囲気はだいぶ変わります。
何が変わるかと言えば、あなたの態度が頼もしくなるのです。
フォーマルなレストランで雰囲気に慣れているあなたの姿は、緊張する彼女の目には、テーブルマナーの上級者と映るでしょう。
給仕やソムリエとの会話も、すでにお互いが顔なじみですから、堅苦しさがなくスムーズです。
その一連のスムーズな様子を見た彼女は、頼りがいがある男性に映ることでしょう。
自然とあなたに心を寄せ、惚れるに違いないでしょう。
「なぜこんなルールがあるの。何のためにあるの。面倒だ」
テーブルマナーについて、最初から「意味がない。面倒くさいだけ」と、けちをつける人がいます。
たしかにテーブルマナーを知らなくても、食事をすることはできます。
適当な使い方でも、食べようと思えば食べられる。
できることなら、楽な方法で食事をしたい。
しかし、テーブルマナーの意味を、最初から求めないでほしいのです。
テーブルマナーの素晴らしさは、最初の段階で理解できません。
身につけていないのに、どう素晴らしさを理解できるのでしょうか。
「最初は、まったく意味が理解できない」
あらゆる勉強は、そういうものです。
学校で歴史の重要性は、学んでいるとき「何の意味があるの?」と思います。
しかし、社会人になってから重要性に気づきます。
日々、テレビやニュースで流れる事件は「歴史の延長」もしくは「歴史の繰り返し」である、と気づくのです。
すると、現代社会をもっと知るために、過去を学びたくなる。
同じ過ちを繰り返さないために、歴史を参考にしたくなる。
歴史は勉強してから、意味がわかります。
意味がわかると、もっと学びたくなる、というサイクルです。
マナーの勉強も、最初は愚直に学びます。
しばらくすれば「ああ。なるほど」と、察する瞬間があるはずです。
意味はあとからわかります。
学んでいくにつれて視野が広がり、意味が感じられるようになります。
テーブルマナーを身につけた効果は、タイムラグがあるのです。
レストランの給仕やソムリエにとって、お客さんには2種類います。
どちらでもない人はいなくて、必ずどちらかに分類されます。
まず嫌われる客は「レストランの雰囲気を壊す人」です。
フォーマルなレストランには、雰囲気をつくるために時間・努力・お金を投下しています。
勝手に厳粛な雰囲気ができるわけではありません。
フォーマルなレストランの雰囲気には、かなり気を使われています。
雰囲気をつくるのは、大きな努力とお金がかかります。
たとえばあなたの部屋を、厳粛で緊張感のある空間にするためには、どうしますか。
高価な家具を買いそろえたり、きれいに掃除をしたりなど、時間・努力・お金などが必要ですね。
維持をするのも大変です。
フォーマルなレストランも、同じなのです。
きちんとした雰囲気をつくり、維持するために、努力を重ねています。
レストランの雰囲気を壊すようなお客さんは嫌われます。
カトラリーがかちゃかちゃと音を立てたり、大声で騒いだりなどです。
レストランの雰囲気が悪くなると、評判も落ちますし、評判が落ちれば売り上げも下がり、悪循環になります。
そういう悪循環の発端となるようなお客さんは嫌われます。
にこやかに接していても、内心では「早く出ていってほしい。二度と来ないでほしい」と思われているはずです。
一方、好かれるお客さんというのは、雰囲気づくりに貢献する人です。
レストランのルールにのっとって動いてくれるお客さんは、厳粛な雰囲気の一部です。
エレガントなテーブルマナーで食事をする人ばかりが来店していると「きちんとしたレストランだ」と思われます。
レストランの雰囲気が良くなると、評判もよくなり、評判が良くなると売り上げも上がる好循環になります。
そういう好循環の発端となるようなお客さんは好かれます。
あなたはどちらのお客さんですか。
やはりいちばん大切なのは、テーブルマナーです。
服装はスーツを着られれば誰でもできますが、マナーは磨く時間や努力が必要です。
きちんとしたテーブルマナーの人は、給仕やソムリエからも好かれる人になれるのです。
極端に言ってしまえば、テーブルマナーは面倒くさいルールばかりです。
最初は、誰もが面倒だと思います。
「食べるときくらいルールを気にせず、自由に食べたい!」
しかし、面倒なことを嫌がっているのは、わがままを言い張る子どもと同じです。
たしかに自由は大切ですが、自由しかないのは秩序がありません。
多くの人が共存する社会では、面倒でも守らなければいけないマナーがあります。
周りの人に迷惑をかけないからこそ、自分も共存できるわけです。
フォーマルなレストランでも同じです。
法律があるわけではありませんが、守るべきルールがあります。
大声を出さない。
食事は、できるだけ残さない。
食事中は、できるだけ中座しない。
給仕を呼ぶときは、手を挙げる。
食事中はナプキンを膝の上に置き、中座の際は椅子の上に置く。
そのほかにも数多くあります。
そういう面倒なことを嫌がらない人が、かっこいい。
ルールというのは、相手や周りの人に迷惑をかけないためにあります。
ルールを守っている姿が相手に安心感を与え「この人とは長いお付き合いができそうだ」と好印象を抱かれるのです。
日本人同士の間で「箸の使い方が上手だね」という話題はめったに上がりません。
誰もが使えて当然、使えこなせて当然だからです。
箸を使うとき、もはや体の一部になっているはずです。
私がアメリカ留学中もそうでした。
アメリカ人と食事をしていると、ナイフとフォークの使い方について話は出ません。
使えて当然、使えこなせて当然だからです。
カトラリーを使うとき、もはや体の一部になっているため、自由自在に使いこなせていました。
まったくの日常です。
別に大したことではありません。
それこそ「完全にマナーが身についている」という証拠です。
逆に言うと「マナー、マナー」と言っているのは、まだ慣れていない証拠です。
意識をしている時点で、マスターはできていません。
本当に極めると、意識しなくなります。
勝手に体が動き始めます。
テーブルマナーは、最終的に体で覚えるものです。
人が両足で歩くとき、左右の足は複雑な動きをしていますが、動きを体が覚えているため、意識しないのと同じです。
テーブルマナーを十分身につけたとき、考えもしなくなるのです。
あなたはどうでしょうか。
「意識をしなくなった」
そう思えているかどうかを、テーブルマナーが身についているかどうかの1つの判断基準にしましょう。
あらゆる面倒なマナーも、当たり前になれば、苦ではありません。
歯磨きと同じです。
最初は面倒です。
しかし、一度習慣になってしまうと、歯磨きをせずにはいられなくなります。
歯磨きした後の爽快感が気持ちよく、歯磨きをしないと、寝られなくなるのです。
そうした体質や考え方へと変わります。
不思議な感覚ですね。
マナーも同じです。
最初は面倒だと思います。
大丈夫です。
最初だけです。
マナーを身につけ、しばらくして気づきます。
フィンガーボールに慣れてしまった後、フィンガーボールが出ない状況のとき「どうやって手を拭けばいいんだ」と困ります。
ナプキンが用意されていない状況では「どうやって口を拭けばいいのか」と不満を抱きます。
ワインのテイスティングも、最初は面倒ですが、慣れてしまうと、しないと落ち着かなくなるから不思議です。
慣れを味方につけましょう。
面倒であるはずの動作ですが、慣れてしまうと気持ちいいのです。
一連の動作が儀式のような役目を果たし、気持ちの区切りをつけることができます。
儀式を通して、これからおいしい料理を楽しむという、気分が高揚するのです。
おおむね基本的なマナーについては、マナーの解説書に書かれています。
しかし、レストランでは思わぬトラブルが発生する場合があります。
マナー解説書とはいえ、書ききれないことがあります。
「ワイングラスに髪の毛が入った」
「おならの音が聞こえた」
「食事中、急な用事を思い出した」
マナー本に書かれていない特殊なトラブルのとき、どう対応するのか。
まず、トラブルが発生して慌てて行動をするのは、いちばん良くありません。
慌てて行動をすることで、別のトラブルが発生しやすくなり、悪循環です。
こういう場合、どうしますか。
多くの人が「落ち着いて行動をしよう」と思うはずです。
しかし、これは逆効果なのです。
「落ち着いて行動しよう!」と思う時点で、慌てています。
「落ち着け」と思うのは「自分は今、慌てている」という自覚を促してしまいます。
「落ち着け! 落ち着け!」と思うほど、余計に焦ってしまうのが人間です。
余計にパニックになる可能性がある。
では、どうすればいいのか。
本当に大切なのは「慌てない」ということです。
慌てさえいなければ、自然と落ち着いた行動ができるようになるからです。
つまり、突然のトラブル発生のときに大切なのは「落ち着いて行動すること」より「慌てないこと」です。
まず、一呼吸置く。
決して慌てない。
これだけでいいのです。
慌てさえいなければ、解決策は自然と思い浮かびます。
気分が悪くなったときには「ちょっと失礼」と言って、中座します。
自分だけではどうしても対応ができない場合のときは、給仕を呼びましょう。
普段から突然のトラブルの際「慌てない」という癖をつけておきましょう。
どんなときにも取り乱さない習慣を身につけておきましょう。
自然と慌てない行動ができるのです。
記念日や誕生日に、異性とレストランへ向かうことがあります。
そこで、友人におごってあげることがあります。
おごるのはいいのですが、あとから「おごってあげたからお返しをしてほしい」というニュアンスがあると、感じが悪くなります。
「なんだ。目的だったのか」と思われるのです。
以前より印象が悪くなる場合も少なくありません。
よくある話が、男女関係です。
男性が女性に近づこうとするためのおごりは、よくある話です。
しかし、ここで失敗する人がいます。
態度や発言から「おごったから見返りが欲しい」という圧力が感じられ、付き合いにくくて失敗するのです。
ましてや、下心があると、必ず失敗します。
そういう見返りを期待してのおごりは、相手に失礼です。
少しでも伝わった瞬間、仲良くどころか、嫌われてしまう可能性もあります。
おごりというのは難しいものです。
見返りを求めた瞬間、おごりではなくなります。
「取引」になります。
お金を払って見返りを求めるなら、仕事の取引と変わりません。
本当のおごりとは、一切、見返りを求めないことです。
男女関係に限らず、友人や家族など、すべての人間関係に共通することです。
本当のおごりとは、相手に喜んでもらうための手段です。
そのためにお金を使って、楽しい時間を共有します。
すると、そういう優しい気持ちや純粋さも、不思議と伝わります。
多くの男性が見返りを求めて女性におごろうとするなか、見返りが感じられないと、好印象です。
見返りを求めないおごりが、異性に喜ばれるのです。
「なぜ、わざわざこんな面倒くさい食べ方をするのだろう」
西洋料理のテーブルマナーを学んでいると、ときどきそう思うことがあります。
そう思っていた時期がありました。
マナーを学ぶたびに「面倒だな。嫌だな」と思っていたのです。
しかし、テーブルマナーに触れているうちに「なぜテーブルマナーを学ぶのか」という理由に、はっと気づきました。
気づいたとき、楽な食べ方をしようとしている自分が、人間として急に恥ずかしくなったのです。
では、どういうことに気づいたのか。
それは、テーブルマナーでは「楽な食べ方」を中心に考えないということです。
「品性のある食べ方」を重視します。
なぜ品性を重視するかというと、それこそ「人間らしい文化の表現」だからです。
知性があり、品性がある人間だからこそ、美しさや品性を重視しながら食べることができます。
それが、ほかの野生動物の食べ方とは異なる点です。
「楽な食べ方」を中心に考えるなら、野生動物と変わりません。
ナプキンも使わず、直接手で持ってかぶりつくほうが、楽です。
ただ腹を満たすだけならそれでもいいでしょう。
しかし、そうではない。
いかに美しく、上品に食べられるか。
それが、野生動物と人間の違いです。
テーブルマナー全体において言えますが、手を汚さず美しく食べるのは、人間らしい文化の表現です。
すべて人間らしい知性をアピールするチャンスです。
バナナは、その典型です。
手で食べればいいところを、あえてナイフとフォークで食べる。
どう考えても、手に持って皮をむいて食べるほうが楽です。
誰に聞いても、そう思うでしょう。
しかし、ここがテーブルマナーが試される瞬間です。
あえてナイフとフォークを使って食べるからこそ、人間らしい品性がうかがえます。
バナナをナイフとフォークを使って食べるのは、地球上で唯一、人間だけです。
サルではできない。
知性と品性を兼ね備えた人間だからこそ、美しさや品性を表現しながら、食べようとするのです。
ヨーロッパやアメリカでは、ナイフとフォークを使った食事が一般的です。
テーブルマナーも手慣れている人が多く「知っていて当たり前」という雰囲気があります。
その一方、アジアでは西洋料理を毎日食べるわけではありません。
もちろんナイフとフォークを使った西洋料理を口にする機会はありますが、アジア圏内にいると機会が限られます。
学校でも習わないため、テーブルマナーに疎い人が多いのです。
「アジア人は、箸が使えればそれでいい」
いいえ、もったいない考えです。
逆に、チャンスなのです。
アジアでは、周りにテーブルマナーに慣れている人が少ないからこそ、逆によく知っていると輝いて見えます。
かっこよく、知的で良識があるように映るのです。
テーブルマナーほど、簡単にほかの人と差をつけられることはありません。
誰もが苦手としていることを、スムーズにできる人は、かっこよく目立つことができるのです。
男性にも女性にも学んでいただきたいマナーです。
アジア人だからこそ、覚える価値が大きいといえるのです。
「えいや!」
魔法使いは、つえを使って魔法をかけます。
つえをくるくる頭の上で回し、一連の動作をします。
すると、魔法をかけられた銅像が、白いハトに変わります。
一連の動作によって魔法をかけますが、これはテーブルマナーも同じです。
一連の動作によって魔法をかけます。
テーブルマナーを身につけると何がいいかというと、生活レベルが自然に上がることです。
今までより、上品になります。
そういう魔法です。
生活レベルを上げるためには、品質の良い家具を買ったり服を買ったりなど、思い浮かべます。
しかし、いくら良い家具に囲まれた生活でも、住人が不作法では、品性が台無しです。
物に対してお金をかけるより、自分の教育にお金をかけたほうがスムーズです。
平凡な家具や部屋に囲まれていても、住んでいる人の行動に品位があれば、知性や品格が感じられます。
テーブルマナーとは、自分がおいしく食事をして、同席者を幸せにするマナーです。
テーブルマナーを、魔法と考えてみましょう。
すると、テーブルマナーを、進んで身につけたくなりませんか。
テーブルマナーという魔法を身につけることで、生活レベルを上げる魔法になるのです。
物には「盗まれる」という欠点があります。
家に泥棒が入って盗まれると、大きな損失があります。
いくら厳重なセキュリティーとはいえ、完璧はありません。
プロの泥棒は、セキュリティーの穴をついて、盗むことが可能です。
しかし、教育に関して盗まれることはありません。
頭の中に入っているものを盗み出すことは、不可能です。
特にテーブルマナーは、体が覚えることです。
知識の中でも、体で覚えたことは別格です。
一生涯、忘れないのです。
自転車の乗り方は、覚えるまでは大変ですが、覚えてしまえば楽です。
動きを体が覚えているため、意識しなくても勝手に体が動き始めます。
しばらく自転車に乗らない時期があっても、体は覚えています。
その不思議な感覚と同じです。
テーブルマナーは、覚えるまでは大変ですが、覚えてしまえば楽です。
たしかに身につけるまでは大変ですが、体が覚えてさえしまえば、忘れることはありません。
盗まれることがなく忘れることもない。
一生涯の財産になるのです。
マナーは「伝染する」という効果があります。
「感じがいいなあ」という人は、決まって親も感じがいいものです。
親の教育が、子どもに伝染しているのです。
マナーは、自分の子どもと孫のためです。
マナーというのは、実に伝染しやすい。
子どもは、親を最大の手本にして、マナーを吸収します。
あなたの言葉遣いや行動も、親の影響をいつの間にか強く受けているはずです。
ということは、あなたのマナーは子どもに伝染します。
子どもに伝染したマナーは、孫にも伝染します。
マナーは、3世代続くのです。
今きちんとしたマナーを学ぶというのは重大問題です。
「テーブルマナーなんてどうでもいい」と思っていると、そういう子どもと孫が育ちます。
教育費と考えましょう。
マナーを身につけ自分がしっかり輝ければ、自然とその輝きが子どもと孫にも伝わります。
今が、そのときです。
レストランの給仕とはいえ、完璧ではありません。
すべてのレストランの給仕がプロフェッショナルと思いたいですが、見習いの給仕の場合もあります。
時と場合によっては、給仕より客のほうがマナーのレベルが高くなります。
そういうとき、客が対応の悪い給仕に指摘するのはいいことです。
給仕にとって、いい刺激になります。
お客さんから直接指摘されるのは衝撃があり、反省することでしょう。
クレームを言うのは決して悪いことではなく、給仕のためになります。
しかし、クレームの伝え方にもマナーがあります。
そのマナーがきちんと直っているかどうか、後日、再訪問することです。
前回指摘したところが直っていれば「直っている。よくなったね」と伝えるのがマナーです。
お客さんから改善されたことが感じられることほど、給仕にとって嬉しいことはありません。
最後まで見届けることが大切です。
給仕は「おいしく食べてもらっているだろうか」と内心は不安です。
無表情や無言で食べていると「何か気に入らないことがあったのだろうか」と不安になります。
「食事に問題があったのか。自分の対応に問題があったのか」と気が気ではなくなります。
客としては普通に接したつもりが、給仕を不安にさせることがあるのです。
あなたがお客さんとしてレストランに訪問した際、食事が特においしいと感じたときだけ「おいしい」と伝えるのは良くありません。
それでは、おいしいと伝える機会が限られます。
現在の飽食時代では、感動するようなおいしい食事はなかなか巡り合えません。
では、どうするのか。
食事に大きな問題がなかったとき「おいしい」と伝えるのです。
食べられる食事は、すべておいしいと考えることができます。
ほとんどの機会でおいしさを伝える機会ができますね。
感謝を伝えるタイミングを増やすのが、達人の心がけです。
そうしたテーブルマナーが規則としてあるわけではありませんが、したほうが気持ちよくなります。
給仕にとってお客さんからの「おいしい」という言葉ほど、嬉しい褒め言葉はありません。
もっと上品にサーブしようと心がける、給仕のモチベーションアップにつながります。
私は最初、食事が終わったときのサインの意味がわかりませんでした。
食事が終わったときは、ナイフとフォークを3時、もしくは5時の方向にそろえます。
マナーとしては知っています。
知ってはいますが、なぜそうするのか、意味がわかりませんでした。
単に「そういうものだ」と思い、従っていました。
そんな、ある日のことです。
何度もレストランで食事をして、給仕と接しているうちに、突然「そうか!」とわかる瞬間がありました。
給仕の動きを見ているうちに、わかったのです。
ナイフとフォークをそろえることで、給仕が皿を下げやすくなるのです。
つまり、皿を下げるときにカトラリーをそろえるサインは、給仕が皿を下げやすくするためです。
意味がわかった瞬間、クイズが解けたような感覚になり嬉しくなりました。
マナーには、何か意味があります。
その意味を、自分で考えながら発見しようと思うと、食事に別の味わいが出てきます。
よくゲームには、推理ゲームがありますが、それに近い感覚です。
では、あなたにクイズです。
「なぜ、中座の際、ナプキンはテーブルの上ではなく、椅子の上に置くのでしょうか」
「なぜ、食後の喫煙は許されていても、食前の喫煙は許されていないでしょうか」
「なぜ、ナプキンを2つ折りにする際、折り目のほうを手前にするのでしょうか」
マナーには、何か必ず意味があります。
答えを見るのは簡単ですが、あえて、自分で理由を考えながら食事をしてみましょう。
推理ゲームです。
マナーの意味を推理しながら食べてみれば、食事が楽しくなります。
マナーは、まず頭で覚えます。
ある程度、詰め込み勉強です。
本来は、意味や理由がわかって覚えるのが理想です。
意味や理由がわかると、マナーを覚えるのが楽しくなります。
しかし、あくまで理想です。
覚える数が多いですから、1つずつ理由を考えていると日が暮れてします。
また、状況によっては納得できない場合もあるでしょう。
マナーの有識者がそばにいなかったりマナー解説書の説明が足りなかったりすると、納得できません。
そういうとき、難しく考えなくて結構です。
理由も意味もわからず「そうするものだ」と思い、愚直に覚えます。
マナー解説書で説明されている内容を次から次へと暗記して、そのとおりに動いていきます。
すると不思議なことにいつのころからか、体が覚えます。
意識をせずに自然と動けてしまうのです。
最終的には体が覚えます。
そのときまで、何度も繰り返すのです。
マナーはスポーツと同じです。
初めは頭で覚えますが、最終的には体で覚えることになります。
「この人と結婚して、うまくやっていけるだろうか」
これから結婚しようとする人がいるなら、結婚前に、一度フォーマルなレストランへ行きましょう。
結婚後の生活は、フォーマルレストランでのテーブルマナーから見えてきます。
同席者が、レストランでどのようなテーブルマナーを繰り広げるのか。
そのことで、相手のことが見えてきます。
まず、テーブルマナーを知っているかどうかが、第1のポイントです。
マナーができている人なら、常識のある人でしょう。
その人の両親も、常識がある人に違いありません。
きれいに食べることができている人は、部屋もきれいに掃除できる人なのでしょう。
また手先が器用さは、仕事にも関係します。
ナイフとフォークの扱い方に慣れ、器用に食べることができている人は、仕事も器用に対応できる可能性を秘めています。
食事中の会話もなめらかなら、普段から人とよく食事に行っているのでしょう。
こうした様子から、社交性があると見方ができます。
ワインを飲んだ後も、要チェックです。
酔ったとき、人は緊張の糸が切れやすくなります。
酔ったときの対応の変わり方を見るのです。
そういうところで、相手の本当の姿が見えてきます。
フォーマルレストランは、相手を知るための絶好の場所です。
ときどき、あらを探して、通のふりをする人がいます。
レストランに入れば「どこかよくないところはないか」という目で、きょろきょろ周りを眺めます。
悪い部分を指摘して、通のふりをしようとするのです。
「このレストランはダメだね。料理の塩味が効きすぎている」
「ここの肉は、脂のノリが悪い」
「給仕の接客態度が悪い」
何かを批判することで、そういうところまで着目できる自分をアピールしようとします。
一見すれば、よく知っているなと感心してしまいそうですが、ため息が出ます。
少なくとも、元気は出ない。
こういう勘違いの人が、いちばんかっこ悪い。
異性だけでなく、同性にもいちばん嫌われるタイプです。
食事が冷めるより、気持ちが冷めてしまうのです。
悪いところを指摘して、通のふりをすることほど、かっこ悪いことはありません。
通ぶっている自分のかっこ悪さに気づいていないことも、恥ずかしいことです。
批判ばかりをする人には、嫌気が差します。
もしどうしても気になるなら、同席者ではなく、給仕に直接言うほうがいい。
同席者に言っても何の改善にもならず、不愉快にさせるだけです。
給仕に伝えれば、指摘になり改善になります。
あらを指摘して、通のふりをするのが、いちばんかっこ悪いことです。
しかし、なかには本当に給仕の対応などに問題がある場合があります。
レストラン側に悪気があるわけではありません。
レストランを切り盛りしていると主観的になり、自分たちの悪い点になかなか気づけない場合があります。
そういうところを指摘してくれるお客さんは、ありがたいと感じます。
自分たちだけで悪い点を指摘して、陰で悪口を言ったり笑ったりするのがいちばん感じが悪い。
いつまでもレストランの改善がされないだけでなく、客がどんどん離れていってしまうからです。
そういうとき、周りに気づかれないよう、給仕にこっそり伝えるようにしましょう。
頭にくるようなクレームほど、こっそり気づかれないように伝えます。
周りに聞こえずに伝えようとしていることで、気遣いが感じられます。
「怒っているはずなのに、あえてこっそり伝えてくれた」
お客さんの優しい気遣いから、レストランに対する気遣いや熱い思いが感じられ、給仕はより高い認識や理解につながります。
レストランの改善につながれば、客離れを引き止めることができます。
あなたの小さなクレームが、レストラン存続の鍵を握っているのです。
テーブルマナーを知らなくても、人生、なんとかなります。
レストランにさえ行かなければいいだけです。
行ったとしても、堅苦しい食べ方を意識せず、好きなように食べることもできます。
しかし、です。
たしかに楽ではありますが、知らない間に人生で多くのチャンスを逃すことになるでしょう。
食事を、もっとおいしく食べられたはず。
女性を、もっとうまく口説けたはず。
給仕や料理人を、もっと喜ばせられたはず。
そうした貴重な可能性を捨ててしまっているのです。
テーブルマナーを知らないと、いつの間にか可能性が制限されます。
一方、テーブルマナーを知っていると、いつの間にか可能性を広げることができています。
面倒なことに着目するのではありません。
食事を、もっとおいしく食べられるはず。
女性を、もっとうまく口説けるはず。
給仕や料理人を、もっと喜ばせられるはず。
身につけることで、どのような可能性が広がっていくのかに目を向けるのです。
テーブルマナーを身につけることで、あなたの行動範囲が広がり、可能性を広げられるのです。
自分のためと思うと、面倒と感じることがあります。
困るのが自分だけなら「まあいいか。自分が恥をかくだけだ」と思います。
そうではなくて、相手を幸せにするために身につけようと思ってください。
本当に美しいテーブルマナーは、見ている人を魅了させます。
うっとりさせます。
もっと言えば、好きな人を喜ばせるために身につけると考えてみましょう。
相手があなたのマナーに感心しているところを想像すれば、身につけたくなるはずです。
そういう意識になれば、身につけようとする意識が変わります。
異文化を学ぶために、海外旅行へ行くのも1つの手です。
しかし、もっと早く安上がりに、海外の異文化を堪能できる場所があります。
他国料理のレストランです。
自国以外の食事マナーを学ぶことは、外国語を勉強するのと同じです。
異文化を学んでいます。
海外の文化を自国にいながらにして、学べるということです。
外国語を学ぶのは小難しいイメージがありますが、食事のマナーを学ぶなら、おいしく楽しく学べますね。
異国料理を食べることで、外国へ行った気分を味わえます。
他国のマナーを身につけるというのは、国際感覚を養うことと同じです。
自分の器を広げるチャンス。
海外の食事マナーを身につけることで、自国にいながらにして、他国の文化を学べるのです。
流行は、刻一刻と変わります。
「かっこいい服装」の基準は、時代ごとに変わります。
今年最新のファッションは、5年後もすれば、笑われるファッションになります。
時間をかけて服を選んで、お金をかけて買ったというのに、台無しです。
変化を追いかけるのは、お金も時間もかかります。
そういうときこそ、テーブルマナーです。
テーブルマナーは、流行に左右されにくいのが美点です。
もちろん時代の影響を多少受けることはありますが、大きく変わることはありません。
かっこいいを目指すなら、ファッションもいいですが、マナーのほうが効率的です。
変わらないことから身につけていくほうが、時間やお金を節約できるのです。
モテる人は、何もしなくても、モテます。
外見がかっこよくてテーブルマナーが整っていても、当然と思われる姿ですから、大きなギャップがありません。
最初から期待値がすでに高い状態です。
しかし、期待値が最初から高いというのは危険をはらんでいます。
かっこいい人は最初から知的で整った印象があるため、小さな失敗の際、イメージダウンが大きい。
テーブルマナーは、モテない人こそ身につけるべきです。
外見に恵まれない人は、最初の期待値が低い状態です。
期待値が最初から低いというのは、大きな可能性を秘めています。
ここがチャンスです。
そのとき、意外にも整ったマナーをしていると驚かれます。
「え、こんな人がこんなかっこいいマナーを?」
このギャップがいいのです。
外見に恵まれない人は最初の期待値が低いので、整ったマナーをしていると意外性があり、印象が一気によくなります。
外見に恵まれない人ほど、一発逆転のチャンスがあります。
テーブルマナーできっかけをつくりましょう。
私は、グリーンピースが苦手です。
独特の食感といい、味といい、生理的に受け付けません。
無理に食べると、吐き気がします。
人なら誰しも、嫌いな食べ物の1つや2つ、あります。
嫌いな食べ物は、人それぞれです。
そんななか「魚料理は嫌い」と言う人がいます。
魚の味や食感が苦手なのかなと思います。
しかし、魚が嫌い人の言い分を聞くと、魚の肉は好きだと言います。
不思議な回答です。
では、何が苦手なのかというと、たいていみんな、同じことを言います。
「骨が嫌だ」というのです。
魚には骨があって食べにくいから、魚が嫌いになっているのです。
たしかに魚は、好き勝手な方法で食べようとすると、骨がうまく取れなくて苦労をします。
骨を取るのが面倒であったり、喉に刺さったりなど、しかし、骨が取りにくいだけで、すべての魚と魚料理を完全否定するのが、もったいないことです。
食生活の幅が狭くなり、人生の楽しみも制限されていまいます。
もともと生理的に受け付けないなら、どうしようもありません。
生理的に受け付けない苦手意識は、そう簡単に改善できるものではありません。
しかし、魚料理は違います。
魚への苦手意識の大半は、骨です。
それは練習によって克服できるものです。
本当に克服すべきは「骨の扱い方」です。
練習をすれば、きれいに骨が取ることができるようになります。
骨を上手に取れるようになると、自然と魚への苦手意識も小さくなります。
またある程度、骨がきれいに取れるようになると、かえって快感を味わえるようになる食材でもあります。
すぱっときれいに骨が取れる様子が、見た目も気持ちもすっきりして、快感なのです。
骨がきれいに取れるようになれば、おいしくいただけるようになり、魚も好きになれるのです。
魚に対する印象が良くなり、おいしく食べられるようになります。
魚料理に対する苦手意識の大半は、ほかとは違い、練習しだいで克服できるものなのです。
大切なときほど、フォーマルなレストランで食事をしましょう。
テーブルマナーがうまい下手の話は別として、そういう姿勢で誰かと食事をすると「大切にしている」思いが伝わりやすくなります。
あらたまった場には、独特の堅苦しさがあります。
居心地が悪いと思える堅苦しさがあるからこそ、真剣な気持ちや熱意を伝えやすくなります。
大切な場面というのは往々にして、堅苦しいものです。
入学式、卒業式、入社式、結婚式などがあります。
緊張しますし、堅苦しい場面です。
レストランは食事をするところだけではありません。
気持ちを伝える場所です。
フォーマルで堅苦しい雰囲気は、逆に言えば、真面目な気持ちを伝えやすい場所です。
好きな人に告白するとき、レストランで言えば、断られにくくなります。
結婚記念日にレストランで食事をすると、愛情や思いが、相手にうまく伝わることでしょう。
恋人同士なら、お互いの距離がぐっと近づく時間になるはずです。
フォーマルなレストランのような非日常的な空間が、あなたの日常を変えるのです。
「儀式」と考えてみましょう。
レストランの堅苦しい場所を使って、真面目な気持ちを伝えましょう。
結婚して、幼い子どもが食べた食器洗いを経験すると、マナーの大切さを痛切に感じます。
食事をサーブされる側から、する側です。
子どもはマナーを知らないため仕方ないのですが、とにかくめちゃくちゃです。
子どもたちは、嫌いなものを食べ残します。
食事中、トイレで席を立ちます。
ナイフとフォークの使い方がめちゃくちゃです。
カトラリーで遊んで、食器を叩く音がうるさい。
一生懸命に食事をつくって、サーブをする側としては、ため息をついてしまいます。
普段、マナーが守られているときは気づきません。
給仕のように食事をサーブする立場になると、礼儀や作法の大切さを痛切に感じます。
まだマナーを知らない子どもたちに食事をサーブしていると「テーブルマナーはやはり必要だ」と痛感するのです。
子どもだから許せます。
しかし、大人の場合はいけません。
マナーを知らない人は、大きくなった子どもと変わりありません。
知らず知らずのうちに、食事をサーブしてくれた人やつくってくれた人を不快にさせています。
子ども場合は「仕方ないね」で済みますが、大人の場合は済まされません。
一度サーブされる側ではなく、する側に回ってみることです。
マナーの根本的な大切さを、痛切に感じます。