1日が始まるのは、いつでしょうか。
午前0時になれば、新しい1日が始まる考えは、時間で考えた1日です。
「時間としての1日」ではなく「人としての1日」です。
挨拶は、人と人とが出会ったり別れたりするときに交わす、儀礼的な動作や言葉です。
挨拶に堅苦しさを感じることはありませんか。
もし堅苦しく感じているなら、おそらく挨拶を「義務」として考えているからでしょう。
心の若々しさを保つためには、挑戦を続ける習慣が大切です。
同じ行動パターンの繰り返しでは、慣れているかもしれませんが、刺激が乏しくなります。
若いときはもちろん、年齢を重ねても挑戦を続けたい。
ときどきレストランで、注文したものとは違う料理が出てくることがあります。
伝票を見てみると、どうやら注文のとき、給仕が勘違いや聞き間違いをしていたようです。
もしかしたら、自分の注文の言い方が悪かったのかもしれません。
「人生はつまらない」と言う人がいます。
お金がなかったり、育ちの環境が悪かったりすると、自然とそう思えてきます。
「生きる希望がない。生きている意味がない。死んだほうがましだ」と嘆き、考え方がネガティブになります。
最後に窓を開けたのは、いつですか。
部屋の窓を、閉め切ったままにしていませんか。
窓を閉め切ったままにしているのでは、壁と変わりありません。
携帯電話には、アドレス帳の機能があります。
アドレス帳には、よく連絡し合う人の連絡先を登録します。
職場やアルバイト先などが変わると同時に、接点がなくなる人がいます。
街を歩いていると、ティッシュ配りの人からティッシュを差し出されることがあります。
ティッシュを差し出されたとき、どうしますか。
多くの場合、無視するのではないでしょうか。
本を読んでも、内容が頭に残らない本があります。
読み終わった後、内容がはっきり思い出せないのです。
自分の読解力や記憶力が悪いのかと、不安になるでしょう。
ニュースでは、天気、経済、芸能など、さまざまな情報が流れます。
さまざまな情報を、ぼうっと眺めていることが多いのではないでしょうか。
しかし、ぼうっと眺めているだけでは、気分は不安定になりがちです。
街を歩いていると、突然、見知らぬ人から話しかけられることがあります。
「あの、すみません。道をお尋ねしたいのですが」
どうやら道に迷っていて、行き方を知りたいようです。
横断歩道で、信号待ちをすることがあります。
待ち時間は、あまり嬉しいことではありませんね。
急ぎの用事があるときほど「早く渡りたいな」と思い、いらいらするでしょう。
空を見上げてみましょう。
青い空に浮かんでいる雲を見たとき、どう思いますか。
「きれいな空だな」と思いますが、それで終わりにしていませんか。
人の体のおよそ60%は、水でできています。
水は、人にとって欠かせません。
「水分」ではなく「水」を飲むことが大切です。
幸せを一生懸命探している人がいます。
「どこに幸せがあるの?」
「どこに行けば、幸せが手に入るの?」
バスや飛行機などの乗り物では、背もたれがあります。
疲れて横になりたいとき、背もたれを倒します。
このとき、背もたれを、ちびちびと倒していませんか。
私は親に「なぜ『貴博』という名前をつけたの」と尋ねたことがあります。
貴博の「貴」は「貴族」が由来だそうです。
貴族のように作法や礼儀を重んじてほしい意味を込めていると聞きました。
今の時代、字が書けなくても、あまり苦労しません。
今は、パソコンの時代です。
手で書く機会が少なくなる一方、パソコンによるタイピングで文字を打つ機会が増えています。
ファストフード店で、オーダーするときのことです。
「今、おつくりしていますので、5分ほどお時間がかかります」と、言われることがあります。
「ファストフードのはずなのに、全然、ファスト(fast)になっていないじゃないか」
手紙の中には、手書きで書かれたものがあります。
手書きは嬉しいです。
しかし、手書きとはいえ、読みにくい字で書かれていることがあります。
手頃な値段の店では、自然とマナーも緩みやすい傾向があります。
たとえば、ファストフード店です。
ファストフード店で、急に態度が悪くなる人がいます。
私たちはリスクのほとんどを、大げさに考えすぎています。
リスクをあらためて考えると、ささいなことを大げさに考えていると、気づきます。
たとえ失敗しても、やり直しができるなら、リスクではありません。
買い物に行って、レジに行くと、それぞれに行列ができています。
どのレジに並ぼうとしますか。
普通は、列の短いレジに並ぼうとするでしょう。
大げさに言えば、私たちはみなペットを飼っています。
腸内細菌です。
きちんと生きていて、活動しています。
友人や会社を訪問したとき、飲み物を出されることがあります。
コーヒー、お茶、紅茶などです。
「コーヒー、お茶、紅茶のどれがよろしいですか」と、わざわざ好みを尋ねられることもあります。
街を歩いていると、道端にごみが落ちているのを見かけることがあります。
以前、歩いた人が捨てたものなのでしょう。
地域の人の掃除が、行き届いていなかったのかもしれません。
人と会っていると、不思議な音が聞こえてきました。
おならです。
人間なら、誰でもおならをするものです。
プレゼントを頂くと、嬉しいですね。
プレゼントだけでも嬉しいですが、プレゼントのひもが蝶結びになっていると、もっと嬉しくなります。
蝶結びを見ると、不思議と嬉しい気持ちになりませんか。
「立って歩ける」という幸せに気づきましょう。
世の中には、立って歩きたくても歩けない人がいます。
老衰のため、立つことができなくなった人がいます。
私たちは幸せ者です。
生まれてから死ぬまで、地球から最高においしい食べ物を頂き続けているからです。
空気です。
1日が始まるのは、いつでしょうか。
午前0時になれば、新しい1日が始まる考えは、時間で考えた1日です。
「時間としての1日」ではなく「人としての1日」です。
朝起きたときから、1日が始まるのではありません。
人としての1日は、誰かに「おはよう」と言ってから、始まります。
おはようという挨拶は「これから新しい1日を始めます」という宣言です。
誰かに挨拶をした「おはよう」という声を自分が聞いて「よし。1日が始まった。今日も頑張ろう」と自覚できます。
「おはよう」の挨拶がないと、1日は始まっているようで、まだ始まっていません 。
だらだらした時間ばかりが過ぎてしまいます。
朝の挨拶は、誰かのために言うのではなく、自分のために言います。
気持ちのいい挨拶をするから、気持ちよく1日がスタートできるようになるのです。
挨拶は、人と人とが出会ったり別れたりするときに交わす、儀礼的な動作や言葉です。
挨拶に堅苦しさを感じることはありませんか。
もし堅苦しく感じているなら、おそらく挨拶を「義務」として考えているからでしょう。
義務として考えると、急に窮屈な感じがします。
「言わなければならない」と思うから、顔がこわばったり引きつったりします。
たしかに挨拶は儀礼的ですが、あえてそのことを忘れてしまうのがコツです。
では、どう考えるのかというと「自分のために」と思うのです。
挨拶は、自分が元気になるためにするものだと考えてみましょう。
誰かに挨拶をすると、相手も返事をしてくれます。
そのとき、自分が嬉しいのです。
自分が気持ちいいです。
元気が出てきます。
挨拶は、すればするほど、自分のテンションが上がります。
もちろん挨拶によって、相手ともっと仲良くなれますし、会話の機会も生まれます。
堅苦しいことを考えず、自分のために挨拶していきましょう。
挨拶の義務感が消えます。
自分から挨拶をしたくなるのです。
心の若々しさを保つためには、挑戦を続ける習慣が大切です。
同じ行動パターンの繰り返しでは、慣れているかもしれませんが、刺激が乏しくなります。
若いときはもちろん、年齢を重ねても挑戦を続けたい。
挑戦を続けていれば、変化と刺激が大なり小なり得られるので、心の老化を防止できます。
ところが挑戦は、勇気や覚悟が必要で、苦労やストレスを伴うものが多い。
挑戦したくても、難しかったり取り組みにくかったりするものは、厳しいものがあります。
挑戦というだけあって、抵抗を感じることが多くなります。
しかし挑戦の中でも、誰でもできる方法があります。
しかもおいしい味わいを楽しめる方法です。
それは「新メニューを楽しむこと」です。
カフェやレストラン、パン屋さん・お菓子屋さんでは、季節の折に新メニューが登場します。
その新メニューを、ぜひ注文してみましょう。
たっぷりおいしさを味わうだけでいいのです。
たったこれだけのことですが、変化が伴う立派な挑戦です。
新しいことに挑戦しました。
新鮮な刺激を楽しめました。
いつもとは違った行動パターンによって、変化を受け入れられました。
これを挑戦と言わずして何というのでしょう。
スケールは小さいかもしれませんが、挑戦になっているのは事実です。
新しい挑戦ができて、心も若返って、しかもおいしい味まで楽しめる。
これ以上簡単で取り組みやすい挑戦はありません。
挑戦を1つ達成できれば、勢いがついて2つ目・3つ目の挑戦もしなくなるでしょう。
パワーと勢いが出てきたところで、難しい挑戦をすれば、きっとうまくいきます。
新メニューは、少し割高かもしれませんが「刺激と変化を得るための費用」と考えてください。
少し割高なだけで、刺激と変化を得えられるのなら安いともいえます。
この方法は、やみつきになりやすいため、食べすぎには注意しましょう。
さあ、新しい季節が始まりました。
新メニューを見つけたら、さっそく注文してみましょう。
新メニューを楽しむことも、変化の伴う立派な挑戦なのです。
ときどきレストランで、注文したものとは違う料理が出てくることがあります。
伝票を見てみると、どうやら注文のとき、給仕が勘違いや聞き間違いをしていたようです。
もしかしたら、自分の注文の言い方が悪かったのかもしれません。
人間ですから、間違いはあって当然です。
「注文が違う」「しっかりしてほしい」「また待たされる」と、いらいらするのではありません。
ちょっとしたトラブルですが、発想を変えてみませんか。
「トラブルを楽しんでみよう」と考えるのです。
差し支えなければ、そのまま食べてみましょう。
間違えた注文は、いつもと違う食事を食べる、いい機会です。
その結果、いつもとは違った気分になったり、発見があったりするかもしれません。
食べてみると、意外においしいことに気づき、味覚の幅も広がるかもしれませんね。
トラブルは、生活に変化をつくるいい機会です。
トラブルは、楽しみに変えましょう。
いらいらが飛んで、幸せな気分に浸れます。
「人生はつまらない」と言う人がいます。
お金がなかったり、育ちの環境が悪かったりすると、自然とそう思えてきます。
「生きる希望がない。生きている意味がない。死んだほうがましだ」と嘆き、考え方がネガティブになります。
しかし、いけないのは、人生ではありません。
人生は、悪くありません。
悪いのは、本人の考え方です。
人生を楽しんでいるかどうかは、気持ちの問題です。
つまらないと思えば、本当に人生がつまらなくなります。
つまらないと思うから、短所やデメリットばかりに目が向けられます。
何事でも、悪い点だけ見ようとするため、本当につまらなくなってしまうのです。
しかし、楽しいと思えば、楽しいと思えてきます。
楽しいと思うと、物事の長所やメリットに目を向けるようになり、本当に楽しめるようになります。
どんなことにも、楽しめる点はあります。
たとえば、お金がない状態でも「楽しもう」と思ってみましょう。
「金銭感覚が身につくなあ」「今がどん底なら、これから上がる一方だ」と思えてきます。
ジグソーパズルに興味がなくても「楽しもう」と思ってみましょう。
「指の体操になるなあ」「頭の運動になるなあ」「わくわくする時間が過ごせるなあ」と思えてきます。
見方が変わることで、長所やメリットが見えてきますね。
「楽しもう」と思うことで、楽しみを見いだすセンサーが敏感になります。
何事でも、楽しもうと思えば、楽しめてきます。
「人生はつまらない」と思うと、本当に人生がつまらなくなります。
「人生を楽しもう」と思うと、本当に人生が楽しくなります。
それだけのことです。
人生は悪くありません。
自分がどう思うか、なのです。
最後に窓を開けたのは、いつですか。
部屋の窓を、閉め切ったままにしていませんか。
窓を閉め切ったままにしているのでは、壁と変わりありません。
窓から「開けてほしい」という声が聞こえてきます。
なぜ、部屋に窓が存在するのでしょうか。
空気を入れ替えるためであったり、日差しを取り入れるためであったりします。
実は、窓が存在する本当の意味は、住んでいる人の心を、元気にさせるためです。
さあ、窓を開けてみましょう。
部屋の中に、新鮮な空気や明るい光が入ってくると、心もぱっと明るくなります。
たちまち元気になります。
「よし。今日も頑張るぞ」という気力が湧いてきます。
これが窓を開ける、本当の意味です。
人が元気を出すのは、簡単です。
朝起きて、窓を開けるだけでいいのです。
積極的に窓を開けようとすると、心の窓も開いてきます。
元気にあふれた、気持ちのいい1日が、始まるのです。
携帯電話には、アドレス帳の機能があります。
アドレス帳には、よく連絡し合う人の連絡先を登録します。
職場やアルバイト先などが変わると同時に、接点がなくなる人がいます。
接点がないだけあり、もう1年以上も連絡を取っていません。
普通に考えて、接点がなくなり、今後も連絡を取る予定もなければ、アドレス帳から消してもいいでしょう。
しかし、なぜかいつまでも消せない人がいるのです。
消そうとする、指が拒否します。
それは、心の奥にある本音が反映された結果です。
なぜアドレス帳から消せないのでしょうか。
「万が一に備えて」ではありません。
本当は心のどこかで「いつか連絡したい」「連絡が来てほしい」という思いがあるからです。
相手とのつながりを持ち続けたい思いがあります。
その人のことを、大切に思っているのです。
なかなか消せない状況に隠れた、本当の自分の本音に気づきましょう。
それだけ大切に思う気持ちがあるなら、今すぐ連絡を取ってみましょう。
いつか連絡を取りたいと思っているままでは、いつまで経っても連絡しないものです。
突然の連絡に相手は驚きながらも、久しぶりの会話に話が弾むことでしょう。
街を歩いていると、ティッシュ配りの人からティッシュを差し出されることがあります。
ティッシュを差し出されたとき、どうしますか。
多くの場合、無視するのではないでしょうか。
たいていは、そうです。
ティッシュ配りの経験があればわかると思いますが、実際、ほとんどの人が受け取ってくれません。
ほとんどの人が、無視です。
受け取ってくれないだけなら、まだいいのです。
ティッシュを差し出すと、嫌な顔をされたり、顔をそらされたりします。
まれに叱られたり、にらまれたりすることもあります。
自分が嫌われているような気持ちになりますね。
人間性を否定されたような気分になり、落ち込むのです。
ティッシュ配りとはいえ、なかなか大変です。
差し支えなければ、たまにはティッシュを受け取ってあげましょう。
笑顔で「ありがとうございます」と感謝されることでしょう。
大げさに喜んでくれるはずです。
めったに受け取ってくれないから、受け取ってくれるだけで喜ばれます。
相手を喜ばせるのは、与えたときではありません。
受け取るだけでも、相手を喜ばせることもできます。
ティッシュまでもらえ、相手を喜ばせることができるのです。
本を読んでも、内容が頭に残らない本があります。
読み終わった後、内容がはっきり思い出せないのです。
自分の読解力や記憶力が悪いのかと、不安になるでしょう。
もちろん文章そのものがわかりにくかったり、読みにくかったりする原因も考えられます。
しかし、頭に残らないのは、もっと別の理由です。
自分にとって、重要な情報がなかったからです。
重要でないから、興味がそそられず、頭に残らなかっただけです。
脳は、優秀なフィルターです。
必要な物だけ引っかかり、不要なものは素通りするようになっています。
もし記憶に残っているなら、自分にとって重要だと感じた証拠です。
自分が重要だと感じたなら、きちんと頭に残ります。
覚えようとしなくても、覚えられます。
文章が多少わかりにくかったり読みにくかったりしても、重要な情報は、きちんと読み取ろうとする姿勢になるからです。
頭に残らなくても、誰も悪くありません。
本が悪いわけでもありません。
たまたま今の自分にとって、重要な情報が含まれなかっただけです。
もしかしたら、ほかの人には重要だと思う情報かもしれません。
内容が頭に残らなくても、深く気にすることはないのです。
ニュースでは、天気、経済、芸能など、さまざまな情報が流れます。
さまざまな情報を、ぼうっと眺めていることが多いのではないでしょうか。
しかし、ぼうっと眺めているだけでは、気分は不安定になりがちです。
ニュースには、明るい話題と暗い話題が混在しています。
どういうニュースが流れるかは、日によってまちまちです。
明るい話題のときは元気が出ますが、暗い話題のときは元気がなくなります。
朝から、不景気、火事、人殺し、不祥事などのニュースを聞くと、気分が悪くなります。
学校や会社に行く足取りが、重くなります。
暗い社会に向けて歩んでいるような気持ちになるのです。
ニュースを見るときは、目的意識が大切です。
「明るい話題はないかな」と思いながら、ニュースを見てみましょう。
今までと違った様子に変わります。
明るい話題のニュースだけ注意が向き、暗い話題は避けられるようになります。
人が結婚したというニュース、経済が上向きになりつつあるニュース、ある起業が新商品や新技術を開発したニュースです。
「素晴らしいな。世の中は向上しているな。自分も頑張るぞ」と思え、1日の元気が出てくるのです。
街を歩いていると、突然、見知らぬ人から話しかけられることがあります。
「あの、すみません。道をお尋ねしたいのですが」
どうやら道に迷っていて、行き方を知りたいようです。
急いでいるときに話しかけられると、少し面倒だなと思うこともあるでしょう。
「よりによって、なぜ自分なんだ」と思います。
いらいらしそうになりますが、実は喜ばしいことです。
逆の立場になって考えてみましょう。
道を尋ねようとするとき、どんな人を探すでしょうか。
親切丁寧に受け答えしてくれそうな、人相がいい人を探すのではないでしょうか。
自分が道を聞かれたということは、相手から見て、人相がいいと認められている状態です。
つまり、人から道を尋ねられたとき「人相がいいですね」と褒められているのです。
口には出して言われませんが、道を聞かれる事実が証明しています。
よく道を聞かれる人ほど、人相がいいものです。
それに気づけば、人から道を尋ねられることが嬉しくなります。
忙しいときに聞かれても、笑顔で協力してあげようと思えるようになるのです。
横断歩道で、信号待ちをすることがあります。
待ち時間は、あまり嬉しいことではありませんね。
急ぎの用事があるときほど「早く渡りたいな」と思い、いらいらするでしょう。
いらいらしても、信号が早く変わるわけではありません。
待ち時間とはいえ、今か今かと信号機とにらめっこでは、余計に疲れるばかりです。
別の見方があります。
横断歩道での待ち時間は、身だしなみを整える時間として活用すればいいのです。
額の汗を拭いたり、ネクタイの状態を整え直したりなどです。
財布や携帯電話など、忘れ物がないか確かめる時間にも使えます。
短い時間ではありますが、メールのチェックくらいはできることでしょう。
早く気づくことができれば、早く返信もしやすくなります。
横断歩道での待ち時間を有効活用するのです。
横断歩道で赤になっても、ちょうどいいタイミングだと思えるようになります。
いらいらするどころか、少し得をした気分にもなるのです。
空を見上げてみましょう。
青い空に浮かんでいる雲を見たとき、どう思いますか。
「きれいな空だな」と思いますが、それで終わりにしていませんか。
もちろんそれでもいいのですが、大切な童心を忘れています。
雲を見て、何かの形に似ていないかと考えるのです。
美しいと感動したついでに、連想ゲームを始めましょう。
何かの形に似ていないかと思いながら雲を見つめていると、本当に何かの形に見えてきます。
もやもやした曖昧な形をした雲ほど、想像力を膨らませる素材はありません。
車の形であったり、人の顔に見えたり、動物に見えたりします。
お金もかかりません。
準備も後片付けも必要ない、便利なおもちゃです。
空を見るたびに、連想ゲームです。
脳が活性化されます。
そうした童心を忘れない人は、いつまでもぼけません。
無限に広がる空には、想像力を無限に働かせる力があるのです。
人の体のおよそ60%は、水でできています。
水は、人にとって欠かせません。
「水分」ではなく「水」を飲むことが大切です。
ソフトドリンクでは、砂糖や着色料などの余分な成分が含まれているため、水分補給としてはふさわしくありません。
ソフトドリンクばかり飲みすぎると、健康に悪影響を及ぼすこともあります。
水分補給でベストな方法は、やはり水を飲むことです。
何も混ざっていない水は、最もシンプルですが、だからこそ水分補給として最適なのです。
しかし、水を飲まない人がいます。
理由を聞くと「味がない。おいしくないから」と言います。
たしかに水は、味がまったくありません。
その悩みも、少し工夫するだけで解決です。
呼び方を「水」ではなく「おいしい水」へと変えてみましょう。
「おいしい水」という呼び方で飲んでみると、味がないはずの水が、おいしく感じられるようになります。
思いが、脳の中でおいしさに変換され、水に味わいを加えるのです。
これが、水をおいしく飲む方法です。
健康な人は「おいしい水」と思いながら飲む習慣があります。
おいしいと思うから、積極的に飲むことができ、健康維持につながるのです。
幸せを一生懸命探している人がいます。
「どこに幸せがあるの?」
「どこに行けば、幸せが手に入るの?」
そういう人は、幸せはどこか遠くにあるものだと考えています。
そこへ行けば、幸せが手に入って、人生がバラ色になると思っています。
しかし、違うのです。
幸せは、もっと身近なところにあります。
食事をすることも、幸せです。
勉強をすることも、幸せです。
仕事をすることも、幸せです。
運動をすることも、幸せです。
空を見ることも、幸せです。
本を読むことも、幸せです。
コーヒーを飲むことも、幸せです。
ぼうっとすることも、幸せです。
友人とおしゃべりすることも、幸せです。
お風呂に入ることも、幸せです。
ベッドで寝ることも、幸せです。
夢を見ることも幸せです。
そして、また新たな1日を迎えられることも幸せです。
これはほんの一部にすぎません。
まだまだたくさんあって数えきれません。
私たちは誰もが1日中、たくさんの幸せを経験しています。
もはや幸せのシャワーを浴びている状態です。
それに気づくか気づかないかです。
幸せを探している人は、幸せはどこか遠くにあるものだと考えていて、目の前にある幸せをスルーしています。
これほどもったいないことはありません。
まず目の前に幸せに気づくことです
わざわざ遠くに幸せを探さなくても、身近にたくさん山ほどあるのです。
目の前にある幸せに気づきましょう。
幸せのアンテナがオフになっていませんか。
幸せのアンテナをオンにしましょう。
今この瞬間も、幸せの真っただ中です。
幸せは、探すものではなく、気づくものなのです。
バスや飛行機などの乗り物では、背もたれがあります。
疲れて横になりたいとき、背もたれを倒します。
このとき、背もたれを、ちびちびと倒していませんか。
背もたれをちびちびと倒せば、後ろの人に気づかれずに、倒せるだろうと思います。
しかし、ちびちびと倒しても、気づかれるものです。
目の前にある背もたれは、少し傾くだけで、よくわかるものです。
地味に倒れてきた様子から「気づかれないように、こっそりやろうとしているのだな」と思います。
こっそりやるから、かえって目立ちます。
なんだか少し嫌な感じもするのです。
ちびちび倒すと余計に気を使いますし、後ろの人にとっても不快になります。
ちびちび倒しても、いいことはありません。
背もたれを倒すとき、一度、後ろの人にきちんと話しかけるのが、いちばん楽です。
後ろの人に「背もたれを少し倒します」と話しかけて許可をもらえば、気遣いも1回で済みます。
すぐ倒せます。
人間関係では、コミュニケーションが、大切なのです。
私は親に「なぜ『貴博』という名前をつけたの」と尋ねたことがあります。
貴博の「貴」は「貴族」が由来だそうです。
貴族のように作法や礼儀を重んじてほしい意味を込めていると聞きました。
貴博の「博」は「博識」が由来だそうです。
さまざまなことに興味を持ち、博識になってほしいという願いを込めていると聞きました。
自分の名前に、深い意味が込められていると知ったとき、親から大切に思われていると、感じたものです。
私が生まれて、すぐ家族会議が開かれ、相当悩んで名付けたそうです。
それを知って、嬉しくなりました。
自分の大切なわが子の名前を、適当につける親はいません。
子どもが生まれて、まずいちばんに悩まされる仕事です。
名前は、人生で目にする、最も大切なキーワードです。
一生涯、変わることもありません。
親は子に名前をつけるとき、強い思いを込めて、名付けます。
平凡な名前でも、深い意味が込められているものです。
生まれたときから、当たり前のようにある名前です。
いま一度、自分の名前の由来を、親に尋ねてみましょう。
由来に気づくと、親からの愛情にも気づけます。
シンプルな名前でも、深い意味が込められているはずです。
名前をもっと大事にしようという気持ちになれるのです。
今の時代、字が書けなくても、あまり苦労しません。
今は、パソコンの時代です。
手で書く機会が少なくなる一方、パソコンによるタイピングで文字を打つ機会が増えています。
もちろん字がきれいに書ければ理想的です。
礼儀が正しく、きちんとした人である印象を与えられます。
しかし、字がきれいに書けるとはいえ、現代社会では、そもそも手で字を書く機会が減っています。
一昔前は、字をきれいに書ける技能が求められましたが、今は素早くタイピングできる技能のほうが求められています。
スピードだけで言えば、手で書くよりタイピングのほうが効率的です。
仕事全体のスピードも速くなるでしょう。
しかし、どんなにパソコンによるタイピングが進んでも、必ず手できれいに書けるようにしておきたい字があります。
自分の名前です。
自分の名前は、人生で最もよく書く字です。
たとえば、クレジットカードのサインは、名前だけは手が書く必要があります。
字をきれいに書く必要はなくても、自分の名前だけはきれいに書けるほうが得です。
たった1行の字から、人間性を見られることもあります。
自分の名前が達筆なら、相手にも良い印象が伝わります。
それぞれの字をきれいに書く練習は大変ですが、自分の名前だけなら、難しくはありませんね。
わずかな労力で、人生では得をするのです。
ファストフード店で、オーダーするときのことです。
「今、おつくりしていますので、5分ほどお時間がかかります」と、言われることがあります。
「ファストフードのはずなのに、全然、ファスト(fast)になっていないじゃないか」
「待たされないように手際よくやってほしい」
不満を抱いて、愚痴をこぼしそうになります。
店員も、悪気があるわけではありません。
むっとしそうになりますが、待ってください。
むっとするところではなく、本当は嬉しいことです。
出来立てが食べられるからです。
同じ料金にもかかわらず、いつもよりおいしいファストフードがいただけるのです。
ラッキーではありませんか。
ベストタイミングです。
いらいらするところではなく、喜ぶところです。
神様からのプレゼントなのです。
手紙の中には、手書きで書かれたものがあります。
手書きは嬉しいです。
しかし、手書きとはいえ、読みにくい字で書かれていることがあります。
ミミズのような字です。
なんと書いているのか、識別するのに時間がかかります。
「汚い字だな」と思うのではありません。
きれいな字も嬉しいですが、汚い字も喜びましょう。
気持ちが勢いよく込めていて書いたから、汚い字になっているのです。
きっと相手は、熱い気持ちが冷めないうちに書いたのでしょう。
「少しでも今の気持ちを伝えたい」という思いを抱きながら書いている様子が、浮かんできます。
読めないくらい汚い字で書かれているなら、かなり気持ちが込められている証拠です。
きれいな字は、気持ちを込めて丁寧に書いた字です。
汚い字は、気持ちが冷めないうちに、勢いよく書いた字です。
いずれも、気持ちが込められていることに変わりはありません。
手書きの字は、すべて心がこもっているのです。
手頃な値段の店では、自然とマナーも緩みやすい傾向があります。
たとえば、ファストフード店です。
ファストフード店で、急に態度が悪くなる人がいます。
店員に対して、偉そうな態度で注文します。
支払うときの態度も、お金を投げやりに扱う様子です。
紙ナプキンを必要以上に取ったり、テーブルの上を食べ散らかしたりします。
食事中の姿勢が悪かったり、大声で騒いだりなどです。
セルフサービスにもかかわらず、後片付けをしない人もいます。
手頃な値段の食事をしているから、マナーも緩めていいだろうと思っているのです。
それは誤解です。
たしかに手頃な値段の場合は、緊張感が緩みがちです。
だからとはいえ、マナーを軽く考えていいわけではありません。
マナーは、すべての場所に、必要です。
大勢の人がいる場所ほど、一人ひとりのマナーが大切です。
特にファストフード店は、気持ちが緩みやすいので、要注意です。
多くの人がいるからこそ、マナーを重視すると、かっこよくなります。
ファストフード店でも、きちんとしている人は、信用されるのです。
私たちはリスクのほとんどを、大げさに考えすぎています。
リスクをあらためて考えると、ささいなことを大げさに考えていると、気づきます。
たとえ失敗しても、やり直しができるなら、リスクではありません。
リスクという響きだけが1人歩きをして、必要以上に恐れている状態です。
よくよく考えると、リスクのほとんどはささいなことです。
しかし、中には、ささいなことどころか、チャンスということもあります。
「もしリストラされたらどうしよう」と思いますが、転職のチャンスとも考えられます。
「振られたらどうしよう」と思いますが、もっといい恋人を探すチャンスになります。
「お金がなくて大変だ」と思いますが、節約術を磨くチャンスとも言えますね。
発想を変えれば、リスクはチャンスでもあるのです。
チャンスをリスクと、呼び間違えていませんか。
チャンスをリスクだと思い込むなんて、損な話です。
不運どころか、幸運です。
リスクの中にある可能性に、気づきましょう。
ぱっと明るくなれます。
今あなたは、リスクを負っているのではなく、チャンスを得ているのです。
買い物に行って、レジに行くと、それぞれに行列ができています。
どのレジに並ぼうとしますか。
普通は、列の短いレジに並ぼうとするでしょう。
列が短いほうが待ち時間が短くなり、ストレスも小さくなるだろうと思います。
しかし、こここそ、多くの人がつまずくポイントです。
短いレジに並ぶと、かえっていらいらしやすくなります。
並んだ後も、ほかのレジを見て、比較します。
待ち時間がかかると思ったはずのほかのレジが、自分より早く進んでいると、いらいらします。
心の中で「負けた。悔しい」と勝手に感じて、いらいらするのです。
本当は、逆です。
列の長いレジに並べばいいのです。
初めから待ち時間が長くなるのがわかっているため、ほかのレジと比べることもなくなります。
いらいらもなくなります。
もちろん待ち時間は少し長くなりますが、だからこそ、いろいろな活用ができます。
携帯電話のメールをチェックしたり、メール返信の時間に使ったりできるでしょう。
財布の中を整理する時間にも使えます。
本を持参していれば、少しくらいは読み進めることができます。
中途半端な待ち時間より、まとまった待ち時間のほうが、便利です。
いらいらがなくなりますし、仕事も進むのです。
大げさに言えば、私たちはみなペットを飼っています。
腸内細菌です。
きちんと生きていて、活動しています。
腸内細菌は、消化を助けたり、ビタミンの合成をしたり、外来菌を防いだりする役割があります。
特にすごいのが、数です。
およそ1000種の細菌が、およそ100兆個も生息していることが確認されています。
世界の人口より、はるかに多い数です。
私たちの体の中には、世界より、すごい世界が広がっているのです。
そんな腸内細菌には、大きく分けて2種類あります。
善玉菌と悪玉菌です。
善玉菌は、腸内の活動を活発にしますが、悪玉菌は腸内の働きを妨げます。
どちらの細菌が増えるかは、私たちが口にする食事しだいです。
肉食ばかり食べていると悪玉菌が増えますが、和食中心の食事を心がけると善玉菌を増やせます。
そこで、少し考え方を変えてみましょう。
食事をするとき、腸内にいる善玉菌というペットに、餌をあげるつもりになるのです。
「元気に育ってくれよ」と思って餌をあげるのです。
餌をあげるつもりになると、優しい気持ちになります。
できるだけ腸にいる善玉菌が喜ぶような、質のいい餌をあげようと思います。
食事の量や品質に気を使えるようになります。
腸の中にいるペットのためを思うと、食事に対する気配りが、慎重になるのです。
友人や会社を訪問したとき、飲み物を出されることがあります。
コーヒー、お茶、紅茶などです。
「コーヒー、お茶、紅茶のどれがよろしいですか」と、わざわざ好みを尋ねられることもあります。
できるだけ好みに合ったものを、楽しんでいただきたいからです。
ありがたい心配りですね。
「どうぞ」と差し出された飲み物に「ありがとうございます」と言います。
ところで、その飲み物を口にしていますか。
飲み物をまったく口にしないで、その場から去ってしまうと、出した意味がありません。
せっかく出した飲み物も、きっと寂しい気持ちになっているでしょう。
できることなら、一口でもいただきましょう。
差し出された飲み物は、一口でもいただくのが、ベストです。
最初の一口は、できれば早めがベターです。
温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちにいただくと、よりおいしくいただけます。
一口でも飲んでもらえると「出したかいがあった」と思い、喜ばれます。
「おいしいですね」と言えば、もっと喜ばれるのです。
場の雰囲気が、ぱっと明るくなります。
会話なり商談なり、明るい雰囲気の中、よりスムーズに進むのです。
街を歩いていると、道端にごみが落ちているのを見かけることがあります。
以前、歩いた人が捨てたものなのでしょう。
地域の人の掃除が、行き届いていなかったのかもしれません。
ごみがあるとわかると、少し残念な気持ちになりますね。
「誰か掃除してくれよ」と思ってばかりになっていませんか。
他人の力を当てにするばかりでは、なかなか思うようにいきません。
自分がごみ処理をすればいいのです。
差し支えなければ、勇気を出して自分でごみを拾い、ごみ箱に捨ててみましょう。
当たり前のことですが、抵抗があって、なかなかできないことです。
他の人にお願いすることもありますが、自分でするからいいのです。
自分が気持ちよくなれます。
自分の行動で、町がきれいになります。
結果が、目に見えて、すぐわかります。
今、足元にごみはありませんか。
ごみがあれば、チャンスです。
ごみを見つければ、拾って、自分が気持ちよくなりましょう。
きれいになったその場所は、他の人が見ても、気分が良く感じます。
人と会っていると、不思議な音が聞こえてきました。
おならです。
人間なら、誰でもおならをするものです。
デートの途中や食事中におならが聞こえると、相手の印象が少し悪くなりそうです。
「くさいなあ。雰囲気が壊れるなあ。勘弁してくれよ」と思うのではありません。
おならが聞こえてくれば、喜んでください。
おならは、力を抜かないと、出すことができません。
腸の筋肉が緩み、ガスがするりと抜けていきました。
肉体的にも精神的にも、ゆとりができています。
つまり、おならが聞こえた状況は、相手がリラックスできている証拠なのです。
そうとわかれば、優しい気持ちになれます。
「この人とは、相性が合っています」というサインです。
おならが聞こえてきた相手とは、これからももっと仲良くなれるでしょう。
プレゼントを頂くと、嬉しいですね。
プレゼントだけでも嬉しいですが、プレゼントのひもが蝶結びになっていると、もっと嬉しくなります。
蝶結びを見ると、不思議と嬉しい気持ちになりませんか。
なぜ蝶結びを見ると、嬉しい気持ちになるのでしょうか。
チョウのような華やかな形をしている理由もありますが、もう1つ、大切な理由があります。
ほどく人のことを考えた結び方だからです。
蝶結びは、ひもの両端を左右に引っ張るだけで、結び目がするりとほどけます。
軽い力でほどけると、快感です。
蝶結びがほどける瞬間は、チョウが空を羽ばたいている様子にも見えてきます。
蝶結びは、素晴らしい。
蝶結びの様子から「プレゼントを開けやすくしたい。早く開けてほしい」という贈り主からの気持ちが伝わってきます。
だからこそ、蝶結びのプレゼントを頂くと、嬉しい気持ちになるのです。
無意識のうちに、私たちは、そうした贈り主からの気遣いに気づき、心が温まっています。
蝶結びは、相手を喜ばせるためにあります。
贈り物をするときは、蝶結びをしましょう。
受け取った人は、贈り主の心遣いに喜んでくれます。
「立って歩ける」という幸せに気づきましょう。
世の中には、立って歩きたくても歩けない人がいます。
老衰のため、立つことができなくなった人がいます。
重い病のため、立つことすらままならない人がいます。
事情があって、足を失った人がいます。
生まれつき足がなく「歩いたことがない」という人もいます。
「歩きたくない」「歩くのはしんどい」「歩くと疲れる」と言いますが、小さな悩みです。
立って歩くことさえできない人にとっては、贅沢な悩みにしか聞こえません。
「立って歩ける」という幸せに気づくことです。
2本足で立って歩けるおかげで、行きたいところに行けます。
のんびり散歩ができたり、自由に町を散策できたりします。
買い物に行けたり、遠出や旅行を楽しんだりできます。
歩いている時間は、至福の時間です。
歩いて疲れることができたなら、もはや贅沢です。
しっかり体を動かせたということ。
「しっかり足を動かし、十二分に生かした」ということでもあります。
走ることができるなら、もっと幸せです。
短時間で素早く移動できます。
車・バス・電車などの乗り物がありますが、見方を変えると、足とは「乗り物」であり「交通手段」とも言えます。
もし今日から歩けなくなれば、どれほどの不自由になるか想像してみてください。
おそらく想像を絶するほど不便な生活になり、困り果ててしまうでしょう。
そのくらい足にお世話になっている証拠です。
歩くことは、普通のことかもしれませんが、幸せなことです。
「立って歩ける」という幸せ。
「歩いて疲れた」という贅沢。
それに気づくことです。
1歩ずつ歩くたび、歩ける幸せを感じましょう。
あなたが歩く足音は、幸せの足音です。
私たちは幸せ者です。
生まれてから死ぬまで、地球から最高においしい食べ物を頂き続けているからです。
空気です。
空気を吸っているのではありません。
地球から空気を頂いているのです。
いつもは気に留めることのない空気ですが、これほど大切な食べ物はありません。
人間は1食くらい食事を抜いても死ぬことはありません。
しかし空気は、たった数分間抜くだけで死んでしまいます。
つまり、世の中で最も大切なエネルギー源です。
生まれてから死ぬまで地球から無料でおいしいものを口にできるのですから、私たちはみんな幸せ者です。
いま一度、感謝の気持ちを持って空気を味わってみましょう。
3~4秒かけて鼻から大きく吸った後、口をすぼめながら6~8秒かけてゆっくり吐きます。
感謝をしながら呼吸をすると、無味無臭であるはずの空気が、いつもよりおいしく感じられます。
いらいらが落ち着き、元気が出てきます。
何もかも、空気のおかげです。
地球に向かって「おいしく頂いています。ありがとうございます!」と感謝しましょう。
少しでも地球に恩返しをしたいと思うなら、元気に生きるのがいちばんです。
その元気を持って活力ある1日を過ごすことに集中しましょう。
さあ、今日も1日が始まりました。
大きく深呼吸をして頑張りましょう。