雑談ができる人は、話し上手といわれます。
たわいないことを楽しそうに話せるのは、なかなかできるものではありません。
私の友人でも、雑談が上手な人がいます。
雑談を始めるときのポイントは、軽い気持ちで話しかけることです。
軽い気持ちで話しかけたほうが、うまく話が始められます。
「そんな適当でいいのか」と思いますが、ちょうどいいのです。
雑談ができるようになるために、これだけはできるようになっておきましょう。
中身のない話です。
雑談ができない人は「中身のない話はくだらない」と思っています。
中身のない話は、あってないようなものです。
中身のない話でも、受け止め方しだいで、面白く感じるようになります。
雑談をしながら、積極的に面白いポイントを見つける姿勢を持ちましょう。
話を、うまい具合に自分の興味ある方向へ脱線させてしまう人がいます。
私の友人で、話を脱線させるのが上手な人がいます。
たいてい話し始めるのは、私からです。
雑談に、テーマは不要です。
テーマを持って話をすると、討論になります。
テーマのある討論では、会話が堅くなってしまいがちです。
雑談では、細かいことにこだわりすぎないようにしましょう。
いちいち細かいことにこだわっていると、なかなか話が前に進まなくなります。
雑談は、テンポよく前に進むリズムが大切です。
話をまとめることは、そこで話を終わらせてしまうことです。
まとめたとたんに「ハイ、終わり!」といった感じで、時代劇のように幕が下りてしまいます。
雑談では、たった一言を、いかに二言、三言と広げていくかが大切なところです。
話をじらす人は、雑談ができない人です。
答えを言うのを持ったいぶって、なかなか言おうとしない人がいます。
「何があったと思う? 違うよ。もっとすごいことだよ。さあ、考えて!」
雑談に、完璧は不要です。
雑に話してこそ、雑談が成り立ちます。
どれだけ適当に話ができるかと、雑に話ができるかは、比例しています。
体験談ほど、人が引き付けられる話はありません。
その人が経験しているからできる話というのは、説得力があります。
データから話をする話もいいのですが、堅苦しくなりがちです。
会社の会議とは違い、雑談には表情があります。
会社の会議では、みんな堅い表情をして、むやみに感情を表現しないようにしています。
出席者は、嬉しいのか楽しいのかわからない表情をしています。
大勢の前でのスピーチは、緊張してしまいます。
いつもの練習ではうまく言えても、本番のときに大勢の前でスピーチとなると、がちがちに緊張してしまうのには理由があります。
単に「うまく話さなければならない」という気持ちが強くなっているからです。
話をしている途中、少しテーマからずれた話題が浮かぶことがあります。
たとえば、食事の話をしているとき、食事に関連して、肌荒れの悩みを思い出すのです。
突然、ふと思い浮かびます。
雑談するときのコツは、何でもいいから、すぐ返事をすることです。
話をしてもらったときに、あまり深く考えすぎないで、何でもいいのでとにかく返事だけはすぐすることです。
「うん、あの、その」と考えすぎると、雑談のリズムが乱れます。
雑談では、すぐ返事をすることが基本です。
しかし、もしどうしても返事が思い浮かばなければ、相槌だけでもかまいません。
簡単な相槌で十分です。
話をしているうちに、その話がきっかけで次の話が思い浮かぶ。
思い浮かんだ話をしているうちに、その話がきっかけで、また次の話が思い浮かぶ。
これが、雑談です。
話は短すぎることはあっても、長すぎてはいけません。
長すぎる話は、聞くのが疲れます。
雑談は、短いリズムが大切です。
話をしていると相手の割り込んでくるタイミングから、話の最後までたどり着けないときがあります。
「これから話が面白くなるところで、話題を変えられた」という、経験をしたことがあります。
「最後まで話しきったほうが、最後に笑える結末があるから面白い」と思います。
雑談とはいえ、いつも面白い話ばかりとは限りません。
時には、面白くない話や白けてしまう話だってあるでしょう。
そんなとき、無表情のままでは雑談上手ではありません。
どんなに暗く落ち込んでいても、雑談をしていると不思議なことに、自然と明るくなります。
特に元気づけられたわけではありません。
ただ、人とのコミュニケーションが気持ちを明るくさせるのです。
モテる人は、案外気取った言葉を言わないものです。
気取った言葉を言わなければ、モテることができないわけではないのです。
モテる人であるほど、気取った言葉なんかより、雑談がうまいのです。
人付き合いが苦手な人は、相手に嫌われることを恐れている人が多いです。
「自分の言う一言が、相手を傷つけるのではないか?」
「相手の一言が、自分を傷つけるのではないか?」
どんなに雑な雑談でも、忘れてはいけないことがあります。
「礼儀」です。
雑談は、多少雑であったり、ぶっきらぼうであったり、沈黙があったりしても、嫌われることはありません。
「一生懸命さ」は、雑談を盛り上げてくれます。
話をするのに一生懸命でも、話を聞くのに一生懸命でも、どちらでもかまいません。
どちらか一方が一生懸命になると、もう片方もつられて一生懸命になります。
できるだけ相手の話に共感してあげるようにしましょう。
否定するより、肯定するように心がけるということです。
何しろ相手の話を肯定してあげなければ、雑談が前に進まなくなり、途中で止まってしまいます。
私が会社の人たちと、飲み会で楽しんでいたときのことです。
私のプライベートをしつこく聞いてくる人がいて、嫌な気持ちになったことがあります。
私が普段何をしているのか、給料がどれくらいなのかと、しつこく何度も聞いてくるのです。
雑談だからとはいえ、ずっと話し続けなければならないわけではありません。
時には、沈黙だって楽しむことが必要です。
ときどき会話が途切れ、沈黙になるのが怖いからと、マシンガンのように話し続けている人がいます。
話をしている最中に思いついて、つい相手の話を遮り、割り込んでしまうことはよくあることです。
そんなとき、話を最後まで続けられなかった人には、ストレスが残ります。
もし自分がうっかり相手の話を遮ってしまうようなことがあったら、その話を元に戻してあげるケアも必要です。
昔、友人と語り合った話の中には、かなりたった今でも思い出すことができるシーンがあります。
そんな思い出のシーンに限って、雑談から生まれる場合がほとんどです。
雑談をしていると、いつの間にか自然と心が打ち解け合い、だんだんプライベートを打ち明けたりします。
雑談ができる人は、話し上手といわれます。
たわいないことを楽しそうに話せるのは、なかなかできるものではありません。
私の友人でも、雑談が上手な人がいます。
まったく中身のない話なのに、延々と話をしてしまう人を見ていると「すごいな」と感心してしまいます。
たわいない会話ができる人は、どんな人とでも仲良くできます。
興味のある話しかできないのでは、会話の幅も狭くなります。
知っている話しかできないのでは、知っている話しかできません。
しかし、雑談ができるようになると、どんな人とでも話ができるようになります。
人付き合いの苦手な人も、自分の殻に閉じこもる人も、雑談ができるようになると、人付き合いが上手になります。
雑談ができるかぎり、どんな言葉が飛んできても平気だからです。
上手に話をするために、たくさん本を読んだり、新聞に目を通したりすることも大切です。
興味のない話や知らない話を、どれだけできるかです。
雑談を始めるときのポイントは、軽い気持ちで話しかけることです。
軽い気持ちで話しかけたほうが、うまく話が始められます。
「そんな適当でいいのか」と思いますが、ちょうどいいのです。
「好きな人の前では、恥ずかしくて何も話せなくなる」と言う人がいます。
私も10代に、何度も経験しましたから、この気持ちはよくわかります。
そういう人は「好きな人の前では、楽しく話をしなければならない」と思っているのではないでしょうか。
「失敗はできない」というプレッシャーがあります。
だから、うまく話ができないのです。
私が中学生のころの話です。
好きな人の前に限ってうまく話せず、困っていたことがありました。
「なんとかして相手の気を引くような会話をしなくては」
緊張して、なかなか話がうまくできません。
「だから、その、あの……」
言葉に詰まりながらの会話になります。
その結果、余計に相手とは距離が離れてしまう。
「もしかしたら、好きな人の前では、一生普通に話せないのではないか」と、真剣に悩んだこともあります。
一方、好きでもない人の前では、言葉に詰まることなく話ができます。
軽い気持ちで話しかけているからです。
好きでもない人の前では異性を意識しないため、リラックスしながら会話ができます。
その結果、好きでもない人に限って、仲良くなってしまうのです。
雑談ができるようになるために、これだけはできるようになっておきましょう。
中身のない話です。
雑談ができない人は「中身のない話はくだらない」と思っています。
男性によく見られる考え方です。
男性は、ノウハウや結論を求めたがる傾向があります。
「その話から何を学べるのか」「その話の結論は何か」などです。
「中身のない話は役立たず、つまらない」と思いやすい。
中身のない話は、初めから聞こうともしません。
それに比べると、女性はとても雑談が上手です。
何でもない話を、何時間も延々と話し続けます。
1杯のコーヒーで、いつまでも話ができる能力は、尊敬に値します。
そんな女性たちの話を聞いていると、中身のある話だけでなく、中身のない話もできるということに気づきます。
男性は一般的に、中身のある話しかできないのに対して、女性は中身のある話だけでなく、中身のない話もできます。
ここが、雑談ができるポイントです。
雑談とは、どれだけ中身のない話ができるかです。
ノウハウを求めません。
結論も求めません。
「楽しければそれでいい」と考えます。
だらだらした会話の流れを、ただ楽しむのです。
ノウハウや結論がなくても、十分に会話が成り立ちます。
中身のない話は、あってないようなものです。
中身のない話でも、受け止め方しだいで、面白く感じるようになります。
雑談をしながら、積極的に面白いポイントを見つける姿勢を持ちましょう。
話をしながら、興味のわく点を探すようにします。
興味のわく点が見つかれば、中身のない話を中身のある話に変えることができます。
たとえば「昨日は徹夜で睡眠不足だ」という会話が出たとします。
「そうですか」で話を終わらせることもできるでしょう。
そこをあえて、興味を出して理由を尋ねてみます。
「なぜ徹夜することになったのだろう」と興味を持って聞いてみれば、そこから話が広がるでしょう。
「悩みがある」「試験勉強が近い」など、事情が出てくるはずです。
そういう話をしながら「自分も気をつけなければ」と思えば、中身のある会話として聞けます。
教訓なり注意点なり、学べる点が見えてきますね。
自分と照らし合わせながら聞けばいいのです。
つまらない話でも、面白く感じることができるようになります。
話を、うまい具合に自分の興味ある方向へ脱線させてしまう人がいます。
私の友人で、話を脱線させるのが上手な人がいます。
たいてい話し始めるのは、私からです。
仕事の話や、最近の出来事の話をしたりします。
しかし、それが話していくうちに、いつの間にか、うまい具合に話の中心が脱線します。
雑談をしていると、必ず脱線という事故が発生します。
しかし、これは事故ではありません。
むしろ脱線こそ、雑談らしさです。
列車の脱線で警察が飛んでくることはあっても、話の脱線で警察がくることはないため安心です。
自分と相手の話をぶつけ合っていると、いつの間にか話の方向がどんどんずれていくのが、正常な雑談なのです。
たとえばつい最近も、こんな会話が実際にありました。
私「最近やっている仕事が面白くって、ときどき時間を忘れるよ」。
相手 「私は今、人間関係で苦しんでいるよ。一緒に仕事している人が愚痴をいう人で、聞くのがつらいよ。この前も……」。
仕事の面白い話をしていましたが、いつの間にか愚痴に変わりました。
あっという間の出来事です。
私は「愚痴ではなくて、楽しかった話が聞きたかったな」と思うのですが、うまい具合に話の主導権を握られてしまったのです。
しかし、こんな話の脱線が雑談の面白さです。
話がずれてしまうことを悲しく思うのではなく、むしろ話がどんどんずれていくことを楽しむようにしましょう。
雑談とは本来、脱線していくことなのです。
雑談に、テーマは不要です。
テーマを持って話をすると、討論になります。
テーマのある討論では、会話が堅くなってしまいがちです。
たとえば「核問題について」というテーマで討論をするとします。
テーマがあるから、会話の方向性が決まります。
何が正しくて、何が間違っているのかという、意見の対立になります。
また、テーマのある話は、その話題しか話せなくなります。
「核問題について」というテーマがあるとき、それ以外の話をするのは違反です。
テーマを持つから具体的に話ができる反面、会話の幅が狭くなるデメリットもあるのです。
雑談の素晴らしさは、テーマがないことです。
会話の流れや気分に応じて、好きに話せばいいのです。
テーマがないから、雑に話せます。
会話の幅に制限がありません。
どんな話でも良いという条件だからこそ、思いつくままの話を楽しめます。
テーマのない会話こそが盛り上がり、柔軟性のある会話になってくれるのです。
雑談では、細かいことにこだわりすぎないようにしましょう。
いちいち細かいことにこだわっていると、なかなか話が前に進まなくなります。
雑談は、テンポよく前に進むリズムが大切です。
会話にリズムをつけるために、少しくらいわからないところがあっても、細かいことにこだわりすぎないことが必要なのです。
「そういえばこの前……」と話すとき「この前はいつか」と細かく聞かれると、話が進みにくくなります。
「なんだか変な感じ」と言っても「変な感じって、どんな感じ?」となると、いちいち説明しなくてはならなくなります。
曖昧な表現は、そのまま受け止めることがいちばんです。
曖昧に発言しているということは、曖昧に解釈してもらえればいいということです。
少しくらい省略された部分があっても、自分なりにイメージを膨らませ、補えばいいのです。
足りない部分はイメージで補えば、会話を止める必要がなくなります。
細かいことにこだわりすぎず、曖昧なところは曖昧なままで流して聞くほうが、雑談が成り立ちやすくなるのです。
話をまとめることは、そこで話を終わらせてしまうことです。
まとめたとたんに「ハイ、終わり!」といった感じで、時代劇のように幕が下りてしまいます。
雑談では、たった一言を、いかに二言、三言と広げていくかが大切なところです。
次から次へとテーマをつくり出し、どんどんと会話の輪を広げていくところに、雑談の面白みがあります。
しかし、話をまとめてしまうと、あっけなくそこで終わってしまうのです。
「つまりこういうことなんでしょ」と、話をまとめてしまうと、そこで話が終わり、白けてしまいます。
終わりをつくってしまっては、雑談ができなくなります。
雑談をするためには、無理やり話をまとめないようにしましょう。
話をまとめてしまうことは、雑談ではタブーなのです。
話をじらす人は、雑談ができない人です。
答えを言うのを持ったいぶって、なかなか言おうとしない人がいます。
「何があったと思う? 違うよ。もっとすごいことだよ。さあ、考えて!」
なかなか答えを言おうとしません。
話を聞いているほうは早く答えが聞きたいのに、じらされてしまうと、いらいらして話が続かなくなります。
テレビのクイズ番組でも、答えをじらさずに言ってくれる番組のほうが、視聴率の高い結果が出ています。
視聴者もクイズの参加者ですから、答えをいつまでも教えずじらされてしまうと、いらいらしてチャンネルを変えたくなるのです。
会話の中で、じらしは禁物です。
わからなければ、さっと答えを言ってしまうほうが会話のリズムを崩さずに進めることができるのです。
雑談に、完璧は不要です。
雑に話してこそ、雑談が成り立ちます。
どれだけ適当に話ができるかと、雑に話ができるかは、比例しています。
雑談は、研究論文ではありません。
研究論文では、一言一言に根拠を持って、正確に記載しなければなりません。
根拠やデータが必要であり、雑な内容は許されないのです。
しかし、雑談はそんな堅い話を気にする必要はありません。
力を抜いて話をするからこそ、雑に話ができます。
その分、会話も長く続けることができるのです。
雑談において「正確さ」や「完璧さ」は不要です。
話の中に、正確さや完璧主義を持ち込まないようにしましょう。
細かいところは気にせず、大ざっぱな会話を心がけます。
「雑な内容だ」と思えば、いい雑談ができているのです。
体験談ほど、人が引き付けられる話はありません。
その人が経験しているからできる話というのは、説得力があります。
データから話をする話もいいのですが、堅苦しくなりがちです。
「全体の~%の人が……」という話は、正しい内容かもしれません。
しかし、結果だけを言われても「そうですか」となってしまうのです。
雑談上手な人は「データ」より「体験談」から話をします。
体験談を交えながらの話ですから、途中でどんな質問が飛んできても、すぐ答えられます。
何しろ自分が経験したことであるため、答えられないことがありません。
実際に起こったことをありのまま口にするだけですから、自信を持って発言できるのです。
体験談の面白みは、ここです。
体験したことのある話だけに、具体的で、どんな質問にも答えられ、かつ、自信を持って発言できます。
雑談のほうが大いに盛り上がるのです。
データがあれば良いというのではありません。
たとえ正しい内容でも、データは、体験談ほどの面白さにはかなわないのです。
会社の会議とは違い、雑談には表情があります。
会社の会議では、みんな堅い表情をして、むやみに感情を表現しないようにしています。
出席者は、嬉しいのか楽しいのかわからない表情をしています。
会議はいつも冷たくて面白くありません。
一方、雑談には表情があります。
雑談が雑談らしくあるほど、お互いが生き生きした表情になっています。
楽しいときは楽しい表情をして、悲しいときは悲しい表情をする。
会話の中に感情が入り交じり、よりリアルな内容に感じることができるのです。
「データ」と「体験談」の違いと同じです。
データには、感情がありませんから表情もありません。
「日本人の80%は、死について考えたことがある」と言われても「へえ」となるだけです。
しかし「実は私、死にたいって思ったことがあるの」となると「え、何があったの?」と感情が入ります。
体験談であるだけで、自然と感情が入ってくるのです。
体験談にも、決まって表情があります。
表情は、雑談をより盛り上げてくれる効果があります。
表情のない会話は、単なる「冷たい話し合い」になっているのです。
大勢の前でのスピーチは、緊張してしまいます。
いつもの練習ではうまく言えても、本番のときに大勢の前でスピーチとなると、がちがちに緊張してしまうのには理由があります。
単に「うまく話さなければならない」という気持ちが強くなっているからです。
練習のときは「練習だから、間違ってもいいや」と軽い気持ちになっているため、うまくできます。
しかし、本番になると「うまく話さなければならない」という「100%成功」が頭にあります。
そのため、逆に頭が真っ白になってしまうのです。
うまく話そうと思えば思うほど、うまく話せなくなってしまうのです。
しかし、雑談は、いつも気軽にできます。
これもスピーチのときと、同じ原理です。
本番のスピーチではないからです。
雑談という字のとおり、雑に話さなければ、雑談になってくれません。
うまく話す必要などないのです。
舌を噛まずに、100%成功しなければならないこともないため、そのおかげで逆にうまく話ができるようになります。
うまく話がしたいと思うなら、うまく話そうと思わないことです。
特に雑談では「雑さ」が1つの味になります。
適当に省略したり、雑に話したりするほうが、雑談らしく話ができるのです。
話をしている途中、少しテーマからずれた話題が浮かぶことがあります。
たとえば、食事の話をしているとき、食事に関連して、肌荒れの悩みを思い出すのです。
突然、ふと思い浮かびます。
話のテーマから少し外れた話題です。
「テーマから外れたことは、言うのを控えたほうがいいかな」と、ためらいますね。
話を折るようで申し訳なく思います。
もちろん討論や話し合いなどの堅苦しい場では、思い出しても言わないほうがいいでしょう。
きちんとテーマがある場では、流れに沿って話をするのがマナーです。
しかし、普段の雑談では、遠慮は不要です。
思い出したことは、その瞬間に話しましょう。
少しくらいテーマがずれていてもOKです。
会話で面白いのは「今、思い出した」と言葉が出てくることです。
「今、思い出したけど」と言われると「何だろう。ぜひ、聞きたい」と思わせることができます。
相手の興味を引かせることができ、話を盛り上げやすくなるのです。
思い出したことは、その場ですぐ口にすることです。
話に興奮を持たせることができます。
いつの間にか、長時間の雑談になるでしょう。
テーマから多少外れても、良しとしましょう。
雑談は、話が脱線するから面白いのです。
雑談するときのコツは、何でもいいから、すぐ返事をすることです。
話をしてもらったときに、あまり深く考えすぎないで、何でもいいのでとにかく返事だけはすぐすることです。
「うん、あの、その」と考えすぎると、雑談のリズムが乱れます。
相手は、100%正確な答えを求めているのではありません。
だいたいおおよその答えを求めているのです。
間違っているからとはいえ、相手は怒ったりしません。
むしろ返事が遅いほうが、よほど相手をいらいらさせてしまいます。
返事が早いといえば、明石家さんまさんです。
私は、さんまさんのトークが大好きです。
さんまさんはいつも、たわいない会話にも、すぐ返事をします。
どんな内容でも返事だけはしっかりするところは、すごいなと感心してしまいます。
返事の内容がどれだけ素晴らしいかは、どれだけ素早く返事をしてくれるかに比例します。
すぐ返事をしてくれればしてくれるほど、それだけ早くに頭に思い浮かび、聞きたい気持ちが伝わってくるからです。
返事の早さは、雑談の命です。
さんまさんの返事の早さから「もっと話を聞きたい」という熱意が伝わってきます。
何もさんまさんが、あっと驚くような特別な質問をしているからではありません。
返事が早いからです。
返事が早ければ早いほど、熱のある雑談ができるようになり、面白く盛り上がってくるのです。
雑談では、すぐ返事をすることが基本です。
しかし、もしどうしても返事が思い浮かばなければ、相槌だけでもかまいません。
簡単な相槌で十分です。
「へえ」
「そうなんだ」
「それから」
「すごい!」
という相槌も、立派な返事の1つです。
相槌を打つことで、相手は話を聞いてくれている、興味を持って聞いてくれていることが伝わり、さらに話を続けてくれます。
雑談上手な人は、相槌上手な人です。
とにかく、ノーリアクションだけは避けることです。
返事でも相槌でもかまいませんから、ノーリアクションという最悪の返事だけはしないようにしましょう。
リアクションのできない人は、雑談ができない人なのです。
話をしているうちに、その話がきっかけで次の話が思い浮かぶ。
思い浮かんだ話をしているうちに、その話がきっかけで、また次の話が思い浮かぶ。
これが、雑談です。
雑談とは、連想ゲームのようです。
1つの言葉をキーワードに連想する単語をあげていく連想ゲームは、基本的に、雑談と同じ動きをしています。
実は、雑談とは連想ゲームだったのです。
雑談は、連想ゲームなのだと思ってかまいません。
話が、正しいとか間違っているとか考えずに、次々と連想していくことに意味があるのです。
その連想ゲームを、楽しみましょう。
連想ゲームは、連想していくことを楽しみます。
雑談も、それと同じように、次から次へと思い浮かぶ話題を楽しむようにすればいいのです。
雑談しようと考えずに、連想しようと考えましょう。
雑談という、連想ゲームを楽しむようにするのです。
連想された話は、何でも雑談として成立してしまうのです。
話は短すぎることはあっても、長すぎてはいけません。
長すぎる話は、聞くのが疲れます。
雑談は、短いリズムが大切です。
なのに、1人が長い話をしてしまうと、せっかくのリズムが台無しになります。
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが……」と話を始められたら、もう雑談できなくなります。
1人が独占して長話をしてしまうだけで、もう「1人談話」になり、雑談が成立しなくなってしまうのです。
自分が話したいことが山ほどあっても、その山を必要なところだけ残し、後はすべてカットする勇気を持つことです。
大切なところだけを話すようにするのです。
そのほうが印象にも残り、リズムもついてきます。
テレビのCMは、必ず短くつくられています。
CMは短くつくっているから、印象に残ります。
1つのCMが15秒、あるいは30秒のつくりになっており、リズミカルになっています。
雑談にも、そのくらいの短さが必要なのです。
短くなければ、雑談らしくなってくれないのです。
私の文章も、短すぎることはあっても、長すぎる文章にだけはしないように気をつけています。
私が短く文章を書くのは、単純な理由です。
長い文章だと、読む気がなくなってしまうのです。
長い文章でたくさんの字を見てしまうと、正直書いている私も読むときにうんざりしてしまいます。
読みやすいように短く書くようにしました。
短い文章なら「これくらいなら、ちょっと読んでみよう」という気になります。
私は、本当に大切な言葉には、飾りはいらないと思っています。
大切なところだけ表現し、残りの言い足りない部分は、読者の人それぞれのイメージで補うようにしてもらう形を取っています。
短ければ短いほど、印象にも残ります。
雑談は、短すぎることはあっても、長すぎてはいけないのです。
話をしていると相手の割り込んでくるタイミングから、話の最後までたどり着けないときがあります。
「これから話が面白くなるところで、話題を変えられた」という、経験をしたことがあります。
「最後まで話しきったほうが、最後に笑える結末があるから面白い」と思います。
そこで、無理やり話を元に戻そうとしてしまいがちですが、ここはぐっとこらえましょう。
途中で遮られた話でも、入ってきた相手の話を優先させることです。
雑談では「流れ」こそが重要です。
流れがいったん止まれば、雰囲気まで壊れます。
途中で相手が割り込んできて話を遮られても、途中で切り捨て、流れ優先でいくようにしましょう。
雑談は、一度前に進み始めたら、もう後ろには引き返さないことが原則です。
雑談には「前」しかないのです。
雑談とはいえ、いつも面白い話ばかりとは限りません。
時には、面白くない話や白けてしまう話だってあるでしょう。
そんなとき、無表情のままでは雑談上手ではありません。
面白くない話でも笑ってあげる人が、雑談が上手にできる人です。
雑談は、一度白けてしまうと、あとから元に戻すまでに時間がかかります。
雑談は、雰囲気の影響があるからです。
雑談が上手な人であるほど、雰囲気の流れを止めないようにと思い、つまらない話にも笑ってあげることができるのです。
雑談を止めないようにするためにも、つまらない話が出てきても笑ってあげる優しさを持ちましょう。
つまらない話のときに、笑ってあげるかあげないかの違いによって、その後の流れがずいぶん変わってくるものなのです。
どんなに暗く落ち込んでいても、雑談をしていると不思議なことに、自然と明るくなります。
特に元気づけられたわけではありません。
ただ、人とのコミュニケーションが気持ちを明るくさせるのです。
人が最も大好きなのは、やはり「人」です。
雑談は、そんな人と人とのコミュニケーションを手軽に行える、もってこいのコミュニケーションなのです。
学生のころは、いつも誰かと一緒に隣の席同士になって座ります。
よく席替えのときには「今度は隣に誰が来るのだろう」とどきどきしていました。
あのように隣に誰かと一緒に座るのには、理由があります。
隣の人と協力し合うことで勉強の効率を促すという理由もありますが、それだけではありません。
隣に誰かがいるというだけで、話し相手になってくれるからです。
1人で勉強していると、暗くなってしまいがちです。
しかし、隣の席に誰かが座って、ときどき雑談をするだけで、自然と明るく元気になっていったのを覚えていませんか。
私は、中学2年生のころ、理科のテストで思ったより悪い点をとって落ち込んでいました。
そのとき、隣の席の女の子が「大丈夫。私なんてもっと悪い点数だったよ」と気を使って話してくれたことをいまだに覚えています。
「思ったより悪い点」だったため、あのときの私は悔しさのあまり、暗く落ち込んでしまっていました。
悔し涙が半分出ていただけに、隣の人とのささいな雑談は、私を谷の底から引き上げてくれるようでした。
雑談には、明るさを生み出す効果があります。
どんなに暗い人でも、何でもない雑談をすれば、いつの間にかそれが元気づけることにもなっているのです。
モテる人は、案外気取った言葉を言わないものです。
気取った言葉を言わなければ、モテることができないわけではないのです。
モテる人であるほど、気取った言葉なんかより、雑談がうまいのです。
雑談がほかの人よりうまくて、いつの間にか相手を口説いてしまっています。
実は「口説き」とは「雑談」です。
いきなり人から「愛してる」と突然言われても、心の準備ができていないときは、驚いて何も言い返せなくなります。
しかし、何気ない雑談から始めると相手を驚かせることもなく、自然に入っていけます。
それでいて、相手に好意を持ってもらえる。
雑談をすることは、好きな人を口説くときにはもってこいなのです。
ナンパが上手な人は、この雑談からいつも口説いていきます。
私は高校1年のとき、体操部に入っていました。
同じ体操部員の同級生に「A」という男の子がいました。
Aはいつもモテます。
体操の練習試合のときも、一緒に練習をする相手校の女の子をさっそく口説いています。
Aとたまたま一緒にいたため、口説いている瞬間を見ていたのですが、私が最初思っていたほど、口説いてはいませんでした。
普通に「初めまして」から始まり、雑談しているだけです。
私は、これが彼の口説き文句なのだと思いました。
初めて会う人でも、普通に話しかけ、自然と仲良くなって、いつの間にか親密になるという流れが彼の口説きパターンだったのです。
気取った言葉など一言も使わずに口説くほうが、うまくいくのです。
人付き合いが苦手な人は、相手に嫌われることを恐れている人が多いです。
「自分の言う一言が、相手を傷つけるのではないか?」
「相手の一言が、自分を傷つけるのではないか?」
こんなことばかりを考えています。
傷を恐れていては、何もしゃべれなくなります。
雑談では、ある程度の傷は覚悟することです。
雑談というくらいですから、少しくらいの傷も、雑の1つです。
傷という雑さも、雑談の1つになります。
これを覚悟している人が、雑談に参加できます。
雑談ができる人は、強い人なのです。
傷つけること、傷つけられることを恐れているうちは、雑談は難しいということです。
必要以上に傷を恐れないようにすることが大切なのです。
どんなに雑な雑談でも、忘れてはいけないことがあります。
「礼儀」です。
雑談は、多少雑であったり、ぶっきらぼうであったり、沈黙があったりしても、嫌われることはありません。
しかし、もし雑談の中で礼儀がなければ、それだけですぐ嫌われます。
礼儀があるか、ないかだけで、何気ない言葉の響きもずいぶん変わってきます。
オヤジで雑談ができない人は、決まって偉そうにしているため、礼儀がありません。
「地位が高いのだから、礼儀を受ける側になるのは当然だ」と思い、威張っているのです。
それでは、嫌われます。
雑談に限らず、すべてのコミュニケーションにおいて、礼儀は常に大切なことです。
礼儀さえあれば、途中でちょっとした間違いや誤解があっても、許されます。
礼儀があることで、悪気があって言ったことではないとわかるからです。
逆をいえば、礼儀がないだけでどんなに良いことを言う人でも、やぼったく見えてしまいます。
雑談は、話し方が雑でもかまいません。
話の内容が、雑でもかまいません。
しかし、礼儀だけは、忘れてはならないのです。
「一生懸命さ」は、雑談を盛り上げてくれます。
話をするのに一生懸命でも、話を聞くのに一生懸命でも、どちらでもかまいません。
どちらか一方が一生懸命になると、もう片方もつられて一生懸命になります。
たとえば、一生懸命話をしてくれる人は、その一生懸命さが伝わり、聞くほうも自然と一生懸命になります。
逆に、聞くほうが一生懸命だと、話をするほうも、つい一生懸命に話をしてしまいます。
一生懸命さは、雑談を盛り上げるためにとても効果的なスパイスなのです。
雑談は、だらだら話をするだけが雑談ではありません。
むしろ、だらだらより、一生懸命のほうがよほど気持ちの良い雑談ができるようになります。
一生懸命に話をすることは、雑談を活発化させてくれるのです。
できるだけ相手の話に共感してあげるようにしましょう。
否定するより、肯定するように心がけるということです。
何しろ相手の話を肯定してあげなければ、雑談が前に進まなくなり、途中で止まってしまいます。
雑談ができない人の共通点は、相手の話をすぐ否定してしまう人です。
相手の話をいちいち細かく分析し「それは違う、間違っている」と言ってしまう人とは、やはりちょっと距離を置いてしまいます。
私の知り合いにも、何でも人の話を評価する分析屋がいます。
せっかく一生懸命に話をしても「違う」と否定されては、話す気力が一気になくなります。
気の利いた言葉はいらないから、共感してくれるだけでいいのです。
「そうだね」とか「なるほどね」と言って共感してあげることは、相手にとっても嬉しいことです。
もっと話したくなるものなのです。
私が会社の人たちと、飲み会で楽しんでいたときのことです。
私のプライベートをしつこく聞いてくる人がいて、嫌な気持ちになったことがあります。
私が普段何をしているのか、給料がどれくらいなのかと、しつこく何度も聞いてくるのです。
それもみんなの前で、無理やり暴露させようとします。
みんなの前というのが、またいやらしい。
私はとても困りました。
あげくには「本当に聞き出すまでは、帰らせない」と言うのです。
困っている私の表情を見て、ある先輩が「まあまあ」と助け舟を出してくれてなんとか切り抜けました。
しかし、私は「この人とはあまり関わらないようにしよう」と思いました。
人間、話したくないプライベートは、1つくらいはあるものです。
それを、無理やり聞き出そうとする態度は、好感が持てません。
雑談ではなく、警察の事情聴取になっています。
雑談は、事情聴取をすることではありません。
相手の話したくないプライベートには、触れない気遣いが必要です。
無理やり聞き出そうとする人は雑談から外されてしまうのです。
雑談だからとはいえ、ずっと話し続けなければならないわけではありません。
時には、沈黙だって楽しむことが必要です。
ときどき会話が途切れ、沈黙になるのが怖いからと、マシンガンのように話し続けている人がいます。
無理やり話題を出してぺらぺらと話していても、無理やり出した話題だけに、何か無理があります。
私はそんなとき「そんなに無理してしゃべらなくてもいいのにな」と思います。
会話ですから、沈黙になってしまうこともあります。
沈黙を恐れて無理に話題を出して話を進めようとした結果、会話のリズムや雰囲気を壊してしまいかねません。
自然に任せて、話題がないときには「沈黙」という話題を楽しめばいいのです。
しんとした空間にも、コミュニケーションがあります。
黙って考えていることもあるでしょう。
ゆったりした時間を過ごしたくて、静かになることもあるはずです。
話題がなければ、沈黙になってもいいのです。
沈黙を必要以上に恐れないようにしましょう。
沈黙を途中で入れながら、ゆっくり話をすることも雑談の1つのスタイルなのです。
話をしている最中に思いついて、つい相手の話を遮り、割り込んでしまうことはよくあることです。
そんなとき、話を最後まで続けられなかった人には、ストレスが残ります。
もし自分がうっかり相手の話を遮ってしまうようなことがあったら、その話を元に戻してあげるケアも必要です。
切れた話を元に戻すのは、話を遮った人が元に戻すようにしましょう。
割り込まれた人もうまく元に戻って話ができるようになります。
難しくはありません。
「ごめんね。さっきの話だけど、それからどうなったの」という気の利いた言葉が言えるようになればいいだけです。
切れた話は、うまく元に戻してあげましょう。
お互いが気持ちの良い会話ができるようになるために、こうしたケアをしてあげることが雑談のマナーなのです。
昔、友人と語り合った話の中には、かなりたった今でも思い出すことができるシーンがあります。
そんな思い出のシーンに限って、雑談から生まれる場合がほとんどです。
雑談をしていると、いつの間にか自然と心が打ち解け合い、だんだんプライベートを打ち明けたりします。
そんな心を開き合っている雑談だからこそ、心に残る一言が生まれ、思い出として残ってくれるのです。
中学時代、安田君といういちばん仲の良かった友人がいました。
いつも休み時間には一緒に話をしたり、学校が終われば家に遊びに行ったりするくらい仲が良かった友人です。
その安田君と中学2年生の運動会当日、みんなを見ながら、いつものようにたわいない会話を楽しんでいたときのことです。
「俺たち、中学卒業したら、もう離ればなれになるんだろうな」という一言が、いまだに心に残っています。
お互い高校に進学し、仕事もまったく別々で、いつの間にか連絡をすることもなくなるであろうことを心配した一言だったのです。
悲しく思いましたが、同時に嬉しくも思いました。
それほどまでに、自分のことを親しく思ってくれているということが、このたった一言に込められていたからです。
もう10年以上も前のほんの一瞬の会話なのに、今でもずっと心に残っています。
残念ながら彼の予想は的中して、今はもう連絡を取ることもなくなっています。
高校も別々で、仕事も住むところも変わってしまい、もう連絡を取ることもなくなりましたが、友情を感じた一言でした。
いまだに、忘れられない言葉になっています。