褒め言葉は、人間関係を活性化させる言葉です。
人間関係を活性化させるために、特別大きなことをする必要はありません。
相手を褒めるだけでいいのです。
褒めるときのベストタイミングは、うまくいった瞬間に褒めることです。
テストで高得点を取れたことがわかった瞬間や試合で勝った瞬間です。
まずはこれが基本になります。
私は小学校のころから、朝のニュースを見るのが好きではありませんでした。
別に、ニュースそのものが悪いわけではありません。
ただ、人の気持ちを暗くさせるようなことが、苦手でした。
人間の感情は、自分ではなかなかコントロールしにくいと言われます。
内側から少しずつ湧き出てくるものですから、直接に手を加えることができません。
アクセサリーや下着、洋服なら、外側なので触れることができ変えられますが、心の中に直接手を入れることはできないのです。
歌手でタレントの和田アキ子さんは、料理番組で食事の感想を述べるときには「まずい」とだけは言わないようにしているそうです。
出演している料理番組の中では、当然いろいろな料理が出てきます。
しかし、せっかく心を込めてつくっていただいた料理でも、中には自分の口には合わないものもあります。
あなたは、褒めることは特別なことだと思っていませんか。
特別にすごいことや変わったことだけが、褒めるに値することだと思っていませんか。
とんでもありません。
歌手でありタレントでもある堺正章さんは、言葉を褒めることが上手な方です。
ゲストで出演している人がいい言葉を言うと、すぐ褒めてしまいます。
「それ、いい言葉ですね」
私は小中学校のころ「ミナタカ」というニックネームで呼ばれていました。
水口貴博(ミナクチ・タカヒロ)の始めの文字を取って「ミナタカ」と呼ばれていました。
中学生のとき、同じクラスに「ミナタカはすごい」と言っている女の子がいました。
褒め言葉のポイントは、完了形や進行形を使うことです。
「~した」という完了形と「~になっている」という進行形です。
「よくなったね」と言われるのも嬉しいですが「よくなっているね」と言われるのも同じくらい嬉しいものです。
「何がきっかけで始めるようになったんですか」
HAPPY LIFESTYLEを運営していると、この質問を本当によく聞かれます。
いちばんのきっかけになったシチュエーションを思い出そうとすると「あのときの女の子の褒め言葉」を思い出さずにはいられません。
子どもの教育には、褒めることが良いことだとされています。
勉強ができないところを叱るより、できるところを褒めたほうが、勉強が好きになり、ほかの科目へも良い影響が波及します。
誰でも叱られると落ち込んだり、やる気をなくしたり、自信を失ったりします。
自分の口から直接に褒め言葉を伝えていくことも大切ですが、第三者に手伝ってもらう方法はもっと効き目があります。
自分が直接褒めるのではなく、ほかの誰かに代わりに伝えてもらうと、嬉しさが倍増する効果があるのです。
「○○さんが、あなたはいつも一生懸命ですごいって褒めていたよ」
「褒める」と「おだてる」は、話の中身はそっくりです。
しかし、実際は、相手に与える印象は大きく変わってきます。
似たような表現ですが、実はまったく別物であることを知っておきましょう。
私はときどきお客さまに「たくさんの言葉をありがとうございます」という感謝のお便りをいただくことがあります。
これはこれでとても嬉しいものです。
自分の書いた文章がどこかの誰かの役に立っているということに、私はとても嬉しく思います。
叱るときにはみんなの前でしてはいけませんが、褒めるときにはみんなの前で話しましょう。
大勢の人がいるとそれだけ人目が多いため、叱られているときの恥ずかしさは何倍にも大きくなります。
本人の心にも傷がつき、叱られるという精神的ダメージに、恥ずかしいというダメージが加わり、気分が落ち込んでしまいます。
良い人生を送るためには、人間関係が重要です。
自分にとって居心地の良い人間関係が築きあげられている人は、いろいろな幸せを感じる機会があります。
寂しさは半減し、楽しいことは倍増し、困ったときは助けてもらえます。
大人たちは「居心地のいい人間関係では進歩しない。もっと苦労しろ」と言って、つらい人間関係の中にいることを薦めます。
たいていそういうことを言う大人に限って幸せそうではありません。
眉間にしわを寄せて、不機嫌な表情をしています。
「おや。この人は違う」
褒め方1ついってもいろいろありますが、ひときわきらりと光る存在感を醸し出す上手な褒め方があります。
褒める方法1つで、あなたが普通の人とは違う知性を持った人だと感じてくれるようになります。
褒めるのが下手な人は「抽象的」に褒めています。
「かわいいね」「きれいだね」「上手だね」「すごいね」という抽象的な言い方で、もやもやした表現を使います。
褒め言葉ではありますが、曖昧です。
あなたが褒めるだけでなく、逆にあなたが褒められるときもあるでしょう。
褒めるコツがあるように、上手に褒め言葉を受け止めるコツもあります。
これこそ「ありがとう」の一言に尽きます。
本来、人間の言葉は、コミュニケーションを目的に人間がつくり出した人工的な「道具」です。
その昔、まだ「言葉」というものが存在しなかったころ、コミュニケーションは身ぶり手ぶりでした。
原人から新人類へと進化する過程で「アーアー」「ウーウー」という音を発声できるようになり、次第に喉が発達します。
褒めることは特別なことだと思っていませんか。
褒めることは習慣にしておくべきことの1つです。
褒める習慣がなくなれば、相手に元気を与えることもなく、自分も褒めてもらえなくなります。
知らない人に話しかけるときは、挨拶が王道です。
相手のことがわからないだけに不安で、どう話しかければいいのかわからないものです。
「自分が口にする言葉が、相手を傷つけるのではないか」という不安が出てくると、余計に話しかけづらくなります。
不思議なことに褒め言葉が習慣になっている人で、性格の悪い人はいません。
いつも褒めるということは、いつも人の良いところを探しているということです。
「この人は、どんなすてきなところがあるのだろう」ということを前提に、アンテナをいつもオンにしています。
いくら褒め言葉でも、正直な気持ちで心がこもっていないと、お世辞に聞こえます。
相手の良いところを見つけても、言い方がぶっきらぼうで、無表情で言っていると「本当かな?」と信じられないのです。
「心を込める」とは、大切なポイントです。
小学生のころは、好きな人に対して、ひどいことを言って侮辱します。
好きな人なのですから、本当は優しくするのが当たり前のところです。
しかし、小学生のころは、まだ照れがあったり相手から注目されたかったりという反動から、逆に相手をけなしてしまうのです。
上手な褒め言葉は、視点を変えて相手を見ないと人と違った言葉を口にすることはできません。
ほかの人が指摘しているところは、もうあなた以外の人が何度も言っていますから、繰り返しあなたが言う必要はありません。
あなたは、ほかの人が気づかないようなところを見つけ、褒めてあげる役目を果たすことです。
私はいざというときに、いつでも置き手紙ができるように常にメモ用紙を机の引き出しの中に置いてあります。
職場でも自分のデスクには小さいものではありますが、メモ用紙を欠かさず用意し、すぐ取り出せるようにしています。
その人に用事があるとき、自分が席を離れていたり、また相手が席にいなかったりすると用件が伝えられません。
新しいことを始めるときには、誰でも緊張しますし、気が進まないものです。
どんなことが起こるのか予想ができないだけに不安でなりません。
ですが、新しい自分になりたいときや殻を破りたいときには「挑戦」こそがいちばんの特効薬です。
あなたが一生懸命に努力をしたとき、その大変さはあなたにしかわかりません。
実際にほかの人が「そんなの大したことじゃないよ」と水をさしてくるかもしれませんが、気にしなくてもかまいません。
あなたのことを知らない他人が、あなたのことを偉そうに言う資格なんてないのです。
褒め言葉は、人間関係を活性化させる言葉です。
人間関係を活性化させるために、特別大きなことをする必要はありません。
相手を褒めるだけでいいのです。
褒め言葉には、相手を元気にさせる効果があります。
長所と元気が含まれた言葉だからです。
言われた側はもちろん嬉しくなりますし、喜んでくれる相手を見てこちらも嬉しくなれます。
褒め言葉を使うだけで、お互いが元気になれるのです。
私も褒め言葉は大好きです。
いろいろな人に、よく褒め言葉をかけています。
職場に限らず、友人同士、恋人同士でも、会話の要所に褒め言葉を使っています。
相手のためであり、自分のためにです。
褒め言葉のおかげで相手と仲良くなれ、自分にも元気が回り巡ってきます。
褒め言葉が、1つの「元気の出る言葉」です。
今からそんな元気の出る言葉である「褒め言葉」について、話を進めていきます。
褒め言葉とはいえ、奥が深く、そのため1冊の本が出来上がってしまいました。
「褒め言葉」を使って、あなたの人間関係も活性化していただければ、私も嬉しいです。
褒め言葉には、即効性がありますから、すぐ人間関係の向上が期待できます。
「上手に人付き合いをしたい」と思ったら、褒め言葉を使うことです。
「相手ともっと仲良くなりたい」と思ったら、褒め言葉をかけるだけで良かったのです。
褒めるときのベストタイミングは、うまくいった瞬間に褒めることです。
テストで高得点を取れたことがわかった瞬間や試合で勝った瞬間です。
まずはこれが基本になります。
「あとから褒めよう」と思っていると、後になるほど自分の気持ちが冷めていきます。
人の感情は時間がたつにつれて、そのときの熱い気持ちも薄れます。
本当はうまくいった瞬間に褒めればいいものを、1週間後になってから褒めようとしても、自分の気持ちが冷めています。
いえ、それどころか相手がそのことをもうすっかり忘れてしまっているかもしれません。
時間がたつと新鮮さが失われるのは、野菜や魚だけの話ではありません。
人間の感情や記憶も同じく、時間がたつと薄れてしまうのです。
あとからのほうが話しやすいからとチャンスを後回しにしていると、仲良くなるチャンスがどんどんと失われるのです。
私は小学校のころから、朝のニュースを見るのが好きではありませんでした。
別に、ニュースそのものが悪いわけではありません。
ただ、人の気持ちを暗くさせるようなことが、苦手でした。
当時はまだ小学生でしたから、テレビの中の世界を信じるしかない時期でした。
朝のニュースでは、暗いニュースも流れます。
「昨晩、事故があり、3名が亡くなりました」「詐欺容疑で逮捕されました」「火事があり、死者3名が出ました」などの内容です。
もちろん中には明るい話題もありますが、暗くネガティブで気分が悪くなるようなことのほうが多いものです。
特に暗い話題ほど、時間を長く取って、細かく伝えています。
早朝、私が目をこすりながらベッドから起き、食卓についてテレビを眺めていると、暗いことばかりを話してくるのです。
まだ小学生だった私は「世の中はどこもめちゃくちゃだな」と、子どもでも悲観したものです。
暗いニュースのせいで「世の中は悪い出来事ばかりが起こっている」「大人の世界は怖い」と思い、暗い表情で登校する毎日でした。
学校での話題も「事故があったらしい」「~が捕まったらしい」と暗い話題へとなるのです。
一度朝のニュースをちょっと意識して見てみましょう。
必ず明るい話題より、暗い話題のほうが圧倒しています。
あなたも朝のこうしたネガティブな情報のせいで、暗い考えや情報ばかりが頭の中に入ってきています。
特にテレビは一度スイッチを入れれば、情報が絶え間なく飛び込んできます。
私たちが選択する余地はなく、放送側が放送する内容やタイミングのすべての主導権を握っています。
私たちは、催眠術にかかったかのように、テレビから流れる情報に踊らされるしかないのです。
私は19歳のころからアメリカに留学をして、一人暮らしをするようになりました。
当時は意識的ではありませんでしたが、そのころから朝のテレビはあまり見なくなりました。
単に部屋にテレビがなかったり、テレビがついていても英語のニュースなので何を話しているのかわからなかったりしたからです。
するとそのころから不思議なことに、だんだん朝の体調が良くなり始めました。
「朝は気分が暗くなる時間」が、朝のテレビを見なくなると暗い情報が頭の中に入らず、元気を奪われずに済んだのです。
私が朝に元気がなかったのは、どうやらニュースの暗い話題のせいで元気を大量に奪われていたようです。
嘘のような本当の話ですが、そのころから朝が得意になり、風邪のような病気にもなりにくくなりました。
意識して、自分の中に入ってくる情報をコントロールしておかないと、世の中の80%はネガティブな情報ばかりです。
暗い話ばかりです。
来る者拒まずで情報を飲み込んでいれば、暗い話ばかりが飛び込んできます。
それだけで元気がなくなり、性格も悪くなり、愚痴や悪口を言うようになったりします。
意識をして自分の中に入ってくる情報を「選択」しましょう。
暗い話に耳をふさぎ、明るく元気になるような話をしないと元気でいられないのです。
自分の中に取り込む情報を、あなたの力で選択しましょう。
人間の感情は、自分ではなかなかコントロールしにくいと言われます。
内側から少しずつ湧き出てくるものですから、直接に手を加えることができません。
アクセサリーや下着、洋服なら、外側なので触れることができ変えられますが、心の中に直接手を入れることはできないのです。
では、感情をコントロールする方法はないのでしょうか。
いえ、もちろん方法はあります。
それが「話題をコントロールする」ということなのです。
話題をコントロールすることで、発生するであろう自分の感情をコントロールできます。
話題をコントロールできれば、心から湧き出てくる感情や気分、気持ちもコントロールできます。
誰かを侮辱したりうらやんだりののしったりしていると、それに伴った感情が心から湧き出てきます。
憎悪、怒り、妬み、執着、頑固さ、憎しみ。
こうした自分の身体に害になるような感情が、話せば話すほど次から次へと出てきます。
暗くネガティブな気持ちで生活をすることになります。
その反面、人のいいところを褒めたり喜んだりしていると、プラスの感情がお互いに湧き出てきます。
嬉しさ、楽しさ、喜び、元気。
こうした笑顔になるような気持ちになることができるのです。
たしかに感情そのものはコントロールすることは難しいのですが、話題をコントロールすることなら、あなたにもすぐできます。
私が朝、意識的にニュースを見ないことも、この取り組みの1つです。
暗いニュースには耳をふさぎ、自分が嫌な気持ちや気分になることを前もってコントロールしています。
友人と話すときも、悪口や陰口からは走って逃げています。
「ちょっと用事を思い出した」と言って、その場から尻込みして、逃げ去ります。
あるいは「聞いたことないですね」「知らないですね」「どうでしょうかね」と話をごまかして知らんふりをしてしまいます。
話題はできるかぎり褒め言葉へと持っていきましょう。
自分も相手も気分が良くなるようなコミュニケーションを意識的に心がけていかないと、明るい気分になれないのです。
歌手でタレントの和田アキ子さんは、料理番組で食事の感想を述べるときには「まずい」とだけは言わないようにしているそうです。
出演している料理番組の中では、当然いろいろな料理が出てきます。
しかし、せっかく心を込めてつくっていただいた料理でも、中には自分の口には合わないものもあります。
「おいしくない料理」や「まずい料理」のことです。
しかし、そこで正直に「まずい」と言っては、つくってくださった方にとても失礼です。
「まずい」とは言わず、上手に食事を褒めるコツとして「変わった味ですね」と表現を変えて感想を述べるそうです。
どんなにまずい味の料理でもただ自分の口に合わなかったと言うだけのことであって、人によっては夢中になる味かもしれません。
たまたま自分にはまずいと感じている味でも、ほかの人にとっては「おいしい」と感じることもあるでしょう。
こんなときには「変わった味ですね」と食事を褒めることがスマートな表現になります。
テレビというマスメディアは全国に流れるだけに、言葉一言に大きな重みが伴います。
せっかくの料理をけなしてしまっては、全国にそれが伝わってしまいます。
「変わった味ですね」と笑顔になって言えるところに和田さんのベテランさや優しい心が感じられるのです。
あなたは、褒めることは特別なことだと思っていませんか。
特別にすごいことや変わったことだけが、褒めるに値することだと思っていませんか。
とんでもありません。
褒めるに値することはすごいことだけでなく、日常にありふれる「当たり前のこと」に対しても褒めることができます。
もし本当に特別なことだけを褒めようとすると、日常の中で褒める回数はとても限られます。
特別なことが少ないため、褒めることも少なくなります。
しかし、当たり前のことは、常にいつでもどこでも褒めることができるようになります。
日常では褒めるべき当たり前のことが、たくさんあふれています。
これらはどれも当たり前のことですが、これらも見方によっては褒めることができるのです。
普通に遅刻せずに学校へ来ること。
→「朝眠いのに、遅刻しないってすごいね」。
宿題をきちんとやること。
→「宿題ちゃんとやってきたの。すごいね」。
忘れ物がないこと。
→「覚えがいいよね。よく忘れなかったね」。
ご飯粒を残さず食べること。
→「ご飯粒が1つも残っていない。きれいに食べているね」。
きちんと毎朝、挨拶ができる人。
→「毎朝、挨拶が元気だね」。
褒めるという守備範囲を広げましょう。
あなたが褒めることがないと思っているのは、特別な出来事だけを意識しているからです。
変わったことだけを意識せず、当たり前のことも自分の守備範囲に含めてしまうのです。
すると、生活の至る所でたくさん褒める機会が出てくるのです。
歌手でありタレントでもある堺正章さんは、言葉を褒めることが上手な方です。
ゲストで出演している人がいい言葉を言うと、すぐ褒めてしまいます。
「それ、いい言葉ですね」
「今、とてもいいこと言いましたよ」
「皆さん、聞きましたか」
境さんが言葉を強調することで、視聴者としての私たちもその言葉の重みをあらためて感じることができます。
不思議と言葉を褒める人は、感性が豊かである印象を受けます。
私たちは褒めることといえば「行動」ばかりを対象にしてしまいます。
立派な行動だけが褒めることだと思い込んでいます。
しかし、実際は、行動だけでなく、言葉に対しても褒めることができます。
気づかないようなささいな言葉まで拾って褒めてしまうのは、それだけ感性というセンサーが豊かであるということです。
「気づくセンサー」がいつもぴんと立っていますから、ささいなことも気づくことができるのです。
境さんが感性豊かに感じられるのは、みなが気づかないようなささいなことをきちんと見逃さずに拾ってくれるところなのです。
言葉まで褒めることができる人は、感性豊かな人なのです。
私は小中学校のころ「ミナタカ」というニックネームで呼ばれていました。
水口貴博(ミナクチ・タカヒロ)の始めの文字を取って「ミナタカ」と呼ばれていました。
中学生のとき、同じクラスに「ミナタカはすごい」と言っている女の子がいました。
私は小学校中学校では校内でいちばん足が速かったため、いちばんになるたびに「すごいすごい」と褒めてくれる女の子がいました。
不思議なことに何度も言われると、だんだんその子のことが好きになってくるという不思議な現象が起こりました。
特にかわいいわけでも好きでも何でもなかった普通の女の子でした。
しかし、だんだん自分のことを褒めてくれると、その子に対して印象が良くなり好きになってしまったのです。
恋愛心理学では「褒める人を好きになる」という恋の法則があります。
人間には自分のことを認めてほしいという自分に対して価値を求める欲求があります。
「自分のことを理解してほしい」
「内側までわかってほしい」
「価値のある人間だと認められたい」
こうした「認めてわかってほしい」という認知欲求があるのです。
人が誰かに恋をするのは、好きだからという理由だけでなく、自分に対して理解をしてくれている人に恋をすることもあります。
「あなたは素晴らしい、すてき」と褒められると、誰でも嬉しくなります。
ほかの人より、自分のことを理解して褒めてくれて、価値を感じさせてくれる人には好印象を持ち、もっと一緒にいたくなります。
一緒にいて楽しかったり嬉しかったりするのは、自分のことを褒めてくれ、自分の欲求を満足させてくれるからです。
恋のアタックをするときには、相手を褒めることがいちばん効果のある方法です。
私が当時、その女の子のことを好きになってしまったのもこうした理由があったからです。
褒め言葉のポイントは、完了形や進行形を使うことです。
「~した」という完了形と「~になっている」という進行形です。
「よくなったね」と言われるのも嬉しいですが「よくなっているね」と言われるのも同じくらい嬉しいものです。
「よくなったね」は、完了形です。
「以前よりよくなりました」と完了形にしているため、今の状態は以前よりとても良いことを相手に伝えることができます。
「よくなっているね」は、進行形です。
「どんどんよくなっているよ」というニュアンスを表現できていて、こちらも響きのいい褒め言葉です。
褒め言葉は、完了形と進行形の褒め言葉なら何でもOKです。
ただし、気をつけてほしいことが1つあります。
それが、過去形の褒め言葉です。
「良かったよ」というのは過去の褒め言葉です。
「あのときは、良かったよ」「昔は、よくできていた」と褒められても「じゃあ、今はダメなの?」と相手を傷つけてしまいます。
褒めようと、つい過去形にしてしまうと逆に相手を落ち込ませることになります。
必ずしも悪い意味で使っているわけではなくても、誤解されやすいので要注意です。
褒め言葉は、できるだけ完了形か進行形を使い、過去形は控えるようにすることが大切なのです。
「何がきっかけで始めるようになったんですか」
HAPPY LIFESTYLEを運営していると、この質問を本当によく聞かれます。
いちばんのきっかけになったシチュエーションを思い出そうとすると「あのときの女の子の褒め言葉」を思い出さずにはいられません。
ある人の、ある褒め言葉が、私を励ましてくれました。
昔にさかのぼって、話をします。
私は高校を卒業した19歳のころ、英語の勉強のためにアメリカにわたり、ロサンゼルスに留学しました。
まだ英語に慣れていない時期だったため、毎日がはらはらどきどきだったことを覚えています。
そのうえ、大学での授業もすべて英語です。
留学当初は語学学校に通い、そこから次に日本で言えば短大にあたる学校へ転入しました。
語学学校のころは、英語が全然わからなくても先生が助けてくれました。
しかし、さすがに普通の短大に入って勉強となると、そうはいきません。
容赦ない英語でどんどん授業が進んでいき、何をやっているのかわかりませんでした。
理解しているふり、わかっているふりで精いっぱいです。
日本人同士のコミュニティーをつくり、お互いに情報交換をしていました。
「留学生は日本人とばかりつるんでいる」という留学生を非難する声がありますが、実は私もその1人でした。
1人の力ではかなわないことがわかれば、特別な対策が必要です。
駒を1つでも前に進めるために、日本人同士で固まり情報を交換し合い、宿題やテスト対策をすることは、重要なことでした。
そんなとき、日本人とは関わらない一匹狼の女の子と出会います。
彼女は日本人の団体と交わると英語の勉強ができないとのことで、比較的いつも1人で行動をしていました。
彼女と初めて授業が一緒になったのは、人類学の授業でした。
彼女はいちばん前の席に1人で座り、私はいちばん後ろのいちばん端に座る生徒でした。
説明が理解できず、日本語で授業を受けたとしても、理解できるかわからない授業です。
そんな授業をなぜ私が選択したのかというと、テストの答案が事前に手に入ったからです。
以前に受けた日本人から答案をもらい、事前に内容を暗記しておけばテストで高得点を取れ、パスできる見込みがあったのです。
私はいちばん後ろの席に座りこそこそしていた学生でしたが、いちばん前の席にいつも1人で座る日本人女性がいました。
「新居宏子」という、私と同じ年の人でした。
いつも1人で座っていて、どうやら彼女は答案の存在を知らない様子です。
そこで私から話しかけ「答案あるけど、いる?」と話しかけたわけです。
日本語で話されても内容がよくわからない授業に苦しんでいた彼女もさすがに喜んでいました。
それがきっかけで毎週2回ある授業でいつも顔を合わせるようになり、だんだん仲良くなっていきました。
話をしていくと、なんと彼女の住んでいるアパートは、私の家から歩いて10分のところです。
家も近いこともあり、たまに遊びに行ったり、逆に来たりするようになりました。
どんどん仲良くなると、彼女が私についていろいろと気づいたことを言ってくるようになったのです。
当時から私は、哲学的なことを考えていました。
いえ、気づけば小学校のころからずっと考えていたと思います。
「なぜ人間は生まれてきたんだろうか。何のために生きているのだろうか」と子どものころから哲学的なことを考えていました。
いえむしろ、そんなことばかり考えていました。
彼女と仲良くなり、そんな話もするようになると「同じ年なのに、そこまで考えているなんて素晴らしい」と褒めるのです。
私には物心がついたころから、当たり前のようにずっと考え続けてきていることですから、特別なことでも何でもありません。
人付き合いや恋愛について経験をしてきた分、自分の中で「公式のようなもの(知恵)」が出来上がっていたのです。
仲が良くなり、次々と話していくと「なぜそんなこと考えているの。難しいけどわかりやすい」と褒めてくれたのです。
今思えばそのころから私は「自分が考えていることは、実はみんなは考えていない」ということに気づき始めました。
なにせ私はずっと当たり前のように考えていることだったため、みんなも同じように考えているものだと思っていたのです。
「タカって、本を書きそうだね」
この一言が、HAPPY LIFESTYLEの誕生のきっかけになる一言です。
はじめこの一言を聞いたとき「そんなことあるわけないよ」とまったく本気にせず、普通に笑い流していました。
本当にまったく気にしていませんでした。
単純にいい笑い話としか考えていなくて、本気にはしていませんでした。
しかし、彼女は会うたびに、私がする哲学的な話を褒めてくれます。
そんなことを何度も繰り返されると、これがだんだん私に暗示をかけはじめたのです。
繰り返し褒めるということは、だんだん暗示をかけるような不思議な力があります。
「それなら試しに1つ書いてみようかな」
そう思い始め、目の前にあるパソコンで10分くらいでまず1つ書いてみました。
最初の記事は、手紙のような気持ちで、私を励ましてくれたヒロちゃん宛てに書いたものです。
彼女と仲良くなりたくさん話していくと、相談ごとや悩みを打ち明けてくれ始めました。
そのうち「何か力になることはないだろうか」と、自分の持っている知恵を文章にしてみたのです。
それがHAPPY LIFESTYLEの最初の記事です。
1つ記事を書くとそれで勢いがつき、まず1冊を仕上げてみます。
「幸せになるための50の方法」というタイトルで出来上がり、知り合いの日本人や仲良くなった女の子にも読んでもらいました。
すると私が思っていた以上に好評で、なかには「早く次が読みたい」と言ってくれる人もいました。
実際の本人であるヒロちゃんに見せて読んでもらうと……、泣いてくれました。
「そこまで喜んでくれると嬉しいな。もう少し書いてみようかな」
本当に嬉しくて、素直にそう思いました。
それからというもの、今までため込んでいたことを吐き出すかのように、次から次へと書いていました。
今までずっと誰にも話さずため込んでいた分、吐き出すときには洪水のように出てきました。
小さいころから考えていることですから、特に苦はなく、誰かの役に立つためならばと一生懸命に書いてきたのです。
幸いにも、幼いころから書くことが得意でした。
また、わかりやすく説明することも得意だったため、記事を書くために苦労はありませんでした。
次から次へと、本番で書きつづりました。
初めはプリンターを使って印刷をしていました。
しかし、次第に規模が大きくなると、紙に印刷する作業が手間になってきました。
そこで得意だったパソコンの知識を使い、ウェブサイトをつくって、インターネット上に公開し始めました。
24時間いつでも見てもらえるし、より多くの人の役に立てると思ったからです。
それがもう何年も続き、作品も増え続け、今のHAPPY LIFESTYLEがあるわけです。
私は、初めからこういうことをやろうと思っていたわけではありません。
ある女の子の、ある褒め言葉がきっかけで、ある日、人生が変わってしまいました。
褒め言葉には、人生を変える力があります。
「今思えば、あのときが人生の大きな転機だったな」と痛感します。
今、人と接するときは、できるかぎり褒めるようにしています。
私がそうであったように、ほかの人の背中も押してあげて、人生を変えるお手伝いをしたい気持ちがあるからです。
子どもの教育には、褒めることが良いことだとされています。
勉強ができないところを叱るより、できるところを褒めたほうが、勉強が好きになり、ほかの科目へも良い影響が波及します。
誰でも叱られると落ち込んだり、やる気をなくしたり、自信を失ったりします。
叱る側としては「もっときちんとしてもらうために叱る」と思い、大声で怒鳴ります。
しかし、叱られる本人にしてみればこれは逆効果になっているのです。
叱る側はこの逆作用にまったく気づいていない人が本当に多い。
ストレスを感じ、プレッシャーでぎゅうぎゅう詰めになった心は、精神的な余裕がありません。
「こんなつらい思いをする勉強はもう嫌だ。勉強なんて嫌いだ!」と思うようになり、どんどん勉強から遠ざかってしまうのです。
勉強はもっと自由に気楽に楽しくやるものです。
にもかかわらず強制させてしまうと、勉強が楽しくなくなり、そのうえ成績も下がってしまうのです。
本当に人に影響を与える言葉は、叱り言葉ではありません。
褒め言葉です。
褒めることで、励ましたり楽しさに気づかせたりして、勉強をもっと好きになってもらうことがポイントです。
点数が悪いときに、悪いところだけを見るのではなく、できたところを見るようにしましょう。
「できた!」という喜びが、できないところもできるように勉強しようという意欲につながるのです。
自分の口から直接に褒め言葉を伝えていくことも大切ですが、第三者に手伝ってもらう方法はもっと効き目があります。
自分が直接褒めるのではなく、ほかの誰かに代わりに伝えてもらうと、嬉しさが倍増する効果があるのです。
「○○さんが、あなたはいつも一生懸命ですごいって褒めていたよ」
こう言われると、いつも以上に喜びを感じます。
悪口に限っては陰でこそこそ言ってはいけませんが、褒め言葉に関してだけは陰でこそこそしてもかまいません。
褒め言葉だけは、陰で言いふらしてもかまいません。
陰でこそこそ言えば言うほど、聞いた人はさらにほかの誰かにも伝えたくなり、どんどんと広がります。
本人に伝わったときの喜びは、2倍にも3倍にもなります。
陰でこそこそしていると、その言葉の強さはどんどん大きくなります。
こそこそと話しているがゆえに「ここだけの話」という意味合いが強くなり、言葉の重みが増してくるのです。
悪口でも褒め言葉でも同じです。
悪口を陰でこそこそ言っていると、その言葉の重みはさらに増していくので決してしてはいけません。
とげとげしさが2倍にも3倍にも鋭くなり、本人に伝わったときに不愉快な気分にさせてしまうからです。
しかし、褒め言葉は、陰でこそこそすればするほど、みんなに知ってもらえます。
本人の良い印象が大きくなるのです。
褒め言葉は、陰でこそこそしてみんなに知ってもらうべきなのです。
「褒める」と「おだてる」は、話の中身はそっくりです。
しかし、実際は、相手に与える印象は大きく変わってきます。
似たような表現ですが、実はまったく別物であることを知っておきましょう。
「褒め言葉」と「おだて」のいちばんの違いは、口にしている本人の気持ちに嘘があるかどうかです。
「おだてる」というのは、相手の機嫌を取ったり、歯の浮くようなお世辞を言ったりすることを差します。
ここでの「おだて」とは、ほとんどの場合が嘘であることが前提です。
言葉の内容が本当のことでも、気持ちに嘘があり、相手の機嫌を取るために言っているだけです。
相手の機嫌を取るために言っていることですから、気持ちが伴っておらず、嘘の内容がほとんどです。
その一方で「褒める」ということは、相手が自分で気づかない長所や魅力を発掘し、相手に伝えてあげるということです。
ここでの褒め言葉に偽りはなく、魅力的だと思うチャームポイントやすごいなと思う長所を相手に惜しみなく伝えることを言います。
よくお世辞を言う人がいますが、嘘の気持ちで言っているということであり、お世辞を言えば言うほど本人の信用がなくなります。
不思議なことに本気で言っている言葉が、褒め言葉なのかそれともお世辞なのかは、相手にははっきりわかるものです。
話しているときの表情に表れたり、言葉のイントネーションに表れたりするからです。
心の気持ちに嘘があると、必ず表情や言葉のニュアンスやイントネーションに表れてきます。
あなたが人を褒めようとするときは、心から本当に思っている真実を伝えるようにしましょう。
心なしにいいことを言って機嫌をとろうとしても、逆効果です。
相手の機嫌を取って、自分の印象をよくもってもらおうとすると、相手に伝わりあなたはお世辞のうまい人と思われます。
相手が自分でも気づかないチャームポイントをあなたが発見して、それを伝えればいいことなのです。
気持ちに嘘があって口にしている褒め言葉は、褒め言葉ではなく、実は単なるお世辞だったのです。
私はときどきお客さまに「たくさんの言葉をありがとうございます」という感謝のお便りをいただくことがあります。
これはこれでとても嬉しいものです。
自分の書いた文章がどこかの誰かの役に立っているということに、私はとても嬉しく思います。
その一方で「読んでいて感動しました。元気になりました」という「喜び」を伝えてくれるほうがさらに嬉しく感じます。
「感謝」より「喜び」のほうが、より大きな「感動」が含まれているからです。
「人の心を動かす」ということは、簡単そうでなかなか難しいものです。
お世話をして感謝をすることなら人の手によって簡単にできてしまいます。
しかし、人の心だけは直接に触れることも触ることもできません。
そんな心を動かすことができたというときは、いつも以上に私も感動し喜びがあるのです。
私は今、単に感謝されることから、さらにその1歩先へ進んだ「人に感動を与える文章」を目指しています。
単に説明書のような無味乾燥のような話だけは避けたい。
たとえばパソコンの説明書は、書いている内容はたしかに正しいのですが、読んでいても面白くないし感動もありません。
正しいことは正しいけれど、感動がないので心に残りません。
同じ説明書でも、中には本人の実体験が盛り込まれ、失敗談を通した説明で人の心に訴えかけていきたいのです。
「これは大変だ!」と驚きを感じたり「へえ」という感動があったり、涙が自然と出てくる文章が人の心に残っていくのです。
叱るときにはみんなの前でしてはいけませんが、褒めるときにはみんなの前で話しましょう。
大勢の人がいるとそれだけ人目が多いため、叱られているときの恥ずかしさは何倍にも大きくなります。
本人の心にも傷がつき、叱られるという精神的ダメージに、恥ずかしいというダメージが加わり、気分が落ち込んでしまいます。
大勢の前では何でもいけないのかというと、そうではありません。
褒めるときに限っては、大勢の前のほうがいいことを知っておきましょう。
1人より10人の前、10人より100人の前で褒めてあげたほうが、人目が多いだけに嬉しさが大きく感じられます。
優秀なリーダーほど、部下を褒めるときにはみんなの前で褒めたたえます。
みんなの前である分、気分が良くなるからです。
ですが、叱るときには2人きりになってしなければいけません。
みんなの前で叱ると、その人のプライドが傷ついてしまい、ひどく落ち込ませてしまうからです。
人の心を大切にしながら指導するときは、2人になるときと大勢の前になるときのシチュエーションを使い分ける必要があります。
そのときの人目の多さを意識しておかないと、相手の気持ちがダメになってしまうのです。
良い人生を送るためには、人間関係が重要です。
自分にとって居心地の良い人間関係が築きあげられている人は、いろいろな幸せを感じる機会があります。
寂しさは半減し、楽しいことは倍増し、困ったときは助けてもらえます。
嬉しさや喜びを共有できる仲間がいると、それだけで幸せを感じます。
「人は1人では生きていけない」と言いますが、自分にとって心地よい人間関係の中であることが前提です。
自分が不快と感じる人間関係の中では、いくら人がいてもつらい毎日になってしまいとてもやっていけません。
たとえば、虐待をする親に育てられている子どもには、毎日の生活はまさに地獄のようになります。
自分を傷つける人がいるなら、逃げ出したくなります。
はたまた毎日いじめられていれば、学校へ登校するのもおっくうになります。
自分からアリ地獄の中に突きすすんでいるようなものです。
こんな人間関係なんてまっぴらです。
ただ人がいればいいわけではなく、自分にとって居心地のいい人間関係があることが前提なのです。
つらい人間関係の中で生まれる学びもありますが、一時的なことであって、ずっと続くとなると大変です。
地獄のおりの中から抜け出せず、もがきあがくばかりの人生になってしまうのです。
だからこそやはり自分と付き合う人は、慎重に選ばなければなりません。
どんな人と付き合えばいちばん自分にとって良いのかというと「褒めてくれる人」です。
一般的に言うと、褒める習慣を持っている人は前向きで性格が明るい人です。
いつも明るいことを考えていますから、人の悪いところよりいいところを見つけることができるのです。
そんな褒める人と付き合っていると、あなたの良いところを見つけてくれて褒めてくれます。
自分でも気づかなかったいいところを教えてくれたり、やる気や元気をもらったりできます。
すると、つられて自分の能力も上がります。
ピアノが上手だねと褒められれば嬉しくなり、ピアノをもっとうまくひけるようになろうと努力するようになります。
人と話すのが上手だねと言われれば、もっと期待に応えたいなと、さらに上手に話せるようにと考えるようになります。
私も「文章が上手」と言われて、文章の能力が上がった1人です。
親しい友人に褒めるのが上手な人がいて、たくさんの行動を促してくれました。
ただ褒めてくれる人と付き合っていただけですが「もっと期待に応えたい」という気持ちが強くなりました。
そしてさらに文章力を上げる努力をしたのです。
私は友人からの影響を大きく受けて、今の自分が存在しています。
それほどまでに、どんな友人と付き合うのかは重要だということです。
自分にとって良い影響のある人と悪い影響のある人を、選んで付き合うことは、自分のコントロールすることでもあるのです。
大人たちは「居心地のいい人間関係では進歩しない。もっと苦労しろ」と言って、つらい人間関係の中にいることを薦めます。
たいていそういうことを言う大人に限って幸せそうではありません。
眉間にしわを寄せて、不機嫌な表情をしています。
若いころにつらい人間関係で苦労したからと、自分の部下にも同じような苦しみを味わわせたいだけです。
それは、単なる個人的な恨みです。
自分が苦しんで這い上がってきたからとはいえ、後に続く人間にも同じ苦しみを味わわせたいと悔しくてたまらないのです。
そんな人の言うことは聞かなくてかまいません。
言うことを聞いていると自分まで同じようなつらい人生を歩むことになり、その人と同じような性格になります。
そんな人の言うとおりにつらい人間関係の中に本当に浸っていると、幸せのかけらも感じられないのです。
不幸そうな人(あるいは本当に不幸になっている人)の言うことを聞いてはいけません。
往々にして不幸そうな人の言うことは、不幸になるための助言になっています。
ただ唯一、言っていることを参考にするとすれば、言っているとおりにしないことです。
言っているとおりのことを本人がしてきたから、そんなにつらいばかりの人生を歩んできてしまったのです。
少なくとも言っているとおりにしなければ、不幸ではない道には歩めます。
不幸になっている人は幸せになれなかった人ですから、幸せになる方法など知っているわけがないのです。
方法をどうすればいいのかわからないため、どうすればいいのかわかるわけがありません。
にもかかわらず「我慢をしろ」「最初からやれ」「這い上がれ」「もっと苦しめ」など、効率の悪い根性論を押し付けます。
幸せになるための基本は、実際に幸せになっている人から話を聞くことです。
不幸な人が言っている幸せ論を信じて本当にそのとおりにしてしまうと、自分も同じく不幸へと道連れにされてしまうのです。
私は情報を仕入れるとき、本屋にある本から情報を収集することにしています。
できるかぎり笑顔になっている著者、元気のある作者を選んで本を買うようにしています。
本を書いている人は一生懸命に勉強した人であって、その結果お金持ちになったり、幸せになれたりした人です。
そういう人たちの書いた本を読んでいると、参考になります。
その一方で、飲み屋で酔ったおじさんが怒鳴り散らしているお説教は聞かないことにしています。
勉強しなかったからお酒に頼ることになり、ストレスを愚痴でぶつける人の言うことは参考にならないのです。
「おや。この人は違う」
褒め方1ついってもいろいろありますが、ひときわきらりと光る存在感を醸し出す上手な褒め方があります。
褒める方法1つで、あなたが普通の人とは違う知性を持った人だと感じてくれるようになります。
その方法とは「誰もが褒めることを褒めず、誰もが褒めないところを褒める」ということです。
誰もが褒めるようなことを褒めると「あなたもみんなと同じね」と思われます。
「みんなと同じところを見ている。みんなと同じような人」と感じています。
時には「また言われた……」と、相手に不快感を与えることになるでしょう。
みんなが言っていることを、あえてあなたが繰り返す必要はありません。
かわいい女の子は、かわいいねと耳にタコができるほどいわれていますし、美人な女性はきれいだねと何度も褒められています。
それをわざわざあなたが繰り返す必要はありません。
あなたはみんなが言わないようなことを言えばいいのです。
誰も気づかないような魅力や長所を見つけ出し、人とは違ったことを言うことで相手に存在感を抱いてもらうのです。
褒めるときには、誰もが見ていないところを見たり、気づかないところに気づいたりすることがポイントです。
人と違った視点から物事を考えることができると、人と違った褒め方ができるようになります。
あなたは、かわいい人に「かわいいね」と言ってはいけません。
かわいい以外の褒めるべきポイントを探し出し、相手に教えてあげることです。
またきれいな人に「きれいですね」と言ってもいけません。
あなたが今さら言わなくてももう星の数ほどいろいろな人たちに言われ続けてきているのです。
むしろ誰も見ないし気づかないところをあえて探し出すほうがいい。
たとえば「足の爪」です。
褒めることが下手な男たちは、すぐ「足がきれいだね」「足が細いね」と誰もが言うことを繰り返してまた言います。
しかし、足の爪までを見ている人はなかなかいません。
男性には、ふとももばかりに目がいき、足の爪まで見ている余裕がないのです。
女性には足の爪も重要で、ペディキュアをしたり爪やすりで手入れをしたりしています。
そんな努力をしているのに誰も褒めてくれないポイントを見つけて言いましょう。
「この人は私を見てくれている」「この人なら私を理解してくれる」とアピールできるのです。
褒めることは、自分の知性を表現する1つのアピールの方法なのです。
褒めるのが下手な人は「抽象的」に褒めています。
「かわいいね」「きれいだね」「上手だね」「すごいね」という抽象的な言い方で、もやもやした表現を使います。
褒め言葉ではありますが、曖昧です。
言われた側は「どこがすごいの?」「どこがきれいなの?」「もっとはっきり言ってよ」と思っています。
曖昧に濁して適当に褒めているということは、真剣に相手のことを見ていないことであり、抽象的に伝わってしまいます。
「そのくらいいいじゃないか」と思っていませんか。
抽象的に褒めるくらいなら、誰にでもできます。
手当たりしだいに「すごいね」「かわいいね」「かっこいいね」と、とりあえず言えばいいだけです。
あなたがほかの人より前進するためにも、この殻を破ってほしい。
面倒なことと思われるかもしれませんが、褒めるときには常に真剣になりましょう。
全体的な一般論より、個人のキャラクターに的を絞った言い方でないと、相手の心には響いてくれないのです。
褒め方を「抽象的」から「具体的」へと変えるだけでかまいません。
今まで「きれいだね」ともやもや褒めていたのを「耳たぶがきれいだね」と具体的な表現にして変えればいいのです。
「上手だね」という言い方を「塩加減が合っているよ。料理をつくるの上手だね」と何が上手なのかをはっきりさせることです。
「すごいね」と誰もが口にする表現を「難しい漢字を知っていてすごいね」と余分に褒め言葉を付け加えるだけでかまいません。
ちょっと余分に付け加える褒め言葉が、具体性を生み、何がすごいのかという焦点を絞れます。
焦点は絞って1つにしたほうが、聞く側に感動を伝えるのです。
あなたが褒めるだけでなく、逆にあなたが褒められるときもあるでしょう。
褒めるコツがあるように、上手に褒め言葉を受け止めるコツもあります。
これこそ「ありがとう」の一言に尽きます。
素直に相手の褒め言葉を受け止め「ありがとう」と言って感謝をすることです。
せっかく褒めてくれているのに、ときどきそれを否定する人がいます。
謙遜が行きすぎて、せっかくの褒め言葉も流してしまっている人です。
「いえいえ、そんなことないですよ」
「私のことを勘違いしているだけだよ」
「何を言っているの」
素直に褒められることが苦手でせっかく相手が褒めてくれても、うまくかわしたり否定したりします。
特に日本人は、謙遜することが得意です。
しかし、得意になりすぎて、せっかく相手が快く褒めてくれる言葉をごみ箱へぽいと捨ててしまっています。
ここで話を折ってしまっては、次の話へつながらず、それどころか話のテンションが下がってしまいます。
言っている側は、あなたのためにと思いせっかく伝えてくれているのですから、その優しさには答えましょう。
相手はあなたのことを見てくれていて、せっかく褒め言葉をかけてくれたと言うのにそれを捨ててしまっては相手に失礼です。
相手の褒め言葉は素直になって受け止め、素直に喜んだほうがいいのです。
そのほうが話のテンションが上がり、相手も嬉しいし自分も喜べます。
素直でないとコミュニケーションもうまくいかないのです。
本来、人間の言葉は、コミュニケーションを目的に人間がつくり出した人工的な「道具」です。
その昔、まだ「言葉」というものが存在しなかったころ、コミュニケーションは身ぶり手ぶりでした。
原人から新人類へと進化する過程で「アーアー」「ウーウー」という音を発声できるようになり、次第に喉が発達します。
すると今まで出せなかった音が出せるようになり、出せる音の数も増えていきました。
「アーアー」「ウーウー」では2種類の音ですが「あいうえおかきくけこ……」など、いろいろな音が発声できるようになりました。
その音の組み合わせが、今の言葉の原点になっているのです。
「あめ」という音を組み合わせれば「雨」を意味したり「そら」という音を組み合わせれば「空」を意味したりするようになります。
音と音で組み合わさった単語が、さらに文章となり「空から雨が降ってきた」といったより正確な表現ができるようになったのです。
このおかげで人とのコミュニケーションが、より早くより正確に行われるようになったのです。
初めから言葉が存在していたわけではなく、人間がコミュニケーションのために「人工的」につくり出したものなのです。
なんと素晴らしい道具なのでしょう。
私たちは、数千年にわたって人類が築きあげてきた知性の塊である「言葉」を習得し、自由自在に操っているのです。
言葉が存在することは、作った誰かがいるということです。
それはご先祖様であり、さらにまたご先祖様であり、そのまたといった人たち(人類)がつくり上げた「知性の結晶」です。
私は、執筆という仕事柄、よく漢字や表現について調べたりします。
そうすると、たとえ漢字1つでも、意味もなく漢字ができたのではなく、しっかり一つひとつに歴史や由来があることがわかります。
「豚に真珠」や「サルも木から落ちる」ということわざ、格言、表現でも、その由来や歴史がしっかりあります。
ある日ぱっと「言葉」というものが生まれたのではなく、数多くの歴史が背景にあるわけです。
漢字の歴史や表現が生まれた由来など調べてわかると「よくできているな」と感心します。
普段何気なく口にしている言葉一つひとつに、それぞれ大きな歴史と生まれた由来があるのです。
そんな言葉たちを今このように無償で自由に使えることを「とても贅沢だな」と、つくづく心からそう思います。
私は言葉を使って自分の考えを表現していますが、これを仕事だと思ったことはなく、常に贅沢な「遊び」と感じているのです。
褒めることは特別なことだと思っていませんか。
褒めることは習慣にしておくべきことの1つです。
褒める習慣がなくなれば、相手に元気を与えることもなく、自分も褒めてもらえなくなります。
褒めてくれる人を褒めたくなり、褒める習慣があると相手のいいところばかりを注目して見ることができるようになります。
褒め言葉をあなたの習慣にしてしまいましょう。
1日1回は誰かを褒める習慣を身につけておけば、毎日誰かに元気をプレゼントでき、また周りの人は快くしてくれます。
褒める人は、人とは違ったきらりと光る存在感を醸し出せる作用があります。
私の友人に褒め上手な人がいます。
出会う人がいるたびに「あの人はここがすごいんだよ」「とても誠実な人だよ」と褒めるところを見つけて、私に報告をします。
「すごいすごい」と言われている人より、すごいと言って褒めている人のほうがすごいなと感じます。
人のいいところを見つけることができるという、良い感性を持っていることが感じられるからです。
いつも褒めることが習慣になっていますから、人と出会ったときには短所より長所を先に見つけることが癖になっているのです。
褒めることが習慣になると、人間関係だけでなく、あなたの性格が良くなります。
「明るくなりたい」「性格が良くなりたい」と悩む人がいますが、そういう人はまず褒める癖を習慣にすればいいのです。
褒めようという意識をあえて持つことで、人間に対する接し方や見方が変わるのです。
知らない人に話しかけるときは、挨拶が王道です。
相手のことがわからないだけに不安で、どう話しかければいいのかわからないものです。
「自分が口にする言葉が、相手を傷つけるのではないか」という不安が出てくると、余計に話しかけづらくなります。
しかし、相手に元気になってもらえる言葉なら、一転して話しやすくなります。
そこでちょっと視点を変えて、褒め言葉から入る方法もあります。
「いつも顔は合わせるけれど話しかけたことがない」ときには、相手の長所を見つけて、褒め言葉を添えて話しかければいいのです。
「いつも朝が早いですね」
「いつもお元気ですね」
「いつもいい笑顔ですね」
個人に向けた褒め言葉は、必ず反応してくれます。
みんなに向けた抽象的ではなく、個人に対して褒め言葉が飛んでくるとどうにも無視することはできません。
うまく褒め言葉から話を始めることで、良いスタートを切れます。
気持ちのいい言葉を使っているので相手の機嫌もよくなり、会話が暗くなることはありません。
むしろ「私のことを見てくれているんだ」という意外な印象を与えることができ、あなたの印象が上がります。
挨拶の変わりに褒め言葉を言う習慣を持てば、1日1回の褒め言葉は簡単に達成されます。
「おはようございます」という挨拶を「今日も元気そうですね」という言葉に変えるだけでかまいません。
褒め言葉を挨拶に変えると、いつもの挨拶に元気を添えることができるようになるのです。
不思議なことに褒め言葉が習慣になっている人で、性格の悪い人はいません。
いつも褒めるということは、いつも人の良いところを探しているということです。
「この人は、どんなすてきなところがあるのだろう」ということを前提に、アンテナをいつもオンにしています。
ですから、人と話せば話すほど相手の長所が見えてくるのです。
人に対して前向きに接しているということです。
性格の良いところを探している人は、性格のいい人なのです。
それに対して性格の悪い人は、決まって陰口を叩いたり、悪口を言いふらしたりしています。
自分の性格という内面が悪いから、内から外へと出てくる言葉も悪い表現だらけなのです。
人の性格を見分けるポイントは、口から出てくる言葉です。
口から発せられる言葉に、妬み、恨み、悪口、妬み、陰口など「悪」が付いている人は、性格も悪い人です。
しかし、褒め言葉が言える人は、人に対して前向きに接している証拠です。
性格がいいということなのです。
私は今、悪口を言う人とは意識的に付き合わないようにしています。
意識的に付き合わないように心がけることで、非難する言葉が自分の中に入ることが少なくなり、自分の心も乱されずにすみます。
誰かを侮辱したり悪口を言ったりしか楽しみがない人とは、一緒にいると、こちらまで険悪な雰囲気が移ります。
良い影響は移してもらいたいなと思いますが、悪い影響は受けたくないのです。
いくら褒め言葉でも、正直な気持ちで心がこもっていないと、お世辞に聞こえます。
相手の良いところを見つけても、言い方がぶっきらぼうで、無表情で言っていると「本当かな?」と信じられないのです。
「心を込める」とは、大切なポイントです。
褒め言葉に嘘はつけません。
「今までこんなの見たことないよ」と本心でないことを言われても嬉しくなく、逆にぎくしゃくしてしまいます。
「すごすぎて変になりそう……」なんておかしな表現をしてもらっても、どう返事をすればいいのかわからず困ってしまいます。
褒め言葉に嘘が混じると、その時点でアウトです。
本心だからこそ、言葉に気持ちを込めることができます。
小学生のころは、好きな人に対して、ひどいことを言って侮辱します。
好きな人なのですから、本当は優しくするのが当たり前のところです。
しかし、小学生のころは、まだ照れがあったり相手から注目されたかったりという反動から、逆に相手をけなしてしまうのです。
あなたも小学生のころ、好きな人ほど侮辱することで気を向かせようとしたことはありませんか。
私も小学生のころは、好きな女の子ほど「ばか、あほ、間抜け」と悪口を言って、よく口げんかをしていました。
自分に振り向いてもらいたいという反動です。
本当はけんかをしたかったわけではなく、相手と接触する回数を少しでも増やし、自分に注目してもらいたかったのです。
自分でも恥ずかしい話ですが、好きな人ほどよくけんかをして揉めていたわけです。
これがまだ小学生の話ならわかりますが、大人になってからもあいかわらず好きな人ほど冷たくしている人がいます。
素直に「きれいだね」と言えばいいものを「変な化粧して」と相手を怒らせることで気を向けさせ、下手な口説き方をしています。
照れがあっても、けなすことは子どものすることであって、大人のすることではありません。
大人ほど、素直にストレートに相手に気持ちを伝えることです。
変な表現を使って遠回しに伝えようとすると誤解されてしまい、誤解されたままそういう人間だと思われます。
好きになってもらうどころか本当に嫌われてしまうのです。
上手な褒め言葉は、視点を変えて相手を見ないと人と違った言葉を口にすることはできません。
ほかの人が指摘しているところは、もうあなた以外の人が何度も言っていますから、繰り返しあなたが言う必要はありません。
あなたは、ほかの人が気づかないようなところを見つけ、褒めてあげる役目を果たすことです。
「じゃあ、どういうことがほかの人が言わないことなのか」と思われることでしょう。
その最も代表的なことが、相手の「欠点」です。
私はいつも相手が悪いことだと思い込んでいる欠点を、褒めるようにしています。
相手の欠点は、周りから見ても指摘ができず、本人も自分の悪いところだと思い込んでいます。
しかし、実際は悪いと思い込んでいるだけの話であって、考え方1つでコロリと褒めるべき点へと変わってしまいます。
私の友人で身長が低い女の子がいます。
147センチという身長で、一般的に同じ女性の中でも一回り身長が低い人です。
本人は、自分の身長が低いことをとても気にしているようです。
「身長が低いから足が太く見える」
「洋服を買いに行っても、好みの服がない」
「満員電車の中では、溺れそうになる」
そう、彼女は言います。
身長が低い人には、その人なりの苦労があるようです。
コンプレックスは同情が先に出てしまいそうですが、そのコンプレックスが長所になるのではないかと考えることがポイントです。
悪いと思われる部分を、うまくひっくり返せばいいだけです。
「小さいから、かくれんぼのときに有利だ」
「小さい人のほうが、かわいがってもらいやすいね」
「乗馬や器械体操は、低い身長のほうが有利だよ」
低いからこそ輝く魅力を前に出していけば、褒め言葉へと変えることができます。
誰にも言われたことがないため、こういうことを言うと本人はたいてい驚きます。
「言われてみればそうだね」と思ってくれれば、コンプレックスも貴重な褒め言葉になります。
私はいざというときに、いつでも置き手紙ができるように常にメモ用紙を机の引き出しの中に置いてあります。
職場でも自分のデスクには小さいものではありますが、メモ用紙を欠かさず用意し、すぐ取り出せるようにしています。
その人に用事があるとき、自分が席を離れていたり、また相手が席にいなかったりすると用件が伝えられません。
こういうときには、メモ用紙に簡単にメッセージをつづります。
置き手紙のようにメッセージを残しておくと、うまくやりとりをつなげることができます。
みんなが携帯を持ってメールが当たり前になっている今、あえてメールを使わないことがポイントです。
メールを使っては、それこそ「ほかの人と同じ」になってしまうのです。
紙に手書きすることで、ほかの人と違う手段でメッセージを伝えることができ、違う印象を持ってもらえることができます。
褒め言葉にしても感謝にしても、同じです。
メールで「ありがとう」と送ればすぐ終わってしまいますが、小さなメモ用紙に「ありがとう」と書くほうが人間性を感じます。
「とても上手にできていたよ」という褒め言葉も、メールで読む印象と、手紙で見る印象は全然違うのです。
みんなと同じことをしないことが、みんなとは違った人になるコツなのです。
新しいことを始めるときには、誰でも緊張しますし、気が進まないものです。
どんなことが起こるのか予想ができないだけに不安でなりません。
ですが、新しい自分になりたいときや殻を破りたいときには「挑戦」こそがいちばんの特効薬です。
挑戦をするとは変化をするということです。
新しいことを始めるときには、今までにない変化が伴うことであり、大きな前進になるのです。
たとえば海外旅行です。
国内旅行とは違い、海外旅行は大きな不安が伴います。
自分の国を離れ、異国の地を旅行するためには、それなりの勇敢さが必要です。
これはまさに「新しいことへの挑戦」を意味します。
今まで行ったこともない土地に足を運び、今まで食べたこともないような料理を食べると、初めはびっくりします。
「この味は何だろう」
「ここの人たちは不思議だな」
「こういう文化もあるのか!」
今までにないだけに新鮮に感じます。
自分の中に今までにない異物が入ってくるので最初はびっくりしますが、それこそ「成長」というものです。
挑戦とは新しい要素を自分の中に取り入れるということです。
海外旅行をすると自分の視野が広がり人として成長ができるのは、新しい要素が自分の中に入り、その結果成長できるからです。
成長とはただ1つだけの「色」で染まることではなく、たくさんの「色」を知り、染まることを言います。
いろいろな人に会うたびに成長ができるのは、それだけいろいろな「色」に触れることができるからです。
今まで触れたこともない文化に触れて視野が広がるのは、自分の中に新しい色が1つ取り込まれたからです。
挑戦をするということは、新しい色を自分の中にどんどん取り入れて器を大きくしていくことを指すのです。
あなたが新しいことに挑戦をしたときには、ぜひ自分で自分を褒めましょう。
自分の中にはない異物に対して、積極的に取り込みに立ち向かったと言うことです。
失敗か成功かは後の話で、まずは新しい色を自分の中に取り込もうという意気込みがあるだけで、自分で自分を褒めていいのです。
あなたが一生懸命に努力をしたとき、その大変さはあなたにしかわかりません。
実際にほかの人が「そんなの大したことじゃないよ」と水をさしてくるかもしれませんが、気にしなくてもかまいません。
あなたのことを知らない他人が、あなたのことを偉そうに言う資格なんてないのです。
一生懸命に努力をして頑張ったと心から感じていれば、堂々と自分で自分を褒めてあげましょう。
ほかの人はあなたのことを知らないので、褒めてくれません。
自分の努力は、自分がいちばんよく知っています。
「褒めてよ。もっと私のことを見てよ」と言いたい気持ちもあるでしょう。
しかし、そもそもあなたと他人は、別々の個人です。
どんなに身近な人でも、自分ほど自分のことをよく知っている人はいないのです。
あなたが感じていることは、自分がいちばんよく理解しています。
どれだけ必死になり汗を流して努力をしたのかは、見ている他人より実際の本人のほうがよく知っているのです。
あなたのことをいちばん褒めてあげないといけない人物は、親でも先生でも友人でもありません。
あなたです。
もっと自分に優しくなりましょう。
自分で自分を褒めることは、悪いことだと思っていませんか。
自分ほど自分をよく理解している人が、ほかにどこにいるのでしょうか。
最高のパートナーこそ、自分です。
自分で自分を褒めることは、悪いことではないのです。