「なんだかぱっとしない」
「このままでいいのだろうか」
「なんだか生きていてもつまらない」
あなたが今、もやもやした気持ちでいるなら、まずプラス思考になっていないかチェックしましょう。
「ほらほら、きた。プラス思考になれと言いたいんだろう」
そう言いたいのでしょうが、違います。
プラス思考になる必要はありません。
「よし! プラス思考だ!」と思い込もうとしている時点で、そもそもの自分の気持ちに反しています。
本当のプラス思考は、思い込むことではなく、そうとしか思えない現実に気づくことです。
私がまだ小学生だったころ、親は特に厳しかったことを覚えています。
今も厳しいのですが、特に小学生のころの勉強やしつけは重要だと考えていたのでしょう。
あのころの親は、鬼のように思えました。
もともとある輝く心を曇らせているいちばんの原因は「妄想」です。
人間は、過去や未来をわざわざ「妄想」を働かせることで、悩むのです。
「ああ。今日から学校だ。つらいな」
悪口を言う人は、自分が損をしていることに気づいていない人です。
悪口を言ってはいけないという話はいろいろなところで耳にします。
それは相手のために言ってはいけないこともありますが、自分のためにも言ってはいけないのです。
「悪口を言ってはいけないことくらいわかる。それが我慢できないから困っているのではないか」
そう思っているのではないでしょうか。
たしかに悪口を言ってはいけないことをわかっていても、それを我慢することはなかなかできるものではありません。
悪口を言わない、あるいはノートに書いてしまうことでたまったストレスを発散させる。
こうしたことは、たしかに1つの方法です。
ですが正直なところ、これは表面的な解決策です。
あなたが今歩んでいる現実を正直に答えましょう。
つらい人生ですか。
つまらない毎日ですか。
あなたには今、思い出したくもないつらい過去がありますか。
「はい」と答える人が、ほとんどでしょう。
「つらい経験をしたことがある」
人間は、虚栄心という心があります。
「人によく思われたい」
「尊敬されたい」
今のあなたの現実を見てみましょう。
人間関係、仕事、勉強、恋愛。
何かつらいと思っているふしはありませんか。
物事には正しい順番があります。
まずこの順番をしっかり把握しておかないと、現実に感謝することが難しくなります。
あなたが今、ここに存在できている素晴らしさです。
私たちが見ている現実は、あくまでも自分の目から見た現実です。
視点が低いです。
せいぜい地上1、2メートルから見た景色です。
謙虚を心がけることが良いとわかっている人が多くても、その使い方を間違っている人が多くいます。
特に日本人は、相手を立てる習慣があるため、謙虚となるときも自分を低く見せる傾向があります。
たとえば、歌を歌うことが上手な人が「声がきれいですね」と褒められます。
すべての人間関係の始まりは、親との関係から始まります。
生まれてはじめに触れる人は、親です。
お母さんのおなかから出てくるからです。
大きな支えほど、支えられていることに気づきにくい傾向があります。
普通は「大きいと目立つのでわかりやすい」と考えるところではないでしょうか。
たしかに大きな支えは目立ちそうに思えますが、実際は逆です。
「勝つこと」「負けること」を意識すると、競争が激しくなります。
競争をすると、目的が勝つことのみに絞られます。
「勝てば幸せ、負ければ不幸」という方程式が出来上がってしまいます。
あなたがこの文章を読んでいるということは、おそらく幸せや成功哲学に興味を持っているのではないでしょうか。
今までにも何冊か成功哲学に関する本を読みあさっているあなたの姿が、目に浮かびます。
私も以前は、そうでした。
心の美しさと、行動の美しさは共通です。
行動が美しい人は心もきれいです。
心がきれいな人は言葉にも汚れがなくきれいです。
心の汚れを取り除きたければ、言葉の汚れを取り除くことです。
言葉の汚れを取り除くことが、心の汚れを取り除くことにつながります。
「心をきれいにすること=言葉をきれいにすること」と言っても過言ではありません。
もともと私たちは、自然の中に生きています。
人工が自然をつくり出したのではなく、自然が人工をつくり出したのです。
この順番は事実であり、覆すことのできない現実です。
もともと心は輝いています。
しかし、その心に雲になって光を遮っている存在があります。
それが「不安」と「恐怖」です。
わからないときには、とにかく行動してみる癖をつけておくことです。
行動は、わからないことの具体的な答えを出してくれる、強力な方法です。
心のごみは、行動してみれば、案外あっさり取れてしまうことがあります。
心が乱れている人に多いケースは、親との距離が近すぎるケースです。
子どもがいつもいらいらしている理由は、親が干渉しすぎていることが原因である場合が多くあります。
特に親が子どものためを思い、あれやこれやと世話をして、かえって子どもの独立心を妨げていることが多いのです。
正直になったほうが、心も軽く、人間関係もうまくいくようになります。
ありのままの自分を出すため、相手に誤解もされにくく、打ち解けた関係になりやすいのです。
正直であることは、仮面を脱ぎ、ありのままの自分を出していくことです。
気の進まないことにはできるだけ近づかないようにすることです。
あなたは生まれつき、自分だけの独特の磁石を持っています。
磁石には「N極S極」という磁場があるように、あなたにも「好き嫌い」という磁場があるのです。
人の目を気にしている人は、決まって心が重たくなっています。
「あの人、私のこと、どう思っているのかな」
「嫌われているのかな」
思春期が始まると、誰でも反抗期がやってきます。
自分という「自我」に目覚めるため、自分にとって気に入らないことがあるとすぐ反抗をしてしまうのです。
自分中心で、世界を回そうとします。
心の勉強として、自分についての勉強があります。
本当の勉強とは、自分の外側にあるのではありません。
必ず、内側にあります。
「なんだかぱっとしない」
「このままでいいのだろうか」
「なんだか生きていてもつまらない」
もどかしい気持ちになったことはありませんか。
心が曇っているような状態です。
雨が降りそうでふらない。
しかし、曇っていて天気は悪い。
こうした状態を「曇った心」といいます。
心の状態を、言葉を通して表現することは難しいですが、やる気が出なくて、生きがいが感じられないような状態をいいます。
しかし、考えてみましょう。
現実の天気と同じです。
どんなに曇った空でも、その雲の先には必ず輝く太陽が存在します。
雲があるから天気が悪いように思えますが、実際は太陽が変わったわけでもなくなったわけでもありません。
ただ雲があるために日光が遮られ、もやもやした悪いお天気になっているのです。
雲を突き抜けた先には必ず晴天があり、さんさんと輝く太陽があります。
あなたの心も同じです。
もやもやもどかしい気持ちでも、あなたの心が変わったわけでもなくなったわけでもありません。
ただ何か正体のわからないもやもやしたものによって、光が遮られているだけです。
ちょうどいい機会です。
たった今、あなたの気持ちはどのような感じでしょうか。
すがすがしいでしょうか。
それともなんだかぱっとしない状態でしょうか。
眠い、だるい、心配、不安、ご機嫌、嬉しい。
どのような状態になっているかを感じてください。
どのような状態であろうと、現実の天気と同じように、太陽である心の光は変わっていません。
時と場合によって心の状態に変化があろうと、もともと光っている心が何かによって遮られているかいないかにすぎないのです。
幸せな人生に、インプットは不要です。
ただ今あるもやもやした雲を取り除くだけでいいのです。
大雨、大嵐のような悪い天気でも、その雲の上には必ず太陽があり、太陽は1つも変わっていないのです。
雲が多かったり厚かったりしているから、天気が悪くなり、おかしくなっているのです。
あなたはもともと明るい性格です。
もともと明るい心が、あとからある雲によって光が遮られているだけです。
その雲を取り除くだけであなたは、もとの明るい状態に戻れるのです。
心の雲を取り除けば、誰でも必ず明るい性格であり、充実した毎日に出合えるのです。
あなたが今、もやもやした気持ちでいるなら、まずプラス思考になっていないかチェックしましょう。
「ほらほら、きた。プラス思考になれと言いたいんだろう」
そう言いたいのでしょうが、違います。
むしろ、プラス思考になってはいけないと言いたいのです。
プラス思考ということを意識している時点で、本当は「そう思ってもいないこと」を「そう思い込もう」としているだけです。
「本当はつらいけれど、マイナス思考になってはいけないから、プラスに考えよう」
このように自分の心を曲げてしまいます。
無理やりプラスに考えても、元はマイナスであることには変わりません。
マイナスという心を、プラスというマントで覆い隠しているようなものであり、本質は何も変わっていないのです。
本当のプラス思考とは、思ってもいないことを思い込むことではありません。
にもかかわらず、多くの本や著書では「プラス思考になりなさい」と書いています。
「そうか。プラス思考にならなければいけないのか」とあなたは必死になってプラスに考えようとします。
思い込もうとします。
それがいけないのです。
ストレスの原因になり、余計にマイナス思考へと陥ってしまいます。
プラス思考を意識すれば、現実を曲げて、つらい現実を見てみぬふりをして、プラスに思い込んでしまうでしょう。
たしかに一時的なプラス思考は、そうなったような気がします。
明るい性格になり、物事が輝いて見えるようになります。
しかし、少し時間がたてば、元の心の状態に戻ってしまい、またいつものもやもやした心の状態に戻ってしまいます。
プラスに考えてもうまくできていない自分を「ダメなやつだ」と自分で自分を責めてしまいます。
ストレスになり、さらに悪循環になるのです。
プラス思考に思い込もうとしていることが、問題です。
プラス思考ばかりで頭を固めている人は、本当はマイナス思考の人なのです。
本当のプラス思考は、何もすることなく初めからプラスです。
プラス思考になっているのではなく、初めにある心そのものがプラスに輝いています。
「じゃあ、マイナス思考の私は、これからもずっとプラス思考にはなれないの」
そういう疑問が湧いてくることでしょう。
本当のプラス思考とは「プラスとしか考えようのない現実に気づくこと」です。
世の中のすべてがプラスであるにもかかわらず、あなたが勝手にマイナスへと現実をわざわざ曲げて考えてしまっているのです。
喜びや嬉しいことしかない現実を、悪いことだとあなたが勝手に思い込み、1人勝手に悩んでいるだけです。
たとえば、先生に叱られるという出来事です。
ほとんどの人はここで落ち込んでしまいます。
元気がなくなり、ため息が出ます。
でも、本当は落ち込むことではないのです。
先生はあなたを思って、叱ってくれたという愛に気づくことです。
本当にどうでもいい人には、怒ることもなくただ無視をします。
それをエネルギーと時間を費やして、大切なことに気づかせてくれた「事実」に気づけば、喜びしか湧き出てこないのです。
プラス思考に無理やりなるのではなく、プラスとしか考えようのない現実があるのです。
心の底から本当のプラス思考になっている人は、この真実に気づいている人です。
頭がよくて、プラス思考に洗脳されているのではありません。
ありのままの事実をそのまま受け止めているのです。
そもそも心を曇らせる原因として、プラス思考に思い込もうとしていないかチェックしてみましょう。
本当のプラス思考とは、思い込むことではありません。
思い込んでしまうことは、本来の気持ちに反していることです。
プラスという響きがよくても心を曇らせる雲の1つになってしまっているのです。
プラス思考の頭で覚えることは「そうとしか思えない現実に気づくこと」です。
プラス思考になる必要はありません。
「よし! プラス思考だ!」と思い込もうとしている時点で、そもそもの自分の気持ちに反しています。
本当のプラス思考は、思い込むことではなく、そうとしか思えない現実に気づくことです。
ここで本当のプラス思考について、もう一度おさらいをさせてください。
プラス思考について、ほとんどの人がそれた考えを持っているため、基本的なことですがもう一度話をしておく必要があります。
ほとんどの人がプラス思考を「思い込むこと」だと考えています。
特に熱心に自己啓発、自己実現の本を読んでいる人に限って、そうした傾向が見られます。
本当はつらいけれども「楽しいです」と無理やり自分の考えを曲げてしまい、正直な気持ちに反して思い込もうとしているのです。
それはプラス思考ではありません。
プラス思考というお面をかぶっているだけで、本来のあなたの顔ではないのです。
では、本当のプラス思考とはどんなことを言うのでしょうか。
本物のプラス思考とは「そうとしか思えない現実に気づくこと」です。
プラスに思い込むのではなく、そもそもすべてがプラスでしかないのです。
プラス思考に思い込むのではなく、プラスとしか考えられない現実に「気づくこと」です。
「プラス思考になる=気づくこと」と言ってもいいでしょう。
たとえば、掃除はつまらないと感じている人がいるとします。
掃除をすると体力も使うし、面倒であり、つまらないと思います。
しかし、浅く表面的な部分しか見ていないから、そう感じてしまうのです。
奥深い本当の現実は、まったく違います。
掃除をすることで、何か悪くなることでもあるでしょうか。
掃除をすれば、部屋がきれいになり気持ちよくなるだけでなく、お世話になっている服やたんす、机に感謝できます。
良いことしかないのです。
プラスしかないのです。
掃除を積極的に楽しむ人は、そうした真実に気づいています。
疲れる面倒という表面的なことより「自分が気持ちよくなる」「部屋に感謝ができる」という事実に気づいています。
そういう人は思い込んでいないのです。
普通に心から、そう思っているのです。
プラス思考になっているのではなく、プラスとしか考えようのない現実に気づいているのです。
本当のプラス思考は、掃除をすれば自分が気持ちよくなれるという現実に気づいています。
部屋に遊びに来てくれる人も心地よくなれるという当たり前の現実に気づいています。
部屋の掃除をして何か悪いことがあるでしょうか。
いいえ、何も悪いことなどありません。
それはまさにプラスとしか考えようがないのです。
思い込んでいるのではありません。
そうとしか思えない現実に気づいているのです。
「疲れる」「面倒」といった表面的で目先のことしか考えていないため、本当の現実に気づくことができていないのです。
「疲れる」「面倒」「だるい」ということが現実ではありません。
単なる妄想です。
「汚い」「面倒」「疲れる」「だるい」「つらい」といった、大変に浅いところしか見ることができていないのです。
本当の現実を知らず、見ているようで本当は見ることができていません。
行動前の思い込みは、まだ現実に起こっていません。
本当の現実は、自分が良くなり、部屋もよくなり、感謝もできるという「プラスとしか考えようのない現実」があるのです。
真実であり、事実です。
これに気づけるかどうかが、大きなポイントです。
世の中はすべてプラスのことばかりです。
そう考えようとするのではなく、それしかありません。
そういう現実しかないのです。
ただほとんどの人が「面倒」「つらい」「だるい」と目先のことしか考えていないため、マイナスだと思っているのです。
マイナスでネガティブな妄想をわざわざ自分でつくり出し、それこそが現実だと思い込んでしまっています。
気づくだけでいいのです。
プラス思考になるとは、本来の現実に気づくことです。
本来の現実は、プラスとしか考えようのないことばかりという事実に気づくだけでいいのです。
私がまだ小学生だったころ、親は特に厳しかったことを覚えています。
今も厳しいのですが、特に小学生のころの勉強やしつけは重要だと考えていたのでしょう。
あのころの親は、鬼のように思えました。
親に怒鳴られ、叩かれ、よく泣きじゃくっていました。
食事のときには食べ方を注意され、親戚のところに行ったときには「挨拶をしろ」と叱られていました。
褒められた出来事はあまり思い出せませんが、叱られた出来事はたくさん思い出せます。
毎日が叱られてばかりの日々で、当時は「これほどつらい現実はない」と思っていました。
私が幼いころから、哲学に興味を持ち始めたのも、つらい過去がきっかけになっています。
あらためて考えると、早い時期につらい経験をさせてもらえたおかげで、今の私があると言っていいでしょう。
時が経ち、20歳を過ぎた今、あのころの経験に感謝したいと、思うようになってきました。
むしろ、感謝しかない事実に気づいたのです。
たしかに当時はつらくて大変だったことは間違いありません。
しかし、しつけに対して親が厳しかったのは、子のためを思ってのことだということに気づいたのです。
愛の塊だったわけです。
たくさんの厳しさやしつけに触れてきたからこそ、今の私が存在します。
つらく厳しかった過去も、実は感謝以外の何物でもない事実に気づきます。
私が子どものころ「大変」「つらい」「厳しい」と感じていた原因は、表面的なことしか見ていなかったからでした。
本当は愛されていたにもかかわらず、まだ幼かった私はそれに気づくことができなかったのです。
親が私のことを思って「こら!」と叱っていたことも、私はただ「つらい」としか考えることができていなかったのです。
今では、思い出したくもないあのころの思い出も「あって良かった」と感謝できるようになっています。
もし、あのころがなければ「今の私」はないからです。
今の私が存在できている事実は、間違いなくそうした過去があるからです。
それに気づくことができれば、自分のためだった過去であり、感謝しかなく、前向きとしか考えようがなくなるのです。
「そのときのつらい経験は、あって良かったと思いますか」と聞かれれば「あって良かった」と答えます。
厳しかったことは間違いありませんが、それでも自分の身につく何かがそのころにはあったからです。
そう考えるとつらい現実であるほど、実は自分のためになっているという事実に気づきます。
地獄の渦中ではたしかにつらい感覚しかありませんが、表面的なことしか見ていないからです。
私が本当にプラス思考になっていったことは、こうした感謝に気づいてきたことがポイントです。
そうとしか思えない事実しかないからです。
思い込むことはプラス思考ではなく、そうとしか思えないと気づいたときに、本当のプラス思考になることができるのです。
もともとある輝く心を曇らせているいちばんの原因は「妄想」です。
人間は、過去や未来をわざわざ「妄想」を働かせることで、悩むのです。
「ああ。今日から学校だ。つらいな」
「好きだけど、告白したら断られそうだな」
「今日も嫌いなあの人と顔を合わせないといけない」
「将来はどうしようかな」
「あのころは楽しかったな」
「あのときは、こうすれば良かったな」
「もう一度、あのころに戻りたいな」
これらは、すべて妄想です。
これからの未来や過ぎ去った過去を、わざわざ妄想を働かせ、すでに現実であるかのように考えます。
過ぎ去った過去をどんなに考えたところで、戻ってくるわけではありません。
「過去を振り返る」といいます。
「記憶」として頭の中に残ってはいますが、頭の中だけの世界です。
実際は、今しかありません。
今この瞬間だけが、本当の現実です。
それ以外のことは、過去も未来も妄想です。
過去に向かって「もっとこうすれば良かった」「あのときは、もっと楽しかった」と後悔する。
過去を振り返っているのではありません。
二度と戻ってくることのない過去を、妄想をたくさん膨らませて、振り返っているのです。
実際の現実はどうなのかというと、過去が戻ってくることはありません。
時間という流れに逆らうことはできず、現実は「今」しかありません。
自分がいけないのです。
勝手に妄想を膨らませ、必要もない心配や不安を感じすぎ、悩みすぎています。
自分で自分を、トラブルに追い込んでいるのです。
悪口を言う人は、自分が損をしていることに気づいていない人です。
悪口を言ってはいけないという話はいろいろなところで耳にします。
それは相手のために言ってはいけないこともありますが、自分のためにも言ってはいけないのです。
悪口を言っている人を見て、どう思いますか。
「あのばか。本当にむかつく」という悪口を聞いて、ふと、次のようなことを思うのではないでしょうか。
「そこまで言わなくてもいいのに」
「この人って、実は怖い人なんだ」
「自分も陰では悪口を言われているかもしれない」
「そういうことを、いつも考えている人なんだな」
このように誰もが思います。
つまり悪口を言う人は、自分で自分のイメージを下げてしまっているのです。
本人は、気に入らない人の悪口を言うことで、その人のイメージを下げてしまいたいと思っているのでしょう。
しかし、実は、いちばんイメージを下げてしまっている人は、自分なのです。
悪口を言っている人は、自分で自分の悪口を言っていることに気づいていません。
言えば言うほど、人から避けられるようになります。
心に雲をつくっている原因は、悪口です。
悪口はストレス発散になっても、自分のところに戻ってくるのです。
テレビのアイドルは、悪口は絶対に口にしません。
アイドルを仕事にしている人は、悪口は思っても絶対に口にしてはいけないルールがあります。
悪口はアイドルにとって、イメージダウンにつながるからです。
逆にアイドルほど、誰かのことを褒めています。
「あの人は素晴らしい」「その人はすごい」と笑顔になって褒めることで、自分のイメージアップにつなげています。
人から好かれたいと思ったら、誰かを褒めることです。
人から嫌われたいと思ったら、誰かの悪口を言うことです。
結局自分が口にする言葉は、自分に返ってきます。
口にする言葉で、自分の印象を決めてしまうのです。
「悪口を言ってはいけないことくらいわかる。それが我慢できないから困っているのではないか」
そう思っているのではないでしょうか。
たしかに悪口を言ってはいけないことをわかっていても、それを我慢することはなかなかできるものではありません。
悪口を言っていけないことくらいはわかっていても、我慢できないほど、つらい現実がある場合です。
たまったストレスをほうっておくことは、精神的にもつらく、自分が弱ってしまいます。
では、悪口を言わずして、どうストレスを発散させればいいのでしょうか。
ノートに書いてしまえばいいのです。
ノートに、思いつくままの言葉をすべて書き出してしまいます。
罵声でも悪口でも何でもかまいません。
自分が思っているままのことを、とにかくノートに書いてしまいます。
ノートの上で、ストレスを発散させればいいのです。
誰にも見られず、聞かれず、悪口を言えます。
ただし、ノートは誰にも見られないようにしましょう。
見つからないように管理して、書き終わったら破って捨てるほうがいいでしょう。
言葉として吐き出すのではなく、文字として吐き出してしまえばいいのです。
悪口を言いたくても言えないと、いつもの倍以上のストレスがかかります。
「思ったことを言いたいストレス」と「思っていることを言えないストレス」の両方です。
我慢をすることはたしかに必要ですが、我慢をしすぎることはもっと問題なのです。
どんな方法でもかまいませんから「吐き出すこと」をしておくほうが、精神上は健康的です。
カラオケに行って疲れるほど歌いまくったり、フィットネスで体を動かしたりすることでストレスを発散させる方法もあるでしょう。
ヨガ、エステティック、映画鑑賞など、逆にリラックスする方法もあります。
どんな方法でもかまいませんから、自分に合った方法を見つけ、上手にストレスを吐き出していくことがポイントです。
私の場合は、日頃からHAPPY LIFESTYLEで文章をたくさん書いていることが、1つのストレス発散になっています。
むしろ、助かっているというくらいです。
私にとって書くことは、吐き出しているようなものです。
日頃から気になっていることやわかったこと、言いたいことを、文章としていつも書き出しています。
自分の中にためたままだとストレスになってしまうため、言いたいことを知恵に変えて、お話をしているわけです。
人間の経験、特につらい経験であるほど、何か学べることが必ずあります。
つらい経験をしてストレスがたまり、学べる点も同時にあるため、コツとして書き出しながらストレス発散もできるわけです。
何か「学べること」があるはずです。
ストレスとは、同時に勉強でもあるのです。
悪口を言わない、あるいはノートに書いてしまうことでたまったストレスを発散させる。
こうしたことは、たしかに1つの方法です。
ですが正直なところ、これは表面的な解決策です。
解決したように思えますが、そもそも自分の内側である心が変わっていないため、またすぐストレスがたまってしまいます。
つまり、内側がストレスを受けやすい状態であると、いつまで経っても本当の解決には至らないのです。
いつもいらいらしている人が、悪口を我慢してノートに書いたり、スポーツに汗を流したりして多少ストレスを発散させたとします。
しかし、そもそもいらいらしやすい人は、そういう性格であるため、またすぐストレスをためてしまいます。
イタチごっこになります。
けんかをしない人はまったくしませんが、けんかをしやすい人はいつもけんかばかりしているようなものです。
内側の性格的な問題なのです。
本当の解決は、常に自分の内面にあると考えましょう。
あなたが見ている現実は、つまりあなたの「心」というフィルムを通して映し出された映像です。
あなたが今見える世の中を、1つの映画と見立ててみましょう。
自分が歩んでいる人生がどのくらい素晴らしいか、あるいは汚れているかは、それを映し出している心というフィルムが問題です。
映画と同じことで、フィルムに汚れがついていると、そこからスクリーンに映し出される映像にも汚れがついてしまいます。
しかし、フィルムがきれいなら、それを通して映し出される映像もすべてきれいに映し出されます。
要は、あなたの心というフィルムの問題なのです。
本当の改善とは、このフィルムの汚れを取ることをいいます。
フィルムがきれいなら現実も美しくなり、フィルムが汚れていれば現実も汚れてしまうわけです。
つまらない毎日もだるい生活も、けんかの多い人間関係も、自分のフィルムの汚れに応じた映像が映し出されているだけです。
黒いサングラスをかければ、どのような景色に見えますか。
全体的に黒く見えてしまいますよね。
赤い色のサングラスをかければ、赤い景色に見えますよね。
では、汚れたサングラスをかければ、どう見えてしまいますか。
汚れた景色に見えます。
実際の世の中は汚れていなくても、自分のかけているメガネに汚れがついているとすべてが汚れて見えてしまうのです。
その汚れによって、自分がストレスを受けてしまいます。
一時的なストレス発散は効果があっても、またすぐ次のストレスに悩まされることになります。
心というフィルムが汚れているからです。
メガネに汚れがついているかぎり、いつまで経っても汚れたままの現実しか見えないのです。
心の曇りを取るとは、つまりこの心というフィルムの汚れを取ることを意味します。
心の曇りとは単なる比喩ではなく、心が曇っていると、現実も本当に曇って見えてしまうのです。
あなたが今歩んでいる現実を正直に答えましょう。
つらい人生ですか。
つまらない毎日ですか。
面倒なことの多い生活ですか。
どう現実が見えるかが、あなたの心の汚れを見るための1つのバロメーターです。
世の中はまったく汚れても乱れてもいない完璧な状態です。
にもかかわらず、世の中が汚れて見えてしまうのは、自分のフィルムが問題です。
汚れのないきれいなフィルムなら、もともときれいな世の中は、きれいにしか見えてきません。
しかし、いくら世の中がきれいでも、自分の心というフィルムが汚れていれば、すべてが汚れて見えます。
学校も勉強も人間関係も将来も、すべてが「だるいな」と感じます。
心の曇りを取り除く本当の解決策は、自分の心の汚れを取ることです。
ここを押さえておかないと、一時的な改善はできても、本当の改善はいつまで経ってもされません。
フィルムをきれいにすれば、映像もきれいになり、心の汚れを取れば、現実もよくなります。
あなたには今、思い出したくもないつらい過去がありますか。
「はい」と答える人が、ほとんどでしょう。
「つらい経験をしたことがある」
「忘れたい過去がある」
「心の傷がある」
過去の傷も、人それぞれです。
しかし、どんな傷でも、それらはすべてあなたの財産です。
今のあなたが存在しているのは、それらの過去のおかげだからです。
つらい過去であるほど、今のあなたの強さに変わります。
リバーシというゲームを想像してください。
過去の傷は、リバーシでいう、黒にあたります。
つらい過去とは、黒い駒がたくさん並んでいる状態です。
しかし、途中が黒ばかりでも、両端が白になれば、途中もすべて白にひっくり返ります。
「過去のつらい経験があるから、今の自分がいる」
そうとわかれば、黒い過去は、白に変わります。
過去という事実は変えられませんが、印象なら変えられます。
今に感謝した瞬間、過去の印象は、黒から白になるのです。
あなたが人の気持ちがわかるのは、あなたにも同じようなつらい経験があるからです。
もし、つらい経験がなければ、人の気持ちがわからず、優しさがない薄情な人間になっていたことでしょう。
実際に自分が体験したことがあるために、人の心や、優しさを理解できるようになり、心の器が大きくなりました。
つらい過去は、憎しみではなく、感謝です。
「つらい過去ほど、あなたのためになっている」という事実があります。
だからこそ、貴重な財産です。
今を感謝した瞬間、今までの過去も、すべてが感謝に変わるのです。
人間は、虚栄心という心があります。
「人によく思われたい」
「尊敬されたい」
「強いと思われたい」
「かっこよく見られたい」
「美人に見られたい」
「見栄を張って強く見せたい」
本当はそうではないのですが、そう見せようとするのです。
弱く見られたくないからです。
特に恥ずかしいコンプレックスほど、見られたくないという心理が働き、隠そうと見栄を張ります。
弱い犬は、弱く見せないために、ワンワンと強そうに吠えます。
しかし、ワンワンと吠えるがために、人から避けられ、同じ犬同士からも避けられることになります。
顔にコンプレックスを持っている女性が、それを隠そうと必死に化粧をして厚化粧になっているところを見たことがありませんか。
強く見せようとタトゥーを入れたり、夜なのにサングラスをかけていたりと、おかしな格好をしている人を見たことがありませんか。
ちょっと近寄りがたいオーラが出ていますよね。
弱い犬ほど吠えてしまい、みんなから避けられるのと同じです。
見栄を張っても、良いと思っている人は自分だけで、本当は良いことなんて何もないのです。
時間とお金を無駄に使ってしまい、人から避けられ、ストレスを抱え込んでしまいます。
見栄なんて、張らないほうがいいのです。
見栄を張ってしまうと、人生をおかしくさせてしまいます。
流行を追いかけるために必要もない服を買ってしまうことになります。
すごいと尊敬されるために、なりたくもない弁護士や医者といった職業を選び、人生の道を踏み外します。
強いと思われるために人と対立することになり、けんかによって肉体的にも精神的にも傷つくことになります。
まったくつまらない石につまずいています。
弱い人なら、弱さを素直に出したほうがいい。
弱さに気づいた周りの人が、助けてくれるでしょう。
弱いにもかかわらず、強いふりをするから、おかしくなるのです。
わからないことはわからないと言ったほうがいい。
わからないことを教えてくれます。
知らないにもかかわらず知ったふりをするから、おかしくなるのです。
見栄を張ると自分らしく生きることができなくなり、人生を踏み外してしまうことになるのです。
弱い人間が、つらい人生を送るのではありません。
背の低い人が、哀れな人生を送るのではありません。
無知な人が刑務所に入るわけではありません。
見栄を張った人がつらい人生を歩むことになり、正直者が幸せな人生を歩むことになるのです。
今のあなたの現実を見てみましょう。
人間関係、仕事、勉強、恋愛。
何かつらいと思っているふしはありませんか。
そのつらさが、今のぱっとしない毎日につながり、そんな悩みさえなければ、もっと良い人生を歩めるのにと思っていませんか。
とんでもない。
勘違いです。
実際には、今のつらい出来事があるからこそ、今は幸せであり、これからが良くなるのです。
今、つらいことがあるから、不幸と思っているのはとんだ妄想です。
「実際は今つらいことがあるから、これからはもっとよくなる。だから今は幸せなのだ」
このように解釈するほうが事実であり、真実なのです。
私は今、トラブルがあるほうが幸せであるように感じます。
もちろん何もない日がいけないと言っているのではありません。
何もない日は平和ですが、学びもありません。
何が自分の成長になったかと過去を振り返れば、トラブルがあったときほど一気に自分が向上していることがわかります。
大きなトラブルは、自分が生まれ変わる転機になっています。
トラブルがあったほうが、バネにでき、反動で一気に効率よく学べるからです。
トラブルは、成長のチャンスなのです。
昔は、つらいことがあれば不幸と感じ、嬉しいことがあると幸せだと単純にそう感じていました。
しかし、考え直してみると、今の自分があるのは過去のつらい出来事のおかげです。
何もない日より、何かあった日のほうが自分にとって得られることがあり、向上につながっています。
そうすると今、トラブルやつらい出来事があるということは、これからはそれを踏み台にしてもっとよくなるということです。
今、不幸であるほど、実は幸せへの近道を歩んでいるということなのです。
今がつらいと感じていれば「だからよくなる!」と口に出して言いましょう。
声に出すことが恥ずかしいなら、そっと心の中で唱えるだけでもかまいません。
「だからよくなる」と言うのは「今」をオセロでいう黒から白へと変えるということです。
すると、過去にあった黒はすべて白へとひっくり返り、これから来る未来もすべて素晴らしくなるのです。
物事には正しい順番があります。
まずこの順番をしっかり把握しておかないと、現実に感謝することが難しくなります。
あなたが今、ここに存在できている素晴らしさです。
今という「時間」の中に、あなたという「存在」が、ここという「場所」に存在する理由です。
決して宗教的でもなく、現実を真っ向から直視するためにきちんと考えておきましょう。
今から話すことは、当然のことですが、不思議なことにほとんどの人が意識をしていません。
基本中の基本でありながら、意識していない、あるいは気づいていない、知らないと言う人さえいます。
なぜ今、あなたは、ここに存在していますか。
なぜ生まれてくることができたのですか。
それは、あなたの両親が生んでくれたからです。
あなたの両親が生んでくれなければ、あなたはこの世には存在しないということは、真実であり、曲げようのない事実です。
では、あなたのお父さんとお母さんはなぜこの世に存在しているのでしょうか。
それは、お父さんとお母さんにも、お父さんとお母さんが存在しているからです。
あなたが今、ここに存在していることは、こうしたことが「原因」になっているからです。
では、もっと原因を追ってみましょう。
お父さんのお父さんのお父さん……、と先祖をたどっていけば、いずれ小さな微生物へとたどり着きます。
まだ進化も遂げていない原型のままの微生物です。
果てしなく遠い昔の話になりますが、過去にそういう事実があったことはたしかです。
さらにそんな微生物が存在できている理由は、水のある海のおかげです。
海があるのは、地球という星があるおかげです。
地球があるのは、太陽系があるおかげです。
太陽系があるのは、銀河系があるおかげです。
銀河系があるのは、宇宙があるおかげです。
今、地球上、いえそれどころか、世の中に存在するあらゆるもの、人、事は、宇宙があるおかげなのです。
すべてが宇宙という大きな「1つ」の中に存在し、宇宙があるからこそ、私たちも存在するのです。
私たちには、共通する本当の先祖がいます。
それは父でも母でもなく、地球でも、太陽系でもありません。
宇宙なのです。
宇宙こそ、この世のあらゆる森羅万象の共通した先祖なのです。
すべての「存在」は、宇宙によって生み出されたものです。
私たちはそれぞれが別々の個体として存在しているように思えますが、元をたどればすべてが宇宙という大先祖に行き着きます。
人間は、この世において絵を作ったり、音楽を作ったりなど、何か新しいものをつくっていると思っています。
創造していると思っています。
しかし「つくる」や「創造」という言葉には語弊があります。
「つくっている」のではなく「組み合わせているだけ」です。
1からつくっているわけではなく、初めからあったものを組み合わせて「作った」とか「創造した」と言っているのです。
たとえば、絵というのは、色と色の組み合わせです。
どんな組み合わせ方をするかで、どのような絵になるかが決まります。
しかし、私たちは、色をつくっているわけではありません。
それどころか色をつくることはできません。
赤や青や黄色という色は、初めからあったものです。
宇宙が色を作ったのです。
音楽も同じです。
音楽も音の組み合わせです。
音楽というのは、つまり空気が振動して伝わる刺激の組み合わせです。
空気という土台がなければ、音楽そのものも存在しないことになります。
では、空気が何でできているのかというと、分子によりできており、分子は原子の組み合わせによってできています。
空気は何でできているでしょうか。
分子でできています。
分子は、原子の組み合わせです。
カリウム(K)、銅(Cu)、銀(Ag)、鉄(Fe)、金(Au)などの原子の組み合わせにより、分子ができています。
肉眼では見えませんが、実際に原子の組み合わせである分子によって酸素(O2)、水(H2O)が存在しています。
問題は、この原子を誰が作ったのかということです。
人間でさえ、細かく言えば原子の組み合わせによってできています。
人間は大きく分けて、タンパク質、脂質、水できています。
すべての最小単位は、もっと小さいかもしれませんが、いずれにせよ人間が作ったものではありません。
人間は、色をつくることもできませんし、原子をつくることもできません。
時間も空間も人間が作ったものではなく、すでにあったものです。
誰が作ったのでしょうか。
宇宙が作ったものなのです。
すべては宇宙という1つの中に存在し、人間が宇宙を作ったわけではありません。
最小単位で考えると、色や電子や電子、時間や空間さえも人間が作ったものではありません。
すべてが宇宙という大きな1つの中に含まれており、宇宙が作ったものなのです。
私が書いていることのほとんどは、すべてが当たり前のことばかりです。
なぜ当たり前なのかというと、どれも自然なことばかりだからです。
なぜ自然がいいのかというと、人間は自然の中から生まれてきたからです。
人工が自然を生み出したのではなく、自然が人工を生み出したのです。
そもそも自然に沿った生き方をすることが、宇宙のルールに沿った生き方であり、最も良い流れなのです。
私たちがこの世において1からつくり出したものなど、1つも存在しないのです。
人間がしていることは、組み合わせだけです。
それを偉いと勘違いした人間が「作った(作った)」と言っているにすぎないのです。
こうしたことは、当たり前と言えば当たり前です。
しかし、たしかに事実であり、真実です。
にもかかわらず、ほとんどの人がここまで考えることもなく、気づいてもいないのです。
あなたはこの真実に気づいてどう感じましたか。
私は、この真実に気づいたとき、横柄になれなくなりました。
私がしていること、それどころか自分という存在でさえも、自分の力で生まれたわけではありません。
私は、私が作ったわけではないのですから「生かされている」ということをつくづく感じたからです。
「本当のプラス思考とは、そうとしか思えない現実に気づくこと」
自分が今ここに存在していることは素晴らしいことであり、感謝なのです。
私たちが見ている現実は、あくまでも自分の目から見た現実です。
視点が低いです。
せいぜい地上1、2メートルから見た景色です。
私たちは、すべてだと思い込みがちです。
しかし、高いビルの展望台に上がって地上を見下ろすと、人間は小さなアリのように見えます。
さらに飛行機に乗ってもっと高いところから地上を見ると、人間は小さな点に見えます。
そんな小さな存在が、現実です。
私たちは、自分たちの目から見た景色をすべてだと思い込んでいるため、それぞれが大きくて強い存在に見えます。
しかし、もっと高いところから見た視点に変えると、誰もが小さくて弱い存在に見えます。
小さくて弱いがゆえに、その力にも限界があるのです。
1人の力で行うことは、たかだか知れているということです。
特に責任感の強い人は、自分ですべてをやろうとする傾向があります。
1人の力で30キロのバーベルを持つことなら、可能でしょう。
ですが、100キロのバーベルを持とうとすると、簡単にはいきません。
自分は強いと思っている人は、筋トレを繰り返して、自分一人の力で持ち上げることができるようになろうとします。
筋トレをすれば、いずれ100キロのバーベルを持ち上げられる日が来ることでしょう。
では、1トンものバーベルはどうでしょうか。
いくらトレーニングを積んだところで、人間の肉体には限界があります。
自分はそもそも小さな存在なのです。
力を強くするとはいえ、限界があることを知っておくことが大切です。
しかし、意外なことはあるものです。
強い人が持ち上げられない1トンものバーベルは、弱い人なら持ち上げることができます。
なぜでしょうか。
自分一人の力で、しようとしないからです。
弱い人は、自分だけの力でできない自覚があります。
プライドも見栄も捨て、協力を求めようとします。
「協力してください」「助けてください」「手伝ってください」と言って、人を100人集めます。
1人の力には限界がありますが、協力には、限界がありません。
100人もの協力があれば、1トンものバーベルも持ち上げることができるのです。
さらに人を集めることができれば、1トンでも10トンでも100トンでも持ち上げることができるようになるでしょう。
協力という力は、無限です。
弱い人ほど、本当は強いのです。
自分が弱いことを知り、謙虚になっているため、協力によって無限の力を得ることができます。
強い人は実は弱く、本当に強い人は自分が弱いと知っている人のほうなのです。
先ほども言いましたが、高い空から地上を見れば、すべての人間は点なのです。
地位や肩書などまったく関係ありません。
人間は本来、すべてが小さくて弱い存在です。
それを否定して「違う。俺は強いんだ」と言う人は、本当は弱い人なのです。
協力を求めないからです。
ゆえに1人の力に限界があり、壁に当たってしまいます。
自分が弱いと思っている人ほど、幸せです。
それが真実であり、事実だからです。
大切なことは、そこからいかに謙虚になり人の協力を得られるかにかかっています。
その力には限界がなく、無限なのです。
それが本当のあなたの力であり、弱い人ほど強くなれるということなのです。
謙虚を心がけることが良いとわかっている人が多くても、その使い方を間違っている人が多くいます。
特に日本人は、相手を立てる習慣があるため、謙虚となるときも自分を低く見せる傾向があります。
たとえば、歌を歌うことが上手な人が「声がきれいですね」と褒められます。
ここで謙虚を意識して次のようなことを口にします。
「いえいえ、そんなことはありません」
「私なんて、単なるばかですよ」
「自分は、大したことありません」
こうした自分を否定した答え方をしてしまいます。
これを本人は、謙虚だと思っているのですが、実は謙虚ではなく横柄なのです。
自分を否定し、さらに自分を生んでくれた親や、さらにそのまた親も同時に否定してしまうことになってしまうからです。
自動車に例えれば、もっとわかりやすくなります。
1台の自動車をつくるためには、たくさんの人の努力が必要です。
「こんな車、大したことないですから」と間違った謙虚をしてしまえば、一生懸命に作った人の努力を否定したことになります。
自動車を否定するだけでなく、作った人まで侮辱しています。
むしろ言ってはいけない一言なのです。
謙虚を誤解していませんか。
本当の謙虚とは、褒められたときには素直に「ありがとうございます」と認めてしまうことです。
自分で自分の素晴らしさを認めることは悪いことではありません。
自分は素晴らしいことを認めた瞬間、同時に生んでくれた父と母を素晴らしいと認めることを意味します。
またさらに元になる地球や宇宙も一緒に素晴らしいですねと認めることになるからです。
素晴らしい宇宙が存在するから、素晴らしい地球が存在し、素晴らしいあなたが存在しているのです。
自分を否定すれば、父と母を否定することになり、地球を否定することになり、宇宙を否定することになってしまうのです。
自分を認めることで、それ以前にあるすべての生みの親を前向きに肯定することになります。
これが謙虚ということなのです。
親に、地球に、宇宙に「ありがとうございます」と言えることが、本当の謙虚です。
褒められたときにとにかく「ありがとうございます」と素直に自分は素晴らしいと認めることです。
「そんなことないですよ」「大したことありません」と自分を否定することは、謙虚でも控えめでもなく、単なる横柄なのです。
すべての人間関係の始まりは、親との関係から始まります。
生まれてはじめに触れる人は、親です。
お母さんのおなかから出てくるからです。
生まれてまもなくしてお父さん、お母さんとの人間関係ができ、これが今後の人間関係をつくる土台になります。
親から愛情を受けて育てられた子どもは、愛の温かさを知っているため、ほかの人にも愛を持って接します。
優しく話しかけたり、助け合いができたり、人のためを思って行動します。
初めに接した人間関係である親との関係がそうだったから、普通だと思ってしまうのです。
ですが、冷たい親から何の愛も受けずに育てられた子どもは、友人との関係も冷たくなりがちです。
けんかで決着をつけようとし、人のことより自分のことばかりを考えます。
初めに接した人間関係である親との関係がそうだったから、普通だと思ってしまうのです。
親が子に与える愛の大きさは、想像以上に大きいと思ってください。
あなたが親なら、子どもにどれだけの愛情を注いでいるかが重要です。
親からの愛情は、子どもがもつ愛情の土台になるのです。
大きな支えほど、支えられていることに気づきにくい傾向があります。
普通は「大きいと目立つのでわかりやすい」と考えるところではないでしょうか。
たしかに大きな支えは目立ちそうに思えますが、実際は逆です。
大きな支えほど「いつも存在して当たり前」と思われるため、見落とされがちです。
大きいゆえに、もはや当たり前の存在になる。
空気のような存在になる。
目の前にあるのに、見えなくなる。
本来なら、大きな支えほど深く感謝しなければいけないですが、なかなかそれができていない現実があります。
「大きなささいほど無視され、小さな支えほど感謝される」というギャップがあります。
いつか大きな支えを失うときがやってきます。
そのときになってようやく、存在価値の大きさに気づくのです。
「自分も今、そうなっていないか」と考えることが大切です。
では、大きな支えかどうか気づくにはどうすればいいか。
その人がいなくなった状況を想像してみることです。
親、友人、恋人、先輩、先生、上司。
できるだけ鮮明に、二度と会えなくなった状況を想像します。
たまには人間関係を振り返る時間も必要です。
当たり前の存在なので想像しにくいかもしれませんが、1人の静かな時間なら想像しやすくなるでしょう。
いなくなったときのことを想像したとき、はっとする瞬間があるはずです。
今まで見落としていた大きな存在価値に気づくのです。
「勝つこと」「負けること」を意識すると、競争が激しくなります。
競争をすると、目的が勝つことのみに絞られます。
「勝てば幸せ、負ければ不幸」という方程式が出来上がってしまいます。
「勝つこと」「負けること」を意識してしまうのは、心の汚れの1つです。
勝敗を意識するために衝突することになり、自分の限界を知らずに体調を崩して健康を損なうことになります。
つまらない見栄やプライドを持ってしまうと、どうも人間の行動はおかしくなってしまうのです。
今まで「勝敗」を意識していたからいけないのです。
では、何を意識すればいいのでしょうか。
「楽しさ」を意識すればいいのです。
今から「勝敗」の意識から「楽しさ」の意識へとスイッチを切り替えましょう。
楽しさを意識すれば、勝っても負けても充実できます。
勝つことは、相手にすごいと思われたいという見栄で行動していました。
つまり他人の目ばかりを気にしているため、主人公は自分ではなく他人ということです。
しかし、楽しいことを意識した瞬間から、主人公は自分になります。
自分が楽しいから行動するということになります。
今までの悔しさや苦しさから抜け出せ、充実感だけを得られるようになります。
心の汚れをきれいに取り除くためには「勝ち負け」という意識を捨てることがポイントなのです。
あなたがこの文章を読んでいるということは、おそらく幸せや成功哲学に興味を持っているのではないでしょうか。
今までにも何冊か成功哲学に関する本を読みあさっているあなたの姿が、目に浮かびます。
私も以前は、そうでした。
今までにも何百冊もの成功哲学や前向きになれるような本を読んできました。
自分が落ち込んだときに、少しでも元気が欲しくなると、本を読みます。
たしかに成功哲学や前向きな本を読んでいると、だんだん視野が広がり、心が豊かになったような気がします。
しかし、少し時間がたてば、またいつもの自分に戻ってしまいます。
その繰り返しを、私は今までに何百回も繰り返してきました。
数え切れないほどです。
あなたもおそらく同じようなことを経験したことがあるのではないでしょうか。
本を読んで元気になる。
「よし! 頑張るぞ」とそのときは思っても、少し時間がたてば、またいつもの自分に戻ってしまいます。
たしかに心はちょっと変わっているはずなのですが、現実にはなかなか表れてくれないもどかしさがあるはずです。
私も、同じようにもどかしいことだらけでした。
「こんなにたくさん成功哲学を学んだんだ。絶対にうまくいく!」と思っても、それほどなかなか生活に表れてくれません。
そのうち「本当にこれでいいのかな」と思い始めました。
そこである日、ちょっと方法を変えてみました。
すると、あっという間に現実は変わってしまいました。
「なるほど。本当の成功哲学とはこういうことだったのか!」とわかりました。
それが「行動をする」ということです。
「なんだ。そんなことか」と思うかもしれませんが、これが重要なことなのです。
それまでの私は、たくさんの本を読み、頭の中だけで考えているレベルでした。
たしかに心は豊かになり、一時的に幸せになったような気になっていても、少し時間がたてば元に戻ってしまう。
それは思っているだけであって、行動していなかったから、そうなっていたのです。
心が変われば、たしかに行動も変わります。
しかし、行動を変えることで、初めてそれが現実になるのです。
心だけが変わり、現実に大きな変化はありません。
心が変わり、行動があって、初めて現実になるのです。
これほど当たり前の事実に、私は遠い遠い遠回りをしていたようです。
あなたが同じ失敗を繰り返す前に、ここであえて話をさせていただきました。
何かを思い、感じたら、それをそこで終わらせないでほしいのです。
最後に行動をして、1つのサイクルにしていただきたい。
そうしないと、いつまで経っても変わったようで変わらない毎日が繰り返されていくからです。
私が以前そうであったように、あなたにもそうなることが考えられます。
「読書と行動」を1つのセットにしておきましょう。
本を読んだら行動です。
読んだら本を閉じて終わりではなく、次に行動してほしいのです。
また読んで行動することを繰り返していけば、あっという間に現実が変わります。
私はそうして現実を変えていきました。
あなたにもできるはずです。
心の美しさと、行動の美しさは共通です。
行動が美しい人は心もきれいです。
心がきれいな人は言葉にも汚れがなくきれいです。
行動は、心が外に表れたものです。
ポイ捨てをする人は、心にそういう気持ちがあるからそうするのです。
動物を優しくかわいがる人は、心にそういう気持ちがあるからそうしているのです。
悪口を言う人は、心でそういうふうに思っているから、口にしているのです。
行動と心は、たしかに存在としては別々ではあります。
しかし、行動を見れば、心が見えるのです。
心と行動は同じだからです。
心を変えて行動を変えるアプローチがあります。
一方、行動を変えることで、心も変えるというアプローチもあるのです。
行動は心と大きなつながりを持っているためです。
行動を変えることで、心にも影響を与えることができます。
私は元気のないときほど「元気だ」と口にするようにしています。
また元気のないときほど、元気に振る舞ったり、話したりするようにしています。
すると、不思議なことに本当に元気になるのです。
嘘だと思うなら、実際に試してみましょう。
行動や言葉を変えると、心も変わるのです。
多くの本では「心を変えることで行動が変わる」と書かれています。
私もそう思いますし、否定しません。
ですが、この言葉に、もう一言付け加ええたいと思います。
「心を変えることで行動が変わる。行動を変えることでも心は変わる」
心とは、行動です。
心から変えてもいいし、行動から変えてもいいのです。
どちらもつながっているのですから、影響を与え合うことには変わりありません。
あなたが「心をきれいにした」「心の汚れを取りたい」と思っていれば、そういう行動をすることです。
行動を変えることで、心にも影響を与えることができるのです。
心の汚れを取り除きたければ、言葉の汚れを取り除くことです。
言葉の汚れを取り除くことが、心の汚れを取り除くことにつながります。
「心をきれいにすること=言葉をきれいにすること」と言っても過言ではありません。
心と言葉はとても強くて、大きなつながりを持っています。
私はその人の話し言葉を聞けば、どういう心を持っているか、たいていわかります。
いえ、あなたにだってできるはずです。
誰にでもすぐわかるほどに、言葉の威力は強烈です。
「あの野郎、本当にむかつく」
「っていうか、~みたいな」
「まじ、現実から逃避したいんだけど」
こんな言葉を口にしている人がどんな人であるかは、自然とどんな心を持ち合わせているかがわかるのではないでしょうか。
こういう言葉を口にしている人は、そういう人なのです。
こういう言葉遣いだから、いつまでもそういう心のままです。
言葉が汚れているかぎり、心はどうしてもきれいにはなりません。
言葉は「言霊」という言葉があるように、一種のパワーを持っています。
「ばか」と言う一言でさえ、人を傷つけ、自分を傷つけてしまうパワーを持っています。
言葉の使い方が重要なのです。
包丁と同じです。
使い方しだいで、生かすこともできますが、人を傷つけることもできてしまいます。
包丁の使い方を知らない人が、おいしい料理をつくるなんてできません。
言葉の使い方がうまくできない人は、うまく人付き合いができず、人を傷つけ、自分まで傷つけてしまうのです。
当たり前に考えれば、当然の話です。
言葉遣いがきれいで上手な人は、上手に人間関係を築けます。
尊敬語や謙譲語などありますが、それ以前に言葉をきれいに磨くことです。
きれいな言葉遣いがあって、次に尊敬語や謙譲語によって、上手に言葉を操れるようになるのです。
もともと私たちは、自然の中に生きています。
人工が自然をつくり出したのではなく、自然が人工をつくり出したのです。
この順番は事実であり、覆すことのできない現実です。
自然の中に、人工が含まれている状態なのです。
自然に沿って生きていれば、あらゆることがうまくいきます。
もともと私たちは自然の中から生まれてきたからです。
緑の多い自然に触れるとほっとした経験はありませんか。
雨の音を聞くと、なぜか落ち着きませんか。
田舎の空気を吸って深呼吸をすると元気が出てきませんか。
もともと私たちは自然から生まれてきたので、自然に触れたときにはほっとします。
自然に触れると、自然と落ち着けます
生みの親に触れているから、最も落ち着くことができるのです。
自然に沿っていれば、本来人生はうまくいくはずなのです。
もしうまくいかなければ、不自然なことをしているからです。
見栄や肩書、お金、体裁、執着など、これらはすべて人工です。
自然なことではありません。
自然には見栄や肩書、お金、体裁、執着はありません。
人間が人工の中で生み出した不自然なことなのです。
不自然なことばかりをしていると、うまくいかなくなります。
代表的なことといえば「病気、事故、けんか」です。
病気をしてしまうわけは、自然にそうなるからではありません。
何か、体にとってよくないことをしたからです。
栄養が偏っていたり、仕事のしすぎで疲れていたり、睡眠不足だったりと、何か自然に反したことをしているからです。
病気になったときには「偶然に病気になった」と思わないでください。
原因があるから、病気になるのです。
その原因のほとんどは、不自然なことです。
体にとってよくない不自然なことをしたから、自然な調子が狂ったのです。
すべての結果には必ず、原因が存在します。
事故も同じです。
交通事故に遭う原因は、不注意だったり、よそ見をしたりするからです。
事故という結果を生み出すことも、必ず原因があります。
それは自然からの「気をつけなさい」というメッセージです。
けんかも自分の私利私欲という不自然なことをしているから起こることです。
自分のことだけを考え、相手のことは考えていないと、けんかへと発展します。
自然があなたをけんかへと導くのです。
共存共栄という自然のサイクルの中で、自分個人だけが財産をかき集めてしまうことは不自然なことだからです。
お金、土地、家も、見栄や体裁のために追いかけて、執着のために手放せず、不自然なことがあなたにトラブルを招くのです。
人生を重たくさせ、ストレスになり、けんかの元となります。
自然という大きなルールの中に生きているのですから、自然に逆らうと何かがおかしくなるのです。
自然にはどうしても逆らうことができません。
先ほども言いましたが、自然が私たちを生み出し、自然の中に生きているのですから、これは絶対的なルールです。
病気も事故もけんかも、たまたま偶然するわけではありません。
原因があるからそうなるのです。
病気になったり、事故に遭ったり、けんかをしてしまったとき「あなたは間違った方向に進んでいますよ」という警告なのです。
自然という大きな流れに反すると、自然がきちんと教えてくれるのです。
これほど嬉しいことはありません。
あなたは生まれつき、大先生がそばにいるのです。
この感謝に気づくことが大切なのです。
トラブルがあったとき、自然からの警告と深く受け止め、生活を振り返る必要があるのです。
もともと心は輝いています。
しかし、その心に雲になって光を遮っている存在があります。
それが「不安」と「恐怖」です。
不安と恐怖があると、せっかくの心の光も隠れます。
心はもともと光り輝いていますが、その光を不安と恐怖という雲が遮ってしまっています。
では、不安と恐怖の正体とは何でしょうか。
それは単なる「妄想」が正体なのです。
本当はまだ起こってもいない未来に不安になったり、現実に恐怖を感じたりすることは、頭の中だけで考えていることです。
まだ現実に起こってはいません。
不安と恐怖は、頭の中だけで考える非現実なことなのです。
あなたが勝手につくり出してしまっているわけです。
本当はまだ起こってもいない現実を頭の中だけで妄想を膨らませ、現実であるかのように1人勝手に悩んでいるわけです。
「でも、そうは言っても不安や恐怖を感じてしまう……」
そう言いたいのでしょう。
さて、ここからが本題です。
では、そもそも不安と恐怖をつくり出している原因とは何なのでしょうか。
それが「過去の記憶」です。
過去に叱られた経験やつらい経験があり、その記憶があるために「二度とあんな目にあいたくない」と思います。
ゆえに不安や恐怖が湧き出てくるのです。
不安と恐怖をつくり出している大本は、過去の記憶だったのです。
極端な話、過去の記憶がなくなれば不安と恐怖もなくなります。
生まれたばかりの赤ちゃんは過去の記憶が一切ありませんから、みな明るく元気です。
幼い子どもほど明るく、大人になるほど暗くなってしまう理由は、過去の記憶があるかないかです。
何も記憶喪失になれといっているのではありません。
それは現実的でないことは、私もわかっています。
あなたは過去にあった叱られた経験やつらい経験から、同じことが起きないように今に対して不安になり、恐怖を感じているのです。
では、こんなときどうすればいいのでしょうか。
過去の記憶が原因なら、過去を変えてしまえばいいのです。
以前の私は、不安と恐怖だらけの人間でした。
いつも将来が不安で、つらい出来事がないように恐怖を感じていました。
しかし「あること」に気づいてから、一気にぱっとすべてが変わったのです。
それが「過去のおかげで今の自分が存在している」という事実です。
私は過去に、女性に振られたり、先生に叱られたり、友人とけんかをしたりした経験が何度もあります。
そうした過去の記憶のために、女性との付き合いに怯え、先生に恐怖を感じ、友人とすれ違う不安を感じていました。
しかし、今の強い自分がなぜ存在しているのかというと、そうした過去があるからです。
つらい過去があったおかげで、今の強い自分が存在しているのです。
つらい経験をしている真っ最中は「二度とこんな経験はしたくない」と思っています。
ですが、後になってあらためて考え直してみると、つらい経験ほど自分の中で得られる成長があります。
先生に叱られたから、自分のいけないところがわかった。
女性に振られたから、自分の欠点を知ることができた。
友人とけんかをしたから、人付き合いの弱点がわかった。
よくよく考えてみると過去のつらい経験は、どれもいい経験ばかりなのです。
嫌な経験とは、自分が思い込んでいた妄想です。
現実としては、感謝すべき出来事です。
自分のためになるようなつらい経験ほど、実際は、喜びです。
「大変でつらかった。でもそのおかげでよくなった!」
この事実に気づいたとき、私はぱっと変わったのです。
今までの暗い過去が180度ひっくり返り、明るい過去へと一気に変わったからです。
過去の記憶がすべて明るい記憶に変わってしまえば、不安も恐怖もなくなってしまいます。
むしろ「もう1回つらい経験をしたいな」と思ってしまうほどです。
また自分が1つ成長できるという事実があるからです。
暗い過去のせいでストレスになっていたことが、輝かしい過去に変わればもう恐怖も不安もなくなります。
過去に起こった出来事にすべて感謝できるようになれば、今に不安を感じたり恐怖に怯えたりすることはなくなります。
現実には悪いことなど、1つもないからです。
喜びしかない。
これが本当の現実の世界であり、不安と恐怖は自分が勝手につくり出している妄想だったのです。
わからないときには、とにかく行動してみる癖をつけておくことです。
行動は、わからないことの具体的な答えを出してくれる、強力な方法です。
心のごみは、行動してみれば、案外あっさり取れてしまうことがあります。
良いことか悪いことか自分でもよくわからないときが、実際にあります。
「恋人が、本当に自分と合っているのか。結婚しても大丈夫なのか」は、頭の中だけではわかりません。
「この人となら大丈夫」と思っても、結婚するとすれ違いばかりで、離婚に至るケースもあります。
こうした失敗のほとんどは、実際にシミュレーションをしていないことが原因です。
「本当にこの人が私にぴったりの人なのか」と頭の中で考えるくらいなら、一度同居をしてみればいいのです。
同じ部屋で一緒に暮らして、生活を共にすればいいのです。
半年から1年くらいの期間を通して、結婚した後の生活をシミュレーションしてみれば、答えは具体的に出るものです。
もし同居生活でうまくいけば、結婚してもうまくいくでしょう。
しかし、もし同居生活の結果「やっぱり違うな」と思えば、別れてほかの人を探せばいいのです。
わざわざ離婚という失敗をせずに済んだのですから、立派な成功です。
心がもやもやするときは、その状態を改善するために、具体的な行動をするだけです。
変に頭の中だけで考えるから、うまくいかないのです。
現実と想像にギャップができるのです。
心のもやもやは行動によって取り払うことができるのです。
心が乱れている人に多いケースは、親との距離が近すぎるケースです。
子どもがいつもいらいらしている理由は、親が干渉しすぎていることが原因である場合が多くあります。
特に親が子どものためを思い、あれやこれやと世話をして、かえって子どもの独立心を妨げていることが多いのです。
いくら親切でも、干渉しすぎると逆に迷惑になります。
ありがた迷惑なのです。
言い方が悪いかもしれませんが、子どもをダメにしているのは親なのです。
子どもは思春期ごろから、自分で自分のことをしたくなります。
自分の人生を自分の責任でコントロールしたくなります。
生まれた当初は、言葉も手足も不自由で親からの援助が必要でしたが、成長してくると、もはや親の助けは必要がなくなります。
むしろ邪魔になってしまうのです。
プライベートを必要としたり、自分の部屋を持ちたくなったりする気持ちは、そうした独立心の芽生えなのです。
自分の親があまりに干渉しすぎるというなら、一度親と距離を取ってみるといいでしょう。
自分から積極的に、親から離れる努力をすればいいのです。
自分だけの部屋を持たせてもらったり、一人暮らしをしてみたりすると効果的です。
不思議な話ですが、親と離れたほうが親のことがよくわかるようになります。
今まではそばにいた分、近すぎて見えることも見えなくなっていたのです。
私は19歳のころから1人でアメリカに留学し、向こうで一人暮らしをしていました。
親と離れてみることで、親のありがたみがわかるようになった経験があります。
食事や掃除洗濯の大変さ、銀行、書類の整理など、すべてを自分で経験することで、初めてありがたみがわかります。
すると今まで近すぎて見えなかった親のことが、離れることでよく見えてくるようになるのです。
不思議な話ですが、近くにいると見えなくなり、離れたほうがよくわかるようになります。
正直になったほうが、心も軽く、人間関係もうまくいくようになります。
ありのままの自分を出すため、相手に誤解もされにくく、打ち解けた関係になりやすいのです。
正直であることは、仮面を脱ぎ、ありのままの自分を出していくことです。
するとあなたの顔に汚れがあれば、他人がそれを教えてくれます。
それを聞いてあなたはすぐ顔を洗って汚れを取ればいいだけです。
しかし、正直になれない人がいます。
なぜ正直になれないのかというと、コンプレックスがあるために、自分のことを守り、大切にしすぎてしまうからです。
コンプレックスが大きい人ほど、嘘をついて隠そうとします。
正直でない人ほど、嘘をついてしまうため、ついた嘘のつじつま合わせに大変なエネルギーを使ってしまうことになります。
嘘が嘘を呼び、嘘だらけの生活になります。
嘘を隠すためのエネルギーも膨大です。
それで心がどんどん乱れて汚れていくのです。
嘘をついて自分のコンプレックスを隠そうとすることは、仮面をかぶっていることと同じです。
その嘘を隠すための時間とお金と努力が必要になり、隠しているため、本当の改善はまったくされていません。
いえ、時には仮面の裏で悪化している場合さえあります。
顔に自信がない女性ほど、化粧が厚くなりがちです。
しかし、化粧をしすぎてしまうと、肌が呼吸できなくなり、さらに顔が荒れます。
自分に自信がない人ほど、人から嫌われるのではないかと勧誘を断れず、つまらない話に時間とお金を使ってしまうことになります。
さらに悪循環にはまります。
隠すことは本当の改善にはなりません。
仮面をかぶることは、嘘をついているということです。
気の進まないことにはできるだけ近づかないようにすることです。
あなたは生まれつき、自分だけの独特の磁石を持っています。
磁石には「N極S極」という磁場があるように、あなたにも「好き嫌い」という磁場があるのです。
好きなことには単純に引き寄せられます。
あなたが自分から力を入れなくても、自然と引き寄せられます。
離れようとすることのほうが、大変なくらいです。
しかし、嫌いなことに対しては、逆に反発感を抱いてしまいます。
自分から近づこうとしても力が入り、近づく距離が短くなるほど反発力も大きくなります。
好きなことは離れようとしても離れることができない一方で、嫌いなことは近づこうとしても近づけないようになっているのです。
自分の気の進まないことには、正直に近づかないようにすることです。
それがいちばん自然であり、肉体的にも精神的にも健康的だからです。
無理をして近づいても、力ばかりが入ってしまい疲れます。
それでいて、ちょっと気が緩むと、すぐまた離れます。
近づくためには力が必要であり、接近を維持するためにも大きな力が継続して必要です。
これが体を壊す原因になるのです。
お金持ちになってやるという野望のために、気の進まない医者ややる気の出ない弁護士の道を、無理をして進んでもなれません。
なれたとしても、そこに本当の生きがいを見い出すことは難しいことでしょう。
反発を感じながら、気が進まず嫌がりながらしていると、いずれ疲れ果ててしまいます。
医者や弁護士になれる人は、心からそれを望んでいる人たちだけです。
お金のためではなく、心から人を助けたいと思い、病気を治すことに生きがいを感じ、好きなことだという人がなれる職業です。
本当は好きではないが、お金のためにやっているということは、自分の心に正直になっていないということです。
無理をして近づいても、反発し合う磁石のように、すぐ疲れてやる気も出ないのです。
気の進まないことをすれば、それだけで心が重たくなり、自分こそ病気になってしまうのです。
人の目を気にしている人は、決まって心が重たくなっています。
「あの人、私のこと、どう思っているのかな」
「嫌われているのかな」
「変なふうに思われていないかな」
「かっこよく映っているかな」
人の目を気にしているから「自分は今、どう思われているのかな」と不安になり、気が気ではなくなってしまうのです。
他人に気を使い始めると終わりがありません。
いつでもどこでも人は存在しているため、気の休まる瞬間がないのです。
他人に気を使うのは、やめにしましょう。
代わりに、他人に親切にするように気を使えばいいのです。
愛するようにすればいいのです。
親切をするためにどうすればいいかと考えるほうが、結果として人間関係が良くなります。
他人の目を気にする不安が消えます。
好意という気持ちを贈るため、相手からの印象が良くなります。
気を使っても返事はありませんが、好意には返事があります。
しかし、返事があるからとはいえ、返事が目的で親切にするのではありません。
あくまでも「ギブ&ギブ」の精神を大切にしましょう。
返事がなくても、ただ自分のために、相手に親切にするのです。
「自分のために=人のために」という意識で行うことです。
他人のためは自分のためになり、自分のためは他人を思う気持ちになることです。
他人と自分も1つの存在であり、そもそも気を使うことはないのです。
ただ親切に好意を見せていくだけでいいのです。
思春期が始まると、誰でも反抗期がやってきます。
自分という「自我」に目覚めるため、自分にとって気に入らないことがあるとすぐ反抗をしてしまうのです。
自分中心で、世界を回そうとします。
自分を中心に考えているため、気に入らないことがあるとすぐいらいらしてしまうのです。
私もまだ若いころは、そうでした。
自分の思うようにいかないと、すぐいらいらしたり、怒ったり、親に反抗したりしていました。
しかし、今になって思えば、本当の反抗ではなかったのです。
ただ、すねていただけでした。
自分中心で世界を回そうとすねていただけで、反抗していると思っていたのは自分だけでした。
気に入らないことがあるからとはいえ怒鳴り散らし、自分の力を見せ付けようとすることは子どものすることです。
本当の反抗とは、もっと次元の高いことを言います。
こうした「アレルギーを感じることを消化できるようになること」が、本当の反抗なのです。
自分が嫌だと思うことは、往々にして自分のためになっていることがあります。
本当の反抗とは、精神的な痛みが伴うものです。
親があなたにするお説教にせよ、あなたの将来を心配して言っています。
それを「うっとうしい」という理由だけで、聞かなかったり逃げたりすることは、反抗ではなく、すねているだけです。
本当の反抗は、自分がいらいらすることほどアレルギーを我慢して、一度は受け入れることです。
一度は、消化してみることです。
それで「これは自分には必要ないな」と思ったら、あらためて吐き出してかまいません。
しかし、中には「これは必要だな」と思うことがあるかもしれません。
それは苦い、つらい、痛い、大変と思っていることでも、一度は受け入れて消化をしてみないことにはわからないのです。
自分勝手に、自分中心に考えてしまうことは、子どものやることなのです。
心の勉強として、自分についての勉強があります。
本当の勉強とは、自分の外側にあるのではありません。
必ず、内側にあります。
自分が何をしたいのか。
何が得意なのか。
何ができるのか。
自分の生きる使命や役割とは何なのか。
本当は、こうしたことは学校で勉強する前に勉強しておかなければならないのです。
そのうえ、学校では教えてくれません。
自分で学問をして、見つけるしかない勉強です。
自分のやりたいことや目指す道を初めに意識して、その実現のために勉強するほうが順序としては正しく効率もいいのです。
大学受験において、受験に成功している人には早くから進路を決めているという共通点があります。
私が高校時代のときにも、大学受験に合格している人は、早い時期から自分の道を決めていた人たちばかりが圧倒していました。
早ければ早いほどいい。
「獣医師になりたい」
「医者になりたい」
「エンジニアになりたい」
「先生になりたい」
自分が本当にやりたいことを早い時期から見つけます。
そのための勉強を早い時期からスタートさせているからこそ、そのための準備を早くから行えます。
そのときのために、こつこつした努力を積み重ねてきたのです。
蓄積された力も巨大です。
たとえば、先生になりたい人は、早い時期から「自分のやりたいこと」を見つけることができています。
「自分のやりたいことを見つける」ということは、自分の内側の勉強です。
心の勉強です。
しかし、実際の現実では、先生になるための試験があり、試験では国語や理科などの課題が出題されます。
それらが外側の勉強です。
「先生になりたい」という動機のためには、初めに内側の勉強をしておかなければなりません。
「自分は教えることが得意だ」
「人の役に立ちたい」
「人のために働くことに生きがいを感じる」
こうした自分のことを初めに勉強できたから、やりたいことを見つけることができます。
次は、夢の実現のための勉強に、うまく手をつけることができているのです。
進むべき道がわかれば、必要な科目と必要でない科目がわかり、一点に集中ができるようになります。
夢があって、次に勉強です。
目的がはじめにあって、次に目標があるのです。
私は大学受験には失敗してしまいました。
本当に自分のやりたいことがまだわからなかったからです。
見つけられなかったからです。
今思えば、あちこち中途半端な道をさまよっていました。
一点に集中できず、多種多様な科目に手をつけていました。
それがいけなかった。
進むべき道がわかっていなかったため、必要な科目がわからず、ただ手当たりしだいに勉強をしていました。
受験に失敗したのち、私は自宅浪人の時代に入ります。
自分の家で、来年の受験のために1人で黙々と勉強をするということです。
このときの経験があとから大きな意味を持ってきます。
1人になっているといろいろなことを考えます。
学校では友人や先生がいますが、自宅では平日父と母が働きに出て、家には自分だけになります。
1人になり、自分のこと、将来のこと、何をやりたいのかと自問自答を繰り返すことで、自分のことがわかるようになりました。
1人になることを初めて経験し、そうしてようやく自分の勉強ができたのです。
もっと早くから自分の勉強をして、自分のやりたいことや進むべき道がわかっていれば遠回りをせずにすんだのでした。
自分の勉強は、初めにしておかなければならない心の勉強です。
今となっては苦い思い出ですが、そのときがあったからこそ今の自分が存在しています。