HAPPY LIFESTYLEを運営していると、いろいろな悩みをいただきます。
その中でも、意外な悩みが多いことに気づきます。
「やりたいことが見つかりません」という基本的な悩みです。
誰でもできる、誰しも共通する究極の探し方があります。
「死の瞬間から考える」という方法です。
死という究極から物事を考えると、本当に大切なことが見えてきます。
人生では、目的がなくても生きていけます。
学校へいき、就職して、結婚して、子どもを産んで……。
決められたレールの上を、ただなんとなく歩くという当たり前の生き方もあります。
自分に何が適しているのか、何が不向きなのかは、トライしてみないとわかりません。
どんなことが好きで、どんなことがやりたいのかは、まず行動してから初めてわかることです。
初めに言ってしまいましょう。
ある日、英語が好きな「あなた」がいました。
ここではあなたの成績だと仮定して、ちょっと考えてみましょう。
国語が50点。
「やりたいことが見つかりません」
悩みの相談を受ける私には、よくある相談内容です。
いろいろと話を聞いていると、こうした悩みを持つ人には、ある共通点があります。
自分がやりたいことをしているときには、必ずある感情が発生します。
わくわく、うきうきです。
自分探しは、この感情を基準に探すことがポイントです。
日本人は協調性を大切にする民族です。
出る杭は打たれる社会で成り立っています。
ほかの人と違った生き方に抵抗を持っている人が多い。
学校が何のためにあるのでしょうか。
「勉強するため」
そう答える人がほとんどでしょう。
学校の中で自分のやりたいことを見つけられれば、そのまま進めばいいことです。
音楽をさらに学びたい人は、音楽専門学校に通うという道があります。
コンピューターをもっと学び、将来はシステム・エンジニアになりたい人は、情報専門学校に通う道があります。
はやりというのは、ほとんどの場合、人工的な流れです。
「人が作った意図的な流れ」ということです。
今の社会基盤は、資本主義が中心になっています。
私は読者から相談を受けるとき「一生懸命になったほうがいい」というアドバイスをしています。
具体的な行動内容は相手に任せるとして、方針としては「一生懸命」が大切です。
一生懸命になったとき、結果はどうであろうと、必ず成長があるからです。
タンポポのタネは、風に乗ってふわりふわりと飛んだ後、地面に着陸します。
空中に乗って飛ばされた、生まれたばかりのタンポポのタネは、まず土を求めます。
土がなければ、自分の居場所を固定できず、不安定になるからです。
私が「書くことが好きだ」という意識をはっきりもったのは、23歳のときでした。
昔から「書くのは比較的楽しいなあ」という意識はうすうすとありました。
それを人生に生かしたり、積極的に楽しんだりすることはありませんでした。
自分がやりたいことを見つけるためには、なんとなく気が進むことに対して行動するだけでいいのです。
こんなとき「なぜ」「何の意味があるの」と難しく考える人は、やりたいことを見つけられない人です。
なぜ「なんとなく気が進むのか」は、あなたにも私にもわかりません。
「これが本当に自分のやりたいことか」
ときとして、判断に迷うことがあります。
そうしたときには「これで一生生きてもいいか」と考えてみることです。
やりたいことをやっていると、自分でも驚くほどのパワーがみなぎってきます。
いつも自分の好きなことに触れているのですから、毎日が楽しくなり、笑顔の数が増えます。
やりたいことをしていると、集中力が出てきます。
他人と比べていると、自分の好きなことややりたいことを見失ってしまいます。
他人が楽しんでいることが、自分にとっても楽しめることとは限らないからです。
人間には「他人と比べる」という癖があります。
「あんなに頑張ったのに」
「今までの努力が水の泡」
「自分は間違った道を歩んでいるのではないか」
好きな人がそばにいると、自然と気になります。
どきどきと心臓が高鳴り、気にしないようにしようと思っても、気になります。
ふとした瞬間、お気に入りの音楽がテレビで流れていると、気になります。
私は今でこそ「自分は書くことが好きだ」という自覚がありますが、これに気づいたのは23歳のころでした。
友人から褒められたことがきっかけです。
そのときまでは「書くのはなんとなく得意だな」とくらいにしか考えていませんでした。
「やりたいことをやっていない」
もしかしたら、思い込みかもしれません。
やりたいことは、自分の好きなことです。
あなたが生活の中で、いちばんお金をかけていることは何でしょうか。
食費、光熱費、交通費といった日常的な維持費は抜きにして、考えてみましょう。
自由に使えるお金を、最もつぎ込んでいるところは何でしょうか。
「やりたいこと」と聞くと、得意なことを想像する人が多いようです。
「上手にできること」「うまくできること」が、その人のやりたいことと同じと思っていませんか。
やりたいことは、その人の得意なことである必要はありません。
やりたいことは、他人から頼りにされることです。
いつも頼りにされることがあれば、自分の才能の1つという可能性が大きいです。
自分がよく他人から頼られることを思い出してみましょう。
さあ、あなたに質問です。
ここに10種類のスポーツがあります。
このうち、あなたにいちばん向いているスポーツはどれでしょうか。
医者になった人の体験談を読んでいると、過去に大事故に遭った人が多いことに気づきます。
涙を流しながら「自分の人生はもうダメだ」と病床に伏せている中、医者からの素晴らしい治療と励ましにより、回復します。
人を助ける医者と関わっていくうちに「自分もこうなりたい」と憧れを抱くようになり、医療の道を選んだとのことです。
自分が好きでやっていることは、無駄にはなりません。
心から楽しんでやっていることは、1つの妥協すら許さず、全力で立ち向かっていることです。
作品の鑑賞、創作、勉強など、何であれです。
問題を抱えている人は、出口のない迷路に迷い込んでいるような錯覚に陥ります。
行き止まりで、抜け出す道がなく、どうしていいのかわからないという行き詰まった状態です。
しかし、その行き詰まりの場所が、実は入り口だったりします。
私は機械に関しては、あまり抵抗がありません。
このようにHAPPY LIFESTYLEを簡単につくってしまうのも、コンピューターや機械に強いおかげです。
なぜ強くなったのかと過去を振り返れば、心当たりがあります。
HAPPY LIFESTYLEを運営していると、いろいろな悩みをいただきます。
その中でも、意外な悩みが多いことに気づきます。
「やりたいことが見つかりません」という基本的な悩みです。
何か目的があって悩んでいるのではありません。
目的がなくて悩んでいるのです。
「自分は将来、何をするべきか。何をしたいのか。何をやりたいのか。仕事をするべきなのか」
自分で、わかっていないのです。
目的が見つかって悩むなら、まだわかります。
しかし、目的そのものが見つからなくて悩むのは、問題以前の問題です。
私がやりがいを感じる仕事は、HAPPY LIFESTYLEを通して悩み解決のお手伝いをして幸せな生活へと導くことです。
そのために、今こうやってたくさんの本を書いて、サイトを通してたくさんの作品を発表しています。
好きなことです。
最も充実感を得られる仕事です。
私にとって、これ以上楽しい仕事は考えられません。
選択に迷うことはありません。
本を買うとき、仕事を選ぶとき、町に出かけるときなど「夢につながっているか」を意識すれば、瞬時に判断ができます。
「これは自分の夢につながっている」と思えば、すぐ行動です。
やりたいことが見つかっていないと、次のようなときにも悩みます。
大学受験の際の「どの大学を選ぶか」という悩みです。
自分にいちばん適している大学を選ぶためには、まずやりたいことを初めに見つけておかないと決められません。
「偏差値の高い大学だから。有名な大学だから」という動機で選ぶと「この道は自分が進むべき道なのか」と悩み苦しみます。
獣医師になりたければ、そのための専門学校があります。
看護師になって病に苦しむ人を助けたければ、そのための近道があります。
学校では、試験の勉強は教えてくれますが、自分のやりたいことを見つける勉強は教えてくれません。
本来の試験の勉強は「やりたいことを見つける」という勉強ができて、初めてできることなのです。
目的があって、初めて目標ができます。
異国の人たちのつなぎ役になりたければ、通訳を目指して語学学校へ行ったり、海外留学したりと、進むべき道が見えてきます。
その道がいちばんの近道です。
夢につながる進路です。
「つくることが好きだ」という自分の性格がわかれば、クリエイティブ系のお仕事を選べます。
つくることで充実が得られる性格なら、適した大学や仕事を選べます。
法律が大好きという人は、法律系の学校に通う道が考えられます。
法律系の学校に通い、裁判官、検事、弁護士といった職業が考えられますね。
音楽が好きな人は、音楽に関係した学校、仕事をするといちばん幸せです。
仕事で音楽に触れることができ、お金がもらえるのですから、最高です。
自分が好きなこと、やりたいことが見つかっている人は、進路や職業の選択に迷うことはないのです。
あなたは自分のやりたいことは見つかっていますか。
「どんな勉強をして、どんな仕事に就くべきか」は「自分は何をやりたいのか」がわかっていないと具体的に決められないことです。
やりたいことを見つけましょう。
人生では、自分がやりたいことを見つける勉強をしておかないといけないのです。
誰でもできる、誰しも共通する究極の探し方があります。
「死の瞬間から考える」という方法です。
死という究極から物事を考えると、本当に大切なことが見えてきます。
ある人は「お金を稼ぐことがやりたいことだ」といいます。
本当にその人のやりたいことでしょうか。
「死の瞬間から見る方法」で判断すると、すぐ答えがわかります。
死んでしまえば、お金は意味がなくなります。
お金をあの世まで持っていくことはできませんから、手放さなければなりません。
お金は、生きるためには必要なことです。
しかし、死んでも手に入れたいことではありません。
つまり、お金を手に入れることは、人が本当に求めることではないのです。
死んでもいいから欲しいもの、手に入れたい物、求めるものが、本当にやりたいことです。
難しいテーマであることは、承知です。
しかし、これこそが自分が本当に求めるやりたいことです。
人間は、誰もが必ずいつかは死を向かえ、誰も死を避けられません。
この世における絶対的な事実に気づいたとき「真実」が見えてきます。
家を持っても、死ぬとき、手放すことになります。
お金を持っても、死ぬとき、手放すことになります。
肉体があっても、死ぬとき、手放すことになります。
私は求めていることのどれも、実は死んでしまえば手放さなければならないことに気づき、むなしくなったことがありました。
欲しいものを手に入れたところで、絶対いつかは手放さなければならない。
なんてむなしいのでしょう。
家族、友人、恩師、家、学歴、資格、お金、財産、土地、記憶、自分の肉体。
すべては、最後は水の泡です。
すべて手放さなければならないという、絶対的真実があります。
私は考え方を改めました。
改めざるを得ませんでした。
真実に気づいたからこそ、本当の対策を立てることができるようになった。
「死んでもいいから手に入れたい」という究極を求めるようになったのです。
一時的な欲のために今、努力するより、本当に手に入れたい1つのために、一生を捧げようという考えになったのです。
死んでもいいからやりたいことが、本当に求めていることなのでした。
いちばん願うものといえば、自分ができることで次の人に大切なメッセージを残して、愛されて死んでいくことです。
恥ずかしいことですが、私話をさせてください。
私は「後世に元気を残して愛されて死んでいきたい」という究極的な願いがあります。
これが、死んでもいいから本当にやりたいこと、達成したいこと、夢でもあります。
本を読むことも、書くことも、HAPPY LIFESTYLEというサイトをつくることも、手段にすぎません。
仕事も勉強も、生きることまるごとすべてが、目的を達成するための手段です。
それらを使って、実は「後世に元気を残して愛されたい」という大欲があります。
私にとって、本当にやりたいことです。
死んでもいいから手に入れたいことです。
それができたとき、私は本当に死んでもいいと思っています。
人生では、目的がなくても生きていけます。
学校へいき、就職して、結婚して、子どもを産んで……。
決められたレールの上を、ただなんとなく歩くという当たり前の生き方もあります。
そうした生き方も悪くはありません。
悪くはないけれど、どうせ生きる一度だけの人生なら、もっと自分に焦点を合わせて生きていいのです。
もっと幸せになるために、行動しましょう。
やりたいことはなくてもいいですが、あったほうが絶対に人生は有意義になります。
喜怒哀楽をはじめとする、さまざまな出来事もやりたいことや好きなことを通して経験できるほうが感動的です。
私はやりたいことを見つける前にも、喜怒哀楽はありました。
こうした一般的な喜怒哀楽はありました。
しかし、やりたいことを見つけてから、喜怒哀楽がもっと刺激的で感動的になりました。
一生懸命になっていることを通して得られる感情は、いつも以上に刺激が強くなるからです。
大好きなことを通して感動すると、いつも以上に感情が高ぶります。
やりたいことですから、自然と一生懸命になります。
喜怒哀楽の感情も自然と刺激的になってしまうのです。
目的があったほうが、もっと楽しく生きていけます。
目的を持ったほうが面白いし、刺激的な人生なのです。
自分に何が適しているのか、何が不向きなのかは、トライしてみないとわかりません。
どんなことが好きで、どんなことがやりたいのかは、まず行動してから初めてわかることです。
初めに言ってしまいましょう。
やりたいことを見つける方法は「トライの数を増やすこと」です。
特に学生は、難しいことをとやかく言わず、まず挑戦してみるのです。
食べ物の食わず嫌いはいけませんが、経験の食わず嫌いはもっといけません。
経験をすることなく「自分にはできないに決まっている」と尻込みしていると、自分を知るチャンスをどんどん逃してしまいます。
もしかしたら思わぬ楽しさを発見するかもしれませんし、自分に向いているかもしれません。
私もあなたに「これが向いている。これがあなたのやりたいことです」とは断言できない。
あなたのやりたいことは、自分が発見する仕事だからです。
あなたが実際にトライをして感じたことだけは、正しくて正確な手がかりになります。
トライの数を増やすほど手がかりが増えるため、自分を見つけることができ、適正がわかるようになります。
たくさんの人との出会いがあり、たくさんのことを勉強して、そうしたなかから「自分発見」をします。
いったん自分のやりたいことを見つければ、後はそれをどんどん深めていけばいい。
どんどんと深めて自分の得意技に変え、将来はそれで生計を立てられるようになれば理想です。
ある日、英語が好きな「あなた」がいました。
ここではあなたの成績だと仮定して、ちょっと考えてみましょう。
国語が50点。
数学が30点。
英語が95点。
見てのとおり、いちばんスコアの高い科目は英語ですね。
さすが好きな科目だけあり、高得点です。
一方で国語や数学の成績はぴんときません。
「数学や国語は苦手なんだな」ということが、成績からすぐわかります。
それぞれの科目の成績は、かなり明暗を分けています。
こういうときに、あなたならどうしていますか。
成績の良い英語はさておいて、穴のあいている数学を一生懸命に勉強しますか。
それとも、得意な英語をもっと勉強しますか。
得意なことだけを勉強すればいいのです。
学校では、学力の穴をあけているのはいちばんスコアの低い数学だということで、数学ばかりを勉強させられます。
たしかにそれは、間違ってはいません。
しかし、本人の特質を最大限に生かした勉強ではありませんね。
学校では、何でもかんでも勉強をさせ、どれもこれもスコアさえよければそれでいいという風潮があります。
しかし、そうした学校の進め方のために「自分が本当にやりたいこと」を見失っている人が大勢います。
先ほどの例にも挙げたとおり、得意な科目は、英語です。
誰が見ても明らかです。
英語の成績が十分にいいから、ほかの科目を勉強するのではありません。
英語が得意だから、もっと勉強して磨くのです。
苦手なこと、できないことを無理して勉強する必要はないのです。
むしろそんなことをしてしまうと、本当に自分のやりたいことや好きなことを見失ってしまう可能性が出てきます。
英語が得意ということは気づいていても、スコアの低い科目に目が向いてしまい、不得意なことを重点的に勉強しようとします。
こうして本当にやりたいことを見失ってしまうのです。
せっかく自分の成績から得意なことや好きなことがはっきり表れているのですから、集中して磨けばいいのです。
社会で武器になるのは、得意な科目1つだけで十分です。
つまり、専門家こそが社会では求められます。
「すべてそこそこしかできません」という人より「これしかできませんが誰にも負けない自信があります」という人が求められます。
英語が得意なら、将来は翻訳家、通訳、英語の先生など、そうした道が開けます。
「これしかできないの」と侮辱されることはありません。
「この専門家であるあなたにお願いしたい」と、多くの人から求められるようになります。
好きなことばかりを勉強し、自分の武器にすれば、将来は好きなことをしながら食べていくことができるようになるのです。
「やりたいことが見つかりません」
悩みの相談を受ける私には、よくある相談内容です。
いろいろと話を聞いていると、こうした悩みを持つ人には、ある共通点があります。
「まだ何もしていないこと」です。
「一生懸命になっているけれど、自分のやりたいことが見つからないし、わからない」といいます。
一生懸命、将来を模索しているようです。
「ああいうことを想像したり、こういう道を考えてみたり……」など、さまざまな自分の可能性を考えています。
この人が一生懸命になっているのは「行動」のことではなく、頭で考えている「想像」だけのことだったのです。
頭ばかりで考えて、実際の行動が伴っていません。
一生懸命になっているつもりだけになり、いつまで経っても本当に自分のやりたいことや、好きなことを発見できないでいるのです。
これを「一生懸命の空回り」といいます。
思案は必要です。
想像が無駄といっているのではありません。
しかし、それは、行動をした後にすることです。
行動もしていないで「これはどうだろう。あれはどうかな」と悩んでいても、どれも仮定でしかありません。
実際は、やってみないとわかりません。
一度経験すると、思ったより楽しく感じたり、想像以上に簡単だったりするものです。
自分の性格に合っていれば、思ったより成長が早いかもしれません。
どう感じるのかは、やはりトライしてみないとわからないのです。
一生懸命の空回りを、していませんか。
行動をせずに、頭ばかりで考えているからです。
本当に一生懸命を成就させたければ、考えるより先に、行動することが大切なのです。
自分がやりたいことをしているときには、必ずある感情が発生します。
わくわく、うきうきです。
自分探しは、この感情を基準に探すことがポイントです。
心の高揚感は、自分のやりたいことをしていないと発生しない感情だからです。
わくわく、うきうきすることをしているとき、いちばん大切な時間を過ごしている証拠です。
幸せであり、楽しくもあり、充実した時間を過ごしています。
しかし、心の高揚感を無視した生き方をしている人を見かけます。
わくわくしていても「何てことないよ」とないがしろにします。
うきうきしていても「別に普通だよ」と感情を抑えています。
わくわく、うきうきすることは子どものすることだという気持ちが、どこかにあります。
体裁や見栄を張って素直になれないのは、もったいないです。
大人は自分の感情を抑えることが、上手です。
素晴らしいですが、度が過ぎる場合があるのです。
素直に表現せず、回りくどい表現をします。
感情を抑えても、抑えすぎるのは良くありません。
本当に感情がなくなれば、人間らしい生き方ができなくなります。
大人になって感情をコントロールしても、感情を抑えすぎないことです。
「うわっ、面白い。楽しい」という心の高揚感を目安にして、自分のやりたいことを探すのです。
日本人は協調性を大切にする民族です。
出る杭は打たれる社会で成り立っています。
ほかの人と違った生き方に抵抗を持っている人が多い。
「好きなことをして生きる」という道に罪悪感を持つのも、日本人に特有の感情です。
欧米では、自分のやりたいことに積極的に生きることは美であり、当たり前だと思っています。
私が留学していたころは、欧米人の「これが私の生きる道(That's my way.)」という言葉をよく耳にしたものです。
堂々と自信を持って口にしている姿は、うらやましく思えました。
我慢や忍耐が好きな日本人が「好きなことをして生きる」と口にすると「世間は甘くない」と否定的な言葉が返ってきます。
協調性を重んじる国民にとって、グループから抜け出して、1人で幸せになろうとする人を、憎らしく思っているのです。
みんな頑張っているのに、自分だけこんな楽しいことをして生きていいのかと思ってしまう罪悪感があるのです。
罪悪感はあって当然です。
「これが私の生きる道」という恥ずかしい言葉を、積極的に言えるようにならないといけない。
「これが私の生きる道」をどんどん口にしましょう。
自分のやりたいことを具体的にする積極性を持たないと、進路は決まらないまま時間ばかりが過ぎてしまいます。
「恥ずかしい」という感情になるのは、いちばん気にしていることだから。
恥ずかしい気持ちになったということは、心のどこかで強く気にしている証拠です。
それこそいちばん積極的にならないといけないのです。
学校が何のためにあるのでしょうか。
「勉強するため」
そう答える人がほとんどでしょう。
たしかに間違ってはいませんが、もう1つ大切なことを勉強するためです。
「自分の適性を見つけるため」です。
学校が何のためにあるのかというと、ただ勉強するためだけではありません。
学校では、国語、算数、理科、社会、体育という基本5科目があります。
そのほか英語、道徳、家庭科、運動会、文化祭、人間関係、スピーチ、オリエンテーリング、遠足など、さまざまなことを学びます。
それにはしっかりした意味があるのです。
「さまざまなことを勉強して、自分を見つけなさい」という意味があるのです。
学年が低い小学生ほど「広く浅く」学び、学年が高くなるにつれて「狭く深く」へと変わっていくのは、そのためです。
勉強を始めたばかりの小学生のころは、自分の適性を知りませんから、とりあえず幅広く浅く学びます。
自分の得意不得意を知り始めた中学生のころから「選択授業」が増え始め、高校には「理系文系」という進路希望があります。
また受験という大きな選択の時期も特徴的です。
学年が高くなるにつれ、学問の幅は狭く、深くなります。
すべてにおいて、得意になる必要はないのです。
自分が好きな科目や得意な科目を見つけ、それを深めていけばいい。
やりたいことで将来は食べていけるようになれば、公私ともに幸せになれます。
「自分にとって得意な分野を見つけなさい。見つかれば、さらに伸ばしなさい。自分の道を進みなさい」
学校でたくさんの勉強をさせる理由は、こうした意味があるのです。
学校の中で自分のやりたいことを見つけられれば、そのまま進めばいいことです。
音楽をさらに学びたい人は、音楽専門学校に通うという道があります。
コンピューターをもっと学び、将来はシステム・エンジニアになりたい人は、情報専門学校に通う道があります。
看護師になりたい人は、看護学校。
法律を通して社会と人の役に立ちたい人は、法科学校。
医療で人を助けたいという医者の道なら、医科学校。
世の中には、やりたいことに応じて、学校もさまざまなジャンルが設けられています。
しかし、入学はしたものの、学校内で夢につながる勉強がない場合は、どうすればいいのでしょうか。
きちんと道が存在しています。
「中退」です。
中退は悪いことだという印象を抱きがちですが、必ずしもそうとは限りません。
自分のやりたいことを、学校の外で見つけて進むための出口でもあり、入り口でもあります。
数多くの著名人の中には、意外にも、大学を中退するケースが存在します。
マイクロソフト社の会長であるビル・ゲイツは、名門ハーバード大学を中退しています。
在学中にBASICというプログラミング言語を開発して、これが本当に進むべき道だと悟り、大学を中退しています。
松下幸之助氏も、学校を途中でやめて「Panasonic」を創設しました。
発明王エジソンは、小学校を3カ月で中退です。
本当にやりたいことを見つけたら、一刻も早く、進むべき道を歩み始めることです。
卒業が必要というのは、思い込みです。
状況によっては、中退が近道になる場合もあります。
時間は、過ぎるばかりです。
慎重に考えたうえでの判断をして、ベストな判断をしましょう。
はやりというのは、ほとんどの場合、人工的な流れです。
「人が作った意図的な流れ」ということです。
今の社会基盤は、資本主義が中心になっています。
資本家たちが、お金を稼ぐために「今年はこれをはやりに仕立てあげて、収入の流れをつくろう」とたくらみます。
積極的にCM(コマーシャル)を流したり、雑誌の特集を組んだりします。
それを目にした一般人は「今年はこれがはやるのか。これが今のブームなのか」と思い込み、その商品を購入します。
多くの人が1つの商品に集中することで、事実、はやりがつくられます。
一度、はやりがつくられれば、その商品を売れば売れて、売れるからさらに売れるようになるという循環が出来上がります。
宣伝、CM、雑誌の特集を目にした人たちは、無意識のうちに資本家たちの罠に陥るという流れです。
はやりは、自然に発生したものではなく、人工的につくられているものがほとんどです。
世間の流れはほとんどの場合、自分の流れではありません。
「今年は青がはやるらしい。雑誌に書いてあった。CMでもやっている。だから青を自分色にしよう」
というのは、周りに流されている生き方です。
自分の感情を中心に生きているのではなく、他人の情報や判断を基準にして生きています。
こうした人は、心から幸せを感じることはありません。
本当の幸せは、自分の外にあるのではなく、常に自分の中にあることです。
他人に「いいね」と言われる生き方より、自分が「いい!」と思える生き方をしたほうが、自分らしい道を歩んでいます。
自分がいいなと思ったら、それで正解なのです。
私は読者から相談を受けるとき「一生懸命になったほうがいい」というアドバイスをしています。
具体的な行動内容は相手に任せるとして、方針としては「一生懸命」が大切です。
一生懸命になったとき、結果はどうであろうと、必ず成長があるからです。
実際にあった私の体験談を紹介します。
漢字検定2級の勉強をしていたときです。
忙しい時間をやりくりして、勉強の時間を確保していました。
平日だけでなく、休日も漢字だけの勉強に集中して、その結果、漢字検定2級合格という経験があります。
郵便局から「2つ折りにできないため、ポストに入らない。郵便局まで取りに来てください」と通知書がポストに入っていました。
「2つ折りにできない。もしや……」と、期待を膨らませながら郵便局に向かい、手渡されたのは大きい封筒でした。
待ちきれず、郵便局の中で封を開けると、そこには大きい合格証書!
私はあまりに嬉しくて、郵便局の中で両手に合格証書を持ち、10分ほど嬉しい感情に浸っていました。
郵便局員には、怪しい人に映ったことでしょう。
一生懸命に勉強した後の、合格証書は言葉では言い表せないくらい格別に嬉しいのです。
今までの努力が実った瞬間でした。
しかし、次が問題でした。
その勢いに乗って、次に漢字検定準1級の勉強を始めます。
2級で勉強した要領で、準1級の勉強も進めました。
準1級になると、試験範囲が広くなります。
試験日まで2カ月間ありましたから、その期間はスケジュールを調整して勉強する時間をひねり出していました。
朝の3時半に起きて、仕事が始まる9時までひたすら勉強です。
2カ月間、手を抜かずに勉強しました。
2級の合格からコツや要領を得ていますから、かなり効率的に進めていけました。
しかし、結果といえば、不合格でした。
試験を受けた直後に回答が配られ、自己採点をして、受からなかったことがわかりました。
受からなかったのですから、もちろん残念です。
ところが、不思議と心残りはありませんでした。
むしろすっきりした気分でした。
全力はすべて出し切った結果ですから、悔いが残っていないのです。
勉強を怠けて、だらだらしていれば「もっと勉強すれば受かったかもしれないな」という後悔が残ることでしょう。
しかし、自分にできるだけの時間とエネルギーをすべて費やし、できることはすべて行ったうえでの不合格は、悔いが残りません。
残念な結果ではありましたが、では今まで勉強した時間はすべて無駄になったのかというとそうでもありません。
一生懸命に勉強に打ち込んだ時間は、それだけしっかり自分の実力になっています。
単に合格するだけのラインに、まだ達しなかっただけです。
残念という気持ちはありましたが、不思議と気持ちはすっきりしていました。
資格の勉強だけでなく、仕事、恋愛でも何でもそうです。
「全力は尽くした、やることはやった。今の自分を出し切った」という経験は、悔いが減り、生き方を豊かにするのです。
タンポポのタネは、風に乗ってふわりふわりと飛んだ後、地面に着陸します。
空中に乗って飛ばされた、生まれたばかりのタンポポのタネは、まず土を求めます。
土がなければ、自分の居場所を固定できず、不安定になるからです。
土に着陸すれば、次に水を求め始めます。
水がなければ、芽を出すことができず、成長ができません。
土に埋まっているタネが成長するために次に必要なのは、水しかありません。
ところが、芽を出せば、次は日光を求めます。
日光がなければ、光合成ができず、成長ができません。
日光を浴びて初めて成長します。
これが花の成長です。
単なる成長に見えますが、客観的に見ると、そのときどきで求めていることが変わっていることにお気づきですか。
成長に応じて、そのとき求めるものが変わってくるのです。
成長するから、変わるのです。
これは、人間にもよくある話です。
「以前は日本史が好きだったのに、だんだん世界史も好きになってきた」
「昔は外見重視だったのに、最近は内面重視になってきた」
「音楽を聴くのが好きだったけど、最近はなんだか音楽をつくりたくなってきた」
「昔はもっと荒っぽい性格だったのに、最近は丸い性格になってきた」
このように、自分の考え方、求めること、やりたいことが変わってくることがあります。
「考えがしっかりしていない」「ころころ気が変わる人」と、侮辱する人がいますが、実は逆です。
成長ができている証拠なのです。
成長するにつれて、そのとき求めることも変わってくるのです。
さらに成長するために、求める対象が変わっただけの話。
成長するから視点が高くなり、見える景色が変わったのです。
求めることが以前と変わらない人は、何も成長していないということです。
私はたくさんの作品を書いていますが、いつも同じ気持ちで書いているわけではありません。
恋愛に悩んでいるときは、恋愛の本ばかりを無性に書きたくなります。
恋愛に悩んでいるときにいちばん求めていることは、恋愛の解決法です。
そんなときに恋愛系の本を書くと、ピアノを弾くように指が動きます。
自分が今悩んでいるだけに、気持ちの表現がうまくなり、文章が具体的になります。
問題解決への姿勢が真剣になっていますから、本が書きやすいのです。
恋愛問題が解決されれば、次には、ほかのことを書きたくなります。
仕事でリーダーを務め、部下とのやりとりや仕事に悩んでいるときには、リーダー系の本を書きたくなります。
リーダーの本を書くときには、自分がリーダーになっている気持ちになって書かなければなりません。
リーダーの気持ちになれるのは、実際に自分がリーダーになって悩んでいるときです。
実体験を通して得られた経験から書く文章は、自分で読んでも面白い内容になります。
友人関係で悩んでいるときには交友関係の本を書き、家族に悩んでいるときには家族に関する本を書きたくなります。
実際、そのとき書きたい気持ちに任せて行動すると、成長が早い。
そのときいちばん求めているテーマであり、成長ですから、吸収力が強いのです。
問題が解決されれば、次の成長を求めようとするのです。
私が「書くことが好きだ」という意識をはっきりもったのは、23歳のときでした。
昔から「書くのは比較的楽しいなあ」という意識はうすうすとありました。
それを人生に生かしたり、積極的に楽しんだりすることはありませんでした。
「これは自分の得意分野だ。進むべき道だ」と、はっきり悟ったのは23歳の学生のころです。
当時、友人だった女の子に何気なく私が書いた文章を見せると、褒めてくれたことがきっかけです。
「わかりやすい。面白い。内容が深い」と褒めてくれ「自分に合っているのかもしれないな」と意識し始めました。
本腰を入れて書き始めてみると、次から次へと文章が書け、自分に合っている「かもしれない」から「違いない」へと変わりました。
自分でも、予想外の出来事です。
自分が経験していますから、やりたいことを見つける方法は「なんとなく」に素直に従うことであることを直感的に理解しています。
「なんとなく気になる」
「どういうわけか頭から離れない」
「不思議と気が進む」
自分がやりたいことを見つけるためには、まずこうした「なんだか気になるな」という気持ちに正直になることです。
初めから「これがやりたい!」「好きだ!」という意識がはっきりしていることは、めったにありません。
たいていの場合「なんとなく」から始まるのです。
「なんだか気になるな」
↓
「なんだか楽しいぞ」
↓
「これは自分に合っているのかもしれない」
↓
「自分に合っているに違いない」
こうした過程をたどり、やりたいことや好きなことを見つける結果に至ります。
ポイントは、はじめのささいな「なんとなく」という気持ちに目を向けることです。
ささいな気持ちの変化に敏感になることです。
理由もなく「なんとなく気が進む」ということはありません。
何かの適正や性格との一致があるから「なんとなく」という感情が発生しているのです。
それはやりたいことを見つけるきっかけになるかもしれませんし、自分の夢への道かもしれません。
いずれにせよ、トライして、なぜ気になるのかという理由を探ってみましょう。
すると思わぬ道が開けるのです。
自分がやりたいことを見つけるためには、なんとなく気が進むことに対して行動するだけでいいのです。
こんなとき「なぜ」「何の意味があるの」と難しく考える人は、やりたいことを見つけられない人です。
なぜ「なんとなく気が進むのか」は、あなたにも私にもわかりません。
だから行動するのです。
やりたいこと、好きなことを見つけるために、行動するのです。
なぜ「なんとなく気が進むのか」という理由を探るために行動していると、自分のやりたいことだったことがあります。
神様は、初めからあなたに「あなたのやりたいことはこれですよ」と直接教えてくれません。
見つけやすいようにヒントだけを教えてくれます。
それが「なんとなく」という感情の正体なのです。
「これが本当に自分のやりたいことか」
ときとして、判断に迷うことがあります。
そうしたときには「これで一生生きてもいいか」と考えてみることです。
一生という長期的な視野から考えて「それでもこれがいい」ということが、本当にあなたのやりたいことであり、やるべきことです。
これを「使命」といいます。
使命とは「使わされた命」と書きます。
あなたがこの世に誕生したのは、あなたの意思ではなく、神の意志、宇宙の意思です。
誕生したのではなく、誕生させられた事実に気づき「自分の命は何に使うのか」と考えるのです。
本当にやりたいことに打ち込むとき、使命を果たしている瞬間です。
あなたの命を少しずつ削りながら、どきどき、わくわく、うきうきという火花が飛び、命を有効に生かせます。
使命に生きるとは、自分を最大限に発揮して生きるということなのです。
「これが本当に自分のやりたいことか」と迷うことは、期間という目安で考えてみるといいでしょう。
「これを一生続けてもいいか。一生続けてやりたいことか」と考えて「ずっと続けていきたい」と思えばその道に進むことです。
しかし「一生続けるまでのことではない。続ける自信はない」というなら、短期的な欲を満たすために行動しているのです。
食いぶちを稼ぐため、生活するため、周りに流されているため、友人に勧められたためなど、さまざまな理由が考えられます。
どれも本当の自分の生き方ではありません。
本当の自分の生き方をしているとき、わくわく、うきうきせずにはいられなくなります。
そういうふうに人間はできているし、そういう生き方が人としていちばん自然の流れに沿う生き方なのです。
やりたいことをやっていると、自分でも驚くほどのパワーがみなぎってきます。
いつも自分の好きなことに触れているのですから、毎日が楽しくなり、笑顔の数が増えます。
やりたいことをしていると、集中力が出てきます。
好きな人には自然と集中してしまうように、好きなことに対しても自然と集中してしまいます。
また一方で、つらいことがあっても「これは自分への試練だ」と前向きに受け止められるようになります。
やりたいことだからこそ「乗り越えたい。もう一息!」という気持ちになれ、根気も出てきます。
やりたいことをしていると、底力が出てきます。
私はHAPPY LIFESTYLEをつくり始めてから、早起きが得意になりました。
「執筆」という好きなことをしているからです。
自分を表現できることは、最も好きなことの1つです。
好きなことが朝からできると思うと「早く起きたい」という気持ちに自然になります。
「自然となってしまう」のは、やりたいことをやっているからこそです。
もし、自分の嫌いなことなら、朝の早起きが苦手になります。
「嫌だ。もう少し布団で寝ていたい」と思うでしょう。
もちろん早起きができないわけではありませんが、いつもより腰が重くなり、憂うつになります。
ブルーマンデーは、苦しい仕事やつらい人間関係に悩んでいるから起こることです。
やりたいことをやっていると、自分の体調管理も考えるようになります。
自分の好きなことに長く触れていたい気持ちになるため「長生きするために健康面にも気をつけよう」と、考えるようになります。
やりたいことをやっているからこそ、寿命が延びるのです。
自分の生きがいを持つことができ、毎日に活力と緊張感があふれます。
他人と比べていると、自分の好きなことややりたいことを見失ってしまいます。
他人が楽しんでいることが、自分にとっても楽しめることとは限らないからです。
人間には「他人と比べる」という癖があります。
「あの人は、自分より成績がいい」
「彼は、自分より高級な車に乗っている」
「お隣さんは、自分より収入が多い」
隣の芝は、常に青く見えるものです。
しかし、常に自分には関係のないことです。
人は人であり、自分は自分です。
どんなに隣の芝が青くても、自分のところにやってくるわけではありません。
つい、人をうらやんで比べたり、追いかけたりする生き方をしてしまいがちです。
本来進むべき自分の道から外れます。
脱線していることにすら気づかず、いつの間にか年を取り「こんな生き方は自分らしくない」とようやく気づくことになる。
比べる基準を他人に求めているかぎり、本当の自分を発見することはできないのです。
「あんなに頑張ったのに」
「今までの努力が水の泡」
「自分は間違った道を歩んでいるのではないか」
「これまでの苦労はなんだったのだろう」
ときとして、過去に対して後悔を抱いてしまうことがあります。
うっかりミスしたときかもしれませんし、好きな人に振られたときかもしれません。
学校で先生に叱られたり、仕事で上司に叱られたりしたとき、自分の行いを振り返ることがあるでしょう。
私は常に「後悔は軌道修正の機会」と考えるようにしています。
後悔するような出来事は、神様から「進むべき道を間違っていますよ」という助言です。
後悔するような出来事に直面したとき「これは自分が進むべき道ではないのだな」ということがわかります。
自分の行いを改めたり、やり方を改善したり、考え方を変えてみたりしています。
後悔のおかげで、人生の軌道修正ができているのです。
どんな後悔でも、気づかないよりは、気づいたほうがいいものです。
「やるべきではなかった」という後悔の気持ちは「もうするのはやめよう」という更正する気持ちへと変わります。
後悔は、気持ち悪いものです。
しかし、後悔することで、本来の道が見え、間違った道に気づくチャンスになるのです。
後悔に涙を流すくらいで、人生の軌道修正が行えると考えれば、むしろありがたいことです。
占い師の占いにはお金がかかりますが、後悔そのものにはお金がかかりません。
占い師の言葉より、後悔する気持ちのほうが、よほど正確で間違いないのです。
好きな人がそばにいると、自然と気になります。
どきどきと心臓が高鳴り、気にしないようにしようと思っても、気になります。
ふとした瞬間、お気に入りの音楽がテレビで流れていると、気になります。
テレビではいつも音楽は流れているものですが、自分のお気に入りの曲が流れたときにはテレビに集中してしまい、目が離せません。
私は本屋で本を眺めているときに、気になるタイトルを見つけると、足が止まってしまいます。
気になるタイトルは「ほとんどが読んでみたい」という気持ちになったタイトルです。
そのタイトルとは、たいてい今の自分にとって課題となるテーマがほとんどです。
恋愛に悩んでいるときは「恋愛に悩んでいませんか」というキャッチコピーに、反応してしまいます。
ストレスに悩んでいるときは「ストレス解消」というテーマに、目が留まります。
自然と気にしてしまうことは、無意識のうちに求めている証拠です。
「自然と気になる」という現象を手がかりにすれば、無意識が具体的に見えてきます。
私は犬が好きですが、偏りがあります。
ドーベルマンのような大きな犬より、ポメラニアンやヨークシャーテリアのような、小さくてかわいい犬が好きです。
ペットコーナーでは、小さくてかわいい犬ばかりを抱いてしまいます。
好きな色にも偏りがあります。
青色や緑色などの寒色系より、桃色や黄色などの暖色系を好む傾向があります。
赤やピンクは「元気になれそうだ」と思い、無意識に求めてしまいます。
自分としては強く意識はしていないのですが、今までの結果を見ると、偏りがあります。
小さくてかわいい犬を好んだり、赤やピンク色を好んだりしてしまうのは、無意識に、そうしたことを好む傾向があるからです。
自分の偏った行動に気づけば、普段は見えてこない無意識が見えてきます。
どんな色の服をいつも着ていますか。
どんな人がタイプですか。
どんな音楽が好きですか。
どんな勉強が好きですか。
偏りがあるものです。
偏りを発見したとき、潜在的に求めているものが見えてくるのです。
私は今でこそ「自分は書くことが好きだ」という自覚がありますが、これに気づいたのは23歳のころでした。
友人から褒められたことがきっかけです。
そのときまでは「書くのはなんとなく得意だな」とくらいにしか考えていませんでした。
たしかに昔を振り返ると、作文に関しては変わった思い出がたくさんあります。
小学生のころは、国語の授業は嫌いでしたが、作文のときだけは不思議と楽しく書けていました。
夏休みの宿題では、作文だけはいつも楽しく書いていました。
中学生のころには、いつも作文を書くのがクラスでいちばん早くて友人にはよく驚かれていました。
ある日、授業のはじめに環境に関するビデオを見せられて、そのテーマについて感じたことを作文に書くという内容です。
私は一瞬で書き上げて、友人に驚かれたことがあります。
作文だけでなく、詩も書いていたという恥ずかしい思い出もあります。
昔から、人生や生きることについて、よく考えていました。
詩を書いていた時期もあります。
また漢字が好きで、特に大きな意味があるわけではありませんが、たくさんの漢字を紙に書いては楽しんでいました。
過去を振り返ると「そういえば昔から書くことが好きだったなあ」と、ようやく今になって気づくくらいなのです。
今、初めて好きなことをしているのではありません。
実は昔からしていたのです。
過去を振り返れば自分のやりたいことの手がかりは、すでにあったのでした。
あなたは、いかがですか。
ちょっと昔を振り返ってみましょう。
幼稚園のころ、小学生のころ、中学生のころ、高校生のころ。
物心のつかない幼いころの自分は、まだ世間を知らないため、思うがままに行動していた時期です。
人間的で、素直で、正直に自分を表現した時期。
このくらいの年齢には、体裁、プライド、偏見、見栄などを気にせず、素直に自分のやりたいことをどこかでやっているものです。
自分のやりたいことは、過去を振り返ると、どこかに手がかりがあります。
「やりたいことをやっていない」
もしかしたら、思い込みかもしれません。
やりたいことは、自分の好きなことです。
いつの間にか、生活のどこかで求めているものです。
もうすでにどこかで実践しているものです。
ふれたり、見たり、聞いたりとしている場合がほとんどです。
しかし、自分でははっきり自覚していない場合が多いのです。
たとえば、音楽はどうでしょうか。
音楽を選ぶときには、自分の好きな音楽を自然と選んでしまいますよね。
ということは、自分の部屋にあるCDは、きっと好きなアーティストや好きな音楽であるはずです。
ほら、これで1つ見つかりましたね。
学校で習う勉強は、どうでしょうか。
たいていは好きな科目と嫌いな科目の2通りにわかれるものですが、好きな勉強には自然と力が入ります。
理科が好きな人は、学校の授業以外に、NHKで流れている科学番組に釘付けになっています。
国語が好きな人は、読書家であったり、自発的に本屋へ行って好きな作家の本を読んでいたりするものです。
やりたいことは、生活のどこかで、すでにやっているものなのです。
あなたが生活の中で、いちばんお金をかけていることは何でしょうか。
食費、光熱費、交通費といった日常的な維持費は抜きにして、考えてみましょう。
自由に使えるお金を、最もつぎ込んでいるところは何でしょうか。
今までの人生で、最もお金をつぎ込んできた分野です。
お金をかけてまでしていることは、往々にして本当にやりたいことの表れです。
求めている証拠です。
やりたいことには、いつの間にかお金をかけています。
私は自分の人生を振り返ると、本代にいちばんお金をかけていることに気づきます。
昔から本は好きでよく読んでいましたが、大人になっても変わりません。
学生時代は、お金がなくて好きなだけ読むことはできませんでしたが、自分で稼ぐようになってからは、本にお金をかけていました。
私の人生の中で、本代はかなりの金額になっています。
車が何台も買えてしまう金額です。
それだけ自分としては読むことが好きで、知識欲があります。
「もっと知りたい。もっと理解したい」という欲があり、本代には惜しみません。
やりたいことは、いちばんお金をかけていることです。
いつの間にか自然とお金を使ってしまうことです。
お金をかけているところを見れば、おのずからやりたいことも見えてくるのです。
「やりたいこと」と聞くと、得意なことを想像する人が多いようです。
「上手にできること」「うまくできること」が、その人のやりたいことと同じと思っていませんか。
やりたいことは、その人の得意なことである必要はありません。
上手にできなくてもいい。
下手でもいい。
失敗してもいい。
純粋に、あなたがいちばんやりたいことに素直に挑戦すればいいのです。
本を書きたい人がいる。
しかし、自分はうまく文章が書けない。
だから諦める。
これが作家を諦めるほとんどのパターンです。
本人は「書きたい!」という素直な気持ちがあります。
しかし、上手に文章が書けず、気の利いた表現が思い浮かばないから「自分には向いていない」とすぐさじを投げてしまいます。
本当に作家になりたい気持ちがあるなら、その気持ちを貫くことです。
うまくできなくても、上手にできなくても、失敗してもいいから、挑戦すればいい。
それを10年も続ければ、必ずプロになれます。
誰しも1つのことに絞って、同じことを継続すれば、必ず大きく成長します。
もちろん伸びの早さは人それぞれです。
適正や自分の特質に合っているかという性格上の問題のため、成長の伸びには多少の違いがあります。
しかし、他人と自分とを比べる必要はないのです。
人には人のペースや方法があり、自分には自分のペースや方法があります。
自分を主人公にしましょう。
「これがやりたい!」ことがせっかく見つかっているのに「うまくできないから」という理由だけで諦めてしまう人が多い。
私も執筆として仕事をしていますが、今でも「私はなぜこんな文章しか書けないのだろう」と思うことはよくあります。
毎日のように考えていること。
もっと繊細で、素晴らしい表現ができる作家は、山ほど大勢います。
しかし、やはり執筆は私がやりたいことです。
どうしても捨てられない。
ずっと続けているわけです。
自分の気持ちを第一に、貫いています。
私は、文章がヘタと言われてもいいと思っています。
クレームも今まで何度もいただいたことがあり、そのたびに気持ちがふさいだものですが、それでも書きたいからこそ続けています。
自分としては今、好きなことを思う存分できている時点で、十分に幸せです。
だんだん慣れ、そうして気づけばたくさんの作品を書いているという状態です。
たくさん書いているからこそ慣れて、ゆっくりではありますが上達しています。
やりたいことは、他人から頼りにされることです。
いつも頼りにされることがあれば、自分の才能の1つという可能性が大きいです。
自分がよく他人から頼られることを思い出してみましょう。
ささいなことでもかまいません。
よく頼られることは、能力があると認められている状態です。
たとえば、音楽についてよく聞かれるのは、音楽について詳しい証拠です。
いつの間にか博士になっていて、その専門知識を頼りにしているのでしょう。
パソコンの修理をよく頼まれるなら、コンピューター関係に強いはずです。
頼りにされるということは、他人から「この人ならできる」という評価をされています。
もし、悩みの相談をよく受けるなら、きっと話しやすくて聞き上手な人なのでしょう。
物知りであったり、話しやすいキャラクターがあったり、アドバイスがうまくできる人であったりします。
よく悩みの相談を受ける人は、きっとそうした才能があるのでしょう。
友人の紹介をお願いされるなら、友人がたくさんいるはずです。
友人がたくさんいるくらいですから、人付き合いがうまかったり、話し上手だったりするものです。
自分がよく頼りにされるジャンルは何でしょうか。
友人からよく何を頼りにされますか。
よく頼りにされることを糸口にすれば、自分の才能を発見しやすくなるのです。
さあ、あなたに質問です。
ここに10種類のスポーツがあります。
このうち、あなたにいちばん向いているスポーツはどれでしょうか。
どれも普段なかなか経験できないような、珍しいスポーツをあえて挙げてみました。
中には一度も経験したことのないスポーツもあることでしょう。
だからこそ、この質問にはうってつけです。
「このスポーツかな」「あのスポーツかもしれない」といろいろ考えることでしょう。
しかし、どれも「~かな」「~かもしれない」という曖昧な答え方しかできない。
経験したことがないからです。
一度も経験したことのないことは、抽象的な答えしか出せないのです。
どれがいちばん向いているスポーツかをはっきり知るためには、一度そのスポーツを体験すればいい。
実際に自分の身をもって体験して、そこで感じたことを元に判断すれば、いちばん正確で確実です。
最も具体的で、感触や言葉では表現できないことを感じることができます。
すべてを経験するためには少々量が多いかもしれませんね。
しかし「経験することで、相性を具体的に知ることができる」と思えば、自分を知る手がかりになります。
あなたが、人生においてやりたいことを見つけることも、これと同じなのです。
頭ばかりで、考えていませんか。
「これかな、あれかな」と想像ばかり、していませんか。
その方法では、どれも「~かな」「~かもしれない」という曖昧な答えしか出てきません。
いちばん自分に適していることを探すためには、単純に一度経験すればいいことです。
難しいテクニックでも、何でもありません。
年齢に関係なく誰でも一度経験すれば、具体的な感触をつかめます。
本を読んだり、人の話を聞いたりするだけではわからない、言葉では表現できない感覚です。
本には難しいと書いていることでも、自分には意外に簡単かもしれません。
他人からの評判が悪いことでも、自分には意外に好印象かもしれません。
どれも実際に一度体験しないことにはわからないことです。
やりたいことを見つけるためのいちばんのキーポイントは、行動力です。
さまざまなことにたくさん経験すればするほど、自分の適性や個性が見つかります。
面白く感じることを見つけるためには、たくさん行動して初めて知ることができるのです。
医者になった人の体験談を読んでいると、過去に大事故に遭った人が多いことに気づきます。
涙を流しながら「自分の人生はもうダメだ」と病床に伏せている中、医者からの素晴らしい治療と励ましにより、回復します。
人を助ける医者と関わっていくうちに「自分もこうなりたい」と憧れを抱くようになり、医療の道を選んだとのことです。
手塚治虫さんの作品『ブラックジャック』の主人公も、過去に大事故に遭い、名医に出会ったことがきっかけで、医者になります。
格闘家にはもともと体の弱かった人が多い。
格闘家の角田信朗さんも、元は体が弱く、昔はいじめられていたといいます。
そうした経験から「いつか見返してやろう」という反発力が生まれ、武道を始めたといいます。
また作家を目指す人は、もともと精神的に弱い人が多い。
心が病んでいて、自分の慰みを本に求めます。
そこには素晴らしい言葉、考え方、知恵が詰まっており、自分の倒れかけた心が元に戻ります。
「そうして自分もこんな作家になりたいな、人に元気を与える仕事をしたいな」と考えるようになります。
かくいう私も、精神的に病んでいた中、本に助けられたからこそ「本を書きたい」と願うようになった1人です。
22歳のころは、就職活動が間近になり、本当にやりたいことがわからなくて病んでいた時期でした。
いえそれどころか、自分は何のために生まれてきたのか、何のために生きているのかさえわかっていない状態でした。
精神的に余裕はなく、病んでいて、いつも気持ちがふさいでいました。
そんなときに出会ったのが、本でした。
多くの作家のさまざまな考えを吸収していくうちに、自分の悩みはちっぽけであることに気づきました。
理解のある言葉の多くに勇気づけられて、元気の出る言葉がたくさん詰まっていたからです。
悩みを大きくさせていたのは、誰でもない自分だったのです。
さまざまな作家の本を読んで元気をたくさんもらっているうちに「私もこんな仕事がしたいな」と思い始めるようになりました。
自分が助けられたから、この作家という仕事に憧れを持つようになったのです。
自分が好きでやっていることは、無駄にはなりません。
心から楽しんでやっていることは、1つの妥協すら許さず、全力で立ち向かっていることです。
作品の鑑賞、創作、勉強など、何であれです。
自分が楽しみ、喜び、充実して行っていることは、質が高いです。
努力を続けていれば、いずれ、誰かのためにも役立つようになります。
「こんなこと、意味がない」
「将来、何の役にも立たない」
「まったく生産性がない」
こう思っていることでも、自分が思っているだけのことです。
過小評価です。
ほかの人には、役立ったり、楽しんでもらえたりするものです。
自分が好きでやっていることは、磨けば、誰かの喜びになります。
スケートが大好きでやっている人は、いつの間にかその姿で人を感動させたり、癒やしたりできるようになります。
フィギュアをつくるのが好きな人は、そのつくり方が他人の見本になります。
法律が好きで勉強している人は、いずれ法律家になり、ほかの人から頼りにされることでしょう。
喜びは、元気の塊です。
元気の塊は、ほかの人にとっても元気の元になるのです。
問題を抱えている人は、出口のない迷路に迷い込んでいるような錯覚に陥ります。
行き止まりで、抜け出す道がなく、どうしていいのかわからないという行き詰まった状態です。
しかし、その行き詰まりの場所が、実は入り口だったりします。
問題を抱え、悩んでいることは、あなたの成長の入り口です。
体が弱くて悩んでいる人は、体の弱い人の気持ちがわかるようになります。
失恋をしたことのある人は、失恋した人の気持ちがわかるようになります。
受験に失敗したことのある人は受験に失敗した人の気持ちがわかるようになります。
浪人をしたことがある人は浪人生の気持ちがわかるようになります。
今、抱えている問題は、あなたの強みになっているのです。
理解力が深まり、人の気持ちが理解できるようになり、成長しているところです。
私はこうした大切なことに気づいていない人がいて、残念になることがあります。
悩んでいる人は、いい勉強をしている時間であり、成長しているところなのです。
一見止まっているように見えても、成長という面では向上しています。
それに気づいていないのです。
むしろ悩みがない人のほうが、問題です。
問題にすら気づかず、数多くの成長を逃しているということです。
問題にすら気づけないほど感性が鈍い状態。
これこそ、本当に問題です。
悩みを抱えている人は、問題を抱えているのではありません。
成長を抱えているのです。
それを悩み、問題、苦しみと錯覚して、わざわざ自分で苦しみを大きくしています。
人の成長という点から見ると、立派に成長しているところなのです。
問題がない人のほうが、実はもっと問題なのです。
私は機械に関しては、あまり抵抗がありません。
このようにHAPPY LIFESTYLEを簡単につくってしまうのも、コンピューターや機械に強いおかげです。
なぜ強くなったのかと過去を振り返れば、心当たりがあります。
あのころの出来事を思い出さずにはいられません。
私の父は、かつて機械関係の仕事に就いていました。
そのせいか、よく機械の部品を家に持ち帰っていました。
部屋の至る所に、部品が転がっていました。
機械の部品は、不思議な形のものばかりです。
私にはそれが面白おかしく映り、部品を遊び道具にしていました。
あるときは分解をしたり、あるときは組み立てたりです。
難しいことは一切考えず、家に不思議なものがあったから、それを使って遊んでいた感覚です。
いつの間にか、機械に対して抵抗がなくなり、得意になってしまいました。
私は今、コンピューター関係の仕事について、毎日パソコンに触れています。
水口家に、昔からパソコンがあったおかげです。
当時は「PC-98」という昔のタイプのパソコンが、父の仕事道具として家にありました。
父が帰宅し、パソコンの前に座り、なにやら仕事をしている様子をいつも眺めていました。
そうこうしているうちに、私も一緒になってパソコンを触り始めるようになりました。
こうしたことがきっかけになり、コンピューター関係には強くなりました。
親は、最も身近にいる存在です。
生まれつき、そばにいる存在です。
幼い子どもほど、親のしていることを真似します。
そのため、親のしていることは、生活を通して子どもに遺伝されます。
親のやっていることが、自分のやりたいことにつながるのです。
親が医者だと子も医者になりやすく、政治家の親だと子どもも政治家を目指したがります。
遺伝はDNAのレベルの話だけではなく、生活レベルでも遺伝はしっかりされていくものだったのです。
あなたの親は、どのような仕事をしていますか。
親のしていることが、あなたのやりたいことや得意なことに関係しているのです。