あなたは今まで何回挫折を経験しましたか。
5回でしょうか。
10回でしょうか。
人生の面白さは、なんといっても山と谷です。
あるときは調子よく進み、あるときは何をやってもうまくいかない。
こんな山あり谷ありの人生は、響きこそ大変そうですが、これが人生のいちばん面白いところです。
つらい環境の中にいるときは、自分を強くしている時期と考えることです。
つらい経験をしているときは、自分の精神的な免疫力を高める絶好の機会なのだと気づくのです。
思うようにいかなくて泣きそうなときにこそ「これは精神的に強くなるチャンス」と思い、その経験を存分に味わいましょう。
目的は、人生において大切なことです。
目的はいわば「的」です。
弓で的を狙うときでも、的すらなければどこを狙っていいのかがわかりません。
「今さらやっても、もう遅すぎる……」
ときどき、こんなマイナス思考を持った人を見かけて残念に思うことがあります。
遅すぎるから、ダメということはありません。
行動するときにいちばん大変なのは、なんといっても「最初の1歩」です。
この最初の1歩ほど、重たい1歩はありません。
行動するときには、やりたい気持ちはあっても、その1歩がなかなか踏み出せないのです。
忙しすぎる生活を送っていませんか。
忙しいことが、かっこいいことだと思っていませんか。
たしかに適度な忙しさは、その人に活気を与えてくれます。
私は自然の中を歩くのが大好きです。
もともと田舎育ちなので、自然の癒やしには幼いころからずいぶん助けられました。
悩みがあったときには、いつの間にか自然のほうへ引き寄せられていき、独特の静けさが心の中まで落ち着かせてくれるのです。
あなたが人から嫌われたくないと思うなら、知ったかぶりはやめることです。
知ったかぶりとは、知らないことでも自分は知っているように見せかけて、尊敬のまなざしで見られたいときに使う演技のことです。
つまり、知ったかぶりは、嘘をついているということなのです。
「毎日何もなくて、つまらない」
「同じ毎日の繰り返しで、退屈だ」
いつの間にか、こんな愚痴をこぼしていませんか。
人の意見を聞くことは大切です。
人生を乗り越え、クリアしていくためには、自分だけの考えだけに固執せず、人の意見に耳を傾けてみる必要があります。
人生で失敗してしまうのは、自分だけの独りよがりな考えを持ったときです。
人間が生きていくためには、たしかにお金は必要です。
しかし、お金があるから楽しめて、お金がないから何も楽しめないということはありません。
お金がなければないなりに、知恵を振り絞れば何か楽しめる方法があるはずです。
嫌なことがあったときは、反省さえすればさっと忘れてもかまいません。
反省をして「今後は気をつけよう」と心に誓うことさえできれば、失敗にこだわる必要はないのです。
くよくよすることはあっても、長引かせるのは良くありません。
人生の山によくぶち当たってしまう人は、決まってあることが欠けています。
「謙虚さ」です。
謙虚さがないために、つまらないところでつまずいたり、揉めたり、人間関係がおかしくなります。
疲れたときには、自然とため息が出てしまいます。
体の中に二酸化炭素がたまり、体が排出したがっている赤信号です。
しかし、疲れたときにため息をついてしまっては、自分で余計に疲れを自覚してしまいます。
お返しを期待するのはやめることです。
好意を目的としたプレゼントはいいのですが、お返しを目的としたプレゼントは良くありません。
お返しは期待するものではありません。
時間は前にしか進みませんが、人生では、時には後戻りしなければならないときがあります。
前に進むだけが人生というわけでなく、時には立ち止まって、後戻りをすることで、良い結果が生まれてくることもあるのです。
私は高校卒業後、大学受験に失敗し、浪人をしていた時期がありました。
大きなことに挑戦した結果、途中で挫折することがあります。
自分のレベルを大きく超えた仕事は、乗り越えたくても、途中で行き詰まります。
難易度が高すぎると、何が悪いのかすらわからないこともあります。
「今の環境がいけないんだ。環境が変われば少しは、変わるかもしれない」
こんな愚痴をこぼしている人が、ときどきいて残念に思うことがあります。
自分の不幸を環境だけのせいにしているのです。
毎日の生活の中に、何か新しいものを取り込んでみましょう。
いつも同じ毎日では、平凡すぎて飽きてしまいます。
「いつもと違う」ということは、それだけで新しい発見になります。
いろいろなことを大事にしていくことは、それで結構なことです。
しかし、すべてを最高に大事にしていこうとすると、何もできなくなってしまうので気をつけることが必要です。
大事にすればするほど、時間、体力、精神力、お金などが必要とされるため、中途半端になります。
普通にできそうなことができたときは、嬉しいものです。
しかし、それ以上に嬉しいのは、できそうもないことができたときの喜びです。
ダメだと思っているときほど、できたときの喜びは、何倍も大きくなります。
1日に1つは、好きなことをしましょう。
せっかくの1日を朝から晩まで好きなことすらできなかったというのでは、当然元気も出てきません。
嫌なことをいやいややったところで、やはり元気は出ないのです。
挫折は、挑戦した人だけが味わえる特権です。
挑戦をすればするほど、大きな挫折も味わえるチャンスが巡ってきます。
挫折とは、響きこそ悪いですが、それほど悪い経験ではありません。
「いつか幸せになる」という目標は、立てないようにしましょう。
いつか幸せになることを最終目標にしてしまうと、つまり、今は幸せではないということです。
自分の命を使い果たすぎりぎりでようやく「幸せを感じる」というのでは、人生のほとんどは不幸だったということなのです。
世の中には、生きるためにルールがあります。
社会に出れば、挨拶の仕方や電話対応、コミュニケーション、社交辞令など「世間のルール」というものがあります。
しかし「世間のルール」以前に、あなたがすでに持っている「自分のルール」というものがあるはずです。
私はその人がどのくらい余裕があるのかを見るときには、いつもごみ箱を見るようにしています。
初めからきれいな部屋は、きれいで当然です。
しかし、ごみ箱のような普段汚いところが、どれだけきれいにできているかによって、その人の心のきれいさがうかがえるのです。
人生をうまく歩みたければ「運命の流れ」というものに身を任せることです。
自分の人生を思うようにコントロールしたい気持ちもあるでしょうが、そのコントロールにも限界があることに気づきましょう。
人の力では、及ばない神秘的な力がこの世にはあるのです。
人間には、外側と内側の2つの面があります。
外側は、着ている服であったり、持っている物であったりします。
それに対して内側は、心であったり、知性や品性であったりします。
芝居やミュージカルなどの舞台劇は、2部構成が定番です。
前半に第1幕があり、後半に第2幕があります。
第1幕は「夢と希望を持ってチャレンジしたものの、トラブルの連続で思うようにいかず、諦めかける」という内容が定番です。
あなたは今まで何回挫折を経験しましたか。
5回でしょうか。
10回でしょうか。
数え切れない数でしょうか。
挫折とは、意気込んでいることを始めたものの、途中でくじけてダメになることをいいます。
本格的に取り組んだ結果、自分の限界を感じ、諦めざるを得なくなる。
失敗経験の1つとしてカウントしていいでしょう。
中途半端にやめた経験ならあるかもしれませんが、本格的な挫折経験となると、意外と少ないのではないでしょうか。
目的を達成できず、自分が情けないと感じてしまう。
「挫折=恥」と考える人も多いのではないでしょうか。
しかし、本当に挫折は恥なのでしょうか。
いいえ、ここに誤解があります。
挫折は恥ではありません。
きちんと自分の弱さを認め、途中でやめることができたのですから、悪いことではありません。
挫折のおかげで得られた「収穫」に気づいてください。
あらためて考えると、挫折までのプロセスを通して多くのことが得られたはずです。
貴重な経験ができました。
自分の限界を知ることができました。
自分に向いていないことがわかりました。
面白い話のネタができました。
挫折しても、意外と生きていけることに気づけました。
挫折によって新しい発見があったり価値観が変わったりしたこともあったはずです。
挫折したとはいえ、収穫量は膨大です。
しかも得られたことはどれも、人生に役立つ貴重な発見ばかりです。
挫折した人は強い。
挫折を経験したことがある人は、挫折した人の話に共感を覚えることができます。
「そうだよね。つらいよね。大変だよね」と、優しい声をかけ、相手に寄り添えます。
挫折を経験したぶんだけ性格が円くなり、人に優しくなれるのです。
挫折をしたことがあれば、その経験は話のネタになります。
挫折ほど面白いネタはありません。
「○○を始めたけど、途中で挫折したよ」と話せば、必ず話が盛り上がります。
自分の体験が伴っているので説得力もあり、人を引きつけるネタになるでしょう。
ひどい挫折経験があれば、もっと貴重です。
少々挫折することがあっても「あのときに比べれば、まだまだ軽い」と思えるようになります。
意外なことに、ひどい挫折経験ほどメンタル強化にもつながるのです。
挫折したとはいえ、収穫があるのですから無駄とは言えません。
だから、挫折があったとしても落ち込まないでください。
収穫があるのですから、それはそれで「良かった」と言えます。
栄光だけが素晴らしいのではありません。
挫折もまた素晴らしい。
「挫折」と書いて「栄光」と読むのです。
人生の面白さは、なんといっても山と谷です。
あるときは調子よく進み、あるときは何をやってもうまくいかない。
こんな山あり谷ありの人生は、響きこそ大変そうですが、これが人生のいちばん面白いところです。
私は、大学受験で浪人という失敗経験や、アメリカへ留学をした経験があります。
楽しいこともつらいこともあり、山あり谷ありの人生ですが、そうした困難が、今の私をつくり上げていることに気づきます。
経験している最中は「つらいな」とか「楽しいな」とか思います。
しかし、後になって考え直してみると「とても幸せな時間だった」ということに気づくのです。
むしろつらい経験をすればするほど、たわいない小さくてささいな幸せにも気づけるようになれます。
だからとはいえ、楽しいことばかりでも、幸せの感覚が麻痺して、十分な幸せの中にいてもなかなかそれに気づけなくなります。
人生の山と谷、どちらがいいのではありません。
両方が大切なのです。
両方があって、初めて「幸せな人生」が出来上がります。
山あり谷ありの人生を楽しみましょう。
1回しかない人生を大いに楽しむために、大いに山と谷を経験し、乗り越えていくことが大切なのです。
つらい環境の中にいるときは、自分を強くしている時期と考えることです。
つらい経験をしているときは、自分の精神的な免疫力を高める絶好の機会なのだと気づくのです。
思うようにいかなくて泣きそうなときにこそ「これは精神的に強くなるチャンス」と思い、その経験を存分に味わいましょう。
そうすることで、あなたに免疫力がつき、今後同じようなつらいことがあっても、以前ほど落ち込まなくなっています。
これが、精神的に強くなるということです。
人生を乗り越えている人は、みんなつらい経験をたくさんして、精神的に強くなっています。
高い山を乗り越えるときには、度胸と体力が必要なように、つらい経験を乗り越えるためにも、免疫力と強さが必要なのです。
つらい経験をたくさんしているほど、強くなれます。
それなりに、自分の中に免疫力と強さが出来上がります。
つらい経験とは、精神的に強くなれる絶好の機会なのです。
逃げずに、むしろ飛びついていきましょう。
つらい経験は、自分を高めるチャンスなのです。
目的は、人生において大切なことです。
目的はいわば「的」です。
弓で的を狙うときでも、的すらなければどこを狙っていいのかがわかりません。
まず、何をするのかが大切です。
これを人生に置き換えて考えてみれば、よくわかります。
日本人は、勉強が大好きです。
小学校から、大学まで15年間も学びに学び続けます。
にもかかわらず、将来何をやりたいのかが見つけられない人が多いので残念に思います。
弓で例えると、技術は優れているのに、的がないため、力を発揮することさえできないでいるのです。
勉強するだけ勉強をしておきながら、生かしていないのです。
まさに、宝の持ち腐れです。
かくいう私も実は、以前までは勉強しっぱなしの人間でした。
たくさんインプットをしても、アウトプットをする対象がないため、努力を生かす場がなかったのです。
しかし「本を書く」という目的を持つことができたため、今までの勉強をようやく発揮できるようになりました。
もし「本を書く」という目的がなければ、今でも勉強ばかりし続けていたでしょう。
日本人は、勉強するのが大好きですが、死ぬまで勉強し続けてしまう癖があります。
生かしてこそ、勉強の意味があります。
適当なところで、今度は今まで勉強して身につけた知識や技術を生かし、初めて形になるのです。
勉強することもたしかに大切ですが、実際は勉強の前に目的を持つことのほうが、ずっと大切です。
勉強があって、あとから目的を見つけるより、最初に目的があって、そのために勉強するほうがはるかに効率がいいのです。
目的を持つことで、範囲を絞ることができ、そのため無駄も省くことができるからです。
人生の長さは、無限ではありません。
限られた人生という時間の間に、自分のやりたいことをどれだけ実現させるかが大切です。
「勉強」より、まず「目的」を優先させることが大事なのです。
目的を持つことで、進むべき正しい方向がはっきりなり、迷うことがなくなります。
目的があるからやる気が出るし、励みになります。
日々の生活の中で「何のためにやっているのか」ということを大切にしましょう。
目的は、人生を生きるための原動力になるのです。
「今さらやっても、もう遅すぎる……」
ときどき、こんなマイナス思考を持った人を見かけて残念に思うことがあります。
遅すぎるから、ダメということはありません。
たいていの場合、このマイナス思考のために、自分で自分をダメにしてしまっています。
「自分には、やりたいことがある。遅くてもいいから、人生を楽しもう」という人が、楽しく人生を送れる人です。
世界的に有名なケンタッキー・フライドチキンの創始者カーネル・サンダースが行動し始めたのは、なんと彼が64歳からです。
彼が64歳のときに、フライドチキンをワゴン車に積んであちこちの町を回ります。
各地のレストランで試食してもらって気に入ってくれたレストランにフランチャイズになってもらっていました。
商売を始めたのは64歳からでも、いまや世界的に大きなフランチャイズ店にできたのです。
遅すぎるという言葉など、まったく感じさせない活躍ぶりです。
時期が早いかどうかが大切なのではなく、やるかやらないか、それだけです。
行動するときにいちばん大変なのは、なんといっても「最初の1歩」です。
この最初の1歩ほど、重たい1歩はありません。
行動するときには、やりたい気持ちはあっても、その1歩がなかなか踏み出せないのです。
にもかかわらず、その1歩さえ踏み出すことができれば、後は不思議なくらい前にすいすい進みます。
新幹線のようです。
新幹線は、動き始めるまでは重たくて長い時間がかかりますが、いったん動き始めたらすいすい前に進み始めます。
動きさえすれば、もうほんの少し力を入れるだけでスピードに乗れます。
もう止まるほうが難しいくらいです。
このように行動は、やり始めるまでがいちばん大変ですが、やり始めさえすれば後はすいすい行動できる法則があるのです。
現に私も、いつも文章を書くときに苦労するのは、書き出しの一文です。
「何を書こうかな?」と考えるほど、余計に書けなくなります。
いつもはじめの文章こそあまり考えすぎずに、とにかく最初の1歩を踏み出すようにしています。
あれこれ考えるより、何でもいいから実際に最初の1歩を踏み出していくほうが、よほど楽なのです。
行動するときには、最初の1歩こそ、さっとやってしまうことがポイントです。
あまり深く考えすぎなくてもいいのです。
考えるのは行動しながら、考えればいいのです。
最初の1歩を踏み出しましょう。
後は勝手に体が動き始めるのです。
忙しすぎる生活を送っていませんか。
忙しいことが、かっこいいことだと思っていませんか。
たしかに適度な忙しさは、その人に活気を与えてくれます。
しかし、間違ってもしてはならないのは「あまりに忙しすぎる」ということです。
忙しすぎる人生にだけは、ならないように気をつけましょう。
忙しすぎてしまうと、すべての幸せが感じられなくなるからです。
忙しいということは、もう幸せとは無縁になってしまう恐ろしいことなのです。
たとえば、1日に一息つく時間もないくらい忙しい人がいるとします。
毎日仕事に追われ、寝る時間さえないくらいです。
そんな人の目の前に、世界一おいしいケーキがあったとします。
しかし、残念ながら忙しすぎるため、ケーキを味わう暇さえありません。
ケーキを「食べる」というより「胃に流し込む」といった食べ方になります。
世界一おいしいケーキが食べられるなんて、幸せなことですが、忙しかったために幸せを感じる暇もなかったということなのです。
食べることだけに限りません。
人間関係にも同じようなことがいえます。
いくら仲のいい友人がいたところで、忙しくては会う暇さえありません。
どんなに仲のいい友人でも、会う時間がないくらい忙しいというのは悲しいことです。
「忙しすぎる」というのは、すべての幸せを帳消しにしてしまう悪魔の魔法なのです。
「忙しい」という漢字の左側の部分は、立心偏と呼びます。
立心偏は、もともと「心」を意味する漢字です。
「忙しい」という漢字は「心」を「亡くす」という意味から生まれました。
「忙しい」とは、心を亡くさせてしまう恐ろしいことなのです。
忙しすぎると、心が失われて、幸せがあっても幸せを感じる暇さえないからです。
ときどき「自分はこんなに忙しいんだ」とかっこつけている人を見かけます。
しかし、そんな人に限って「それで本当に幸せですか」と聞いても、なかなか良い答えが返ってくることはありません。
それもそのはずです。
幸せさえ、忙しくて感じる暇がないからです。
忙しすぎる生活を送ることは、不幸になってしまうことです。
心を静かにする時間を持ちましょう。
決して忙しいことを自慢するような人間にはならないことです。
適度に自分の時間を持てるということは、幸せを感じる時間もあるということなのです。
私は自然の中を歩くのが大好きです。
もともと田舎育ちなので、自然の癒やしには幼いころからずいぶん助けられました。
悩みがあったときには、いつの間にか自然のほうへ引き寄せられていき、独特の静けさが心の中まで落ち着かせてくれるのです。
人間は、人工的につくられたのではありません。
人間は、もともと自然の中から生まれました。
私たちが疲れたときに、おのずから自然を求めてしまうのは、自分が本来生まれてきた場所へ帰りたいという本能があるからです。
誰でも悩むときはあります。
そんなときには、自然のままに自然の中で、少しお散歩をしてみましょう。
自然にいると自然に落ち着いてしまうのは、もともと人間が自然から生まれた証拠なのです。
あなたが人から嫌われたくないと思うなら、知ったかぶりはやめることです。
知ったかぶりとは、知らないことでも自分は知っているように見せかけて、尊敬のまなざしで見られたいときに使う演技のことです。
つまり、知ったかぶりは、嘘をついているということなのです。
知らないことを知っているふりをしてしまうと、教えてもらえるせっかくのチャンスを逃してしまうことになります。
正直に「知りません」と言えば教えてもらえるのに、知ったかぶってしまったことで、賢くなるチャンスを逃してしまうのです。
それに知ったかぶりをしているのは、相手にはたいてい見破られています。
いつの間にか、相手からあなたは「嘘つきだ」と思われてしまうようになるのです。
それが嫌われてしまう原因になります。
知ったかぶりをして、いいことなんてないのです。
知らないことは「知りません」と正直に答えましょう。
ちょっと恥ずかしいかもしれませんが、遠回りなようで、本当はいちばん近道になるのです。
「毎日何もなくて、つまらない」
「同じ毎日の繰り返しで、退屈だ」
いつの間にか、こんな愚痴をこぼしていませんか。
何もなかった日というのは「その日1日が、大きな問題もなく過ごせた」という素晴らしいことです。
事故もなく、叱られることもなく、嫌なこともなく、無事に1日を過ごせた証拠です。
私の祖父は生前、毎日仏壇の前に座って「事故も災難もなく、みなが健康で長生きできますように」とお祈りしていました。
ありふれたお祈りごとかもしれませんが、まさに何もなく健康で長生きできるというのは、恵まれたことなのです。
退屈な毎日だとか、つまらない毎日だとか言って愚痴ってしまうのは、罰当たりなのです。
何もない毎日が嫌だというなら、交通事故にでもあって大けがをしたいとでも言うのでしょうか。
何もなかった1日というのは、事故もなく、平和に1日を送ることができた証拠なのです。
平凡な毎日にも、幸せがあります。
平凡な毎日とは、何も事故がなく、無事に今日という日を送ることができたという幸せなことなのです。
平凡な毎日こそ、幸せの塊なのです。
人の意見を聞くことは大切です。
人生を乗り越え、クリアしていくためには、自分だけの考えだけに固執せず、人の意見に耳を傾けてみる必要があります。
人生で失敗してしまうのは、自分だけの独りよがりな考えを持ったときです。
自分の意見にばかりにこだわりすぎて、他人の声に耳を貸さなかったため、つまずいてしまうことになるのです。
人の意見は尊重しましょう。
尊重とは「重く」「尊ぶ」と書きます。
それくらい人の意見は、重く大事に受け止める必要があるということです。
人のアドバイスは、その人が長い人生をかけて得た経験を元にしてくれている助言だからです。
相手が30歳の人なら、その人の30年分の経験で得たアドバイスということになります。
大変重い言葉なのです。
私は、いつも悩んだり困ったりしたときには、いつも人の意見を聞くようにしています。
自分の頭だけで考えず、素直に人に助けを求め、アドバイスしていただくようにしています。
私はどんな人からのアドバイスも、一生懸命聞くようにしています。
相手が長い人生の中で得た経験からしてくださるアドバイスだからです。
もし相手が30歳の人なら、30年分の重みのあるアドバイスをいただけることになります。
もし相手が70歳の人なら、70年分の人生で得たアドバイスをいただけることになります。
たとえ相手が自分より年下でも、自分が経験していないことを経験していることもあるでしょう。
そう考えると、人と相談するということは、2倍にも3倍にも頭を大きくさせて考えることができるのです。
みんなと考えると良いアイデアが浮かびやすいといわれる理由は、このためです。
まさに「3人寄れば、文殊の知恵」です。
困ったときには、自分だけで解決しようとせず、みんなからいろいろな意見を聞くようにしましょう。
人の意見は、大いに尊重するのです。
どんなに頭をひねっても解決できない問題が、ある人に相談すればいとも簡単に解決できることもあるのです。
難しい問題であるほど、みんなで考えたほうが良い結果が出せるのです。
人間が生きていくためには、たしかにお金は必要です。
しかし、お金があるから楽しめて、お金がないから何も楽しめないということはありません。
お金がなければないなりに、知恵を振り絞れば何か楽しめる方法があるはずです。
昔と今とでは、物質的には、明らかに今のほうが豊かです。
しかし、心の豊かさも、物質的豊かさに比例して豊かになったかというと、そうでもありません。
物がたくさんあっても、それに比例して心まで豊かになるとは限らないのです。
私は昔、よく近くの神社で友人と遊んでいました。
神社には、これといって何か遊べるものがあるわけではありません。
せいぜい、鉄棒や滑り台があったくらいです。
そんな神社で私は友人と野球をやったり、かくれんぼをしたりしてよく遊んでいました。
お金は一切かかりません。
こういうときの「人生を楽しむコツ」というのは、子どものほうがよほど上手です。
私だけに限らず、あなたも子どものころは、お金がなければ、ないなりに上手に遊んでいたはずです。
それが大人になるにつれて「楽しみ方」が下手になります。
旅行するにもお金がかかる、彼女と付き合うのにもお金がかかる、遊びに行くのにもお金がかかるといいます。
お金のかかる遊びこそが、楽しい遊びだと勘違いしてしまっています。
しかし、お金のかかることだけが、楽しめる遊びではないのです。
時には、子どものころの、お金のかからない遊び方のほうが、心から楽しんでいることもあります。
人生において、楽しむという意味だけでなく、ストレス発散という意味でも「遊び」は大切な息抜きです。
その遊びに大金が必要というわけではなく、考え方によってはお金がかからずに楽しめることもたくさんあるのです。
お金のかかる遊びも、立派に楽しむことができますが、それだけでなく、お金をかけずに楽しめるようにもなりましょう。
子どものころを振り返ればいいのです。
お金を1円も必要とせずに、楽しく笑顔で遊んでいた日々が、お金をかけずに楽しむ手本なのです。
嫌なことがあったときは、反省さえすればさっと忘れてもかまいません。
反省をして「今後は気をつけよう」と心に誓うことさえできれば、失敗にこだわる必要はないのです。
くよくよすることはあっても、長引かせるのは良くありません。
くよくよしてしまうくらいなら、さっと忘れて頭の中を切り替える力を持つことです。
くよくよするより、気持ちを切り替えましょう。
この「切り替え力」さえ持つことができれば、どんな嫌なことがあっても、乗り越えていけるようになります。
と言うより、さっと頭の中の切り替えができれば、乗り越えたうえに忘れることもできてしまいます。
いつまでも、くよくよするのが乗り越えることではありません。
反省したら、さっと忘れて、頭の中を切り替える。
これが、乗り越えていく力ということなのです。
私はいつも嫌なことがあったときは、すぐ寝ることにしています。
寝ることさえできれば、頭の中で考える必要もありません。
起きたときは完全に忘れているということはありませんが、一定の時間が過ぎているので頭の中がだいぶ楽になっています。
寝ることで、簡単に頭の切り替えができるのです。
自分なりに、頭を切り替える方法を身につけておきましょう。
友人と電話で話す、お風呂に入る、カラオケにいくなど、頭の中を切り替える方法も人それぞれです。
自分に合った方法を見つけ、嫌なことがあったときには頭の中を切り替える手段を使いましょう。
つらいことがあっても、乗り越えやすくなるのです。
人生の山によくぶち当たってしまう人は、決まってあることが欠けています。
「謙虚さ」です。
謙虚さがないために、つまらないところでつまずいたり、揉めたり、人間関係がおかしくなります。
うまくいったからとはいえ自慢ばかりしていては、当然、人からは嫌な顔をされます。
自分の成功談を話すくらいなら、失敗談を話すことです。
アニメ『ドラえもん』で登場するスネ夫は、いつも自慢話をしています。
スネ夫は『ドラえもん』の中で自慢話をするキャラクターとして登場していますから、まだ笑えることです。
しかし、あのスネ夫が現実に本当にいたら、かなりつらいものがあります。
私だったら、愛想笑いしながら、心の中ではため息をついているところです。
現実にスネ夫がいるくらいなら、いつも失敗ばかりしているのび太のほうが、まだ好感が持てます。
上手に人生を生きるために「謙虚さ」を大事にしましょう。
「自分が自分が」とばかりなるのではなく、人に譲るくらいの謙虚さを持つほうが好感が持てるのです。
疲れたときには、自然とため息が出てしまいます。
体の中に二酸化炭素がたまり、体が排出したがっている赤信号です。
しかし、疲れたときにため息をついてしまっては、自分で余計に疲れを自覚してしまいます。
それだけでなく、時には自分のため息のせいで、そばにいる人まで疲れを撒き散らしてしまうことになるかもしれません。
だからこそ、ため息はやめましょう。
ため息をしたいときには、代わりに深呼吸をするようにするのです。
深呼吸は、大きく息を吸うことで、酸素を体の中に取り入れられます。
まさに酸素不足の疲れたときにこそ、深呼吸はもってこいなのです。
深呼吸をすれば、たくさんの酸素が体の中に取り込まれていき、疲れを改善する働きがあります。
ため息より深呼吸のほうが、元気の回復には効果があるのです。
疲れてため息が出そうだなというときは、ぐっとこらえて、代わりに深呼吸をしましょう。
深呼吸によって、あなたの中に酸素という元気を取り込むことができるのです。
お返しを期待するのはやめることです。
好意を目的としたプレゼントはいいのですが、お返しを目的としたプレゼントは良くありません。
お返しは期待するものではありません。
本来、プレゼントは自分が嬉しい気持ちを伝える手段としてあります。
なのに、お返しが欲しいからプレゼントしようというのでは、もうプレゼントではなくなっているのです。
お返しを求めることばかりを考えると、いつも誰かを恨んでいないといけない人生になります。
「返事をしてくれない。お返しがもらえない。見合った分が返ってきていない」
こんなつまらないことで、いらいらしてしまう人間になります。
見返りを求めることは、自分で自分を破壊してしまうことにつながってしまうのです。
人に喜んでもらえたら、それで十分嬉しいなと思うことです。
「決して見返りは求めず、好意を伝えること」
これが本来のすてきなプレゼントです。
時間は前にしか進みませんが、人生では、時には後戻りしなければならないときがあります。
前に進むだけが人生というわけでなく、時には立ち止まって、後戻りをすることで、良い結果が生まれてくることもあるのです。
私は高校卒業後、大学受験に失敗し、浪人をしていた時期がありました。
浪人は、大学に受からなかった人が、来年の大学受験のためにもう1年勉強することをいいます。
私の場合は「自宅浪人」と言って、自分の家で勉強をするというスタイルを取っていました。
普通は浪人をすれば、予備校という専門の学校に通い、大学受験のために猛勉強をします。
しかし、私は、家で勉強をしますから、起きる時間や寝る時間など自由である代わりに、すべての責任が自分に返ってきました。
私にとって、この浪人時代は、周りから見れば立ち止まっていたように見えていたはずです。
ほかの人はうまく大学に進学し、どんどん前に進んでいるというのに、自分だけはまだ大学にも合格せず、立ち止まっている。
それどころか、過去の復習ばかりをして、後戻りをしているのかとさえ感じてしまっていました。
しかし、それらの「不安」のおかげで、私は自分のことをあのときほど真剣に考えたことはありませんでした。
「自分は何のために勉強しているのか」
「何のために大学に行こうとしているのか」
「何の仕事をしたいのか」
「何のために生きているのか」
自分で自分を見つめる時間を多く持つことができ、立ち止まっていながら、結果として自分の成長は大きく促されました。
このように、文章を書くことができているのも、浪人時代にたくさん考えた分、表現できるようになりました。
前に進むだけが人生と思われがちですが、あながち、そうとも限らないのです。
時には立ち止まって、時には後戻りすることも、必要なときがあるのです。
大きなことに挑戦した結果、途中で挫折することがあります。
自分のレベルを大きく超えた仕事は、乗り越えたくても、途中で行き詰まります。
難易度が高すぎると、何が悪いのかすらわからないこともあります。
挫折をすると、かっこ悪く、面目を失います。
経験不足や実力不足もあれば、時間不足や資金不足もあるでしょう。
成功を期待して取り組んだものの、乗り越えられない大きな壁にぶち当たると、途中で諦めざるを得なくなります。
挫折すると、悔しい気持ちでいっぱいになります。
自分が情けなくて、涙を流すこともあるでしょう。
挫折を経験すると、非力な自分を認めざるを得なくなり、精神的に落ち込みます。
挫折経験は、人生の汚点と考える人もいるかもしれません。
しかし、ここで気づいてほしいことがあります。
挫折したことは、二度と再挑戦ができないことでしょうか。
中には再挑戦が不可能なこともあるかもしれませんが、実際は再挑戦ができることが多いはずです。
そうとわかれば、光が見えてきます。
挫折して中断しても、あとから再挑戦すればいいのです。
挫折は、罪ではありません。
借金をしたわけでもなければ、何かを失ったわけでもありません。
途中でダメになっただけのこと。
悲しんだり落ち込んだりするかもしれませんが、立ち直って元気を出せばいいことです。
どんな落ち込みも、時間がたてば、立ち直れます。
むしろ挫折を経験したことを喜ぶことです。
挫折のない人生なんて、タネのないスイカのようなものです。
タネは邪魔に思えますが、なければないで物足りない。
邪魔に思えるタネがあるからこそ、スイカがスイカらしくなります。
挫折したとはいえ、一生達成できないとは限りません。
いったんその場は引き下がり、あとから再挑戦すればいいこと。
しばらく時間を置いて、実力を身につけ、実績を積み上げます。
十分成長してから再び挑戦すれば、次こそは達成できるでしょう。
時間がたってから再挑戦すると、あっさり達成できるのはよくあることです。
とても難しく感じたことが、とても簡単に感じることも少なくありません。
挫折してもいいのです。
あとから再挑戦すればいいだけです。
挫折したことを乗り越えていくことに、人生の喜びと面白さがあります。
負けたときは「達成をお預けにしている」と考えればいいこと。
未来に待っている楽しみが、1つ増えました。
そのとき達成できなくても、あとから達成すればいいのです。
「今の環境がいけないんだ。環境が変われば少しは、変わるかもしれない」
こんな愚痴をこぼしている人が、ときどきいて残念に思うことがあります。
自分の不幸を環境だけのせいにしているのです。
たしかに環境とは強いつながりがあります。
あなたがどこへ行こうが常に「環境」は存在します。
環境によって受ける刺激も違えば、自分の交友関係にも影響が出てきます。
しかし、それ以上に、いつでもどこでも必ず存在する環境があります。
「自分」です。
「自分」という環境だけは、あなたがどこへ行こうが、常にそこにあります。
つまりいちばん大切な環境というのは、自分なのです。
私が心配しているのは、自分の不運を周りの環境ばかりのせいにして、自分を一向に改めようとしない人です。
自分で改善しようとしないかぎり、一向に状況はよくなりません。
いちばんの環境は、ほかでもない「自分」だからです。
周りの環境から受ける刺激すら、自分しだいです。
「むかつく」と言えばそれまでですが「いい経験ができた。勉強になる」と思えば、成長になります。
最も素晴らしい環境を手に入れるためにすることは、なにより自分を磨くことなのです。
自分磨きをすることが、あなたの周りの環境を変えていくことにもつながります。
あなたが周りの環境をどう思うのかは、あなたの意識で決まることだからです。
環境が変わっても、あなたは変わりません。
しかし、あなたが変われば、環境も変わって見えてきます。
自分で自分という環境を整えることが、第一です。
周りの環境は、その次に大切なことなのです。
毎日の生活の中に、何か新しいものを取り込んでみましょう。
いつも同じ毎日では、平凡すぎて飽きてしまいます。
「いつもと違う」ということは、それだけで新しい発見になります。
私は小学校のころ、いつも道草をして帰っていました。
もちろんそのまま決められた通学路を通って帰る日もありましたが、道草をして帰るときもよくありました。
私にとって、道草はとても楽しい発見ができる瞬間でした。
いつもと違った道を帰ることで、いつもと違った風景を楽しめます。
「こんなところにこんな道がある。何があるのかな。いってみよう」といった感じで、わくわくしていたものです。
いつもと違った道で帰る時点で、もうすべてが新鮮です。
新しい発見ができ、平凡な帰り道も、楽しい帰り道になります。
大発見はできないかもしれませんが、毎日1つずつでかまいませんから、小さな発見をしていきましょう。
発見は心の栄養となり、あなたの平凡な毎日も楽しい毎日に変えてくれるのです。
いろいろなことを大事にしていくことは、それで結構なことです。
しかし、すべてを最高に大事にしていこうとすると、何もできなくなってしまうので気をつけることが必要です。
大事にすればするほど、時間、体力、精神力、お金などが必要とされるため、中途半端になります。
よくあることが、浮気です。
浮気とは、2人以上の人を同時に愛してしまうことです。
浮気には決まって崩壊してしまう法則があります。
浮気でうまくいった話なんて、耳にしません。
それもそのはずで、大事にする人が一度に複数いると、不足・不手際が発生するからです。
時間がなくなり、お金が足りなくなり、そのために息切れしてしまうのです。
それ以前に、単にうっかりばれてしまうこともあるでしょう。
同時に複数を大事にしようとした結果、最後には余裕がなくなり、うまくいかなくなるのです。
いろいろなことを大事にしすぎると、それだけ集中ができなくなります。
結局、同時に2つを得ようとすると、両方とも得られない結果になってしまうのです。
本当に大事なものなら、大事なものらしく、1つに集中しましょう。
3つも4つも、いろいろなことを大事にしすぎると、何もできなくなってしまうのです。
普通にできそうなことができたときは、嬉しいものです。
しかし、それ以上に嬉しいのは、できそうもないことができたときの喜びです。
ダメだと思っているときほど、できたときの喜びは、何倍も大きくなります。
初めにできないであろうことが前提になっていますから、できたときは喜びだけでなく、驚きまで加わります。
そのために、余計に嬉しくなってしまうのです。
「なんだかできそうにないな。ダメだ」と思うときほど、頑張るようにしましょう。
その分、できたときの喜びは、暗い気持ちなど吹き飛ばしてくれるくらい大きなものになります。
できないなと思うときほど、大きな喜びを感じることができるチャンスなのです。
1日に1つは、好きなことをしましょう。
せっかくの1日を朝から晩まで好きなことすらできなかったというのでは、当然元気も出てきません。
嫌なことをいやいややったところで、やはり元気は出ないのです。
元気が出るのは、好きなことをしているときや楽しいことをしているときです。
特に何もない1日でも、なんとかして1つは自分の好きなことをしましょう。
できることなら、1日に1つといわず、2つも3つもできるようになれば、もっと元気が出るようになります。
理想は、1日中好きなことをしていることです。
つらいときがあっても、好きなことをしているときは、心が救われるのです。
挫折は、挑戦した人だけが味わえる特権です。
挑戦をすればするほど、大きな挫折も味わえるチャンスが巡ってきます。
挫折とは、響きこそ悪いですが、それほど悪い経験ではありません。
むしろ長い人生において、挫折ほど大切なことに気づかせてくれる機会はありません。
一生懸命にやっているときは、周りが見えなくなってつい力が入りがちになります。
私は昔、高飛びの運動をしている最中に一生懸命になりすぎて、落ちた勢いで足の骨を折ったことがあります。
つい、熱が入ってしまうと力も入りすぎてしまい、思いもしない事故になってしまいました。
もちろん骨を折ってしまうと、挫折の字のとおり、いっときは何もできません。
スポーツはできませんし、歩くことすらままならない状態です。
私はつらい時期を味わいましたが、その挫折のおかげで、それ以後スポーツをするときには気をつけるようになりました。
二度と足の骨なんて折りたくない気持ちがあるだけに、しっかり気をつけることができるようになったのです。
大切なことは、実際に苦しい経験をしてみないとわかりません。
スポーツでも、恋愛でも、仕事でも、何でもそうですが、挑戦した数に応じて、挫折を経験する機会も増えてきます。
大切なことは挫折があったから諦めるのではなく、それを踏み台にして、さらなる力をつけていくことなのです。
何もしなければ、もちろん挫折をすることもありません。
しかし、その代わり、挫折だけでなく、嬉しいことも楽しいことも何も起こらなくなります。
有意義な人生とは、何もない人生のことではなく、一度は挫折を経験したことのある人生なのです。
挫折は、人生のスパイスです。
挫折はいっときですが、一生の力となってくれるのです。
「いつか幸せになる」という目標は、立てないようにしましょう。
いつか幸せになることを最終目標にしてしまうと、つまり、今は幸せではないということです。
自分の命を使い果たすぎりぎりでようやく「幸せを感じる」というのでは、人生のほとんどは不幸だったということなのです。
いつか幸せになることを目標にしている人がいます。
その人は自分から「今の私は幸せではありません。人に言えないつらい事情があります」と公言しているようなものです。
逆説的で信じがたいかもしれませんが、幸せになるために「いつか幸せになる」という目標にしないようにすることです。
「いつか幸せになる」をやめて「今、幸せになる」を目指すようにしましょう。
本当に「幸せになるため」には「今がどれだけ幸せであるか」を大切にすることです。
自分が幸せになれることは、人それぞれですから、一概には言えません。
「好きな仕事をすること」
「読みたかった本を読むこと」
「仲のいい友人とおしゃべりすること」
「お風呂に入ってゆっくりすること」
「眠たいときにベッドに潜り込んで寝てしまうこと」
「好きな人と一緒にいること」
たくさんあげると、切りがありません。
「私の好きな○○」がつくものなら、当てはまることでしょう。
今を精いっぱい幸せに生きることで、人生全体を幸せなものと変えていくことができるのです。
「いつか幸せになる」という考えでは、人生の一部だけが幸せということです。
時には、幸せを感じずに、人生を終えてしまうこともあるでしょう。
未来も過去も、今の一瞬の連続で成り立っています。
今、幸せになることを目標にすれば、人生全体を幸せに満ちあふれた時間にできるのです。
幸せになるために、今、幸せになることを目標にしましょう。
世の中には、生きるためにルールがあります。
社会に出れば、挨拶の仕方や電話対応、コミュニケーション、社交辞令など「世間のルール」というものがあります。
しかし「世間のルール」以前に、あなたがすでに持っている「自分のルール」というものがあるはずです。
「お金は借りないことをポリシーとしている」
「お礼や感謝は、すぐするようにしている」
「早寝早起きをしている」
こうした特に誰からやりなさいと言われたわけでもなく、自分が自分のために作った「自分のルール」です。
この自分のルールは、世間のルール以上に厳しくなるようにすることです。
世間のルールは、破れば叱ってくれる人がいますが、自分のルールだけは誰も叱ってくれる人がいません。
叱ってくれる人がいないからこそ、より厳しくなければならないのです。
この自分のルールを自分が破るようなことがあれば、自分で自分に嘘をついていることになります。
自分が自分らしくいるために「自分のルール」を大切にすることです。
私は、自分から挨拶を心がけています。
相手から挨拶をされるより、まず自分から先に挨拶をしていくようにしています。
相手に先に挨拶をされては「しまった。先を越された」と思うくらい、自分で厳しくチェックするようにしています。
このように自分にある一定のルールを持つことで、他人からも「水口は挨拶をするのが早い」と言われるようになります。
それが、私らしさということです。
自分色を大切にするためにも、自分のルールを大切にすることです。
自分らしく生きるために、最低限として自分のルールくらいは、しっかり守るようにしましょう。
個性とは、自分のルールのことなのです。
私はその人がどのくらい余裕があるのかを見るときには、いつもごみ箱を見るようにしています。
初めからきれいな部屋は、きれいで当然です。
しかし、ごみ箱のような普段汚いところが、どれだけきれいにできているかによって、その人の心のきれいさがうかがえるのです。
部屋がきれいで、汚いはずのごみ箱まできれいにしている人は、よほど心の管理が行き届いている人なのだなと感心します。
ごみ箱は、住んでいる人の心の中を映し出した仮の姿です。
ごみ箱がいっぱいになっている人は、心の中も何かでいっぱいになっている人です。
ごみ箱がいっぱいになるまで、捨てに行こうとしない人は、問題がいっぱいになるまで解決に踏み出そうとしない人です。
しかし、逆に、ごみ箱がいっぱいになる前に、ごみ捨てに行く人は、問題が小さいうちから解決していく人です。
普段から問題を素早く処理し、ストレスもあまりため込まないようにしているのだなと、ごみ箱1つでわかってしまうのです。
今、あなたの部屋のごみ箱はどうなっていますか。
いつもきれいなごみ箱になっているなら、あなたの心の中もきれいに管理できているということです。
心の中にどれだけごみをためないか、あるいはごみがあっても、すぐ処理をしていくのかは、心の管理と比例してしまうのです。
人生をうまく歩みたければ「運命の流れ」というものに身を任せることです。
自分の人生を思うようにコントロールしたい気持ちもあるでしょうが、そのコントロールにも限界があることに気づきましょう。
人の力では、及ばない神秘的な力がこの世にはあるのです。
典型的な良い例が「出会い」です。
人と人との出会いだけは、自分の力で思うようにコントロールできません。
たしかに人がたくさんいるところへ行けば、人にはたくさん出会えます。
しかし、自分とぴったりの人と出会えるのかという「運命的な出会い」だけは、人の力ではどうしてもコントロールできません。
これこそ、運命という大きな流れに身を任せるしかないのです。
すべて思いどおりにしようという心意気は素晴らしいのですが、それではちょっと疲れます。
時には、運命という大きな流れに身を任せてみましょう。
一時的につらい運命があっても、流れに従っていることなら、進むべき正しい方向へ進んでいるということなのです。
野原を走り回る馬も、自分の向いている方向がいちばん走りやすいはずです。
それと同じように、あなたが今向いている方向がいちばんの走りやすい道なのです。
流れに逆らわず身を任せることが、いちばん進みやすい方向なのです。
人間には、外側と内側の2つの面があります。
外側は、着ている服であったり、持っている物であったりします。
それに対して内側は、心であったり、知性や品性であったりします。
人として、本当の魅力として感じるのは、内側のほうです。
外側、つまり外見がどれだけやぼったくても、内側が磨かれているなら、人間として魅力的であるということなのです。
往々にして、若い人は外側だけを磨こうとしています。
着ている服や持ち物だけを、素晴らしいものにしようとして、内側を輝かせることを見落としがちになっています。
好きな人と長いお付き合いをするときに大切なことは、外側の「外見」より内側の「心」のほうが大切です。
外見を磨いていても、暴力を振るったり、約束を守らなかったり、嘘をついたりするというのでは、長いお付き合いはできません。
長いお付き合いでは、外見などはもはや関係なく、内側の心こそが大切なのです。
人と人とのお付き合いは、心と心のお付き合いです。
心と心のお付き合いがうまくいくカップルは、人としてのお付き合いもうまくいくのです。
芝居やミュージカルなどの舞台劇は、2部構成が定番です。
前半に第1幕があり、後半に第2幕があります。
第1幕は「夢と希望を持ってチャレンジしたものの、トラブルの連続で思うようにいかず、諦めかける」という内容が定番です。
「上げて下げる」が第1幕です。
そして第2幕から流れが変わります。
思いもよらない展開があり、素晴らしい奇跡が起こり、物語がどんどん好転していきます。
第1幕の出来事が、伏線として回収され、プラスに転じます。
そして第2幕の終盤で、見事な復活劇を成し遂げ、ハッピーエンドを迎えます。
よくある物語構成ですが、普遍性があり、最も人を引きつけます。
実はこの2部構成は、あなたの人生にも言えるのです。
夢と希望と胸に秘め、新しいことにチャレンジしました。
ところが思うようにいかない日々で踏んだり蹴ったりの日々が続きます。
「うまくいきそうでいかない」「いつもぎりぎりのところでダメになる」が繰り返されます。
どんどん夢と希望が失われていき、だんだん諦めがちになり、未来が見えなくなる。
「こんなはずではなかった」と叫びたくなる瞬間があるかもしれません。
思うようにいかず、挫折を味わうことがあれば、こうつぶやいてください。
「ここから私の第2章が始まる」と。
これまでの人生は第1幕でした。
第1幕ですから基本的に低調です。
空回りが多かったりトラブルが続いたりなど厳しい日々ですが、第1幕なのでシナリオどおりです。
ここから第2幕が始まります。
「ここから私の第2幕が始まる」と思えば、気持ちが前を向き、心に火がつきます。
つらいことも苦しいことも、第2章に向けた布石でした。
あなたの第2幕は、これから始まります。
日記をつけているなら、今日の欄に「私の第2幕が始まる」と書いてください。
今日を第2幕の記念日にしましょう。
第1幕の伏線がどのように回収されるか楽しみにしてください。
あのときの不幸も災難も、実は意味がありました。
点と点がつながって、あなたの人生に大きな意味をもたらします。
人間万事塞翁が馬。
あなたの人生は、ここから面白くなるのです。