人生とは、決断の連続です。
生まれてから、死ぬまでの間、常に決断の連続ばかりです。
今、この一瞬だってそうです。
間違った決断をしないために、大切なことがあります。
決断するときは「自分のことは、自分で決める」ということがなにより重要です。
友人と一緒になって考えたり、親と一緒になって考えたりすることは、たしかに大切なことです。
決断をするときに、とても邪魔になってしまうことがあります。
見栄やプライドです。
見栄やプライドは、本来の自分がするべき決断を邪魔してきます。
決断力を身につけるために、夢を持つようにしましょう。
夢を持てば、自然と決断力もついてきます。
夢を持つことで自分の中に「判断基準」が生まれるからです。
今でも忘れはしない、私が22歳のときです。
当時は、まだアメリカに留学している最中であり、学生時代を送っていました。
おかしな話ですが、興味本位から学校では日本語のクラスを取っていました。
決断ができる人は、チャンスを生かすことができるようになります。
決断ができるから、チャンスをつかみ取ることができるのです。
ときどき「チャンスがつかめない」と言う人がいます。
たとえ、人から反対されたことでも、自分が「これだ」と決めたことは、大いに自信を持ってかまいません。
悔やむことなんてありません。
自分が決めたことなのですから、後ろめたいことなどないのです。
物事を決めていくときには、他人の意見を参考にしていきましょう。
しかし、他人の意見を丸のみする意味ではありません。
自分の視野を広げ、より正しい選択ができるように、参考にさせてもらうという意味です。
決断で、すべてが決まるわけではありません。
もちろん変更できない決断もありますが、ごく一部です。
実際のところ、あとから変更できる決断がほとんどです。
学生時代の理科や社会の問題では、消去法で答えを見つけ出していく方法があります。
私も学生時代、消去法はよくやっていました。
選択問題があって、答えがどれか見てわからなかった場合、次にとる作戦は、逆にいちばん間違いであろう選択肢を消していくことです。
始めたときはとても新鮮だったのに、続けていくうちにだんだん飽きていくことがあります。
どんなに新鮮に見えようが、どんなに好きでいようが、触れ続けていくうちにだんだん飽きてしまうことは、人間らしいことです。
それは成長を意味しているからです。
遠慮とは、日本人の優しい心の表れです。
一般的に欧米諸国の人は、物事をはっきり発言する文化を持っているため、日本人の遠慮には苦手な人が多いようです。
しかし、ここでは、どちらの文化がいいのか悪いのかと考えるのではなく、どちらの文化にもいいところがあると考えることです。
決断の中に「わからない」という決断もありと考えましょう。
長い人生の中には、やはりどうしてもわからないことがあります。
「わからない」から、決断ができないのです。
決断となると、問題なのが失敗したときの「責任」です。
大きな決断をするときであるほど、大きな責任も発生します。
すると、今度は誰が責任を取るのかということが問題になります。
決断を、考えすぎていませんか。
できるだけ良い決断をするために、あれこれと考えることは必要です。
大きな決断ほど、時間をかけて慎重になるのは、正しい姿勢です。
私は母に、どう父に出会って、なぜ父と結婚しようと決めたのか、聞いてみたことがあります。
これは私だけに限らず、どこの家庭でも一度は親に聞いてみたことがあるのではないでしょうか。
私の父と母が出会ったきっかけは「お見合い」です。
他人に決められた決断だと、行動力が伴いません。
人に「こっちのほうがいい。あっちのほうがいい」と決められても、他人の意見であり、自分の意見ではありません。
当然のことながら、やる気も出にくく、なかなか行動力もでないのです。
「これをやったら、~になるからダメ」
「あれをやれば、こうなってしまうからダメ」
こんな言い訳ばかりをしていると、いつまでも決断できなくなります。
決断をするときに、それをやればどうなるのか、さっぱり見当もつかないときがあります。
先輩の話を聞いてもぴんとこなかったり、情報が少なくて困ったりすることがあります。
たとえば、彼女とのデートで以前あるレストランへ行ったときのことです。
間違うことがいけないことだと思っていませんか。
誰が間違うことがいけないなんて教えたのでしょうか。
学校です。
慎重な決断をするとき「どうしよう」と考える時間が必ず発生します。
決断が重要であるほど、いろいろと考えることが多くなり、慎重になります。
間違いのない決断をしようと思えば、考える時間や迷う時間が増えます。
人間が決断するときに、3種類の人間がいます。
(1)決断の早い人
(2)決断の遅い人
一度決めたことは、あとからくよくよしないようにしましょう。
「ダメかもしれない」と、気に病んでも仕方ないことに心を悩ませたところで、どうにもなるわけではありません。
自分の決めたことくらい、自信を持つことです。
良い決断ができる人は、たくさんのことを知っています。
たくさんのことを知っていて、それを総じて、1つの決断を下しています。
1つのことしか知らないという単眼的な視野を持っているからではありません。
上手な決断の仕方は、自分の好き嫌いという価値観を基準にして考えることです。
自分の好き嫌いという基準ほど、正しい判断基準はありません。
好きなことを決断すれば、言われなくてもやりたくなるし、嫌いなことを決断すれば、やれと言われてもやりたくはありません。
うまい話には、軽い気持ちで乗らないようにしましょう。
うまい話には、ほとんどの場合、裏があります。
うまいだけの話は、響きこそいいですが、すべてがそんなにうまくいくわけがないのです。
時と場合にもよりますが、逃げることも堂々とした決断の1つと考えることです。
日本人は、武士道の文化がはびこっているために、逃げないことが美徳だと考える風潮が、いまだにあります。
日本の武士たちは、堂々と戦うことこそ男であり、逃げることはそれだけで負けを認めることだと考えていました。
多数決の意見に振り回されていると、自分に気持ちに反する決断になる場合があります。
「自分の好き嫌いを基準に、決断する」
これが大前提となります。
面接では不思議なことに、同じ学歴でも、通る人と通らない人にわかれます。
たとえ身長や体重、学歴や資格も同じであったとしても、通る人と通らない人にわかれるのには、それなりに理由があります。
「印象」です。
すべての人に好かれようとすると、いつしか限界がきます。
人はみんな、人それぞれであり、好みや考え方も、人それぞれです。
すべての人に好かれようとして振る舞うことには、いずれ限界がくるのです。
人生とは、決断の連続です。
生まれてから、死ぬまでの間、常に決断の連続ばかりです。
今、この一瞬だってそうです。
今、あなたは決断をしています。
この文章を読む前に「よし、読んでみよう」と決断したはずです。
今から「やっぱり読むのをやめた」と決断することもできます。
それだけでなく、今からトイレに立つこともできるし、友人に電話してみることもできます。
今はたった一瞬なのに、その一瞬の中に無限の選択肢があるのです。
その無限の選択肢の中から、あなたは1つを選び、行動に移しています。
実際、あなたが今このようにこの本を読んでいるということは、その無限の選択肢の中から、1つを決断したわけです。
今だけに限りません。
人間は、生きている間、常に目の前に無限の選択肢があり、その中から1つを選んで行動しているのです。
まさに、人生は決断の連続です。
このように考えると、決断力がどれだけ自分の人生において大切であるかが、少しはわかっていただけたでしょうか。
人生は、どんなときでも常に決断力が必要です。
この「決断力」という力をしっかり身につければ、これからの毎日がきっとうまく送れるようになります。
自分で自分の人生をうまくコントロールするために、しっかりした決断力は、大きな武器になるのです。
間違った決断をしないために、大切なことがあります。
決断するときは「自分のことは、自分で決める」ということがなにより重要です。
友人と一緒になって考えたり、親と一緒になって考えたりすることは、たしかに大切なことです。
頼りがいのある人から、頼りがいのあるアドバイスをもらえることは、正しい選択をするために重要です。
しかし、間違ってもしてはならないのは「流された決断」です。
友人や親の意見を聞いて参考にすることはあっても、その意見だけをうのみにして、流されないように気をつけましょう。
意見は参考程度にとどめておき、最後に決めるのは「自分の頭」で決めるようにしましょう。
自分の人生を後悔しないように生きたければ、なおさら自分で決断することです。
自分の人生くらいは、自分で決めて行動するようにすることです。
自分で決断できるようにならないと、自分の責任を他人になすりつける人間になります。
こんな言葉を聞いたことがありませんか。
「友人が『大丈夫』と言ったから」
「あなたが『こっちのほうがいい』と言ったから」
「親が『○○大学にしろ』と言ったから」
自分で決断できない人は、言い訳をする人になってしまいます。
「決断のできない人=言い訳をする人」です。
言い訳という、自分の責任を誰か他人になすりつけるような汚いことをしたくなければ、自分で決めることです。
他人の意見はどれだけ聞いてもかまいません。
どれだけ参考にしてもかまいません。
しかし、最後は必ず自分で決めるようにしましょう。
当たり前のことと思うかもしれませんが、たったこれだけのことができるかできないかで、人生が大きく変わります。
決断力のある人は、自分の人生は自分で決めることができる人なのです。
決断をするときに、とても邪魔になってしまうことがあります。
見栄やプライドです。
見栄やプライドは、本来の自分がするべき決断を邪魔してきます。
「友人が見ているから、かっこつけるためにやろう」
「こんなことができないなんて、プライドが許さない」
見栄やプライドが、不必要な決断をさせています。
本当はしたくないことでも、他人から尊敬されるために、つい見栄やプライドが出てしまうのです。
見栄やプライドは、響きこそかっこいいかもしれません。
しかし、決断するときには自分らしくない、かっこ悪い決断をさせてしまう邪悪な魔法のようなものなのです。
見栄やプライドは、もったいないと思うかもしれませんが、思いきって捨ててしまいましょう。
嫌なことは「嫌」と言い、やりたくないことは「やりたくない」を言えるようになるために、捨てるのです。
自分に正直になれば、いちばん正しい選択ができるようになるのです。
決断力を身につけるために、夢を持つようにしましょう。
夢を持てば、自然と決断力もついてきます。
夢を持つことで自分の中に「判断基準」が生まれるからです。
たとえば、私には「みんなに幸せになってもらいたい」という夢があります。
私のすべての決断は「みんなに幸せになってもらいたい」という夢から「判断」します。
たとえば、私が普段読む本は、いつも幸せ関係をテーマにした本ばかりです。
どんな本を読もうかと本屋に行けば、目の前にいっぱいの本が並んでいます。
その中から、自分が読むべき本を決めるときには、自分の夢をいつも思い出します。
自分の夢に少しでも近づけるような本を見つけ、読むようにしています。
いくらたくさんの本があっても、夢があれば、それを基準にすればいいだけですから、簡単に決めることができるわけです。
本だけではありません。
寝る時間や起きる時間も、本を書くためにうまく調節して、決めています。
明日は本を書くために早起きしようと思ったら、早めに寝ます。
本を少しでもたくさん書くために早起きします。
このように読む本だけでなく、起きる時間や寝る時間が、自然と決められています。
休日の過ごし方、友人との雑談の内容など、生活のいろいろなところで上手に選択し、決断ができるようになります。
私にとってなにより叶えたい夢のために、日々の生活が正しく選択されているわけです。
さて、今度はあなたに当てはめてみましょう。
あなたには、夢がありますか。
夢があるなら大丈夫です。
この本を読まなくても、いつの間にか夢を基準に、上手に選択と決断ができているはずです。
もし、夢がなければ、今からでも遅くはないので、まず夢を持つようにしましょう。
自分の好きなことが、あなたの夢です。
夢があれば、張りのある毎日を過ごせます。
やるべきことが簡単にわかり、決断ができるようになります。
決して間違っても、夢のない人生を送るのはやめましょう。
「生まれてしまったから、仕方なくただ生きる」という人生だけは送らないようにしましょう。
今でも忘れはしない、私が22歳のときです。
当時は、まだアメリカに留学している最中であり、学生時代を送っていました。
おかしな話ですが、興味本位から学校では日本語のクラスを取っていました。
「日本語で日本語を勉強すること」はあっても「英語で日本語を勉強すること」は、なかなか珍しいことです。
そんな理由から、興味本位で日本語のクラスを取っていました。
同じクラスの中に、ダントツに飛びぬけてかわいい韓国人の女の子がいました。
日本にとても興味があったらしく、積極的に日本語について聞いてきたことがきっかけで、彼女と知り合いました。
クラスは毎日あり、毎日彼女と顔を合わせるようになったら、私はだんだん彼女のことが好きになってしまいました。
私はクラスにいくことが楽しみの1つになり、またその反面つらい日々の始まりにもなってしまいました。
彼女のちょっとした"そぶり"は、私に対して恋愛的感情があるのではないかと思わせます。
しかし、その反面、彼女のちょっとした"そぶり"は、やはり自分には興味がないのではないかと思わせます。
彼女の行動一つひとつが、私を悩ませます。
最後の辺りは本当にクラスに行くのがつらくなってしまいました。
彼女のことが、頭から離れなくなってしまったのです。
頭の中で「深入りしないようにしよう」とどんなに考えても、気持ちは正直に動いてしまいます。
彼女に会えば会うほど、幸せのタネにも、悩みのタネにもなり、気が狂いそうになってしまったのです。
私はそのとき一瞬「ストーカーになる人って、こんな気持ちになっているんだろうな」と思ってしまったくらいです。
ストーカーなんてなりたくありませんし「なんとかしなければ!」と思い、私は苦渋の決断をしました。
「登校拒否」です。
私は彼女が好きであるゆえに、もうこれ以上、頭の中を占領させたくなかったため、少し距離を置くことにしたのです。
好きな人と会ってしまうから学校へ行かないということは、なかなかあるものではありません。
私は今でも、珍しい行動をしたなと思っています。
私が日本語のクラスへ行ってしまえば、彼女と会ってしまい、頭の中から離れなくなってしまう病に再び冒されてしまいます。
そのため、もう思いきって学校へ行くのをやめたわけなのです。
おかげでクラスへ行かなくなってからは「頭から離れない病」は少し楽になりました。
だんだんほかのことも少しは考えることができる余裕が出てきた、そんなときです。
今度は、学校へこない私を心配して、同じ日本語のクラスのある友人が、心配で電話をかけてきてくれました。
「どうしたの? 最近、全然学校来ないじゃん? 何か病気でもしたの?」と、心配していました。
その人はとても信頼できる友人だったこともあり、私は正直に学校へ行けない理由を話しました。
すると……、友人に大笑いされてしまいました。
私としては、真剣に恋愛に悩んでいるのに、友人にしてみれば、おかしく思えたのでしょう。
たしかに私は、少し気にしすぎなのかもしれません。
友人に話すと「大丈夫だよ。彼女が心配しているよ」と元気づけてくれたため、久しぶりにクラスへ行ってみました。
すると、彼女が、なんとまあかわいい笑顔で迎えてくれるではないか。
彼女は本当にいい子で、何があったのか、病気でもしたのかと、いろいろと私のことを気遣ってくれます。
しかし、私は、彼女の前で本当の理由が話せませんでした。
私が学校へ行けなくなったのは、目の前にいる彼女本人が原因だっただけに、何も話せないのです。
それからは、学校へ行ったり行かなかったりの不安定な毎日が続きました。
私も、ずっと頭に恋愛の負荷をかけていると、だんだん頭の中がもやもやになってきて、疲れてしまいました。
そんな状態をなんとかするために、最後に「一大決心」をすることにしました。
「告白」です。
告白して、白黒はっきりさせてしまえば、この苦しみから放されるのです。
なぜ今までそれができなかったのでしょうか。
答えを聞くのが怖かったのです。
私は「好き」の一言すら言えない弱虫でした。
しかし、考える毎日にもう疲れてしまい、その疲れのおかげで恥ずかしさが少し紛れていました。
そこである日「今なら告白できそうだ」と思い、その子に「ラブレター」を書くことにしました。
自分の気持ちを正直に書いたラブレターを渡して、その場から逃げるように帰りました。
帰って、どうなるのかと、どきどきしながら返事を待っていました。
すると……、次の日の夕方、彼女から電話がかかってきました。
私は結果を聞くのが怖くて、着信のところで彼女の名前が出ていても、電話に出るのを一瞬ためらいました。
しかし、思いきって、電話に出ることにしました。
電話の向こうでは、彼女はいつものトーンで話を始め、昨日のラブレターのことなんて忘れているかのようでした。
しかし、彼女も結果を言うのをためらっていて、あえて会話の最初は雑談で紛らせていただけでした。
会話の最後に、一言言ってくれました。
私が、人生で最も忘れられない一言です。
「あなたは私のこと、女性として見ているかもしれないけど、私は友人でいたい。これからも友人でいましょう」
明るく返事をしてくれました。
つまり、振られてしまったのです。
はっきり言わず「友人でいたい」という遠回しな表現を使ってきたところが「うまく断られてしまったな」と感じました。
それから数日がたち、今までの精神的な苦しみが一気に楽になりました。
多少の「失恋後遺症」は残ってしまっても、今までの苦しみに比べれば、楽になったものでした。
告白をして、白黒はっきりさせたことで、精神的なもやもやに苦しむことがなくなったのです。
私にとって、告白という決断は、大きな決断でした。
しかし、後悔はしていません。
むしろ「あのとき、告白して良かったな」と、今でも心からそう思っています。
もしあのとき、自分の気持ちを伝えていなければ、いまだに後悔が残っていたはずです。
「片思い」とは、本当につらいと思った一件でした。
これが、私の人生の忘れられない思い出の1つになるのでした。
決断ができる人は、チャンスを生かすことができるようになります。
決断ができるから、チャンスをつかみ取ることができるのです。
ときどき「チャンスがつかめない」と言う人がいます。
しかし、誤解してほしくないのが、つかむ行動をしたときには、チャンスはしっかり生かすことができているということです。
たとえチャンスがつかめなくても、つかもうという行動ができていれば、何か失敗した中で得られたものがあるはずです。
チャンスがつかめなかったとはいえ、得られたことがあったはずです。
ただ本人は、気づいていないだけです。
決断ができる人は、すべてのチャンスを生かせます。
結果として「つかめた、つかめなかった」という結果があっても、どちらにしろ行動したからには、十分に合格なのです。
大切なことは、決断できる人は、どんなチャンスでもつかめるということです。
「つかめないかもしれない……」と弱気になり、何も行動しないのがいちばんいけないことです。
行動さえすれば、何か得られるものがあるのです。
それだけで、チャンスをつかむ決断をしたかいがあったということです。
たとえ、人から反対されたことでも、自分が「これだ」と決めたことは、大いに自信を持ってかまいません。
悔やむことなんてありません。
自分が決めたことなのですから、後ろめたいことなどないのです。
ときどき「これで本当に良かったのだろうか」と、せっかくの決断に、疑いを持ってしまう人がいます。
自分で決めたことでありながら、自分で信じることができないでいるのです。
正しいかどうかだけが、大切なことなのではありません。
「自分で決めたこと」のほうが、大きな価値があるのです。
自分で決めたことなら、何でも価値が生まれます。
結果として成功したなら、今までの自分の知識や知恵が役立ったということです。
もし仮に、結果が失敗という形で終わってしまったとしても「失敗してしまった理由」を知ることができます。
自分で決めた道なら、成功しようが失敗しようがどちらでも収穫があるのです。
結果がどうであろうと、自分で決めたことすべてに、価値が生まれます。
決断に自信を持ちましょう。
他人に流されて決めたことではなく、自分が決めたことなら、堂々としていいのです。
物事を決めていくときには、他人の意見を参考にしていきましょう。
しかし、他人の意見を丸のみする意味ではありません。
自分の視野を広げ、より正しい選択ができるように、参考にさせてもらうという意味です。
そのときに気をつけてほしいことがあります。
「でも」という言葉を使わないことです。
「でも」という言葉を使ってしまうと、せっかく人が話してくれたアドバイスを、否定してしまうことになります。
たとえ、そのアドバイスが間違っていたとしても「でも」は使わないようになると、あなたの器は大きくなります。
人さまに、わざわざアドバイスをしていただけることは、ありがたいことです。
アドバイスが間違っているとか、物足りないといったことは、あとから考えればいいのです。
アドバイスを聞くときは、否定などせず、まずは純粋にすべてを受け止めます。
いったん全部受け止めたうえで「この意見は、いらない。この意見は役立ちそうだ」と、分けていけばいいのです。
いいのか悪いのかは、わざわざアドバイスをしてくれる人に向かって言うことではないのです。
私の場合も人から意見を聞くときには、まずはすべて受け止めるようにします。
「地球は将来きれいな星になる」という意見も「地球は将来、核兵器のため自滅する」という意見も、両方聞くようにしています。
すべてを受け止めて、私の頭の中で「この考え方は好きだな。でもこの考え方には賛成できないな」という選別を行うのです。
他人からいただけるアドバイスは、もらうだけもらっておきましょう。
アドバイスの利用をどうするかは、あとから考えればいいことなのです。
決断で、すべてが決まるわけではありません。
もちろん変更できない決断もありますが、ごく一部です。
実際のところ、あとから変更できる決断がほとんどです。
完全を求めるためには、決断を先延ばしにしません。
まず決断して、あとから微調整するほうが現実的です。
マラソンは、一度スタートしたからとはいえ、ペースを変えることができないわけではありません。
スタートしてから、ペースを変えることができます。
時には、休むこともできます。
「スタートしてからのこと」より「まずスタートすること」のほうが、大切なことです。
ほとんどの人の場合、スタートができていません。
完璧さを求めるばかりに、いつまで経ってもスタートができないのです。
その分、大きく後れてしまいます。
スタートしないだけで、どんどん後れてしまうのです。
私は最初、文章を書くために「完璧になってから文章を書こう」と思っていました。
たくさんの本を読み、たくさん経験して、より完璧になってから書き始めようとしていました。
しかし、そうすると不思議なことに、いつまで経っても始められないのです。
完璧を求めてしまうと、いつまでもスタートができません。
「もっと本を読まなくてはいけない。もっと経験を積まなくてはいけない」
不安で、いつまで経ってもスタートができませんでした。
それで、あるときに気づいたのです。
「このまま完璧を求めていては、スタートする前に人生が終わってしまう」と。
それからは、もう完璧を求めるのはやめました。
本を書くときには「完全なる100%」ではなく「今の自分の100%」で書くことにしました。
考えるようになったとき、私は文章を書くというスタートをようやく切ることができました。
もし変更や間違いがあれば、そのときに修正すればいいことです。
まずは、スタートすることがいちばんです。
「あとから微調整すればいい」と考えれば、決断ができるようになります。
学生時代の理科や社会の問題では、消去法で答えを見つけ出していく方法があります。
私も学生時代、消去法はよくやっていました。
選択問題があって、答えがどれか見てわからなかった場合、次にとる作戦は、逆にいちばん間違いであろう選択肢を消していくことです。
複数の選択肢の中から、どれがいちばん間違いであるかを見つけ出し、1つずつ選択肢を消します。
最後に残った選択肢が、いちばん答えに近い選択肢ということになります。
この方法は、テストの紙の上だけでなく、人生の上でも、大いに活用していきましょう。
決断をしようと思っても、選択肢がたくさんあって、どれがいいのかわからないときがあります。
そんなときは、逆にいちばんダメだと思う選択肢から消していけばいいのです。
いちばんダメだと思う選択肢から消していけば、消していくたびに正しい答えに近づけます。
「間違えること」「三日坊主」にも、同じことが言えます。
「これは自分には合っていないな。自分には無理だ」と思うことがあれば、1つ選択肢を消していくことができたということです。
「間違った、合わなかった」ということは、それだけ自分には向いていないことがわかり、大きな収穫があったということなのです。
どれだけ自分に合った道を見つけ出せるかは、こうした間違いの多さに比例します。
たくさんの失敗や間違い、三日坊主を経験している人は、より自分に合った選択肢を選べるようになります。
子どものころの、失敗体験の多さに比例して、大人になったときに、素晴らしく自分に合った選択ができるようになるのです。
間違えるということは、それだけ正しい答えに近づけると考えることです。
そう考えると、うまくいってもいかなくても、どちらでも収穫があるのです。
決断することに、何も怖いことなんてないのです。
始めたときはとても新鮮だったのに、続けていくうちにだんだん飽きていくことがあります。
どんなに新鮮に見えようが、どんなに好きでいようが、触れ続けていくうちにだんだん飽きてしまうことは、人間らしいことです。
それは成長を意味しているからです。
この「飽きる」ということは、人間の素晴らしい能力の1つです。
ときどき、飽きてしまうことにマイナスなイメージを持った人がいますが、とんでもありません。
「飽きる」ということは、自分がそれだけ成長し、レベルが上がった証拠なのです。
「飽きること」は「成長すること」です。
「飽きる」ことが悪いと思っている人は、一度やり始めると、飽きて嫌になっても、なかなかやめることができません。
「飽きっぽい人だ」と思われるのが嫌で、自分の決断を濁してしまっているのです。
飽きてしまい、やりたくなくなったら、やめてもかまいません。
飽きてしまったことを、もっと前向きに捉えましょう。
次なるステップへ上がるために、飽きてしまったことは正直に認めることが必要です。
「成長したから飽きてしまいました。私は次のステップへ移ります」と堂々と言えるようになりましょう。
飽きることを認めることができれば、正しい決断もできるようになるのです。
遠慮とは、日本人の優しい心の表れです。
一般的に欧米諸国の人は、物事をはっきり発言する文化を持っているため、日本人の遠慮には苦手な人が多いようです。
しかし、ここでは、どちらの文化がいいのか悪いのかと考えるのではなく、どちらの文化にもいいところがあると考えることです。
短所ばかりに目を向けるのではなく、長所だけに目を向けていればいいのです。
日本の遠慮は、否定的な文化ではありません。
むしろ相手に必要以上に気を使わせないために配慮する、日本人の優しさが表れた文化です。
日本人はほかの国以上に、相手に対する思いやりがあるために、長い歴史の中で遠慮という文化が生まれたのです。
日本人は、遠慮という行為にもっと自信を持っていいのです。
素晴らしい文化です。
私は、欧米人のはっきり物事を言ってしまう文化も好きですが、日本人の相手の心を気遣った遠慮も大好きです。
どの国もそうですが、文化は長い歴史の中で生まれてきました。
決断をするときにも「日本人だから遠慮しなければならない」という狭い考え方を捨てることです。
遠慮はきれいな文化でも、時には決断をするうえで障害になってしまうことがあります。
決断には日本人だからとはいえ、いつも遠慮にこだわらず、欧米のようにはっきりさせることも大切です。
時には遠慮し、時にははっきりする。
この臨機応変が、決断力の向上に大きく貢献するのです。
決断の中に「わからない」という決断もありと考えましょう。
長い人生の中には、やはりどうしてもわからないことがあります。
「わからない」から、決断ができないのです。
そんなときには、無理やり決断をする必要はありません。
わからないときに無理やり決断をしてしまうと、後で取り返しをするために、大きな労力が必要です。
わからないということは、神様が「無理やり決めなくてもいいよ」という遠回りの表現で教えてくれているのです。
わからないことも、立派な答えなのです。
正直に無理やり行動することをやめ、気が済むまで待ってみるのも、1つの選択です。
決断となると、問題なのが失敗したときの「責任」です。
大きな決断をするときであるほど、大きな責任も発生します。
すると、今度は誰が責任を取るのかということが問題になります。
自分のことを決断するときには、自分が責任を負う覚悟でいることが正しい選択です。
誰かに責任をなすり付けずに、真っ向から自分の決断には自分で責任を取るという覚悟でいれば、決断ができるようになります。
自分のことなのに、誰か他人に責任をなすり付けてしまうことは、自分が成長できなくなります。
自分が犯した失敗を自分の責任にすることで、自分の成長になります。
決断を、考えすぎていませんか。
できるだけ良い決断をするために、あれこれと考えることは必要です。
大きな決断ほど、時間をかけて慎重になるのは、正しい姿勢です。
しかし、深く考えすぎると、今度はいつまでも決められなくなります。
考えすぎていると、頭が混乱した経験はありませんか。
不安が、さらに別の不安を生む悪循環です。
世の中に、絶対はありません。
絶対を求めると、終わりがないのです。
決断は完璧にするのではありません。
適当に決断していくことが「いちばん適当」と考えることができます。
私は母に、どう父に出会って、なぜ父と結婚しようと決めたのか、聞いてみたことがあります。
これは私だけに限らず、どこの家庭でも一度は親に聞いてみたことがあるのではないでしょうか。
私の父と母が出会ったきっかけは「お見合い」です。
私の父も母も、お見合いを始めた当時、すでに仕事を持っていて、だんだん落ち着いていたころでした。
それで、そろそろ結婚のことも考えなくてはという理由から、お見合いを始めたそうです。
母は、はじめ父とは別に、もう1人の男性ともお見合いをしていました。
その男性のほうが、実家からも家が近く、連絡を取りやすいですから、立地条件からその男性のほうを優先的に考えていたそうです。
しかし、最後に選んだのは、私の父のほうでした。
母に選んだ理由を聞いてみると「好感が持てたから」という答えが返ってきました。
お見合いは、自分の人生のパートナーを選ぶ、大きな一大決心の1つです。
私の母はとても単純に「好感が持てたから」という理由で選んだわけです。
相手の地位や肩書や立地条件などに振り回された決断は、あとあと大きな後悔を生みやすいものです。
しかし、好感が持てたという理由で選べば、なにより自分の気持ちで選んだことなので納得がいきます。
心の通い合う関係を決めるときには、相手の地位や肩書に振り回されるより、自分の気持ちに正直になったほうがうまくいきます。
私の母は、大切な心の通い合う関係だからこそ、自分の気持ちを大切にして、父と結婚しようと決めたのです。
そういえば、つい先日、私の両親は結婚30周年を迎えました。
母は、父を選んで本当に良かったと言っていました。
他人に決められた決断だと、行動力が伴いません。
人に「こっちのほうがいい。あっちのほうがいい」と決められても、他人の意見であり、自分の意見ではありません。
当然のことながら、やる気も出にくく、なかなか行動力もでないのです。
他人に決められたことは、決断できても行動できないという法則があるのです。
たとえば、私は小学生のころ、母に「勉強しなさい」と言われたため、逆にやる気をなくしたことがあります。
ちょうどそのとき、やろうと思っても、人に言われるとなんだか命令されたような感じがして、なかなかやる気が起きないのです。
その反面、自分から進んで決めたことには、すべての責任が自分に返ってきますから、おのずから体が動いてきます。
私が高校卒業後に留学のことを考え、決意したのもすべて自らでした。
親にやれと命令されたりすることなく、自分がやりたいと思って決めました。
見知らぬ土地へと渡り、留学生活を送ることができたのも「自分が決めたことだからやる」という気持ちが大きかったからです。
私は親から「知らない土地でよく頑張ったね」と驚かれます。
自分としては、やりたいから決めたことです。
留学中は、たしかにつらいときもありました。
しかし、途中で何も得ないまま終わるのは中途半端ですから、とにかく区切りがつくまでやり遂げようと思っていました。
このように、自分が決めて行動するのか、他人に決められて行動するのかで、雲泥の差が出てきます。
自分の将来に関わる大きな決断であるほど、自分で決めることが大切です。
間違っても、自分の人生を他人に決められて行動するということはないようにしましょう。
他人に決められると、やる気が起きず、行動できなくなってしまうのです。
「これをやったら、~になるからダメ」
「あれをやれば、こうなってしまうからダメ」
こんな言い訳ばかりをしていると、いつまでも決断できなくなります。
長所には、裏を返せば、必ず短所があります。
しかし、短所にも裏を返せば、必ず長所があります。
実は「長所」と「短所」は、2つで1つのセットになっているのです。
何かを決めようとするときにアラ捜しをすれば、必ず短所が出てきます。
しかし、これは大変なことなどではなく、むしろこれが当然なのです。
短所がないことなどありません。
すべての長所には、短所も一緒になってあります。
知り合いのある女性は、小さい胸に悩み、またある女性は大きい胸に悩みます。
胸が小さい人は小さいことに悩み、大きい人は大きいことに悩むのです。
大きい人は胸が小さいほうがいいなというし、胸が小さい人は大きな人がいいなと言うのです。
これでは、どちらが本当にいいことなのかわかりません。
「小さいはダメ。大きいもダメ」
言っていることは、間違っていません。
たしかにその人の悩みです。
しかし、その人の「悩み」だけであって、ほかの人から見れば「憧れ」に映ることがよくあるのです。
ほかの人から見れば、自分が思っているほど、短所は短所ではないのです。
短所ばかりに目を向けていないで、時にはその短所があるからこそ存在する長所にも、目を向けてみることです。
どこかに必ずあります。
言い訳ばかりしている人が、いつまで経っても決断できないのは、短所ばかりに目を向けているからです。
ある程度の短所には、ある程度の長所があります。
とんでもない短所には、とんでもない長所があります。
自分の短所に、いま一度目を向けてください。
自分が嫌でたまらない短所を、1つあげてみましょう。
それは、裏を返せば、大きな長所になります。
大きな短所も、見方を変えれば大きな長所になることに気づけば、たわいないことに感じてくるのです。
決断をするときに、それをやればどうなるのか、さっぱり見当もつかないときがあります。
先輩の話を聞いてもぴんとこなかったり、情報が少なくて困ったりすることがあります。
たとえば、彼女とのデートで以前あるレストランへ行ったときのことです。
少し高級なレストランで、メニューを見ても、想像しにくい名前のメニューばかりです。
そこで、店員さんに「これ、何ですか」と聞いて、説明してもらいます。
説明を聞いても、やはり見たことも食べたこともないメニューは、なかなか想像しにくいのです。
味も、想像するしかありません。
そこで私たちは「とりあえず、わからないから試しに食べてみよう」ということにしました。
出てきた食事は、案の定、初めて見る料理で、味も例えようのない独特の味をしていました。
実際、最後まで食べきれず、ちょっと残してしまいました。
しかし、私たちには、その決断に後悔はありませんでした。
むしろ初めて食べる料理に出会うことができ、楽しく食事ができたくらいです。
わからない食事だからこそ「これどんな味がするのかな。どうやって食べればいいの?」と、話に花が咲きました。
メニュー選びのときに、よくわからないからやめておく、という選択もできたでしょう。
しかし、あえて「よくわからないから試しに食べてみよう」と決断したことで、普通の料理以上に楽しくけました。
わからないから、ダメだということはありません。
わからないことは、新しいことに挑戦するチャンスと考えましょう。
わからないことのほうが、大当たりということもあるのです。
間違うことがいけないことだと思っていませんか。
誰が間違うことがいけないなんて教えたのでしょうか。
学校です。
学校では間違うといけないことだとされています。
間違えば叱られるし、ダメな人間と言われます。
しかし、それこそ狭い範囲の考え方です。
人生において成功する人は、成功しに行く人ではなく、むしろ間違えに行く人です。
どれだけたくさん間違えるかで、どれだけたくさんのことがわかっていくかは、比例しているのです。
たくさんのことを知っている人は、たくさんの間違いや失敗をしたことがあるから、知ることができたのです。
決断のときは「失敗をしに行こう」と、気楽に考えればいいのです。
決断ができるようになります。
まず失敗してみて、どういうものなのかを知ろうと考えるのです。
テレビゲームでは、一度失敗すればゲームオーバーです。
しかし、人生では、一度の失敗でゲームオーバーということはありません。
何度でも間違うことができます。
数え切れないほど、たくさんの失敗や間違いをした人が、たくさんのことを知り、いちばん成功できるようになるのです。
成功者ほど、失敗経験者なのです。
慎重な決断をするとき「どうしよう」と考える時間が必ず発生します。
決断が重要であるほど、いろいろと考えることが多くなり、慎重になります。
間違いのない決断をしようと思えば、考える時間や迷う時間が増えます。
その結果、決めるまでに時間がかかりやすくなるのです。
たしかに大きなことを決めるときには慎重になり、時間をかける必要があるでしょう。
この決断するまでの時間を、少しでも短くする方法があります。
決断に必要なことを、紙に書いてしまうのです。
たとえば、上司から海外への転勤の相談があったとします。
指示ではなく、相談です。
あくまで、最終的な決断は、本人に委ねられます。
来週から1年間、ベトナムにある支店で働いてほしいといわれ、明日の2時までに回答が欲しいと言われたとします。
海外勤務をすれば、収入が今の2倍になることを約束してくれます。
収入面のメリットもありますが、言葉や環境の変化などのデメリットもあります。
どうしようかと迷うでしょう。
頭の中だけで考えると、余計に思い悩み、決断に時間がかかります。
そういうときは、まず気になることを紙に書いてしまいます。
メリットとデメリットを、箇条書きで書くのです。
海外勤務のメリットとして「収入が2倍になる」「新しい文化や風土が学べる」などが挙げられます。
海外勤務のデメリットとして「言葉の壁」「母国の食事が食べにくくなる」「家族と会えない」などが挙げられます。
書けば、目に見えるようになります。
メリットとデメリットを考慮して、重大な決断を、よりスムーズに下すことができるようになるのです。
人間が決断するときに、3種類の人間がいます。
この中の理想は、もちろん「決断の早い人」です。
次に良いのが「決断の遅い人」です。
決断の早い人は「1、2、3」と前に進んでいけます。
決断の遅い人でも「1…、2…、3…」と進みます。
進む速さは遅いですが、ゆっくり前に進むことができています。
最後に、もう1つのパターンがいます。
「決断も何もしない人」です。
これが最もよくないパターンです。
何もしないと、本当に何も起きないのです。
いいことも悪いことも、ありません。
ただ時間が過ぎていくばかりで、日常に変化がありません。
ただ仕方なく生まれてしまい、なんとなく生きるだけでは、生きていることに喜びを見い出すことができません。
何もしないことほど、もったいないことはありません。
学校の新学期の授業で、最初に先生が名前を覚えるのは、最初に手をあげた生徒だと言います。
積極的に手を挙げる生徒は、回答する機会がある分、印象に強く残ります。
その反対に、いちばん印象に残らない生徒は、手を挙げない生徒だと言われます。
手も上げない、何も発言しない、だから正解することも間違うこともない。
こうした生徒ほど、存在感の薄い生徒はないのです。
人生も同じです。
何もしない人には、神様にすら印象が薄く、誰なのか忘れ去られます。
神様がいちばん見てくれるのは、どんどん決断をして、積極的になっている人です。
大いに間違い、大いに笑い、楽しみ、悲しみ、いろいろあるけれど、頑張って行動している人。
神様は、こうした積極的な人を見逃しはしません。
見逃すどころか、一生懸命頑張っていることに心を打たれ、助けてくれるようにさえなります。
だから積極的に行動している人は、運がいいのです。
何もしない人は存在感が薄いため、神様に気づかれることもなく、助けられることもなく、その名のとおり何も起きないのです。
一度決めたことは、あとからくよくよしないようにしましょう。
「ダメかもしれない」と、気に病んでも仕方ないことに心を悩ませたところで、どうにもなるわけではありません。
自分の決めたことくらい、自信を持つことです。
授業で答えるとき「Aだと思います。でもBかもしれない……」なんていっていると「自分の答えに自信がないんだな」と感じます。
自信のない答えだから、力強さが感じられないのです。
決断を決断らしく力強くさせるために、あとからくよくよしてはいけないのです。
あとから間違いだとわかっても、堂々と間違えにいくようにすればいいのです。
常に堂々として、くよくよしない。
間違うとわかっていても、堂々と間違えにいく。
こうした人に、かっこよさを感じるのです。
決して間違えない人、成功している人だけがかっこいいのではなく、間違っても堂々としている人がかっこよく見えるのです。
良い決断ができる人は、たくさんのことを知っています。
たくさんのことを知っていて、それを総じて、1つの決断を下しています。
1つのことしか知らないという単眼的な視野を持っているからではありません。
複眼的な幅広い視野を持っているからこそ、より正しい決断ができるようになるのです。
決断力は、どれだけ勉強しているかに比例します。
たくさん勉強している人は、たくさん知っていますから、間違いを犯すことも少なくなるのです。
何も知らない人より、よく知っている人のほうが、正しい決断ができるということなのです。
実際、決断力のある人は、日頃から本をたくさん読んだり、人の話を聞いたり、新聞に目を通したりします。
たくさんのことを勉強することで、より良い決断ができるようになるのです。
上手な決断の仕方は、自分の好き嫌いという価値観を基準にして考えることです。
自分の好き嫌いという基準ほど、正しい判断基準はありません。
好きなことを決断すれば、言われなくてもやりたくなるし、嫌いなことを決断すれば、やれと言われてもやりたくはありません。
何しろ嫌いなものは嫌いですから、どうにもならないのです。
決断は、好きなことを決断するのがいちばんなのです。
嫌いなことを決断して、幸せな人生を送っているという人は、聞いたことも見たこともありません。
現実、幸せな人生を送っている人ほど、好きなことをやっています。
テレビの中で活躍している女優に、菊川玲さんという方がいます。
菊川さんは、東京大学という有名国立大学を出ているにもかかわらず、高学歴とは関係のない、女優の道を選びました。
彼女は、こう言います。
「演じることが好きだから、女優になった」
まさに、彼女は好きなことを基準に、仕事を選んだわけです。
これが、本当の正しい決断の見本です。
気の進まない仕事をしている人は「お金のために仕方なく仕事をしている」という人です。
嫌いな仕事でも、お金を稼ぐために、仕方なくやっています。
しかし、菊川さんのように「好きだから仕事をする」というのは、好きな仕事だからこそ、明るく楽しく仕事ができます。
そのうえ、給料までいただけることは、幸せなことなのです。
仕事に限らず、あらゆる選択と決断に言えることです。
自分の好き嫌いを基準に決めればいいという、単純なことなのです。
好きなことはすればいいし、嫌いなことはやらなくていい。
これが、いちばん当たり前でありながら、いちばん大切なことなのです。
うまい話には、軽い気持ちで乗らないようにしましょう。
うまい話には、ほとんどの場合、裏があります。
うまいだけの話は、響きこそいいですが、すべてがそんなにうまくいくわけがないのです。
政治家の選挙戦では、候補者が、いかに自分がより良い社会を築きあげることに貢献するのかをうたいます。
しかし、毎回思うのですが、そんなにうまく話が進むなら、もうとっくに日本の政治はうまくいっているはずなのです。
みんな、うまい話ばかりをして、嫌なことや聞かれたくないことは自分から話そうとしません。
そんな中、今までとは違った革命的な1人の政治家が現れました。
かつて日本には「痛みの伴う政治改革をします」というフレーズを使った総理大臣がいました。
ほかの政治家とは違うところは、都合の悪い話を軸にしたことです。
普通に考えれば、痛みの伴う政治は、国民は喜ぶわけがありません。
普通に考えれば「痛みがあるのは嫌だな」と思い、嫌煙されることでしょう。
しかし、うまい話ばかりをする政治家たちの汚い横行にも、すでに国民は承知です。
国民は、うまい話には裏があることを見抜き、うんざりしているのです。
有利なことも不利なことも、正直に伝えました。
その結果、国民の理解を集め、支持を得ることができたのです。
「痛みの伴う政治は当然だ。彼の言うことは正しい」となったのです。
本当の話というのは、痛みのない話ではなく、痛みがある話です。
時と場合にもよりますが、逃げることも堂々とした決断の1つと考えることです。
日本人は、武士道の文化がはびこっているために、逃げないことが美徳だと考える風潮が、いまだにあります。
日本の武士たちは、堂々と戦うことこそ男であり、逃げることはそれだけで負けを認めることだと考えていました。
武士道という文化に関しては、それで良いのです。
ただ、今の世の中、もう武士の時代ではありません。
時代は大きく変わり、文化も刻々と変化しています。
そのため「逃げることが悪い」という考え方も、時代遅れになっているのです。
逃げるから、人として失格だということはありません。
むしろ逃げることができなかったため、自分の人生を台無しにしてしまうことのほうが良くありません。
時には、堂々と逃げましょう。
逃げることも、しっかりした決断なのです。
多数決の意見に振り回されていると、自分に気持ちに反する決断になる場合があります。
「自分の好き嫌いを基準に、決断する」
これが大前提となります。
自分が何が好きで、何が嫌いかを知っているのは、やはり自分しかいないのです。
多数決で決めるというのは、本人の意見を無視した、他人からの客観的意見にすぎません。
あなたの好き嫌いを考慮に入れず「より良い人生のために、お金のために、家族のために」と、大まかにしか考えてくれません。
多数決では、本当の正しい意見とは限らないのです。
多数決の大好きな日本人は、多数決ですべて決めてしまいがちな風潮がありますが、これに縛られないようにしましょう。
時には99対1の多数決でさえ、自分が良いと思うことなら1のほうを選択してもいいのです。
多数決には、客観的な意見を反映させる力はあっても、あなたが幸せになれる意見は反映されないのです。
面接では不思議なことに、同じ学歴でも、通る人と通らない人にわかれます。
たとえ身長や体重、学歴や資格も同じであったとしても、通る人と通らない人にわかれるのには、それなりに理由があります。
「印象」です。
面接のときの第一印象は、人を見るときの最も重要とされるポイントです。
面接官が「この人がいいな」と決めるのは、履歴書に書かれている数字などではなく、本人から受ける印象によって判断しています。
数字には、人間性が表れていません。
優しいか、礼儀正しいか、マナーを持っているかといった、最も大切な「人間性」までは、数字で表すことはできないのです。
ここで代わりに大切になってくるのが「印象」です。
面接官はいつも「数字」で人を評価するより「印象」で人間を見ています。
面接官が決断するときには、数字などは単なる参考程度にとどめ、印象こそが最も価値の高い評価ポイントと考えているのです。
すべての人に好かれようとすると、いつしか限界がきます。
人はみんな、人それぞれであり、好みや考え方も、人それぞれです。
すべての人に好かれようとして振る舞うことには、いずれ限界がくるのです。
仕事と頼まれたとき、都合が悪くても断れず、何でも引き受けようとする人がいます。
何でもOKしてくれて、いい人なのです。
その代わり、大切なことを失っていることに気づいていません。
信頼です。
何でもOKする人は「嫌なことでも嫌とは言えない人」と低く評価され、軽く扱われやすくなる。
自分の軸がなく、周りに流されてふらふらしているような印象を与えるでしょう。
結果として信頼も失うことになります。
引き受ける本人としては、すべての人に好かれようとしてOKしているつもりですが、逆効果になっています。
では、どうすればいいのでしょうか。
誰かに小さく嫌われることを前提に行動するのです。
好かれる人になるとは、どんな依頼でも引き受けることではありません。
都合の悪いときは、きちんと断る人のことです。
断るとき、少し相手に嫌われることもあるでしょう。
しかしきちんと断れば、長期で考えたとき「あの人には軸がある。意見を主張できて信頼できる」と評価されるようになります。
断ることは小さく嫌われる原因になりますが、心配は不要です。
自分の都合を主張することで信頼を得られ、最終的には大きく好かれます。