あなたは「直感」というものを、単なる偶然だと思っているのではないでしょうか。
初めに結論から言ってしまいますが、直感は偶然ごとではありません。
直感は、今までの過去すべてをバックにした、大変意味のある答えです。
人間には潜在意識の奥深くに潜む記憶があります。
ものの10年も生きた人なら、それ以前に経験として蓄えられた記憶が、脳の奥深くに蓄積されています。
ほとんどの人が昔のことは「忘れた」と言いますが、人間は一度経験したことは死ぬまで忘れないようになっています。
直感とは、過去にたくさん経験したことが脳の奥深くにしまいこまれている潜在意識です。
直感という言葉は曖昧ではありますが、単純な話をすれば、自分の過去の経験からはじき出される感覚にすぎないのです。
直感力を磨きたければ、単純な話、いろいろな経験をたくさんすればいいのです。
矛盾した面白い話ですが、人生の中ではいい経験ばかりをして生きたい人がいます。
その気持ちはわかります。
どうせ生きる人生なら、毎日嬉しさや楽しさにあふれる日々であるほうが、良いに決まっています。
水道管の中にさびができていると、水も勢いよく流れ出てきません。
本来のように水が勢いよく流れ出てくるためには、まずさびを取らないと、水は少ししか出てきません。
実は直感でも同じことが言えます。
今までに経験したことのない初めての体験というのは、生活の中ではよく登場します。
初めて行ったお店で見る初めてのメニューでは、どれがいちばんおいしいのかがわかりません。
そんなときには、とにかく気になるものを片っ端から試してみればいいのです。
直感力の冴えている人は、あらゆることに意味があると感じています。
言い換えれば「自分に結びつけて考えることができている」ということです。
良い出来事も悪い出来事も、今の自分にとっても何かの警告だと感じ、意味を読み取っていくのです。
今のあなたは、つまりは「結果」です。
今までの行いや経験を過去に繰り返し、その結果「今のあなた」がいるわけです。
ある日突然今のあなたが存在しているということはなく、過去のあなたがいくつも積み重ねられた結果ということです。
「無駄」という言葉は効率を考えるときに出てくる言葉です。
少しでも効率よくやりたいときに、必要のない物も出てきます。
それらを一般して「無駄」と呼びます。
これは旅行をしている人によくありがちな話です。
たとえばニューヨークに旅行し、美術館に行ったと自慢している人に限って、地元にある美術館は未体験です。
ニューヨークという名前の響きだけに引かれて、ニューヨークの美術館に行ってきたと自慢しているのです。
自分の身銭を切って物を買うというのは、一種のギャンブルです。
何を買うかで自分の未来が決まってしまうという、大きな賭け事なのです。
たとえば今の楽しみだけのために、キャバクラに通っていることは大きなお金の浪費へとつながります。
小学校で習う算数のいちばんはじめの授業では「1+1=2」という基本的な計算を教えてくれます。
私が小さかったころは、素直に「2」と答えていました。
しかし、当時の同じクラスには、ひねくれた答えを出す高岡君という人がいました。
人は、人から褒められたい欲求があります。
人から褒められ認められることで、自分の価値を感じ、自己満足ができるからです。
ほとんどの人が、自分が楽しむことより、どれだけ他人から見て尊敬されることであるかと重視しています。
私の人生には「過去」と「現在」があります。
今まで生きてきた過去が無意識のうちに蓄積され、最終的な決断をする材料になっています。
私の場合、過去のすべてを今すぐ思い出すことはできません。
直感的に生きるとき、決断は必ず自分が下すようにしましょう。
自分の直感は、自分が感じるもの。
自分の直感を、代わりに他人が感じることはありません。
「なんとなく」と似ている言葉に「気が進む」という言葉もあります。
「気が進む」という言葉も、同じく直感的な言葉の1つです。
自分が楽しいな面白そうだなと感じることは、決まって「気が進み」ます。
直感人は、中途半端な物を嫌います。
中途半端とは、好きでも嫌いでもなく、曖昧であるということです。
直感を大切にしている人は、好きか嫌いかがはっきりわかれます。
直感的に生きることは自分に素直になって生きることです。
しかし、注意してほしいのは、だからとはいえ何でもかんでも自分の欲に振り回されて生きることではありません。
直感的な感性を大切にするときに、大切な注意ポイントが1つだけあります。
直感が働くその背景には、膨大な過去の記憶があります。
普段は潜在意識の中に埋もれ「忘れてしまっている」と感じています。
しかし、実は忘れてなどおらず、そのときの話を出すと「そんなこともあったな」としっかり「思い出し」ます。
計画的に生きている人は、計画どおりに進まないと気がすみません。
旅行に行くときは、計画をきっちり立てて、実際にそのとおりに動かないと気が進みません。
予定外の出来事が起ころうものならバスの添乗員に「困るではないか!」と怒ります。
説明が下手な人は、往々にして言葉だけを使って伝えようとします。
あれこれと言葉ばかりを並べ、十分に説明ができると思っています。
しかし、説明される側としては、初めて触れる知識ほどイメージが湧きません。
物を買おうかどうしようかと迷えば迷うほど、決断できなくなるのが人間です。
考えすぎると欠点ばかりを探し出すようになり、どうも決断しない方向へ偏りがちになります。
迷うことは、直感的ではありません。
直感は、行動する人のみ与えられる「神様からのささやき声」です。
「こうしたほうがいいんじゃないの」と一瞬ですが、ささやき声が聞こえてきます。
それは「なんとなく」という感覚であり「気が進む」という感覚です。
直感ではどんな経験も大切です。
苦い経験、甘い経験、楽しい経験、面白い経験、嫌な経験もすべてです。
たくさんの経験が記憶として頭の中に蓄積され、今後のあなたの強さへと変わります。
1つだけの経験に限られてしまっては、直感の幅が狭くなります。
1種類の物事しか経験していなければ、それだけしか知らないということになります。
直感とは、過去の膨大な記憶を総合して一瞬現れる氷山の一角です。
部屋の中にあるたくさんのいらない物は、いつしかあなたの中から直感力を奪っていきます。
いらない物を見ると「いつか片付けなきゃ」「なんとかしないと」と一瞬ですが、頭の中で考えています。
一つひとつは小さなことでも、何度も何回も繰り返され積み重なると、結構なストレスとなるのです。
直感的な人は、自分が成功するより先に仲間を成功させます。
他人の仕事の協力をしたり、お手伝いをしたりして、人のために動くことができるのです。
人間はつい自分のことばかり考えてしまい、独りよがりになりがちです。
勝負には、必ず勝ち負けと勝敗がわかれます。
普通なら当然勝ちたいと思うところです。
しかし、直感人はそうでもないのです。
直感はやる気と同じように、沸いて出たその瞬間に使い切るのが上手な使い方です。
生ものであり、ずっと同じ状態が続くとは限りません。
直感はぱっとひらめくといった瞬間的な出来事です。
人間は、今まで経験したことのないことには、直感も鋭く働いてくれません。
なにせ経験したことのないことは、過去にも記憶がないということで直感も出番がないわけです。
せいぜい似ている経験から直感が生まれるということはあっても、実際に経験したときに比べれば劣るものです。
あなたは「直感」というものを、単なる偶然だと思っているのではないでしょうか。
初めに結論から言ってしまいますが、直感は偶然ごとではありません。
直感は、今までの過去すべてをバックにした、大変意味のある答えです。
あなたにも、次のような経験があるのではないでしょうか。
こうした「なんとなく」や「気がする」「気が進む」「~の予感がする」ということは、単なる偶然の出来事ではありません。
経験してきた過去を対象に、脳が一瞬で検索をかけ、その場に適した最も良いであろう選択に脳が反応してくれているのです。
直感は誰の力でもなく、あなたが今まで経験してきたことの結果であり、能力なのです。
直感を、ある日突然起こる偶然だと考えている人は、せっかく直感が教えてくれる貴重な答えをみすみす逃しているということです。
それは誰より頼りがいのある声を無視しているということであり、もったいないことなのです。
直感の正体は、あなたの過去の記憶です。
たくさん経験してきた中から、今の選択に適した記憶を探し出し、脳が「こっちのほうがいいですよ」と教えてくれているのです。
しかし、その脳からの大切な声に限って、曖昧な声になっています。
「なんとなく」や「予感がする」という曖昧な声のため、信じきれず「本当にコレでいいのかな」と不安になるのです。
たとえば、私は野菜のグリーンピースが大嫌いです。
あの味が苦手で、食べたとき、口の中で豆が割れる感覚も、苦手です。
幼稚園のころからずっと嫌いな食べ物の1つで、今までに嫌な経験はたらふくしてきました。
そのためにグリーンピースと似た味や形には、共通してあまり良い印象を持ちません。
ある日私は、グリーンピースそっくりなまめ系の野菜に出会いました。
グリーンピースではありません。
しかし、グリーンピースにそっくりなのです。
私はグリーンピースにそっくりな味や形に出会うと、脳がすぐ「気をつけろ!」と直感的に教えてくれます。
「なんとなく嫌だ」「気が進まない」「気分が悪くなってきた」と、曖昧な状態で、直感的にアレルギーを感じてしまうのです。
最初にも言いましたが、直感は偶然ではなく、過去の記憶です。
今まで嫌な経験をたくさんしてきたため、脳が過去の記憶をたどって、直感的に「危ないぞ」と、ささやき声で教えてくれるのです。
たいていそのときの直感は当たり、私がそのグリーンピースにそっくりなまめを食べると、やはり苦手な味がします。
こうした声を大切にし、直感に正直に従って行動していくと、思ったより日常生活はうまく進んでいきます。
今の私がそうであるように、あなたも自分の直感を信じてみれば、思ったより頼りがいがあることに気づくはずです。
何しろ過去の記憶という大きなお守りをバックにしているわけです。
何か「選択」という局面には脳が「こんな経験があったから、今回はこっちのほうがいいと思うよ」と教えてくれるのです。
人間には潜在意識の奥深くに潜む記憶があります。
ものの10年も生きた人なら、それ以前に経験として蓄えられた記憶が、脳の奥深くに蓄積されています。
ほとんどの人が昔のことは「忘れた」と言いますが、人間は一度経験したことは死ぬまで忘れないようになっています。
あなたも昔の話をされたとき「そうそう。そういえばそんなこともあったな」と昔を思い出すはずです。
これは「忘れていた」のではなく「普段は、思い出せなかっただけ」です。
本当に忘れていれば、思い出すこともできません。
経験した記憶たちは「潜在意識」として脳に蓄えられています。
そして、ある一瞬の顕在意識として、一瞬顔を出すときがあります。
それが「なんとなく」という感覚です。
「こっちのほうが、なんとなくいいような気がする」
「なんとなく、やめたほうがいいと思う」
「なんだか、引かれてしまう」
あなたも一度は経験したことがあるのではないでしょうか。
この感覚こそ、直感と言われるものです。
直感は、その人が過去に経験したことからその場に適したことを思い出し、結果として「なんとなく」という感覚で表れます。
私は普段からたくさんの本を読んでいますが、中身をめくっただけで、その本が楽しい本かどうか、なんとなくわかります。
小さな字が詰まった本を見ると、直感的に「この本は面白くなさそうだな」と、なんとなくわかります。
今まで私がそうした本を読んで、あまり良いことがなかった経験があるからです。
見た目や雰囲気などから総合して、ぼんやりした感覚ですが、感じるものがあるのです。
潜在意識をうまく活用できれば、いろいろな場面でも適した選択ができるようになります。
直感とは、過去にたくさん経験したことが脳の奥深くにしまいこまれている潜在意識です。
直感という言葉は曖昧ではありますが、単純な話をすれば、自分の過去の経験からはじき出される感覚にすぎないのです。
直感力を磨きたければ、単純な話、いろいろな経験をたくさんすればいいのです。
たくさん経験をすればするほど、直感もより確実になります。
いろいろな経験をすればするほど、直感が働く場面も多くなります。
人生のいろいろな局面において、より良い選択ができるようになります。
お年寄りたちの言葉が、機知に優れているのは、長く生きた分だけたくさんの経験をしてきているからです。
私も、つい先日面白いことがありました。
付き合っている彼女と一緒に本屋に行き、本を買ったときのことです。
彼女がコンピューターについて勉強したいとのことで、彼女もパソコンについての本を買っていました。
どんな本を買ったのか私に見せてくれたのは、彼女がすでに本を買った後のことでした。
「私もパソコンの勉強をしようと思って、こんな本、買ったよ」
自慢げな表情をして見せてくれました。
私はその本を手に取って、ぱらぱらとページをめくったとき「あっ! 彼女はこの本を読めないな」と直感が働きました。
まだ本を読む前であるにもかかわらず、直感的ですが、彼女はおそらく本を読み切ることに挫折するであろうことを予知したのです。
その本はページいっぱいに字が詰まっていて、専門用語が使われていて、そのうえ字が小さい本だったからです。
彼女は普段から忙しい人で、ゆっくりページをめくる暇もないだろうという考えが、その場で一瞬として私の脳を駆け巡りました。
その瞬間、彼女の未来が見えたような気がしました。
「なぜ買う前に一言、俺に相談してくれなかったの。ぴったりの本を選んであげたのに」
私はため息交じりで、つい言ってしまいました。
「この本、きっと読み切れないよ」と言うと「え、なぜそんなこと言うの。せっかく買ったのに」と言っていました。
後日「あの本、読んだ?」と聞くと「まだ読んでない。読む暇がない。内容もわかりにくいし……」と言い訳をしてきました。
私の直感は当たりました。
別に私は占い師でも予言者でもありません。
私は、今まで多くの本を読んできて、面白くて楽しい本だけでなく、面白くない本やつまらない本にもたくさん出会いました。
その分「なんとなく」ではありますが、本をぱらぱらとめくるだけでどういう本なのか、かなり鋭い直感が働いてしまいます。
それに彼女の性格が加算されて、結果として「この本は彼女には合わない」ということがわかってしまったのです。
嫌な経験や悪い経験も、まんざら悪いことではないのです。
今後、嫌な経験を未然に防ぐために働く直感を磨くことだと考えれば、つらい経験もあとから生きて来るのです。
心に残るようないい経験だけでなく、忘れたいような嫌な経験も、実は人生の中では大切な経験として生きてくるのです。
たくさん経験を積むというのは、これからをよりよく生きるために活用できる知恵を磨く、大切なことなのです。
矛盾した面白い話ですが、人生の中ではいい経験ばかりをして生きたい人がいます。
その気持ちはわかります。
どうせ生きる人生なら、毎日嬉しさや楽しさにあふれる日々であるほうが、良いに決まっています。
しかし、嬉しさや楽しさにあふれる日々を送るためには、つまらない楽しくない日々を送ることも人生の中では必要です。
直感力を磨くためには、良い経験と悪い経験の両方が重要です。
嫌な経験もしておかないと、悪い経験を避ける直感も働かなくなってしまうからです。
両方を経験して、初めて正しい直感が働くようになります。
自動車にもアクセルだけではなく、ブレーキもないと安全な走行ができません。
経験も、良い経験と悪い経験の両方を知っておかないと、適した直感が発揮できないということです。
「アクセルを踏めという直感」と「ブレーキを踏めという直感」ということです。
両方がバランスよく働くから車がうまく走れるように、人生もうまく渡れるようになります。
「なんとなく」という力を存分に発揮するためには、良い経験と悪い経験の両方の側面が必要です。
それらが総合されて正しい感覚が身についてきます。
日頃から嫌な経験をしているなら、今後の人生において同じ失敗を繰り返さないようにするための知恵へと変わります。
直感には、いい経験も悪い経験も関係ありません。
どんな経験もすべて直感を磨く石になるのです。
水道管の中にさびができていると、水も勢いよく流れ出てきません。
本来のように水が勢いよく流れ出てくるためには、まずさびを取らないと、水は少ししか出てきません。
実は直感でも同じことが言えます。
あなたが10年以上も生きていれば、それだけでも過去の経験の蓄積はかなりのものになっています。
それだけの経験を積んでおきながら「なんとなく」という直感が働かないわけがないのです。
もし思うように直感が働かなければ、たいていの場合さびが詰まった水道管と同じように、何かごみが詰まっているわけです。
それらのほとんどは「見栄」という詰まりごみです。
人間には人からよく見られたいという見栄があるゆえに、どうもおかしな行動を取りがちになります。
何かの選択を迫られたときでも「自分が好きかどうか」ではなく「人からよく見られるかどうか」を基準に考えているのです。
例えを挙げれば、切りがありません。
資格を取るときに、自分がしたい仕事であるかどうかより、お金が稼げるかどうかを基準に考えてしまう。
高校を決めるときにも、自分が行きたいから選ぶのではなく、みんなが行くから自分も行くと考えてしまう。
かっこいい車を、人からかっこよく見られたいし、うらやましく思われたいから、高い金額でも買ってしまう。
特に、はやりを追うという行為は、まさに典型です。
自分が好むファッションだから服を買うのではなく、雑誌に「今、はやっています!」と書かれているから、流されて買ってしまう。
自分がはやりの服を買っていないと、ほかの人からださいと思われてしまう。
自分はイケてる人だと思われたい、はやりに乗って今を生きている人だと思われたい。
そんな「見栄」や「虚栄心」があり「本来の正しい選択」ができなくなってしまうのです。
人間は、人目を気にしていると、おかしな選択をしてしまうものなのです。
当然のことながら、こんな人目を気にした「選択」は、正しい選択だとは言えません。
「流された選択」「振り回された選択」ということです。
日本人は集団で行動する習慣があります。
みんながやるから自分もやる。
同じことをすることが正しいことだと思い込んでいる分、一見正しいと思われる選択が実は間違いだったことがよくあります。
あなたが選択する際に考えることは、次の基準です。
「自分が好きかどうか」
「自分にとってやりたいかどうか」
「自分にとって楽しいかどうか」
これらの基準は常に他人ではなく、自分です。
これらを大切にしていけば、他人に振り回されることなく、本来の自分の人生を歩むことができるようになります。
ポイントは、自分の気持ちに正直になることなのです。
今までに経験したことのない初めての体験というのは、生活の中ではよく登場します。
初めて行ったお店で見る初めてのメニューでは、どれがいちばんおいしいのかがわかりません。
そんなときには、とにかく気になるものを片っ端から試してみればいいのです。
初めてでわからないときには、わかるようになるために実際に挑戦すればいいだけのことなのです。
初めてということで多少の不安があるにせよ、本人が実際に経験することにはかないません。
わからないことを本を読んで知ったり、他人に聞いたりしたところでそれらは補助的な情報にすぎません。
やはり自分が直接に経験することに尽きるのです。
他人がおいしくないと言った食事でも、自分が食べてみると意外においしかったことがあります。
また本で書いてあることと実際とでは違いがあると言うことなんて、本当によくあることです。
いちばん確実なことは、自分が実際に体験してみることなのです。
自分が経験して得られたことがいちばん正しくて確実です。
経験に勝る経験はありません。
これは食事に限った話ではなく、あらゆることに通じる話です。
特に人生における選択では、どちらが賢い選択か、わからないときがあります。
お金のかからない経験なら、できるかぎり両方を経験してみることです。
本を読んだり他人から聞いたことでも、自分が経験してみるほうが遠回りな感じがしますが、実はいちばんの近道であったりするのです。
直感力の冴えている人は、あらゆることに意味があると感じています。
言い換えれば「自分に結びつけて考えることができている」ということです。
良い出来事も悪い出来事も、今の自分にとっても何かの警告だと感じ、意味を読み取っていくのです。
単純な例を挙げれば、風邪をひいたときです。
風邪をひいて苦しくて嫌な気持ちになり、それだけで終わる人は直感力のない人です。
直感力のある人は、風邪をひいたときに「風邪をひいたのは何か意味がある」と感じます。
「最近、ストレスがたまっていたせいかな」
「食事をおろそかにしていたせいかな」
「ビタミンが足りていないせいかな」
「体を冷やしてしまったせいかな」
このように、あらゆる原因を考えます。
今後同じ失敗のないように、苦しみから知恵を見い出していくことができるのです。
結果があるからには、何か原因があることを直感的に理解しているわけです。
直感力のない人は、こうしたせっかくの貴重な経験を水のようにただ流して終わりにさせてしまいます。
あなたの生活の中でもつらいことや悲しいことがあったときには、それだけで終わらせるのではありません。
何かの意味があることを感じ取りましょう。
それはあなたを強くさせるための経験かもしれませんし、もしかしたら最近の自分が乱れていた結果かもしれません。
ささいなことにも意味を感じられる人が、直感力のある人なのです。
今のあなたは、つまりは「結果」です。
今までの行いや経験を過去に繰り返し、その結果「今のあなた」がいるわけです。
ある日突然今のあなたが存在しているということはなく、過去のあなたがいくつも積み重ねられた結果ということです。
また今のあなたの積み重ねは、未来のあなたにもつながります。
よくよく考えてみれば当たり前のことで、今を一生懸命生きていれば、それに見合った未来のあなたになります。
今の繰り返しが未来をつくっていくことを知れば、今あなたが何をしようとしているのかが重要になっています。
私にもこの当たり前の法則が、当てはまります。
私は今から3年前、まだ学生という身分であり、毎日本をたくさん読んでいました。
ちょうど知識をたくさん蓄えていた時期であり、毎日いろいろな知識に触れることに感動していた時期です。
学生という身分でもあり、その名のとおり勉強ばかりしていました。
もともと勉強が好きでしたし、特に人付き合いや人生についての勉強に、力を注いでいました。
過去に人間関係に苦しんだり、人生に苦しんだりした経験がある分、そのナゾを解き明かそうと勉強に明け暮れた日々がありました。
そうした過去のおかげで、今ではそれらを生かし、文章を書くことができ、表現ができるようになっています。
ある程度、知識欲の赴くままに毎日勉強してインプットをしていると、今度は表現をしたくなりアウトプットを願うようになります。
今は、そのアウトプットを行っているわけです。
ちょうどコップの水がいっぱいになり、あふれ出る感じです。
今の私がいるのは、過去の私がいたからです。
過去に私が何をしていたかが、今の私がどうしているのかにきれいにつながっているのです。
さらには今の私の積み重ねが、今度は未来の私へとつながっていくでしょう。
3年前の私の積み重ねが今の私につながっているように、今の私の積み重ねが3年後の未来の私へとつながっていくのです。
サイトの中で「目の前にあることに全力を尽くそう」と言っていますが、なんとなくではなく、しっかりした理由があるからです。
今さらながら過去に戻り、やり直すことはできません。
また今すぐ3年後の未来へと飛ぶこともできません。
今あなたが直接に努力を向けられるポイントは、常に「今」しかないのです。
しかし、実際世の中には、過去の過ちを嘆き悔やみ、思い出を思い出して懐かしんだりしている人がなんと多いことでしょう。
絶対に戻ってくることのない過去を思い出してばかりの「今」では、良い未来へとつながってはいかないのです。
過去を悔やむ気持ちがあれば「今」を一生懸命に生きることです。
良い事も悪い事もまるごと吸収し、自分の力へと変える努力をしている人が、素晴らしい自分をつくり出すことができるのです。
今、あなたは何をしていますか。
3年前にあなたがしていたことは、今のあなたにつながっているはずです。
今のあなたは過去のあなたの積み重ねだから!
ということは、今あなたが行っていることが、3年後のあなたをつくっているということにもなるのです。
3年後のあなたはどうなっていると思いますか。
今あなたがやっている毎日の積み重ねが、3年後のあなたという「結果」を生み出す「原因」になっているわけです。
「無駄」という言葉は効率を考えるときに出てくる言葉です。
少しでも効率よくやりたいときに、必要のない物も出てきます。
それらを一般して「無駄」と呼びます。
たしかに時には効率を求めることも必要でしょう。
しかし、人生すべてが効率の良いようになってしまえば、省いたり削除したりばかりの毎日となります。
たとえば「スピードアップ」というテーマに焦点を合わせれば、それに対する無駄が出てきます。
また「作業」ということに焦点を合わせれば、それに対する無駄も出てきます。
「仕事のやりとり」ということにテーマを絞れば、それに対する無駄も出てきます。
しかし、例外も存在します。
不思議なことに「楽しむこと」に焦点を合わせたとき、無駄という物は存在しなくなってしまうのです。
楽しむことに関しては、考え方を1つ変えるだけであらゆることが「楽しみ」へと変わります。
どう考え、どう感じるかの問題であるだけで「楽しむこと」には無駄が存在しないのです。
私はときどき会社への通勤路をわざわざ遠回りして行くことがあります。
本当なら近道をすればもっと効率がいいと考えるところです。
しかし、私にはいつもと違った道を通ると、いつもと違った景色や雰囲気を楽しめます。
ショッピングウインドーには目新しい洋服が飾ってあったり、いつも行かない道には珍しいお店があったりします。
淡泊な会社通勤も、結構楽しみへと変わっていくものなのです。
少しでもパターンやアングルを変えるだけで、自分が無駄と思っていることでも、楽しみへと変わってしまうものなのです。
これは旅行をしている人によくありがちな話です。
たとえばニューヨークに旅行し、美術館に行ったと自慢している人に限って、地元にある美術館は未体験です。
ニューヨークという名前の響きだけに引かれて、ニューヨークの美術館に行ってきたと自慢しているのです。
それに対してニューヨークから旅行に来ている人は、自分たちが地元で当たり前だと感じている美術館に足を運び楽しんでいます。
地元に住んでいる人は、近場にある当たり前の美術館であるだけに特に気に留めようとしないのです。
人間とは不思議な生き物で、どうも幸せや楽しみをわざわざ遠くへ求めようとする変な癖があります。
本当は目の前にあっても、わざわざ遠いところへと求めに行くのです。
ディズニーランド近辺に住んでいる人は、ディズニーランドへ行ったことがない人が多いのもその典型です。
それは近場にあるだけにいつでも行ける気持ちが働き、そんな近場にあるものだから特別価値があるものだとも考えていないのです。
日本国内どころか海外からわざわざ遊びにやってきている人がいるというのに、地元に住んでいる人は案外と白けたものなのです。
これらは美術館やディズニーランドに限った話ではなく、人生の楽しみすべてに対して言えることです。
今あなたは友人がいてくれることが当たり前で、感謝するのを忘れてはいませんか。
今あなたは、健康であることが当たり前で、体を大切にすることを忘れていませんか。
今あなたは、両手両足があることが当たり前で、物をつかんだり、歩いたりできることが当たり前だと思っていませんか。
外国に友人がいることがすごいことではありません。
また力持ちであることが健康であるということでもありません。
ただ普通に身近に友人がいて、五体満足に生きている当たり前の状態こそ、いちばんの幸せであることに気づくことが必要なのです。
遠いところへ幸せを求めるより、まず身近なところにある幸せからしっかり気づくことが大切なのです。
自分の身銭を切って物を買うというのは、一種のギャンブルです。
何を買うかで自分の未来が決まってしまうという、大きな賭け事なのです。
たとえば今の楽しみだけのために、キャバクラに通っていることは大きなお金の浪費へとつながります。
高いお金を払ってきれいなお姉さんと一緒にお酒を飲むことは、気分がいいことでしょう。
しかし、その場の楽しみであるというだけで、次へとつながっていません。
その場でぱっとお金が消えてしまい、何が残るかというと何も残りません。
それに対して未来の自分のために本を買って読むことは、自分磨きとなり、自己投資へとつながります。
自分の頭の中に、知識や知恵が残り、賢く世渡りができるようになります。
これは大変に将来性の高いお金の使い方です。
自分が身銭を切ってお金を使うことは、すべて自分に跳ね返ってきていると考えることが直感力を磨くコツです。
そうすると自分が財布からお金を出す瞬間に、そのお金について考えるという直感が働くようになります。
自販機でのジュース1本でも、タバコ1箱でも、誕生日プレゼントでも、すべて自己投資であり、自分に跳ね返ってくる行為です。
余談になりますが、私はタバコが大の苦手で大嫌いです。
身銭を切ってお金を使う中でも、タバコのためにお金を払うことは特に的外れな行為に値します。
今でもタバコを吸うことはありませんが、今後も吸うことはないでしょう。
お金を使う中でも、タバコはキャバクラや競馬、パチンコより罪が重いと感じます。
それは3つの害が含まれているからです。
お金を払ってまで、自分の体に害を与え、そのうえ周りにいる人たちまで不快にさせる。
それでいてまったくの将来性がない。
それどころか自分の体に害を与えているがゆえに、将来が明るいどころか暗くなってしまうという将来性のない行為なのです。
私は、親の援助に頼って生活をしている時期は、この感覚が身についていませんでした。
しかし、社会に出て一人暮らしをするようになると、いろいろなことに敏感に反応できるようになります。
物事に対して直感的な感性が身につくようになるのです。
「このお金は、将来の自分にどうつながっていくのだろうか」
そう考えるようになり、物事の善悪がよくくっきりと感じられるようになるのです。
小学校で習う算数のいちばんはじめの授業では「1+1=2」という基本的な計算を教えてくれます。
私が小さかったころは、素直に「2」と答えていました。
しかし、当時の同じクラスには、ひねくれた答えを出す高岡君という人がいました。
その人は「1+1=11」と答えてしまうのです。
たしかに1と1を足したら、11という答えもありです。
私は目の前にある当然の答え「2」ではなく、別の正解を出してしまった彼を、すごいなと思いました。
特に算数や数学では、答えが1つであると考えがちです。
しかし、頭をひねって考えてみると、答えは1つとは限らないのです。
ほかにも「1+1=田(田んぼの田)」と答える友人もいました。
どうやら私のクラスには、ひねくれものが多かったようです。
「1」と「+」と「1」と「=」を絵に描いて合わせてみれば、たしかに田んぼの「田」という漢字になります。
間違ってはいないので違うとも言えず、むしろ「なるほどな」と感心してしまったものです。
感性的に考えると、教科書の答えは1つにすぎず、ユニークに面白く考えてみると、ほかにも答えが出てくるものなのです。
1つの正解しかないと思わず、別の答えを見つけていく人が直感的な人なのです。
人は、人から褒められたい欲求があります。
人から褒められ認められることで、自分の価値を感じ、自己満足ができるからです。
ほとんどの人が、自分が楽しむことより、どれだけ他人から見て尊敬されることであるかと重視しています。
着る洋服や習い事にしても、自分がいいなと思うことより、人から見て「かわいいね」「すごいね」と言われることに偏りがちです。
しかし、直感的に生きている人は、自分本位で考えます。
人生の主人公は自分だという認識を強く持っています。
やりたいことがあるときには、周りの目を気にせず、やりたいと思うようなことをやります。
素直な気持ちが第一に動いているのです。
たとえ、人から見てかっこ悪く映ることでも意味のないことでも、関係ありません。
自分が満足できれば、それで良しと考えています。
周りの目を気にすることなく、のびのび生活でき、そのうえ自分が満足できているという状態になっているわけです。
大発明家のエジソンも、小学校を3カ月で中退という経歴を持ちながら、楽しく感じる発明に精を出していました。
本来なら、3カ月で中退という劣等感にひそひそ生活をしそうなところです。
しかし、彼はそんなことを気に留めず、好きな発明に打ち込んでいたわけです。
それはまさに、いちばん自分らしい生き方ができていたということです。
なんとなく学校へ行くのではなく、勉強を嫌がりながらしているわけでもなく、自分らしい生き方を貫いているということです。
人は、自分らしい生き方をしたいと思いながら、なかなかそれができないものです。
他人から見て褒められるようなことばかりしていませんか。
自分が楽しいと感じることより、他人から称賛されるからという理由ばかりで行動していませんか。
それは知らず知らずのうちに他人に流されて生きているということになります。
周りがやるから自分も合わせて動かされるのではなく、自分の意思で周りに流されない生き方というのは理想的と言えるのです。
私の人生には「過去」と「現在」があります。
今まで生きてきた過去が無意識のうちに蓄積され、最終的な決断をする材料になっています。
私の場合、過去のすべてを今すぐ思い出すことはできません。
しかし、忘れているわけではありません。
思い出せないだけです。
旧友と昔話をすれば「そんなこともあったね」と昔を思い出せます。
友人と昔話をするとき、簡単に昔のことを思い出せます。
それは友人との昔話が、過去の記憶を呼び覚ますきっかけになっているからです。
人の記憶は、忘れることはなく、思い出せなくなるだけのこと。
年を重ねて物覚えが悪くなる話はよく聞きます。
私の母も、最近極端に物覚えが悪くなりました。
ただし、忘れているわけではなく、思い出す力が弱くなっただけのことです。
母に「あのとき、こう言ったでしょう」と私が言うと「そうだ、そうだ。思い出した」と言います。
母は忘れているのではなく、昔より思い出す力が弱くなっただけです。
こうした現象を「記憶力が悪くなる」とよく表現されますが、実際は「記憶力」ではなく「思い出す力」が衰えただけのこと。
潜在意識には、過去の大半の出来事がほぼすべて蓄積されているといわれています。
友人と昔話をすれば、昔のことをふと思い出すことができますね。
あなたが忘れているわけでなく、思い出すきっかけがないから、今は思い出せないだけのこと。
実際は覚えています。
記憶は潜在意識の深いところにあり、生活のある瞬間、ふと表面化します。
それが「なんとなく」という感覚であり、直感です。
あなたが生活の中で「なんとなくこっちのほうがいいな」という感覚は、今までの過去が見えない力で教えてくれているのです。
私なら、今までの過去が無意識ではありますが、見えない力で教えてくれます。
服を選ぶ行為にしても、自分に合うと思う服は直感的にぴんときます。
今までどんな服が似合ってきたか、楽しい気分でいられたかを過去から検索して、直感で教えてくれるのです。
私は日頃から直感を大切にして生きています。
はっきりした根拠があるわけではありませんが「なんとなく」という気持ちになるからには、それなりの理由があるはずです。
そのときは、その理由はわかりません。
私は昔の記憶のきっかけがないために、今すぐは思い出すことができないからです。
しかし、潜在意識の中にしっかり記憶が蓄積されているため「なんとなく」という脳からの合図で知ることができるのです。
「なんとなく」という気持ちには、過去の経験と記憶が関係しています。
曖昧な感覚でも、意外と頼りになるのです。
直感的に生きるとき、決断は必ず自分が下すようにしましょう。
自分の直感は、自分が感じるもの。
自分の直感を、代わりに他人が感じることはありません。
素直に「楽しそう」「面白そう」「挑戦してみたい」と思えば、行動しましょう。
いつも他人に頼ってばかりの人は、決めごとも誰か他人の力を借りようとします。
「どれがいいと思う?」
「どれが似合うと思う?」
「どうすればいいと思う?」
「私、どうすればいい?」
こうした言葉が口癖となっているわけです。
日常では普通にありふれた言葉です。
しかし、これらの言葉は、決断を他人に委ねることになり、知らず知らずの間に他人に流される生き方をしてしまっているのです。
そういえば、私の友人にもこれらの言葉をよく使っている人がいます。
「貴博君、どうすればいいと思う?」と私の意見を求めてきます。
たいてい私は「自分のことは自分で決めたほうがいい」と冷たく突き放します。
私は「自分のことは自分で決めるのがいちばんいい」と思っています。
自分が決めないと、責任も自分で取れません。
自分のことは自分で決めてもらいたいだけです。
優しさと厳しさは、表裏一体です。
自分の言葉遣いを振り返ってみましょう。
よく耳にする言葉であるゆえに、なかなか意識をしていませんが、これらの言葉はできるかぎり使わないほうがいいのです。
本屋に行けば「自分らしく生きる○○」といった本が並んでいますが「自分のことは自分で決める」に尽きます。
これ以上の自分らしく生きるコツは、ほかにはないのです。
「なんとなく」と似ている言葉に「気が進む」という言葉もあります。
「気が進む」という言葉も、同じく直感的な言葉の1つです。
自分が楽しいな面白そうだなと感じることは、決まって「気が進み」ます。
「気が進む」の「気」とは「元気」の「気」を意味しています。
つまり、気が進むことをやれば、元気の気が進むということであり、元気になれるということなのです。
大きな理由はなくても「なんだか気が進むな」ということは、それをすれば自分が元気になれるということです。
面白そうなことやわくわくすること、自分のためになることは、自然と気が進みます。
それをすれば自分が元気になれるからです。
人間は本来、元気になるようにできています。
普通に生活をしていれば「気が進むこと」はたくさんありますが、なかなかそれができないでいる現実があるのも確かです。
というのも、周りの目があるからです。
「これをしていたら変な人かと思われるかな」
「面白そうだけど、かっこ悪いな」
「楽しそうだけど、恥ずかしいな」
人間は人目を気にすると、どうも素直になれなくなってしまうものです。
本人の気が進んでいることでも、人目を気にし始めると、くじけてしまうのです。
しかし、気が進まないことをしないと、元気にもなれないという結末も待っています。
元気になるためのキーポイントは、気が進むことは周りを振り払ってでもやっていくということにあります。
特にお金の問題、親からの許可、周りの目など、障害はたくさんあります。
しかし、自分らしい生き方をするためには、気が進むことを大切にしていくことがポイントなのです。
気が進まないことをやっていては、いつまで経っても元気になれません。
自分が歩むべき線路から脱線しているということであり、自分らしくないということなのです。
直感人は、中途半端な物を嫌います。
中途半端とは、好きでも嫌いでもなく、曖昧であるということです。
直感を大切にしている人は、好きか嫌いかがはっきりわかれます。
必ずいちばんを意識して、そこから考えます。
もともと直感を気にせずに適当な感性で生活している人は、物を買うときも中途半端な物を買ってしまいがちです。
たとえば服を買うときに至っては、違いがはっきり表れます。
直感的な人は、自分がいいなと思ういちばんの物を真っ先に手に取ります。
値段やサイズを考えるのは後回しといった感じで、自分がいいなと思う素直な気持ちに正直に従います。
それに対して直感的でない人は、値段や使う場面、サイズなどを考えすぎて、妥協した中途半端な物を買ってしまうのです。
自分の好きだという直感をいちばん大切にするとき、値段やサイズは後回しにしておくことです。
自分がいいなと言う気持ちや感情に正直になり、直感的に「これ、すごくいい!」という感性に素直に従うことです。
少なくとも買い物は中途半端な物を買うことにはなりません。
お金やサイズ、そのほかのことを一緒に考えてしまうと、頭の中がごちゃごちゃになり、自分の好きだという感性が埋もれます。
いろいろと妥協して買った物は、たいていは「中途半端な物」です。
いちばん好きというでもなく、最も良いわけでもなく、値段もサイズも見かけも中途半端な物を選んでしまう結果となってしまいます。
そうした中途半端な洋服に限って、普段の生活で着ようと思うこともなかなかありません。
日常生活で着る服は人目につくということもあり、洋服ダンスにあるいちばんいい服を選んでしまいがちになります。
中途半端な気持ちで買った新しい洋服は、新しくても、登場回数が少ないのです。
「こんなことなら少々高くてもいちばんいい物を買っておくんだったな」
あとから悔やむことでしょう。
いちばんいい物はやはりいい物であるだけあって、値段も少々高くつくことでしょう。
しかし、長期で見ると、経済的なのです。
直感的に生きることは自分に素直になって生きることです。
しかし、注意してほしいのは、だからとはいえ何でもかんでも自分の欲に振り回されて生きることではありません。
直感的な感性を大切にするときに、大切な注意ポイントが1つだけあります。
「気が進むこと」と「欲を満たすこと」は、そっくりではありますが、まったくの別物だということです。
直感に従うというのは、自分が好きだと感じる心に素直になるということです。
たしかに「気が進む」と「欲を満たす」はとても似通っている感覚であり、区別がつきにくいかもしれませんね。
もう少し具体的に細かく言うと、次のようになります。
これらが「好き」という感覚をはじめとした「気が進む」という直感的な感性です。
自分の気持ちにとても素直に正直に感じていますね。
しかし、それに対して「欲を満たす」という感性は次の考え方です。
これらの感情は、欲望を満たすことが第一になっています。
横柄になり、人目を気にしている気持ちです。
直感的でも正直でも素直でもありません。
自分の正直で素直な心で行動することと、自分の欲望に任せて行動することとは、似通っていても実は大きな差があるわけです。
「気が進むこと」を進んでやっていくことも大切ですが「欲に振り回されない」ということを前提にしておくことです。
気が進むことは、欲を満たすこととそっくりですが、わずかな違いを区別できるようになることが感性的になるということです。
直感が働くその背景には、膨大な過去の記憶があります。
普段は潜在意識の中に埋もれ「忘れてしまっている」と感じています。
しかし、実は忘れてなどおらず、そのときの話を出すと「そんなこともあったな」としっかり「思い出し」ます。
普段思い出せる記憶は、氷山の一角にすぎず、その水面下には膨大な過去の記憶があります。
直感が働くのは過去の水面下に隠れてしまっている膨大な過去の記憶のおかげです。
記憶が失われることなどないことを前提に考えれば、経験は今のうちにするだけしておいたほうが将来のためになります。
人生は選択の連続で、行動しようかどうしようか迷うことばかりです。
わずかなお金や無料で体験できるなら、ためらわずに行動すればいいのです。
経験は、しないくらいなら、したほうがいい。
それには良い経験も悪い経験も関係ありません。
どちらもあなたの頭の中に過去のデータとして記憶に残り、その記憶が今後の人生のための良い知恵として働き出してくれます。
良い知識や知恵が得られるのは当然のことながらたくさんのインプットが前提としてあるからです。
たくさん経験して、たくさん勉強をして初めて直感的な感性が得られるのです。
それだけ知識や知恵も働くようになります。
直感が働かない人やぴんと来ない人は、たいてい経験不足であり、勉強不足な人なのです。
経験は、しないくらいなら、しておくようにすることです。
その経験が自分にどう役立つのか、何の意味があるのかは後回しで、とにかくいろいろな経験をしておくほうがいいのです。
良い経験も、悪い経験もあなたの肥やしとなるのです。
計画的に生きている人は、計画どおりに進まないと気がすみません。
旅行に行くときは、計画をきっちり立てて、実際にそのとおりに動かないと気が進みません。
予定外の出来事が起ころうものならバスの添乗員に「困るではないか!」と怒ります。
直感も何もないため、思ったとおりに進むと思い込み、予定どおりにいかないとすぐいらいらし始めます。
特に時間にシビアな日本人は時間に正確になりすぎていて、予定外の出来事に大変弱い人種になっています。
外国で出版されている本には「日本人は時間にシビアであり、予定外の出来事に大変弱い」と書かれています。
私が同じ日本人として日本人を見ても、たしかに時間に正確になりすぎていて想定外の出来事にとても弱くなっていると感じます。
その点、欧米の人はゆったりのんびり考え、ゆとりがあります。
欧米人には直感的に生きている人が多く、何でも面白く楽しいことに変えます。
私がアメリカに留学していたときも、授業中に教科書から内容がそれて授業が脱線してもそのまま話を進めてしまいます。
想定外の出来事も「1つの出来事」として捉えているのです。
バスの添乗員が「道路が工事中のため、回り道します」と言っても、そうした予定外の出来事を「楽しめる」と心を躍らせます。
結局楽しく感じるのは、心のあり方考え方しだいです。
同じ時間を過ごすなら、いらいらするより楽しく時間を過ごしたいものです。
旅行に限らず、恋人とのデートや人生の中でも予定外のことが起これば、楽しむように考え方を変えるほうがお得なのです。
説明が下手な人は、往々にして言葉だけを使って伝えようとします。
あれこれと言葉ばかりを並べ、十分に説明ができると思っています。
しかし、説明される側としては、初めて触れる知識ほどイメージが湧きません。
言葉だけを使って説明をされても、ぴんとこないのです。
「こんなに説明しているのに、まだわからないのか!」
このように、理解できない人が悪いかのようにののしります。
しかし、理解ができない原因は、実は教える人が下手だからです。
教える人が下手だから相手にうまく伝わらず、なかなか話が前に進まないのです。
いちばんの理想は実際に体験してもらうことです。
しかし、なかなかそうもいかないのが現実です。
事前にできるだけ具体的に説明できるほうが、聞く側にとっても親切なのです。
直感的な人は、言葉だけでは説明しません。
絵と言葉と想像を織り交ぜて説明をするのです。
絵を描きながら説明することで、具体的になります。
また質問する側も質問するポイントを描かれた絵を使って指摘できますから、より質問がしやすくなるのです。
絵を描いて目に見える形にし、言葉で補足し、絵で書けない部分は想像で補う。
これが、直感的でわかりやすい説明ということなのです。
物を買おうかどうしようかと迷えば迷うほど、決断できなくなるのが人間です。
考えすぎると欠点ばかりを探し出すようになり、どうも決断しない方向へ偏りがちになります。
迷うことは、直感的ではありません。
「これだ!」という直感は、あるとき瞬間的にぴんとくる感覚です。
迷いに迷ったあげく、ゆっくり「これだな」と直感がくることはないのです。
常に直感は、一瞬の出来事です。
いつも迷うことが習慣になっている人は、直感に正直になって行動しにくいのです。
直感的になるためには、思いきって「迷い」は捨ててしまうことです。
テストでも、最初に1番を選択して、あとから不安になって別の選択に変更すると、結局1番が正解ということがあります。
ファースト・インプレッションは、おおむね正しいのです。
将棋の世界でも長時間考える「長考」に入ると、たいていそうなったほうが負けてしまうといわれています。
考えるほど余計に無駄なことを考えるようになり、複雑で混乱してしまうのです。
よく考えすぎると、余計にわからなくなってしまうものなのです。
「迷い」を捨てるというのは、余計なことを考えず、素直に正直に行動するということなのです。
直感は、行動する人のみ与えられる「神様からのささやき声」です。
「こうしたほうがいいんじゃないの」と一瞬ですが、ささやき声が聞こえてきます。
それは「なんとなく」という感覚であり「気が進む」という感覚です。
ある方向へ進ませようと、誰かが励ましているような感じです。
しかし、誰でも神様がささやいてくれるわけでなく「行動する人のみ」に限定されます。
神様は、一生懸命に行動する人だけ、協力したくなります。
あなたがもし何も行動をしない人なら、どんなに「お願いします」と言っても手伝ってくれません。
というより、手伝えないのです。
神様は行動する人の手伝いしかできません。
まず、あなたが行動しなければ、行動を手伝いたくても手伝えないのです。
神様は、直接押すより、後押しするほうが得意なのです。
あなたがまず行動しないと、後押しもできません。
一生懸命努力をして頑張る人に、神様は同情し、後押しをしてくれるのです。
直感ではどんな経験も大切です。
苦い経験、甘い経験、楽しい経験、面白い経験、嫌な経験もすべてです。
たくさんの経験が記憶として頭の中に蓄積され、今後のあなたの強さへと変わります。
笑った経験だけでなく、悔しい経験や苦い経験も、実はあなたのために大きく役立っているわけです。
そう考えると、どんなことが起ころうが自分は常に順調でうまくいっていると考えることができます。
何事も前向きに考え、損をしたと考えるくらいなら、勉強になるいい経験をしたと考えることです。
性格の悪い人に会ったら「自分はこんな人にならないようにしよう」と反面教師として考えて、自分の肥やしにします。
テストで答えを間違えれば、そこが自分の弱いところだとわかります。
考え方と気持ちの持ち方1つで、何でも「順調にうまくいっている」と考えることができるのです。
世の中にはいい経験も悪い経験もなく、実は人間が自分で勝手に良い悪いと解釈しているだけのことなのです。
「順調にうまくいっている」と考えれば、何でも自分のためになっていることに気づくのです。
1つだけの経験に限られてしまっては、直感の幅が狭くなります。
1種類の物事しか経験していなければ、それだけしか知らないということになります。
直感とは、過去の膨大な記憶を総合して一瞬現れる氷山の一角です。
過去の膨大な記憶がすべて同じ種類のことなら、幅が狭く応用力が弱くなります。
経験は、どうせならいろいろな種類のことをしておくほうがいい。
幅広い経験をしていると、それだけ視野を広くして物事を客観的に見ることができるようになります。
1つのことだけに集中して単眼的になるより、視野の広がった見方ができるほうが、より正確に直感も働きます。
よくありがちな「恋は盲目」も、好きな人しか見ることができないから、そうなってしまうのです。
1つのことだけに絞ってみるより、全体を通して1つを見るほうが、冷静な判断ができるようになるのです。
私は恋愛や人生、人間関係などについていろいろ本を書いていますが、これは過去の経験や、いろいろな本を読んだおかげです。
私は日頃から多種多様な本を読んでいます。
恋愛関係の本だけでなく、人間関係の本や、お金についての本、歴史についての本、自己実現のための本などです。
心理学や哲学書、政治経済などの知識をインプットしているおかげで、種類の豊富な本も書くことができています。
そのおかげで単眼的にならず、いろいろな角度から物事を見ることができるようになります。
私がいろいろな種類の本を書けているのは、いろいろな経験とたくさんの種類の本を読んできたことにあるわけです。
どうせなら、いろいろな経験をしておきましょう。
やるかやらないかと迷えば、迷わずやるほうがいい。
お金がかからず経験できるというなら、なおさら飛びついてもいいくらいです。
元手がかからず、体験が得られるというのはおいしい話です。
たくさん経験しておくほうが「広く浅く」のつもりが 「広く深く」になります。
個々の知識同士が結びつき、密度が濃くなるのです。
部屋の中にあるたくさんのいらない物は、いつしかあなたの中から直感力を奪っていきます。
いらない物を見ると「いつか片付けなきゃ」「なんとかしないと」と一瞬ですが、頭の中で考えています。
一つひとつは小さなことでも、何度も何回も繰り返され積み重なると、結構なストレスとなるのです。
これがあなたの直感力を鈍らせる原因になります。
頭の中はできるだけ空っぽにしておき、素直な気持ちや考えがすぐ湧き出るようにしておかないと直感も出てきてくれません。
部屋の中の物は、できるかぎり少なくしたほうが快適です。
少なければ少ないほど、考えなければいけないことも少なくて済みます。
目の前の仕事に集中しやすくなります。
捨てることで、精神的なこと(余裕、ゆとり、直感、集中、持続力、やる気、元気)が得られるようになります。
捨てることは、得ることでもあるのです。
直感的な人は、自分が成功するより先に仲間を成功させます。
他人の仕事の協力をしたり、お手伝いをしたりして、人のために動くことができるのです。
人間はつい自分のことばかり考えてしまい、独りよがりになりがちです。
「自分さえよければそれでいい」
そう思って、自分の成功のことばかりに頭がいっぱいになってしまうのです。
しかし、そういう人は決まって成功はできません。
他人のことを考えずに自分のことばかり考えている人に、人は誰も助けてあげようとも思わないのです。
ましてや友人がいたとしても「仲間」というより「利用できる人」と考えてしまうのです。
利用される側にしてみれば、もうこれ以上付き合いを続けたくないと思うことも当然です。
協力者がだんだん離れ、1人きりになった人が成功を手に入れるということはないのです。
直感的な人は、仲間を先に成功させることで、自分も成功します。
他人のために協力をして、そこで得られた知識や知恵、人脈で自分の人生をステップアップさせます。
決して利用しているわけではなく、他人のために仕事をした結果として、そうなってしまうのです。
他人のためというのは、実は自分のためでもあることを直感的な人は知っているのです。
勝負には、必ず勝ち負けと勝敗がわかれます。
普通なら当然勝ちたいと思うところです。
しかし、直感人はそうでもないのです。
直感人は直感的に「勝ち」より「負け」のほうを選びます。
それは勝つことより、負けることのほうが得られることが多いのを知っているからです。
直感を大切にする人は、勝つことより、得られることが多いほうを選びます。
それが結果として、負けるほうを選ぶということになってしまうだけです。
勝負をすべて勝っていこうとはせず、むしろ負けるほうを選んでいきます。
負けることで「なぜ負けたのか」を考え、原因を探し出し、改善に努めます。
直感人は、のちのちに必ず強くなるのです。
負ける原因を改善する人が、強くならないわけがないのです。
直感はやる気と同じように、沸いて出たその瞬間に使い切るのが上手な使い方です。
生ものであり、ずっと同じ状態が続くとは限りません。
直感はぱっとひらめくといった瞬間的な出来事です。
あとから時間を置いてもう一度考えたときには直感力は鈍ってしまい、しっかりした機能を果たしてくれなくなってしまうのです。
たとえば学生時代ならばテストが良い例です。
問題を読んだ瞬間に答えがぱっと思い浮かぶときがあります。
しかし、あとから考えてみると「違う。ちょっとまてよ。やっぱり違うような気がする」と違う回答を選んで書いてしまいます。
しかし、結果はやはり最初に選んだ答えのほうが正しかったということは、何度も経験しました。
直感的というのはおおむね正しく、ぱっとひらめいてぱっと消えるものなのです。
後になるほど、直感力は鈍るものです。
ひらめいたその瞬間に行動に移してしまい信じきることが、いちばん直感に従った行動だと言えるのです。
人間は、今まで経験したことのないことには、直感も鋭く働いてくれません。
なにせ経験したことのないことは、過去にも記憶がないということで直感も出番がないわけです。
せいぜい似ている経験から直感が生まれるということはあっても、実際に経験したときに比べれば劣るものです。
さらなる直感力を磨くために、未体験ゾーンをあえて選んでいくことです。
直感がいちばん喜ぶ経験は、体験以外にほかなりません。
いちばん具体的であり、応用しやすく、鋭く記憶にも残ります。
また挑戦や初体験というのは、脳に新鮮な刺激を与え、活性化がされていく作用もあります。
私もこうした理由から、日頃から今まで経験したことのないことをあえて選ぶことを習慣にしています。
自動販売機で選ぶ飲み物は、今まで飲んだことのない飲み物を選びます。
レストランへ行ってメニューから食事を選ぶときも、できるかぎり今まで口にしたことのないようなものを選びます。
「珍料理」という文字が視界に入れば、迷わずそれで決まりです。
初体験は、初めてということもあり不安があります。
しかし、その半面に、今まで経験したことのない新しい体験ができると思えば、不思議とわくわくもしてくるのです。
初恋をしたときのどきどき、社会人になったときのわくわく、初めて経験する不安などの感覚を抱き続けたいのです。