世の中には、さまざまなかっこよさがあります。
美しいアクセサリー、かっこいい服、髪型、香水など、自分を今以上に美しく見せる方法はいくらでもあります。
ですが、そうしたアクセサリーや服も、身につける本人の気品によって、かっこのよさが決まってしまいます。
上品に美しく見せようと、女性がまず走ってしまうことは、お化粧です。
そもそも、ここから間違っているのです。
お化粧によって上品に見せ、かっこよくなろうとします。
あなたが品のある人かどうかを、簡単にチェックできる方法があります。
あなただけに限らず、ほかの誰にでもチェックができます。
人目のないときでも、整理整頓をしていますか。
品は、体から出るものです。
オーラという雰囲気によって、放たれるものです。
では、そうした人の心の内側では、どんなことを思っているのでしょうか。
上品さは、足元からもオーラが出ます。
品のある人が歩くと、カツカツと音がしません。
歩く足音が静かであり、近寄ってきていることがわからないくらいです。
品のない人は、携帯の着信メロディーにも表れます。
品のない人は、決まって自分の好きな曲を着信メロディーとして設定し、それも大音量にして流します。
自分では「かっこいい」と思っているのです。
品性は、どこに表現されるのでしょうか。
「余裕」です。
余裕は、品格を出すために欠かせないポイントです。
品性は、ごみ箱にも表れます。
ごみ箱も、品性を大切にするうえにおいて、無視できないポイントです。
品のある人は、ごみ箱がごみによっていっぱいになる前に、ごみを捨てます。
フランス料理。
テーブルマナー。
社交ダンス。
緊張することを、悪いことだと思っている人がいます。
しかし、緊張することは、人の品性を養ううえで、なくてはならない感性です。
緊張がなくなれば、だらだらしたオヤジになってしまうからです。
生活の中には、つい乱暴にしてしまいがちな物があります。
新聞を置くときには、投げてしまいがちです。
椅子をテーブルに戻すときも、足を使って戻してしまうと、乱暴に見えます。
私が仕事をしているときに、いつも気をつけていることがあります。
ため息をつかないことです。
これは、ある出来事があってから、心がけるようになりました。
電話をかけるときに、どのような言葉から言い始めますか。
電話をかけて、いきなり用件を話し始めていませんか。
電話では、かける側が偉そうになることは、スマートではありません。
女優の黒木瞳さんは、品格のある女優の1人です。
黒木さんは、笑うとき、いつも口を閉じて笑っています。
口を閉じているから、上品さが余計に目立ちます。
品性を出すためのポイントは「周りに迷惑をかけないこと」です。
周りに迷惑をかけないことで、自然と品が上がります。
品のある人を見て「これがあるから品があるのだ」という目立ったポイントがわかりません。
品格には、笑顔が必要です。
笑顔は余裕の表れであり、優雅さの表現です。
笑顔になっている人には、その人の生活全体から明るい印象を受けてしまいます。
品のある人は、物を拾わないし、もらいません。
拾いものやもらいものには、愛着がないからです。
品のある人は、優しいからと何でも拾ったり、もらったりすると思われがちです。
私が新人時代だったころの話です。
早く帰りたいからと、明日の準備を明日に回して帰ったことがありました。
夜も遅く、明日早く出社して、準備をすればいいかと、気軽に考えていました。
いらない物を捨てると、不思議なことに生活に品が出てきます。
普通に考えれば、物がたくさんあるほど裕福に見えそうです。
しかし、実は、逆なのです。
余裕は、品格には欠かせない存在です。
余裕があるからこそ、ほかより1歩も2歩も進んでいるように見えます。
余白は何もないというむなしさではなく、むしろレベルが高い証拠です。
日用品には、ささいな小物が多い物です。
コップ、皿、歯ブラシ、椅子、バッグなど、毎日使う小物です。
ティッシュペーパーや歯磨き粉といった消耗品も含め、毎日手に触れて使う物こそ、こだわりの一品を使うことです。
「まあ、いいか」と思うことは、生活の至る所に存在します。
「洗い物があるけど、まあ、明日でいいか」
「ちょっと遅刻しそうだけど、まあいいか」
自分に合ったおしゃれは、その人の個性を引き立てます。
人には人それぞれの顔があり、身長も、話し方も、考え方も違います。
ということは、当然ですが、似合う服装も違うはずなのです。
頭の良い人が、いちばん偉いわけではありません。
物知りの人が、幸せというわけでもありません。
有名国立大学を卒業しているからとはいえ、すべての人が幸せになれるわけではありません。
お金がないと遊べない人は、遊びが下手な人です。
たしかにお金さえあれば、自由に遊べます。
ビリヤード、ボウリング、カラオケ、レストランでの食事、旅行などです。
品性のある人は、景色だけを見て、感動しません。
五感のすべてを総動員させて、見て、聞いて、触れて、感じて、感動します。
たとえば、散歩1つとはいえ、景色だけを楽しむのではありません。
家族の愛に恵まれなかった人には、愛の代替品であるお金を求めたがる傾向があります。
私は今まで、数多くの人たちを見てきましたが、この傾向は大変によく当てはまります。
「お金が欲しい。世の中、お金がすべてだ」と叫んでいる人ほど、家族との仲が悪いものです。
品性のある人は、部屋の物をできるかぎり少なくしようと心がけています。
たくさん持とうとはせず、できるだけ持たないようにしようと心がけます。
たくさん持つと、注意を払わなくてはならない対象も増えます。
品性のある人は、背中にも目がついています。
前だけに注意を払っているのではなく、後ろにも払っているということです。
目が前にありますから、つい前ばかりを見てしまいます。
あなたは、むかっとした出来事があったとき、何を思いますか。
ほとんどの人が、単に「むかつくなあ」と思って、それで終わらせてしまうパターンがほとんどのはずです。
深い意味も考えず、そんな出来事は、次の瞬間には忘れてしまおうとしてしまいます。
世の中には、さまざまなかっこよさがあります。
美しいアクセサリー、かっこいい服、髪型、香水など、自分を今以上に美しく見せる方法はいくらでもあります。
ですが、そうしたアクセサリーや服も、身につける本人の気品によって、かっこのよさが決まってしまいます。
服の問題ではなく、着る本人に問題があれば、どんな服でもださく見えてしまうのです。
着飾っている女性が、下品な言葉を使っていると、その瞬間から品位が下がってしまいます。
どんなにいい香りのする香水でも、どんなに美しい洋服でも、格が落ちてしまいます。
本当の気品は、物から出るものではありません。
体の内側から出るものなのです。
かっこよさを、アクセサリー・服装・香水などに求めてはいけません。
それは、2次的なかっこよさであり、本当のかっこよさではありません。
では、本当のかっこよさとは、どこを言うのでしょうか。
本当のかっこよさは、雰囲気なのです。
その人からにじみ出る空気であり、気品です。
これが、本当のかっこよさです。
これだけは、今すぐお金を出して手に入れられるものではありません。
教養・しぐさ・マナー・話し言葉・話し方など、総合的な人間性を整えることで、少しずつ上品な雰囲気が出るようになります。
気品のある雰囲気が漂う女性として有名なのは、オードリー・ヘップバーン。
話し方はりんとして、いつも自信に満ちあふれた態度。
座るときは手を膝の上に置き、落ち着いている。
歩くときは、いつも背筋が伸びています。
オードリー・ヘップバーンが地味な服を着ても、品があるように見えることでしょう。
上品な雰囲気さえ出ていれば、何を着ても似合います。
上品な雰囲気が彼女全体を包み込んでいるため、地味な服さえも、上品に変えてしまいます。
人を美しく上品に変えるために本当に大切なことは、身につける装飾品ではありません。
体全体から出る雰囲気によって決まります。
上品に美しく見せようと、女性がまず走ってしまうことは、お化粧です。
そもそも、ここから間違っているのです。
お化粧によって上品に見せ、かっこよくなろうとします。
お化粧にばかり頼ってしまうから、厚化粧になり、余計に品がなくなります。
まず、しなければならないことは、部屋の掃除です。
お化粧する前に、自分の部屋を掃除しなければなりません。
部屋の中をきれいに整理整頓ができて、精神的に落ち着くことができ、初めて美しくお化粧できるようになります。
そもそも、部屋をきれいにしようと心がけない人が、きれいにお化粧ができるわけがないのです。
きれいな言葉や、美しい姿勢のはずがありません。
日頃の習慣を無視し、一時的な効果にばかり目をとらわれているようでは、いつまで経ってもオーラは出ません。
表面的な美しさはあっても、内面的な美しさはないのです。
内面的な美しさがないと、オーラはいつまで経っても出てきません。
オーラは内側から放たれることだからです。
部屋を掃除したり、整理整頓をしたりなど、日頃の「きれい好き習慣」があってこそ、初めてお化粧もきれいにできるのです。
あなたが品のある人かどうかを、簡単にチェックできる方法があります。
あなただけに限らず、ほかの誰にでもチェックができます。
人目のないときでも、整理整頓をしていますか。
人目がなくてもいつもきれいに整理整頓ができている人は、本当の根っからのきれい好きということです。
きれいを愛し、整理整頓を愛している人です。
品のある人で、部屋が汚い人はいません。
生活の基本である部屋は、その人の心が最も表れる空間です。
来客があるときだけ「大変だ! すぐ掃除しなきゃ」と部屋を一生懸命に掃除する人は、本当のきれい好きではないのです。
人目を気にするがゆえに「部屋が汚いと思われたくない」と一生懸命になっているだけであって、品でもオーラでもないのです。
本性がばれないように、必死になっているだけです。
偽のきれい好きは「今から部屋に行ってもいい」と聞くと、決まって「今すぐはダメ。部屋が散らかっているから」と答えます。
人前しか清潔感を意識していないため、普段の部屋は乱れているのです。
本性を見られたくない気持ちがあり、部屋を掃除するまでは、誰も人を入れさせようとしません。
普段はきれいに装っていても、化けの皮をめくれば、もう大変です。
本当に品のある人は「今から部屋に遊びに行ってもいい」と聞くと「うん、いいよ」と即答します。
上品というだけあって、部屋の中は常にきれいです。
いつ来客があっても、OKなのです。
きれい好きという習慣が、基本として心の中にありますから、普段から掃除は当たり前になっています。
部屋がいつもきれいですから、突然掃除をしなければならないということはありません。
人目があるときだけ、整理整頓をしている人は「人目があるから」という理由から動いています。
自分のために動いているのではなく、人目を気にして動いている人です。
そうした人は、心から本当のきれい好きではないのです。
あなたは、どうでしょうか。
「自分には品があるのか、ないのか」は、普段から部屋がきれいに整理整頓されているかどうかによって、わかってしまいます。
部屋の中は、その人の心が最も反映される場所だからです。
品は、体から出るものです。
オーラという雰囲気によって、放たれるものです。
では、そうした人の心の内側では、どんなことを思っているのでしょうか。
「きれいにしたい」という気持ちが軸としてあるのです。
「きれいにしたい」という気持ちがあるから、整理整頓をしたい、おしゃれを楽しみたい気持ちになります。
人目がないところでも、きれい好きをやめたりしません。
「きれいにしたい」という気持ちが根源にあるため、人目があるなしにかかわらず、いつもきれいなのです。
私の母は、いつも部屋をきれいにしています。
きれいにしていますから、口にしなくても「きれいにしたいんだな」ということが、息子である私にも伝わってきます。
私の部屋も、勝手にきれいにされます。
そういう母からは、オーラが出ています。
母の周りにあるものは、片っ端から整理され、きれいになります。
人の心は、行動に表れます。
行動から、雰囲気やオーラが出ます。
オーラによって、気品が決まってしまうのです。
上品さは、足元からもオーラが出ます。
品のある人が歩くと、カツカツと音がしません。
歩く足音が静かであり、近寄ってきていることがわからないくらいです。
ハイヒールのような比較的、足音の出やすい靴でも、できるだけ音が出ないように歩こうと心がけます。
一方、品のない人が歩くと、カツカツと音がします。
歩き方ががさつになっているため、音が出てしまうのです。
音が出ていることにさえ、本人は気づいていません。
ほかの人は、足音を聞いています。
足音から出る音によって、その人の品がいつの間にか相手にも伝わっています。
シンデレラが、階段をガニ股でがつがつ音を立ててあがっているところは、品がなく見えてしまいますよね。
音が大きければ大きいほど、品は失われ、音によって周りに迷惑をかけます。
品は「音が静か」というところに表れます。
音が静かになるように、手足の動きを整えた行動ができる人は、自然と品が出てくるのです。
品を出したいからと、音を出すのではありません。
品を出したいと思うほど、音を出さないように心がけることが大切なのです。
品のない人は、携帯の着信メロディーにも表れます。
品のない人は、決まって自分の好きな曲を着信メロディーとして設定し、それも大音量にして流します。
自分では「かっこいい」と思っているのです。
いい曲だなと思っているのは自分だけだということに、まったく気づいていないのです。
自分にはお気に入りのミュージシャンの曲でも、ほかの人も同じであるとは限りません。
品のない人は、好きなアイドルの曲だからほかの人も気に入るに違いないという、勝手な思い込みをしています。
それが、着信メロディーの大音量という哀れな結果に出てしまうのです。
私は以前に、仕事でこんなことがありました。
仕事をしていると、突然部屋に響き渡るアイドルの曲が流れます。
携帯の着信メロディーを、アイドルの人気曲に設定し、大音量のため、部屋に響き渡っていたのです。
仕事中のアイドルの曲は、不快感を抱いてしまいます。
ですが、着信メロディーを設定している人は、お気に入りのアイドルの、お気に入りの曲ですから、満足そうな顔をしています。
「こんないい曲を着信メロディーにしている俺はイケてる。俺はかっこいいだろ」
そういわんばかりの表情を浮かべ、周りの迷惑になっていることに気づいていないのです。
その人は仕事場だけでなく、重要な会議中でも着信メロディーを大音量で流していました。
会議の雰囲気を何度壊されたことか。
私は、その行為を見て「自分は気をつけよう」と思い、それ以来、着信メロディーはやめています。
着信音はもっぱらOFFにしています。
バイブで、着信を知らせるように設定しています。
品を大切にしている人は、必ず着信音をOFFにして、バイブモードに設定しています。
誰も教えてくれないマナーですが、気づく人は、気づいているのです。
音を立てると、周りに迷惑がかかることを、直感的に学びとっています。
自分が「これは、ちょっと嫌だな」と思うことは、徹底的にやめることです。
自分が不快と感じていることは、ほかの人も感じています。
人から良い印象を持たれるためには、何かを特別にすることではありません。
大声での会話、大きな音の着信メロディーなど、周りに迷惑をかけているだけです。
かっこよくも、上品でもありません。
ほかの人の迷惑にならないように心がけることが、上品な印象を持たれるポイントなのです。
品性は、どこに表現されるのでしょうか。
「余裕」です。
余裕は、品格を出すために欠かせないポイントです。
余裕を持った行動や生活をしていれば、おのずと品性が生まれ、大人びた雰囲気も出てきます。
余裕を持った行動は、その人の心の中が見える瞬間です。
品のない人は「ぎりぎり行動が良い」と思っています。
品のない人は決まって余裕がありません。
限界や締め切りに近づくまで、なかなか重い腰を上げず、動こうとしません。
「限界や締め切りが近づいて対処すればいい」と思っています。
そう思っているくらいですから、ビジネスもプライベートも余裕がありません。
仕事の対応はいつもぎりぎりです。
約束の時間もぎりぎりにやってきます。
ごみ箱はごみでいっぱいにあふれていたり、本棚も本がぎっしり詰まっていたりで余裕がない。
余裕がないから、失敗や焦りが多いのです。
品がなくなってしまうのです。
品性は、ごみ箱にも表れます。
ごみ箱も、品性を大切にするうえにおいて、無視できないポイントです。
品のある人は、ごみ箱がごみによっていっぱいになる前に、ごみを捨てます。
いっぱいになってからでは遅い。
いっぱいは、すでに余裕がなくなっているからです。
品性がどんなところに表れるかというと「余裕」に表れます。
余裕こそが品格のステータスであり、安定と落ち着きのある雰囲気をつくり出します。
ごみ箱がいっぱいになってから捨てる人は、その人の心も余裕のない状態です。
余裕のない人の特徴は「いっぱいになってから対処する」ということです。
問題として表面化してから対処する習慣になっています。
こうした習慣を持っているということは、そうさせている心も、ごみでいっぱいにならないと問題を対処しません。
スケジュール管理、部屋の掃除、約束など、これらは結局その人の心の問題です。
心に余裕がある人は、スケジュール管理、部屋の掃除、約束にも余裕を持って、行動します。
大型重機に例えると、心の中は操縦席にあたります。
操縦席が汚れたり散らかっていたりすると、集中力の妨げになり、仕事に悪い影響が出ます。
操縦席の環境が、行動にもなって現れるのは、人間の心と同じ。
人間も、操縦席である心の中がごみで散らかっていると、生活における行動もぎこちなくなります。
焦り、緊張、不注意が多くなります。
ごみ箱は、心の中が見えてしまう場所。
ごみ箱で、心の中まで丸見えです。
フランス料理。
テーブルマナー。
社交ダンス。
一人旅行。
人前での演説。
こうした経験を、最初からうまくできる人はいません。
最初は誰でもおどおどしてしまうもの。
ところが、品のある人は、余裕を持って堂々と行動できます。
ほかの人がおどおどするなか、余裕があるというのはなぜでしょうか。
簡単なことです。
すでに経験したことがあるからです。
しかも何度も経験があります。
すでに多くの経験があるため、焦ったり、おどおどしたりすることがありません。
一度でも経験したことがある状態と、一度も経験がない状態とでは、心の余裕がまったく変わります。
一度でも経験があれば、場面を想像しやすくなり、落ち着いて取り組めます。
品性のある人は、恥ずかしい経験を早い時期にしています。
あるいは、未体験を少しでも減らそうという「チャレンジ精神」があります。
余裕があるように見えるのです。
余裕をつくるために精神修行をするとか、瞑想するとか、そうした難しいテクニックに頼る必要はありません。
修行は、挫折しやすく、誰でもいつでも取り組めるわけではありません。
余裕をつくるためには、一度経験するだけでいいのです。
テクニックも準備も時期も不要です。
一度でも経験するだけで、次から自然と余裕が出てきます。
緊張する経験を少しでも増やすことで、品性もアップします。
体験によって、いろいろなことに余裕を持って取り組めるようになるからです。
緊張することを、悪いことだと思っている人がいます。
しかし、緊張することは、人の品性を養ううえで、なくてはならない感性です。
緊張がなくなれば、だらだらしたオヤジになってしまうからです。
品のないオヤジは、決まってだらだらしています。
緊張する感性がなくなっていますから、自分が恥ずかしいことをしているということにまったく気づいていません。
「これくらい大丈夫。誰も気にしていない。誰も見ていない」と思っています。
こうした恥ずかしい行動を、平気でやってのけてしまいます。
緊張することがなく、恥ずかしい感性が失われてしまっているから、こうなってしまうのです。
私だったら、しようと思っても、どれも恥ずかしくてできません。
人目を意識できる緊張や恥ずかしい感性は、人の品を整えるために、なくてはならない存在です。
緊張感は、悪いことではなく、むしろなくてはならない大切な存在です。
品を養ううえでは、これ以上ないほどの大切な感覚です。
人から、緊張感を取ってしまうとオヤジになってしまうのです。
生活の中には、つい乱暴にしてしまいがちな物があります。
新聞を置くときには、投げてしまいがちです。
椅子をテーブルに戻すときも、足を使って戻してしまうと、乱暴に見えます。
誰かに資料を渡すときも、投げて渡す人を見ると、怒っているように見えます。
そうしたところを見ると、やはり乱暴に見えてしまいますよね。
相手も気分が悪くなりますし、見ている側も気持ち良くありません。
本人は「これくらいいいだろう」と思ってしているようですが、品がなくなっていることに気づいていません。
わずかですが、周りに不快を与えています。
いかに、ささいなことを丁寧に扱うかです。
ここで、その人の品性が表れます。
新聞とはいえ、乱暴に置くのではなく、丁寧に置きましょう。
椅子をテーブルに戻すときも、足を使って戻すのではなく、両手を使って戻しましょう。
資料を手渡しするときも、放り投げて渡すのではなく、しっかり手渡しすることです。
ささいなことほど丁寧になることが、品を強調するチャンスです。
私が仕事をしているときに、いつも気をつけていることがあります。
ため息をつかないことです。
これは、ある出来事があってから、心がけるようになりました。
ある日、私が仕事をしていると、近くに座っている社員が大きなため息をついているところを耳にしました。
それを聞いて、私まで疲れが伝わってきました。
ため息は、疲れているようにも聞こえ、怒っているようにも、いらいらしているようにも聞こえてしまうのです。
あの人は「疲れているのかな。怒っているのかな。いらいらしているのかな」と、自然に考えます。
ささいなことですが、何度も繰り返してため息をつかれると、聞いている側は、気になり、仕事に集中できなくなってしまいます。
1回のため息は小さな迷惑ですが、何回も繰り返されると大きな迷惑に変わります。
そういうことがあってから「自分はため息をつかないようにしよう」と心がけています。
ため息は、気づかないうちに、周りに不快感を与えてしまうことの1つです。
仕事をしているときに、ほかの人が大きなため息をついている姿は、仕事がつらそうに見えませんか。
たしかに疲れているときには、ため息を出したくなる気持ちも、わかります。
実際にため息をついているくらいですから、本当につらくて大変なのでしょう。
もしかしたら、いらいらしているのかもしれませんし、怒っているのかもしれません。
しかし、そこをぐっとこらえてこそ、品性が出るか出ないかの、わかれ目なのです。
どうしてもため息をつきたいときには、代わりに深呼吸をすればいいのです。
吐きたい息をぐっとこらえ、逆に吸ってしまうのです。
深呼吸なら、酸素を取り入れる形になりますから、ため息より健康的です。
それでいて、周りにも迷惑をかけることはありません。
電話をかけるときに、どのような言葉から言い始めますか。
電話をかけて、いきなり用件を話し始めていませんか。
電話では、かける側が偉そうになることは、スマートではありません。
かける側は、腰を低くしなければならないのです。
相手は、忙しい時間をやりくりして対応しているのですから、一言でも、ねぎらいの言葉を加えることが大切です。
「お忙しいところ、恐れ入ります」
相手を気遣う言葉が一言でもあると、印象がまったく変わります。
忙しいところを理解し、一言でも相手の時間を大切にする言葉があると、気持ちよく話も聞けます。
「相手がいつも忙しいとは限らないのではないか」と思う人もいるでしょう。
たしかに実際のところ、相手は暇な時間かもしれません。
いらいらしているときかもしれませんし、怒っているときかもしれません。
どのような状況であろうと、かける側のマナーとして、腰を低くしてねぎらいの一言を加えることは大切です。
「お忙しいところ恐れ入ります」と言われると、いらいらしていても「少しくらい話を聞いてもいいかな」と思います。
少しでも相手の機嫌が良くなれば、用件もきちんと聞いてもらえるようになります。
自分の行動を振り返ってみましょう。
女優の黒木瞳さんは、品格のある女優の1人です。
黒木さんは、笑うとき、いつも口を閉じて笑っています。
口を閉じているから、上品さが余計に目立ちます。
いつも落ち着きがあり、よほどのことがないかぎり取り乱したりしません。
落ち着いているところから「慣れ」を感じることができ「経験の豊富さ」も感じられます。
黒木さんの品格のある雰囲気は、落ち着きのある様子によるものです。
落ち着きは、品格のある雰囲気を出すための大きなポイントです。
誰しも、初めて経験するときには、あたふたしてしまいます。
しかし、何度も重ねて経験していくと、次第に慣れが出てくるため、落ち着いて行動できるようになります。
落ち着いている人を見ると、その人の豊富に経験した過去が感じられ、品格のある印象を受けます。
落ち着きを意識して行動しましょう。
たとえ初めての経験でも、せめて落ち着いて挑戦することならできるはずです。
黒木さんを見習い、落ち着きを取り入れれば、品格のある印象を醸し出すことができるのです。
品性を出すためのポイントは「周りに迷惑をかけないこと」です。
周りに迷惑をかけないことで、自然と品が上がります。
品のある人を見て「これがあるから品があるのだ」という目立ったポイントがわかりません。
全体として、なんとなく品のある雰囲気があり、どこか1つが突出しているわけでもありません。
話し方、歩き方、お箸の持ち方など、特に目立つ特徴はありません。
それもそのはずです。
強いて言えば、普通なのです。
品を出すポイントは、ここです。
普通こそが、最も品のある態度です。
私たちは日頃から、癖を知らない間にしています。
小さな癖です。
強くまばたきしたり、足を小刻みに振るわせたり、早口で話す特徴があったりなどです。
他人に迷惑をかけているわけではありませんが「気になる」という癖があるものです。
気になる態度も、ほかの人から見れば小さな迷惑として映ります。
いつの間にか、他人に不快感を与えてしまうことがあります。
本人でも気づいていない場合が多いため、厄介です。
小さな癖をなくしていけば、品性が上がります。
当たり前の心がけこそ、いちばん大切なことなのです。
品格には、笑顔が必要です。
笑顔は余裕の表れであり、優雅さの表現です。
笑顔になっている人には、その人の生活全体から明るい印象を受けてしまいます。
そんな笑顔には、ささいなポイントがあります。
歯を見せたがははという笑い方ではなく、口を閉じたにっこりした笑顔になることがポイントです。
笑顔といっても笑い方1つによって、品のある笑いと、そうでない笑いがあります。
がははと声も口も大きくして笑うことは、静かなところでは周りの迷惑になります。
またいくら楽しいからとはいえ、大げさに笑うことは品性を下げてしまいます。
ちょっと乱暴で、うるさい印象を受けてしまいますよね。
笑うときには、口元をきゅっと閉めて笑う。
あるいは、ほんの少しだけ口を開いて、歯をちらりと見せる程度の笑いなら、ぎりぎりOKです。
笑い方とはいえ、その様子によって、品も大きく変わるのです。
品のある人は、物を拾わないし、もらいません。
拾いものやもらいものには、愛着がないからです。
品のある人は、優しいからと何でも拾ったり、もらったりすると思われがちです。
しかし、実際、本当に何でももらい、拾ってしまえば、ごみ屋さんになります。
品格のある人は、拾わないし、もらいません。
「これ、あげるよ」とはいえ「お気持ちは嬉しいけど、必要ありません」と断ります。
品のある人は、愛着を大切にするからです。
拾ったもの、もらいものには、愛着がありません。
誰かに突然、物をもらっても、それには愛着がありません。
一生懸命に働いて得たお金で買うときに、愛着が出てくるものです。
思い出や苦労が加わります。
物に対して、思いが込められ、購入後も本当に大切にしようという気になります。
努力もなく手に入れたものに、深い愛情はなかなか出てくるものではありません。
それになにより、もらいものが本当に自分にとって必要な物とも限りません。
本当に必要なら、もうすでに買っています。
自分の物にしたいと思う気持ちがあるほど、自分のお金で買おうという気持ちになるはずです。
拾ったものやもらいものには、そうした感情を無視して、突然手に入れてしまうことになりますから、深い愛情が感じられません。
もらうことになっても、たいてい使わないものです。
私は自分で買った本は進んで読みますが、他人からもらった本は不思議と読む気になれません。
自分の好みの本ではありませんし、読もうという気持ちもありません。
もらったものですから「いつでも読める」という軽い気持ちになり、ほこりをかぶってしまうことになるのです。
生活の中でほこりをかぶっているものほど、誰かにもらったものや、どこかで拾ったものです。
愛がないから、つい、ほったらかしにしているのです。
なら、初めからもらわないことです。
品のある人は、もらっても愛がないから、ほったらかしになるであろう未来が見えています。
拾わないし、もらわないのです。
自分の豊かな生活のために、本当の必要な物だけを持ち、必要のないものはできるだけ持たない努力をしています。
私が新人時代だったころの話です。
早く帰りたいからと、明日の準備を明日に回して帰ったことがありました。
夜も遅く、明日早く出社して、準備をすればいいかと、気軽に考えていました。
次の日「さあ、準備をしよう」と思って出社すると、なんとプリンターが壊れているのです。
結局、資料が間に合わず、恥ずかしい経験をしたことがありました。
準備そのものは、誰でもできる簡単なことでしたが、ぎりぎりに準備をしたばかりに、悪い運に引っかかってしまいました。
準備は、できるだけ早くするほうが失敗を防げます。
仕事では、明日の準備ができてから帰るようにしましょう。
明日になってからしようと思っても、明日はパソコンが壊れているかもしれません。
もしかしたら、プリンターが壊れているかもしれません。
体調不良で動けないかもしれません。
しかし、今ならパソコンもプリンターも動いています。
動いている今のうちに、準備しておくほうが確実なのです。
いらない物を捨てると、不思議なことに生活に品が出てきます。
普通に考えれば、物がたくさんあるほど裕福に見えそうです。
しかし、実は、逆なのです。
裕福だからこそ、物を持たないようにして、軽くなろうとします。
持つとしても「いちばんの物」だけを持つようにします。
いちばんではない、2番や3番は必要ありませんから、どんどん捨てていきます。
そうしていけば、最後に残る物は、いちばんだらけになってしまうのです。
いちばんお気に入りの歯ブラシ、コップ、皿、本、シャーペンなど、いちばんだけを持つようにしましょう。
結果として、部屋の中の物をどんどん捨ててしまうことになりますが、品性のために必要なことです。
実際に使う物といえば、いちばんだけです。
使いもしない物を部屋の中に置いていても、飾りになるどころか、部屋が散らかる原因になります。
片付けにも、整理にも、掃除にも、手間がかかります。
品のある人の部屋を見ると、物が少ないことに気づきます。
いつでも引っ越しができるくらいに、物が少なく、整理がされています。
品が出ているのです。
貧乏性の人は、何でもかんでももらいたがります。
もらった物を、部屋中に置いて、自分が貧乏であることを隠そうとしています。
しかし余計に貧乏に見えてしまうのです。
レストランに行くと、無料提供の砂糖やガムシロップを「無料ならもらっておけ」と言わんばかりにバッグの中へ詰め込みます。
これは、貧乏性の人ほどやってしまいがちです。
お金がなくて困っているからと、部屋に物をたくさん置くことでコンプレックスを補って、隠そうとしています。
貧乏性の人ほど、部屋に物がたくさんあります。
結果として、物で散らかり、品が失われています。
部屋のあちこちに物を置くことで「これだけ物を置けば貧乏そうには見えないだろう。実は裕福なんだぞ」と思っています。
たくさん物があっても、どれも使わない物ばかりなのです。
自分の生活を振り返れば、毎日使っている物は、いつもお決まりの物ばかりです。
たくさんないといけないというどころか、毎日使っている物は、いつも同じ物です。
使わない物を、思いきって捨てることで、生活の中にスペースができ、新しく受け入れる余裕ができます。
これが、品として映るのです。
余裕は、品格には欠かせない存在です。
余裕があるからこそ、ほかより1歩も2歩も進んでいるように見えます。
余白は何もないというむなしさではなく、むしろレベルが高い証拠です。
余白ができるからこそ、そのスペースに何かを入れられるようになります。
行動にしても、判断にしても、余裕があるほうが、確実に正確に行えるようになります。
そうした余裕を、生活の至る所で心がけましょう。
たとえば、約束の時間です。
約束の時間にぎりぎりになり、駆けつけていませんか。
ぎりぎりは余裕のない状態です。
もし、電車やバスが遅れたり、赤信号で止まったりしていると、約束の時間に遅刻してしまいます。
登校や出社の時間でも同じです。
いつも時間ぎりぎりになって行動していると、到着しても息が荒く、すぐ集中できません。
また家賃の支払いも、早めを心がけましょう。
早めに支払っておくと「行動が早い」「金銭的に余裕があるのだろう」などの印象を、大家に与えることができます。
「期日が過ぎています」と言われないと支払わない人は、お金に余裕がないことが感じられます。
前もって進められるところは進めておき、余裕をつくることで、ミスや間違い、焦りが減っていきます。
それが、落ち着きにつながり、品につながります。
余裕があるから、落ち着いて行動できるようになるのです。
日用品には、ささいな小物が多い物です。
コップ、皿、歯ブラシ、椅子、バッグなど、毎日使う小物です。
ティッシュペーパーや歯磨き粉といった消耗品も含め、毎日手に触れて使う物こそ、こだわりの一品を使うことです。
お金の使い方が下手な人は、見栄にお金を使います。
めったに着ない着物やドレスなど、年に1回使うか、使わないかという程度の物に、大金をつぎ込みます。
だからとはいえ、日頃の生活はどうかといえば、ぼろぼろでよれよれのパジャマを着ていたりします。
人目につかないところにはお金を使わず、人目につくところだけお金を使って、きれいに見せたがる人は、見栄で動かされています。
見栄を張ってしまうと、どうもおかしなところでお金が出ていくのです。
毎日使う物こそいちばんお金を使い、めったに使わない物はレンタルに頼るなどして、できるだけお金の支出を抑えることです。
毎日触れて使う物は、直接あなたの精神状態にも影響を与えます。
良い物を触って使っていると、気分が良くなります。
お気に入りのコップで、おいしい1杯のコーヒーから始まる朝は、気持ちいいものです。
汚れてひびの入ったコップを使い、塩素の混じった水道水を飲んで、気持ちの良い朝がスタートできるでしょうか。
日用品は、使用頻度が最も高い道具の1つです。
毎日使う物ほど、きれいでおしゃれな上等の物を使うほうが豊かです。
お気に入りの一品を持つと、生活全体のレベルが上がります。
私は毎日使う、ティッシュペーパーは、カシミヤの手触りのする高級な物を使うようにしています。
高いとはいえ、たかだか数百円高いという程度です。
しかし、高いだけあって手触りのいいティッシュペーパーであり、毎日使いますから欠かせません。
使っていると、こちらまで心が白くなっていきそうな感覚を得られます。
またカーテンもお気に入りの淡いピンク色の物を買いました。
安い物を探せば、もっと安い物もありましたが、毎日目にするカーテンをケチってしまうと、精神的に悪影響が出てきます。
部屋にいる間はずっと視界に入りますから、お気に入りの物であるかどうかは、大きなポイントです。
毎日使う物こそ、お金を使いましょう。
毎日触れて使うからこそ、目には見えない精神状態に強く影響を及ぼします。
品性は、人の精神状態が豊かになってこそ、少しずつ出てきます。
毎日使う日用品は、あなたの精神状態に大きく関わりを持つパートナーなのです。
「まあ、いいか」と思うことは、生活の至る所に存在します。
「洗い物があるけど、まあ、明日でいいか」
「ちょっと遅刻しそうだけど、まあいいか」
「今日中に電話しないといけないけど、今度でいいか」
「ごみ捨ては、来週でいいか」
「復習くらい、しなくてもいいか」
品性のある生活のためには「まあいいか」と思うところをしっかりケアできるようにすることです。
人間はもともと、面倒と思う動物です。
面倒と普段から思っているため、楽にできるようにと、いろいろな発明が生まれます。
そうした発明や発見、新しいアイデアによって、技術が進歩して、科学が発達し、生活が便利になっていきました。
しかし、面倒と思うままに、本当に動かなくなれば、最終的に人間は怠け者と変わりない姿になります。
動かなくてもすべてができるという、状態です。
面倒を乗り越えて行動できる人が、品のある人です。
品のある人ほど、面倒なところでも、しっかり行動ができています。
「そうは言っても、面倒だから、なかなかできないんだよ」
そう言いたいのでしょう。
その気持ち、私にもよくわかります。
しなければならないとわかっていても、なかなか思うように体が動いてくれないときがあります。
面倒と思い行動しない人と、面倒と思っても行動できる人の違いには「余裕の差」があります。
余裕があるほど「大変だけど、これくらいなら行動しよう」と思います。
余裕のある子育てをしようと頭の中で思っても、毎日が残業続きの生活の中では、本当に余裕のある子育てができるでしょうか。
最低限、余裕がなければ行動ができないのです。
品を身につけるために、何が最も必要かといえば「余裕」です。
余裕があるから「面倒だけど、やろう」と思い、行動する時間やエネルギーを割り当てることができるのです。
まめに行動できたり、前もって行動したりすることで、ミスや失言も減るのです。
自分に合ったおしゃれは、その人の個性を引き立てます。
人には人それぞれの顔があり、身長も、話し方も、考え方も違います。
ということは、当然ですが、似合う服装も違うはずなのです。
服装は人それぞれ違っていて、当たり前です。
人には、それぞれに合った服装というものがあります。
性格の明るい人と暗い色の服は、釣り合っていません。
もともと性格が明るい人なら、服も明るくすると、その個性がさらに際立って目立つようになります。
自分の個性を表現し、さらに引き出していくために、ファッションがあるのです。
おしゃれが存在しているのです。
自分の性格や個性を振り返り、自分に合ったおしゃれを徹底的に極めてみましょう。
靴や下着、シャツから、アクセサリーまで、実は自分を表現するためにあるのです。
自分の性格にあった服装を選び、ファッションを意識すれば、おしゃれになるのです。
頭の良い人が、いちばん偉いわけではありません。
物知りの人が、幸せというわけでもありません。
有名国立大学を卒業しているからとはいえ、すべての人が幸せになれるわけではありません。
知識があるからとはいえ、必ずしも幸せになれるとは限らないのです。
知識は、気品があって、初めて引き立ちます。
物知りの人でも、偉そうに話をされると、気分が悪くなり、その人から教わろうという気持ちが薄れていきますよね。
頭の良い上司でも、性格が悪ければ、最悪の職場になってしまうようなものです。
気品がなければ、知識は本当に生かしきれないのです。
たとえば、今このように私の話している話し口調が、突然偉そうになればどうでしょうか。
「あなたは間違っている。俺のいうことを聞け!」なんて偉そうに話をされると、もうそれ以上話を聞きたくなくなります。
すぐ別のサイトへ移ってしまうでしょう。
話し方、マナー、言葉遣いといった気品は、自分の持っている知識を生かすために必要欠かせないことなのです。
私がHAPPY LIFESTYLEにおいて話を進めるうえでも、語り口調や話し方には、気を使っています。
話し方によっては、せっかくの良いお話も台無しになってしまうからです。
私が今まで出会ってきた先生や上司の中には、とんでもなく偉そうな人がいました。
たしかに頭もよく、人一倍物知りで、技術を持った人ではあるのですが、性格が悪いのです。
そういう人とはあまり関わりたくないと思いますし、私に限らずほかの人からも嫌われてしまうありさまです。
せっかくの知識が、宝の持ち腐れになっている光景を、何度も見てきました。
だからこそ、知識は、気品があってこそ活用でき、引き立てることができるのです。
あなたは、偉そうにしていませんか。
お金がないと遊べない人は、遊びが下手な人です。
たしかにお金さえあれば、自由に遊べます。
ビリヤード、ボウリング、カラオケ、レストランでの食事、旅行などです。
お金は、あなたを楽しませてくれる召し使いです。
ただし、お金がなければ遊べない人は、品のない人です。
お金を使って、頭を使っていません。
お金がなくても楽しむ方法は、たくさんあります。
お金がかからないことでも、お金がかかる遊びくらいに楽しめることがあります。
特に、雑談はお金のかからない遊びの中でも、おすすめです。
話を上手にできる人と聞ける人は、お金がなくても楽しめます。
散歩することも、ウインドーショッピングも、部屋の模様替えも、お金は不要です。
お金を使って、楽しむこともいいですが、お金を使わずに楽しむことも大切です。
お金がなくても楽しめるセンスのことを「品」というのです。
品性のある人は、景色だけを見て、感動しません。
五感のすべてを総動員させて、見て、聞いて、触れて、感じて、感動します。
たとえば、散歩1つとはいえ、景色だけを楽しむのではありません。
目には見えない音を聞いて、楽しむようにします。
目に見えない、温かさ、寒さといった季節を、皮膚感覚を通して感じ取ります。
音は目に見えないだけあって、意識しないと、なかなか注意が向きません。
景色を眺めながらも、感覚の意識を向けて、体全体を通して感じます。
私の家のすぐそばに烏山川緑道という、長い散歩道があります。
都会のど真ん中に、木々のある緑道です。
休日や銭湯の帰りなどには、よく立ち寄り、散歩をしてから家に帰ります。
散歩をしていると、景色が変わるだけでなく、ところによって音も変わってきます。
住宅街の近くになれば、家族の声が聞こえてきます。
川のそばを通れば、水の流れる音が聞こえてきます。
公園の近くでは、子どもが遊んでいる声が聞こえ、草むらの近くではコオロギの鳴き声が聞こえてきます。
景色を見て楽しむことも、十分な癒やしになりますが、音も同時に楽しめば、さらなる癒やしになります。
夏の緑道はむし暑く、雪の降る冬の日には真っ白な緑道へと、様変わりします。
暑い、むし暑い、寒い、涼しいといった感覚を、皮膚感覚を通して春夏秋冬を感じ取ります。
これが感動のある癒やしの散歩です。
たかだか散歩とはいえ、心にじんと響く素材はたくさんあります。
目だけを通して「見る」のではなく、音も同時に「聞き」、気温や風を通して「感じ」ます。
この五感を通して感じることを、感動というのです。
家族の愛に恵まれなかった人には、愛の代替品であるお金を求めたがる傾向があります。
私は今まで、数多くの人たちを見てきましたが、この傾向は大変によく当てはまります。
「お金が欲しい。世の中、お金がすべてだ」と叫んでいる人ほど、家族との仲が悪いものです。
あるいは、1人親であったり、親が離婚したり、生まれつき両親が共にいないといった人です。
人間による社会活動の根底は、愛です。
愛を求める行動によって、人間は動き、行動します。
友人をつくろうとすることも、地位や肩書を欲しがる欲も、美しくなりたい欲も、すべては「愛されたい」欲求が根底にあるのです。
友人をつくって仲良くなれば、愛を感じることができます。
地位や肩書を手に入れることで「すごい!」と称賛され、認められたいと願うことも、愛を欲しがっているからです。
美しくなりたい欲求も、多くの異性に振り向いてもらい、愛を手に入れたい欲求があるからです。
活動や行動はさまざまな種類がありますが、すべては根底に「愛が欲しいから」という理由が原動力になっています。
親の愛がなく育ってきた人は、愛の代わりの働きをするお金を欲しがろうとします。
愛がなければないほど、お金を手に入れようとする気持ちも大きくなっています。
お金さえあれば、食欲を満たし、性欲を満たし、自己満足を満たせます。
人間はこれを、愛を満たしていることと、勘違いしているのです。
たしかに愛のように「満たす」働きではありますが、本物の愛による満足とは別物です。
お金により欲望を満たそうとすることは、自分の中の愛を満たそうとしている活動の表れなのです。
愛が欲しいから、愛と似た働きを施してくれるお金を手に入れようとします。
お金は、愛にとてもそっくりな働きをもたらしてくれます。
「お金お金お金」と何度も繰り返し、念仏のように唱えているのです。
私の知り合いに、お金のためだけに仕事をする人がいます。
仕事への愛はなく、ただお金さえもらえればいいと思っている人です。
仕事を選ぶ基準も、好きな仕事ではなく、稼げる仕事という基準によって決めているそうです。
その人はいつも「宝くじに当たって大金さえ手に入れば、こんな仕事、今すぐやめますよ」と言っています。
つまらなさそうに仕事をして、職場の人間関係も大切にしていません。
私は彼を、お金を手に入れるために、目の前の愛を削っているように思えてなりません。
愛を感じるために、目の前にある愛を削ってお金を手に入れ、そのお金を使って愛を感じようとしています。
遠回りをしているのです。
仕事を通して、職場の人間関係を向上させていけば、愛を感じるようになります。
しかし、とにかく愛が不足しているからと、お金を手に入れることで頭がいっぱいなのです。
この悪循環を直すためには、どうすればいいのでしょうか。
まず親との関係を正しくすることです。
もつれをほどき、仲を深めることです。
そうすることで、親から愛を感じられるようになり、日常生活でお金のために必死になることはなくなります。
品性のある人は、部屋の物をできるかぎり少なくしようと心がけています。
たくさん持とうとはせず、できるだけ持たないようにしようと心がけます。
たくさん持つと、注意を払わなくてはならない対象も増えます。
2つ持てば、2つを気にしなければなりません。
3つを持てば、3つを気にしなければなりません。
たくさん持てば持つほど、気にしなければならない物が増え、1つあたりに割り当てられるエネルギーが減ってしまいます。
ペットの犬も1匹だからこそかわいいものの、部屋に10匹もいれば、どうでしょうか。
いくらかわいい犬でも、苦労の種となってしまいますね。
1匹ずつに気を向けてお世話をしようとしても、なかなかそう実際にできるものではありません。
どうしても注意が散漫になり、1匹あたりに割り当てる愛情やケアが、減ってしまいますよね。
部屋に物をたくさんおいてしまうことも、同じくそれにあたるのです。
たくさん置けば置くほど、落ち着きがなくなり、整理が難しくなります。
「自分は掃除ができない」という人の部屋は、必ず物が多いものです。
掃除ができないから物が多いのではなく、物が多くなってしまったから掃除が難しくなってしまったのです。
品性は、物が少ないときに出てきます。
物が多いというだけでごちゃごちゃしてしまい、オーラもどこかへ飛んで消えます。
物を少なくして、愛情や心配りを行き届くようにしましょう。
品性のある人は、背中にも目がついています。
前だけに注意を払っているのではなく、後ろにも払っているということです。
目が前にありますから、つい前ばかりを見てしまいます。
後ろは意識をしないかぎり、なかなか気にしないものです。
特にオヤジは、前のことばかりしか考えておらず、後ろのことは考えてもいなければ、視野にも入れていません。
後ろに目がないと、後ろの出来事に気づけません。
自分の行動がいつの間にか、後ろの人の迷惑になっていても、気づくチャンスを失います。
品性のある人は、周りに迷惑がかからない行動をします。
なぜ、周りに迷惑がかからない行動ができるのかというと、後ろにも目があるからです。
前のことだけでなく、後ろのことにもきちんと注意を払い、いつの間にか、後ろに迷惑をかけていないかと気にしているのです。
私は、先日電車に乗るとき、こんな光景を目にしました。
切符を取り出そうと、改札口の前で立ち止まっているのです。
なぜNGなのか、わかりますよね。
改札口の前で立ち止まられては、あとから来る人が改札口を通れないからです。
改札口の目の前で、ポケットや財布を確認している様子でした。
ほかの人を通さないように、邪魔をしているようにさえ見えてしまいました。
後ろには、長い行列ができ、それにもまったく気づいていない様子でした。
後ろで待っている人は迷惑そうな顔をしています。
私も迷惑そうな顔をしている1人でした。
後ろに目がある人なら、自分が今、周りに迷惑をかけていることに気づけます。
改札口の入り口で取り出さなくても、ちょっと横にそれたところなら、迷惑にならずに改札口を通ることができたはずです。
背中に目をつけていないと、こんなことになってしまうのです。
あなたは、むかっとした出来事があったとき、何を思いますか。
ほとんどの人が、単に「むかつくなあ」と思って、それで終わらせてしまうパターンがほとんどのはずです。
深い意味も考えず、そんな出来事は、次の瞬間には忘れてしまおうとしてしまいます。
しかし、むかっとする出来事は、人生では大切な出来事です。
実は、自分の品を高めるために必要な出来事なのです。
怒りやいらいらを感じたときには、感情を高ぶらせて終わるのではなく「自分はやめておこう」と反面教師に変えてしまうのです。
むかつく出来事は、自分を高めるチャンスです。
あなたをむかつかせる人は、すべてが先生です。
反面教師なのです。
ひどいことを言ってくる人や、いらいらさせることをしてくる人は、すべて遠回しにあなたへのメッセージが込められています。
「私のような性格の悪い人になってはいけません。悪い見本です。私のようにならないで」
このように、あなたに対して教えてくれているのです。
立派な反面教師が、あなたのためにわざわざ嫌われ役になり、真剣に教えてくれているということに気づけば、愛が感じられます。
自分が向上することに、一役買っているからです。
品性のある人は、迷惑になるような出来事があったとき「自分はこうならないようにしよう」と反面教師にできています。
ですから、品を身につけることができたのです。
品は、学校では教えてくれませんが、生活するうえでは大切なことです。
品をどこで学ぶのかというと、日常のむかつく出来事から、学ぶのです。
反面教師に変え、学びとっていくことが「学び」です。