突然ですが、今から自分を振り返る時間を、ほんの数分つくってください。
大切なお話をしたいと思います。
あなたはいつのころから「いつか幸せになる」という願いを持ち始めましたか。
従来の成功哲学では「夢を持て」「目標を立てろ」という考えでした。
本屋に駆け込んでください。
何万、何十万冊という本が、あなたに成功哲学を教え、プラス思考というものを教えてくれます。
従来の成功哲学だけではなく、学校教育も、頭にインプットをする教育です。
勉強を言い換えれば「たくさんの偏見を持つ」ともいえます。
「こうしなければいけない」「こうでなければならない」という知識や考えを、インプットします。
信じられないことでしょうが、世の中にあるあらゆる出来事は、愛の表現です。
「ジュースを買う」
「友人をつくる」
あなたは自分が必要とされるような生き方をしていませんか。
たくさんの人から必要とされ、求められるような生き方をしていませんか。
突然ですが、間違った道に進んでいます。
「本当に彼のことが好きなんです。愛しているんです」という悩みの相談を受けることがあります。
片思いの人に「好きな人とどうなりたいですか」と聞くと「付き合いたい」といいます。
「相手のことを本当に愛しているんですよね」と尋ねると「はい、本当に愛しています」と答えます。
信じるためには、まず疑うことです。
疑いが先にあって、次に信じるがあります。
疑うことがなく、いきなり信じてしまうのは、盲目になっている状態です。
「優しい人が好き」
「怒る人は嫌い」
そう決め付けていませんか。
ときどき「個性」の意味を誤解している人がいます。
個性を表現しようと、わざと奇抜なことをする人。
個性を出すつもりで、わざわざ人と違った行動をしようとする人。
親があなたを厳しく叱ってくれるのは、本気であなたのことを考えているからです。
友人からの言葉は、優しい言葉が多いですが、実際は、本心でない場合があります。
「嫌われたくない」「一応、友人だから」という理由から、喜ぶような言葉を選んでいます。
本当に好きなことは、おおっぴらに「これが好きです」と言って公の場では公表しません。
本当に心から好きなことは「けがされたくない」という気持ちが強いからです。
親が、愛するわが子を保護するように、自分にとって大切なことも「保護したい」という欲求が、無意識に強くなります。
あなたは、殺人犯から追われて逃げている。
走っても走っても、追いかけてくる。
「もうダメだ。追いつかれる。殺される……」
「ハイチーズ!」
街なかでは、写真を撮る光景をよく目にします。
写真をなぜ撮るのかと聞くと「いい思い出にしたいから。後で昔を振り返りたいから」と言います。
「自分さえよければいい」
利己的な人は、自分のことしか考えていないため、他人との調和が取れず、生活が傾きます。
自分さえよければいいと思っていると、より良い道を歩んでいるようでも、他人からの協力が得られないため孤立してしまいます。
「忠言は耳に逆らえども行いに利あり」
自分のためを思った忠告は聞きにくいけれど、成長ではプラスになるという格言です。
甘い言葉、優しい言葉は聞き入れやすいですが、どこか嘘があったり、効果が乏しかったりします。
あなたは、人生の計画を立てるとき、どのような計画方法で組み立てていますか。
ほとんどの人が、今から未来を見て、計画を立てています。
「今→未来」という計画の立て方です。
あなたが1からつくれるもの、作ったものは、1つもありません。
すべて、すでにあるものを組み合わせたものの結果です。
私たちは、いろいろなものを創造しました。
生まれたばかりの赤ちゃんは、がらがら音のするおもちゃを手放しません。
振れば、がらがらとなるおもちゃは、赤ちゃんにとって最高の遊び道具です。
しかし、さらに成長すると、がらがらを手放し、積み木で遊ぶようになります。
「やる気が出ない、元気が出ない。ああ、自分はやはりダメな人間だ……」
行動することを精神力の問題にしている人をよく見かけます。
やる気が出なくて、行動できないのは、納得できる理由です。
「夢を持つ。目標を立てる」
従来の成功哲学では、自分で自分の夢を立てるという考えでした。
「自分で自分の夢をつくって、何が悪い!」
自分の背中にごみがついていても、自分では見えませんから、わかりません。
自分の頭の上にハエが止まっていても、本人はなかなか気づけないものです。
顔にごみがついていても、自分では見えません。
意外なところに、けんかの原因は存在します。
その1つが、価値観です。
自分の価値観がけんかの原因になっていませんか。
人間関係にお悩みですか。
悩んだときに、どう改善しようとしていますか。
「どうすれば人間関係が良くなると思いますか」と聞けば、みんなこう答えることでしょう。
大成功を最初から求める人は、失敗する人です。
初めから大きな成功はできないからです。
大成功は、実はたくさんの小成功の集まりであることに気づきます。
意識の上昇を、知識の詰め込みによって実現しようとする人がいます。
しかし、そもそも知識の詰め込みによって、意識の上昇はあり得ないのです。
知識を詰め込みすぎると、先入観ができて、自分の考えに執着してしまい、価値観に縛られるようになります。
仕事に慣れていない人が1日かかってしまった仕事も、経験を積めば、やがて3時間でできるようになるかもしれません。
慣れと熟練が伴えば、いずれ可能となるでしょう。
人間は、順応が早い生き物です。
花が成長するときに、頑張っているでしょうか。
茎を伸ばして、つぼみが開いている花の姿は、根性、忍耐、努力として映っていますか。
いいえ、頑張っていませんね。
人間関係の先延ばしは、人生におけるチャンスの先延ばしです。
仕事の先延ばしなら、なんとか取り返しはつきますが、人間関係についてはあとからと思っても取り返しはつきません。
「大丈夫、取り返しはつく」と思っても、取り返すのは難しいでしょう。
「トラブル=障害」という認識を持っていませんか。
トラブルは壁だというのは、実は幻です。
夢であり、幻想です。
あなたはこれまで、無理をして頑張ったことはありますか。
今まで無理をしたことは、悪い結果に至ったケースが多いのではないでしょうか。
無理をしてうまくいくことは、通常、あり得ないからです。
突然ですが、今から自分を振り返る時間を、ほんの数分つくってください。
大切なお話をしたいと思います。
あなたはいつのころから「いつか幸せになる」という願いを持ち始めましたか。
中学生のころからですか。
高校生のころからですか。
それとも大学生のころからですか。
おそらくあなたはいまだに「いつか幸せになる」という夢を持ち続けているのではないでしょうか。
「今の自分は、まだまだ幸せじゃない」
「もっと幸せになれるはずだ」
そう思っていませんか。
おや、おかしなことに気づきませんか。
昔から追いかけている幸せなのに、いまだにかなっていないのは不思議ではありませんか。
若さも体力も時間も、十分にあったはずです。
それでもまだ、満たされない自分がいるのは、なぜでしょうか。
実は「いつか幸せになる」という努力をしている人は、いつまで経っても幸せになれないという法則があります。
今、恵まれている幸せに目を向けず「もっともっと」と限りなく追いかけているからです。
もう十分に幸せに囲まれているというのに、そんなことは気にもかけていません。
「もっとお金を!」
「もっと愛を!」
「もっと地位と名誉を!」
自分本位に、欲ばかりを追いかけています。
だから幸せになれないのです。
本当はすでに幸せでも、そう感じるセンサーが鈍くなって、幸せが感じられなくなっているのです。
この罠にはまり、一生幸せを感じることなく命を使い果たしてしまう人が大勢います。
あなたも、同じようなことになっていませんか。
自分の恥ずかしさやプライドがあるでしょうが、人生の大切なお話ですから、思いきって自分を正直に振り返ってみましょう。
そろそろ「いつか幸せになる」という夢から、目を覚ましませんか。
「本当はすでに幸せなんだ。喜んでいる自分が、すでにいるではないか」ということに気づくことが、本当に大切なことです。
手に入れるのではなく、気づくのです。
あなたの心臓は誰が動かしているのでしょう。
あなたの遺伝子DNAは、あなたが設計したものですか。
細胞分裂は、あなたの意志で、そうしているでしょうか。
そもそもあなたは、自分で自分をつくりましたか。
どれも、あなたがしていることではありませんね。
自分は生きているのではなく「生かされている」という事実に気づくことです。
生かされているという事実に気づき、感謝をすると、幸せであることに気づかざるを得なくなります。
メーテルリンクの作品『幸せの青い鳥』のように、本当の幸せは、あなたの中にあるのです。
幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、幸せに気づく人が本当に幸せになれるのです。
従来の成功哲学では「夢を持て」「目標を立てろ」という考えでした。
本屋に駆け込んでください。
何万、何十万冊という本が、あなたに成功哲学を教え、プラス思考というものを教えてくれます。
しかし、ちょっと待ってください。
これほど、たくさんのプラス思考の本があふれていれば、すでに世界は平和になっているはずではないですか!
みんなお金持ち、みんな成功者、みんなが悩み知らず、愛と希望に満ちあふれ、幸せな人生を送っているはずです。
しかし、現実はどうでしょうか。
いまだに、現状は改善されず、マイナス思考で考えてしまう自分がいます。
本を読んで一瞬元気になっても、少し経てば、またいつもの自分に戻ってしまいます。
なぜたくさん本を読むのに、いつまでもプラスになれないのでしょうか。
そもそもプラス思考は、知識の吸収とは異なります。
本当のプラス思考とは自分の中から、引き出すものです。
プラスとしか考えようのない現実に「気づくこと」が本当に大切な勉強です。
目の前に美しく輝いている太陽があるのに、それに気づかず「何て現実は暗いんだ」と思っているだけです。
現実は、そもそも明るいのです。
その明るさに気づいていない、あなたに問題があるのです。
「明るい現実に気づくこと」
これが本当のプラス思考です。
本を読んで、知識を吸収することではありません。
気づくことです。
気づくことですから、本来あなたの心のどこかではすでにわかっているのです。
本当のプラス思考とは、気づくことで、自分の中から引き出すものなのです。
従来の成功哲学だけではなく、学校教育も、頭にインプットをする教育です。
勉強を言い換えれば「たくさんの偏見を持つ」ともいえます。
「こうしなければいけない」「こうでなければならない」という知識や考えを、インプットします。
「1+1」は、必ず「2」です。
関が原の戦いは、1600年です。
インプットをすれば、知識が豊富になり、たしかに賢くなるでしょう。
しかし、です。
人工的に作った薬には、何らかの副作用があるように、人間が決めた知識のインプットにも、副作用があります。
勉強の副作用は、主に2つがあります。
まず(1)です。
できなかったときの自分に落ち込んでしまう経験は、誰もが一度は経験のある、心の病です。
「これだけ勉強しているのに、なぜ報われないのだろうか。なぜ成績が上がらないのだろうか。自分は、出来損ないだ」
こうした自己嫌悪の経験があるのではないでしょうか。
自信をつけるためにした勉強によって、さらに自信を失うことになり、悩みが増えてしまう矛盾です。
勉強をすればするほど、絶対に報われるとは限りません。
学校では、競争であり、偏差値の世界です。
ほかの人との兼ね合いもあります。
実際に知識量が増えても、ほかの人がそれ以上に点数がよければ、負けは負けです。
知識、学び、インプットによる競争は、必ずしも報われるわけではありません。
勉強をしても、必ずしも報われない現実があります。
しかし、この副作用は、まだかわいいほうです。
勉強による本当に怖い副作用は(2)の「人を裁いてしまうようになること」です。
一生懸命に勉強をして、知識を吸収する。
学問があり、政治に詳しくなり、世の中に精通すると、どうなるでしょうか。
その得られた知識を持って、あらゆる人・物・出来事などを裁いてしまうようになるのです。
「あの人は、礼儀が悪い」
「うちの両親は、教育が下手だ」
「うちの上司は、なっていない」
「あの国の政治は、ダメだ」
自分の知識に自信ができるほど、それだけ裁く対象も増えます。
たくさん批判をするようになり、いつもぶつぶつ文句を言う人になります。
批判や文句ばかりを言う人は、知識人が多いのです。
本来、幸せになるための勉強が、人との対立を増やし、悩みを増やし、けんかまで増やしている、この矛盾。
宗教家は、派の教書や聖典を読んで学び、たくさんの教えをインプットします。
その得られた知識を持って、人を批判して、ほかの宗派と対立します。
宗教戦争です。
本来、いちばん人を救うべき宗教が、いちばん人を殺している状態です。
今、世の中で人をいちばん殺しているのは、宗教戦争です。
知識をインプットすることで、人を裁くようになり、国を裁くようになり、宗派を裁くようになります。
ささいな言い争いから始まり、ついには、人殺しにまで発展します。
学校では「勉強すれば幸せになれる」と教わりますが、重大な副作用に気づくことです。
デモ隊と警察との衝突、テロ、宗教戦争など、現実では、知識人ほど争いが増えています。
知識をインプットしたことで、発生した対立です。
勉強をして幸せになるという考え方は、狭い見識です。
たくさん薬を飲めば健康になりますよ、ということです。
たくさん薬を飲んでしまうと死んでしまいます。
副作用のことなんて、一切考えていません。
薬は本当に必要なときに、適量を飲めばいいだけです。
もちろん副作用のことも、考慮して、適量を判断します。
勉強も、ただすればいいわけではありません。
必要なときに必要な勉強をして、副作用を考えながら、学んでいくことです。
知識の量が豊富なら、幸せになるとは限らない現実に、気づくことです。
信じられないことでしょうが、世の中にあるあらゆる出来事は、愛の表現です。
「ジュースを買う」
「友人をつくる」
「お金を稼ぐ」
「恋人をつくる」
「本を読む」
「友人とけんかをする」
大げさに言っているのではなく、どれも人が愛を求めるゆえに行動している結果です。
恋愛、勉強、人付き合いだけでなく、けんか、失恋、競争、仲たがい。
すべては、愛による行動です。
出来事そのものは、まったく異なりますが、その奥深くには愛が大本になっています。
愛を求めようと恋愛をします。
人から認められたい、すごいと思われたいから勉強をします。
人から認められなかったときに、けんかをします。
愛を求めるがゆえに、人と別れて失恋します。
仲たがいも、愛があるためです。
自分の行動も、愛が根本の原因となっていることに気づきましょう。
愛されたいから友人を作ったり、勉強をしたり、お化粧したり、髪を切ったり、お金を稼いだり、食事をしたりします。
旅行をしたり、携帯電話を持ったりすることも、愛で心を満たしたい思いが、大本になっています。
逆も言えます。
自分に降りかかる災難と呼ばれる出来事も、すべて愛が表現された出来事なのです。
あなたにクレームを言ってくれる人は、あなたのことをほかの人よりよく見ている証拠です。
けんかも、あなたに成長してもらいたい思いの裏返しです。
親が子どもに厳しくしつけることも、子どもを愛しているからこそです。
石につまずいて転んでけがをすれば、注意が散漫になっていますよという神様からの教えです。
生活習慣病は、食生活が偏っていますよという教えです。
人と接するとき、表面を見るのではありません。
その奥にある、愛を見てみましょう。
すべての人が仲間であり、味方であるということに気づきます。
出来事そのものを、見るのではありません。
出来事の奥にある、愛を見るのです。
すべての行動は、愛のある人の心が大本になっていることに気づくと、人付き合いの恐怖が消えるのです。
あなたは自分が必要とされるような生き方をしていませんか。
たくさんの人から必要とされ、求められるような生き方をしていませんか。
突然ですが、間違った道に進んでいます。
今すぐ修正が必要です。
自分が必要とされる生き方をしてはいけません。
自分がいらなくなるような生き方をしないといけないのです。
必要とされるのではなく、必要とされなくなるような生き方をするのです。
なぜか、おわかりますか。
単純に考えてみれば、すぐわかります。
警察が「もっと必要とされたい」と思うことは、つまり、人殺しや事件が増えればいいということです。
人殺しや事件が増えれば、警察はさらに必要とされます。
医者が「もっと必要とされたい」と思う生き方は、もっと病人が増えればいいということです。
病人が増えれば、患者も増え、たくさんのお金を稼げます。
政治家が「もっと必要とされたい」と願う生き方は、政治や国がもっと乱れてしまえばいいという考えです。
政治や国が乱れていれば、政治家はより必要とされます。
法律家が「もっと必要とされたい」と願う生き方は、対立やいざこざを増やしてしまえという考えです。
秩序乱れる世の中なら、たくさんの法律が必要とされます。
お笑い芸人が必要とされる生き方は「暗い世の中になってしまえ」ということです。
暗い世の中になれば、人は笑いを求め、楽しく笑わせてくれるお笑い芸人を求めます。
親が「もっと自分(親)が必要とされたい」と願う生き方は、いつまでも子どもに自立してほしくないということです。
子どもが未熟なら、いつまでも親は必要とされます。
さあ、気づきましたか。
自分が必要とされる生き方をして、本当に世の中や人のためになっていますか。
本当は「自分が必要とされなくなる生き方」をしなければならないのです。
警察が必要とされなくなれば、事件がなくなり平和な町になったということです。
医者が必要とされなくなれば、病気で苦しむ人がいなくなったということです。
政治家が必要とされなくなれば、平和な国ができたということです。
法律家が必要とされなくなったということは、世の中が秩序正しく整ったということです。
お笑い芸人が必要とされなくなれば、笑顔と笑いにあふれた日常になったということです。
両親が子どもから必要とされなくなれば、子どもは自立ができたということです。
自分が必要とされなくなるような生き方こそ、本来の生き方です。
宇宙と調和し、地球を守り、社会が喜び、人のためになる生き方です。
自分がいらなくなるように、仕事をしていかないといけないのです。
私も今、自分が必要とされなくなる生き方をしています。
HAPPY LIFESTYLEの文章を無料公開しているのは、たくさんの人に幸せに気づいてもらいたいからです。
たくさんの人に幸せになってほしいからです。
お金を払って、初めてコンテンツを紹介するなら、大変限定的になります。
お金のある人が見ることができ、お金のない人は見ることができなくなります。
たしかに私の財布には、たくさんのお金がはいることでしょうが、本当に私がやりたいことではないのです。
お金より、愛が欲しい。
私が本当にやりたいことは「たくさんの人に幸せに気づいてもらって、たくさんの人に幸せになってもらうこと」です。
命を懸けて、その仕事に一生を捧げています。
「HAPPY LIFESTYLEはもういらないね」「水口貴博はいらないね」と言われれば、私の夢が完遂されたと言うことです。
そう言われるように、早くなりたい。
言われて悲しむのではなく、そう言われるようにならないといけないのです。
自分が必要とされなくなる生き方こそ、本当の生き方です。
使命であり、天命です。
本来の仕事ができている証拠なのです。
自分がいらなくなるような生き方を徹底的に全うするのです。
「本当に彼のことが好きなんです。愛しているんです」という悩みの相談を受けることがあります。
片思いの人に「好きな人とどうなりたいですか」と聞くと「付き合いたい」といいます。
「相手のことを本当に愛しているんですよね」と尋ねると「はい、本当に愛しています」と答えます。
私はいつもこの発言に、違和感があります。
自分のことを好きになってもらいたい願いがありますよね。
ここが不自然なのです。
つまり、見返りを期待しているのです。
見返りを求めつつ、返ってこないから、片思いで悩みます。
誤解を恐れずに言えば、片思いとは、見返りを求めた偽りの愛です。
ギブ&テイクです。
見返りを求めているため、本当の愛ではありません。
条件付きの愛なのです。
では、本当の愛とは、どのような状態のことでしょうか。
本当の愛とは「ギブ&ギブ」です。
本当に相手のことを愛していれば、片思いで十分のはずです。
片思いをしつつも、悩むことはありません。
相手が自分のことを好きにならなくても、幸せな人生を歩んでいるなら、自分も幸せになれるはずです。
それが本当の愛です。
相手のことを本当に愛していれば「自分を好きになってほしい」という見返りは期待しません。
本当の愛の持ち主に、片思いという悩みはありません。
「相手がもっと幸せになるために、私は何ができるのか」という悩みを持ちます。
ギブ&ギブこそ、本当の愛なのです。
信じるためには、まず疑うことです。
疑いが先にあって、次に信じるがあります。
疑うことがなく、いきなり信じてしまうのは、盲目になっている状態です。
実際に行動して、トライをして、試したり、見たり、触ったりと疑いの気持ちを持ちながら確認します。
どんなに尊敬できる人がいう言葉でも、すべてを初めから信じてしまうのは、危険です。
もし、信じていたことが間違っていたら、大変なことになります。
本物のダイヤモンドであるかを確かめるためには、まず疑ってみることです。
「これはダイヤモンドです」と言われて「わかりました」と信じるのではありません。
信じたばかりに、偽物を買わされることになる可能性が高いです。
では、どうするのかというと「証拠を見せてください」と疑うのです。
さまざまな鑑定士によって、本物かどうか、確かめてもらいます。
本物のダイヤモンドなら、どんなに疑っても、本物は本物です。
何十回、何百回疑っても、正当性が崩れることはありません。
本物かどうかを確かめるためには、まず疑うことから始めます。
本物は、どんな角度から疑われても、本物である事実は揺らぎません。
やみくもに、信じるのではありません。
心から信じたければ、疑いの気持ちを持って、確認したり、証拠を探したりします。
本物なら、どんなに疑っても本物は本物です。
自分の歩んでいる道が、天命や使命に沿った道かどうかを確かめるためには、いきなり信じるのではありません。
まず疑ってみるのです。
行動をして試してみたり、引き離してみたりと、さまざまな角度から疑ってみます。
本当の天命なら、どんな場面でも、志が折れることはありません。
宇宙から授かった役割が本物である確認は、まず実際にトライをして疑ってみます。
それでも揺るがない本物なら、そこで初めて信じるのです。
「優しい人が好き」
「怒る人は嫌い」
そう決め付けていませんか。
たしかに怒る人は、怖いものです。
しかし、怖いという理由だけで、その人のことを嫌いになるのは、早合点です。
優しさと怒りは、正反対と思われがちですが、誤解です。
実は、同義語です。
表面は異なって見えますが、出どころは同じなのです。
どちらも、愛が出どころです。
優しい人は、愛があるから、優しくします。
また怒る人も、愛があるから、怒ります。
怒るのは、嫌いだからではありません。
本当に嫌いなら、無視をするはずです。
ほかの人以上に、あなたのことを真剣に考えているからこそ、本気になってわざわざ叱ってくれるのです。
お釈迦様の優しい表情と、鬼の険しい表情があります。
まったく正反対の表情ですが、どちらも愛の表れです。
お釈迦様は、愛があるから、優しい表情でほほ笑みます。
鬼は、愛があるから、本気になって怒ります。
私たちは、相手の表情だけを見て「いい人」「悪い人」と決めてしまいがちです。
しかし、気づきましょう。
本当に見るべきは、表面にある表情より、心の奥にある愛です。
愛があるから「優しさ」と「怒り」が発生します。
悲しんで泣くことも、同じです。
泣き虫は、弱いから泣いているのではありません。
愛があるから、悲しんで泣いているのです。
心が愛であふれているから、涙を流しています。
悲しみが最初にあるのではなく、最初に愛があります。
愛がなければ、悲しいと感じることはなく、もちろん涙を流すこともありません。
楽しいことも、愛の表れです。
心が愛で満ちあふれているから、笑います。
「喜怒哀楽」は、4つの感情を表現した言葉です。
どれも出どころは、愛なのです。
愛があるから、喜び、怒り、悲しみ、楽しむのです。
私たちの人生は、まったくもって愛に囲まれている状態です。
このことに気づくと、生きていることが幸せでたまらないのです。
ときどき「個性」の意味を誤解している人がいます。
個性を表現しようと、わざと奇抜なことをする人。
個性を出すつもりで、わざわざ人と違った行動をしようとする人。
個性的に思われたいから、流行のファッションを追いかける人。
目立ったり変わっていたりすれば、何でも個性になると言わんばかりの行動です。
たしかに行動は特徴的ですが、これらを個性とするのは違和感があります。
それは、ただ目立つためにしている行動にすぎません。
奇抜な行動をするのが、個性とは限りません。
人と違ったことをするのも、個性とは限りません。
流行のファッションを追いかけるのも、個性とは限りません。
それらは見栄や虚栄心であり、個性とは限らないのです。
では、個性とは何か。
個性とは「自分らしさ」です。
自分に特有の性質であり、性格です。
無理に演じたりすることではなく、ありのまま自然と表現されることです。
自分の外側にあるのではなく、内側にあります。
たとえば、話し方です。
話し方も個性です。
話し方は、人それぞれ微妙に違います。
もごもごした話し方、はきはきした話し方、明るい口調の、重たい口調の話し方。
話せるのは普通のことに思えますが、そこには個性が表現されます。
性格も個性です。
性格は一人ひとり違います。
真面目な性格、穏やかな性格、せっかちな性格、怒りっぽい性格。
考え方や価値観も、そこに「自分らしさ」があるなら、個性の1つです。
周りに流されず、その人の本来の性格こそ、個性です。
ファッションも、個性が表れる部分の1つです。
奇抜なファッションが個性とは限りません。
流行のファッションを取り入れて、それを自分の個性を勘違いしないことです。
自分が好きで心地よいと感じるなら、個性の表れているファッションと言えます。
誰かの真似をすることでもなければ、無理やり奇抜になることでもありません。
他人の価値観を盲信することでもなければ、わざと反抗的になることもでもありません。
あくまで自分らしさの表現こそ、個性です。
ありのままの自分を表現した結果、目立ったり変わったりしているならいいのです。
あくまで自分らしさを表現しているのですから、個性の表れと言えます。
「自分らしさ」を大切にしましょう。
心の声に耳を傾け、正直に従うのです。
「自分らしさの表現=個性の表現」です。
自分の個性を知っておくことは重要です。
人生を選択する場面では、自分の個性を考慮することが必須だからです。
自分の個性がわかっていないと、判断を誤る可能性が高くなります。
個性の意味を誤解していませんか。
個性の意味をきちんと理解することで、自分の本当の個性に気づけます。
親があなたを厳しく叱ってくれるのは、本気であなたのことを考えているからです。
友人からの言葉は、優しい言葉が多いですが、実際は、本心でない場合があります。
「嫌われたくない」「一応、友人だから」という理由から、喜ぶような言葉を選んでいます。
「すごいね」
「偉いね」
「きっと大丈夫だよ」
口では応援したり、励ましたりします。
しかし、どれも心からそう思っているとは限りません。
本当に相手のことを思っていれば、本当は相手が聞きたくない言葉ばかりを言うはずです。
相手が嫌がるような行動、言葉、表情になります。
「もっと勉強したほうがいいんじゃない」
「最近、たるんでいるよ」
「偉そうなところが嫌い」
本気であなたのことを考えてくれている人は、好かれようとするのではなく、嫌われるような役をします。
本気であなたのことを考えているからです。
親が、あなたに怒鳴ったり、叱ったりできるのは、本当にあなたを思っているからこそできるのです。
親は、子どもから嫌われることが仕事ですが、そんな仕事ができるのも、あなたのことを本気で考えてくれているからです。
「子どもに嫌われてもいいから、幸せにしたい」という本物の気持ちが、具体的な行動として表れています。
誰もが嫌われたくないと思います。
もちろん親も子どもから嫌われたくないと思っています。
しかし、嫌われるようなことをしてくれる親は、嫌われてもいいから、本気で子どものことを考えている人なのです。
友人からの「頑張れ」という応援より、何十倍、何百倍も本気で応援してくれている姿なのです。
親の喜怒哀楽は、本物の愛の表れです。
本当の友は、嫌われるようなことをする人のことなのです。
本当に好きなことは、おおっぴらに「これが好きです」と言って公の場では公表しません。
本当に心から好きなことは「けがされたくない」という気持ちが強いからです。
親が、愛するわが子を保護するように、自分にとって大切なことも「保護したい」という欲求が、無意識に強くなります。
守ろうとする気持ちは、大好きだという気持ちの表れです。
大切なものほど、保護したい気持ちが強くなります。
大切なフィギュアほど、ケースの中にしまい、傷をつけないように気をつけます。
「傷つけたくない」は「大切なことである」という証拠です。
私も小さなころから、隠れて本を読んでいました。
自分を高めるような哲学や自己啓発の本を、誰にも見つからないように、こそこそと読んでいました。
なぜ隠れてしていたかというと「邪魔をされたくなかったから」です。
本当に好きなことを取り上げられると、子どもの私は失望どころか、絶望してしまいます。
褒められなくてもいいから、毎日のように、誰にも知られずこそこそとしていたことは、本当に好きなことでした。
隠れてしていた理由は、好きなことを取り上げられないようにと保護していた状態だったのです。
あなたが隠れてしていることは、何ですか。
それがあなたの好きなことなのです。
あなたは、殺人犯から追われて逃げている。
走っても走っても、追いかけてくる。
「もうダメだ。追いつかれる。殺される……」
そんなとき、ぱっと目が覚める。
実は、夢であったことに気づく。
しかし、呼吸は荒く、心臓は激しく鼓動し、全身は汗でびしょぬれになっている。
「なんだ。夢だったのか……」
夢を見ている間は、夢だとは気づきません。
現実ではありません。
しかし、ありもしない現実に、体が反応しています。
実は、夢から覚めてあなたが見ている現実も、まだ夢の中なのです。
起きている状態さえ、まだ夢の中です。
「はあ? 何を言っているんだ? 現実は現実だろ」
夢を見ている最中は、夢だと気づかないように、あなたが今、現実だと思っていることも実はまだ夢の最中なのです。
それに、なかなか気づけない。
信じられないかもしれませんが、事実としてお伝えします。
あなたが見ている現実が、まだ夢であるテストをさせてください。
簡単な質問をするだけです。
以上の項目に、1つでも当てはまる項目があれば、あなたはまだ夢の中という証拠です。
幻であり、幻想であり、夢だからです。
あなたは、死の直前に、ようやく夢に気づくことでしょう。
「もうこれで私の人生は終わりだ。人生が終わり……?」
「今まで手に入れたお金、家、地位や肩書、自分の肉体。何もあの世へ持っていけないではないか」
「持っていけもしないことに、私はこれまで一生懸命になっていたのか……夢だった、幻だった……」
死の直前になり、ようやく「目が覚める」のです。
大して意味のないことに、振り回され、一生懸命になり、対立や競争をしていたのです。
そんな状態は、夢の中で呼吸が荒く、心臓は激しく鼓動し、全身が汗でびしょぬれになっている状態と変わりありません。
本当は、ないのです。
ありもしない現実に、もがき苦しんでいた状態です。
死の直前になり、私たちはようやく目が覚めるのです。
ありもしないことに、今までずっと振り回されていたのだと。
臨死体験をした人には、死にそうになった体験と引き換えに、現実という夢から覚めている人が多いものです。
「あの世へは何も持っていけない」ということを体感したため、幸いに一命を取り留めた後、献身的な活動をする人が多い。
夢から覚めると、現実が変わります。
別のものを求めるようになります。
お金でもなく、地位や肩書、見栄、プライドでもありません。
さらなる愛を求めるようになります。
「個と全体の一体化」を求めるようになるのです。
それを悟ることができた人こそ、本当に現実を生きることができるのです。
本当の現実は、愛しかありません。
そもそも私たちは1つなのだということに気づき、それに従う生き方をしようとします。
お金より、地位や肩書プライドより「あなたと私のつながり」、それだけでいいと思うようになるのです。
「ハイチーズ!」
街なかでは、写真を撮る光景をよく目にします。
写真をなぜ撮るのかと聞くと「いい思い出にしたいから。後で昔を振り返りたいから」と言います。
しかし、現実には過去はありません。
あとから写真を眺めて過去だと思っても「過去が写った写真を見ている今」であって、過去ではないのです。
過去そのものは、存在しません。
過去とは、観念の世界。
頭の中だけで、あると思っている想像の世界。
あなたが過去のために一生懸命になっていることも、実は幻想です。
ありもしないことに振り回されている状態です。
未来も同じです。
未来をいくら思い描いても「未来を考えている今」であって、未来ではないのです。
あるのは「今」だけ。
「過去」と「未来」は、あなたの頭の中で想像している世界です。
本当はありません。
現実は、常に今しかありません。
過去に生きることも、未来に生きるということも、1秒たりともできません。
私たちは常に、今だけを生きているのです。
一生懸命になるべきは、今のみです。
ありもしない過去と未来はもう考えなくていい。
集中すべきは、今だけです。
「自分さえよければいい」
利己的な人は、自分のことしか考えていないため、他人との調和が取れず、生活が傾きます。
自分さえよければいいと思っていると、より良い道を歩んでいるようでも、他人からの協力が得られないため孤立してしまいます。
自分のためにだけに生きる生き方は、必ずどこかでつまずきます。
「人のために生きます!」
献身的なボランティア活動をしている人は、人のためとはいいますが、往々にして自分の生活は傾いている場合が多い。
人のためばかりに尽くしてしまうと、自分の生活がおろそかになります。
人のためにだけに生きる生き方も、必ずどこかでつまずきます。
「人のために生きる人生」と「自分のために生きる人生」
私たちは、どちらの人生を歩めばいいのでしょうか。
どちらのほうが、いいと思いますか。
少し欲張ってみましょう。
「自分のため」と「人のため」の両立ができる生き方は、理想の人生です。
自分のためにしていることが、人のためになればいいのです。
片方だけではいけません。
両方が同時に実現するような生き方が、ベストな生き方です。
自分の生活が豊かになり、他人の手助けもできます。
「自分のためにも、人のためにもなる、生き方」
これが本当の素晴らしい人生なのです。
テレビで活躍する名俳優は、自分が楽しみ、人を楽しませている人がいます。
そういう人こそが、大きな舞台で活躍できる人です。
日本を代表する演歌歌手である北島三郎さんは、小さいころからずっと演歌を歌い続けている歌手のプロです。
自分が喜びにあふれて歌っている演歌が、同時に聞く人たちの感動へとつながっています。
自分が喜び、他人が同時に喜ぶという素晴らしい生き方です。
おいしい話に聞こえますが、人生はそのくらいおいしい生き方をしていいのです。
「自分のためだけ」「人のためだけ」というのは、控えめな生き方です。
それほど控えめでなくても、堂々と両方を実現する生き方をすればいいのです。
あなたが喜びと感じることを、ただ一生懸命に楽しむだけでいい。
それはいずれ、人のためにもなります。
「忠言は耳に逆らえども行いに利あり」
自分のためを思った忠告は聞きにくいけれど、成長ではプラスになるという格言です。
甘い言葉、優しい言葉は聞き入れやすいですが、どこか嘘があったり、効果が乏しかったりします。
本当に自分のためになる言葉は、厳しくて聞き入れにくい言葉です。
「良薬は口に苦し」という言葉もありますが、よく効く薬ほど、拒否反応があります。
友人も同じです。
あなたは、本当の友人を勘違いしていませんか。
本当の友人とは、優しい言葉をかけてくれる友人のことではありません。
あなたのことを褒めたり、優しくなだめたりしてくれる人ではありません。
それは、あなたに嫌われたくないと演じているだけで、仮面をかぶっているのです。
あなたに厳しいことを言ってくれる人こそが、本当にあなたを思っているのです。
「良薬は口に苦し」という言葉を言い換えて「良友は心に痛し」です。
あなたに当たり障りの良いことを言う人は、友人だと思っても、どこか気持ちが薄いものです。
普段から優しい友人は、いざ困って「助けて」とお願いしても「ちょっと用事があって……」と軽い言葉で逃げてしまいます。
本当の友人ではないからです。
普段は優しい言葉をかけてくれる友人も、いざ助けを求めると、しっぽをまいて逃げてしまいます。
嫌われたくないから、相手が喜ぶような答えを選んでしまうのは、本当の友人ではありません。
本当の友人は、聞きたくないような厳しいことを言ってくれます。
「あなたの恋愛は、遊ばれているだけだと思うよ」
「そんな調子だと大学、受からないよ」
「もっと真剣に将来のこと、考えてよ!」
一触即発でけんかになりそうなとげのある一言を、どんどん言ってくれます。
それは本当にあなたのことを考えてくれている友だからこそ、言えるのです。
真の友は、嫌われることを覚悟で、あなたの身になって言ってくれます。
私は学生時代、坂本君という友人がいました。
今このように、パソコンに詳しくなったのは、坂本君のおかげと言っても過言ではありません。
しかし、当初、私と坂本君は、仲が悪かった。
理由は単純です。
坂本君からの言葉は、どれも私が聞きたくない言葉であり、とげがあったからです。
「全然ダメ」
「そうじゃないよ」
「まったくわかっていない」
ひどい言葉をどんどん私に浴びせますが、彼の言うことに嘘はありませんでした。
できないことを「大丈夫だよ」と言ってくれるより「ダメ」と本当のことを言ってくれるほうが、自分のためになります。
心に痛いことでも、本当のことをずばり言ってもらったほうが、友は成長できるのです。
坂本君は私のことを思って、ずばり言ってくれているのでした。
パソコンに詳しい坂本君の言うとおりにしていると、本当にうまくいきます。
知っている人のアドバイスは大変頼りになります。
初めは大嫌いだった坂本君でしたが、後にとても仲良くなります。
「良友は心に痛し」です。
あなたは、人生の計画を立てるとき、どのような計画方法で組み立てていますか。
ほとんどの人が、今から未来を見て、計画を立てています。
「今→未来」という計画の立て方です。
しかし、よく考えましょう。
未来というのは、抽象的で曖昧だとは思いませんか。
未来とは、いつのことでしょうか。
1年後でしょうか。
10年後でしょうか。
30年後でしょうか。
たとえ、1年後でも、10年後でも、必ずそのときまで生きているという保障はありません。
未来がはっきりしていないために、具体的な計画が立てられないのです。
もしかしたら1年後には、もう死んでいるかもしれません。
今から未来への目標は、なかなか具体的な指標にはなりにくい。
しかし、ただ1つ必ず、絶対に訪れる具体的な未来があります。
「死」という逃れようのない現実です。
あなたがこの世における最終到着地点は、死という現実です。
紛れもない、曲げようのない、逃げようのない、絶対的な真実です。
本当の計画を立てるためには、いちばん遠いところから立てていかないといけない。
死といういちばん遠いゴールから今へ向けて、計画を立てることが大切です。
死の時を迎えたとき、あなたは何を思って逝きたいか。
心残りはないか。
後悔することはないか。
それらを手がかりに死の瞬間から今を考えるのです。
ゴールが見えたとき、初めて走り方を調整できます。
今から未来を考えるのではありません。
それは未来がはっきりしませんから、なかなかうまい計画を立てにくい。
未来から今を考えるのです。
死の瞬間から今を考えるのです。
死ぬときに後悔しないような人生を思い描き、その実現のために今、何ができるかと想像して行動します。
それが最も正確な計画の立て方です。
あなたが1からつくれるもの、作ったものは、1つもありません。
すべて、すでにあるものを組み合わせたものの結果です。
私たちは、いろいろなものを創造しました。
電球、自動車、パソコン、携帯電話。
しかし、これらは、作ったのではなく、組み合わせたものなのです。
「こういうものがあればいいな」という人の心が映し出された結果なのです。
エジソンは「夜に明るく輝く電球を発明したい」という心が先にあって、実現のために、すでにあるものを組み合わせてつくりました。
電球は明るく輝きますが、肝心の光まで、エジソンが作ったものでしょうか。
電球のガラスもエジソンが作ったものでしょうか。
いいえ、エジソンは光もガラスもつくることができません。
エジソンは、すでに存在しているものを、うまく組み合わせて、それを「発明」と呼んでいるだけです。
また自動車は鉄でできていますが、鉄は人間が作ったものですか。
燃料に使うガソリンは人間が作ったものですか。
電気は人間が作ったものですか。
最初からすでに存在しているものを「第一念」といいます。
神様が念じて作ったもの、宇宙が念じて作ったものということです。
私たちがしていることは、すべて組み合わせているだけです。
「あんなものがあればいいな。こんなものがあればいいな」という夢を描き、組み合わせて、現実に登場しているだけです。
すでにある第一念を組み合わせて、できたものを「第二念」といいます。
「こんなものがあればいいな」ともう一度念じて、夢に描き、組み合わせて作ったものということです。
本当は、人間が1からつくれるものは、1つもないのです。
家も組み合わせたのは人間ですが、もともとある素材(木)を作ったのは、宇宙です。
そもそも私の体も、私が作ったわけではありません。
細胞、タンパク質、DNAなどからできていますが、細胞、タンパク質、DNAも私が作ったものではありません。
私がつくれるものでもありません。
この「自分が作ったものなど1つもない」という現実に気づくと、必ず人は謙虚になります。
自分は、生きているのではなく、生かされていることに気づくからです。
世の中に、自分が作ったものなど1つもないのですから、感謝をするしかありません。
横柄な人は「これは俺のもの」「これは俺が作った」「これは俺が発明した」と自己主張をします。
しかし、そんな人ほど、人間が1から作ったものなど1つもないという本当の事実に気づいていないのです。
権利争い、著作権問題といった、面倒くさい問題を引き起こしています。
そもそも自分が作ったものではないのですから「これは私のものだ」という主張そのものがおかしいのです。
元をたどれば、すべて宇宙が作ったものなのです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、がらがら音のするおもちゃを手放しません。
振れば、がらがらとなるおもちゃは、赤ちゃんにとって最高の遊び道具です。
しかし、さらに成長すると、がらがらを手放し、積み木で遊ぶようになります。
積み木のほうが面白くて、価値が高いと感じ始めたからです。
組み合わせにより、さまざまな遊び方ができる積み木は、がらがら以上に奥深いおもちゃです。
しかし、さらに成長すると、積み木を手放し、テレビゲームをするようになります。
テレビゲームのほうが、より面白く、価値があると感じることができているから、積み木を手放すことができました。
客観的に見ると「捨てることの繰り返し」です。
人間は成長するにつれて、より価値の高いものを発見し、手放すことを繰り返します。
今、手にしているものを手放せることができるようになるということは、より大切なものを見つけたということです。
より価値の高いものを求めるようになったということは、あなたの精神が成長しているということです。
意識が高くなり、より価値の高いものを求め始めるようになったとき、ほかにもっと素晴らしいものはないかと探し始めます。
さらに価値の高いものを見つけたとき、今、執着しているものを、手放せます。
がらがらを捨てた子どもは、成長できたという証しなのです。
積み木を捨てることができた子どもは、さらに成長できたという証しです。
テレビゲームを始めるようになったのは、さらに成長したという証し。
次に、テレビゲームを捨てることができるようになったときには、さらに価値あるものを見つけたときです。
次元が高くなっているのです。
成長は「捨てる」という行為に表れます。
あなたもより価値のあるものを求め、意識を高めるのです。
本当の成長は、捨てることができるようになったとき。
手放すことを恐れなくてもいいのです。
むしろ、手放せるようにならないといけないのです。
「やる気が出ない、元気が出ない。ああ、自分はやはりダメな人間だ……」
行動することを精神力の問題にしている人をよく見かけます。
やる気が出なくて、行動できないのは、納得できる理由です。
しかし、気持ちが先にあって行動するのではありません。
行動が先にあって、気持ちが出てくるのです。
人間は、体を動かしていると、だんだんやる気や元気が出てくるようになっています。
自家発電と同じです。
まず体を動かさないと、やる気・元気という気力も発電されないのです。
朝起きたときは眠くても、体を動かしているうちに、目が覚めて元気が出てくるということはありませんか。
「眠い。今日も学校か」と寝起きにやる気はなくても、着替えや食事など、体を動かすうちに元気が出てきます。
体を動かしているから、やる気・元気が出てくるのです。
やる気・元気が出てから、体を動かすのではありません。
やる気・元気は自家発電なのです。
とにかくまず体を動かしましょう。
気持ちは、最初からなくてもいいのです。
「夢を持つ。目標を立てる」
従来の成功哲学では、自分で自分の夢を立てるという考えでした。
「自分で自分の夢をつくって、何が悪い!」
そうなのです。
大変失礼ですが、自分で自分の夢をつくってはいけないのです。
つくらなくても最初からあるからです。
あなたがするべきことは、自分の夢を立てることではなく、もともとある自分の天命に気づくことです。
従来の成功哲学では、本人の性格や個性を無視して、社会的な地位を基準にした夢の立て方になっていました。
しかし、本人の性格や個性を無視して本当にうまくいくのかといえば、疑問が残ります。
「自分の会社を持つ」夢を持ち会社をつくっても、会社経営に興味や才能のない人が社長になっては、うまくいくはずがありません。
会社が悪いのではなく、部下が悪いのでもなく、そもそも目指す方向そのものが間違っていたのです。
初めからある自分の個性を無視して、社会的地位を基準にして目標を立てると、ずれた人生へと傾いてしまいます。
ヒマワリの花を、バラの花に咲かせることはできませんね。
バラになるような努力はできても、残念ながら無駄な努力に終わります。
自分というものを、無視した生き方になっているからです。
最初から、ヒマワリになるための遺伝子が組み込まれているのですから、それに従って生きていくしかないのです。
ヒマワリのタネは「自分はヒマワリのタネだ」と自覚をして、ヒマワリらしく生きるとき、その夢が最も開花されます。
自分は何者かを知り、自分の個性、特徴、性格を知り、自分をもっと伸ばして生かす道こそが、本当に歩むべき道なのです。
「まずは自分を知ること」
すべての歩みは、ここから始まるのです。
夢を持って、目標を立てなくても、最初からあるのです。
あなたがするべきことは、その天命に気づくこと。
自分は何者かを知ること。
チューリップの花も、バラの花も、見た目は同じようなタネです。
しかし、何のタネなのかがわからないことには、育て方もわかりません。
何のタネかさえわかれば、おのずから育て方や将来なるべき姿がわかります。
まず、己は何者かを知り、その特性や特徴を知ったうえで、伸ばす生き方をするのです。
自分を生かす生き方こそ、天命であり、使命であり、進むべき本当の道です。
従来の成功哲学では、本人の性格や個性を無視して、ただ私利私欲を基準に夢を立てよというものでした。
しかし、本当の成功とは、本人の性格や個性を生かして、社会に生かす方法です。
本当の自分を知り、役割どおりに生きれば、その瞬間から成功者になれるのです。
100%になれるのです。
自分の背中にごみがついていても、自分では見えませんから、わかりません。
自分の頭の上にハエが止まっていても、本人はなかなか気づけないものです。
顔にごみがついていても、自分では見えません。
自分で自分の悪いところを見つけようというのは、言葉では簡単に言えても、なかなか難しい。
しかし、他人なら、たやすくできてしまいます。
客観的な視点からは、良いところだけでなく、悪いところまでよく見えます。
自分の背中についているごみ、頭の上に止まっているハエ、顔についているごみ、これらは他人から見れば一目でわかります。
自分で自分の欠点を見つけるためには、自分で探すより、他人に探してもらったほうが早いのです。
他人からはすぐ見えますから、あなたに教えてくれます。
しかし、その教えは、往々にして、批判や悪口に聞き間違えている人が多いのです。
「こうしたらどうですか」という助言に「偉そうなことを言うな」と思い、反発してしまう。
「最近、顔色が悪いよ」という友人からの一言に「そんなことはない!」とせっかくの助言を無視する。
「机の上が散らかっているよ」という言葉に「うるさい」と返してしまう。
本当はあなたを思って言ってくれているのに、あなたは批判と受け取ってしまい、相手にマイナス感情を抱いてしまいます。
本当は感謝なのです。
批判どころか、むしろ、ありがたく思わなければいけません。
素直に受け止めて、改善したほうが、自分のためになります。
助言を、批判と聞き間違えていませんか。
意外なところに、けんかの原因は存在します。
その1つが、価値観です。
自分の価値観がけんかの原因になっていませんか。
気楽な人生を送るためには、自分の価値観は捨てる必要があります。
けんかの多い人は、勉強家で強い価値観を持ち、執着しているのが特徴です。
その結果、強い主張を口にします。
「これは正しい」
「これは間違っている」
今まで学んできたことを基準に善悪を判断します。
勉強家ですから自分の知識には自信があります。
自分のが自信を持って判断している基準とは違ったことをしている人を、強く非難します。
「あの人は、なっていない!」
「あの人は、まだまだ子どもだ」
「あの人は、頭がおかしい」
感情的な言葉で中傷し始める。
正しいことを言っているようですが、本当の問題は価値観に固執しています。
価値観は、人間が決めている不安定な要素です。
価値観は、国・言葉・文化ごとに変わります。
何がいちばん大切なのかというと、どれでもない。
どれでもないのに、自分の価値観がいちばん正しいと思い込みます。
一生懸命に熱心に勉強した人ほど、自分の知識に自信を持つと同時に、価値観も持ちます。
勉強熱心であるほど、揺るぎない価値観があり、頑固な人が多い傾向があります。
「私の考えがいちばん正しい」
「違う。自分の考えこそいちばん」
けんかの多くは、価値観の衝突です。
価値観とは「こうでなければならない」という考えです。
どうすれば、けんかが減るのか。
自分の価値観を手放したとき、けんかがなくなります。
価値観を手放すとは「こうでなければならない」を捨て「こうでなくてもいい」「こうでもいい」と考えることです。
価値観への執着がなければ、ぶつかりようがありません。
人間関係にお悩みですか。
悩んだときに、どう改善しようとしていますか。
「どうすれば人間関係が良くなると思いますか」と聞けば、みんなこう答えることでしょう。
「あの人さえ変われば、よくなるのに」
問題の原因を、相手のせいにしてしまいます。
あなたの言うとおり相手が変われば、状況は改善して、よくなるでしょう。
しかし、きっと相手も同じことを考えていることでしょう。
「あの人さえ変われば、よくなるのに」とお互いが思い合っているままですから、いがみ合いが続き、なかなか状況は変わりません。
「自分は変わらない。相手が変われ!」
そう、思い合っているのです。
自分は変わらないくせに、相手ばかりを変えようと望んでいるのです。
人間関係改善の鉄則は、相手を変えるより、自分がまず変わることです。
相手を変えることは難しいですが、自分を変えることは、自分しだいですからすぐ実行できます。
人間には、相手に改善を求める癖があります。
だからなかなかよくならないのです。
状況改善のポイントは、常に相手ではなく、自分に求めましょう。
自分が変われば、必ず相手も変わります。
大成功を最初から求める人は、失敗する人です。
初めから大きな成功はできないからです。
大成功は、実はたくさんの小成功の集まりであることに気づきます。
小さな成功の結晶が、大成功です。
しかし、そんな成功も、さらに近づいてよく見ると、小さな失敗の集まりであることに気づきます。
たくさんの失敗の塊が成功であり、たくさんの成功の塊が大成功なのです。
いきなり大成功というのは、この世の理に反していることであり、あり得ないのです。
あなたの体が1つであるのは、たくさんの細胞の塊です。
大成功という塊は、たくさんの成功の塊であり、成功は失敗の塊なのです。
まずあなたが大成功へ近づくためにしなければならないことは、失敗です。
失敗をして、初めてほんの少し成功に近づけます。
100の失敗をして、1の成功を得ることができ、100の成功を得ることができて、1の大成功を収めることができます。
大成功は、数多くの失敗という屍の上に成り立っていることなのです。
あなたは、初めから大成功を求めていませんか。
初めに求めることは、成功ではなく失敗なのです。
意識の上昇を、知識の詰め込みによって実現しようとする人がいます。
しかし、そもそも知識の詰め込みによって、意識の上昇はあり得ないのです。
知識を詰め込みすぎると、先入観ができて、自分の考えに執着してしまい、価値観に縛られるようになります。
それは決して意識が高くなった状態ではないのです。
高くなっているような気がしているだけです。
そもそも意識を高めるために、勉強をすることはおかしな話です。
高く気球を上げたいからと、たくさんの荷物を詰め込んでいるような矛盾なのです。
気球が高く上がるためには、できるだけ軽くなければなりません。
たくさんの荷物を持っていれば、いざというときに頼りになるから便利だと思ってしまいますが、実は邪魔になっているだけです。
たくさん持ちすぎている状態では、重くて高く上がることができません。
高く上がるためには、できるかぎり軽くなることです。
意識の上昇のためには、まず物心ともに軽くなければならないのです。
軽くなって初めて、高く上がることができ、遠くまで見えてくるようになります。
知識を捨て、先入観を捨て、価値観を捨て、部屋の物を捨ててこそ、初めて意識は上昇します。
仕事に慣れていない人が1日かかってしまった仕事も、経験を積めば、やがて3時間でできるようになるかもしれません。
慣れと熟練が伴えば、いずれ可能となるでしょう。
人間は、順応が早い生き物です。
しかし、10分ではどうでしょうか。
それは、もはや人間の限界になります。
人間技ではありません。
個人の力には、限界があります。
強い人は、個人の力は強いですが、プライドが高いために、他人の協力を借りようとしません。
「自分だけですべてを成し遂げるんだ」と、意地を張ります。
他人の協力を借りようとせず、自分が強くなることで、成し遂げようとします。
強いですが、実は弱いのです。
弱い人は、強い人より強くなります。
自分の弱さを自覚し、他人への助けを積極的に借りようとするからです。
しかし、そんなとき弱い人は、潔く自分の弱さを認め、他人の協力を求めようとします。
「1人ではできないから、手伝ってほしい」
10人の協力が得られれば、1日かかる仕事も、10分で終わらせることができることでしょう。
100人の協力があれば、1分でできるかもしれません。
仕事の量にもよりますが、どんなに弱い人でも、たくさんの協力が集まれば、強い力になります。
あなたは、1人で強くなろうとしていませんか。
慣れ・熟練・トレーニングしだいで、今以上にうまく、賢く、速く、強くなるでしょう。
しかし、1人の力には限界があります。
「1人で強くなろう」という考え方から「協力によって強くなろう」という考え方にシフトしましょう。
あなたがもっと強くなるには、集団による協力を得て強くなることが必要なのです。
花が成長するときに、頑張っているでしょうか。
茎を伸ばして、つぼみが開いている花の姿は、根性、忍耐、努力として映っていますか。
いいえ、頑張っていませんね。
花は、自然の力によって、成長しています。
自然に身を任せた成長が、最も健全なる成長であり、生き生きした生き方です。
「頑張っている」ということは、不自然であるということです。
人間は、本来、頑張らなくても生きていけるようにできています。
頑張りなさいという応援を言い換えると「自分の限界を無視して無理をしなさい。不自然になりなさい」と言っていることです。
友人からの「頑張れ!」という応援を受けると、つい、頑張ってしまいます。
しかし、頑張る必要はないのです。
みんなが応援するゆえに「頑張ることは良いこと」という認識があります。
頑張った生き方をすると、一時的に強くなれますが、長期で見ると、苦しくなります。
マラソンでマイペース以上に速く走ると、一時的に早く走ることはできても、しばらくして息切れを起こしてしまいます。
結果として、ペースダウンしたり棄権したりする可能性が大きくなります。
「頑張れ!」と応援することは、息切れを起こしている人に「もっと速く走れ!」と言っているようなものです。
不自然です。
限界に近づいているのですから「頑張るな」という応援のほうが適切です。
頑張った生き方は、不要です。
花は、頑張れという応援がなくても、立派に成長できます。
人間も本来、頑張れという応援がなくても、立派に成長ができるのです。
人間関係の先延ばしは、人生におけるチャンスの先延ばしです。
仕事の先延ばしなら、なんとか取り返しはつきますが、人間関係についてはあとからと思っても取り返しはつきません。
「大丈夫、取り返しはつく」と思っても、取り返すのは難しいでしょう。
「ありがとう」は今度会ったときに言おうと思っていると、言うことを忘れてしまっています。
感謝を伝える瞬間は、お世話を受けた瞬間です。
お世話をされて感動した瞬間はあとから二度とないように、感謝を伝える瞬間も、そのときだけです。
あとから言えばいいと思っていると、言うタイミングを逃してしまいます。
初対面の人と「今、仲良くしておこうかな。面倒だから、今度でいいか」と気を抜いていると、チャンスは遠ざかっていきます。
もしかしたら、二度と会うことがないかもしれません。
出会って、その日のうちに仲良くなれるだけ仲良くなっておくほうがいい。
後回しにしていると、気持ちも冷めてしまいます。
人間関係も冷めてしまいます。
「鉄は熱いうちに打て」という言葉がありますが、鉄に限らず、人間関係にも大いに当てはまります。
気持ちが熱いときに仲良くなるほうが、第一印象が良くなり、結果として関係が続くのです。
「人間関係」に関することは、先に延ばさないように注意しましょう。
「トラブル=障害」という認識を持っていませんか。
トラブルは壁だというのは、実は幻です。
夢であり、幻想です。
人間が勝手に、そう思っているだけの話です。
短い期間と狭い視野で考えているため、障害であるように感じてしまうだけです。
人生全体という長い期間で考えると、トラブルは必ず自分を成長させてくれる栄養であることに気づきます。
「なんだ、トラブルなんて最初からなかったんだ。それが幸せだったんだ」ということに気づきます。
障害どころではなく、トラブルこそが幸せの扉を開く鍵であることに、気づきましょう。
そう思えない現実は、まだ夢を見ている証拠です。
自分が最高の人生を終えて死を迎えるとき、過去のトラブルは、すべて自分の栄養になっていることに気づきます。
長期間と広い視野を考えると、必ず真実が見えてきます。
幸せの扉の鍵は、いきなり手に入るのではありません。
トラブルを通して、手に入れられます。
トラブルという壁に当たったとき、解決策を真剣に考えるようになります。
結果として、いい知恵がひらめきます。
その知恵が、実は幸せの扉の鍵なのです。
勉強に悩むから、考え、賢くなります。
恋愛に悩むから、恋愛に詳しくなり、うまくなります。
人間関係に悩むから、人付き合いが上手になります。
幸せの鍵を直接探すのではありません。
問題を見つけることで、幸せの鍵に変えるのです。
自分が問題だと思っていたことは、真実から言えば「なかった」ということに気づきます。
あなたはこれまで、無理をして頑張ったことはありますか。
今まで無理をしたことは、悪い結果に至ったケースが多いのではないでしょうか。
無理をしてうまくいくことは、通常、あり得ないからです。
フルマラソンの42.195キロを、短距離走のペースで完走をするのは、不可能です。
無理をしたペースは身を滅ぼします。
大学受験を一夜漬けで完成させるなど、そんなうまい話はありません。
1日でできる勉強量には限界があります。
無理をして詰め込もうとしても、無理は無理なのです。
無理というのは、漢字で書けばその字のとおり「無理」となります。
「無理をすれば、無理になる」
これが、人生の法則です。
私は、無理をするのは苦手です。
無理をしても、いい結果にはなりません。
無理は無理だからです。
むしろ、無理をしないように気をつけています。
「ちょっと疲れてきたな」と思えば、すぐ手を休めます。
HAPPY LIFESTYLEで100冊以上も本を書き続けていますが、実現できたのも、無理をしなかったからこそです。
「ゆっくり」をマイペースで走っています。
喉が渇いたら水を飲んだり、疲れたら休んだりと、とにかくかっこつけずにマイペースを貫いています。
だから結果として、大きなことができているのです。
無理をしないほうが、大業を成し遂げられます。
あなたは、無理をして勉強していませんか。
無理をして頑張っていませんか。
無理をすれば、得のような気になりますが、狭い視野だけを見ているからです。
一時的にはよく見えても、視野を広くして長いスパンを通して見ると、必ず損をする結果になります。
マイペースがベストペースなのです。