私たちは、飼いならされた状態で生きています。
いきなり大胆な言葉から始めてしまい、申し訳ございません。
しかし、事実です。
目的は、人生のあらゆるところで必要なことです。
あらゆるところで目的を考えると聞くと、難しそうな内容に聞こえます。
しかし、やはり目的は常に考えましょう。
学生時代によく陥りがちなのは、進路の誤った選び方です。
あなたがまだ学生なら、早めにお話ししておく必要があります。
すでに社会人で定職についていれば、いま一度、自分の職について見つめ直しましょう。
あなたが人生のあらゆることに意味を考え始めたとき、遅かれ早かれ、次のことにうすうす気づき始めるでしょう。
究極の一言です。
「私たちは、自分を生かしきるために生きている」
心の整理のためには、まずインプットを遮断しなければいけません。
整理しているところで、新しい情報が次々入ってくると、できる整理もできなくなります。
インプットを遮断すれば、今、頭の中にある不安や記憶が落ち着いて、整理できます。
「あんなことがなければ良かったのに…」
「しなければ良かった…」
「過去を消したい…」
ある日、1羽のハトが懸命に餌をついばんでいました。
ハトは、元気です。
「ハトはいつも元気だなあ。なぜいつも元気なのだろう。なぜ落ち込まないのだろう」
あなたが本屋へ行ったときのことです。
興味のある本を手に取り、ふと考えます。
「この本はためになる本だろうか」
「他人にどう思われているのだろうか」
「他人から見たあなた」というのが存在します。
また一方で「あなたが思うあなた」がいます。
「リリリ!」
急に、部屋の警報機が鳴り始めました。
警報機の音が何を意味しているのかわかりません。
私たちの心の内面は、実は一部、外側に現れます。
服装、衣装、髪型です。
外見の姿は、個人の自由によって、いかようにも変更可能です。
私はいつも、シャープペンシルとA4の紙を携帯しています。
ぱっと思いつくアイデアを、紙に書きとめるためです。
書きとめるアイデアは、箇条書きもありますが、時には、マインドマップ形式で書きとめることもあります。
自分の内面と向き合うために、決断は自分ですることです。
肝心の決断を、他人に委ねても、あなたのためになりません。
自分の人生を自分の意思で決断するとき、責任が成長に変わります。
自分の内面と向き合うときには、自分の部屋をきれいに掃除しましょう。
最初の1歩です。
散らかった部屋の中で、落ち着いて考えることはできません。
心が成長していると、友人の種類も変わります。
経験を積んで心が成長すれば、今の友人とは、話が合わなくなります。
「私は、冷たい人間なのだろうか」と思うでしょう。
「髪が伸びてきたなあ。そろそろ切りに行かないと」
気になって仕方ないことがあります。
やらなければいけない仕事があります。
「私の人生は、これでいいのだろうか」
こう考える人は、そもそも人生も目的も明確にしていない人です。
ただ敷かれたレールの上だけを歩んできた人は、自分の人生は何のためなのかと振り返ったことがないため、あるとき、迷います。
心を変えたい人がいます。
「もっと優しい自分になりたい」
「もっと愛にあふれる自分になりたい」
私たちは、素晴らしい心になろうと、さまざまな本を読みます。
「素晴らしい心になるためには、素晴らしい学びをインプットしなければならない」と考えているからです。
しかし、本来、愛の心は私たちに最初から宿っています。
父に殴られた。
母に叱られた。
両親を恨んだ。
あなたが道路を渡ろうとしたときです。
誰かがあなたを、歩道へ向かって強く押しました。
転んで膝を擦りむいてしまいました。
「私はどんな人間なんだろう」
そう思って、鏡を見ます。
顔・髪型・表情を見て、自分を判断します。
私たちには、すでに手に入れているものがあります。
生まれつき、当たり前のように手にしているものです。
家でしょうか。
テレビのドキュメンタリー番組で、興味深い内容がありました。
治療困難ながんのため、余命わずかの女性が、自らの名前と顔を公開して、苦しみながらも懸命に生きる生活を公開した内容でした。
珍しいがんにかかり、専門医も少なく、治療も確立されていないとのことです。
隠したいと思うことがあります。
しかし、隠したいと思うことほど、ほかの人にとって大切な出来事であったりします。
「隠したい。秘密にしたい」と思うことは、誰でも1つはあります。
私たち万物の本当の姿が愛だとわかったとき、もう1つのことに気づきます。
万物は愛でできているのですから、私たちの目的も、共通のはずです。
愛の目的とは「1つになること」です。
電話対応で、素晴らしい敬語を使って対応している人がいます。
電話口では「ありがとうございます。承知いたしました」ときれいな敬語をすらすら口にします。
敬意を払った丁寧な言葉遣いであり、人としても素晴らしいのかと思いきや、そうとは限りません。
「音楽がないと生きていけない」
こうした愛にあふれる力強い言葉を口にする人を見かけます。
特に、プロのミュージシャンからはよく耳にする言葉ですね。
好きなことだけをする毎日は、心に正直になった生き方です。
自分らしく生きているからです。
チューリップの花がバラの花になろうとしてもなれないように、自分は自分にしかなれません。
2,500年前、釈迦は「人は心でできている」と言いました。
2,500年経った今でも、その言葉が語り継がれているということは、まさに真実だからという証拠です。
どんなに顔形に恵まれていても、大したことではありません。
私たちは、飼いならされた状態で生きています。
いきなり大胆な言葉から始めてしまい、申し訳ございません。
しかし、事実です。
家庭では、親にこうしろと言われたから、そのとおりにやります。
学校で先生が教える科目の勉強をして、先生から出された宿題をやります。
特に何の疑問を持つこともなくです。
もちろん経験をしている大人からの教えですから、言葉には「意味」があります。
しかし、家庭内や先生に言われることだけをやり、ロボットのように生きてきたので「意味を考える」大切な仕事を忘れます。
「人と会ったら挨拶をしなさい」と子どものころ、親から教わります。
子どものころは、素直に「はい」と言って、従います。
何も知らない子どものころは仕方ないでしょう。
しかし、ある程度大人になれば、疑問を持つことです。
「そもそも、なぜ人に挨拶をしなければならないのだろうか」
ばかばかしいと思うかもしれませんが、こう考えることは重要です。
ばかばかしいと思うあなたは、きちんと意味を説明できますか。
きれいな言葉でなくてもかまいませんから、きちんと自分の言葉で意味を説明できるようになることです。
説明できれば、大丈夫です。
そもそも、こうした疑問すら持ったことがない人もいるでしょう。
そういう人は、今から、意味を考えるようにしましょう。
人に挨拶をする意味を説明できる人が、自分の人生に迷わず生きていける人です。
私なら、次のように答えます。
「人と人との壁を取り払い、コミュニケーションの潤滑油になるから、挨拶をする。挨拶をすると人間関係が良くなる」
もちろんほかにも挨拶の意味はあります。
人によって、意味の捉え方は異なります。
しかし、自分の考え方でかまいませんから、まず自分の言葉で意味を説明できるようになることです。
当たり前のことでありながら、その意味をきちんと説明できるでしょうか。
それが、自分の内面と向き合う第一歩です。
もう一度言いますが、私たちは飼いならされています。
言われたことを、何でも「はいはい」と従いすぎです。
従順になりすぎて、あらためて「その意味」を考えていません。
まず、意味を考え「なるほど」と思ったことを実行するのです。
「飼いならされている」という状態から脱するためには、まず意味を考え、自分の頭で考えたことで行動することです。
それが、自分の人生を歩むということです。
今、あなたがしていることのすべての意味を、考えるのです。
目的は、人生のあらゆるところで必要なことです。
あらゆるところで目的を考えると聞くと、難しそうな内容に聞こえます。
しかし、やはり目的は常に考えましょう。
目的を考えることは、人生を深める作業です。
たとえば、あなたは目的もなく電車に乗ることがあるでしょうか。
もちろんありませんよね。
目的もなく電車に乗っても、行き先もわからず、お金も時間もかかるし、仕方ありませんね。
そんなばかばかしいことをする人はいないと思います。
しかし、人生では、目的もなく行動して、生きている人がたくさんいます。
目的地が先にあってこそ、行き先がわかり、乗る電車がわかります。
人生でも、目的が先にあって、向かう方向、必要な仕事がわかります。
最初に目的がなければいけません。
真剣に人生と向き合うために、目的を考える作業は必要です。
勉強・恋愛・仕事・子育て・趣味・人間関係。
まず「どういう目的があって、しているのか」ということを考えることです。
「恋愛に目的なんて考えたくない」ときれい事を言う人に限って「寂しいから誰かと一緒にいたいだけ」という場合が多いです。
「ただ相手とセックスしたいだけなのか」
「周りが恋愛しているから、自分も流されて恋愛しているだけなのか」
「相手のお金を目当てに、恋愛をしていないか」
そういう事実が浮かび上がります。
そもそも自分の内面と向き合うことは、つらい作業です。
仕事をしている理由についても、同じです。
あらためて仕事をする目的について振り返ると「お金が欲しいから」という理由になっている場合が多い。
そういう人ほど、週末だけが生きがいになっています。
仕事中は、時計の針しか見ていません。
やりたい仕事があるのではなく、とりあえずお金が欲しいから、稼ぎのいい仕事を基準にアルバイトをしている自分に気づきます。
あらためて「こんな人生でいいのか」と考えることです。
それが、自分と向き合うことです。
資格の勉強も「職につながる」「勉強が好き」ときれい事を言いながら「すごいと思われたい」気持ちが心の底にある人もいます。
心の内面に空虚感があることに気づけます。
その人にとっての資格の勉強は、心の空虚感を埋めるための行動であることがわかるのです。
すると、資格の勉強より「心の空虚感ができた原因は何か」ということが考えられます。
「親子関係に問題があるから、心に空虚感があるのではないか」
「小さなころに失敗した出来事を、いまだに引きずっているのではないか」
理由がいろいろと見えてきます。
これが自分の内面と向き合うことです。
考えるほど、醜い目的がでてきます。
それは、私も経験してきました。
考えている途中から、涙が出てきます。
しかし、それこそ自分の内面と向き合っているということです。
本来、目的を真剣に見つめることは、つらい作業です。
思っても見なかった、本当の自分が見えてきます。
学生時代によく陥りがちなのは、進路の誤った選び方です。
あなたがまだ学生なら、早めにお話ししておく必要があります。
すでに社会人で定職についていれば、いま一度、自分の職について見つめ直しましょう。
若い時期、将来の進路についてまず考えるのが「かっこいいかどうか」です。
「人の役に立ちたい」というきれい事でも、言葉の裏には「かっこいいから」という本音が隠れている場合がある。
弁護士・医者のような高収入の仕事。
プロ野球選手・サッカー選手というプロスポーツ選手。
芸能人・アナウンサーという多くの人の注目を浴びる仕事。
もちろんこうした職業を否定しているのではありません。
注意を促したいのは「職業そのもの」ではなく「職業の選び方」です。
正当な目的と意味があってその道を選んでいるなら、人生に迷うこともなく大丈夫です。
しかし、軽い気持ちで選んでしまう人の中には「かっこいいから」「高収入だから」などの理由で選んでいる場合が多い。
「なぜその仕事を選ぶ必要があるのか」
「自分がその仕事をする目的は何なのか」
「何のためにするのか」
自分の本音をきちんと整理したうえで、やりたいことを見つけなければいけません。
人から「すごい」と思われるために目指している状態は、本当にかっこいいとは言えません。
他人からの視線に振り回されている人生です。
自分の本音で生きていなければ、本当の充実感は得られません。
あなたが選ぶべき仕事は、自分がいちばんやりたいことであり、好きな仕事です。
最初は得意でなくてもかまいません。
仕事を毎日続けていれば、どんなに不器用な人でも必ずうまくなります。
不器用でも好きなら、もっとうまくなりたいと思い、工夫を凝らします。
本当に大切な気持ちは「好きかどうか」です。
それこそあなたの本音であり、最も大切な選択基準です。
あなたが人生のあらゆることに意味を考え始めたとき、遅かれ早かれ、次のことにうすうす気づき始めるでしょう。
究極の一言です。
「私たちは、自分を生かしきるために生きている」
その本質に気づけます。
これは人を超えた、あらゆる万物に共通する哲学であり、真理です。
太陽がなぜあのように輝いているのかというと、自分を生かしきるために輝いています。
太陽は最も自分らしく仕事をして、その結果、自分と周りを明るく照らすことができています。
太陽だけでなく、草花・魚・石・空気など、種類を問わず、すべての存在は、自分を生かしきるために生きています。
そういうそれぞれの特徴を生かしきることで、ほかの存在の役に立ち、一枚の画になります。
ちょうどジグソーパズルのように、出ている部分とへこんでいる部分がお互いに補完し合う関係です。
自分の得意・不得意は、あってかまいません。
最も大切なことは、自分を生かしきることです。
個性・特徴・資質を最大限に生かして生きるときが輝きます。
太陽のように、自分が輝くと同時に、ほかの生き物の役に立つようになります。
自他ともに、明るく照らす生き方です。
あなたにも同じことが言えます。
いえ、あなただけでなく、すべての人間に共通する話です。
自分の特徴を生かすのです。
それが「生きる」ということです。
「生かす」と「生きる」は「生」という字が共通しています。
「同じ意味ですよ」という神様からのメッセージです。
生きるということは生かすことであり、生かすということが生きるということです。
「自分の人生を生きる」ということは「自分を生かしきる」ということです。
私なら、人生哲学を考えることが好きでありながら、機械関係も好んでいます。
なぜこうした特徴を持って生まれたかはわかりません。
しかし、こういう特徴を持って生まれたからには、特徴を最大限に生かしきって、人生を全力で生きたいと思います。
最大限自分を生かしきって死を迎えるとき、私は「素晴らしい人生だった」と悔いなくこの世を去ることができるでしょう。
私が見つけた人生の真理や哲学を、得意のパソコン技術を使って、多くの人に広めることは、自分を最大限に生かした生き方です。
こうした生き方は、川の流れに沿って泳いでいるようにすいすい前に進み、ストレスがありません。
そもそも自分の特徴を生かしているのですから、スムーズに進めて当然です。
あなたも、自分の持つ特徴に気づきましょう。
長所・短所、両方とも宝です。
あなたが好きだと思う気持ち、楽しい、面白い気持ち。
純粋な自分を曲げず、むしろありのままを最大限に生かして仕事をするとき、素晴らしく輝くことができるのです。
心の整理のためには、まずインプットを遮断しなければいけません。
整理しているところで、新しい情報が次々入ってくると、できる整理もできなくなります。
インプットを遮断すれば、今、頭の中にある不安や記憶が落ち着いて、整理できます。
夜、寝る前が、最適です。
今日1日を振り返り、言動を反省します。
結果として、自分の内面と向き合うことになります。
では、インプットを遮断する方法とはどんなものがあるのでしょうか。
簡単です。
次のシンプルな3つの方法を、実践すればいいだけです。
心に余裕がないときには、落ち着くために、入ってくる情報を遮断すればいい。
部屋のテレビを消して、音楽を止めて、明かりを消します。
テレビをつけていると、音と映像が流れ、新しい情報が頭の中に入ってきます。
音楽も止めて、静かな部屋にしましょう。
最後に、部屋の明かりを消します。
もちろん完全に真っ暗なら何も見えないので、薄暗い程度まで明かりを落とすくらいでいいでしょう。
部屋の中で1人になると、ほら、これは「あること」になるのです。
瞑想です。
瞑想と聞くと、難しい印象がありますが、実は単純なことです。
部屋で1人になり、テレビ・音楽・明かりを消します。
これだけで瞑想の出来上がりです。
難しくありませんね。
誰でも簡単にできます。
テレビ・音楽・明かりを消すと、あなたが感じるのは自分の心だけになります。
新しく入ってくる情報がなくなるので、今、頭と心の中にあることが浮き彫りになります。
あなたがテレビの映像や音楽、明るさでごまかしていたことが、感じられるようになります。
自分は何がしたいのか、何のために生きているのか、目的達成のために毎日を送ることができているのかと、1人で考えます。
普段の日常生活ではこうした場面はなかなかありませんから、心の整理ができません。
1日の締めくくりとして寝る前に瞑想を取り入れれば、1日の区切りをつけやすくなります。
日中はざわざわとした雑踏があり、自分の心を振り返る時間がなかなかありません。
1日の中で、ほんの10分でかまいません。
瞑想の時間を取り入れると、自分らしい人生が歩めるようになります。
「あんなことがなければ良かったのに…」
「しなければ良かった…」
「過去を消したい…」
後悔する口癖があります。
過去を悔やんで、できれば過去を変えたいと思います。
でも、本当はこの悔やむ時間のほうが、さらにもったいないです。
何の役にも立っていないからです。
後悔している時間は、後悔している過去より、さらに無駄な時間です。
どんなに考えても、何度振り返っても、過去は絶対に戻りません。
時間を失うだけでなく、元気まで失うのですから、厄介です。
ある本には、こう書いています。
「つらい過去は、すっぱり忘れましょう」
それができれば苦労しません。
つらい過去ほど、忘れたくても忘れられないから、私たちは悩んでしまいます。
では、どうすればいいのでしょうか。
本当は逆です。
否定したい過去を、肯定します。
否定するから過去をずっと引きずってしまいます。
今のあなたが存在するのは、つらい過去があったおかげで今があるのだ、という事実に気づけばいい。
「試験に失敗した過去があっても、そのおかげで自分の弱点を知ることができた。だからもっと勉強ができるようになる」
そう考えます。
「先生にひどく叱られた。忘れたい。でも叱られたおかげで正しいことを学べた。叱られて良かった!」
否定していた過去を、完全に肯定します。
「過去のせいで」と考えるのではなく「過去のおかげ」と考えます。
すると、今の素晴らしいあなたが存在するのは、忘れたい過去が土台になっているから、ということに気づきます。
事実として、そうなのです。
忘れたい過去ほど、学びがあります。
つらい過去は、否定するのではなく、肯定するものです。
否定するのではなく、感謝しなければなりません。
本当に良い思い出とは、つらい過去のことをいいます。
生まれ変わった、素晴らしい瞬間だからです。
この文章を読んでいるということは、あなたには、つらい過去があるのでしょう。
振り返りたくない過去ほど、肯定します。
「だからよくなる。そのおかげで、今の素晴らしい自分が存在するのだ」と過去を肯定しましょう。
その瞬間、ぱっと未来が明るくなります。
今までは、過去を否定してきたから、これからの未来も暗いはずでした。
しかし、今までの過去を肯定して明るく考えれば、今この瞬間が明るくなり、これからつくり上げるであろう未来は明るくなります。
今、あなたが、過去を否定するか、肯定するか。
それだけです。
過去は、肯定するのです。
「つらかったな。だから今の私がある。ありがとう」
「ひどい経験をしてしまった。だからこれからよくなる。ありがとう」
今の素晴らしいあなたをつくってくれた、過去すべてをまるごと肯定しましょう。
楽しいこと、嬉しいことはもちろんのこと、つらいこと悲しいこともすべて、ありがとうと話しかけるのです。
ある日、1羽のハトが懸命に餌をついばんでいました。
ハトは、元気です。
「ハトはいつも元気だなあ。なぜいつも元気なのだろう。なぜ落ち込まないのだろう」
そう考えたとき、気づきました。
ハトは、今しか考えていないからです。
完全に、今この瞬間のことしか、考えていません。
過ぎ去った過去、これからの未来のことは、何も考えていません。
ハトは、過去を悔やんだり、未来に不安になったりすることはありません。
だから元気です。
自分のパワーをすべて、今この瞬間に費やすことができています。
今を懸命に生きるから、結果として素晴らしい未来をつくっています。
ベストな生き方ができています。
ハトが落ち込まないのは、ひたすら今に集中しているからです。
過去を振り返らないから、ため息をつきません。
未来を考えないから、不安になりません。
無駄な部分がないのです。
どんなに過去や未来を考えても、あるのは今だけです。
私たちは、このハトの懸命な生き方に学ぶ必要があります。
あなたの元気がないのは、過去を悔やむか、未来に不安を感じるときです。
今だけに集中するだけで、落ち込むことはなくなります。
ひたすら、今だけに集中するのです。
あなたが本屋へ行ったときのことです。
興味のある本を手に取り、ふと考えます。
「この本はためになる本だろうか」
ちょっと待ってください。
その前に、大事なことがあります。
「自分は何がしたいのか」という目的です。
買おうとしている本は、目的につながる本であるかを考えます。
興味があるからという理由で適当に本を選んで、勉強するというのは賢いとは言えません。
本は、世界に何十億、何百億冊とあります。
すべてを読み切る前に、あなたは死んでしまいます。
ベストな本を見分けるためには、まず自分の目的を知っておかないといけません。
目的があって、初めて目標を立てることができます。
目的があるからこそ、その夢を叶えるための必要な本がわかります。
本を読んで勉強する前に、まず目的を考えるのです。
私なら、サイト「HAPPY LIFESTYLE」を通して、幸せの知恵を広め、平和と幸せに貢献したい目的があります。
本屋で本を選ぶときには、夢につながる本かどうかを考えながら、吟味します。
人それぞれ目的は異なりますから、どのような本がベストなのかも、人それぞれです。
しかし、目的さえわかれば、必要な本が明確になります。
逆を言えば、目的がなければ、本屋で本1冊すら選べません。
目的を考えるとは、そのくらい重要なことです。
「人々の平和のために法律家になりたい。だから法律の勉強をする」という目的があれば、そういう本を選べばいい。
「人々の生活を、音楽を通して明るくしたい。そのために音楽を勉強する」と目的があれば、夢につながる本を選べばいい。
あなたの目的は何でしょうか。
勉強する前に、まず目的を考えることが大切です。
人生は有限です。
限られた時間内で最大の結果を出すために、目的を決めてから、勉強を始めましょう。
「他人にどう思われているのだろうか」
「他人から見たあなた」というのが存在します。
また一方で「あなたが思うあなた」がいます。
「私はこんな人間だ」
鏡を見て、見える自分がいます。
他人が思うあなたも、あなたが思うあなたも、実はどれも本当のあなたではありません。
外側の見た目・形・大きさだけで判断している、物質的な判断です。
人間の中には、頭だけでは考えることができない、本当の自分がいます。
愛であり、光です。
本来、目に見えるものではありません。
大げさな話と思わないでください。
むしろ、当たり前の話です。
親は、子を大切に育てようとします。
どんな親にも共通する、愛の心です。
「いえいえ、うちの親は怖い」
親が怒ったり叱ったりするのは、子どものためを思っているからこそです。
本当に子どものことを考えているから、しつけのために、喜怒哀楽があります。
人に限らず、馬も同じです。
生まれたばかりの子馬にお乳をやって、育てようとする親馬の愛があります。
誰からそうしろと教わったわけでもないのに、自然と子を大事に育てようとする愛がもともと備わっています。
道に生えている草も、また同じです。
おしべとめしべを合わせたとき、新しいタネが生まれます。
植物の繁栄は、種を存続させたいという愛があるからです。
鳥も、同じ。
魚も、同じ。
草花も同じ。
生きとし生けるすべての万物には、根底に「愛」という本当の自分があります。
人間・馬・鳥などは、単なる外側の皮をかぶっている姿にすぎません。
見た目・形・大きさこそ違いはあれ、同じ資質である愛からできています。
万物には、共通する真の自分が存在しています。
それが「愛」であり「光」です。
「他人から見た自分」も「自分から見た自分」も、どちらも外側の皮だけを見ているにすぎません。
誰でも悲しいときには涙を流し、誰でも楽しいときには笑います。
それは心の奥底に、愛という本当の自分がいるからこそです。
それこそ、真の自分です。
すでに自分の中にあるのですから、引き出すだけでいい。
本当の自分に気づいたとき、私たちはすでに完全であるということがわかります。
本当の自分とは、愛という本当の自分を引き出すものです。
私たちは、素晴らしい自分になろうと、勉強したり、きれいな服を着たりします。
これらは表面的なことにすぎません。
本当は、完全な自分がすでにあるのですから、引き出すものなのです。
瞑想をして自分が見えてくるのは、引き出しているからです。
テレビ・音楽・明かりなどでインプットしなくても、そもそも自分の中にあるのですから、引き出せばいい。
瞑想をしている時間は、本当の自分が、内側から引き出されている瞬間です。
「リリリ!」
急に、部屋の警報機が鳴り始めました。
警報機の音が何を意味しているのかわかりません。
しかし、音を聞いた部屋の住人は、何か異常が起こったのだろうと察知し、鳴っている理由を探します。
火災発生なのか。
泥棒が入ったという知らせなのか。
誰かが尋ねてきたのか。
もし火事なら、早期発見により、建物から素早く脱出でき、一命を取り留めることができます。
ベルが鳴っているにもかかわらずほうっておけば、命を落とすことになるかもしれません。
いずれにせよ、普通ではない事態が発生しているからこそ、ベルが鳴っています。
警報機が鳴っていれば、その原因を素直に探せばいい。
部屋の話だけではありません。
あなたにも、神様から与えられた警報機があります。
それは日常生活において感じる、ささいな「異変」のことです。
「最近、どうも腰が痛い……」
それは、警報機と同じです。
理由はまだわかりませんが、何かよくないことが発生しているために、警報機が鳴っています。
しかし、ここからが人間のよくないところです。
適当な理由をつけて、理由を探そうとしません。
「腰が痛いのは、たまたまだろう。そのうち治るだろう……」
誰でも面倒は嫌がるため、できるだけ行動しない選択をします。
警報機が鳴っているのに、ほうっておいてしまいます。
ほうっておくと、あとから大変なことになる可能性が大きくなります。
異常でもないのに、腰が痛いはずがありません。
姿勢が悪いのかもしれませんし、何かの栄養素が不足しているせいかもしれません。
あるいは、長時間に及ぶ仕事が原因なのか。
素直にその原因を探して突き止めれば、改善につながります。
「よくない方向に進んでいます。今すぐ修正してください」という神様からのメッセージです。
日常のちょっとした変化に気づくことが大切です。
問題解決は、早いほど、解決しやすくなります。
ささいな異常でさえ、何かの異変を示す警報機のベルと考えるのです。
ベルの音を無視していないでしょうか。
警報機は、異常があるから鳴る法則に従って、素直に確認すればいいのです。
私たちの心の内面は、実は一部、外側に現れます。
服装、衣装、髪型です。
外見の姿は、個人の自由によって、いかようにも変更可能です。
服装1つとはいえ、その種類はさまざまですが、その数多くの種類のうちから、身につける服を選ぶのは、あなたの好みです。
あなたが好みで選ぶとき、心の内面が反映されています。
落ち着いた心の人なら、露出のない、落ち着いた色の服装を選びます。
また恋人を求めようとする心があれば、異性の視線を集めようとするため、露出した派手な服を選びます。
ロックバンドを愛する心があれば、とげのあるアクセサリーや、斬新なデザインの服装を好んで選ぶことでしょう。
「心の内面は、見た目ではわからない」といいます。
しかし、実は見えるのです。
完全に見ることはできなくても、垣間見るくらいなら、十分可能です。
服装そのものに、その人が思っていること、好んでいること、考えていることなどが、映し出されています。
私たちも無意識のうちに、見た目で人を判断しています。
外見から、その人の好みや性格などを、大まかに判断します。
驚いたことに、その判断は、見事に当たります。
見た目は、重要です。
社会生活を営んでいくためには、この「外見の作用」をしっかり認識し、時と場合に応じて活用することが大切です。
社会人として信用のある人と思われたければ、整ったスーツを着ればいい。
もちろん仕事をてきぱきこなしたり、約束を守ったりなどは当然ですが、なによりまず服装から整えることです。
見た目で判断されるなら、信用のある身なりにすればいい。
しわのない黒いスーツを着れば、第一印象はよくなります。
たかが外見とはいえ、他人に与える印象は大きい。
見ただけでは、その人のすべてがわかるわけではありませんが、実際は、見た目で人は判断されてしまうのです。
私はいつも、シャープペンシルとA4の紙を携帯しています。
ぱっと思いつくアイデアを、紙に書きとめるためです。
書きとめるアイデアは、箇条書きもありますが、時には、マインドマップ形式で書きとめることもあります。
マインドマップとは、木の形のように、1つの根っこからたくさんの枝がわかれ、枝から葉がわかれる表記方法です。
形が、魚の骨のようにも見えることから、別名「フィッシュボーン」と呼ばれることもあります。
詳しくお話ししようとすると、1冊本ができるので、詳細については割愛させていただきます。
マインドマップは、小さなメモ帳では、十分に書ききれません。
壮大なスケールで物事を考えるとき、ある程度の大きさのメモ用紙が必要です。
本を読んだり、1人で考え事をしたりしていると、たくさんの情報が頭の中に入ってきます。
だんだん頭の中の整理がつかなくなり、ごちゃごちゃになります。
たくさんのことを整理して、一度に考えられるほど私の頭は良くありません。
そんなときこそ、マインドマップを活用しています。
目的を基点にして、そのために必要な目標・行動・期間・お金などを整えて書きます。
特に、壮大なスケールで考えるときには有効な記述方法です。
私の場合、箇条書きだけでなく、マインドマップ形式でメモを取るようになってから、頭の整理がしやすくなりました。
書くと、同時に頭の中が整理されます。
書いたものは消えませんから、記憶を保持する労力から開放され、整理作業が容易になります。
また一目で全体像が確認できるので、バランスの取れた考え方ができるようになります。
また、書くという作業そのものに、吐き出す作用があります。
書いて目に見える形にすることで、無意識の思考が表面化されます。
頭の整理、心の整理に、ぜひマインドマップをおすすめします。
自分の内面と向き合うために、決断は自分ですることです。
肝心の決断を、他人に委ねても、あなたのためになりません。
自分の人生を自分の意思で決断するとき、責任が成長に変わります。
すべてが、貴重な成長です。
幼いころは、着る服を親が選び、食べる料理を選び、通う学校も選びます。
しかし、ある程度物心がつけば、自分の意思で決断することです。
自分の意思で決断する時期が早ければ早いほど、成長も早くなります。
早い段階から親から離れ、一人暮らしをする人には、成長の早い人が多いです。
それは生活のすべてを自分の意思で決断し、行動しているからです。
学校だけが勉強の場になっているのではなく、日常生活すべてが学習の場になっています。
私は、成長したい人には、まず一人暮らしを勧めています。
一人暮らしは、勉強になります。
自分の意思で生活のすべてを送るということは、どれだけ大変かがわかります。
しかし、同時に、急成長できます。
年齢の低いうちから、自分の意思で行動するのです。
私たちは、自分の判断に自信がないときには、他人の意見を聞こうとします。
親・恩師・友人から「どう思う」と聞くのはいいですが「どうすればいい」とは聞かないことです。
どうすればいいのかは、自分の意思で決断することです。
自分の意思で決断することに、意味があります。
「どう思う」と聞いたとき「すごく難しいよ」と返事が返ってきても、あなたに勇気とやる気があるなら、挑戦してもいい。
難しいから諦めないといけないわけではありません。
最終的にどう決断するかは、あなたです。
自分の内面と向き合うときには、自分の部屋をきれいに掃除しましょう。
最初の1歩です。
散らかった部屋の中で、落ち着いて考えることはできません。
いらない物は捨ててしまい、シンプルな部屋にして、本当に必要な物を残すだけでかまいません。
泥棒が入ってきても「この部屋には盗むものが何もない」と、手ぶらで帰るしかないくらいの部屋にしましょう。
部屋の整理整頓ができない人が、心の整理整頓ができるはずがありません。
実は、部屋の状態と心の状態は、似ている一面を持ちます。
部屋の掃除といえば、何を思い浮かべるでしょうか。
物をきれいに並べて、整えることでしょうか。
いえいえ、本当は掃除の基本は「捨てること」です。
よく考えてもみましょう。
本来、ものがなければ、部屋は散らかりようがありませんね。
散らかりやすい部屋は、それだけ余計なものがたくさんある部屋ということです。
1年以上着ていない服・デパートの袋・いつか役立つかもしれない入れ物・捨てるに捨てにくい人形。
すべて、いりません。
使っていないものは、いらない物だと考えます。
宿便と同じです。
あるだけで、悪臭を放ち、体調を悪化させてしまいます。
隅にたまっている不要なものを、思いきって除去してしまいます。
掃除とは、まず使っていない物を捨てることです。
部屋の内面がそうであるように、心の内面も同じです。
心の整理がつかない人は、余計なことを考えすぎです。
勉強ができない人に限って、部屋に漫画を置いています。
勉強に集中できない人に限って、音楽を聴きながら勉強しています。
落ち着かない部屋という人に限って、1日中テレビがつけっぱなしです。
余計なことを考えすぎているから、頭の中がどんどん散らかります。
たくさんものがあれば豊かになると思われがちですが、実は逆です。
不要なものを取り除くことで集中でき、豊かになります。
時間の密度が濃くなり、結果として豊かな時間になります。
まず「捨てること」です。
本当に必要な物だけを残し、後は大胆に捨ててしまいます。
シンプルな状態になり、初めて心の内面と向き合うことができるのです。
心が成長していると、友人の種類も変わります。
経験を積んで心が成長すれば、今の友人とは、話が合わなくなります。
「私は、冷たい人間なのだろうか」と思うでしょう。
いいえ、冷たい人間ではありません。
自然な現象です。
あなたのレベルが高くなり、今の友人と話が合わなくなっただけです。
話が合わなくなるのは、レベルが違うからです。
最終的には、その友人とは連絡を取らなくなるでしょう。
つらいかもしれませんが、そういう現実を、事実としてお伝えします。
しかし、悲しいことばかりではありません。
たくさんの経験を積み、人として成長すれば、今の友人から卒業すると同時に、次のレベルの友人と出会います。
より高いレベルを目指している人は、どの分野にもいます。
レベルが高い人たちと、話が合うようになります。
プロ野球の監督は、プロサッカーの監督と話が合い、また映画監督とも話が合います。
ジャンルは違っても、レベルの高さが一致しているため、話が合うのです。
今の友人と話が合わなくなれば、新しい友人を探しましょう。
できれば、自分より少し高いレベルの人と知り合うことをおすすめします。
レベルの高い人から刺激を受ければ、さらに成長がしやすくなります。
「髪が伸びてきたなあ。そろそろ切りに行かないと」
気になって仕方ないことがあります。
やらなければいけない仕事があります。
伸びた髪は、気にしないようにと思っても、気になるものは気になります。
そういう「しなければいけないこと」を、あなたはどう扱っていますか。
しなければいけないことを、後回しにしていないでしょうか。
「後でやったほうが楽だから」
おや、逆です。
今、片付けたほうが、実は楽です。
やらなければいけない仕事を、後回しにしても、消えるわけではありません。
頭の中では「やらなければ」と考え続けているため、エネルギーを消耗します。
むしろ、ずっと考え続けなければいけないので、逆に疲れます。
そうなら、さっさと早めに片付けたほうがいい。
髪が伸びているのに、時間がたてば、自然と短くなるはずはありません。
むしろ、時間がたつにつれて、髪はさらに伸びていき、ぼさぼさ頭になります。
問題を後回しにすると、問題はさらに拡大します。
問題解決は、早めに手を付けたほうが片付けやすく、問題も小さくて済みます。
心に引っかかっている悩みがあれば、早めの解決を心がけましょう。
行動は早いほうがいい。
不安要素は、早めに片付けてしまいます。
仕事を片付ければ、考える必要がなくなるので、心身ともにすっきりします。
「私の人生は、これでいいのだろうか」
こう考える人は、そもそも人生も目的も明確にしていない人です。
ただ敷かれたレールの上だけを歩んできた人は、自分の人生は何のためなのかと振り返ったことがないため、あるとき、迷います。
目的がない人はゴールがないので、どこに向かって進めばいいのかわかりません。
「とりあえず、敷かれたレールの上を進んでいこう」
そのくらいにしか思っていません。
親や先生に「こうしろ」と敷かれたレールに従って進んできただけなので、その道の意義について、考えたことがないのです。
あるとき気づきます。
「このレールの先には何があるのだろうか」と。
目的もなく、敷かれたレールの上を進んでも、終着駅はありません。
目的を定めずして始める冒険には終わりがないように、目的もなく進んでいる人生にも終わりがありません。
ゆえに、迷います。
自分は、どうしていいのかわからなくなるのです。
見つめるべきは、遠い未来ではありません。
自分の心の内面です。
今の自分の素質・資質に気づき、自分を最大限に生かせる生き方をするのです。
自分を生かして世界の平和と幸せに貢献するところを目的とすれば、ゴールが定まります。
もう迷うことはありません。
そのために、自分の短い一生を懸命に燃やします。
天命とは、自分を生かしきることです。
神様から、与えられたことを最大限に生かしきって、この世の「一体化」に貢献することが、私たちの本当の役目です。
目的がある人は、ゴールが定まっていますから迷いません。
自分の素質・資質に気づき、最大限に自分を生かしきる生き方をしている人には、迷いがありません。
目的に向かって一直線です。
壁があっても、乗り越えられます。
それが、自分の人生で必要なことだとわかれば、やる気が出るはずです。
心を変えたい人がいます。
「もっと優しい自分になりたい」
「もっと愛にあふれる自分になりたい」
「きれいな心にしたい」
そう願い、心を変えようとします。
しかし、そもそも変える必要などありません。
悲しい映画を見れば、自然と涙を流す自分がいます。
自分の大切な人が亡くなれば、悲しくて涙が止まりません。
それは、すでに愛の心が存在している証拠です。
おかしいと思いませんか。
愛の心がなければ、涙を流すはずがありません。
喜怒哀楽があるということは、すでに愛の心があるというなによりの証拠です。
心を変えなくても、素晴らしい宝が、すでにあります。
私たちには、生まれつき、完全なる愛の心という素晴らしい宝があります。
大切なことは、その心を引き出すことです。
すでにあるのですから、引き出すだけでいい。
たくさん本を読むインプットは、まったく不要です。
学ぶことではありません。
気づいて、引き出すことです。
では、なぜ、今、引き出せないのかというと「業(ごう)」が邪魔しているからです。
業というのは、心のごみのことです。
妬み、恨み、後悔、トラウマ、コンプレックスなどが邪魔をして、心の光を遮っています。
また、見栄や体裁を気にしていることで、自分らしい本来の行動を抑止しています。
光り輝いている自分を、わざわざ自分で遮ってしまっています。
まず、これらの業を取り払うことです。
心にインプットをするのではなく、邪魔なものを取り払います。
心を変える必要はまったくありません。
心の光を遮っている障害物を取り除くだけでいい。
輝くためには、心のごみ掃除をすればいい。
自然ともともとある愛の光が引き出され、輝く自分になれるのです。
私たちは、素晴らしい心になろうと、さまざまな本を読みます。
「素晴らしい心になるためには、素晴らしい学びをインプットしなければならない」と考えているからです。
しかし、本来、愛の心は私たちに最初から宿っています。
初めからあるのですから、勉強はまったく不要です。
どうやって引き出すかが、ポイントです。
この世における最大の修行といってもかまいません。
それが、私たちが生きている間に行わなければいけない、仕事です。
自分を変えるのではなく、そもそも自分に宿っている「自分のよさ」を引き出して、体現します。
体現して輝き、その輝きで、周りにいる人たちも明るく照らします。
「それができれば苦労しないよ」
そういう人もいるでしょう。
では、なぜ自分のよさを、なかなか引き出せないのでしょうか。
自分を大切にしすぎています。
自分ばかりに集中しすぎています。
「→自分←」というふうに気持ちが向いています。
「自分、自分……」と、自分のことばかり考えすぎています。
内側に向けることで、光を遮ってしまっています。
本当は「←自分→」というふうに気持ちを外側に向けないといけません。
「あなた、あなた……」と外側に対して、気持ちを向けなければいけません。
気持ちが外側に向かう「←自分→」という状態が、宇宙の法則としては、自然な流れです。
気持ちを外に向けるほうが抵抗や障害も少なく、ありのままの自分を表現でき、なおかつ他人のためになります。
自分の素質・個性をありのまま生かすのです。
世間から見て、かっこいいか、かっこ悪いかは、まったく関係ありません。
好きだという気持ちがあれば、すべて正解です。
私の友人に、掃除好きの人がいます。
その人は、自分から進んで掃除をします。
世間から見れば、ごみ掃除はかっこ悪いことでしょう。
しかし、社会のためになり、他人からは喜ばれる仕事です。
その人は、そもそも掃除好きなので、掃除をしている間は楽しくて仕方ないと言います。
掃除好きだという本来の自分の心に素直に従うことで、まさに輝いている状態です。
自分も他人も社会もきれいにするという、素晴らしい生き方です。
「←自分→」という状態になっていますね。
かっこいいか、悪いかは、まったく関係ありません。
自分のありのままを、表現します。
かっこ悪くても、好きなら、正解です。
必ず、誰かのためになります。
あなたが障害を持っていれば、障害を持っているからこそできることをします。
それが、ほかの障害者を元気づけることになるでしょう。
あなたが1人親なら、1人親だからこそ、進むことができる人生があります。
1人親で人生に悩んでいる人の救いになるでしょう。
世間から見て、かっこいいか悪いかを気にしているうちは、まだまだです。
かっこ悪いことを堂々と表現して、生かします。
それが自分らしいなら、いいのです。
ありのままの自分を表現して、社会に生かそうと働きかけるとき、自分と他人を同時に明るく照らすことができるのです。
父に殴られた。
母に叱られた。
両親を恨んだ。
こういう暗い過去を、誰しも1つは持っています。
しかし、その事実の奥を見てみましょう。
父が殴ったのは、なぜでしょうか。
あなたに「こうしてはいけない」という教えを、わざわざ体で表現してくれたのです。
言っただけではわからないから、肉体的痛みを通じて、一度でわかってもらおうとしたからです。
嫌われるためにしたわけではありません。
あなたのことを、誰より真剣に考えてくれていたからこそ、手を出した。
よほど重要なことを教えてくれようとしたに違いありません。
母が「なぜ叱ったのか」を真剣に考えたことがありますか。
意味がなく、叱ることはありません。
あなたの成長を本当に願っているからこそ叱ってくれました。
殴ることも叱ることも、面倒で体力が必要です。
それなのに、親がそこまでしたのは、なぜだったのでしょうか。
あなたに成長してもらいたいという、愛の表現です。
叱られ意味や理由がわかれば、一瞬で過去が変わります。
今までつらい過去だと思っていた事実が変わり、素晴らしい過去だったことがわかります。
起こった出来事はまったく変わっていません。
あなたの受け止め方が変えることで、過去も変わります。
過去を変えるのではなく、過去にあった出来事の素晴らしさに気づけばいい。
ぱっと悩みから解放されます。
トラウマは、妄想だったことに気づきます。
すべての現実は、愛の表現であることに気づくことです。
両親だけでなく、さまざまな人からの叱咤激励。
起こった出来事には、悲しみが伴ったり、痛みが伴ったりすることもあるでしょう。
しかし、その奥にある愛の表現に気づけば、感じ方が代わり、つらい出来事が1つもなくなります。
過去のつらい出来事でさえ、何かの意味があったことに気づく。
すべてが感謝に変わります。
優しい言葉だけでなく、厳しい言葉も、本質は愛の表現です。
過去を変えるためには、事実の奥にある愛の表現に気づき、受け止め方をプラスに変えればいいのです。
あなたが道路を渡ろうとしたときです。
誰かがあなたを、歩道へ向かって強く押しました。
転んで膝を擦りむいてしまいました。
膝からは、血が流れています。
「痛いな! なんでこういうことをするんだよ!」
腹が立ち、怒りで顔が赤くなります。
そのときです。
大きなトラックが、道を横切りました。
実は、あなたを傷つけようとしたのではなく、トラックにひかれそうになったあなたを助けてくれたのです。
その瞬間、なぜいきなり強く押したのか、事実がわかります。
「良かった。助かった。ありがとう。トラックにひかれて死ぬことに比べれば、擦り傷くらい大したことない」
さっきまで、痛かったはずの擦り傷の痛みが、不思議と感じられなくなります。
むしろ、擦り傷程度で済んだことに感謝します。
自分を強く押してくれた人に対しても、感謝の気持ちでいっぱいです。
「助けてくれてありがとう」
感謝しかありません。
さて、この話を聞いてどう感じましたか。
怒りと感謝という正反対の感情が登場しますが、どちらも強く押してけがをさせたという現実は変わりません。
現実の受け止め方を変えただけで、感謝の気持ちに変わっただけでなく、傷の痛みまで消えてしまいました。
驚くべきことです。
肉体の痛みさえ消えてしまうのは、この例だけの話ではありません。
起こった現実を恨めば、痛みはもっとひどくなります。
しかし、起こった現実を感謝すれば、肉体的な傷すら、痛みを感じなくなり、回復も早くなります。
ある日、あなたが風邪をひきました。
「むかつくなあ。なんで風邪をひくのだろう。隣の席のAさんから菌が移ったに違いない。Aさんも風邪をひいていたからなあ」
あなたは風邪に苦しむと同時に、隣に座っているAさんのことまで嫌いになります。
しかし、トラックの例と同じです。
隣にAさんが座って、簡単に風邪が移ってしまうくらい、あなたの免疫力は低下していたのです。
大病にかかる前に、軽い風邪で済んだことに感謝しなければいけません。
「自分の免疫力はこんなに低下していたのか。風邪程度で済んで良かった。気づかせてくれたAさんに感謝しないと!」
すると不思議なことに、風邪の治りが早くなります。
一命を取り留めたことに比べれば、擦り傷くらい大したことがないトラックの例と同じです。
大病にかかって重体になるくらいなら、風邪程度で苦しむのは大したことがないと、わかるからです。
むしろ、Aさんに感謝したくなります。
病の治りが早くなり、Aさんへの感謝の気持ちでいっぱいになります。
こういう受け止め方をすることです。
起こった現実を、マイナスに受け止めていないでしょうか。
出来事の奥にある、愛の表現に気づくのです。
すべてが感謝であるという現実に気づけます。
「大切なことを教えてくれた」「未然に防ぐことができた」という事実がわかれば、感謝せずにはいられなくなります。
傷の痛みまで感じられなくなります。
大嫌いな人が、大好きな人に変わるのです。
「私はどんな人間なんだろう」
そう思って、鏡を見ます。
顔・髪型・表情を見て、自分を判断します。
しかし、鏡を見て判断する自分は、外見だけです。
鏡は、外見を映してはくれますが、心の内面までは映してくれません。
では、心の内面を映し出してくれる鏡はあるのでしょうか。
なんと、あります。
あなたの人間関係です。
親を含めたあなたの人間関係が、あなたの心の内面を映し出しています。
自分の周りにはむかつく人ばかりだというなら、あなたがむかつく人間になっています。
自分の周りには優しい人ばかりだというなら、あなたが優しい人間であるということです。
なぜ、周りの人があなたの心を反映してくれるのかというと、相手はあなたの顔・態度・言葉によって、反応しているからです。
あなたの言葉遣いが悪いと、相手は悪い印象を受けて、汚い言葉で返してきます。
相手に「ばか」と言えば、山びこのように、相手から「お前もばか」と跳ね返ってきます。
また相手に「ありがとう」と感謝すれば、嬉しくなった相手もあなたに「ありがとう」と優しくなります。
好意返報性の法則です。
あなたが笑えば、相手も笑います。
相手が笑っているということは、あなたが笑っているということです。
あなたがしかめ面をすれば、相手もしかめ面をします。
相手の顔・態度・言葉は、あなたを映しています。
自分の外見を確かめるときには、鏡を使います。
自分の内面を確かめるときには、周りの人間関係を活用します。
周りの人は、あなたの心を反射しているのです。
私たちには、すでに手に入れているものがあります。
生まれつき、当たり前のように手にしているものです。
家でしょうか。
お気に入りの服でしょうか。
自分の部屋でしょうか。
いえいえ、物質的なものではありません。
あなたの命です。
命があるだけで、この世では何でもできるのですから、いちばん大切なことです。
命があるから、この世の美しさを、五感を通して感じることができます。
泣いたり、笑ったり、楽しんだり、怒ったりできます。
思いきって走ったり、新しいことに挑戦したりなど、自由に行動できます。
もし、命がなければ、何ができるでしょうか。
1つも、できなくなります。
今あなたが悩んだり、挑戦したり、遊んだりできるのは、すべてそういう素晴らしい土台があるからです。
それがあるだけでも、素晴らしいことです。
命は、お金で買うことができません。
生まれつきすでに与えられているだけに「それがあって当たり前」と思っている人が多い。
命があれば、十二分に幸せです。
それがなにより大切な、いちばんの宝です。
すでに幸せは与えられ、十分幸せであることに気づくことです。
テレビのドキュメンタリー番組で、興味深い内容がありました。
治療困難ながんのため、余命わずかの女性が、自らの名前と顔を公開して、苦しみながらも懸命に生きる生活を公開した内容でした。
珍しいがんにかかり、専門医も少なく、治療も確立されていないとのことです。
そのため、治療の研究も思うように進んでおらず、現時点では治療が大変困難ながんとのことです。
「5年後の生存率、7%」という低い数字です。
自分の命が尽きる前に、できることをしておきたいと思ったのでしょう。
その人は、自分の顔・名前・生活のすべてを公開していました。
がんであることがどれだけ不安であるか。
がんを家族に告白する大変さ。
また国内でがんにかかっている人に、病魔と闘いながらも懸命に生きる自分の姿を見てもらい、少しでも励みにしてもらいたい。
仕事も、病気だからこそ、ほかの人より一生懸命になっている様子でした。
残りの命がわずかだからこそ、職場の仲間たちと濃い時間を過ごしている様子でした。
私は、衝撃を受けました。
個人の情報が大切だと言われている時代です。
2005年4月からは「個人情報保護法」という法律も施行され、個人の情報の扱いにはシビアになっている昨今です。
誰もが公開したがらない個人情報を公開することで病気で苦しむ人の実態が明らかになります。
目にした人の人生を変えるような、強い衝撃を与えることができるのです。
がんで残りの命がわずかであることをはっきり自覚できたからこそ、彼女は残りの人生を懸命に生きていました。
テレビという全国メディアを通して、自分の顔・名前・生活をすべて公開するという大胆な行動に出ていました。
普通の人の何倍も濃い人生を送っていました。
余命が短いからこそ命の貴重さを自覚し、一生懸命に1日1日を濃く生きていました。
それは、私たちにも当てはまることです。
人生80年と考え、あなたがもし20歳なら、余命60年です。
その余命を自覚したとき、私たちは、必ず一生懸命に生きようとします。
いえ、一生懸命に生きたくなります。
生きているだけでも、嬉しい、素晴らしいということに気づきます。
生きているからこそできる、自分を生かした最大限の仕事をしたくなります。
病であれ健康であろうと、私たちは、遅かれ早かれ、最後はこの世を去ることになります。
余命を自覚したとき、人は残りの人生を一生懸命に生きようとします。
何のために生きているのか。
生きているうちにできることは何か。
自分にできることは何か。
命の炎を、この世のために、有効に活用したいと心から思うようになります。
個人の名前・電話番号・顔写真のような個人情報さえも、大胆に公開できるのです。
自分が執着していたことは、大したことがないとわかり、大切にしていたものをぱっと手放せます。
公開することで悪用される恐れがあります。
しかし、懸命に生きる姿がそこにあれば、個人情報を公開することで、ほかの人の人生に衝撃を与え、人生を変える力にもなります。
余命を使って、どれだけ一生懸命に生きるかという気持ちの問題です。
余命を自覚し、自分を生かしきって全うする人は、自分の顔や名前を公開して、ほかの人のために仕事をするようになります。
死んでしまえば、それらの執着は幻であるということに気づき、いちばん大切なことに対して一生懸命になります。
大切な家族との時間。
仕事ができるという幸せ。
恵まれた人間関係。
どれも輝いて見えるようになり、ぱっと変わります。
ドキュメンタリーで見た女性は、がんのため余命わずか5年という短いものでした。
しかし、私もあなたも、いずれ最後は死ぬことに変わりありません。
どんなに健康でも、やはり人ですから、最後は死を迎えます。
余命が長くても、その命の貴重さをしっかり自覚できたとき、人は思いきって生きることができるのです。
隠したいと思うことがあります。
しかし、隠したいと思うことほど、ほかの人にとって大切な出来事であったりします。
「隠したい。秘密にしたい」と思うことは、誰でも1つはあります。
だからこそ、公開することで同じ境遇の人たちに衝撃を与えることができます。
ときとして、人生を変えるほどの衝撃を与え、人の生き方に影響を与えることでしょう。
私は自分の失敗はすべて公開するようにしています。
中学のときにいじめられていた経験。
高校のときにはいじめていた経験。
失恋した経験。
大学受験に失敗した経験。
自宅浪人で抱えた将来への不安。
海外留学していたにもかかわらず、英語が話せないこと。
転職を見つけるまで模索し苦しんだ日々。
自分の失敗した経験は、できるだけありのまま、公開したいと思います。
本当は、隠したいという本音があります。
しかし、思いきって公開することで、同じ境遇の人たちの助けになるなら、それでいいと思います。
そのほうが、自分の恥ずかしい失敗も生きるというものです。
恥ずかしいことをした経験があれば、私も同じ境遇の人たちの気持ちがわかります。
また、公開することで、同じ境遇の人たちの励みになるかもしれません。
お互いに同じ気持ちが共有できれば、嬉しくなりますね。
悩みを抱えているのは自分だけではないとわかったとき、すっと心が軽くなります。
「もっと一生懸命に生きてみよう」
そう、思っていただきたい。
そう思っていただくためにも、できるだけ恥ずかしい内容は、どんどん公開したほうがいい。
一生懸命に生きることが、自他ともに、どれだけ素晴らしいことであるかを伝えて、一生懸命に生きたいと思います。
あなたが隠したいと思っている内容は、必ず、同じ境遇の人の助けになります。
一度、自分の恥ずかしい経験を公開してみると、誰かの心の支えになることがわかります。
公開することで、心が軽くなるばかりか、嬉しくなります。
自分の恥ずかしい経験を、少しずつ公開していきませんか。
心が軽くなるばかりか、他人の役に立つ喜びで嬉しくなります。
一度しかない人生を懸命に生きるためにも、自分の素質・素材を十二分に活用していただきたいのです。
私たち万物の本当の姿が愛だとわかったとき、もう1つのことに気づきます。
万物は愛でできているのですから、私たちの目的も、共通のはずです。
愛の目的とは「1つになること」です。
現世では、物質的であるゆえに、元は1つでも、見た目が別々になっています。
困難を乗り越えるために勉強するように、私たちも1つであることに気づき、体感するために現世の荒波があります。
それに早く気づく人もいれば、死ぬまで気づかずにこの世を去る人もいます。
万物には「1つになる」という共通した、真の仕事があります。
生きる目的であり、天命です。
弁護士を目指す人、医者を目指す人、アナウンサーを目指す人、作家を目指す人……。
それぞれは、生まれや生き方、環境の違いこそあります。
しかし、自分の個性や資質を最大限に生かしきって、世の中の平和と幸せに貢献するという点には変わりありません。
仕事のアプローチの仕方こそ違いはあれ「1つになること」を最終目的としています。
その一点を、世界中の万物が目指しています。
私たち万物は、愛からできているからこそ、そうした共通した目的を目指そうとします。
物質的な世界では、見た目・形・色・大きさなど、さまざまな違いが生じています。
そのギャップを少しでも埋めて、世界の人たちが仲良くなろうとする働きこそ、本当の仕事です。
仕事とは「神に仕える事」と書きます。
神様が私たちに愛を与えたのですから、神に仕える仕事こそ、本当の仕事です。
私には、人生について考える素質とコンピューターに強い素質があります。
自分に備わっている素質を最大限に生かしきって、世界に平和と幸せを広めたいと思っています。
それがゆくゆくは「世界を1つにする」という万物共通の目的につながります。
あなたも、自分に備わっている素質、資質があるはずです。
長所や短所など、すべてを最大限に生かして自分が輝き、同時に他人を明るく照らすような生き方をするのです。
それこそ、最高に幸せな人生です。
悔いなく生きられる素晴らしい生き方なのです。
電話対応で、素晴らしい敬語を使って対応している人がいます。
電話口では「ありがとうございます。承知いたしました」ときれいな敬語をすらすら口にします。
敬意を払った丁寧な言葉遣いであり、人としても素晴らしいのかと思いきや、そうとは限りません。
それは「本音と建前」でいう「建前」でしかありません。
電話での本音は、切った後、出ます。
がちゃりと電話を切って、こう言いました。
「煩わしい客だった」
切った後、本音が出ます。
いくら電話対応で素晴らしい敬語で上手な対応をしていても、その一言が本音なのだとわかります。
電話で口にしていた敬語は、すべて嘘であり、まやかしであったことを表現しています。
電話の相手に聞こえていなくても、そばにいる人は聞いています。
その瞬間、ぐっと雰囲気が悪くなり、イメージが悪くなります。
電話は切った直後こそ、注意が必要です。
相手には聞こえていないと思って、言いたい放題の本音を吐いていないでしょうか。
本音は、電話を切った直後に出るのです。
「音楽がないと生きていけない」
こうした愛にあふれる力強い言葉を口にする人を見かけます。
特に、プロのミュージシャンからはよく耳にする言葉ですね。
抑えきれないほどの音楽への情熱が、こちらまで伝わってきます。
「より良い音楽をつくりたい」
「音楽で多くの人を明るくさせたい」
「音楽のおかげで、多くの困難を乗り越えることができた」
充実した時間ややる気や元気を出すために、まさに「音楽がないと生きていけない」といいます。
あなたにとって、人生を豊かにするもので欠かせないことは何ですか。
人によって、何から充実感を得られるかはさまざまでしょう。
「友人と一緒にいる時間が幸せ」と感じる人もいることでしょう。
楽しい会話から明るさや元気をもらったり、学んだりすることはたくさんあります。
知的好奇心が旺盛な人なら「本がないと生きていけない」と言うかもしれませんね。
さまざまな知識を吸収するために、なにより本を愛していると感じられます。
まさに千差万別です。
「これがあれば生きていける」ということを見つけている時点で、すでに幸せです。
さて、ここからが本題です。
充実するために欠かせないものと思っているものでも、実は「偽物」があります。
たとえば、先ほどの「音楽がないと生きていけない」という発言をする人でも、特殊なケースがあります。
音楽がないと、何も行動ができなくなったり、急に泣き出したり、いらいらしたりする人です。
これも「音楽がないと生きていけない」という状態ですが、先ほどのミュージシャンの例とは少し異なります。
心の穴を埋めるために、音楽へ依存しています。
もちろん失恋に落ち込んだり、テストで落ち込んだりなど、そういうときに音楽も必要です。
普段の自分をさらに高めたり充実させたりするための音楽は、もちろん問題ありません。
しかし、そういう場合に限らず「常に不安に襲われて、音楽がないと何もできない」というなら、要チェックです。
それは「楽しむこと」が目的ではなく「気持ちをごまかすこと」が目的になっています。
ないとまったく行動できなくなったり、やる気や元気が出なくなったりする場合は、行動する目的が「心の穴埋め」になっています。
音楽に限りません。
音楽というキーワードを別の言葉に言い換えれば、応用もさまざまです。
「友人がないと生きていけない」
「本がないと生きていけない」
愛しているから「ないと生きていけない」と言っているのか。
それとも、心の穴を埋めるために「ないと生きていけない」と言っているのか。
両者は同じ発言ですが、意味はまったく異なります。
少し自分の心の内面と向き合ってみましょう。
判断ポイントは「なくても行動できるかどうか」です。
音楽がなくても、生活しようと思えば生活できるか。
友人がなくても、生活しようと思えば生活できるか。
本がなくても、生活しようと思えば生活できるか。
自分の心の穴を埋めるために、音楽・友人・本を求めているなら、対策が必要です。
本当に目を向けるべき点は「なぜ、何もない普段から、不安や寂しさを感じてしまうのか」です。
常に不安や寂しさを感じるからには、何か原因があるはずです。
自分に自信がないからか。
両親と仲が悪く、愛を感じていないからか。
原因も一概には言えませんが「常に感じる不安」「常に感じる寂しさ」などには、必ず何か原因があるはずです。
「心の穴埋め」より「寂しいと感じる原因の穴埋め」のほうが先決です。
穴を埋めるために、音楽・友人・本に逃げるのではなく、普段から寂しく感じる原因を探り、見つけ、改善していくことです。
本当の原因を突き詰め、なくても生きていけるような状態に戻す必要があります。
真正面からチェックしてみましょう。
それが、自分の心の内面と向き合うことです。
好きなことだけをする毎日は、心に正直になった生き方です。
自分らしく生きているからです。
チューリップの花がバラの花になろうとしてもなれないように、自分は自分にしかなれません。
自分が好きなことをするのは、わがままではありません。
チューリップの花がチューリップの花になろうと、成長していることと同じです。
自分が自分らしくなろうとする自然の働きです。
徹底的に自分の好きなことや、得意分野を伸ばします。
それが自分の心に正面から向き合っているということです。
他人からは「欠点を埋めなさい」という指摘を受けるかもしれません。
しかし、欠点を埋めるより、長所を伸ばしたほうが、その人のためになります。
欠点は気にしなくていい。
ほうっておいてかまいません。
その人に必要ないということです。
できないことや苦手なことは、ほうっておいて結構です。
必要ないのですから、ほうっておいてもいい。
人間が空を飛ぼうといくら努力しても羽が生えないように、初めからできることとできないことが与えられています。
あなたがするべきことは、得意なこと・好きなことを徹底的に伸ばすことです。
神様があなたに与えた仕事です。
短所を埋める生き方より、長所を伸ばす生き方をするのです。
伸ばした長所を生かして、自分を最大限に生かせばいいのです。
2,500年前、釈迦は「人は心でできている」と言いました。
2,500年経った今でも、その言葉が語り継がれているということは、まさに真実だからという証拠です。
どんなに顔形に恵まれていても、大したことではありません。
いちばん大切なことは、心です。
心のないものは、もはや人間ではありません。
人間より正確で早い仕事ができるロボットが、なぜ人間になれないのかというと、心がないからです。
人間の本質とは、心です。
もっと厳密に言えば、心の奥にある愛です。
世間では「人間らしく生きよう」という、ありふれた言葉を耳にします。
これはどういうことかというと「愛を表現して生きましょう」ということです。
愛を表現する毎日を送ることこそ、人間らしいということです。
愛を表現できていなければ、ロボットと同じレベルです。
プログラムされた行動だけするのは、人間らしくありません。
どのくらい自分の生活に愛の表現があるかチェックすることです。
ただ、仕事をすればいいと思っていないか。
ただ、ゲームをして仮想の世界で満足をしていないか。
ただ、目的もなく、仕方なく生きていないか。
愛を表現する人生を送ることです。
愛を表現する人生とはどういうことかというと、人から「ありがとう」と言われる行動を積み重ねていくことです。
励ましであろうと、手伝いであろうと、内容は何でもかまいません。
愛を表現できれば、相手から必ず「ありがとう」という愛の言葉が、鏡のように返ってくるはずなのです。
そういう行動、そういう人生を送ることです。
それが人間らしく生きようとすることです。