「この人は器が大きいな」
そう感じたのは、20代前半のある日の休日でした。
誰に感じたのかというと、実は9歳年上の彼女でした。
器が大きいかどうかは、いらいらしたときにわかります。
嫌なことがあった後の態度です。
ある人のミスによって、あなたが迷惑を受けたとします。
「交通事故で、気が動転した」
「財布を落として、あたふたした」
「仕事で大きなミスをして、焦りを感じた」
レストランで食事のメニューを決める際は、面白いです。
何が面白いのかというと、その人の器の大きさがうかがえる瞬間だからです。
たわいない瞬間だからこそ、その人の本性が垣間見える。
私が衝撃を受けた先生がいます。
中学3年生の担任だった岡田先生という男性教師です。
教科は理科を担当されていて、色白の温厚な先生でした。
器の大きさは、時間の余裕をつくれば、自然とできます。
あらゆる余裕を確実につくり出します。
その人の輝きへと変わります。
私の職場には、絶対に切れない温和な上司がいます。
いつも温和で優しく、人望がある上司です。
彼が感情的になっているのを見たことがありません。
日常の生活の中では、どう対応すればいいのかわからないときがあります。
告白するとき。
告白されるとき。
いらいらしたことがありますか。
この問いに「ノー」と答える人はほとんどいないことでしょう。
いらいらしないなら、もうすでに悟りの境地を開いているに違いありません。
読者の方から「内容が矛盾しています」という内容をいただくことがあります。
なかなか耳の痛い内容ですが、すでに私も承知の内容です。
いつも「それは仕方ないことだよな」と心苦しく思います。
人間は、年を取るにつれて、すでにある知識で考えるようになります。
知っていることが多くなるからです。
相手の話を最後まで聞かなくても、話の途中から展開が見えてくるようになる。
器の小さい人は、つまらないジョークを言う友人を「寒いよ」と言って冷たくあしらいます。
「笑ったら負けだ」
「つまらない冗談に笑ったら自分の価値が下がる」
私がアメリカ留学中、授業でプレゼンを目にする機会が何度もありました。
アメリカでは、何かを主張するときプレゼンが当たり前です。
中国語の授業でも、学期末テストの1つに「プレゼン」がありました。
私はアメリカに留学していたころ、中国語を勉強していました。
なぜ中国語を勉強しようと思ったかというと、友人の紹介があったからです。
ある日、友人の洋平と一緒にキャンパスのテラスで食事をしていると、大きな声で手を振る人がいました。
器を大きくしたければ、海外旅行がおすすめです。
海外旅行といえば、気分をリフレッシュしたいとか、目新しい土地や建物を見たいがためにする人が多いのではないでしょうか。
なぜ海外旅行をすると器が大きくなるのか。
「職場の人間関係にうまくいっていない」
つい昨日、ある人から人間関係の悩みについて相談がありました。
「どうしたの」と聞くと、待っていましたと言わんばかりに話が始まりました。
大人になるにつれて、自分の利益を考えるようになり、執着するようになります。
お金・土地・人間関係など、目に見えることにとらわれます。
ほとんどの人々が、自分の利権にしがみついています。
今の自分ができる範囲内で仕事を引き受けていたのでは、いつまで経っても成長ができません。
できることですから、すでに手順も熟知し、自信もついているはずです。
仕事で成長を求めるときに必要になるのは「はったり」です。
幼いころ、母と一緒にテレビを見ていると、突然母が泣き始めました。
まだ幼い私は、驚きました。
テレビの番組内容に心を打たれて泣いているようでしたが、番組のどこが感動するのかよくわからなかった。
ユニークな質問があります。
あなたには勘違いをしていることがいくつありますか。
おそらくこの問いに、ほとんどの人が「勘違いはないはず」と答えることでしょう。
「違う」
「間違っている」
「あり得ない」
知識のインプットは、素晴らしい効用がある一方で、限界もあります。
知識そのものが悪いわけではありません。
知識や経験は、生活を豊かにしてくれます。
器の小さい人は、親切をして感謝されないと、むっとします。
「親切にしたのに、ありがとうの一言もないのか!」
急に機嫌が悪くなり、自分が親切にしたことを後悔します。
私たちは、時に過ちを犯してしまうことがあります。
自分の行動が原因で、思いがけず迷惑をかけてしまうことなどです。
「ごめんなさい」
ベテランの精神科医は、患者と話をしなくても、過去に背負っている暗い出来事が見えてくるそうです。
暗い過去を経験している人、過ちを犯した人、許せない出来事を背負っている人。
そういう人には、独特の表情・しぐさ・雰囲気などがあり、わかってしまうとのこと。
先日、とある読者の女性から、恋愛についてのお便りをいただきました。
嬉しい内容だったのでご紹介します。
「勇気を持って思いきって告白しました。結果はダメでした」
人の失敗を見て笑う人がいます。
相手がうまくいかなくて、内心ほっとしています。
そればかりか、笑って相手を精神的にくじけさせようとします。
給料日に銀行のATMできちんと振り込まれていることが確認できた瞬間、ほっとします。
収入ぎりぎりの生活を送っているときほど、このときの心の軽さは実感できる。
なぜほっとするのか。
器の小さい人は、人生の直線コースを選びます。
必要なことだけをする。
無駄なことはしない。
日本では「礼に始まり、礼に終わる」という素晴らしい文化があります。
少し頭を下げて礼をして、別れるときも少し頭を下げて礼をします。
礼のような特別な作法は、日本だけとは限りません。
「この人は器が大きいな」
そう感じたのは、20代前半のある日の休日でした。
誰に感じたのかというと、実は9歳年上の彼女でした。
私は彼女とデートの約束をしていました。
約束の時間、私は事情があって遅刻をしてしまいました。
遅れたのは10分ほどでした。
本来デートでは、約束の時間前に到着するのがマナーです。
大事な人と一刻も早く会いたい気持ちがありますから、待たせるなんてできません。
にもかかわらず10分も待たせてしまう。
もちろん遅刻をするのがよくないのはわかっています。
よくわかっているだけに「やってしまった」と思いました。
「遅刻が原因でけんかして別れることになるのでは……」
そういうときに限って、縁起の悪いことを考えます。
「遅刻はいけないよ」と言っている本人が遅刻をすることほど、恥ずかしいことはありません。
身支度を済ませて、急いで約束の場所へ向かいました。
朝食のパンを口にくわえながら家を飛び出すサラリーマンのような感じです。
急いで約束の場所へ向かっていると、彼女からメールが来ました。
当然、お怒りのメールだろうと思っていただけに、度肝を抜かれました。
「今どこにいるの。早く会いたいよ」
優しいメールでした。
無性に心苦しかった。
それは彼女からの「遅刻はするな」という警告です。
本当は「遅刻するなんて許せない!」と言いたかったのでしょう。
怒りをぐっとこらえているのがよくわかります。
「遅刻するな」を「早く会いたい」という言葉で言い換えています。
泣きそうでした。
これが彼女の器の大きさです。
いらいらした気持ちに任せて「いらいらメール」を送るのではありません。
それは普通です。
いらいらをぶつけると、けんかになります。
器の大きい人は、いらいらしてぶつけてもけんかになるだけだとわかっています。
いらいらの気持ちを、できるだけ別の表現に言い換えるのが上手です。
たかがデートの待ち合わせとはいえ、その人の素顔が見える瞬間でした。
「すごいなあ。私もこういうところを学ばなければいけないなあ」
年上の器の大きさにしびれた一件でした。
器が大きいかどうかは、いらいらしたときにわかります。
嫌なことがあった後の態度です。
ある人のミスによって、あなたが迷惑を受けたとします。
今後トラブルが起きないように「今度から気をつけてね」と少し注意をするくらいならいいでしょう。
しかし、必要以上にどぎつい言葉で言い返す人をときどき見かけます。
嫌なことがあったとき、その不快感をとげのある言葉にして表現しようとします。
「ばかじゃないの」
「あなたは最低」
「あきれて言葉が出ない」
いらいらしますから、どぎつい言葉はとんできて当然と思います。
しかし、ちょっと言いすぎです。
言い方というものがありますね。
いらいらをそのままぶつけると、ぶつけられた相手は落ち込みますし、気分を悪くしてしまいます。
自分が不愉快になったから、相手にも同じような不愉快をさせようとすることです。
自分と同じ苦しみを、相手にも同じように味わわせようとしている。
それは子どものけんかと同じです。
いらいらさせるほうにも落ち度はありますが、とげのある言葉にする人にも落ち度はあります。
どちらもレベルがあまり変わらないということです。
もちろん人間ですから、いらいらする気持ちはあってもかまいません。
大切なことは、いらいらする気持ちになったとき、受け止められるかどうかです。
いらいらを吸収できるのが、大人です。
どちらかが器の大きな大人にならなければなりません。
いらいらしても厳しいことを言ってもいい。
言ってもいいですが「言い方」や「言葉遣い」には注意しましょう。
ささいな言い方や言葉遣いで、トラブルをさらに大きくしかねないのです。
「交通事故で、気が動転した」
「財布を落として、あたふたした」
「仕事で大きなミスをして、焦りを感じた」
気が動転しているときには、何をどうしていいのかわからなくなります。
何から手をつければいいのかわからず、途方に暮れる。
「どうしたらいいか。どうすればいいか」
何かアクションを起こしたいのはやまやまですが、焦りのせいで頭が回りません。
無理に考えようとするから、さらに焦りを誘発させ、気が動転する。
いらいらしていると呼吸が浅くなり、酸素の供給が少なくなります。
焦ると脳の活動は活発化しますが、一方で呼吸が浅くなるので「酸欠状態」になります。
脳に酸素が足りなくなると、落ち着いて考える余裕もなくなります。
悪循環です。
では、どうすればいいのか。
そういうときこそ「目をつぶってゆっくり深呼吸」です。
単なる「深呼吸」ではありません。
「目をつぶって、ゆっくり深呼吸」がポイントです。
まず目をつぶります。
力を入れず優しく目を閉じます。
目をつぶることで目から入ってくる刺激が一切なくなります。
3~4秒かけて鼻から息を吸いましょう。
次に口をすぼめながら6~8秒かけてゆっくり口から息を吐きましょう。
それを3回繰り返します。
ほんの1分にも満たない時間ですが、あなたの余裕は抜群に取り戻す効果があります。
深く深呼吸をすれば、脳に酸素が行き渡って落ち着けます
その時点で脳に余裕が生まれます。
考えられなかったことが考えられるようになり、頭を整理して考えることができるようになります。
その結果、思わぬ解決策・突破口・活路などが見えてくる可能性が大きくなります。
難しくない、たったそれだけです。
レストランで食事のメニューを決める際は、面白いです。
何が面白いのかというと、その人の器の大きさがうかがえる瞬間だからです。
たわいない瞬間だからこそ、その人の本性が垣間見える。
友人と一緒にレストランに入り、メニューを決めようとするとき、次のようなやりとりを見たことがありませんか。
「Aメニューにします。やっぱりBメニューにします。あ、Cメニューもいいなあ。どうしよう……」
一度決めたけれど途中で考えが変わり、注文が変わるということです。
考えが浅い人は、必ずメニューを選んだ後、もう一度変更します。
率直な答えでいいですが、考えが浅いため、一度口にした発言を変更したり撤回したりすることがよくあります。
「あれもいいな。これもいいな」と迷うのはわかります。
迷うのはいいですが、迷いが延々と続くと「早く決めてくれよ」と思うことがあります。
そういう人に限って、注文をした後「やっぱりDメニューのほうがいい。変更してもらうように伝えてくる」といいます。
まだ注文する前に迷ったり変更したりするのはいいでしょう。
注文する前ですから、いくら迷っても特に問題はありません。
しかし、注文した後に変更しようとするとなると、話は変わります。
お店の人は笑顔で「いいですよ」と言ってくれますが、実はひやひやしています。
つくり始めてからのやり直しは、実は迷惑です。
食材を用意し、調理を始めている途中かもしれません。
つくりかけてからのメニューの変更は、せっかくの食材を捨ててしまわなければなりません。
お金ももったいないし、エコではありません。
注文した後に変更したくなっても、よほどの理由がないかぎり、変更しないほうがいい。
注文後すぐ言えば調理に間に合うかもしれませんが、あえて変更しません。
自分の決断と発言に責任を持つためです。
そういう習慣をつけるためです。
自分が決めたことは、後で変えない癖をつけると、決断力と責任能力がつきます。
一度決断し口にした発言と貫く姿勢は、器の大きさへと変わります。
ころころ意見が変わる政治家は信用できないように、ころころ意見の変わる人も信用されなくなります。
これは癖です。
学生時代に、思ったことをすぐ口にする癖がついていると、自然と考えも浅くなります。
「一度口にしたことに責任を持つ。あとから意見を変えない」ということです。
大人になるにつれて、そういう習慣をつけて、決断力と責任能力を養っていくのです。
私が衝撃を受けた先生がいます。
中学3年生の担任だった岡田先生という男性教師です。
教科は理科を担当されていて、色白の温厚な先生でした。
いつもにこにこしていて、授業は明るさにあふれていました。
学生時代、先生の中にはやけに女子にモテる先生がいますが、まさにそのタイプです。
岡田先生はなぜか女子学生にモテていて、うらやましく思いました。
年齢は40代ですが、先生が醸し出す独自の明るい雰囲気が人を寄せ付けていました。
先生の特徴は、生徒を叱るときに現れます。
最初の注意は「優しさ」です。
初めは、笑顔になって「こら。そういうことしたらダメでしょう」と柔らかい言い方で注意します。
怖い顔で注意されると緊張しますが、笑顔で優しく注意されるので受け入れやすいです。
先生は、注意されたときの生徒の精神的ダメージを考えて、笑顔で注意してくれました。
その気遣いは、中学生でも感じ取れます。
たいていはそれでほとんどの生徒が注意を受け入れます。
しかし、思春期の学生です。
いつもにこにこしている岡田先生を生ぬるいと感じ、なめる生徒がいます。
笑顔になって何度も注意をして、それでも言うことを聞かないとき、岡田先生は急変します。
2つ目の叱り方は「怒り」です。
今でも忘れない、ある日の理科の授業でした。
授業中「こら」と何度笑顔で注意しても言うことを聞かない生徒が、1人いました。
完全に岡田先生をなめている生徒でした。
すると、いきなり先生がその生徒の机をひっくり返して、怒鳴り散らしたことがありました。
「もう帰っていい。授業を受けなくていい。もう学校にも来なくていい!」
いつもは優しい言葉を使う先生が、いきなりどきつい言葉で叱り始めます。
もちろん生徒は驚きです。
いつもは穏やかな先生ほど、怒ると怖いとはまさにそのことです。
さすがに偉そうにしていた生徒も驚いて、言うことを聞くようになりました。
叱っているとはいえ、自制心を失っている様子ではありませんでした。
自制心を失うと、殴ったり蹴ったりする場合がありますが、先生はそういうことはしません。
厳しい言葉で叱ります。
驚いたのはそれからです。
しばらく叱った後「では、授業の続きをします」と言って、普段の温厚な岡田先生に戻ります。
怒るときも急変しましたが、元に戻るときも一瞬です。
そのとき直感しました。
先生は、生徒に応じて、2種類の叱り方を使い分けているのだとわかりました。
初めは「優しさ」で注意し、それでも言うことを聞かない生徒は「怒り」で注意するという教育方法です。
たいてい普通の先生は、いつも優しいか、いつも怖いかのどちらかです。
しかし、岡田先生には両方があり「普段は優しいけど、怒ったら怖い」という先生でした。
笑顔になるのも、怒るのもどちらも、コントロールできていました。
そういうとき、先生の器を感じました。
この岡田先生の「優しさ」と「怒り」の叱り方によって、クラスはいつも平和でした。
ほかの先生以上に深く印象に残っているのは、優しさと怒りの両方があった先生だからです。
器の大きさは、時間の余裕をつくれば、自然とできます。
あらゆる余裕を確実につくり出します。
その人の輝きへと変わります。
たとえば、仕事で会社へ出社するときです。
会社へ時間ぎりぎりに出社する人は、余裕のない人です。
目覚まし時計に叩き起こされ、飛び起き、パンを口にくわえながら家を飛び出ます。
9時に出社なら、8時58分に到着します。
まさにぎりぎりです。
「別に早く来ても仕方ない」「何もすることがない」と思っています。
往々にして、仕事が嫌いな人ほど、ぎりぎりに出社しています。
嫌だから、少しでも仕事に触れる時間を短くしたい。
しかも出社してまず何をするのかというと、休憩です。
汗を拭いて、呼吸を整え、しばらく仕事に手を付けられません。
ぎりぎりこそ快感だと勘違いしています。
そういう一連の動作から、器の小ささがうかがえます。
一方、時間より早く出社する人は、余裕のある人です。
10分前は当然のこと。
人によっては30分や1時間も前から早く出社します。
もちろん仕事に早く手を付けてもいいですが、早く出社するからとはいえ、別のことでもかまいません。
新聞を読んだり読書をしたりします。
許されるなら、会社のデスクで朝食やコーヒーでもいいでしょう。
ほかの人より早く出社し、読書で脳をリフレッシュさせたり、仕事を早めに手を付けたりします。
そうすると、明らかにぎりぎりに出社する人との間に、雲泥の差が出ます。
余裕は力です。
器の大きい人は、そういう余裕こそ気持ちよく感じているのです。
私の職場には、絶対に切れない温和な上司がいます。
いつも温和で優しく、人望がある上司です。
彼が感情的になっているのを見たことがありません。
電車遅延などで、その上司に遅刻の報告をすると「気をつけて出社しなさい」という優しいメールが返ってきます。
器の大きさが感じられる上司のポイントを知りたいと思い、ある日、聞いてみました。
「どうしていつも穏やかなんですか」
すると、思わぬ答えが返ってきました。
「小さなことだから気にしていないよ」
はっとしました。
ささいなことだから、気に留めていないだけです。
あらためて考えると、私たちがいらいらするのはどれもささいなことばかりです。
コーヒーがこぼれた。
遅刻した。
無視された。
服に汚れがついた。
うまく話ができなかった。
別にけがをするわけでも命を取られるわけでもありません。
器の大きい達人たちは「気にするなら、小さなことではなく重大なことを気にしなさい」と考えています。
器が大きいとは、これです。
大切なことは、何を気にするかです。
小さなことにとらわれていると、いつも振り回されるため、いらいらしやすくなります。
ささいなことは、いい意味で「鈍感」になればいい。
気にしません。
けがをするわけでも、命を取られるわけでもありませんから、無視していい。
それは悪い意味ではなく、いい意味です。
気にするなら、重要なことを気にすることです。
電車遅延の報告をしたとき「気をつけて出社しなさい」というメールの真意がわかりました。
もちろん遅刻はよくありませんが、別にけがをするわけでもないし、死ぬわけでもない。
それより重要なことは、遅刻で焦ったがために事故を起こさないかということです。
焦りは誰にでもあります。
急いでいるうちに、信号無視をして交通事故に遭ったほうが大事件です。
それは命に関係します。
たかだか10分ほどの遅刻でも、焦りが生じると判断力が低下し、交通事故を起こす可能性が大きくなります。
死んだら最後。
取り返しはつきません。
上司は、一歩先を読んでいました。
遅刻をしたときに「気をつけて出社しなさい」というメールには、そういう上司の器の大きさがうかがえるのでした。
日常の生活の中では、どう対応すればいいのかわからないときがあります。
告白するとき。
告白されるとき。
仕事でミスをしたとき。
友人関係で悩んだとき。
特に、初めての経験ほど、あたふたしてしまい、挙動不審になってしまいますね。
こういうときにはどうすればいいのでしょうか。
おすすめは「器の大きな理想的な人を思い浮かべること」です。
あなたの身の回りに「貫禄があるなあ、威厳があるなあ」と思える人物はいますか。
日常生活の中でどうすればいいのかわからなくなったら、まず理想的な人を思い浮かべてみましょう。
上司・先生・友人など思い浮かべてみましょう。
もしいなければ、大物芸能人でもOKです。
あなたが「この人は器が大きいぞ」と思う人なら誰でもかまいません。
映画の中の人物でも、漫画の中の登場人物でもいい。
「あの人だったら、この場面でどう対処するだろうか」
自分が憧れる理想を思い浮かべることで、心が落ち着けます
感情が落ち着くだけでも、かなり違います。
小さなことに振り回されていることに気づくからです。
私はいつも漫画『ベルセルク』の中で登場する「グリフィス」というリーダーを想像しています。
「鷹の団」というグループの物静かなリーダーですが、判断力があり、いつも冷静沈着です。
一度しかない人生をかけて、夢を追いかけ、全力で生き抜く姿も憧れます。
初めは小さな鷹の団が、彼の大きな器に引かれ、大勢の仲間が集まります。
ついには国のトップにまで上り詰めるという作品です。
漫画の中の世界ではありますが「こういうふうになれればいいなあ」と思っています。
そういうイメージをつくっていると、普段の生活も変わります。
いらいらしそうになれば、理想を思い浮かべて、自らを正す。
そういう瞬間を、一つひとつ積み上げることです。
いらいらしたことがありますか。
この問いに「ノー」と答える人はほとんどいないことでしょう。
いらいらしないなら、もうすでに悟りの境地を開いているに違いありません。
人間として生きているかぎり、やはり一回は必ずあります。
表情がこわばり、眉間にしわが寄り、態度もあたふたします。
そういう表情や態度は、器が小さく見えます。
感情に振り回され、自分を見失っているように見えるからです。
すぐ切れる人は尊敬できないように、いらいらしやすい人も尊敬できません。
では、いらいらしそうになったらどうするか。
笑顔になりましょう。
表情がこわばり、眉間にしわが寄るからいけません。
ウエイトレスがコーヒーをこぼして、あなたの服が汚れたとき、むっとするのではなく、笑顔で「大丈夫ですよ」といいます。
すると、相手も周りの人も驚きます。
いらいらするべき瞬間に笑顔になっていると、余裕があるように映ります。
精神的な余裕が感じられ「あの人は一味違う」と思われます。
尊敬のまなざしです。
事実、笑顔になっていると、緊張を和らげる作用もあります。
緊張が緩むことで、いら立つ感情もストレスも小さくなります。
冷静になって対応しやすくなるのです。
読者の方から「内容が矛盾しています」という内容をいただくことがあります。
なかなか耳の痛い内容ですが、すでに私も承知の内容です。
いつも「それは仕方ないことだよな」と心苦しく思います。
私は、そもそも答えを完全に1つに固定しようとは思いません。
それはできないからです。
「状況に応じて正しい答えは変化しますよ」と答えるようにしています。
人生では、矛盾は発生して当然です。
正しい答えは、状況に応じて変わります。
単純な例を挙げます。
たとえば「デートの場所はどこがいちばんいいのか」という悩みです。
デートの場所はたくさんあります。
しかし「どこがいちばんいいのか」となると考えさせられます。
ベターではなく、ベストは状況によるからです。
もし晴れていれば、テーマパークのように外へ出かけるのがいいでしょう。
雨が降っていれば、映画や買い物など、屋内でデートをすればいい。
寒ければ、温かい場所がいいでしょう。
暑ければ、涼しい場所がいいでしょう。
気分が優れないとき、おなかがすいているときなど、状況によってさまざまですね。
状況しだいです。
私は「正しい答えの提供者」ではなく「選択肢の提供者」です。
どうすればいいのかわからないときに「こうすればいいよ」という選択肢の1つを伝えます。
さすがに、あなたが今どこでどんな状況なのかを判断するのは無理です。
超能力者ではありません。
最後に物をいうのは、あなたの「臨機応変」だと思っています。
あなたの今の状況によって判断してほしい。
紹介している内容が、あるときは無駄と思える話もあるでしょう。
しかし、あるときは、無駄と思った知恵が、あとから生きてくることもあるでしょう。
状況がマッチしているかどうかです。
もちろん知識や知恵を身につけることも大切です。
しかし、それ以上に臨機応変の対応ができる能力は、さらに重要です。
1つの手段しかなければ、その人の行動範囲はとても制限されたものになり、可能性も制限されます。
どんなにたくさんの知識や知恵を持ち合わせていても、臨機応変がなければ生かされません。
臨機応変があることで、たくさんの知識も知恵も初めて生かされます。
どんなに知識や知恵があっても、臨機応変がないと、うまく生きていけない。
矛盾にこだわらず、たくさんの矛盾を持っている人のほうがいい。
後は、あなたが状況によって臨機応変に選択を使い分ければいいだけです。
人間は、年を取るにつれて、すでにある知識で考えるようになります。
知っていることが多くなるからです。
相手の話を最後まで聞かなくても、話の途中から展開が見えてくるようになる。
すると、ろくに人の話を最後まで聞かずに口を挟んだり、先入観で考えてしまったりします。
話を最後まで聞かない人は嫌われます。
頑固な人に共通するのは「人の話を最後まで聞かない」ということです。
人の話を聞かない政治家によく見られる話し方です。
何を言っても否定から始まり、実りがありません。
人の話を聞けなくなったら「頑固」の始まりです。
頑固は、人の話を聞かなくなるから、そうなります。
では、いつから人の話を最後まで聞かなくなるのかというと、実は早い時期から始まります。
学生時代からです。
「でも」という口癖がある人は要注意です。
相手の話に賛成できないとき、普通は「でも」と言って言い返しますね。
いくら賛成できないと言っても、いきなり否定から始まるのは良くありません。
いきなり否定するから相手は不機嫌になり、会話が弾みません。
人間関係が悪くなるばかりか、相手の話を拒否するから、頭も固くなってしまう。
これでは自分の都合のいい情報しか入ってこなくなります。
「でも」という口癖があるなら、気をつけましょう。
では、相手の話に賛成できないときには、どう言えばいいのでしょうか。
あなたの器を大きくする魔法の言葉があります。
今日から会話をするとき「でも」の前に「そうだね」を追加するようにしてみましょう。
追加するだけでOKです。
「そうだね。でも~」となるだけで、堅苦しい会話の雰囲気が柔らかくなります。
相手の言葉を最後まで聞き入れてから、会話を始めているからです。
たしかに否定には変わりありませんが、器の大きさを感じる言い方です。
会話を最後まで聞き、一度受け入れてから答えている。
どんなに否定的な考えも、一度受け入れることです。
受け入れてみると、初めは否定していた内容も、納得できる意見かもしれません。
もしかしたら、あなたが毛嫌いしているだけかもしれません。
先入観だけで判断しているのかもしれませんね。
まずは「そうだね」と言って、一度受け入れることです。
すると、あなたの頭が柔らかくなるのです。
器の小さい人は、つまらないジョークを言う友人を「寒いよ」と言って冷たくあしらいます。
「笑ったら負けだ」
「つまらない冗談に笑ったら自分の価値が下がる」
「そんな低俗な冗談に笑うほど、自分のレベルは低くない」
そういう狭い価値観に縛られていることは、すでに器が小さい。
頭が固くなっています。
つまらない冗談に笑おうとしない人こそ、つまらない人間です。
そういう人は人間関係が制限されます。
つまらないことを言うと侮辱されると思うので、付き合うときは気の利いた面白いことしか言えなくなります。
それは一緒にいて緊張しますし、気を使います。
人との関わりが狭くなり、友人が減ります。
器の大きい人は、いつもむすっとしているイメージがありますが違います。
いつもにこにこしています。
何でも面白がる感性を持っているからです。
視野が広く、考える幅が広いです。
器の大きい人は、あらゆる冗談に対応します。
そもそも器が大きいので、何でも面白がる感性を持っています。
「布団が吹っ飛んだ」というジョークがくれば「わはは。面白いね!」と言って笑います。
つまらない冗談だから笑うくらいでいいです。
面白いから笑うのではなく、笑うから面白くなります。
それが価値観の幅を広げることです。
笑った人が、人生を楽しめます。
あらゆるものを受け入れる器を持っている人こそ、器の大きな人です。
笑顔の人がモテるのは「何でも笑ってくれる価値観」に興味を引かれるからです。
「この人と一緒にいるといつも楽しそうだな」
何でも笑う人を見て、私たちは直感的に感じます。
誰にでもジョークに失敗して、滑ることがあります。
つまらないジョークでも、笑ってくれれば成立します。
人間関係は長続きし、深まるのです。
私がアメリカ留学中、授業でプレゼンを目にする機会が何度もありました。
アメリカでは、何かを主張するときプレゼンが当たり前です。
中国語の授業でも、学期末テストの1つに「プレゼン」がありました。
先生やみんなの前で「今まで学んだ中国語を使って、何かを発表する」という課題が出たことがあったくらいです。
ありきたりな発言でも、プレゼンがうまければ大きな拍手がもらえます。
私もジョークで頑張りましたが、全然ダメでした。
もっと上手で、機知に富んだ発言をする人がたくさんいて、すごいなあと思いました。
気づいたのは「プレゼンがうまい人ほど、まずジョークから始まる」ということです。
必ずジョークから始まると言っても過言ではありません。
まず冗談を言って、聞いている人たちを笑わせます。
笑っているうちに、いつの間にか説明が始まっているという流れです。
ユーモアにたけている人が発表するプレゼンほど、よくできているものが多かったことが印象です。
機知に富んだユーモアを言えるくらい頭がいいですから、プレゼンの内容も深く掘り下げられていて、充実していました。
もしかしたら、笑っているから発表内容も充実しているように聞こえたのかもしれません。
ジョークには、発表内容の評価まで変えてしまう力があります。
肩の力が抜けてリラックスでき、難しい話も前向きに聞けるようになるからです。
どれだけ論文が優秀なのかではなく、どれだけ笑いを取れたかで成績順が決まっていたくらいです。
ぼけない人の共通点は「ユーモアがある」ということです。
長寿のお年寄りとお話をすると、必ず会話にユーモアがあります。
なぜユーモアのある人はぼけないのかというと、頭を使うからです。
当たり前のことを当たり前に発言するのもいいですが、普通すぎます。
「普段の発言に、いかにプラスアルファを加えるか」です。
「今日は天気がいいですね」という当たり前の発言もいいですが「今日は天気がいいから、溶けてしまいそう」というくらいでいい。
そんな程度でもいい。
滑ってもいいし、大げさな話でもいい。
聞いている人を大笑いさせようとしなくても、にっこりさせる程度の話ができればOKです。
もう少し何かひねりを入れてみましょう。
プラスアルファのユーモアが1つでも積み重なると、頭の体操になるのです。
私はアメリカに留学していたころ、中国語を勉強していました。
なぜ中国語を勉強しようと思ったかというと、友人の紹介があったからです。
ある日、友人の洋平と一緒にキャンパスのテラスで食事をしていると、大きな声で手を振る人がいました。
「ヨンピン。ニーハオ(洋平! 元気かい)」
「ヨンピン」というのは、その友人の名前「洋平」の中国語の発音です。
洋平は驚いて、中国語でなんて返事をしていいのか絶句していました。
洋平はリャオ先生の授業の卒業生でした。
先生が名前を覚えてくれていた嬉しさと、突然話しかけられ、中国語が思い浮かばず、言葉に詰まっていました。
私は「温厚な雰囲気の先生だ」と思いました。
底抜けに無邪気な笑顔がすてきな先生でした。
洋平も「あの先生はおすすめだよ。授業がとてもわかりやすい」と勧めてくれました。
そうした経緯で、私はリャオ先生の授業に興味を抱き、中国語を勉強し始めました。
中国語クラスへ行くと、すでに生徒はいっぱいでした。
リャオ先生の評判はすでに学校で広まっていて、自分以外にも受けたがろうとする生徒がたくさんいました。
リャオ先生は、40代後半の男性講師でした。
いつもにこにこしていて、明るい先生でした。
語学の勉強でいちばんの障害になるのは「恥ずかしさ」です。
語学の授業というのは、言葉にとらわれがちです。
変な発言をしていないか。
間違った文法を使っていないか。
発音がおかしくないか。
語学の勉強をするために来ていますから、恥ずかしがり屋はそういうところでつまずきます。
私も恥ずかしがり屋であり、発言に尻込みをしていた1人でした。
しかし、リャオ先生の授業は違いました。
先生には口癖がありました。
「很好」です。
日本語に訳すと「いいね」「なるほど」という意味です。
先生は、生徒のあらゆる発言でも、まず「ヘンハオ」と言って、肯定します。
先生は「素晴らしい発言をした」という意味ではありません。
「恥ずかしい気持ちを乗り越えてよく発言できたね。その勇気は素晴らしいよ」という意味の「ヘンハオ」です。
そういう意味でヘンハオを言っていると、授業を受けている生徒たちへは自然と伝わります。
先生が必死に生徒たちに教えようとする熱意は、自然と生徒に伝わります。
たどたどしい発言も、間違った発音も、すべて「ヘンハオ」と笑顔で返答してくれます。
すると、嬉しいです。
「間違ってもいいんだ。もっと発言したいな」
イントネーションが違っていたり、間違った使い方をしたりすれば、その都度リャオ先生はにこにこしながら指摘してくれます。
発言する内容そのものを否定するときも、まず「ヘンハオ(なるほど、いいね)」と発言してから「でも」と言って反論します。
「この先生からもっと授業を教わりたい」
そう思わせる授業でした。
だから、リャオ先生の授業はいつも人気でした。
リャオ先生は、私の人生を変えてくれた人です。
人間は、発言を受け入れてもらえると「もっと発言がしたい」という気になります。
先生は、生徒たちに「発言したい」と思わせる授業をする天才でした。
語学の勉強では、生徒に「もっと発言したい」と思わせれば、勝ちです。
生徒たちは、自然とアウトプットしたがり、そのために勉強を積極的にするし、語学力も自然に向上します。
リャオ先生から、およそ2年間、中国語を学びました。
最後には、生徒全員が中国語でプレゼンができるほどになっていました。
これもリャオ先生の「ヘンハオ」のおかげだと思っています。
器を大きくしたければ、海外旅行がおすすめです。
海外旅行といえば、気分をリフレッシュしたいとか、目新しい土地や建物を見たいがためにする人が多いのではないでしょうか。
なぜ海外旅行をすると器が大きくなるのか。
「許容範囲を広げるから」です。
海外に行くと、驚きの連続です。
通貨も言葉も文化も人種も異なります。
まず、通貨が全然違うのに困惑します。
レジでお金を払いたいのに、どのコインがいくらなのかわからず、違和感を覚えます。
言葉がわからないので、自分の気持ちをどう表現していいのかわかりません。
表現できないもどかしい気持ちを何度となく味わうことになるでしょう。
文化も違いますから、何をどうしていいのかパニックになるはずです。
自国のことしか知らないと、すべてだと思います。
世界は広い。
いつも慣れているものばかりに触れる生活もいいですが、知らないものに触れる生活は、もっと大切です。
知らないことは山ほどあると痛感できる絶好の機会です。
それぞれの国には、それぞれのスタイルがあり、考え方や文化があります。
「理解できない」
「違和感がある」
「わからない」
「矛盾している」です。
特に「矛盾」していることは、理解に苦しむこともあるでしょう。
私は台湾にある「士林」という地区にある「士林夜市」に行ったことがあります。
ガイドブックには「驚きの屋台街」と書いていましたが、本当に驚きばかりでした。
特に驚いたのは、くさい食事をおいしそうに食べる家族連れです。
表現が悪くなりますが、私が感じたままに表現すれば、そうなります。
私たちは、いいにおいのものをおいしく食べるものだと思います。
しかし、世界は広い。
においが悪くても、慣れなのか文化なのか、おいしく感じてしまう矛盾があります。
日本の納豆も、外国人から見れば「なぜあんなくさい物を食べるのか」と思います。
私も日頃から納豆をよく口にしますが「なぜ」と言われてもよくわかりません。
「言われてみればたしかにくさいけど、でもおいしい。なぜおいしいのかはよくわからない」
そういうものです。
おそらく士林で見かけたくさい食事をおいしそうに食べる家族も、同じような感じなのでしょう。
「なぜ? 理解できない! わからない! 矛盾している!」
そういうのを見て「いい・悪い」と判断しないことです。
ありのままを受け入れます。
これらはすべていい勉強です。
そのとき、視野が広がり、価値観が深まります。
たくさんの価値観に触れていると、だんだん自分の視野が広がります。
世界が広がり、許容範囲が広がるとはこういうことです。
こういう驚きを経験し、受け入れることは大切です。
「慣れない刺激に、慣れる」
これが器を大きくさせます。
海外旅行に行った後は、国内で経験する出来事も受け入れやすくなるでしょう。
誰かと意見が対立したときは、海外旅行での出来事を思い出しましょう。
「理解できないが、そういうものだ」
そう考えると、世の中にはあらゆることが自然と受け入れやすくなるのです。
「職場の人間関係にうまくいっていない」
つい昨日、ある人から人間関係の悩みについて相談がありました。
「どうしたの」と聞くと、待っていましたと言わんばかりに話が始まりました。
「Aさんは私のことをこう思っている。Bさんは私のことをこう思っている。私はどうしたらいいのだろうか」
話をよく聞くと、別に職場で嫌がらせにあったり、いじめられていたりというわけではありません。
ただ、どう見られているのかわからず、妄想を膨らませていました。
多くの人からどう見られているかを気にしすぎているようです。
一方、私は彼女の素晴らしい客観的な視点に驚きました。
やはり人は、まず自分にいちばん注意を向けます。
それはほとんどの人がそうですが、彼女の場合は、他人からどう見られているのかという感心を、人一倍強く持っているようでした。
しかもほかの人の行動や見方を、詳しく分析していました。
そういう細かいところを気にする性格にも悩んでいる様子でした。
実はこういう人は、素晴らしい長所を持っています。
短所ではありません。
あらゆる短所は、必ず長所になります。
少し見方や使い方を変えるだけです。
他人からどう見られているかを気にするタイプなら、その能力を生かせることをすればいい。
たとえば、作家などに向いていることでしょう。
他人からの視線がよく見えている人が執筆をすれば、客観的で具体的な内容が書けるはずです。
主観的な見方だけでなく、客観的にどう見えているのか。
その力を生かせる方法で仕事を進めたり、全力で発揮できる分野に転職したりすればいい。
しかし、逆もあります。
あらゆる長所は、短所にもなりえます。
たとえば、私は物事を深く考えられるという性格があります。
私はこれを長所だと思っていますが、短所でもあると思っています。
物心ついたときからこういう性格で、なぜかと言われても、私にもよくわかりません。
知り合いからは「普通の人はそんなことまで考えていないよ。深く考えられるんだね」と感心してくれます。
「考えすぎだよ」と言われると、また考えすぎてしまうタイプです。
こういう性格だからこそ、今こうやってたくさんの文章を書けていますが、そう単純な話ではありません。
見方を変えると、短所になります。
私は、深く考え込む性格のため、頻繁に泣いたり落ち込んだりします。
考えるのが疲れて嫌になっても、また考えてしまう。
留学中、アメリカで一人暮らしをしていました。
部屋の窓を見るたびに「飛び降りれば楽になるだろうな」と、縁起の悪いことを考えていた時期もあります。
芥川龍之介や太宰治は自殺で亡くなりましたが、気持ちは少しわかります。
おそらく私以上に深く考えてしまい、自分の操作を誤ってしまったのでしょう。
だからこそ素晴らしい作品を残しましたが、惜しんでも惜しみ切れない死でもありました。
ささいなことを深く考える性格は、長所にもなりますし短所にもなります。
いろいろ考えましたが、ある考えに行き着き、落ち着きました。
「どうせ死ぬなら、今の性格を最大限に発揮してからにしよう」
私の場合、死ぬことは結構前向きに捉えています。
人間、誰でも最後は死ぬからです。
違いと言えば、遅いか早いかくらいです。
しかし、ただ生まれてしまったから、何もせずぼうっと生きるくらいなら、何か人の役に立つことをしてからこの世を去りたい。
食べて寝るだけの生活は嫌です。
せっかく生きていますから、生かしたい。
短所は長所として生かし、長所はもっと伸ばせるような生き方を考えました。
私は、サイトを吐き出し続ける場所として活用しています。
今サイトがなくなれば、私はどうしていいのかわからず、芥川龍之介や太宰治のように自殺してしまうかもしれません。
性格は変えるのではなく「人や社会のために生かすような形」として活用すればいいのです。
大人になるにつれて、自分の利益を考えるようになり、執着するようになります。
お金・土地・人間関係など、目に見えることにとらわれます。
ほとんどの人々が、自分の利権にしがみついています。
「自分の利益になることはOK。不利益になることはNG」
こういうことから問題が発生します。
一歩も譲ろうとしません。
そのために、多くの争いが生まれています。
理想的な解決方法は、もちろん「WIN&WIN」です。
これはすでにご存じですよね。
お互いにとって、プラスになる解決方法があれば、話はすぐ進んで問題解決しますね。
しかし、何でもそう簡単にWIN&WINになるような話はありません。
WIN&WINの解決方法ばかりに執着していると、思わぬ落とし穴に陥ります。
自分にとって利益がないことは、いつまでも問題が解決しないまま、長期戦になってしまいます。
問題の内容によっては、どちらかが痛みを感じないと絶対に解決できないこともあります。
これではいつまで経っても解決はできません。
仲たがいが続けば、これからもずっといがみ合いが続くことでしょう。
その間はお互いが痛みを与え続けてしまいます。
痛みを長く感じ続けることになるので、最も大きく痛みを味わっていることになります。
悲しいかな。
痛みを避けた選択が、結果としていちばん痛みを感じてしまう選択へとなります。
問題内容によっては、永遠に解決しないものもあるかもしれません。
問題解決では「WIN&WIN」による解決方法と、もう1つ特別な方法があります。
「譲歩」です。
初めからプラスを求めない。
まずマイナスを感じてから、プラスに転じる方法です。
これが大切です。
あえて自分の主張を引っ込め、他人の意見を飲み込んでみる。
あえて自分が面倒な役を引き受けてみる。
あえて一歩引き下がる勇気を持つことです。
当然、どちらかが痛みを味わうことになるでしょう。
面倒が発生したり、肉体的・精神的・金銭的な痛みが発生したりするはずです。
しかし、その一度の痛みで問題が解決すれば、実は最も小さな痛みになります。
一度の面倒で、丸く収まる場合があります。
それが「大局的な目で見た判断」ということです。
器の大きな人なら、そういう度量の広い選択ができるはずです。
問題に囲まれ身動きが取れなくなったとき、いま一度、そういう見方を思い出してほしい。
一度の痛みを受け入れることで、解決できる痛みがあるのです。
今の自分ができる範囲内で仕事を引き受けていたのでは、いつまで経っても成長ができません。
できることですから、すでに手順も熟知し、自信もついているはずです。
仕事で成長を求めるときに必要になるのは「はったり」です。
成長とは、今までできなかったことができるようになるということです。
そのために必要なのは、ほんの少し「背伸び」をする必要があります。
ちょっとだけ無理をします。
「今はできそうにないけど、ちょっと頑張ればできそうだ」
筋トレと同じイメージです。
体を壊さない程度に負荷を増やして、強くなります。
もちろんいきなり大きすぎる負荷は良くありません。
うまくいかないのは当然であり、挫折を招いてしまいます。
時間をかけて結構です。
挫折をしない程度に、ほんの少し無理をして背伸びをして、ゆっくり成長します。
少しずつできることを増やしていくことを「成長」といいます。
成長とは、背伸びの繰り返しです。
「ちょっと背伸びで頑張って、できるようになる」
いつの間にか、あなたはできないと思っていたことができるようになっています。
初めは手の届かなかった仕事が、いとも簡単にできるようになっているのです。
幼いころ、母と一緒にテレビを見ていると、突然母が泣き始めました。
まだ幼い私は、驚きました。
テレビの番組内容に心を打たれて泣いているようでしたが、番組のどこが感動するのかよくわからなかった。
人の死に関する内容であり、たしかに悲しい内容ではありましたが、さすがに泣くほどのものではないように感じました。
当時、なぜ母が泣いているのか理解できなかった。
「自分には感じていない何かを感じている」のはわかりましたが、何を感じているのかは子どもの私にはまだわかりませんでした。
まだ身内の死を一度も目の当たりにしたことがなかった私は、死についてのイメージがよくわかりませんでした。
おそらく母は、過去の誰かの死を思い出していたのでしょう。
過去の誰かの死と番組とが重なり、こみ上げてくるものがあったのだと思います。
それが母の器の大きさです。
器が大きい人は、何事も動じず、いつも胸を張り、堂々としているようなイメージがあります。
涙なんて無縁というイメージがありますが、実際、そうではありません。
器が大きい人ほど、実はよく泣きます。
それも、べそべそとした泣き方ではなく、わんわんとした泣き方です。
滝のように涙を流します。
弱いからではありません。
器が大きいから泣きます。
大人になれば、涙もろくなると言われます。
自分の過去と重なることが増えるからです。
長く生きていると、楽しい経験や嬉しい経験はもちろん、つらく悲しい経験などが増えます。
さまざまな経験を積み上げることになる。
経験することで理解できる範囲が広がり、他人の話を聞いたときに泣けてきます。
過去の自分と重なり、感情移入しやすくなるからです。
器が大きくなると、必ず感動しやすい体質へと変わります。
話を理解できる範囲が広がって、感動しやすくなるのです。
ユニークな質問があります。
あなたには勘違いをしていることがいくつありますか。
おそらくこの問いに、ほとんどの人が「勘違いはないはず」と答えることでしょう。
もし勘違いが自分でわかっているなら、すでに直しているはずだからです。
勘違いとは、実に厄介です。
自分では気づけないからです。
完全に「これでいい」と勘違いをして思い込んでいるので、何かきっかけがないかぎり、気づくことができません。
本を読んでいるうちに、ふと気づければいいですが、なかなか偶然に出会えるわけでもない。
そこで必要なのは「他人の助け」です。
勘違いを早く直してもらうためには、他人からの助言が必要です。
周りの人は「あれ、おかしいな」と気づきます。
気づいたとしても、あなたのことを傷つけたくないので、なかなか言い出せません。
そのため、勘違いをして恥ずかしい行為をしているにもかかわらず、なかなか改善ができない。
知らず知らずのうちに恥ずかしい行為や恥をかいてしまっている場合があります。
気づかないうちに「マナーが悪いな」「かっこ悪いな」と思われるのは嫌ですね。
もしかしたら気づかないまま一生終わってしまうかもしれません。
しかし、ときどき、はっきり言ってくれる人がいます。
厳しいコメントを言ってくれる人です。
その人は神様です。
多くの人が言うのを控える中、あなたのためを思って忠告してくれます。
「ちょっと変だと思う」
「ここがおかしいと思う」
「それ、やめたほうがいいよ」
言えば相手を傷つけ、自分は嫌われるかもしれません。
そういうことがわかっていても、はっきり言ってくれるのは大変ありがたいことです。
厳しいコメントは耳の痛い言葉ですが、はっと気づかせられる言葉が多いです。
私の職場に、Tさんという厳しい指摘をする同僚がいます。
彼は、厳しい指摘をする人として、職場で有名です。
他人が言いにくいことを、無表情でためらいなく口にします。
私が仕事でメールを書いていたときに「ですます」でうまく統一できていない文章がありました。
「文章を書くときには、『ですます口調』で統一したほうがいいよ」
「電話に出るときに『もしもし』はよくないよ。社会人なら『はい』と答えるものだよ」
「なんだかその服装、変だよ」
陰で言うのではなく、相手の前ではっきり言います。
精神的にはストレスですが、彼の言っていることは正しいです。
ほかにもセキュリティーのこと、マナーのこと、言葉遣いのこと。
彼から数多くの勘違いを指摘され、気づけました。
彼のおかげで自分の勘違いに、いくつも気づくことができました。
遠慮なく言うので怯える一方、大感謝の恩人でもあります。
もし彼がいなければ、私の勘違いはこれからもずっと続いていたことでしょう。
勘違いは、できるだけ早くに気づきたい。
厳しいコメントを求めることで、弱点を改善する機会になるため、成長できるのです。
「違う」
「間違っている」
「あり得ない」
話を全部聞き終わらないうちから、相手の考え方を否定する人がいます。
否定は否定でも、全否定です。
理解できない考え方は、排除しようとします。
理解できない考え方を聞いて排除しようとすると、頭が固くなります。
自分の立場だけで物事を考えていると、いつの間にか視野が狭くなってしまいます。
なぜか物知りの人に、よく見られる傾向です。
知っていることが多いため、たくさんのことを考えたり判断できたりする一方、知っていることしか反応できない。
なぜ理解できないのかというと、視野が狭いからです。
頭が固く、視野が狭く、器が小さいからです。
守備範囲が小さい。
自分の理解できることだけ取り入れようとするならば、その人は海外旅行にいけなくなります。
器を大きくするために大切なことは、理解できないことを減らす事実ではありません。
理解できないことを受け入れる姿勢です。
たとえ理解できなくても、理解しようと心がけます。
受け入れた瞬間、ぱっと器が大きくなります。
理解できない反感を抱いても、まず一度受け入れる姿勢が大切です。
もちろん勉強も大切ですが、興味や好奇心を持つことは、さらに大切なことです。
興味や好奇心とは、未知の事柄に対する前向きな姿勢のことをいいます。
知らないことを受け入れるという姿勢があれば、最強です。
どんな人と、どんな話でも、できるようになります。
「何でも興味を持つ、好奇心を持つ」というのは素晴らしいことです。
私がアメリカ留学3年間で学んだのは、英語より、そうした姿勢です。
人種のるつぼであるロサンゼルスには、アメリカ人以外にも韓国人や中国人など多くの人種が生活を営んでいました。
たくさんの人と交流することで、大切なのは「知らないことを受け入れる姿勢」だと悟りました。
知っている話ができるのはもちろん、知らない話が出てきても「それは何?」と尋ねて、話を続けることができます。
国際平和を実現するなら、そういう姿勢が必要です。
言葉・価値観・人種・文化など、多くのことが違っていても、問題ありません。
理解できないことを受け入れる姿勢があれば、人同士がスムーズに交流できます。
理解できない考え方こそ、興味や好奇心を持って歓迎しましょう。
知識のインプットは、素晴らしい効用がある一方で、限界もあります。
知識そのものが悪いわけではありません。
知識や経験は、生活を豊かにしてくれます。
しかし、気づきましょう。
「人生では学ぶことが多すぎる一方、学ぶ時間は大変限られている」ということに。
たくさんのことを知っているのは結構ですが、世の中には知らないことのほうが圧倒的に多い。
圧倒的にです。
宇宙全体から見れば、人生80年間で知り得ることは、少なすぎます。
短い人生の中で学べることには限界がある。
勉強したいことはたくさんあっても、実現できるほど長い人生はありません。
そのとき「勉強の限界」に気づきます。
勉強すればするほど「もっと知りたいのに時間が足りない」というインプットの限界を実感できます。
では、どうするのかというと、歩む道を絞ります。
歩む道を絞れば絞るほど、勉強の範囲が狭くなります。
専門範囲では、道を徹底的に究めるようにします。
専門分野に関しては、どんどん深めましょう。
専門分野を徹底的に精通です。
絞られるから、経験できる量も少なくなりそうですが、そうではありません。
深めていくことで、実は幅も広がります。
縦を伸ばすと、自然に横も広がります。
深めていく課程の中で、人生で大切なことを学べるからです。
汗や涙を経験し、喜怒哀楽を経験しています。
仕事の意味を考えたり、人間関係を勉強できたり、仕事マナーなどもあるでしょう。
それならば、限られた時間の中で最高の自分を発揮できます。
「さまざまなことや経験を豊かにしながら、専門分野だけは精通する」
この両立が、限られた時間の中で豊かになる方法なのです。
器の小さい人は、親切をして感謝されないと、むっとします。
「親切にしたのに、ありがとうの一言もないのか!」
急に機嫌が悪くなり、自分が親切にしたことを後悔します。
感謝されなくてむっとしているうちは、まだ器が小さい証拠です。
「親切にした」というより「見返りを前提に親切をした」という状態です。
「ボランティアが好きです」と言いながら、感謝されなくてむっとするのは、どこか相手に見返りを求めている証拠です。
それはボランティアではありません。
ギブ&テイクです。
心のどこかで「与えたから何かちょうだい」と思っている。
本当のボランティアとは、相手に見返りを求めないことです。
器の大きい人は、感謝されなくてもむっとしません。
完全なるギブ&ギブこそ、ボランティアです。
ボランティアは愛がないとできません。
途中のプロセスには、見返りがないように思えますが、きちんとあります。
相手から「ありがとう」という感謝の言葉がなくても、役立っていることがわかれば、十分な見返りになっています。
自分が誰かに役立っているという実感です。
それこそ、自分が生きていることを実感できる瞬間です。
「嬉しいな」
見返りがなくても、いかに優しくできるかです。
今日、あなたが知らない人に優しくしてみましょう。
無視されても「それでいい」と考えます。
「ありがとう」と返事があれば良かったと喜ぶくらいでいい。
完全に見返りを求めずしてする親切は、すべてが愛の表現になるのです。
私たちは、時に過ちを犯してしまうことがあります。
自分の行動が原因で、思いがけず迷惑をかけてしまうことなどです。
「ごめんなさい」
何の飾りもない言葉です。
しかし、これ以上に心のこもった過ちをわびる言葉はありません。
素直に「ごめんなさい」と言われると、なぜか素直に許したくなる気持ちになれます。
きちんと反省していることが感じられるからです。
相手が反省していることが感じられれば、それ以上責めるわけにはいきませんね。
しかし、次の言葉はどうでしょうか。
「電車が遅れていて遅刻してしまいました。ごめんなさい」
謝っているということには変わりありません。
何か引っかかりませんか。
たしかに電車が遅れるのは相手の責任ではありませんが、何か気がかりが残る。
謝罪の中に「言い訳」が含まれているからです。
どこか潔さにかけます。
言い訳が含まれていると、責任を転嫁しようとする気持ちが感じ取れます。
反省の気持ちの浅さが感じ取れ「本当に反省しているのかなあ」と思います。
本当に相手に許してもらいたいときは、余分な言葉は不要です。
「悪いとき、素直に過ちを認め、言い訳はしない」
その潔さが、相手に気持ちを伝える方法なのです。
ベテランの精神科医は、患者と話をしなくても、過去に背負っている暗い出来事が見えてくるそうです。
暗い過去を経験している人、過ちを犯した人、許せない出来事を背負っている人。
そういう人には、独特の表情・しぐさ・雰囲気などがあり、わかってしまうとのこと。
何かにとらわれている人には、何か表情やしぐさに現れます。
よく当たる占い師の「あなたの過去が見えます」という言葉は、本当です。
相談者の独特の雰囲気から、相手の過去を読み取っています。
「悩みがあるんです」という表情・しぐさ・雰囲気だけで、鮮明に過去が見えてくるそうです。
アドバイスを返します。
執着していることは、必ず表情に出ます。
過去に振り回されているということです。
あなたにはいくつ「許せないこと」がありますか。
許せない過去があり、気持ちの整理がついていない過去があることでしょう。
しかし、あらためて考えてみましょう。
その過去に執着していて、自分に何の得があるでしょうか。
恨んでも、苦しくなるのは自分だけです。
仕返しをすれば、自分も相手と同じレベルになります。
許せないことを、そろそろ時効にしませんか。
「許さない」というのは、囚人の監視を24時間している状態と同じです。
いつも意識しているので、疲れます。
執着するだけ、醜くなるのは自分です。
意識してしまうと、自然と表情が硬くなり、不自然な表情・しぐさ・雰囲気が出てしまいます。
許せないことを意識するくらいなら、いっそのこと時効にして忘れたほうがいいです。
人生は、許せないことを許せるようになる旅です。
時効にして忘れてしまう。
ふわりと体が軽くなります。
許せば許すほど、表情は柔らかくなります。
明るい表情は、許すことでできるのです。
先日、とある読者の女性から、恋愛についてのお便りをいただきました。
嬉しい内容だったのでご紹介します。
「勇気を持って思いきって告白しました。結果はダメでした」
「でも告白したことを後悔はしていません。今までの苦しみからようやく解放されました。ありがとうございました」
「気がかりが消えて、すっきりしました」
告白の結果は残念でしたが、不思議と明るいお便りでした。
「彼女はすぐ立ち直るだろう。素晴らしい経験をした。飛躍的に成長できたはずだ」と思いました。
人生では、うまくいくかどうかわからないことだらけです。
恋愛の告白だけに限りません。
就職するとき。
一人暮らしをするとき。
結婚をするとき。
絶対にうまくいくことを前提にしていると、何もできません。
未知のことに挑戦するのは、必ず不安が伴います。
大切なことは、うまくいくかどうかわからないけれど、挑戦するという勇気です。
思いきることです。
自分の殻を破るためには「思いきり」というパワーが必要です。
ほんの少しの痛み・勇気・緊張などが伴います。
しかし、それを乗り越えた後は、一回り大きな器になった自分と出会えます。
今までできなかったことをできるようになったのですから、素晴らしいことです。
自分で道を切り開くということです。
そういう習慣を身につけましょう。
うまくいくことだけが成功ではありません。
失敗しても成功です。
きちんと行動できた経験が残るからです。
失敗した直後こそつらい気持ちを感じますが、しばらく経てば「行動して良かった」と思うはずです。
行動しなかった後悔に比べれば、行動した後の後悔のほうがはるかに小さいです。
うまくいくかどうかわからないけれど、まず行動する勇気を持ちましょう。
考えるのはそれからでも遅くはありません。
行動する前に妄想を膨らませても仕方ありません。
自分の殻を破り、器を広げるきっかけになるのです。
人の失敗を見て笑う人がいます。
相手がうまくいかなくて、内心ほっとしています。
そればかりか、笑って相手を精神的にくじけさせようとします。
それこそ器の小さい証拠です。
笑った瞬間に、せっかくの学びの機会を捨ててしまうことになります。
人の失敗を、単なる笑いの材料くらいにしか思っていません。
だいたいそういう人に限って、今度は自分が同じ失敗をしてしまい、自分が笑われる結果になります。
器の大きい人は、失敗している人を見て笑いません。
「まあ、人間だから失敗することもあるよね」と思います。
人間ですから誰でも失敗の可能性はあり、不思議なことではありません。
むしろ自分にもそういうところがないかと、反省の材料にします。
あらゆることを人ごとだと思わず、自分の過去と照らし合わせたり、自分と重ねたりしながら考えています。
だから笑いません。
笑えません。
自分にも同じような点があれば、まだ失敗していないだけで、遅かれ早かれ同じことをしていたことでしょう。
器の大きい人は、人の失敗を反省の材料にするのが上手なのです。
給料日に銀行のATMできちんと振り込まれていることが確認できた瞬間、ほっとします。
収入ぎりぎりの生活を送っているときほど、このときの心の軽さは実感できる。
なぜほっとするのか。
お金はお守りだからです。
あなたを守ってくれる道具です。
残高がゼロになってしまうと、何もできなくなります。
住むところを失い、食べられなくなり、友人との付き合いもできなくなります。
大げさに言えば、命にも関わります。
病気になっても薬が買えず、病院に入院もできません。
お金の話をすれば「汚い」「腹黒い」と言う人がいますが、とんでもないことです。
お金の効用は素直に認めて、道具として生かすことです。
あなたを守ってくれる、最高の防御シールドになります。
ずばり、貯金の量というのは、器の大きさへと変わります。
できることが増え、困ることが少なくなるからです。
器を大きくさせたければ、一定の貯金の量を確保することです。
できるだけ収入を増やし、できるだけ支出を減らす。
貯金が増えます。
一定の貯金があると、あなたは自然と穏やかな性格になります。
そういうものです。
そのくらいお金にはパワーがあります。
あるほど、いざというときに融通が利くので、行動に余裕ができます。
それが周りの人から見れば、器が大きくなったかのように映ります。
もちろんやみくもに貯金をするのではなく、貯金の目標金額を設定することです。
目標の金額以上になれば、ためるのではなく使って、社会に還元します。
私なら、20代の未婚のうちは、せいぜい貯金は100万円としています。
若い時期であり、扶養家族や病気の心配も小さいため、貯金が100万あれば、ある程度心配が消えます。
もし、貯金額が100万円以上になれば、ためらわず使います。
やりたいことはたくさんあるので、心の余裕を確保しながら、行動したい。
もし結婚すれば、また必要とされる貯金の金額も変わることでしょう。
子どもが生まれれば、さらに必要とされる貯金の金額も変わるはずです。
人生のステージに応じて、必要とされる貯金の量も違います。
必要とされる器の大きさに応じて、貯金の量も見直していけばいいでしょう。
大切なことは、必要な余裕が得られる貯金をいつも確保しておくことです。
心の余裕を与え、一定の器を確保するための道具です。
貯金ばかりもいけませんが、ある程度の貯金は必要なのです。
器の小さい人は、人生の直線コースを選びます。
必要なことだけをする。
無駄なことはしない。
いわゆるショートカットです。
よく優等生に見られるケースです。
たしかにショートカットをすれば、目標に早くたどり着きます。
受験のような勝負では、たしかに直線コースで目標への最短距離を歩んだほうが結果は出やすくなります。
では、人生すべてが直線コースならそれでいいのかというと、そうでもありません。
無駄がなさすぎるのも悲しいです。
就職の面接で「これまで何をしてきましたか」と聞かれ「学校の勉強しかしていません」という回答では、物足りなさを感じます。
勉強は大切です。
しかし、学校の勉強しかしていないのは、最大の勉強不足です。
学校の勉強には、弱点があります。
成長には「意外」と出会うことが必要です。
人生のどこかで「計画的な無駄」をつくることです。
それは決められた直線コースではなく、回り道コースで出会います。
学校の登下校で、決められたコースばかりでは、いつも同じ光景の繰り返しです。
ちょっと寄り道をして、回り道をすることで「意外」と出会えます。
回り道のような一見すると無駄と思えるコースこそ、人生の糧になる意外なことがあります。
旅行・読書・映画・音楽・スポーツ・恋愛。
学歴にも出世にもまったく関係のない無駄な回り道を、どれだけできるかです。
そういう回り道をすることで、面白い話のネタができたり、経験が増えたりして人間性が豊かになるのです。
日本では「礼に始まり、礼に終わる」という素晴らしい文化があります。
少し頭を下げて礼をして、別れるときも少し頭を下げて礼をします。
礼のような特別な作法は、日本だけとは限りません。
アメリカでは「握手で始まり、握手で終わる」という作法があります。
インド式の挨拶なら、両手を胸の前で合わせて「ナマステ」が有名ですね。
フランスでは、抱き合って挨拶をします。
モンゴルの挨拶は少し変わっていて、お互いのにおいを嗅いでする挨拶があります。
こうした作法は、世界各国で違いはあっても、意図するところは共通です。
相手への敬意を表しているということです。
人と人との関係があってこそ、社会が成り立っています。
人と出会うときと別れるときには、相手への敬意を表した基本的な挨拶が大切です。
普段私たちは、世間体や体裁を気にしているため、うまく作法を守ることができています。
しかし、ささいなときに忘れがちになります。
腹が立ったときです。
いらいらしたことがあると、自制心を失います。
そういうとき、作法をおろそかにしてしまいます。
挨拶がぶっきらぼうであったり、しなかったりすると、印象が悪くなります。
どんな人でもいらいらするときはあります。
ささいないらいらでも、1つの作法を忘れたがゆえに失う信用は大きい。
たった一度のぶっきらぼうな態度で、相手に不快感を与えたり、ぶつかって口論になったりすることもあります。
興奮しているときは難しいでしょうが、器を大きくする機会です。
いらいらしているときこそ、忘れがちな作法を忘れないことです。