「歩いていると、気持ちが晴れやかになった」
「散歩をしていると、なぜか元気が出る。テンションが上がる」
「ウォーキングは、疲れるどころか、身も心も軽くなる」
マウスの寿命は、個体差もありますが、およそ25カ月です。
人でいう高齢にあたる19カ月のネズミを、1カ月間、回し車で運動をさせるという実験が行われました。
その結果、ネズミの運動能力は向上しました。
都会は空気が汚く、自然が少ないと言われます。
しっかり歩く散歩は、有酸素運動です。
散歩をして歩くなら、やはり空気のきれいな自然に囲まれていたほうが、健康にもいいと思われます。
私は、新宿の山手線を散歩道としてよく歩いています。
この道は、東京の中では「動脈」とも言われるほど、なくてはならない主要な交通網の1つです。
「動脈」という名にふさわしく、道幅は広く、昼間に限らず夜中でも車が多い。
「歩いている」という状態を、少し離れた距離から見てみましょう。
「地面の上を歩いている」と言えばそうですが「地面を踏んづけながら歩いている」ともいえます。
踏んづけているというのは、少し横柄です。
健康にいい散歩といえば「早歩きで汗をかく」というイメージがあります。
体を動かすからこそ、血行促進や筋力増強など、健康につながります。
しかし、必ずしも早歩きだけが健康につながるとも限りません。
歩くのが下手な人は、曲がり角に差し掛かったとき、いきなり90度に曲がります。
当たり前の動きに思えますが、実は危険です。
曲がったときに、ちょうど後ろから追い抜こうとする人や自転車が近づいていれば、ぶつかる可能性があるからです。
街を歩いていると「あれ、なんだろう」と思うものを見つけることがあります。
珍しい建造物であったり、不思議な形をした草花であったりします。
散歩の達人は、何か気になるものがあったとき、ふと指を差します。
祖母と一緒に散歩をしていたときのことです。
80歳を超えますが、祖母は俳句や短歌が趣味です。
積極的に新聞に投稿する趣味があり、事実、新聞に載ったこともある実力者です。
田舎で散歩を楽しもうと思うと、おそらく自然が中心になるのではないかと思います。
そもそも田舎にあるのは、自然くらいしかありません。
田舎であるほど、自然が顕著になるでしょう。
散歩をする前には、ストレッチ運動をしてから、歩き始めます。
ストレッチは、あらかじめ体の筋を伸ばして、けがを未然に防ぐ意味があります。
「ストレッチなんて面倒」
私は、昔から博物館が大好きです。
東京にはたくさんの博物館があるので、週末には博物館巡りに出かけます。
人にもよると思いますが、私だけでしょうか。
好きな人とデートをするとき「待ち合わせの場所まで散歩をする」とは言いません。
「待ち合わせ場所へ行く」と言うはずです。
待ち合わせの場所まで距離があっても、好きな人とのデートなら、歩くことは自然と気にならなくなります。
散歩のスピードは「遅い、普通、速い」の3種類です。
今までは、ただなんとなく気分や状況に任せて歩いていただけではないでしょうか。
散歩の達人は違います。
歩いていると、大きな木に出会うことがあります。
お寺・神社・公園などには、そうした大木がしばしば見られます。
大木を目の前にすると、しばらくの間、ぼんやりすることがあります。
「歩くのは疲れる」
「汗をかいて嫌だ」
「楽に歩きたい」
駅の構内で、階段より、エレベーターやエスカレーターを探していませんか。
それは、歩かなくていいところを探す癖がついている証拠です。
私たちは、つい「歩かなくていいところ」に自然と目をやりがちです。
「うわっ、値段が高いなあ」
デパートの靴売り場で、ウォーキング・シューズの値札を見ると、結構な値段に驚かされます。
もちろん安いシューズもありますが、本格的ウォーキング・シューズとなると、やはりそれなりにいい値段です。
「限界に挑戦」
この言葉には、何か輝かしい響きがあります。
自分の限界まで挑戦することは、人間としての人生を全うするような生き方をしているかのような気になります。
毎日、同じ道を歩くとなると、だんだん飽きが来るのが普通です。
同じ景色を毎日見ていますから、飽きるのは当然です。
そこで、ウォーキングを続けるためには「飽きさせない工夫」が必要です。
私はウォーキングをする際、音楽を活用することがあります。
ウォーキングの最中は、オーディオブックを聞くことが多いですが、気分転換に音楽を聴くこともあります。
車通りの多い道では危険が伴うので注意が必要ですが、車や人通りが少ない場所ではよく音楽を聴いています。
「この先にはどんな光景が広がっているんだろう」
歩くときには、この期待を大切にしましょう。
「歩く距離をだんだん伸ばす」というのは「より遠くの景色を見ることができる」ということです。
散歩の達人には、歩き仲間がいます。
運動好きの友人がいて、いつも同じ時間に歩くのが習慣になっているのもいいでしょう。
相手がいると「よし。もう少し先まで歩こうか」という気持ちが強くなります。
散歩仲間がいれば、歩く習慣は続けやすく楽しくなります。
散歩仲間と言っても、人だけとは限りません。
飼っている犬も、散歩仲間になります。
散歩仲間は、必ずしも身内や友人だけとは限りません。
赤の他人でも「散歩仲間」と呼べるにふさわしい関係になることがあります。
毎日の散歩が習慣になっていると、同じ時間に、同じ道を歩くことになるでしょう。
ピクニックをするとき、主に坂道ばかりを歩くことになるでしょう。
坂道をピクニックのコースと思うと、疲れが感じられにくいです。
「ピクニックのコースだ」と思うことで、大変さを受け入れる心の準備ができるためです。
本格的にジョギングをするなら、タオルは必須です。
大量に汗が噴き出ますし、シャツがべとべとして気持ち悪い。
汗をほうっておくと、走り終わった後に体が一気に冷え、風邪をひくこともあります。
父と一緒に散歩していると、よくぶつぶつ話します。
独り言です。
歩いていると、目の前に看板があり、書かれている文字を読んでいます。
中年のおじさん、おばさんは、何でも触るのが得意です。
歩いている途中に樹齢が100年くらいの巨大な木があると、とりあえず触ろうとします。
「うわっ、大きい木」と言いながら、木を触ります。
普通、私たちが散歩をするときは「保守的」になっています。
遠くまで歩いてみたい気持ちはあっても「戻れること」を前提に歩いています。
「この先の道は歩いたことがないな。歩いたらきちんと戻って来られるだろうか」
「歩いていると、気持ちが晴れやかになった」
「散歩をしていると、なぜか元気が出る。テンションが上がる」
「ウォーキングは、疲れるどころか、身も心も軽くなる」
散歩の習慣を持つ人は、こうした不思議な体験をしたことがあるのではないでしょうか。
歩き出す前までは「面倒だ。嫌だ。つらい」と思っていたはずが、歩き出し始めると、思いのほか気分が高ぶって続けてしまう。
あらためて考えると、不思議です。
歩けば余計に疲れて、元気もなくなってしまいそうですが、逆に疲れが取れて元気も出てきます。
この状態のことを「ランナーズ・ハイ」といいます。
ランナーズ・ハイとは、マラソンやジョギングなどしばらく続けていると得られる、陶酔状態のことをいいます。
途中で一時的に苦痛が薄れ、ずっと走り続けられるような感覚になります。
では、なぜそういう陶酔状態に陥ってしまうのでしょうか。
体をしばらく動かし続けていると、脳内で「ベータ・エンドルフィン」というホルモンが分泌され始めるためです。
この成分の分子構造は、麻薬と似た構造をしています。
そのため、一時的に気分が良くなったり、感じているはずの疲れを感じなくなったりします。
いわば「自然の麻薬」です。
体を動かすと、疲れが取れて元気になります。
麻薬に似ているとはいえ、もちろん麻薬のように体に害を与えたり強い中毒症状を起こしたりするものではありません。
体内で生成されますから安全性が高く、歩くのをやめてしまえば、自然と分泌も収まります。
疲れがなく元気がないときに歩くのもいいですが、疲れがあったり元気がなかったりしたときこそ、歩くのです。
マウスの寿命は、個体差もありますが、およそ25カ月です。
人でいう高齢にあたる19カ月のネズミを、1カ月間、回し車で運動をさせるという実験が行われました。
その結果、ネズミの運動能力は向上しました。
そればかりか、脳内では失いかけていた神経細胞のネットワークが再構築され、若々しさを取り戻した、という結果も出ました。
薬をまったく使わず、運動量を増やすという単純な方法ですが、薬を使った治療以上に大きな効果を上げました。
ネズミを使った実験ではありますが、人についても同じです。
歩くことは、誰でも気軽に行える、体と脳の健康を保つ方法です。
歩くことほど、体のさまざまな部位の筋肉を一度に動かす動作はありません。
歩く習慣を継続することで、体全身の衰えかけている筋肉が鍛えられ、若々しさを取り戻す効果があります。
また「歩く」ということは「外に出る」ということです。
それはつまり、五感を通してさまざまな刺激を得るきっかけになります。
美しい風景を見たり、鳥の声を聞いたり、野花を手でつまんでにおいを嗅いだり、時には食べ歩くこともあるでしょう。
五感を刺激させるため、脳全体をバランスよく刺激できます。
歩くことは、認知症にも効果があるのです。
都会は空気が汚く、自然が少ないと言われます。
しっかり歩く散歩は、有酸素運動です。
散歩をして歩くなら、やはり空気のきれいな自然に囲まれていたほうが、健康にもいいと思われます。
たしかに田舎のほうが空気がきれいで色鮮やかな自然に巡り合うことができるでしょう。
だからとはいえ、都会がいけないわけではありません。
都会で生まれ、都会で育っている人は悲観的になる必要はありません。
むしろ、脳の健康を考えると、都会だからこそ有効に働く面があります。
田舎より都会のほうが、人や物がたくさん結集していることを有利にします。
つまり、歩いたときに得られる刺激が、田舎より多いと言えます。
多くの人とすれ違うとき、人の動き、ファッションなどに注目する機会が増えます。
多くの建物があれば、さまざまな形やデザインなどに魅了されることもあるでしょう。
ある程度、人や車の通りがあると「ぶつからないように気をつけよう」とする意識が強く働きます。
だからこそ、いつまでも緊張感が続き、ぼけにくいとも考えられます。
空気が汚いなら、マスクをする方法もあります。
そうした刺激が多いことで、脳の健康を維持したり、若返らせたりする効果があるのです。
私は、新宿の山手線を散歩道としてよく歩いています。
この道は、東京の中では「動脈」とも言われるほど、なくてはならない主要な交通網の1つです。
「動脈」という名にふさわしく、道幅は広く、昼間に限らず夜中でも車が多い。
たまたま住んでいる三軒茶屋から新宿までの都合のいい道だったので、会社の行き帰りに歩いています。
しかし、気になることがあります。
さすがに車の通りが多いだけあり、空気が良くありません。
車から排出されるガスが、気になります。
そこで、マスクをしながら歩くようになりました。
市販されている少し高級なマスクです。
さすがにマスクがあると、違います。
しっかりフィルターがされているので、ガスのにおいは気にならなくなりました。
ただ、マスクをすると、呼吸が苦しくなります。
初めは、これが嫌で嫌でたまりませんでした。
マスクを外そうと思った時期もありましたが、排ガスは体に悪いし、仕方なくつけていました。
しかし、マスクをつけてウォーキングをしていたある日のことです。
意外な効用が、体に表れ始めました。
慣れてきたせいか、以前に比べるとマスクの苦しさが軽減されていることに気づきました。
同時に、マスクを外したときの呼吸が、これまでより快適になっていることに気づきました。
楽々と呼吸ができるようになった。
それはなぜか。
おそらく呼吸をするときに必要とされる胸回りの筋肉が鍛えられたのだと考えられます。
マスクをすることで呼吸がしにくくなりますが、おかげで呼吸をするときの胸回りの筋肉が鍛えられます。
吸う力が強くなり、心肺能力が高められていました。
この瞬間、ひらめきました。
マスクの意外な効用です。
腕を鍛えるときには、ダンベルを持ちます。
では、呼吸する力を鍛えるためにはどうすればいいのかというと、マスクをすることで、息がしにくい状態をつくり出します。
一時的に苦しい状態ではありますが、だからこそいい。
それ以後、私は空気のきれいなところでも、わざとマスクをするようになりました。
心肺能力を高めるためです。
もちろん疲れているときはやめたほうがいいですが、体力に余裕のあるときは、わざとマスクをします。
すると、心肺能力を高められ、普段の呼吸が以前より楽になるのです。
「歩いている」という状態を、少し離れた距離から見てみましょう。
「地面の上を歩いている」と言えばそうですが「地面を踏んづけながら歩いている」ともいえます。
踏んづけているというのは、少し横柄です。
そこで考え方をスイッチしてみましょう。
「歩いている」のではなく「歩かせてもらっている」と考えます。
あなたは、いつもどのような散歩コースを歩いていますか。
歩いている散歩コースを、いま一度振り返ってみましょう。
そこに道がなければ、今のあなたはいないです。
運動する機会もなかったでしょう。
そこに道があるから歩くことができる。
歩くことができるから健康でいられます。
歩いているときには「歩かせてもらっている」と考え、大地に感謝することが大切です。
「そこに道があってありがとう」
「そこに川があってありがとう」
「そこに山があってありがとう」
「そこに階段があってありがとう」
世の中には、歩きたくても歩けない人がいます。
そういう人から見れば、ただ歩けるだけでも恵まれていることです。
道にはさまざまあります。
坂道・下り道・砂利道・野道・アスファルトの道などです。
どのような道であろうと、2本足で立って歩けるだけで、十分に幸せです。
当たり前に歩いていた道に、感謝の言葉をかけてみましょう。
歩かせていただく大地に、感謝するのです。
健康にいい散歩といえば「早歩きで汗をかく」というイメージがあります。
体を動かすからこそ、血行促進や筋力増強など、健康につながります。
しかし、必ずしも早歩きだけが健康につながるとも限りません。
のんびり歩く散歩でも、健康につながることがあります。
では、どういうときでしょうか。
私はよく、お風呂上りにのんびり夜道を散歩することがあります。
汗をかくようなウォーキングではなく、単なる散歩です。
特に「お風呂上り」というタイミングが、重要です。
お風呂でたっぷり汗をかいた後、外を15分くらいかけて、のんびり散歩します。
歩くスピードは、ゆっくりです。
普通に歩くよりはるかに遅く、時速1キロくらいの散歩です。
お風呂でたっぷり汗をかいた後、ぼんやり星空を見上げながら、のんびり歩く。
外の冷たい空気にあたっているうちに、ほてった体が次第にクールダウンします。
すると、しばらくして不思議なことが起こり始めます。
歩いているにもかかわらず、なぜか眠くなります。
強烈でありながら、かつ自然な眠気です。
入浴中にお風呂に入っている間は、交感神経が優位に働きます。
その直後に外でのんびり冷たい空気に当たりながら散歩をしていると、反動で副交感神経へと切り替わりやすくなります。
その結果、自然とリラックスできますし、眠気が自然と出てきます。
このお風呂上りののんびりした散歩習慣があるかないかで、夜の寝つきはまったく違うといっても過言ではありません。
私は日々の習慣から偶然発見しました。
もし不眠症でお悩みの人がいれば、ぜひこの方法を試してみてはいかがでしょうか。
歩くのが下手な人は、曲がり角に差し掛かったとき、いきなり90度に曲がります。
当たり前の動きに思えますが、実は危険です。
曲がったときに、ちょうど後ろから追い抜こうとする人や自転車が近づいていれば、ぶつかる可能性があるからです。
事実、人通りや自転車の多い通りでは、曲がった瞬間によくぶつかる事故が発生しています。
散歩の達人は、曲がろうとするとき、必ず後ろを振り返ってから曲がります。
後ろから人や自転車など来ていないことをきちんと確認してから、曲がります。
ここがポイントです。
そういう動きが、もはや体に染み付いています。
散歩の達人とは、ただ前を歩くだけではありません。
いかに安全に歩くか、いかに危険を予知するかが、優れた人なのです。
街を歩いていると「あれ、なんだろう」と思うものを見つけることがあります。
珍しい建造物であったり、不思議な形をした草花であったりします。
散歩の達人は、何か気になるものがあったとき、ふと指を差します。
だからなんだと思いますが、あなたも一度やってみましょう。
やってみないと、その効果はわからない。
やってみると、その効果がわかります。
指を差すと、そこ一点に、注意が向きます。
その対象をより深く見て、注意深く観察しようとする意識が強くなります。
電車の車掌が、電車が往来の際、指さし呼称で「よし!」と言っていますが、それと同じです。
注意喚起を高め、対象に意識を集中するためにします。
ぶらりぶらりと歩く散歩で、気になるものを見つけたとき、ふと指を差してみましょう。
たとえば、道端でタンポポを見つけたとき「タンポポだ」と思いながら指を差します。
すると、どうでしょう。
タンポポとの物理的な距離は変わらなくても、心の距離が近づいたような気がします。
より注意を向けることで、友人になれた気がするのです。
祖母と一緒に散歩をしていたときのことです。
80歳を超えますが、祖母は俳句や短歌が趣味です。
積極的に新聞に投稿する趣味があり、事実、新聞に載ったこともある実力者です。
祖母と散歩に出かけるとき「ちょっとお待ち」と言い、必ず紙とペンを用意してから出かけようとします。
歩く速さはゆったりしていますが、一歩一歩はしっかりした足並みです。
きょろきょろあたり周辺の景色を楽しみながら、ゆっくり歩いているのが印象的でした。
ふと、立ち止まったかと思うと、先ほど忍ばせた紙とペンをポケットから取り出し、一句、詠み始めます。
祖母がきょろきょろしていた理由は、それでした。
ネタ探しをしていました。
何気ない日常のひとこまですが、ここに散歩を楽しむコツがあると思いました。
ただぶらぶら歩くのもいいでしょう。
しかし、ぶらぶら歩くより、目的を持って歩くほうが、散歩はもっと華やかになります。
祖母の場合は「俳句をつくって、新聞に投稿すること」が目的でした。
俳句をつくろうという目的があると、物事を見たり感じたりしたときの吸収力が違います。
見ようとする目に力が入り、耳で聞こうとする音に対して鋭くなり、感じようとする触覚が敏感になります。
それが、散歩を楽しむコツです。
目的を持つことで、刺激を受け入れようとする力が強くなるのです。
田舎で散歩を楽しもうと思うと、おそらく自然が中心になるのではないかと思います。
そもそも田舎にあるのは、自然くらいしかありません。
田舎であるほど、自然が顕著になるでしょう。
豊潤で色鮮やかな四季による自然の変化を、感じることができます。
しかし、そうした刺激には、偏りがあります。
田舎は「自然による刺激」ばかりです。
多くの自然にあふれる一方で、人工的なものが乏しい。
時には「人工による刺激」も取り入れるという、変化球が欲しいところです。
そういうときこそ、あえて人や建物が密集しているところへ行きます。
人に出会ったり、人工的な建物を拝見したりします。
どんな田舎でも、人通りが多かったり建物が密集したりするところがあるはずです。
たとえば、神社やお寺も人工的なものです。
はるか昔に人が作った人工建造物です。
そういうところを目指して歩けば、田舎に住んでいても、人工による刺激を得られることができるはずです。
逆に、都会に住んでいるなら、人工による刺激にあふれる一方、自然による刺激には乏しいことでしょう。
都会に住んでいる人は自然による刺激を求め、田舎に住んでいる人は人工による刺激を求めます。
都会に住んでいようが田舎に住んでいようが、うまくバランスの取れた刺激が得られるようになります。
「自然にあるもの」と「人が作ったもの」の両方を楽しむよう工夫を凝らすのです。
散歩をする前には、ストレッチ運動をしてから、歩き始めます。
ストレッチは、あらかじめ体の筋を伸ばして、けがを未然に防ぐ意味があります。
「ストレッチなんて面倒」
そう来ると思いました。
人によっては、ストレッチに対して 効果の疑いを抱いている人もいます。
「そんなことをして本当に意味があるのか」と思います。
「ストレッチをしてもしなくても変わらないだろう」と軽んじる。
たしかに体力や運動に自信のある人なら、いちいち準備運動をすることのほどでもないと思います。
しかし、そうではありません。
ストレッチは、けがを未然に防ぐという体への作用だけではありません。
実は、心への作用もあります。
気分を高めるためにします。
ストレッチを伸ばす、ほんの3分の時間があるだけで、散歩はもっと楽しくなります。
オープニングです。
「さあ、これから歩くぞ」と気分が高ぶってきます。
これがいちばん大切です。
やはり散歩は楽しくなくてはなりません。
面白い映画は、オープニングが上手に構成されています。
すでにオープニングから、わくわくさせるようになっています。
「オープニングはいらない。早く物語が始まればいいのに」と思っているのでは、本当の映画は楽しめません。
本編に向けて気分を盛り上げ、より映画を楽しめることができるようにするために、あえてオープニングが用意されています。
ジェットコースターの山を登っているような瞬間です。
少しずつ気分を盛り上げていくから、いい。
散歩もそうです。
ストレッチという準備体操は、オープニングです。
ストレッチなんてすぐ飛ばして、さっさと歩き始めたい人がほとんどでしょう。
しかし、けが防止はもちろんのこと、気分を盛り上げ、より散歩を楽しむためにするのです。
私は、昔から博物館が大好きです。
東京にはたくさんの博物館があるので、週末には博物館巡りに出かけます。
人にもよると思いますが、私だけでしょうか。
普段の生活では、まずお目にかかれないような一品が、数多く並べられていることに興味を引かれませんか。
場合によっては、何百年前もの大変古い歴史的な一品を見ることがあります。
妙に、わくわくします。
私だけでなく、知的好奇心が旺盛な人には、たまらない魅力があるはずです。
そんな博物館巡りで、気づくことがあります。
歩かされることです。
博物館は小さな箱物というイメージですが、歩かされます。
多くの博物館では、1つのフロアにいくつもの展示物が並べられている形式になっています。
すると、室内をくねくね曲がりながら歩くことになります。
部屋の広さはさほど大きくなくても、くねくね曲がりながら歩いていると、歩きます。
一つひとつの展示物を丁寧に見ながら歩いているので、立っている時間も長い。
また博物館によっては、2階建てや3階建てというところもあります。
しかも私の場合、あとから気になった展示物を見返すために、後戻りすることはしばしばです。
博物館を出口から入り口にかけて、よく逆走し、警備員に変な顔をされます。
すると、歩数がさらに増えます。
しかし、です。
不思議なことに館内にいる間に限って「たくさん歩いている」という感覚は気になりません。
博物館から出た後、気づきます。
館内で展示品を見て回っている間は、珍しい展示物に夢中で釘付けになっているので、足の疲れはどこかに消えてしまっています。
意外な発想ですが、散歩の一環として、博物館に行ってみるのはどうでしょうか。
「博物館へ歩きに行く」という発想です。
歩いているという気はしませんが、自然と歩かされる場所です。
しかも自分の興味が引かれる博物館なら、歩く疲れも気にならなくなるはずです。
健康にいいばかりだけでなく、知的好奇心も満足させられるのです。
好きな人とデートをするとき「待ち合わせの場所まで散歩をする」とは言いません。
「待ち合わせ場所へ行く」と言うはずです。
待ち合わせの場所まで距離があっても、好きな人とのデートなら、歩くことは自然と気にならなくなります。
それは、デートが「メイン」であり、歩くことが「サブ」になっているからです。
デートをしているときも、散歩をするとは言いません。
「カフェに行く」「映画を見に行く」「ショッピングに行く」と言います。
それは「カフェ」「映画」「ショッピング」などが「メイン」になり、歩くことが「サブ」になっているからです。
散歩を「メイン」として考えてしまうと「歩くこと」ばかりを考えます。
すると、疲れや面倒さが強調されてしまう。
散歩の達人は、達人だからと言って、散歩をメインにはしません。
サブにします。
サブにしたほうが歩くことを自然に楽しめ、結果としてかなり歩くことになるからです。
「何かを楽しもうとして、結果として歩く」
これが理想的です。
あなたは好きなことがありますか。
好きな人とのデート、博物館巡りでも何でも結構です。
「散歩をしよう」と思うより「デートにいこう」「博物館巡りをしよう」と思うほうが、自然なスタイルで散歩ができるのです。
散歩のスピードは「遅い、普通、速い」の3種類です。
今までは、ただなんとなく気分や状況に任せて歩いていただけではないでしょうか。
散歩の達人は違います。
目的から先に考えます。
「自分は今、何を目的として歩こうとしているのだろうか」
目的を意識して、歩くスピードを変化させてみましょう。
目的から先に考えるようになると、より効率的に歩くことを楽しめるようになるはずです。
今まで、なんとなくしか考えていなければ、はっきり考えるようにすることで、より散歩を楽しむことができるようになります。
では、まず「ゆっくり歩くとき」です。
こうした目的があれば、歩くスピードを落ち着かせるといいでしょう。
ゆっくり歩けば歩くほど、効果も強くなります。
続いて「速く歩くとき」です。
速く歩けばたくさん酸素を吸うことになりますし、気分も次第に高揚してきます。
歩くとはいえ、ゆっくり歩くか、速く歩くかで、まったく意味が異なります。
今までなんとなく歩いていた人は、歩く目的を考えてから、歩くスピードを調整してみましょう。
このことが、散歩の達人になる方法なのです。
歩いていると、大きな木に出会うことがあります。
お寺・神社・公園などには、そうした大木がしばしば見られます。
大木を目の前にすると、しばらくの間、ぼんやりすることがあります。
「おや。大きな木があるな」
大木を手で触っているうちに、また別の考えが浮かんできます。
「太い幹に緑の葉がいっぱいだなあ。すごい。樹齢はどのくらいなのだろう」
さらに考えは続きます。
「自分より前にここに立っていたのではないか。そのとき周辺はどんな様子だったのだろう。誰がこの木を植えたのだろう」
次から次へと、考えが膨らんできます。
こうした経験が、あなたにもあるのではないでしょうか。
この瞬間を客観的に見てみましょう。
自分一人で考えを膨らませているように思えます。
しかし、違います。
実は自然と「対話」をしています。
いつの間にか自然と対話しているから、考えが膨らんでいます。
声と言えば、耳で聞くものだと思います。
音は、空気の振動によって伝わります。
しかし、人間が声を聞くのは耳だけではありません。
目から印象を受け取り、心で感じることもあります。
手で触れて、心で感じることもあります。
この「自然によって得られる刺激」というのは、重要です。
「自然によって得られる刺激」が「声の代わり」になっています。
自然に触れて、たくさんの刺激を受け取る。
受け取った刺激によって感じた心境で、また自然を見る。
また、別の刺激を受け取る。
この繰り返しこそ、自然との対話です。
ゆえに、大木を目の前に次々と考えが膨らんでいきました。
自然は、声を出すことはできませんが、偉大な印象を受け取れます。
それが自然との対話です。
「歩くのは疲れる」
「汗をかいて嫌だ」
「楽に歩きたい」
歩くのが嫌いな人は、歩くことに対して悪い印象があります。
歩くことに対して悪い印象があるなら、やる気が出なくて当然です。
しかし、それでは当たり前です。
では、どうすれば、歩きたくなるやる気を出すことができるのでしょうか。
歩くメリットを考えればいい。
「歩くのは楽しい」と思うようになるのが、散歩を好きになるコツです。
歩くとどのようなメリットがあるのかを考えていると、歩きたくなるし、歩いていても疲れを感じにくくなります。
メリットをざっとご紹介しましょう。
歩くメリットを、頭の中でたくさん想像しましょう。
ささいなことまで、とにかく思い浮かぶかぎり、考えるのがポイントです。
「歩くのは楽しそうだな。メリットばかり。なんだか歩きたくなってきたぞ」
きっと、そう思えてくるのではないでしょうか。
歩くメリットを考えるのは、歩きたくなるコツです。
おっと。
今書いている私が、書いているうちに歩きたくなってきました。
では、これから歩いてきます。
駅の構内で、階段より、エレベーターやエスカレーターを探していませんか。
それは、歩かなくていいところを探す癖がついている証拠です。
私たちは、つい「歩かなくていいところ」に自然と目をやりがちです。
楽なほうばかり進んでしまうと、体はたるんで肥満につながります。
気分に任せていると、つい楽なほうへと考えてしまうのは人間らしいとはいえますが、阻止しなければいけません。
散歩の達人は、そもそも歩くのが大好きです。
あえて歩かなくていいところより、歩けるところを探します。
歩くメリットをいつも思い浮かべているので、やる気がめきめき燃えています。
歩くと、テンションが上がったり、元気が出たり、カロリーを燃焼できたりします。
歩けるところは歩いておかないと損をすると思いますし、歩くのを楽しいと思っています。
歩けるところを探していると、意外なところに場所を見つけられるはずです。
たとえば駅のホームです。
駅のホームは、横に長いです。
電車を待っている間、じっとしていれば歩かなくてもいい。
しかし、ここで差が出ます。
電車を待っている間、駅のホームを歩けば、歩数と運動量を増やせます。
時間を有効に活用して、普段の運動不足を少しでも解消しているのです。
「うわっ、値段が高いなあ」
デパートの靴売り場で、ウォーキング・シューズの値札を見ると、結構な値段に驚かされます。
もちろん安いシューズもありますが、本格的ウォーキング・シューズとなると、やはりそれなりにいい値段です。
快適に歩くために専門家が設計し、軽い特殊素材が使われているからです。
多くの専門家の知恵が結集され、特殊素材を使っているだけのことはあり、値段も高いです。
物によっては、普通のシューズより2倍・3倍も高いシューズさえあります。
本当にいいものを探すと、それくらいはして当然です。
散歩の達人は、そうした破格のウォーキング・シューズを履いています。
第1の目的は、言うまでもなく「快適に歩くため」です。
軽くて通気性がいいと、やはり歩きやすくなります。
軽くて通気性がいいと、歩行距離も自然と伸びます。
しかし、それだけが理由ではありません。
散歩の達人がウォーキング・シューズにお金をかける、本当の理由があります。
そもそも値段が高いと思えるウォーキング・シューズですが、実はどれも格安です。
それに気づいています。
これはどういうことでしょうか。
ウォーキング用シューズは、歩くために履く、専用のシューズです。
散歩の達人は、毎日歩くのが当たり前の習慣になっています。
朝・昼・晩のウォーキングのときには、欠かさず履いています。
一般的なシューズと比較すれば、履く頻度は何倍も多く、履いて歩く距離も何倍も長いはず。
そうした「履く頻度」と「履いて歩く距離」を基準にして考えれば、値段も比例して、2倍や3倍して不思議ではありません。
たしかに値段が高いのは事実です。
しかし「履く頻度」と「履いて歩く距離」で考えると、必ずしも高すぎるとは言えない。
むしろ安いくらいです。
ここに気づけるかです。
だからこそ、高いと思えるウォーキング・シューズは、どれも格安です。
散歩の達人は、これに気づいています。
これが散歩の達人が、ウォーキング・シューズにお金をかける本当の理由なのです。
「限界に挑戦」
この言葉には、何か輝かしい響きがあります。
自分の限界まで挑戦することは、人間としての人生を全うするような生き方をしているかのような気になります。
筋トレや試合でも勝利を目指していれば、限界に挑戦する意義はあります。
しかし、いくら何でも毎日限界ばかりに挑戦していると、健康が維持できないでしょう。
響きはかっこいいですが、なかなか現実的ではありません。
無理をした結果、体が持たなくなり、三日坊主では意味がありません。
楽しく続けることを前提とするなら「ほどほど」がちょうどいい。
いくら散歩が好きとはいえ、毎日疲れきるまで歩くのはやりすぎではないでしょうか。
どんなに楽しいことでも、無理をすると、疲れを通り越して痛みが出てきます。
散歩の達人は、限界まで歩きません。
まだ頑張れば少し歩ける、というところで歩くのをやめます。
無理をしないところでやめるのが、中途半端なようでいて、実はちょうどいい。
また明日歩くためです。
結局長く続けられる。
結果として、限界に挑戦していることになるのです。
毎日、同じ道を歩くとなると、だんだん飽きが来るのが普通です。
同じ景色を毎日見ていますから、飽きるのは当然です。
そこで、ウォーキングを続けるためには「飽きさせない工夫」が必要です。
同じ道を歩いているのに、そうとは思わせない工夫です。
単純で効果的な方法があります。
「少し目線を上げて歩く」、もしくは「少し目線を下げて歩く」という方法です。
本来なら、まっすぐ前を向いて歩くのが、理想的な歩き方です。
数多くの指南書にも、まっすぐ前を向いて歩こうと書かれています。
もちろんウォーキングを始めた当初は、まっすぐ前を見て歩くのがいいでしょう。
しかし、慣れてくれば、そのルールをあえて、破ります。
たとえば、目線を少し上に上げて歩いてみましょう。
すると、たとえ同じ道でも、目線を少し高くして歩くと、違う光景が見えてきます。
今まで気づかなかった建物の看板、木の上にある鳥の巣など、思わぬ発見があることでしょう。
「へえ、こんなところにこんなものがあったのか。気づかなかったなあ」
逆に、下を見ながら歩いても同じです。
地面に注意を向けながら歩くと、今まで気づかなかった草花に気づくこともあるでしょう。
「おや。こんなところに芽が出ているぞ。これから成長するのが毎日の楽しみだ」
このように目線を上げたり下げたりするだけで、同じ道でも変わった景色が見えてくるのです。
私はウォーキングをする際、音楽を活用することがあります。
ウォーキングの最中は、オーディオブックを聞くことが多いですが、気分転換に音楽を聴くこともあります。
車通りの多い道では危険が伴うので注意が必要ですが、車や人通りが少ない場所ではよく音楽を聴いています。
ハイテンポの明るい曲です。
ウォーキングをすると気持ちが高揚しますが、ハイテンポの音楽を聴いていると、さらに調子が上がります。
テンポのよさに魅了され、疲れが感じられにくくなります。
この効果はすごいです。
早朝ウォーキングの際に取り入れれば、すごい効果があります。
人生に対して前向きになります。
自然と「今日も1日頑張るぞ」という気になります。
テンションを最高潮まで一気に押し上げてくれる。
朝、出社して「何かいいことあったの?」と同僚から言われるくらい、元気になってしまいます。
嬉しいことがあったわけではありませんが、テンションが上がります。
その勢いで、午前中はたっぷり仕事をこなすという流れなのです。
「この先にはどんな光景が広がっているんだろう」
歩くときには、この期待を大切にしましょう。
「歩く距離をだんだん伸ばす」というのは「より遠くの景色を見ることができる」ということです。
遠くまで歩けるようになることで、未知なる領域を広げることができます。
ウォーキングダイエット初心者なら、最初は1,000歩くらい歩き続けたところでUターンし、家に戻ることでしょう。
往復で2,000歩、歩くことになります。
Uターンをするときに「この先にはどんな光景が広がっているんだろう」という期待を残すことが大切です。
そういう気持ちを、意識的につくる。
「その先に行ってみたい」という気持ちがあると、気になって歩きたくなります。
しばらくして少し体力がついてきたところで、1,000歩より多く歩いてみます。
1,000歩からは、未知の領域です。
2,000歩歩いたところでUターンして引き返すと、往復4,000歩も歩くことになります。
これを繰り返します。
5,000歩歩いたところで、Uターン。
10,000歩歩いたところで、Uターン。
そうすると、冒険心をくすぐりながら、うまくステップアップができますし、だんだん歩行距離が伸びていきます。
これを東方面で終われば、次は西方面・南方面・北方面など、4通り楽しめます。
さらに北北東や南南東に向けて歩くなら、さらに多くのパターンを楽しむことができるでしょう。
「この先の光景を見てみたい」という動機が、歩行距離を伸ばす底力になるのです。
散歩の達人には、歩き仲間がいます。
運動好きの友人がいて、いつも同じ時間に歩くのが習慣になっているのもいいでしょう。
相手がいると「よし。もう少し先まで歩こうか」という気持ちが強くなります。
しかし、やはり一般的には「夫婦」で散歩をすることが多いはずです。
何しろ同じ屋根の下で暮らしていますから、比較的、生活リズムも合わせやすいことでしょう。
夫婦ですから、考え方も生活スタイルも似ている部分が多いはず。
夫婦だからこそ「一緒に歩こう」という気になりやすくなるでしょう。
私の両親も、夫婦で毎日散歩をしています。
朝の6時前には、2人とも自然に目が覚めます。
高齢なので、目覚まし時計なしで、結構早い時間に目が覚めます。
まだ外は薄暗い時間です。
目覚まし時計が鳴る前、ニワトリが鳴き始める前に、起きます。
さて、ここからがポイントです。
早く起きて何もすることがなければ、テレビを見たり、新聞を読んだりするだけでしょう。
幸い、水口家では雑種犬を1匹飼っています。
名前は「クッピー」です。
「早起きしたから、犬の散歩を兼ねて歩きに行こう」
父は母を誘い、もしくは母が父を誘い、雑種犬と一緒に散歩に出かけます。
ここに夫婦円満の秘密が隠されています。
「毎日誰かと歩く」ということは「毎日会話をする」ということです。
「毎日会話を交わす」ということは「日に日に仲が深まる」ということです。
散歩の習慣が、いつしかコミュニケーションの習慣になり、絆を深めたり意識合わせの時間になったりしています。
一定のコミュニケーション量をこなしているので、夫婦で考え方のすれ違いが発生しにくくなります。
なにより、そういうきっかけをつくり出しているのは、意外にも自宅で飼っている「1匹の犬」です。
私はそのとき、はっとしました。
それまでは両親の仲がいいのは、てっきり相性が初めから良かったからだと思っていました。
もちろんそういう面もあるのでしょう。
しかし、実は意外にも、自宅で飼っている犬が、夫婦円満に一役買っていると気づきました。
神様は、姿形を変えて、私たちの生活の至る所に存在すると言います。
自宅で飼っている犬こそ、夫婦円満の神様に思えてきます。
ペットの犬がいるからこそ、毎日の散歩という用事が生まれ、夫婦で会話する機会が生まれ、円満につながっています。
クッピーに話しかけました。
「神様、ありがとう」と。
すると「ばれたか」と言わんばかりの表情で、しっぽを左右に大きく振っていたのでした。
散歩仲間がいれば、歩く習慣は続けやすく楽しくなります。
散歩仲間と言っても、人だけとは限りません。
飼っている犬も、散歩仲間になります。
家庭によっては、犬を飼っているところもあるでしょう。
犬を飼っていると散歩をする必要があるため、必然的に「散歩仲間」にならざるを得ない状況になります。
これは素晴らしいことです。
私は実家で、雑種犬を1匹飼っています。
どんなに運動不足の人でも、犬を飼っていると、散歩をせざるを得ない状況になります。
私にとって犬は散歩仲間です。
逆に犬も、私のことを散歩仲間と思っているに違いありません。
犬を飼っていると、毎日歩くことが日課になりますが、そんなある日、ふと、気づいたことがあります。
犬と散歩をしているときのほうが、遠くまでよく歩けます。
おそらくほかの人も同じではないでしょうか。
なぜでしょうか。
犬の「もっと歩きたい」というしぐさから、いつの間にか刺激を得られるからです。
歩くのが大好きな犬と一緒に歩いていると、地面を鼻でにおいながら、さまざまなことに興味を示します。
「もっと歩きたい」という主張をしてきます。
しっぽを振りながら、もっと歩こうと催促されると「じゃあ、もう少し歩くか」となります。
犬を思う気持ちがあれば「満足させてやろう」という気持ちも自然と湧いてきます。
すると、犬のリクエストに応えるため、つい、遠くまで歩いてしまいます。
気づけば、とんでもなく長距離を歩いてしまっていた。
こうした経験は、私だけではないでしょう。
しかも、無邪気な犬と一緒に歩いていると、歩く疲れも感じられにくくなります。
1人では寂しくて疲れも感じやすいですが、誰かと一緒にいると、気にならなくなるのです。
散歩仲間は、必ずしも身内や友人だけとは限りません。
赤の他人でも「散歩仲間」と呼べるにふさわしい関係になることがあります。
毎日の散歩が習慣になっていると、同じ時間に、同じ道を歩くことになるでしょう。
そのとき、自分と同じように散歩を習慣にしている人とすれ違うことはありませんか。
そうした人も、自分と同様、散歩を生活の一部にしている人です。
少なくとも、自分と同じ「歩く習慣」を持っていますから、通じ合う点があるはずです。
そういう人は、もはや「赤の他人」とは呼べません。
一度も話したことはなくても、そういう人は、お互いに存在を気にし合っているはずです。
あなたも「おや。またあの人だ」と思っているように、相手も「おや。またあの人だ」と思っているはずです。
言葉を交わすことはなくても、お互いがお互いを励ましたり元気づけたりなど、刺激し会える関係になっています。
赤の他人でも、親密な散歩仲間になるのです。
ピクニックをするとき、主に坂道ばかりを歩くことになるでしょう。
坂道をピクニックのコースと思うと、疲れが感じられにくいです。
「ピクニックのコースだ」と思うことで、大変さを受け入れる心の準備ができるためです。
ピクニックに限らず、登山でも同じです。
登山の道も、登っていて疲れを感じても、何か受け入れられます。
「登山コースだ」と思うことで、大変さを受け入れる心の準備ができるためです。
そもそも大変なのが前提としてあるので、多少疲れていても当然のことで、気になりません。
むしろ、登ることの楽しさや喜びが感じられやすくなります。
しかも、そういうときの疲れというのは、何か「気持ちのいい疲れ」です。
疲れると「いい運動ができたなあ。体によさそうだ」と思います。
そう思うから、そう感じます。
よくよく考えてみると、これは普段の生活にも応用ができます。
日常生活の中で階段を上がるとき「階段だ」と思うから疲れます。
そこで考え方を変えましょう。
「散歩コースだ」と思います。
「散歩コースだ」と思うことで、大変さを受け入れる心の準備ができ、不思議と階段を楽しく上がれるようになります。
疲れて嫌だと思えなくなり、疲れていい運動ができたなあと前向きな気分になれるのです。
本格的にジョギングをするなら、タオルは必須です。
大量に汗が噴き出ますし、シャツがべとべとして気持ち悪い。
汗をほうっておくと、走り終わった後に体が一気に冷え、風邪をひくこともあります。
では、単なる散歩の場合はどうでしょうか。
散歩の場合でも、速いペースで歩くならたくさん汗をかくはずです。
汗が少ない分にはいいでしょう。
しかし、ダイエットや健康を意識して歩くなら、ペースも速いため、結構汗をかくことになるはずです。
ジョギングのようにたっぷり汗をかく運動なら「タオルを持っていこう」と判断に迷いませんが、散歩となると微妙なところです。
必要とは限りませんが、必要でないとも言い切れない。
歩くときの気温や場所によっては、思いのほか、汗が出てびっしょりになることもあります。
そういうときのためにいつもタオルを持っていれば理想的ですが、タオルは少し大きいので、場所が取られます。
散歩のために首にかけるには大げさな気もします。
では、どうするか。
ハンカチがあるではありませんか。
小さなハンカチなら、ポケットに入るはずです。
いつも散歩のときにはくズボンのポケットに1枚のハンカチがあれば、解決です。
散歩程度の運動なら、それで事足りるはずです。
いちばん避けておきたいのは、タオルもハンカチも持参しない状態です。
噴き出た汗をほうっておくと、風邪の原因になりかねません。
健康を意識して歩いた結果、風邪をひいてしまっては元も子もないのです。
父と一緒に散歩していると、よくぶつぶつ話します。
独り言です。
歩いていると、目の前に看板があり、書かれている文字を読んでいます。
カラオケの看板があれば「カラオケ」と小さな声でぶつぶつ言います。
印鑑の専門店の看板に「実印、翌日OK。名刺スピード仕上げ。一級技能士の店」と書かれていると、そのまま口に出して言います。
隣にいると、結構恥ずかしい。
ある日、散歩の途中で池の前に来ました。
家の前には「ここで遊んではいけません。危険です」と書かれていました。
心の中で読めばいいものを、父はわざわざ「ここで遊んではいけません。危険です」と声に出して読みます。
「いちいち声に出さなくてもいいよ」と思います。
笑わせようとしているのかと、勘違いします。
実は、そうではありません。
これはぼけてしまっているからではありません。
対象を、より深く身近に感じようとしているからです。
たとえば、今あなたの目の前には何がありますか。
灰色のパソコンが目の前にあるなら「灰色のパソコン」と言ってみましょう。
つやのある携帯電話が目の前にあるなら「つやのある携帯電話」と言ってみましょう。
すると、どうでしょう。
印象が、ぱっと変わった感覚が得られるのではないでしょうか。
対象が今までより、ぐっと身近に感じられるようになるはずです。
灰色であったり、つやがあったりなど、普段は当たり前で特に気に留めていなかったことが、意識できます。
散歩の達人は、歩いている途中、目に映る物を見てはぶつぶついいます。
より散歩を楽しもうとした結果、いつの間にか、目に映った物事を口にする習慣が身についたのです。
中年のおじさん、おばさんは、何でも触るのが得意です。
歩いている途中に樹齢が100年くらいの巨大な木があると、とりあえず触ろうとします。
「うわっ、大きい木」と言いながら、木を触ります。
普通に考えれば「なぜ触るのだろうか」と思います。
たしかに大きい木ではありますが、普通は見ているだけで十分であり、触る必要はないと思います。
石碑があっても、とりあえず触ります。
石碑に書いてある文字を読めば十分のように思えますが、なぜか触りたがります。
「見ているだけで十分。触っても仕方ない」
そう思うのは、寂しいことです。
触るのがポイントです。
これが達人です。
見た目は単なる木、単なる石でも、触ることで対象からエネルギーが伝わります。
あらゆるものに、生命力が宿っています。
それは手で触れることで、伝わってきます。
手は1つのアンテナです。
握手をしたとき、一瞬であるにもかかわらず、相手との距離が近づけたような気がするのも、そのためです。
触ることで、初めて言葉にできない力・印象・刺激を受け取れます。
見ているだけ、聞いているだけでは、伝わらない。
触ることが必要です。
散歩をしていると、気になる物をたくさん見つけることでしょう。
神社にある大きな木・石碑など、やはり触るのがいちばんです。
「触覚」という五感の一部を刺激することになるので、記憶にも残りやすい。
もちろん「触ってはいけない」という注意書きなどがある場合は控えるべきですが、許されているなら触っておいたほうがいい。
生命力は、触ることで感じられるのです。
普通、私たちが散歩をするときは「保守的」になっています。
遠くまで歩いてみたい気持ちはあっても「戻れること」を前提に歩いています。
「この先の道は歩いたことがないな。歩いたらきちんと戻って来られるだろうか」
「もう少し先を歩きたいけど、戻るときの体力はないから諦めよう」
歩いても戻れる道を歩いたり、歩いたとしても、歩いて戻れるだけの体力などを考えたりします。
そのため、なかなか思いきった散歩ができません。
往々にして、同じ道を歩いてばかりになりがちです。
しかし、散歩の達人は違います。
恐れを知らない冒険家です。
「歩いて戻れる」とか「歩いて戻れるだけの体力」など小さなことは考えず、どんどん歩きます。
では、道に迷って迷子になったときは、どうするのでしょうか。
近くにいる人に、道を聞けばいい。
人がいない山奥となれば話が別ですが、普通に街を歩くなら、さほど心配する必要はありません。
もし、歩いて戻れる体力がなければ、乗り物を使って戻ればいい。
「いちばん近いバス停はどこですか。いちばん近い駅はどこですか」と聞きましょう。
わずかなお金があれば、交通費くらいはあるはずです。
最悪、タクシーを使ってもいい。
どんなに遠くへ歩いてしまっても、そこに人がいるなら、迷子になろうと思っても、必ず助けてくれる誰かがいます。
そう考えると、何も怖いことはありません。
いい年して迷子になることを恐れることはありません。
いい年して迷子になるのを前提に、どんどん歩いてしまいましょう。
どんどん歩いているうちに、散歩の達人になっているのです。